>>160 やぁ おはよう これ知ってる?
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憲法解釈としては,実は,統帥権の独立は無理があるのです。
なにしろ,第11条には「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」としかなく,統帥部門が政府
(内閣)から独立しているなどという含みを読み取ることは不可能であり,そ
うなれば,天皇がもつ他の統治権と同様,統帥権も国務大臣の輔弼によっての
み行使されるということになるはずなのです。
実際,明治憲法制定から日清戦争頃までは統帥権の独立を説く学説はないとい
われるし,また日清戦争に際しては伊藤博文首相も戦争指導(統帥)に参与し
ていました。ところが,日露戦争以後になると,ほとんどの憲法学者が統帥権
の独立を説くようになったとのことです(穂積八束のみが否定説という)。
では,なぜ憲法解釈としては統帥権の独立を導きだすのに無理があるのに,統
帥権の独立が説かれ,それが疑問の余地のないものとされていたかというと,
憲法以前からの慣習によるものです。
まず1878年,太政官の一部であった陸軍省から参謀本部が独立して天皇に直属
する組織とされ,さらに1885年の内閣制度創設に際して定められた内閣職権で
「事ノ軍機ニ係リ参謀本部長ヨリ直ニ上奏スルモノト雖モ陸軍大臣ハ其事件ヲ
内閣総理大臣ニ報告スベシ」とされ,軍機に関わることがらは内閣からではな
く参謀本部長が独自に天皇へ上奏してよく,内閣へは事後報告でよい,と規定
されています。このように,憲法制定以前から統帥権の独立が慣習として存在
していたから,憲法に明記されていないにもかかわらず,統帥権の独立が当然
のこととして説かれていたのです。
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/tsuka/theme/gunnbu01.html >>160 日露戦争後の日比谷焼き討ちに関し、反日左翼達の見解は
「日清戦争で『戦争は儲かるもの』と思った国民はその賠償に不満で暴れた」
というものだが、大笑いさせてもらった。
どうやら日露戦争開戦当時「よし!儲けようぜ!」と言って戦争を始めたらしい。
実際は本当に国運を賭して戦った。
当時のロシアは世界最強の陸軍(第1位で日本の10倍)を保有しており、海軍は世界第2位(1位イギリス)
鉄鋼生産量は日本の30倍
ちなみに第二次大戦の開戦前の米英合わせても日本の12倍だった。
臥薪嘗胆で重税に耐えながら軍備を増強、官吏などは棒給の10パーセントを返納してまで協力していた。
そして大国ロシアとの一戦、非常な緊張状態が続いた中での勝利
日本国民は講和によって暫しの安泰、もちろんそれは賠償金という形で国庫に入り、
さらなる国力増強をもっての安泰、ということでもあったかもしれない。
しかし講和が日本国民にとってあまり満足いくものではなかった。
つまり大国ロシアとの戦争という緊張状態から、勝利でそれが解放されそうになって
講和で再び緊張状態になり爆発したというのが日比谷焼き討ちなどになって現れたのだ。
この「再び緊張状態」とは「未だ終わらない弱肉強食の世界の現実感」と言う意味
そしてここが大事な事だが
>日露戦争以後になると,ほとんどの憲法学者が統帥権
>の独立を説くようになったとのことです(穂積八束のみが否定説という)。
当時の憲法学者は慣習法を以て「統帥権の独立」を認めた。
慣習法
>これによると、公の秩序又は善良の風俗(公序良俗)に反しない慣習については、
>法令の規定により認められたもの及び法令に規定のない事項につき、
>成文による法令(形式的意義における法律)と同一の効力(法源たる慣習法としての効力)が認められることになる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%85%A3%E7%BF%92%E6%B3%95 日露戦争に勝利し国体(秩序)を守った軍、その軍の慣習を公の秩序に反しないものとして
憲法学者は判断した。
まずね、日本が国際連盟の規約に人種差別撤廃条項を加えようとして拒否された事など
当時の厳しい状況を分かっていないと駄目だ。