雅子・公務サボリの実態
03.05.23 皇太子一家、異例の公園デビューを決行するも失敗。
当日午後の皇宮警察音楽隊創立50周年演奏会をドタキャン
05.01.26 駐在カンボジア大使離任ご接見の公務を欠席した当日、愛子ちゃんとドライブ
05.02.17 祈年祭の儀の公務を欠席した当日、滞在中の奥志賀高原でスキー
05.03.18 青年海外協力隊への接見を欠席の当日、庭に面している東宮御所日月の間において、
そのまさに皇太子と接見中の200名ほどの隊員たちに、愛子と庭で追いかけっこをしている
黒いパーカーとブルーのジーンズ姿の雅子の姿が目撃される。
05.08.15 終戦記念日当日に那須でテニス、りんどう湖畔のホテルでディナーを楽しみながら花火大会見物
05.08.25 愛・地球博の公務を「体調を考慮」で欠席した当日に東大のハーバード関係シンポジウムに出席
05.12.09 雅子妃本人の誕生日当日、お祝いとして3回の祝宴が予定されていた。
最初の友人とのお茶会には出席。1時間後の田園調布双葉恩師たちとのお茶会は
恩師達が到着した後、ドタキャン。 仕方なく恩師たちは雅子抜きでお茶だけ飲んで帰る。
最後の両陛下・秋篠宮両殿下・黒田夫妻ご招待の夕食会は開始予定時刻わずか1時間半前にドタキャン。
最初のお茶会出席の友人は「雅子様はお元気でした。私達と会う時はいつもお元気」と女性誌取材に語る。
06.01.03 元始祭の儀の公務を欠席した当日に東宮御所で皇太子の友人家族との新年会に出席
06.01.12 歌会始の儀の公務を欠席した当日に皇居で乗馬
06.05.25 赤十字大会の公務を欠席した当日に東宮御所でテニス
しかもこの日、愛子ちゃんは「溶連菌感染症」で発熱、寝込んでいた
(前日から幼稚園もお休みしていた)
06.07.13 群馬県行啓(主な公務は第42回献血運動推進全国大会臨席)を欠席した当日に
愛子ちゃんと明治神宮近くの代々木ポニー公園へお出かけ(目撃情報アリ)
06.07.24 午前中、はるばる沖縄からやってきた豆記者たちと交流の公務を欠席(皇太子は出席)したその当日、
午後から那須での「ご静養」に元気に出発。
06.08.08 橋本元総理の内閣葬を欠席した当日に六本木ヒルズ内の
森美術館で「アフリカ展」鑑賞
週刊ポスト06年8月18・25日号 P46より引用
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「ファーストクラスの貸し切り費用が約2000万円、警備担当者などが使う
ビジネスクラスの費用が約500万円。多少割引があるとしても、
計2000万円超。これが片道で、往復で約4000万円になります」(大手航空会社関係者)」
これ以外に食費、移動費、警備費、さらには大野教授の拘束費、
出張費、オランダ王室へのお礼などを合わせると、
「少なく見積もっても1億円を越すのではないか」(皇室ジャーナリスト・松崎敏弥氏)
といわれている。
生活費を含む天皇家の私的費用には年間3億2400万円の内廷費が充てられ、
そのうち5000万円ほどが皇太子ご一家のために使われる。
今回の静養は私的な「お出かけ」なので、費用は本来この内廷費から支出される。
だが、年間予算の枠を大きく超えている。
天皇誕生ブッチ事件 週刊文春2006年2月23日号、24-25ページより、記事原文ママである。
「あの日は夕方六時半からご一家と黒田夫妻がお揃いで、天皇陛下の七十二歳のお誕生日をお祝いする予定でした。
ところが愛子さまがむずかられて、雅子さまが一緒に東宮御所に戻られてしまった。
すぐお戻りになる予定だったので、お箸もつけずに待たれていたのですが、東宮御所から何の連絡もないまま時間が過ぎていった。
御所から連絡を入れても東宮職の返事が曖昧で、状況がよくわからなかったそうです。
結局、雅子さまがご不在のまま御夕餐は始まりました。
天皇陛下もさすがにご不快の様子で、せっかくのお祝いのお席も雰囲気がすっかり冷めてしまわれたといいます」(皇室関係者)
御夕餐を終えられた後、雅子さまのご到着をお待ちになっているところへ、ようやくお戻りになると連絡が入ったのだという。
「両陛下はじっとお待ちでしたが、すでに二時間以上が過ぎていました。
連絡が入った後、皇后さまは長い御廊下を歩いて玄関までお迎えに出られたそうです。
そこで十五分ほどお待ちになったのですが、なかなかお車がご到着にならないので、皇后さまは御食堂にお戻りになられました。
しかし、ご一家が揃って席についたままお待ちになっていては雅子さまも気まずいだろうと、
紀子さまと黒田清子さんがそろって御廊下に出てお迎えすることにしたといいます。
御廊下から一緒にお話をしながら入れば、お気楽だろうと気配りされたのです。
それなのに、戻られた雅子さまは『どうも』と軽く会釈をされただけで席に着かれてしまわれたといいます。
その場の状況を目の当たりにされて、紀子さまは思わず泣き出されてしまった。
この日のお祝い御膳はとりわけ重い意味があったからでしょう。
天皇陛下がご病気の中でお誕生日をお迎えになる意味は非常に大きいですし、
秋篠宮ご夫妻が縁結びをされた黒田夫妻が初めて出席するお祝い御膳でもあったからです。
紀子さまのお気持ちには格別のものがおありだったと思います」(同前)
女性セブン06年6月15日号「雅子さま赤十字大会ご欠席してテニスの波紋」
P42〜43より引用
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5月25日、東京・渋谷にある明治神宮会館では「平成18年全国赤十字大会」が
開かれた。(中略)
「本来なら、皇后さまの隣には雅子さまが並ばれるわけですが、これで3年連続
ご欠席ということになりました。」(皇室関係者)
「しかし、妊娠6ヶ月の紀子さまは、身重のお体で出席されているわけですから」(同)
(中略)
前述の『全国赤十字大会』の式典は、午前中で終了したが、
この日(5月25日)、欠席された雅子さまは、お住まいの東宮御所がある
赤坂御用地内で、テニスをされていた。
「テニスをされたのは、午後からだということです。
(中略)美智子さまをはじめ、他の妃殿下方が出席なさったご公務を
欠席された当日に、テニスを・・・
と、正直なところ、そんな声が上がっているのです」(皇室関係者)
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週刊文春06年3月2日号「皇太子と雅子さま夫婦別々の食卓」 (P26より引用)
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雅子様に比べて、皇太子の朝は早い。
「皇太子さまは時間がキチッとされていて、8時には御食堂にいらしているようですね。
愛子さまは基本的に皇太子さまとご一緒。皇太子さまが地方公務などでいらっしゃらないときには、
御養育掛が愛子さまのお世話をされることもあるといいます」(皇室関係者)
雅子様は皇太子と愛子さまが召し上がった後、テーブルに置かれたままの
食事をお一人でとられる。
「雅子さまが御食堂に来られるのは10時を過ぎることもあるそうです。
朝が遅いのは何も今に始まったことではありません。
ご結婚間も無いころから毎日のように遅かったのです。」(元東宮職関係者)
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■同日シリーズ■ (雅子・公務サボリの実態)
03.05.23 皇太子一家、異例の公園デビューを決行するも失敗。
当日午後の皇宮警察音楽隊創立50周年演奏会をドタキャン
05.01.26 駐在カンボジア大使離任ご接見の公務を欠席した当日、愛子ちゃんとドライブ
05.02.17 祈年祭の儀の公務を欠席した当日、滞在中の奥志賀高原でスキー
05.03.18 青年海外協力隊への接見を欠席の当日、庭に面している東宮御所日月の間において、
そのまさに皇太子と接見中の200名ほどの隊員たちに、愛子と庭で追いかけっこをしている
黒いパーカーとブルーのジーンズ姿の雅子の姿が目撃される。
05.08.15 終戦記念日当日に那須でテニス、りんどう湖畔のホテルでディナーを楽しみながら花火大会見物
05.08.25 愛・地球博の公務を「体調を考慮」で欠席した当日に東大のハーバード関係シンポジウムに出席
05.12.09 雅子妃本人の誕生日当日、お祝いとして3回の祝宴が予定されていた。
最初の友人とのお茶会には出席。1時間後の田園調布双葉恩師たちとのお茶会は
恩師達が到着した後、ドタキャン。 仕方なく恩師たちは雅子抜きでお茶だけ飲んで帰る。
最後の両陛下・秋篠宮両殿下・黒田夫妻ご招待の夕食会は開始予定時刻わずか1時間半前にドタキャン。
最初のお茶会出席の友人は「雅子様はお元気でした。私達と会う時はいつもお元気」と女性誌取材に語る。
06.01.03 元始祭の儀の公務を欠席した当日に東宮御所で皇太子の友人家族との新年会に出席
06.01.12 歌会始の儀の公務を欠席した当日に皇居で乗馬
06.05.25 赤十字大会の公務を欠席した当日に東宮御所でテニス
06.07.13 群馬県行啓(主な公務は第42回献血運動推進全国大会臨席)を欠席した当日に
愛子ちゃんと明治神宮近くの代々木ポニー公園へお出かけ
06.07.24 午前中、はるばる沖縄からやってきた豆記者たちと交流の公務を欠席(皇太子は出席)したその当日、
午後から那須での「ご静養」に元気に出発。
■翌日シリーズ■ (雅子・公務サボリの実態 その2)
05.01.18 外務省時代の元同僚3人(全員男、しかも3人全員が※大鳳会メンバー!) らと
全日空ホテルにて夜遅くまでディナー。
その翌日(19日)、ザンビア国大統領との午餐会の公務を欠席。
※大鳳会=外務省内の層化学会信者組織の名称
05.12.23 天皇誕生日の御夕餐を2時間47分中座。その間陛下たちはおあずけ&待ちぼうけをくらう。
(戻ってきた雅子は謝るでもなく「どうも」の一言だけで着席)
その翌日(24日)、皇太子、愛ちゃんとワンボックスカーでミレナリオ見物。
05.12.24 皇太子、愛ちゃんとワンボックスカーでミレナリオ見物。その翌日(25日)、大正天皇例祭の公務を欠席
06.06.16 香淳皇后例祭の公務を欠席。その翌日(17日)、NHKホールでメトロポリタン・オペラ鑑賞。
「体調を考慮」し、第2幕からしか見なかったくせに終演後は楽屋に押しかけ、
出演者らと「英語で」おしゃべり。ドアの外まで笑い声が聞こえるほどの盛り上がりぶり。
06.07.06 国際青年交流会議のレセプションを欠席。その翌日(7日)の夜、
愛ちゃんと都内青山のレストランでお食事(目撃情報アリ)
◆美智子さま成婚10周年記者会見のお言葉
「結婚して、なれないことや、自分がいたらないために
難しく思われることも多くございましたが
こうして振り返ってみますと、辛かったことよりも
そのたびごとに、温かく励まし、お導き下さる方々に恵まれたことが
うれしくありがたく思い出されます」
◆紀子さま成婚14周年ごろ記者会見のお言葉
「結婚後,務めをしながら家庭を築く過程で,多くの人々の助けや支えを頂き,
今日まで過ごすことができましたことを感謝しております。14年余りの歳月は,
感慨深く振り返るという長さではないかもしれませんが,懐かしいこととして
(平成2年)6月に行われた私たちの結婚の行事,また,
その年の11月に参列させていただきました天皇陛下のご大礼を始め,
宮様と同伴した国の内外の訪問などがございます。また,二人の娘に恵まれましたことも,大きな喜びでございます」
◆雅子さま成婚10周年記者会見のお言葉
http://www.kunaicho.go.jp/koutaishi/hidenkakaiken-h14.html 「はい。いま10年目と言われまして,ああ10年目なんだなというふうにまず思いました。
自分の中では9年という気持ちが強かったものですから,10年目と言われて,10年と申しますと,
十年一昔とも申しますし,十年一日のごとしとも申しますけれども,確かに考えてみますと,
年が明けますと,1月19日に皇室会議を開いていただいて,そして婚約ということになったのが
もう10年も前になるんだなあということを思い出しますと大変深い感慨がございます。」
皇太子さまバングラデシュ館などを視察
皇太子さまは25日、愛・地球博(愛知万博)会場を訪れ、バングラデシュ館などを視察された。
26日にポルトガル館などを視察し、帰京される。
前回(7月20日)同行した雅子さまは、体調が万全ではないことなどから視察を見送られた。
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(2005年8月25日15時43分 読売新聞)
雅子さま、ハーバード大学生団体主催の学生会議を聴講
皇太子妃雅子さまは25日、東京・文京区の東京大学を訪れ、雅子さまの母校・米ハーバード大
の学生団体が主催する国際的な学生会議「HPAIR2005東京会議」を聴講された。
この日は「東アジアかアジア太平洋か?―来る10年間の自由貿易と共同体形成」を議題に、
エズラ・ボーゲル同大名誉教授らがパネルディスカッション。雅子さまは、世界各国から集まった
約700人の大学生や大学院生らとともに聴講席に座り、約2時間、議論に耳を傾けられた。
(2005年8月25日22時18分 読売新聞)
皇族のバスに重苦しい沈黙が
千代田(皇居)と赤坂(東宮御所)の隔たりが誰の目にも明らかになったのは2000年7月、香淳皇后のご葬儀のときである。
豊島岡墓地で行なわれた「斂葬の儀」は横殴りの強い雨のなかで行なわれたが、その場に雅子さまのお姿はなかった。
ご欠席の理由は「夏バテ」。誰もが耳を疑った。
皇室関係者J氏は、その日、皇族方が乗るバスの中を支配した重苦しい沈黙を記憶している。
「陛下のお許しがあったとはいえ、皇太子妃がご欠席とは前代未聞のことだと驚きました。
体調不良でも入院するレベルではない限り、皇族は出席するものと考えておりましたので……。
せめて御所の南車寄せのお見送りは可能だったのではと思いました。しかしバスの車中では、この件については一切触れられない雰囲気でした」
■平成17年(去年)の5月だったかと思います(5月14日?)。
両陛下が海外訪問で、そのお帰りを、羽田空港で皇族方、総理、
両院議長、そのほかでお出迎えする行事の時のことです。慣例では、
両陛下の飛行機が着陸する前に、皆で(皇族も)外に出て、飛行機をお出迎え、
ということになっているのだそうです。そのために、総理以下、早めに空港に到着、
飛行機が上空に見えてきたので、さて、外に出よう、というところで、
奥の控え室にいた皇太子がわざわざ廊下に出てきて、ストップをかけた。
出迎えは飛行機が着陸後でよい、だから今はまだ外に出なくてよい、と。
みな、不審な顔をしたが、何しろ、皇太子の意向なので、
「雅子さんが嫌がったのか」と噂しつつ、結局、屋内で時間をつぶし、
その通りにした。短縮されたお出迎えに、雅子さんは出てきたが、その後、
空港内の特別室で両陛下に挨拶する数分間の儀式の時には、
雅子さんの姿はなかった。みな、「?」と不審顔。
具合が悪くなったのか、と案じたが、儀式が終わり、空港を出るときには、
笑いながら、皇太子と車に乗り込んだという。
結局、儀式の時に、陛下に頭を下げるのがイヤだったのか、とみな、つい、
雅子さんの顔をみてしまったとか。
両陛下は、飛行機の窓からみても、いつものお出迎えの人がいないので、
きっと、変に思ったにちがいない、と、政府側関係者も鼻白む思いになった。
雅子さんのために慣例を勝手に皇太子。
まさか、自分が帰国する時は、従来通り、着陸する前に整列してお出迎えを
要求するだろうか。とひそひそ話になりました。
これは、当日その場にいた人から直接、聞いた話なので、確かです。
週刊朝日 2006 1月6日・13日新春合併号
雅子さま静養3年目 朝日新聞皇室担当記者が投げかける
東 宮 へ の 疑 問 符
直 前 キ ャ ン セ ル 一 再 な ら ず
これまでも皇太子妃への医師団の助言が、外から拝見してちぐはぐに見える
ことも少なくなかった。当初はご病気への同情が強かったが、療養が長引き、
中途半端な公務への取り組みが積み重なっていくと、国民の視線も厳しさを
増していくことにはならないだろうか。
04年10月に起きた新潟県中越地震では、皇室は紀宮さまの婚約内定を延ばす
など、深く心を痛めたことが話題になった。しかし天皇、皇后両陛下が現地を
訪れ励ましている最中に、皇太子ご一家は御料牧場で「動物とのふれあいのた
め」静養。また05年、戦後60年の節目の年として両陛下がサイパン島を慰霊訪
問し、様々な形で戦没者や戦後引き揚げ者に心を寄せる動きを重ねる一方で、
皇太子ご夫妻は8月15日の節目の戦没者追悼式の日に、那須御用邸に滞在、テ
ニスをした後、ホテルのレストランで食事を楽しんでいたことには、深い失望
を覚えざるをえなかった。
85 水先案名無い人 sage 2007/10/26(金) 19:24:05 ID:yyVnXgZW0
田園双葉の入試に2回落ちて、3回目にお情けで編入。
田園双葉時代の成績は頑張っても専修大がやっと。
アメリカの公立高校では語学最低レベルのESLクラスから出られず。
当時ハーバードで客員教授していた父のコネで女子部のラドクリフに入学。
中国系学生デビッド・カオと半同棲。トップレス写真を撮られる。
卒業論文も父のコネで普通の学生には不可能な経済界の大物達へのインタビュー。
それでも優良可の良にあたる評価がやっと。
普通の会話が続けられずパーティーでは壁の花。
東大への学士入学は簡単なものでしかもここでも父が当時教授をしていた。
授業にはほとんど出席せず、1単位も取れずボロが出る前に中退して
父のいる外務省にコネ入省。
外務省時代は内規違反をしてマイカー通勤しVIP専用駐車場に駐車。
通勤手当をもらっていたので返却することに。しかも連日遅刻。
仕事が出来ないため大切な仕事は任されなかったが、頼まれると失敗して泣く。
それなのに傲慢な態度だった。
しょっちゅう化粧直しに席を立ち、なかなか戻らなかった。
職場でも父を「お父様」と呼んでいた。
オックスフォードに国費留学するが、同期の中で唯一修士が取れず帰国。
米国、英国、外務省時代に同棲・不倫の噂多数有り。
皇室に入内後は父親の影響が及ばず、すぐに引籠もる。