1 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
開国から戊辰戦争までで語りましょう。
明治維新:昔も今も外圧からしか問題解決をやらないこの国の先行事例
3 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/15(金) 04:00:33 ID:W+O6GKas0
開国から戊辰戦争までを要約すると、幕末からの政治変動は、政治体制の流動化から始まった。
1853年7月のペリー来航の衝撃と諸大名への諮問が流動化への引鉄となり、攘夷鎖国を唱えながらの
済し崩し的開国という幕府の対応と将軍継嗣問題をめぐる混乱(リーダーシップの不安定)で、
政策遂行危機を加速させ、また他方で、支配層の内部分裂と政策決定の多元化(雄藩、朝廷、
公家、志士など)を促進する。そして権力喪失(正統性の危機)として井伊政権の強権政治と
その挫折(桜田門外の変)は、幕府から最後の強力なリーダーシップを奪うと同時に、幕府政治を
正統性の危機の局面に導いた。この時から、1863-6年の時期に至るまで、尊攘運動の高まり、
朝廷の権威の上昇、各藩の幕府に対する自律性の増大という事態に対して幕府がとった宥和策
(攘夷の公約、公武合体策、参勤交代の緩和など)は、正統性の危機を昂進させる結果となった。
次には権力真空が起こる。1864年以後、政治は権力真空の局面に入る。この時期には公儀政体派
のみならず、公然と倒幕を叫ぶ「挑戦者」が前面に登場し、幕府の統制の及ばぬ武力行動が頻発する。
そして崩壊、1867-68年将軍家からの大政奉還という最後の手段(幕府を中心とする「勝利連合」
形成の試み)に対抗して、薩長を中心とする倒幕派のクーデター(王政復古の宣言)が行われ、
それに続く公儀政体派に対する討幕派の優位の確立(鳥羽・伏見の戦い)、幕府権力の消滅
(東征から江戸城開城まで)だった。
>>2 それは大当たり。
明治維新を語りたくても、星亮一信者のバカアホマヌケが以下略
5 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/15(金) 07:52:23 ID:6ltGYvUd0
>>2 待たれよ!一番最初の政治変動の原因を黒船の来航に求めるのには不賛成。
元々幕藩体制下の国内経済構造に問題があり、武士や農民が力を失い、商人の力が増していった。
そんな中で、武士や農民の経済的体力を完全に奪い去る幕末期の二大飢饉があり、幕藩体制に亀裂が入っていた。
この飢饉を藩政改革で乗り切り、経済を立て直した藩が雄藩と呼ばれ、幕府が無視できない力と発言力を持った。
この雄藩の台頭こそが幕末政治体制流動化の原因であり、その後の黒船来航以前から流動化傾向にある。
黒船来航による開国は、貿易の開始による国内経済の崩壊に拍車を掛けると同時に、雄藩の幕政関与欲求を加速化させ、
政治流動化を加速させた。
6 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/15(金) 08:43:30 ID:WZLvtD+D0
幕末〜明治の日本人の思想や教育を展望するなら、とりあえず福沢諭吉の「時事小言」は必読。
福沢はここで、薩長や下級公家といった尊王バカが政権を握ったことにより、後ろ向きの復古ブームが蔓延し、
幕末期に幕府が導入し定着しつつあった開明思想が消えかかったことをボヤいてる。
明治初期という時代は、日本が近代化への道筋を見失いかけた大混乱の時代。
福沢などの旧幕府が育てた知識人が民権論や富国強兵を説き、新政府の中の開明派グループに影響を与え、
日本はかろうじて行き詰まりから抜け出すことができた。
>>5 明治維新へ至る開始点として1853年を一つの画期とすることは間違いない
幕府権力の最終的崩壊も「王政復古」クーデターと鳥羽・伏見の戦に始まる
戊辰戦争よってもたらされた。ただその以前から既に幕府権力と対抗エリートとの
間で政治資源(武力・財力・シンボルなど)の動員競争はかなり進行していた。
そこでは、雄藩の「国事周旋」と尊攘志士の「横儀」とが噴出し、文久の幕政改革や
八月十八日の政変をもってしても幕府中心の体制再編が不可能になったという意味で、
1863-64年を革命状況の始まりとしている佐藤誠三郎さんの指摘通り。
(詳細は、佐藤誠三郎「死の跳躍を超えて」を参照のこと)
「神武創業ノ始ニ被為基,諸事御一新,祭政一致之御制度ニ御回復被遊候」
このおバカな主張こそが明治維新の最も核心的な思想。
9 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/15(金) 10:01:07 ID:6ltGYvUd0
>>8 王政復古は明治維新の「大義名分」に過ぎない。
>「神武創業ノ始ニ被為基,諸事御一新,祭政一致之御制度ニ御回復被遊候」
は江戸末期(黒船来航以前)の国学で唱えられた思想に過ぎず、
明治維新後の政府は復古思想どころか開国主義と西洋化を推し進めている。
「祭政一致」に関しても、諸外国(キリスト教国)の圧力と仏教勢力の反発、
なによりも何か勘違いした神道家の暴走による仏教破壊に失望し、
信教の自由化に踏み切らざるを得なくなっている。
10 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/15(金) 10:06:02 ID:6ltGYvUd0
信教の自由化については「大日本帝国憲法」に書かれてあるから、確かめているといい。
ただ、キリスト教が蔓延しても困るからそうならないように、キリスト教をターゲットにした防止条項を
それとなくすり込んではいるがw。
11 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/15(金) 12:48:53 ID:0yWVHY0z0
>>9-10 こいつ
>>8ID:n2WIMZnh0は、知ったかバカだからそんなにていねいに
書いても時間の無駄。相手にしないことだよ。
12 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/15(金) 14:39:12 ID:6ltGYvUd0
>>11 お前が低俗な長州煽りしてたから反論しただけだろw
今回も反論できず人格攻撃ですか?
これだから会津贔屓馬鹿は嫌なんだ
13 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/15(金) 15:00:15 ID:rQ3HJChP0
>>12 >お前が低俗な長州煽りしてたから反論しただけだろw
何のこと?どこがどう長州煽りなんだ?
>今回も反論できず人格攻撃ですか?
今回も反論できず?今回って何?反論?
14 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/15(金) 15:01:58 ID:rNS05Mw+0
維新変革は、いうまでもなく、欧米列強が軍事的に脅迫しつつ押しつけた
不平等条約体制にいかに立ち向かい、民族と国家の危機をいかに打開するかという
課題を解決するためのものだった。新政権は、国内阻害要因である徳川幕府を除去し
この課題の実現をすることで、みずからの存在理由をしめさなければならなかった。
この点は、新政権の中で誤認していたものは誰一人いなかった。
16 :
福沢諭吉:2008/08/15(金) 21:28:00 ID:U6sEzFDZ0
>>9 >明治維新後の政府は復古思想どころか開国主義と西洋化を推し進めている。
愚かなデマを流さず我輩の著作を読め。
●維新の初に当て其革命を王政復古と称し...
大義名分、普天率土、政祭一途云々等の議論世間に流行して、
啻に政機当局の人のみならず、世の耳目たる可き学者論客に至るまでも、
その流行に流されて嘗て自己の主義を唱える者なく...
民権等の談に至りては挙世一人として之に耳を傾る者あらざりき。
●三藩人の専ら政府に在る者を、世間より見れば、あたかも我家に招待せざる客の観を為す者多し。
即ち世人をして不平を抱かしむるの一大原因にして、近来国会開設を熱望するも由りて来る所は、
この不平の一点にありと言わざるを得ず。
●(薩長藩閥は)同藩同郷の士人互いに相引き互いに相推して、上は貴類の地位から下は末流の小吏に至るまで、
官途に充塞して自ら団結の勢いをなし、あたかも新政府の新官途に旧同藩の旧套を存する者の如し。
17 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/15(金) 21:32:24 ID:U6sEzFDZ0
井伊大老がアメリカに派遣した使節は、
正使・新見豊前守、副使・村垣淡路守、監察・小栗豊後守の3人。
彼らはブキャナン大統領に大和言葉で綴られた国書を手渡す。
「むつびの のりをさだめて ものうりかふべき ちぎりの しるしのふみ」
これが日米修好通商条約批准書交換の歴史的瞬間。
井伊大老は批准書のなかで「日本」「大日本帝国」という言葉を初めて使用。
さらに日本を表明する国旗として「日の丸」を正式に裁可した。
井伊大老の卓越した国際感覚があったからこそ、
今日の日本があることを忘れてはならないだろう。
井伊になんぞに見識などという言葉はない、
つか幕府には人材などおらんからな。
19 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/15(金) 22:21:21 ID:WZLvtD+D0
>>15 >不平等条約体制にいかに立ち向かい、民族と国家の危機をいかに打開するかという
>課題を解決するためのものだった
妄想もいいとこ。
そもそも開国近代化を進めてたのは幕府だろ。
薩長は一藩の利害にこだわり復古思想を振り回してた基地外集団にすぎない。
また、幕末の政変は条約破棄等の絶好のチャンスだったにもかかわらず、
薩長は不平等改訂のための努力をまったく行わず、
外国に対しては将軍を天皇と入れ替えることを要求しただけで、
幕府が結んだ条約の絶対遵守を誓っている。
しかもドイツなどには新たに不平等な利権を供与したりしてるわけで、
「不平等条約体制にいかに立ち向かい」なんて意見は完全な事実誤認だ。
この段階までの薩長は「不平等条約の改正」どころか、
内戦に勝つために積極的に売国行為を行っていた。
樺太をロシアに売り渡したのもその延長。
20 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/15(金) 22:57:09 ID:FUZPpiYQ0
>>19 >そもそも開国近代化を進めてたのは幕府だろ。
出鱈目だ。外国人に脅されるまま判子を押しただけでは開国近代化を進めたことにはなりません。
幕府は何一つとして近代化といえることをやってない。
武士の特権維持にこだわり農民を搾取したのが幕府。
身分制度を廃止し、国民は皆平等だとして国民意識を育てたのが明治新政府。
大商人と癒着し、特権を与えて賄賂を貪り私腹をこやしたのが幕府。
資本家を育て近代資本主義によって産業を育成し近代化したのが明治新政府。
不平等条約と言われるが、具体的にどこが不平等なのか?
普通、不平等なのは治外法権と関税のとこのようだけど、関税はなんとしても
改善するべきだけど、治外法権は当然な気もするんだが。
いきなし切腹とかさせられたら、やだろ、やっぱ。
幕府は技術刷新という意味では近代化を進めている。新政府=薩長土肥(前)であれば
薩摩と肥前がいくらか進んでいる程度で、幕府の比ではあるまい。
資本家による経済の奨励はしてないという意味では、近代化してないが。
治外法権の廃止のために、明治政府は刑務所を煉瓦造りの建物に変え、
法整備を行い、司法制度を西洋流に変え、西洋と同等の裁判と刑務執行が行われるようにしました。
議論が色々出ているが、史実に基づけば新政権になっても以前と同じように
パークスのリードの下での、欧米側の一方的交渉に終始していた。弱小国の
悲哀いう方なしの状態だった。たとえば、悪貨鋳造をめぐっては外人に不満続出、
パークスは迫力ある剣幕で外国官に抗議する。さらに、外人に対する暴行に抗議
1869年四月三日パークス以下、高輪公使館から引揚げという重大な事態も発生。
その後、七月十九日、三条は各国公使と悪二分金引換協定を結び、同月二十二日に
英国王子エジンバラ公が横浜に来朝、二十八日天皇に謁見という、維新政府にとっては
前年二月の各国公使謁見行事を上回る重大儀式にぶつかり、更に九月、不平等条約を
悪化させただけの日墺条約を締結せざるをえなかった。当事者の大久保も「英公館、
要路ノ人ヲ恥シメ、児童ノ如ク愚弄」すと憤激した書簡がある。幕府が間抜けで条約を
結んだからこんなことになった、とか新政府が維新で英国に操られたからから、とか
そんなマンガのような話でなく当時の諸外国との外交の厳しさが、歴史を知ればよく分かる。
>>15が書いているように
>不平等条約体制にいかに立ち向かい、民族と国家の
危機をいかに打開するかという課題を
新政権の人たちは、解決するために全力で仕事をしていた。
24 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/16(土) 12:06:19 ID:lqZNr9UL0
「新政権」の中の人の維新前後における売国事例を置いときます。
慶応4年 神戸事件。討幕派、攘夷を行った備前藩士を外国人が見物する前で切腹させる。
慶応4年 討幕派、幕府締結の条約の絶対遵守を各国に誓約する。
慶応4年 堺事件。討幕派、土佐藩士20名を外国人の前で公開処刑。うち9名はフランスの助命で命拾い。
慶応4年 パークス襲撃事件。十津川郷士2名が攘夷を試みるも失敗。討幕派の手で攘夷志士は惨殺及び梟首。
明治1年 明治政府、スウェーデン・ノルウェー・スペインと不平等条約を調印。
明治2年 明治政府、北ドイツ連邦との不平等条約に調印。
明治2年 ロシア兵、樺太函泊を占領、明治政府が抗議せず容認したため兵営陣地を構築。
明治4年 イギリス公使パークス、樺太放棄を勧告。
明治4年 明治政府の主要メンバーが国事を放棄して海外漫遊に出かける。
明治5年 岩倉漫遊使節団、条約改正を試みるもすぐさま断念。以降明治政府は半世紀近く不平等を放置。
明治8年 明治政府、樺太をロシアに二束三文で売り渡す。日本は北海道とほぼ同じ面積の領土を失う。
でも、あの時代に、条約問題で一気に欧米に目が向いて良かったとは思うが。
でなければ、幕府領というか、東日本はフランス、薩摩と長州圏はイギリス、
北海道や北部日本海側はロシアということで、北アフリカみたいな状況もあり得たと
思うんだが。中国みたいに国が広くないんだから、海岸に近いとこだけで
大部分はずっと同じ、みたいなことは出来なかったと思う。
あそこから、へばらないで、物まねであれ何であれ、独立国家を守ったのは
日本はえらいよ。新政府側も幕府側も、どんんだけ賢かったか、と感動するし、
寝ないで日本のために仕事してる人たちは偉いよ。
いま、宇宙人が条約持ってきたら、あんだけの対応が出来るかね?
でも、出来るような気もする。
>>21 幕府の技術革新なんかねーよ、
薩長がとっくの昔にやっていたことを、
後追いしていただけだ。
27 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/16(土) 19:37:54 ID:+LkPPjjr0
郡県制、大統領制、横須賀製鉄所、横須賀造船所、
火薬・大砲製作所、洋式陸海軍、鉱山開発、天然資源保護計画、
近代的会計制度、株式会社、国益会所、商工会議所、
外国語専門学校の設立、郵便制度の建議、電信事業の建議、
鉄道(江戸−横浜)建設の建議、新聞発行計画…
幕府の構想をざっと並べただけでも、その先見性に驚かされる。
これに対し薩長側に一体どんな将来構想があった?
唯一、龍馬の「船中八策」があるのみだろ。
そしてその「船中八策」もまた幕府の思想のパクリにすぎない。
28 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/16(土) 20:53:05 ID:1R/UNJoQ0
>>27 ならどうして倒幕された?
先見性があろうがなかろうが、潰された負け犬の遠吠えでしかない。
惨めなことわざわざ書いてお前も負け犬なんだろうな
>幕府締結の条約の絶対遵守
幕府政権の正統後継政権であると自認するなら当然の話しなわけだが。
ここら辺中国人やら朝鮮人には理解できんらしい。
あ、南米人とイスラム教徒とアフリカの土人にも理解できなかったか。
30 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/16(土) 21:44:25 ID:FpxOZYi20
>>27 はあ?幕府の構想?幕府の思想?笑わせるなって。そんなものは無い。
幕府はアヘン戦争で清が欧米列強によって半植民地化されつつあるのを知り、
日本に危機が迫っていることを知りながら10年間無為無策だったほどの無能だった。
そもそも政治家は構想や思想を持つのが仕事ではない。有能な学者・民間人・官僚を育て
彼らの構想や思想を取捨採択し、政策として実現するプロセス・スキームを考え、
利害関係者の利害を調整し、国民的コンセンサスをまとめ、資金をファイナンスする計画を
考えるのが仕事なのだ。それをしたのが明治新政府だ。
しかし幕府は何をしたか。吉田松陰に無実の罪を被せ惨殺した。思想家を弾圧したのが幕府だ。
幕府は樺太開発を諸藩に募集しただけ。大野藩が名乗り出たものの数年で失敗。
幕府は高島流砲術の創始者である高島秋帆を投獄幽閉した。
無能がのさばり、有能な人材を腐らせたのが幕府だ。
もちろん幕府にも有為な青年はいた。しかし無知・無能・頑迷な老人が特権に固執し、
才能に嫉妬し、彼らを押さえつけた。それが幕府だ。
徳川家康の威光に260年間頼りきりで何ら有効な施策を打ち出せなかったのが幕府だ。
ありとあらゆる改革・事業をことごとく中途半端で失敗させたのが幕府だ。
しかし時代の流れには誰も逆らえない。そんな幕府の惰眠が許される時代は既に終わっていた。
それが明治維新だ。
31 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/16(土) 22:16:36 ID:p4zjSn1w0
>>30 なにをそんなに興奮してる?
吉田寅二郎なんて老中暗殺をたくらんだ愚かな国事犯。処刑は妥当だ。
とりあえず大隈翁の含蓄ある言葉をよくかみしめて反省しろ。
「小栗上野介は謀殺される運命にあった。なぜなら明治政府の近代化政策は、
そっくり小栗のそれを模倣したものだから。」大隈重信
32 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/16(土) 22:55:46 ID:FpxOZYi20
>>31 >吉田寅二郎なんて老中暗殺をたくらんだ愚かな国事犯。処刑は妥当だ。
それは幕府が拷問にかけていわせた嘘。幕府の捏造。そもそも思想犯を処刑するのは中国のような野蛮な行為だ。
それを妥当といいきるお前は中国人だな。
>「小栗上野介は謀殺される運命にあった。なぜなら明治政府の近代化政策は、
>そっくり小栗のそれを模倣したものだから。」大隈重信
政策には特許も知的財産権も無い。良いものはどんどん模倣すればよい。それが世界の常識だ。
だから明治新政府は海外視察をして諸外国の法制度に学ぼうとした。それは現代のどの国でもそうだ。
問題は実行力・実現力なのだ。その小栗のアイデアを腐らせたのが幕府で、活かしたのが明治新政府だ。
平社員がいくら企画書をあげてもその価値を理解できずにゴミ箱に捨てる無能経営者が幕府で、
その企画書を吟味し着実に実行していった有能経営者が明治新政府だ。
謀殺?なぜ幕府は小栗を死なせた?なぜ幕府は井伊大老を死なせた?幕府の罪は日本海溝より深い。
小栗や井伊より阿部、堀田、江川だな。なんであんなときに死んでんだよ。
ついでに幕府じゃないが、斉彬、斉昭も。
で、松陰の老中暗殺計画は幕府のねつ造じゃないだろ。本人が言ってることも
嘘ってことになるのか?
>>31 小栗には近代化などないってば。
馬鹿じゃねーの。
ふるーい郡県制とか、日露には実際には活用されてない横須賀のこと言っているんだろ。
徳川家康は天皇から征夷大将軍および源氏長者に任命される
ことにより、自己の覇権を正統化しようとした。これは鎌倉
幕府以来の武家政権の伝統を継承した、その限りでは簡便・
有効な方式だった。しかし高度に自立的な武士団のゆるやかな
連合体にすぎなかった鎌倉幕府や室町幕府と異なり、戦国の
動乱を勝ち抜き全国制覇をなしとげた徳川政権を、無力化して
久しい朝廷の臣下として位置づけることは、現実の力関係と
いかにも乖離していた。さらに、将軍のみでなく、大名層も
名目的には天皇から律令官僚制上の位階を与えられたので、
事実として将軍への臣従化を深めていたかれらも、形式的には
将軍と同様に朝臣だった。またこの伝統主義的正統化は、家康
自身が意図的に導入をはかった儒教の政治理論と整合的では
ありえなかった。それは、有徳者が超越的規範である天道の
命を受けて君主となり統治するという易性革命論ー有徳者君主
思想からすれば、「撥乱反正」の「偉業」をなしとげた家康
こそが、天皇に替わって君主となるべきだった。徳川幕府の
正統化方式がはらむこのような難点をいかに解決するかは、
徳川思想史の大きな課題だった。結局、幕末の維新でつかれたのは
ここの部分だった。
明治維新は天皇制絶対主義を確立した政治変革だよ。
>>8 >このおバカな主張こそが明治維新の最も核心的な思想。
え?何いってんの、「御一新」のスローガンの下、
幕府と朝廷とを極限的にまで対比させ、新政権の下において、
はじめて民政の安定と外圧に耐えうる国家的民族的結集が
実現されうるとするものだった。
1868年3月14日の「億兆安撫国威宣布」の震翰にいう
「(近来の事態のまま推移せば)遂ニ各国ノ凌侮ヲ受ケ、
上ハ列聖ヲ辱シメ奉リ、下ハ億兆ヲ苦メントヲ恐ル、
故ニ朕ココニ百官諸侯ト広ク相誓ヒ、列祖ノ御偉業ヲ継述シ、
一身ノ艱難辛苦ヲ問ハス、親ヲ四方ヲ経営シ、汝億兆ヲ安撫シ、
遂ニ万里ノ波濤ヲ拓開シ、国威ヲ宣布シ、天下ヲ富岳ノ安キニ
置カンコトヲ欲ス」でないのか?
徳川なんてのは内弁慶だったんだよ。
イギリスとドンパチやった長州と薩摩は凄いよ。
父方も母方もご先祖さんはみな甲信越及び関東だから、
西の人間様なことは出来ないよ。
今の世でも西の人間って東の人間から見ると、良く言えば体裁や見かけに騙されない、
悪く言えば姑息で人を欺く。
って所だな。
明治維新はなるべくしてなったんじゃないかな?
>>38 あなたは歴史の本を読んだことが無いようですね。
一度この機会に読んでみてはどうか?と思いました。
知識がないとこんなことを平気で書き込み出来るのかと
発見がありました。
40 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/19(火) 20:55:28 ID:+1z3V6/E0
>>38 いかなる歴史研究も史料編纂事業なしには進まない。
明治維新に関する史料収集には、三つの波があった。
第一は、廃藩置県の直後に始まった政府の事業で
「復古記」という戊辰戦争の史料集に結実した。
第二は、帝国議会開会を控えた、明治十年代の末期に
始まった、各大名や幕府旧臣の事業で、史談会などが
情報交換の場となり、それを基礎に一方で「防長回転史」
などの浩瀚な大名家の維新史、他方で福地源一郎や徳富蘇峰らの
民間史家の史論が著された。第三の波は明治末期に訪れ、
東京帝大の史料編纂所が「幕末外国関係文書」の刊行を
始めるとともに、1911年(明治四十四)には維新史料編纂
事務局が発足している。(編纂事務局は、当初各大名家などで
史料収集をしていた人々が中心的役割を果たしたが、次第に
大学で史学の訓練を受けた世代に交代した。後者は、それまで
収集された史料をもとに編年的な「大日本維新史料稿本」を
編む一方、「徳川慶喜公伝」の刊行に関与したり、日本史籍協会を
結成して維新史料の公刊をおこなった)
上記の史料を読んでみたらどうだ
41 :
38:2008/08/20(水) 01:03:26 ID:8+WqfZCp0
なんともお恥ずかしいです。
お二方ともレス痛み入ります。
機会があったらあげていただいた資料読みたいと思います。
42 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/20(水) 05:49:05 ID:5wj8v2Ic0
>2昔からそれが不思議だったのだが。結局は目的の差ではないかと
日本は防衛(経済も含む)の必要に迫られ(今でも)外的要因に支配されてる。
キリスト教国家は他人を改宗させることを教義としているのが基礎にあって
他国を自分流にすることが自然なのではないか。
>41
機会があっても幕末外国関係文書なんか、一般の人は読めないよ。高いし、異常な量
だもの。防長回転史はマツノからそのうち復刻が出るみたいだけど、安くないと思うよ。
徳川慶喜公伝だって、復刻版出てるけど、長いから全部揃えたら結構な出費だよ。
普通に勤めてる人には図書館なんか時間的に行けないよね。
幕府が開明的だとか、技術が進んでるみたいな主旨の本は新書でも結構あると思うよ。
江川太郎左衛門英龍とか、榎本とかについて書かれたものとかでも、エッセンスは
掴めると思うし。
>>43 そうか?図書館は、土・日曜、祭日もやってるから行けないか?
量が多い少ないは、ご当人の意欲と読書経験で一概に一般人は
読めないと決め付けるのはどうかなぁ。それよりも、史料を読む
ための知識を教わってないとー近世日本語を読めないとーいう事のほうが
重要じゃないかなと思うけど…。
そういう高かったり、入手や読むのが難しい本より、普通に入手できる本でこれはいいよ!ってのを
紹介してくれる方が親切なんじゃないか?
史料はある程度、引用リストとかでわかるけど、最近出てる本なんか、わからんよ。
題名わかんないと探せないのも多いんじゃない?
人生ずーっと明治維新を追ってるわけでもないでしょ。
まんがとか、小説から興味持つ人も多いんだし。
>>45 それなら、ネットで検索すれば何の支障もないと思うが違う?
47 :
46:2008/08/20(水) 16:48:43 ID:uHtprscI0
書き忘れた。
何を読んでもどうでもいいんじゃないか?
とオレは思うが、
>普通に入手できる本でこれはいいよ!ってのを
紹介してくれる方が親切なんじゃないか?
それなら、あなたが紹介してやればいいじゃない。
オレは
>>40が参考になったけど、そこのにある史料とやらを読もうとは
思わないけどな
48 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/20(水) 19:58:07 ID:B0SBg0uk0
なお、薩長は「自ら特権を廃止した」のではなく、むしろ封建的差別構造の温存を図り、
華族、士族等の特権階級を捏造している。
そして、幕府時代の藩主等への家禄はそっくりそのまま華族等に承継され、
明治初期の国家財政の大半は華族・皇族等への禄に当てられ浪費されてる。
表面的には士農工商の撤廃など平等化が進んだように見えるが、
これは近代化のため封建的大土地所有制を解体せざるを得なかったことの帰結であって、
実質的には差別構造はより巧妙になり皇族、華族、財閥、大地主といった一握りの富者の
圧倒的多数の平民に対する抑圧がどんどん強化されていった。と言えるね。
さらに、明治国家は矛盾に満ちた脆弱な存在であったため、
神格化されたカルト天皇制により自己の権力を正当化するとともに、
危機に直面するたびに「外征」によって国家の存在意義を強調した。
これにより、明治時代は徳川時代どころではない抑圧と戦争の時代となる。
49 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/20(水) 20:25:19 ID:H3Gz3GEc0
>>48 >危機に直面するたびに「外征」によって国家の存在意義を強調した。
危機に直面するたびに「内征」によって幕府の存在意義を強調した幕府より100倍ましだ。
実際は幕府の存在意義が無いことを証明しただけに終わったけどな。
50 :
自己レス:2008/08/20(水) 20:30:38 ID:H3Gz3GEc0
>>49 いや、幕府にとっては危機など無かったんだったな。
飢饉が何年も続いて農民が何十万人餓死しようとも知ったこっちゃ無いのが幕府だもんな。
食う米が無いなら雑草でも食えってのが幕府だ。
それで済むなら明治新政府はあんな苦労はしなかっただろうけど。
51 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/21(木) 05:41:48 ID:39Q60Ciu0
徳川時代を一言で言えば「天下泰平」。
これほど長期の平和と安定が続いた例は世界史的にも珍しい。
円熟した庶民文化が花開き、浮世絵、歌舞伎、俳諧等々、
日本文化の粋が最高度に発展したのもこの時代。
明治以降は薩長による日本文化の破壊活動が展開され、
多くの文化遺産や芸能が消滅衰退した。
日本人が自国の文化を灰にし西欧文化の猿真似を始めたことを、
最も嘆いたのは皮肉にも日本通の外国人たちであった。
>>51 同感。正直、政府の西洋文化導入方針は過剰すぎた。幕末の時に実際海外と戦争してまざまざと実力差を見せつけられた薩長が必死になったのも無理はないが。
やっぱり日本の優れた文化が退廃したりしなくても言いよう政策が実行された背景には上からの改革である維新の性格が大きく影響してるんだと思う。
ヨーロッパのような下からの改革。つまり民意を大きく反映した民衆による改革だったらあのような事態にはならなかったろうに。
ごく簡単にいえば維新はサムライがサムライを倒したものであり民衆がサムライを倒したものではないってことだな。
だからこそ維新後も藩閥なんてものが幅をきかせた。だからといって維新後の政府を全否定するわけじゃないけど。
>>51-52 歴史を振り返れば、戦後、江戸の記憶は再び繰り返されたが、
その調子はそれまでとは異なっていた。占領下では、徳川時代や帝国日本を
含む過去の悪しき部分は「封建的」というレッテルを貼られ拒否された。
そのうえ占領当局は、しばらくの間江戸の文化的な陳列棚に鍵をかけて
閉ざした。具体的には、仇討ちという「封建的」物語、「軍国主義的」な
チャンバラ劇、そして搾取的な身分制はアメリカ的民主主義の敵と見なされた。
「封建的」なものすべてに等しく反撥した当時の日本人は「開国」とその反対で
ある「鎖国」というメタファーを引き合いに出した。和辻哲郎は、「鎖国・日本の
悲劇」と題した自著の中で、幕府の鎖国政策は破滅的だったと論じている。
鎖国は、日本人が「科学的精神」を育てるきっかけを失ったといっていた。
和辻の論点は現在読んでみてもとくに修正主義的ではなかった。戦時の教科書に
おいても鎖国政策は支持されていなかった。それは、あまりに多くの人々が
戦後を改革された近代との関わりで理解したから、江戸を歴史的に利用する方法は
明治の啓蒙思想家のやり方とよく似たものになった。つまり、伝統としての
江戸は再び時間的なものになり、この「前近代」の時代がより完全な近代に
貢献したのか、もしくは障害となったのかが評価する上での問題になった。
しかし、明治初期とは違って、戦後ではそうした評価はこれら両方の立場に
等しく散らばって見えた。歴史上の暗部は帝国主義とファシズムの時代におかれ
そのかわり江戸はまだらな明暗で描かれるようになった。それが変化したのは
戦後の繁栄が加速し保守的な声が強まり、再び江戸はさらなる輝きを取り戻した。
そして、1980年代にはいわゆる江戸ブームが起こった。徳川時代がそれまでになく
注目を浴び、誇大に宣伝されるという現象がおこった。歴史的にみれば、1920年代にも
そうだったように、再び時間から逃れた文化的な永代蔵となった。
面白いものですね。戦後の江戸に対する評価が、日本経済の発展とともに変わってきたというのは
近代という時代は封建性をどれだけ徹底的に克服したかで評価されるわけで、
その点で日本の近代が完全な失敗だったことは先の大戦の悲劇によって歴史的に
証明された。江戸時代の再評価とは封建制の再評価であり、それはとりもなおさず
封建制を克服しないままアジア侵略に乗り出した近代の最評価である。江戸時代の
復権は近年の右傾化と一体のものである。
江戸時代を政治的に評価するのか文化的に評価するのかでだいぶ意味が違ってくるっしょ。
最近、江戸時代の文化から何か学んだり普段の生活に生かせる技術を取り入れたりすることがTVや雑誌で取り上げられてるのをよく目にする。
これって別に政治的な背景とかそんなややっこしいことは関係ないし、単に合理的なことを取り入れようとしてるだけで右傾化とかには関係内容な・・・。
右傾化w
一体どこの平行世界の人間なのか。
それとも韓国人?中国人?
>>54 >江戸時代の復権は近年の右傾化と一体のものである。
論拠を示さず、結論めいたことを書いても誰も納得できない。
1980年代の江戸ブームは、具体的なことで書けば田中優子の
ようなエドロジストは、江戸という都市に溢れる文化的爛熟の
エネルギーと、人から人へと文化が「連(つらね)」を通して
伝わる情報、文芸、科学のネットワークを称えた。田中の80年代半ばに
描いた「江戸ルネッサンス」では、幕府の改革者や儒学思想家ではなく、
平賀源内や山東京伝などの創造力溢れた奇人に注目して、「江戸の想像力」や
「江戸はネットワーク」などの著作になった。こういう「ハッピーな封建制」の
イメージの中で元禄の「サラリーマン」は余暇、娯楽、そして何よりモノー1980年代の
バブル商業主義の商品化された反映だろうがーに没頭していた。(詳細は山本博文の
「江戸時代を「探索」する」を参照せよ)
>>54さんの内容は、研究者の当時出版された
ものからはまるで書かれていない。さらに江戸を都市としてメディアでもてはやされた
ことを振り返っても、煮えたぎった正体不明の社会的な汁物のような江戸の「闇鍋文化」が
人々を枠で仕切って分けてしまうおでん鍋のような今日の社会にこそ望まれるものとして
語られたものもある。(田辺聖子・杉浦日向子「もっとふんわかした笑いがほしい」)
大江戸曼荼羅、大江戸リサイクル、大江戸テクノロジーなど、徳富蘇峰や永井荷風なら
認めようも無い「大江戸」への賛辞でマスメディアは溢れた。これが江戸ブームを
振り返った歴史ですよ。
>>54さんどうですか?
スイマセン、このスレの対象とは若干時代がずれるんですが、明治初期の神仏分離令について質問です。
http://www.d1.dion.ne.jp/~s_minaga/myoken43.htm >結論的に云えば
>明治維新の神仏分離や廃仏毀釈の意味は単に神を仏から分離し、
>仏を廃するという意味ではなくて、記紀神話や延喜式神名帳に記された神々に歴代天皇や南北朝期の功臣を加え、
>要するに神話的にあるいは歴史的に皇統と国家の功臣を神とし、底辺に産土神を配し、
>それ以外の神仏は廃滅の対象とするというのがその意味であった。
とあるんですが、具体的に「廃滅されたそれ以外の神」って何処のどういう神様なのでしょうか?
記録とか残っているんでしょうか?
59 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/23(土) 01:51:35 ID:A2uRC2xt0
>>58 そもそもその文章が変w。
明治維新の神仏分離、廃仏毀釈ってw
明治維新の目的は徳川幕府を廃して統一国家体制にする事で、神仏分離する為に明治維新した訳じゃないし。
しかも、明治政府は仏教廃絶なんてしてない。
明治政府によって潰された政党的仏教宗派は無い。
ただし、「廃滅されたそれ以外の神」は潰した。
たとえば庚申信仰がある。
(人間の体内に巣くっている三種の虫が、
月に一回庚申の日に、寝ている間に体から抜け出し天上の神泰山ふ君に報告を行い、それによって人間の寿命が決まると信じられた信仰。
この為、庚申信仰をする人は庚申の日に徹夜で起きて宴会を続ける事で、虫に報告させないようにした。
後にこれを大義名分に、徹夜で遊び呆ける日になった。)
庚申信仰は、徳川幕府でも「迷信」として弾圧した。
こうした迷信的邪教は、他にもあり「SEXを公然と奨励するような信仰(乱交パーティー的な)」なものもある。
これら社会的に反する信仰や教団(?)が潰されている。
また太陽暦を採用する際に、太陰暦にこだわり反対した陰陽寮も廃止に追いやり、
この際に陰陽頭の土御門神道も潰されている(現在、土御門神道は宗教団体として存続している)
神仏分離思想は、明治維新以前の徳川幕府中期ごろからあり、多くは神道家や国学者が唱えた考え方。
明治政府は天皇の権威を高める事で行われ、その後の明治政府もこの路線を進んだ為に天皇=日本の神々の子孫と位置づけて権威付けを行った。
これが国家神道だが、国家神道=神道ではないので、社会に反する恐れのある神道も潰されている。
60 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/23(土) 06:08:59 ID:vY1fMSq/0
江戸時代には武士は町人を切り殺しても罪に問われなかったんだよ。
農民は生かさず殺さずで搾取されてたし、現代にまで続く身分差別の
元を作ったのも江戸時代。
61 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/23(土) 07:29:31 ID:WUPnYIyU0
>>60 実際は「切り捨てごめん」は事の真偽が問われることがあり、ほとんど
行われていない。
現代まで続く身分差別とは同和のことをいってるのかな?日本ほど
身分がない国もめずらしいよ。同和は地区(特に関西)によっては目立つが
東京近辺ではほとんどないし、ごくわずか。逆にえせ同和で暴力団の
利権になっているくらいだ。
62 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/23(土) 23:56:42 ID:dxXxssEF0
>>59 >明治維新の目的は徳川幕府を廃して統一国家体制にする事で、神仏分離する為に明治維新した訳じゃないし。
薩長は藩閥の私益のために倒幕に踏み切ったわけで、
「統一国家」をつくるために倒幕を行ったとする理解は誤り。
倒幕の大義名分として悪用されたのが「王政復古」というスローガンで、
薩長にとっては「統一国家」=律令の古政への復古を意味した。
63 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/24(日) 10:13:10 ID:bXqxaWm/0
>>62 >薩長にとっては「統一国家」=律令の古政への復古を意味した。
で?明治時代は律令時代だったか?www
>薩長は藩閥の私益のために倒幕に踏み切ったわけで
私利私欲で政権を打ち立てた西郷隆盛や桂小五郎、大久保利通の三傑が私利私欲を極めたか?
西郷は明治政府に失望し、反乱を起こして自決。
大久保利通は不平士族に暗殺され、その遺産は借金しかなく遺族がガッカリした。
桂小五郎は不平士族の反乱を恐れ、ビクビクした挙げ句に過労死。
これが君の言う私利私欲を極めた人か?
お前、馬っ鹿じゃないの?w
太政官制は律令制時代のものだというのを誤解しているのでは?
でも、五か条のご誓文しかない時期には、聖徳太子より条文が少ない点で
負けてっかも。
65 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/24(日) 11:12:23 ID:cJ0m2Z1c0
>>63 そもそも倒幕の口実となった「一君万民」思想は律令制の基本概念だよ。
明治政府は律令時代に倣って官制をでっちあげており、
太政官の上に神祇官をおき、天皇の神格化と神道国教化により、
クーデタ政権の正当性を演出しようとした。
また、今でこそ「明治維新」という用語が定着してるけど、
明治初期は倒幕クーデタのことを「王政復古」と呼ぶのが一般的だった。
西郷、大久保、木戸たちは、自らを「復古功臣」と自称し、
復古のご褒美として巨額の「章典」を得てる。
簡単に言えば幕府を倒して分捕った財産を私的に山分けしたということ。
まあ、薩長には近代国家のなんたるかを理解してる人材が皆無だから、
お馬鹿な復古思想にしがみつくしかなかったんだけどね。
>>65は本当にばかだなあ。
本当に薩長が馬鹿なら、名称だけ「王政復古」にして、
中身は近代国家ということはしなかっただろう。
>>65 それと、西郷、大久保、木戸たちは幕府を倒して分捕った財産を私的に山分けしていない。
嘘を並べるのは止めたほうが良いだろう。
68 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/24(日) 13:26:39 ID:bXqxaWm/0
>>65 >太政官の上に神祇官をおき、天皇の神格化と神道国教化により
徳川家支配の正当性を奪う大義名分として「王政復古」が唱えられたが、
これは元々薩長の思想ではなく、水戸徳川家などで提唱された水戸学をはじめとする国学者の主張。
薩長は彼らを取り込む為に「王政復古」を唱えたが、実際に王政復古などする気もないw。
逆に開国方針を打ち出して、復古主義者は政府から追い出し、弾圧までやってるw。
神風連の乱や尊攘派の河上彦斎の処刑が好例だ。
王政復古など大義名分に過ぎず、真の狙いは別にある。
表面の事しか頭にない君の能力では、明治政府の本質は理解できまいよ。
>復古のご褒美として巨額の「章典」を得てる
命がけの仕事をしたのに褒美を貰って何が悪い?
新撰組や会津は幕府の為に京都守護職をしたが、その期間中に褒美をたくさん貰っているではないかw。
二言目には「ゴシンカン」も巨額の褒美と一緒に貰っているはずだぞw。
大久保利通や西郷隆盛は褒美は貰ったが、それを私欲に用いていない。
それどころか、国家財政が厳しくなると自分の財布から出している。
だから大久保など死んだ時に巨額の謝金だけ残った。
西郷や大久保は豪邸を建てたというが、それは外国人などの要人を接待する場で生活をする所ではない。
そこに金を注ぎ込んだのは外国外交官に貧乏人の野蛮人と侮られない為だ。
実際に生活する家は、雨漏りだらけの安普請だったんだぞ。
69 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/24(日) 13:28:52 ID:bXqxaWm/0
訂正
×大久保など死んだ時に巨額の謝金だけ残った
○大久保など死んだ時に巨額の借金だけ残った
70 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/24(日) 13:33:51 ID:bXqxaWm/0
>>65 >「一君万民」思想は律令制の基本概念
律令制の基本概念でも何でもないだろw。
律令時代が「一君万民」だったか?
天皇の下に人々は平等だったか?
俺の記憶が正しければ、天皇、公家、武家さらに朝廷から下される官位身分制だったと思うがねw
維新前後における売国事例
慶応4年 神戸事件。討幕派、攘夷を行った備前藩士を外国人が見物する前で切腹させる。
慶応4年 討幕派、幕府締結の条約の絶対遵守を各国に誓約する。
慶応4年 堺事件。討幕派、土佐藩士20名を外国人の前で公開処刑。うち9名はフランスの助命で命拾い。
慶応4年 パークス襲撃事件。十津川郷士2名が攘夷を試みるも失敗。討幕派の手で攘夷志士は惨殺及び梟首。
明治1年 明治政府、スウェーデン・ノルウェー・スペインと不平等条約を調印。
明治2年 明治政府、北ドイツ連邦との不平等条約に調印。
明治2年 ロシア兵、樺太函泊を占領、明治政府が抗議せず容認したため兵営陣地を構築。
明治4年 イギリス公使パークス、樺太放棄を勧告。
明治4年 明治政府の主要メンバーが国事を放棄して海外漫遊に出かける。
明治5年 岩倉漫遊使節団、条約改正を試みるもすぐさま断念。以降明治政府は半世紀近く不平等を放置。
明治8年 明治政府、樺太をロシアに二束三文で売り渡す。日本は北海道とほぼ同じ面積の領土を失う。
木戸はその褒美返してるよね。大久保もじゃない?大久保は不明だけど。
木戸以外にも返した人がいたように思うが。
>>69 大久保は明治国家の財政難を節約だけで乗り切ろうとしたバカだから、
個人的な資産運用でも失敗したわけだ。
74 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/01(月) 02:17:43 ID:SIHabABxO
75 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/01(月) 19:30:18 ID:L7nn67wB0
幕末の政治史の攪乱が始まるきっかけになった開国に関して一つ。
幕府及び当時の知識人の間では、開国するしないはもう意味がなく
どのように開国するかの仕方が問題の核心だった。
だが、朝廷に日米修好条約の勅許を得ることになったのは史実によれば、
安政四年十二月二十九日、川路聖謨・永井尚志が堀田老中の旨を受けて
徳川斉昭を訪うと、斉昭はひどく不機嫌で、
「備中・伊賀ハ腹を切らセ、ハルリスは首を刎て然るべし。切って仕廻へ」
とどなったのが、堀田に上京を決意させた。(日本開国史 石井孝 p288)
天皇に勅許を得るために行ったのは、堀田・岩瀬だが、その理由は上記の
ことからだった。(上記の「備中〜」の台詞は「篤姫」を、見てたら斉昭役の
江守がいってた)
76 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/02(火) 22:13:54 ID:qcqOVyL00
>>73 >大久保は明治国家の財政難を節約だけで
ププw節約だけだってさw
無知って恥ずかしいよねw
77 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/13(土) 14:42:39 ID:rqy9fiWaO
明治維新は薩摩と長州の
78 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/13(土) 16:39:04 ID:F0n3p25X0
会津戦争とは会津の悪あがき
79 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/13(土) 19:03:17 ID:GUXEDRaD0
80 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/13(土) 19:14:41 ID:wvKQJWWU0
>>76 維新当初の大久保が何の展望も持たないバカだったことは明らかだよ。
明治3年頃の明治政府は極度の財政難におちいり、
「非常之節倹ノ御布告」「冗官ヲ沙汰スル事」等々の政府組織の縮小を進める。
このとき中央政府の倹約を主張したのが大久保。
収税を直轄地だけではなく全国化すること(廃藩)を主張したのが大隈。
廃藩だけではなく文明開化や殖産興業を進めることが不可欠と批判したのが福沢。
要するに明治政府の中心メンバーはどうしようもない混乱状態だったわけで、
このまま大久保路線で進んでいたら明治国家は間違いなく破滅してた。
しかしその直後、大久保や木戸といったバカ集団は岩倉使節団として海外に遁走し、
邪魔者のいない隙に大隈が国家の大改革を断行することができた。
岩倉使節団はなんの役にも立たなかったと嘲笑されたが、
近代化の障害物を海外に放出したという意味では立派に役に立ってる。
81 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/13(土) 19:26:42 ID:7bz3Y9yh0
>>80 >大久保や木戸といったバカ集団は岩倉使節団として海外に遁走し、
邪魔者のいない隙に大隈が国家の大改革を断行することができた。
岩倉使節団はなんの役にも立たなかったと嘲笑されたが、
近代化の障害物を海外に放出したという意味では立派に役に立ってる。
もう一度、教科書を読んで勉強し直したほうがいいな。
レベル低い、以前ですよあなた。
82 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/13(土) 19:30:08 ID:eShFYAN20
>>82 あんたの古臭い話は、もういらないと結論が出ています。
ご退場ください。
84 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/13(土) 22:03:10 ID:Q32sIHIv0
>>81 事実、岩倉使節団一行は、廃藩置県直後の後始末を放棄して、大混乱の日本から逃亡してるじゃん。
教科書には大久保がバカだったとはストレートに記載されていないけど、
使節団と称して海外逃亡した連中は、無責任なクズとしか評価しようがない。
地租改正、旧藩債切捨て、通貨整理、国立銀行設立、義務教育、人身売買禁止令、太陽暦、徴兵令、
郵便制度、鉄道施設・・・等々、重要な施策はすべて留守政府が行ってる。
そしてこれは大久保や木戸が不在だからこそ実行できた偉業だ。
ちなみに留守政府がこれだけの改革をなしとげることができたのは、
渋沢栄一はじめ旧幕臣が薩長に邪魔されず腕を振るうことができたためでもある
85 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/13(土) 22:20:21 ID:mr/YotMW0
86 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/13(土) 22:27:51 ID:Q32sIHIv0
>>85 たしかに西郷を担いでたけど、西郷は政治・経済に関しては幼稚園児並みの無能だから扱いやすい。
長州では山県や井上がいたけど汚職や不正蓄財に没頭しており、大隈の改革を邪魔する余裕がなかった。
87 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/13(土) 22:53:26 ID:mr/YotMW0
その西郷を倒幕時には極悪非道の陰謀家と呼び、
山縣有朋や井上馨についてはその後の薩長閥の首魁とこき下ろしている記述をよく見かけますが。
ご都合主義なだけで何も考えていないのが、関東東北出身者を誉める人間なのですね。
>>84さんの内容、何度かみたけど、
地租改正、学制、徴兵令・・・といった近代化政策をなぜあの時期にできたかの理由が、
簡単に言えば明治4年にやっと廃藩置県という大改革が行われ、全国から徴収できるように
なった全国統一の施策を行えるようになったからだということは知ってるよね?
煽りネタで2ch書き込むのは仕方ないけど、信じちゃう人がでてくるとこの板のレベルがますます・・・。
同じ歴史好きとして悲しい。
89 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/14(日) 19:54:15 ID:WceJVogS0
>>2 明治維新:昔も今も外圧からしか問題解決をやらないこの国の先行事例
朝鮮開国:昔も今も外圧をかけても自ら問題解決をやらないあの国の先行事例
90 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/14(日) 23:10:50 ID:VNM7nTl80
>>88 >明治4年にやっと廃藩置県という大改革が行われ、全国から徴収できるようになった
その表現はひっくり返ってる。
>>80が指摘してるように、全国から徴税しなければ政府が潰れるから、
政府内に強い反対があったにもかかわらず、崖っぷちの状況で廃藩置県に踏み切ったんだよ。
つまり抜き差しならない現実が廃藩置県の推進力であったということ。
そして廃藩置県が行われた明治4年の段階では、まだ掛け声だけで改革の内実は全く伴っていなかった。
藩が担っていた機能や債務を政府が引き継ぎ、通貨、金融、財政、司法、行政、教育、軍事等々で
統一的な諸制度を確立し、速やかに運用をはじめる必要があった。
そしてそれは単に廃藩のお題目を唱えるよりもはるかに重要で、かつ、困難な仕事だった。
一歩間違えれば旧士族や農民から猛烈な反発が起こり政権が吹っ飛ぶ可能性が高い。
改革を推進する者には、高度な知性とともに無私な勇気が要求される。
で、誰がこの一刻を争う危険な仕事を引き受けるのか?
ここで岩倉・大久保・木戸といった愚物が脱落し廃藩置県のわずか数ヶ月後に海外へ逃亡してしまう。
そもそも彼らは廃藩置県後の一連の改革を主導する知性や能力を持ち合わせていない。
仮に国内の政権中枢に居座った場合、失策の末に政権から放り出される恐れがある。
だったらしばらく海外にトンズラしよう、という彼らなりの計算が働いたのだろう。
ちなみに岩倉使節団は留守政府に対し、使節団が帰るまで重要な改革は行うなという趣旨の盟約を結ばせてる。
これもふざけた話だ。
廃藩置県後の大混乱を収めるため大改革を一刻を争って進めなければいけない状況で、改革を止めてどうする?
しかし結果的には成功した改革のほとんどを追認してるから、
要は大隈が約束を破ることを想定しての盟約であり、これは一種の責任転嫁にすぎない。
大隈が改革に失敗した場合は、約束を破った大隈が悪い、自分達は無関係、ですませるつもりだったのだろう。
とことん腐った連中だ。
91 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/14(日) 23:14:36 ID:VNmgZ9Nu0
つまり、留守政府の西郷隆盛・江藤新平・山縣有朋・井上馨は偉大である、ということですなあ。
留守政府の業績を関東人・東北人の功績に帰するのには、無理があります。
92 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/14(日) 23:43:00 ID:c/9psnht0
三連休の中日にすごいのがいるみたいだな
93 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/15(月) 00:12:33 ID:OxgiwA0l0
>>1 明治維新は倒幕、戊辰戦争だけでは半分にすぎないぞ。
薩長藩閥政治〜国会開設までの期間を含めなければ、維新の全貌は
つかめないだろう。
「小栗上野介は謀殺される運命にあった。なぜなら明治政府の近代化政策は、
そっくり小栗のそれを模倣したものだから。」大隈重信
だから明治政府は初年度から、廃藩置県を幾人も定義しており、
また木戸や大久保は明治維新前より、方針をうたっている、
つまり廃藩置県の為に、明治維新したのであって、
財政難により、おこなったわけじゃない。
しかし藩をつぶして武士の特権を廃止するような大改革をよくやれたもんだ。
97 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/15(月) 17:28:53 ID:NFAk7TBO0
>>95 大久保や木戸が維新前から示してた廃藩置県の方針とは?具体的になに?
そもそも幕藩体制を潰して郡県制を敷き日本を中央集権国家にしようというのは幕府側の構想。
薩長はそれに対する抵抗勢力の筆頭だったわけで、
大久保や木戸が最初から廃藩置県の必要性を理解してたら倒幕なんて起きなかった。
王政復古のあたりで彼らがもってた展望は、天皇のもとに各藩をぶら下げるといった程度の漠然としたもので、
具体的な近代国家の中身についてはなんら理解していない。
また、廃藩置県が維新の目的であると仮定するならば、
廃藩置県直後の決定的に重要な時期に大久保や木戸が外遊に出かけたのはなぜ?
98 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/15(月) 19:37:13 ID:r3e/e/Kd0
>>97 >そもそも幕藩体制を潰して郡県制を敷き日本を中央集権国家にしようというのは幕府側の構想。
ほぉ、幕府が幕藩体制を潰す構想を持っていたと…。
その根拠とする、史料名を挙げろ。必ず読むよ。
小説でしたとかいうなよ
99 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/15(月) 20:10:53 ID:PC/A3+cS0
幕府はそんな改革のこと考えるよりも先にちゃんと長州を征伐しろよ。
国内の一藩すら潰せない弱力ではいかなる改革もくそもないな。
そんなもん考える余裕があるなら長州を倒す術を考えるべきであった。
外国に発砲できない、長州を倒せない、いったい幕府に何だったらできたんだ。
負けることだけか?
>>97 いや、もう構想を持ってたかどうかはそんな重要じゃない。
幕府だ、新政府だといっても、それぞれその中で一枚岩じゃない。
それは
>>97も認めるよな?
開明派もいれば復古派もいる。まさか幕府側だけは全員一致協力して同じ
>幕藩体制を潰して郡県制を〜目指してたとか言わんよな?
問題はどう実施したか、山積する課題・反対勢力をどうクリアしていったかだ。
なにせ、身内ですら半分騙しながら進めていった。本音を言い出すタイミングすら
政治判断だった。
だから、あんまり感情的に判断するなや。皆大変だったんだよw
>>97 幕府の中の小栗という馬鹿が唱えていた念仏を、
いつから幕府の公式政策にして、
それに薩長が反発したということ新説が生まれたのか疑問だな。
小栗の念仏にしても、証拠も薄く、また具体性は皆無だし。
>廃藩置県直後の決定的に重要な時期に大久保や木戸が外遊に出かけたのはなぜ?
最初の目的を達成したから、条約改正という次の目的に邁進していただけ。
>>90 廃藩置県で完了してんだよ、事務的なものや行政の引継ぎは、
もう版籍奉還のときから、徐々に政府が奪っている。
つか政府内の強い反発意見って誰のことだ?
木戸も大久保も賛成派である以上、政府ではもうすでに決定事項。
>>84 渋沢は井上の部下であって、井上の命令のままに動いたに過ぎない。
西郷は愚物であるが、留守政府は木戸大久保を越える改革強硬派で、
大隈、井上、山縣などがそれに当たる、
幕臣?なにもしてないよ、彼らの命令のままに犬となっただけ。
103 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/15(月) 21:03:53 ID:z+DU0pkb0
>>98 氷川清話でも読め。
>>99 ちゃんと長州を征伐すべきだったという意見は正しい。
福沢諭吉も長州征伐時には、
密貿易を続け外国の姦商と通じてる長州を武力で滅ぼし、
その余勢をかって「此後一挙にて全日本国封建の御制度を御一変」させろ、
と建白書を書いてる。
長州征伐は幕府主導の近代化の絶好のチャンスであった。
>>100 なんの構想も展望ももたずに国家を転覆させたとするならば、
それは無責任な犯罪にほかならず、「皆大変だったんだよw」ですむ話ではない。
てか
>>95は薩長は廃藩置県の構想を実現するため倒幕を行ったと言ってるぞ。
>>101 明治政府が行った近代化はその「小栗の念仏」の模倣。大隈はそう言ってる。
>最初の目的を達成したから、条約改正という次の目的に邁進していただけ。
単に藩を県と置き換えただけで、目的はなんら達成されていないだろ。
廃藩置県の具体化はすべて留守政府が行ってる。
条約改正については形ばかりの交渉を行ったのちすぐに放り出してる。
アリバイにもならないお粗末さだ。
で「大久保や木戸が維新前から示してた廃藩置県の方針」はどうした?
104 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/15(月) 21:21:17 ID:D3t3y1S30
>>103 >氷川清話でも読め。
ほぉ、海舟の氷川清話が
>そもそも幕藩体制を潰して郡県制を敷き日本を中央集権国家にしようというのは幕府側の構想。
なんですか…。海舟の幕末における幕府内の地位は?どれだけ幕藩体制の執行者でした?
そして、史料としての氷川清話を御存知ですか?
あなたまるっきり幕末史を勉強してないですねぇ。恥ずかしくないの?バカ丸出し書いてさwww
105 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/15(月) 21:57:14 ID:GqyTArUB0
>>100 >ちゃんと長州を征伐すべきだったという意見は正しい
幕府は出来る限りのことをやったんだよ。しかし、無残にその狙いは
果たせなかった。
>長州征伐は幕府主導の近代化の絶好のチャンスであった。
そういう視点を、後世の後付け糞話という。
106 :
100:2008/09/15(月) 22:12:10 ID:+zqZxv3q0
>>103 ちゃんと読んでよ。新政府に構想がないなんて言ってないよ。
はしょりすぎた?
その「構想」が残念ながら幕府の統一見解とは思ってないよね?と
まずは同意点を見付けたかったんだ。。
107 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/15(月) 22:51:14 ID:DD05eZRJ0
>>104 勝は氷川清話のなかで小栗や一部の幕閣が郡県制度をもくろんでる云々という趣旨の記述をしてる。
これは長州征伐についての談判のため勝が薩摩に赴く際に小栗から打ち明けられたもの。
もちろん勝は郡県制には反対の立場なので、この件を他の幕閣や薩摩に言いふらした。
幕府が郡県制(廃藩)を強硬しようとしてるとするならば、その脅威から藩の利益を守るためにはどうすればよいか?
これが当時の薩長が直面していた重大問題であり、無謀な倒幕に踏み切った原因でもある。
氷川清話が事実なら、小栗は売国奴確定だがいいのかね?
>>103 >明治政府が行った近代化はその「小栗の念仏」の模倣。大隈はそう言ってる。
アレは政府負われた大隈が悔し紛れにいっただけ、
実際に小栗にはなんら構想などなく、そんな知性すらない。
>単に藩を県と置き換えただけで、目的はなんら達成されていないだろ。
いやそうやって置き換えて、全国を一括統治するのが目的なんだから、
それで問題ない。
>条約改正については形ばかりの交渉を行ったのちすぐに放り出してる。
放り出してなどいない。外国が利権を早々手放さないことを理解し、
まず国力の増強を図り、言うことを聞かせるべきと判断しただけ。
>で「大久保や木戸が維新前から示してた廃藩置県の方針」はどうした?
そうだよ、そのために倒幕したわけ。
>>107 薩長の要職者にそのことに触れているものは、
誰一人いない、
つまりそんな事実などなかったか、そもそも知らなかったということしか、
分かってないんだよ。
小栗の法螺だろ。
つか廃藩置県するってんなら、木戸と大久保は大賛成だよ、
そして主導権を幕府が手放すならね。
109 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/16(火) 18:36:15 ID:59IX24u+0
まったく小栗擁護論者は見方が偏りすぎてるってわかるスレだな。
稀代の大政治家、大久保まで否定するとはw
110 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/16(火) 23:01:38 ID:PjtNwbeH0
幕府がすがれる数少ない人材(と幕オタは信じている)は小栗ぐらいなのだから。
小栗に全てを背負わせるしかない。小栗しかいないのだから。仕方がない。
小栗しかいないがためにボロボロボロ負け滅亡した江戸幕府。
もはや薩長の悪口を言うぐらいしかできないとう歴史の真実(現実か?)。
なんで言い訳しかできないぐらいに幕府は何もできないまま滅亡したのか。
これは歴史の謎だな。
111 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/16(火) 23:53:43 ID:4HjBR9Dw0
小栗が「天下を郡県となし大樹をもって大統領となさん」と構想してたことは、渋沢栄一も徳川慶喜公伝に記してる。
留守政府が行った改革のなかで最も重要なのは金融財政政策だけど、そのほとんどは小栗構想の焼き直し。
たとえば日本初の第一国立銀行は三井の三野村がつくったものだけど、三野村は小栗の弟子のような存在だ。
死してなお、その先見性で日本の危機を救った小栗。
泥船状態の政権を放り出し外国に逃亡した大久保や木戸。
実に対照的だね。
この論理飛躍には流石についていけんな。やっぱ佐幕派って馬鹿なんじゃあ。
>>111 で、結局小栗なのかよw ←馬鹿にしてる訳じゃないけど
小栗が好きなら一人の力がどんだけ歴史の流れに対し非力か分かるだろう。
それでも政治家なら理想を「実行」して「実現」させなきゃならん。
当時の日本が必要だった中央集権も、世襲制大名の廃止や武士の特権廃止、
身分制廃止による国民皆兵まで続くんだ。
すさまじい不協和音の中で実行してかなきゃいけない。
これは「構想」じゃないんだよ。
旧幕体制のままの方が容易に実現できたのかね?
物をいう軍事力があれじゃなかなか難しかったんじゃないのかね。
色々あっても新政府は確かに仕事したよ。
あまり一つに固執すると歴史観全体が歪んでしまうよ。
114 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/17(水) 07:07:57 ID:MKGtzNrK0
外国の大学で明治維新の講義をすることになってしまった。
んで英語で書かれている参考文献を用意しなくちゃならないんだけど
日本についての海外書籍に詳しい人いないかな??
作家名や出版社まで教えてもらえたら嬉しいです。
あと、この時代に右翼団体って存在していたっけ??
こっちで日本史を研究している教授が
是非、「黒き海」?「咲き乱れ桜」?「何とかの月」?
などの愛国団体や組織について詳しく教えてくれと言われたんだけど
まったくの初耳だし、自分が持ってる資料やネットにも情報がなかったから
何のことかさっぱりなんだけど、なんのことやら分かる人いないですか?
愛国社を勘違いしているだけなのかな??
釣りならもう少しまともなことを書け。
ハーヴァードのサイトをみればあるがね…
116 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/17(水) 16:45:53 ID:KY2K9yGa0
>>111 小栗オタはもう少し歴史を勉強しろ!(笑)
大久保や木戸が泥船状態の政権を放り出し外国に逃亡してた
なんて本気で言ってるのか?w
内政の士族問題は西郷の死という形で大久保に葬られたんだよw
117 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/17(水) 17:15:56 ID:H2sxU2mq0
小栗…はぁ?川原で首を斬られて死んだ人でしょう?
それがどうしたって?
118 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/17(水) 22:10:09 ID:JYFXjkkq0
>>113 小栗が引き合いに出されるのは幕府の先見性を示す象徴的な存在だからでしょ。
小栗以外にも、榎本、渋沢、福沢、西、福地などなど幕府が育てた開明的な人材は数多く、
彼らの啓蒙活動が、明治初期の日本を混乱状態から正常な方向へと導いた。
旧幕臣が留守政府の改革に一切協力しなければ廃藩置県は間違いなく頓挫してた。
>>116 維新後の最も決定的な瞬間に、歴史的重要課題の処理を放り出して、
政府首脳が総出で無意味な外遊に出かける…これは誰が見ても異常な事態。
「泥船状態の政権を放り出し外国に逃亡してた」としか評価しようがない。
ちなみに、薩摩は「廃藩置県を行うため」に倒幕を行ったわけではない。
薩摩はあくまでも密貿易を前提とした藩の割拠を望んでいたのであり、
それゆえ藩の存続を脅かす幕府改革派の動きに強い敵愾心をいだいていた。
薩摩にとって倒幕とは藩の既得権防衛のための受動的な戦いでもあった。
ところが皮肉なことに、倒幕によって、大久保や西郷は、
自ら廃藩を断行しなければならない役回りに立たされることになる。
薩摩が、迷走の末暴発し賊として征伐されたことは、この深刻なジレンマの帰結。
119 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/17(水) 22:14:42 ID:g61z0a9x0
>>118 出せるだけの人物を絞り出したね。
でもそれだけたくさんの非常にたくさんの人物がいたのに
長州に負けたんだよね。
人物がいても活用できなければゴミと同じ。幕府の人材を殺したのもまた幕府。
120 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/18(木) 04:47:16 ID:fozA7gg60
>>115 ハーバードのヒントをありがとう。
文献や写真のリンクがたくさんあって助かるけど
やっぱ「黒き海」「咲き乱れ桜」「何とかの月」について
まったく分からないんだ・・・
お願いします
もう少しだけ、詳しく説明してくれ。
完璧に仕上げていたから、洋行したんだよ、
だから木戸大久保がいなくとも、大隈、井上、山縣などの二線級の人材でも、
改革を強行できただけ。
そもそも自分達が苦労して維新を達成し、廃藩置県を成し遂げたのに、
駄目になりそうなら、洋行などせん。
幕府のような無能な人材がやったのとは違うんだから。
>旧幕臣が留守政府の改革に一切協力しなければ廃藩置県は間違いなく頓挫してた。
全く影響などない。主導権を握り、実務を握っていたのは西南雄藩系の官僚であり。
改革を強行したのも彼ら。幕府系の官僚などいなくても、いくらでも変わりはいるし、
そもそも無価値。
>ちなみに、薩摩は「廃藩置県を行うため」に倒幕を行ったわけではない。
薩摩のトップの一人である大久保には倒幕前から、廃藩置県を示唆した言葉が残っており、
そのために倒幕したことがわかる。
西郷や藩主は愚物だが、政治面は大久保が行っていたのだから問題はない。
長州にいたっては、トップである木戸自らが動いており、
伊藤なども初年度より廃藩置県を望む建白書を出している。
>小栗が引き合いに出されるのは幕府の先見性を示す象徴的な存在だからでしょ。
小栗がいなくても維新はなんら問題なく行えた。
つまり小栗など無用な人材であったということ。
つかね幕府という巨大な組織をもってして、
長州ごときに大敗、兵力差30倍でな(世界史上に残る兵力差だよこれ)
その後も逆転できず、一方的に政治的にも軍事的にも、
やられてそのまま滅ぼされた幕府。
その宰相に当たる人間を、無能以外になんて呼称すればいいんだ?
有害か?
123 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/18(木) 05:22:17 ID:S0hoDoZaO
小栗上野介(幕重臣)が1番やりとげたかった事が舟代官 造船技術向上である。
知的で真っ直ぐな考えをもった人物だったといえる。
124 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/18(木) 06:27:48 ID:wISvBZbY0
>>123 その回答が無能の象徴だろw
一番にやるべきは組織改革であって造船ではなかろうに。
重箱の隅の隅のそのまた隅をつついてる間に本丸が沈没ってかw
その知的で真っ直ぐすぎる考えゆえに幕府は滅亡したのだ。
今の日本でたとえるなら、
防衛費を0にして国防を放棄、外交はいいなり、各国への領事館などもなく、
無能な官僚とその天下り先に国家予算の大半が使われているのが、
江戸幕府。
小栗の改革とはその組織を維持する為に、汲々としていただけだな。
126 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/18(木) 11:47:31 ID:UC21TUTb0
>>120 アンタ外国で「明治維新」を教えるんでしょう?
その英語での文献を知りたいんでしょう?
>やっぱ「黒き海」「咲き乱れ桜」「何とかの月」について
まったく分からないんだ・・・
唐突に、明治維新とどのような関係を研究するために、右翼団体だか
上記のことについて知りたいんだ?アンタ、人に教えるレベルでは無いよ。
そのことはよく分かった。さよなら
127 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/18(木) 13:00:24 ID:1m0/BDHq0
>>118 駄法螺もいい加減にしろ!
幕府の先見性だあ?笑わせるなって。李氏朝鮮末期だろうと大清帝国末期だろうと開明的な人材は数多く
いたんだよ。だからといって誰も李氏朝鮮や大清帝国の先見性などとは云わない。
云うわけない。笑われるだけだからな。
そもそも幕府が育てた訳でもなんでもない。あまりにも能無しばかりで使えない奴しかいないから、
彼らが見出されたというだけの話だ。だいたい木っ端官僚やアルバイト連中まで引っ張り出して、
幕府の手柄みたいに云うな!何が数多くだっての。あれほど居た旗本・御家人はいったいどこにいったんだっての。
しかも官僚の先見性だけじゃ話にならんのだ。政治家に先見性が無ければな。
官僚は政治家の支持・命令が無ければ何も仕事が出来ないのだ。
そして、そういう開明的な人材を全く使いこなせなかったのが幕府だ。
小栗はアルバイトみたいに首切られて幕府は小栗を守ろうともしなかったし、榎本に至っては5年も外遊したのに
幕府でした仕事は慶喜を大阪城から江戸まで運んだだけだろうが。幕府海軍って幕府の残党を北海道まで運んだだけだろうが。
おいおい、東日本フェリーじゃないんだぞ。それが海軍の仕事かよ!
幕府首脳はどこに外遊していたんだ?泥船状態の幕府を放り出しどこに逃亡してたんだ?
結局、彼らの能力を活かし活躍の場を与えたのは明治新政府なのだ。彼らは明治の新時代になって初めて
仕事をできる場を得たのだ。
>旧幕臣が留守政府の改革に一切協力しなければ廃藩置県は間違いなく頓挫してた。
馬鹿いうな。お前は福澤諭吉か!幕府が無くなったのに何時までも旧幕臣呼ばわりすな!
明治新政府に仕えたからには、もはや旧幕臣などではない。
明治新政府の政治家・官僚として職務を全うするのは当たり前の話だ。自慢することでもなんでもない。
お前が幕府が使いこなせなかった人材の名声に縋ろうと醜く悪あがきすればするほど幕府の惨めさが際立つだけだ。
128 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/18(木) 13:05:40 ID:1m0/BDHq0
>>124 それは無いものねだり。小栗は所詮、官僚に過ぎない。
組織改革は政治家の仕事であって官僚の仕事ではないのだ。
小栗は自分が仕事をできる場を幕府に求めただけのこと。
>120
九州のどっかの大学にイアン・ラクストンというイギリス人の教授がいて、幕末明治が
専門のはず。本も一杯書いてる(英語)。日本語も上手。ぐぐれば簡単にみつかると思う。
ほんとに外国で明治維新を教えるんだったら、日本の恥だから、その教授にご教示
お願いしてみたらどうだろうか。個人的には知らないけど、相談にのってくれるんじゃないか?
大学とか学会とかでつながってんでしょ?
>>128 お前が小栗信者なのはわかったから小栗が何
を考えていようと実行出来なかった時点で何も
してないのと一緒だという事を自覚しろw
つまい官僚なんだよね。
新政府の元勲達はみな政治家であったが、
幕府の開明派の人材はみな官僚に過ぎなかった、
上から木戸大久保、大隈、伊藤井上山縣などが指示してやらなければ、
なにもできなかった。
133 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/18(木) 20:01:01 ID:nCvVZidM0
文政期と結構近いからあの時代が舞台の時代劇の
同心とか与力とか火消し人足とかは
数十年後に明治を体験しつつざんぎり頭にしてた可能性もあるって考えると
ちょっと面白い
134 :
128:2008/09/18(木) 20:02:59 ID:uaYj38jD0
>>130 小栗信者ではない。官僚としては小栗を認めているだけだ。
いつの世にも優秀な官僚がいるのは当たり前の話で、だからといってそれは幕府の手柄でもなんでもない。
というのが俺の立場。
幕府厨が小栗の名声に縋ろうとすればするほど、その小栗を活かせなかった幕府の無能さが際立つだけの話。
>>131 そう、まさにそう。小栗は所詮、官僚に過ぎない。上に小栗の献策が取り上げられなかったら田舎に引き込むだけ。
実際、不興を買って日雇い並にあっさり首だ。
優秀な官僚も不良な官僚も、適材適所に配置して、それを天下国家の為に使い動かすのは政治家の仕事なのだ。
(以下は128の続き)
小栗は使われるだけの立場なのだから、政治家不在の無能揃いの幕府の責任を小栗に負わすのは適当ではないのだ。
そうして明治新政府には多士済々の政治家が揃っていたから、首脳が外遊に出ても問題は起きず、そうした官僚を使いこなして、
大仕事をできたのだ。
幕府は首脳が外遊になど出れば、政敵の讒訴にあって失脚する目に合うのは馬鹿でも分かる。
幕府首脳ってのは保身能力だけでのし上がった連中ばかりだから、そういう知恵だけはある。
だから幕末は下っ端官僚しか外遊していないのだ。
政治家自らが海外視察に出かけられる明治新政府と下っ端官僚を送り出すだけで精一杯の幕府では天と地ほど違う。
135 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/18(木) 20:24:46 ID:s6H1b96C0
>>131 トップの大臣は幼稚で無能で腐ってるのに、
極めて優秀な官僚システムがあるからなんとかなってしまう。
こういう日本の国家のあり方は明治以降に始まった。
>>134 >政治家自らが海外視察に出かけられる
まあ、どう言いつくろっても、海外視察なんてしょせん下っ端の仕事だ。
それを政府首脳ががん首そろえて外遊に出かけ、
無能っぷりを海外に披露して、何の成果もなくおめおめ帰ってくる。
軍艦を出して岩倉使節団を船ごと沈めた方が日本のためだった。
136 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/18(木) 21:22:52 ID:9bZAm3du0
>>135 将軍が馬鹿で官僚が政治を行うシステムは、徳川第三代家光の時に確立しました。
明治政府ではありません。
明治政府の政治家は優秀でした。徳川の無能な遺臣を道を誤らせずに使ったのですから。
137 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/18(木) 22:07:00 ID:2gRXJWTL0
>>136 トップの将軍は幼稚で無能で腐ってるのに、
官僚システムがあるからなんとかなってしまう。
鎖国をして外様いじめをしているだけで済んだ時代は。
こういう幕府のあり方は徳川第三代家光以降に始まった。
ってことか。なるほど。そのとおりですな。
138 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/18(木) 22:28:51 ID:2gRXJWTL0
>>135 >まあ、どう言いつくろっても、海外視察なんてしょせん下っ端の仕事だ。
馬鹿なの?お前は。
与党も野党も政治家自らが海外視察しているのを知らんのか。
政情が安定していて自分の立場・身分が安泰なら自分で外遊するものなのだよ、政治家とは。
幕府は政情不安定、自分の立場・身分も不安定だから幕府は下っ端送って開港を延期してくれと
頭下げまわってただけで、不平等条約結んでツケを明治新政府に回して知らん顔だ。
不平等条約を結んだ責任をどう取った?幕府は。
言いつくろえるものなら、言いつくろってみろ!馬鹿が。
>無能っぷりを海外に披露して、何の成果もなくおめおめ帰ってくる。
それは幕府の送った使節団にこそ当てはまる。
何の成果?不平等条約改正の予備交渉にいったんだよ。
一回、使節団を送って、即不平等条約改正ができるなどとお目出度いことは明治新政府は
初めから考えてない。そんな出前の注文取りみたいな簡単な話ではないのだ。外交交渉とは。
親の苦労も分からない糞餓鬼みたいなことをいうな、お前は。厨房かよ。
139 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/18(木) 22:52:36 ID:S+HD8uih0
>>138 >それは幕府の送った使節団にこそ当てはまる。
薩長オタはほんと馬鹿だな。
幕府の遣米使節団は、高度な外交能力を発揮し、通貨レート交渉で日本の主張を通してる。
世界の笑い者になった薩長の岩倉使節団とは比較にならない。
てかその岩倉使節団ですら福地や田辺など幕臣の指導によって実現したもの。
その後条約改正を成功させた陸奥は紀伊藩だし、日英同盟は旧幕臣の林のおかげ。
薩長は外交に関してはガキんちょ以下だ。
140 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/18(木) 23:20:05 ID:Ozs+YZW20
維新前後における売国事例
慶応4年 神戸事件。討幕派、攘夷を行った備前藩士を外国人が見物する前で切腹させる。
慶応4年 討幕派、幕府締結の条約の絶対遵守を各国に誓約する。
慶応4年 堺事件。討幕派、土佐藩士20名を外国人の前で公開処刑。うち9名はフランスの助命で命拾い。
慶応4年 パークス襲撃事件。十津川郷士2名が攘夷を試みるも失敗。討幕派の手で攘夷志士は惨殺及び梟首。
明治1年 明治政府、スウェーデン・ノルウェー・スペインと不平等条約を調印。
明治2年 明治政府、北ドイツ連邦との不平等条約に調印。
明治2年 ロシア兵、樺太函泊を占領、明治政府が抗議せず容認したため兵営陣地を構築。
明治4年 イギリス公使パークス、樺太放棄を勧告。
明治4年 明治政府の主要メンバーが国事を放棄して海外漫遊に出かける。
明治5年 岩倉漫遊使節団、条約改正を試みるもすぐさま断念。以降明治政府は半世紀近く不平等を放置。
明治8年 明治政府、樺太をロシアに二束三文で売り渡す。日本は北海道とほぼ同じ面積の領土を失う。
141 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/19(金) 00:03:06 ID:3qqwqI/Y0
>>139 笑わせるな。幕府厨の御伽噺に付き合うのは厭きた。
>幕府の遣米使節団は、高度な外交能力を発揮し、通貨レート交渉で日本の主張を通してる。
何が高度な外交能力だっての。そりゃ小栗の才覚だ。
しかも、その前の幕府がやらかした通貨レートの決定が無茶苦茶で国内を大混乱に陥れて、
小栗はその大失点をなんぼかリカバリーしただけの話。
えらそうにいばれる話では全然無い。
>世界の笑い者になった薩長の岩倉使節団とは比較にならない。
世界の笑い者になどなってない。笑った外人は世界の代表でも何でもない。
その程度のことで嬉しがっているのは世界でお前だけだ。
>てかその岩倉使節団ですら福地や田辺など幕臣の指導によって実現したもの。
>その後条約改正を成功させた陸奥は紀伊藩だし、日英同盟は旧幕臣の林のおかげ。
>薩長は外交に関してはガキんちょ以下だ。
明治の世は、もはや旧幕臣とか薩長とかの区別は無い。
明治新政府は旧弊、身分、特権にこだわらずに旧幕臣とか薩長とか関係なく、適材適所に
人材を活用したからだ。旧幕臣が活躍したとしても、それは明治新政府の手柄であっても
幕府の手柄では全く無い。
全くお前は呆れ果てた馬鹿ものだな。元部下が他社に移籍して出世したとしても、
そりゃお前の手柄でも何でもない。いつまでも元部下扱いで呼ぶのは失礼極まりない。
142 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/19(金) 00:11:36 ID:vFnyQBqx0
>>141 >明治の世は、もはや旧幕臣とか薩長とかの区別は無い。
いいかげんな嘘をつくなよ。
薩長閥がどれほど日本を腐らせたかを知らないのか?
143 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/19(金) 00:14:29 ID:3F6v3vuu0
論証も出さずに単にループ?
嘘つきの典型
福地や田辺がなんで岩倉使節を指導すんだよ。どんだけ偉かったんだよw
福地や田辺は優秀。そこに反論はないが、政府高官を指導するような地位にはない。
幕府には優秀な人材が一杯いたのに、命令が徹底しないで、最後にその
優秀な人材が大勢死んだ。榎本や大鳥なんかが、あんなくだらない戦争で死ぬかも
知れなかったなんて冗談じゃない。小野だって、何が悲しくて外交官のまねなんか
させられなきゃならないんだっての。
問題が幕府の「制度」にあったのは一目瞭然だよ。
17-8世紀の制度はつぶれるのが必然。
145 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/19(金) 01:31:54 ID:d8+q+qjj0
幕府オタかまうのやめようぜ
>>141 何か申し訳なくなってきた。こんな話につきあってもらって・・・。
でも、127-141の内容、無駄にはなってない。読んでてこっちも面白い。thx。
ピラミッド命令系統で体制維持を至上命題とする官僚と、
時代の要請と自己の理想に合わせ裁量していく政治家との違い。なるほど。
幕藩体制下では、武士は出世しても、幕府・外様関係なく
結局殿様を頂点とする官僚だよね?
お家の「維持」が究極目標なのだから”政治家”不在なんだろうな。
そんな中、官僚から政治家になって、後には自己の出身母体すら解体してった
のは、今更ながらすげーなと素直に思ったり。
各個人レベルに落としてその切り替わるタイミングや事情をみるのも面白そうだ。
それに、その後の継続的な政治家輩出システムにいち早く憲政をもってこようと画策するあたり、
時代の沸騰もあるんだろうが、維新を評価したって罰はあたらんよな。
147 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/19(金) 15:52:51 ID:d8+q+qjj0
>>146 維新を評価してないのは幕末厨だけ。
幕府があっても将軍の下、産業革命や廃藩置県は出来たと思ってるから。
いち早く外国の武器を取り入れた長州や産業革命に力を入れた薩摩。
いつまでも古い慣例を重んじる幕府。
どっちが日本を近代化させる能力があるのかは歴然。
148 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/19(金) 18:06:30 ID:qrHFdaGJ0
>>147 >いち早く外国の武器を取り入れた長州や産業革命に力を入れた薩摩。
それだけでもないのです。長州は江戸時代の初期から長州の四白と呼ばれる経営の多角化で
藩の経済を成長させている。薩摩は琉球を通して海外の産品を輸入している。そうして輸入した
サツマイモが日本の飢饉を救っている。幕府は最初から最後まで米一筋の年貢米万歳だから、
長州や薩摩の経済力に負けたし、幕府には飢饉に苦しむ農民を救うことも出来なかった。
幕府の治世は、ほとんどの法制度と社会インフラは徳川三代で完成していた。
後は、それをひたすら守り、家康公の遺訓をひたすら守り、力をつけてきた長州や薩摩を
いじめぬいていただけです。
>いつまでも古い慣例を重んじる幕府。
まさしくその通り。そして黒船の来航によって、その古い慣例が通用しない世の中になった。
149 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/19(金) 18:58:59 ID:V/hNSS2n0
維新できなかった、朝鮮人が嫉妬してるんだろ。
>>139 幕府が有能だったら、不平等条約を改正してる、
だけど改正できずに、それは新政府が尻拭いをしている。
これをみてわかるように、幕府など無能の集団であり、
新政府とは比べ物にならん。
んで陸奥にしても林にしても、井上の指示に従ったにすぎん。
木っ端役人など代わりはいくらでもいる。
ずっとromしてきて思ったことを、一つ。
単純に、幕府は幕末人材の登用を計ったことは史実にある。そして、そのような人材も
安政の大獄で幕府の関係者に限らず粛清された。これが、次代をつくることに大きな
障害になった。幕藩体制化では、能力ではなく門地に拠る封建主義がありその弊害は
最後までなくす事が出来なかった。岩倉使節団については、明治二年に岩倉がこんな
意見書を出している。
「外国のことは、皇紀安危のかかる所にして、最も深謀遠慮せざるべからず」と。
彼は、「海外万国と並び立つ」という課題の前に、それが早急にできない現実を
理解していた。だからこそ、課題を達成するための条件作りとして、国内体制の
整備が急速に進められなければならなかった。そして具体的には、明治四年の
廃藩置県でひと段落を迎えた。これにより、大名領主は完全に廃止され、中央集権的な
統一国家の体裁が整った。
明治四年、廃藩置県から四ヶ月後総勢約50名にのぼる大使節団が、米欧回覧に向け
横浜港を出港した。岩倉をはじめとする政府首脳がそろって外遊するということは
異様だが、使節団の派遣はそれほど緊急の必要性があったからだった。もともと
使節団派遣のきっかけは、翌明治五年に安政通商条約を改正するため、外国と協議
できる期限が来ることだった。(いつまでたってもこの重要な史実を書かないから
書いておく)…といっても、ただちにそのための交渉に入ろうというのではなく、
国内の体制が整うまで、協議期限を三年間延長してもらうように、外国側と交渉を
しようということだった。この点について、派遣に際しての「事由書」は、従来の
条約を改正しようとすれば、「列国公法」によらなければならないが、そのためには
我が国の諸法律などで「公法」と相反するものを改正しなければならないと述べている。
結局のところ使節団の目的は、1各国への親善訪問、2条約改正期限の延期交渉
3各国の諸制度・財政・産業・教育・軍事などの調査ということになった。
(「「列国公法」に沿った国内体制の改正という場合、国家のあり方として、欧米に
ならうと言う方向がはっきり打ち出されたことだった)岩倉使節団については、研究が
盛んで例えば、「特命全権大使 米欧回覧実記 1〜3」久米邦武編田中彰校注
岩波書店1977〜79を読めばその全貌が分かるよ。
153 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/19(金) 22:53:18 ID:U2mCtirI0
>>150 尊攘派が反対してたのは勅許がなかった点についてであり、条約の不平等云々はまったく問題にもしていない。
薩長は、倒幕の過程において、英米に積極的に条約の遵守を誓い、
幕府が結んだ条約を破棄・改定しようとはせず、明治以降に新たな不平等条約すら結んでる。
日本史上最悪の不平等条約を結んだのは薩長、樺太をロス家に売り渡したのも薩長だ。
卑屈に欧米に屈従して「不平等条約」を追認した売国奴・薩長が、幕府を批判するのはお門違い。
154 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/19(金) 23:06:19 ID:FBAueR/q0
朝鮮人は日本の援助で近代化できたことを決して認めない。
それどころか、朝鮮人が近代化したニダ、日本に収奪されたニダ、謝罪するニダと言い張る。
薩長人は幕府のおかげで近代化できたことを決して認めない。
それどころか、薩長人が近代化したニダ、幕府に収奪されたニダ、謝罪するニダと言い張る。
155 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/19(金) 23:41:15 ID:3UG5lCze0
156 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/20(土) 00:14:47 ID:ddHM0xwt0
>>144 >福地や田辺がなんで岩倉使節を指導すんだよ。どんだけ偉かったんだよw
福地や田辺がどんだけ偉かったかについては、岩倉がこう語ってる。
「書記官は旧幕人多数なれば、使節初め理事官等、維新の仇返しを食わされたる景況なり」
使節や理事官と言っても、さっきまで攘夷を煽ってたばくち打ちや足軽や百姓なんだから、
幕臣に頭が上がらないのは当たり前なんだけどね。
いや、彼らのが外国語できたし西洋事情もわかってたってことでしょ。
てか、それを「指導」と言ってたのか?ごめん。そういう意味だと思わなかった。
こっちは、政府の人間として、政府の方向性を変えるほどの力は持ってない
という意味だった。
岩倉使節の外国語できる組官軍側は、わずかに伊藤、アメリカに着いてから
畠山くらいで、あとみんな幕臣だからね。
158 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/20(土) 09:10:50 ID:In+s+FYZ0
>>153 だ、か、ら
幕府なら近代化に成功出来たと思ってるのか?w
幕府は幕府の維持に心血を注いで吉田松陰や橋本左内と
いった開明派を弾圧してきた連中だぞ?
士農工商みたいな封建制度が続いてたら近代化は不可能!
159 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/20(土) 13:29:43 ID:HmAVqcBV0
>>158 だ、か、ら、薩長の妨害があったにもかかわらず、幕府のおかげで近代化できたんだよ。
開明派の幕臣がいなければ日本の近代化はありえないが、薩長抜きでもなんの支障もない。
また、開国に反対し攘夷に狂ってた松陰がなんで「開明派」なんだよ。
左内は、「開明派」だからではなく、将軍継嗣問題に首を突っ込んで国家分裂をたくらんだから処罰された。
馬鹿殿の春嶽の言いなりだったことが左内の限界だ。
>士農工商みたいな封建制度が続いてたら近代化は不可能!
幕藩体制の維持が経済的に不可能だということをちゃんと理解してたのは幕府側。
薩長は幕府を乗っ取ることしか頭に無くて、その先のことはなにも考えてなかった。
だから薩長は華族や士族という形で既存の特権階級の利益を温存しようとし、藩閥の維持に異常に執着する。
160 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/20(土) 13:51:55 ID:TakvvCN00
>>159 という妄想を信じたいという幕オタの妄信に過ぎんw
軍事力について考えてみろ。
諸外国から国家、国民を守るためには軍事力が必要とされる。
幕府の軍事力はどうなんだ?答えてくれ。
アメリカの空砲に屈服。
国内の一藩にすぎない長州に大敗。
鳥羽伏見で惨敗。上野戦争で惨敗。函館で完敗。そして明治へ。
そんな貧弱な幕府の軍事力でどうやって国家を死守できるんだ?
どうやって日本の権利を諸外国に対して主張できんだ?できんだろ。
幕府という組織が崩壊してくれたおかげで日本は改革できたのだ。
つまり改革の最大の抵抗勢力=それが江戸幕府だ。
松陰の主張する攘夷は幕府のように無能でいいなりの外交を否定するものであって
西洋の技術、制度を否定するものではないのだ。
空砲に屈するような根性なしが弱肉強食の国際社会で生き残れるはずがなかろう。
命おしさで何の改革もできなかった江戸幕府のような組織は歴史上多数存在する。
その都度、勇猛な志あるもの達により崩壊に導かれるのだ。
仮に幕府に知あろうとも絶対的に勇は無かったのだ。まあ知もないがなw
>>159 じゃあお前は幕府のままで廃藩置県なんて出来たと思うか?
長州に大敗した幕府が廃藩置県なんて行ったら反対勢力に
一気につぶされるぞw
162 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/20(土) 14:59:08 ID:In+s+FYZ0
大体幕府に身分制度を廃止する気はあったのか?
幕府の構想は慶喜を議長として有力大名と議会制に
持ち込む想定だったんだろ?
そんな幕府に身分制度を廃止する意思があるとは思
えん。
倒幕がなされてなかったら未だに日本はインドみたい
なカースト制だったろうな。
ただただグダグダやりたい方は新スレを立てて、そちらへ移って下さい。
レベルが低い話の繰り返しは、もう結構です。
ここの学問板なんで、同じ内容を繰り返すのは止めにして下さい。
>>30 今の日本政府(というか日本人)とそっくりだな。いや、同じですね。
165 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/20(土) 18:06:21 ID:y6Fhi46y0
馬鹿いっちゃいけない
幕府は譜代の身分が無ければ政治に参加できない、
今の日本政府は選挙で選ばれた政治家によって作られている。
幕府がどんなに失敗しても将軍は将軍でいられるが、
総理大臣は失敗すれば即退陣となる。
全然違うだろ
166 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/20(土) 19:12:57 ID:lCxZtTDm0
結論として、幕府の再生不可能性を認識して
大政奉還した慶喜公がいちばん偉かったということですね!
幕府を腐らせ、再生不可能にしたのは徳川家斉。
幕府の命運が尽きていることは、大塩平八郎に乱を起こさせ、
高野長英や渡辺崋山を惨殺した時点で証明されている。
蛮社の獄・家斉死去から約30年、よくもったものだ。
167 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/20(土) 19:35:52 ID:iDD8LMaj0
>>165-166 もういいから。そういうどうでもいいことは、な。書いてて分かってんだろう?
168 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/20(土) 19:39:14 ID:iDD8LMaj0
どうでもよくないというなら、書いていることのソースを書いてくれ。
>>153 つまり幕府は不平等条約の何たるかもさっぱり理解しておらず、
それに気付き、修正したのが薩長であり、新政府ということです。
>>159 幕府の人間には近代化のなんたるかすら、理解する知能はないよ、
だから滅んだ。
幕府の人材など一人もおらずとも近代化はなり遂げていただろう、
せいぜい数年遅れるくらいで、誤差の範囲内だ。
いやむしろ早まるかもしれんな。
>また、開国に反対し攘夷に狂ってた松陰がなんで「開明派」なんだよ。
長州の攘夷は欧米の犬となり、国益を害し、不平等条約を結ばない攘夷だよ。
だから志士たちは、一端攘夷し、条約を廃棄したあと、
改めて対等な条約を結べと主張している。
>幕藩体制の維持が経済的に不可能だということをちゃんと理解してたのは幕府側。
んな説は存在しない、お前の脳内以外にな、
もしあるのなら示してみろ。
>だから薩長は華族や士族という形で既存の特権階級の利益を温存しようとし、藩閥の維持に異常に執着する。
なら藩主の権限をとちあげ、華族などに祭り上げて特権をとりあげ、
秩禄処分で武士の身分も給料も廃止などしない。
そして幕府は幕藩体制の維持だけを目的としており、
上記のものを廃止したことも、廃止しようとしたこともない。
171 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/20(土) 19:59:42 ID:GkJuBbUK0
ひとつバカの相手をすれば、
>>169 >つまり幕府は不平等条約の何たるかもさっぱり理解しておらず、
なら、現在のリーマンブラザーズ他のアメリカ金融界での状況について
後世の人間が読んでもまったく問題ない判断がオマエは出来るのか?
いいか、いくら情報化が進んでも、判断する人間のレベルは江戸時代と
似たり寄ったりという現実があるんだよ。ここでつまらないことばかり書いてる
奴らは、現在から過去をああだこうだどうでもいいレベルを書いてるバカばかりなんだよ。
そんなのは歴史の理解には何の意味も無い。
あんな日本の土地バブルと全く同じ構図のものを、
予想できない奴は馬鹿だよ。
日本があまりあれに関わってないのは、
バブルで痛い目みていたからだし。
例えばお前はドバイの土地高騰が、後5年も10年も続くと思っているのか?
そしてあのバブルが弾けない、弾けないと予想するのが、
正しい認識だと?
173 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/20(土) 20:27:14 ID:ScYLFZpV0
>>162 どっちにしろ、藩を潰して中央集権制に移行し、産業構造の近代化を進めれば、従来の身分制度は崩壊する。
封建制の維持を望んで幕府の改革に反対してた薩長でさえ、近代化の波に逆らえなかった。
もっとも悪あがきとして華族制度など旧特権層の利益は最大限温存してるから、
身分制度をちゃんと廃止したとは言えないけどね。
>>166 慶喜は大政奉還で近代化の主導権を握ろうとしたことは事実。
しかし薩長に足元をすくわれ無駄な徒労に終わった。
福沢が建言したように、武力で薩長を滅ぼすことによって幕府が日本を近代化すべきだったのに、
慶喜は姑息な策に溺れて自滅してしまう。
木を見て森を見ないというか、要するに慶喜は馬鹿だったんだろうね。
>>169 条約の不平等性を修正したのは小栗や陸奥。
薩長は幕府よりもさらに不平等な条約を結ばされ、日本の国土をロシアに奪われ、
条約改正交渉は数ヶ月で投げ出し、鹿鳴館で欧米人の前にひざまずいた。
幕府が外交活動を継続してたら、こんな屈辱的な外交は決して行わなかっただろう。
174 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/20(土) 20:31:05 ID:yqbH9vHl0
>>172 バカ、いいか徳川幕府が当時の情報入手およびその解析レベルにおいて
>幕府は不平等条約の何たるかもさっぱり理解しておらず、
と現在の視点からそれを揶揄することは簡単なことで、現にお前のような
バカでも偉そうなことを書けることを指摘してるんだよ。だから、
>>172の
ようなことは、このスレが明治維新であることからどうでもいいの。
あくまでも幕府がアホだとかいうお前の論点の凡庸なことを指摘してるだけ。
分かるか?大バカさん
175 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/20(土) 20:34:21 ID:C/wgsqW40
176 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/20(土) 20:34:48 ID:ScYLFZpV0
>>170 >長州の攘夷は欧米の犬となり、国益を害し、
そのとおり。長州はイギリスの犬となり国益を害した。
>不平等条約を結ばない攘夷だよ。
何を言いたいのかよくわからないが、事実、薩長は維新後に最悪の不平等条約を結んでる。
>だから志士たちは、一端攘夷し、条約を廃棄したあと、改めて対等な条約を結べと主張している。
だったら倒幕後に徳川家が私的に結んだ条約を追認せず、改めて対等な条約を結んでるはず。
なぜそうしなかった?
177 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/20(土) 20:36:22 ID:C/wgsqW40
>>176 次から次へと論外君参加だな。
つまらねぇこと得意になってんなよ、アホ
>>173 >どっちにしろ、藩を潰して中央集権制に移行し、産業構造の近代化を進めれば、従来の身分制度は崩壊する。
幕府がそんなことを目的にしたことは一度もないし、
実行したこともない。
例えば廃藩置県のときは、まず薩長土肥の四藩が領土を天皇へと返還し、
諸大名にも強制させたが、幕府が領土を天皇に返したことがあるのかね?
>封建制の維持を望んで幕府の改革に反対してた薩長でさえ、近代化の波に逆らえなかった。
それを目的にしていたら、薩長も味方してくれたかもね。
けどそんなことは幕府は目的としておらず、
旧体制の維持のみを目的としていたから、幕府を不要物として処分されたんですよ。
>福沢が建言したように、武力で薩長を滅ぼすことによって幕府が日本を近代化すべきだったのに、
長州一藩に兵力差30倍で大敗、幕府に勝ち目などないよ。
>条約の不平等性を修正したのは小栗や陸奥。
修正などしとらん。小栗が不平等性に気付いていれば、
修正しているが、そんなことに気付きもしなかったか、
気付いても何も出来なかったかのどちらか。
>条約改正交渉は数ヶ月で投げ出し、鹿鳴館で欧米人の前にひざまずいた。
投げ出してなどおらん、国力を増強して、西洋の文化、技術を輸入して、
対等な国家にして改正交渉をしようとしただけ、
そのままじゃ無理だった。幕府が糞な条約さえ結ばなければなあ。
>日本の国土をロシアに奪われ、
樺太も千島も事実上割譲したのは幕府だが?
ロシア人などろくにおらなかったのに、
雑居地にして、ロシア人の入植を認め、その後人口では勝っているからといい、
その後併合。ロシアがずっと昔からやっている手法。
それに気付き、千島だけでも取り返した、明治政府の手腕は凄いよ。
ほっといたら、千島まで取られていた。
>>174 ならこのスレと関係ないリーマンでたとえるなw
それで反論されたら、関係ないw
つかお前真性のアレだろw
そして条約の締結ことは、当時から散々非難されており、
その反対を押し切って不平等条約を結んだのは幕府。
幕府は批判していた方々よりも、無能だったということさ。
だいたい外国が日本をよくしようと、無理やり条約を結ぼうとしてくるか?
そんなの、そこらの子供でもわかる。条約の内容を一切知らなくてもな。
180 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/20(土) 20:53:45 ID:11/6kYko0
>>179 尊攘派が反対してたのは勅許がなかった点についてであり、条約の不平等云々はまったく問題にもしていない。
薩長は、倒幕の過程において、英米に積極的に条約の遵守を誓い、
幕府が結んだ条約を破棄・改定しようとはせず、明治以降に新たな不平等条約すら結んでる。
日本史上最悪の不平等条約を結んだのは薩長、樺太をロス家に売り渡したのも薩長だ。
卑屈に欧米に屈従して「不平等条約」を追認した売国奴・薩長が、幕府を批判するのはお門違い。
>>176 >そのとおり。長州はイギリスの犬となり国益を害した。
フランスの犬となって、内乱を起こしたのは幕府だろうがw
つかこれって欧米がよくやる手段だよな、
反政府勢力の討伐を煽り、そのために武器を輸出する。
(それも自国内では旧式の余り物)内乱で国力が弱まった隙を狙うという、
欧米の上等手段、まんまと引っかかったのが幕府。
日本が袁世凱とその後継者の政権に援助し、
その政権が反政府勢力である、蒋介石ら国民党の討伐にその援助を全て使ったのと、
実に似ている。幕府が引っかかったのを、中国にやったんだろうな。
>何を言いたいのかよくわからないが、事実、薩長は維新後に最悪の不平等条約を結んでる。
幕府の条約を引き継いだからな、確かに最悪だ。
幕府がんなもん結ぶからね。
>だったら倒幕後に徳川家が私的に結んだ条約を追認せず、改めて対等な条約を結んでるはず。
国家を継承しているんだから、条約も引き継ぐ義務がある、
結ばないとしたら、承認されんし、下手すりゃ戦争になる。
ほんと幕府は、新政府の為に面倒ばかり押し付けて滅んだよ。
>>180 勅許だけじゃねーよ。
膨大な金が流出し、欧米の綿製品などが流入したことによる、
国産品が売れなくなり、大不況。
さらに生糸などの資源が安く買い叩かれ、国内で流通しなくなり、
資源高騰。
完全なスタグフレーションになってんの。
んなもん、とっくの昔から抜け荷していた西南雄藩には分かっていたことだし、
薩摩は日本の法律で裁いた生麦事件の報復にきた時点で気付いている。
つかね志士たちが、不平等だから廃棄しようっていって、
破約攘夷論唱えていたのに、不平等性にすら気付かず、
条約を結び、維持しようとしていたのが幕府。
幕府の人間が、条約の不平等性を問題にしたことや、条約廃棄を唱えたことはない、。
それだけ無知だったってことさ。
アヘン戦争で清が植民地化しつつあるってのに、
安易に条約結ぼうなどという神経がわからんね。
183 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/20(土) 21:10:33 ID:bYoHIU8Y0
>>179-182 やっぱりお前は、後付の講釈をしてるだけだ。
条約勅許がなく井伊が条約を結んだことが、その後の安政の大獄につながり
政治の流動化につながった。経済のことについては、あくまでも大老井伊の
条約締結によって起こったことである。
>とっくの昔から抜け荷していた西南雄藩には分かっていた
上記の史料名をあげて具体的な論拠をしめしてみろ。どのように
誰が分かっていた?薩摩・長州それぞれの史料名を書かれている
文献のページまであげてくれ。
184 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/20(土) 21:11:31 ID:11/6kYko0
>>181 ちがうよ。反政府勢力や不満分子に武器を与えて、内乱を起こさせ、
その国が分裂状態となったところを美味しくいただくのがイギリスの植民地支配のセオリー。
だからイギリスは薩長に密貿易を通じて大量の武器を与えた。
ちなみに薩長に与えられた平気はアメリカ南北戦争終結で余った余剰兵器。
同時に南北戦争で精緻化された散兵戦術も薩長に教授された。
本来なら幕府にかなうはずのない薩長が幕府に対峙できたのは、
イギリスの手先になったからにほかならない。
>幕府の条約を引き継いだからな、確かに最悪だ。
いつまでも幕府のせいにするなヴォケ。お前は朝鮮人か。
明治政府は新たな利権を外国に与え、幕府以上に不平等な条約を結んでる。
この責任は薩長が負わなければならない。
>国家を継承しているんだから、条約も引き継ぐ義務がある、
>結ばないとしたら、承認されんし、下手すりゃ戦争になる。
条約を引き継ぐのは義務ではない。
そもそも「一端攘夷し、条約を廃棄したあと、改めて対等な条約を結べ」と主張してたんじゃなかったのか?
承認を得るためならどんな要求にも応じる薩長の卑屈な態度は一体なんだ?
185 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/20(土) 21:11:40 ID:TakvvCN00
どう考えても江戸幕府の崩壊=日本の国益の構造は崩れない。
樺太、千島問題を引き合いに出して喜んでいるアホ幕府オタがいるが
幕府は樺太どころか千島まで手放してんだろwそれが現実なのだ。
無知を暴露するのは勝手だが少しは調べてからものを言え。
明治政府が樺太を切り捨てることで千島を得ていなければ両方ロシアのものに
なっていただろう。なぜなら幕府に認めさせるには空砲だけで十分なのだから。
空気の音で相手のいいなりなんて大馬鹿のやることだ。
西洋が恐れるのは武に対しては武で回答できる勇気をもった政府なのだ。
かなわないから言いなりになります=その先にあるのは植民地化のみだ。
どこかで勝てない可能性を引きずっても自主独立の維持のためには立ち上がるしかない。
それの先方が多数の志士であり、それを実現させたのが明治政府なのだ。
幕府の官僚たちにあるのは幕府の権威の死守と自分のポジションの確保。
そして己の命の保持だ。命をかけてまで政治を行う勇気などない。
186 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/20(土) 21:15:40 ID:11/6kYko0
>>185 幕府は樺太を数百年間守り抜いてる。
そもそも幕府が樺太を手放してたら、明治政府が千島と「交換」できるわけがないだろ。
薩長が樺太をロシアに明け渡したのは、200人弱のロシア兵にびびったことと、
イギリスのパークスに放棄しろと命じられたから。
187 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/20(土) 21:25:48 ID:TakvvCN00
>>186 調べてから物言えと言ってんだろw
幕府は千島を放棄、樺太には国境を引けずとりあえず棚上げで時間稼ぎをしていただけ。
結果、ロシア人の入植者が増え、樺太の日本人が攻撃される状態になったのだ。
明治に入り、ロシアとの国境を決める段階に入り、いずれはロシアのものになる樺太を
明確に放棄することですでに幕府が放棄していた千島を得たのだ。これが史実。
188 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/20(土) 21:37:44 ID:11/6kYko0
>>187 樺太の日本人が攻撃される事態は幕府時代から散発してた。
国境が引けないのなら日露雑居の状態を維持し、国境問題の解決を後世にゆだねればよかっただけ。
入植者との国境紛争が生じたなら軍を送って日本の権益を守り、外交ルートでロシアに抗議すべき。
国境紛争が生じたからといって領土を放棄するようなヘタレな政権は、世界的にみても明治政府くらいだろ。
薩長に同情的に解釈すれば、こうした国境紛争に対処した経験がないから、
狼狽したあげく売国に走ってしまったというところだろうね。
裏では榎本が樺太買収交渉を行っていて、これが成功する可能性もあっただけに、
樺太を日本が失ったことはとても残念だ。
189 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/20(土) 21:50:47 ID:TakvvCN00
>>188 そうそう。幕府が守ってくれないから樺太の日本人はロシア人に殺されていたのだ。
問題を先送りする、とすれば聞こえはよいが事実は「幕府は何もできなかった」の
間違いだw後、数十年もすればロシア人だけのロシアの島になっていたことだろう。
幕府は本当に本当にしょぼいから弁護するには大嘘をでっち上げるしかない。
国際紛争が生じた際に領土を放棄するような屁たれは世界的に見て多数あるだろうに。
身近なところでは千島列島を放棄した江戸幕府がそれだw
>>183 日本は対価がなかったから、売り物は金貨銀貨で行われていたわけ。
それで儲けていたわけだし、長崎でも裏で貿易していたわけだが、
幕府がアホな条約を結んだため、
大赤字になってしまったわけ。
円が高かった時代に、その高い円で海外の物資を円の力で買っていたのと同じ構図。
これが倒幕の一因になってしまったわけ。
>上記の史料名をあげて具体的な論拠をしめしてみろ。どのように
大君の通貨によると、商人は嫌がって交換を拒絶。
ハリスをはじめとする公使が幕府を恫喝。
恫喝に屈した幕府が交換を認める。金が流出。
という流れなの。
>>184 >ちがうよ。反政府勢力や不満分子に武器を与えて、内乱を起こさせ、
長州は一銭もイギリスから金借りてないし、
ただでもらったわけでもない。つか全てイギリスから買ったわけでもない。
またイギリスに内乱に干渉すんなと圧力をかけ、
イギリスは、中立の立場をとり、
内乱に干渉しようとしたフランスに介入するなと圧力をかけている。
>明治政府は新たな利権を外国に与え、幕府以上に不平等な条約を結んでる。
そんな事実は存在しない。
>条約を引き継ぐのは義務ではない。
義務だよ。でないと承認されん。
そして一端廃棄の為に、条約の更新のときに、
廃藩置県がおわってすぐなのに、首脳陣が洋行したのは、
それだけ不平等条約の改正を急いだからに他ならない。
>>186 守ってなどおらんよ。
蝦夷地には全く興味をもたず、放置したのが現状。
田沼などは蝦夷地にも興味をもっていたが、
彼も失脚したしな。
>>188 雑居地ということで、ロシア人の入植を認め、
逆に日本人の入植をさせなかった。
結果ロシア人ばかり増え、ロシア人の事実上の領地になってしまい、
ロシアに取られてしまった。
樺太だけでもなんとか死守した明治政府と比べると、
雑居地ということで、両方とも捨てた幕府とは比べものにならん。
樺太じゃなくて、千島の間違い。
193 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/20(土) 22:30:59 ID:p0f/bCZe0
>>190 あのさぁ、そんなことは幕末史を学んでいれば誰でも知ってるわけだ。
オレは、お前が
>>182で書いたことの根拠としての史料を書いてくれと
いってんだよ。史料名とそのことが書かれているページを早く書いてくれ。
オレがお前の書いていることが跡付けの内容だと書いたが、それをそうでないと
いうなら、史料をあげることなど簡単に出来るだろう?出来ないなら、
お前の根拠無き妄想ということだよ。いたって単純なことだろう?違うか?
194 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/20(土) 22:35:32 ID:p0f/bCZe0
>>190 史料は、書名・編者・出版社・出版年(何版も合わせて)。
過分にしてお前が
>>182で西南雄藩云々以下の文章について
読んだことが無い。ああまで言い切っているなら、根拠となる
史料を前提にしていると思うからぜひ教えて欲しい。
195 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/20(土) 22:59:59 ID:uVKLr8gq0
結局、佐幕厨房のカキコは全て偏見と嘘だった、というわけね。
196 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/20(土) 23:05:14 ID:uVKLr8gq0
ID:11/6kYko0=ID:p0f/bCZe0の発言にソースが欲しい。
偏見で関東人を養護しても、こちらは恥ずかしい。
197 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/20(土) 23:16:33 ID:TakvvCN00
>>193 てか不平等な点については当時の誰もが認知していたことだろw
問題は不平等な押し付け条約である上に勅許もとらないままに締結したことだ。
理由は単純。アメリカに脅されたから。
何でも中国に派兵しているイギリス、フランスが侵略にくるぞ!と
脅されて慌てた井伊直弼が条約の締結を急いだというもの。
不平等な上に朝廷の許可なく勝手に締結したのが江戸幕府。
その理由はまたしても幕府の権威と役人の命おしさからだ。
悲しいかなこれが幕府の実力なのだ。
こんな奴らに日本を任せてはおけん、という流れになり倒幕が急加速した。
人に資料を求めて自分は一切資料をださずに盲文
を垂れ流してる部分が幕府厨の面白いところだ
199 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/20(土) 23:26:20 ID:DR903u4g0
>>182 >つかね志士たちが、不平等だから廃棄しようっていって、
>破約攘夷論唱えていたのに、不平等性にすら気付かず、
>条約を結び、維持しようとしていたのが幕府。
たしかに和親条約当時「不平等だから破棄しよう」と言ってた「志士」が存在したとは初耳。
何時、誰が、どのような不平等性に気づいてたかのソースが知りたい。どうせ例によって薩長オタの妄想だろうけど。
>>191 >義務だよ。でないと承認されん。
クーデタや革命で旧政権の条約を破棄改正する例は珍しくない。
だいたい攘夷を叫んで外国人を斬り殺してた薩長が、なぜそんなに卑屈になって外国の承認にすがりつく?
>そして一端廃棄の為に、条約の更新のときに、 廃藩置県がおわってすぐなのに、首脳陣が洋行したのは、
>それだけ不平等条約の改正を急いだからに他ならない。
基本的に条約は必要に応じて改正されるもの。倒幕クーデタ後の最初の条約承認の際が改正のチャンスだったけど、
薩長はダメもとで改正を申し出ようともしなかった。条約の改正を急いでたようには到底見えない。
上で指摘されてるように、岩倉一味が海外逃亡した時は、廃藩置県事業は始まったばかりの段階で中身は全く未整備の状態。
条約の改正よりも大混乱の国内の改革の方が急務だったわけで、結局「不平等条約の改正」は海外逃亡の口実にすぎない。
そもそも、そんなに「不平等条約の改正を急いだ」のなら、
・天皇からの委任状すら持たずに出かけた。
・アメリカとデタラメな交渉を数回行っただけで改正交渉を放棄。
・その後イギリスなどではまともな交渉すら行わなかった。
といった岩倉使節団の一連の盲動と矛盾してる。
200 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/20(土) 23:30:59 ID:DR903u4g0
>>197 >不平等な点については当時の誰もが認知していたことだろw
それは君の妄想だ。
攘夷派はあくまでも無勅許であることを批判してたのであり、
不平等だから批判してたわけではない。
違うというならソースを出すべき。
201 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/20(土) 23:41:54 ID:TakvvCN00
>>200 ソースも何も常識だろwどこの馬鹿が不平等ではない条約を相手を脅して
締結させんだよwほとんどがアメリカの一方的な要求なのだから不平等条約なのは
当たり前。条約締結の当初から関税自主権や治外法権の重さを理解できていなかった
ことは事実であるが、それ以外の条項についても十分に不平等だ。
攘夷派が激怒したのは不平等な内容の上に無特許で、しかもアメリカの脅しに
屈して条約を締結したためだ。
一つや二つではない。要は相手の脅しに屈して相手の言いなりになったという結果に
対して激怒したのだ。
ソースだせとか言う前に自分で調べてみろ。すぐに大恥をかくからw
そんな単純なことも知らないのかと。それとも後世にならなければ
不平等性が分からないほどあの条文が難しいものか?
極めてアメリカにしか利がないものであろうに。
>>201 大恥をかいてるのはお前だろ。
いきなり主張を変えてるし。
>条約締結の当初から関税自主権や治外法権の重さを理解できていなかったことは事実
ともあれ変更後のお前の意見は正しい。
当時の攘夷派は夷敵を追い払えと幼稚な主張をし条約締結行為そのものに反対してただけで、
誰も条約の不平等性については認識していなかったし非難もしていなかった。
これが今回の議論の結論だ。
簡単に言えば、条約が孕む不平等性と当時の日本人が不平等性を認識してたかは別問題であり。
後になって不平等に気づいた明治政府が、遡って幕府を批判するのは大間違いだということ。
しかし、せっかく正しい知見を得たのに性懲りも無く駄法螺を繰り返す…
>アメリカの一方的な要求なのだから不平等条約なのは当たり前
>攘夷派が激怒したのは不平等な内容の上に無特許で、しかもアメリカの脅しに屈して条約を締結したためだ。
つまり攘夷派は不平等の内容を理解していなかったが、不平等なのは当たり前なので、不平等に激怒してた、
…ということになる。もう滅茶苦茶な屁理屈。薩長信者の頭の悪さはどうしようもない。
203 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/21(日) 02:49:21 ID:1UHQbcaZ0
まあどれだけ幕府厨が駄文を垂れ流しても結局幕府は長州
ごときに負けたという事実は覆せないんだよなw
負ければ賊軍なんだよ。わかったかい?幕府厨。
いや、幕府の中枢は不平等なのはわかってるだろ。締結時点で。
幕府が、そんなこともわからんあふぉばっかと思ったら大間違い。
それが欧米のやり口なのは充分わかってたけど、締結せざるを得なかった。
そこが反対派には腑甲斐無く見える。これも当然。
で、締結のときに天皇が認めてないというとこで攻める。
お互いに揚げ足取ってるうちに、外様にもそのからくりがわかって、
もう、こうなったら幕府自体やめちゃいましょ?ってことになったんだろ。
それは要するに、時流ってもんだな。止められない。
長州に幕軍が負けるとか、戊辰戦争とかは結局、目に見える時流現象だよ。
市民層にまで入り込む前に、武士層が決着つけてくれたのは実にあっぱれ。
幕府も薩長もない。世界の歴史に輝くべき日本の偉業だ。
ソースはしまってしまったのでありません。
マヨネーズならありますが。
205 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/21(日) 04:32:55 ID:GHf21w2P0
>>202 言葉足らずだったかw幕府坊は思い込みが激しいから人の倍説明してやる必要がある。
不平等性には誰もが気付いていたのだ。関税自主権と治外法権については鎖国ゆえに
その重さを理解していなかった、と書いている。
つまり不平等であることは当初から明らかだったが、そのことの重大さには気付いて
無かったということだ。意味理解できるか?
もう一度言うが、「不平等であることは明白だが、事の重大性には気付いていなかった」
そいうことだ。理解できたか?
俺の文のどこに不平等に気付いてなかったと書いてあるんだw勝手な解釈は遠慮してくれ。
それとも己の過ちに気付き、慌てて議論をすり替えようとする。それが幕府坊の手法。
馬鹿のためにもう一度言ってやるが、あの条文を読んでみろ。
誰の目から見ても不平等であることは明白なのだから。あれを読んで平等な条約と思える方がすごい。
もっとも幕府はその内容よりも戦争だけは回避したい、あったのはそれだけなのだ。
そして日本国の権利を次々を放棄し、その先には植民地化が待っていただろう。
何度も言ってやるが、幕臣は己の命惜しさに諸外国の威圧に屈したのだ。
それを大恥と捉えたのが当時の攘夷派だ。なぜなら彼らは武士なのだから。
戦わずして負けるのはもっとも恥だろう。幕府には武士としての誇りは皆無だったのだ。
206 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/21(日) 04:41:35 ID:GHf21w2P0
日本は遠い国だから、威圧だけで屈してくれれば一番話は早かっただろう。
倒幕以前から西洋諸国が薩長を支持したのは、彼らに勇気があったから。
幕府の官僚にあったのは問題の先送りだけ。つまり今さえなんとかなればそれでよし。
時間稼ぎばかりするから西洋諸国はあきれ、まともな相手と思えなくなった。
今の時代でも問題を先送りするだけの政治家は屑だろ。
何もしなかった、ことは評価に値しないのだ。何かをしたものの方がその後に
大きな成功を掴むケースが多い。だから吉田松陰は先ず行動を起こせと主張したのだ。
幕府の行動パターンはおりこうなのではなく、日本をみずに自分だけをみた結果。
保身に全てが帰結するという、そういうものに過ぎん。
207 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/21(日) 07:34:41 ID:u1IxA6rA0
>>182 >勅許だけじゃねーよ。
膨大な金が流出し、欧米の綿製品などが流入したことによる、
国産品が売れなくなり、大不況。
さらに生糸などの資源が安く買い叩かれ、国内で流通しなくなり、
資源高騰。
完全なスタグフレーションになってんの。
んなもん、とっくの昔から抜け荷していた西南雄藩には分かっていたことだし、
薩摩は日本の法律で裁いた生麦事件の報復にきた時点で気付いている。
つかね志士たちが、不平等だから廃棄しようっていって、
破約攘夷論唱えていたのに、不平等性にすら気付かず、
条約を結び、維持しようとしていたのが幕府。
幕府の人間が、条約の不平等性を問題にしたことや、条約廃棄を唱えたことはない、。
それだけ無知だったってことさ。
結局、上記の史料は何であるのかを書けないわけね。
・西南雄藩がどのように条約を結ぶことによって国内が変わるのか
どのように分かっていたのかを示す史料
・志士たちの誰が(どのグループが)、不平等だから破棄しようといっていたのか
を示す史料。(破約攘夷論は長州が航海遠略策から藩論を転回して出したもので
あくまでも長州が、藩内の政争から生まれたもので条約が 不平等かどうかなどを
問うものではないことも知らんの?)
・幕府の人間が、条約の不平等性を問題にしたことや、条約廃棄を唱えたことはない
というが本当にそうか?例えば、「開国始末」日本史籍叢書や「大日本外交文書」外務省調査部編
などの一次史料にあたったうえか?
早く、史料名を書いてくれ、さもなくば妄想を書きましたと正直にいえ。
208 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/21(日) 08:41:37 ID:1UHQbcaZ0
幕府坊は自分の妄想は許されると思ってるのかな?w
209 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/21(日) 09:36:10 ID:GHf21w2P0
>>207 無知で妄想しか知らない馬鹿の相手は疲れる。
破約攘夷では「諸外国の言いなりにより締結した条約」を問題視しているのだ。
つまり幕府が威圧に屈したことを批判している。
「攘夷」とは外国の威圧に屈することに対する反発なのだ。
朝廷を巻き込んで勅許がどうのというのは実は政争の道具であって本旨ではない。
あくまで主役は武をもってして諸外国と交渉しようというものだ。
相手の武に屈した幕府の姿勢への批判が攘夷論なのだ。
後世からみて「不平等条約を無理やり結ばされた」との不平等の対象が
治外法権と関税自主権の放棄の部分にあてられるから話がややこしいのだ。
あの時点であっても銀が交換レートの基準とされるなど幕府の要求はほとんど
通らないままに条約を締結してしまっている。それを対等な条約と言える
はずもなかろう。誰の目から見ても不平等条約だったのである。
対等ではないことを認識した上で威圧に屈して締結している。
世界史ではそれを「不平等条約」と言う。
端的に言うと不平等条約を平等条約にしろと主張する
攘夷志士がいたかどうかと思うのだが?
211 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/21(日) 11:14:35 ID:rHuEOG+10
>>191 >>明治政府は新たな利権を外国に与え、幕府以上に不平等な条約を結んでる。
>そんな事実は存在しない。
明治政府はオーストリア・ハンガリー帝国などと新たな不平等条約を結び、
幕府が拒否した沿岸貿易権を与えるなど外国に譲歩しまくり。
また、樺太千島交換条約も不平等条約で、これにより日本は広大な国土を失った。
>>205 >つまり不平等であることは当初から明らかだったが、そのことの重大さには気付いて
>無かったということだ。意味理解できるか?
だからさ、いつ、誰が、条約の不平等性について言及したか?その根拠を出せよ。
「当初から明らか」だったのなら簡単だろ。
たとえば攘夷基地外の吉田松陰が、関税自主権と治外法権の問題を理解したうえで、
条約が不平等だからけしからんと批判したか?
マンガ的な薩長史観を妄信してるとますますバカになるぞ。
212 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/21(日) 11:21:49 ID:Lv9eiPgf0
>>210 >端的に言うと不平等条約を平等条約にしろと主張する
>攘夷志士がいたかどうかと思うのだが?
不平等を平等にして外国と付き合っていこうという攘夷派は攘夷派に非ずw。
不平等条約なぞ破棄して外国など追い払ってしまえというのが攘夷派と呼ばれる人達なのだが?。
213 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/21(日) 11:36:37 ID:Lv9eiPgf0
>>211 >>205じゃないけど、お前の言っている事が馬鹿げている
>だからさ、いつ、誰が、条約の不平等性について言及したか?その根拠を出せよ
事実として、貿易による国内産業の破壊が進み、国内経済が混乱し、人々の暮らしを苦しめた。
その実害が出たからこそ攘夷論が噴出した。
これを阻止したくとも関税自主権が無い。
その結果、はじめて条約が不平等だという事に気がついた幕府は、
小判の金銀含有量を減らした悪貨を流通させるという策に出たが、
悪貨の流通によるインフレが加わって、さらに国内を混乱させている。
これは明らかに幕府の失敗であり、罪とも言えるな。
それを攘夷派は追求しているのであって、単に外交政策批判だけでなく、
国内政策の失敗も糾弾しているんだよ。
214 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/21(日) 11:51:54 ID:nXB/g0Mf0
>>209 教科書レベルの知ったかさんが偉そうに書いてるなぁwww
>あくまで主役は武をもってして諸外国と交渉しようというものだ。
相手の武に屈した幕府の姿勢への批判が攘夷論なのだ。
ところがな、幕府はオランダからの別段風説書で19世紀後半の政界情勢に
ついて正確な情報を得ていた。戦うことが専門の武士は我と彼の戦力の
差についての事態を正確につかんでいた。だから日米通商条約を結ぶ評議の
席上、担当の岩瀬はこう言っている。
”この調印のために不測の禍を惹起して、或は徳川氏の安危にかかわる程の
大変にも至るべきが、甚だ口外し難き事なれども、国家の大政に預かる
重責は、この場合に臨みては、社稷を重しとするの決心あらざるべからず”
(引用は、「岩瀬忠震」松岡英夫 中央公論社)
日本という国家のためには、この調印によって徳川氏が滅びるようなことに
なってやむを得ないという内容だ。ここまでの覚悟をもって調印は行われた
わけであり、その交渉過程も含めてアンタの書いてるような、相手の武に
屈したなどという単純な話ではないのよ。オレは幕府厨でも薩長厨でも
ないが、アンタが得意になって書いている攘夷について吉田松陰の
攘夷論はご存知かな?安政五年五月朝廷に差し出した論説「続愚論」で、
”鎖国の説は一時的には無事に見えますが、姑息の徒が喜ぶもので長い目で
見れば決して優れた策ではありません。日本の国内においてさえ、一か所に
居続けるのと、天下を歩き回って見聞を広めるのとでは、知識の進歩という
面で大変大きな開きがあります。況や、世界の場においておや。なにとぞ大艦を
製造し、公卿より諸大名に至るまで、万国を航海し、智見を開き、富国強兵の
大策を立てるようにしたいものです。…外国の事情も知らずに、いたずらに
海岸の防備にあたり、経済的にも苦しむなどというのは誠に失策です。
イギリス、フランスなどの小国でさえ、万里の遠海に渡り、人を制しているのは
みな航海の利益によるものです。このところに早く御着眼なくては、おぼつかない
ことと存じます”(引用は「吉田松陰全集」山口県教育会編 岩波書店)
開国論のようだけど、実はこれが「攘夷論」の真髄だった。アンタが書いて
いるように、単に夷狄を掃うのではなく、夷狄を制し、皇国の武威を世界に
ふるうハイレベルな国家論。幕末攘夷論の主流は多かれ少なかれこのラインに
乗って動いた。
215 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/21(日) 13:21:35 ID:GHf21w2P0
>>214 全く俺の書いた内容を理解できていないな。
問題点は武を示さずに屈服した姿勢であって、外国のものを一方的に排除する
というものでないことは当たり前のことなのだ。
スタートラインが単に外国を排除すればよしとするような攘夷ではない。
お前の指摘していることは知っていて当たり前の前提に過ぎない。
一度も戦わずして相手の言いなりになっていると、その先にまっているものは何だ?
長期的にみて外国の言いなりになることが日本の国益にはならんだろうに。
勝てないから言いなりになりました。それで何?
その先の未来に希望の「き」の字ももてないのだがw
言いなりになり続けて、その先の日本に希望が抱ける回答を述べてみろ。
それを打破できる唯一の術が倒幕であったことに気付けるだろう。
216 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/21(日) 13:37:52 ID:GHf21w2P0
>>211 全く理解力が欠如しているなw
関税自主権や治外法権だけが不平等の対象ではないと散々述べてるだろうが。
当時あれを対等な条約と思って締結していたなら幕府は本物のアホだぞw
対等ではないが武力でかなわないから仕方なかったんだろうが。
それを不平等条約と言うんだよ。分かる?ボクちゃん。
関税自主権や治外法権だけを見て不平等なんて言ってると小学生と思われるぞ。
戦争しても勝てないから相手の言い分を受け入れます。
そうやって締結されんだよ。不平等条約がね。
勝てないから言いなりになります。でその先に何をしたかったんだ?
はっきり言って
>>214の指摘の通り、言いなりになったから日本人から
見放され、幕府は滅亡したんだよ。その点理解できてる?
立ち向かって駄目なのと、立ち向かわないで駄目なのでは意味が全然違う。
国民の生活を困窮されている元凶の幕府に対する怒りの声であったろ。
武人が武を示せないなら人の上に立つ資格なんてないのだ。
217 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/21(日) 14:45:15 ID:EEWkcw400
>>215 >一度も戦わずして相手の言いなりになっていると、その先にまっているものは何だ?
なら、戦って植民地化されることがどのような観点から国益とやらになるんだ?
それから、相手の言いなりになってはいない。それは、一般向けの通史では、井上勝生2003を読め。
幕府はアンタのような教科書バカが知っているレベルの交渉ではなかった。
>勝てないから言いなりになりました。それで何?
繰り返すが、史実によれば言いなりにはなっていない。それで何?だと、そんなことは
中学生でも知ってる歴史があるじゃないか。いいか、開国時に徹底的に戦闘を避けた
当時の幕府の冷静な判断が、明治維新よる次の時代へ日本は発展できた。それが
致命的な誤りだったとは、どう当時の歴史環境を調べてもいえないと思う。
>言いなりになり続けて、その先の日本に希望が抱ける回答を述べてみろ。
アンタが教科書レベルのアホの証明が、↑の一文。
開国時において、その先の日本の希望などという概念は生まれていない。
そもそも幕末開国時に日本などという国家概念はない。つまり、アンタの
チンケなレベルは問いとしての体を成していない。それからもう一度書いておくが、
オレは幕府厨でも薩長厨でもない。ただ、下記のような貧しい明治維新観を毛嫌いする
者だということだ。史実によれば、そんな論理で明治維新はないからだ。
>打破できる唯一の術が倒幕であったことに気付けるだろう。
詳細な、開国史を知らないであまりバカ丸出しのことを書かないことだよ。
何も知らないんだから。
>>216 >武人が武を示せないなら人の上に立つ資格なんてないのだ。
ついでにもう一つ指摘しておく。
武人が武を示したから人の上に立っていたのではない。
封建社会の身分制度によって士が最上位にいただけのこと。
事実誤認も甚だしいので書いておく。このアホは小説と史実の区別が
どうもついていないようだ。
218 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/21(日) 15:03:58 ID:GHf21w2P0
>>217 相当なアホがいたもんだ。お前の回答こそが教科書的なのである。
日露戦争後に賠償金を獲得できなくて民衆が暴動を起こしたのはなぜだか分かるか?
トップは常に冷静な判断さえ出来ていれば良いというもんではないのだ。
民衆は愚かだからこそ説得力が必要とされる。
幕末期、確かにあの時点で戦争をしても西洋には勝てなかったかもしれない。
その可能性が高かった。しかしそれは一部の識者の考え方であって民衆のものではない。
生活が困窮した民衆は単純に幕府はなぜ戦わないのだ、に尽きるのだ。
その不満を排除し、納得させるためには一度戦うしかないのだ。
おりこうさんでは下のものはついてこない。これが真の歴史学だ。
お前の主張は学校のお勉強レベルに過ぎん。天才の考えは実に暴挙そのもの。
それが吉田松陰の魅力だ。物事の本質をつかみきっている。
219 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/21(日) 15:08:49 ID:GHf21w2P0
戦に負ければ植民地化されてしまう。その認識は正しい。
しかし、相手に脅威を与えられない状況では、いくら時間を稼いでも
近い将来は同じ道をたどるのだ。
つまり戦をしなくてもしてもいずれは植民地と化すのだ。
だからこそ一度は相手に牙を向いた方が良いのだ。
その後の歴史を見てみろ。アジア諸国はどのような経緯で独立を果たしたのか。
日本の戦う姿勢こそが、独立を獲得できた理由なのである。
世の中、武器を取れないものは軽蔑され、利用されるだけなのだ。
厳しいかもしれないが現実はそうであろう。今の時代もそうだ。
力を示せなければ、権利は主張できん。力なきものの言葉など通らんだろうに。
220 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/21(日) 15:15:13 ID:GHf21w2P0
明治以降、新政府は確かに西洋に対しては恭順姿勢を貫いた。
しかし、その背後で大胆な組織改革を実行し、近代化を推し進め、
国を富まし、軍隊を強化して来た。
これが実現できたのは幕末期に戦争を回避したからではない。
幕府という前時代の組織が崩壊してくれたことで、新しい路線を引けた結果なのだ。
西洋と対等に語れるほどの軍事力を養うまでは恭順姿勢を貫くことは止むを得ない。
但し、限界線は理解しておくべきであろう。相手の要求が一線を超えた場合は
戦争に乗り出す覚悟が必要なのだ。幕府にあったのは常に戦争の回避であって
相手の要求レベルに応じた柔軟なものとは言えない。
いずれ勝利を掴むために辛抱することは仕方なきこと。問題になるのはそこに
土台がちゃんと存在しているかどうか、なのだ。
221 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/21(日) 15:17:17 ID:APUpWwNa0
なんだか、昨日の佐幕厨房の妄言丸出し状態とうって変わって、
今日は明治政府擁護の人が電波的になってきたような。
徳川幕府の開国への取り組みは、夜郎自大な自信と他への抑圧で日本国内に不安を増大させた。
その不安を更に煽り、徳川幕府を転覆させたのが薩長だ。
薩長の明治新政府は条約改正に取り組んだが、当時の欧米列強は欧州の法制度・軍事力を唯一無二と考え、
対等の関係を日本と結ぼうとしなかった。
欧米諸国との対等な関係の樹立は、日本の欧米化でしか達成できなかった。
これを売国と呼んだ昨日の佐幕厨房こそが、売国的存在であろう。
222 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/21(日) 15:26:50 ID:GHf21w2P0
>>217 それからついでに言っておいてやるが…
武士が農民の年貢で生活できる理由を考えてみろ。
お前の主張は無学の象徴だw農地を守るために武士は存在するのだ。
防衛機能を有さないのであれば人の上に立つ資格がないのは当たり前。
なぜ封建社会のトップが武士であったのか、それを考えてみろ。
武を示せるからに過ぎんのだ。その武を軽視したために他の武士から軽蔑されたのだ。
武士には人の上に立つに値するだけの責務が課せられていたのだ。
だからこそ貧しくともエリートの精神を失わなかった。
幕末の志士の根底にあるものは日本のために責務を果たすのだ、という強い意思だ。
幕府になくて、志士にはあったもの、その差の大きさをよくよく認識するがいい。
223 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/21(日) 15:54:06 ID:1UHQbcaZ0
だから幕府がある限り士農工商は存在するんだよ。
幕府があったら未だにカースト制度があった。
これをどう考える?佐幕派のみなさん。
224 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/21(日) 15:54:32 ID:zgRzyFp80
>>213 日米修好通商条約では、内外通貨の交換比率は同種同量交換規定があり、
為替取引における「不平等」はない。
ただし日本国内の金銀交換レートが国際水準と乖離してたため、
開国直後は裁定益を狙う外商により金貨の流出が進んだ。
幕府はすぐさま金銀比価を国際レートに引き上げるんだけど、
今度はそれが原因で通貨インフレが起きる。
これがお前のいう国内経済の混乱だ。
要するに閉鎖的な経済体系を開放した際に不可避的に起きた混乱であって、
条約の内容が「不平等」だから起きたわけではない。
よってお前の長たらしい屁理屈は間違い。
>これは明らかに幕府の失敗であり、罪とも言えるな。
>それを攘夷派は追求しているのであって、単に外交政策批判だけでなく、
>国内政策の失敗も糾弾しているんだよ。
鎖国を解いて開国すれば、当然ある程度の混乱や試行錯誤は不可避だ。
しかし幕府は為替問題などにすばやく対処しこれを収めてる。
幕府の対処になんら誤りはない。
いずれにせよ、開国後に混乱が生じたから、攘夷派が「不平等」に気づいたという屁理屈は妄想だ。
違うというなら、攘夷派の誰が、何時、どのように不平等を批判したか?いいかげんソースを出せよ。
225 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/21(日) 15:58:44 ID:zgRzyFp80
>>216 >関税自主権や治外法権だけが不平等の対象ではないと散々述べてるだろうが。
その通り。 当時の日本は中国が内地通行権や沿岸貿易権を与えたことによって、
欧米資本に蚕食され、 国が滅びたさまを横目で見ていた。
それゆえ幕府はこれらの権利を外国人に与えないという強いスタンスで交渉に臨んだ。
日本が欧米の植民地化から免れたのは、幕府の賢明な政策が防壁として機能したからである。
しかし薩長は倒幕後、欧米に屈従して不平等条約を結びまくり、
幕府が拒んだ沿岸貿易権を欧米に与えてしまう。
幕府と薩長、どっちがヘタレかは明らかだ。
>戦争しても勝てないから相手の言い分を受け入れます。
>そうやって締結されんだよ。不平等条約がね。
樺太千島交換条約のことだな。たった200人のロシア人に恐れおののいて、
戦争しても勝てないからと、北海道に匹敵する面積の国土をロシアに明け渡した。
薩長という売国奴が権力を握った結果だ。
226 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/21(日) 16:07:59 ID:GHf21w2P0
>>225 お前の主張は論理的に破綻しているぞw
幕府が防いでいたという主張が薩長により覆されたのであれば
なぜ薩長主導の政治政府は西洋の植民地にならなかったのだ?
幕府の生き残り役人を活用したからなんていう低レベルな回答はいらない。
まじめに回答してくれ。
答えられなければお前の主張はただの負け惜しみだったというだけだ。
樺太云々については論外なので勝手にお前だけそう思っておいてよし。
227 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/21(日) 16:13:08 ID:zgRzyFp80
>>219 薩長ヲタのバカっぷり満開だな。
>つまり戦をしなくてもしてもいずれは植民地と化すのだ。
>だからこそ一度は相手に牙を向いた方が良いのだ。
そうして無意味な攘夷戦争を行った薩摩は薩英戦争でボロ負け、長州は下関でボロ負け。
その結果、攘夷を放棄し、イギリスからの密貿易による軍事援助などを受け割拠体制に移行。
その後はイギリスが描いたグランドデザインのもとで駒となって動いた。
薩長はイギリスに負け、急所を握られ、植民地になったも同然だった。
>>226 >なぜ薩長主導の政治政府は西洋の植民地にならなかったのだ?
薩長がさんざん足を引っ張ったにもかかわらず、日本が欧米の植民地にならなかったのはなぜか?
第一に、欧米諸国にその気がなかったから。
第二に、幕府が中央集権的な近代国家への移行を幕末期から準備してたから。
以上だ。
228 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/21(日) 16:25:35 ID:APUpWwNa0
>>227 この意見は全て嘘に思える。
ここの薩長派には多少電波な部分もあるが、この佐幕厨房の意見には全く参考になる部分がない。
229 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/21(日) 16:28:59 ID:DERQpDYQ0
俺は
>>219じゃないが、お前言っている事が間違ってるぞw
>薩摩は薩英戦争でボロ負け
薩英戦争の争点は「英国人惨殺が薩摩の罪か、それとも大名行列を横切るという非礼を犯した英国人が悪いのか?」
という点。薩英戦争において、イギリス艦隊は大きな打撃を受け、クーパー提督は公使代行ニールの上陸して薩摩を占領という作戦案を拒絶。
戦いを切り上げて横浜に帰った。しかも薩摩は結局英国人殺害の罪が自分たちにある事を認めずじまい。
英国は戦争目的をなんら達する事無く戦争が終わっている。つまり、薩摩はボロ負けしていない。英国を追い返したのだ。
>第一に、欧米諸国にその気がなかったから。
その気はあったよw。ただ、日本よりは清国の方が市場としては大きく、手を入れておかないと他国に利権を奪われる可能性があった。
清国は欧米列強同士が利権を巡って睨み合っていたからね。その結果として日本への侵略の手が緩かった。
もし清国が欧米諸国にとって安定していれば、彼らは日本を植民地化しただろうね。
>第二に、幕府が中央集権的な近代国家への移行を幕末期から準備してたから
それ・・・小栗の中央集権国家構想じゃないだろうなw。徳川家を世襲制の大統領にするってやつ。
あれは机上の空論であり、幕政の中枢にいる老中譜代大名が実行するとは思えない案だぞw。
あれは準備とは言わない。机上の空論というのだ。
230 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/21(日) 16:30:54 ID:bUNis/Ct0
>>218 >日露戦争後に賠償金を獲得できなくて民衆が暴動を起こしたのはなぜだか分かるか?
いつから日露戦争の賠償金についての議論になったの?いつから?
>幕末期、確かにあの時点で戦争をしても西洋には勝てなかったかもしれない。
その可能性が高かった。しかしそれは一部の識者の考え方であって民衆のものではない。
生活が困窮した民衆は単純に幕府はなぜ戦わないのだ、に尽きるのだ。
その不満を排除し、納得させるためには一度戦うしかないのだ。
当時の中央政府として、植民地化されることは徹底して拒むことが神州日本を
守るために必須のことだった。民衆の考えではないかどうかは、当時の政治体制では
まったく問題なし。生活が困窮した民衆の不満を排除するために一度戦うかないという
論理は、日本というものがどうなろうとも構わないということ。そんなことは
どんな無能な統治体制でもまず選ばない。それをやったのが大東亜戦争。
>おりこうさんでは下のものはついてこない。これが真の歴史学だ。
これは酔っ払いの戯言と何ら変わらない。アンタはバカだから下のものは
ついて来るといいたいのなら、御勝手に。
歴史家は仮説を立てる、その説によって歴史の原因なり結果なりがたいへん
解明しやすくなるという効用がある。ある歴史的事実の原因を理解するために
いろいろな仮説を出す。それを史料で証明する努力をしなければならない。
どうもその説だけでは不十分だということになると、もう一つ別の仮説を出す。
実証が不十分であるなら、次の仮説をさらに出す。こういう風に仮説→実証→
仮説→実証を繰り返しながら、次第に当時の歴史の真実に接近していくというのが
歴史学なんだけどな。アンタの真の歴史学は違うようだけどさ…。
>吉田松陰の魅力だ。物事の本質をつかみきっている。
さっき書いた松陰の「続愚論」、分かり難いと思ったから適宜現代語に直したけど
アンタ松陰全集の原文読めるの?何が当人が書いたものもろくすっぽ読めもしないで
物事の本質をつかみきっている、だよ笑わせるな。
231 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/21(日) 16:32:01 ID:bUNis/Ct0
>>219 >戦に負ければ植民地化されてしまう。その認識は正しい。
しかし、相手に脅威を与えられない状況では、いくら時間を稼いでも
近い将来は同じ道をたどるのだ。つまり戦をしなくてもしてもいずれは
植民地と化すのだ。だからこそ一度は相手に牙を向いた方が良いのだ。
バカ炸裂!幕末、幕府は戦わなくて植民地化されたのかね?
>その後の歴史を見てみろ。アジア諸国はどのような経緯で独立を果たしたのか。
日本の戦う姿勢こそが、独立を獲得できた理由なのである。
あー、また明治以降に話が飛ぶのねwww今時、上記のような帝国主義を肯定する
バカいるのかとシーラカンスを今日、観た。上記の以下の文は、アフガンへ
行ってバカさんが力を示してきたらいいだろうな。
232 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/21(日) 16:40:07 ID:GHf21w2P0
>>227 お前が無意味と思っている攘夷戦争こそが実は薩長を強くした要因なのだ。
そして民意は何もできなかった(と評価された)幕府から離れ、薩長を支持したのだ。
相手が強いからこそ積極的に組織を改革し、近代式の軍隊を導入できた。
幕府は一度も戦闘しなかったために中途半端な改革にとどまり、
結果、長州の強さの前に屈服してしまったのだ。
武器が最新であれば強いなんて理屈はない。組織が最適化されていればこそ
その武器の性能が生かされるのだから。
そして長州に敗北した時、おそらく有能な幕臣は理解しただろう。
幕府は幕を閉じるしかないということを。
だから大政奉還への流れが確立できたのだ。
下部、植民地にならなかった理由については失笑しかない。
233 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/21(日) 16:40:34 ID:DERQpDYQ0
>>231 あ−君・・・・
また間違っているよ
>日本の戦う姿勢こそが、独立を獲得できた理由なのである。
太平洋戦争と日中戦争での日本の戦う姿勢の結果、敗北し日本は占領されてGHQの統治を受けた事で日本は独立国ではなくなっているよ。
植民地にはならなかったけどね。独立は守れなかったんだよ。
234 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/21(日) 16:50:50 ID:GHf21w2P0
>>230 馬鹿の相手はいつの時代も疲れる。
日露戦争は民衆とはそんなものだという例で出しただけだ。
上が考えるほどのことなどとは全く時限のことなるレベルでしかないという例。
そんな馬鹿な連中に対しては示すしかないのだよ。現実を。
今でも民主党が政権をとれば…と考える馬鹿な民衆が多いが
民主党が政権をとっても何もできないとう現実を目の当たりにするだけだ。
しかし、多くの民衆はそれには気付けないものなのだよ。馬鹿だからね。
そして民主党が政権をとって失望して気が付くことであろう。
そんな馬鹿な民衆を扇動するための術こそが政治なのだ。
騙すしかない。天才からすれば。
当時の政争は激しいから単純なスローガンがやはり強かった。
攘夷の深さこそ差があれ、外国を追い払うとなれば多くのものは血が騒ぐのだ。
そのエネルギーをどのように利用するかが当時の政争の鍵であった。
革命(改革の方が適切か)とは多数の危険が伴うが故に制御が難しいのだ。
いかに省力でことを達成できるかが大切であった。
235 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/21(日) 16:57:18 ID:GHf21w2P0
>>231 本当に馬鹿炸裂だなw
植民地になるも何も、幕府はそうなる前に消えただろうが。
今の時代も姿こそ違え、内容は帝国主義そのものだろうに。
後世の人が「あれは歴史的事実だ」と思うものはたいがい実現したもの、
実際に表れた後のものだけで、それを通常歴史だと見る常識なんだけど、
ところが歴史学を学ぶと歴史というものには実現しなかったものの方が多い。
可能性のまま消えていってしまったものの方が圧倒的に多い。
鳥羽・伏見戦争の場合にも、実現はしなかったけど、あの時5つくらいの
道(選択肢)があった。あの当時、自分が生きていたら、いったい幕府につくか、
薩長につくか、迷ってしまう。下手に負ける方についたら一生大損。
勝てば前途洋洋、自分の道が開けるわけだから、その「道」を前にして
みんな一所懸命に考えたことだろう。その道は
1.幕府側の圧倒的勝利。→迷わず幕軍に加わる。
2.幕府側と薩長側が互角の戦いをして共倒れ、両方ヘトヘトに疲れ引き分け
→傍観する。
3.薩長側の勝利。当時これは非常に難しく可能性はあるけどくらいだった。
4.農民戦争が起こり、百姓一揆や打ち壊しが続発し、連携して、侍同士が
内輪喧嘩などやってる余裕がなくなるという事態。
5.イギリス艦隊やフランス艦隊が内戦に干渉し、内戦から外線へ転化する
重大事態になる。そういう可能性も口をあけていた。
歴史に記録されたのはたった1。まさかと思うような3の可能性が実現した。
薩長側の大勝利、幕府側の潰走だ。それから百姓一揆、世直し暴動、打ち壊しが
続発していたのに、あの内戦の瞬間には立ち上がらなかった。それは偶然なのか?
237 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/21(日) 17:38:22 ID:TzSe41+I0
>>229 >薩摩はボロ負けしていない。英国を追い返したのだ。
そういう姑息な言い訳をするから薩摩人は男色イモとバカにされるんだ。
英艦隊の砲撃で薩摩側の砲台は壊滅。街の過半を燃やされ数え切れないほどの家屋が焼失した。
薩摩は7万両の賠償金を支払い、生麦事件の下手人を捕らえ次第死罪にする旨の覚書を交付して、
やっとイギリスに許してもらえた。
そしてイギリスに叩きのめされた薩摩は、イギリスの忠実な下僕に変貌してしまう。
誰がどうみても薩摩のボロ負けだ。
幕府の後ろ盾がなければ鹿児島は植民地になってるところだった。幕府に感謝しろよ。
238 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/21(日) 18:04:51 ID:DERQpDYQ0
>>237 >英艦隊の砲撃で薩摩側の砲台は壊滅。街の過半を燃やされ数え切れないほどの家屋が焼失した
同時に英国艦隊旗艦ユーリアラスに直撃弾を与え、その艦長と副館長は即死。
その他英国軍艦二隻に命中弾を与えて、英国艦隊に甚大な被害を与えている事をお忘れ無く。
軍艦を修理できるドックは日本にはなく、損害を受けた軍艦は上海まで修理の為に帰らなければならない。
確かに町というモノは担いで避難する訳にもいかないから艦砲射撃で燃えたが、事前に避難していたから住民の死傷者は殆ど無い。
戦闘員で見れば、薩摩兵士の戦死者もほとんどいない。逆に英国兵士の方が多かったよw。
>薩摩は7万両の賠償金を支払い
薩摩は払ってないよw。それ払ったの幕府ですからw。
>生麦事件の下手人を捕らえ次第死罪にする旨の覚書を交付して
その条件を飲むだけで、幕府は賠償金を払うというからOKしだだけ。
下手人を捜して捕らえたら死罪にすると約束したわけだが、
下手人は見つかりませんでしたという事で、死罪なった奴いないよw。
さて、騙されたのは英国でしょうか?薩摩でしょうか?ww
239 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/21(日) 18:07:45 ID:APUpWwNa0
薩英戦争は薩摩の勝利だと思います。
1.イギリス艦隊は上陸できずに撤退した
2.薩摩の政権が揺らがなかった
3.停戦交渉で薩摩は謝罪しなかった
(
>>237は佐土原藩の謝罪を無理やり混同させているが、これは間違い)
240 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/21(日) 18:11:58 ID:DERQpDYQ0
私の記憶が正しければ、薩摩藩の公式見解は「英国来るなら来い!何度でも戦ってやる」ですよ。
幕府の方が、「もう止めて」と泣きついてきたはずだ。だから賠償金は幕府が支払っている。
一応薩摩も金を払っているが、あれは「英国から軍艦を購入するその代金」ですよ。
241 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/21(日) 18:35:53 ID:zgRzyFp80
>>238 >薩摩は払ってないよw。それ払ったの幕府ですからw。
幕府に借りて薩摩が支払った。
薩摩は幕府に返さなかったが、結局明治政府が幕府債務を引き継いだことになる。
薩摩の愚かな盲動が日本に巨額の損失をもたらしたことは間違いない。
>下手人を捜して捕らえたら死罪にすると約束したわけだが、
>下手人は見つかりませんでしたという事で、死罪なった奴いないよw。
薩摩がイギリス下僕路線に転向した時点でイギリスは戦闘目的を果たしてる。
すでに下手人の生死はどうでもいい問題だ。
仮に薩摩がその後も攘夷にこだわり英国人殺害を繰り返したら、
約束不履行で再度きついオシオキを受けたことだろう。
薩摩は砲台や集成館を破壊され丸裸の状態。
第二派、第三派の攻撃を受けたらもうどうしようもなかった。
だからイギリスの下僕になる道を選んだともいえる。
242 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/21(日) 18:58:32 ID:DERQpDYQ0
>>241 >幕府に借りて薩摩が支払った。薩摩は幕府に返さなかったが
だから幕府が体面を保つためにそうしてくれと泣きついたんだろw。
だから当然返していない。幕府の体面を保つ為だからね。
実態は幕府が支払ったという事だ。
>結局明治政府が幕府債務を引き継いだことになる
幕府に返済能力が無かっただけの話し。幕府が貧乏だっただけw。
もうほとんど君の「コジツケ」だね。
>すでに下手人の生死はどうでもいい問題だ
これも君が必死にコジツケただけの妄想。
>仮に薩摩がその後も攘夷にこだわり英国人殺害を繰り返したら
薩摩は攘夷派はいたけど、元々最初から開国推進幕政改革派でしょうにw
何いってんだお前はw。
>第二派、第三派の攻撃を受けたらもうどうしようもなかった
だからな、何度も言うが薩摩の公式見解は「もう一回薩英戦争やろうか?」だってw。
確かに英国まで攻め上ってロンドンを攻略する力は無いけどさ、
君、もう論破できるなら詭弁でもコジツケでも何でもいいって態度になってないか?
ミットもないから何も言わない方が良い。
少なくとも最初君が言っていた「ボロ負け」じゃないだろw。
ボロ負けってのは長州みたいに前砲台を潰され、海岸沿いの村と領土を占領され、
負けてばっかりで相手側に損害が全然出なかった状態の事を言う。
薩摩の場合は、損害は出たが死傷兵士は英国の方が多く、英国の要求を退けている。
幕府の体面を保つ為に「玉虫色の決着」にはしたが、それは幕府の願いを聞いただけの話し。
第一だな、大名行列の前を横切るなんて無礼者は切り捨て御免と決めたのは幕府だろ。
その幕府が、日本の法を守らない英国人に文句も言えず、薩摩に対しても何も言えず終い、
だから英国が直接薩摩に来てんだよ。これも不平等条約の治外法権が問題な訳だよな。
え?幕府厨さんよ。そのへんどうなんだよw。
なんで幕府は日本の法を守らない英国に抗議してくれないんですか?答えてくれよw。
243 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/21(日) 19:00:34 ID:aLD94xIX0
>>234 >馬鹿な民衆を扇動するための術こそが政治なのだ。
騙すしかない。天才からすれば。
一番最初に騙されるのは、間違いなくオマエだ。以下にその根拠をお知らせする。
>攘夷の深さこそ差があれ、外国を追い払うとなれば多くのものは血が騒ぐのだ。
そのエネルギーをどのように利用するかが当時の政争の鍵であった。
ID:GHf21w2P0は過去にこのような書き込みがある。
>>215で
>スタートラインが単に外国を排除すればよしとするような攘夷ではない。
と書いているのは、どうなったんだ?さらに、
>>218では
>民衆は愚かだからこそ説得力が必要とされる。
と書いてるけど、それがどうして民衆を扇動して騙すことに論点が変わるんだ?
そして、、
>>219に至っては
>戦をしなくてもしてもいずれは植民地と化すのだ
とまで書いてる。
これを振り返ると、バカの民衆はオマエと論理的に推論できそうだな。
244 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/21(日) 19:08:59 ID:4EEqMBPG0
>>242 >だから幕府が体面を保つためにそうしてくれと泣きついたんだろw。
だから当然返していない。幕府の体面を保つ為だからね。
ほぉ、その根拠はあるのか?オマエの思いつき?それとも根拠となる
一次史料をベースにした書き込み?どっちだ?
>不平等条約の治外法権が問題な訳だよな
え?不平等条約を結んでいるのですか?違うでしょう?
イギリスとの正式な条約名を、レスで書いてください。
オマエしゃらくさい。
245 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/21(日) 19:27:03 ID:APUpWwNa0
>>244 日本とイギリスとの条約は、1854年(嘉永7年)永井尚志らによって調印された、日英和親条約でしょう。
この中で日本は、イギリス国籍者全員への治外法権(日本の裁判権が届かない)を約束しています。
徳川幕府は1859年(安政6年)には五カ国条約(英米露蘭仏)も結び、関税自主権の放棄と領事裁判権を認めています。
246 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/21(日) 20:13:14 ID:GHf21w2P0
>>243 本当に理解力が無いなw馬鹿には何度もより詳しい説明が必要とされる。
先ず前提として、識者レベルであれば
「攘夷」により外国を排除しさえすれば安泰なんて考えていない。
むしろ国を開き、富を増し、強国とすべきとの考えだ。
吉田松陰の考えはこれだ。
一方でアホな朝廷や低レベルな武士などでは単純な「攘夷」に執着し、
外国は武力により排除すべきであると強硬論を主張する。
このずれを解決するには識者レベルが単純な攘夷を唱えるもの達の
暴走をコントロールしてやる必要がある。つまり「騙し」が必要なのだ。
この攘夷論のレベルの差を深さの違いであると述べたまで。
松陰のレベルが上位であれば、下位の意見も圧倒的だったのだ。
ここで上位のものは下位のエネルギーを利用することを考えなければならない。
そのためには単純な攘夷が無謀であることを知らしめる必要がある。
それと同時に諸外国に対して日本は単純に侵略できるような国ではないとうことを
武により示す必要があったのだ。
これが政治的な破約攘夷の真意。
そしてその結果、国が混乱し、やがて外野の志高きものが台頭し、幕府を打ち倒した後に
新しい国家組織を構築する、これが松陰の思想だ。
既存の組織が力を持っている間は大きな改革などは困難。微改革では意味なし。
会社にしてもそうだろう。潰れかけの状態の方が改革は容易なのだ。
なぜなら皆、納得できるから。馬鹿な大衆を含めてな。
幕府をとことん追い詰めて、改革を実現する。そのためには馬鹿な大衆を
見方に引き入れておく必要がある。政治は天才が行うにしても
世に生活する多くのものはやはり大衆なのだから。
247 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/21(日) 20:14:06 ID:zgRzyFp80
>>242 >だから幕府が体面を保つためにそうしてくれと泣きついたんだろw。
いいかげん幕府からの借金を踏み倒したことをもって薩摩の勝利とする論理の異常性に気づけよ。
まるで日本から援助をふんだくったことを自国の勝利と誇る朝鮮人と同じだ。
この薄汚い論理は、薩摩が日本の中の異国であり、薩摩が寄生虫であったことを端的に示してる。
>幕府に返済能力が無かっただけの話し。幕府が貧乏だっただけw。
返済能力は無関係。幕府は事実上の中央政府の役割を負ってた。
そこから借金をして踏み倒すことは日本全体に迷惑をかけたことに他ならない。
>薩摩は攘夷派はいたけど、元々最初から開国推進幕政改革派でしょうにw
開国推進派なら英国人を斬り殺したりはしない。
>もう一回薩英戦争やろうか?
砲台が壊滅した状態でもう一回薩英戦争をやったら、長州同様に領土を占領されてた。
そして英国艦隊はそれを実行する能力を持ってた。これが厳然たる事実だ。
だから薩摩は賠償金を払い下手人処刑を約束しイギリスの軍門に屈したんだよ。
>薩摩の場合は、損害は出たが死傷兵士は英国の方が多く
荒天でイギリス艦隊に圧倒的に不利だったからね。個別の戦闘は時の運で勝者の側に損害がでることもある。
>少なくとも最初君が言っていた「ボロ負け」じゃないだろw。
ボロ負けだよ。自慢の砲台と工場をすべて潰され丸裸の状態に追い込まれ、
イギリスが薩摩占領の強い決意を持って次の攻撃を打ってたら薩摩藩は植民地になってた。
植民地にならなかったのは、イギリスが僻地・薩摩の占領に無関心だったことと幕府の庇護があったから。
>その幕府が、日本の法を守らない英国人に文句も言えず、薩摩に対しても何も言えず終い、
薩摩は幕府に対する嫌がらせのつもりで外国人を斬り殺しただけ。
しかし予想に反してイギリスの攻撃が薩摩に向かい自分がボコボコにされる。
この懲罰で服従心を叩き込まれた薩摩人は、日本の法を守らない外国人に文句も言えなくなってしまった。
その後の神戸事件や堺事件の顛末を見ろ。薩摩は、治安を守るため当然の警備を行った武士を犯罪者扱いし、
外国人の前で切腹させてる。この情けない売国行為が薩英戦争の帰結だ。
248 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/21(日) 20:22:12 ID:9dCNDW9w0
>>246 あのさ、今回で最後にするけどアンタは幕末史についてあまり知らない。
そして、まじめじゃない。散々バカみたいなことを書いているのにその事を
指摘してもまるで意に介さない。挙句の果ては、バカな民衆・アホな朝廷・低レベルな
志士とか、多分世の中で相手にされていない落伍者なのに偉そうな話をしつこく
繰り返す。もういいよ、オマエの戯言は。早くアフガンに行って力を行使してこい。
それが世の中の為だ。
>>193 参考にしたネタ元くらい明かしてやってもいいが、
普通借りたり、読んだりしたもので、どのページに書かれていたのか覚えていたり、
それが何版か全部確認する奴はいねーだろ、
あとお前の態度は、俺に教えを請う態度ではないぞ、
教えてほしいなら、もっとそれにふさわしい態度を取れ。
教えを請うのなら、それが当然だ。
>>199 >たしかに和親条約当時「不平等だから破棄しよう」と言ってた「志士」が存在したとは初耳。
破約攘夷論とはそういうものなのですよ。
>クーデタや革命で旧政権の条約を破棄改正する例は珍しくない。
外国と戦争になりかねんよ、幕府が日本を劣化させ、
戦国期では世界有数の大国であった日本をボロボロにしていたのに、
そんな余力はない。
>基本的に条約は必要に応じて改正されるもの。倒幕クーデタ後の最初の条約承認の際が改正のチャンスだったけど、
違うよ、期限がきて、最初の改定ができるときだ。
日米安保も10年ごとであり、(一応通告により一年後に廃棄できることになっているが)
その間に社会党が政権をとったとしても、改正ないし、廃棄できるのは期限後である十年後。
それが国際的なルール。
>・天皇からの委任状すら持たずに出かけた。
・アメリカとデタラメな交渉を数回行っただけで改正交渉を放棄。
・その後イギリスなどではまともな交渉すら行わなかった。
国内が安定して、そして条約改正を急ぐから、首脳が洋行しただけ。
つまり不平等条約の改正を第一にしていたことがわかる。
そして天皇の委任状が必要というのは、ただ知らなかっただけだろ。
その前の徳川だって、天皇の委任状などとってない。だから問題になった。
そしてでたらめな交渉ではないよ。アメリカとは他国が認めればというところまでいったし、
欧州になると、留守政府が勝手なことしだしたから。
251 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/21(日) 20:51:02 ID:5419blPE0
>>249 >教えてほしいなら、もっとそれにふさわしい態度を取れ。
根拠を出せないくせに何をいってんだ。
別にオマエに教えて欲しくなんか無いよ。
252 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/21(日) 20:53:45 ID:1D71iEly0
>>245 >1854年(嘉永7年)永井尚志らによって調印された、日英和親条約でしょう。
本当にそんな条約あるの?
>>207 破約攘夷論とは今の条約は不平等であり、
押し付けであるから、自らの力で対等な条約を結ぼうというものであり、
それ以上でもそれ以下でもない。
長井とも、別に対立する案ではない。
吉田にしても、開国して貿易をし、
国力を増し、海外の武器を輸入し、軍を近代化するというところまでは、一致している。
違うのは、今の欧米から言われるままの路線を維持するのか、
自らで薦めるのか、この違いだよ。
>>211 >幕府が拒否した沿岸貿易権を与えるなど外国に譲歩しまくり。
沿岸貿易のなにが不平等条約なんだよ。
幕府が拒絶したのは、貿易利権を幕府が独占したかったから、
規制を維持しただけ、開国とかいいつつ、開国を嫌がっていた幕府らしい。
鎖国の時代のように、ずっと貿易利権を独占したかったのさ。
そして樺太は前出のように、幕府が認めた雑居が原因で、このとき事実上、両方とも割譲されたに等しい。
そしてオーストリアなどは、同じ幕府が結んだものと条約だよ。
幕府が結ばなければよかったのにねえ。
>だからさ、いつ、誰が、条約の不平等性について言及したか?その根拠を出せよ。
例えば通貨の交換比率でも、条約を結ぶ前からみなぶーぶー言ってるよ、
そしてこれは交渉に当たっていた、幕府の官僚ですらね。
だけど小栗など幕府の上役は、経済がさっぱりわかっておらず、
アメリカの恫喝に屈して、不平等条約を結び、
三倍もの不利な兌換比率をのんだ。
抜け荷していた西南雄藩は大打撃をうけ、
長崎の税関というか、出島も大赤字になってしまった。
民間の銀座もね。
254 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/21(日) 21:08:05 ID:APUpWwNa0
>>252 ペリーの日米和親条約締結を知ったイギリス政府は、
即刻イギリス東洋艦隊の提督を艦隊ごと日本に派遣し、
アメリカが結んだのと同様の条約を最恵国待遇付きで結ぶよう、長崎奉行に砲艦外交で強要したのです。
日本で全権を担ったのは、江戸から派遣された目付の永井尚志で、
彼は結局、日米和親条約と同じ内容の条約に調印してしまいます。
この出来事と前後して、徳川幕府はフランス・ロシア・オランダとも全く同様の不平等条約を結んでしまいます。
その結果が五カ国条約となったわけです。
破約攘夷論が平等な条約を結ぼうとした物だなんて横井小楠が聞いたらびっくりするだろうなw
むしろそれは松平春嶽がいってた破約開国論じゃあるまいか。
>>251 やっぱりね。適当に問い詰めれば勝った気になれる、厨房か。
よくいるんだよネエ。
まあ知識も足りないから、佐幕派なんてやってるんだろうけど。
>>224 んで、んなことは日本中の金扱っていた人はみな知っていたわけ。
日本の金銀レートの差と欧米とは違うということをね。
ていうかオランダと貿易していたときのレート知ってていっているのか君は。
日本の価格とほぼ同じ価格で、オランダとは貿易をしていた。
だから儲かっていたわけだ。
で、君が今言っているような屁理屈にあっさり騙された小栗が、
不平等な条約を結んでしまったわけよ。
日本と欧米との価格差も知らずにね。
ちなみに間違っているから、幕府の官僚の中にも反対した人はいるんだけど、
小栗などの低能はその意見を採用せずに、不平等条約を結んでしまったわけ。
これは知らなかったわけじゃないんだよ。
258 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/21(日) 21:26:42 ID:sfdqWw6Y0
>>254 その条約の正式名称と締結年月日を教えてくれ。
日英和親条約を私は知らない。当時の幕府と英国の条約で
知っているのは、安政元年の日英協約と安政五年日英修好通商条約しかない。
後者の条約は、江戸で行われ、全権委員は水野忠徳・永井尚志・岩瀬忠震。
259 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/21(日) 21:29:03 ID:sfdqWw6Y0
>>256 根拠を書けないオマエが、知識が無い妄想バカなんだけどな。
早く書いてみろ。妄想野郎
>>231 幕府は鉄道の敷設権を欧米に認めていたからね。
鉄道を作る為に、借金したというのなら、(返せる範囲なら)
別にいい。その鉄道は日本のものだからな。
だが敷設の権利の場合、その鉄道を作るのは欧米であり、
そしてその鉄道の収入と、鉄道そのものの権利を欧米が握ることになる。
その場合どうなるか。
その鉄道は欧米のものなので、その鉄道を守る為に、
兵を駐留させろ、そこにすむ鉄道職員や商人を守る為に、租界を要求し、
そうやって事実上植民地にしていくわけ。
これインドや中国で欧米がやった手法ね。
261 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/21(日) 21:31:50 ID:sfdqWw6Y0
>>257 >んなことは日本中の金扱っていた人はみな知っていたわけ。
その根拠を出せ。幕末時日本中の金を扱っていた商人のリストは
まだ見たことが無い。まずこの一行目の根拠となる史料を出せなければ
以下は全部オマエの作文。
横だが、
それ日英和親=日英協約じゃね?
ていうか、一般的には日英協約っていったら、
日英同盟のことのような気がするんだが?
263 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/21(日) 21:33:41 ID:APUpWwNa0
>>258 日英協約は日英和親条約の別名ですよ。
普通史書などでは但し書きとして説明に書かれているものですが、あなたは知らないのですか?
徳川幕府はどうしようもない無能でした。アメリカだけでなく欧州主要国と
全く同じ不平等条約を結んでしまったのですから。
264 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/21(日) 21:34:14 ID:sfdqWw6Y0
>>256 >やっぱりね。適当に問い詰め
られても平気で妄想を書きに来る厨房以下の妄想野郎がいるんだねぇー
265 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/21(日) 21:36:20 ID:sfdqWw6Y0
>>263 >日英協約は日英和親条約の別名ですよ。
普通史書などでは但し書きとして説明に書かれているものですが、あなたは知らないのですか?
学校では、日英協約と習ったし史料(外交文書も)名もそうなってるけどね。
266 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/21(日) 21:36:50 ID:APUpWwNa0
ID:sfdqWw6Y0には、自らの無知を他人のせいにする傾向があるように思います。
あなたの意見は間違いだらけで、何一つ得るところがありません。
もう帰られてはいかがでしょうか。
>>261 まず、頭を下げて頼め。口の利き方もなってない。
それが教えを請う人間の最低限の礼儀だ、
知らない知識をただで教えてもらうのだ、
そのくらいして当たり前。
義務教育の学生じゃあるまいし、知識をただで教えてもらえるとは思ってないよな?
>>265 お前が史書なんて読んでるようにはみえんよ。
デマ飛ばすなw
Anglo-Japanese Friendship Treaty
だから友好条約とかそんなもんだよ。
日英協約よりは、和親条約と訳したほうが正しいと思うがな。
269 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/21(日) 21:44:35 ID:qN/XXS5f0
>>267 根拠を出せない理由を別の話をもってきて難癖つけてるだけじゃないの。
四の五の言わず、出したらどう?だせないんでしょうwww
270 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/21(日) 21:47:02 ID:qN/XXS5f0
>>268 >お前が史書なんて読んでるようにはみえんよ。
どうやってネット上で見るんだろうか?
それから偉そうなことばかりいって、1つも根拠を出せないオマエこそが
デマを飛ばす輩だよ。悔しかったら根拠を出してみな
271 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/21(日) 21:48:34 ID:APUpWwNa0
>>269 都合が悪くなるとidを変えていては、いつまで経っても反省の色が見えないと見なしますよ。
これまでのあなたの意見は全て間違っていました。そのことについてあなたは謝罪をすべきです。
272 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/21(日) 21:50:44 ID:qN/XXS5f0
ID:APUpWwNa0
DQN?
>>241 英国は上陸部隊を薩英戦争のときはもってきていないから、
上陸して叩くのは無理だよ。
つか下関で四カ国連合軍になり、
17隻というアヘン戦争時と同等の戦力のときでも、
海兵隊は1500人がやっとで、(アヘン戦争のときは海兵隊はその倍はいたが)
それでも長州相手に、長州以上の死傷者をだした。
艦船にも多数の砲撃を受けている。
薩英戦争では砲撃戦だけだが、(英国の艦隊、七隻だけ)
それでも英国の死傷者は薩摩を上回った。
上陸したら、英国が勝てるってのは安易すぎるよ。
どちらにしても、賠償金を払ったり、領土割譲するくらいなら、
徹底抗戦してやるよ、という姿勢で、
英国の走狗になったという史実は存在しないな。
274 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/21(日) 22:11:33 ID:APUpWwNa0
反論も出せず、嘘を並べ、都合が悪くなればidを変え全く前と同じ話を始める。
このような人間が佐幕派を名のることに、私はとてつもない恥を感じます。
275 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/21(日) 22:13:36 ID:TzSe41+I0
>>253 >破約攘夷論とは今の条約は不平等であり、押し付けであるから、自らの力で対等な条約を結ぼうというもの
それはオマエの妄想。
破攘夷とは、文字通り、無勅許の条約を破約し即時攘夷を行うべき、とするもの。
違うと言うなら「今の条約は不平等」だと、誰が、何時言ったかを出せよ。
なお、尊攘派の思想的指導者といえば真木和泉だけど、
こいつは封建制を万世不易の良制であるとし、封建制を守るため、
朝廷の下で幕府・領主が王事を勤め攘夷戦を戦うべきと主張してた。
破約攘夷論とはこうした思想のことを言う。
また、積極的に開港し国力をつけるべきとするのは基本的に幕府の見解。
長州でこのような開明的な思想を持ってたのは長井雅楽ぐらいだが、
松下村塾の基地外によって死に追いやられてしまう。
>沿岸貿易のなにが不平等条約なんだよ。
中国は天津条約で内地通行権をイギリスに与えた結果、
国内に外国資本が浸透し、自国産業が壊滅してしまう。
さらにそれに伴い行政機構も乗っ取られ関税管理権までもイギリスに奪われてる。
幕府はこの惨状を分析し、外国人を居留地に閉じ込めることを重視してた。
結果として、この幕府の政策が揺籃期の日本の産業や行政機構を守ったと言える。
もしも倒幕が数十年早く起き、薩長が沿岸貿易圏や内地通行権を外国に売り渡してたら、
日本は中国同様の植民地になってた。
>例えば通貨の交換比率でも、条約を結ぶ前からみなぶーぶー言ってるよ、
条約を結ぶ前から?一体誰が「ぶーぶー」言った?ちゃんと答えられるだろうな。
通貨交換については同種同量交換規定があって形式的には平等なんだよ。
ただ日本国内の金銀比価が国際水準と齟齬があったため裁定益が発生し金貨の流出が生じた。
閉鎖的な鎖国体制を開放する以上、この程度の混乱は許容範囲内。
幕府はすぐさま交渉で交換レートを是正し一件落着してる。
276 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/21(日) 22:21:20 ID:TzSe41+I0
>>273 >英国は上陸部隊を薩英戦争のときはもってきていないから、
>上陸して叩くのは無理だよ
だから現地の薩摩土人を手下として使う方を選んだということだろ。
現地人を使っての間接支配についてはイギリスは手馴れてる。
その国の不満分子を軍事援助して内戦を始めさせグダグダにするほど、
イギリスにとっての儲けのチャンスが大きくなるわけで、
日本に対してのイギリスの要望はサトウが「英国策論」で具体的に敷衍してる。
277 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/21(日) 22:21:51 ID:GHf21w2P0
>>275 幕府が滅亡して悔しいという気持ちは分かるが、全てへ理屈だな。
幕府が薩長になぜ負けたのか、まじめに答えてくれ。
それだけ優秀な幕府がなぜ下等とお前が考えている薩長に負けたのだ。
それが説明できなければやはりただの妄想と言われても仕方なし。
不平等条約を締結させられたのも幕府に頼りとなる武力が存在しなかったからだ。
なぜ幕府は弱かったのか。それが最大の疑問であり、優劣の答えそのものだと思う。
278 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/21(日) 22:22:26 ID:2ewatEzo0
>>275 >253IDID:oaB43wJm0は、根拠は絶対に出さないよ。
反論は、
>>267で
>まず、頭を下げて頼め。口の利き方もなってない。
それが教えを請う人間の最低限の礼儀だ、
知らない知識をただで教えてもらうのだ、
そのくらいして当たり前。
義務教育の学生じゃあるまいし、知識をただで教えてもらえるとは思ってないよな?
なんていうおよそ歴史のことを語るものとは思えないピント外れな妄想野郎だからね。
無駄だと思う。またはぐらかし根拠無きことを返してくるよ。
279 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/21(日) 22:30:01 ID:APUpWwNa0
>>275 内地交通権なんて、薩長は求めていたでしょうか?
これがなければ日本列島ですら、外国は日本国政府の了解なしの交易など不可能ですが、
それを求めていた根拠を示してください。
それがないのなら、
>>275は空理空論です。
280 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/21(日) 22:37:06 ID:APUpWwNa0
>>276 どこにも根拠が示されていないのですが、
あなたの意見の根拠はどこですか?
281 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/21(日) 22:58:14 ID:D86GHgy10
ID:APUpWwNa0こいつ
>>263で
>日英協約は日英和親条約の別名ですよ。
普通史書などでは但し書きとして説明に書かれているものですが、あなたは知らないのですか?
と自信満々で書いて、日英協約が学問上の言葉だと書かれて面白くないようだ。
282 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/21(日) 23:05:44 ID:DERQpDYQ0
>>247 >いいかげん幕府からの借金を踏み倒したことをもって薩摩の勝利とする論理の異常性に気づけよ
事実なんだから仕方がないだろw。第一俺は一言も「勝利した」なんて言ってない。
お前が「ボロ負け」というから「ボロ負けではない」と言ったの?わかってんのかw。
>返済能力は無関係。幕府は事実上の中央政府の役割を負ってた
あのなぁ・・幕府が勝手に払ってるんだよw。薩英戦争の前に幕府は払ったの。
その後で薩摩からも金取ろうとした英国が薩摩の反発にあってるの。
そのへん解ってるか?。その金まで薩摩の借金にするなよw。
賠償金は幕府と薩摩の両方に要求され、幕府はびびって支払い薩摩は拒絶した。
幕府が払った金額は薩摩に要求された金額の四倍から五倍だったね。
借金が日本を苦しめたというなら、幕府の金額の方が薩摩より大きいんだから、
薩摩よりは幕府の方が日本を苦しめたって事になるよねw。
>薩摩は賠償金を払い下手人処刑を約束しイギリスの軍門に屈したんだよ
屈してませんなw。お前のその妄想癖なんとかならないか?。
>ボロ負けだよ。自慢の砲台と工場をすべて潰され丸裸の状態に追い込まれ
薩摩の砲台すべて潰れてませんよ。潰れたのは錦江湾内の三〜四砲台だけ。
薩摩領内に沿岸砲台が30以上ありましたが・・・何か?。
>薩摩は幕府に対する嫌がらせのつもりで外国人を斬り殺しただけ
馬鹿か。何度も同じ事言わすな。
薩摩の大名行列を横切った英国人を日本の法に従って無礼打ちにした。
これが「生麦事件」。島津久光は幕政改革の為に江戸に向かったその帰りに起こった事件。
その少し前、久光は攘夷を行おうとした薩摩藩士を寺田屋で上意討ちにし、攘夷派ではない事を天下に知らしめた。
薩摩のどこに攘夷の意志があった?幕府に嫌がらせって・・・ホントお前馬鹿だろ。
幕府の為に幕政改革をやってんだろ。その後、会津と一緒に8.18政変で攘夷派の長州を京都から追い出したんだぞ。
どこが幕府への嫌がらせなんだよ。ったく。これだから低レベルな馬鹿相手するのイヤなんだよ。
>>275 >破攘夷とは、文字通り、無勅許の条約を破約し即時攘夷を行うべき、とするもの。
吉田松陰の言葉とか少しは調べなさい。
ていうか誰か親切な人が引用しているでしょうに。
高杉にしても、攘夷は排外主義ではなくて、アメリカの独立にたとえているように、
対等な関係への修正だとわかる、開国と攘夷は矛盾しない。
>なお、尊攘派の思想的指導者といえば真木和泉だけど、
彼は一派にすぎませんよ。
吉田の思想とも必ずしも一致しません。
>条約を結ぶ前から?一体誰が「ぶーぶー」言った?ちゃんと答えられるだろうな。
幕府内だと水野だね。
ていうか金持っている商人はもう金の囲い込みやっていたし、
欧米との交換も拒絶してる。(まあ幕府が圧力に屈して、交換しろと命令して流出してしまったわけだが)
>ただ日本国内の金銀比価が国際水準と齟齬があったため裁定益が発生し金貨の流出が生じた。
日本の銀貨は半分信用通貨なのだから、差異があっただけ。
一万円札には、紙しか使われておらず、そんな価値はない、
といっているだけだ、馬鹿じゃねーの?
>閉鎖的な鎖国体制を開放する以上、この程度の混乱は許容範囲内。
ほほう、猛烈なインフレーションと、資源価格の高騰、
数十万両とも言われる金が流出した売国行為を許容範囲内と?
>国内に外国資本が浸透し、自国産業が壊滅してしまう。
幕府が貿易をみとめ、港から大量に流入している時点で、それはかわらんよ。
アメリカで日本車を輸入する窓口を絞ったところで、
アメリカで流通している日本車の数はさしてかわらん。
それに明治政府は欧米人の企業などほとんど認めず、
自国産業はがちがちに守っているだろ。
外国資本が日本国内に投資されないというデメリットはあるがな。
>>276 援助してねーじゃん。
フランスなんてどれだけ幕府に援助したと思っている。
長州なんてびた一文かりてねーのに。
>>281 正式名称で書けといったのはお前だろ。
だから日英和親条約が正しい正式名称だ。
日英協約は俗称。
それすら知らずに、粘着して、
学問上の正式名称とか言っているのが笑える。
つかお前実際学問とかそういうのと全く関係ない、素人だろ、
いや趣味の歴史好きですらない。
書き込みみたら、知識の浅さがすげーよくわかるもん。
285 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/21(日) 23:34:49 ID:l/uvN2Cx0
松陰の言葉
「吾が国は国常立尊より始まり、代々の神々を経ていざなぎのみこと・いざなみのみことに至り、
日本の国土や人民、山川草木を生み、天照大神を生み、 その直系の子孫たる歴代の天皇が日本を不変的に統治している。
すなわちこの天皇が統治するあり方こそ日本の国体であり、皇国たる所以である。
これは支那にも、他のどこの国にも見られない、日本独自のものである。 支那には人民があって後に天子があるが、
日本には皇統連綿とつながる天子がおり、 しかる後に人民があるのだから、国体は自ずから異なっている」(講孟余話)
松陰は暗愚そのもの
286 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/21(日) 23:45:26 ID:l/uvN2Cx0
>>283 で、松陰がいつどこで条約の不平等性を批判したの?
君がソースも出さず妄想垂れ流してるから議論がループしてるんだよ。
287 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/21(日) 23:50:54 ID:TzSe41+I0
>>283 >彼は一派にすぎませんよ。
>吉田の思想とも必ずしも一致しません。
すると君のいう「破約攘夷論」はいつだれがどこで唱えたんだよ?
破約攘夷は孝明天皇の言葉でいうまでもなく
獣のような夷敵どもの約束など守る必要が無く破って打ち払えって意味だ罠
まるで今の朝鮮人のよう。
長州人が公家を買収して吹き込んだ思想だからな。
外国人を獣と信じ込まされた孝明天皇が気の毒だ。
291 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/22(月) 00:13:02 ID:srrdIfrC0
結局、革命というのは凶器であるから凡人には理解しがたいもの。
平時の考え方など全く通用しないのだ。
それを平時の考え方で揚げ足取りだけに夢中になるから低レベル化してしまう。
幕府オタは自己都合のために部分部分のみを見て勝手に解釈をする、
もしくは嘘をでっち上げる、そのどちらかしかない。
実体は幕府が引きずっていた身分制こそが幕府弱体化の根源だったのだ。
そしてその身分制を打破したのが吉田松陰ら思想家であり、
それに続いたのが身分を気にしなかった桂らであり、
故に才能を発揮できた伊藤の手により完成に導かれたのだ。
身分という重石に押しつぶされた、故に実力あるものが実力を発揮できなかった。
だから幕府は負けたのだ。だから弱かったのだ。
近代化への道筋の一つがこれで明確になっただろう。
家柄だなんだで大将を選出するから30倍の兵力にして、長州に大敗したのだ。
「身分」ではなく「能力」で語る時代が来たことに気が付くべきであった。
>>290 それがだな、攘夷そのものの宣言は孝明天皇即位の時の詔勅でなされているんだ。
(1846年のことだから破約はもちろん含まれない)
293 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/22(月) 00:21:09 ID:srrdIfrC0
もともと幕府オタの考えの根底にあるもの
それは自身が東日本出身者で例え過去のことであっても負けたことが悔しい、
ただそれだけなのだ。本質はね。
そのレベルで物事を見るからいつまでも真実に近づくことができんのだ。
明治維新を批判的に捉えている本こそ多数あるが、どれも基本はそれだ。
東日本出身で負けて悔しいだけ。負けたのはそいつらではないのにねw
「負けて悔しいので否定します」なんて馬鹿の証明だ。まあ人間らしいが。
仕方ないじゃないか。150年前に負けてしまったのだから。
歴史を改竄したい、という愚かな気持ちにより物事の本質を見失うことが怖い。
偽造された歴史など、そこから見えてくるのは小汚い自己都合に過ぎないのだから。
>>293 関ヶ原で負け300年近く僻地で差別され続けてきたことが悔しい。
長州人の幕末の盲動の根底には幕府に対する異常な恨みがある。
これは薩摩や土佐の長宗我部残党にも言えることだけど、
長州人に比べればまだ自制が効いてて理性的だ。
そんな長州に目をつけ「能力」を与えたのは英米の武器商人。
フランスと組んだ幕府を牽制し、南北戦争後に余った武器をさばくため、
長州人が抱く徳川や日本への恨みが悪用された。
そして近代兵器を大量に密輸し藩内総武装した長州が内戦に火をつける。
幕末期の幕府は対外的な危機を前に常に国家の将来を見据えて行動していた。
日本を開国に導き近代化への道筋をつけた幕府の営為に間違いはない。
薩摩や長州が愚かな攘夷戦争に挫折したときですら、彼らに救いの手を差し伸べた。
しかし幕府は土壇場で長州人の粘着質な恨みに足をすくわれることになる。
295 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/22(月) 16:28:08 ID:7SMwXfQP0
幕府オタは士農工商が続いていても平気だったのか?
俺は嫌だね、あんな陰鬱な制度。
296 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/22(月) 16:48:27 ID:ZsZt4tEI0
>>263 >日英協約は日英和親条約の別名ですよ。
普通史書などでは但し書きとして説明に書かれているものですが、あなたは知らないのですか?
>>284 >正式名称で書けといったのはお前だろ。
だから日英和親条約が正しい正式名称だ。
日英協約は俗称。
それすら知らずに、粘着して、
学問上の正式名称とか言っているのが笑える。
つかお前実際学問とかそういうのと全く関係ない、素人だろ、
いや趣味の歴史好きですらない。
書き込みみたら、知識の浅さがすげーよくわかるもん。
この御両名が上記のように書いているので、昼休みに図書館へ行って調べてきた。
「日英約定」が辞書にのっていた。ちなみに、日英和親条約はなかったですよ。
「日英約定」表記の歴史辞典は以下の通り(順不同)
・日本歴史大辞典7巻 p188 河出書房新社 1985
・日本史広辞典 p1658-1659 山川出版 1987
(但し、日英和親条約の項目はあるが→日英約定になっている)
・国史大辞典11巻 p4-5 吉川弘文館 1993
・山川日本史小辞典 山川出版 2001
(但し、日英和親条約の項目はあるが→日英約定になっている)
・日本近現代史辞典 東洋経済新報社 1978
・岩波 日本史辞典 記載なし 岩波書店 1999
・最新版日本史辞典 角川書店 1997 記載なし
・日本史大辞典 記載なし 平凡社 1993
つまり、日英和親条約は正式な名称ではないということです。
多分、上記の御両名が得意になって書いているネタ本ではないかというものは
・日本史B用語集 山川出版 2008
に、日英和親条約の項目であり、
>>263が書いてあるように、最後に但し書きとして
日英協約と太ゴシックで表記がありました。アンタら高校生の学参をベースに
してるんですね。私は、学生の頃開国の参考書として石井孝の「日本開国史」を
まず最初に読まされてこの文献は、日英協約とあるのでそのまま覚えたんです。
最近の研究者のものでも、三谷先生も日英協約と使用してます。日英約定は
井上先生の講談社から出ている通史で使われています。つまり研究者は日英和親条約を
使いません。その理由はまた改めて書きますが(ノートPCの電源がもうないの)、
何かレスしてくるなら根拠を示してお願いしますね。
297 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/22(月) 17:26:29 ID:+lmRRl3j0
岩波新書の井上勝生「幕末・維新」はひどかった
バカの一つ覚えみたいに「成熟した幕府の政治機構〜」を繰り返し、
あとはネチネチネチネチ、孝明天皇暗殺説まで持ち出し薩長と朝廷のネガティブキャンペーンに終始
んじゃあ、そんなに素晴らしかった幕府がなぜ滅びたんですか?
そもそも幕府はほんとにそんなにすばらしかったんですか?
>>297 そう思ってないなら、それでよし。
そうは思ってないなら、まず自分の考えを書いてみたら。
他人を中傷しても何も始まらないからさ
299 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/22(月) 20:05:48 ID:SxKifSfs0
300 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/22(月) 20:14:52 ID:SxKifSfs0
ID:TzSe41+I0は、条約の訳文だけを問題にすりかえ、
実際の幕末時の徳川幕府の条約に関する不正と虚偽をすべてなかったことにしようとしています。
このような人間を八股文を操る小人といいます。
石井孝か、懐かしいな、。
佐幕派のバイブルってやっぱこれなのかな?
いやまあAnglo-Japanese Friendship Treatyが正式英名称なのでw
日本名は日英約定なのかな?
303 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/22(月) 21:15:58 ID:9GGKvu7F0
徳川幕府は黒船来航でやっと動き出したって感じだな。
304 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/22(月) 21:44:20 ID:LJN5exxQ0
昨夜のID:APUpWwNa0
本日はID:SxKifSfs0
でご来店。
>>301 >佐幕派のバイブルってやっぱこれなのかな?
間違いなく読んだことが無い証拠。「日本開国史」で石井はこっぴどく
幕府の条約対応をこき下ろしてるのをご存知ないようですねwww
305 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/22(月) 21:47:14 ID:LJN5exxQ0
今夜ID:gDYOQTTi0
昨夜ID:oaB43wJm0
で、昨夜は
>だから日英和親条約が正しい正式名称だ。
日英協約は俗称。
で、今夜は
>>302 >いやまあAnglo-Japanese Friendship Treatyが正式英名称なのでw
日本名は日英約定なのかな?
306 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/22(月) 21:51:38 ID:LJN5exxQ0
ID:SxKifSfs0さんへ
日米修好通商条約への批判は、将軍継嗣や朝廷の権威の問題と複合することに
よって、初めて世論の多数を制した。この事実は、修好通商条約への批判の
仕方が、幕末と明治とでは違うことを振り返らなくてはならない。
明治に入るや否や、徳川幕府が西洋諸国と結んだ条約郡は、日本を西洋に対して
劣位に置いた「不平等」条約であるとして、厳しい批判にさらされた。
幕末において批判はすべて、外国に対して卑屈かつ従属的な態度をとったという
イメージ、そして天皇の意思を踏みにじったことに向けられていた。
実際、攘夷運動家たちの何人が修好通商条約の文面を手に入れ、その内容を
仔細に検討したのであることか…。彼らの中には、「鎖国」への引き戻しを
正論と信ずる者もいたが、松陰門下の年長者たちのように、長期戦略としては
海外進出を含む開国の不可避を認識しつつ、幕府の怯懦や弾圧政治が日本の根本的
改革を妨げていると見て、それへの抗議に主眼を置く者も少なくなかった。
しかし、いずれの場合も、幕府の決定が自主的で合理的な判断であった可能性を
頭から無視する点では同一だった。このスレでバカの何とかのような、外国の
威圧に屈し、外国の利益を優先した売国外交と決めつけていた。幕府を否定する者の
観点に立つと、修好通商条約は、天皇の権威を傷つけ、日本の誇りと運命を危険にさらす、
「不正」の条約であり、この批判が「不平等」に変わったのは条約が勅許され、かつては
攘夷を主張した人々が開国論に変わった後だった。例えば、岩倉具視は、1866年(慶應二年)
「航海策」を著して開国論に転じた後、1868年(明治二年)二月の意見書で初めて
修好通商条約の不平等性を批判している。(ソースは、「岩倉具視関係文書一」東京大学出版会)
明治新政府の課題のもっとも重要な柱として、「条約改正」を掲げることとなったのは
この頃からだ。それは、修好通商条約を、徳川幕府の正統性を否定し王政復古政府の
正統性を証明するもっとも有効なシンボルに変えた。これが史実に基づいた歴史だ。
ご感想を、どうぞwww
308 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/22(月) 22:47:44 ID:oh/FiEDW0
>>307 >ただ日英協約はどうみても正しい用語じゃねーぞ。
日米・日露の条約の間に結ばれたイギリスとの条約との解釈のようだけど
そもそも「和親」条約という表現は、当時から使われていたものでないことは
ご存知か?実例を挙げれば、日米和親条約の英文版はたんに”Trealy"。
漢文版は「約条」となっている。また、条約文中にもまったく見当たらない。
使い慣れたこの「和親条約」という言い方は、明治時代末期に歴史用語として
使われはじめたものだ。で、イギリスとの条約だけど、正確にいえば条約(Trealy)
ではなく、協約(Convention)であり、そこから研究者は日英協約と呼ぶわけだ。
(日本史辞典は、約定)それは、この日英協約は、アメリカやロシアと違い、開国
通商を求めてイギリス使節が来航し、締結されたものではない史実による。
クリミヤ戦争に関連して、戦時におけるイギリス軍艦の長崎入港に関する取り決めを
主たるその内容としたもので、日米・日露条約とは性格を異にする協約だったから、
正しい用語なんだと思う。
さらに詳しく知りたければ、加藤祐三「黒船前後の世界」岩波書店 1985を読んでみてくれ。
309 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/22(月) 23:01:43 ID:x9yrvJlT0
>>301 とすると薩長マンセーのバイブルは芝原拓自かな
310 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/22(月) 23:09:40 ID:NLbdqxGi0
ID:SxKifSfs0さんへ
元気なレスが本日はきませんねぇー。さて、
問題は、1858年に結ばれた修好通商条約は本当に不平等だったかがある。
中学の教育で使われる歴史教科書には、その不平等性の中身として、1領事裁判権、2関税自主権の
欠如、3一方的な最恵国待遇の付与が書かれている。3は、日本だけが義務を負うと規定されたから
確かに不平等であることは間違いない。現在のWTO体制は、最恵国待遇を互いに付与することを
骨格としていてそれが世界貿易を支えている。それはできるだけ自由貿易を推進しようとする体制で
あり、制度上は平等だ。幕末の日本は、相手に最恵国待遇を義務づけていなかったから、制度面では
確かに不平等な立場におかれていた。2は、相手国側は日本との輸出入に関する関税率を自由に
定めえたから、これも制度上は不平等だ。但し、実質的な利害関係をみると、必ずしもそうとは
言えない。この条約は、特殊な商品を除き、一般的な輸入税率を20%と定めた。協定関税の制度は
国内産業を世界市場から保護しようとする場合、障害となりかねないが、税率自体は高かったからだ。
しかも、明治日本の経験では、生糸や綿糸の例で明らかなように、低関税のもと、保護なしに育った
産業が、外貨の稼ぎ手になり、日本の工業化を支えることになった。産業保護政策が必ずしも有効で
ないことは、第二次世界大戦後の社会主義圏や開発途上国に流行した保護関税下の重化学工業化が
失敗したことでも明らかだろう。明治日本で苦しんだのは国民経済ではなく、十分な関税収入が
得られなかった政府だった。その収入の低さは幕末の攘夷戦争のために改税約書で税率が5%に引き
下げられたことに由来する。つまり修好通商条約の締結当初からではなかった。1の領事裁判権に
ついては厄介なので、改めてということで
「攘夷」は分かるが「尊皇」が分からん、
天皇がなんかしてくれるわけでもないのに、
312 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/22(月) 23:54:10 ID:JFrpz9fP0
>>311 >「攘夷」は分かるが「尊皇」が分からん、
天皇がなんかしてくれるわけでもないのに
それがしてくれるんだよなぁー。
西欧列強が自分(武士)たちよりも強そうだということは、早くから気づいていた。
だからこそ力を結集していかなければならないのに、幕府のやることを
みていると、結局は徳川家のことしか考えていないのではないか、貿易にしても
それ自体は構わないが、今の体制のまま行うのは危険だという方向へ向かった。
しかし武士たちにはディレンマがあった。それは幕府を批判するときに、朝廷という
バイパスを通って迫る以外に手がなかった。天皇のこの朝廷バイパスが主張の正統性を
与え、その周辺を巻きこんで幕府に向けた圧力が加速されていったわけだ、…とここまで
書いて攘夷のことを書いてたな、尊皇のことは書いてなかったゴメン。
313 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/22(月) 23:56:53 ID:x9yrvJlT0
外国人の通行権を制限し特殊な居留地に閉じ込めたことと、
領事裁判権や治外法権といった「不平等性」は表裏の関係。
そもそも日本は近代国家としての法体系もそなえていないんだから、
最初から領事裁判権を持とうとしても意味はない。
幕府がまず初めに外国人を居留地に閉じ込めたことは極めて正しい選択だった。
そしてその後日本が不平等条約を改正することができたのも、
居留地制度が有力な交渉材料として役立ったから。
結局、明治政府の条約改正交渉は、幕府が準備したレールがあったから可能だった。
314 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/23(火) 00:20:46 ID:uNuBUk3E0
>>306 物事を分かっていないね。
問題なのは理屈ではないのだ。
つまり馬鹿の一つ覚えこそが歴史を変える原動力となるのだ。
お前のようにごたくを並べても暗殺されるのが関の山。これが実際の世の中。
まともな意見を述べる奴ほど暗殺の対象となる。その理由は単純だろ。
知力の差に起因するのだ。世の中、実体は馬鹿の方が多数派だ。
だから馬鹿の意見を取り込む側にたった人間が馬鹿なように見えるが
世の中以外や、その馬鹿を利用したものが天下を取ったりもする。
なぜなら馬鹿を利用するだけの政治力を持っていたのだから。
論理の正しい、正しくないレベルは革命の段階ではすでに超越している
べきなのだ。もはや正しくなくともやるしかないのだ。
それぐらいの勢いがなければ世論をコントロールなどできん。絶対にな。
史実として多くの指導的立場の志士達が散ったのはそいう現実からなのだ。
吉田松陰あたりはもはやそれで散っても悔いはないとの覚悟だっただろう。
世の中、理屈の正しさで動くと思っているうちはまだ青い。
315 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/23(火) 00:37:10 ID:uNuBUk3E0
二面性を持たなければならない。
これは非常に難しいことである。表は単純な攘夷を扇動していても
裏では冷静に将来の国家像を描けるような繊細さを有する。
まあそんな人間はほとんどいなかっただろう。
正しい、正しくない、は歴史の中では通用しない。
それが他の学問と大きく違うところだ。
歴史を生き残るための学問として捉えればなおのこと。
賢者は歴史から学ぶのだが、いったい何を学んできたのか?
きっと同じことを考えたに違いない。
知恵とは正当性を述べることではなく、正当性を利用することなのだと。
民衆を説得するのではなく、民衆を洗脳するための知恵なのだと。
その場を取り繕う知恵。土壇場における迅速な判断力。機を見る力。
これらは残念ながら学問では身に付かないだろう。
正しい、正しくない程度の単純なものであれば歴史から学び取れるものなど
ほとんど無いだろう。
数日見ないうちにすごいやり取りだな。
専門教育受けてるっぽい人の書き込みは、読んでて面白い。
見てると、分かってる人は(本当は)そんな幕府寄りでも倒幕寄りでもなさそう。
問題は、そんな人たちに混じって一人、とんでもない幕府厨がいることだw
前半はそいつの法螺対策に追われ、後からその部分だけ見た人が偏ってると感じて
バランスとるために参戦って感じでしょうか。
>>11さん、今更その意味分かったよ・・・
317 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/23(火) 00:49:10 ID:WXDCqjMH0
>>314 >世の中、実体は馬鹿の方が多数派だ。
>だから馬鹿の意見を取り込む側にたった人間が馬鹿なように見えるが
>世の中以外や、その馬鹿を利用したものが天下を取ったりもする。
それは長州と朝鮮半島限定の現象だな。
常に馬鹿どもが集団ヒステリーを起こし長井雅楽のような知性を抹殺してしまう。
しかし幕末の日本人は現代人が想像する以上に合理的かつ進取的だった。
井伊大老の英断を契機に、海外と交易を深め、製鉄・造船など先進的な生産技術を我が物とし、
国家のあり方を根底から変える変革が進められた。
その後、薩長が私利私欲のためにクーデタを起こすが、
幕府が道筋をつけた近代化の流れを押し留めることはできなかった。
318 :
310:2008/09/23(火) 00:56:36 ID:RDx0iSre0
1の領事裁判権は、極めて難しい。
領事裁判権の規定は、直接には外国人が日本人と紛争を起こし、
加害者となって起訴された場合、母国の領事が母国の法律に基づいて
裁き、それが上訴された場合は、日本の外、最終的には本国まで
裁判所が移されるという制度という理解でいいと思う。しかし、
これは必ず、対になる規定を伴っている。それは、日本人が加害者となって、
裁判に付される場合は、日本の裁判所が管轄し、日本の法律に基づいて
裁くということだ。
要するに、相手側が信用できないため、自国民を自国の法制度によって
保護しようという制度であり、制度上は対等であることに論理的にはなる。
西洋側は、例えば、ハリスが日記に書いているように、これをもって極めて
重要な権利獲得と見なした。(ソースは、「日本滞在記」中、p178)
しかし、このことを額面通りに受け取ってはいけないようだ。
幕末に起きた攘夷テロは、何度も来日した外国人を殺傷した。
逆の場合はあまりない。ならば、この制度によって不利を被ったのは西洋側となる。
事実、西洋側はテロが相次ぎながら、裁判どころか、犯人が逮捕されないことに
業を煮やした。生麦事件に際しては、埒があかないと見て、香港から艦隊を呼び寄せ
鹿児島に押し掛けて戦争をした。戦争ではユーリアラスの艦長らが戦死するまでに
至っている。日本側の行政・司法制度がしっかりしていれば、このような手間と
犠牲を払わなくて済んだはずだ。少なくとも幕末の刑事事件で不利な立場に陥ったのは
外交側であり、日本側ではない。(明治の領事裁判では、しばしば日本側が不利だったと
語り伝えられるが、まだそれらの記録を網羅的に研究されたものは、ない)
日本側が有利なはずの、日本の裁判所による内外紛争の判決も同時に考慮すべきだ。
(領事裁判制度については、それが実際にどう機能したかの研究も不可欠)
最後に、制度上、修好通商条約の規定には、あきらかな欠陥はあった。
この規定が日本の領土上にだけ適用され、外国領には適用されなかったことだ。
修好通商条約の締結の際、日本側は官史以外の日本人の海外渡航を想定していなかったため
表面化しなかったが、条約勅許後の1867年日本人がパスポートを手にして海外渡航を
始めたとき、その不平等性が顕在化した。西洋諸国では、自国領上で起きた事件はすべて
国内の裁判所が管轄し、外国人にも国際法を適用する、いわゆる属地主義を取っていた。
唯一、ロシアは和親条約の締結に際し、日露双方に属人主義によって法を適用する条項を
盛り込んだ。
319 :
福沢諭吉:2008/09/23(火) 03:39:09 ID:vWtZJ3Ee0
●日本を開かんとするに、之を妨げたる者は長州なり、之を妨げたる者は薩州なり、之を妨げたる者は薩長の同類なり。
今薩長の族類を以て外国人の良友と為すべきとは、大いに其の説を変じたる後のことなるべし。
薩州は最初開国を妨げたる説を変じて、近来は頻に外国の貿易を勉め、自国の諸港を尽く開きて貿易を為さんと欲せり。
斯く開国の説ならば、大阪兵庫の開港を妨げたるは何故なる哉。
是他なし、日本全国の為め筋を思はずして、自己一家の私利を謀て躬から盛大たらんことを欲するのみ。
320 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/23(火) 07:27:28 ID:jmmejksx0
>>317 徳川幕府の治世では、対外条約における不平等は増大するだけでした。
明治時代以降の人々の努力が、やっと条約を平等な方向に変えたのですよ。
虚偽をばら撒く人間が佐幕派を名のることは、とても不幸なことです。
321 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/23(火) 08:47:00 ID:uNuBUk3E0
>>318 で結局、問題はあの当時の日本人があの時点で条約を不平等と受け取っていたか、どうか
だと思うのだが。結果論はここでは関係ないだろw
キミの主張にはいつまで待っても答えがないのだよ。ただだらだらと述べているだけ。
結論は何なのだ?不平等性に気付いていたのか、否か?
少なくとも幕府はあの内容に不平等性はないと考えて締結していたのか?
結果論から見てあ〜だ、こ〜だと言ったところで説得力は皆無だ。
あの時点の情報とあの時点の人たちの知識をもってして不平等と感じられる
ものであったか、否か、それが幕末史における論点である。
そもそも不平等だろうが、でなかろうが実は全く関係ないのだ。
なぜなら倒幕派の狙いはそもそもが幕府にケチをつけることなのだから。
幕府に従いません、朝廷を支持しますと、だだをこねて難癖をつける。
民主党の戦術に近いなw自民のやることにはなんでも反対だw
322 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/23(火) 12:40:51 ID:tUIrE9HO0
>>314-315 お前すげーキムチ臭い。論破されて薩長の正当性が証明できなくなると、
「民衆を洗脳するための知恵」「その場を取り繕う知恵」かよ。
半島系にとって北朝鮮の体制が理想だということがよく分かる。
>>320 虚偽にしがみついてるのはお前の方。ちゃんと事実の流れを見ろ。
・幕府が条約を結んだ当初「不平等」は問題にもなっていなかった
・むしろ不平等条項により外国の方が不利益を受けることも多かった
・明治政府は幕府の条約を改正しようともせず丸ごと追認した
・明治政府は幕府以上に不平等な対外条約を結んだ
・明治以降の外交は幕府系の人材抜きに語れない
・条約改正は幕府がこだわった居留地制度が取引材料となり成功した
「幕府が不平等条約を結んだ」と批判する意見は、
近代的な行政・司法制度の整備に伴って、条約の不平等条項が問題となり、
それを自力で解決できない薩長が、責任を幕府に転嫁することにより生じたもの。
>>321 >そもそも不平等だろうが、でなかろうが実は全く関係ないのだ。
>なぜなら倒幕派の狙いはそもそもが幕府にケチをつけることなのだから。
そうだね。薩長は、幕末期は勅許がないといってケチをつけ、明治以降は不平等だとケチをつけた。
不平等条約をネタに幕府を非難する意見は後付けの結果論にすぎない。
こうした無責任で危険な国賊がクーデタを起こしたにもかかわらず、なぜ日本は近代化に成功できたのか?
これが幕末史の論点だな。
323 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/23(火) 13:08:06 ID:OszqfCzeO
議論に負けると相手を朝鮮呼ばわりする。これが徳川幕府擁護。
19世紀前半にはペリー来航後とは逆に「鎖国」へのコミットメントが深まった
わけだけど、このことは、多くの本に書かれている海外の事情、とくに西洋の
動向に対する無知によってなされたことではなかった。
むしろ逆であり、当時の日本は、西洋の世界征服運動に関心を集中しつつ、政策面
では閉鎖性を強めた。この選択は矛盾するように見えるが、一般的な観点に立つと
理解不可能ではなくなる。要するに、当時の日本の知識人は「いつか必ず来るはずだが、
いつ目前に現れるかは予測できない」という、個々人の一生を超えるタイプの
長期的危機に直面していたからだ。こういう状況では、たとえ危機到来の可能性が
意識されたとしても、切迫したものと認識されることはない。十分に準備の時間が
あるとすれば、それまで200年近く続いてきた心地よい閉鎖体制を維持したい、維持
できるという判断が当時下されていてもそれほど不思議ではない。
重要なことはこの「予測された、しかしいつ出現するか分からぬ危機」という問題状況が、
21世紀に生きる我々にとって他人事ではないと視点だ。日本列島における大規模地震は
その最も分かりやすい例ではないか?さらに大きな視野からは、人類全員にとっての
資源・環境問題もこのタイプに属するだろう。いつか必ず致命的な事態をもたらすに
違いないが、いつそれが誰の目にも見えるようになるか、その時がこないと、分からない。
このような状況において、人はどう行動するだろうか。おそらく多数派は、それを
「杞憂」と見なし、不安の中にくよくよ生きることを拒否して、現在を楽しく生きる
道を選択するだろう。勿論、なかにはこれを真剣に考える人々もいるだろう。彼らは
目前に見えない危機を深く憂い、警鐘を乱打するが、世間の注目を得るのは難しく、
自らも有効な対策を考えつくとは限らない。危機到来前にこの世を去る人も少なくないだろう。
19世紀前半の日本知識人はまさにこのような問題状況の中を暮らしていた。結果からみると
幕末の日本は危機現前の直前に「鎖国」へのコミットメントを強めたにもかかわらず、
辛うじて「開国」に政策を切り替えて、破滅を免れた。それはこの期間に様々の思考実験と
論争が試みられ、ありうべき多様な対策が蓄積されていたことによる。しかし、それでもなお
日本の危機回避の成功は、後から見て幸運だったとしか言いようがないのが真実ではないだろうか。
325 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/23(火) 20:13:58 ID:jmmejksx0
意味のない長文で議論の劣勢を誤魔化すのも、幕府厨房の性癖
>>306 だからもともと開国を否定するほどの強硬派は、
西南雄藩にはおらん、そしてだからこそ、その条約は対等でなければならないだけ。
でなければ、開国が不利になるからな。
>>308 正確にいえば、
>Anglo-Japanese Friendship Treaty
なので、協約にはならんよ、屁理屈こねるな。
>>313 そんな事実は存在しない、捏造するな。
不平等条約が改正されたのは、欧化政策と
近代的な法整備が進んだのと、戦争による勝利、
この三つが要因、内地への居留権など別に欧米は求めていない。
少なくとも、不平等条約による特権と引き換えにするほどはな。
妄想はやめれ。
>>310 20パーセントは別段高い数字ではない。
他国はもっと高い数字をかけており、各国の収入の何割かは関税収入に頼っていたほど。
イギリスなど三割は関税収入。
んで関税かけなかったのが産業育成になったという事実はない、
生糸は産業というより、農業であり、資源に近い。
産油国が、石油の関税を上げて、石油の輸出に強くなった。
というようなもの。
大恐慌時で欧米が日本製品に高率の関税をかけたときでも、
生糸などには関税がさしてかかっていない。
なぜなら欧米では生糸を自国でほとんど生産できなかったから。
なので、関税をかけなかったおかげで日本が強くなったということはない、
そして国内産業がボロボロになり、資源である生糸くらいしか、
海外と張り合える産業がなくなったのは、このときの関税自主権がなかったからに他ならない。
そうやって相手国の産業を破壊し、自国の市場にするのが欧米の常套手段。
戦後においても日本はまず最初は、高率の関税をかけて自国の産業を徹底的に、
保護し、その後緩めて、国際競争にさらしている。
まず弱いときに守らず、国際競争にされしても、国内産業が壊滅するだけ。
そして幕府が関税率を引き下げざるを得なかったのは、幕府の外交下手が原因だろうが、
下関の賠償金など、開港すれば払わなくてもよかったのだ。
実際英国はこれで賠償金がもらえるとは思っておらず、
開港させて貿易でペイしようとしていた。
賠償金の内容も、町を焼き払わなかった対価という、意味不明なものだしな。
完全ないちゃもん。
だが幕府は無能ゆえに、開港よりも賠償金を選び、
だが賠償金は払えず(払える見込みもないのに飲んだのが無能の証左)
支払いを待つ代わりに、開港しろという欧米の要求を結局呑んでいる。
つまり完全な払い損なのだ。
新政府がアメリカなどから金を返還してもらっている外交能力と比べると、
格段に落ちるといわざるをえない。
アメリカにしても流石にこれで金をもらうわけにはいかんと思っていたのにね。
だからプールしてた。
328 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/23(火) 20:37:09 ID:L+6uWF0b0
>>326 >だからもともと開国を否定するほどの強硬派は、
西南雄藩にはおらん、そしてだからこそ、その条約は対等でなければならないだけ。
でなければ、開国が不利になるからな。
何を言いたいのか分かりません。
>屁理屈こねるな。
別にそれならそれで構わない。屁理屈などというレベルの人と議論が
交わせないだけのことですから。
>>318 当時日本人はほとんど海外にいっておらず、領事裁判権の恩恵にはあずかれないが、
外国人は日本にきており、領事裁判権で守られている。
つまり一方的に日本人のみが不利になっている。
外国人がその場で人を切っても、日本政府は彼らを裁けない。
生麦事件にしても、日本の法律なら当然その場で殺されて当然であり、
それに英国が艦隊をだしてきたのが本来ならおかしいのだ。
>>317 井伊は脅されて屈服しただけ、
日本の外務官僚をみていればわかるように、
外国に恫喝されれば、自己保身の為に、
自分の間に問題を起こさないために、国家を売ることに何のためらいも、
彼らにはない。
井伊は彼らと全く同じ。
>>328 対等の条件でなければ、開国した場合日本が不利になり、
国益にならない、なら鎖国してしまえという意見が生まれたのは、
不平等性ゆえだよ。
>別にそれならそれで構わない。屁理屈などというレベルの人と議論が
条文には、Friendship Treaty とあり。
これを持論に合わせて曲解するのは屁理屈か、馬鹿かのどっちかだ。
まあ馬鹿が屁理屈を述べているだけだろうがな。
だから直訳になる和親条約を訳するか、日本語の原文である約定。
のどちらかしかないのだよ。
ああ不平等条約であり、和親などつけるべきではない。
という意味なら、分からなくもないな。学者によってはそういう人もいるし。
ただその場合は普通最初に定義をしめしているがね。
332 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/23(火) 21:02:04 ID:jmmejksx0
そも、佐幕厨房が枝葉末節の条約名を殊更に話題にしたのは、
この幕末の徳川幕府と欧米諸国との条約群が全て不平等条約であり、
江戸から派遣された目付の永井尚志などが、欧米諸国に屈服する為に
積極的に条約を締結した、という事実をごまかす為でしょう。
佐幕を名乗る売国教徒が幕末期の日本を破壊し、更に今日の日本にも悪影響を与えているのですよ。
333 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/23(火) 21:34:13 ID:cWcW/BEc0
>>326 >内地への居留権など別に欧米は求めていない
内地雑居、内地開放でググレカス。
居留地の廃止と不平等条項改正は表裏の関係。
パークスがどれほど強硬に内地の交通権や居留権を要求してたか知らないのか?
>少なくとも、不平等条約による特権と引き換えにするほどはな。
だったらなぜ不平等改正と共に内地雑居を認めた?
なぜ明治政府は日本にとって有利な居留地制度を手放した?
説明してみろ。
334 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/23(火) 21:42:14 ID:ofn6/H+G0
>>327 >関税かけなかったのが産業育成になったという事実はない、
>生糸は産業というより、農業であり、資源に近い。
それは史実ではないよ。幕末貿易の動向を見ると、横浜港を中心とする貿易額の
伸びが顕著だった。横浜港の主要輸出品目(生糸・茶)で1860〜65年の一位は、
生糸だった。横浜港の全国の輸出における比率は1860年83.9%、61年70.9%、62年79.6%
63年86.5%、64年85.1%、65年94.5%(横浜市史第二巻1959による)
生糸輸出の開始は、座繰技術の普及をもたらし信州諏訪や甲州甲府などで端緒的
マニュファクチャ経営が出現した。ただ、生産量の増大は製糸小経営と小経営内部での
生産の増加に依拠した。(幕末貿易については、「幕末貿易史」山口和雄他を参照のこと)
これでも産業ではないのですか?
>海外と張り合える産業がなくなったのは、
お茶の輸出も当時の貿易統計によれば、有力な産業だったけどな
335 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/23(火) 21:53:57 ID:7FTusLNg0
>>330 >条文には、Friendship Treaty とあり。
これを持論に合わせて曲解するのは屁理屈か、馬鹿かのどっちかだ。
まあ馬鹿が屁理屈を述べているだけだろうがな。
それなら、日英協約と著作に書いている研究者にお前がクレームをいれたらどう?
おっと日本史辞典を出版している各社にも、日英協約と書いている御社の辞典は
曲解した馬鹿の屁理屈だから修正せよとクレームをいれな。こんなところで、
拘ってるのは、オマエが正真正銘のバカであることが自らは分かってるでしょう?
そうじゃないなら、ここにレスなどしてないで上記の研究者および出版社へ
行ってこい。誰も邪魔しないから
336 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/23(火) 21:56:25 ID:7FTusLNg0
>>335 訂正
誤り
>おっと日本史辞典を出版している各社にも、日英協約と書いている
正
おっと日本史辞典を出版している各社にも、日英約定と書いている
>>333 有利でもなんでもないよ、
明治では企業や商売は許認可制であり、
外国人が国内で大きなシェアをもてば、認可しなければいいだけだから、
なんら問題はないんだよ。
実際外国人が国内で大きなシェアをもったり、大もうけした事例は存在しない。
つまり内地への居留権などなんら交換条件にはならなかったのだ。
幕府が規制したのは、あくまで鎖国を続けようというつまらん理由。
ただそれだけ。
実際不平等条約の改正が内地居留権がバーターだったなどと述べている学者などいないよ。
つかそれがバーターなら、内地居留権を認めて、
関税自主権と治外法権を確立させたほうがはるかに国益にかなう。
内地居留権を認めても、関税さえ維持できれば国内の商工業者がダメージを受けることはないからな。
なのに関税を引き下げて、内地居留権を認めないというのは、
本末転倒なのさ。まずすべきは関税自主権なのだから。
>>334 60年で80パーセント越えている状態で伸びが顕著もないだろう。
それに産業ではないことにかわらんよ。
服飾にまで加工すれば産業であるが、ほぼ資源を切り売りしているに等しい。
あとお茶も一緒、農業であり食料や資源を売っているのと同じで、
軽工業にも達していない。
>>335 つまり日英協約と書いてある辞典はないってことでいいね?
ああ、農業も第一次産業であり、産業ということかね?
だけどそれをいえば、石油や鉱物もみな産業であるし。
どちらもしても、加工なしで売っているのにはかわらんよ。
339 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/23(火) 22:26:34 ID:js3RUL0B0
>>310 >生糸や綿糸の例で明らかなように、低関税のもと、保護なしに育った
>産業が、外貨の稼ぎ手になり、日本の工業化を支えることになった。
横浜や長崎の外商は内地での直接通商を禁止され、
開港場での日本人商人との取引に活動が限定されてた。
このような関係は欧米にとっては非効率で不合理なものだった。
生糸については外商は日本人商人へ資金融資をおこなって買い付ており、
この資金が日本の産業資本確立の基礎となった。
圧倒的な資金力をもつ外国資本に産地への直接投資を認めてたら、
日本人売込商は壊滅し、今頃三菱も三井も存在しなかったはず。
幕府の居留地制が防壁となり揺籃期の日本の産業を保護したんだよ。
>>327 >海外と張り合える産業がなくなったのは、このときの関税自主権がなかったからに他ならない。
>そうやって相手国の産業を破壊し、自国の市場にするのが欧米の常套手段。
近代化してない日本に、最初から海外と張り合える産業があるわけないだろ。
バカかオマエは。
また外商は条約により日本の国内市場に直接手を出せなかったため、
日本市場が外国に支配されることもなく、自国産業の育成も可能だった。
これはすべて幕府が結んだ条約のおかげだ。
だからどんなに輸出量が増えたとしても、俺の持論を崩すことにはならないの。
(まあ正しくは俺持論ってわけでもないけど)
それにパーセンテージが高まっているというのは、
生糸以外ろくに売れるものがなくなっている。
国内産業が大打撃、ということにほかならんよ。
資料を読むことが君には必要だね。
>>339 違うそれは日本の株仲間の制度をそのまま適用したにすぎない。
一部の特権商人にのみ利権を与えて、
彼らから上納金をもらうってのが江戸幕府のシステム。
そしてそれは直接投資を禁止すればいいだけであって、
居留地制度とは関係ない。
居留地制度とは出島を少し拡大させよう。
という鎖国制度の延長に過ぎない。
>近代化してない日本に、最初から海外と張り合える産業があるわけないだろ。
関税が機能していれば国内市場を席巻されることはない。
その状況下で、国内の産業を近代化させ、国内市場で競争させ、
力をつけさせて、国際競争力に出させるというのが正しいやり方。
>日本市場が外国に支配されることもなく、自国産業の育成も可能だった。
関税が機能していなかったため、国内の綿製品が壊滅的な打撃をうけて、
産業が駄目になっているんですが。
輸入企業と一緒に日本を駄目にしたのが、幕府ってことですよ。
342 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/23(火) 22:36:11 ID:NTRr11tw0
>>334 >服飾にまで加工すれば産業であるが、ほぼ資源を切り売りしているに等しい。
あとお茶も一緒、農業であり食料や資源を売っているのと同じで、
軽工業にも達していない。
やっぱりバカだ話にならん。どうして幕末の貿易品を現在の産業との
比較で見るのか分からない。
>つまり日英協約と書いてある辞典はないってことでいいね?
日本史辞典は、日英協約としか書いてない。
昨日
>>296で書いたとおり。アンタ日本語を読めないの?
どうして力むのか分からんが、和親条約の英文は、
treaty of peace and amityだよ。
>>340 >資料を読むことが君には必要だね。
そうですか、その前にオマエが日本語を読めるようになることが
先だろうな。
343 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/23(火) 22:36:24 ID:js3RUL0B0
>>337 >つまり内地への居留権などなんら交換条件にはならなかったのだ。
なんで薩長ヲタはみな低脳なんだ?
たとえば最初にビンガムが日本に関税自主権を認めようと提案した際に、
何を交換条件とした?
内地の通行と居住の自由だろ。
低俗な薩長史観に基づく妄想の羅列は迷惑だからヤメロ。
344 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/23(火) 22:41:12 ID:NTRr11tw0
>>341 >関税が機能していれば国内市場を席巻されることはない。
その状況下で、国内の産業を近代化させ、国内市場で競争させ、
力をつけさせて、国際競争力に出させるというのが正しいやり方。
そんなことが出来る時間が開国時にあったのか?
正しいやり方が出来るように、どれだけの資本投下、技術輸入、技術者の育成が
あれば当時の日本と西洋との技術レベルの差を埋められただろう?
学参厨は、もう来なくていいよ。現在の視野から幕末をみてああだこうだいってる
ことがバカ丸出しだから
>>342 >やっぱりバカだ話にならん。どうして幕末の貿易品を現在の産業との
いつの時代でも一緒。
資源をほぼそのまま売っており、
欧米では自国で生産できないから売れているもの。
そんなのは関税がなど関係ないんだよ。
他国はそれに関税などかけない、資源が高くなったら自国の産業が困るからな。
原油に高率の関税かけても、国家の歳入以外は潤わない。
>日本史辞典は、日英協約としか書いてない。
どれに書いてあるんだよw
>どうして力むのか分からんが、和親条約の英文は、
はあ日英和親条約の英文は俺が示したように。
Anglo-Japanese Friendship Treaty
だよ、海外のウィキでもこれでのってる。
>そうですか、その前にオマエが日本語を読めるようになることが
間違えも認められないとはな。駄目なやつだ。
>>343 なってねーじゃん。
交換にすらなってないし。
つか交換できるんなら、とっくの昔に交換してる、
どうみても関税自主権のほうが大事。
関税が維持できれば国内産業は守れるからな。
>>344 その時間を稼ぐのが、保護関税なのだが?
お前馬鹿だろ。
347 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/23(火) 22:58:22 ID:js3RUL0B0
>>341 支離滅裂だな。
>関税が機能していれば国内市場を席巻されることはない。
そもそも日本は国内市場を席巻されていない。
>関税が機能していなかったため、国内の綿製品が壊滅的な打撃をうけて、
>産業が駄目になっているんですが。
妄想もいいとこ。そもそも幕末期の日本には大規模な綿産業が存在しなかった。
維新直後は日本からの綿製品の輸出は0に近かったが、
その後綿紡績産業の育成により、綿製品の輸出が増えてる。
当初、欧米からの輸入品の中で綿製品が多かったのは事実だが、
日本側代理店を介しての取引が非効率でリスクが高かったため、
貿易全体に占める綿製品の輸入量は相対的に漸減してる。
348 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/23(火) 23:03:55 ID:AQi1bqPm0
>>345 >いつの時代でも一緒。
資源をほぼそのまま売っており、
欧米では自国で生産できないから売れているもの。
幕末時の生糸輸出そして、明治の産業革命が蚕糸産業へつながって行った
史実があり、産業は発展して行く国もあり原材料を輸出するのにずっと
とどまる国もある。
>どれに書いてあるんだよw
>>296に出版されている日本史辞典の表記一覧がある。
>はあ日英和親条約の英文は俺が示したように。
Anglo-Japanese Friendship Treaty
だよ、海外のウィキでもこれでのってる。
だから日英和親条約とは訳せない。
英語読めないの?
>>346 >その時間を稼ぐのが、保護関税なのだが?
だから、幕末の日本の産業技術レベルで西洋のはるかに進んだ産業と
どれくらいの時間を稼げば、ある程度競争出来ることになったの?
そんなことをしないで産業化出来る軽工業から興していったのが
史実だけどな。
聞いているんだよ
>>347 貿易量全体が増えているから、相対的に減ったように見えるだけ。
どうも君は、資料が読めないようだね。
それに増えたのは毛織物と綿花と、武器やら船やらだろ。
国内の需要分をほぼ抑えられたんはかわらんよ。
そして日本産の綿製品でも、同じ流通経路なので、
非常に非効率で中間マージンが大きいんだよ。
だから条件は同じ。製品が安くていい欧米のほうが売れていく寸法。
>>348 >幕末時の生糸輸出そして、明治の産業革命が蚕糸産業へつながって行った
だからそれは資源を切り売りしていたのとかわらんのだってば。
それだけ売ってても産業は発展しない。
そしてそれは関税自主権で保護したとしても、海外の産業と競争することもない。
なぜなら日本の生糸は非常に安く、国際価格の半分程度で売られていたからね。
>だから日英和親条約とは訳せない。 英語読めないの?
そのままかえそう、日英協約とはよめない、日英和親条約にはなるが。
>だから、幕末の日本の産業技術レベルで西洋のはるかに進んだ産業と
史実を見る限り、関税自主権を回復して、
綿製品を輸出産業まで育てるのに、数十年というところだな。
>
>>296に出版されている日本史辞典の表記一覧がある。
で、日英「協約」と記した日本史辞典の出版社名はどれ?
見当たらないんだが?
351 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/23(火) 23:15:36 ID:js3RUL0B0
>>349 >それに増えたのは毛織物と綿花と、武器やら船やらだろ。
まさか綿製品と綿花を一緒にしてないだろうな。
綿花は綿織物の原料。
綿花の輸入量が激増したことは、日本の綿紡績工業が発展した結果であり、
オマエの言う「国内の綿製品が壊滅的な打撃をうけて」がデマだということを意味する。
>>347 ちなみに輸入量は10年たらずで、10倍以上増えているからな。
それをもって比重が減っている、とか言っても詭弁だから。
トリックで罠にはめようとしているのと同じ。
輸出量の統計をある程度覚えている相手は引っかからないよ。
353 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/23(火) 23:16:01 ID:AQi1bqPm0
>>350 >日英「協約」と記した日本史辞典の出版社名はどれ?
見当たらないんだが?
日英和親条約と記した日本史辞典も皆無。
前に書いたが、日英協約と研究者は書いている。
辞典は、日英約定。
つまり、素人のオマエが日英和親条約というのは御勝手に。
歴史学の専門家および日本史辞典で、日英和親条約はない。
それが事実。
354 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/23(火) 23:20:11 ID:AQi1bqPm0
>>350 >綿製品を輸出産業まで育てるのに、数十年というところだな。
開国時に、アバウト数十年の時間稼ぎをどうやって出来るの?
どうやって時間稼ぎして産業を育てるのか分からない
355 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/23(火) 23:22:17 ID:AQi1bqPm0
>>350 もう一度、書いておく
日英和親条約と記した日本史辞典は皆無。
前に書いたが、日英協約と研究者は書いている。
辞典は、日英約定。
つまり、素人のオマエが日英和親条約というのは御勝手に。
歴史学の専門家および日本史辞典で、日英和親条約はない。
それが事実。
オマエが日英和新条約と書けるのはここだけだろうから、
再び繰り返すが、御勝手にどうぞ。
>日本史辞典は、日英協約としか書いてない。
これは嘘だったということでいいかな?
日英協約という言葉は一つもない。
一部の学者が独自の定義づけでやっているだけで、
歴史用語ではない。と。
ちなみに俺がもってきた、アジア歴史資料センターは、
国立公文書館がやっているところだからな。
日英和親条約で普通に記載されている。現代ではこれが普通。
日英協約は皆無。
>>354 保護関税以外なにがあるっていうんだね?
358 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/23(火) 23:25:36 ID:js3RUL0B0
>>352 トリックを弄してるのはどっちだよヴォケ。
10倍に拡大した日本市場のなかで、欧米の綿製品に対する市場占有率が低下。
逆に日本の綿製品の輸出は飛躍的に増加。
これは要するに「国内の綿製品が壊滅的な打撃をうけて」いないということ。
オマエは単に当初の貿易において綿製品の輸入が多かったという一点をもって、
デマを垂れ流してるだけだ。
>>358 >10倍に拡大した日本市場のなかで、欧米の綿製品に対する市場占有率が低下。
はい間違い、輸入量全体が10倍にもなっているなかで、綿製品の割合が減っているだけで、
日本が輸入している綿製品が増えています。
また日本の綿製品の輸出が飛躍的に増えていることも、
日本市場を日本製の綿製品が占拠したこともありません。
具体的な話になると薩長厨房はボロボロだな。
>>351 もちろん一緒にしてないよ。
そして日本の綿花を生産していた農家が壊滅的な打撃をうけていたからね。
>>355 もう一度書いておこうw
日英協約を書いてあるものは皆無で、
日英協約は俗称ということでいいかな?
363 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/23(火) 23:42:29 ID:js3RUL0B0
>>361 オマエ痛すぎ。いずれにせよ、日本の絹織物、綿織物産業は、
関税自主権がないにもかかわらず、「壊滅」することなく順調に発展した。
これは幕府が結んだ条約が防壁として機能したからだ。
これらの事実をちゃんと憶えておけよ。
364 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/23(火) 23:45:05 ID:DXvMwC0u0
>>362 しっこいねぇー、御勝手に。
研究者の文献は、日英協約とある。文句があればここでいってないで
研究者のところに言ってくれ。それから、日英協約を俗称でであるかどうかを
オレは決められないし、オマエも決められないという事実がある。
そして、何度もいってるが、オマエが日英和親条約だというなら、御勝手に。
オレは、日英協約と教わったしそれで問題はない。それから、
国立公文書館がどういう風に表記しているかの経緯を知らないので
それがどうだこうだはここでいえない。
成長したのは、関税自主権を回復して国内産業として保護してからだよ。
あと綿花を国産ではなくて、輸入に切り替えて、
少しでも切り詰めたから。当然国内の綿花農家は失業。
366 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/23(火) 23:49:18 ID:DXvMwC0u0
>>362 それから、日本史の辞書を出版している会社にも
>ちなみに俺がもってきた、アジア歴史資料センターは、
国立公文書館がやっているところだからな。
日英和親条約で普通に記載されている。現代ではこれが普通。
とクレームを入れな。そもそも日本史辞典も読まないでネットの
ことを頭から信じ込んでいるんだから、ネットにそうあると言ってくれ。
>>364 ならお前も、国に訴えろ、確か最近の教科書とかも日英和親条約じゃなかったかな?
ちょっと手繰ってみたら、んな話を見かけたし。
もう俺は教科書なんてもってないし、確かめられんから知らんがな。
>>363 中公の日本の歴史で恐縮だが、その件について
「幕府は、この輸出が国内綿織物生産に悪影響を及ぼすことを考慮して、何とかこれを防止しようとしたが、
外国側から条約違反であると決めつけられ、幕府の防止策もほとんど成功しなかった。」
ことあと物価暴騰と金流出に触れた後で、
「雑穀、水油、蝋、呉服、生糸の五品の流通経路を必ず江戸経由とする政策を行い、一時は功を奏したが、
これによって太る既存の大商人に反発した在郷新興商人などには法令を掻い潜るルートを開発する者もあり、
実質的にも問屋の統制力は次第に無力となった。貿易開始により、既存の流通経路もぶち壊された。」(大意)
「はじめ生糸輸出の増加は、原料入手困難となった機織屋に大きな打撃を与えた。(中略)
また、安価な綿糸、綿織物が輸入されると、これまでの手工業的な日本の綿作りや綿糸、綿織物の生産も
打撃を受けた。」
「一方では以前よりは大規模な問屋制家内工業や工場制手工業が発達したが、これはかなり以前から
発達してきたものである。ただし、この分野の研究はまだ進んでいないので詳細はよく分らない、としている。
ちなみに引用元は19巻の”異国人との商売”著者は小西四郎。
369 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/24(水) 16:50:26 ID:7mqwi5dD0
>>356 >ちなみに俺がもってきた、アジア歴史資料センターは、
国立公文書館がやっているところだからな。
日英和親条約で普通に記載されている。現代ではこれが普通。
日英協約は皆無。
>>367 >ならお前も、国に訴えろ、確か最近の教科書とかも日英和親条約じゃなかったかな?
外務省が編纂した「日本外交年表 竝 主要文書 上巻」原書房刊 1965
(外務省編纂 外務省蔵版と奥付にある)という文献がある。そこに
1854(嘉永7)p3に正式な条約名が、
「日本國大不利顛國約定」
嘉永七年(安政元年)甲寅八月二十三日(西暦千八百五十四年第十月十四日)於長崎調印
安政二年乙卯八月二十九日(西暦千八百五十五年第十月九日)於同所本書交換
と、あるよ。国立公文書館の日本側の史料も、上記のものであるはずだがね。
もう一度繰り返すが、オマエが日英和親条約が普通というなら、それは御勝手に。
しかし、それは正式な条約名ではない。日本史の辞典が日英約定と表記するのは
上記の外務省の編纂した資料に準拠しているのだろう。(はじめて知ったが)
そして学者が、日英協約と書く理由は分からない。分からないが、オレは
日本史の先生からそう教わり、開国史および幕末史の文献はその表記で書かれており、
専門研究者が使用している。だから、日英協約で齟齬を感じていない。
370 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/24(水) 16:51:31 ID:Tnm8Ie3WO
ここの佐幕野郎は嘘つきの上に関係ないことを並べて自己正当化を行なう最低な奴だな。
371 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/24(水) 18:40:56 ID:GBhXeXlQ0
>>370 こういう輩がでるから、英文について追加しておく。
>>330 >条文には、Friendship Treaty とあり。
ジーニアス和英辞典によれば、Friendship Treaty は、友好条約が訳語
>>331 >だから直訳になる和親条約を訳するか、日本語の原文である約定。
のどちらかしかないのだよ。
和親条約は、treaty of peace and amityですよ。(ジーニアス英和4版による)
Friendship Treaty を和親条約では直訳以前の誤訳です。
結局、オマエが英語が分からなくて書いてるのがありありですね。
義務教育課程から英語ができなかったことが分かる書き込みですね。
373 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/24(水) 20:02:32 ID:hEPk2m25O
教養があるのに、粗暴な議論にしかならないのは悲しいな
374 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/24(水) 20:06:13 ID:2bt/un5Q0
>>372 だから何度も書いてるだろう。
オマエが、日英和親条約でも御勝手にとさ。
オレは、お前の出しているものよりも一次史料にあたって書いてるだけのことで
別にそれをオマエがどう解釈することなど、どうでもいいんだよ。
オレはオマエが、外務省よりも一次史料からこのことを知り、ここで意見を
書いているとは、思えないし、幕末史の研究者よりも史実を深く理解しているとは
同様に思わないから、何度レスをされてどうでもいいというだけのことだよ。
一部の学者の本を一次資料というのか君は。
付き合うのも疲れたし、勝手にしていいよ。
だけどでたらめは辞めてね。
一次資料→一次史料
377 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/24(水) 20:31:24 ID:b7Ai7efM0
378 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/24(水) 20:33:14 ID:b7Ai7efM0
>>372 >ただ最近は日米和親条約、日英約定、日露通好条約、日蘭条約、日仏通好通商条約
この五つを全て和親条約というからね。
どうせレスはないだろうが、そのソースを書いてくれ。
また、学参を読んで書いているの?まぁ、それはそれで、オマエが歴史学者なら
書いてある著作を、そうでないなら「何を読んで」書いたのかをレスくれ。
その資料を読んで、上記五つの和親条約を一次史料および研究者の文献を
あたるから。
ちなみに俺は学参なんぞよんどらん。
381 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/24(水) 21:07:10 ID:QbFky3io0
あるブログでこんなことが、書いてあった。
”ネットで拾っただけのちょこちょこっと検索して、それを散りばめれば物知りに見える
文章は作れる。偉そうに何か書いていても、ついさっき検索して拾っただけかもしれない
そんなことで得意になるのって、本当にくだらねえと思うよ。ネットからのコピペばかりで
文章を作り続ける以下略”
これは、本日のID:SgbU45BW0のことを指しているのだろうな。
382 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/24(水) 21:12:17 ID:QbFky3io0
>>379 でもな、幕末の外交文書の研究者の文献ーこれは今借りてきて読み始めているーと
一次史料をどこにあるのか、アンタのようなネットではなく印刷された書籍で何に
当たればいいかは分かったから、いい勉強をさせてもらったと感謝してる。
そう思うならそう思えばいい。
昨日図書館によって本借りてきて、知識自慢するのも、
昨日ネットで手繰って、知識自慢するのも、
以前読んだ本をもとに知識自慢して得意になるのも、
実はなんの違いもない。
俺の場合は三番目で、客観的に証明する為に、ネットで手繰ってソースとしている口だが、
それが図書館だろうが、ネットだろうが、どれほどの違いがあるかね?
あと確か蹇蹇録にも和親条約とかかれてなかったかな?
ちょっとうろ覚えなんで自信はないが。
384 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/24(水) 21:42:02 ID:b6422o7f0
>>383 あ、そう。でも決定的に足りない知識という事実はお忘れなく。
下らない事を拘ってるだけで、バカなんだけど、それをオレと一緒になって
ああでもないこうでもないとレスして、文献に当たって返されたレスに
一貫してネット検索で返し、結局日英和親条約を引っ込めたのが
>>372 >ただ最近は日米和親条約、日英約定、日露通好条約、日蘭条約、日仏通好通商条約
↑がアンタのやってること。これは、
>昨日図書館によって本借りてきて、知識自慢するのも、
昨日ネットで手繰って、知識自慢するのも、
以前読んだ本をもとに知識自慢して得意になるのも、
実はなんの違いもない。
そうではないことをアンタ自信がここで証明している。
何度も書いてるけど、アンタのいう日英和親条約でいいんだよ。
アンタの御勝手だからね…。
はいはい、そうだね。
よかったね。
俺程度にすら達してないのに、
知識があると思い込んでいるのが、非常に面白いが、まあ思い込むのは勝手なんで。
ちなみにお前は日英協約を補足するものを一切だしてないからな。
386 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/24(水) 21:54:44 ID:riA05zNt0
幕府厨は
「幕府にはあんなすばらしい人がいたこんなすばらしい人もいた」
「幕府はこんなすばらしい政策をしていたこんなすばらしい政策もしていた」
という
ではそのすばらしい人たちは幕府の崩壊する時期に何をしていたのか
そのすばらしい政策をしていてなぜ幕府は滅びたのか
それにはまったく触れないのだ。
387 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/24(水) 22:07:06 ID:6NbdW4t40
ちなみに、佐幕厨房が尊ぶ五稜郭まで戦闘を続けた目付・永井尚志は、
長崎でイギリスに屈服し、不平等条約に調印した売国奴本人です。
388 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/24(水) 22:13:38 ID:yFgumLCw0
>>383 >俺の場合は三番目で、客観的に証明する為に、ネットで手繰ってソースとしている口だが、
それが図書館だろうが、ネットだろうが、どれほどの違いがあるかね?
違うねぇー。そもそも図書館まで行く前に、知り合いの史学科卒の友人に聞いてみた。
その上で、図書館へ行き司書に聞いて書庫から該当文献を出してもらった。
(事実、ここに書いていないことの方が多い)
その上で、どんな教育レベルの人でも理解する内容ー歴史辞典や外務省の文献などーを、
ここに書いた。英語の条約文書も手に入れたが、ずっとそれ以前の単語レベルで終わってしまった。
こういう過程が、pcの前に座って検索されたものと同一だとは思わない。
しかし強く印象に残ったのが今日の
>>372 >親を辞書で調べてみな、国語辞典でね。
ちなみに和親を三省堂の辞書で翻訳すると、Friendshipになるんだよ。
だ。ほとほと呆れた。議論しているのは、外交文書で使用する単語なのに
平気で自分に都合の良いものなら、それを自らの知識で確かめないで
書いてしまう。だから、英語が出来なかったんだろうと推測して書いたが
正直、そういう他人を中傷することは、ここで続けられている議論には意味がなかった。
謹んで謝罪する。すまなかった。
最後に、自分がその歴史上の表記を使うんだというなら、それはその当人が
決めることで構わないと思う。
389 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/24(水) 22:15:52 ID:yFgumLCw0
>こういう過程が、pcの前に座って検索されたものと同一だとは思わない。
気持ちは分かるよ、なんか図書館で一次史料見つけて、
それをみて書き込んだら、頭よくなった気がするんだよね。
俺も何年か前はそんなだったよ。
そしてネットで検索して反論するやからを低く見てた。
実はなんも変わらないことに、そのうち気付いてしまったけどね。
その程度のことで優越感を得ていた自分が恥ずかしくなったもんだよ。
所詮知らなかった、もしくは知識をえた時期がそいつより、少々早かっただけなのにね。
いずれ君にもわかるさ。
>だ。ほとほと呆れた。議論しているのは、外交文書で使用する単語なのに
ああ、分かってくれたんだ。
ならいいよ。自分のもっている和英辞書で翻訳したら、別の単語になったから、
違うって騒いでいたことでしょ。
微妙なニュアンスによって、訳文が複数になることはあるからね。
正式名称は、日本側の条約だか協定だか知らんが、その日本語の締結書類そのものに
書いてある表題っつーの?題名っつーか、その書類の名前。
それが日本側の正式名称だよ。日本と結んだ契約なら。
英語の方見て、大体こんなような名称だろ、と思っても別に実害ないけどな。
392 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/24(水) 22:43:56 ID:6NbdW4t40
>>389 都合が悪くなった、と言って、触れられたくない部分は全てスルーするんですね、君は。
393 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/24(水) 22:51:35 ID:+U+UB4Eh0
>>392 >ちなみに、佐幕厨房が尊ぶ五稜郭まで戦闘を続けた目付・永井尚志は、
長崎でイギリスに屈服し、不平等条約に調印した売国奴本人です。
別に。売国奴本人だからどうしたの?本当にそう思ってるようだから
賑やかに元気にやって下さいと書いただけのことだよ。
>>390 調べたついでで、お知らせするが、
「大日本古文書 幕末外国関係文書17」
東京帝國大学文科大学史料編纂掛 東京帝國大学 大正四年刊の
一五一の文書(439ページ)にあることが、日英和親、と表記する
根拠かもしれないよ。(但し、約定はついている)
お得意のネットで検索してみたら。
(上記は、原本で東京大学史料編纂所の復刻版ではない)
394 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/24(水) 22:58:23 ID:6NbdW4t40
>>393 認めましたね。幕府が幕末にやってきた条約締結は全て売国的暴挙に満ちた不平等なものだったのですよ。
この幕府が結んだ不平等条約群の改正に明治政府は苦心するのです。
395 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/24(水) 23:05:06 ID:PJlDTbjs0
>>394 そのように元気に今宵もやって下さい。
あなたは構って欲しいようですが、書き込み内容がつまらないので
相手できません。兎に角、元気にやって下さい。夜明けは遅くなりましたからね
396 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/24(水) 23:08:47 ID:PJlDTbjs0
>>394 史料批判を書いた「古文書学入門」佐藤進一 法政大学出版会は、面白い。
あなたも読んでみてはどうかと思うよ。
397 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/24(水) 23:11:30 ID:6NbdW4t40
>>395 君の失言のおかげで、ますます君に都合の悪い展開になりました。喜ばしいことですね。
>>395 早速注文させていただきました。面白そうな予感。
おっと、後ろの方は
>>396でした。謹んで訂正いたします。
399 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/24(水) 23:19:51 ID:k65P07jh0
>>368 薩長史観は、幕府に対する攻撃材料は針小棒大に誇張し、幕府の功績は徹底的に無視するのが特徴。
だから、開港に伴い家内工業的な既存産業の一部がダメージを受けたことを、
幕府の失策であるかのごとくあげつらってる意見も珍しくない。
しかし、江戸期の零細な木綿生産はどっちみち近代化に伴い淘汰される運命にあった。
製鉄所や機械工業の発展に伴い零細な鍛冶屋が激減したのと同じ。
もしも、薩長派が主張してるように、前近代的な生産様式を高関税をかけて保護してたならば、
繊維産業も重工業も発達せず、朝鮮のような三流後進国に転落してた。
ちなみに幕末期以降、日本の木綿需要は急拡大しており、それに伴い生産・流通機構が大きく様変わりしてる。
例えば最も初期の史料の「明治七年府県別物産表」から明治7年と明治27年を比較すると、
全国の木綿生産量は2.5倍に急増しており、特に愛知などマニュファクチュアが進んだ産地の発展が目覚しい。
一方で輸入綿製品は、国内需要の1/3程度を押さえたのがピークで、
日本側の綿紡績工業の発展とともに、そのシェアをどんどん落としてる。
旧来の家内工業的な木綿生産者が打撃を受けたことは、あくまでも末端の現象であり、
日本全体で見れば開港から1900年頃までの期間は、日本の近代産業の礎が築かれた時期と見るべき。
重関税をかけて保護してから、日本の産業が発展したのは事実。
そうやって国内で体力つけさせるわけ。
国内で競争はもちろんあるので、西洋の技術がはいってくれば、
前近代的な生産様式を維持する会社は即効でつぶれる。
401 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/24(水) 23:46:14 ID:AFdG/jxG0
日米和親条約では、すべての輸出税は5%。
輸入税はほとんどの商品が20%、綿製品が5%だった。
アヘン取引は厳禁とされ、外国人の日本国内の旅行も禁止。
中国の天津条約などと比べると格段に日本に有利な内容。
どう見ても日本よりもアメリカにとって不平等な内容の条約だよな。
イギリスは日本が勝手に外国に不利な内容の条約を結んだことに不快感をもっており、
これが薩長などの反幕勢力を支援する動機ともなった。
402 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/25(木) 00:20:01 ID:w0BVfeBM0
>>399 >薩長史観は、幕府に対する攻撃材料は針小棒大に誇張し、幕府の功績は徹底的に無視するのが特徴。
幕府の功績?犬小屋を建てたことぐらいだな。お前は江戸時代は犬だったんだろ。
人間に生まれ変われたのは幕府のおかげと思い込んでいるんだろ。
律儀なことだな。まあ「幕府の犬」という言葉があるぐらいだから勝手に吼えてればいいさ。
403 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/25(木) 00:52:20 ID:jHA5pFdg0
>しかし、江戸期の零細な木綿生産はどっちみち近代化に伴い淘汰される運命にあった
そして仕事を失った人々が幕府の御政道に不満を持ち、一揆や打ち壊しなどを始める。
彼らが作った世論に後押しされた薩長が幕府を倒す事もまた自然な事だったという事だな。
つまり、幕府もまた淘汰される宿命だったという事だ。
>>399 別に俺は幕府の失策だとは主張してないが。開国したらどうしてもそうなるだろうし。
ただ、ダメージ受けたのは零細家内制工業の一部じゃないだろう。
開港を境に、高い輸出価格に伴って国内の生糸価格は鰻登りに上昇してる。
これによって一次生産者が利益を得たのは当然だろうが、その割を食うのは国内加工業者と消費者な訳で。
また、それや金の流出に伴う物価の高騰で民衆が不満を覚え、国内不満が高まったのも仕方ない。
そのリスクに幕府が耐え切れなくなったっつーことじゃないのか。
ちなみに薩長は、前近代的な産業形体を保護しようとしてたっけ。有司専制はその逆だったように思うのだが。
国内産業の保護は、物価の安定と国民生活の保護に必要だったってだけの話じゃないのか?
405 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/25(木) 03:11:30 ID:2FZo/A2g0
>>2現状での満足度が高いんじゃね?
他の国じゃ庶民と奴隷なんてあんま変わらんような。
406 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/25(木) 09:39:28 ID:V57LkfyI0
幕府は末期になってあわてて親方葵で軽輩・非士分・他藩から人材を掻き集めるよりも、
無駄飯ぐらいの直参を改易し、大奥を全廃するべきだった。
桜田門外の変を狂歌にしてあざ笑い、
長州戦争であれだけやる気ゼロで大阪で遊びほうけてた幕臣連中が
大政奉還に大反発・王政復古のクーデターに激怒して戦意満々になったのは
財産と権力という既得権益が侵されるのを恐れたため。
滅びるべくして滅びたという感じだよな。
407 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/25(木) 18:49:07 ID:V1wlJo5q0
あの二人は、どちらも間違っていたからと、
双方で謝罪して和解することはないようだな。
408 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/25(木) 20:01:21 ID:8mXDJs9m0
>>399 1873年に日本国政府の殖産興業政策の民業育成方針への転換に対応して、
民間の産業投資がいっせいに展開したのではないか?地租改正によって
産業投資のための「計算可能性」(M・ウェーバー)が成立したのが、
そのきっかけになった。*ウェーバーは、「支配の社会学」のなかで、
「産業資本主義」が成立するためには、工業経営において労働が組織化され、
多くの固定資本が投下されなければらないため、将来における確実な利益予測が
可能かどうかが問題となるとし、恣意的な国家的収奪があるところでは、
産業資本主義は育たないと書いている。明治維新のさいに、議会はまだないが、
地租改正によって曲がりなりにも農民の土地に対する権利が保障され、恣意的な
収奪に歯止めがかかったことが、産業資本のもっとも重要な契機になったと
思われる。
409 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/25(木) 21:17:22 ID:0zKH+zlz0
>>368 >ただし、この分野の研究はまだ進んでいないので詳細はよく分らない、としている。
その後の日本経済史の研究では、戦後、マニュ説(服部之総)でも問屋説(土屋喬雄)でも
なく、堀江英一氏の小営業段階末期説が有力になった。
堀江説以降の実証研究では、例えば「世界資本主義と開港」(東京大学出版会)
所収で、イギリス経済史家の吉岡昭彦さんが
「マニュ段階であっても、マニュファクチュアと大工業というのは、
生産力格差からいっても問題にならないわけですから、大工業に
よって生産された商品がどんどん入ってくれば、マニュであろうと
小営業であろうと、とうてい太刀うちできないということは明らかです」
と、従来の発展段階説論争そのものが無意味だと言っている。その後、
川勝平太や阿部武士が、機械制大工業による安い綿織物が輸入されても、
在来の綿織物と使用価値の面で競合しなければ、在来綿織物業はマニュや
小営業のままでも存続できるはずであり、事実幕末維新期には在来織物業が
潰されずに存続したという議論を提起した。さらに、綿織物業の産地間競争で
生き残る産地では、綿糸商人が開港場から安い綿糸を買って来て農家に織らせており、
そうした商人の対応の有無が重要な意味をもつという谷本雅之の研究もある。
石井寛治は、日本人商人が活躍できたのは、外国商人の内地通商権を否定したことであことと、
日本の都市商人で資金力のあるものが開港場へ出掛けて現金取引を行った結果であるという
商人的対応論を出した。研究史の概略はそんなところ。
為替をまともにしてれば、内地通商権など否定せんでもよかったんだがなあ。
日本経済史から関連することでは、日本商人の蓄積が、どのように近代産業へ
投入されたかという大きな研究課題がある。横浜での内外の貿易関係商人の
やりとりを調べ日本側の商人的対応の成功について論じた石井の研究があるけど、
その後、谷本らが地方商人の活動も大事だとして研究を進めた。
そのことの解明が、次の明治期における日本の産業革命期についてにつながる。
通説として、山田盛太郎「日本資本主義分析」の"朝鮮・中国への軍事的侵略である
日清・日露戦争によって支えられ推進した”というものがあるけど、戦争による
利益を使って日本の産業革命が展開したことが具体的に跡付けられていない根本的な
難点がある。例えば、日清戦争賠償金を使った官営八幡製鉄所の設立について、実際に
賠償金から投入されたのはわずか58万円で、収支が黒字になる1910年までの投資4000万円の
ごく一部に過ぎなかった。賠償金の大部分は来るべきロシアとの戦争に備えて軍備拡張に
投入されている。第二次世界大戦後の日独経済の急成長と米ソ経済の停滞の要因として
軍事負担の軽重を考えると、日清・日露の大戦争は、経済発展に関してはむしろ阻害要因
だったと見るべきであり、軍事支出は、一部の軍需産業を潤すとはいえ、国民経済的には
生産力の増強にはつながらない再生産外消耗ではないか?そんな風に戦争による利益が
産業投資にはほとんど回らず、周知のように1899年の条約改正までは、外国資本の輸入が
禁止されていたとすると、国内で資本形成をせざるをえないことになるが、その中心を
担った商人の産業投資については実証的な研究はまだ少ない。
412 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/26(金) 20:59:27 ID:S8d21VJn0
ここのスレで、薩長史観にたつ人が書いていることを読むと、薩長のやったことが
歴史の「必然性」があり、それがそのまま歴史の「現実性」を示すものと誤解している。
そうだとすると、そこには生身の人間が関与する余地はなく、一種の運命論に
堕するしかない。歴史の必然性というのは現実性そのものではなく、必然性を
歴史の現実性に転化させるものは生身の人間の活動であり、そこにはどんなに小さくても
人間の自由な選択が働いていると見なすことが必要だと思う。
そのことを、学習院の井上先生は、こんな風に書いている。
”その場にあるだけで、政治指導性が保証されるわけではない。自己の政治指導を維持する
ためには、状況に埋没する事を避けなければならない。状況から隔たって自己の存在を挙証し
続ける行動が、創造力を育てるのである”
”日本の時代史”20卷「開国と幕末の動乱」吉川弘文館2004。
…と、こういうことを書くと、分けの分からないことをレスしてくるのかな…。
413 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/26(金) 21:03:56 ID:0R8CsJtJ0
会津史観・佐幕史観の人に言われてもなぁw
414 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/26(金) 21:40:45 ID:/i+jcBS40
>>413 井上先生は、山口の出身であることを押さえた上での、引用だったんだが…
415 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/26(金) 22:17:45 ID:6y0DyeAE0
>>410 国内金銀交換レートの国際水準からの乖離問題についてなら、
幕府が通商条約締結後たった2年で解決してる。
小栗上野介がアメリカに乗り込み真正面から正論をぶつけた結果だ。
これとは対照的に、岩倉使節団は条約改正を投げ出し、
井上は鹿鳴館で外国人相手の男メカケとなってしまった。
>>411 開港によって絹が日本に膨大な富をもたらしたんだよ。
福沢諭吉は、唐人往来で、人口10万人程度のある小藩が、
絹取引で年間90万両の膨大な利益をあげてると記録してる。
一人当たり9両の利益。領民はわれもわれもと蚕を飼い、
猟師も大工も金回りがよくなり、麦飯は米飯となった。
日本の近代化は幕府や政府が上から牽引したことが大きいんだけど、
それが可能だったのは地方が豊かだったから。
紡績や金融など多くの企業は地方の地元資本によって設立されてる。
>>412 日本の近代化は必然。薩長による権力簒奪は偶然の産物。
日本の生糸の価格はそれでも半分程度、
ぶっちゃけ日本の円が200円くらいだとしたほうがいい。
だから解決なんて全くしてないの。
金銀と物価の価格差が日本では大きくあったんだから。
伊達に黄金の国ジパングだったわけじゃない。
417 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/27(土) 06:34:51 ID:ui8CdVBP0
>>412 歴史の必然性をかたるならむしろ…
既得権益者側からの改革は困難を極める。なぜならその改革により自らの権利を
喪失してしまう可能性があるから。
そして、権力を持たない側からすれば外圧による改革はむしろ望むべき形なのである。
このことは人間の本質(欲深く、単調)に依存するものであるから
歴史に必然性はあって当然なのだ。
むしろ高尚な理論により人が動くことはめったにない。
その現実を理解することが大切であろう。
418 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/27(土) 06:41:31 ID:ui8CdVBP0
そしてこの現実を理解している上で初めて指導者には
時代を選択できる権利が与えられるのだ。
この権利は大衆には与えられない。なぜならそこまでの理解に達しないから。
一部の識者には最低限の人間性を理解した上での行動力が求められる。
人間が何かできるとすれば、人間の本質的な行動パターンを理解した上で
構築されるものに限られるだろう。
それはどうやっても動かせない必然性の上に、知恵と勇気により築かれるであろう。
419 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/27(土) 08:55:28 ID:6Td0mYxfO
その見解は独善的で電波くさいです。なぜ佐幕の人は自分の欠点を他人に押し付けて威張るのか分かりません。
420 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/27(土) 11:29:47 ID:SpxnslfD0
>>419 横レスだけど、
佐幕という用語を使われる人、あなたは何歳ですか?
とても興味があります。
>>412 歴史に必然はない。
発展、衰退、停滞、どれをえらぶかは時の指導層の決断による。
時代が求めていたから、ということはない。
新政府が発展させ、幕府が停滞ないしは、衰退をずっと選択し続けていたのは、
歴史の必要性ではなくて、あくまで両者の指導者の資質と、
判断の差異に他ならない。
もちろん前提条件が変われば、決断は変わる。
それをもって歴史の必然性とかいうやからもいるが、それは実は関係ない。
薦めないものなど腐るほどいる。
422 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/28(日) 08:07:18 ID:OnyAkoue0
>>421の語る事も一つの歴史観という事であり、別の歴史観もまた存在しているのであった。
423 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/28(日) 11:47:50 ID:AbjB+eFB0
>>421 江戸期を停滞の時代と見るのは誤り。
資本主義的な流通や生産は、すでに江戸期に萌芽的な形態で発展してる。
さらに江戸を中心に成熟した市民文化が花開き、欧米に大きなインパクトを与えた。
また開国近代化を選択したのは幕府の指導者。
薩長は、それに対し時代遅れな攘夷を対置して騒乱を引き起こす。
そして明治以降は、バカげた復古思想を撒き散らして、文明開化に抵抗し、
さらに廃仏毀釈などによって伝統的な日本文化を破壊しまくってる。
しかし、薩長の抵抗にかかわらず、日本の近代化は既に規定路線となっており、
優秀な幕府の人材や組織が明治以降の発展を牽引した。
424 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/28(日) 11:57:25 ID:4Ygs9uib0
佐幕って、恥知らずだから嘘をばら撒いても平気なんだね。
江戸時代は停滞どころか衰退の時代だよ。
暗黒時代というのが正しく、国民の多くは飢饉と餓死と隣りあわせで、
諸藩に江戸滞在をさせて、無理やり消費させたもので、
潤っていたのが魔都穢土、今で言えば、北朝鮮でもピョンヤンだけ暮らしが豊かなのと同じ。
またその穢土にしても、町民のほとんどは家庭ももてず、長屋で老いて糞して死ぬのが仕事。
江戸中期以降、穢土の人口が大きくへったのをみてもわかるように、
幕府の統治が糞だとわかる。
また廃仏毀釈は寺社に対する庶民の反発が原因。
幕府の最低な統治に力を貸して、その末端を担っていたのが寺社。
多くの寺が焼き討ちされたのは、庶民の不満の表れ。
また寺社はばくちで潤っている面もあり、
ヤクザとも懇意だった。
そして幕府には近代化の意志などない。
上から下まで全て馬鹿。
この議論、いつになく結構面白い。
ほんとに二人(以上)なんだろうか。自作自演?
あげあしのとりかたが、一人の人の2つの意見みたい。
両方とも相手を全否定、そして大して詳しくないという共通項があるからな
このスレが過疎らないよう、保守だけにならないようひとりの人間が頑張ってると言われても納得だな
428 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/29(月) 20:54:28 ID:uzscTC6D0
19世紀の日本政府はペリーの脅しに屈服して開国したヘタレと教科書ではなっているが、
1854(安政元年)年の3条約は開港を決めた条約であって、「通信」「通商」は規定されて
いなかった。このことはどのような意味を担っていたのか?ぜひ皆さんのご意見を聞いてみたい。
こんな風に書くとー人に聞く前にお前はどうなんだと必ず書いてきて、そのくせそのご当人は
その後、梨のつぶてのことがほとんどであるーいつものレスがくるから、ちょっとだけ書けば
条約締結後も、日本政府は「通信」「通商」関係の拡大を峻拒し続けた。その根拠としては、
1855(安政二)年、日英協約の批准書交換のためイギリス艦が再訪したとき、長崎奉行らが、
折から交渉中のオランダ条約(通商が主内容)に均定してほしいとの要求を拒み、「通商」への
関係拡大を頑強に拒んだ事実がある。このとき長崎港には総計十三隻の英仏艦が入港していたが、
そのペリー艦隊をはるかに上回る兵力を前に、日本代表は開港条約の固守に成功した。この時
徳川幕府内部では、「開国」を肯定的に評価し、基本政策の大転換を図ろうとする意見も台等していた。
そして、翌年には、一方で、イギリスの再度の要求を拒みつつ、他方では、それまで「鎖国」政策を
十年余にわたって追求してきた老中首座阿部正弘自身が、幕府有司に対して「通商」による富国強兵の
道を探るように指示するまでに至った。
429 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/29(月) 21:52:47 ID:aZtDaTQi0
>また廃仏毀釈は寺社に対する庶民の反発が原因。
寺社は寺院と神社の事だから
430 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/29(月) 23:00:29 ID:7e8Px+Cy0
みんな史料をどれくらい読んでるの?
「俺は史談会速記禄全巻読破したぜ!」みたいな猛者カモーン
薩長が莫迦騒ぎ起こすたびに幕府は諸外国に譲歩を迫られてるよね。
攘夷を言いながら列強の後押しをしてるようにしか見えない。
>>430 資料や本にこだわるとこを見るとあなたは有名なコテハン武陽陰士氏なの?
433 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/30(火) 00:34:10 ID:TvqPiSSv0
明治政府がやったのは「神仏分離」
この政策を勘違いした民間の人々がやったのが「廃仏毀釈」
434 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/30(火) 00:35:33 ID:TvqPiSSv0
>>431 そもそも幕府が攘夷実行を朝廷に約束した為、攘夷派がフィーバーしてただけでしょw
それちゃんと年代や出来事の順番調べてしゃべってるの?
436 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/30(火) 08:45:35 ID:+4s3LPxC0
>>428 もともとペリーが日本に求めたものは、中国との貿易のための一時寄港地としての役割であり、
食料・燃料の供給や漂流民の保護が主眼。日本との貿易はあくまでも副次的な位置づけだった。
これが『「通信」「通商」は規定されていなかった』主な要因。
当時極東において最も凶悪な存在はイギリスで、アヘン戦争に続き、1857年にはアロー号事件が起き、
英仏は広州を占領し、中国に不平等な天津条約を押し付けてる。
一方のアメリカは中国市場への進出を渇望してたけど、イギリスに占め出されてる状況。
日本に赴任したハリスは商人だったから、極東への足がかりとして日本との通商貿易を望んだ。
日本としてはイギリスとの軍事衝突によって開国を迫られるよりも、
対イギリスという点で利害が一致するアメリカとの間で、先行的に通商関係を開く方が有利。
こうした状況によってアメリカとの修好通商条約に至る。
437 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/30(火) 10:40:58 ID:33cEAwU/0
江戸時代は暗黒時代だよ。農民は生かさず殺さずで搾り取られて飢饉でばたばた死んでいったし
武士は町民を斬り殺しても咎められなかったし女性は三行半一枚で離縁されたし現在まで続く身分
差別を作ったのも江戸時代。鎖国のせいで世界から立ち遅れたしで、いいこと一つもない。あんな時代を
讃えるやつの気が知れない。
438 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/30(火) 16:39:37 ID:hKab4jwH0
少しは国語勉強したか?
寺社の意味は理解できたか?
439 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/30(火) 17:56:17 ID:Rn6e2CYU0
>>436 1858(安政五)年の日米修好通商条約は、国内から強い批判を被った。
折から問題化した将軍継嗣問題と複合して、近世日本で最大の政治対立を
呼び起こし、徳川幕府の崩壊するきっかけを作った。開港条約のときには
批判が表面化しなかったのに、なぜ日米修好通商条約の際に激しい批判と
政争が生まれたのか?最初の条約の時、徳川幕府にはまだあからさまな批判を
許さぬ権威があった。しかし安政五年の修好通商条約の時にはなくなっていた。
日米和親条約1854(安政元)年から、日米修好通商条約1858(安政五)年までの
四年の間になにがあって、幕府の権威は失われたのか?色々ご意見、聞かせて
440 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/30(火) 18:09:01 ID:S26tVtN30
無勅許調印だったからでしょ?
>>429 江戸時代は一緒だよ。
神仏分離令によってこれらがやっと分けられた。
というか糞幕府が一緒にしてしまったわけだがね。
仏教しか認めない、ということで、
神社は神棚に仏様おいて、仏教化することを強いられた。
>>437 一番上は正しいが、
武士は町人を切っても無罪にはならない。
女性の三行半にしても、女性から望むケースも多く、
別段そこまで男女の地位に差があったわけではない、
まあ戦国時代よりも、江戸時代のほうが地位が下がったのは事実ではあるがね。
その後、明治期に欧米にならったから、さらに下がったが。
ただ鎖国のせいで、日本が欧米に遅れをとり、
明治政府が苦労したのは、全て幕府の罪だろうな。
>>440 >無勅許調印だったからでしょ?
勅許が必要だといっても、はっきり言えばそれは建前でしかない。
もう少し史実にそって議論をしないと、その道筋がはっきりしない。
これまでも幕府が政策を決定するのに、いちいち朝廷にお伺いを
立てていたわけではない。政策課題が国内問題だけに限られている時
なら、徳川家がいちばん強いのだから、それで済んでいた。
しかし、西欧列強との通商関係ということが課題になっている状況では
そうはいかない。幕府が日本という国家を、西欧世界に対して代表する
ものという合意は、大名領主の間でなりたってはいなかった。つまり、
親藩・外様連合の言い分は、西欧列強を相手にするという場面では、
幕府といってもしょせん一大名徳川家にすぎないではないか、幕府に
任せておけばわれわれ全体の安全が保障されるとは限らないという
見解だった。話がややっこしくなるが、では誰かほかの大名が徳川家に
替われば済むという話では、当時の社会構造からなかった。それでも、
大名領主の総意をどこかで集約をしていかなければならないけど、
そういうファンクションを果たすものは、あくまで、当時は、朝廷だった。
その総意は表面的には「勅」、天皇の意思だという形をとるしかないことから
親藩・外様連合は、朝廷に対して自分たちの意思を「勅」としてあらわすための
政治工作を盛んにやっていた。それが、「京都手入れ」と呼ばれるものだ。
越前・松平吉永の腹心、橋本左内がその代表だろう。
444 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/30(火) 20:12:32 ID:Za3Q2MDy0
>>443 >越前・松平吉永の腹心、
こりゃあひどいな。
<正>松平慶永です。
445 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/30(火) 21:10:46 ID:S26tVtN30
1840年代に日本沿岸にロシアなどが頻々と来航するようになり、
朝廷が幕府に「海防をしっかりするように」と言いつけた。
それまで何も発言はしなかった朝廷が、野心があったわけでもないだろうが、
幕府にモノもうすという事をした。
1853〜1854年の日米和親条約の祭には、幕府のほうから朝廷に
「よろしゅうございますね」と伺いを立て、朝廷も本心では嫌だったが了承した。
この時幕府は、通商を結びたいという米国の要望を先送りした。
3年後、ついに通商条約を結ばなくてはならないという状況になったが
この時期は幕政問題として親・水戸斉昭の阿部政権から反・斉昭である堀田政権に交代し、
また将軍後継者問題が過熱化している時期でもあった。
井伊直弼を含む堀田一派(南紀派)は、斉昭を黙らせ、また後継者問題に決定打を与えるために、
条約・後継の両方に勅許・内勅をもらうことを考え、京都に行った。
これまでの経緯から勅は簡単に降りると彼らは思っていたが、
それは朝廷に対し不本意な政策・徳川内部の家政問題のそれぞれ解決に朝廷を利用しようとする
ムシのいい考えといえた。
一方で斉昭一派(一橋派)も将軍継嗣問題に巻き返しを図る為に上京し、
慶喜推薦の勅をもらおうとした。
斉昭は関白鷹司の義弟である縁故から、ペリー来航以前から朝廷とつながりを持っていた。
(京都手入れ)
446 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/30(火) 21:11:20 ID:S26tVtN30
結局、堀田は条約勅許を貰えず、継嗣についても曖昧な文言しか得ることが出来なかった。
京都における一橋派の影響力を知った堀田は、慶喜が朝廷の意向に沿う人材であり、
彼を推すことで朝廷の歓心を買え、条約勅許が可能になるであろうという観点から
江戸帰還後、一橋派に転向した。
それが井伊らの忌避に触れ、井伊の大老就任後、堀田は罷免され、
後継は紀伊慶福(家茂)に決定された。
井伊は一方では条約勅許は得るべきだと考えていたが、
英仏に対日通商条約の一番乗りの功績を奪われるのを恐れたハリスに脅され、
無勅許で条約を結んだ。
それが戊牛の密勅、安政の大獄に発展していくのは周知の事実だが、
すべては十三代将軍家定がイケメン慶喜に嫉妬し
彼に継がすぐらいなら家茂に継がすと考えたことから起こった悲劇といえよう。
>1853〜1854年の日米和親条約の祭には、幕府のほうから朝廷に
「よろしゅうございますね」と伺いを立て、朝廷も本心では嫌だったが了承した。
それは違うのでは?
朝廷は問題なしとしている。幕府は同じような内容の条約を米・英・露三カ国との
間に結んだ後、それを安政二年九月に朝廷に報告した。これに対して、朝廷は
「段々の御処置ぶり、つぶさに聞こし召され、殊の外叡感にあらわされ、まず
もって御安心あそばされ候。容易ならざる事情、かくまでに居り合い候段、
千万御苦労の御義と思し召され候」と答えている。(続日本史籍叢書「開国始末」
全二巻 東京大学出版会 1984)
上記の文意は、つまり、よくやった、ご苦労であるということで、あなたの
>朝廷も本心では嫌だったが了承した。
それは、どのような史料にあるの?
448 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/30(火) 23:32:38 ID:534WjuuF0
とにかく斉昭が諸悪の元凶だ。
斉昭は大奥をちんぽ丸出しでうろつき回り、
手当たり次第に大奥の女官を襲った変態で、
大奥から蛇蝎のごとく毛嫌いされてた。
これが後に品行方正な井伊直弼と対立する原因となる。
449 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/01(水) 00:14:38 ID:sHAUPjae0
というか糞幕府が一緒にしてしまったわけだがね。
仏教しか認めない、ということで、
神社は神棚に仏様おいて、仏教化することを強いられた
無知丸出しw
義務教育は受けた方が良いぞw
神仏習合が江戸幕府により、強引に進められたってことを、こいつはしらんらしいな。
佐幕派だし仕方ないか。
>>450 >神仏習合が江戸幕府により、強引に進められた
見た事が無い.何時の事か?
誰がそんなことを言っているのか?
452 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/01(水) 22:25:52 ID:sHAUPjae0
450は中学も卒業してないから・・・・
というか、いくらもらえるの?
>>451-452 おまいらどうしようもないな。
江戸幕府の国教が事実上仏教になってしまい。
幕府は寺を支配の末端にして、全ての民を特定の寺に登録させるようにしたわけだ。
そして民は寺に冠婚葬祭をやってもらい、また金品を貢システムが江戸時代に出来上がった。
全ての国民に仏教を強制させたわけね。
寺の台帳に載らないってことが、いわば村八分というわけ。
キリシタンとかにされてしまうわけ。
ここで困ったのが神道。
今までは、伊勢とかの大手以外でも、
地域の神様祭って、地域の民の信仰を集めていたわけで、
神主も食いっぱぐれなかったんだが、檀家制度により、全て寺にとられてしまい。
やっていけなくなってしまった。
結果しぶしぶ仏様も一緒に祭って(神道は祭る神様はいくらいてもいい)
やっと認められたってわけ。
こんなところは形だけだから、幕府が滅んだから、さっさと仏様を処分したとさ。
本地垂迹説をとって、仏教化してしまったところもあるにはあるけどね。
京都の吉田とか許認可してるところもあるんだが、
これはギルドというか座というか、そんなもんだし。
454 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/02(木) 00:52:57 ID:PPx4V4p/0
えっと神仏習合が大流行するのは平安時代から鎌倉時代ですよw
江戸時代には神仏習合はごく普通の状態です。
幕府は仏教を強制した訳ではなく、幕藩体制の統治装置の一つとして寺を活用しました。
寺は檀家という形で人を管理し、寺は寺社奉行によって管理されるという支配の形です。
従って、神道が衰退したのは
>>453の言う通りですが、幕府が神道を蔑ろにした訳ではありません。
江戸中期から後期にかけて国学が流行し、その課程で神道の思想が純化されました。
その結果、日本の神々とそうではない仏とを分けるという考え方も広まっていったという訳です。
455 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/02(木) 02:02:19 ID:IKXWLX5K0
明治政府の存在根拠は記紀神話にあり、天皇を現人神と神格化。
神祇官を使って国民を扇動し日本の文化遺産を破壊しまくった。
破壊の規模はポルポト派やタリバンなどの文化財破壊をはるかに超え、
近世においてこれほど徹底的に自国文化を破壊しまくった政権は世界的にも珍しい。
江戸後期神道が復興したのは、幕府が寛容だったのではなく、
神道が必死に布教活動したからですよ、
ちなみにこれ非合法活動で、幕府は当然認めていません。
そして神仏習合が生まれたのは、その時代ですが、
神仏習合が一気に進んだのは、江戸時代。
それも平安時代や鎌倉時代の神仏習合はどちらかというと、
仏教が布教のため、現地の神々を取り込もうとしたわけで、
江戸時代のとは別物です。
457 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/02(木) 11:23:36 ID:o3BEvMR+0
江戸時代神道が衰微したのは、幕府が不寛容だったからではなく、
神官が学問を修めることもなく不勉強だったからですよ。
山王神道など神仏習合の理論を整備したのは僧侶
そのお陰で神道も命脈を保てた。
>ちなみにこれ非合法活動で、幕府は当然認めていません
それ平田派だけでしょ。
しかも神道を弾圧したのではなく平田の思想が「人心を惑わす」くらいオカルトじみてたから。
それと廃仏は朱子学の影響で水戸藩など江戸初期には行われている。
>神仏習合が一気に進んだのは、江戸時代
それ典拠はなに?
だれの論文?
寡聞にして知らないから教えて下さい。
>江戸時代のとは別物です
それじゃ江戸時代の神仏習合って何?
>>455 カルト宗教儒教の朱子学をもって、日本人を洗脳したのが幕府だろうがw
>>457 >神官が学問を修めることもなく不勉強だったからですよ。
そもそも神道に学問とかいっている時点で馬鹿決定だな。
>山王神道など神仏習合の理論を整備したのは僧侶
それは現地で信じられているものを取り込むという、
布教でよくやられる手段。
あの排他的なキリスト教でも、地域で信仰されていた宗教施設をのっとって、
教会にしたり、現地の習俗か慣習をとりこんで世界的に広まることに成功した。
>しかも神道を弾圧したのではなく平田の思想が「人心を惑わす」くらいオカルトじみてたから。
井上も弾圧されてるよ、というか基本的に江戸時代は、布教活動そのものが禁止されているものなの。
国越えも簡単にできないしね。
ていうか幕府にとって都合が悪いから、人心を惑わすとかいって、オカルト呼ばわりしてるだけだろ。
そもそも宗教なんて基本的にオカルトなんだよ。
>寡聞にして知らないから教えて下さい。
井上と神道ソングライターの著書嫁。
仏教化することで、生き残りを図ったわけ。
>それじゃ江戸時代の神仏習合って何?
それまでの神仏習合は仏教が布教の為に、作り出したもの。
(それに反発する形で、神道側から、逆に仏こそが、神の代理人という概念も生まれたがね)
だが江戸時代は、仏教以外は認められず。神社は寺として生き残るしかなかったわけ。
453で分からないようなら、どうしようもない。
459 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/02(木) 20:30:31 ID:vDpQd8Km0
江戸時代なんて最悪の時代だよ。
武士は特権階級で威張り腐るし、イエ制度ですべてがまわって当主と長男以外は人間扱いされないし、
信教の自由も旅行の自由もないし、庶民の政治参加どころか、政府批判の自由さえない。
遊郭の女郎の平均寿命は23歳だっけ?
こんな時代を賞賛する杉浦日向●(伏字の意味ねえ)はどうかしている。
460 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/02(木) 21:18:40 ID:N5rzXUGh0
>>459 そうかもしれんが、君はそれほど有意義に人生を生きているのか?
もしかしたら、23歳で亡くなった方が喜ぶ人がいる人生を歩んでいないか?
461 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/03(金) 00:08:50 ID:ZIy/5Akn0
>そもそも神道に学問とかいっている時点で馬鹿決定だな。
つまり神職は学問の無いバカという意味だなw
>井上と神道ソングライターの著書嫁。
ぷっ鎌田かw宗教学会でも浮いてるもんなw
どうせその程度だろうと思っていたがなw
あのな俺は学術的な論文または原資料を出せと言ってるわけ、学術の意味が理解できないのか?
まあ、おまえの無知ぶりはよく分かった。
相手にするだけ時間の無駄だ。
一つだけ言っておく、今からでも遅くはない中学ちゃんと卒業しろw
462 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/03(金) 00:14:37 ID:ZIy/5Akn0
禊教にしろ教派神道はカルトw
463 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/03(金) 01:25:40 ID:ByL87vJy0
あのさw
神道は布教するものじゃないよw
あれは氏子という言葉に代表されるようにその土地に根ざしている。
日本の総氏神が伊勢神宮で、江戸時代は「御伊勢さん参り」が大流行している。
寺は幕府の支配機関の一部を担い、檀家制を行っているが、同じように神道も氏子制なの。
一つの村を例に取れば、村人は法要を営む時には寺、秋祭りやお正月は氏神を祭った神社に行く。
寺は坊さんは説法の旅とかして土地を流離うが、神主は土地に縛られているから基本的には移動しない。
だから布教だってあんまりしないよ。
464 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/03(金) 01:54:33 ID:d5HyQ5WHO
八幡神社は、祭神が応神天皇であることから、もともとは皇室の守り神である。
また、源 頼義が、源氏の「氏神」として、鎌倉の鶴岡八幡宮を創建したのである。
「氏神」というのは「氏」すなわち一族繁栄のための神だ。
もちろん源 頼義は皇室の血を引いてるものの、れきっとした武家である。
自分は一切史料も出さず、相手を罵倒するのが佐幕派ってやつだな。
まあ佐幕派なんて、まともな本読んでいるわけない品。仕方ない。
おそらく歴史小説を史実と勘違いしているんだろう。
それで相手を非難しているんだから、わらえるんだが。
466 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/03(金) 08:27:10 ID:1k4AZeK40
>>465 でも、日本の政治史でもとびきり複雑な幕末・維新史は、これこれのことが
この史料にあると書いても、それで歴史の解明とはならず、史料だけで全てを
カバーし切れないのから、第一線の研究者が書いた研究書という文献をベースに
することも必要だよ。問題はそういう史料・文献を前提に書いていても、まるで知らない奴が
読むと、議論が噛み合わないことだがね…。
467 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/03(金) 09:54:50 ID:ZIy/5Akn0
神道ソングライターって誰?
歌手?
469 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/04(土) 20:12:14 ID:ApX+yw6a0
ここに住み着いた自演おじさんはどこかへ出掛けた?
470 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/05(日) 02:31:49 ID:VqKgbI7iO
471 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/05(日) 08:55:21 ID:q2ATZgCp0
日本で日米修好通商条約をめぐる政争の火が燃え盛り始めた頃、隣国朝鮮では
国王高宗の実父大院君が国政の実権を握り、野心的な改革に取りかかっていた。
対外政策では極めて意欲的な政策を実行。それは徹底的な攘夷政策だった。
西洋諸国は大清と日本に加え、朝鮮にも興味を持ち始め、フランスは1866年、
潜入していたキリスト教宣教師九人が逮捕され、殺害される事件が起こった。
フランスは3隻の艦隊を派遣して、報復を試みた。フランス軍は江華島に上陸し、
ソウル付近でも戦闘したが、二ヶ月近くの後、撃退された。次いで、1871年
アメリカは、1866年の自国略奪船に対する焼き討ちへの報復と通商要求のために
5隻の艦隊をもって江華島を攻撃したが、やはり最終的には撃退された。大君院は
二度の攘夷戦争に成功した。日本は、長州や薩摩が局地的戦争を闘い、敗北し、
そして、幕府は対外戦争を回避し続けた。攘夷思想からみれば、朝鮮は短期的には
成功し、幕府は失敗した。しかし、長期的には、日本は徳川の覇権を犠牲にして
徹底的な改革による生き残りに成功し、朝鮮は結局、その一見臆病に見えた日本に
よって征服されることになった。この史実は色々な教訓が読み取れる。短期と
長期、いくら英明な人物が政治を執行していても人の子であることからは、
離れられない。つまり将来の予測は限界があることを教えてくれる。
472 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/05(日) 16:17:33 ID:3Al+kxv20
尊皇攘夷思想を醸成するのに国学思想は大いに役立ったが
明治維新以後、日本が近代化するにあたってそれはむしろ邪魔になった。
473 :
市民:2008/10/06(月) 19:22:04 ID:mfT8BkMN0
474 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/07(火) 22:21:01 ID:KTJjV6r00
みんな江戸のことを悪し様に言うけど、明治の人々って、そんなに
幸せいっぱいに生きていたの?
475 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/07(火) 22:47:13 ID:1FU2VOyx0
>徳川時代を一言で言えば「天下泰平」。
>これほど長期の平和と安定が続いた例は世界史的にも珍しい。
>円熟した庶民文化が花開き、浮世絵、歌舞伎、俳諧等々、
>日本文化の粋が最高度に発展したのもこの時代。
>明治以降は薩長による日本文化の破壊活動が展開され、
>多くの文化遺産や芸能が消滅衰退した。
>日本人が自国の文化を灰にし西欧文化の猿真似を始めたことを、
>最も嘆いたのは皮肉にも日本通の外国人たちであった。
補足すると江戸時代は自由で多様なセクース文化が発展した時代だ。
しかし明治になると、ホモ文化圏の薩摩人や、他人にのみ道徳を押し付ける半島系長州人のせいで、
享楽的な江戸の庶民文化は衰退し、陰鬱で抑圧的な空気一色となる。
明治以降の日本が戦争ばかりなのは、鬱屈した国民の不満のはけ口が必要だったから。
476 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/07(火) 23:56:27 ID:VAUMiJfM0
>>474 それじゃ聞くが、江戸時代のように飢饉で雑草しか食べるものが無くて餓死することが
幸せいっぱいなのか?
477 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/08(水) 21:09:48 ID:C0BW1fe00
>>476 それじゃ聞くが、北鮮のように飢饉で雑草しか食べるものが無くて餓死することが
幸せいっぱいなのか?
478 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/08(水) 22:10:43 ID:sSu6j9BZ0
江戸と明治のどちらがいい・悪いという議論は、価値評価の基準を
設定できない以上、比較は意味がない。だから、
>>476や
>>477のような
何の意味もないDQN丸出しのことを平気で書く。
479 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/08(水) 22:22:02 ID:V3HIx6Se0
>>476-
>>477 うーん、一口に江戸時代と言っても265年有ったわけだから、全期通じて
飢饉にさらされていた訳でもないし、明治以降も飢饉は有ったわけだし、特に
終戦直後なんて北鮮と同じ状態だったでしょう。
ただ、私見としては、俺は476と同じ考えだね。明治と言うと因習に凝り固まった
江戸までの価値観を排除し、開明的で進歩的な国策を呈した輝かしい時代だと思われ
がちだけど(実は俺も昔はそう思っていた)それとはうらはらに、国民は重税に
苦しめられ、徴兵制に怯え、台頭してきた資本家の半奴隷的な雇用関係を強いられ、
富国政策の元で国土は公害で汚されるなど、決して江戸よりも住みやすい時代だった
とは言えなかったからね。
480 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/08(水) 22:32:50 ID:22akV3SV0
住民は楽にならなかったが、国家は飛躍した、と。
481 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/08(水) 22:46:17 ID:qLixCsEw0
>>479 明治以降の飢饉では人は餓死していない。
だが江戸時代では数十万規模の餓死が多発している。
江戸中期以降の餓死者は、日本でも一番頻度が高い時代。
これは江戸滞在、参勤交代といった、諸藩を苦しめる政策の結果だ。
気候だけが原因なら、明治に入っても、飢饉が多発してもいいのに、
それがなくなり、人口も増加に転じているのをみれば、違いが明確。
>>480 国家と国民全てが不幸になったのが江戸時代。
国家が飛躍し、国民も多少マシになったのが明治時代。
>>477 北朝鮮なんてもろ、江戸幕府と一緒だよ、
庶民は餓死してても、その富を吸い上げている。
幕府の要職と、そのお零れに預かれる江戸町民だけは食っていける。
寒冷地の農民たちが餓死しまくってる中、首都の住民と役人は食料にありつき
将軍様は側妾3000人おいて毎晩ドンチャン騒ぎ
ふつうに北朝鮮以下だと思うけど?w
483 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/09(木) 03:50:32 ID:7xjt82gA0
>>482 江戸時代の浮世絵、歌舞伎、瓦版などを見れば北鮮よりマシな生活を
していたことがよく分かる。
天保の大飢饉は天災だが、北鮮の飢饉は金王朝による人災だ。
484 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/09(木) 06:36:41 ID:o+WZZOin0
江戸の町民だけはそこそこ豊か=ピョンヤンの住民だけはそこそこ豊か。
一緒だよ。いつの時代でもそこそこ豊かで暮らしていける人たちはいる。
そして天保の大飢饉は半分人災。北朝鮮の飢饉も半分人災。
なぜなら大飢饉になったのは、困窮した諸藩が飢餓移出を強いられたためだからね。
参勤交代と江戸滞在費を捻出する為に、莫大な借金をしており。
その支払いをする為に、来年の収穫まで担保にしていた。
なおその大飢饉のときでも、江戸では普通に白米が食べられたという。
485 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/09(木) 17:24:37 ID:iriNCHjc0
「神武創業ノ始ニ被為基,諸事御一新,祭政一致之御制度ニ御回復被遊候」
この薩長の馬鹿スローガンの「神武」を「偉大なる首領様」に置き換えると、
北朝鮮のカルトな政祭一致体制になる。
486 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/09(木) 17:26:39 ID:Hfu/bDId0
487 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/09(木) 17:33:50 ID:Hfu/bDId0
>>485 それは倒幕のためのスローガンにすぎず、薩長は尊王攘夷論も
薩長藩閥政府になってからは言わなくなり、開国に転じた。
北鮮カルト集団は21世紀になっても鎖国を続ける古代国家のままだ。
この点が日本と朝鮮の歴史が別れる大きい相違点だな。
えっじゃないかえっじゃないかえっじゃないか!
○○やってもえっじゃないか!!
489 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/09(木) 22:25:27 ID:Z+dbMVr10
>>481 確かに、幕府の締め付けがそのまま各藩の農民にのしかかったのは、事実だよ。
でも、明治以降の飢饉だって餓死者は出ているよ、終戦直後の食糧難の頃なんて
どれくらい死んだと思っているの?。
490 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/09(木) 22:29:03 ID:o+WZZOin0
江戸時代の餓死者が数十万規模の大飢饉が数回、(実記には100万近い数字がある)
数万規模は数年に一度。
だが明治以降数万どころか、その100分の一規模の餓死者もでていない。
というか戦争やっているわけでもないのに。その規模の餓死者が出る異常さに気づけ。
これだから佐幕派は。
技術の進歩とかそういうのも考えようよ
とは言え流通面では封建体制というのは実に問題があったのも事実
492 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/09(木) 22:40:33 ID:o+WZZOin0
流通ね。
つまり街道の整備がめんどくさいし、整備して江戸に攻め込まれたら困るし、
諸藩を苦しませる為にやっている参勤交代がラクになってしまうから。
ろくに街道を整備せず、架橋もしないどころか、橋を壊し、さらに車輪の街道への持ち込み禁止などやって、
流通コストを増大させ。
海運にしても、大型船は許認可にし、竜骨や水密構造の船の製造を原則禁止し、
(許可した場合のみ可能で、江戸時代を通じて、小笠原探検などで一時的に作られたのみ)
大型船の接岸を出来ないように、湾口の整備もせず、危険の高い小型船ばかりにして、
リスクを上昇させ、流通コストを上げる政策をしたのが幕府なんですが?
これって人災といいません?
493 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/09(木) 22:45:38 ID:o+WZZOin0
気候をうんぬん言うなら、そもそも大正期ぐらいまで、寒冷だったし。
江戸初期がたまたま温暖なだけであって、その前は室町時代から、
ずっと寒冷化してる。
戦国時代にももちろん飢饉はあったが、江戸時代の飢饉ほど酷くはならなかった、
なぜなら、諸藩が戦国時代以上に酷使される幕藩体制はなく、
経済格差により、江戸が米を買い叩き、諸藩の食料が奪われることもなかったからな、
というか政策の全てを内乱防止の為に使い、
国土を荒廃させたって、どこの北朝鮮かといいたいですな。
当事の事情を考えずに江戸時代は暗黒とか行ってるのって言うのは
ちょっと前まで戦前は暗黒時代でーとか言ってたのと同じだな
495 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/10(金) 03:16:13 ID:Zvf57gUw0
明治以降は膨大な戦死者を出しており日本史上最悪の暗黒時代だよ。
日露戦争では無能乃木の思いつきで肉弾突撃をさせられ数万人の兵士が犬死。
無能軍医森の指示でビタミンを絶たれた兵士数万人が病死。
太平洋戦争では、寺内南方軍総司令官の無能無策により、
フィリピン決戦で37万人、インパール作戦で8万人が餓死してる。
長州人が藩閥のつながりだけで成り上がる北朝鮮型システムが、
これほど酷い犠牲者を産んだといえる。
496 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/10(金) 06:25:06 ID:ZFX77cfK0
要塞の攻略法としては妥当。それにどっちかというと参謀の伊知地だろう。
そして白米にしても、当時は分かっていなかったんだから、それで攻めるのもねえ。
寺内にしても、参謀本部の命令に従って、無駄口の案を認可しただけだし、
どうも批判する理由が意味不明。
497 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/10(金) 06:28:51 ID:zgJwKWIN0
>無能軍医森の指示でビタミンを絶たれた兵士数万人が病死
白米に原因があったとしても、最低限<喰わせていた>薩長閥と、
食糧を運ばずガダルカナルで多くの将兵を<餓死>させた東北人の作った軍閥
どっちがいい?w
「長州が滅びたら藩主父子と共に朝鮮へ亡命する」(高杉晋作)
499 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/10(金) 22:33:34 ID:xpX9UvHV0
>>497 どっちにしたって、明治政府には変わりない・・って、言うか、無責任な
官僚と、無能な政治家で構成されている現在の日本政府も実質的には明治
政府の後継政府である。
500 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/10(金) 23:01:01 ID:xpX9UvHV0
佐幕派も問題かも知れないけど、維新原理主義はもっと問題。
501 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/10(金) 23:59:57 ID:HR8tz9vU0
>>499 >どっちにしたって、明治政府には変わりない・・
ああ、明治維新以降の歴史の知識がないのかw
いいかい、明治時代の薩長閥は大正時代頃には衰退し、
東北人の東条英機らの策略で潰されている。
それ以後は軍閥が蔓延った。
昭和軍閥のトップは東北人が多いのはそれが理由。
だから「明治政府には変わりない」ではなく、明治政府(薩長閥)から全然変わってしまっている。
なんかこう、誇らしげに語る501を見てると胸が温かくなるというか
なんだろうね?
499にも首を傾げたくなるというか現在に比べると明治初期は遥かにまともな政治家が多いと思うけどさ
そんなことより教えてくれ
慶喜の恭順命令に反対して抗戦を叫んだ幕臣や彰義隊の連中
あいつら長州戦争のとき、一体何してたんだ?
第二次長州征伐時
・会津藩:徹底抗戦と長州藩破壊を主張するが、当人は参加せず
・新撰組:同じく。本来会津藩の雇ったゴマのハエなのだから、戦争は任務ではない
・江戸の旗本:寝ていた
16 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/22(土) 21:26:52 ID:XK9wcpTc0
>>6 松岡洋右は元満鉄総裁で、岸信介などととも、長州人が握る満州利権を代表する人物。
「大東亜共栄圏」「満蒙は日本の生命線」は、松岡がつくりだしたスローガンだが、
要するにこれは「オレの満州をアメリカから守るため、日本人は命をかけて戦え」と言ってるにすぎない。
主眼はあくまでも満州にあり、日本などどうなってもいいという無責任極まりない主張だ。
>>8 >木戸幸一の動きも考え合わせればこのような新長州閥結成への過程で
>対米開戦となったということができる。
キーマンは木戸幸一だね。
木戸は内大臣として事実上のキングメーカーの役割を果たしており、
近衛内閣も東条内閣も木戸がつくりだした体制だ。
近衛が中国からの撤兵を決意し、陸軍を天皇の御諚によって抑えようとしたとき、
木戸はそれを天皇に奏上せず握りつぶす。
これにより日本は中国撤兵の最後の機会を失うことになる。
閣内不一致で近衛内閣が倒れた後に、木戸の画策で誕生したのが東条内閣。
卑劣で保身に長けた木戸は、開戦責任を近衛に押し付けて死刑を逃れたけど、
本来なら木戸は日本人の手で絞首刑にすべき犯罪者だ。
506 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/11(土) 12:04:33 ID:zFb8/LKX0
と、東条など諸悪の根源であった東北人の軍閥の責任を追及せず、
彼らを押さえようとした人々に罪を擦り付けようとする会津厨。
そもそも東北人たちの軍閥が何をしなければ、問題だって発生しなかったんだけどなw。
鳥羽伏見の敗戦や朝敵になったのも、徳川慶喜が弱虫だったからと責任逃れしている東北人らしい主張だよねw
507 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/11(土) 22:05:21 ID:El6WHS8+0
>>501 いずれにしろ、昭和22年まで日本で機能していたのは、薩長(と、言うよりも
主に長州)が作った「大日本国憲法」であり、現在の「日本国憲法」も厳密にい
えば「大日本帝国憲法の改正版」なのである。貴殿のいう通り、確かに大正以降
は東北勢が中心の軍閥が主流をなした。が、やや誇大解釈(例えば統帥権の問題
等)があったにせよ、彼等はあくまでも「薩長が作ったルール」に則って事を起
こしており、また太平洋戦争の頃に精神的主柱だった「葉隠」は「薩長土肥」の
中の「肥前」に纏わるものである。つまり満州事変も、太平洋戦争も「大日本帝
国憲法」の範疇内で行われたものであり、勢力の入れ替わりがあったとは言え、
「薩長が作った政府」が起こしたのである。
508 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/11(土) 22:12:38 ID:1iZss8fp0
つまり、全ては東北人の犯行と言いたい訳ですね。
509 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/11(土) 22:22:33 ID:P4yDkzcD0
>>507 どんなにいい制度でも、運用する奴がアホなら、駄目という事例ですな。
完璧な制度などない、あくまでどれだけ上手く運用するかというだけだ。
明治の元勲は基本リスクを極力避けている。
厳しそうなら損切りが出来るのが、明治の元勲。
そしてじっと我慢して少しずつ儲けている。
昭和期の軍閥、おもに東北の人間だが、
彼らは損きりはしない、それどころか、負けを取り戻す為に。
さらにハイリスクな決断をしている傾向がある。
大日本帝国憲法がどうとかは実は関係ない、
当時の指導者の行動だよ。
510 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/11(土) 22:23:09 ID:El6WHS8+0
実行犯は東北だが、そのベースを作ったのが薩長
511 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/11(土) 22:25:04 ID:El6WHS8+0
>>509 詭弁だな、つまり薩長も完全ではなかったっていうことだ。
512 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/11(土) 22:41:58 ID:1iZss8fp0
インフラも整備をせずにいれば破壊してしまう。
ダムも放置すれば決壊する。
>>507の論理は、東北人は永遠に排除されるべき人間であった、ということだ。
513 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/11(土) 23:03:46 ID:P4yDkzcD0
>>510 不完全なシステムを上手く活用して、日本を大国にしたのが薩長で、
使いこなせずに、潰したのがトーホ愚人
>>511 そりゃ完璧ではないさ、だからこそ極力無理せずにやっていただけ。
だけど、自らを完璧だと過信した人たちがいたんだよねえ。
>>510 実行犯はオウム真理教だが、そのベースを作ったのが戦後民主主義
実行犯はナチスだが、そのベースを作ったのがワイマール共和国
実行犯はKKKだが、そのベースを作ったのが南部
>>511 古今東西、人間の為したことで完全など有り得ないのだ。
当たり前のことを得意げにいうのは愚か者の特権だが。
515 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/12(日) 08:35:58 ID:BeMRQ2jE0
>>504 江戸の旗本は大老の暗殺も長州戦争も我関せずで、上から目線でバカにして茶化していた。
幕府の中でたったひとりでがんばってたのは水戸者慶喜。
無能なくせに猜疑心だけは強い家茂と幕閣から虐待されながらさ。
その幕臣どもが、幕府が倒れて既得権益をなくしたとたんに忠臣面して
慶喜に「やる気ゼロの卑怯者」のレッテルをはるのは、笑止をこえてもうおぞましいとしか。
会津をも上回るおそるべき捏造ぶりだ。
516 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/12(日) 08:36:56 ID:+vMN1WUZ0
薩長がどうたら、東北人がどうたら、何の意味もないことを
ダラダラ書く人は定期に湧いてくるな。そんな、じいさんの戯言は、イラネ。
とに角、つまらない。
517 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/12(日) 17:23:07 ID:wYsRkogN0
明治が短期間で西欧の強国と対等に渡り合えたのは、維新の元勲が優秀だったのも
さることながら、江戸時代にすでにその素地が出来上がっていたおかげ。つまり江戸
があるから、明治が成功したのだ。確かに、江戸の法整備は欧米に対抗するには不充分
すぎるほど不充分だったろう。しかし、人々の教養の高さや、文化水準の高さなどは
決してひけをとるものではない。また、明治が成功したのは、政治家たちが優秀なだけ
ではなく、国民達が重税に耐え、徴兵制度に悩まされながらも歯を食いしばりながら国家
に協力したからだ。そこには江戸時代以上の過酷な現実との戦いもあったのだ。従って、
江戸が暗黒で、明治がそれに比べて明るかったなどとは言えないのだ。あと、近代化は
薩長ではなくては出来なかったとよく言われるが、あながちそうとも言えない面があると
思う。確かに政府のトップには大久保とか、木戸とか凄腕の政治家がいたが、政府の中枢
を担っていた人々には、榎本武揚とか、前島密など元幕臣がいたのも事実。要するに薩長
だけではなく、徳川がたの人間もいなければ、近代化の成功など有り得なかったのだ。
どっちにしたって明治維新は間違い。
今の日本は、日本であって日本じゃない。西洋かぶれ。
明治の役人は西洋化を進めたバカ役人。自国の文化を失わせた輩。
日本はハワイと一緒で、アメリカの属国。今や日本州である。戦争は政府の役人が犯した大罪。
それに利用された国民が政府をいまだに支持する理由がわからん。
西洋に唆されなければ他国に侵攻することもなかっただろう。
519 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/12(日) 19:20:24 ID:lSvkII9Z0
>>517 >江戸時代にすでにその素地が出来上がっていたおかげ。
違う。戦国時代にすでに日本は大国。
人口にして、明の四分の一程度、
西洋の半分くらいは相手に戦えるくらいの国力をもった大国だった。
だが幕府が糞で、日本を100年遅らせた。
面積が違うとはいえ、清の人口が5,6倍にも膨張したのに対し、
日本はせいぜい二倍。人口で一割程度になってしまった。
西洋に対しても、大きく遅れをとってしまった。
だがら下地をいうなら、それは戦国時代以前に出来ていたわけだが、
それを無駄にしてしまっただけ。
>そこには江戸時代以上の過酷な現実との戦いもあったのだ。
間違いである。
江戸時代の暗黒っぷりに比べたら、明治は天国といっていいだろう。
いや明治すら天国になってしまうほど、それだけ江戸時代が地獄というべきか。
それは江戸時代で飢饉が多発し、多くの人間が餓死していたのと比べたらそれはよくわかる。
>徳川がたの人間もいなければ、近代化の成功など有り得なかったのだ。
必要ない、いなくても、元幕府官僚程度の代わりはいくらでもいる。
520 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/12(日) 19:32:37 ID:FGh3RpAH0
>>517 >維新の元勲が優秀だったのもさることながら
違う。「元勲」を自称する薩長の足軽や百姓は無知蒙昧なバカだらけ。
>つまり江戸があるから、明治が成功したのだ。
その通り。明治以降の近代化を準備したのは徳川幕府だ。
>確かに政府のトップには大久保とか、木戸とか凄腕の政治家がいたが
維新当初の大久保や木戸は、近代国家建設のためになにをすべきかを全く理解していなかった。
こいつらは権力にしがみつく要領に長けていただけで、
「凄腕の政治家」などというのは過大評価もはなはだしい。
>要するに薩長だけではなく、徳川がたの人間もいなければ、近代化の成功など有り得なかったのだ。
微妙に間違ってる。
薩長が足を引っ張ったが、優秀な幕臣がいたため近代化に成功した、とするのが正しい。
521 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/12(日) 19:34:46 ID:lSvkII9Z0
>>520 優秀な幕臣などいない、
新政府の開明派の官僚の丁稚として、頭を空っぽにして使われただけだ。
522 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/12(日) 19:38:17 ID:lSvkII9Z0
>その通り。明治以降の近代化を準備したのは徳川幕府だ。
幕府は何一つ近代化の準備などしていない、幕府のしたことはそれ以降には繋がっていない。
造船所にしても、全く使えず、新政府が大幅に拡張してやっと使い物なった。
明治政府がしたのは、幕府がした莫大な借金の返済のようなもの。いや実際にそうか。
523 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/12(日) 19:44:34 ID:FGh3RpAH0
>>522 >明治政府がしたのは、幕府がした莫大な借金の返済のようなもの。
明治政府は飼い主のイギリスに泣きついて借金の付け替えをしただけ。
その際、足元を見られ高率の利子を吹っかけられてる。
薩長は維新後オナニー的な復古ごっこにはまり、近代化や殖産興業を放棄し、
日本を破綻寸前まで追い込んでる。
それでも日本の近代化が成功し借金を返済できたのは、
幕府が進めてた殖産興業政策のおかげだ。
524 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/12(日) 19:56:15 ID:lSvkII9Z0
その借金にしても、幕府が作り上げたもので、
新政府は前倒しで返済して、付け入られる隙をなくしている。
返せなくなって、追加借款を申し込んだ幕府とは違うんだよ。
つか幕府は殖産興業などしていないぞ。
幕府人が優秀だったのはわかったからさ、そんなに優秀な人間をそろえてて
社会機構がしっかりしてた幕府が何で倒れたの?
そこを教えてよ!
526 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/12(日) 22:18:30 ID:kYDPUIiG0
>>517 >江戸時代にすでにその素地が出来上がっていたおかげ。
当たり前の話だ。それは薩摩藩・長州藩等の西南雄藩が既に藩政として自藩において
明治の近代化政策を先取りして成功したということなのだ。それは幕府の手柄でも何でもない。
そもそも幕府は国政など何もやってない。それは幕府が政府でもないし政治でもないからなのだ。
実際に政治を行っていたのは諸藩の大名であり、その家臣だ。幕府が江戸時代260年間やってたのは
大名統制、ただそれだけ。藩政を仕切れない無能な大名を取り潰し、徳川家を超えそうな大名が現れる
のを防ぐ為にいじめて、大名同士の戦争が行われないように仕切っていただけ。
>国民達が重税に耐え、徴兵制度に悩まされながらも歯を食いしばりながら国家に協力したからだ。
重税でもなんでもない。飢饉で自分たちの食べる米すらないのに情け容赦なく年貢を取り立てた江戸時代をなんという?
徴兵制度に悩まされながら?悩んだのはお前のような非国民だけだ。実際には誰も悩んでなどいない。
国家に協力するのは当たり前だ。江戸時代は協力しようにも国家などない。藩があるだけだから藩に協力するしか
なかっただけの話。藩に協力しないなら流民となって諸国を放浪するだけのこと。国家に協力しないなら海外移民するだけのこと。
どうぞ勝手に好きなほうを選べばよい。それがいやならプランクトンにでも生まれ変わって海の中で生きろ!
>榎本武揚とか、前島密など元幕臣がいたのも事実。
それは幕府の手柄でも何でもない。元国鉄マンでJRに再雇用された者は数多くいる。当たり前の話だ。
元国鉄マンが全員、河原に並べられて銃殺されたとでも思っているのか?
JRの成功は、JRのコンセプトが正しかったからに他ならない。元国鉄マンがいなかったら成功など有り得なかったのだというのは
世界大馬鹿チャンピオンのお前にしかいえない妄言だ。
527 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/13(月) 07:51:17 ID:UY/TWZRH0
…何をうだうだ書いてんのかなぁー。
江戸幕府は立派な統治体制を構築した。そして、その体制が19世紀に入り
西欧の産業革命の成立で根底から否定される歴史の進展があり、開国におよんだ。
以後、江戸幕府は最後まで体制維持をはかったが、薩長土肥に倒幕された。
新政府が生まれ、倒幕した武士達は新体制において官僚として転進し国家運営・近代化に
勤めた。国家成立のために、旧幕の者であっても有能な人物であれば構わずに
職を与え自分達の不足したところを補った。それだけのことだ。
528 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/13(月) 22:25:52 ID:GKUmEpgP0
>>526 確かに、薩摩藩は島津斉彬のような開明的な藩主がいて、蒸気船や反射炉などを
作り近代的な政策を行っていたが、長州藩はやっていたっけ?。吉田松陰のような
へんへん家(と、あえて言おう)が「攘夷だ!、攘夷だ!」とわめいていただけの
様な気がしたが・・。それに、あんたは幕藩体制の事を全然知らない様だ。そもそも
幕藩体制というのは、幕府と言った巨大な政治組織を頂点とした一種の連邦制度で
各藩は幕府に忠誠を誓う代わりに藩領の統制を認可される仕組みなの、つまり各藩の
各藩の藩政はすべてその領主に委ねるという事なの。それに、確かに江戸時代の農本
主義は農民たちには過酷だった、それはその通りだ。しかし、それはなにも江戸時代
に限った事ではない。遠い古代の大和政権の頃から庶民は重税(年貢)に悩まされて
来た、平安の頃だって役人は庶民には容赦しなかった、だけど、飢饉の時には救い小屋
を設けたりするなど幕府や藩によってはなにかしらの対策を採っていたのも事実だ。あんた
が知らないだけだ。まぁ、あんたが崇敬している薩摩藩や長州藩では年貢の取り立ても過酷
だったし、飢饉の時などろくな対策しなかったけどな。天明の頃の藩主だった島津重豪なんて
すごい浪費家だったみたいだけどな、それでもあんたは幕府だけが悪いと言い張るんでしょ?。
薩長が金科玉条のごとく奉った「水戸学」の元となった大日本史なんて歴史書としてはなんの
意味もなさない書物の編纂だって、かなりの金が掛かっているけど、それだって農民が納めた
年貢から来ているんだよ。それでもあんたは幕府だけが悪いと思っているだろう。
それに、戦争が好きな人間などいないんだよ。心から喜んで兵隊にみんな行ったと思っている
のか?。そんな人間などそうざらにはいないんだよ、あんたのように薩長が仕掛けた「反徳川
史観」に簡単に洗脳されるような単細胞なら兎も角。
529 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/13(月) 22:30:30 ID:GKUmEpgP0
530 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/13(月) 22:33:27 ID:wc2bCFl+0
郡県制、大統領制、横須賀製鉄所、横須賀造船所、
火薬・大砲製作所、洋式陸海軍、鉱山開発、天然資源保護計画、
近代的会計制度、株式会社、国益会所、商工会議所、
外国語専門学校の設立、郵便制度の建議、電信事業の建議、
鉄道(江戸−横浜)建設の建議、新聞発行計画…
幕府の構想をざっと並べただけでも、その先見性に驚かされる。
これに対し薩長側に一体どんな将来構想があった?
唯一、龍馬の「船中八策」があるのみだろ。
そしてその「船中八策」もまた幕府の思想のパクリにすぎない。
531 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/13(月) 22:56:02 ID:SECllpnk0
幕府人が優秀だったのはわかったからさ、そんなに優秀な人間をそろえてて
社会機構がしっかりしてた幕府が何で倒れたの?
そこを教えてよ!
532 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/13(月) 23:21:05 ID:sF9Rc+bp0
>>528 普通に長州藩も反射炉もってたし、大砲も鋳造してたが、
お前馬鹿?
>まぁ、あんたが崇敬している薩摩藩や長州藩では年貢の取り立ても過酷 だったし、
それは幕藩体制に全ての責任がある。
参勤交代の費用だけで、本州の端の長州や日本の端の薩摩は莫大な金がかかる。
その年はそれだけで歳出の半分近くを占めるほどだ、そして江戸滞在費で確実に越えてしまう。
だから重い年貢をする必要が生じた。江戸時代になって外様の諸藩むしろ、
増税になっており、戦国時代以上に厳しい時代だったことがわかる。
>飢饉の時などろくな対策しなかったけどな。
それは間違いだな、長州藩は撫育方に溜め込んでいた金を全て使って、
困窮した民の救済へと宛てている。そしてそれで長州藩の財政が傾き。
幕末の財政改革に繋がる、水害などでも100万両近い散在したことがわかっている。
薩摩藩でもそこまではやっていないが、それで莫大な借金をしてしまって、
250年払いという無茶苦茶なことをやってしまった。
またサツマイモの栽培を奨励して、それで享保の大飢饉を餓死者も出さずに乗り越えることが出来た。
幕府と違って、困ったときには助けているんだよね。そして民を苦しめる重税は、
全て幕藩体制という糞なシステムゆえだ。
何度も言おう、全て幕府が悪い。完全無欠にね。
533 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/13(月) 23:29:04 ID:sF9Rc+bp0
>各藩は幕府に忠誠を誓う代わりに藩領の統制を認可される仕組みなの、つまり各藩の
>各藩の藩政はすべてその領主に委ねるという事なの。
なら参勤交代と江戸滞在という糞なシステムをどういいつくろうつもりかね?
これがなければ、大名は民に負担をかけずに、領内開発ができたし、
藩の近代化も出来なかった。
ゆだねるのなら、一切口出しせずに、自由にさせればよい、
統治をしない幕府の怠慢の尻拭いで、普請や治水を諸藩に押し付け、無駄な参勤交代と江戸滞在で、
歳出の半分以上を占める異常な状態。
諸藩に迷惑をかけない状況なら、確かにその藩の問題は領主である大名に全ての責任がかかるだろう。
だが、諸藩が幕府の為に、財政破綻させられている、ゆえに全ての責任は幕府にあるんだよ。
そして幕府が諸藩の為になにをしたというのかね?
なにもしていない、国防、外交くらいすればいいのに、
外交は鎖国で、一部の国との貿易利権を牛耳り、
国防を放棄し、諸藩にしろと命令するだけで、幕府は傍観、
蝦夷地にロシアがうろうろしていたのに、なにもせずに放置していたのが幕府だ。
534 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/13(月) 23:49:01 ID:sF9Rc+bp0
郡県制、大統領制、>証拠なし、幕府は全く取り掛かっていない、構想すらなし。
横須賀製鉄所、>横須賀造船所、 製鉄所は未完成で新政府が完成させた、造船所は新政府が拡張して完成。
火薬・大砲製作所、>諸藩もとっくの昔にやっている、むしろ幕府は遅れていた。
洋式陸海軍、>長州に鎧袖一触で倒される洋式陸海軍wちなみに武器だけで組織は旧来のまま
鉱山開発、>んなの戦国時代以前からやってる。
天然資源保護計画、 >都市近郊は禿山ばかり、植林をしたのは明治政府
近代的会計制度、>してません、会計制度は明治政府が整えました。
株式会社、>嘘ですただの株仲間です、特権商人クラブのことです。
国益会所、商工会議所、>上と同じただの株仲間、利権を与えている特権商人の集まり。
外国語専門学校の設立、>戦国時代では普通に大名レベルであったのは糞幕府が禁止しただけ。
郵便制度の建議、電信事業の建議、 >全く幕府は実施してませんな。
鉄道(江戸−横浜)建設の建議、新聞発行計画…>欧米に敷設権を認めているだけ、つまり所有権は欧米、はっきり言って売国奴
明治政府の政策とは、実は長州藩や西南雄藩で行われていたことを、
全国で拡大再生産していることがわかる。
長州や岡山では普通教育に近いことがすでにおこなれていた、ほぼ全ての庶民へ寺小屋などを利用させて、
教育を施している。
軍においても、幕府の洋式軍とは旗本は馬上で指示するだけで、
自らは一切鉄砲を撃たないが、(銃は足軽が持つものであるから、高貴な武士は持たないんだとよ)
西南雄藩の兵は、全てが銃を持ち戦っているのとは大きな違いだ、
幕府は武器だけ洋式だが、軍制度は旧来のままで、組織改革が全く出来ていないことがわかる。
535 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/13(月) 23:53:45 ID:VD3YH/Pq0
>>531 英米武器商人が、南北戦争終結で余った最新武器を薩長に与え、
散兵戦術など近代兵学を教授し、英国策論などで倒幕の思想的根拠を与えたことでしょ。
幕府側の要因としては、将軍である慶喜が優柔不断な腰抜けだったことだね。
英国の援助、腑抜け将軍、いずれの要因が欠けても、薩長のクーデタは成立しなかった。
536 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/14(火) 00:10:13 ID:BrhgyfUT0
全て英国がやったことではないな。
長州は南北戦争終結前から買っている。
つかその中古武器を高値で売りつけられたのは、東北諸藩w
散兵戦術はフランスの本を大村が自分で翻訳しただけで、
英国とは無関係。
英国の援助がなくても、金さえだせば、武器を売る相手など腐るほどいる。
というか英国は援助などしていない。あくまで売っただけ。
将軍が腰抜け?そもそも長州に寸土たりとも攻め込めない幕府軍に、
将軍が誰であろうと勝ち目なし。
つまり何度やろうと、状況がどうなろうと、英国が売らなくても、結果は一切変わらなかった。
537 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/14(火) 00:31:53 ID:o+/1e9tA0
>>536 >たしかに大村はオランダ語の書籍からも学んでる。
>中でも重要なのはアメリカ独立戦争の散兵戦術を解説したクノープの戦術書。
>大村はこれを第一次長州征伐前後の時期に翻訳してる。
>しかしそれだけではない。
>その直後にアメリカ人武器商人とともに上海に武器の買い付けに赴く。
>数ヶ月の滞在の後、大村は南北戦争で使用された大量の最新銃器とともに、
>フィーパン号(武器商人の船)で長州に帰港。
>帰港するとすぐさま軍制改革の責任者となり「西洋陣法」を担う部隊を創設。
>こうして幕軍に勝てる軍が突然できてしまう。
>大村が絶妙のタイミングで「西洋陣法」にたどりつき、
>さらに絶妙のタイミングで大量の最新兵器(条銃)を得ることができたのはなぜか?
>英米武器商人の関与がこの「奇跡」を起こしたんだよ。
538 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/14(火) 00:33:52 ID:R2BdzoXB0
最近思うことだが、会津も幕府もどんどん愚劣かしてないか?
会津の妄想思想に毒された幕府オタが何かとイギリス、イギリスという。
どこかのお馬鹿が洗脳するために書いたとしか思えん屑本を聖書としている。
会津ネタなら星が書いてる根拠に乏しい愚劣本に属するか。
もっと高度なレベルで議論してくれ。
でなければ優秀であったはずの幕府が薩長に敗れた理由が分からない。
いやあ佐幕派も倒幕派もどっちも馬鹿でしょ
相手の意見全否定でとりあえず貶しとけ見たいな書き込みばっかで
もっと高度なレベルで議論してくれというのはまったく持って同意です
540 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/14(火) 05:48:28 ID:OAU7cQXq0
>>528 >長州藩はやっていたっけ?。
それに、あんたは長州藩の事を全然知らない様だ。長州藩は長州の四白と云われた多角的な
殖産興業を江戸時代初期から実施していて度重なる幕府の弾圧にもかかわらず経済力をつけた。
また、長州藩は身分制度や因習にとらわれない普通教育や皆兵制度などの明治新政府によって
全国的に実施された近代的な政策を、その藩政において先駆的に実施していた。
>吉田松陰のようなへんへん家(と、あえて言おう)が「攘夷だ!、攘夷だ!」とわめいていただけの様な気がしたが・・。
それは幕府の方だ。江戸幕府が異国船打払令を発したのは1825年。吉田松陰は生まれてない。
>まぁ、あんたが崇敬している薩摩藩や長州藩では年貢の取り立ても過酷だったし、飢饉の時などろくな対策しなかったけどな。
笑止千万。薩摩藩は飢饉対策の一環として琉球からサツマイモの栽培を輸入していて薩摩藩全域での栽培に成功していた。
享保の大飢饉でも薩摩藩では餓死者が無かった。平時から根本的な対策を採るのが上策。
それに対し幕府は餓死者が出てから慌てふためいて思いつきレベルの対症療法的政策を出しただけ。これは下策。
>薩長が金科玉条のごとく奉った「水戸学」の元となった大日本史なんて歴史書としてはなんの
>意味もなさない書物の編纂だって、かなりの金が掛かっているけど、それだって農民が納めた
>年貢から来ているんだよ。
「水戸学」とは、そもそも徳川御三家のひとつの水戸藩が江戸幕府の正当性を理論的に裏打ちするために打ち立てたもの。
しかし幕府はその水戸藩を裏切り、遠ざけ、水戸学を無視した専横政治を窮めた為、水戸の浪人に大老井伊直弼が斃された。
>それに、戦争が好きな人間などいないんだよ。心から喜んで兵隊にみんな行ったと思っている
>のか?。そんな人間などそうざらにはいないんだよ、あんたのように薩長が仕掛けた「反徳川
>史観」に簡単に洗脳されるような単細胞なら兎も角。
笑止千万。座して死を待つ馬鹿などお前ぐらいのものだ。だから江戸時代に百姓一揆が無数に起きてもいる。
しかし江戸幕府は全く根本的な政策を立てずにひたすら鎮圧していただけ。
あんたのように幕府厨が仕掛けた「徳川史観」に簡単に洗脳されるような単細胞は自分に都合よく歴史を捏造しているだけ。
541 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/14(火) 06:03:37 ID:BrhgyfUT0
>>537 そのレスはでたらめ、大村がアメリカの商人と上海にまで洋行した事実はないし、
南北戦争は65年四月に終わるわけだが、上海に流れるまで、
どれだけの時間がかかると思うんだよ。
542 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/14(火) 06:23:22 ID:OAU7cQXq0
>>533 >そして幕府が諸藩の為になにをしたというのかね?
生類憐みの令を発した。お犬様は餓死者の死体を食べて始末してくれたのだから、少しは役にたったと
いえないこともない。
>蝦夷地にロシアがうろうろしていたのに、なにもせずに放置していたのが幕府だ。
それは事実と異なる。ロシアがうろうろする前は、松前藩に丸投げ状態で放置だったが、
その後は蝦夷地を幕府の直轄地にしたり、樺太を調査して樺太が半島でなく島だと発見したり、
ロシアと粘り強く領土交渉も行ってはいた。ロシアの主張は樺太が半島だから大陸と地続きであり
当然ロシアのものというもの。そのロシアの主張を粉砕できたのは幕府が間宮林蔵に間宮海峡を発見させた
からこそだ。とはいえ、非力な幕府にはロシアと戦う軍事力などある筈もなく結局は樺太を失ったけどな。
幕府は農本主義にもかかわらず、寒冷地に強い稲の品種改良などもしなかったから北海道でさえ開拓できず、
ましてや、その北の樺太に定住などできるわけがない。夏の暑い時期に季節労働で出稼ぎで漁に出るだけでは、
もともとがもっと寒い地域からやってきた赤蝦夷に対抗できるはずも無かった。
まあ、幕府批判は一向に差し支えないが、もっと精緻な議論でいこうや。
>>535 >幕府側の要因としては、将軍である慶喜が優柔不断な腰抜けだったことだね。
全く的外れ。徳川の歴代将軍は側室を孕ませることしか仕事をしてない。
例外は享保の改革を担った徳川吉宗ぐらいのものだ。
そんな将軍でも務まるシステムを構築したから江戸幕府は260年間続いたのだよ。
それをいまさら、慶喜に責任を負わせようというのは酷であり卑怯だ。
慶喜は歴代将軍に比べれば、はるかにましな人物だし、そんな個人レベルの要因で
いったい何を説明できるというのか。
544 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/14(火) 09:40:02 ID:3a1bMydg0
>慶喜は歴代将軍に比べれば、はるかにましな人物
これは違う
年齢を考えれば、慶喜は家康よりはるかに立派な人物。
幕府の再生不可能性を見すえての大政奉還・恭順の決断、
死ぬまでの半世紀近くに及ぶ沈黙。
安政の大獄で、何も悪いことをしてないのに4年間も監禁され、
幕府に尽くす義理など一片も持たない彼が、徳川260年の腐敗を一身に引き受け、
自分の人生を犠牲にしたために日本の近代化はもたらされた。
545 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/14(火) 23:59:30 ID:e47J1hYO0
>>541 密航は重罪だから極秘で渡航しただけ。
維新後も大村が口をつぐんでたのは、武器商人の手先である正体を隠すためだ。
長州はアメリカの武器商人ドレークに藩船壬戎丸を売り、
その代金で大量の武器を購入してる。これに付き添ったのが大村で、
この一件は幕府の耳に入り、第二次長州征伐の原因となってる。
>>542 樺太を守り抜いたのが幕府。
樺太をロシアに売り渡したのが薩長だよ。
546 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/15(水) 00:00:44 ID:q3A4p1rt0
>>545 樺太を遺棄したのが幕府。
樺太を回復したのが薩長だよ。
547 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/15(水) 00:39:18 ID:KqYQHvdc0
>>545 洋行したソースを出せ、そして幕府を潰しているわけだから、
隠す必要などない。
>樺太を守り抜いたのが幕府。樺太をロシアに売り渡したのが薩長だよ。
樺太と千島を雑居地にして、ロシアに事実上くれてやったのが幕府。
千島だけでも取り返したのが、新政府で、
さらに下半分だけだが、それを回復したのも新政府。
なあ、何にも知らないんならせめてwikiでも見ろよ
wikiて言うとぷげらとか言う奴がいるけど知らないよりましだぞ?
549 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/15(水) 01:24:36 ID:FBk/v3He0
550 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/15(水) 01:34:58 ID:FBk/v3He0
NHKの「花神」も第34回が「蔵六上海へ」となってる。
やはり大村は売国奴決定だな。
上海に行ったかどうかはわかんないけど549のはソースになんないじゃん
大村自身が外国に行ったことがないといってるのは口が堅いからで、本当は行ってるんだって。
何を言ってるのかと。
552 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/15(水) 03:49:13 ID:gmb5taWx0
樺太・・・・
日露戦争の時に奪還してますが。なにか?
553 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/15(水) 07:48:39 ID:KqYQHvdc0
>>548-550 それはソースにはならない。
長州には伊藤をはじめ、洋行している人間は少なくないし、
それを隠したこともない、ましてや幕府が滅んだ後で隠す必要がどこにあるのか。
そもそも幕府と戦っている間に、幕府の命令を聞く必要も、隠す必要もない。
花神でも一説としてと、妄想を記す小説家の司馬はまず断っている。
>幕府が樺太と千島をロシアにくれてやったとするなら、なぜその後樺太と千島の交換が成立した?
雑居地にしてロシア人がどんどん移入してきたが、日本人の移動は、
幕府が著しく規制していた。幕府は農本主義で農民が土地を捨てて移動するのを認めておらず、
さらに幕府や藩の堺を越えるのには許可がいる。これはなかなか降りない。
(もちろん隠れて逃げ出す人間は多いが)
結果事実上両方を明け渡すことになってしまった。
それを明治政府は千島だけでも取り返し、千島列島への移民を募り、
領有化を進めた。
554 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/15(水) 23:26:52 ID:BJv1ItMU0
明治政府→日露戦争時に侵攻占領、日本の領土とする
東条ら東北人による軍閥→太平洋戦争末期、ソ連の侵攻を阻止できず樺太奪われる。敗戦。
なにか?
555 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/15(水) 23:54:36 ID:bLNU6DPT0
>>554 ほとんど意味不明な妄想だ。
そもそも統制派が台頭できたのは、長州人の寺内寿一が皇道派を粛清したため。
また、東条を無理やり首相に担ぎ出したのは長州人の木戸幸一。東条自身は首相に乗り気ではなかった。
さらに、大東亜戦争時100万人を超える最大の主力部隊を率いていたのは長州人の寺内南方軍総司令官だ。
しかし寺内の無策無能によってそのうち約半数が餓死に追いやられ日本の敗戦が決定的なものとなった。
ナチスに日本を売って戦争を始めたのも長州人、日本を敗戦に導いたのも長州人なんだよ。
556 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/16(木) 00:15:48 ID:sIjWNxJU0
木戸は東条を首相にする事で、東条を政府側に取り込もうとしただけ。
軍閥のドン、東条が非戦論になれば軍部の暴走は阻止できると考えたからだ。
ところが、ふたを開けると東条は日米開戦に踏み切った。それだけだろw。
どっちにしろ、樺太を失ったのは東北人の起こした無謀な戦争の結果だ
557 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/16(木) 00:31:07 ID:JB1msSEg0
幕藩体制とは人民の幸福よりも一国としての発展よりも、一徳川家の優位性を
継続させるためだけに作られたシロモノ。
世界の近代化と国内の産業の発展にはどうしたってそぐわない。、
さらに幕府を支える旗本八万騎の完全な腐敗となれば、薩長等関係なしに
幕府が倒れるのは歴史的必然だった。
自業自得で既得権益を失った旧幕臣や、
保身根性が裏目に出てボロ負けの大減収になった会津は逆恨みし、
よりによって幕府の中ではもっとも誠実に幕府のため・ついでは国のためにがんばった慶喜に
幕府滅亡の責任を押しつけた。
こうして怨念にみちみちた薩長悪玉・慶喜愚劣・会津幕臣被害者史観ができあがり、
それは大衆小説を通して今でも日本人に影響を与えている。
日本人なら、「あいづ」「びゃっこたい」と聞くだけで条件反射でウルッと来ちゃうでしょw?
558 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/16(木) 06:20:33 ID:42nH4DdW0
>>555 皇道派の粛清は当然の話だろう。あれを放置したらそのほうが問題。
インパール作戦を推進したのは、どっちかというと政府だろ。
寺内ははいはいと従っただけ、別に反対もしてないが、
上の命令にただ従っただけだよ。
一南方軍司令官の独断で作戦を遂行できるわけねーじゃん。
参謀本部と東條ら政府に責任がある。
木戸にしても、東條に軍部を抑えることを期待しただけ、
まあ東條は裏切ったわけだが。
559 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/16(木) 20:58:35 ID:ylegW+JG0
松岡のせいで日米外交が滅茶苦茶になり、近衛内閣が潰れた後、
東久邇宮稔彦王が命がけで事態収拾に乗り出そうとした。
当時の軍部は誰も対米戦をのぞんでいなかったし、
当の東条も皇族内閣による和平を希望してた。
しかし、これに大反対し軍人の東条を首相に据えたのが木戸だ。
外交・政治・経済が完全に行き詰まった状態で軍人を首相にすることがなにを意味するか?
これは史実をみればよくわかる。
560 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/16(木) 21:04:54 ID:42nH4DdW0
おいおい、軍部は当時戦争を望んでいたよ。
正しく言うと、貿易規制やられているから、このままじゃ戦うことすら出来なくなる。
アメリカはその間どんどん軍事増強をしており、時間がたてば断つほど、日本に不利になる。
だから早期開戦を望んでいた(なおアメリカも戦争は望んでいたが、出来うる限り引き伸ばす方針)
そして皇族を軍部が立てようとしたのは、挙国一致で戦えるようにするため、
そして木戸は東條に軍部を抑えてもらうのを期待すると同時に、
戦争になった場合、開戦責任を軍部に押し付け、皇族を守る為にやったんだよ。
561 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/16(木) 21:06:03 ID:42nH4DdW0
ちなみに、近衛が松岡を切ったから、日本に打つ手がなくなったわけだがな。
グランドデザインを描けるほどの才能を持っていたのは、
当時松岡くらいのものだった。近衛も天皇も軍部もアホすぎ。
562 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/16(木) 21:15:49 ID:OpTQQ//v0
>>560 主戦論をぶちかましてた軍人を首相にして開戦への流れを押さえられるわけがないだろ。
木戸の言ってることはデタラメな詭弁だ。
とりあえず東久邇宮を首相にして和平を進めればよかったんだよ。
皇族首班ならば日米交渉のチャンネルを回復し、開戦を押し留める可能性があった。
しかし、愚かな長州人の横槍でその機会は失われて日本は焦土となる。。
木戸はからくも処刑を逃れたが、本来なら日本人の手で吊るすべきだった。
563 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/16(木) 21:21:53 ID:hxu9a0Dh0
>>1 >開国から戊辰戦争までで語りましょう。
上記設定に添えない方は、当該のスレへ行ってください。
564 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/16(木) 21:38:49 ID:OpTQQ//v0
>>561 松岡は、ヒトラーの独ソ戦への決意を読めず、ソ連を加えた四国同盟などという妄想をほざいてた。
こうした松岡の「グランドデザイン」は、冷徹な現実の前に次々と崩されてゆく。
しかし日本人は松岡という基地の妄想に振り回されて敗北必至の戦争に突き進んだ。
ほんと悲劇だよな。
近衛の最大の過ちは松岡をもっと早期に切らなかったことだ。
565 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/16(木) 21:47:51 ID:cIJRzFexO
松岡外相の外交方針発表「大東亜共栄圏」
初登場
第2次近衛内閣で外相に就任した松岡洋右が外交方針を発表
そのなかで「大東亜共栄圏」の言葉が初めて国民向けに使われた。
昭和15年7月19日組閣に先立つ
近衛は荻窪の私邸「荻外(てきがい)荘」に陸海相と外相候補招き、新内閣の基本政策の大綱を決定した(荻窪会談)。
それがそのまま「基本国策要綱」につながったといわれている。
会談後の写真が左から近衛文麿、松岡洋右次期外相、吉田善吾次期海相、東条英樹次期陸相。
566 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/16(木) 21:50:11 ID:/WBHHjcJ0
>>562 >主戦論をぶちかましてた軍人を首相にして開戦への流れを押さえられるわけがないだろ
木戸は戦争が無謀である事を知っていた。
だが、東北人が牛耳る軍部のアフォどもは暴走し止まらない。
国民をも欺く東北人の汚いやり方から、政府が逃げ切れなくなってしまった。
窮した木戸は、軍部のドン東条を総理にする事で政府側に取り込もうとする。
現実問題として、米国と日本の国力、工業力、生産力に差が有りすぎる。
総理となってこれを直視すれば、いかに東条が馬鹿でも戦争が無謀だと悟るに違いないと木戸は思った。
実際に、総理をやらせてみると、太平洋戦争を始めた。
所詮東北人は馬鹿しかいなかったと思う木戸だが後の祭りだった。
これが真相です。
567 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/16(木) 21:51:21 ID:/WBHHjcJ0
大東亜共栄圏構想は、松岡の発案じゃないよw
568 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/16(木) 21:58:21 ID:42nH4DdW0
>>562 東條は軍部の立場を代弁していっていただけといっている。
陛下が和平を望むなら、それをかなえるのが臣の役目だとも。
そして首相になったら手のひらを返したのが東條。
>>564 スターリンも全く読めなかったのだから仕方あるまい。
そして状況が変化したら、すぐに次の策をだしている、
やはり隔絶しているね。
569 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/16(木) 22:11:20 ID:ylegW+JG0
松岡は、昭和天皇が三国同盟反対なのを知りながら、
それを無視して日本をドイツに売ったスパイ。
>>568 >スターリンも全く読めなかったのだから仕方あるまい。
英米が独ソ戦不可避の情報をつかんでた。
日本も英米系の情報網が松岡に潰されなければ、三国同盟締結は回避され日米戦もなかったはず。
独ソ戦開戦後は、すぐに三国同盟を破棄すべきなのに、松岡は全てドイツの言いなりに動いた。
基地外長州人が日本を戦争に引き込んだというのが真相。
570 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/16(木) 22:24:12 ID:42nH4DdW0
敵国である、英米の情報など信じられるか。
そして三国同盟がなくても、アメリカの行動は変わらんよ。
孤立して一国で戦争になるだけ。
軍部の若手からの突き上げを全く無視した理論には恐れ入る。
「この戦争を始めたのは俺だ」の石川信吾は冥府で臍をかんでいるだろうw
すごいいい事考えた
明治維新の話しねえ?
573 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/17(金) 09:32:29 ID:SZ0XFJPd0
>>572 そうしてくれ。現代史を語るところじゃない
574 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/17(金) 10:38:46 ID:VOYas+xYO
とにかく山口出身者を悪く言いたい
東北の方のウスラバカが多いからな。
575 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/17(金) 22:05:47 ID:BOoQXgR+0
>>573 無理じゃね
だって会津ヲタが勝てそうな時代って二次大戦ごろしかないもん。
会津人が歴史上何の役にも立たず、出番もない時代でないと会津ヲタは安心して話しができない。
明治維新以前の話しをするとなると、知識不足の上に会津が歴史上で登場しちゃうから会津に対する非難をかわしきれないでしょ。
>>535 佐幕さんたちって、英国の援助(笑)や腑抜け将軍(爆笑)がなければ
徳川幕府は永遠に続き、またそれは日本の人民にとって幸せだったと 本 気 で 思ってるの?
577 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/18(土) 15:02:29 ID:xmTf0zkm0
>>576 徳川幕府が永遠に続かないが、幕府主導による緩やかな改革による近代化が可能だったと説いている奴はいる。
彼の論によれば小栗忠順が考えた、徳川家による世襲制の大統領と、はやり幕臣による世襲制の官僚で近代化するらしい。
しかも最終的には廃藩置県によって大名家を全部潰して平等な世界を作り出せるという。
もちろん、机上の空論、絵空事だ。
幕政を担う幕府閣僚は代々譜代大名によって行われてる決まりになっている。
廃藩置県は、まさに彼ら譜代大名のお家断絶であり、自らの家を進んで断絶させるような譜代大名がいるはずはない。
さらに、仮に幕府のまま緩やかな近代化で不平士族の発生を最小限にしたとしても、
緩やかな近代化であるがゆえに、史実で発生した日露戦争(ロシアの南下)にとても間に合わず、
外国の言いなりになる他ない。
また、近代化を行う上で輸入された西洋技術や文明、知識から間違いなく自由民権運動が起こる。
明治政府は藩閥政治とはいえ、議会制の形を取っていたから辛うじて凌げるが、世襲政治を踏襲する幕府政治では、
明治維新のような形ではなく、まさにフランス革命のような西洋式の革命運動になる。
薩長は曲がりなりにも知識層の武家だから、徳川家や会津藩の武士を皆殺しにせず、最終的にはお家再興させるという温情を見せたが、
江戸時代頃の百姓町人ら武士道を理解しない者たちが武士に温情を掛けるとは思えない。
たぶん、武士階級皆殺し革命になる。もちろんそれで革命に成功すればいいが、最悪諸外国の甘い言葉に踊らされた民衆は、諸外国の力を借りる可能性が高い。
対する幕府側も対抗上諸外国の軍事力を借りる事になる。
その果てに日本はどうなるか・・・・
薩長に倒されなければ日本が滅びても良いならそれも有りだがなw。
578 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/18(土) 15:22:04 ID:gLlV3pZG0
80 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/13(土) 19:14:41 ID:wvKQJWWU0
>>76 維新当初の大久保が何の展望も持たないバカだったことは明らかだよ。
明治3年頃の明治政府は極度の財政難におちいり、
「非常之節倹ノ御布告」「冗官ヲ沙汰スル事」等々の政府組織の縮小を進める。
このとき中央政府の倹約を主張したのが大久保。
収税を直轄地だけではなく全国化すること(廃藩)を主張したのが大隈。
廃藩だけではなく文明開化や殖産興業を進めることが不可欠と批判したのが福沢。
要するに明治政府の中心メンバーはどうしようもない混乱状態だったわけで、
このまま大久保路線で進んでいたら明治国家は間違いなく破滅してた。
しかしその直後、大久保や木戸といったバカ集団は岩倉使節団として海外に遁走し、
邪魔者のいない隙に大隈が国家の大改革を断行することができた。
岩倉使節団はなんの役にも立たなかったと嘲笑されたが、
近代化の障害物を海外に放出したという意味では立派に役に立ってる。
579 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/18(土) 15:24:07 ID:gLlV3pZG0
84 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/13(土) 22:03:10 ID:Q32sIHIv0
>>81 事実、岩倉使節団一行は、廃藩置県直後の後始末を放棄して、大混乱の日本から逃亡してるじゃん。
教科書には大久保がバカだったとはストレートに記載されていないけど、
使節団と称して海外逃亡した連中は、無責任なクズとしか評価しようがない。
地租改正、旧藩債切捨て、通貨整理、国立銀行設立、義務教育、人身売買禁止令、太陽暦、徴兵令、
郵便制度、鉄道施設・・・等々、重要な施策はすべて留守政府が行ってる。
そしてこれは大久保や木戸が不在だからこそ実行できた偉業だ。
ちなみに留守政府がこれだけの改革をなしとげることができたのは、
渋沢栄一はじめ旧幕臣が薩長に邪魔されず腕を振るうことができたためでもある
580 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/18(土) 16:09:01 ID:xmTf0zkm0
なぜ論破済みのネタをわざわざコピペする?
論破されたのが悔しくて、場所と時間を変えて蒸し返そうとかwww
581 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/18(土) 17:22:20 ID:jxnXd+GW0
>>579 >事実、岩倉使節団一行は、廃藩置県直後の後始末を放棄して、大混乱の日本から逃亡してるじゃん。
根本的な理解が間違えている。岩倉使節団のきっかけは、翌明治五年に、安政条約を
改正するため、外国側と協議できる期限が来ることだった。国内体制が整うまで、協議期限を
三年間延長してもらうように、外国側と交渉しようということだった。あなた、派遣に際しての
「事由書」を読んだことある?「事由書」には、従来の条約を改正しようとすれば、「列国公法」に
よらなければならないが、そのためには、我が国の諸法律などで、「公法」と相反するものを
改正しなければならないと述べているよ。結局のところ使節団の目的は、1各国への親善訪問、
2条約改正期限の延期交渉、3各国の諸制度・財政・産業・教育・軍事などの調査ということに
なった。このことは、「列国公法」に沿った国内体制の改正という場合、国家のあり方として、
欧米にならうという方向がはっきりと打ち出されたことを注目しなくてはいけない。
(ここでいう「列国公法」とは、近代欧米諸国の習慣という意味)
だから、一年十ヵ月もの間、米・英・仏・ベルギー・蘭・独・デンマーク・スウェーデン
伊・オーストリア・スイスの12カ国を回覧したんだよ。首脳は薩長の実力者だったけど、書記官は
旧幕臣、理事官は各省派遣の専門官という構成だった。自分の意見を書くのはいいと思うけど、
無知ゆえの思い込みを書くのはどうかな…。
582 :
581:2008/10/18(土) 17:28:08 ID:ZmunxHxj0
回覧した国で、露が抜けていた。
米・英・仏・ベルギー・蘭・独・露・デンマーク・スウェーデン
伊・オーストリア・スイス
に訂正する。
583 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/18(土) 19:48:18 ID:Avse92jI0
>>580 すでに論破されてるのはキミが書いた
>>577のおバカネタの方だよ。
>>581 そんな建前はどうでもいいんだよ。
そもそもは明治2年頃にフルベッキが大隈に外遊を促したことが岩倉使節団のきっかけ。
条約改正云々は後から取ってつけた理由にすぎない。
大隈は明治4年に条約改正交渉を口実に使節派遣を建議してる。
この時点では大隈を中心に20名程度の小規模な使節団を送る予定だった。
しかし、いつの間にか大隈に代わり岩倉、木戸、大久保といった、
内政を担ってた政府主要メンバーが雁首並べて外遊することになってしまう。
当時の内政は廃藩置県後の大混乱で、外遊してる余裕などあるはずがないのに…
こんなデタラメな話は類例がない。
584 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/18(土) 20:23:49 ID:EnQvPEM20
混乱していないから、洋行しているわけだが、
木戸や大久保がそんなずさんな廃藩置県をするわけがない。
585 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/18(土) 20:54:21 ID:bXlwDzyo0
>>583 >そんな建前はどうでもいいんだよ。
条約改正云々は後から取ってつけた理由にすぎない。
そうですか。建前ではなく研究者の書いたものを根拠にしているけどね。
あなたが、私の読んだ内容とは違うことを書いているからレスしただけ。
どうも、まともな議論をする気はないようだから、御勝手に妄想を書き続けて
下さい。
586 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/18(土) 22:00:46 ID:yKmFw9550
>>585 薩長ヲタは馬鹿げた思い込みを捨て、自分の頭でものを考える訓練をした方がいい。
キミが
>>581で書いたのは公的な建前にすぎない。
しかし岩倉使節団は公的な目的から組織されたのではなく、
愚かでドロドロとした政治的な足の引っ張りあいの結果として実現したもの。
それを事後的な建前から美化するのは馬鹿げてる。
ちなみに
>>578-579のコピペが正しいことは、大隈の昔日譚を読めばわかる。
薩長は内政改革の邪魔者であり、そいつらを追い出すことが岩倉使節団の究極の目的であった。
これが事実の核心だ。
何を為しても成らざるなき内政すら、薩長の軋轢、官吏の衝突の為め、其処理裁断の困難を極めて、
諸般の改革、改新の阻格せらるる弊患を苅除するは、出来るだけ其人々を外国に派遣し、
謂ゆる「鬼の留守に洗濯」と云ふ調子にて、其間に十分なる改革、整理を断行するにありしを以て、
兎も角も、成るべく速やかに、且出来るだけ多数の人を派遣すべしとて、さては一百に近き多人数を
派遣するに至りしなり。(「昔日譚」大隈重信)
587 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/19(日) 01:05:12 ID:J00HqTYx0
大隈って征韓論の時に右にいったり左にいったり右往左往していだけのみっともない奴だろ。
そんな奴をあがめ奉る会津厨房っていったいW
588 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/19(日) 16:43:37 ID:SDdLbf8q0
日本の国家としての枠組み、国家観は明治以来ほとんど変わっていない。
太平洋戦争を経てもである。現代に重要な影響を及ぼしている明治維新は
<<すばらしい革命、一新だった>>というのが、現代日本人の大部分の
認識ではないだろうか? 今回の経済危機や政界の混乱(再編劇序幕?)
を迎え、日本人は明治維新の真実についてもっとよく考えるべき時期に
さしかかっている。日本の政治システム中枢(象徴)は巧妙にMaskされその
所在、責任部署が不明になっている。これは官軍が権力を掌握したとき
と全く変わっていない。したがってその優劣、問題点も明らかではなく
改変が非常に困難になっている。(そのように造られている)グローバルな
恐慌という新事態の前ではもはや時代遅れなのではないか。今後もっと根本
的に柔軟なシステム(新しい透明な政治システム)に移行すべき時代となった
のではないだろうか?
589 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/19(日) 17:49:33 ID:/DVEeegE0
日本の国家としての枠組み、国家観は江戸幕府以来ほとんど変わっていない。
明治維新を経てもである。現代に重要な影響を及ぼしている江戸幕府は
<<すばらしい政府、平和な時代だった>>というのが、現代日本人の大部分の
認識ではないだろうか? 今回の経済危機や政界の混乱(再編劇序幕?)
を迎え、日本人は江戸幕府末の真実についてもっとよく考えるべき時期に
さしかかっている。日本の政治システム中枢(象徴)は巧妙にMaskされその
所在、責任部署が不明になっている。これは江戸幕府が権力を掌握したとき
と全く変わっていない。したがってその優劣、問題点も明らかではなく
改変が非常に困難になっている。(そのように造られている)グローバルな
恐慌という新事態の前ではもはや時代遅れなのではないか。今後もっと根本
的に柔軟なシステム(新しい透明な政治システム)に移行すべき時代となった
のではないだろうか?
590 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/19(日) 18:56:02 ID:Wi+SnpQi0
>>586 >薩長ヲタは馬鹿げた思い込みを捨て、
それを事後的な建前から美化するのは馬鹿げてる。
>>581-585のどこが薩長ヨタなんだ?どこがどう馬鹿げた思い込みなのかを、具体的に指摘してくれ。
>事後的な建前から美化している
という根拠の史料を出してくれ。そもそも、事後的な建前というが、
使節団が帰ってきても大隈は政権内部にいたのだから
どうしてそれを美化することを許したんだ?
ちなみに、
>大隈の昔日譚を読めばわかる。
で引用されているものは、単なる維新期の政治家の個人的な記述以上の内容ではない。
なぜならば、大久保政権の一翼をになっていたからだ。
>愚かでドロドロとした政治的な足の引っ張りあいの結果として実現したもの。
政治を行う上で、建前も本音もまぜこぜで進めていくのが政治家のやることであり、
愚かであるとかドロドロとして政治的な足の引っ張り合い、などという、あなたの
ような視野で政治は行わない。利害調整をするのことが政治です。
そもそも岩倉使節団について議論しているけど、文献であなたは、
久米邦武編修「特命全権大使米欧回覧実記」1978を読んだことがないでしょう?
使節団は、19世紀70年代の国際社会における大国と小国、先進国と後発国の実情を
政治・経済・社会・軍事・産業・教育・文化等あらゆる分野についてつぶさに調査
洞察し、日本近代化への選択肢を探った大きな出来事であることは間違いない。
591 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/19(日) 19:00:45 ID:Wi+SnpQi0
>>588 >日本人は明治維新の真実
その真実の内容は、↓
>日本の政治システム中枢(象徴)は巧妙にMaskされその
所在、責任部署が不明になっている。これは官軍が権力を掌握したとき
と全く変わっていない。
なんですか?
>グローバルな
恐慌という新事態の前ではもはや時代遅れなのではないか。
前の一文となんのつながりもありませんが?
>新しい透明な政治システム)に移行すべき時代となった
のではないだろうか?
なら、こんなところに来る前に来る衆議院選挙に出馬する準備をした方が
いいよ。
592 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/19(日) 19:41:22 ID:SDdLbf8q0
官軍勝利の秘密とは錦の御旗(玉を抱く)ということであり、御旗のご威光
というものは今日唯今も機能している。そしてこの2重支配?で国民は政府と
その背後にあるもの?へ常に敬意と畏敬の念をもたされることになり、官僚
のボーナス支払いのための納税に、どんな不況下でもレートに関係なく勤しむ
ことになる。この構図も明治維新以来ずーっと続いてる。
593 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/19(日) 19:47:03 ID:Clka3r3E0
>>589 >ID:/DVEeegE0
この人、坂本龍馬part15で
>>723-724です。
どんなことを龍馬スレで書いてるか…、一度ご覧になって下さい
594 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/19(日) 19:55:50 ID:SDdLbf8q0
錦の御旗なんて花見の桜であることは皆知っていた。もちろん官軍も。
だから都合のいい様に挿げ替えたのだ。
595 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/19(日) 20:03:55 ID:gBpCTCD20
596 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/19(日) 23:11:01 ID:/DVEeegE0
>>593 何を言うか!
坂本を評価しようと思えば、
まず赤いきつねかみどりのたぬきは外せないだろwww
つーか、坂本はどうでもいい。おれは赤いきつねが好きだ。
>>592 江戸幕府の秘密とは征夷大将軍(天皇から任命される役で、天皇の家臣)ということであり、天皇のご威光
というものは今日唯今も機能している。そしてこの2重支配?で国民は政府と
その背後にあるもの(特に霞ヶ関官僚=幕臣たち)?へ常に敬意と畏敬の念をもたされることになり、官僚
のボーナス支払いのための納税に、どんな不況下でもレートに関係なく勤しむ
ことになる。この構図も江戸幕府以来ずーっと続いてる。
597 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/20(月) 00:51:17 ID:q70xpXST0
蔵を掃除していたら、坂本龍馬先生の書き物が出てきた。
すごく古くシミだらけで、達筆な字で坂本龍馬と書かれている(書いている内容は字が達筆すぎて、
祖父に解読してもらった)
文書の内容は、現代風に簡単に要約すると「まんこが舐めたい。
まんこに入れちゃうぞ。俺の一物も舐めてくれよ〜ついでに性交もやろうぜ!
オッパイ吸いまくっちゃうぞ!」という超エロい文書であった。
この書き物は本物だろうか?
>>496 海軍は麦飯を食べることでビタミンを摂取し脚気を防いだよ。
森が麦飯反対派の軍医だから責任はあるだろう。
当時は科学的に開明されていたわけではないよ。
だから仕方ないと思うが。
600 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/20(月) 20:43:02 ID:hBY1/LOC0
白米が食えただけまだいい
太平洋戦争なんて食い物が来なかったんだから
601 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/20(月) 20:58:41 ID:9cIa7S8z0
>>599 てか経験的に麦飯が脚気予防になることは分かってたよ。
だから海軍は脚気患者を出さなかった。
しかし森は細菌原因説にこだわり経験則を無視した。
思い込みが激しく現実が見えないところは典型的な長州人だ。
森は津和野で島根なんだが。
それに経験則なんて科学的な証明じゃないよ。
経験則が嘘だった事例なんてやまほどある。
部活動で練習中のときは水を飲まないほうがいいとかな
経験則なら、部活動のときはタイヤを引き続けているだろう。
ウサギ跳びも廃れたなぁ。
つか、森鴎外の出身地ぐらい知っておいて欲しかった。
さぁ、明治維新の話をしようか。
607 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/22(水) 12:09:36 ID:uPOjDgNu0
結局、誰かやどこかの地方を中傷することしか書けない奴らばかり…。
最近の研究で、公武合体運動という用語を使わなくなったことや
一会桑は、どのような位置付けなのかとか色々あるんだけどな…。
難しいことはわかりません
>>607 そこで話をきらないで公武合体運動の代わりになんて言う様になったのか教えてよ
610 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/23(木) 19:35:48 ID:n1Z7H/QV0
>>609 公武合体に限らず幕末史は複雑なので、下記に書いた文献を直接あたって下さい。
公武合体体制については、下記が研究史上、古典的位置を占める。
・「幕末政治と政権委任問題ー大政奉還の研究序説」大久保利謙 吉川弘文館
ここで大久保氏は、”幕府を頂点に将軍・諸大名の上下関係を軸とした「幕藩政治」の
体制は、ペリー来航以降「公武合体体制」に移行する”とし、その体制は”老中阿部正弘に
よる政治以降の幕末期の政治体制を総括的に捉える”ものとした。それは、”朝廷(公)−
幕府(武)−諸雄藩(武)の三勢力のバランスオブパワーズとして出現した”というもので
あり、”この三勢力は横の連携的に関係あるもの”とした。この大久保説を継承したのが
・田中彰「幕府の倒壊」岩波講座日本歴史13 近世5だった。
しかし、宮地正人氏によれば、元来近世における「公儀」権力とは、朝廷・幕府が
一体となって成立するものであるという指摘があり、「公武合体」とは本来自明の
ものであり、大久保や田中の研究に再考の余地が生まれた。
・「天皇制の政治史的研究」宮地正人 校倉書房の第一部を参照のこと。
最近では、文久から慶応にいたる具体的な政治状況下における「公武合体」体制確立への
様々な史実を考察した、前記宮地と原口清さらに幕府の側からの研究では、三谷博がある。
・近代天皇制成立の政治的背景 原口清 岩波書店
・参預考 原口 名城史学 ・禁門の変の一考察 原口 名城史学
・明治維新とナショナリズム 三谷博 山川出版
宮地は、公武合体の用語を使用しないで、朝幕融和運動というのを使用している。
・禁門の変後の朝幕融和運動の展開とその挫折 名著刊行会
611 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/24(金) 18:46:05 ID:V96L3B/c0
>>586 >大隈の昔日譚を読めばわかる。
薩長は内政改革の邪魔者であり、そいつらを追い出すことが岩倉使節団の究極の目的であった。
これが事実の核心だ。
岩倉大型使節団の出現の不自然さについて、特殊な事情の介在を究明する研究として
「岩倉使節団の研究」大久保利謙編 宗高書房1976
が、ある。そして、その研究をベースに論じている毛利敏彦氏の
・岩倉使節団の編成事情
「明治維新政治外交史研究」所収 吉川弘文館2002
によると、岩倉使節団が大隈使節団の否定のうえに成立したことの発見は
大久保氏の大きな功績であることをまず書かれている。しかし、それは
大久保氏のいうような「薩長派」の策謀ではなかった、と結論(P108)を出している。
史的経過が示しているのは、当時の政府要人、三条ー大隈ラインに対する、
岩倉ー大久保ー西郷ラインの対抗、すなわち薩摩派の策謀だったという緻密な
論証をしているので、大久保が無能とか木戸も合わせて海外へ逃げたなどという
馬鹿げた妄想を正してくれるよ。ご一読あれ。
俺の父方の親、砕石事業に失敗、土地を失う
父、事業失敗全てを失う
母親の母方の曽祖父、連帯保証人になり財産を失う
母親の祖父、戦争で親をなくし土地を詐取され、家を失い、壁の無い粗末な小屋を借り布団はワラ風呂はドカン
冬に着る物も買えず単シャツにステテコでリアカーを引いて鉄クズを拾って売って生活していたが、武士は食わねど
高楊枝が口癖だった為、差別だと言われ誰にも相手にされなかった。
これが、没落士族の現実だ、イマダニ差別だと言われる。
613 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/25(土) 21:20:51 ID:LeHIN1co0
↑
これが明治維新とどんな関係があるのかわかんねぇー
614 :
市民:2008/10/28(火) 01:15:56 ID:FDP37E5M0
>>597 そいは偽物ぞ。
多分そいはお前のじいさんのエロ手紙ぞ。
婆さんに送ったった。
あんまいらん物じいさんに読ますな。
ボケるぞ。
616 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/28(火) 04:49:37 ID:xQQb5UA70
木戸は「既に神経衰弱に罹れるに非ざるや疑ふべし」三宅雪嶺
アメリカに赴いた岩倉使節団は、条約改正交渉に乗り出す。
当初、天皇の委任状が無いことを突かれて交渉が頓挫しかけるが、
大久保と伊藤が委任状のために帰国することで交渉は続けられた。
アメリカ側とは木戸が中心となって何度も会談を重ねる。
しかし、木戸ごときに老獪なアメリカ外交を崩すことは到底不可能。
壁にぶち当たった木戸は、ついにはヒステリーを起こし、
そもそも条約改正交渉を行ったことが間違いだったと言い出す。
森有礼をはじめ周囲の日本人に当り散らしたことは有名な話で、
冒頭の三宅の一節は、その際の木戸についての評。
その後、使節団は欧州に渡りイギリス、フランスなど各国を巡るが、
木戸は一切条約問題については口をつぐんでしまう。
岩倉使節団は、世界中に日本人のバカの見本を晒して回ったようなもの。
岩倉や木戸ではなく、大隈を代表にしてたら、もう少しマシな活動ができただろうに…
アメリカは条約改正に乗り気だったじゃん
選挙前で
コピペばっかりはるなよ
618 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/29(水) 21:06:48 ID:lhkoitM90
どうして、明治になってからのことばかり書く人たちばかりなのかな…
幕末の話がネタ切れで書けないからじゃない?
明治の為政者たち大久保利通らは江戸時代の為政者徳川慶喜らに比べてどれほどすごい方々なのでしょうか?
私は佐幕派だが徳川慶喜に比べたら大久保のほうがはるかに優れた政治家だと思うぞ
622 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/31(金) 19:29:43 ID:Zh/bmXih0
>>619 ふ〜ん、しかし幕末のことについて書いていた内容と、明治になってからの
最近のレベルの低さはひどいものだと正直思う。岩倉使節団など無知そのものの
内容で小学生が書いてるようだ。
>>621 オマエ、無知を通り越してここに来なくてよいよ。
幕末当時将軍の慶喜と明治時代の政治家大久保を比べている時点で駄目だろw
江戸時代と明治時代ではどちらが近代化されているかと馬鹿馬鹿しい事を聞いているようなものだぞ
624 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/31(金) 20:35:22 ID:K9O2Y0O+0
>>623 >江戸時代と明治時代ではどちらが近代化されているか
日本の近代化プロセスを江戸時代と明治時代で二分する考えは誤り。
そもそも日本の近代化は江戸時代に幕府が近代化を志向したところから始まる。
それに対し薩長などの愚かな攘夷派がキチガイじみた抵抗をしたことにより、
幕末の混乱が生じ、皮肉な結果として、その攘夷派の手中に権力が転がり込んだ。
明治以降の薩長は復古ゴッコに呆け近代化の努力を怠っていたが、
旧幕臣の啓蒙と指導により、日本はなんとか近代国家へ脱皮することができた。
要するに明治の近代化は江戸時代に準備されていたということ。
>>624 江戸時代と明治時代に分けてるのは俺じゃないんだがw
でもまぁこの厨房があまりに無知なので教えてやろう
>日本の近代化は江戸時代に幕府が近代化を志向したところから始まる
幕府が志向したのは確かだが、それは失敗した。
一握りの開明派幕臣がいかに正しくとも、その他大勢の幕臣と幕府政治を担う譜代老中たちが馬鹿では近代化できなかったのだ。
>薩長などの愚かな攘夷派がキチガイじみた抵抗をしたことにより
幕府は近代化を志向した。しかしその方法は二派に別れた。
勝や春嶽ら日本全体を近代化しようとしたのに対し、
小栗などは日本ではなく徳川家のみの近代化を成し遂げようとした。
こうした、<馬鹿げた>内部争いをしている内に、小栗等は諸外国の手を借りて
幕府のみを近代化しようと目論み、他勢力である長州薩摩を武力で押さえ込もうとする。
一方薩長等は、日本を近代化するには幕府の譜代老中たちや小栗などのような無能者を
排除しなければならないと気がつき、その手段として幕藩体制を終わらせるという判断を行う。
>幕末の混乱が生じ、皮肉な結果として、その攘夷派の手中に権力が転がり込んだ
幕末の混乱は、第十四代将軍継嗣問題を始め、和宮降嫁時に幕府が朝廷に約束した攘夷実行を反故にするなど、
幕府の迷走の影響が大である。結果として幕府の権威は大いに失墜し、ついには薩長ら諸藩の発言力が増したのである。
>明治以降の薩長は復古ゴッコに呆け近代化の努力を怠っていたが
徳川家が普及させた儒教の中から生まれた水戸学(国学)の普及に伴い、
尊王攘夷思想が流行した。こうした尊攘派の支持を取り付けるべく王政復古というスローガンを掲げた薩長だが、
これは欺瞞であり、実態は開国による近代化であった。
>旧幕臣の啓蒙と指導により、日本はなんとか近代国家へ脱皮することができた
幕臣の中には西洋知識に豊富で、かつ技術を持つ者が多かったが、幕府そのものは彼らを活用できなかった。
いや活用する気もなかった。つまり幕府の中に優れた官僚はいたが政治家がいなかったのである。
一方の薩長は逆に政治家ばかりで官僚がいなかった。
薩長らは、過去の恩讐を乗り越え、幕臣を積極的に採用し、幕府がなし得なかった近代化を極めて短期間の間に成し遂げたのである。
>要するに明治の近代化は江戸時代に準備されていたということ
要するに江戸時代に準備された中途半端な近代化を破棄し、完全に新しい新体制で新しい政治の元で近代化を行った薩長が一番利口だったのである。
626 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/31(金) 22:02:36 ID:+dBNGmRN0
>>625 最終センテンスの、
>薩長が一番利口だったのである。
の一文を除けば、可とする。このくらいの水準の議論のやりとりをして欲しい。
627 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/31(金) 22:18:03 ID:MUkzuCoN0
いずれにせよ、明治維新は「青写真なきクーデタ」と言われており、
日本の近代化の展望は幕府側の知識人しかもっていなかった。
薩長はイギリスの手先をなって内紛を起こしただけで、
権力を握った後の具体的な展望はないも同然。
幕府の営為があったからそ日本が近代化できたことを忘れてはならない。
628 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/31(金) 23:07:11 ID:Diev2q+b0
>>627 こういうことを書く人って何を言いたいんだろう?
つまらないよな。もう一度、
>>625を熟読してみたら
確かに維新前の討幕派の連中は馬鹿だが維新後はがんばったと思うよ。
実務では旧幕臣の力も借りたけど日本をどういう国にするかの舵取りは薩長の連中がしたじゃない。
どうしてお前らときたら両極端の意見しか出せないんだろうね。
630 :
625:2008/11/01(土) 08:24:26 ID:J+q13PPh0
煽り無き書き込みしたってつまらんだろw
倒幕、佐幕を問わず煽ってばっかの書き込みしてるような性格の幕末の人物って
テロの標的になって殺されるかテロを起こして処刑されるかのどっちかじゃね?
幕府は近代化を云々は、そうかなぁー?と思う。というのは、近代国家を
建設するときに、当然官僚制組織は必須。幕府はそこで必要とされる、官僚を
幕藩体制の中でも、例えば17世紀にその始まりのある、昌平坂学問所で陪臣・浪人の
入学も許し有能な官僚を生んでいった。そういう部分においての人材の厚みは、
新政府側には少なかった。
それから、薩長の政府要人を色々論(あげつら)うことを書いく人もいるが、
あくまでも彼らを好き嫌いでなく、その立場でどのような業績をあげたかを
問うべきだと思う。一例をあげると、初代総理大臣伊藤を、人物として好き嫌いの
評価よりも、政治家としてどうであったのかを客観的にみれば、困難な国力で日本の
国家運営で、立派な業績を残した人物であることは間違いない。
633 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/01(土) 13:34:03 ID:aYwdQUiq0
>>627 >いずれにせよ、明治維新は「青写真なきクーデタ」と言われており、
薩長双方ともに慶応三年の幕末も末になるまで討幕の意志はなく、
幕政改革を行い、幕政に大名会議体制を導入するという事を考えていた。
しかし、これは徳川慶喜の反対で挫折した為に討幕以外に道が無くなっただけの事。
そして、たまたま文章化された龍馬の新政府案がある事から、薩長側に具体的な展望が無かったとする説が流れたが、
龍馬暗殺後、五箇条のご誓文以外は龍馬案の影響をまったく受けていない事から「青写真はあった」とする方が妥当。
実際、大政奉還直後に、三職制といった明治政府の体制を作っている。
>日本の近代化の展望は幕府側の知識人しかもっていなかった
その幕府側の近代化は「徳川家のみの近代化」であって、日本を近代化する為の展望ではなかった。
故に明治政府は見向きもせず、すべて新たに考え、実行した。
幕府側の知識人の多くが、マスコミに転向して政治議論の外野でしか活躍しなかったのが好例である。
だが、これはこれで無駄ではなく、政治に無関心だった庶民を政治に目を向けさせる事につながり、
後に自由民権運動燃焼のエネルギーとなっている。
>薩長はイギリスの手先をなって内紛を起こしただけで
戊辰戦争を行う上で、明治政府は諸外国に対し中立を保つように要請しただけで、
その協力を得る事は拒絶した。対して旧幕府軍はフランス教官のブリュネを始めフランス軍人を実際に戦争に関わらせてしまっている。
>権力を握った後の具体的な展望はないも同然
すでに論破済み
>幕府の営為があったからそ日本が近代化できたことを忘れてはならない
幕府の営為が徳川家のみの独りよがりな計画で日本にとって役ただずであったからこそ、幕府を潰し新体制による近代化が為されたことを忘れてはならない。
634 :
633:2008/11/01(土) 13:47:48 ID:aYwdQUiq0
一部訂正
>薩長双方ともに慶応三年の幕末も末になるまで討幕の意志はなく
「慶応二年の四境戦争の頃まで」に訂正、
それ以前の討幕を志向した運動は、長州の考えではなく天誅組といった草莽尊攘家の運動。
倒幕派が馬鹿と言われるのは自分とこの長井雅楽や吉田東洋を殺してるからというのもあるな
特に吉田東洋暗殺。正直これは救いようがない。なぜ武市を尊敬できる奴がいるのか不思議。
西郷が横井楠南に私淑してたりするのを見れば倒幕後の青写真がなかったって事はないよね。
もっと早い時期に板倉勝静がというか山田方谷が幕閣に入ってたらどうだったろうね。
慶喜や春嶽がでしゃばるよりはるかにまともだった気がする。
636 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/01(土) 14:18:20 ID:wkXEtKJy0
論外
板倉や山田に、大政奉還や不戦恭順する決断力なんてないよ。
「大政奉還も恭順も、ありゃ全部慶喜公が決めたことさ」
637 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/01(土) 14:32:47 ID:Z3hZYusu0
人が知識を広めるにはそれに見合った時間が必要で、その時間の積み重ねが歴史となる。
人が石を道具として使い始め、火を起こして生活する事を知るまでには時間が必要である。
また狩猟生活をしていた人が、稲作という技術を知り、その結果安定した定住生活になるまでにも長い時間が必要だった。
これと理屈はまったく同じ。
海禁政策(鎖国)によって長く生活した日本人は、開国によってもたらされた生活の変化を嫌った。
たとえば貿易による国際経済が日本の国内経済に及ぼした影響は計り知れない。
こうした激変に反発した人々は、諸外国の知識を持たぬが故に攘夷論を唱える事は自然な事だ。
その一方で、諸外国の知識を持つ者は急激な変化に対応しなければならない必要性を知るが故に開国論を唱える。
しかし、正しい知識が必ずしも民衆(世論)に受け入れられるとは限らない。
正しい知識が広まるにも時間が必要だからだ。
吉田東洋や長井雅楽らは正しい認識を持っており、そこから政策を打ち出したが世論に受け入れられなかった。
そして攘夷を叫んでいた桂小五郎や武市瑞山は知識不足ではあったが世論を味方につけていた。
そういう事である。
世論を正しい方向に導けなかった政策担当者の吉田や長井にも責任の一端もあるだろう。
今風に言えば「説明責任を問われた」形なのだろう。
ただし、江戸時代は身分により発言権が変わる。ここに幕藩体制の限界がある。
世論とは時流であり、時流を掴めなかったのが吉田や長井で、時流を掴み、それと共に知識を増やしたのが桂小五郎らと言える。
武市は時流を掴みながらも死んでしまった人物であり、時流に逆らって思想に生きたか否かはわからない。
そんなわけで、板倉や山田が幕政に関われたとしても、時流が来るまでその意見は誰も見向きもしなかっただろうし、
それを無理に勧めようとすれば長井や吉田と同じ(もっと言えば井伊直弼)ような目に遭って命を絶たれてしまう可能性の方が大きいと思う。
「地球は丸い」と言った学者は弾圧されて殺された。
それが正しいと証明されて名誉を回復するまでには長い時間が必要だったということさ。
>>637 事実誤認を長々と書いたもんだ。おつかれさん
639 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/01(土) 16:44:50 ID:Z3hZYusu0
>>638 反論できないなら反論できなかったと正直に言ったらw
>>636 山田方谷は板倉の幕閣入りに反対してるよ
幕府はもう持たないからって
知らないなら知らないって素直に言えよ
>>639 >反論できないなら反論できなかったと正直に言ったらw
だから事実誤認と書いただろう。いいか、
> 吉田東洋や長井雅楽らは正しい認識を持っており
つて、何?正しい認識と断定する根拠は何?まさか、
>そこから政策を打ち出したが世論に受け入れられなかった。
と何の正しい認識の内容も書かず、東洋と雅楽の思想の違いを
一緒くたにするの?そもそも、世論など支配階級に属する両者が
考慮する必要などない。少し詳しく書けば、長井の航海遠略策は
長州藩主に建白しており、長州藩はこの建白書を検討し、藩主の裁可を得て、
正式な藩論として採択し、長井に周旋活動を命じている。
そこで文久元年五月上京し、まず大納言の正親町三条実愛会って、建白の趣旨を
述べた。ここで実愛は大いに賛同し、口述だけでは物足りないから書面にして提出して
くれるように求めた。長井は個人的な筆記と念を押したで書面にまとめて渡した。これが
漏れて、長井本人はもとより長州藩に対する非難攻撃の材料にされる結果になったのが、
後年の切腹につながったんだよ。そして、長州藩江戸藩邸にいて桂小五郎はこうした
議論はもう時代遅れだと考えていた。幕府の存在を必ずしも前提にせず、大名勢力全体の
意思を結集していかなければならない、というのが彼らの考え。全て、世論など何の関係も
なく、武士階級で全て進められていた。だから、オマエの書いてることは事実誤認だと書いた。
端折って書いたが、詳しく知りたければ「長井雅楽詳伝」中原邦平編述 マツノ書店「修訂防長回転史」マツノ書店
を読め。
642 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/01(土) 19:51:31 ID:JnkroVpu0
>>633 >「青写真はあった」とする方が妥当。
ねーよヴォケ。あるなら出してみろ。
王政復古クーデタ時の三職やその後の太政官制は律令の古制に倣ったもの。
薩長が近代国家プランをもってた証拠にはならない。
>幕府側の近代化は「徳川家のみの近代化」
意味不明。日本を近代化せず徳川家のみを近代化できるわけがないだろ。
当時幕藩体制は財政的に行き詰まっていた。
そこで幕府は近代的な中央主権国家に移行することを模索していた。
こうした幕府の改革に、藩の利益を対置して敵対してたのが薩長だ。
明治以降の近代化の流れのなかで、藩閥の利益を第一に行動した薩長の醜悪さを見ろ。
>自由民権運動燃焼のエネルギーとなっている。
自由民権や国会開設運動は薩長藩閥の悪政にたいする抵抗運動として始まってる。
>戊辰戦争を行う上で、明治政府は諸外国に対し中立を保つように要請しただけで、
>その協力を得る事は拒絶した。
イギリスが密貿易を禁ずる国際法を破って薩長に軍事援助を行ったから倒幕が成功した。
英米武器商人の関与なしに薩長の勝利はありえない。
また、戊辰戦争に際しても、薩長は逐一パークスにお伺いを立てており、
江戸決戦が起きなかったのもパークスが大反対した結果だ。
643 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/01(土) 20:30:32 ID:9oscnJKf0
>>642 断片をつないでいるだけ。
一つ一つの語句の内容にはまるで答えていない。
お粗末そのものひどいものだ
644 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/01(土) 20:33:37 ID:9oscnJKf0
>>642 断片の証拠を出そう。
>イギリスが密貿易を禁ずる国際法を破って薩長に軍事援助を行ったから倒幕が成功した。
上記のことの根拠の史料を明示してくれ。加えて、19世紀末の、国際法がどのようなものかを
具体的な判例を出してくれ。
>薩長が近代国家プランをもってた証拠にはならない。
薩長の目的は諸藩を配して、天皇のもと強力な統一政府、
中央集権国家を作る為に、幕府というガンを潰したわけ。
青写真は当然ある、というか明治政府がなしたことが全て青写真。
明治政府がおこなったことは、多くは西南の諸藩で行われていたことを、
西洋の技術などもいれながら、日本全土で拡大再生産したにすぎない。
幕府と違って、明確な目的をもっていたのがわかる。
>そこで幕府は近代的な中央主権国家に移行することを模索していた。
そんな事実はありません、もしあるのなら、
誰かそんなでたらめ言っていたか、証明してくださいね。
>イギリスが密貿易を禁ずる国際法を破って薩長に軍事援助を行ったから倒幕が成功した。
そんな法律は存在しない、幕府が禁じていただけ。
そして幕府のいうことを諸藩と外国が聞く理由などないのだから、相手にされなくて当然。
んで武器の輸入がなくても無理だろうね。兵器もだが、戦術、士気
その全てで負けている。
>江戸決戦が起きなかったのもパークスが大反対した結果だ。
もともとそんな予定ありません。降伏してくれればそれでよかったのです。
慶喜の助命も最初から決まっていました。
>>624 幕府は近代化など志向しとらん、でたらめは辞めましょう。
幕府がしていたのは、新しいものを、ほしいほしい言って、借金して買っただけ。
北朝鮮がソ連の最新鋭の戦闘機をねだるのと変わらない。
>>627 幕府の官僚などいてもいなくても変わりません、
かわりはいくらでもいます、そして幕府の官僚が使えないから、
欧米に送ったりして、育てているわけです。
647 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/01(土) 21:15:58 ID:78Gx9sHt0
>>643 薩長に近代国家プランがあった証拠を出せばすむ議論だろ?
そんなものはないと主張してる幕府厨を批判したいならば、
その薩長プランを出せばいいじゃん。
>>645 >そんな法律は存在しない、幕府が禁じていただけ。
日本が欧米と結んだ通商条約では開港場は横浜、長崎、函館の三港だけ。
これ以外の場所で幕府に無断でおこなった通商は密貿易だ。
しかしアヘン戦争で清国を抑えたイギリスは薩長などの反幕勢力と通じ大規模な密貿易を行った。
これは明らかな通商条約違反。
ちなみに第二次長州征伐は長州が密貿易によって軍事力強化を企てていることが原因で起きてる。
その際、英仏米蘭は、厳正中立、内政不干渉、密貿易禁止の共同覚書を結んでいるが、
結局、イギリスは薩摩を媒介として密貿易を続け、長州に大量の武器を供給している。
>青写真は当然ある、というか明治政府がなしたことが全て青写真。
明治維新の青写真はたしかにある。
しかしそれは薩長の中の人がつくったものではなく、イギリス人が薩長に与えたものだ。
詳しくはアーネスト・サトウの英国策論を読め。
648 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/01(土) 21:41:53 ID:Z3hZYusu0
>>641 事実誤認とは「事実の間違い」の事。
お前が指摘しているのは、事実の間違いではなく事実をもとにした「解釈」だろw
これだから馬鹿は嫌いだよw
いいかい?
>正しい認識の内容も書かず、東洋と雅楽の思想の違いを一緒くたにするの?
俺がレスを付けた人の争点は「開国を良しとする東洋や長井が、なぜ攘夷派に殺されたのか」だ。
誰も「東洋と長井の違い」を争点にしてない。開国と攘夷という単純な争点だからこそ一緒にしただけだ。
>全て、世論など何の関係もなく、武士階級で全て進められていた。
幕末期の世論を理解していないようだなw
もう少し基本的な事から勉強した方がいい。
当時の世論は誰が創り出していたか?
学のないその日暮らしで苦しむ庶民が政治論をまくし立てられたか否か。
政治論が出来る者は、政治を語れるだけの勉強ができた人々だ。
つまり比較的裕福な農民や商人、そして武士階級だろw。
君が言っている事は私と同じであり、単に「その解釈の仕方が違う」だけであって、
どこが事実誤認なんだw。馬鹿ではないのか君は?。
君に一言言っておくが、君の書き込みはなんの反論にもなっていないよw。
この時間は極論に走る奴が多いな
>>648 >お前が指摘しているのは、事実の間違いではなく事実をもとにした「解釈」だろw
違うね。オマエが書いているのは、事実じゃない。それをオマエは知らないレベルだということ。
>俺がレスを付けた人の争点は「開国を良しとする東洋や長井が、なぜ攘夷派に殺されたのか」だ。
誰も「東洋と長井の違い」を争点にしてない。開国と攘夷という単純な争点だからこそ一緒にしただけだ。
それも違うな。
>>638は、事実誤認を長々と書いていると指摘しただけで、
どこに、「開国を良しとする東洋や長井が、なぜ攘夷派に殺されたか」と
勝手に解釈してる?それに、
>>641で書いたが、長井は長州藩の政争に破れ
何の客観的な理由もなしに切腹を命じられただけで、単純に攘夷派に殺された
などというのは、あまりに杜撰な内容であり事実からも離れている。
>馬鹿ではないのか君は?。
君に一言言っておくが、君の書き込みはなんの反論にもなっていないよw。
勝手にそう妄想するなら、御勝手に。
>>647 >薩長に近代国家プランがあった証拠を出せばすむ議論だろ?
だから新政府のやったことだよ。
それは維新前から述べられている。廃藩置県による中央集権国家と、
徴兵制つまり武士だけではなくて、国民全体で国を守る、
そのために思想や学力の為に学制、海外の技術だけではなくて、
組織改革をまず掲げているのが違う。
>日本が欧米と結んだ通商条約では開港場は横浜、長崎、函館の三港だけ。
幕府が日本を語っただけ、幕府など最大の領主にすぎず、
そんな越権行為をすることはできない。それを諸藩が守らないのは当たり前。
せめて勅許くらいとればよかったのねえ。
幕府は統一政府ではないのだよ。
>ちなみに第二次長州征伐は長州が密貿易によって軍事力強化を企てていることが原因で起きてる。
順番が逆、幕府が幕府の威を示すためだけに、フランスに乗せられて内乱を起こそうとしたから、
長州が防衛立ち上がることとなった。
当時の長州が一藩だけで幕府を潰すために、軍事力を蓄えていたとでも思っているのかね?
>その際、英仏米蘭は、厳正中立、内政不干渉、密貿易禁止の共同覚書を結んでいるが、
そのとおり、英国は長州に言われて、各国にも中立を約束させた。
長州にも幕府にも加担するなとね。
本当なら、政府側に加担するんだけどね、幕府が政府としては認められていなかったことの証左でもある。
>詳しくはアーネスト・サトウの英国策論を読め。
説明してみろw
できるならな、さっさとしろよ、俺が寝た後でもいいけどねw
652 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/01(土) 22:07:50 ID:TXSJjePf0
>>648 事実誤認というのはね、事実(ここでは、史実を)誤って認めること。
ある(歴史的)事物(ものごと)を他の(歴史的)事物(ものごと)と間違って認めること。
な、オマエのかいていることそのものじゃないか、違うか?
653 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/01(土) 22:22:54 ID:Nf2gZqg90
>>651 討幕派は愚かな下級武士層が、盲目的に右往左往してただけで、
攘夷戦争に負けた後はイギリスの言いなりとなる。
討幕派に「プラン」を与えたのは実はイギリス人。
例えば明治維新の原型を説いたサトウの英国策論は、
慶応2年の時点で日本国内で発行され討幕派の指針となった。
大君を本来の地位に引き下げて、これを大領主の一人となし、
ミカドを元首とする諸藩の連合体が、大君に代わって支配勢力となるべき。
これが私の提案である(アーネスト・サトウ 英国策論)。
654 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/01(土) 22:37:35 ID:oszRw9BJ0
後生大事に、読んだ本一冊で全てを語れると思い込んでいる。
どうしょうもねぇーな
イギリス万能論はもうお腹一杯だな。
アフガニスタンを近代化させてソ連を撃退させたのも多分イギリスだろう。
>>654,655
ムチほどこわいものはないなw
バロス
657 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/02(日) 10:02:17 ID:Gzeg+Shy0
佐幕厨の阪神ファンきどりというか、「大勢に抗しちゃう反主流派なオレサマ」な自意識がすげえきもい
幕府なんて最低最悪の抑圧政権だっつーの
天保の大飢饉を見ろ、蛮社の獄を見ろ。
それをさしひいても、幕府を滅ぼしたのは家斉・大奥・旗本八万騎だ。
それを無視して「イギリス×∞」、
そしてさらに5年間も幕権回復のために奔走した慶喜を責めるって、頭おかしい。
658 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/02(日) 10:27:18 ID:E7709Hzb0
>>642 >王政復古クーデタ時の三職やその後の太政官制は律令の古制に倣ったもの。
暫定的に古制に倣うことも、薩長が藩政で実施した政策を日本全国に拡大することも、
欧米の制度に倣うことも、全部含めて近代国家プランなんです。それが知恵というもの。
そして近代化はプランだけではできない。もしプランだけで近代化が実現できるなら
世界の発展途上国は全て近代化できたはずです。しかし、そうでないのは歴史が教えるところ。
プランには実行力、世論の支持、資本力のどれもが必要なんです。幕府には何も無かった。
しかし明治新政府には全てあった。だから幕府にできなかったことが明治新政府にはできた。
お前ごときがしょうもない難癖をつけても無意味です。
幕府側の近代化など存在しない。それは特権階級が既得権益にしがみつこうと策を練っただけのこと。
>>647 >これは明らかな通商条約違反。
笑止千万。通商条約とは、幕府が諸外国に開港を約束したものです。
諸外国が約束したわけではないのです。したがって諸外国は全く縛られるいわれがない。
公的な港で貿易しようが、私的な港で貿易しようが、それは諸外国の勝手です。
公立学校に入学しようが私立学校に入学しようが生徒の自由であることと全く同じなのですよ。
そして対外的な条約に諸藩が縛られるいわれもない。
それが幕藩体制なのだから、いまさらどうにもならない。密貿易が気に食わないというなら、
幕府が実力で取り締まれば良かっただけのこと。只、吠えてるだけでは犬と同じ。
だから、幕府の犬と笑われるのですよ。
659 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/02(日) 10:36:43 ID:E7709Hzb0
>>647 >その際、英仏米蘭は、厳正中立、内政不干渉、密貿易禁止の共同覚書を結んでいるが、
>結局、イギリスは薩摩を媒介として密貿易を続け、長州に大量の武器を供給している。
欧米列強は数百年間、血みどろの対外進出競争を繰り広げていて、そうした抜け駆け禁止の
約束をし合っては、裏を欠いて出し抜くの繰り返しの歴史なのですよ。
そして、それは欧米列強間の相互の利益を損ねず、無益な戦争を未然に防止するための知恵です。
進出される側に欧米列強が約束したものではありません。
あらぬ期待を持つのは勝手だが、それが裏切られたとしても進出される側が文句をいう筋合いは
何もない。
>>658 >通商条約とは、幕府が諸外国に開港を約束したものです。
諸外国が約束したわけではないのです。したがって諸外国は全く縛られるいわれがない。
オレは
>>647じゃないけど、上記はあまりに酷過ぎるよ。
最初の日米修好通商条約(1858年7月)は日本を代表して徳川幕府が
アメリカと調印した。それは、14条からなり、下田・函館のほか神奈川(横浜)、
長崎、新潟、兵庫(神戸)を開港すること、そして開港場に外国人居留地を設け
自由貿易を行い、その周辺に遊歩区域を設定し、また商業活動のためアメリカ人の
江戸・大阪滞在を認めることを(開市)などを定めてある。
よく引き合いにだされる、領事裁判権を規定し関税自主権を否定したのもこの条約に拠る。
(さらに、この後、相次いで結ばれた蘭・露・英・仏との通常関係の条約の原型なった)
日本を代表して、アメリカ他の諸国と条約を締結した史実を、アンタ無かったというの?
諸外国が約束?したわけじゃないって何をいってるの?
この不平等条約の改定に明治政府はどれだけ苦労したか、アホでもなければ誰でも知ってる話だぞ。
この条約は、94年調印99年発効の日米通商航海条約まで存続。
>>647の書いている、通常条約違反はその通りなんだよ。妄想は夢の中でお友達と語り合ってくれ。
最初はそこまで酷くなかった条約だけど薩長の無意味なテロの結果そこまで酷くなっちゃったんだよ
これは煽りじゃなくてまじめな話
しかも幕府を困らせるためだけにそういうことをやるという奴まで出る始末
それで明治になって苦労したとか自業自得の域を超えてる
662 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/02(日) 13:53:39 ID:E7709Hzb0
>>660 なにいってるか分からない。
>>658の文意を無茶苦茶に歪曲・曲解してるようだが。
通商条約は日本だけが責務を負った片務条約で非対照的な条約だ。
だから不平等条約というのだよ。
諸外国は何の責務も負ってないのです。
日本だけが諸外国に対してこれこれいたしますと約束したものであって、諸外国はそれを受け入れた
だけであって、諸外国が日本に対して何をしますと約束したものではありません。
ここまでいっても分からないのか?何が妄想か?馬鹿の相手は疲れるな。
>>662 あのさぁー、大バカなアンタが
>>658 >笑止千万。通商条約とは、幕府が諸外国に開港を約束したものです。
通商条約とは、幕府が諸外国に開港を約束したものです。
諸外国が約束したわけではないのです。したがって諸外国は全く縛られるいわれがない。
>公的な港で貿易しようが、私的な港で貿易しようが、それは諸外国の勝手です。
↑と書いたんだよ。
幕府は、一例をとれば、1854年3月日米和親条約をアメリカからの要求があり、交渉した上で締結した。
そして、前条約で明確な通商規定がなかった為、日米修好通商条約を(国家間の正式な条約を)
調印し批准・批准書交換を経て発効された。だから、日本側もアメリカ側も、当事者間に条約内容について
義務・権利関係が生じ、
>>660で書いたことが実行されていった。
アメリカが要求したことがどれだけその意向通り盛り込まれていて日本側が不利で
あっても条約に書かれていることを締結した以上、双方はそれに則り貿易を行うことになった。
大バカなアンタは、諸外国が約束したわけではないとか、全く縛られるいわれがないとか、
条約で決められた港で貿易をしようが、私的な港で貿易しようが、それは諸外国の勝手です。
とか妄想を書いているけど、密貿易が条約違反であることは、明白。
それを何をいってるか分からないなら、もう黙ってたら。
上で青写真なきクーデタといってるのは本当で、当時幕末の疲弊は
相当酷くなり、比例するように尊皇思想が広まってきた。
しかし、尊皇思想というのは突然現れたものではない。楠正成等に
見られるように日本古来の思想。尊皇思想がすぐに幕府を倒すという
事ではない。そこに黒船である。そこから尊皇思想をバックボーンに
して、各人各藩幕府等の利害思惑が絡んだ大騒動が始まるのである。
尊皇は有っても実際の体制とかのビジョンはなにもなかった。
その大騒動の結末が明治政府体制なのである。これをどう評価するか。
日本は王政復古により革新を行なってきたという側面がある。
昭和の米国は別にして。
最後の締めの廃藩置県、これは大きかったし、よく出来たと思う
出来なければ、共和制 日本共和国も有ったかもしれない。
665 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/02(日) 17:33:54 ID:uLc349cE0
>>663 >密貿易が条約違反であることは、明白
とか幕府の犬がキャンキャン吠えたところで意味ないだろうが!
どこまでいってもお前は犬並みだな。
それじゃ幕府は条約違反を理由に条約を廃棄したのか?
苦情のひとつでも申し入れたか?
文句のひとつでもいったか?
どうなんだよ!
>>665 >それじゃ幕府は条約違反を理由に条約を廃棄したのか?
苦情のひとつでも申し入れたか?
文句のひとつでもいったか?
どうなんだよ!
中卒オヤジはこれだからなぁー。今、議論していることは
>>658 >>笑止千万。通商条約とは、幕府が諸外国に開港を約束したものです。
通商条約とは、幕府が諸外国に開港を約束したものです。
諸外国が約束したわけではないのです。したがって諸外国は全く縛られるいわれがない。
>公的な港で貿易しようが、私的な港で貿易しようが、それは諸外国の勝手です。
についてなんです。大バカなアンタが、上記のように大見得を切って
バカ丸出しの間抜けなことを何度も書くから、オレは史実に基づいて
アンタ正真正銘のアホですよと指摘した。そして、アンタは論破されたんですよ。
オレは、1密貿易を行われていたこと2それに対して幕府がどのような対応をしたか、
など議論していない。それに、密貿易を、どの藩がどのような物資をどのくらいの量を、
誰とどこで、どのくらいの頻度で行ったかについての研究文献をまだ読んだことがない。
アンタ大バカだけど、文献名まで書ける内容でどのような内容だったか書けるなら
読んでみるよ。最後にもう1つ、条約について笑止千万はアンタのようだったね。
知ったかしないでね。
667 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/02(日) 19:08:02 ID:8WPVbtq00
一つだけハッキリしている事がある
オマエら両方とも事実誤認してるよ
んだけw
668 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/02(日) 19:36:31 ID:MeS5BfER0
>>667 >一つだけハッキリしている事がある
バカが、また一人沸いて出てきたってことか?
具体的に、書いてみろ。ハッキリしてんだろう?
え、バカさんよ
669 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/02(日) 20:15:42 ID:k2vNYEeu0
>>658 >薩長が藩政で実施した政策を日本全国に拡大することも、
>欧米の制度に倣うことも、全部含めて近代国家プランなんです。
薩長は幕府が欧米の制度に倣おうとしたとき、攘夷を叫んでそれに敵対してるだろ。
五箇条のご誓文の段階でやっと「智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スヘシ」などと言い始めるが、
これは対幕戦において欧米の承認を得たいがための媚にすぎない。
薩長のボケどもが「欧米の制度」のなんたるかをおぼろげながら理解できたのは岩倉馬鹿使節団以降のことだ。
>諸外国は全く縛られるいわれがない。
オマエはイギリスの視点でものを語ってる。
そして幕末の薩長もイギリスの飼い犬となることによって権力簒奪に成功した。
この薩長の売国奴としての振る舞いは批判的に吟味する必要がある。
浅はかな薩長擁護論が反日的で危険な思想を根底に秘めてることを理解すべきだ。
670 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/02(日) 20:22:12 ID:k2vNYEeu0
>>664 >最後の締めの廃藩置県、これは大きかったし、よく出来たと思う
>出来なければ、共和制 日本共和国も有ったかもしれない。
藩の私利私欲にこだわる薩長が日本の近代化の最大の障害物だった。
ぎりぎりのところで改革が成功したのは、大隈が機転をきかせて、
大久保や木戸といった改革の邪魔者を日本から追い出したことにつきる。
671 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/02(日) 20:51:56 ID:wiuVc2P50
>>666 >オレは史実に基づいてアンタ正真正銘のアホですよと指摘した。
ホンマもんの馬鹿だな、お前は。
俺が
>>658に書いたのは、通商条約は外国に対する幕府の義務と幕府に対する外国の権利を
定めたものだということなのだ。だから幕府が条約違反を外国に責められることはあっても外国が
幕府に責められる根拠とはならないと書いたのですよ。
実際、史実として幕府が外国に責められることはあっても幕府が外国を責めたことなど一度もありません。
「これ、グラバー。その方、密かに長州と通じ密貿易を行っているばかりか、長州に密貿易隠しの知恵まで
授けているとの訴状がある。この事実に間違いはないか?なんなりと申し開きしてみよ!」などと
奉行がグラバーに問いただした史実はあるのかと
>>665で聞いたのだよ。
条約違反なら出入り禁止にすれば良かっただろと指摘しているのだよ。
そんな史実は全く無いのです。幕府が、グラバーを気に食わない奴だと歯軋りしたところで
指一本手出しできなかったのですよ。つまり通商条約違反でもなんでもないのです。
通商条約をたてに外国人を責めるなんて到底不可能であることは幕府も認識していたのです。
じゃ、長州の密貿易を幕府は責められないのかというのは通商条約とは別問題。
通商条約は幕府が勝手に外国に約束したもので長州がそれに縛れるいわれはない。
それはあくまで幕府が諸藩を統制するために禁制としていたことで通商条約とは関係ないし、
通商条約以前に一応は統制していたのですよ。
それでも幕府の能力では密貿易を根絶することはできなかったし、通商条約を諸外国と結んだからといって、
それは全く同じことなのです。禁制なら幕府が長州を仕置きすれば良いだけのこと。
通商条約違反だなどといくら吠えたところで何の意味もない。だからお前は幕府の犬だと笑われるのだよ。
672 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/02(日) 21:02:32 ID:wiuVc2P50
>>669 >薩長は幕府が欧米の制度に倣おうとしたとき、攘夷を叫んでそれに敵対してるだろ。
全く話が逆ですな。外国留学・海外渡航を禁制として西洋の先進文明に学びたいという吉田松陰らの
そうした試みを厳しく弾圧したのが幕府なのですよ。
攘夷は全然別な話。攘夷と欧米の制度に倣おうというのは何の矛盾も無く両立できることです。
別なものをごっちゃにしてしまうのは馬鹿の特徴ですな。
幕府が欧米の制度に倣おうとしたとき?はあ?なんのこっちゃ。
なんのことか見当もつかないが、いつ薩長が反対しましたか?
>>671 >通商条約違反だなどといくら吠えたところで何の意味もない。
別に吠えていません。それよりも、密貿易をやっていた史料を書いてください。
バカ中卒の妄想作文はもういいからさ
↓ねぇ、ほんと?これ明日にでも調べに国会図書館へ行くよ。
>実際、史実として幕府が外国に責められることはあっても幕府が外国を責めたことなど一度もありません。
>>671 密貿易は、長州がグラバーとやってたんだ,ふ〜ん。
その史料は、何?
675 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/02(日) 21:26:38 ID:P0ZBTgai0
>>671 イギリスの長州に対する密貿易による軍事援助を見かねた幕府は、
立花種恭をイギリス代理公使のもとにつかわして密貿易に抗議してるよ。
そしてイギリスは国際法の建前から表面的には密貿易禁止に同意してる。
英米仏露などがにらみ合い相互に牽制しあう状況が背景にあるから、
イギリスは表向きは密貿易禁止、内政不干渉という建前を踏みにじることはできなかった。
だから、反幕色の強い藩と組んでコソコソ密貿易を行ったわけだし、
また、その密貿易を正当化するために「諸大名が自由に貿易をする権利」を主張し、
薩長などに反幕闘争をけしかけた。
>>671 どうでもいいが、早く史料を書いてくれ。
な、逃げないで、書いてくれ。
中卒オヤジは、とんずらwww
>>660 幕府が諸外国と勝手に結んだものであって、
それと諸藩は関係ないということです、
幕府は最大の領主にすぎず、日本の代表ではありません。
>>678 >幕府は最大の領主にすぎず、日本の代表ではありません。
なら、どうして米・英・蘭・露・仏は条約を幕府と締結したのだろう?
勝手に諸外国と結んだというが、当時のアジアの国々のように植民地化は
幕府が条約を締結した故に、ならなかったよ。
>>679 さらに加えれば、幕府以外のどこが日本を代表できた?
どこが?結論をいえば、開国時に日本を代表する政治体制としては
徳川幕府しかなかったのだよ。
681 :
680:2008/11/02(日) 22:02:48 ID:AQDcZdZ00
682 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/02(日) 22:03:47 ID:P0ZBTgai0
>>678 外交は幕府が朝廷から任された専管事項であり、
対外的に日本を代表するのは幕府なんだよ。
したがって幕府が結んだ条約に従わない藩は朝敵ということになる。
また、幕府が結んだ条約が徳川家が勝手に結んだもので、他の諸藩に無関係なら、
なぜ明治政府はその幕府の条約を丸ごと追認した?
なぜ線政府が主体となって新たな条約を結ばなかった?
ID:wiuVc2P50の中卒おやじ、早くオマエの妄想の根拠としてる
史料を書け。
おまけ、ID:wiuVc2P50の中卒おやじ、早くオマエの妄想の根拠としている
史料を書け。早くしろ
685 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/02(日) 23:04:52 ID:wiuVc2P50
>>679 >なら、どうして米・英・蘭・露・仏は条約を幕府と締結したのだろう?
例え、相手が糞幕府であっても幕府が判子押せば諸藩は反抗しないだろうと期待したということです。
ただそれだけ。
>>680 >さらに加えれば、幕府以外のどこが日本を代表できた?
ボケが入った糞親父でも対外的には家長という建前になってたからな。これが日本の弱みだったな。
>>682 >また、幕府が結んだ条約が徳川家が勝手に結んだもので、他の諸藩に無関係なら、
>なぜ明治政府はその幕府の条約を丸ごと追認した?
ボケが入った糞親父が勝手に押した判子であっても、おれの知ったことではないとはいえないのです。
それは当家の悲しい事情というだけのことで外国には全く関係ない話です。
それが国際常識ですわな。国際常識をわきまえた明治新政府だから、そうしたのは当然のこと。
>685
>ボケが入った糞親父が勝手に押した判子であっても、おれの知ったことではないとはいえないのです。
それは当家の悲しい事情というだけのことで外国には全く関係ない話です。
それが国際常識ですわな。国際常識をわきまえた明治新政府だから、そうしたのは当然のこと。
>ID:wiuVc2P50
うわぁー中卒オヤジ丸出しの無知を撒き散らしてるねぇー
条約は、調印をした政府が変わっても効力は不変である常識を知らないんだねぇー。
条約の終了は期限満了が原則なんだよ。ボケが入った親父以下の妄想は、中卒オヤジの
証明です。やっぱりオマエ、無学なんだなぁー。良かったな無学なものでも偉そうに
存在できる2chがあってさ
>>679 代表政府とか嘘こいて勝手に結んだだけ。
そして幕府が条約を締結したから、植民地化しなかったって、
マジでいっているのか?
>>681 日本の主権をもっていたのは朝廷
>>682 任されてなどいない。
だから勅許の問題がでてきたんだよ。
今で言えば、政府が条約を結んだけど、
天皇の認証をしていないということか。
だから諸藩はそんな条約しらね、ということになる。
>なぜ明治政府はその幕府の条約を丸ごと追認した?
もちろんしたくはなかったが、外国から正当の唯一の政府と承認される為に、
いやいや継続しただけ。
>>686 685が言っていることとお前の突っ込みには、
なんら違いはないぞ。
>>670 廃藩置県の段階では、大久保木戸西郷等の意志であったのは間違いない。
大隈の主導というのはありえない。この時期では薩長の力は絶大と考えられる。
この時期の大久保の洋行は、島津久光から逃げるためとも言われている。
そりゃそうだわな
690 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/03(月) 13:46:19 ID:Bhf0QZ3l0
80 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/13(土) 19:14:41 ID:wvKQJWWU0
>>76 維新当初の大久保が何の展望も持たないバカだったことは明らかだよ。
明治3年頃の明治政府は極度の財政難におちいり、
「非常之節倹ノ御布告」「冗官ヲ沙汰スル事」等々の政府組織の縮小を進める。
このとき中央政府の倹約を主張したのが大久保。
収税を直轄地だけではなく全国化すること(廃藩)を主張したのが大隈。
廃藩だけではなく文明開化や殖産興業を進めることが不可欠と批判したのが福沢。
要するに明治政府の中心メンバーはどうしようもない混乱状態だったわけで、
このまま大久保路線で進んでいたら明治国家は間違いなく破滅してた。
しかしその直後、大久保や木戸といったバカ集団は岩倉使節団として海外に遁走し、
邪魔者のいない隙に大隈が国家の大改革を断行することができた。
岩倉使節団はなんの役にも立たなかったと嘲笑されたが、
近代化の障害物を海外に放出したという意味では立派に役に立ってる。
691 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/03(月) 13:50:44 ID:b8KNzT7Z0
>>690 福沢が去っても大隈が去っても明治政府の改革は進んでゆくのに、
こいつの説く「真の功績者」とやらは、全く代案を出せなかったという不思議よ。
692 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/03(月) 19:04:05 ID:sp+JrlBv0
>>689 廃藩置県を決定した段階の新政府は極度の財政破綻状態に陥ってた。
藩を廃止し全国から徴税しなければ新政府の崩壊は時間の問題。
大久保木戸西郷等は権力にしがみついてるためには、
廃藩置県を行うしか選択肢が残されていなかったんだよ。
彼らは目的意識的に廃藩を行ったわけではなく、
現実の壁にぶち当たって受動的に動いていたにすぎない。
だから廃藩を決めると、すぐさま混乱状態の日本から逃亡してしまった。
廃藩に限らず明治政府の政策は、場当たり的で事後的な対応が目立つけど、
それでもなんとか国家が機能したのは、幕府が育てた優秀な官僚組織の存在と、
イギリスのバックアップがあったからに他ならない。
>>692 中央集権を志向したんだろ そのためには藩は都合が悪い。
各藩の反乱を防ぐために、大名すべて東京に集めた上に
懐柔策として爵位等を実施した。
はぁー、また結論が出ていることの蒸し返し。
無知なことはしょうがないが、もう少し工夫してやれないのか?
695 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/03(月) 21:17:06 ID:v1tiu4NM0
>>671 >実際、史実として幕府が外国に責められることはあっても幕府が外国を責めたことなど一度もありません。
>>675 >イギリスの長州に対する密貿易による軍事援助を見かねた幕府は、
>立花種恭をイギリス代理公使のもとにつかわして密貿易に抗議してるよ。
史実を持ち出すまでもなく、薩長オタの幼稚な妄想は論外だな。
イギリスは公的には一応密貿易禁止に同意し内政不干渉の原則を掲げるんだけど、
しかし裏ではあらゆる手段で密貿易を展開し日本に内紛を起こそうと画策してる。
このイギリスの二枚舌外交が薩長を中心とする倒幕派を形成したということだね。
696 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/03(月) 21:20:02 ID:v1tiu4NM0
>>687 >そして幕府が条約を締結したから、植民地化しなかったって、
>マジでいっているのか?
幕府はイギリスではなくアメリカとの間で比較的日本に有利な条約を結び、
欧米商人を居留地に押し込めた。
中国が植民地となり日本が植民地にならなかったのは幕府の合理的な政策のおかげだ。
何事でもそうだけどそうやって一つの要因に絞っちゃうのはどうだろうねえ
中国という日本よりも大きくガードも緩い市場があったから
そっちの方をより重視してたということもあると思うんだけど
698 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/04(火) 00:57:24 ID:kAfkD8/w0
>>694-695 結果論ろ陰謀論のオンパレードで他人を笑えるのか君はw
>しかし裏ではあらゆる手段で密貿易を展開し日本に内紛を起こそうと画策してる
根拠無き陰謀論のたぐいで議論の価値無し。
第一、君の妄想などどうでもいい。
根拠となる史料でも出してくれ。
>日本が植民地にならなかったのは幕府の合理的な政策のおかげだ
結果論というか・・・これも妄想のたぐいだなw
幕府の合理的な政策ってw
不合理な政策過ぎたから国内の不満が溜まって反幕運動になった訳だがw
699 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/04(火) 22:37:33 ID:u17PBJf90
>>698 >根拠無き陰謀論のたぐいで議論の価値無し。
おいおい、グラバー・薩摩・長州の三角密貿易を知らないのか?
イギリスを媒介とする密貿易が薩長同盟を生んだんだぞ。
>不合理な政策過ぎたから国内の不満が溜まって反幕運動になった訳だがw
幕府の政策に不合理な点があったとすれば、
外様や公家といった阿呆の意見を聞いたことだな。
幕府自らの判断で速やかに開国を断行してればなんの問題も起きなかった。
>>696 ぶっちゃけ、イギリスが中国に夢中だったのは運が良かった。
701 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/05(水) 10:21:10 ID:T+J9SgNcO
次はいつだ。
702 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/05(水) 20:24:09 ID:3bvdGJcE0
伊藤、井上、森はどうしようもない攘夷バカだったけど、
グラバーがイギリスに連れて行って調教したおかげで開国派に転じた面々。
薩長の中では相対的にまともな人材だった。
維新後は、福沢諭吉や西周などの幕臣がこいつらを指導教育したおかげで、
幼稚ながら憲法論議に首を突っ込むところまで成長できた。
なお当時は西の草案を皮切りに多くの開明的で民主的な私擬憲法が起草されてる。
しかし結局、いたずらに天皇大権を強調した伊藤のバカ憲法が通ってしまう。
その程度の理解が2chには相応しいだろうか。
704 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/06(木) 02:54:40 ID:cMJJS3w70
どうしようもない幕府バカにはね
705 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/06(木) 08:41:32 ID:0LARnRK80
小栗・井伊・会津・新選組
佐幕厨四天王
小栗の郡県構想って、
「こういう制度なら徳川がもっとよく全国を支配しやすくなるだろうなあ〜」
ていう、事大主義にもとづく願望でしょ?
706 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/07(金) 00:13:09 ID:iMYBa7Fi0
>>705 徳川幕府が時代遅れの体制であることを最も痛感してた人物は、ほかならぬ小栗上野介だ。
彼は日本を近代国家へ脱皮させるために徳川幕府の残存力を利用しようとしたわけで、
極めて合理的な世界観をもつ人物だった。
事大主義的な願望で迷走してたのはむしろ薩長などの倒幕派の方で、
関が原の恨みを晴らした後は、本気で島津幕府をつくるつもりでいた。
少なくとも島津久光はそう考えてたね
倒幕、廃藩置県と進んでく中で西郷大久保に騙されたといい続けてますからね
維新後鹿児島に残った連中の多くは頑迷な保守派だったし。
708 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/07(金) 02:46:09 ID:S7LxYl360
>>706 島津は倒幕派の代表でも何でもないし、倒幕派が皆同じ考えである筈もない。
小栗が幕府の代表でも何でもなくて、幕府が皆同じ考えではなかったのと同様。
薩長含め攘夷派が存在していた意味は大きい。
簡単には植民地化されないぞ。との気概を示し、西欧列強にも
それを認識させた。
710 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/07(金) 22:39:50 ID:W8ynztEJ0
>>709 欧米にとって頭の悪い攘夷派の方が扱いやすいんだよ。
薩長とも攘夷戦争にボロ負けした後はイギリスの忠実な下僕となった。
711 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/08(土) 00:10:15 ID:AUs1DVsi0
そのイギリスが江戸を攻めようとした薩長に圧力を掛け、
江戸総攻撃を中止させているんだが・・・
しかも黒幕は勝海舟w
712 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/08(土) 12:47:49 ID:qjA9IwBo0
小栗は実際どれだけ凄いの?
バカ田大学の創始者が小栗を褒めたというのは史実なの?
たとえ史実でも、単に薩長藩閥を批判できれば何でも良かったんじゃないの?
小栗は貨幣の交換比率問題では活躍できたけど、ロシアの対馬占領に関しては
なすところなく追い返されてるよね。
彼が活躍できるのは、数字を並べれば解決できる問題だけじゃないの?
(もちろんそれだって凄いとは思うが)
そもそも小栗別に慶喜に徴用されてないし。
彼がこんなに有名なのは、新政府に捕まって斬首されたという最後のせいじゃないかという気がする。
将軍になってあっという間に幕府瓦解ってのに重用も糞も無いよ
714 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/08(土) 17:13:52 ID:34sxBaaJ0
小栗は徳川ファンよりも会津ファンに好かれている
それが何故かは言わなくてもわかるだろうw
徳川家の為ではなく、会津の恨みを晴らすための具なのだ
>>712 幕府には余りにも愚鈍で無能で低俗な人物しかいなかったから、
ちょっとましなのが小栗だけだったという話。
幕府の高級官僚で追捕処刑された有名人はあと誰が居るの?
717 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/08(土) 18:16:20 ID:ESsUBs010
福地源一郎は幕末三傑として、水野忠徳、岩瀬忠震、小栗上野介の三人をあげてる。
「政治武備商業製造等に於いては、外国を模範として我国の改善を謀らざる可からず」
攘夷論が蔓延してた幕末日本で、こうした正論を堂々と押し通し実行した日本人が、
小栗の他にいただろうか?
718 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/08(土) 21:01:52 ID:qjA9IwBo0
小栗や勝が何人いたって討幕派は屁とも思わないよ
だってクチだけ立派で行動力がないもん。
討幕派が真に恐れた最強の幕臣は、原市之進。
大政奉還直後という超重要な時期に、西郷大久保小松の薩摩トリオが京都を離れることができたのは、
原がすでにこの世にいなかったから。
>>718 >クチだけ立派で行動力がないもん。
その点、薩摩はテロ工作を身につけて実行したからね。たいした違いだ。
720 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/09(日) 09:44:23 ID:chw9TbHw0
小栗は新徴組、会津は新撰組という弾圧機関を使用して白色テロしていたのだがw
721 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/10(月) 08:58:47 ID:2GTO4XG50
戦争犯罪者の西郷隆盛や松平容保、火付け強盗の相楽総三や殺人テロリストの武市半平太は
名誉回復されて官位まで与えられたけど、
小栗や長井雅楽にはそういうのあるの?
政府や山口士族は正式に謝罪したの?
722 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/10(月) 21:13:28 ID:OmEBBaXa0
>>721 >政府や山口士族は正式に謝罪したの?
それを言うなら、先に徳川宗家御子孫の方に豊臣家の名誉回復をしろ、大坂の人々に謝罪しろといわなと・・・w
723 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/10(月) 21:17:27 ID:Jk+iHSWn0
薩摩が江戸に差し向けた賊徒は、武家町家を問わず無差別に放火・殺人・略奪を行い、
さらには薩摩藩邸から大砲を持ち出して、江戸警備にあたっていた庄内藩邸へ砲撃を行っている。
これは後方攪乱の域を超え明らかな戦闘行為だ。
小栗はこれに対し薩摩藩邸を焼き払うことを命じ賊徒一味を捕縛しているが、当然の対処だ。
724 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/10(月) 21:38:17 ID:SYH1oy/L0
目的のためなら手段は正当化させる
竹島を奪い取る為に不法占拠を続けるチョンを擁護するかのようなこの発言
726 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/11(火) 10:34:23 ID:fmDASRIg0
小栗の薩摩藩邸焼き討ちってよく軽率だと批判されるけど、テロにあったら国家は必ず
対応をしなきゃいけないもんなんだってね。
同じように慶喜の大坂退去してからの外国公使引見というのも批判されるが、
その語敗軍の将になったからやったこと全部批判されるわけで、実際アレで討幕派はびびって
慶喜を新政府の役職につけ、あとは慶喜が上京するだけになってたんだよ。
結論
会津・新選組含む鳥羽伏見軍が兵数三分の一の敵に無様にボロ負けし、味方藩の裏切りまで誘発し、
偽の錦旗に腰が抜けておめおめ生きて帰ってきたのが統べて悪い。
727 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/15(土) 03:06:35 ID:S39XnbD+0
728 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/09(火) 21:58:23 ID:MHydv8Jm0
福沢は社説に「朝鮮人民のために其国(朝鮮)の滅亡を賀す」と書いて発禁処分となってる。
その後も「改革は一時の夢のみ、人民の惨状は今尚ほ旧の如くにして、到底独立の見込はある可らず」
などと日本人に対し警鐘を鳴らしてる。
福沢のスタンスは、日本が独力で朝鮮を近代化させようなどと試みることは無駄だから、
そんな愚かな考えは捨てるべきだ、というもの。
福沢がいかに正しかったかは現代人ならばすぐに理解できると思う。
729 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/23(火) 23:30:19 ID:sPDMjRMx0
池■田大■作の本名はソン・テチャク。小泉純一郎、小沢一朗は朝鮮人。
911では小型の水爆が使用されている。
http://ri■ch■ardkosh■im■izu.at.webry.info/
創価の保険金殺人事件。
オウム事件は、統一・創価.北朝鮮の共同犯行である。CIAが監修している。
http://www15.ocn.ne.jp/~oy■ako■don/kok_web■site/ir■iguc■hi.htm
与党も野党もメディアも全部朝鮮人だった。
http://jb■bs.li■vedo■or.jp/b■bs/read.cgi/news/20■92/115794■1306/
2チャン寝るは「■とう■■■一■教■■会■」が 運■■■営して「個人じョうホう」を収集してる。
駅前で「■手■■■相を見せてください」 と「カンユウ」してるのが「■とう■■■一■教■■会■」。(カ■■■ルト宗■教)
カ■■■ルト宗■教の下にいる人と、上にいる奴を分けて考えないといけない。
下にいる利用される人は上がどんなことをしてるか知らない。
ユダヤ権力の子分→2ちゃん運営=「とう★■■一■教★■★会」上層部=層化上層部=自■民党清■和会=野党の朝■鮮■人ハーフの政治家=
与党の朝■鮮■人ハーフの政治家=金■ 正■■日(キ■ム・ジ■ョンイル )=読売サンケイ=小沢十朗
ユダヤ人=ロックフェラー=ブッシュ=クリントン=ヒラリー=アドルフ・ヒトラー=オサマ・ビンラディン
毎■日■■■新聞スレを荒らしてる奴らも「■とう■■■一■教■■■会■」。
荒らしは洗脳するために「ネトウヨ」などのレッテル付けレスを何千回もする。
現実には「ネトウヨ」などは存在しない。
http://cha■ngi.2ch.net/test/read.cgi/ms/12303■63■385/
731 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/01(木) 18:47:09 ID:SDuWSL8e0
規制が明日まで解除されていたら、明治維新のこと書かせてもらう
732 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/01(木) 23:08:14 ID:ixvqc5d20
明治維新は絶対主義天皇制の確立だったんだよね。
733 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/02(金) 00:11:14 ID:fZ54dRvj0
新撰組の熱狂的な信者にホモが多いのは?
新撰組信者に多いのは腐女子だろ
ホモが多いのは薩摩オタ
735 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/02(金) 18:56:55 ID:jcgztPT70
明治維新の過程で、旧幕府と親藩は朝廷を立てた討幕派に、何故簡単に総崩れになったのか?
NB:奥羽列藩同盟は江戸開城後で、旧体制側の大半のー西日本側ー大勢は決していたと
ここでの議論では前提とする。つまり、会津厨の議論はしないというスタンス。
万国公法を幕末維新期に移入した新政府は、植民地化の危うい状況の中、日本の近代化に
正しい認識をもっていたのでその後の運営が実現したのはないか?
今日、「明治維新史という冒険」を読み終わった。
明日は、ちょっと復習する時間に充て、
明後日から「未完の明治維新」を読むよ。
これで幕末維新シリーズは小休止し、次は、直江兼続、今川義元、織田信長へ
737 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/02(金) 21:44:02 ID:m8aKQfcv0
>>735 残念ながら、日本の近代化に正しい認識をもってた奴は、倒幕派のなかには皆無だ。
日本の近代化は幕府が進めてた規定路線。薩長はそれを模倣したにすぎない。
幕府側でまともなのは、勝海舟、大久保忠寛、岩瀬忠震くらいだったわけで。
彼らにしても幕府なんてイラネと思っていたから、まともだったわけで、
あとは井伊に代表される、国家より徳川家の権力保守に懸命なDQNやろ。
739 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/03(土) 07:21:20 ID:X2wNO6vz0
>>737 どうしてこういう何の根拠もないことを性懲りもなく書くやつが
いるんだろう?不思議だ、単なるアホなんだろうな…
740 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/03(土) 13:29:34 ID:4IfUPjtUO
文藝春秋には西日本を侮蔑すれば国士だと主張する人間がいる。
半藤・中村彰彦・藤原正彦・佐藤愛子・上坂冬子らの差別主義者だ。
>>738 >勝海舟、大久保忠寛、岩瀬忠震くらい
あまりに無知すぎる。
小栗上野介、水野忠徳、川路聖謨、渋沢栄一、前島密、榎本武明、加藤弘之…
ざっと並べただけでも幕府が多様で驚異的な人材を擁してたことがわかる。
ただし勝は幕府のテクノクラートの中では落ちこぼれの部類でしょ。
経済オンチで海外事情にも暗く使い物にならなかった。
>>739 文句があるなら倒幕派のなかで西欧近代文明に通じ、
近代国家の青写真を持ってた人物を列挙すればいい。
もしもそんな人物が存在するのならね。
742 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/03(土) 18:46:54 ID:T9XYjxzz0
江藤新平、鍋島直正
中山忠能、中御門経之、正御町三条実愛、大原重徳、姉小路公知、三条実美、
九条尚忠、二条斉敬、鷹司政通
744 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/03(土) 20:30:49 ID:jgOlPw/b0
>>741 >文句があるなら倒幕派のなかで西欧近代文明に通じ、
あのね、近代国家の明確な青写真などもっているものなど、当時誰一人もいないのが
史実から分かることであり、だから岩倉使節団が、米・英・仏・ベルギー・蘭
独・露・デンマーク・スウェーデン・伊・オーストリア・スイスの12か国を
回覧した。首脳は薩長の実力者だが、書記官は急幕臣、理事官は各省派遣の専門官で
総力をあげ構成し19世紀の国際社会における大国と小国、先進国と後進国の実情を、政治・経済・社会
軍事・産業・教育・文化等のあらゆる分野をつぶさに調査・洞察し日本近代化への
選択肢を探ったんだよ。だから、
>近代国家の青写真を持ってた人物を列挙すればいい。
もしもそんな人物が存在するのならね。
そんなピント外れを書かれてもどうにもならないんだけど…。
>>737 >日本の近代化は幕府が進めてた規定路線。薩長はそれを模倣したにすぎない。
繰り返すが、幕府が日本の近代化を進め、その規定路線を薩長が模倣した根拠を出してくれ。
745 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/03(土) 20:43:46 ID:4e3mPpfe0
>>741 >小栗上野介、水野忠徳、川路聖謨、渋沢栄一、前島密、榎本武明、加藤弘之…
当時こいつらが具体的にどのような思想を持ち、
経済に通じて、海外事情に明るかったか、いってみろw
つかみな新政府の人材に比べたらゴミ同然じゃねーかw
こいつら全員合わせても、木戸や大久保はおろか、
伊藤や大隈にすら遠く及ばん。
746 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/03(土) 21:21:29 ID:tCMb+xUh0
80 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/13(土) 19:14:41 ID:wvKQJWWU0
>>76 維新当初の大久保が何の展望も持たないバカだったことは明らかだよ。
明治3年頃の明治政府は極度の財政難におちいり、
「非常之節倹ノ御布告」「冗官ヲ沙汰スル事」等々の政府組織の縮小を進める。
このとき中央政府の倹約を主張したのが大久保。
収税を直轄地だけではなく全国化すること(廃藩)を主張したのが大隈。
廃藩だけではなく文明開化や殖産興業を進めることが不可欠と批判したのが福沢。
要するに明治政府の中心メンバーはどうしようもない混乱状態だったわけで、
このまま大久保路線で進んでいたら明治国家は間違いなく破滅してた。
しかしその直後、大久保や木戸といったバカ集団は岩倉使節団として海外に遁走し、
邪魔者のいない隙に大隈が国家の大改革を断行することができた。
岩倉使節団はなんの役にも立たなかったと嘲笑されたが、
近代化の障害物を海外に放出したという意味では立派に役に立ってる。
747 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/03(土) 21:52:30 ID:4e3mPpfe0
>このとき中央政府の倹約を主張したのが大久保。
倹約のなにが問題なのか指摘してみなさい。
>収税を直轄地だけではなく全国化すること(廃藩)を主張したのが大隈。
これは明治政府が倒幕する前からの方針です。
>廃藩だけではなく文明開化や殖産興業を進めることが不可欠と批判したのが福沢。
これも明治政府が統幕する前からの方針です。
>要するに明治政府の中心メンバーはどうしようもない混乱状態だったわけで、
論理が繋がってしません。
>このまま大久保路線で進んでいたら明治国家は間違いなく破滅してた。
論理が繋がってません。
>邪魔者のいない隙に大隈が国家の大改革を断行することができた。
廃藩置県は洋行前に済ませています。
>岩倉使節団はなんの役にも立たなかったと嘲笑されたが、
そんなこと言っている馬鹿の名前をさらしてください。
748 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/03(土) 22:59:20 ID:k8SdHmp50
>>747 >倹約のなにが問題なのか指摘してみなさい。
財政難を政府の倹約のみで乗り切ろうとしたら、政府はまともな政策を実行できなくなる。
>>収税を直轄地だけではなく全国化すること(廃藩)を主張したのが大隈。
>これは明治政府が倒幕する前からの方針です。
いつ誰が何と言ったかを記載しなさい。
>>廃藩だけではなく文明開化や殖産興業を進めることが不可欠と批判したのが福沢。
>これも明治政府が統幕する前からの方針です。
いつ誰がどのような方針を示したかを記載しなさい。
>>要するに明治政府の中心メンバーはどうしようもない混乱状態だったわけで、
>論理が繋がってしません。
たしかにそのコピペは表現が雑だ。
大久保という明治政府の中枢が茫然自失してるときに、傍流の大隈が財政面での打開策を主張し、
在野にあった旧幕臣福沢がより先を見据えた国家改革の展望を示してた。ということだろ。
>>このまま大久保路線で進んでいたら明治国家は間違いなく破滅してた。
>論理が繋がってません。
要するに大久保は、租税の中央集権化の必要性を認識していなかった。
当然、政府が集めた予算を将来のために投資するという発想もなかった。
節約による現状維持あるのみ。これで近代国家を建設できるわけがない。
>廃藩置県は洋行前に済ませています。
廃藩置県が行われた明治4年の段階では、まだ掛け声だけで改革の内実は全く伴っていなかった。
大久保や木戸はその困難な仕事を前に、海外に逃亡してる。
>>岩倉使節団はなんの役にも立たなかったと嘲笑されたが、
>そんなこと言っている馬鹿の名前をさらしてください。
「条約は結び損い金は捨て世間へ大使何と岩倉」とりあえずこの狂歌を暗記すること。
749 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/03(土) 23:24:08 ID:4e3mPpfe0
>財政難を政府の倹約のみで乗り切ろうとしたら、政府はまともな政策を実行できなくなる。
倹約しないと財源はでてきません。
>いつ誰が何と言ったかを記載しなさい。
木戸と大久保の倒幕前の手紙などにはもうすでに廃藩置県をして、
朝廷のもと一元管理する方針がうたわれており、
初年度から、廃藩置県の建白書が出されている。
幕府にはこのような先見性は皆無。
>いつ誰がどのような方針を示したかを記載しなさい。
木戸、大久保、大隈、井上、伊藤、
とくに洋行した伊藤や井上はその傾向が強かった。
なお幕府には当然そんな知性は持ち合わせていない。
>大久保という明治政府の中枢が茫然自失してるときに、傍流の大隈が財政面での打開策を主張し、
大隈は大久保の部下、廃藩置県も従来の方針通りであり、
なお福沢は知性というものすらないだろ、国家改革の展望すらないし。
>要するに大久保は、租税の中央集権化の必要性を認識していなかった。
大久保は倒幕前から中央集権論者です。
藩をなくして、中央集権化することを主張しています。
>廃藩置県が行われた明治4年の段階では、まだ掛け声だけで改革の内実は全く伴っていなかった。
残念ながらもうすでに終わった後です。
これを確認して、やっと洋行を始めています。
>「条約は結び損い金は捨て世間へ大使何と岩倉」とりあえずこの狂歌を暗記すること。
愚民の発言になんの価値もありません。
なんらかの研究書ではないのですか?
750 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/04(日) 00:33:42 ID:pzhgfmb80
>>749 >倹約しないと財源はでてきません。
明治初期の大久保は直轄地からの収税強化に頼らず倹約によって財政難を乗り切ろうとしてた。
倹約によって負債を償還し近代化のための資本を蓄えることは理屈ではありうるけど、
それには恐ろしく長い年月を要する。成立当初の明治政府がその道を選択するということは、
事実上殖産興業を放棄し前近代に回帰するに等しい。
>朝廷のもと一元管理する方針がうたわれており、
そもそも幕藩体制を潰して郡県制を敷き日本を中央集権国家にしようというのは幕府側の構想。
薩長はそれに対する抵抗勢力の筆頭だったわけで、
大久保や木戸が最初から廃藩置県の必要性を理解してたら倒幕なんて起きなかった。
王政復古のあたりで彼らがもってた展望は、天皇のもとに各藩をぶら下げるといった程度の漠然としたもので、
具体的な近代国家の中身についてはなんら理解していない。
>木戸、大久保、大隈、井上、伊藤、
>とくに洋行した伊藤や井上はその傾向が強かった。
全く意味のない文章だ。
例示した連中はすべて開国近代化に反対してた攘夷馬鹿。
伊藤や井上なんて英国公使館に火をつけた放火魔にすぎない。
>大久保は倒幕前から中央集権論者です。
単に律令時代への復古を夢見てただけ。
>残念ながらもうすでに終わった後です。
藩が担っていた機能や債務を政府が引き継ぎ、
通貨、金融、財政、司法、行政、教育、軍事等々の統一的な諸制度の確立。
こういった具体的な改革はすべて大久保や木戸を追い出した後の留守政府が行ったこと。
>愚民の発言になんの価値もありません。
そもそも倒幕というものは薩長の愚民による下克上なんだけど?
751 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/04(日) 07:13:00 ID:gd7CzX2v0
>>750 >そもそも幕藩体制を潰して郡県制を敷き日本を中央集権国家にしようというのは幕府側の構想。
どのような構想だったんですか?そんな構想があったとは初めて知りました。
史料と文献名を教えてください。
>薩長はそれに対する抵抗勢力の筆頭だったわけで、
大久保や木戸が最初から廃藩置県の必要性を理解してたら倒幕なんて起きなかった
上記も幕末史の解釈として違うのではないかと思います。廃藩置県の必要性の理解が
どうして倒幕となるか教えてください。
752 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/04(日) 09:07:27 ID:oZNV2vXl0
>>750 >そもそも幕藩体制を潰して郡県制を敷き日本を中央集権国家にしようというのは幕府側の構想
小栗の改革案の事を言っているのであれば、あの案は幕府閣僚自身が却下破棄した案であり実現の可能性はありません。
幕府自身が破棄した案を、幕府自身が実行しただろうとする貴方の考えは納得できませんので、
私を納得できる理由根拠を記した史料もしくは研究論文、書籍のタイトルを教えて下さい。
また、このような考えを持つに至った根拠および史料、書籍名も教えて下さい。
なお、貴方の持論や考えは必要ありません。私が知りたいのは「あなたがそうした考えに至った経緯」です。
ですので、貴方が読んだ本や史料名を教えていただければ十分です。
>大久保や木戸が最初から廃藩置県の必要性を理解してたら倒幕なんて起きなかった。
このような考えを持つに至った根拠および史料、書籍名を教えて下さい。
なお、貴方の持論や考えは必要ありません。私が知りたいのは「あなたがそうした考えに至った経緯」です。
ですので、貴方が読んだ本や史料名を教えていただければ十分です。
753 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/04(日) 09:11:59 ID:PqtOoioD0
大政奉還で公議政体への道が開けたのにそれを謀略と武力で
覆して藩閥独裁を打ち立てたのが薩長。彼らのせいで議会政治が
二十年遅れた。
754 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/04(日) 09:22:15 ID:oZNV2vXl0
貴方の妄想は必要有りません
貴方がそう思った根拠となる史料、書籍のタイトルを教えて下さい
755 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/04(日) 11:57:45 ID:MuU26mXZ0
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マジで近代国家への具体的展望を持っていた、そして実行力があったという意味では、
大隈重信、江藤新平が抜群だろ。それぞれ欠陥付きのキャラだけど(江藤は致命的だった)。
加藤弘之の議会制度論は大隈の後々の仕事に繋がったけれど、
当時、維新政府には完全無視されていたね。
>>752 >私を納得できる理由根拠を記した史料もしくは研究論文、書籍のタイトルを教えて下さい。
また、このような考えを持つに至った根拠および史料、書籍名も教えて下さい。
こういう輩は相手にしなくてもいい。そもそも他者に求めるばかりで、
自らの論は、根拠をもつ史料・研究論文・書籍とやらは何一つ書かない。
何が、
>なお、貴方の持論や考えは必要ありません。私が知りたいのは「あなたがそうした考えに至った経緯」です。
ですので、貴方が読んだ本や史料名を教えていただければ十分です。
だ、笑わせるな。2chでそこまで求めてもないものねだりだし、そもそもこいつが
史料を読む教育を受けているようには思えない。つまり、いわゆるかまって君だ。
お前のような奴は、romしてろ。それが分相応
758 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/04(日) 19:49:44 ID:5Vm0QSgT0
>>750 >それには恐ろしく長い年月を要する。成立当初の明治政府がその道を選択するということは、
論理に無理があります。
大久保というかその管理下の大蔵省は地租改正を主張していましたが、
それを行うには廃藩置県が必須。
当時財源捻出としては、緊縮財政しかありませんよ、。
幕府みたいに欧米から金借りるとか、欧米に敷設権を認めるなどといった売国政策はできません。
>そもそも幕藩体制を潰して郡県制を敷き日本を中央集権国家にしようというのは幕府側の構想。
そんな思想も動きも幕府には一切存在しません。
沿岸部の直轄地化すらできない幕府にできるわけがありませんし、
そんな思想をもった人物は皆無。
小栗という馬鹿にもそんな思想は皆無。
>大久保や木戸が最初から廃藩置県の必要性を理解してたら倒幕なんて起きなかった。
逆です、廃藩置県をして中央集権国家を作る為に、
倒幕をしたのです。
朝廷が民を直接管理するというシステムで、
幕府のように、藩主で議会とかいうたわけた妄想ではありません。
>伊藤や井上なんて英国公使館に火をつけた放火魔にすぎない。
欧米に占領されないために、
欧米の技術と知識を入れることは主張しております。
攘夷といって、外国船を打ち払っていながら、その砲や運用は欧米に学んでいるんです。
だからアームストロング砲ですら、調達して四カ国艦隊相手に打ちまくっています。
>単に律令時代への復古を夢見てただけ。
それこそ幕府でしょう、郡県制なんていっている時点で古過ぎ。
>こういった具体的な改革はすべて大久保や木戸を追い出した後の留守政府が行ったこと。
違います、全てそれが片付いてから洋行したんです。
廃藩置県が実行されたのは八月。業務をしやすくする為に、
ある程度合併させて三府72県にしたのは11月。
洋行したのは12月の末に出発です。
全て終わらせてからはじめたわけです。
速いところでは地租改正のための検地すら始まっています。
>そもそも倒幕というものは薩長の愚民による下克上なんだけど?
腐敗した幕府を潰すための正義の行動ですよ。
759 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/05(月) 12:24:19 ID:BACCV2k70
>>757 また逃げ口上ですかw?
なぜ素直に「すみません。全て私の根拠無き妄想でした」と言えないのでしょう。
妄想じゃなく根拠があるなら、その根拠(ソース)を示す事は当然でしょう。
貴方は、根拠となる史料文献を示さなくて良いと「史料を読む教育を受けた」時に先生に教わったのですかwww
私には貴方のその考えをみるかぎり「史料を読む教育を受けているようには思えない」ですね。
貴方の方がカマッテ君ではwww
760 :
757:2009/01/05(月) 16:36:04 ID:1JkRpp9x0
761 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/05(月) 16:57:22 ID:BACCV2k70
>>760 何を勘違いしている
俺は
>>750に言ったのではなく、
>>757お前に言ったんだ
こういう勘違いって、すっげぇみっともないと思わねぇ?www
762 :
757:2009/01/05(月) 18:27:10 ID:2Ph6OXy/0
ID:BACCV2k70=ID:oZNV2vXl0
どっかへ消えてくれ
763 :
757:2009/01/05(月) 18:28:08 ID:2Ph6OXy/0
30分以内にレスをするだろう、パブロフの犬君wwww
764 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/05(月) 19:39:29 ID:dz+uzHg90
>>757 ウザイから消えろ。
煽るだけならよそでやれ。
765 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/05(月) 20:01:39 ID:ONIFlntF0
ID:BACCV2k70アンタが、
>>759 >妄想じゃなく根拠があるなら、その根拠(ソース)を示す事は当然でしょう
と書くなら、それを反証する、アンタの根拠となる史料文献を示し、相手に
このような根拠からお前の書いていることは根拠なき妄想だと実証してみろ。
お前はそれを全くやっていないで、相手側に一方的に求めている。
史学の教育を受けているなら出来ないはずはない。もし、自らが出来ないことを
相手に求めるならば、お前はその真偽は判定できないわけだから、DQNのかまって君だ。
766 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/05(月) 20:39:45 ID:BACCV2k70
>>765 なぜ自分の妄想だと認めない
だってソースが無いんだろ
有るんなら出せばいいじゃん
そんなに必死に抵抗しなくても、ソース一つで終わる話なのになぜそれほど見苦しく抵抗するのだ?
767 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/05(月) 20:50:45 ID:IxUgyUqw0
>>766 >そんなに必死に抵抗しなくても、ソース一つで終わる話なのになぜそれほど見苦しく抵抗するのだ?
だからそうじゃないというソースをお前も出してみろ。
お前だって何度出せと書いても出せないじゃないか。違うか?え?
でないと、
↓
なぜ自分の妄想だと認めない
だってソースが無いんだろ
と書くお前も何等変わらない。
768 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/05(月) 20:58:49 ID:BACCV2k70
>>767 なぜ俺がソースを出さなければならないんだ?
俺は君の書き込みに対し「こいつの妄想だな」と思ったから、ソース出せと言ったの。
それだけで、俺は特別に君の考えに反論している訳ではない。
ただ、俺が知りたいのは「君が勝手に考えた妄想か、根拠となる史料もしくは文献があり正当な意見なのか」それだけだよ?w。
それを君は誰と勘違いしたのかは知らないが、意味不明にして見苦しい逃走劇を繰り返してただけでしょw。
769 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/05(月) 21:00:59 ID:BACCV2k70
あー、勘違いしないように先に言っておくが
元々君のやり合っていた奴と俺は別人だよ。
俺が書いたのは「ソースだせ」という書き込みだけだ。
存在しない物の証拠を出せと言われても、出せるわけがない。存在してないんだから。
人はそれを悪魔の証明と言う。
771 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/06(火) 08:08:59 ID:u2L8GinZ0
根拠(ソース)がない事を「悪魔の証明」とは言わない。
それは「たんなる妄想=独りよがりな作り話」というw
772 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/06(火) 20:20:20 ID:CTJqwHfm0
幕末の中央政権であった幕府が、一時の動揺はあったものの、条約維持にこだわり続けたことは、
日本の西洋諸国との全面戦争回避にとって決定的に重要な史実だった。アヘン戦争によって中国が
いかに不利な条約を押しつけられたかを考えると、疎かにできないことは研究者の研究にある。
そして、幕府の役人の中にはペリー来航以前から積極開国論を主張するものがあった。
修好通商条約の締結は、幕府首脳が彼らの意見を採用したものであって、決して西洋からの強要に
屈したものではない。王政復古後、彼らの多くは野に下ったが、そうした開国と文明開化の先達の
存在は、明治政権に対する厳しい監視の眼として機能した。
※王政復古は単なる薩長・下級公家の「権謀術数」の小さな出来事に過ぎなかったのに、
その後、「社会」の深部にまで及ぶ改革が連続した対照的な史実は、例えば支配者であった
武士身分の消滅がある。大きな結果が生ずるには、目立った原因があるはずだという思い込みを
捨てなければ理解できないことだ。
773 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/10(土) 17:32:31 ID:H/eJExF+0
文藝春秋の半藤の如き腐った目では、何も見えないんだね。
最初:幕府が全ての改革を実行した
→大嘘とばれた
次:新政府内の良心派として薩長どもを排除しながら改革を行った
→薩長とやらが時系列毎に「西郷隆盛」になったり「大久保利通」になったりご都合主義の塊
その次:旧幕府勢力は批判と監視で日本を先導した
→実行したのは薩長、旧幕府は横から文句を言っただけ
>>773 あの爺さんは長岡に縁故があるせいか
自ずと薩長叩きに走っても仕方ない気もするな
775 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/11(日) 16:38:17 ID:PnUHQkqg0
弱肉強食の欧米列強に対し、「みんな仲良くできる」風の開国で済むと
考えていた将軍家・幕閣は駆逐されて然るべき。
それでなかったら、今頃日本は独立国として存在していない。
有難う、象山先生、勝海舟、西郷、大久保、岩倉、高杉…
大政奉還後、旧幕府を賊軍にでっちあげて掃討しなければいけなかったのは何故なんでしょう?
戊辰戦争は何のための戦争だったのか、誰か教えてください。
>>775それはそうとして、日本の政治制度は未だに明治維新の影響下に
あるね。そろそろ硬直した思考回路を断つべき。錦の御旗は未だに
官僚政治→勝てば官軍的な悪事・税金泥棒の隠れ蓑として機能して
いる。事実はそれだけではない。極論すればこの構図は明治以来
ほとんど変わっていないよ。それは虚飾/欺瞞の象徴なのだ。
778 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/13(金) 05:29:33 ID:vnnjyo2iO
日本を一つの政府が統括しなければならなかったし
さらに士族というものをなくしたかったのが
幕府を何とかどんな形でも存続させようとした者達と闘った理由かな。
779 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/13(金) 07:12:50 ID:ruk5synD0
>>776 それでは聞くが関が原の合戦は何のための戦争だったのか。
答えるまでもない。徳川家康が政権を豊臣家から簒奪する為の
権力奪取のためだ。豊臣政権の内部対立を利用して、戦いの口実を
作って無理やり徳川家康が起こしたものだ。それを徳川家康は
豊臣家の為と嘯きながら豊臣恩顧の大名の力を利用して勝利したのだ。
それだけではない。徳川家康は方広寺鐘銘事件をでっち上げて
豊臣家を滅ぼす口実を捏造して大坂冬の陣を起こした。
さらに和議の条件で豊臣家を騙して大阪城の堀を全て埋め立てて
大阪夏の陣を起こして豊臣家を完全に滅ぼしたのだ。
要は徳川幕府そのものが嘘と謀略の限りをつくして成立した政権だということ。
といっても徳川家康が極悪人ともいえますまい。政権交代とはいつの世もそんなもの。
旧政権の残存勢力は新政権から賊軍のレッテルを貼られて掃討されてしまうのが世の常。
本題に戻って旧幕府軍とは何ぞや。大政奉還という徳川慶喜の意志にも逆らった
文字通りの賊軍に他ならない。旧幕府軍と嘯きながら、その実将軍の意志をも無視した
何の大義名分も無い既得権益にしがみついただけの烏合の衆に過ぎない。
こうした連中が新政府から討たれるのは理の当然のこと。逆にそうしなければ新政権を担う資格が無い。
そうしなければ天下万民が納得しません。
780 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/13(金) 09:16:52 ID:yhK/M0jm0
お前はもう一度憲法読み直したほうがいいぞ
781 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/13(金) 12:43:30 ID:7Ono4Cxg0
メイジレストレーション
783 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/23(月) 03:43:33 ID:sZHfAia90
薩摩が倒幕に成功したのは、単純に軍事的にはすでに幕府を超えていたからですよね?
幕末の薩摩はどうしてあんなに強かったんですか?
どうして最果ての南国がいきなり中央政権に躍り出れたのでしょうか?
藩ごとの自治体制に原因があるとききましたよ。
強い三藩集まれば一藩ずつなら潰していけるとか・・・
でも、それでは幕府軍を打ち破った理由がわかりませんけどね。
785 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/23(月) 10:29:17 ID:BcxuknqW0
幕府なんて長州一藩にボロ負けじゃんw
では、なぜ幕末の幕府はあんなにやる気がなかったのでしょうか?
大政奉還にあっさり応じるし、徳川慶喜はあっさり大坂城を去るし、江戸もあっさり無血開場した。
戦う気がまるでないような気がします。
いったいなにがここまで徳川を無気力にしたのでしょうか?
787 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/24(火) 06:00:57 ID:weh9QAaY0
勝てないことが分かっていたからだよ。
いつごろから、「これはもうムリだな」って幕府は思い始めたんでしょうか?
幕府があきらめた決定的な要素とは何でしょうか?
大政奉還の時点で、もう半ばあきらめてはいるんですよね。
789 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/24(火) 19:55:05 ID:weh9QAaY0
長州征伐に失敗した時点で、もう無理。
長州再征をする力はない。
つまり新政府側と和睦をするしかないわけだ。
そのためにまず政権を返上して、倒幕する大義名分を与えなかったわけ。
大政奉還のときは、春嶽と容堂の尽力で政治的勝利は盤石だった。
ただ、慶喜が過激派(まぁ原因は薩摩の策動だけど)を抑えきれなくて鳥羽伏見が起きた。
こんとき勝ててればまた別だったろうが、結果は完敗して大阪まで押し返された。
錦の御旗が出た後に一端立て直して善戦したんだが、それでも負けた。
それで慶喜はもう悟ったんじゃないかな。
791 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/27(金) 15:41:31 ID:w4i/jfnW0
慶喜は最初っから悟ってたろ
十四代将軍候補になった時に「将軍になんか成りたくない」と明言。
結局安政の大獄に巻き込まれ、何もしていないのに蟄居。
で、望んでもいないのに将軍後見職にさせられ、行きたくもない京都で悪戦苦闘。
家茂が死ぬと即座に「徳川家は継ぐが将軍職は継がない」と明言。
結局、追い立てられるように将軍職へ。
将軍になって最初にやった事が「大政奉還・将軍職返上」だよw。
これほど将軍になりたくなかった将軍も珍しい。
幕府がいかに腐っているか、どうがんばっても救えない事は十七歳の若さにして知っていたんだよ慶喜は。
792 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/27(金) 15:58:32 ID:NyHq2c/e0
どこぞの「慶喜」のことだそれは
793 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/27(金) 16:07:01 ID:NyHq2c/e0
慶喜公の写真を見ると、才走った所が感じられ謙虚さに欠ける印象がある
794 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/27(金) 16:59:05 ID:HDi4/KXz0
と、慶喜の事を何も知らない新撰組ファンのコメントでしたw
795 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/27(金) 17:31:46 ID:NyHq2c/e0
七郎麻呂は、名将の風がある
と親バカ斉昭公に煽てられて育った慶喜公は、鼻持ちならない糞公家です
796 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/27(金) 17:38:37 ID:NyHq2c/e0
三国志の馬謖は、優秀な兄に対する劣等感から知識に驕って自滅した
「馬鹿は高い所が好き」の故事になった人だよ
797 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/27(金) 17:39:32 ID:HDi4/KXz0
と、慶喜の事を何も知らない新撰組ファンのコメントでしたw
798 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/27(金) 17:42:58 ID:NyHq2c/e0
自分に酔ってしまい、間違いに気がつかなかった
東洋の裸の王様だな「馬謖」は
油断したな
799 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/10(金) 07:26:16 ID:Kfwjk7QoO
明治維新はいつまでを言うのかな?
西南戦争終結までが一般的かな?
明治ではないが、維新を長く考えると終戦迄も一考!
>>799 >明治維新はいつまでを言うのかな?
普通は廃藩置県だろ。幕藩体制が名実共に終わったわけだから。
802 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/10(金) 23:51:06 ID:TqnqG4Rs0
いやいや、第一回帝国議会開催でしょ
憲法や選挙による国政が行われた時こそ、明治維新の目指した統一国家の完成なのだから
803 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/11(土) 00:01:14 ID:CB/1VQZN0
不平等条約改正時(つまり、日清戦争後)が明治維新の完了だと思う。
804 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/11(土) 10:39:53 ID:w9KNCQrD0
日露戦争勝利時
欧米列強に屈しない国家になったことを証明した時でしょう
805 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/15(水) 01:04:29 ID:9xnzV9g40
明治維新はイギリス(ユダヤ)の陰謀、ってのは
日本の近代史を貶めたい特亜のプロパガンダってことでおk?
806 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/15(水) 01:12:13 ID:Kj4XdoUP0
一般的にはペリーのはじめの来航から戊辰戦争終結までだろ
広義的には天保の大飢饉から西南戦争終結
807 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/15(水) 13:33:12 ID:+SEFDtrU0
明治維新 第一段階>倒幕 第二段階>薩長藩閥政権で廃藩置県、身分制度撤廃、文明開化 第三段階>自由民権運動から国会開設
第四段階>日清、日露戦争で台湾・朝鮮領有、不平等条約改正 第五段階>大正デモクラシー
第六段階>2.26事件軍部台頭、満州事変、シナ事変 第七段階>大東亜戦争、太平洋戦争
第八段階>敗戦、占領軍による民主化(軍部解体、新憲法9条制定)
第九段階>高度経済成長、経済大国化 第十段階 バブル崩壊〜現在に至る
馬鹿?
809 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/15(水) 20:36:19 ID:kqpTHIDR0
さりげなく薩長藩閥政治の終焉を入れていないあたりが大衆扇動的w
810 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/16(木) 07:10:10 ID:90nWozD20
>>809 自由民権運動>国会開設で薩長藩閥政治の終わりと理解できないか?
811 :
市民:2009/04/16(木) 11:07:30 ID:SgcY4URa0
なにその最早突っ込んでいいのかすら分からない珍理論w
813 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/25(土) 10:01:51 ID:6wdpZu9yO
明治維新は仏対英の代理戦争なわけないか
814 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/25(土) 20:02:22 ID:jwgxJj6HO
>>810 国会開設が藩閥終焉なわけないだろ。
藩閥の終焉は、第一次護憲運動による第三次桂太郎内閣退陣から
宮中某重大事件による山縣有朋失脚にかけて。
その後、愚衆迎合のヒステリックな政党政治と軍閥政治で一気に日本瓦解。
>>809 民主主義教はアメリカの国教なので、そういう歴史認識にしとかないと日本の文明化に支障があった。
だが、大正期のデモクラシーは薩長排斥が過ぎて、
逆に関東東北人による独裁体制になってしまった。
おまけに大正期に、明治政府が堅持してきた欧米主義を排除して、
代わりに日本が採用したのが、「大東亜の曙」こと亜細亜主義であった。
大正期以降、欧米諸国との軋轢と、日本国の軍事拡大という形での亜細亜の強制教化が起こり、
全面戦争へと日本は流されてゆく。
そして、ついに始まるソニックブームVS波動拳。
817 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/28(火) 08:51:49 ID:wGiOsKZ90
会津新選組こそラストサムライで、薩摩の西郷はサムライではないという会津研究家について
818 :
お知らせ:2009/05/01(金) 22:05:18 ID:Lgk7CbxJ0
幕末・明治維新は、高度に近代化されつつあった欧米列強に対応するために国家
体制を再編成した、言うなれば現代日本にとっての神話時代です。しかしそこで語ら
れる物語は、あまりにも「倒幕」という薩摩や長州を中心とした一党派の主義主張に
拠りすぎているのではないでしょうか。勿論新選組の生き様や会津藩の悲劇がとりあ
げられる機会も多々ありますが、それは所詮は敗者であることを前提としたサブ・スト
ーリーとしてしか扱われていないように思われてなりません。
そこで今回私どもは、薩摩や長州ではなく、朝廷や新政府でもなく、「東」すなわち徳
川幕府やその遺臣たち、あるいは水戸天狗党や新選組や奥羽越列藩同盟の立場か
ら幕末・明治維新を見直すべく座談会を催すことにいたしました。各位の連座をお待
ちしております。
05/24【雑司が谷】 「東」から見直す幕末・明治維新
http://8809.teacup.com/imperial/bbs/158
819 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/04(月) 10:16:23 ID:7RuIeoY00
↑頭腐ってるだろw
良かった探し?
アテクシカワイソス史観に陥らなければ良いが。
「相手が卑怯だから負けたに違いない」(自分の祖先が無能だったとは決して言わない)
「もう少し時が」
「実は○○の陰謀が」
(○○にはユダヤ・イギリス・ヒデヨシ・宇宙人など、当人のお気に入りの別世界超人が入ります)
の羅列と思われます。
822 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/05(火) 22:40:23 ID:fiEqChy+0
>「東」すなわち徳川幕府やその遺臣たち
言っておくけど徳川家ってのは、本来三河(愛知県)の豪族松平氏で、その家臣達もみんな三河者
板東武者じゃないぞw。秀吉の命令でたまたま関東へ国替え(しかもイヤイヤ入植)されただけだからな。
だから「東」よりは「西」の近畿文化圏の方が近い。
「音に聞こえし関東サムライ…城も気概も捨てて吾妻へ逃げたげな」
と囃す時には、もうすでに幕臣は「東の侍」という認識しかないよね
トコトンヤレナ♪
あと数十年後になれば、薩長は東国武士の象徴に祭り上げられて
江戸っ子が拝むようになるさ。
てやんでい!寿司でい!!
お寿司屋のぶくん!!
826 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/09(土) 07:18:45 ID:W75AtUIY0
>>823 >「音に聞こえし関東サムライ…城も気概も捨てて吾妻へ逃げたげな」
歌を作った人が無知なだけだw
現代に生きる我々が、幕末当時の無知に付き合って追従する必要はなかろうw
戦意を煽る為の歌だからなあ
2ちゃんの書き込みみたいなもんで
828 :
市民:2009/05/10(日) 16:46:48 ID:HiqRbRc90
公儀隠密大活躍だなワロタw
830 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/04(木) 23:02:34 ID:Khu2yroaO
数百年後の歴史書に幕末、維新の志士達は、架空の人物と言う
トンデモ本が書かれたりするかも。
831 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/11(木) 10:42:58 ID:WFWssHb20
大政奉還なんてやる必要あったんだろうか?
そのおかげで、薩長が図に乗ってしまったんだからな。
慶喜は容堂に踊らされただけだったんかね。
833 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/11(木) 15:59:58 ID:WFWssHb20
↑タイムマシンが出来たら幕末へ行こうね^^
しかし過去にしがみつくこういう馬鹿はいつ消えるんだろうね。
そんなに現代がつまらないか?そんなに未来が暗いか?ん?涙
834 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/11(木) 16:47:25 ID:lTTp4cEd0
徳川御三家である水戸藩で水戸学が起こった。
そこには天皇の権威を強調することで徳川政権の正当性を
理論的に裏打ちしようとする目的があった。
つまり徳川幕府の統治権は天皇から預かったものなのだという理論である。
ところが皮肉なことに水戸学から起こった尊王攘夷思想と開国を求める
諸外国との板ばさみになった徳川幕府は窮地に陥る羽目になってしまった。
徳川政権を補佐するはずの水戸藩が反って幕府を追い詰め、政権担当能力の無さを
露呈させてしまったのだ。
そうした様に徳川慶喜は幕府の幕引きを決意せざるを得なくなった。
過去、天皇から預かった政権ではあるが、その能力を喪失した今となっては
政権を返上するのが当然と徳川慶喜は考えた。
それこそが大政奉還である。水戸学は皮肉にも大政奉還を理論的に裏打ちしてしまった。
そうした自信喪失の徳川家の替わって次代の日本を背負ったのが
幕藩体制の下で執拗な幕府の苛めに耐え抜いて西南雄藩といわれるまでに
実力をつけた薩長であり、幕末の志士たちなのである。
そうした時代の大きな動きについていけずに、徳川慶喜の考えを踏みにじった
幕府の残党たちは見苦しい悪あがきで既得権益に固執しようとしたが、それは到底庶民の
支持を得られるものでは無かった。
今日の我々が、ごく一部の幕府の残党たちの動きに眼を奪われて明治維新の
歴史的意義を見失ってしまっては、ご先祖様に合わせる顔があるといえるだろうか。
835 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/11(木) 20:35:09 ID:SWbMqiCl0
厳密に言うと
徳川家康→天皇崇拝なんて無し。単に利用して権力を確立。幕府を開く
江戸時代中期→平和な時代。平和なので独自文化と独自学問が花開く。
幕府公認の学問儒教が普及し、天皇・将軍家・大名家・家臣
の関係が国学などによって明確かつ学術的に説明され論理化された。
特に会津藩祖保科正之は儒教を熱烈に信奉し、幕府内で普及した人物。
徳川慶喜→江戸時代の学問や儒教の元で育った。故に天皇崇拝。
将軍家は天皇家の家臣であり、天皇家に弓引くような謀反は起こせないと考えていた人。
慶喜としては大政奉還しても主導権を握れると考えてたんだろうな
実際朝廷は政権を返されてもどうしようもないわけだし
小御所会議で巧く立ち回れば薩長を抑えて
従来より大きな権限を持つ政府の首班になれると踏んでただろ
>>834 水戸学が、徳川政権の正当性を理論的に裏打ち???
・・・・・・・おれの知ってる説とは正反対だな。
徳川宗家に上に立たれるのがイヤだから「天皇の元には御三家
も平等」っていいたいがための水戸学じゃないのか???
838 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/13(土) 23:52:30 ID:f7ChByzc0
>>837 そりゃ、君の方がむちゃくちゃだよ。
水戸がどう思っていようが、「宗家と分家」では宗家が上位になるに決まっている。
それが宗家が宗家と呼ばれるゆえんだから。
水戸学では、そんな事を論理化する為に編み出された訳じゃない。
水戸藩が自身責務と認識していた事は、将軍家は天皇の家臣であり、
水戸家は将軍家を補佐すると共に将軍家が道を誤らないようにご意見番として存在する事だ。
結局、水戸学といったって儒教や朱子学を幕藩体制に合うように改良したものだから。
だからこそ、宗家もそれを受け入れて水戸藩主は一生江戸常在を義務付け、
余程の事が無い限り、水戸へ帰る事は許されなかった。
そのかわりに、水戸藩は宗家に意見を言う権限を与えられている。
正式な役職ではないが、現在天下の副将軍なんて言われるのはその為だ。
ヘーゲルはどこかで、すべての世界史上の大事件と大人物はいわば二度現れ
る、と言っている。ただ彼は、一度は悲劇として、二度目は茶番として、とつ
けくわえるのを忘れた。 ※
ダントンに代ってコーシディエールが、ロベスピエールに代ってルイ・ブラ
ンが、一七九三年から一七九五年の山岳党に代って一八四八年から一八五一年
の山岳党が、伯父のナポレオンに代って甥のナポレオンが現われた。そして二
度目の「ブリュメール十八日」が行なわれた時、まさにこの茶番劇が演じられ
たのである。
人間は自分の歴史を作るが、自由に作るのではなく、目の前にある与えられ
た条件、過去とつながりのある条件のもとで作る。その条件は自分では選べな
い。いま生きている人間の頭には、過去の死せる世代の伝統が悪夢のように重
くのしかかっているのである。
------------------ マルクス 「ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日」
http://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480401137/ ------------------ ヘーゲル「歴史哲学講義」(※第三部・第二編 末尾参照)
http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/33/3/336299+.html (明快な訳文。口語体でヘーゲルが読める)
840 :
市民:2009/06/20(土) 13:49:07 ID:l1EBgImN0
841 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/03(金) 10:08:13 ID:+8SqG9COO
人工地震なんか起こせるもか。
たぶん、人口災害はあると思う。
奇妙に救援対応が鈍いケースが良くある。
最近のイタリアの地震、四川省の地震、ミャンマーのサイクロン災害
インド洋の津波、ハリケーン・カトリーナ
阪神大震災もそうだった。
843 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/10(金) 13:23:49 ID:x7WC9/OZO
人間の力で地震や台風を起こせるわけがないのに、
変なカキコする人がいるね。
844 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/10(金) 15:33:21 ID:ORHCUzLZO
慶喜ヘタレ
西郷ヤクザ
井上番頭
大久保嫌われ者
山形横領成り上がり
江藤さらし首
坂本商売人
岩倉偽勅
高杉馬
板垣殺戮者
845 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/10(金) 21:31:10 ID:vEdAo4T30
容保権力犬
土方殺人鬼
梶原平馬馬鹿
佐川官兵衛狂犬
河合継之助無能
小栗墓穴堀人
846 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/11(土) 01:26:54 ID:7+gjK6l/0
根拠も示さ他人のことを悪く言うのを誹謗中傷と言い蔑まれると思います。
湯武革命論 山崎闇斎 崎門学
http://www.youtube.com/watch?v=7GK19ytBXkU http://www.nicovideo.jp/watch/sm7541823 山崎闇斎は江戸時代の儒者、神道家であり、朱子学では「崎門学」、神道では「垂加神道」
を開きました。寛文五年(一六六五年)、幕閣・会津藩主保科正之の賓師に迎えられ、殉死
の禁止など幕藩政治にも影響を及ぼしました。弟子では浅見絅斎が著名であり、更にその
弟子の若林強斎や、土佐南学の谷秦山らがその継承者として知られています。更に幕末
では、橋本景岳、梅田雲浜、横井小楠ら、明治時代では西南戦争の谷干城将軍(谷秦山
の子孫)が知られています。闇斎は心神(人の心)は天神からの賜物であると考え祀りまし
た。現在は下御霊神社内の猿田彦社に配祀されています。「湯武革命論」は湯武放伐を
程子、朱子の論を基に考察し、革命を否定した重要な書です。これが後世の尊皇攘夷思想
に大きな影響を与えたものの一つになりました。
崎門学 山崎闇斎 拘幽操
http://www.youtube.com/watch?v=n16zgmFu9zs http://www.nicovideo.jp/watch/sm7538203 山崎闇斎は江戸時代の儒者、神道家であり、朱子学では「崎門学」、神道では「垂加神道」
を開き、後世の尊皇攘夷思想に大きな影響を与えました。
寛文五年(一六六五年)、幕閣・会津藩主保科正之の賓師に迎えられ、殉死の禁止など
幕藩政治にも影響を及ぼしました。弟子では浅見絅斎が著名であり、更にその弟子の若林
強斎や、土佐南学の谷秦山らがその継承者として知られています。更に幕末では、橋本景岳、
梅田雲浜、横井小楠ら、明治時代では西南戦争の谷干城将軍(谷秦山の子孫)が知られて
います。闇斎は心神(人の心)は天神からの賜物であると考え祀りました。現在は下御霊神社
内の猿田彦社に配祀されています。「拘幽操」は周の文王の幽閉を題材にした韓退之の詩で
すが、これを闇斎は考察し、忠義のあるべき姿としました。
程朱の学よりも陽明学こそが革命の学問!
明治維新は英国東インド会社から語らなければならない。
東インド会社は19世紀の欧州を支配した重商主義に基づいて、ヨーロッパ以外の全地域の
貿易独占権を認められた特許会社であり、半国営企業だった。
明治維新のすこし前、英国東インド会社は清に阿片を売りさばいて三角貿易をしていた。
この東インド会社を仕切っていたのが、 後に香港の大企業・ジャーディン・マセソン商会を起こす
ウィリアム・ジャーディン。 彼は阿片を売りさばいたことで中国人に追われるようにして清を後に
するが、イギリスに 逃げ帰るや議会を動かして軍事行動を起こさせた。これがアヘン戦争だ。
このウィリアム・ジャーディンが、その後、ジェームス・マセソンとともに現在もある貿易商社
ジャーディン・マセソン商会を香港に起こす。これは東インド会社が形を変えたものだ。
そしてこのジャーディン・マセソン商会こそ、維新の鍵を握ることになる。
幕末の日本にジャーディン・マセソン商会は代理人としてトーマス・グラバーを長崎に派遣し、
グラバー商会を興した。このグラバー商会が薩摩、後に薩長連合にとって重要な資金源と
倒幕開国派の人材開拓クラブとして利用されていくことは周知の通り。
グラバー商会、そしてジャーディン・マセソン商会は日本人の開国派の思想家を育成した。
その手引きによって薩摩藩の五代友厚、森有礼、 寺島宗則、長澤鼎らが海外留学を果たし、
長州藩からは井上聞多(馨)、遠藤謹助、山尾庸三、伊藤俊輔(博文)、野村弥吉(井上勝)と
いった人物が英国に留学する。帰国したこれらの人材は、それぞれの藩内でそれまで主流
だった愛国主義的な尊皇攘夷思想を急速に倒幕開国思想へと変質させていった。
彼らが果たしたこの役割と思想の拡散は明らかに日本を交易拠点としたいジャーディン・
マセソン商会の利益になるものだった。というより、彼らはジャーディン・マセソン商会の
手先として日本に舞い戻ってきたと言うべきだろう。
英国東インド会社=ジャーディン・マセソン商会の思惑は、鎖国を続ける日本の開国にあり、
維新志士たちは洗脳されその工作員にされたにすぎなかったのである。
アヘン戦争が「恥知らずな戦争(ウィリアム・グラッドストン)」と国内でののしられたウィリアム・
ジャーディンの立場を考えれば、アヘン戦争と同じような武力介入を日本に対して起こすことは
不可能である。ならば国内の勢力を支配しようとするのは当然の策略だったと言えよう。
グラバー商会は坂本龍馬に命じて亀山社中を作らせた。
正確にはこれはジャーディン・ マセソン社/グラバー商会が調達し日本に大量に輸入した
銃器弾薬の転売を目的として作られた政商である。これらの武器の目的は明確に、徳川政権に
対するクーデターにあったのは客観的に見て揺るがしがたい真実だろう。
この坂本龍馬がグラバーに政治・物資の両面で厚く支援されていたことは幕末史上の常識で、
その坂本が薩長同盟を 成し遂げ、それが倒幕最大の実力組織になった経緯を見れば、
坂本龍馬はグラバー直属の工作員だったというのが真相ではないか。
用済みになった龍馬を暗殺したのもグラバーの差し金と考えるのが自然だ。
かくしてジャーディン・マセソン商会の思惑通り、日本では徳川政権が打倒され、日本は
開国への道を歩む。グラバー商会やジャーディン・マセソン商会は日本に進出して支店を
つくっており、維新政府に対して強力な影響力を有し続けた。
ジャーディン・マセソン商会がその再び日本史上に姿を見せるのは日清・日露戦争である。
ジャーディン・マセソン商会はそのいずれの戦争においても日本に英国から武器弾薬を
売りつける武器販売商社として機能したばかりか、日露戦争においては戦費調達に苦しむ
日本に対してイギリス資本界と日本政府の橋渡しも行っている。
なお、ジャーディン・マセソン商会はロスチャイルド系企業であり、
ウィリアム・ジャーディンはフリーメーソンの一員である。
グラバー商会は維新ののちまもなく倒産するが、その保有した資本、造船所、工業、
鉄道、交易、鉱業といった資産はすべてグラバーの愛弟子だった岩碕弥太郎に
受け継がれた。これが三菱財閥の始まりとなっている。
これは陰謀論でもなんでもなく事実なので、信じられないなら調べてみればよろしい。
(参考文献)
・近代日本とイギリス資本―ジャーディン=マセソン商会を中心に
石井寛治著 東京大学産業経済研究叢書
・明治維新とイギリス商人 杉山伸也著 岩波新書
・属国・日本論 副島隆彦著 五月書房
以上は陰謀論というよりは蓋然性と妥当性のある推測である。
明治維新はジャーディン・マセソン商会によって遂行され実現した。
維新志士はいずれもその手駒であったにすぎない。
副島隆彦wwww
福島は参考文献を引用して同じ事を言っているに過ぎない。
この歴史評価が違うと言うなら否定してみなw
杉山や石井が龍馬暗殺の黒幕はグラバーだと書いたとでも?
859 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/16(木) 19:44:28 ID:EYc09opAP
そんな枝葉末節に突っ込んだところで反論にはならない。
それに龍馬を暗殺する動機としてグラバーには合理性も妥当性もあるのは否定できまい。
坂本龍馬はもともとグラバーの子飼いの工作員、エージェントだった。
それがグラバーとジャーディン・マセソンの道具になっていることに気がついたからこそ、
倒幕派から公武合体派に突然乗り換えて、大政奉還を支援したのだろう。
坂本龍馬は知りすぎた人間であり、グラバーにとっても、また龍馬の後継者として
グラバーの子飼いになった岩碕弥太郎にとっても目障りな存在だったことは確実だ。
薩摩藩が、長州藩が、徳川が、だれだれがと日本国内に犯人を求めるとき、
なにかと無理な理屈を立てなければならないが、この説が最もすっきりしていて、
しかも事実あった因果関係にも即している。
860 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/16(木) 20:59:18 ID:xhmrEZWv0
>>859 陰謀論だろw
都合の良い所ばかり、関連づけようとしている
>坂本龍馬はもともとグラバーの子飼いの工作員、エージェントだった
外国承認がフリメだから、龍馬もフリメだと証拠も無いのに何で決め付けるw
>それがグラバーとジャーディン・マセソンの道具になっていることに気がついたからこそ、
>倒幕派から公武合体派に突然乗り換えて、大政奉還を支援したのだろう。
「〜だろう」と根拠もなく関連づけようとするのが陰謀論の特徴w
言っておくけど、当時の知識階級(政治論を語れる志士や藩政に関わる武士)なら、
欧米列強の手口を調べ上げている。長州征伐に外国軍の手を借りようという議論が幕府内で起こったが、
外国の手を借りれば、それを足がかりにして侵略もしくは利権を奪われると反対多数で潰されている。
戊辰戦争時、薩長や徳川慶喜らが諸外国に申し入れたのは、双方共に「局外中立」であり、「戦争協力」ではなかった。
特に、長州征伐や戊辰戦争で内戦が長期化してはマズイと訴え続けたのが勝海舟。龍馬の師匠だよ。
しかも、大政奉還構想をはじめて唱えたのは龍馬ではなく、大久保一翁で幕府内で勝海舟を引き揚げた人物。
こうした人脈から、龍馬が大政奉還に動くのは自然な事で、ジャーディン・マセソンの道具うんぬんなどまるで関係がないw。
861 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/17(金) 00:15:31 ID:pAZqUCwVP
>>860 第一点。龍馬がフリーメーソンだとは一言もいっていない。
龍馬は西洋かぶれをグラバーに利用された単なる道具、グラバーにとっては現地で
調達したエージェントでしかないのだから、メーソンに入会させるまでもない。
ウィリアム・ジャーディンこそ確かにメーソンだが、メーソンは高級クラブのようなものだ。
そこに龍馬が入っていたという妄想自体が龍馬に対する過大評価というものだ。
JMにとってもグラバーにとっても龍馬はそんな大物ではない。
第二点。明治維新には外国軍の手など借りていない。欧米列強の手口というが、グラバー
商会が取った方法はアヘン戦争のような直接介入ではなく、現地にエージェントを作り、
シンパを作り、組織化し、現地にクーデターを起こさせるという新方法であって、それまで
日本の武士が知りえた情報で図れるものではない。
そもそも「欧米列強のやり方」をどう知りえたかといえば、「ジャーディン・マセソンにお膳立て
されて」海外を見てきた人間くらいしか知りようがないのであって、それが日本人にとって
利用できる有意な情報であったはずがない。
そんな思い込みこそむしろ陰謀論に近い「願望」レベルの妄想だ。
それと改めて言っておくが、アヘン戦争を起こさせたことでウィリアム・ジャーディンは、
「こんな恥知らずな戦争はみたことがない」と痛烈に批判を受けている。直接の軍事介入
などという選択肢は最初から持ちようもなかったのだ。
第三点。大政奉還を初めて唱えたのが龍馬とはいっていない。龍馬は自分がグラバーに
利用されていた道具だと自覚したからこそ、倒幕論を突然放棄して、大政奉還論者に
変節したのだ、といっている。龍馬のそれまでの徹底した倒幕主義者ぶりからすれば、
旧知の縁故を理由に突如としての公武合体論者への寝返りは「自然なこと」ではない。
彼が自分がグラバーとジャーディン・マセソンの日本クーデター計画の工作員として
使われていた己の売国的な立場を自覚したから、という説明の方が自然だ。
つーか、グラバーって商売に失敗して身を持ち崩してなかったか。
863 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/06(木) 06:47:12 ID:GnuqDYCSO
廃仏毀釈
864 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/06(木) 20:40:15 ID:3Didi+uT0
明治政府が政策として行ったのは「神仏分離」です
これを勘違いした神官や民衆が勝手にやったのが「廃仏毀釈」です
こうした庶民の姿を見た明治政府は絶望し、信教の自由を大日本憲法に明文化しました
865 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/10(月) 23:10:20 ID:GI7DJwG/0
廃物毀釈は江戸時代に檀家制度の上に胡坐をかき仏の教えを無視し
暴利を貪っていた生臭坊主(このような僧侶で江戸時代は溢れていた?)への
復讐であったのではないだろうか。
なんか寺がブッ壊されまくって、政府の方がビビってたな。
日光東照宮もブッ壊されそうだよ。ヤバイよ。とか品川が言ってた。
867 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
でも、本地垂迹説等があって神仏習合の聖地があっていいよね。
残っているところ有る?