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名無しさん@お腹いっぱい。:
一応旧帝国陸軍の強兵の基準。
1番強いのは勇猛で戦闘意欲の高い九州兵と、命令に絶対服従で弱音をはかず粘り強い東北兵。
その中で熊本の第6師団と弘前の第8師団が全軍最強師団で、久留米の第12師団と仙台の第2師団
がこれに続く。
その後は北海道の第7師団、北関東の第14師団、東海の第3師団、北陸の第9師団、中国地方の
第5師団、四国の第11師団はほぼ横並び。
弱いのは都会師団で、東京の第1師団、京都の第16師団、姫路の第10師団は弱兵。
とりわけ最弱は大阪の第4師団。
当時の都会と田舎の子供じゃ身体能力にかなり違いもあったろうし、特に大阪兵は反権力
的な性格もあって逃げるのが早いという定評があったらしい。
実際の太平洋戦争では、第4師団と第16師団はフィリピン攻略戦で、第1師団と第16師団は
同じフィリピンのレイテとルソンの防衛線で、ともに現役師団にふさわしい戦いぶりを
見せている。
広島師団はマレーで勇戦したことは事実だが、その後はアンボンで終戦を迎える等、それほ
どの戦績は挙げていない。これは兵の責任よりも、一度は内地期間の準備をしながらあっさり
撤回して士気を下げた大本営の責任が大きいけれど。
後、広島の現役師団は第5師団の他に第39師団だけで、他に比べると師団数自体が少ない。これ
は瀬戸内海が当時海軍の一大根拠地で呉に鎮守府があったこともあり、海軍に兵をとられる比率
が多かったせいと考えられる。また第65旅団が第45師団に改編される機会が失われたこともある。
つまり、広島師団は強かったけど、当時の日本軍の現役師団はどの師団も一定の強さを保って
いたはずで、日本一とはいえないだろうということ。