1 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
天皇が中止させたのは本当か?
2 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/30(日) 06:46:11 ID:mnmffdrAO
俺が中止させたよ
日本じゃ技術的に無理だったのでは?
ウランを六フッ化ウランにして気体化し、遠心分離するか気体拡散法で濃縮しなきゃならんけど
当時の日本でどれほどできたんかいな。
確か憲兵に捕まった研究者が、色々計算したら日本のやり方では100年かかると計算したとか。
100年かかってやっと広島型原爆1発の日本なのに、アメリカはさらに高度で超天才たちが作り上げた
量産できる長崎型原爆を作ったんだから…
4 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/30(日) 22:33:43 ID:mnmffdrAO
君詳しいね!くだらない質問だけど、今現在個人ではビルゲイツでも原爆は作れない?
原爆が完成しても、もはや敵制空権内まで運ぶことは出来ないだろう。
風船爆弾に改良に次ぐ改良を重ねる研究のほうが日本らしいと思う。
6 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/05(土) 14:42:03 ID:PRs8+uAeO
開戦時に原爆が十発あっても日本は負けてた?
7 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/06(日) 01:43:44 ID:ob7uJh1x0
局地的大打撃を加えられても、結局最期にはカミカゼ攻撃を始めると思う。
8 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/06(日) 08:34:36 ID:z28ZsWAd0
広島クラスの原爆が開戦時点であったら、専用の特殊潜航艇か大艇に搭載して真珠湾壊滅だろうな。
次はフィリピンですよってやればその時点で講和出来ただろうけど、日本にはアメリカを非武装化する力も、
世界の警察を気取る力もないから間違いなく十年以内に核戦争になってただろう。
開戦時点で原爆があれば、使わないで交渉で勝つのが正しい。
9 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/06(日) 09:56:44 ID:d1rEs6H1O
でも広島・長崎の実際の被害解ってるから
抑止力になってると思うけどナァ
ソ連は、新型爆弾が何だ!
と言って物量で攻めてきそう
WTCには純粋水素爆弾が使われたって話があるね。原爆のような放射能は出ないけど、トリチウムだっけな、
通常の数十倍検出されたらしい。救助活動に携わった人たちには癌が続出しているらしい。
>>3 なんで日本じゃ技術的に無理だったと思うのよ?
ノーベル賞を取った湯川秀樹博士を忘れないで欲しい。
>>11 アメリカには、ノーベル賞とフィールズ賞とチューリング賞をトリプル受賞できた(原爆開発と戦後の軍事関与によって
ダメになっているけど)超天才フォン・ノイマンをはじめとして、天才が何人も束になって研究しているのだから、無理。
13 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/10(日) 18:50:31 ID:1EO52OdQ0
日本は当時、朝鮮北部で原爆作ってたんじゃ無かったっけか?
確か、終戰の1週間後に完成したとかって話を聞いた事が有るが…。
14 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/10(日) 19:33:20 ID:n/+qTY4p0
>>13 んな訳ねーだろよ。
一体どこでそんな「話を聞いた事が有る」んだよ?
なんでもかんでも鵜呑みにするのは高卒の証。
15 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/29(土) 12:16:48 ID:7BvP5+67O
もし、海軍陸軍が合同で開発していたら、日本も原爆出来たのかな?
>>15 無理。
wikipedia見てても、文系学問で日本関連モノなら日本の記述の方が多いけど、理系学問はどう見ても英語版の
方が詳細かつ日本版に無い項目も結構多い。現在でさえこうなのだから…
前にも書いているけど、日本でも天才を軍事研究に充てていたが、アメリカは超天才達が束になって研究していた。
仁科博士が関わってたんだっけ?昔、「栄光なき天才たち」で読んだ記憶がある。
18 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/15(火) 13:18:27 ID:72PCFXJEO
テレビでやるそうだ。
19 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/15(火) 17:50:34 ID:xXesLce/0
北朝鮮の様な非道・非力の匪賊末裔(現在も匪賊のままだが)国家
でも、核を持てばアメリカが講和に応じるんだもな。
戦時中の日本が開発・保有に成功していたなら・・・・・。
満州・南樺太の荒野で無垢な日本国民がロスケに蹂躙される事も
朝鮮人に後ろ指さされて舐められまくる事も
占領米軍の素行不良兵が生き残った日本人婦女子を影で大量陵辱
する事も
あれやこれやの悲劇が防げた。
中国が中華民国のままであろうと、現実の通り中共に掌握されようと
ここまで東アジアに暗雲をもたらす危険大国になる事もなかった。
もしかしたら、満州国が強力なライバルになってたかもしれないが
経済封鎖された時点で開発は不可能
21 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/16(水) 00:29:30 ID:BbIOj4/E0
http://www.nikkansports.com/entertainment/news/p-et-tp0-20080714-383470.html テレ朝50周年特番、日本の原爆計画を追う
世界唯一の被爆国である日本にも原爆開発計画があった。そんな驚くべき事実が、テレビ朝日
開局50周年記念「原爆〜63年目の真実〜あの夏“封印”された昭和史最大のミステリー」(8月
2日午後9時放送)で明かされる。幻の原爆開発計画は3話構成の中の1話で、開発秘話がドキ
ュメンタリーとドラマとしてまとめられている。
日米開戦目前の1941年(昭16)4月、陸軍が東京・駒込の理化学研究所に原子爆弾の開発
を正式依頼。優秀な科学者たちが米国の科学者らと同様、ウランの分離で原爆製造が可能だと陸
軍に伝えた。
その原料となるウラン鉱石の採掘に、福島県石川町に住む15歳の中学生たち160人が動員さ
れる。その1人の証言を軸に物語は進む。同町で「1000キロ」相当の鉱脈が発見されたからだ。
「マッチ箱1箱分でニューヨークを吹き飛ばす爆弾ができる」と軍人に聞かされる。終戦となる45年、
研究所が空襲を受けて実験装置が炎上。計画は断念されたが、中学生らはわらじ履きに素手で
ウランを掘り続けて終戦を迎える。そして、真実は封印された。
戦後63年、原爆の記憶は年々風化。当事者たちの証言を得られるギリギリの時期でもある。
テレビ朝日は「生き証人たちの再現ドラマは、昭和史から置き去りにされた真実であり、語り継
がなくてはならない平和へのメッセージ」と制作意図を説明した。
22 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/16(水) 00:35:56 ID:Ie3CPo780
> アリの巣コロリってあるじゃん。
> 蟻の行列にポンと置くと、一瞬ビックリして列が乱れる。
> 邪魔だなと言わんばかりに迂回する列が出来る。
> そのうち好奇心旺盛な一匹がアリの巣コロリに入る。
> そいつをマネして何匹も入る。
> 毒とも知らずにツブツブを運び出す。
> 一匹が一粒づつ。
> いつのまにか行列はアリの巣コロリが折り返し地点になる。
> 黄色い粒と黒い蟻が作り出す模様は綺麗で見てて楽しい。
> 一匹が一粒づつ、丁寧にせっせと毒の粒を運ぶ。
> せっせと、せっせと、せっせと、せっせと。
> 蟻さんって働き者だなと思う。
> 俺も頑張らなきゃなと思う。
> 次の日、あれほど沢山いて俺を困らせた蟻が一匹もいない。
> ほんとにいない。
> 探してもいない。
> 泣きたくなった。
>
>
>
>
>
> このレスを見た人は4日後にあなたの大切な人がいなくなるでしょう・・・・
> それが嫌ならこのレスを5つの板にコピペしてください。
> 信じるか信じないかはあなた次第です。
23 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/06(水) 02:34:15 ID:yNe/Jnlq0
日本経済新聞2008年8月4日夕刊で「秘史・日本の原爆研究」の大型連載が始まった。
毎週月曜日掲載かな?1〜3月に連載した「湯川秀樹の遺伝子」に続くもの。
一回目は、『零戦技術から「遠心分離」』。
世界的にも進んでいた「超々ジャラルミン」の研究や、それを活用した遠心分離機の
開発の実態、荒勝京都帝大教授の世界に先駆けた研究成果などの内容。
24 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/06(水) 15:08:06 ID:luCjZQoQ0
25 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/06(水) 15:11:45 ID:luCjZQoQ0
どこかの田舎で原爆を作るためにウランを発掘していたが
連日の空襲で中止になったという記事を読んだことがある。
>27
人形峠
31 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/26(水) 14:15:17 ID:UKE1UrYG0
原爆日記:旧理研研究者が残す 終戦直前開発断念の記録
http://megalodon.jp/?url=http://www.mainichi-msn.co.jp/shakai/wadai/news/20070105k0000e040072000c.html&date=20070105160627 (Web魚拓)
戦時中に旧理化学研究所(東京都文京区、現在の理研)で原爆を研究していた物理学者の日記が見つかり、近く発刊の「仁科芳雄往復書簡集・第3巻」(みすず書房)に掲載される。
原爆製造に必要なウラン235の濃縮に失敗し、開発を断念する様子を克明に記した貴重な記録。
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/ || /^ミヽ/^- 、
/ || / /´, `ヽ、
|/~ ̄|| . | { 〈ノノlハ)))) ) .___
| || | (| | ┃ ┃ |リ" . | | 日本の原爆開発をつぶすよ♪
|\__|| l iハゝ''' ヮ''ノイ X
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\ || Ero Kawaii N!ハi( ^Y ) . | | ピュー
\|| ( ノ .ノ . ∨ \\\\\\\\
丶、,,,,,____. . し'し' \\\\\\\
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日記は45年4月、ウランの濃縮を試みた「熱拡散塔」のあった49号館が空襲で焼失した日の模様をつづっている。これを機会に旧理研の原爆研究は難しくなった。
<4月14日(土)11時頃(ごろ)空襲サイレン。(中略)理研にゆく。49号館を守る可(べ)く敢闘。23号館で休。夜があけて東側の壁が燃え出し、もう消火の元気なくただ見守る>
焼失前にその塔で濃縮作業をした最後のウランは5月、サイクロトロンで分析された。
32 :
名無しさん@お腹いっぱい。: