>咸鏡南北、江原道(朝鮮北部)以外にも飢餓に瀕する者少なからずして僅か
>に草根木皮によりて露命を繋ぎあるものを聞き、痛心に堪へずして当路者に糺
>せば、彼氏曰く、『朝鮮にては左様の事は珍しくもなく今頃になれば毎年各地
>に現はるる事象である。今ひと月もすれば木の葉も出て草も生ずるから夫れに
>よりて収穫期まで何とかしていく』とて深く配慮するの様子もなかりし。(昭和7
>年3月31日付)
>「宇垣一成日記 2」 みすず書房
大恐慌後で開発や民生向上に鈍っていたとはいえ
元はこれなんだ
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李朝時代の朝鮮では、三月から六月までは食糧が不足する春窮期であった。
当時の人口は、農民が約八割を占める。
飢餓の春窮期を迎えると、朝鮮総人口の約六割が山野で草根樹皮を採集して
生命をつなぐという状態だった。
朝鮮の農書、農史を読むと、朝鮮農民は中国農民と酷似しているのがわかる。
旱害、水害、風害、雹害、病虫害が、間断なく年中行事のように各地を襲い、
農民は乞食、農奴同然である。
中略
戦前、日本農民を除いた中国、インド、東南アジアなどのアジア農民は、
きわめて貧しく飢餓状態にあり、
干ばつのたびに餓死者が大量に出るのが常であった。
なかでも、朝鮮半島の農民は、李朝時代の両班からの搾取、地理、天候などの
条件からもっとも貧しかった。
ただ両班の人為的なものを除いても、もともと自然条件と社会条件はかなり悪かったのである。
可耕地の広さに比べ農業人口があまりにも多く、
地質、土壌、治山治水の荒廃、気候寒冷などの自然状況も悪い。
さらに山林荒廃による燃料不足、堆肥不足、旧来農法の墨守などの面からも
農業立国となるのは難しかった。
「韓国は日本人がつくった」黄文雄 徳間書店