華族についてpart7

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849名無しさん@お腹いっぱい。
華族と言えば御家騒動ですね。最近海江田子爵家の例を知りました。

海江田信義(有村俊斎)は松子夫人との間に4女を儲けた後で幸吉を得た。
しかしその時点で既に2人の男子があった。
庶長子は小山宗兵衛の内縁の妻おかよと通じて出来た信清で有村家を継いだ。
その後信義は小山とおかよの娘お愛を妾として5男2女を得た。
 
死が近づいた信義は松子を離縁して幸吉を京都帝国大学に入学させ
お愛を入籍しその長子虎次郎を宮内省式武官に押し込み従五位に叙せしめた。
明治39年10月信義が死ぬと虎次郎は襲爵を願い出たが
幸吉が自分こそ正当な後継者であると訴訟を起こし
42年10月幸吉の主張が認められ襲爵、虎次郎は翌年分家した。

幸吉勝訴の主因はおそらく長姉が東郷元帥の妻になっていたことでしょう。