>>632 基本的に、ユダヤ人虐殺も似たような状況だったかもな。
平均的ドイツ人は、ユダヤ人を煙たく思ってて、普段悪口言ってても、本当に虐殺してるなんて思っていなかった。
本当に虐殺しようとする組織に政権をゆだねてしまった…と。
>>633 そもそも能動的には殺してねえからな。
ガス室だとかは象徴的に出されてるだけで、
本質の恐ろしさは飼い殺し。
数年間かけて劣悪な状況で最低レベルの経済活動はやらせて
飢えとと病気と疑心暗鬼で衰弱して死んで行く。
その延長に直接殺害が加わる。
ナチスが収容所に掲げた看板『働けば自由になれる』が不気味に重く乗しかかる。
ドイツの話になってしまうが、
第一次大戦後のドイツインフレは有名だが、
その過程がどれほど苛酷だったかは今では想像付かない。
十年かけて倍々のインフレで最後の一年で20倍に跳ね上がったと同時に、
とどめのルール差し押え。
狂うほど死んだだろう。餓死・自殺・殺人など。子供もたくさん。
ナチス発生の根源はここにある。
1914年7月に1ドル=4.2マルクだった為替レートは、ルール問題(仏が工業地帯占領1922/23年)の影響も受けたインフレ進行
1923年1月に1ドル=7,525マルクとなり、ライヒスバンクは次々にパピエルマルクと呼ばれる超高額紙幣を増発、
その結果、対ドル為替レートは
1923年7月に1ドル=160,000マルク、(16万)
1923年8月に1ドル=4,620,455マルク(462万)
1923年9月に1ドル=98,860,000マルク(9886万)
1923年10月に1ドル=25,260,280,000(252億6028万)マルク、
1923年11月に1ドル=4,200,000,000,000(4兆2000億)マルクに暴落
パンの価格
1923年 1月 *,250マルク
1923年 2月 *,389マルク
1923年 3月 *,463マルク
1923年 4月 *,474マルク
1923年 5月 *,482マルク
1923年 6月 1,428マルク
1923年 7月 3,465マルク
1923年 8月 6万9千マルク
1923年 9月 151万2千マルク
1923年10月 17億4300万マルク
1923年11月 2千億マルク
1923年12月 3990億マルク
1923年11月末、当時のベルリンでの物価
じゃがいも1Kg 9百億マルク
卵1個 3200億マルク
ミルク1L 3600億マルク
バター1ポンド 2兆8千億マルク
正確な数字だね。
人間は瞬間的な衝撃には耐えられても長期間の締め付けは拷問。
フランスのルール占領は1923年1月。
この時点で既に累積千倍以上のインフレだった。既に破産状態。
さらにその支払遅延に対しての制裁ルール占領。
貯金はとっくにゼロだし給料ももらった翌日からゼロ価値。草でも食べてたのかね。
フランスの戦争慰霊碑は大半がWW1のもの。
史上初の近代機械戦争の大量死者の憎悪が
全てドイツに向けられた結果の悪魔化だったわけだ。
この悪循環を引き起こさない為、WW2以降は苛烈な戦後賠償はなくす方針になった。
だがこの時の負の連鎖がユダヤ中東とまだ終わっていない。