大東亜戦争議論スレ

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264名無しさん@お腹いっぱい。

☆インドネシア『歴史教科書』中学3年用

「日本の占領は、後に大きな影響を及ぼすような利点を残した。第一に、オランダ語と英語が
禁止されたので、インドネシア語が成長し、使用が広まった。日本軍政の3年半に培われた
インドネシア語は驚異的発展をとげた。
第二に、日本は青年達に軍事教練を課して、竹槍、木銃によるものだったとはいえ、きびしい
規律を教え込み、勇敢に戦うことや耐え忍ぶことを訓練した。第三に、職場からオランダ人が
すべていなくなり、日本はインドネシア人に高い地位を与えて、われわれに高い能力や大きい
責任を要求する、重要な仕事をまかせた…」


インドネシア歴史教科書には、日本軍政の肯定的な部分も余さず書いてある。これらの3つの
利点は、名越が集めたモハメド・ナチールの証言の一部分と一致している。

つまり、名越が集めた証言集は極めて信憑性が高いと言えるのである。
また、馬鹿豚のでたらめな主張が崩れ去った。実に愉快だw


265名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/15(木) 21:25:09 ID:8bCKsW8o0

★インドネシア モハメッド・ナチール元首相

「アジアの希望は植民地体制の粉砕でした。大東亜戦争は私たちアジア人の戦争を日本が代表して
敢行したものです。」

「大東亜戦争というものは本来なら私達インドネシア人が、独立のために戦うべき戦争だったと
思います。もしあの時、私たちに軍事力があったなら、私たちが植民地主義者と戦ったでしょう。
大東亜戦争はそういう戦いだったんです。」


大東亜戦争によって西欧植民地主義が終焉を迎え、すべての植民地が独立したのは紛れもない真実。
つまり、大東亜戦争は植民地解放戦争に他ならないのだ。その意義は、インドネシアの教科書>>264
にも書かれた通りなのである。

朝日新聞や、これに賛同する狂ったクソ豚共は必死で否定するが、これが歴史の真理なのだ。

266名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/15(木) 21:35:42 ID:8bCKsW8o0
☆日本兵とインドネシア独立戦争

日本の敗戦後、インドネシアに残った約2000人の日本兵がインドネシア人と共にオランダと戦い、
1000人が戦死しています。その後インドネシアは勝利し、1949年、念願の独立を手にします。
そしてこの1000人の日本兵は、インドネシアの国営英雄墓地に埋葬されており、その中の数名は
独立名誉勲章を授与されています。
 
こういう経緯があり、インドネシアの独立記念日に国旗を掲揚する際には、二人の男女と
日本軍服を着た人の3人で国旗を掲揚するという習慣ができています。そして独立記念塔に
奉納されている独立宣言書に記載されている年月は「05年8月17日」 

独立に多大な貢献をした日本に敬意を払い、西暦ではなく、「日本皇紀」を使用している
のです。(皇紀2605年)


インドネシアの教科書に載せられている「独立宣言文」は、全てこの皇紀2605年と記された
ものである。スカルノが後に西暦表示に書き換えたものではなく、オリジナルの独立宣言文
が載せられているのだ。おあいにく様、低能豚。

インドネシアは、今も日本への恩を忘れていない。大東亜戦争は植民地を解放した。
大東亜戦争は、日本人なら誇りに思うべき植民地解放戦争に他ならないのだ。

自虐大好きな馬鹿豚は、マゾの快感を失いたくなくて必死で否定するが、無駄だ。


267名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/15(木) 21:39:55 ID:8bCKsW8o0

インドネシアの独立記念日に国旗を掲揚する際には、二人の男女と日本軍服を着た人の3人で
国旗を掲揚するという習慣ができています。そして独立記念塔に奉納されている独立宣言書に
記載されている年月は「05年8月17日」という皇紀表示なのです。


 
268名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/15(木) 21:43:04 ID:8bCKsW8o0

★ククリット・プラモード タイ元首相

「日本のおかげでアジア諸国は全て独立した。日本というお母さんは難産してその母体を
そこなったが、生まれた子供はすくすくと育っている。こんにち東南アジア諸国民が、
米・英と対等に話しができるのはいったい誰のお陰であるか。それは身を殺して仁を
なした日本というお母さんがあった為である。12月8日は我々にこの重大な思想を示して
くれたお母さんが一身を賭して、重大決心をされた日である。我々はこの日を忘れては
ならない。」




269名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/15(木) 21:45:29 ID:8bCKsW8o0

ちなみに戦後世代の日本人にとって1941年の12月は“戦争を始めた日”として
陰鬱な印象を持たされているが、50年後の1991年12月、マレーシアの
コタバルを首都とするケランタン州政府は、『日本軍の上陸50周年を祝って』
特別式典を開催し、さらに戦争博物館を設立している。

マレーシアの人々は “祝って” いるのである。

圧政者のイギリスよりも強い、“アジアの日本軍”が来てくれた、と。


270名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/15(木) 21:51:18 ID:8bCKsW8o0

アジアの英雄であるはずの日本人自身が持つ『自虐史観(悪いことをしたという思い込み)』は、
国際的にも不自然なのである。単純な話、この自虐史観によって得をする国があるのだ。

それは、特定アジア諸国なのだ。自虐史観を喧伝する連中は、マゾヒストであると同時に、
特定アジアの靴の裏まで嘗め回して喜ぶ、いかれた忠豚なのである。

特定アジア
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9%E5%AE%9A%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%82%A2