大久保利通を語るスレ 其伍

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1日本@名無史さん
2日本@名無史さん:2007/02/14(水) 21:37:52
2ゲトか…?
3日本@名無史さん:2007/02/14(水) 21:39:56
西郷どんの金玉は凄いでごわす
4日本@名無史さん:2007/02/14(水) 21:45:26
取敢えず、大久保利通・伊藤博文のスレをhtml化してくれよ。
5日本@名無史さん:2007/02/15(木) 09:11:40
日本近代史じゃないの?
6日本@名無史さん:2007/02/16(金) 12:25:04
鹿児島のスズキ自動車のCMに何故か銅像が出演しとるwwwwwww
西郷の像は良くあるが、大久保は珍しい。
7日本@名無史さん:2007/02/20(火) 04:03:16
なー、台湾出兵って結果オーライかもしれんが、
明らかに失策じゃねーか?
8日本@名無史さん:2007/02/20(火) 15:46:10
>>7
あれは小西郷(従道)が勝手にやっちまった事だ。
9日本@名無史さん:2007/02/20(火) 18:14:37
失策だと思う根拠は?
当時の事情を考察すれば出兵やむなしだというのが妥当な見解だが。
10日本@名無史さん:2007/02/21(水) 01:08:15
大久保は
寺田屋の事後処理で田中親子を惨殺して
海に叩き込んだ!
11日本@名無史さん:2007/02/21(水) 01:09:48
>>3
さわったことあるのか?
12日本@名無史さん:2007/02/21(水) 19:56:45
>>10
んなモン大した事ねーよ。
13日本@名無史さん:2007/02/22(木) 02:48:36
>>9
出兵後の中国での交渉はイギリスの助け舟がなければ
失敗する可能性が高かったと思うのですが?
兵隊も何百人も病気で死んでいますし、
戦費も莫大でありましたし、
中国に対日警戒心を強めさせました
そもそも出兵しなければいけなかった切迫した理由などあったのでしょうか?
政変後の不安定な状況を払拭するために
大きな花火を上げようとしたようにしか思えません
もちろん政変以前からデロングリゼンドルに日本政府が出兵を
吹き込まれていたという既定事実は見逃せませんが
しかし、大久保は実は外交に関しては不得手だったのではないかと思います
14日本@名無史さん:2007/03/03(土) 13:40:37
age
15日本@名無史さん:2007/03/10(土) 01:38:58
大久保は寺田屋事件の前にのんびり京都見物してたんだよな?
16日本@名無史さん:2007/03/10(土) 03:02:39
全部後知恵というやつだな。
琉球の帰属について清とは兼ねてから揉めていた以上、
日本としては台湾で琉球人が殺害されたら清に対して迅速に抗議する必要がある。
清としては台湾も琉球も清の支配下なんだから、琉球人が台湾人に殺害されても日本には無関係と言い張る対応が正解だ。
日本がここで抗議しなければ清の主張を受け入れて琉球の事を清の支配下だと認めた事に等しい。

そこで清に対して琉球人殺害を抗議したら、清は事もあろうに台湾は化外の地だから事件の責任はとれないと回答した。

化外の地とは王化の地ではないという意味で台湾の先住民は野蛮過ぎて支配出来ないと言ってる訳だ。

要するに台湾を清国領ではないと公式に認めたのと同じ事だ。

清が台湾での殺人事件に責任をとれないと認めた以上、台湾に日本が派兵しても清には抗議する資格も能力も無い。
日本軍を撃退出来る力があるなら先住民を征服して台湾を支配下に収める事も出来ない訳が無いのだ。

日本の派兵で自分たちの大失敗に気付いた清は必死になって西洋列強に根回しして日本の足を引っ張らせた。
それが効を奏して国際世論は日本に逆風となり台湾は清に差し戻される結果となったが、
日本の正当極まる武力行使に横車を押して邪魔してくれた西洋列強に清は大きな借りを作ってしまった。
琉球人についても日本国民として事件を謝罪する事になり、晴れて日本領と認められる事になった。

征台がなければいつまでも清は琉球の領有をグダグダゴネ続けていただろう。

17日本@名無史さん:2007/03/10(土) 10:14:28
大成功とまではいかないが全然失策なんかではないな。
18日本@名無史さん:2007/03/10(土) 16:28:46
微妙な政策ではあると思うがな。
大久保の外交能力を問うならば、微妙なんじゃないか?
19日本@名無史さん:2007/03/11(日) 15:05:52
大久保の外交能力ってどのくらいなんだ?
20日本@名無史さん:2007/03/11(日) 19:43:12
冷静さに加えてはったりかます度胸もある
そういう点で見るなら高いほうなんじゃないか?
幕末国内での動きを見る限り、交渉ごとにはかなり長けてるし
薩摩だけあってちょっと大雑把なところがある気もするけど・・・

NHKの番組で、パリ講和会議の全権大使の一人として牧野伸顕が出てた
親子ともども外交では苦境に立たされてるんだな
余談だけど他国代表と並んでも見劣りしない感じだった
でも父親とはあまり似てない?
21日本@名無史さん:2007/03/11(日) 23:23:50
台湾出兵は失敗だったとか愚策だとか言う奴は結構いるけど、何故そう思うのかを問い質すと単に当時の経緯をろくに知らないで適当な事を言ってるだけなんだよな。
22日本@名無史さん:2007/03/12(月) 04:11:58
愚策では無いが、もう少しやりようがあったのは確かだと思う。
23日本@名無史さん:2007/03/12(月) 09:37:21
大久保の外国に関する外交能力は平凡だろ
内政に関する外交能力は高いが
24日本@名無史さん:2007/03/12(月) 10:56:07
もちろん完全無欠ではないだろうが、
情報源に恵まれた後世の人間にしか見えない正解でしかなければ結局当時の判断材料からは選択しえなくて当然の後知恵に過ぎない。病死者が多発したとかも秀吉以来初めてに等しい海外派兵で作戦地域も日本人には未体験に近いんだから当たり前のトラブルだ。
清政府のトチ狂った回答で国際法上は誰も領有していない無主の地と化した台湾の領有権は早い者勝ちとなっていた。
従って疫病対策などの準備を万全にしてから派兵してる場合ではない。
清の根回しに出し抜かれたのも限られた時間の中で初めての大事業なんだから失敗して当たり前の所だ。
それを琉球帰属問題の決着に導いただけでも十二分の大成功だ。
25日本@名無史さん:2007/03/16(金) 00:52:42
保守
26日本@名無史さん:2007/03/16(金) 02:06:40
大久保死後の薩摩閥はダメ
27日本@名無史さん:2007/03/16(金) 09:19:01
>>26
黒田しか居ないからな。
28日本@名無史さん:2007/03/16(金) 14:17:44
お前が無知なだけだな。
政治家としては兄を上回る逸材と評価されていた西郷従道すら知らないようでは論外だな。
29日本@名無史さん:2007/03/16(金) 14:24:42
西郷隆盛なんて人望だけだろ
30日本@名無史さん:2007/03/16(金) 14:28:05
無知な奴だ。
何も持ってない人間に「日本が重いか薩摩が重いか」と言われたくらいに絶大極まる人望が備わる訳が無いね。
3127:2007/03/16(金) 18:43:39
>>28
知ってるさ。
だが、従道は前に出て派閥を纏めるってタイプじゃないだろ。
32日本@名無史さん:2007/03/16(金) 20:38:35
薩摩閥の政治家は派閥よりも国全体の利益を重視するからね。
33日本@名無史さん:2007/03/24(土) 04:32:06
>>32
長州閥はどうですか?
34日本@名無史さん:2007/03/24(土) 04:34:28
愚問だな
35日本@名無史さん:2007/03/29(木) 08:43:38
麻生太郎が大久保利通の子孫だったとは知らなかった。
36日本@名無史さん:2007/03/29(木) 12:11:33
>>35
大久保利通―牧野伸顕―吉田雪子―麻生和子―麻生太郎

まあ所詮女系だが。
37日本@名無史さん:2007/03/30(金) 11:32:24
男性の方は大久保武道。 彗生は満州国皇帝(ラストエンペラー)愛親覚羅溥儀の弟で溥傑と嵯峨公爵家の娘で「流転の王妃」といわれた浩との間に生まれた長女でした。 大久保は青森県出身のあか抜けない田舎者で最初は馬鹿にしていたようです。
38日本@名無史さん:2007/03/30(金) 11:35:15
明治初期は大久保より西郷の方が国民から明らかに人気が高かったらしいが今なら
逆のような気がする。
理由としては、
大久保:洋服が似合い西洋人風なダンディーさがある、欧米視察後は改革派として
近代化をいろいろと進める、調整型・妥協型ではなく多数の抵抗勢力を作ってでも自分の信念
を貫くワンマン型。情に流されず己の正しいと思うことを力強く政策に移す、家庭人としては良きパパ

西郷:写真を嫌い西洋的なものにはなじめない守旧型、旧武士の代弁者的存在、情に流されやすい
どちらかと言うと保守的発想の持ち主


義理人情が何より重視されていた明治初期などは西郷の方がそれにマッチし、人気が高かったらしいが
今の時代なら逆に大久保のようなタイプの方が国民的人気が高そうだ。
39日本@名無史さん:2007/03/30(金) 15:30:19
曹操に学ぶビジネス書なんて出たりして合理的で理性的な人物も好まれるようになってきたね。
西郷の本格的な大衆人気はたしか西南の役後。
明治初期には西郷も不平士族に人気があった程度で、民衆にはあまり良く思われていなかった。
義経しかり、忠臣蔵しかり、日本人は理性より感情で動く悲劇のヒーローが好き。

最近読んだ本によれば、明治初期の鹿児島県民の大久保に対する感情は決して悪くなかったらしい。
そこで私学校の一部の徒が、大久保のデマを流して反感を強めようとした。
従道は西郷の弟、川路では役不足、槍玉に挙げるのに一番ふさわしいのは大久保だった。
そんな中でも西郷大久保両雄を尊敬していた県民はいたし、
大久保が暗殺された時にはその死を悼んで、ひっそりと哀悼の意を表したお寺さんなんかもあったんだって。
40日本@名無史さん:2007/03/30(金) 16:11:53
曹操は詩人としても兵学者としても当時の一流だったから、別格の人間だよね。
正史と、悪役として描かれる演義との落差は大きい。

西郷や龍馬の死後の名声はどこか作られた感じがする。
西郷の場合、明治政府への批判が背景にあっただろうし。
龍馬は司馬作品がブームの火付け役だったわけだし。
41日本@名無史さん:2007/04/01(日) 02:32:25
>>37
??????????
42日本@名無史さん:2007/04/01(日) 02:55:35
西郷も龍馬も普通に人気あったろ
43日本@名無史さん:2007/04/01(日) 03:30:09
竜馬はそうでもなかったでしょ。
司馬遼太郎の竜馬がゆくで人気が出たんでしょ。
44日本@名無史さん:2007/04/01(日) 04:31:23
その前から土佐や自由民権派なんかには人気あったし
伝記もあったよ
龍馬の場合は維新前に死んだし土佐だから全国的には3傑にくらべると知名度は低かった
45日本@名無史さん:2007/04/01(日) 05:57:39
土佐といえばお札にもなった板垣だろ
龍馬は裏方に過ぎない 途中で惨殺されているし
46日本@名無史さん:2007/04/30(月) 17:49:09
内務卿閣下は日本史上、最高の宰相の一人であろう。
47日本@名無史さん:2007/04/30(月) 19:11:37
間違いなく最高最強じゃね
48日本@名無史さん:2007/05/01(火) 06:36:29
大久保って、何でここまで頑張れたのかな
49日本@名無史さん:2007/05/01(火) 22:55:24
犠牲にしたものが多すぎたんじゃないか
50名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/14(月) 21:16:03 ID:Pu7oRwJ/0
凄惨!!!
51名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/17(木) 10:36:36 ID:PQkP13Mv0
講談社学術文庫「大久保利通」
必読です。

死後三十年を経て、生前の大久保関係者からの
思い出を集めた本。有名なエピソードの出典となったもの、
司馬遼太郎なんかも、かなり典拠にしてる。

機構本であったけど、散逸分も探して集めて復刻したものらしい。

何度も読みましたが、実に面白い本です。
52名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/17(木) 14:28:49 ID:Yqma8iC40
>51
大久保利通ファンブック、みたいなノリの本だった。
日本一の大久保スキー(推定)佐々木克氏の監修だし。
大久保って身近な人たちからは愛されてたんだね。
53名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/18(金) 01:39:12 ID:X+JryFBZ0
>52
佐々木克氏ってのは、大久保利謙氏の弟子らしいですね。

閑散としてるので、ネタでも投下してみますか。

>48
幼少期の辛酸(高崎くずれ)ですかねぇ、やっぱり。

大久保さんていうのは、思想家じゃあないし、アイデアマンでもない。
大目的(威信前:日本の植民地化を防ぐ、維新後:富国強兵)を達成する
ためには、借り物でも、人の考えでも、役に立つものを取ってきて、
超人的な努力で現実化してしまう。

政治というのが、目的に向かって現実を動かすことなら、やはり未曾有の大政治家でしょうね。
彼がやったこと、些細なこと一つとっても、本当に大変なことばかりです。
(本例えば、誠忠組を抑えるために、久光のお墨付きもらったことだけをとってもね)

斉彬の遺訓の公武合体を目標と定めると、結局行くところまでは何とかもっていくんだよね。
で、それが駄目となると、倒幕という目標に切り替える。そして粘りに粘る・・・

ところで、毛利敏彦「大久保利通」いい本だと思うけど、後半大久保独裁になってから、
あっという間に終わってる感じしない?多分予定の紙数がつきちゃったんだろうけども。
54名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/13(水) 14:49:32 ID:TLubsivb0
幕末期と明治期で一番顔が変わる人
あの変わりようはなんだw
55名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/18(月) 02:59:44 ID:eR4F2SbIO
>>54
写真写りのせいだろ。
大西郷謎の顔って本に、
大久保と久光の息子が一緒に写ってる写真が掲載されてるぜ。
56名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/18(月) 10:00:50 ID:tAdcXWZX0
暗殺に到る道程は、
ロマンチックすぎる見方かもしれんが
やっぱ、鋼鉄の男・大久保といえども
西郷を殺したことで心が折れちゃってたのかね
西郷を殺さなきゃ国が崩れるから、その仕事はやりはしたが
57名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/18(月) 19:20:38 ID:1T6lL0ts0
講談社学術文庫大久保利通さっそく買ってきた、
読みやすくておもしろい!大久保を身近に感じる
58名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/19(火) 15:48:23 ID:4Ag6LkmI0
しかしまだ大久保を鹿児島の人は嫌ってるのかい?
この人がいなかったら本当に今の日本はなかったってくらい凄い大人物なのに

むしろ誇っていいと思うがなぁ
59名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/19(火) 20:33:41 ID:NmD5E6Wa0
20年位前から、昔ほど大久保さんは鹿児島では嫌われてないよ。
大久保好きも結構多い。

60代以上は西郷ビイキが多いが、それ以下の世代では西郷さんと同様に尊敬されている。
随分前から、大久保さんも正当(?)な評価を受けている。
60名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/22(金) 22:12:01 ID:iHe095x00
明治維新の英傑、大久保利通のお墓です
かめさんが踏ん張っています。
http://blog.so-net.ne.jp/i-zumi/2007-03-23

正成の墓碑は大きな亀の背に乗っている儒教式だ。古来から中国では、死後の魂が霊峰
崑崙山(こんろんさん)に鎮まることが理想とされている。亀はこの山に運んで
くれる聖なる生き物とされており、こうした墓の形になった。
http://kajipon.sakura.ne.jp/haka/h-bujin2.html
61名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/26(火) 21:18:52 ID:ZFRJJ+3B0
今日の朝日に明治維新の特集が組まれてて大久保のことも書いてあって
期待してみてたら台湾出兵で叩かれててしかも人気なかったとか
大久保かわいそすorz
62名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/27(水) 02:11:15 ID:Y56ukZYE0
>>61
朝日って朝鮮の新聞でしょ?
そりゃ〜日本の偉人は全部認めないだろうw
63名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/04(土) 01:49:44 ID:U7wCUcfC0
>>61
台湾出兵で叩かれたってのは朝日に叩かれたの?
まぁ大久保が死んだ時に国民は冷淡だったそうだから人気が無かったのはその通りだが。
64名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/08(水) 23:29:30 ID:TyW3p+5m0
>>59
年齢層は大きいかもね。
その人となりや生きかたなんかも年配の人たちは西郷を好みそう。
逆に年が若い人は大久保を好みそう。
65名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/09(木) 11:08:36 ID:2fjqVuhQO
大久保どんのおかげでエギリスに留学させていただき、役人になれたとよ。森有礼、吉原重俊。
66名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/09(木) 11:10:50 ID:U9tVPy280
大久保はクソ兵庫県に大飾磨県を併合させたクソ野郎
67名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/09(木) 11:27:00 ID:z2DyT0Dc0
おい来年の篤姫の大久保の配役がネプチューンの原田たいぞー
になったことについてみんなどう思う?w
68名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/09(木) 16:55:05 ID:GUpaNKBn0
NHKが大久保の子孫の麻生太郎に嫌がらせをしたんだろう。
69名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/10(金) 12:38:07 ID:mYIuPXOkO
何故に『跳ぶが如く』を放送したのに。
70名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/10(金) 12:59:09 ID:mYIuPXOkO
↑翔ぶが如く。でしたm(._.)m
71名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/10(金) 19:04:56 ID:mYIuPXOkO
薩摩示現流。ちぇーすとぉ!
72名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/17(金) 01:39:09 ID:ICbuaN930
原田たいぞーの大久保なら、秘技・畳回しを披露して
くれそうで楽しみだ。今まで、畳回しの逸話
(なんちゃって鴻門の会)って映像化されたこと
ないよね?
73名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/05(水) 23:49:50 ID:qXKnhOVQ0
>>66
まぁそう怒るなよ。
兵庫県は小さかったんだからしょうがない。
神戸が無いと姫路だけじゃ播磨は大変だろ?
74名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/06(木) 21:47:35 ID:BRzqsOJe0
オタの糞通さん神格化が目に障る
75名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/06(木) 21:49:41 ID:BRzqsOJe0

なんか恥ずかしい 糞通神だとか
ただ近代の政治の基礎的な部分を作り出しただけだ
76名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/14(金) 01:53:12 ID:qCPmNkwt0
『一日政府を存すれは一日の責免るへからす。
 況乎歳余を経るに至るをや』
 (明治2年4月、政府への意見書より)
・・・安倍晋三に言い聞かせたい言葉だな。
77名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/16(日) 20:13:37 ID:MXpnFGSN0
大久保さんの屋敷の有った東京の裏霞ヶ関って今で言うとどの辺りでしょうか?
その屋敷跡は何か碑とか残っているのでしょうか?
78名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/17(月) 11:33:15 ID:Gh7BLn7X0
大久保利通はもっと評価されていいのに
やっぱ教育がなってないよね
現代日本建設の功労者に対する扱いとしては酷すぎる
教育界に左派が多いのも一因ではないかと思う
それと日本人は強いリーダーをあまり好まないよね
「強権的」とか言って、その時代の困難な状況を理解できない国民性なんだな
79名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/18(火) 21:28:36 ID:Pl6GmLqf0
>>77
屋敷跡や何か碑とか有るかわかりませんが、
明治〜大正年間のベルギー大使館は、昔の大久保利通邸を使っていたそうです。
ttp://www.ictnet.ne.jp/~sibarei/page006.html

大久保利通の元の私邸が明治から大正時代のベルギーの公使館となっていました。
場所は現在の霞ヶ関、特許庁から首相官邸のあたり
ttp://www.iwakura-mission.gr.jp/n_kaihou/nweb_42/N42-1.htm
80名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/19(水) 03:03:51 ID:sI+HsF3tO
大久保の屋敷があったのは今の衆議院議員会館の隣だお。
81名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/20(木) 02:39:14 ID:yTE9V4ty0
>>79-80
ありがとうございました。
自分も調べたら当時の麹町区三年裏霞ヶ浦は
今の外務省と財務省付近とありました。

82名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/20(木) 18:03:07 ID:SCScyQKfO
>>81
スマソちょっと間違ってた。
衆議院第二別館の隣だった。
住所で言えば永田町1丁目3番。
83名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/21(金) 01:14:21 ID:XkHLK//m0
大久保利通の顔って新庄に似てない?
84名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/01(月) 10:25:51 ID:nokdWM0U0
大久保利通っていい死に方じゃないよな
利通暗殺に関して家康や利家の悪意に満ちた意思が伺える
85名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/02(火) 20:16:19 ID:nBebuGEt0
新庄が似てる(笑
86名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/02(火) 23:56:10 ID:mrsTDKmW0
イチローに似てると思った。
87名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/09(火) 22:54:41 ID:pAHRvvuC0
しかし、あのもみ上げとひげ、だれも何も言わなかったんかね?
88名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/10(水) 15:40:04 ID:0aeGeogP0
髭はひどすぎますねw
そりゃサイゴーどんも、「もう写真は送らんでいい」といいたくなりますよね。
89名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/12(金) 18:14:59 ID:EG2LNwxM0
ひげはビスマルクのまね、流行してたんだぜ。
むしろカッコイーだったんだよ。
90名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/12(金) 18:15:40 ID:ChqdOmOY0
なかなか渋いひげだとおもうがな。
91名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/14(日) 13:20:27 ID:DXNbus+70
西郷が破壊者で大久保が建設者だとうことをよく言う人がいるけど、
それはあまりに一面的過ぎる。
大久保は幕末時代から倒幕には欠くことのできない存在だったし、
西郷も明治以降の新国家建設には同様の存在だった
92名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/16(火) 20:50:46 ID:4okQwEui0
大河の「翔ぶが如く」を放送してから鹿児島で大久保の評価があがった、
と聞いた事があるけど、実際どうなの?
確かに、鹿賀大久保は異常なほどの格好良さだったけど。
93名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/16(火) 21:16:56 ID:9x8AvVNG0
>>92
顔も体格も似通ってたから評価高いね >鹿賀大久保
94名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/16(火) 21:32:28 ID:9x8AvVNG0
>>92
追加

客観的評価は昔からあったんじゃないの?
嫌われてただけで。

鹿児島って、観光地としてはいいし、何回も行ったけど、
恨みが深そうでネチネチしてて感情で人物評価してそうだから、
住みたいと思わないよね。

今転勤で住んでる同業の人も地元の人に白い目で見られて
嫌な感じなんだろうなー
黒豚、きびなご、焼酎、鹿児島牛、etc美味しいもの一杯あって、
桜島も温泉も沢山あって、魅力的なのに、
異動希望は出せないなー

95名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/26(金) 00:29:50 ID:8wJJSmX00
現代において、さほど排他的ではない。
96名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/04(日) 17:56:43 ID:+fV+dIAN0
大久保利通を史実に基づいて知るためのおもしろい小説はありますか?
97名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/05(月) 15:24:10 ID:vK/Qe4nx0
史実に基づいてなのに小説てのは・・・
小説って時点で作り話だからね
史料漁るのが正解だし面白いんじゃない?
98名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/05(月) 23:49:12 ID:3QZaXDZf0
「史実に基づいた」読み物なら、徳富蘇峰の
「近世日本国民史」がおすすめ。
膨大な史料を駆使して、格好いい大久保像を
描いてくれてますから。

99名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/06(火) 06:53:54 ID:3xCHcyeW0
住んでみてあまり恨みが深い地域に感じなかったが、
他県に比べてむしろ淡白だと思う。
100名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/06(火) 07:06:59 ID:xLng+o/X0
会津若松もネチネチしていると思いきや、案外サバサバしている。
先入観や「観光史学」によるイメージ先行に問題があると思うよ。

>>98
漏れも蘇峰の大久保史観は好きだな。
イメージ先行で怜悧といわれる大久保の別の側面を見せてくれて
面白いと思うよ。
あと、蘇峰著作の「大久保甲東先生」もおもしろかった。
101名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/05(水) 11:42:03 ID:M8cckfQy0
さつまage
102名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/15(土) 21:19:43 ID:1Nwjhg530
顔が良いね
103名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/29(土) 13:00:39 ID:T9WYDmXB0
なにかと大度のでかい人物だが
ライバル江藤に対するエグい処罰は尋常じゃあない
相容れない存在だったんだろな、内心畏れを抱いてたのかも
104名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/01(火) 12:52:34 ID:IC0mVuef0
実際の大久保と原田泰造ってマジで顔激似じゃん
105名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/05(土) 12:50:57 ID:PnBL97ed0
>>104
目つきからして全然違うと思うんだがw
106名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/01(金) 23:44:54 ID:RFLYP5PL0
大久保卿の書を見てみたいのですが、
複製などは販売されているでしょうか?

座右の銘である「為政清明」が鹿児島市立美術館にあると聞きましたが、
複製はしてなさそうで。
107名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/03(日) 01:01:59 ID:Lembm8AoO
>>87
言えるわけないだろ(笑)
誰も大久保の目を見て話せなかったっていうのに。
108名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/03(日) 10:10:56 ID:pDk3BXOS0
>>106
ヤフーオークションにも出品されてますね。

[大久保利通/四行書/大幅]
ttp://page9.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/k49169474

元勲 大久保利通の三行書 光本 軸
ttp://page2.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/b82635510
109名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/03(日) 11:27:03 ID:Isr7tBj30
>>108

安すぎて不安・・・
複製でいいから身元の確かなものなら私も欲しいな。色紙サイズぐらいで。
大河ドラマ効果で出ないかな。
110名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/04(月) 16:39:50 ID:VN83KjzX0
バブルも過ぎて書画の価格もだいぶ下がったけどね。
西郷やら坂本龍馬は高いけど、大久保のような渋い人物の書はぼちぼちの値段らしい。
111名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/06(水) 23:39:40 ID:qjHYLf2W0
書道家の本で西郷、木戸、大久保の掛け軸を批評してるのがあって、
木戸のものは巧いけど技巧が過剰であると言われてたな。
112名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/07(木) 02:43:07 ID:n52roOtm0
西郷に対し暗殺者放ってたんですな
必要とあればえげつないことも躊躇しないな
113名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/08(金) 07:27:43 ID:eYNfUXOgO
>>112
それバルタン星人?
114名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/10(日) 22:22:46 ID:W29FMGDN0
翔ぶが如くで大久保のシブさにやられた俺だけど、実際は江藤晒し首にして
「メチャ愉快www」とかいったらしいじゃん。
けっこう外道というか非道な面あったんでしょうな。
115名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/11(月) 01:42:28 ID:+vwYy/R40
私学校の暴発聞いて心中快を叫んだとかなw
やはりその性酷薄としか
116名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/13(水) 01:49:18 ID:aClqemQt0
江藤に関しちゃ因縁とかいろいろあってマジブチ切れ

西南戦争だと最初は西郷の関与を全然信じようとしなかったとか、
西郷の死を聞いて自宅でオロオロしまくって涙浮かべてた(大久保の身内談)とかいう記録が残ってる
んでそういう弱さを公的な場面では見せまいと冷徹に振舞ってたというのが実情らしい

あと薩摩にいろいろちょっかい(暗殺計画とか)出してたと言われてるのは基本的に川路利良な
一応大久保の腹心だった男だけど、大久保自身の関与は推測の域
117名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/05(水) 23:14:25 ID:G5d3vJ8q0
あげ
118名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/07(金) 10:58:30 ID:c7ATERLw0
私学校の暴発に快哉を云々というのは、大久保の冷酷さ
を現す逸話としてよく紹介されているが。あれは、西郷
が加わっていないと信じ込んでいたからこその言葉なん
だよね。
119名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/10(月) 01:41:17 ID:nf308WfqO
私学校の暴発により
実行者を逮捕すりゃならん

西郷が逮捕に黙って見てるだけと
大久保は考えたということ?
西郷ならかばって抵抗するとは考えなかった??
120名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/11(火) 14:06:24 ID:BzgKTGFT0
私学校党が弾薬を掠奪したという一報を聞いた大久保は、
伊藤博文に以下のように書き送った。

『これを発端として、もし干戈を交えるような事態になれば、〔私学校党には〕
名も無く義も無く、天下・後世・諸外国に対しても一言の言い訳もできぬ。
曲直は明らかなのだから、正々堂々とその罪を鳴らし、鼓を打ってこれを討てば
誰も非難する者などいないだろう。それを思えば誠に朝廷にとって不幸中の幸
であると、心中に笑みを生じるくらいだ。
このような次第では、西郷も彼らには何一つ同意しないだろう。まして、雷同
して江藤や前原の轍を踏むようなことは決してあるまい。』
121名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/24(月) 02:16:20 ID:b5Q0ChCY0
↑の流れのような(>>112から>>120のような)人物評をされると、
弱いなぁ〜
思わず惚れてしまう。
明治政府のトップでありながら、
財産を増やすどころか、凄い額の借金をしてたとか、
でも当時世間からは独裁者で私腹を肥やしてるとか非難されてたとか聞くと。
122名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/03(木) 17:52:01 ID:S/9LCLnu0
実際大久保のやり口は当時
そうとう忌み嫌われてたと思うよ

江藤新平
「彼は国家を作ろうとしているのではない
権力を作ろうとしてるだけだ」
123名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/04(金) 09:34:47 ID:xMkUl5z90
公衆の面前で大久保の無知が露わになるような恥をかかされたんだろう。大久保も人の子。
100%感情をコントロールできる人間など存在しない。
124名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/06(日) 02:51:52 ID:eyyJ1fpUO
政策なき政局の人だからね
大蔵でも対したことないし
内務省作って、天皇の権威を借りなきゃ
下を抑えられん政治家
125名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/06(日) 13:40:43 ID:WoPCwWcY0
>>123
江藤と大久保との関係は、西郷隆盛下野までは普通であった。
急激に悪化したのは、江藤が西郷が味方であることをひけらかしつつ、
明治新政府への罵倒を繰り返したから。
126名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/06(日) 20:35:48 ID:DFRS4k100
普通ではなくね?

しかしまあ、幕末の大久保は好きになれないが、維新後の大久保は本気で
同情するなあ。
 
127名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/09(水) 03:49:56 ID:W//CZ9O40
>>124
本人は自己の為に
天子の権威を傘に着るつもりはなかったろうが
後の世において、小物たちが自分の模範を続々と繰り返すことを
果たして彼は予見してたろうか
128名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/11(金) 03:30:22 ID:pug1VSajO
自己のために権威借りでるでし
129名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/18(金) 10:51:29 ID:MXrWJuyg0
明治維新後パッとしなかった元薩摩藩士
吉井友実
岩下方平
税所篤
桂久武

130名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/19(土) 10:31:35 ID:z4RpW9oe0
江藤が大久保の補佐役に徹していれば、明治政府がもっと開明的なものになっていたかもしれない。
131名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/19(土) 13:58:13 ID:wyxzpjWB0
>>130
明治政府は充分開明的だったが。
132名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/20(日) 02:27:07 ID:+QuPdhyDO
>>129
伊地知貞馨や中山仲左衛門に比べりゃ大分マシ。
133名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/20(日) 11:51:44 ID:SuxE6WQi0
>>129
伊地知正治、海江田信義、高崎正風
134名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 02:25:03 ID:kYrMuNQf0
罪刑法定主義を無視し自分の感情で江藤をなぶり殺した独裁者大久保
135名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 03:14:46 ID:3C3Xp3gb0
法を無視して反乱を起こした江藤
136名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 10:43:59 ID:KGxQdwWs0
>>129
明治維新後パッとした元薩摩藩士
松方正義
137名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/25(金) 04:46:18 ID:dD3URoMH0
むっちゃ小粒なのが最後に生き残るのな
138名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/25(金) 08:41:28 ID:OqtXZH9n0
江藤は惜しい人傑であったと思うが、当時は罪刑法定主義を採用していなかったのだから上の非難は失当
139名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/25(金) 10:55:30 ID:EsU4uoH40
>>136
志士と実務家との違い。
140名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/27(日) 12:29:34 ID:7cE1++3N0
>>129
吉井友実といえば幕末の薩摩藩で大久保西郷と並ぶ大立て者だったはず。
なぜ明治政府でさえなかったのか、教えて偉い人。
141名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/27(日) 12:38:39 ID:q3e4NpMp0
>>140
明治政府入ってるでしょ
宮内庁だかに
142名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/02(金) 21:39:45 ID:bExtk9di0



大久保利通は、高橋幸宏にウリウリ2つだぞい。


143名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/09(金) 22:59:02 ID:UCb7td970
>>93
翔ぶが如くの収録現場を訪れた大久保家の当主が、試しに鹿賀の衣装を来たところ、ぴったりだったというエピソードがある。
因みに大久保とそのひ孫にあたるご当主と鹿賀の身長はほぼ同じらしい
144名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/10(土) 01:09:51 ID:QpUufAxCO
背は高い方だったよな、たしか
俺のオヤジが昭和50ねん頃、鹿児島市尋ねた時は
まだ大久保の銅像無かったらしく
愕然としたらしい…
145名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/14(水) 00:44:07 ID:vtCN8ThZ0
命日age
146名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/24(土) 00:55:00 ID:uWzHamIz0
命日の日に地元で顕彰祭が行われたらしい。



大久保利通の没後130年、鹿児島で顕彰祭…再評価へ動き
http://kyushu.yomiuri.co.jp/news/national/20080515-OYS1T00208.htm

大久保公 没後130年 顕彰祭
http://mytown.asahi.com/kagoshima/news.php?k_id=47000000805150002
147名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/24(土) 11:36:21 ID:eHwBrOPm0
田中河内介殺しとか、
幼いころ河内介に接したことのある明治天皇の前でそれを暴かれて、暴いた人間を左遷したとか、
函館の榎本軍征討の総大将に、謹慎中の慶喜を引っ張り出してきて勤めさせようとしたとか、

いろいろなエピソードがあるけど、

江藤新平の梟首写真を内務省の自分の部屋に飾った。

この男の人間性を語るのには、この一事でじゅうぶん。
148名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/24(土) 18:27:10 ID:yXwfkK/H0
信長が浅井朝倉の髑髏杯を作ったようなもんで
酒ロクに飲めないくせに

西国の反乱を喜んだのは、維新の最後の宿題=不満分子の一掃がこれで
完了すると思ったからだっしょ。秀吉は朝鮮まで攻め込まにゃならんかったが、
自分の時にはそれをしなくてすむと。
149名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/27(火) 05:09:11 ID:Yj+WCHI60
徳川家康を尊敬してる人だったんでしょ
虚勢とは縁遠いと思うけどなぁ
150名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/01(日) 21:34:39 ID:W/H0RiD80
普通に大久保利通は過小評価されすぎていると思う。
近代文明に恩恵に浴している人間は少なくとも西郷と
同等の敬意を示すべきだと思う。
西郷と大久保の両方があの時代に存在しなければ日本はロシアの属国
になっていたと思う。
151名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/02(月) 05:07:57 ID:meAg5VJu0
保守的な政治家だが、一旦良いと認めれば、受け入れる柔軟性があった。
152名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/02(月) 08:59:23 ID:meAg5VJu0
木戸、大久保が憲法制定まで長生きしていれば、軍隊のシビリアンコントロール
も、強力な首相権限も実現していたであろう。
153名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/04(水) 04:40:45 ID:e2u6O6ze0
帝国議会の中でこの人の姿が見受けられれば
さぞや面白いことになったろうに
154名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/07(土) 15:18:54 ID:Vo+REwwi0
「非義の勅命は勅命にあらず」

さんざん勅を偽造した奴がこういうこといって、恥かしくないのかね。
155名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/07(土) 16:25:54 ID:dVLIN1/10
>>154
天皇なんて飾りですよ
馬鹿な人にはそれがわからんのです

by.織田信長・豊臣秀吉・徳川家康・桂小五郎・大久保利通・西郷隆盛

馬鹿な人代表→松平容保
156名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/07(土) 17:56:43 ID:Vo+REwwi0
いや、勅をもてあそぶなんてのは別に構わんのよ。
問題なのはさ、こんな事言っていかにも「俺は正義派だぜ!」みたいなふるまいだけど
その実態は…ってことで、その偽善性が滑稽というか、寒過ぎる。

157名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/07(土) 18:08:18 ID:dVLIN1/10
待て
大義名分と本音の使い分けだったら幕府も会津も薩摩も長州もやってる事じゃん
158名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/07(土) 18:52:29 ID:PfBeY0MaO
西郷は本音で勝負、それが後期に仇となってしまったが、
そーゆーのキライじゃない
159名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/08(日) 04:11:58 ID:VCD+ejA30
>>154
融通無碍。昭和の軍人とは大違い。
160名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/08(日) 05:04:15 ID:jT0Sv6dv0
そうかな
石原莞爾と多少被ってる気も
161名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/08(日) 12:02:31 ID:7jrmxuXQ0
西郷との仲のよさは異常だな。
紀尾井坂で襲われたときも胸には西郷からの手紙があったとか。
162名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/12(木) 14:18:03 ID:GHriM+0Y0
ロッキード事件の丸紅の専務さん。


 大久保利春さんだったかな?  大久保利通卿の子孫なんだろ。
163名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/13(金) 01:12:08 ID:cCDPp5O3O
そう、曾孫だったかな…?無関係だけど、ライシャワー駐日大使の後妻になった日本人女性は
松方正義の子孫だったよな
164名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/13(金) 02:04:25 ID:qXNF2+uc0
>>160
石原は目先のことしか見えない誇大妄想狂。
大久保は現実的な長期的ビジョンを持っていた。
165名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/13(金) 02:39:40 ID:GFDINJvY0
石原は満州事変で下剋上した後がなぁ。
日支事変のとき武藤か誰かに言われたという台詞にはワロタw
166名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/13(金) 03:45:14 ID:iEMOz0HEO
豚骨ラーメンおいしかですよ。紅ショウガがうまか!!
おいは具は焼き豚と海苔とキクラゲが好きよ。
薬味はネギと紅ショウガね。
マジうまかさ。スープのたまらんもん。あんにおいがよかね!
ああ〜また食いたくなってきた〜。
明日も食うけん!!
167名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/21(土) 10:08:12 ID:EULW3bte0
>>165
支那の挑発にのらずに、真の意味で五族協和の満州国が発展していれば、
石原の理想もあながち夢ではなかった。
168名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/08(火) 22:11:11 ID:qsUratG+0
大久保が優れた政治家だと言うのは認めるが、
薩土提携や密勅降下、鳥羽伏見の前の段階で武力討幕にどの程度成算があったのか?
いまいち感覚が分からない。失敗したらどうするつもりだったんだろうと思っちゃう
台湾出兵も結果はいいけど最初から対清交渉で収拾できる成算があったんだろうか?

まあ日本に限らず動乱期の政治家は時代の風に多少とも染まるし
外交は内政の延長と言ってしまえばそれまでなんだが
169名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/11(金) 21:51:12 ID:/LjeMpgy0
鳥羽伏見の戦いで、薩長に勝算などあろう筈がない。
あの戦いは天皇を担いで西国に逃げ、薩長側に天皇がいる状態にするという構想だったのだ。

それを旧幕府軍が勝手に負けた。だからそのまま日本政府と名乗って日本を統一したのだ。
170名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/13(日) 01:26:49 ID:itYFhGsd0
つっても、長州戦争でも数倍総兵力じゃ十倍以上の幕府軍相手に全戦線で優勢を保ってるし、
何かしら勝算はあったんじゃなかろーか。
戦略立案してたのは誰だろう。伊地知?大村?

錦の御旗だけでどれだけの藩が味方してくれるか分からない状況じゃ、天皇の拉致ってのもどれだけ効果があっただろうか疑問だ。
平氏は最期まで安徳天皇を擁していたが、結局滅びた。
171名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/13(日) 21:33:16 ID:XvsHP0VE0
>>162
あの人は利通が京都のおめかけさんに
生ませて認知した子供の家系だっけ?

>>170
あの時は後白河という化け物がいたから、
高倉や安徳は傀儡ということが源平ともに
了解してたと思うがな。
しかも平氏が京から退いた後、後鳥羽が即位し
2年間、安徳とダブってる。
172名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/13(日) 21:49:49 ID:q2m3R+770
西郷と一緒に下野しなかった従道、大山、黒田、川村達は大久保派
と思っていいのか?
173名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/13(日) 22:10:03 ID:XvsHP0VE0
>>172

従道、大山、黒田は維新後すぐに欧米に留学、視察に
行ってるから薩摩くんだりに戻って何が
出来るんだという気分だったかもしれない。
あとは西郷チルドレン?の桐野や篠原たち
と合わなかったということもあるんじゃ?
174名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/14(月) 00:12:43 ID:3TiZIOjs0
従道は兄と一緒に帰るつもりで用意までしていたが
西郷がお前はここに残って大久保を助けてやれって
言われてやめた、と本人が語ったと従道子孫の
書いた本にあったような気がする
173のような気持ちも、諭されてやめた面もあったのかも。

従道はもちろん黒田とか大山は西郷を政府に戻したかった
みたいだけど、大久保はそこらへんいまいち解らないんだよなー
175名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/14(月) 02:32:03 ID:z/VdiMyY0
ロッキードの人は、お妾さん系統なんだ?
大久保の、家に帰ってきたときに、牧野とかが靴脱がせようとして
それをさせまいとして足に力いれる、って話好きだな。なんか泣ける。

大久保は、岩倉使節で伊藤と一緒に日本帰ったのが無駄足になったやつ、
あれは文句言ってないの?大久保よく知らないんだけど、あそこで文句
言わない大久保ってスゴいと思ってるんだけど。
176名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/14(月) 05:09:09 ID:tJzJnIoFO
小御所会議 大久保は長州の奴らと喧嘩していた。
177名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/14(月) 05:37:31 ID:tJzJnIoFO
>>176土佐藩 後藤象二郎と大久保です。
178名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/14(月) 19:57:11 ID:4YyjMJkl0
鳥羽伏見の戦い以前の小御所会議に、長州が出席する余地はないよ。
小御所会議では、幕府を解散した徳川慶喜に対する領地収納命令と、長州への朝敵取り消し認定が同時に議決され、
これに応じた長州藩主上京のための長州藩の護衛兵が、そのまま鳥羽伏見の長州軍になったのだから。
179名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/18(金) 21:45:12 ID:igqbgbfx0
小御所会議で喧嘩してた相手は容堂公と春嶽公じゃね?
180名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/20(日) 09:32:54 ID:iFceehWv0
大久保は確かに最高最強だけど、幸せな人生は西郷な気がするな。
私欲に走らず孤高を貫く人生はさぞかし辛かっただろうね。
閣下、安らかにお眠り下さい。
181名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/20(日) 21:03:56 ID:qa8LNHgB0
大久保があと20年も生きてくれれば、伊藤や山県等の俗物がのさばる事も
なかったろうにな。

182名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/21(月) 06:33:41 ID:UKIC8fWl0
>>181

20年は短い。

大久保の寿命より山県の息の根を止めるのが
先だったと思うが、西郷下野後の人材不足で山県は台頭した。
結局、伊藤も山県より10年以上先に逝ったから、
山県の天下になったわけで。
183名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/21(月) 10:28:09 ID:Rt9dZAEw0
>>180
西郷は大久保と比べてもとても幸せではなかったように思うが・・・
184名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/21(月) 17:41:22 ID:9/kjJ41H0
単なる出世欲がすごかっただけだろw
所詮下級武士や地位の身分が低いやつらは
上昇欲が強い ただそんだけの男だよ
185名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/22(火) 08:19:07 ID:l7WAIwHS0
>>152
すごく重要なレスですね。
天皇がいても、もっと首相の権限を強くすべきだった。(今もそうだけど)
日本は天皇が存在するから、独裁者が育たない体質があるけど、
責任の所在があいまいだし、強い指導力も発揮しにくい。
昔から合議制の国だし、官僚が政治家より強い。
大久保亡きあと、長州閥の悪い部分が国を滅ぼし、現在も残っている。
明治憲法に隙があったのは確かだけど。
日本人は大久保(論理)よりも西郷(感情)の方向に行ってしまいやすい。
186名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/22(火) 13:22:24 ID:QsJnZIwU0
出世欲だけで、人間はあんなに働けるものではない。
そーやってはじめから否定的に見て、いきなり拒絶してはいかん。
こいつ、気に入らん!と思う奴でも、どこかしらに、名を残しただけの
魅力があるもんなんだよ。
大久保はかっこいいぜ。とりあえず、講談社学術文庫の「大久保利通」を読め。
安くて、手軽に手に入るからな。
その本に書いてあるのは、全て真実ではないとも思うが、
それでもこいつ出世欲だけのいけすかん奴!と思ったら、
そのとき改めて話を聞こう。
187名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/22(火) 23:35:26 ID:vBOr3QdP0
>>183
確かに西郷は憤りをたくさん抱えてはいただろうね。
でも決して孤独ではなく、プラスの感情もマイナスの感情も表現すれば、
それを受け止めてくれる人間は幾らでもいただろう。
大久保は己の感情を殺してひたむきに政治と向き合ってた。
それは単に出世欲の一言で片付けられないと思う。
やっぱあるがままの自分で生きることが人間1番幸せだよ。
188名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/22(火) 23:39:20 ID:zJq/p1An0
最後のほうは農作やってたし、何より自分の最期を自分で予期できてたしな。
189名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/23(水) 19:31:36 ID:q+fVdH6f0
>>185
首相権限の話は他のスレでも結構出ているけども微妙だと思う。

昭和に入ってから陸軍統制派が国政を掌握したのは合法的手段。
もちろん昭和初期のテロ・クーデターという手段で陸軍に対する恐怖感があったのは事実だけど、
東條は多数のポストを兼任したり天皇の信任を取り付けることで独裁に近いぐらいの権力を手にした。

統制派は合法的に国政を握るまで政党勢力や新興財閥などと合掌連衡しながら、
少しずつ影響力を強めた。

最初は統制派と拮抗する勢力がいたが、
統制派の術中にハマったり天皇の叱責を受け失脚して統制派が残った。

ポスト毎の権限ウンヌンより、
政策・支持母体が異なる勢力が複数存在することで
右にも左にも舵を切れる状態を常に保つバランスこそが大事なのでは?

抽象的な話になってしまったけど、俺の言いたいことなんとなく伝わるかな?
190185:2008/07/24(木) 06:25:20 ID:D07n1LDS0
>>189
>右にも左にも舵を切れる状態を常に保つバランスこそが大事なのでは?

もちろんバランスは必要ですね。
風見鶏と罵られようと、日本は小国だから。

>政策・支持母体が異なる勢力が複数存在することで

現在はどうなんでしょうか。勢力があればマスメディアと検察・警察を押さえているのかな?


あと、統制派は官僚だし軍人は政治に関与してはいけないですよね。
日本は宮内庁の職員が政治に注文をつけるとんでもない国。
前の呼称でいえば、大蔵・建設・厚生・通産省等が戦前の軍部のように思える。
憲法を守る国じゃなくて、変えることができない国。
パチンコが賭博ではない国。風俗が売春ではない国。
海上自衛隊より海上保安庁が活躍する国。
責任をとる勇気のある人が育たない曖昧な国。
明治や戦後など以外は中央集権が必要ではない国。

それとは関係ないですが、英国は政治主導なのでしょうか?
191名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/24(木) 21:48:20 ID:2I4FZHNG0
英国はファンド主導ですw
192名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/24(木) 23:02:24 ID:A6oKMNQg0
>>191
ワロタw
193名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/24(木) 23:04:10 ID:gPo3Dm750
金融立国というのは国である必要性が弱いのが。
194名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/29(火) 19:12:10 ID:/SGGfypg0
渋沢栄一をいじめて新政府から追い出したんだろ
195名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/05(火) 00:19:33 ID:trh1MYcd0
井上や渋沢は、政府なんつーとこより、もっとおいしい世界に興味があったんだよ。
あの時期に政治なんかしてるのは、よっぽど物好きだと思うよ。
造幣局より、銀行のが魅力あるだろ。造船のオーダーする方より、それ作ったり
売ったりする方が面白いと思うんだよな。
大久保や木戸は、武士は金融だの産業だのに関わらない世代の人だから、政治にしがみつかれて
やめるにやめられなくなってるだけで、他のことしたかったんじゃないかね?

金がほしい、という意味ではなく、面白い仕事ができるという、そこの部分
明治の初めに関わった人は、みんな興味あったと思うけどなぁ。
196名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/05(火) 22:31:05 ID:XZXj7TpV0
>>182
伊藤は死ぬ前に山県にすでに負けていた
子分をたくさんつくった山県と、取り巻きが少なかった伊藤の差かと
197名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/10(日) 09:23:36 ID:oykVbgGQ0
大久保一蔵vs原市之進の陰険対決

慶喜将軍就任運動でも、兵庫開港でも、大久保の完敗!
198名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/11(月) 00:31:20 ID:QWsWDtwI0
週刊文春に麻生太郎の対談が載ってた。
大久保利通の名前も出てたyo
199名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/11(月) 18:21:27 ID:a8I6rf3e0
幕末の人物に己を擬す政治家って恥ずかしくないのかね、あれ
200名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/11(月) 22:32:37 ID:2JJX1mhd0
麻生さんは自分をやんごとない身分と思ってるので仕方ない
201名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/12(火) 03:46:35 ID:KovdJtz10
大久保利通(講談社学術文庫)買って、斜め読みした。
面白いが、江藤についてほとんど触れてないのは、やはりアンフェアだな。
202名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/12(火) 10:19:47 ID:Yu9QBBIX0
>>199
>>200
バカ??
麻生は大久保と血が繋がってるんだが。
その流れで名前が出ただけだよ。
203名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/12(火) 17:35:07 ID:bLGrv6Sq0
>>201
大久保の身辺に居た人物の回想録の再出版だから、
フェアとかそういった趣旨の書物では無いことぐらい、
読んで判らないのでしょうか。
204名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/12(火) 20:16:34 ID:LboFH3l+0
江藤新平の人生にとっては大久保利通は最重要人物でしたが、
大久保利通にとって江藤新平は、能吏崩れの扇動反逆者に過ぎなかったのです。
205名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/13(水) 22:59:08 ID:W0eW8T9E0
幕末における薩摩の宮廷工作が書いてある書物ありますか?
長州は薩摩ほど動いてはいないのでしょうか?
三条実美は長州派でしたよね。
206名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/14(木) 02:25:28 ID:B2blSBtk0
日記に江藤の悪口書いてたんだよね?
しかもずっと江東と字を間違えてたとか・・・
わざとなのか他意があったかは不明だけど。
なんで嫌いだったんだろう?
207名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/14(木) 11:45:25 ID:kDZzQE6d0
渋沢栄一の伝記では徳川慶喜は情に篤い大人物で、
大久保は財政に無知な「陰険な分からず屋」江藤は「頑迷」でいっしょくたの扱い。
井上馨は豪放磊落な好人物。
という書き方だけど由利公正あたりから見たらまた違う評価なんだろう。

でも大久保の伝記では慶喜はもれなく不誠実な小人扱いで
倒幕の密勅や江藤関係は、なんかもう正当化に必死だな、という感じだ。
非は非として書けばいいのにと思うけど。
208名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/14(木) 11:58:04 ID:1o3SQpG+0
>>206
当て字は当時多かったしね。
手紙とか読んでても「これ誰だっけ?」っていちいち音を気にしながらよまなくちゃならない。
209名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/14(木) 12:12:03 ID:b7gmzQpqP
当て字は本当に困るよね。けど利点もある。
例えば「坂本龍馬」をしょっちゅう「良馬」と
当て字で書いてた桂か勝(どっちか忘れた、ごめん)のおかげで、
あの名前は「りゅうま」ではなく「りょうま」なんだな、と
後世の我々がわかるということもあるしな。
210名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/25(月) 20:10:11 ID:agW5opqUO
この人が木戸を必要とした理由がわからん
やっぱり長州抑えとく為?それだけ?
211名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/27(水) 05:01:31 ID:YEEnwMeY0
言われてみればそうね
212名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/27(水) 06:13:14 ID:oMN9H9pW0
革命政権の片割れ軽視とかありえないんですけど
現代視点から俯瞰して木戸はさしたる人物ではないと思ってるかもしれんが
213名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/27(水) 09:30:42 ID:js+DYjfKO
木戸は長州、薩摩兵の上洛の手筈を整えるだけでもかなり色んなところに手をまわしている。
それだけ顔が利いて抜かりなかった事を見るだけでも、
木戸がタダ者でなかった事が分かる。



討幕前夜という時点で見れば、西郷も他藩に顔が利く存在だったのは間違いないが、配流されている間に西郷の多くの知己はこの世を去り実務をスムーズに進めるのは難しい状況。


大久保は雄藩の人々の間では知られる存在になってたけど、
木戸と比べるとまだ知名度はなかったようで他藩との会談では「西郷は〜」「小松は〜」というように同藩の知名度のある人の名前を利用しながら話を進めてる。


印象論になるけど、大久保が大きな存在になるのは挙兵〜内務省にかけてだと思う。


それまでは西郷の補佐、実務者として動いていた感じ。
214名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/27(水) 09:48:11 ID:pkDd+p5N0
大久保は名前で損してるよ。「大久保」だけ書いてあると、
一蔵なんだか一翁なんだかわからん。書いてあっても間違う。
自分は木戸と大久保はいいコンビだと思うけどなぁ。
木戸がもっと健康で、二人ともあと10年生きてたらなぁ、と思う。
というか、久光がもう少し早く死んでくれてたらなぁ。。。と。
215名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/28(木) 00:07:24 ID:YexasqKv0
幕末は、薩摩の窓口は、小松と西郷で、
小松が薩摩内部をまとめ、西郷が兵をまとめてたといった表の働きに対し、
大久保は、京都で岩倉と朝廷工作。いわば裏の仕事をしていたといった印象かな。

西郷と大久保の力関係が逆転するのは、やっぱ、明治6年の政変後で、
内務卿就任後は大久保の独り舞台なんだろうな。
やっぱ、岩倉使節団との洋行が大久保を変えた。何かを持ち帰ってきたんだろうな。
216名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/28(木) 14:19:32 ID:1I6FgjOH0
>214
自分も大久保と木戸はいいコンビだと思う。
木戸は大久保とどんなに意見が衝突しても、大久保あっての
政府であるという考えは変わらなかった。
大久保を蹴落とすとか、他の人間と組むとかいう発想は無か
ったようだ。
(あくまでも大久保主導の政府で、自分の政策を実行したかった)

217名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/29(金) 06:56:33 ID:MmBpqFpW0
色んな意味で、痛みを分かち合ってたと思うんだよ>木戸と大久保
お互い痔持ちだしなぁ....。
218名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/29(金) 15:10:19 ID:AMBOtz3t0
大久保と岩倉の朝廷工作は、天皇とかに話が及ぶし、
あまり研究されていないのでしょうか?

よい書物があれば読んでみたいのですが。
219名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/29(金) 20:32:15 ID:qcGIH7570
>>217
俺も先週仲間に加わりました。
ボラギノール(ステロイド入り)を3日塗ったら痛みは治まった。
でも肛門付近に小豆ぐらいの異物が…。


>>218
慶応年間の朝廷工作に関しては、
徳富蘇峰の近代国民史のシリーズでたくさん書簡もされて
わかりやすく解説されてる。
でも絶版…。

大学の図書館とかだと蔵書として持っているところ多いと思うんだけど。
220名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/29(金) 23:34:17 ID:YoSAXNKa0
やったな!明治三ケツ!>219
221名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/30(土) 01:37:59 ID:NnPCwKRv0
誰がうまいことを言えとw
222名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/03(水) 19:33:03 ID:t7znKCs2O
大久保も痔だったのか
なんか親近感
223名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/04(木) 00:11:14 ID:tusdUWkr0
維新ファンの間で、痔が市民権を得そうな予感。
224名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/04(木) 06:39:57 ID:y0RJZupP0
痔がデフォになるのかw

>>216
大坂会議の後で板垣が大久保失脚させて政府牛耳ろうと持ちかけて来たのを断ったら、
板垣があっさり下野したんで激怒してたなw>木戸
有司専制と議会設立で対立しながらも、国の危機には一致団結してた辺り、面白いコンビだと思う。
225名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/07(日) 18:33:08 ID:Y1FtDPao0
>>222
当時の新聞に「大久保閣下はお尻のあたりにおできのようなものができた
らしく閣議をお休み」という記事が出ている。たぶんおできではなく痔のせい。
226名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/09(火) 10:21:37 ID:BnZRlL1H0
>>202
麻生太郎の父親の正妻が大久保の子孫なんだから、麻生太郎に大久保の血は入ってないよ。
227名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/09(火) 12:23:49 ID:ynGeU3gu0
ってことは吉田茂の孫っていうのも嘘なの?
228名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/09(火) 13:09:33 ID:l/x/OwFH0
吉田茂の子の義理の子、ってこと?
(初めて聞いた・・・)
229名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/09(火) 14:15:58 ID:+XTuMXKiP
父親の正妻が…って、
麻生の母親は後妻なの?
230名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/09(火) 16:52:50 ID:zLaEQzN00
麻生が妾の子だとか、いかにもネットのうわさにありがちなことを
もったいぶって言いたいだけじゃね?
231名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/09(火) 18:28:28 ID:icImfySZO
誰の子とかが問題でなく、その人が、どうなのかが問題でしょ。
232名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/09(火) 23:24:39 ID:eSkq10MH0
いや、大久保のスレだから、大久保の血族か婚戚なのかが問題だと思うが。
233名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/10(水) 00:25:23 ID:wttGOYhcP
だって麻生本人いろんなところで
吉田茂の孫ってネタにしてるからねえ。
あまり大久保は発言中意識してないようだけど
今後はわからないよ。
歴史ファンにもすり寄ってくるかもしれないじゃんかw
234名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/10(水) 01:57:07 ID:RE2AoJQ90
そりゃ牧野や大久保よりは、間近で接した吉田について多く語るだろうさ。
でも大久保に言及してるインタビューも読んだことあるぞ。
235名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/10(水) 17:04:10 ID:WepB3wfv0
ご指名ありがとうございます
トシミチでぇすッ
236名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/10(水) 23:33:20 ID:XwTMM+xT0
大久保が山縣くらいに長生きしてたら
何が変わって何が変わっていないの?
237名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/10(水) 23:43:21 ID:NQWa6cKG0
大久保が禿を隠さないでいいようになったと思う。>236
238のうたりん:2008/09/16(火) 07:02:19 ID:DL5Buz7N0
どうでもいいけど、痔主たちよ、早めに手術しろ。でないと術後すげー苦しいぞ。
元重症痔主より
239のうたりん:2008/09/16(火) 07:03:48 ID:DL5Buz7N0
どうでもいいけど、痔主たちよ、早めに手術しろ。でないと術後すげー苦しいぞ。
元重症痔主より
240名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/29(月) 15:47:53 ID:BzNvgFc+0
ジュール・ブリュネ 1838年フランス生まれ 元フランス陸軍参謀総長   

エコール・ポリテクニーク卒業

「ラスト・サムライ」のモデル

1862(文久2)年からメキシコ戦役に従軍し、プエブラ攻城戦での功で24歳という若さで、レジョン・ド・ヌール勲章
・シュバリエ章を授与される。画技において抜群な才能をもち、戦地において描かれた、
そのデッサンはフランス国内中に公表された。

幕府からの要請によって創設されたフランス軍事顧問団の一員として、慶応3年(1867年)来日を果たす。

しかし、軍事伝習開始後一年たらずで鳥羽伏見の戦いが勃発。ブリュネらはフランス本国の命令により中立の立場を
とることとなる。新政府から使節団の国外退去の旨を伝える書簡を受けとったフランス公使ウトレイは帰国を決定する。
しかしブリュネはそれに賛同できず、横浜のイタリア大使館での仮面舞踏会にカズヌーフ伍長とともに出席し、
舞踏会を抜け出して東北へと向う。その後「開陽丸」に乗り込み榎本武揚の旧幕府脱走軍とともに箱館に入り、
軍事顧問として従軍する。この時、ブリュネは上司であるシャノワンヌ大尉の机の上に、フランス皇帝ナポレオン3世に当てた手紙を残してきた。
ウトレイ公使やシャノワンヌ大尉、延いてはフランス本国に迷惑のかからないように辞表を出していた。

箱館で旧幕府の海軍副総裁・榎本武揚の行動を支援し、軍事的防衛の援助も行う。

五稜郭に立て籠もる旧幕府脱走軍を新政府軍が攻撃し、五稜郭は陥落、榎本武揚らは投降した。
ブリュネらは陥落前に箱館港に停泊中のフランス軍艦「コエトローゴン」で箱館港から脱出し、
フランスへ連れ戻されるが本国においてはブリュネの心情を理解するフランス国民の後押しにより軍事裁判に
かけられることはなかった。

1869年、普仏戦争が勃発して軍に復帰することを許され、セダンの戦いでプロイセン軍に包囲された仏軍は
ナポレオン3世以下全軍降伏し、ブリュネも捕虜になる。
1871年パリ・コミューンでの鎮圧に参加する。
1898年フランス陸軍参謀総長に就任する。
241名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/02(木) 23:13:49 ID:WoO6biNP0
>>236
実際、大久保がそれくらい長生きしていたら第一次護憲運動や政党政治、政党内閣
に向けての流れをどのように感じたかは気になるね。
242名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/02(木) 23:21:34 ID:XBElJeZ9O
>>240
ラストサムライ
題材した時代が1877年あれ西南戦争だね。
明治天皇がでてるし
243名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/03(金) 00:04:04 ID:9VOUKDeU0
ってことは、真田広之は桐野?
あの一人だけ英語うまい新政府の偉い人はモデル誰?
あと、機関銃止めて、もういいじゃないですかっていうのは誰?
日陰さん?
244名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/05(日) 18:20:09 ID:JZlUBbO80
ラストサムライ主人公→アーネスト・サトウ(著書の中で日本が近代化していく姿を嘆いている)
反政府活動した武士の親玉→西郷隆盛(実際は征韓論で下野だが、映画の中では徴兵制や武家解体政策に反対した不平士族のリーダー)
武士と対立した政府高官→大村益次郎+山県有朋/2=映画の人物

会津&新撰組ファンが不満がり、作家星亮一らは本を出して「ラストサムライは会津&新撰組だった」と捏造を始めている・・・
245名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/05(日) 18:23:12 ID:JZlUBbO80
ちなみに背景に南国的な大きなシダが出て来るけど、あれは南国薩摩をイメージした結果だそうで、
どうあがいても東北地方である会津には不似合いなシロモノだな。
246名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/05(日) 19:17:24 ID:VqKgbI7iO
>>244
まず、会津や新撰組はない。


映画【ラスサムライ】題材になった時代は明治時代1877年


士族の反乱(西南戦争)


何度鑑賞しても
文字クッキリ1877年と書いてある。
247名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/06(月) 02:03:49 ID:etsydsn90
映画の一人だけ英語うまい人、山県と大村足して2で割ったイメージなの?
1877年じゃ、いねーよ、大村...は置いといて、外見的には大山じゃね?
248名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/06(月) 08:17:37 ID:Uhp5RSIM0
大村いねーよって・・・
映画だろw架空の物語だよ
その物語の登場人物のモデルが史実では死んでいたって関係ないだろw。
あと、大村と山県有朋を足してに2で割ったような人物と俺は言ったんだけどな。
もっと解りやすく言うと、薩摩閥と対立した長州閥のトップという構図だよ。
特に、うそかほんどかしらんが大村は西郷隆盛を「足利尊氏の如き人物」と称したという逸話があるぐらい、
西郷を嫌っていたからな。
249名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/06(月) 08:44:39 ID:JGIhr+UEO
>>248
それなんて木戸?
250名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/06(月) 09:09:14 ID:Uhp5RSIM0
ウゼェなぁ、木戸も入れたければ入れとけば良いだろw
んじゃ、木戸と大村と山県を足して3で割った人物がモデルって事にしとけ
251名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/09(木) 02:19:59 ID:XXosXtcG0
ようするに長州人、でいいじゃんw
252名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/10(金) 08:29:14 ID:ZsiIuYpV0
高杉が生きてたら誰よりも痛烈に西郷批判しただろーな
253名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/11(土) 02:38:46 ID:+DawB1Wy0
長州人は偏狭の気味あり
254名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/14(火) 06:48:04 ID:l0L9W1570
木戸も大久保も西郷の説得に行こうとしただろう。
明治政府の首班両名を引き止めるのに奔走した伊藤の心労はプライスレス。
255名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/16(木) 19:58:18 ID:1bYKjML80
誰か大久保が久光から一蔵の名を賜った日時を知らないか?
殿様(久光?)から貰った事や文久元年12月から翌文久二年3月(大久保利通文書より)までに改名した事は確かなんだが・・・。
講談社学術文庫の大久保利通に殿様から名を貰ったと妹等複数証言有り。
しかし殿様が久光か忠義か分からん。
御側役就任以前だからなぁ。
256たぶん:2008/10/19(日) 17:20:57 ID:6buDX9Gr0
忠義ずら。
257名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/22(水) 05:37:55 ID:I9BAy7zj0
>>250
ラストサムライの映画のパンフに大学教授が書いてる文には

「大村には岩崎弥太郎(三菱)と大久保利通のイメージがダブらされている。」

と書いてある。ちょっとショック…。
でも、この学者がそう思ってるだけで作り手がモデルにしたと言ってるわけでは
ない。

DVDの特典映像には、氏尾が街中で人斬り(首スパ)してるシーンがあったりする。
258名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/07(金) 05:24:59 ID:QspkFIaP0
全然関係ないけど今高杉晋作を演じさせるなら橋爪遼にやらせたい。
259名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/07(金) 05:45:56 ID:OfQmUraSO
山口県の大物?政治家は今もいるけど、鹿児島県は二階堂さんの他には??

大久保暗殺で薩摩終了っぽい…
260名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/08(土) 06:39:44 ID:2tlAZDj+0
てか、久光は殿様になったことないんじゃね?
261名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/08(土) 21:25:08 ID:Srzk+2r50
>>259
山中貞則
262名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/11(火) 19:50:25 ID:wsjb0See0
保岡は法律には詳しいが所詮島人の2世だしな
263名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/14(金) 22:22:08 ID:9nKn9ePu0
大久保利通大百科ってサイトがなくなってる・・・
264名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/15(土) 09:47:20 ID:VULERcfx0
西郷が2度目に下野した時は大久保と西郷が共に政治活動することはなかった。
大久保の側近には伊藤、大隈、吉井がいたけど
小松が生きていてくれたらと思ったからもしれないね…。
期待していた村田も西郷と下野するし。
265名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/15(土) 19:35:03 ID:s9I8OGbe0
旧吉田茂邸の庭園公開に行ってきた!
伊藤博文が建てた四賢堂(今は七賢堂)の
大久保肖像画も見てきたyo
266名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/16(日) 00:36:58 ID:2fR6HB1Q0
西郷が下野する際に大久保の家を訪ねたら口論になって二人とも物凄い剣幕で怒鳴り合ってたんだと
実際に見た人はビビって何も言えなかったそうだ
この直後に西南の役が勃発する
267名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/16(日) 21:35:57 ID:Aem0Ss+S0
直後ではないのでは??
西郷下野6年
西南の役10年…
つか、口論の場に居た人って誰なんだろ?
268名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/16(日) 23:26:29 ID:2+2bDds40
>>266
大久保家に伝わる話じゃ、二人は昔からしょっちゅう大激論してたらしいよ、怒って一方が帰ってしまうこともしばしば
んで数日後には何食わぬ顔で二人とも仲良く談笑してたりだったとか
この二人にとっては口論もコミニケーションの一つだったんでしょうなぁ。。。遠慮なく激論が出来る仲だったんだろね
269名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/16(日) 23:59:20 ID:0ojraSwC0
今でも田舎に行くととんでもない口喧嘩をした二人が
翌日には当たり前に一緒に酒飲んで騒いでたりするからな。
本当に言いたい事や言っておかなければ、
あとで大ごとになるようなことはその時に言う。

本気で何かをやろうとか思う人たちはそこが違う。
270名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/20(木) 06:53:05 ID:E+Sursm/0
>>266
それはたぶん
「西郷さあ、政府を放り出すのは卑怯すぎもはんか。東京に残ってくいやんせ」
「卑怯とは何か。おはんこそ閣議決定を速やかに上奏して可決せず卑怯ではないか」
「おまんさあが鹿児島に帰ったらあらぬ誤解を与えっとじゃ!分かりもはんか!」
みたいな乗りじゃなかったかな、よく覚えてないけど

で、後で「西郷と直接話をすれば今でも分かるのだ、なのに周囲がそれを止めるから困る」
と愚痴っていたそうな
271名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/21(金) 00:07:52 ID:iDYIyqy00
>>267
おそらく同席してたのは高島鞆之助

彼の著書だと、明治6年に大久保邸にて西郷と大久保が口論したのが、2人が
プライベートで会った最後だと記されている
もっとも2人の口論はしょっちゅうだったようで、高島も「口論する時の2人はまる
で子供のようだった」と言ってるところを見ると、やはり仲が良かったゆえの口論
だったのだろう

大久保の子孫の話だと「周りがヒヤヒヤしてた」って逸話が残ってるから毎回
かなり激しいもんだったんだろうなぁ
ちなみに大抵の口論は最初は大久保が穏やかに切り出し、応じる西郷がエキサイト
最後に大久保が拗ねて終わるというパターンだったらしい
悠然と構えている一般的なイメージの西郷と違って、大久保家では西郷はかなり
の短気者と伝えられてる
西郷も大久保の前では地の性格を出していたわけで、やはり気を許せる仲だった
と推測される
西南戦争勃発時に大久保が「私が西郷と直接話せば解決できる」と言っていたのも
あながち大久保の自惚れじゃないって事だわな

もっとも西郷を取り巻く薩摩兵児たちが会うのを妨害したろうし、下手すりゃ大久保
は西郷と会う前に斬られてたと思われる




272名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/21(金) 00:46:33 ID:qQx+KE+P0
補足有難う
273名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/21(金) 16:27:44 ID:+fMf9J8d0
>>271
「翔ぶが如く」で殺されるのを覚悟で西郷を説得しに行くと言って
伊藤らに反対されるシーンがあるんだけど、これはいくら何でも美化
されてるんだと思ったけど、そうでもないというわけですね。凄い人だな・・・
274名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/21(金) 17:13:40 ID:IvS076oX0
講談社学術文庫の大久保利通に出ている話で、戦場に行って、弾ががんがん飛んで来る
中を悠然と立って見てた話があるよね。いま、手もとに本がないんでうろ覚えだけど
その談話を出してる人は、大久保は軍人じゃないからひやひやしてるんだけど、
全然平気で、っていう話。あれ、かっこいい。
あと、牧野の話だと思ったけど、お父様がうちに帰ってくるとうれしくて、靴を脱がせようと
すると、それに逆らって脱がせまいとする、みたいないたずらする話とか、泣けたよ。
特別大久保のファンじゃないんで、そんなによく知らないんだけど、あの本はファン必読だよね。
安いしね。
275名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/21(金) 19:56:09 ID:E/k3WkBg0
>>274
この本は読み終わるのがもったいないくらいいい本だったな。
全部が本当ではないだろうけど(うろ覚えもあるだろうし)、人物像がかなり
見えてくる感じ。

弾が飛んでくる場所で平然としてた話は、自分は何か、ちょっとどこか変わった
人なのかな?と思った。

>>273
自分も先にドラマ見て、これは嘘だろ、と思ったら違ってた。
上記の本はわりと最近文庫化されたものだけど、以前から希少本としてあった
ということだから、脚本家は参考にしてるだろうなぁ。
276名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/22(土) 03:06:57 ID:bLSVKTxG0
NHKのその時歴史が動いた〜〜見た?
大久保、西郷、小松の友情関係、明治維新後の3人三様の変遷を紹介していたね
277名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/22(土) 03:11:43 ID:bLSVKTxG0
>274
>講談社学術文庫の大久保利通

作者は?
278名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/22(土) 05:24:19 ID:bLSVKTxG0
加賀藩士族に紀尾井坂にて暗殺さる  享年49 
279名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/22(土) 10:49:07 ID:4E32zaZh0
>276
その時歴史が動いたを見て思ったことは
頼りにしていた小松が早世して
大久保や西郷は辛かったと思うが
小松は西南戦争の悲劇を知らずに亡くなったのが
よかったのかそうでないのか…と
考えさせられる気がした。
280名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/22(土) 14:24:28 ID:WwbzMjMF0
俺最近まで小松ってそんな功績あるとは思ってなかった。
大久保利通は、冷徹であっても、冷酷ではないと思う。
まあ、西郷じゃなく大久保なら弾薬庫(武器庫?)襲った
私学校生徒を政府に引き渡してたろうが。
281名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/22(土) 15:43:51 ID:ebC11Inl0
>>277
佐々木克 編。
大久保を直接知っている人へのインタビューを集めた報知新聞の記事を
まとめた本。なので、作者という人は存在しない。
282名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/22(土) 19:51:17 ID:xvOoxinn0
>>274
あの本最高だな。
大久保在世時は、内務卿室は威厳に満ちていたのに没後伊藤が継いでからは
芸者や仲居だのがうろうろして「昨日の宴席はどうたら・・」と言った会話
が交わされ随分堕落したものになった、て話も大久保カッコええと思ったね。
283名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/22(土) 19:55:07 ID:bLSVKTxG0
>>281
ありがとう
>>282
>大久保在世時は、内務卿室は威厳に満ちていたのに

司馬作品にも子母沢作品にもその件が出てくるね

それまで談笑していた役人が大久保内務卿を乗せた馬車が玄関に到着し大久保卿が廊下を歩くと
喋り声が一時に鳴り止み省内は森山幽谷のように静まったという
284名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/22(土) 20:40:50 ID:AHtAmnfr0
怒鳴る桐野より、黙って話を聞く大久保や西郷の方が圧倒的な迫力があったんだろうな。
樺山の蛮勇演説みたいな事が起きちゃう時点でたった20年で
政府首脳の人物が以下につまらなくなったかが分かる。
285名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/22(土) 23:31:40 ID:aOJAsvgy0
佐々木先生も「敗者の明治維新」だけがなぜか有名になったのは本意じゃないだろうな
あとは、東京遷都とか歴史文化ライブラリとかでも大久保に触れてて、
そこではやや大久保びいきの気もするが、恩師が恩師だから仕方ないかw
286名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/23(日) 03:28:49 ID:ixN0qYam0
偉大な政治家がいてくれて良かった
不平等条約押しつけて来た欧州米国の首脳陣も日本を後発の国風情めが!
って露骨に馬鹿にした態度で接する事も多かったが
大久保公相手になると皆彼の威厳に打たれたのか礼を尽くして応対したと言う

大法螺吹きで有名だった土佐の後藤象二郎も「大久保と会話をすると岩石に砕けるような心持ち」になったものだと回想したという
議論をふっかけに行っても大久保の威圧感に出鼻を挫かれてほうほうの態で退出していく役人が多かったとも。
福地翁の言葉でしたよね、「公(=大久保)を見る事、北洋の氷石に遭うがごとし
 常に挙動を沈着にされていた」
287名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/23(日) 04:12:29 ID:m6xQ4mdK0
>>282
大久保もかっこいいんだけど、落書きしながら話を聞いてるくせにちゃんと
理解してて、きちんと返答する伊藤の話も面白かったりする。
288名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/23(日) 05:32:56 ID:ixN0qYam0
ここ、大久保を語る場だけど伊藤も凄いな 岩倉をして小僧程度にしか思わしめていなかったのに
西郷の渡韓の一件で廟議が再開されるまでの空白の間に木戸大久保岩倉の間をかけずり回って
一気に制韓策を潰してしまった功績大  大久保に認められたのも大きいな伊藤の政治手腕
289名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/23(日) 11:02:48 ID:RTCVIjID0
>>286
薩長同盟の後、薩土の間でも盟約を結ぶべく京にやってきた後藤は
小松帯刀を介して島津久光に面会。

この時の様子を小松が日記に記してた。
詳しい内容は忘れたが、
「後藤はひどく緊張しており頭から大量の汗をかきそれが首から肩にかけて流れていた。
後ろから見ていると着物の色が汗でどんどん変わっていきハッキリわかった。
声は大きいが震えており、何を話しているのかよく分からない。
小物だ…」的な内容。

維新後も政府で重要なポジションを任されなかったのも頷けるぐらい、
後藤は小物扱いw
290名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/23(日) 23:37:03 ID:RabEtoqn0
小松は日頃から西郷と接しているから
後藤が小物に見えても仕方がない。
…ちなみに幕末の頃は薩摩藩の先輩でもある西郷を
小松や大久保は尊重しすごく気を遣っていたらしい。
291名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 00:09:45 ID:djcbcYwl0
久光公も隠れた名君だからな
292名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 01:25:23 ID:RxXCEEHo0
大久保は本当に西郷が死んだとき泣いたのかね。
そういう資料あるけど

大久保って野心家だから 本当は西郷死んで喜んだと思うね。
薩摩はほとんど西郷に慕っていたから 大久保は内心嫉妬してたんだよ
293名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 01:48:17 ID:18ixC8a20
会津の人は嫉妬を相手に見つけようとするが、
それは所詮、当人の心の中にしかない。
294名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 01:55:17 ID:18ixC8a20
>>292
大久保利通は西郷軍決起の報を聞き、
「西郷隆盛の周りにいた馬鹿が蜂起した。
 西郷隆盛は彼らを押さえようとしていたのだから、加わってはいない。
 すぐに鎮圧して、西郷隆盛を救い出すべきだ。」と、急いで軍隊を組織しました。
その後、反乱の頭目として西郷隆盛がいることを知ると狼狽し、激しく否定し、落胆し、
以後の指揮は別の人間が取ることとなりました。

僻みと史料に反する偏見で物事を主張するのは、佐幕派と呼ばれる人の最も悪い癖の一つでしょう。
295名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 02:15:31 ID:wjTDXiew0
盟友西郷を撃つ時の政府軍の指揮者は山縣でしたっけ?
大久保は心中複雑だったろうね
296名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 04:46:04 ID:JWmjEwGZO
>>295
新政府軍にも元薩摩藩士がいたし
薩軍もまた薩摩藩士だった。
身内同士の悲しい戦争が西南戦争(士族の反乱)だったらしい。
大久保は新政府軍側で複雑心境で迎えたのだろう。
297名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 08:03:44 ID:wjTDXiew0
もう、ここらでよか 城山で自刃 西郷
翌年 西郷を崇拝してた加賀藩士族 島田、脇、長らによって紀尾井阪にて馬車から引き摺り下ろされ殺害さる  大久保

激動の最中、これからまだまだ明治日本を作りあげる重責を担うべき二人の明治維新の立て役者を失っちゃった

時代の馬鹿、大事な二人を消しおって 
298名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 12:45:41 ID:BxhnGugx0
昨日「壬生義士伝」を見たんだがちょろっと出てきた大久保の描かれ方は酷かったなあ・・・
原作の浅田か監督の滝田のどっちのせいかは知らんが大久保になんか恨みでもあるのか?
299名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/24(月) 13:09:06 ID:Q1ZL+v0C0
結局、いま征韓論政変の分析は、誰の、どう言う説が学界で評価されてる?
何か変な異説がからんでて素人には分かりにくい
よくまとまった書籍や研究者があったらちょっと教えて欲しい
論文は忙しくて読めないから、バックナンバーと概要だけお願い

>>294
大久保が当初楽観視する一方、西郷は政府にかなり不信感持ったみたいだね
下野以来の4年で大久保との疎隔は相当あったんじゃないかと言う指摘はある
300名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/25(火) 04:05:45 ID:hu4iAcbOO
どう考えでも、この人こそお札になるべきだ。
301名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/25(火) 07:35:25 ID:SCdxagWl0
為政者は無理だろう 西郷は(反乱軍の首魁者だけに言うに及ばず)
大久保を紙幣の顔にするって信長、秀吉、家康を札にしろって言うに等しいぞ

だいたい、権力者なんて自分が地位を昇りつめる過程でどんだけの人間を蹴落として
文字通り敵対する勢力を消した去ってきたか知れない

日本が近代化する過程で当時米と生糸産業しか殖産産業がなかった日本が
欧米列強の強大な実力に追いつこうと産業を起こし国の政体を手本に取り入れる
それまでの日本が経験した事のなかった大事業を支えたのが大久保だったのは認める
その功績は大きい  けど、大久保によって歴史上劣勢の地位に落とされた徳川関係者初め
消えていった人々にすれば許せないだろう
302名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/25(火) 08:01:59 ID:e2+xE6rWO
>>294
やむにやまれぬ大和魂ってかw
ずいぶんと大久保に都合のよいストーリーですね
303名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/25(火) 10:53:30 ID:Osv0Ejqv0
>>302
ストーリーじゃないと思うがどうだろう。
304名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/25(火) 11:30:34 ID:SCdxagWl0
国を守る為に政府軍を薩南の地に向けるのは政府首脳としては当然の施策
反乱軍側の首魁者が嘗ての盟友であり少年時代からの仲間だったという間柄だっただけ
大久保がやった事は至極当然 日本人は滅びの美学というか潔く散る死にざまに詩的美意識を感じるからな
幼馴染みで長じては倒幕運動、明治維新、新政府の廟堂にて盟友であった友を撃つ事に
友情、様々な思い出が去来し複雑な心境であったハズと想像するのは後世の人間の勝手なこじつけだな

大久保の不人気の原因の一つは西郷を撃ってしまった事が含まれてる
305名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/25(火) 12:20:11 ID:Jcjmc8y60
ていうか西郷暗殺は大久保の指示があったの?
あれは川路でしよ
306名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/25(火) 13:14:43 ID:hu4iAcbOO
>>301
そうかぁ…でも板垣や伊藤が有りで大久保が駄目ってのがどうも解せないんだが…自分だけかな。
為政者という点では伊藤は該当すると思うんだ。それこそ得体の知れない聖徳太子も然り。
そして自分的には信長・秀吉はともかく家康がお札というのは有りだと思っている。
まぁ家康のお札というのは聖徳太子のお札並に違和感があるが…。
307名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/25(火) 15:27:07 ID:Osv0Ejqv0
>>304
>友情、様々な思い出が去来し複雑な
心境であったハズと想像するのは後世の人間の勝手なこじつけだな

 資料を紹介している本からそう言っているんでこじつけってわけじゃないのでは。

 つか、このスレに来て浅いんですがこのテは無視した方がいいの?
308名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/25(火) 19:23:39 ID:Qq5JUjP20
史料で語ると、どうしても会津の人に評価が辛くなるせいなのか、
会津地域の人や、その地域を支持せれる方は、
小説や自らの妄想で誹謗中傷を貼って、これこそが真実だ、と主張される傾向があります。

>>292,301,302,304等は、妄想だけで何も事実を提示していない嘘だらけの暴論ですし、
会津や関東の某所にはこんな人がいて差別や中傷で日々を送っている、ということを認識すれば、
それでよいのではないかと思います。
309名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/26(水) 03:40:57 ID:f72mFxfL0
>308
>妄想だけで何も事実を提示していない嘘だらけの暴論ですし、

事実って何?

大久保が江藤と林を晒し首にしたのは「事実」
最後まで官軍に抵抗した榎本でさえ助命されたのにな 死罪だぞ

田中河内之介親子を小豆島近辺に海で(めった突きにして)投げ落としたのも大久保の指図

客観的な事実だけなら大久保が忍人と言われるだけの非道ぶりが窺われる行為だろ

大久保が西郷を撃つ時に私情を挟んだ、嘗ての盟友に対する思いでが去来したか?
というのは外野の勝手な憶測だろ まぁ、大久保だって人間だもん血も涙も通っているし断腸の思いで
政府軍を差し向けただろうね 実際の大久保の心中なんて本人しか分からない
 それは「真実」
客観的な歴史事実は大久保は古今稀に見る力量の政治家で嘗ての友にさえ兵を向ける事をしたって事だ
それが国を支える守る立場にある者に課せられた任務であり責任

自分は大久保の政治家としての才能資質は充分評価しているよ

けど、それと紙幣の顔に相応しいかどうかは又別個の次元の話だ

308こそ他人の米に対し>何も事実を提示していない嘘だらけの暴論ですし、
よくもこんな決め付けができるな 暴論ですか?そうですか
それと、大久保を語るスレですから、ここ

大久保まんせーの場じゃないですよ  大久保がやった事を客観的に語る場です
彼が西郷を撃つべく薩摩の地に兵を向けるにあたり(複雑な心中にあったか否か)
それは憶測であり「事実」とは関係ない事柄であります
310名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/26(水) 04:28:35 ID:ZXKzwUmG0
>弾ががんがん飛んで来る中を悠然と立って見てた

昔の人ってそういうエピソード多いよね。
311名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/26(水) 04:41:21 ID:ZXKzwUmG0
>>309
>嘗ての友にさえ兵を向ける事をしたって事

意味分からん。なんで「さえ」なの?非情って言いたいの?
312名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/26(水) 07:15:49 ID:f72mFxfL0
歴史的事実と偉人の(内面に秘めたる心理や悩み)も含めた「真実」は違うのかなと

大久保が不世出の政治家で日本史を俯瞰しても大きな転換点であった明治維新とその後の国作りに於ける
大久保の存在は計り知れないよ  彼は偉大な人物だ

313名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/26(水) 11:59:20 ID:3dMRmlTh0
>>309

>彼が西郷を撃つべく薩摩の地に兵を向けるにあたり(複雑な心中にあったか否か) 
それは憶測であり「事実」とは関係ない事柄であります 

 心の中でどう思っていたか、というのも、書いたものや周りの人から見た姿から
真実に近いことはある程度わかる、ということを否定はできない。

 人の頭の中にしろ、起きた色々なことにしろ、歴史って証拠を集めた上で「おそらく
これが真実であろう」というものの集合体だからなぁ。
 信憑性のレベルには色々あると言っても。(心の中よりも不確実な「出来事」もある
と思うよ。)

 別にお札になるならんは自分は興味ないです。

 むしろあんな手垢マミレになるものには、興味がある歴史的人物には、なってほしく
ないかも。
314名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/26(水) 14:19:37 ID:CMr8nzBL0
まぁ話を巻き戻す訳だが
>>282
品川やじの証言で、
「大久保の廟堂に立つに方り、各参議も卿輔もみな其の勢力威厳を憚り、大久保が可といへば之に同し、
否といへば之に従ひ、一人として直言抗議するものなく、之を切論するはたゝ゛木戸独りであつた、是が木戸の不平であつた」
ってのがあったね。

ぶっちゃけ、大久保は偉大だが直下で働きたくはないな。怖すぎるw
315名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/26(水) 14:26:53 ID:f72mFxfL0
一度否と言った案件は絶対覆さないんでしょ大久保は

吏僚が案件携えて大久保の部屋訪ねても「それはご評定になりますまい」
と断を下されたら二度と押してもダメだって

いいんじゃないですか 軸がブレないんでしょ
316名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/26(水) 15:23:34 ID:3dMRmlTh0
>>314
かと思うと、>282の本によれば、伊藤みたいに有能な部下に丸投げして細かいことを
言わないから働き易いと思う場合もあるらしい。

木戸は逆で指示が細かいので、有能な人はうっとうしくなってしまうという話。

色々だよなぁ。

自分が直下で働くことは、もし当時生きてても絶対無いからどうでもいい。(笑)
317名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/26(水) 18:41:12 ID:uZQpuYj10
>>309
当初殺される予定だった榎本が助かったのは黒田が西郷に頭を丸めて助命嘆願したからだぞ
318名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/26(水) 21:35:28 ID:OzBCCUPU0
>>309
よくこのような嘘が書けるものだと思う。
しかも無条件に相手の意見を踏み躙り、ソースは出鱈目。
相手を中傷するだけで、何一つ建設的なことを書いていない。
319名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/26(水) 21:39:08 ID:AKl23UIh0
大丈夫。
平成には田母神がいるぜ!!
320名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/26(水) 22:10:18 ID:IpBOAgiE0
大隈重信の回顧
西南戦争後に伊藤や大隈に「これまで色々あって思うように出来なかったが
これからは君達と大いにやろう!」
しかし程なく暗殺されちゃった。悲しいな・・・
321名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/26(水) 22:12:15 ID:RPx05fCj0

大久保w
紀尾井坂の変はわろたw
会津と西南軍の恨み思い知ったかw
322名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/26(水) 22:13:49 ID:wMQtIijrO
豚骨ラーメンおいしかですよ。紅ショウガがうまか!!
おいは具は焼き豚と海苔とキクラゲが好きよ。
薬味はネギと紅ショウガね。
マジうまかさ。スープのたまらんもん。あんにおいがよかね!
ああ〜また食いたくなってきた〜。
明日も食うけん!!
323名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/26(水) 22:20:13 ID:RPx05fCj0
薩摩うざい
324名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/26(水) 22:49:37 ID:mWRuDF6i0
西郷も大久保もバカ維新をしたからこうなる
会津の恨みは恐ろしいな
325名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/26(水) 22:52:46 ID:WGaovlOE0
維新当初の大久保が何の展望も持たないバカだったことは明らかだよ。
明治3年頃の明治政府は極度の財政難におちいり、
「非常之節倹ノ御布告」「冗官ヲ沙汰スル事」等々の政府組織の縮小を進める。
このとき中央政府の倹約を主張したのが大久保。
収税を直轄地だけではなく全国化すること(廃藩)を主張したのが大隈。
廃藩だけではなく文明開化や殖産興業を進めることが不可欠と批判したのが福沢。
要するに明治政府の中心メンバーはどうしようもない混乱状態だったわけで、
このまま大久保路線で進んでいたら明治国家は間違いなく破滅してた。
しかしその直後、大久保や木戸といったバカ集団は岩倉使節団として海外に遁走し、
邪魔者のいない隙に大隈が国家の大改革を断行することができた。
岩倉使節団はなんの役にも立たなかったと嘲笑されたが、
近代化の障害物を海外に放出したという意味では立派に役に立ってる。
326名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/26(水) 22:56:04 ID:VIi8TG+vO
江藤さんのことも忘れないでください
327名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/26(水) 23:01:18 ID:mWRuDF6i0
大久保は江藤さんの晒し首ブロマイドにしたんだよな
人間的に最低だよな、暗殺されて当然だよ
328名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/26(水) 23:56:16 ID:3j5c5wcs0
服部之総 著「明治の政治家たち」岩波新書

お薦めです。語り口が流れるようで、ブラックユーモアも
あって面白かった。1950年第1刷発行、1977年に第27刷なので
かなり読まれた本かも。明治政治史の素描なのですが、歴史家で
ある著者は、まえがきで「全力をあげて書いてみたいのは、大久保
利通、星亭、原敬の3人」と言ってる。この著者の書く大久保評伝を
読んでみたかった。
329名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/27(木) 00:33:39 ID:YZ2KcPey0
>>328
俺大学の時にそれ買った上下2巻だっけ?
星の可能性の大きさがとても印象に残っている。
330名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/27(木) 01:36:45 ID:YC+rSBqY0
そうだ、大久保は品性下劣也
331名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/27(木) 01:59:04 ID:ZtcWURDr0
江藤っていえば面白いことを本で読んだな。

江藤の弟が、たまたま東京に来た時に大久保の姿を見ようとして、朝、馬車の通る道で
待っていた。大久保の馬車が通った時に目があうと、大久保が表情を変えた。(真っ青に
なった感じ。)

それ以降、大久保は通勤のルートを遠回りの紀尾井坂に変えた。

江藤の弟は、兄にそっくりだった。

紀尾井坂は元々通っていた道よりも人通りが少なく、暗殺がしやすい場所で、結局
命を縮めることになった。

これが書いてあったのは、河出書房のふくろうの本というムックのシリーズ
「西郷隆盛と大久保利通」。元の資料は、江藤の近い子孫が書いた本だそうです。
(「江藤新平と明治維新」鈴木鶴子著)

このムックでは信憑性高いって書いてある。
でもどのくらい信じていいのかな。話としてはとても面白いんだけど。
332名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/27(木) 07:16:18 ID:SN51eIth0
318 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/26(水) 21:35:28 ID:OzBCCUPU0
>>309
よくこのような嘘が書けるものだと思う。
しかも無条件に相手の意見を踏み躙り、ソースは出鱈目。
相手を中傷するだけで、何一つ建設的なことを書いていない。

>ソースは出鱈目。

何処が出鱈目で何処がウソか言ってみろよケチばっかつけやがってよ

示現流で斬り倒すぞ
333名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/27(木) 07:55:32 ID:R0ccVSYK0
309は文章がキモイ
334名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/27(木) 09:02:34 ID:1jNTx14R0
キモデブ男死ね キモデブ男死ね キモデブ男死ね キモデブ男死ね 
キモデブ男死ね キモデブ男死ね キモデブ男死ね キモデブ男死ね 
キモデブ男死ね キモデブ男死ね キモデブ男死ね キモデブ男死ね 
キモデブ男死ね キモデブ男死ね キモデブ男死ね キモデブ男死ね 
キモデブ男死ね キモデブ男死ね キモデブ男死ね キモデブ男死ね 
キモデブ男死ね キモデブ男死ね キモデブ男死ね キモデブ男死ね 
キモデブ男死ね キモデブ男死ね キモデブ男死ね キモデブ男死ね 
キモデブ男死ね キモデブ男死ね キモデブ男死ね キモデブ男死ね 
キモデブ男死ね キモデブ男死ね キモデブ男死ね キモデブ男死ね 
キモデブ男死ね キモデブ男死ね キモデブ男死ね キモデブ男死ね 
キモデブ男死ね キモデブ男死ね キモデブ男死ね キモデブ男死ね 
335名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/27(木) 18:33:57 ID:7aWdPg8j0
大政奉還直後の超重要な時期に西郷大久保小松の薩摩トリオが京都を離れて帰国できたのは
原市之進がこの世にいなかったから

坂本竜馬の死は日記に一行で済ませてる大久保が、原の死は長文で記している。

>>298
浅田は大久保に対する以上に狂信的な慶喜アンチ・会津真理教信者だよ
早乙女・☆につづく会津商魂の系譜は確実にヤツに受け継がれてるな。
336名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/27(木) 19:32:34 ID:Hn62nS5v0
大久保は西郷みたいに人望がないので(それが悲劇的な死につながる)
自分より聡明で開明的な小松の早世を惜しんだひとりだと思う…。
西郷は自分の分身は多かった。
337名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/28(金) 03:14:56 ID:iiInrbMX0
人望あっても、結局は旧体制を改革せきない人だからなー・・・
338名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/28(金) 03:28:29 ID:POvdi14E0
>>331
この話、江藤のスレで読んだ覚えがある。

信憑性はわからないが、江藤のスレでは(小説やドラマに)使ってほしいエピソードだと
書かれてたような…。

江藤の件を「あれはしまった」と内心思っていたのが垣間見えて、自分はけっこう好きな
話。
339名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/28(金) 04:53:13 ID:ozZ/WaZs0
>>322
博多ラーメンの話はイイからさぁ。。。せめてスレ的に鹿児島ラーメンの話にしてよ
340名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/29(土) 16:03:36 ID:GbEgsJHP0
「大久保利通」は大久保の周辺にいた人の性格もうかがわれて面白い
特に西南戦争勃発時の千坂高雅(元米沢藩総督)と松平正直の証言。

大久保は西郷は大丈夫だ大丈夫だと言うばかりだったので
千坂が「それは実に困る。米沢だって奥羽の大勢に引きずられてああなったのだ」
玉石ともに砕かねばならぬ」と直言したら「ことのほか不興」だったらしい
みかねて松平正直がフォローして「久光と西郷を勅旨で呼び寄せて取り除けておいて討てば」
と言ったのに対して、千坂が激怒して
「戦争と言うのはそんなものではない。西郷だけ連れ出すなんて出来るわけがない」
と言ったら大久保の顔色が「普通でな」くなったので、正直が発言を制止したらしい

千坂は「こいつ(松平正直)も俺と戦争をして逃げた奴だ、戦争はしてみた者でなければ分からん」
と散々暴言を吐いて退席したが、
5,6日中に西郷参加の報を知って大久保は千坂に感謝した

以上が千坂談だが、松平正直の回想は優しいというか、大久保にひどく同情的。
千坂の性格がうかがわれて面白いね
341名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/30(日) 12:03:35 ID:lZy3KBd70
大久保が驚いたこと、嘆いたこと
驚いたこと
薩摩閥の後輩で期待していた村田の下野
黒田の妻殺し 驚いたというより激怒した

嘆いたこと
寺田屋事件
西郷と小松の死別…
342名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/04(木) 19:00:24 ID:6O+tK+h+0
大久保がやってきたことには光と影がある。
影の部分の最たるものが江藤の死刑。
ここでだれも触れていないのが不思議でしょうがないが
工部省を作ったことはとびきりの光の部分。
内務省を作ったのは影の部分かもね。
343名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/04(木) 23:28:03 ID:hkrOL1zK0
光を作るのに影が必要なんだ
344名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/05(金) 18:37:35 ID:VjoMfCbY0
江藤の処刑に関しては
・梟首の方針が既に3月初旬に河野敏鎌らにより決定されていた
・3月下旬の時点で大久保が征討総督の任を解かれ嘉彰親王が処断の命を受けていた
と佐々木克は述べているが一方で
「大久保は極刑執行に反対しなかった」とも認めている

江藤にしてみればいくら醜態笑止なりと言われてもそりゃびっくり仰天だろう
ここでは大久保は冷静さをかなり欠いている
司法職務定制によれば死刑相当の罪は本省送致が原則と書いてあるんだから
法廷で本懐を述べて裁きを待て、と思って山中たちを止めたのに、
その直後にいきなり判決、しかも梟首なんて野蛮刑の宣告と執行があるんだから
これだけは処刑方法の残忍さや裁判の恣意性と相まって、内外に印象の悪いやり方であるのは確かだな
345名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/06(土) 14:52:41 ID:U8Bs/v6M0
344さん、江藤に対する大久保の酷薄な処置を述べてくれましたが
江藤スレ過疎ってるんでそっちにも顔出してくださると嬉しいw

江藤が捕まってから板垣ですか?「我が身に変えても寛大な処置を乞う」って願いいれた形跡があり
岩倉と三条は「裁判の責任者が嘗て江藤のもとで寄宿していた事のある旧知の河野判事である」事で安心したとも

346名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/06(土) 18:36:23 ID:4wjhgURCO
江藤処刑はかなりの人が反対だったよなあ。
岩倉三條に木戸もだったっけか
347薩摩人:2008/12/07(日) 00:09:06 ID:G9WZw6Hf0
別にいいジャマイカ
南洲翁が江戸でテロ活動させた事も、大久保公が田中河内介親子を惨殺させた事も
黒田の妻殺しを黙殺した事も江藤を梟首にした事も

俺は一鹿児島人として薩摩が歴史に燦然と輝く大偉業を成遂げた事を衷心から誇りに思う
348名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/07(日) 00:35:47 ID:Bd+hqdCb0
鹿児島人w
349名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/07(日) 03:55:06 ID:CIU++qthO
太郎
350名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/07(日) 15:18:47 ID:WtdK/kgv0
小山ゆう;漫画、武田鉄矢;原作の「おーい竜馬」読むと
一蔵どんが竜馬が幕府側の人間と通じと見て警戒してるように描かれてる

大久保さんにとって坂本なぞ浮浪人程度の輩としか見てなかったろうけどね
351名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/10(水) 06:04:21 ID:QGeFWZYT0
いや大久保も普通に周旋家として裏方の仕事をしてくれるから重宝したでしょ
ただ暗殺されても良くあることだからまあしょうがないと思ったかもだけど
(慶喜だってちょっと前に原市之進を殺されてる)

高橋秀直説では、江戸撹乱活動は在京薩藩指導者から中止指令が出てなかったか
352名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/13(土) 23:12:58 ID:Rjzf7unf0
口数こそ少ないが他を圧する威厳を持ち、かつ冷徹な理論家でもあったため、
面と向かってまともに大久保に意見できる人間は少なかった。

人斬り半次郎の異名で恐れられた桐野利秋も大久保に対しては、怖くてまともに顔を見ながら話ができなかったので、
大酒を飲んで酔っ払い気持ちを大きくした上で大久保に意見しようとしたが、
大久保に一喝されるやすぐに引き下がったと言われる。

大久保が内務省に登庁しその靴音が廊下に響くと、職員たちは私語を止め、それまでざわついていた庁舎内が水を打ったように静まり返った。
また、大久保没後の帝国議会で板垣退助が答弁したとき、野次や怒号で騒然となったが、それを見た議員の一人は
「大久保卿であればこんな事にはならないのに」と言って大久保の威徳を偲んだ。

内務省で勧商局長などとして大久保の部下であった河瀬秀治は、
大久保の没後の内務省は伊藤博文内務卿の部屋で西郷従道や中井弘が盛んに夕べの話をしたり仲居が出入りするようになるなど、
すべてが奢侈に流れ堕落したと嘆いている。


暗殺される日の朝、福島県令山吉盛典に対し、
「ようやく戦乱も収まって平和になった。よって、維新の精神を貫徹する事にするが、それには30年の時期が要る。それを仮に三分割すると、
明治元年から10年までの第一期は戦乱が多く、創業の時期であった。
明治11年から20年までの第二期は内治を整え、民産を興す時期で、私はこの時まで内務の職に尽くしたい。
明治21年から30年までの第三期は後進に譲り、発展を待つ時期だ。」と将来の構想を語ったという(『済世遺言』
353名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/14(日) 15:31:01 ID:R2vu6HLB0
de?
354名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/14(日) 15:37:51 ID:JKIjRXoL0
352は教科書とか史料みたいな文章体ですね 

これは何処からの引用でしょうか? 

大久保が朝登庁すると役員の私語が静まった、大久保の威厳に打たれて案件を持って出かけていっても
皆方々の態で帰っていった。。。とかはいろんなところで引き合いに出される逸話ですよね

何処かに書いてあるんですかね?司馬先生も作品中で引用してましたし
355名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/16(火) 03:54:48 ID:Yh+Cyu5L0
>>354
wikiに書いてあったな。
記事元はわからんが。
356名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/16(火) 10:40:48 ID:SEv6mYoB0
wikiはwikipediaの略称ではない
357名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/16(火) 20:09:03 ID:XCRM9IM+0
いや、略称である
358名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/16(火) 23:07:43 ID:KBsiobW50
>>354
それも「大久保利通」(佐々木克編)になかったっけ。
この本は「甲東逸話」とも内容が重なっているらしいけど…。
うろ覚えスマソ。
359名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/17(水) 10:52:49 ID:0yrIuDrG0
同じ本の高橋新吉談でちょっと吃驚したが、
大久保は部下に呼び捨ても「○○君」も使わなかったんだね
「高橋『さん』、あなたが…」と言う物言いをする
しかも畳で座ってお辞儀する時も「畳へ2,3寸」の所まで頭を下げて礼を返す
部下の高橋が辞去する時も玄関まで出てしっかりお辞儀したらしい
360名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/17(水) 14:26:04 ID:uJrssasI0
大久保あたりまでは最後の志士というか武士の風格残した大和男児だったな

もう、武士道、気概なんて死語になった現代 
古きよき時代の気骨の溢れる侍達の生き様を残された資料なり作品なりで偲ぶとするかね

もう、日本は世界の経済戦争、国境なき漂流時代には呑み込まれていくんだろうから
我々末代の日本男児は大久保公の時代の立派な侍達の顔に泥を塗るような無様な生き方しかできてないんだし
361名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/17(水) 19:31:53 ID:INe8xsG10
大久保はドイツ型の人だった印象がある
木戸は英国型
362名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/17(水) 23:46:31 ID:uJrssasI0
大久保氏はプロシア風の政体を取り入れようと考えた
木戸氏は江藤氏にやや近い?民権論主義者
大久保氏は国権を強くすべきだと考え木戸氏は民権に重きを置くべきと考えた
363名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/18(木) 17:09:03 ID:zHs6CMrB0
>>359
そんな話し方の人はアニメキャラにしかいない、と思ってたが、それ読んで
実在してたとわかった。
364名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/18(木) 20:06:29 ID:1kAA1shb0
言葉づかい、礼儀の正しさは甲突川のほとりで生まれて西郷の兄弟に混じって一緒に飯を食ったりしてるうちに
自然に備わったのかな?死後借財が残った‐汚職とか私腹を肥やすとかは無縁の潔癖な人だったんですね
政治家としての力量、無私な人柄 謹厳実直に仕事されたら他の人物は見習うし敬服する罠
365名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/18(木) 23:08:05 ID:UPdFMira0
子供の頃は税所篤と一緒に桜島の火口に石を投入れ(当時は祟りが起こるとされた)たり悪戯ばっかりしてた悪ガキだったんだけどな
10代も半ばになると思慮が備わってきたそうだ
366名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/19(金) 13:36:01 ID:OuzxAOle0
大久保のこの写真、顔がゴツくて怖すぎ。
ttp://thumbnail.image.rakuten.co.jp/@0_mall/book/cabinet/0615/06159683.jpg
367名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/19(金) 14:27:24 ID:1tyAP9b50
教科書に載ってるよく見かける大久保公の顔は明治新政府の大官になられた頃の髭を蓄えた顔ですよね
頬の肉がこけてて精悍な雰囲気 

>366
ちょっと怖いですねw でも、精気漲る良い男ですね 
368名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/19(金) 15:53:22 ID:ZOXSJdIz0
若いころの写真はこれしかないよね?
369名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/19(金) 17:17:47 ID:ZLos5eBB0
モアイって言われてる画像っスね。
明治になって偉くなってからの人と同じ人とは思えなくて困る。
370名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/19(金) 20:28:23 ID:d2/3X1ie0
西郷の写真みてーな。
どんな人望ある人物だったのか。
それとも部下からも舐められた人物だったのか。
371名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/19(金) 22:36:07 ID:3eRU0cT+0
洋行中の、何かの送別会だったかの大久保、村田新八、川路利良が
揃った写真はかっこええな。
みんな180cm前後あるんだよね。
372名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/19(金) 22:44:48 ID:ZLos5eBB0
>>371
るろ剣で川路の背が低いのはなぜなんだ。
373名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/20(土) 12:24:08 ID:0DX38Bij0
マンガだからな
374名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/20(土) 20:11:15 ID:4iJ8egbj0
>>373
大久保は高い。山県も高い。(←この二人はかっこいい。) 
なのに川路だけ…。
375名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/20(土) 20:17:54 ID:oV0QK/0j0
どの漫画でも木戸がイケメンキャラなのが不思議だ。
大久保が陰湿、西郷が武骨なのに対して。
376名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/20(土) 20:42:47 ID:EEk7lGlN0
「人間は心が狭くてはだめである。
憚らずに申せば、木戸公は心の広いほうではなく、むしろ狭いほうで、
人を容れることができなかったために、大した仕事も成しとげられなかった。
自分は先代木戸公には容易ならぬ知遇を受けたが、
しかしその間、先代の狭量には困ったことも多かった。
そこへゆくと、大久保利通という人はまことに度量が広かった」
伊藤博文

木戸はネクラで陰湿で器が小さい。これが昔からの定説なんだけど?
377名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/20(土) 21:31:21 ID:lCzzUrIn0
木戸は人を公平に扱うが結構細かいところまで口を出す
大久保はちょっと好き嫌いがあるがあんまり細かい事は口出ししない
西郷は物凄く好き嫌いがあるがほとんど任せきり

そんなイメージだ
378名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/20(土) 21:32:57 ID:43P5Zj6M0
>>376
さんざんガイシュツだが、伊藤は欧米外遊中からその軽薄な行動を木戸に煙たがられていたため
自然と大久保側に寄っていった感がある。大久保マンセーになるのは当たり前。
ついでにいえば伊藤なんて、大久保が木戸との仲をとりもつのに必要だっただけで、
木戸に近い人間じゃなかったら鼻にもかけてもらえなかった存在だと思われ。
379名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/20(土) 22:26:47 ID:hD3nvGwu0
木戸は気難しい女の上司のようだ。
380名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/20(土) 23:12:21 ID:RLabwWkP0
ウンコ漏らしの木戸にネチネチと口出しされたら、
そりゃ伊藤だってイヤになるさ。
381名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/20(土) 23:25:22 ID:0DX38Bij0
>>374
やっぱりウンコ投げるようなやつをかっこよくは描けないだろう
382名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/20(土) 23:29:39 ID:aEhtDR/40
木戸にくっつくよりも大久保に靡いた伊藤
大隈もそうだな 見る目があるじゃんw 
383名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/21(日) 00:47:49 ID:bBdAGgfKO
木戸体悪いし、権力握るならそりゃ大久保に付いた方が特だな
384名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/21(日) 02:00:19 ID:0EMuOtp20
木戸さんは神経患ってただけで身体は悪くなかったでしょ

大久保は胃が弱かったみたい  だから頬がコケてるんだな 顔に凄味がある
385名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/21(日) 05:32:48 ID:IsDIZnMA0
>>381
出番はわりと多いんだよね。(本当はフランスに行ってていないはずなのに。)
大久保はマンガの話に少しからんできて印象的な役柄になっててけっこう
いい扱い。出番は少ないけど。
386名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/21(日) 07:42:10 ID:gUxrwoyM0
大久保も割と神経質そうだけどね。
西郷みたいに思い切った奴がいて大久保もさぞ助かった事だろう。
387名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/21(日) 12:19:59 ID:x67i3fmL0
大久保の最後って・・・
めった斬り?
388名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/21(日) 15:08:45 ID:0EMuOtp20
めった斬りみたいですよ 脇、島田、長(加賀藩士族)に待ち伏せされて
身辺警護を手厚くするように加賀藩(石川)知事が助言したのを川路が一笑にふしたって
389名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/21(日) 15:26:06 ID:wGrbZTevO
>>384
> 木戸さんは神経患ってただけで身体は悪くなかったでしょ

十分悪いよ。一時期は半身不随で、痔持ちで、頭痛で夜も眠れず、肝臓が悪くて、歯を何本も抜いてたりするw
390名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/21(日) 21:01:54 ID:MJxbWKlh0
神経なんか患ってないっしょ。
木戸日記読んでみれば普通にわかる。
神経症、鬱病どころか、余裕で人生楽しんじゃってるよ。
骨董品屋めぐりしたり、友人と詩を贈りあったり。旅にでれば気軽にサインとかしてあげたりw
391名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/21(日) 23:27:58 ID:mcFdl1PH0
責任の無い政務から離れた場では気軽なのだろう。
木戸は政事がらみでは神経質で余裕の無さを感じさせる。
392名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/21(日) 23:58:49 ID:IsDIZnMA0
>>388
か、かわじが犯人みたいな書き方ー。
前島密が、脳がピクピクしてるの見たって言ってたから(大久保ファンのバイブル、
佐々木克氏の本で)、ドラマ等では再現できないようなスプラッタだったと……。
393名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/22(月) 00:29:10 ID:rvrC0nhnO
>>386
佐賀の乱では、初めて戦術に出た時には、敵の銃弾がヒューヒュー飛んできたらしいけど、本人はいっこうに気にしなかったらしい。
結構神経ずぶといと思うよこのおっさん。
394名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/22(月) 04:30:56 ID:jDsKvOuL0
>>393
図太さと慎重さを使い分けないと偉業は成し遂げられないんだろう。
西郷には慎重さが欠けていた。
395名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/22(月) 05:24:00 ID:D4JTl7Pd0
伊藤と大久保は、大久保は長州にいないタイプ(寡黙で決断力に優れたリーダー)で、
伊藤は薩摩にいないタイプ(機敏で空気を読むのに長けた周旋家)だから、お互い
目新しかったんだよ。大久保がもう少し生きてたら、殺されてたかもしれん。
殺してはいないかもしれんが、木戸と「ったく、イトーはよー」とか言い合ったと思う。
伊藤は伊藤で、大山とか従道なんかとつるんで「大久保、邪魔じゃね?」とか言ってたかも。
でも、伊藤の方が大久保追い払ってるんじゃないかね。
自分達もわかってたように、議会、立憲時代は大久保や木戸の時代じゃないから、
その時代まで生きてると、究極的に邪魔だと思う。
396名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/22(月) 06:04:13 ID:jDsKvOuL0
伊藤は高杉イズムの後継者だからな。
目的のためならなんでもやる。
結局高杉の亡霊が長州閥の暴走を招いたのかもしれんな。
397名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/22(月) 08:50:33 ID:zvZzalWv0
>>392

塩辛みたいに切り刻まれていたそうな
398名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/22(月) 16:23:28 ID:7Ow2CJgS0
>>371
やっと見つけたよその写真。確かに絵になるメンバーだね。
っていうか村田が日本人に見えない
399名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/22(月) 17:23:53 ID:ayGV+jlC0
紀尾井坂のせまい道(今と違って当時は鍬の植え込みが両側にあった)を毎朝大久保公を載せた馬車が通るのを
加賀藩士族の暗殺実行者は調べた まさに、暗殺するには逃げ場がない格好の場所

現在は、ホテルニュータニが近くにありブティックも軒を連ねる通り
買い物帰りで気分浮き立つ人々も見られる

自分は赤坂見附へ用事が出来た時は必ず清水谷公園へ寄り 在りし日の大久保公のよすがを偲ぶ時間にしている

合掌  大久保公  あなたがいなければ明治新政府は根底から瓦解していたかもしれません
偉大な政治家なり 
400名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/22(月) 17:29:29 ID:JAG8V/gY0
>>399
えっと・・・バカ?
401名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/22(月) 17:43:41 ID:kPlpz4Sf0
前に書いたかもしれないが、紀尾井坂の上りきったあたりが「赤坂喰い違い」で、
岩倉具視、あとたぶん井伊直弼が暗殺未遂にあったところ。

(紀尾井坂の井は井伊の井で以前井伊さんの屋敷があった。)

あのあたりは暗殺銀座なんだね…。

そして怪談「むじな」の舞台もそのあたり。(「こんな顔だったかい?」)
402名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/22(月) 21:07:12 ID:F9Gz9Gws0
紀が紀州、尾が尾張、井が井伊で紀尾井でしょ?その3つの屋敷があった。
大久保の本かな?誰かの談話かに書いてあったよ。

大久保暗殺者って、ほんとにその加賀の人たちできまりなの?
その辺、全く知らないんだけど、すぐ自首しちゃってるし、
部外者が見る分には、えらい怪しいけど。
なんで加賀よ?だし。
403名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/22(月) 21:16:53 ID:ayGV+jlC0
加賀藩の士族達(下首人)は西郷崇拝の念を持っておられた由

明治維新の功労者西郷が下野した事に不満を抱いており嘗ての盟友大久保倒さずべからず
との考えに至ったとの事 
404名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/22(月) 21:27:30 ID:Eh08VCIu0
>>402
紀尾井坂の名前の由来は現場に行くと書いてある。
検索してもワンサカ出てくるです。
405399:2008/12/22(月) 21:34:24 ID:ayGV+jlC0
>>400殿
私の参考にした著書を挙げておきます
遠矢浩規『利通暗殺』(行人社)、佐々木克『志士と官僚』(ミネルヴァ書房)

大久保利通は明治11年5月14日8時過ぎ、自邸を出て赤坂御所にむかう途上
島田一良をはじめとする石川県士族6名によって暗殺された。
大久保の暗殺された場所は千代田区紀尾井町、現在のホテルニューオータニ新館と赤坂プリンスホテルの新館の間の路上であるといわれている。
当時ここは土手と草むらに挟まれた人通りの少ない道であった。

幕末には赤坂プリンスホテル側に紀州徳川屋敷 ホテルニューオータニ側には井伊掃部頭屋敷があった。赤坂見附から弁慶橋を渡り清水谷に突き当たるまでに脇に逃げる道もなく
ほぼ一本道と言えます。 清水谷公園も一種の袋地です。

前掲の遠矢浩規『利通暗殺』を参考にさせて戴きました。私には説得力をもたせる為の学術的な論拠(知識)もありません。
僅か300米(メートル)ばかりの一本道で暗殺が行われた推測するだけです。
406名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/22(月) 21:50:02 ID:rvrC0nhnO
>>403
加賀藩士が大久保を殺した別な理由が書いてあった本があったような気がする。
西郷の下野でなくて違う理由だったはずなんだけど何だか思い出せない。
407名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/23(火) 00:21:47 ID:GjhiVvLNO
痔だったらしいね
408名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/23(火) 01:00:15 ID:Iulpv7dQ0
>>399
赤坂見附へ行ったんなら、銀座線で外苑前で降りて青山墓地にも行ったらどうだ?
大久保公の墓があるぞ。
409名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/23(火) 02:11:21 ID:NclORGs50
島田たちはわざわざ鹿児島まで西郷に会いに行くほど崇拝してたみたいだね
西郷本人に会えたかは忘れたけど、桐野には会ってると桐野の本に書いてあったはず

大久保を殺した理由は西南戦争で西郷たちを殺した主導者が大久保だと思っていたから
というのを読んだ気がするんだが違ったかなあ
410名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/23(火) 09:12:48 ID:P/C6GYYz0
>>405
つか、小説みたいな論調で書かれてたことにポカーンとしちゃった。
ついでに語っちゃてるしねw
イタタ過ぎる・・・
411名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/23(火) 17:47:57 ID:GHAvMIlI0
>400、>410 みたいなバカ真面目に相手するだけ無駄だったな 
412名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/23(火) 20:50:26 ID:P/C6GYYz0
>>399>>405は2ch初心者?
半年ほどロムってた方がいいね。
413名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/23(火) 21:51:03 ID:DVCc27Ac0
煽って中傷を書けば玄人、と考えるのは会津人だけ。
414名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/24(水) 17:04:44 ID:wO4HaC7Y0
>>412
慣れてはいないが悪意は感じないからまあいいんじゃないのかな。

413みたいなのがいらんよ。
415名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/24(水) 20:48:08 ID:pioMm2TO0
大久保松恵って子孫?
416名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/25(木) 19:48:22 ID:6ZlCpeAU0
>>415
それ、飯島愛の本名なんだね

スレちがいだが冥福を祈る。
417名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/26(金) 16:49:24 ID:3ltrok2+0
絶対あると思った、そのレス>415
スレチ、イタチだが、冥福を祈るよ。
大久保の傍流とかいうのどっかの板で見たけど
亀戸の人だっていうから、一翁の方じゃない?とか思った。
(ま、どっちも関係ない、だろうけど)
418名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/28(日) 19:00:31 ID:YQ+Zwujf0
とりあえず、福島の大久保神社に行って見たい。
419名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/03(土) 19:50:26 ID:K15z3aRZ0
江藤新平は偉い人だった…という述懐があるべ
420名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/03(土) 20:05:53 ID:6bRPaOc40
>>415

子孫じゃないyo
421名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/05(月) 20:03:37 ID:MC/RusY10
ヤ●●クの大久保、伊藤書簡ですが、
何て書いてあるか解る方おられますか?
422名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/06(火) 13:54:26 ID:heTzE+R30
読めん。
たった140年かそこら前なのになんで読めないんだろ。
今書いてる文字は100年後の人は読めるんだろうか。
423名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/17(土) 23:05:44 ID:A5QJ1UCEO
何で大久保どんは西南の役時は九州の前線にいかなかったんだろうね。
ずーと京都にいた。
佐賀の乱にはあんなに張り切って行ったのに。
424名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/18(日) 00:39:23 ID:MTZM27mN0
>>423
聞かなくてもわかってるくせに〜
425名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/18(日) 13:07:13 ID:l2UruvNe0
超政治家・大久保利通。

・維新前は下級身分でありながら久光に取り入り、薩摩藩を操縦し倒幕勢力の主役に持っていく。
          ↓
・鳥羽伏見の戦いでは勅命と錦の旗を偽造し、徳川勢力は錦の旗を見て賊軍になったとショックを受け敗走。
          ↓
・維新後は政務が苦手な革命家上がりの中で、大蔵卿に就任し例外的に行政手腕を振るう。
          ↓
・征韓論では征韓派が圧倒的優位ながらも、得意の権謀を用い土壇場で征韓派を破る。
          ↓
・内務省を建設し内務卿に就任、現在に至るまでの行政機構を創設する。
          ↓
・新政府に不満があった戦力を各個撃破する為、佐賀の乱を起こさせ瞬殺。
          ↓
・日本中が新政府に不満を持つ敵だらけの状況で、ほぼ独裁者になり一人で新政府を支える。
          ↓
・台湾問題をめぐり清国と開戦直前までになるも、自ら清国に乗り込み粘り強い交渉で日本側の要求を清国側に丸呑みさせる。
          ↓
・新政府に従わない最後にして最強の薩摩士族を撃滅する。
          ↓
・最も困難な新政府の創乱期を見事乗り切るも暗殺される。
426名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/18(日) 13:09:38 ID:l2UruvNe0
>>423
大久保が直前に行こうとしたら、あんたは殺されるだろう止められた
警視庁の川路も自ら兵隊率いて、討伐しようとしたが火に油を注ぐと止められた
427名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/19(月) 00:58:08 ID:ZgF/gUsv0
>>425
天才すぐるwwww

そういえば西南戦争で士族に鉄砲持たせずに戦争行かせて士族も片付けようとしたとか。
428名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/19(月) 08:39:42 ID:WDHjSEPu0
大久保って感情あるの?
429名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/19(月) 12:04:18 ID:JOUrQ7qg0
>>427
「〜すぐる」っていう書き方、やめてくれ。
愚の骨頂みたいで気分悪くなる。
430名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/20(火) 00:34:22 ID:miKBHUSi0
>>428
感情がなければ政治家にならず役人で終わる。
ましてや革命家は感情が激しくないと出来ない、江藤を日記で嘲笑し罵倒してるのもその為だろう。

福地の大久保評

「大久保公は、渾身、これ政治家である。およそ政治家に必要である冷血の多きこと、
私は公のごとき人を見なかったのである。」

「公が政治家としては最上の冷血であるにも関わらず、個人としては懇切なる温血に
富んでおられる。」
431名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/20(火) 02:36:23 ID:bvBcJbfn0
ってか、大久保を殺害したやつら、かっこよすぎるよね。
やってることといい、全てが。
432名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/21(水) 00:02:35 ID:uPJqsElH0
人一倍の激情と理性を持つ大久保から見れば、半端な志士気取りで生半可な感情家だろうね
433名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/21(水) 09:16:57 ID:5RHVTWGT0
そんな人物がろくな警護もなくうろうろするのはいかがか
434名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/21(水) 09:40:49 ID:VpayV9yq0
確かに暗殺に関していえば大久保の唯一の不手際だったな。
あれだけの事をやれば命を狙う奴もいて当然。
まあ明治政府も軌道に乗ったし伊藤という後継者も育ったし士族問題も片付いたし燃え尽き症候群だったのかもしれないな。
435名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/21(水) 09:56:45 ID:2Wk1yeql0
頭をコツンと叩かれただけで
2ちゃんねらーの子供は「殺された」と騒ぐ
彼らの頭の中で何がおきているのか親は知らないだろう
436名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/21(水) 10:21:42 ID:2Wk1yeql0
歴史や小説、アニメなどのストーリーに現実をあてはめちゃうんだな
そのストーリーと現実が著しく乖離しているのが特徴だよ
お世辞を使ったマインドコントロールによって反社会的な人間が出来上がる
437名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/21(水) 10:24:35 ID:2Wk1yeql0
彼らの頭の中では、どんなまずいことをしても自分は英雄だし
その反対者は悪魔や犯罪者になってしまうんだな

保健所に連絡♪
438名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/21(水) 15:01:43 ID:lnhEzUlS0
西郷隆盛VS大久保利通
http://jp.youtube.com/watch?v=yvG_0PN4Evw
439名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/21(水) 21:50:52 ID:hG+GLokt0
>>434
大久保は前向きにこう語ってる

「ようやく戦乱も収まって平和になった。よって維新の精神を貫徹することにするが、それには30年の時期が要る。
それを仮に三分割すると、明治元年から10年までの第一期は戦乱が多く創業の時期であった。

明治11年から20年までの第二期は内治を整え、民産を興す時期で、私はこの時まで内務の職に尽くしたい。
明治21年から30年までの第三期は後進に譲り、発展を待つ時期だ。」
440名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/21(水) 22:26:25 ID:2Wk1yeql0
大久保自信
大久保前向き
大久保意欲

なにをするかはわかりません
441名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/22(木) 03:24:11 ID:GTsv5FNn0
>>439
この大久保の意思が貫徹されたら軍部の暴走もなかったろう。
極めて冷静な外交が展開出来たかと思うと実に惜しい。
進め一億火の玉だとかいう基地外じみた国民テーマもかかげられる事もなかっただろう。
442名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/22(木) 03:50:04 ID:UnUNX7A90
糞して寝るだけの人間に外交なんて必要あるのか
その冷静な外交とは何か言ってみろ
443名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/22(木) 04:59:11 ID:UnUNX7A90
お前の論理だと聖徳太子は基地外になってしまうね
444名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/22(木) 18:41:42 ID:YBMZUUQB0
軍部は暴走したんじゃなく、世界中の暴走に付き合った
445名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/22(木) 19:09:59 ID:bx9gIFWN0
付き合わずに冷静にスルーするくらいの対処法なかったもんかね。
今の日本人の精神根こそぎ奪われた現状をかんがみれば満州くらいくれてやって
戦勝国の立場として国連の常任理事国にいた方がよっぽどよかったろうに。
核兵器も持てて対外政策も今よりずっと楽だっただろ。
446名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/22(木) 20:28:24 ID:YBMZUUQB0
おいおい、国はその場所から動けないんだぞ・・・
相手は狙ってぶつかってくるのに、スルーもなにも・・・
447名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/23(金) 00:08:25 ID:50MmAjR/0
>>441
軍部が暴走したのは日露戦争で維新の意義が発揮され、長年の懸案だった不平等条約を撤廃し列強入りし、大久保の後継者的存在だった伊藤博文の死後。
早い話、維新の生き残りが死んで薩長閥が倒れた以後。
448名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/23(金) 16:24:03 ID:qU34sP3E0
暴走したのは資本家だと思うよ
身売りする女性や、浮浪者が増えたそうだからね
449名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/28(水) 21:29:59 ID:ZYFsKfrd0
大久保が暗殺されずに山縣らに後世を託して院政みたいに退くつつも後見するという形で
政局に睨みを利かせていればその軍部の独走の芽も胚胎しなかった?

大久保公の早すぎる殉死に敬礼、合掌‐‐‐、、、、、、
450名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/28(水) 23:52:58 ID:E24EEpGg0
院政は無責任の元。
黒幕が表の総理を挿げ替えて自分は素知らぬ顔をする政治になりかねない。
制限選挙でも選挙を通じて選ばれた議員が責任を持って
政治でなければいずれ破綻する。
451名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/29(木) 16:52:13 ID:gWutOIpF0
大久保は今の日本はまだ民主主義をやるには大衆が成熟してない、みたいなことを
言っていたと思うが、100年以上たった現在もたいして成長してないのかもしかして。

こないだテレビ(まじめな政治経済系のニュース番組)で「自民党幕府を倒す」とか言われ
てたが、そのトップにいるのが御子孫て……。うーん。考え込んでしまった。
452名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/29(木) 18:17:29 ID:5u5XzP2L0
自民党は幕府というより薩長閥だろうな。
細川連立の時に政権失ってるし、隈板内閣で数ヶ月間野党が政権とった時に似てる。
453名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/29(木) 19:44:02 ID:gWutOIpF0
>>452
単に、テレビで倒すべきものだと比喩されていたことを書いただけなんで。
454名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/30(金) 00:30:58 ID:N+RpYUwJ0
451
世界平和が成り立たないと民度が高くても民主主義は実現できないような気がする
国が戦略、戦術を練るとき情報を公開し、それぞれの意見を尋ねる何てことは考えられない
455名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/30(金) 01:44:47 ID:+CRKI5Bl0
民主主義というのは、軍にそういうことをさせない、という選択も可。
実情としてどうかというと、違うという意見があって当然だが、アメリカの場合、
民主主義が軍を指示している立場だし、日本はしていない立場。
情報を公開させ、意見を尋ねるのが民主主義だよ。
恐らく、民度の問題でなくて、日本人は政治に興味がないんだと思う。
日本は別に政府なくても、省庁が民営になっても、維持できると思うんだが。
大久保と関係ないけど。
456名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/30(金) 04:21:05 ID:mYMysOPq0
455は「指示」じゃなくて、「支持」な。ごめそ。
457名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/30(金) 14:04:40 ID:9ESSLoFW0
>>455
指示と支持の意味の違いが大きすぎて焦ったぞ。

概ね賛成。

政治に関心がある国民の数が多いなら、当選するはずがない人が
多すぎる。
これをどうしたらいいのかあの世の大久保に聞いてみたいが、知らんと
見放されるかな。
458名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/30(金) 15:32:15 ID:QD/zsW6P0
もう政治の事は忘れさせてつかーさい
あの世でせごどんとやっとで仲直り出来たんでごわす
459名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/30(金) 23:35:29 ID:9ESSLoFW0
>>458
わかった。ごめんね。
460名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/30(金) 23:44:30 ID:h71uOduN0
>458
政治忘れて何しちょりますか?囲碁?
461名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/31(土) 00:30:34 ID:7aO2rRCTO
子供と遊んでる
462名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/31(土) 05:30:22 ID:921Alh490
> 461
靴脱がされてるんですね ・゚・(ノД`)
463名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/31(土) 19:36:50 ID:Sk1clIVw0
西郷、桐野の派閥と大久保、川路の派閥
天国で仲直りしてくれてるかな?
464名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/31(土) 23:48:35 ID:cdv7TVSy0
囲碁はあの世でもやってそうだな
お墓に碁石置いてあるみたいだし
465名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/31(土) 23:53:26 ID:0Kyl3Tbt0
その人らって、天国なんだろうか。
自分は、天国であってほしいけど。
仏教的には地獄じゃないか?神道なら天国かな?
てか、神道って天国あんのか?
466名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/01(日) 07:31:02 ID:ryctj6De0
自分は司馬遼太郎氏の作品「飛ぶが如く」に影響を強く受けてるのだが
司馬先生は作中で桐野を評して「教養は無いけど通った後に颯々と風が吹きわたるような爽やかな男」って表現をされていた
西郷と共に下野して西南戦争であのような最後を遂げたのは皆さんご存知の通り

対する大久保公は日本国が生糸と米以外に目ぼしい産業が無いにも関わらず外征(征韓論の勃興、征台)を企てる行為が如何に無謀かを(洋行して欧州列強の実力を肌で感じて)知り抜いていた為
内治、殖産に務めるのが急務だと説き全身を賭けて征韓論を潰す役回りを演じた。

大久保公も西郷翁も互いの立場こそ違えど国を支えた維新の立役者には変わりありません
仲直りしてるといいな、と言いたかったまでです。
467名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/01(日) 08:10:20 ID:yI6RkwqzO
大久保が仲直りしたい人間は、いっぱいいると思うw
468名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/01(日) 09:10:26 ID:gK+KfZHo0
よく思うんだけど、心底自分の給料が上がることだけに関心があった一小吏の場合は除いて
大久保でも江藤でも、勝でも慶喜でも西郷でも木戸でも伊藤でも、みんな日本のことを考えてたと思うんだよ。
そのあまり、後の世の人から見たら酷いことも、当然の選択であったことがあるってだけだと思う。
みんな国民に善かれと思って、命を削って、やってたのだと思うんだよ。
日本の国や国民が滅びてしまえ、みたいに思ってた人はいないと思うよ。

大久保、仲直り出来てるといいよね。
西南戦争の後で、伊藤だったか、誰か忘れたけど、これからはきみらとどんどんやろう!
とか明るく言ってたって話あるじゃん?もう少し、どんどんやってほしかったよ。
嫌いなとこもあるんだけど、苦しかっただろうな、と思う。殿様が島津だもの。
469名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/01(日) 13:20:26 ID:VtwJ8Stl0
あの世では対立するような要因も無いだろうから、皆さん普通に仲良くやってんじゃないの?
470名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/01(日) 18:32:14 ID:PLPtY60N0
>>469
いや、西南戦争以上の戦争を繰り広げていると思う
471名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/01(日) 19:58:09 ID:ryctj6De0
福澤諭吉も大久保さんも今雲の上から日本の現状見てたら
「馬鹿もの、軟弱になりおって!」って我々を叱りつけるだろうね

無様な国になったよ日本は 「経済一本槍でやってきて地方は疲弊し国家の(国民の)風格が地に落ちた」‐藤原正彦お茶の水女子大教授
経済は勿論大事だけども国家の品格、気概、文化、国民性まで堕落しちゃったのは何故かな?

ちょっと、逸れるけど孫正義ソフトバンク会長も「幕末の龍馬、西郷、新撰組の頃の大和武士って世界の歴史を見渡しても稀に見る潔さだったと思う」って言ってた。
皆が真剣に黒船来襲による日本の危機を真剣に考えて世界と伍していかなくてはと考えていた。
その中心にいたのが福澤であり勝であり西郷であり大久保であった。
今は政治家も役人も皆小粒ですよね。己の保身と地位安泰に汲々としているのみ。

大久保、西郷のような無私の精神でお国の為に奉仕するひと廉の逸材が生まれにくい時代なのかもしれませんね。
472名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/01(日) 20:33:36 ID:PLPtY60N0
>>471
全て印象論おつ
473名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/02(月) 09:59:43 ID:onI58TJvO
品格とか気概の具体的な中身って何?
昔と今でどこが違うの?
違ったらなぜいけないの?
どうやったら昔みたいになるの?
昔みたいになったとしてどんな意味があるの?
>>471にはそれができるの?
474名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/02(月) 18:11:35 ID:xsd8Vyn80
>>470


1、囲碁で
2、とっくみあいで
3、口論で
4、………
475名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/02(月) 21:29:30 ID:2CKnZCVJO
>>474
モビルスーツで
476名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/02(月) 23:05:42 ID:a2nUxPDU0
マリオカートで
477名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/03(火) 23:58:23 ID:CBs7IDvo0
どれもいいねぇ
478名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/04(水) 13:32:52 ID:zqJFL7K40
論理と弁論で対決しようとした江藤、謀略と強権で対抗者を葬り去った大久保。
党首討論で対決しようとする麻生、マスコミや地方公務員を押さえて情報操作する小沢。
なんか皮肉だなぁ。
479名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/05(木) 07:12:00 ID:jEqxAsmE0
大久保さんの方が政治家としての力量、背負ってきた苦悩、決断力、沈着冷静さ
全てに於いて江藤を上回るでしょ 論理と弁論だけじゃ政治の世界で大きなうねりは起こせない
江藤の最大の誤算は大久保公の力量を軽視した点 まるで役者が違う
480名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/05(木) 22:07:33 ID:0Z0syWkf0
>479

>478は別に大久保と江藤の比較なんかしてないぞ。日本語読めてるか?
それとも暗に今の政治家じゃ小沢マンセーと言いたいのか?
481名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/07(土) 10:43:01 ID:6M3ch+vH0
大久保"公"ですか、そうですか。。。
482名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/08(日) 01:44:01 ID:8VACWdKQ0
歴史にはまる奴はなにかってえと
昔にひきかえ今の日本はダメだ〜と言いたがるから鬱陶しい
483名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/08(日) 03:39:07 ID:uFWicibp0
>>482
昔にひきかえ今は2ちゃんねるに君のような無知なものが増えた
かつての日本史板は〜って5年ぐらい前の日本史板でよく書いてたなw
それでも書き込みの内容は学識を感じさせる内容だったが、
今では君のようなガキが来る。
恐ろしいほどレベルは低下していると言わざるを得ない状況だ。

維新三傑のスレなんかもネタ以外の書き込みはもっと面白かったもんだよ。
484名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/08(日) 09:17:03 ID:YbBmAY1F0
>483
>かつての日本史板は〜って5年ぐらい前の日本史板でよく書いてたなw

日本史板と近代史板を分離したのも一因では?
485名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/08(日) 11:47:21 ID:lRyhIsEk0
昔面白かった論議とか紹介してくだされ。
たった5年くらいで論議のネタがつきるとは思われん。
明治の30年頃に維新の偉人伝が出た頃、実際に知ってた人たちは、こんなもの!
と思っただろうし、2・26辺りからの偉人伝に呆れた人たちもいただろうけど
いまでも語り尽くされてないと思う。自分の見方も変わるし、興味の対象も変わるし。
486名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/09(月) 00:54:01 ID:Wmf2iA520
大久保は小沢のような金権政治家は嫌いだろうな。
大久保が大いに恐れられたのも無私無欲で清廉さがあったからだし。
487名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/09(月) 01:29:22 ID:/ElCofrH0
下らない方法で金銭を得られるのを見ると馬鹿馬鹿しいから
その過程を省略し印刷すれば良いと言い出す人もいるね
488名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/09(月) 11:30:36 ID:eMj5ZVj50
>>487
このスレの趣旨に沿って説明してくれ
何が言いたいんか俺の頭では理解不能
造幣局が何だって?
489名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/09(月) 13:01:49 ID:tc8X8QE00
旧会津藩領で会津武士が起こした贋金製造事件と摘発についての記述でしょう。
490名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/09(月) 13:48:39 ID:/ElCofrH0
何も生産せず人から金銭を取り上げることを生業にしている人間は
お金を印刷するのと一緒。
491名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/09(月) 22:53:10 ID:6UdiKsXs0
うん、違うね
492名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/11(水) 01:09:11 ID:OnZFFB0N0
大久保が今の政界見たら

麻生→眼中になし板垣退助程度の扱い
小沢→江藤のように排除される
493名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/11(水) 09:13:53 ID:PQE7DeXu0
ttp://nagamochi.info/src/up25633.jpg
明治時代に詳しい人にお聞きしたいにですが上の写真で
左下:大久保利通さん
右下:岩倉具視さん
だと思うのですが、上のお二方はどなたか分かりませんでしょうか
494名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/11(水) 09:14:27 ID:wNKWPUIzO
伊藤と木戸はだれだろうw
495名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/11(水) 10:30:12 ID:Qx4uHnF80
上が多分、桂太郎と大隈重信
下が板垣退助と岩倉具視でしょ。
桂太郎が違うかも。
496名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/11(水) 10:37:42 ID:r0T11vAZ0
>>493
左上は高橋是清、右上は大隈重信。
497名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/11(水) 12:59:46 ID:PQE7DeXu0
ありがとうございます
左下のフサフサお髭は大久保さんとばかり思ってたんですが
板垣さんでしたか・・・
498名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/11(水) 14:47:19 ID:ethI4QVN0
大久保は白髪になるまで生きないよ。。。(ToT)
人知れず、はげてるけどな。

でも、そう言われたら大久保と板垣は似てるかも。
大隈と山県も似てると思うんだけど。年とってからは、わかんないのあるよ。
おじさん世代のときの、伊藤と山田顕義も似てる。
あと、若い時どこも似てないけど、年とってからの渋沢栄一と久米邦武も似てる。
久米は、渋沢に間違われて、泥棒に入られたことがあるらし。
499名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/11(水) 23:31:00 ID:e5euv5vV0
>>498
>大久保は白髪になるまで生きないよ。。。(ToT) 

つД`)・゚・。

>人知れず、はげてるけどな。 

ウワァァ━━━━━。゚(゚´Д`゚)゚。━━━━━ン!!!! 
500名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/12(木) 13:43:36 ID:zucbxpoD0
大久保 サムライ姿 明治2年頃の写真だったと思う
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/15/c0/da360bf4444110ee6ae2a4da43df2949.jpg
501名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/12(木) 13:45:25 ID:zucbxpoD0
502名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/12(木) 18:25:42 ID:DlyKWktd0
>>501
猪瀬直樹にちょっと似てるな
503名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/12(木) 20:01:14 ID:zzPN/e0UO
>>498-499
はげてたって良いじゃない、かっこいいもの。
504名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/12(木) 23:41:26 ID:6aHYcIZJ0
いや、はげというものは、他人はそんなに気にしない。
自分が気にするんだ。
大久保の場合も然り。
505名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/13(金) 11:14:15 ID:lY0GOBA70
>503
大久保が格好いいって目が腐ってないか?w
格好いいってのは、土方みたいなのを言うんだよ!
506名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/13(金) 12:13:34 ID:iDSdv0ME0
>>505
土方をかっこいいなんて言ってるのは腐女子ぐらいだろ
つまり、どっちかっていうと腐ってるのはお前の方だ
507名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/13(金) 12:40:36 ID:qfgXzPqw0
土方久元がかっこいいなんて、しぶいこというなぁ。。。
508名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/13(金) 21:59:57 ID:938SzExP0
幕末最高のイケメンは原市之進
これは間違いない。
509名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/13(金) 23:17:51 ID:/RS9je9g0
510名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/13(金) 23:35:36 ID:Uefb6VnA0
>>504
だって、気にして髪のセット(?)に時間かけてたって書いてあったよね。
よく出てくる講談社の「大久保利通」に。

写真によっては、顔見てるとだんだんかわいく見えてくる。
目が二重でくっきりしてて、目玉の色が薄いからかも。

東郷さんは年取ってからの写真が出回りがちだから、映画俳優並の
顔なのにその認知度が低いよな〜。
511名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/14(土) 00:08:40 ID:smNoZ2Pj0
大正期に偶像になり過ぎて、戦後は反動で…。
そういう人は結構いるかもよ。
戦前は有名、今は無名扱いの人。
512名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/14(土) 00:09:12 ID:RGFKXJuC0
映画俳優並なの、会津の山川だな。東大の方もいい男だけど
兄貴の方。

大久保ってヒゲ生やす前の写真が出回ってない?例の文庫の
表紙のしか知らない。
ヒゲ生やすのって岩倉使節の辺でしょ?それより前どんなだったの?
文庫の表紙とヒゲのギャップが大きすぎて想像つかないんだけど。
513名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/14(土) 00:14:12 ID:UOUL/qAt0
その前の写真といえば、丁髷をしたモアイ像みたいなのが一つある
514名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/14(土) 00:28:41 ID:a69Ut3Pb0
>>513
それが講談社学術文庫の表紙の写真では?帳簿持って片膝ついてるの。
てか、有名な岩倉遣欧使節の写真(右側で椅子に座ってる)では
まだヒゲは無かったような。
515名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/14(土) 01:08:38 ID:V4e68s3+O
>>514
あれは生え途中だな

大久保は結構格好いい部類だろ
背も高いし
516名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/14(土) 01:27:26 ID:DRsHXuaK0
>>513
多分それしかないんだろうな。
妙に彫りの深さが強調されたようなあの写真。

使節団の写真では少し猫背なのがわかるような。
517名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/14(土) 01:54:46 ID:hdg725ij0
518名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/15(日) 20:38:27 ID:XQQICBB50
>>504
そして、彼は後世のために紀尾井町自毛増毛相談室を設けた。

(嘘だけど実在。)
519名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/15(日) 20:48:43 ID:kgDtQfWe0
>>518
紀尾井町増毛相談室、ホントにあるんだなw

明治期もやっぱり禿はちょっと笑いのネタになってたのかな?
なんとなく聡明っぽいイメージがあって政治家や財閥系のオーナーとしては
カッコ良い感じがするんだが。
520名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/15(日) 23:25:13 ID:XQQICBB50
>>519
四ツ谷の駅に看板があって、通勤の時に目に入るんだけど
どうしても大久保利通を思い出してしまう。
521名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/16(月) 01:55:55 ID:cTPFE4580
社長は大久保ファンなんじゃないか?
増毛業(?)を志した時、ひそかに、いつか紀尾井町にお店(?)を出すでごわす!
それがおいどんの供養でごわす!
ごっつぁんです!やっと浮かばれたでごわす!
かもしれない。

髪の毛問題は、自分の個人的な聞き込み調査では、ある時期から、国を問わず
男性の重大関心事のようだ。
髪について平気で話せる=少年
髪の話はできれば避けたい=青年
髪についてはタブー=壮年以上老人未満 と考えてよい。
522名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/16(月) 19:01:50 ID:biGKFF4d0
中川(酒)を見てると、黒田清隆とダブる。「酒さえ飲まなきゃね…」って感じが。
大久保暗殺の動機のひとつにもなってしまった黒田の酒だけど、まさか玄孫までが
腹心の酒乱に首を絞められるとは何という因縁。
523名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/16(月) 19:16:22 ID:B1OVACVqO
>>522
え、中川って黒田の玄孫だったのか
524名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/16(月) 19:39:40 ID:biGKFF4d0
いや、麻生が大久保の玄孫で、どちらも酒乱の部下にry…まあいいや。
わかりづらくてスマン。
525名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/01(日) 22:40:00 ID:lxyWBPF40
NHK白洲ドラマに、大久保次男の牧野伸顕が出てた。
品性ある雰囲気で非常に良かった。
軍部による内大臣更迭(辞任では?)時に天皇陛下が声を上げて
泣いたというエピもしっかり入っており、以外な嬉しさ。

526名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/03(火) 23:20:35 ID:xbKmmEkV0
大久保は子供というか、子孫に恵まれた感じする。
牧野とか、歴史学者の利謙とか、大久保の名前なくても知ってるというか。
でも親子で暗殺されるとか、ロッキードの人とかいたりして、お祓いした方が
いいのかも、とは思うが。
ロッキードの人は、なんか宮様みたいで、大久保の面影なかったように思ってたけど
今見たら似てるのかも。裁判で無口だったのが遺伝か?
527名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/04(水) 00:31:05 ID:UvFqCQV60
>>526
しゃべると命の危険があったからかと。
ロッキードに関しては中曽根はじめその後の政界大物が多数絡んでて、
児玉とか右翼、ヤクザまで暗躍してるから。

山城屋事件だって…。
528名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/04(水) 01:40:31 ID:tM3MYNis0
中曽根は当時はまだそれほど大物じゃないな。児玉は超大物だけどなぁ。
当時、身近なやくざ方面の人がそう言ってたから。
裁判なんか出てきて、みんな驚いた。
あそこで戦後が終わったと思うよ。
529名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/08(日) 01:12:07 ID:+l0/UmC10
>>526
子孫に恵まれてるというと現総理大臣閣下も
530名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/13(金) 11:49:18 ID:lyJIi94a0
信長の野望で能力つけるとどれくらいになる?
531名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/13(金) 14:43:25 ID:rMLc7FKX0
ただの売国奴になる。能力とはその惨めさを忘れる為の虚飾。
532名無しさん:2009/03/13(金) 15:22:58 ID:o+hCNQkh0
野心家
533名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/13(金) 15:37:20 ID:rMLc7FKX0
名古屋に行って彼の銅像見ればわかる
法秩序が衰退した世の中に生まれたのが信長。
暴力とSEXが自分の精神に影響を与えていることに気付かず
内なる衝動にしたがって、当時の世の中に汚れた模様を作ったに過ぎない
子供が寝小便で作る布団のシミと一緒だよ
534名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/13(金) 16:41:19 ID:3bKXJ2up0
なんで信長の話してるの?
535名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/13(金) 17:20:04 ID:rMLc7FKX0
533
要するに女だ
536名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/14(土) 01:03:16 ID:fJ3J/JOY0
スレタイ読もうぜ

ところで、大久保の妻スレから甜菜

岩倉具視あて書簡、多数が新史料の可能性…広島の美術館

 大半は1868年〜83年に、岩倉へあてた報告書などで、送り主は三条実美429通、大久保191通、木戸孝允75通、伊藤博文68通、西郷3通など。
これまで、官軍と幕府軍が激突した戊辰戦争の鳥羽伏見の戦いで、幕府軍の荷物を差し押さえたことなどを記した
西郷の報告書や、貨幣不足で追加鋳造を決めた政府文書などが確認された。

 明治新政府の基本方針「五箇条の御誓文」の草稿とみられる文書もあり、確認中という。

 同美術館は8月23日から一部を公開し、2011年に調査結果を本にまとめた後、全史料を公開する予定。

(適当に略)
http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20090309-OYT1T00080.htm
537名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/14(土) 02:04:21 ID:unCSqRUl0
おい。。。
妻スレ住人が見てわろてしもた。
538名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/17(火) 14:46:34 ID:/uxdGrmg0
大久保の妻って。コーヒー吹いたじゃないかw
539名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/20(金) 21:50:15 ID:YGaKOnKb0
大久保書簡が公開されるなら
広島まで遠征する。
つか、191通もあるなら公開するよな?
540名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/22(日) 22:55:30 ID:nU2+mL5M0
旧吉田邸全焼…
見学に行ったことがあるので大ショック…
あそこの庭園内には、大久保・木戸・岩倉・三條・伊藤・西園寺・
吉田を祀った七賢堂があるんだが、無事だといいが。
541名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/17(金) 10:39:37 ID:SfzpFBWG0
大久保が江藤の晒し首写真をオフィスに飾ってニヤニヤしてたって話のソースは何?あるいは都市伝説?
542名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/18(土) 07:06:48 ID:NzvcpTFn0
ここ、なんでキーワードにキモデブがあんの?
わろた
543名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/21(火) 03:21:26 ID:uDpNtt/g0
え…まさか…西……。
いやいや、デ○かもしれないがキモくはないはず……
544名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/22(水) 01:25:22 ID:ZLoy7wF00
西田敏行は西郷隆盛の役ですよ
545名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/27(月) 11:25:34 ID:rAjB2pJL0
TSUTAYAに「飛ぶが如く」置いてあるね
鹿賀丈史に西田敏行 
546個人的見解:2009/05/14(木) 23:06:10 ID:o06du2CU0
寡黙なクリント・イーストウッド。
547名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/21(木) 15:33:18 ID:25p1rMY60
毛利敏彦先生、近著の「幕末の佐賀藩」ではすっかり大久保アンチになっててびっくりした

「佐賀の乱鎮圧は、大久保による江藤抹殺の為に行われた」
「大久保が江藤に過酷な扱いをしたのは、
凡人大久保が華麗な才能に恵まれた江藤に嫉妬し、脅威を感じていたから」
「権力者の嫉妬ほど恐ろしいものはない」

……。
548名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/21(木) 18:17:51 ID:Q6yTZnOU0
毛利先生、昔中公新書から出した大久保の伝記では高く評価してたのに、どうしたんだろう?
しかし、発行当初から学会でフルボッコされ、現在では否定された説を書いてある
『明治六年政変』がいまだに絶版になってないとは。
549名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/21(木) 22:14:23 ID:MRd4gApg0
アンチの怨みほど恐ろしいものはないw
550名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/22(金) 09:58:19 ID:hTZ9xy5O0
新しく好きな男(江藤)ができて、その今彼の政敵だった元カレ(大久保)のことが
可愛さあまって憎さ百倍になったというね…腐女子かよ!?

しかしゴリゴリの佐幕派としてスタートして、大久保信者の岩倉スキーへと
180度の華麗なる転身を遂げ、岩倉の孝明天皇暗殺説を引っ込めることまでした御仁に比べれば、まだ。
551名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/22(金) 16:36:41 ID:VY6gyaQp0
>>550
誰のこと?
552名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/23(土) 21:03:11 ID:cI8gQvVL0
佐々木克先生のことだよ!
553名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/24(日) 06:48:18 ID:A3dZXkYc0
あれは会津病学生との残念な講座関係が原因だったと聞くが。

ホロン部が鸚鵡返しに根拠も示さずに否定した、
「会津正義史観をひけらかし西日本出身者と卒業まで口も聞かない学生が来て、私は今までの記述を反省せざるを得なくなった」
という先生が、佐々木先生だったと思う。
554名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/26(火) 17:58:15 ID:vr1FiaGG0
とんでもないところに会津禍が…

しかしそれによる佐々木先生の転向がなければ、講談社学術文庫の「大久保利通」
もなかったかもしれないわけか。
あの本のラストの大隈の談話が切なかったなー。
西南戦争が終わって、大隈や伊藤に
「君たちは俺の事を因循な男と思っていたかもしれんが、実は俺は進歩主義なのだよ。
これからは大いに頑張ろう!」
と晴れやかに言った矢先に暗殺
555名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/26(火) 19:24:47 ID:VukuPE9u0
佐々木先生の師匠は大久保の孫なんだから元から大久保好きなんじゃないの?
556名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/26(火) 20:14:57 ID:GH5g2UA90
その孫自体が…
岩波から出ている回想録とか読んでみると…
557名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/26(火) 21:59:23 ID:xWDxr9n70
孫の回想録は知らん。
牧野伸顕の回想録は読んだ。
558名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/27(水) 06:50:10 ID:YU/3G7Io0
http://www.youtube.com/watch?v=MT_2HhmeCBY
この曲を聴くと西郷と大久保を思い出す


http://www.youtube.com/watch?v=H2owkpKgs5A
で、この曲を聴くと新選組の近藤と土方を思い出すw

楽曲と歌詞のかったるさもピッタリ!
559名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/27(水) 23:04:46 ID:gvwmzNBM0
どちらも、それなりにいい曲だと思うよ。
近藤勇や土方歳三は、人を斬ることによってしか世に出る機会がなく、
人を斬った時点で、周囲からも相手からも猛禽としてしか扱われず、そのまま消えた。
岡田に近い立場の人間だったとも言える。
560名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/28(木) 10:18:09 ID:KAsw3yOg0
>>548
中公新書の江藤新平のやつ、前文で江藤を持ち上げすぎて読むのやめてしもうた
561名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/30(土) 19:53:35 ID:my2ERDD80
佐野眞一「渋沢家三代」では大久保を「陰険」、江藤を「頑迷」とバッサリだった。
色々な見方があるもんだね。

ちなみに渋沢栄一は慶喜信者の西郷好き、大久保嫌いの勝嫌いだった。
562名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/30(土) 22:55:45 ID:gIgCrjqO0
そして渋沢栄一本人はフィクサーに収まりましたとさw
563名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/30(土) 23:00:31 ID:ifNWWuOX0
雑誌「プレジデント」の最新号で田原総一朗が大久保を語っているよ!
大久保は好きじゃないと前置きしておきながら、維新の功臣の中で群を
抜いているとか、評価すべき所はちゃんと評価し、最後は大久保を真の
リーダーであると結んでたw

あと、以前読んだ城山三郎の大久保への評価も非常に高かった。
564名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/30(土) 23:10:31 ID:gIgCrjqO0
田原の評価ってw
小説とドラマで見ただけのイメージで語ってるんだろ?www
565う〜ん、では:2009/05/31(日) 00:02:59 ID:A1gGYGS80
池邊三山「明治維新三大政治家」
この大久保論は面白かった。漱石が序文を書いてる。
古いのでたぶん図書館にしかない。
566名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/31(日) 08:20:36 ID:PhoAxgZo0
プレジデントのアレ、変革期のリーダーとして篤姫や土方をあげて慶喜を無視する時点で
まともな企画じゃないのがわかる

それはそうと、大久保と慶喜の個性って似てると思う。
柔軟性があり、思想的なオリジナリティはないが粘り強くていったん決めたらテコでも
動かないとこと、あとハイカラ好きなところも。

思想家としては独創性があるが、口だけ番長な勝や大久保一翁とは正反対。
567名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/31(日) 13:05:12 ID:1KyS5Fbt0
圧姫をリーダーとして評価してるんだ?w

大久保と慶喜似てるか?w
大久保は一歩ずつ段取りを進めていく実務家で
慶喜は殿さまだから突飛な立ち回りはできて地歩を固めるの苦手。

勝や大久保を口先番長とおっしゃるが、
変革期に次の時代への指針を示せる人がいないと段取りすら進められない。

何でも批判すれば良い訳ではないし、何でも持ち上げれば良いわけでもない。
568名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/31(日) 17:29:29 ID:YGAo1gHF0
一流の政治家だけど最後に暗殺されたのはマイナス点だよな
それが話としては美しいかもしれないけど
569名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/31(日) 17:36:51 ID:q9jc6blr0
篤姫や土方って…orz
大河ドラマの弊害って大きいよなあ
570名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/31(日) 18:08:51 ID:PhoAxgZo0
慶喜の行動が突飛に見えるのも根回しが出来ないのも仕方ない
だってカバーしてくれる家臣がいなかったんだから。

まともな家臣を得たと思ったら身内に暗殺されてくし…(原、平岡)

ところで江藤新平スレで江藤のことを「大久保が恐れた男」と言ってるけど、
ほんとに大久保が恐れていて、生涯敵わなかったのは原市之進だと思うんだ。
司馬や子母澤の小説じゃ変人の奸臣扱いだけど、彼こそは
「西郷と大久保と小松と勝が恐れた男」と言っていいと思う。
571名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/31(日) 19:09:37 ID:uOz0agmPO
大久保は陰険そのもねだよ

江藤に理屈で負け根にもち晒し首にした

尋問でも馬鹿にしてたな
大久保は西郷のお人好しを利用しつけこみ最後は人気者西郷を殺した

だから大久保暗殺の雰囲気は当時日本中にあった
暗殺されるべくして暗殺された

権力欲自己中の塊

ただ政権が長州に移り金権賄賂政治になった
572名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/31(日) 19:11:47 ID:uOz0agmPO
鹿児島の人間は大義に尽くす風土がある

何故なんだ出目と関係あるのかな?
573名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/01(月) 20:10:46 ID:5kCxy2xn0
久光公も大義に
574ふたたび:2009/06/01(月) 22:34:11 ID:qq8MPQ1L0
池邊三山「明治維新三大政治家 大久保・岩倉・伊藤論」

明治期のジャーナリスト。明治の三大記者。
東京朝日新聞の主筆。父親は西郷軍に参加し敗戦後処刑。

時にユーモアも交えた軽快な文章で大久保を客観的に論じ、
きちんと評価してる。同時代の明治にどのように見られていたかも
含め面白い。大久保はわかる人にはわかるのだ。
575名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/02(火) 12:00:39 ID:qQmDwxov0
勝海舟は「西郷を真に理解できるのは俺だけだ」と言ってたらしいが、負け惜しみくさい。
西郷を本当に理解していたのは、やっぱり大久保でしょ。
576名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/02(火) 17:35:35 ID:BRxPdQ+60
村田新八じゃね?晩年は。少なくとも勝ではないことだけは確かw
577名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/02(火) 23:58:15 ID:NNRCyQ780
西南戦争後、薩摩出身の要人に「なぜ西郷さんは決起したのでしょう」と聞くと、
決まって「桐野、桐野のせいだ」と返答が返ってきたそうですが、

なぜ桐野利秋は明治政府の薩摩出身者から嫌われたのでしょう?
578名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/03(水) 08:39:39 ID:5CP4cc7b0
>>577

そりゃ皆に、「クソッ!オレの西郷さんを!!!」と思わせるような独り占めしたからじゃないか?
579名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/04(木) 23:27:36 ID:atB0Tmkp0
薩摩藩はモーホ集団ですか?
580名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/05(金) 09:37:12 ID:gzkqAQ3w0
そうだよ

西南戦争だって、西郷と大久保の夫婦喧嘩というか、痴情のもつれが原因だし
581名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/05(金) 15:52:11 ID:Teoqk2Cz0
>580
「近世日本国民史」では、西郷と大久保に横恋慕
した木戸が、西南戦争の原因を作ったみたいな書かれ方だった。
蘇峰先生自重w
582名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/06(土) 10:31:55 ID:Kqqojy+J0
>>577
ある意味、桐野の影響力はすごいってことじゃないのか....
桐野が西郷持ち出して、西南戦争を起こしたってことだろ?そこまでの力があった
桐野って西郷大久保以上ってことじゃん。惜しいな。
なんか、他に使ってほしかったな、その軍に対する影響力。桐野が日清日露で大将
だったらどうだったんだろうか。
583名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/06(土) 20:45:28 ID:Y8doSkXm0
影響力を間違った方向に使ったら意味ないじゃん。
方面軍司令官が大本営の指示無視して勝手な作戦行動取りだしたら意味ないじゃん。
よって軍人としての評価は最低だろう。
584名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/06(土) 22:01:06 ID:cYo8D9ql0
来年の大河ドラマでの描かれ方はどんなふうになるのかな。
とぶが如くみたいな美化は勘弁だが、おーい竜馬みたいな貶めもやめて欲しい。

ところで、大久保日記は坂本龍馬の死を完全スルーしてるんだよね。
585名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/07(日) 08:34:40 ID:x5355wW70
西郷は坂本に対して人間的な愛おしさ、おかしみを感じていたが
大久保は坂本を幕閣と通じてる法螺吹きと見てただろうし 
586名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/07(日) 09:48:52 ID:i+lHUIa20
当時から坂本龍馬の評判は高くない。
坂本が有名になったのは司馬から。
坂本にはイギリス=ロスチャイルドのスパイ説が最近出てきた。
坂本を殺したのは薩摩だろうという説もある。
587名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/07(日) 10:44:53 ID:1ruuWbh0O
竜馬がゆくの前に書かれてる本でも、龍馬は幕末において重要な存在として高く評価されてたけどな。
588名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/07(日) 12:38:28 ID:XwfjOrmv0
木戸孝允は坂本の死を嘆いてたよね。
まぁ坂本自体、朝廷に通じるルートも持ってないし、特に親しくて政治的影響力持ってたのは勝、西郷、木戸ぐらい?
あそこで生き延びてたとしても、すぐに政治的に何ができたとも思えないので
大久保的にはどうでも良い存在だったのではないだろうか。

江戸城無血開城ぐらいには関われそうだがw
589名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/07(日) 15:27:34 ID:JmtDWc2t0
>勝、西郷、木戸

え、かなり凄いと思うんだが。
さらに加えて土佐藩との関わりも深めてたしな。
590名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/08(月) 01:54:15 ID:G13LNShm0
江東(藤)醜体、笑止なり〜〜
鎮西の乱にて江藤輩を屠った日の大久保日記の記述より

江藤をあそこまで迅速に叩いて処刑した凄まじさ 
591名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/08(月) 08:14:59 ID:5SaMpq5f0
アーネスト・サトウは大久保、龍馬ともに評価していない。
この辺が歴史の真実じゃないの
592名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/08(月) 12:02:19 ID:Wffgv5jf0
はいはい、勝海舟は篤姫(笑)を評価して、
その篤姫(笑)は家定を評価して慶喜を全否定してましたが、それが歴史の真実なんですねー。


593名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/14(日) 03:04:59 ID:e1g5kPYhi
つまりは表立った才能は持ち合わせておらず、
謀略が得意だってことだろ。
594名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/14(日) 12:45:04 ID:LLa7OofM0
e1g5kPYhi醜態笑止ナリ

595名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/21(日) 08:31:08 ID:HdowSM2p0
>>586
ロスチャイルド(笑)
ありがちな陰謀論真に受けちゃってるよこの人テレビやマンガの見すぎm9(^Д^)プギャー
そのうちユダヤとかフリーメイソンとか言い出しそう(笑)
596名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/21(日) 14:20:16 ID:bbT85nmjO
597名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/21(日) 21:43:06 ID:jPW31Z7wO
アーネスト・サトウは西郷好きだった。
598名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/28(日) 14:25:53 ID:4WqqOvIjO
大久保利通はカッコいい
599名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/30(火) 02:54:43 ID:OT3SFXET0
大久保スレって、以前から、「大久保カッコイイ」とか「大久保は男前」、
「大久保になら抱かれてもイイ」って書き込みが多いけど、
ひょっとしてお前ら腐女子系?
600名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/30(火) 08:14:13 ID:a3jWZbfv0
「カッコイイ」「男前」「抱かれて」でレス抽出してみたが、
お前の書き込みしか出てこないんだが?
601名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/30(火) 13:14:37 ID:5sHF/0s70
こういうのを流言飛語と言います
602名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/03(金) 22:32:45 ID:K9dxibqO0
>>599
抱かれたいとか思うのは普通の女で腐女子じゃない。
腐女子の意味わかってないと思うよ。多分。
603名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/04(土) 07:09:31 ID:3UN0adsVO
でも実際にカッコいいよな外見も
目とか黒木瞳に似てて可愛いし
604名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/06(月) 13:31:35 ID:bRNxLe7o0
薩摩って腐女子需要ないよね

ガチすぎて……JUNEとかより「さぶ」「薔薇族」って感じ……うおええ
605名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/07(火) 23:32:19 ID:Sqr8lLBcP
>>604
新撰組や長州よりはないけどないわけではない。
606名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/08(水) 07:56:33 ID:ProhiIuF0
長沢鼎の伝記書いた人が、「(薩摩男子は)男同士で心中するほどの恋の達人」
と書いていたので、うーん、と驚いた。書かれたのは明治末期だけど、なんか、うーん、
そうか、恋の達人か。。。
わからん。。。そのロジック。。。。
なんで男同士で心中すると「恋の達人」?扱い損ねてると思うんだが。心中つーのは。
そうでなく心中を恋愛の最高峰と見ているのか?

長州の方が少ないと思うが。
新撰組は花街に行く金のない人らの必要から出ている男色ではないだろうか。
浪人者の集団の男色と、いわゆる武士道の衆道は違うんじゃね?

あ、そういう意味じゃなくて、腐女子需要が長州、新撰組のが高いってこと?
例えばどういうカップリングなんだろか。
黒田と従道だったらやだな。。。両方いい男だけど。
607名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/08(水) 08:55:49 ID:dtTn5L8l0
「衆道は武士の嗜み」っていうでしょ

武士の間では女色は基本的に軟弱趣味で、
男を愛するのが高尚だったんだって
だから武士の末裔意識の高いかごんまの若者の間でも
男色>女色だったんじゃないだろうか

幕末期に活躍した藩の中では、薩摩・土佐・会津などで
男色が盛んだったらしい
これらの藩に共通するのは「身分制度が厳しい」ということ
だから身分制度の緩い長州では男色の風俗はなし
水戸はどうか知らん。
なんか議論が恋人なイメージ

また、男色は基本的に武士の風俗だから
農民上がりの近藤勇は隊内での男色流行にびびった。
と、言われている。

抑圧感・閉塞感が高く女っ気のない空間で男色に走る
というのは分かる気がするな。

>カップリング
斉彬×西郷だったらやだな
西郷×月照とかな
608名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/08(水) 12:07:25 ID:2+Kz/jMOO
肥前は葉隠で衆道がどうとかあった
薩長土肥のうち長州だけ男色の話を聞かない
ガチホモと女狂いじゃ仲悪いのも仕方ないな

まあ腐人気は普通に西郷大久保が一番多いだろう
609名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/09(木) 00:17:00 ID:qdukwVPp0
西郷と桐野や村田達とのあつ〜い絆を考えると納得できる。
長州にはそんなディープな絆はない。
西郷が山田に放った「よか、稚児」は史実なんだろうか?

史実だったら、山田、長州で良かったね、薩摩だったら・・・。
610名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/09(木) 09:18:47 ID:wL3a+zQ/0
WIKIによると

西郷  身長:182cm、体重:114kg
大久保 身長:178cm、体重:65kg

大久保さんが潰れちゃうよ><

大久保だけじゃないか……
611名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/09(木) 18:02:51 ID:TD8SxOtkP
>>610
よく知らんがそれはどうにかなるんじゃまいか?
力士だってどうにかなってるようだし。ってなんかどうでもいい話になってるぞ
612名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/09(木) 20:09:37 ID:2xU8riEI0
にわかにスレが伸びてると思ったらやはりこういう流れか。
新撰組や木戸スレならともかく、大久保スレでまで
やれカップルがどうとか…腐女子の妄想は果てしないな
613名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/10(金) 07:26:42 ID:ag8AIFmNO
木戸スレから流れてきたのか
いや、元々住人が被ってそうだな
614名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/10(金) 08:04:08 ID:96VW6Q7P0
西郷隆盛 『西郷南洲遺訓』
http://www.nicovideo.jp/watch/sm6932526
http://www.youtube.com/watch?v=1zsHLMx1k0w

 『生命も要らず、名も要らず、官位も金も望まざる者は御し難き者なり。
 然れども此の御し難き人に非ざれば、艱難をともにして国家の大業を計る可からず』
615名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/10(金) 20:30:02 ID:gKBDHBHGO
>>613
あっさり納得するような流れなのか
ちょっと木戸スレ見てくる
616名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/11(土) 03:29:36 ID:lEuEVbxR0
木戸スレで男色の話してるの、記憶にないが。自分が気付いてないだけか?w
表面上はそう見えない、とか、そういう高度な世界なん?腐女子の世界って?
結局、大久保/西郷と西郷/村田乃至桐野ってこと?別に腐女子じゃなくても想像つく
レベルの話なんだね?
この二人は絶対、いわゆる恋仲だろう、と思うのはあるけど、そこだけ語られてるとしたら
知りたくないんだが。というか、こういう「歴史上の人物」みたいなのの恋愛の世界って
普通の男女間の話でも、小説とかでちょっと出てきても、なんかとばしてしまうんだが。
617名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/11(土) 13:49:46 ID:QvF/ydcA0
政治・経済・外交あるいは軍事における思想や能力に魅力を感じてるのであって、
恋愛面のあれこれに興味を持ってるわけじゃないからね
618名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/11(土) 17:36:15 ID:FjeAZUTH0
わかる。スレチだけど、今度NHKで始まる「坂の上の雲」、どうやら原作に反して
広瀬中佐の役割が、ロシア女性との悲愛>海戦という比重らしくて激しく不満だ。
色話をなくせとは言わないが、色の部分飛ばしたら何も残らないような歴史人物の
描き方は酷い。杞憂であって欲しいが。
619名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/12(日) 01:02:58 ID:qcWklY9NO
プロジェクトJAPANの関連ミニ番組、今日の放送は大久保について
5分だけの番組だけど
620名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/15(水) 07:18:34 ID:RRSbI7Az0
>618

広瀬武夫は歴史的にみれば何をしたというところの無い人物。
しかし、広瀬の高潔な人格や、悲劇的な死が、死後、軍神とされるに至った。

その悲劇的な死が、日本人に対してだけではなく、ロシア宮廷にも衝撃を与えたことを
無理なく説明させるには、アリアズナとの悲恋話を盛り込むことが肝要かと。

てか、完全にスレチだなw
621名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/18(土) 23:20:10 ID:fug9DbPW0
大久保が江藤のさらし首写真を各県庁に飾ったって話、
結構よく聞くんだけれど、ちゃんとした出典とかあるんだっけ?
622名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/19(日) 00:07:01 ID:lEqJsW6TO
大久保利通様
尊敬してる。
大好き
623名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/21(火) 04:17:49 ID:FFmmLByo0
>>620
横レスだけど、広瀬の死がロシア宮廷にも衝撃を与えた(これも大袈裟だと思うけど)ことと
軍神とされるに至ったこととは全く別だろ。そもそも広瀬とアリアズナとの恋が公になったのは
大正になってからなんだし。そうやって、広瀬の功績にはアリアズナとの悲愛が不可欠みたいに
後世でいわれちゃってることに、典型的な石部金吉の広瀬は草葉の陰でさぞ嘆いてるだろうなあ。
「あんまりですわ…」って。
624名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/21(火) 09:37:50 ID:ZOdP/1iM0
龍馬伝では大久保はチョイ役扱いになる説あり

ご勘弁を
確かに西郷や高杉といったメンツに比べたらロマネスクな印象は少なくて
食指は動かないのかもしれないが、そんなのはお〜い竜馬で充分だ
625名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/21(火) 11:05:40 ID:i4As0YcI0
最近の大河の流れでいけば仕方ない。
626名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/22(水) 23:06:41 ID:VlKTvBWh0
>>625
昔からそうじゃない?「勝海舟」「花神」あたりでは大久保の影は薄い。「獅子の時代」「翔ぶが如く」
「篤姫」のような、ドラマに占めるウェートの違いはあっても薩摩を描いたものじゃなきゃ、大久保は
端役扱いを免れていない。
627名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/22(水) 23:08:59 ID:VlKTvBWh0
「獅子の時代」は幕末〜明治初期の話だから、どうしたって大久保は出てくるか。連投すまん。
628名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/26(日) 01:23:29 ID:D6Uh/xFh0
でも篤姫は割と大久保をしっかりやってくれた印象。
629名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/29(水) 01:26:10 ID:/QheW03q0
西郷とはぜんぜん別の人格の人として描いていたのはよい。
世間では「西郷さんの助手みたいな人」というイメージだから。
630名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/29(水) 04:10:49 ID:I3s4ICln0
どんな世間だ、それ。。。どう見れば、大久保が西郷の助手なんだw
結局、江戸城開城前後まで、みたいな感じなんだろうか。世間の評価対象は?
そういえば、そこまでのテレビとか結構あるかも、だけど、その後は少ないかも。
やっぱ、龍馬とか新撰組あたりが主人公になるからなんだろうね。

大久保がかっこいいのは、明治になってからだと思う。自分は。
631名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/29(水) 08:55:10 ID:/QheW03q0
世間のイメージ

西郷 上野の西郷さん
大久保 西郷さんの助手
坂本 自由に生きた人
木戸 だれ?
632名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/29(水) 14:04:02 ID:UM+buAf70
>631にプラス

慶喜 悪い人
家茂 いい人
中岡 龍馬の巻き添えで殺されちゃった人
小松 篤姫のことを思って泣いてばかりいた人

最悪なんだけど
633名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/29(水) 20:35:29 ID:i2MnRLpZO
なんかすべて間違ってるわ
634名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/31(金) 18:46:05 ID:6RaR2PrIO
>>631
木戸ふいたw

小学生が覚えてる歴史上の偉人ランキングワースト1、2だっけ?>木戸、大久保
635名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/31(金) 23:25:10 ID:QDnuhsJX0
大久保が紙幣にならないのは何か理由があるの?
636名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/01(土) 04:31:40 ID:T5VvOwbGO
華が無いから
637名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/01(土) 04:50:23 ID:XnEP+rZv0
政治家はお札にするの辞めたんじゃないの?伊藤、岩倉とかから福沢とか新渡戸
とかになったときに。伊藤、岩倉、板垣っつーのも、どーゆー人選よ?だけど。

自分は、大久保や木戸がお札についてたら、畏れ多くて、かなり抵抗あるなぁ。
自分的には、岸田吟香がお札に向いてる顔のように思う。
お札の肖像のスレに書こうかと思ったが、岸田がわかんないかもしれんので、こっちに書いた。
638名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/01(土) 09:13:05 ID:PE+eGWgj0
大久保には有司専制の権化という一面があったから、
そういう人をお札にして奉るのはいかがなものかという意見が
政治家たち(いちおう民主的手続きで選ばれた議員)にあったんではないかな。
639名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/04(火) 06:07:59 ID:VU91CUfL0
大久保って、結局、西郷以外には誰と仲良かったの?
子分にあたるのって誰?
黒田とか、西郷弟とか、大山とか、あの辺は大久保に対してどんな感じなの?
死んでからでなくて、大久保の生きてる頃、木戸にとっての伊藤みたいな存在って
誰なんだろう??と、ふと思って、思い浮かばなかった。。。
640名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/06(木) 23:50:50 ID:aZW8GhQdO
>>639
…伊藤じゃね?
641名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/07(金) 00:20:37 ID:iNcRmrjdO
大久保嘉人
642名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/07(金) 07:34:57 ID:rplSd6A6O
伊藤大変だな、大久保にも木戸にもパシられて
643名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/07(金) 15:41:22 ID:mFM30uWz0
おまけに大久保と木戸が喧嘩すると仲を取り持つ=日常茶飯事だったりw
644名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/07(金) 21:59:01 ID:1BWwzZzsO
小西郷とか。
645名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/10(月) 11:57:28 ID:GtcWO5zXO
大久保はもっと評価されるべき

敗戦後の日本が、大日本帝国≒悪みたいなイメージで扱いすぎなんだよな

関係ないが、平和式典の小中学生のインタビューコメントとか見てると戦前日本≒悪の月並みなコメントばかりで萎える

戦前が全て正しいとは言わないが、あまりに扱い方が極端過ぎる
646名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/10(月) 13:05:00 ID:Yl1rZtqzO
8月10日は大久保の誕生日
同じ年の8月4日に吉田松陰が誕生
647名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/13(木) 07:39:32 ID:WYrXuUNl0
大久保って、鹿児島ではずっと人気なかったんだってね。
最近、鹿児島行こうと思って、観光案内とか調べ出して、はじめて知った。
大久保に限らず、中央政府側だった薩摩人て、地元では好かれてないんだろうか。
あと、廃仏毀釈がすごくて、鹿児島には明治以前の寺がない、というのも初めて知った。
なんかすごい極端でコワイかも。

日記とか書簡からだけ見てると、抜け落ちる観点に驚いた。
648名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/13(木) 08:27:46 ID:69/U/xMG0
>>640
正解だと思うが噴いたw

>>645
そういうのが長じて色んな解釈を知ると極端に走ったりするからね。
どちらにせよ困ったもんだ。
649名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/13(木) 11:06:16 ID:WpBitlpO0
>>647
鹿児島ってのは恐ろしいほど排他的な土地柄だからね。
みなさん知らないだけで。
原理主義的で全体主義的。
今でも、鹿児島出身者なのによどみない標準語しゃべったり、
非薩摩的思考を披露したりすると悪口言われて仲間外れにされる。
650ねこ:2009/08/13(木) 14:14:04 ID:odIwMRL60
大久保利通と連続女性殺人事件、ダイヤ

http://pwvx.hp.infoseek.co.jp/0203/31/200.html

大久保清は大久保利通のパロディーだった。

651名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/14(金) 06:47:28 ID:fkWcAbyC0
>>649
佐賀の江藤に対する待遇と、逆だよね。薩摩の西郷一派に対する扱いは。
佐賀も鹿児島も行ったことないんで、話に聞くだけだが。
その廃仏毀釈は、文久2年くらいと、明治2年くらいが大きかったらしいが、
殿様の菩提寺とかもがんがん壊してたそうで、斉彬/久光と薩摩のイメージが大きく傾いた。
久光が率先してやってたんだろか?久光が留守中だからかね?留守中に暴れる家臣てどーよ?

なんだかよくわからない。
ラストエンペラー(映画の)を思い出してしまった。

あと、最近薩摩絡みで「坂本龍馬を超えた男、小松帯刀(みたいな題)」という
本があるのを知ってわろた。
いつ龍馬に超えられてたんだよ、小松。
篤姫で有名になったんじゃなかったのか?orz

大久保関係ないかもしれんが、薩摩がらみということで。
652名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/17(月) 21:17:53 ID:t3SJ/RdFO
小学生だけならずQさまでも木戸と大久保が混同されとった…直前に木戸を答えているのに
あのヒゲかなりインパクトあるのになぜ分からなくなるのか
やはり西郷とその他、というイメージなのだろうか
653名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/26(土) 19:29:24 ID:dpjTHN5L0
俺は大久保の最後を聞いてここに来ました。
本当に感動しました。よく小説とか映画では悪役として書かれるのに
654名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/13(火) 00:27:47 ID:c06QlVeB0
るろ剣では渋い良い役だったyo
655名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/13(火) 22:45:24 ID:WOKhdU4A0
いい加減頭きたわ
こうなったら幕末〜維新までを背景とした脚本で
龍馬とか西郷とか篤姫とか過大評価極まりない連中をきちんと正当に描写して今の虚像をブチ壊して
大久保とか武市とか異常なまでに過小評価されてる人達を正面から描き切る
そんなものを誰か書いてください
656名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/13(火) 23:12:30 ID:S5HMLiiK0
>>655
いい加減頭きたんだったら、その材料はあんたが持ってんだろ?
じゃあ、あんたが書けよ
657名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/17(土) 02:59:31 ID:7ago37vu0
>>656
だが断る
658名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/11(金) 00:04:24 ID:jJOyXJJw0
あげ
659名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/11(金) 00:18:49 ID:zg1axVpU0
660名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/11(金) 00:20:53 ID:JIBvoiN60
大久保はともかく
武市はいまでも充分に過大評価だ。
山内酔っ払い侯と東洋こそが過小評価。というか不当評価。
661名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/07(日) 20:44:35 ID:13Oeejqg0
たとえ、世間の評価が西郷隆盛とかより悪くても、
俺は、日本で一番立派な政治家は大久保だと思っている。
能力は言うまでもなく、借金まで残ってたって話は泣いた。
今の日本の政治家にこのような人はいまい。
とにかく、日本のために必要なリストラをしながら、
一方でリストラされた武士のために動いていたところに感動した。
662名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/08(月) 19:42:02 ID:llqg4hnF0
>>655最近京極夏彦の巷説百物語が漫画化されてて
その漫画家のプロフィールの項目に偉人とあり
そこに大久保利通とあった!
彼に大久保の真の姿を描いてもらやどうよ
出身屋久島とあるから鹿児島県人だ。
鹿児島県人で偉人を西郷ではなく
大久保としてあるからには一家言ありそうだぞ
663名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/09(火) 07:24:01 ID:BjpTKQ3L0
水を刺すようで悪いが、清廉潔白というのは、政治家にとって重要かもしれないが、
必須ではないと思う。

大久保が金に汚かった、というのは聞いたことがないが、権力、あるいは位置(地位というより)
に対する執着というか、誰かが三傑スレで書いてた「権力の中枢に自分がいることに激しく恍惚と
するようなあぶないタイプ」というのは、あると思う。

大久保は、良くも悪くも怖い。目指してた方向性はわかるし、その方向性が間違ってるとは思わないが、
その行程に数多の屍が....だと思う。
勿論取り立てられた人たちもたくさんいるんだけど。
664名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/09(火) 08:16:36 ID:yp2/53dz0
大久保が取り立てた人って誰?
基本的に郷土主義じゃなかったっけ
司馬の小説だと使える人材は使う、みたいな描かれ方してたけど
大蔵卿時代には渋沢に至く尤もな反対意見言われた途端
遠ざけたりして結構器が小さいとこないか?
665名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/09(火) 13:00:41 ID:iFtDeTOp0
あるいは殺される覚悟で士族(今で言う天下り官僚)の既得権を
切った。当然薩摩からは裏切り者呼ばわり
それでもこれからの日本のためにやらなければならなかった
そして死んだ
当時いちばんに何をやらなくてはならなかったか
枝葉末節を語っている余裕はなかったに違いない
666名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/09(火) 13:20:26 ID:320om/Ja0
士族の既得権を切った最大の政策って廃藩置県では?
大久保はむしろ政局重視で足引っ張ってたような
667名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/09(火) 23:21:19 ID:+LxoVDlo0
>>666
秩禄処分じゃね?

>>664
前島密

>>663
大久保は見た目も怖いよ
背が平均身長155pの時代に180近くまであって威厳もハンパなかった
668名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/10(水) 01:10:26 ID:WdHRJhDu0
>>639
川路利良
669名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/10(水) 06:15:56 ID:JKP8ACbU0
>>639
伊藤は大久保に寄っていて木戸が焼き餅を焼いていたわけであるが?
670名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/10(水) 08:04:13 ID:+P9xnJKe0
>662
当時のアメリカの新聞に、大久保は5フィート9インチ(だから、他の日本人より大きい)と書いてある。
小さくはないが、180cm近くはない。いまだと、ポイントガード(バスケ)でも5-10は必要。
明治天皇が5-7と書かれていたのを見たことがある。
木戸も5-9くらいに書かれていたように思うが。
671名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/10(水) 09:23:40 ID:1Jy3bTkn0
>>669
焼餅とか嫉妬とかっていつの時のことだ?
岩倉使節団の時のことなら、
伊藤がキリスト国教化を言い出して
木戸を激怒させたのが発端で
木戸が伊藤を寄せ付けなくなった
帰国後、関係修復するけど
672名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/10(水) 23:51:19 ID:wui2P4ls0
>>670
おおそうか
180近くって便宜的に書いたけど、鹿児島市の維新ふるさと館では178pってなってた(着ていた衣服から計測)
5フィート9インチって175pだから大体こんなもんだろう
だが明治期の日本人男性の平均身長は155aだから巨大だろw
足音が鳴るだけで内務省内が静まり返るんだから相当怖かったんだろうな

煽りとかじゃなくて5フィート9インチと記載されてる新聞が引用されてる本教えてくれ
673名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/14(日) 17:59:24 ID:lvqaVv6g0
身長だけでなく生活面でも完全に大久保は西洋風だよ。
家は洋館だし、その上日頃家に居る時でも和室より洋間に居る時の方が多かったらしいし、
家でも洋服を着ている時が多かったというから。
その上、朝食はオートミールとコーヒーという当時の日本人としては超洋風の生活。
674名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/14(日) 20:13:01 ID:lSk5TF710
へ〜
675名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/16(火) 00:15:12 ID:OwVHNEsO0
近々鹿児島へ、維新ふるさと館へ行く予定です
鹿児島ラーメンも楽しみだなあ
676名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/07(日) 23:12:17 ID:CV96k8nv0
オットー・フォン・ビスマルクは極東の島国から来た視察団にこう言った。

「万国公法(国際法)は力のある国が弱小国に守らせる
 法律に過ぎ無い。現に英仏等強国は都合の悪い時には
 無視している。これが現実だ」

これを聞いた視察団の岩倉具視以下、大久保利通、伊藤博文らは
以降、殖産興業、富国強兵推進に明治政府の舵をきっていく。
取り分け大久保利通は西郷の征韓論と袂を分かち上の2点に邁進することとなってゆく。

てなことをさっき犬HKの5分間番組でやってたな。
677名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/20(土) 18:09:56 ID:3lOvp8uy0
小松が長生きしていたら大久保は小松とはあまり対立することなく
政治活動ができただろう。
西郷は別格だけど部下の中では小松に一番信頼されていたのは大久保。
678クリトリスヤング:2010/03/27(土) 16:19:23 ID:1QTUyMLC0
死後には借金が残っていた・・・これが本当の政治家
679名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/02(金) 10:56:22 ID:kKgVmc2W0
大久保利通はわかっていたと
思うがいよいよ日本民族
滅亡です。工業なら温帯で人口
があれば誰でも出来る、そっから先
が勝負ですが見事に倒れました。
あとはちょん、中にいいようにされるだけです。
さようなら。
680名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/06(火) 22:24:38 ID:5cSHbdNp0
諦めたらそこで試合終了や!
681名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/22(木) 07:16:39 ID:7BHqad6G0 BE:2530849076-2BP(0)
 
大久保利通暗殺の日、大久保清は逮捕された

http://akiba.geocities.jp/pxzuwp/0203/31/200_1.html

大久保清連続女性殺人事件はパロディだった。

国民は、簡単にだまされたのか。
682名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/22(木) 11:03:20 ID:0VMZPpVB0
>>677
小松の手紙とかを見たけど小松と大久保の関係は結構微妙だったような。
武器や軍艦の買い付けに長崎に行った大久保が小松の頭越しに予算を通そうとしたり、
岩倉との朝廷工作も小松に黙ってしていた部分がかなりある。
そういったこともあって大政奉還前後には小松はノイローゼに近い状態になってる。
それがまた大久保を舞台の主役にしていく。

小松が大久保の能力を買っていたのは間違いないと思うけど、
上司・部下の関係で言うと【使われる上司】としての小松の苦悩は相当大きかったと思う。
683名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/22(木) 19:30:03 ID:f2gAtdBU0
維新後も小松が長生きして変わらず後ろ盾でいてくれたら
大久保は長生きしただろう。
維新後に薩摩閥の有力な後ろ盾がないのは
不運だったと思う。

後ろ盾だった岩倉は公卿だし江藤を抹殺したことに激怒している
権力争いに利用されたくない勝海舟は大久保と西郷の間の周旋を拒否している。

684名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/24(土) 05:08:52 ID:3U+Q9XVo0
薩閥は明治十年以降は軍人偏重だったからなぁ
酒乱で不人気の黒田
不運すぎた山本・・・

松方はどうなの?
685名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/24(土) 07:34:42 ID:+0DhJOUIO
それ言ったら長州閥はもっと後ろ盾いないし不安定、
大村広沢が殺されるし、木戸は病弱だし、三条は岩倉より頼りないし、
幕末ではしばらく追い出されてたから朝廷や幕臣に太いパイプが無かった

やはり六年政変で下野しなかったのが大きいのかな
686名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/24(土) 10:30:43 ID:m2/le5Mb0
西南の役後から大久保は人が変わったように思うことを口にするようになったらしい

役後に伊藤と大隈を呼んで
「自分は今まで色々なしがらみに縛られてきて思うようにことが出来なかった
君たちも私のことをさぞ頑迷で古い政事家と思っただろうが、これからは大いにやる
自分はもともと進歩主義だ、君たちと存分にやっていきたい」
って語ったんだってさ(大隈への報知新聞取材内容)

あの時点でまだ全然本気出してる自覚が無かったってことか
687名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/24(土) 11:16:58 ID:0k9j0knx0
やはり西郷と大久保の間を周旋できるのは
薩摩閥では小松だけだったと思うよ。
同僚の吉井は大久保の子分だしw。
小松は久光がすごく信頼されていたし
小松から要請されれば西南戦争云々も久光は協力したと思う。
688名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/24(土) 23:26:51 ID:laCq4sW60
吉井は途中から物資調達や連絡係をしていて坂本や井上・伊藤あたりと親しくなっていってるしな。
大久保や西郷みたいな人間と伍していくよりは、軍事絡みの商売を模索していたみたいだな。
実際、明治になって吉井は関西財界のリーダーになってるし。
大阪商工会議所の横に吉井の銅像がある。
689名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/26(月) 08:50:19 ID:fdDqFNFG0
>>687
>小松から要請されれば西南戦争云々も久光は協力したと思う
それはないよ
そもそも小松は開戦反対派になるだろ
690名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/26(月) 19:03:04 ID:Bn+Nwzcm0
久光のことは一番信頼されている小松に任せれば良かったとのだが…
小松の早死、西郷の下野、久光から信頼されなくなる
これらのことで大久保は苦労しただろうね。
691名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/01(土) 00:25:27 ID:6KLoqQak0
現在小沢がマスコミを含めて集中砲火を受けてるけど
西南戦争前後の大久保の叩かれ具合もこんな感じだったのだろうか
692名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/03(月) 12:35:24 ID:4XB6TTRQ0
今の小沢は批判されて当然だよ。
大久保と一緒にしないでくれ。
693名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/04(火) 02:16:53 ID:u3dB+33K0
はっきり言って、今の政治家(どの政治家についてもだ)と同じにするのは失礼。
ましてや、自民党のお坊ちゃんお嬢ちゃんのママゴト政治家なんかと比べるのは失礼すぎる。
694名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/05(水) 18:23:16 ID:HS4RkQl+0

大久保利春=ロッキード事件

大久保清=大量女性殺人事件
695名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/05(水) 18:55:18 ID:/lzsIs+b0
ママゴト政治家ってまさに鳩山のことだな
696名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/21(金) 01:47:35 ID:J32tHnn30
海外で一番大久保利通に近い人物つーと
韓国の朴正煕大統領が思いつくな

独裁者ではあったけど国の発展について本気で考えていた訳だし

最後は二人とも暗殺された訳だし
697名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/21(金) 01:56:33 ID:AAuPbKxU0
薩摩最強
698名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/21(金) 05:27:24 ID:73LgGiiW0
李承晩最低や!!
699名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/25(火) 02:38:08 ID:L0Hx7uMT0
x
700名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/31(月) 21:12:31 ID:iqxR05JX0
薩摩はウザイけどこの人だけは認めざるをえない。
701名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/01(火) 11:10:37 ID:14jONP+Y0
702名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/02(水) 01:00:07 ID:C9lamc7N0
>>700
東北の人?
703名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/06(日) 21:07:36 ID:i3H0kHly0
東北人はかなりうざい
屋久島に旅行したとき、旅館のおばさんが東北人を毛嫌いしてた。
今だにネチネチと薩長の悪口言って、東北人ってバカみたい
704名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/06(日) 23:27:19 ID:wG68f43qO
現代の政治家を見たら、大久保はどう思うんだろ?
705名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/06(日) 23:31:43 ID:Rb2brvB/0
不可助の仕儀に御座候
706名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/07(月) 01:56:48 ID:qgHyElWbO
民主党醜態笑止ナリ
707名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/07(月) 15:41:57 ID:BwOOP1LP0
どうかなあ
彼は権謀で政権を奪って居座った人だから、民主応援かも
708名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/07(月) 16:27:39 ID:qgHyElWbO
その後の政治がデタラメな上清貧とは真逆
何より売国奴な連中を応援するわけない
709名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/07(月) 16:45:05 ID:BwOOP1LP0
マスコミは総叩きだったし、国民の支持も皆無だった
当時のマスコミによると、大久保利通は利権で私服を肥やしていることになっていた
当時のマスコミは、大久保を売国奴だと言っていた
710名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/07(月) 18:16:05 ID:qgHyElWbO
>>709
その時点で間違いなんだから当時からいかにマスコミがいい加減なロクデナシということがわかる
それを真に受ける国民の馬鹿っぷりもな
711名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/07(月) 19:37:03 ID:g71tTuWVO
マスゴミは人類の癌
日本再生はマスゴミを根絶やしにするところから始まる
712名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/07(月) 20:31:07 ID:ZuawF88h0
>>707
日本の将来や国益を行動基準の軸にしていた大久保が
政権に居座るために国益完全スルーする民主党を応援するとかあり得んわw
713名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/08(火) 00:24:22 ID:+Ff/j0oIO
大久保卿と比較できる政治家など現代日本にはいない
今の政治家で国のことを真剣に考えてる奴なんていないだろ
714名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/08(火) 15:34:45 ID:ywIhRbBl0
大久保清の逮捕された5月14日は、
http://akiba.geocities.jp/pxzuwp/0203/31/200_1.html
ただの5月14日ではなかった。
http://akiba.geocities.jp/pxzuwp/C/05/14.html
この日は、日本の歴史を飾る、「事件の終わりの日」だった。
とすると、全ての事件は、やらせだったことになる。
二人の横綱の誕生日も語呂合わせだった(6月1日、旧暦4月23日)。
一体、相撲とは何なのか。
715名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/08(火) 21:58:21 ID:C8imH3+3O
大久保はおろか他の元勲と並べる政治家もいないだろ
山縣、井上の悪いとこを受け継いだ奴らしかいない
716 ̄ ̄∨ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄:2010/06/09(水) 05:22:45 ID:nJaOUaUO0

     、z=ニ三三ニヽ、
     ,,{{彡ニ三ニ三ニミヽ
     }仆ソ'`´''ーー'''""`ヾミi
     lミ{   ニ == 二   lミ|
.     {ミ| , =、、 ,.=-、 ljハ
     {t! ィ・=  r・=,  !3l   
      `!、 , イ_ _ヘ    l‐'
       Y { r=、__ ` j ハ─
    .ノ~)へ、`ニニ´ .イ /ヽ   
   へ'ン  `ー‐´‐rく  |ヽ
  〈 ヽ \〉、_\_ト、」ヽ!
.. 〈 \ \ノ つ | \ | \
717名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/20(日) 19:42:03 ID:LvgdWegOP
会津戦争の大虐殺って有名な話だけど
女は全員犯して子供を斬り殺し家家に火を放ち焦土にせよと指示したのは大久保卿?
718名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/20(日) 21:08:23 ID:/bUPzT040
LvgdWegOP、おまえ・・・もう少し勉強しろよ
単に煽ればいいってわけじゃないぞw
719名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/20(日) 21:27:34 ID:Z/Hf5iiHO
>>717
会津厨醜態笑止ナリ

西郷厨、江藤厨、木戸厨ならまだわかる
会津厨などという愚物が大久保卿のスレに足を踏み入れるとは何事か

はっきり言えることは大久保卿は会津のような愚物共など眼中にない
720鹿児島出身東京在住:2010/06/24(木) 02:10:09 ID:LYHMyakt0
皆さん大久保卿の偉大さをご理解いただき誠に心強い限りです
721名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/27(日) 01:43:32 ID:ZHEiQDCNO
>>720

日本近代化を開いた大偉人ですから、神ですよ
722名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/04(日) 09:40:38 ID:mvj3zZBZO
大久保卿はヘビースモーカーとして知られるけど
ドラマみたいに葉巻ばっか吸ってたの?
723名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/25(日) 22:34:37 ID:2Lso2wz60
>>722
多分パイプ
指宿煙草っていう相当キツくて辛いやつ
724名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/25(日) 22:35:23 ID:2Lso2wz60
欧米では葉巻を吸ってた
馬車の中が大久保のせいでもうもうと煙たくなってたそうだw
725名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/25(日) 23:17:54 ID:mixQlvcq0
龍馬伝では大久保利通は出ないみたいね
726名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/26(月) 16:51:39 ID:BuwWaVuU0
>>725大西郷の扱い・キャラの作り込みがあんなペランペランで
(更に1865年当時の薩摩と幕府との力関係も正確に描写せず)
坂本を立てることのみを眼目に置いた行きあたりばったり脚本の薄味ドラマには
逆に、中途半端に大久保公を登場出させないでくれて有難かぁ〜ちゅう心持ちでごわす
727名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/26(月) 20:43:46 ID:BjNsCO8G0
下手に登場しちゃうと暗殺の黒幕にされそうだしな
728名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/30(金) 19:17:11 ID:+ZxKK4lC0
同感だわ。龍馬伝は、坂本龍馬以外は龍馬の持ち上げ要員みたいな
描き方だからな。
どうせ
龍馬「大久保さんは、間違っちゅう!」
大久保「むむっ、さすが坂本」
みたいな感じにされるのは目に見えてる
729名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/05(木) 19:02:48 ID:e997mA750
この間、大学の図書館に大久保日記があったから読んでみた。

絶景をべた褒めしたり、当時の慷慨の志士の御多聞に漏れず、
一蔵どんも歌を詠むことがあったのは個人的に意外だったわ
730名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/08(日) 02:11:33 ID:0iY7cpv60
欲しいけれど買うと7・8万するらしいね
731名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/09(月) 21:13:42 ID:I7QCbw9/O
>>727
最近のNHKは龍馬暗殺は薩摩と決めて
かかってるから花神の海江田みたいな扱いになりそうだな
732名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/17(火) 16:34:52 ID:RbKHgZ//0
時間がかかったが大久保文書を読破した。
ドラマ「翔ぶが如く」では主人公特権?で大幅に美化されてると
思っていたんだが、鹿賀丈史のイメージのまんまで驚いた。
(ただし寺田屋事件の後始末と佐賀の乱は除く)

それと、岩倉&三条の仲の良さに和んでしまった。大久保と木戸が
揉める度に「あの二人には本当に苦労させられるよね」とか言い
合ってたりw三条公は単なる御飾りで、大久保と岩倉が好き放題
してたってわけではないんだね。
陰険な策謀家のイメージが強い岩倉だが、大久保や三条公への書簡
を見るとけっこう情けないというか可愛らしくて笑える。
逡巡する岩倉に対して大久保が「とっとと御決断下さい!」と
お尻を叩くかのような書簡が多くて可笑しかった。
(大久保は岩倉に対しては遠慮無しにズケズケと物を言っている)
733名無しさん@お腹いっぱい。
寺田屋の件って確定なの?