【最後の】山本五十六【もののふ】

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461名無しさん@お腹いっぱい。
一冊の本を紹介したい。
柴田武雄氏(元海軍大佐)の「源田実論」(思兼書房)だ。
柴田氏によれば、ミッドウェー敗戦の実質的最大の責任者は、第一に源田航空参謀であり、第二に山本五十六連合艦隊司令長官だ。
(ミッドウェー敗戦こそが、日本の敗戦を決定的にしたことはいうまでもない…と言いたいところだが、>418のような大本営発表そこのけのレスを見るとそうでもないのかも)

それを示すエピソードとして、次のような話を披瀝している。
462名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/17(火) 20:40:59 ID:Gx0SFcJ30
五十六「知られざる一面」

昭和八年夏、海軍で航空戦技が行われた時のことだ。
爆撃機は目標艦にぶつかるほど接近して魚雷を発射するので全部命中(戦技では艦底通過)する。
その後、研究会に移り、ある大尉が次のような意見を発表した。

実際は、雷撃機が目標艦にぶつかるほど接近する前に、途中で敵の防御砲銃火によって撃墜されるものが相当ある。
戦技でやっているのと同じように接近したら、味方が全滅する可能性がある。
あと数秒で撃墜されるかもしれないのに敵艦に接近を続けるよりは、多少距離が遠くても魚雷を発射したほうが有利ではないか。
そこで、実戦の場で発射前の被害を最小限にとどめ、遠距離からでも命中率をあげるための対策を研究する必要があるのではないか、と。
463名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/17(火) 20:41:44 ID:Gx0SFcJ30
続いて、筆者の柴田氏(当時、大尉)が戦闘機乗りの経験から、意見を述べた。
戦闘機の固定機銃の特長は、連続射撃時の散布幅が小さく、命中率が高い点にある。
一方、攻撃機などの旋回機銃は射弾の散布の幅が広くて連続発射時の命中率が低い。
とはいえ、至近距離なら命中率は大差ない。一機で多数機を撃墜できるという戦闘機固有の威力が生かせないことになる。

戦闘機の特長を最大限に生かすために、適当な射距離から射撃することを可能にしたい。
射距離が長くなっても命中効率が低下しないような照準器、兵器弾薬等の発明、実戦的な訓練が必要である、と。

いずれも、実に合理的な、そして実戦に即した意見であることは、あらためて言うまでもない。
464名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/17(火) 20:42:04 ID:Gx0SFcJ30
ところが、である。出席していた山本五十六は、柴田氏の発言をさえぎるように立ち上がり、強く叱責したという。

「いま、若い士官たちから射距離を延ばすという意見が出たが、言語道断である。
そもそも帝国海軍の今日あるは、肉迫必中の伝統的精神にある。
今後、1メートルたりとも射距離を延ばそうとすることは、絶対に許さん。」
465名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/17(火) 20:43:42 ID:Gx0SFcJ30
この発言に接した無念の思いを柴田氏は次のように記している。

「この人(山本五十六)は精神偏重に目がくらみ、各国海軍とも、敵艦を遠くから射撃して撃沈するため、艦砲(兵器)の研究・開発に伴って射距離が延ばしてきている、
という歴史的に明白な事実、およびその自然必然性を忘れ、
兵器の改善・発明等を軽視または無視している(と言われても仕方ないようなことを、権力をかさに着て威張ってものを言っている)大馬鹿野郎だ」
466名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/17(火) 21:02:29 ID:fl/NPRgl0
>>461
これまたとんでもない無知だな。

>>418のような大本営発表そこのけのレスを見るとそうでもないのかも)

連合艦隊は太平洋戦争の最初の一年の間に
真珠湾、マレー沖、ジャワ沖、バリ島沖、スラバヤ沖、バタビア沖、セイロン島沖、珊瑚海 ミッドウェー、第一次〜第三次ソロモン、サボ島沖、南太平洋、ルンガ沖等々、
実に十数度に及ぶ海戦を行なっているが
そのうち明確な敗戦といえるものはミッドウェー、サボ島沖、第三次ソロモン海戦の三つしかない。
あとは大半が日本側の勝利に帰している。

これは大本営発表などではなく、米側の公式記録にも残っている海戦の統計であって
一部の無知者が盲信しているような「日本が勝ったのは真珠湾だけ」などという妄想とは完全に反している。
467名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/17(火) 21:36:47 ID:fl/NPRgl0
>>464
ただのコピペなどに答えてもマトモな返事すら無いだろうし、わざわざやるのは気が重いが。

まずは戦闘機の射程について。
銃には有効射程というものがあるが、戦闘機の機銃とは敵味方とも非常な高速で飛んでおり
揺れる機体に固定されているため、有効射程ギリギリから撃ってもまず当たる事は無く、弾を無駄にするだけだった。

従って「できるだけ近くから撃つ」というのが“各国共通”の空戦基本原則であり
敵機を落すにはできれば100メートル以内という至近距離に近寄る必要があった。
これは日本だけでなく、ドイツでもアメリカでも同じことで、照準器の問題とは関係ない。
腕がよければよいほど、近づいて当てるという一撃必中の能力が求められている。

例えばWW2最高の撃墜王である、ドイツ空軍のエーリヒ・ハルトマンの射撃距離は15m〜50mという超至近であり
英空軍のトップエースであるマラン大佐は20mあたりで射撃していたとされる。
日本のエースである坂井三郎などといった戦記を呼んでも、近づいて撃つというのはベテランであればあるほど重視されている。

大型の爆撃機は射撃の際に距離の感覚が狂い、
遠距離から射撃してしまうために命中しても効果が薄くなりがちなため
爆撃機に対する射撃は意識して近寄りすぎるくらいで撃つのが効果的だというのが常識となっていた。

従って戦闘機の射撃距離を伸ばそうというドクトリンなどは、
それこそ世界の空戦のセオリーから外れた明らかに的外れな間違いであって、
山本が一蹴したというのは、逆に戦闘機戦術に対する造詣が深かったことを証明する点といえる。