394 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/27(金) 10:01:37 ID:NyHq2c/e0
お前オウム真理教だろ
395 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/27(金) 10:05:11 ID:0NHAT6lA0
美化されているといえば会津藩だろう
会津藩は戊辰戦争の勝利者となり、歴史を勝者の都合の良いように改竄。
会津藩閥政治をはじめ、ついに太平洋戦争で日本を滅ぼす。
特攻隊も学徒出陣も会津武士道の具現化であった。
会津こそ滅ぼすべきだよw
396 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/27(金) 10:10:22 ID:NyHq2c/e0
あいーんW
397 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/27(金) 10:17:19 ID:0NHAT6lA0
くっくっくw
架空の妄想は蜜の味
なんでも有りw
好きな妄想てんこ盛りに出来るから楽でいいやねw
398 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/27(金) 10:23:36 ID:NyHq2c/e0
お前なら、女性を強姦することをなんと表現する
悪いのは「女」で、自分英雄視しないと
399 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/27(金) 10:25:40 ID:NyHq2c/e0
どんな情けない振る舞いも、英雄的振舞いに抽象化され賛美されるのが
2ちゃんねるです
批判すると極悪人にされてしまいます
400 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/27(金) 10:46:15 ID:0NHAT6lA0
>>298 「女性を強姦することをなんと表現する」
法学的な解釈ではなく、史学的解釈をするならば・・・・
「女性は強姦された」
それだけじゃね。善も悪もなく、ただ事実のみ。それが「歴史」。
歴史的解釈論にこれを発展させるならば・・・
強姦された後の歴史に注目する。
「女性は強姦され、心傷のあまり自殺した」
場合、「強姦された女性は不幸であった」と結論付ける。
「女性は強姦されたが、その後も強く生きた」
場合、「女性は強姦された事は不幸な出来事だったが、その後も強く生きた女性を称える」という結論になる。
「女性は強姦された結果、子が生まれた。父無き子ではあったが親子は幸せに暮らした」
場合、「強姦された事は不幸であったが、その結果女性は幸せを掴んだ。」となり、強姦された事が良かった事になる。
むしろ、「女性は強姦されなければ、もっと幸せだったはずだ」と妄想を逞しくするのは、
妄想する者の身勝手という事だよ。歴史じゃないよねw。
401 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/27(金) 10:46:40 ID:NyHq2c/e0
ぱーになるよ
402 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/27(金) 10:53:10 ID:NyHq2c/e0
女性を強姦することを2ちゃんねるでは
万引きを働いた無職男性を、店員が取押える
お手柄♪
と表現します
403 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/27(金) 11:12:48 ID:NyHq2c/e0
それが明るみになり、顰蹙を買うと
一人暮らしの女性、暴行され殺される
と自分が被害者になっちゃいます
これが2ちゃんねらです
404 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/27(金) 11:40:13 ID:NyHq2c/e0
それは、暗喩を用いて反社会性を肯定することから生まれる
「解離性人格障害」だね
405 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/01(日) 07:25:51 ID:vDlPvqRt0
あまりに性急に中央集権国家つくってしまってという感じはあるね。地方分権
の観点からすれば幕藩体制も悪くなかった。道州制みたいな規模で連邦国家に
してもよかったと思う。
406 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/01(日) 08:15:26 ID:idMwQzSM0
小栗厨房や会津馬鹿が星亮一の妄想を真に受け、
米国みたいな道州制や地方分権で小さな日本を目指すべきだと叫ぶ。
星亮一の受け売りだから馬鹿の理屈と気が付かないw
地方分権と言えば聞こえがいいが、地方分権と封建制度は違うw
幕藩体制は統一国家ではないw
北海道がロシアに侵略されても九州四国、本土の藩が兵を出す事を拒絶できる。それが幕藩体制。
事実、幕府が長州征伐を宣言し諸藩を動員しようとした際、この命令を拒絶した藩が半数ある。
また兵を出しても自分の藩の領地が侵略された訳じゃないから本気では戦わない。
事実、戊辰戦争の際本気で戦ったのは薩長だけで外の新政府軍に参加した他の藩はほとんど戦わずに逃げていた。
407 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/01(日) 10:31:10 ID:qNfsAF8y0
>>405 >あまりに性急に中央集権国家つくってしまってという感じはあるね。
徳川幕府が貪った260年間の惰眠のツケが余りにも大きすぎたのだ。
その遅れを取り戻すためには、性急にならざるを得なかったのだ。
全ての責任は徳川幕府にある。親父の莫大な借金を返すために懸命に働いた
孝行息子を責めるのは余りにも筋違いだ。明治新政府が、わずか45年の間に
どれほどの業績を為したか知らないというのか。例えば、交通インフラを考えてみよう。
徳川幕府は家康公が定めた五街道を260年かかって整備しただけだ。
それに対し明治新政府は7000kmを超える基幹鉄道網を全国に設けた。
まあ、大半は私鉄を買収して国有化したものではあるが。
それでも明治新政府の施策があったからこそ、そうした民間資本で公共インフラを整備できたのだ。
>地方分権の観点からすれば幕藩体制も悪くなかった。
あまりにも無邪気すぎる。幕藩体制の弊害を全く理解していないとしかいいようがない。
幕藩体制は地方分権ではない。実際に政治を行っていたのは藩なのだ。幕府は藩の統制をしていただけ。
幕府の藩の統制とは、政治を監督するということではない。
徳川家を超える有力大名が現れないように、藩の財政が傾くような事業を命令して苛めていただけだ。
例えば、木曽三川の治水普請を薩摩藩に申し付けるといった具合。
木曽三川といえば、愛知県か三重県のあたりか。これをわざわざ九州南端の薩摩藩に命じるというのだから
正気の沙汰ではないし、その狙いはいうまでもないだろう。
徳川幕府の政治とは全てこんなもの。再び戦国時代に戻さないという目的だけ。
最も大きな弊害は、諸藩によって制度・慣習・規則が全くばらばら。
例えば東京ではエスカレーターで左側に立ち、急ぐ人は右側を通るが大阪では右側に立ち、左側は急ぐ人。
エスカレーターは所詮、右側と左側しかないのだからたいしたことがないが、
江戸時代は日常生活のあらゆることが万事この調子で諸藩によって違っていたのだ。
自動車でいえば、ブレーキと思って踏んだらアクセルペダルだったとか笑えない珍事が起こる。
408 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/01(日) 10:53:51 ID:geCXPgSM0
>明治新政府が、わずか45年の間にどれほどの業績を為したか知らないというのか
まったくもってその通りだ。
黒船が来ただけでビビり、国内の混乱すら収拾できなかった幕府に比べ、
僅か37年で西欧列強の一つロシアと対等勝負し勝利を得ることが出来た明治政府。
あの最強国英国が栄光ある孤立を捨て、最初の対等同盟国としたのが日本明治政府。
それが全てを物語っている。
409 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/01(日) 11:41:43 ID:FiTMOXb00
同盟国ではなく利権を分け合う(しかも自分の国の)パートナーです
410 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/01(日) 11:45:29 ID:FiTMOXb00
昔の方がマシかな、外人の欲しがるものを作って、軍艦と交換し
国家としての体裁を整えようとしたんだから
それが今やパ〜トナ〜
411 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/01(日) 21:48:59 ID:geCXPgSM0
412 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/25(水) 18:19:35 ID:ARqX42u00
徳川政権が続行していれば日本は欧米の植民地にされていただろうから
確かに大東亜戦争は起きないね
北方領土も初めから分捕られてるだろうから喪失する心配もないね
そもそも「国民」という西欧でも新しい概念を
急速に日本に適応させ
「日本人」を生み出したことも明治政府の大きな功績だ
徳川にそんな事ができるかな?
>>413 >北方領土も初めから分捕られてるだろうから
はあ? 択捉−ウルップ間を国境とする条約を結んで、北方4島の日本固有領を決定付けたのは幕府なんだが。
そらそうだが、微妙に主張がずれているのでは。
幕府の体制では、ロシアの南下に耐えられなかったと
>>413は言いたいのではないだろうか。
まぁ北方領土は知らんが、対馬の租借はあっただろうと思われ。
417 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/09(火) 18:14:41 ID:85GaNU580
418 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/09(火) 18:18:59 ID:85GaNU580
419 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/09(火) 19:21:47 ID:ex8D6BUwO
徳川幕府が続いてたら戦争なんて起こそうにも起こせんわな。
日本列島から海外に向けて精一杯武力蜂起らしきものをしたとしても、付くのは
「○○戦争」じゃなくて「△△の反乱」とか「□□の襲撃」とかそういういう名前だろうからな。
420 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/10(水) 02:17:17 ID:JNcl5wjm0
頼む神様
目が覚めたら1930年にタイムスリップさせてくれ
日本はジオンに国名変更
主力兵器はガンダム
俺たちの時代が来るぜ!
421 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/10(水) 02:18:50 ID:JNcl5wjm0
思い返せばWINDOWS95から10年程度でここまでコレタ
10年あれば月に基地を造ることも可能だな
422 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/10(水) 05:58:59 ID:9MVnr1Q30
徳川のおかげで国内の金銀を大量に西欧へ垂れ流され
急激なインフレがおきました。
アメリカの南北戦争がなければ確実に植民地になったでしょう。
>>421 >10年あれば月に基地を造ることも可能だな
アポロ計画のレベルで予算組んでたら、20年以上前に出来てるよ。
424 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/11(木) 00:51:00 ID:WDEL2uRfO
徳川家達ってコミュニストや右翼に多額の献金してましたが、、そのおかげで軍の暴走もはじまってるんですが
尾張家の人が右翼に献金(?)してたとは聞いたことあるな
426 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/12(水) 02:32:11 ID:j34umcWb0
保守
427 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/12(水) 05:03:52 ID:130Fs4o40
家達公が右翼に献金したのは本当?
428 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/12(水) 19:16:15 ID:x2xO3oU/0
西周は、徳川慶喜の命により、アメリカ合衆国の憲法を生き写しにした日本国憲法を
既に作っていたが、内乱による日本の国家としての滅亡を危惧して、戦闘を止めた。
外様諸国の下克上だった薩長土肥の計略を受け入れて、天皇による祭政一致のイギリ
ス型(英国国教会の長である王権神授説のジェームズ一世)に歴史的逆光に移行した。
イギリスは、チャールーズ1世が清教徒から処刑されるのと反対である。
>>428 共和制になってたら間違いなくワイマールドイツコースだね。
ナチスか共産党の一党独裁の全体主義。
複数政党制+資本主義の自由民主主義が続くはずないw
>>1 徳川政権が続行している仮想戦記で、「葵の太平洋戦争」という本があったよ。
431 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/27(日) 10:01:38 ID:+E4qu8Hj0
ゴローゾフとかロシアとの外交問題は、うまく対処してたのに、あんなへま?やらかしたのは
やっぱ、アヘン戦争で清国が負けたのしってビビリすぎたからじゃないかと思い始めた、今日この頃。
>>431 当時のロシアは日本を先進国の一つとして認めてくれていただけで、
頭から日本を見下してたアメリカとは交渉以前の問題だったんじゃないか?
お前らよくそれで会話が成立してるな。
ゴローゾフ→ゴローニン
当時のロシアは日本を先進国の一つとして認めて→当時は江戸時代
434 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/29(火) 18:52:38 ID:PyI0mz7w0
廃藩置県が行なわれず、藩が徐々に整理統合されて連邦国家になっていたら
ドイツのように産業の中心が幾つもあるようになっていたかも知れないね。
いまさら道州制をといっても歴史的連続性が失われていて人工的編成になる。
435 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/10(土) 09:07:24 ID:8oYIxgfe0
歴史に必然無し。偶然あるのみ。必然とは偶然の連続の後知恵。
歴史的連続も、偶然。アレキサンダー大王、シザー然り、シャルル・マーニュ、
ナポレオン、レーニン、フランクリン・ローズベルトしかり。
高橋軍縮、橋本緊縮財政然り。背後のアメリカ合衆国政府の政策然り。
小沢一郎による、対日通商条約における日米構造協議に内需拡大320兆円
(公共事業費)を忍び込ませたのも然り。偶然を必然にすり替えたもの。
436 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/10(土) 14:53:44 ID:IJjqKR1vO
>>434 幕藩体制ってのは狭い島国に小さな北朝鮮が乱立していたようなもんで、
チンケな財政規模で馬鹿殿の面々が恐怖政治を敷いていた体制だろ。
そんなんベースにしていたら鉄道すら敷けないし、産業が発展する以前に
徳川の権威が無くなるやいなやアフリカみたいな部族抗争に突入しているだけだって。
もっと上手に釣りをしましょうね
北チョンでも主君押し込めやバカ嫡子廃嫡して
養子取りが出来ればああはならんよw
440 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/18(日) 01:41:33 ID:o20Wdrml0
どうなのでしょうか、薩長開明派は、もう尊攘じゃなくて開国に転じていたということ
結局、尊攘というものは、地方の士を消耗させるためだけの手段でしかなかった
ようにも最近思えます。権力側が、あえて仕組んだのではないでしょうか。
戊辰戦争云々という話もあると思います。水戸の天狗党のこともちょっと
調べました。今ならオウムみたいな話でしょうか。東山道の諸藩が戦って
敗れたというような話だと思いますが、市役所とか警察の職員が武装集団と
戦ったというような話かもしれません。
昭和のファッショ時代というものもあったと思うけど、「食えない」ということは
支配の根幹を覆す原因になるってことは、痛く感じますね。
むしろ、明治の開明は、開明派幕臣と肥前系の官僚がやったという面の方が
大きいのではないかと思います。それで付いてこれない西南の士族が反乱を
起こしてしまったということではないでしょうか。
戊辰戦争よりも、廃藩置県・秩禄処分・士族授産事業などの方が難しかったのでは
ないかと思います。
今、大企業も苦しい、派遣切りなど、幕末よりも難しいような時代だけど
どんなビジョンをもっていますか。幕末維新が好きな人の気持ちもわかるけど
趣味人的な逃げになっちゃイケマセンよねw
441 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/18(日) 03:55:34 ID:o20Wdrml0
たまたま居酒屋に行っていた時に、宮崎駿の「火垂るの丘」のドラマ版を
テレビでやっていて、見入ってしまいました。私は、昭和40年代の生まれですが
その20年ぐらい前に、そんなことが現実にあったのかということを
考えると、そんなに昔のことではないのではないかと思います。
東京の人間ですが、近所には、鹿児島などの出身者も多いですね。
その店のママさんは、秋田の方の出身だと聞きました。秋田は、倒幕側だった
そうですが、岩手などと較べると全然人材も出ていませんね。
まあ、そういった話は、知らないだろうと思って、その手の話は
しませんでした。
「火垂るの丘」を見ながら、いろんな話をしました。たしか、海軍の軍人の
遺児という設定だったでしょうか。少年が妹を連れてリヤカーを引っ張っている
というような場面もあったと思います。そんな場面を見ながら、
「私の祖父は、明治生まれで、小学校を出て、木場の材木屋に
修業に行ったそうです」というような話もしました。
「プライドが高いと仕事も出来ないのでしょうか?いや、こんな話したら
不謹慎かもしれませんねw」なんて言って笑ってしまいました。
明治もあったと思いますが、戦中戦後の時代は、今でも生きている人がいるので
生きた証というものがありますね。
不況・派遣切り・少子高齢化、こんな時代をどうやって切り抜ければいいのでしょうか。
現実から逃げないで考え行動したいものです。
442 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/18(日) 04:19:51 ID:o20Wdrml0
徳川か薩長かという名目論もあっっていいと思いますが、それは、どちらかというと
先ず、官僚・軍人クラスに権限が移って、最終的に条約改正をするためには
自由民権主義・議会制民主主義に変わらなきゃダメだという方向になったという
話だと思います。その点で、土佐は、かなり時代を先取りしていたと思います。
都下に五日市憲法草案などがあったという話も聞きます。
この間、鳩山内閣で事業仕分けってやってたけど、官僚・軍人って人たちは
なかなか認めたくない部分もあるんだろうけど、その辺は、一つ大きくなって
「民の政治となさしめたまえ」という考えに変わらないと一皮むけないのかも
しれませんね。アイゼンハワーなんかは、軍人でも大統領になったけど
一つ高い立場から全体を見るということも政治には、必要なのかもしれませんね。
丘→墓