935 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/29(金) 09:26:20 ID:9zSbt/CB0
>>932 日清戦争や日露戦争当時の政治家ならそうだろうね
アメリカも日本の軍事政治指導者の劣化は暗号解読できなかったのだろうな
現在の政治家もひどいものだが
満州事変後、勲章欲しさにどんどん戦場を拡大するやつが、陸軍の一部にでてきた。
それを見て、海軍の中にも戦争にかかわって、勲章をほしがるやつが出てきただけの話。
海軍が戦争をしたくなかったというのは、嘘八百。
勿論、全員がしたがっていたわけではないが、戦争をやりたがっていた連中を、
おさえきれなかったのだから、同じ事。
> アメリカも日本の軍事政治指導者の劣化は暗号解読できなかったのだろうな
そんなことはない。アメリカは当時の日本の軍事指導者の劣化の詳細をつかんでいた。
例えば
GHQ軍政部は、「米内大将については、自分たちの方で生い立ちからすべて調べてある。
命を張って三国同盟と対米開戦に反対した事実、終戦時の動静、全部知っている。
米内提督が戦争犯罪者に指定されることは絶対にあり得ない」と断言していた
(阿川弘之『米内光政』)。
次のようなのもある。
ニミッツが心配しているのは、山本の後にもっと優秀な司令長官が出てきはしまいかということだった。
レイトンは日本海軍の指揮官の名前を一人一人挙げ、その長短を分析していった。
そして、「誰と比べても、山本は抜きんでています」といった後、こう結論づけたという。
「(ニミッツ)長官が撃墜されるのと同じです。他に代わりうる人物はいません」
…
ニミッツを(五十六撃墜)決断させた理由の一つは、山本が極めて時間に正確な男で、
今度も予定を寸分違わず守るだろうということだった。
(『図説 山本五十六』)
そうだよな、水交社74期の廊下トンビが
戦後生き残った軍令部系統や、どうでもいい佐官連中を飛び回って
幾ら徳間書店から梵鐘イソティなんて駄本をだそうと
敵はちゃんと、
「対米戦不可の現実を冷静に見極め」
「南方要地確保後の長期不敗体制樹立など絵空事と断じて」
「その中で最効率の軍事作戦(日本軍主導の短期連続決戦)を模索した五十六」を
暗殺すべきキーポイントと評価しているんだよな
940 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/29(金) 18:30:30 ID:oK8I/n7NO
941 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/29(金) 18:37:05 ID:WVdzO4ejO
上の方で箇条書きにしたレスがある
あのとおりでしょ
>>938 そりゃ、帝国海軍の人事は抜擢人事が非常に少ない上に、
どっちかっていうと平時に力を発揮する陣容だったことは
暗号と無関係に、米軍なら分析できておかしくないってw
943 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/30(土) 00:11:39 ID:bBOD1aDr0
>>931 >お前が「当時の実情」と思いこんでるのは当時の大本営発表だよ。
無知浅学のキミがそう思い込んでる妄想だねw
案の定まともな反論すらできない木偶の坊か。
哀れだなぁ
>>943 当時の日本の指導部がそんなに正確な自己把握を行い、
それを一般民衆に公表できるくらいなら戦争に負けてないし、
そもそも戦争になってるわきゃありませんってw
昭和16年7月くらいから、新聞の見出し見ると、
「英米蘭の横暴許すマジ」
「ル大統領、わが帝国代表の不退転の決意に動揺」と徐々に緊張感が高まり
「米英何するものぞ」とはっきりいって戦争を煽るんだよね。
8月の南部仏印進駐と同時に、蘭印でアメリカにならい、在日本資本凍結
在留邦人の総引き揚げが始まり
「次は日本軍が蘭印の石油資本を戦争で奪い取りに来る」
って緊張が高まるわけ。
蘭印が壱番熱心に日米交渉の成り行きを見守っていたんじゃないかな。
交渉が不成立なら、間違いなく日本は蘭印の石油を奪いに来るし、そのための南部仏印進駐だからな。
蘭印守備左翼の英領シンガポール、右翼のフィリピン米軍は、むしろ他人事だろうな。
もともと軍事基地なんだし
946 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/30(土) 02:55:58 ID:r+KcNHVgO
最近でた筒井清忠の近衛文麿いいよ。
日本の戦略なき国策がドイツに翻弄されでドンドンとドツボに嵌まる様が分かる。
日米戦に関してはやはり松岡がガンだった。これに尽きる。
やはり中国人の統一意識と排日運動とどう向き合うかだな。
トラウトマン工作の失敗とか、暴支膺懲 とか
近衛内閣にいたる政府の迷走と、日本軍部の暴走とか、日本側の問題としてとらえられるけど
対華21カ条〜満州事変〜東北3州の親日傀儡政権樹立は、いい悪いでなく「日本の国力ではもともと無理があった中国侵略」であり
第二次上海事変〜日中戦争は、中国側主導の「国権回復戦争」「排日戦争」。
この排日戦争としてのシナ事変処理に昭和12年以降、日本は苦慮して
結局、重慶に引きずられるままで大陸港湾封鎖→海南島→北部仏印→援蒋ルート遮断と南下するけど
欧州の新情勢がどんなにナチス有利に傾こうと
重慶と、それ以上に中国人民の国家意識とどう折り合うか、
ぶっちゃけ和解のためには
満州も含めたシナ総権益の破棄しかなかったろうな。
いや、満州も破棄しない限り、無数の抗日テロを起こされ、結局、排日全面戦争を起こされた筈。
しかたない、イギリスだってインドを100年も所有できなかったじゃないか
米英と協調路線をとって抗日運動に対処してれば、軍の暴発やそれを国民が支持することなく、最悪、日中戦争までいかなかったと思うんですよ。
ここらへんは幣原外交がガン。
あと、この頃って日本人が「中国ダメだ」って見切りをつけた時期でもあるんだよね。
日中戦争を途中で止めることもできたけどね。
近衛声明まで、蒋介石の出す停戦条件は現状追認に近いレベルだし。
華北自治政府を中立的な存在にするか、日本の傀儡にするかが最大の懸案だったわけで
どちらにせよ華北における日本の影響力を受け入れるって話。
ここまで譲歩されてるのに交渉をまとめられなかったのは政府・軍部の失態だな。
あれはタイミングが悪すぎる。
南京陥落した後にじゃあ前の条件で停戦、ではな。
>>950 以前の条件を飲ませるために、戦争して南京を落としたんだろうが。
こちらの勝利と引き換えに相手は条件を飲んだわけだ。
そこで条件を吊り上げたら話はまとまらんよ。
日本は、原爆投下後に投下前に出されたポツダム宣言受諾したわけだが、
そこで連合軍が、条件を吊り上げてきてたら話はまとまったと思うか?
1937年 トラウトマン工作
11月2日 :外相の広田が駐日ドイツ大使・ディルクゼンに「和平条件」を伝える。
11月6日 :蒋介石は「これに応じられない」とに駐支ドイツ大使・トラウトマンに回答。
蒋介石としてはベルギーで行なわれる「9ヵ国会議」の進展(日本への制裁決議etc)に賭けていた。
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9ヵ国会議は日本不在のまま11月3日からブリュッセルで3週間に渡って開かれ、
「日本は9ヵ国条約・不戦条約違反である。事変の解決は日中の直接交渉では成就しない。
『関係列国との協議』によってのみ解決し得る」との決議をして散会。
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以上のように蒋介石の失望する結果となり、その間に戦局は怒涛の如く進んで上海は陥落、首都南京も「風前の灯」。
11月7日 :「中支那方面軍」編合の下令が出され、作戦地域は蘇州から嘉興を結ぶ線の東側に限定される。
11月9日 :上海戦線の中国軍は退却開始。
11月16日 :中国国民政府は重慶への遷都を宣言。
11月19日 :中支那方面軍は独断で作戦地域を越え、無錫・湖州の攻撃準備。
11月22日 :中支那方面軍は南京攻略の必要性を上申。
11月24日 :第1回大本営御前会議で中支那方面軍の作戦地域の制限が解除される。
11月24日 :唐生智が南京の防衛司令長官に任命される。
12月1日 :大陸令第八号「中支那方面軍司令官ハ海軍ト協同シテ敵国首都南京ヲ攻略スヘシ」を発令し
南京攻略を命令。 南京安全区国際委員会、事務所開設。
12月2日 :蒋介石は、先の「トラウトマン工作」に応じる回答をトラウトマンに示す。
しかしその前日に日本の大本営は『南京攻略』を正式に命じており、蒋介石のタイミングが遅すぎた。
12月4日 :日本軍、南京市郊外まで進軍。
12月7日 :ドイツ本国の外務省を経て、その返答がに広田へディルクゼンから伝えられた。
>>951 日本側は元から南京攻略で条件を吊り上げる気満々だったわけで。
陸軍は上海事変の時は、あまり乗り気じゃなかったそうだけど、
もしかしたら、上海だけで戦いを終らせて拡大しないですませられたのかしら?
作戦地域を蘇州から嘉興を結ぶ線の東側に限定のままで終わらせる可能性はあった
松井司令官は南京攻略にヤル気マンマンだったが参謀本部などは兵力を理由にはヤル気ナシ
政治が現場に引きずられた形
さあそこで「暴 支 膺 懲」の意味が重大になってくるわけですよ。
(日本にとって合理的、中国にとって不合理な)和平案や調停案を結ぶたび、
過去にも休戦が破られたり邦人虐殺をされたりで、
「んじゃ、ここらで一発徹底的にやるべきだ、中国人に力以外の言葉は通じない」という現地シナ通派遣軍と
「いや中国側のメンツを立てて実をとるべきだ」という政府・参謀本部の意見が対立する。
正直、現地軍が正しい。
「面子をたてて、日本が実をとるのに同意する」知日派中国人は漢奸として排斥される。
調停を結んでも、どこかで虐殺事件が起きて、東京の政治的妥協に現地遺族と駐留軍が義憤の涙をのむ。
でも中国人だって実が欲しいんだ。なにせ自分たちの国だしな。
そして現地軍というか日本に、通じさせるほどの国力は残念ながらなかった
>>956 本当に近衛はダメだなぁ。
清朝が滅んで、日本みたいな近代国家になって日本のパートナーになるぞ
と思ったら軍閥作って争うは、休戦が破られたり邦人虐殺されてばかりい
たりで、この頃に中国に愛想をつかし「ダメなアニキを殴って更正させてやる」
と、この頃、なってきたのですね。
>>958 しかし、日本だって戊辰戦争から西南戦争まで安定するのに10年かかってるのに、
日本の何倍も広い中国が安定するのに4-50年かかっても不思議じゃあるまいに。
20年程度で何を切れてるのやら。
中国はそもそも歴史的に
統一 → 内憂外患 → 異民族王朝 → 腐敗 → 漢民族統一 →…の繰り返しだから
どうせまた混乱だ。
>>959 戊辰戦争から西南戦争まで、安定するまで10年かかったというけど、
それで国内が内乱状態になったわけでないし、国としての基盤とか整備とかは
ちゃくちゃくと進んで、40年足らずでロシアにも勝って、列強に仲間入り
した身としては、「自分達がお手本とした国が、なにやってんだよ」
と切れた、呆れたくもなるわけで
962 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/07(日) 15:00:59 ID:2oHpgTwa0
日本はロシアに勝たせてもらったんだよ。日英同盟って知ってる?
はぁ、頭に蛆わいてないか?
あれは、アメリカにジャッジしてもらって勝ったんだろ?
>>961 >国内が内乱状態になったわけでないし、
戊辰戦争、西南戦争が内乱でなくて何? その間も血税一揆や士族反乱が頻発していたけど?
>国としての基盤とか整備とかはちゃくちゃくと進んで、
中国も進んでましたが。幣制改革など、社会システムの整備も始めていた。
軍閥も整理されて国民党(+張学良)にほぼ統合され、残るはほぼ共産党だけになっていた。
で、国民党の共産党討伐の邪魔していたのが日本なんだが。
>と切れた、呆れたくもなるわけで
それが短絡的と言うもの。広さや歴史的経緯だけでなく、列強の介入、侵食が(彼らの目が中国に
向いていたおかげで)少なかった日本と中国の違いを無視して、同様に考えた事が間違い。
その短絡さ、思慮の無さが、勝ち目の無い対米戦に突入していく原因ともなった。
国民党の共産党討伐は張学良にハメられて蒋介石自ら西安事件で勝手にコケたんだろw
戊辰戦争は個人的には、幕末の戦いという認識だから、明治時代の内乱っていわれると
、ちょっと違うと思ってしまう。
西南戦争はともかく、血税一揆や士族反乱とかは、確かに起きたけど、
それで政府の屋台骨がぐらついたとは思えないし、なんていうか、内乱て
いうほどのも内乱じゃないような気がしますです。
まぁ、ここら辺は個人の感じ方の違いということで
まぁ大陸みたいな軍閥乱立状態にはならなかったな。
>>965 なんで共産主義者でもない張学良が西安事件なんか起こしたと思ってるんだ。
日本軍の満州制圧、さらには華北自治工作による侵食がなければ西安事件なんか起きんよ。
日本が足を引っ張らなきゃ、共産討伐は完了していたかもしれん。
蒋介石も解放されても国共合作路線を変更しなかった。国民党内でも叩くべき優先順位が
日本>共産党に変化していたと言う事だ。
西安事件の前から上海日本租界に対する奇襲先制攻撃(上海事変)は計画されていたのだよ。
1936年10月、ファルケンハウゼンは蒋介石に対し、上海日本租界に対する奇襲先制攻撃をもって、
対日戦争を開始するプランを提出。 この上海攻撃プランの一環として、上海に対する攻囲陣地の構築と、
日本軍の反撃(救援部隊が上陸し、攻撃軍の背後を衝こうとすると想定)に備えた上海〜南京間の要塞化計画推進。
「ゼークト・ライン」とは、この計画に沿って構築された要塞線の呼び名で、ファルケンハウゼンの同僚、
ドイツ軍事顧問団の重鎮であり、ドイツからの兵器・軍需物資の輸出や要塞建築、軍需工場の建設といった
軍需ビジネス部隊の長であったハンス・フォン・ゼークトの名をとってこう呼ばれた。
1936年12月12日 西安事件:張学良・楊虎城らによる蒋介石監禁事件。
>日本軍の反撃(救援部隊が上陸し、攻撃軍の背後を衝こうとすると想定)に備えた上海〜南京間の要塞化計画推進。
ウースンクリーク!
ウースンクリークでだなあ!第三師団はあっというまに全耗・・・
>>969 それは、
>>968「国民党内でも叩くべき優先順位が日本>共産党に変化していた」の証明でしかないな。
まあ、攻撃計画だけならいつでも立てていておかしくないのだが。
具体的に攻撃日時も決定していたわけ?
日本陸軍もそうだけど、陸戦の場合、動員、備蓄、陣地構築の関係で
やはり何ヶ月も前から開戦準備してないといかんのじゃないの?
そりゃそうだろ。
おかげでスパイにばれてしまうわけだ。
そこらへんは、日本は本当にダメだな
そうでもないぞ、関特演は世界に類を見ない秘密動員
ゾルゲも、どの位の規模が、いつごろソ満国境に展開されるのか正確にはつかめていない
むしろ大陸方面ではダダ漏れだ
もちろん、だからと言って、日本が諜報戦が得意だと言うつもりは毛頭ないが
開戦時の真珠湾やマレーみたいな周到なときもあるんだけどね。
真珠湾は、アメリカに漏れてたじゃんw
え、もれてたの。
アメリカは承知でアメリカ太平洋艦隊の根拠地を日本軍に攻撃させたの?
知らなかった(棒読み)
陰謀論真に受けていいのはムー読者だけ
東京裁判史観というけど、
やっぱ負けた側の自己弁護で、ところどころ、歴史を誤魔化している箇所があると思うんだ。
自分相手にさ。
飲酒運転の現行犯逮捕者が、白々しく
「えっ、ビール1杯だけなら、2時間立てば消えるから運転していいと教習所で言われました」みたいにさ。
「えっ、ハルノートは口頭による拘束力なしの試案ではなく、最後通牒」
「えっ、中国からの撤退とは満州からの撤退も含むと思っていたから、かっとなって自存自衛のため・・・」
「えっ、北部仏印進駐は、フランス降伏後の間隙を生めるためで、その時点で、南方進出は毛頭・・・」
「えっ、南部仏印進駐は、前日に在米対日資産凍結を食らい大統領→野村大使に重大警告を受けましたが、
まさか進駐翌日、石油禁輸をやるなんて思ってなくて、まさか対米戦に発展するなんて毛頭・・・」
真珠湾攻撃が漏れていたとの真偽は明らかでないので、漏れていなかったと考えるのが正しいけど
日本が11月いっぱいで対米交渉を打ち切って12月初旬に米国を攻撃するであろうことは漏れてた。
ハルノートはオーラル・ステートメント(口頭陳述)と米側提案(いわゆるハル・ノート)の2つがあるんだよ。