565 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/26(火) 19:54:47 ID:S8ePVupx0
正造は、「野口が千葉と東京に新たな被害地を1万308町4段6畝見つけた」などと、
細かい数字を挙げてもっともらしく演説でしゃべっています(明治30年3月24日)が、
このやり方も、明らかに、本当らしく思わせるためのだましのテクニックといえます。
キリスト者の内村鑑三は終始田中正造を支援していた人ですが、正造の数少ない味
方の彼でさえ、何と次のように発言しているのです。
「鉱毒問題に関しては、多少の政略、術策を用い、事実よりも大きく言う傾向がある。
あるいは6万町歩30万人、あるいは7万町歩35万人、日によっては40万人と叫ぶこと
もある。また、被害地は茫々たる荒野となり一茎の草だに生ぜず35万の民は炊ぐに
物なくして飢えに倒れんとすと言う。しかし、鉱毒地には草も生えているし、餓死した人
もいないではないか」(『福音新報』明治35年4月9日号)
>>563 林野庁と栃木県が巨費を投じて足尾に植林をしてるのは知ってた
のですが、この方のでたらめにつきあっていたら、そんな話をする余裕も
ありませんでした。
ところで、
>>491にある契約書の内容を、古河市兵衛は誠実に履行したので
しょうか。
もちろん、しませんでした。
古河が誠実な対応をとったなどというのは大嘘です。
古河は100年前の証文を、まだ履行していないのです。
第6条をごらんください。古河は植林するって意味のことが書いてあります。
古河が木を切った土地は1万町歩を越えます。契約書のとおりなら、古河は
その1万町歩全部に木を植えることになるはずです。
ところが、実際に植えた土地はわずかに53町歩でした(58町歩という数字もあり
ます)。
当時の古河派の人間が書いた文章に、古河市兵衛ほどの立派な人だから、
58町歩も植林したのだ。ほかの人だったらはんこついただけで全く植林しない
だろうみたいなむちゃくちゃなことが書いてあるものがあるそうですが私は未見
です。
はて? どっかの時代の誰かさんと言い方がそっくりですね。
残りの土地にいつ古河が木を植えるのだろうと期待してるのですが、何故か、
栃木県が植えるばかりで古河が大規模植林をしたなどという話はいまだにぜんぜん
聞きません。(廃鉱石の流出を防ぐために、堆積場の上に植林とかはしてます)
足尾で木を植えている企業はないことはないのですが、その会社は、鉱毒とは
ちっとも関係ない「イオン株式会社」です。
「木を植えています」なんていう嘘っぽいキャッチコピーを使ってる会社ですが、
ちゃんと足尾で木を植えてるそうです。(足尾以外でも植えてます)
ネットで調べたら、国土交通省が巨費を投じているという内容にぶちあたりました。
これは、林野庁や栃木県の分とは別なんでしょうかね?
http://www.ktr.mlit.go.jp/kyoku/kisha/h18/459/tochigi.pdf 昭和63年から始まって、22年かけて足尾の松木渓谷の山腹工事をやるそうです。
お値段は88億円。1年あたり、国土交通省だけで4億円をかけているのが分かります。
ここって国有林なんですかね。
で、チッソと古河を比べるのではチッソのほうがかわいそうかもしれませんね。
だって、チッソは古河のやり方をまねたわけですから。
いくら毒を流しても、尻ぬぐいは被害民の払った血税、っていうところまで、古河と
同じです。
もっとも、企業イメージはだいぶ違うでしょうね。
誰も書いてないのでついでに書いておくと、古河は鉱毒を出しても全然賠償しなかった
ので大もうけができ、どんどん事業を拡張していきました。
古河電工が古河系なのはご存じの方も多いと思いますが、富士電機とか
富士通も古河系です。意外に横浜ゴムもそうですよ。
568 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/27(水) 20:49:22 ID:uRX7Be2Z0
田中正造と一部の過激派被害民が発表し、これを支持する今の学者たちがそのまま
流しているデータ(1900年頃の被害面積と被害人口)がいかにオーバーかを、他の
機関のデータと比較して示してみます。
キリスト教同志会: 4,360町歩/8414人
政府の第2次鉱毒調査委員会: 1万5811町歩(1903年6月の数字)
農学博士・横井時敬: 2万町歩
大蔵省: 2万4450町2段8畝11歩(1898年4月の数字)
鉱毒問題解決調査事務所: 4万6733町8反6畝9歩(『足尾鉱毒問題解決処分』から)
田中正造/: 8万ないし9万町歩/30万ないし35万人
野口春蔵の調査: 10万453町反2畝29歩/51万7343人
『田中正造全集』と岩波新書の『田中正造』が採用している被害規模は野口春蔵の調査
した上記中の最大値で、彼が「1府5件市20郡2区251町村の11万9331戸」を調べた
としてありますが、野口一人でいったいどうやってこの広範囲の土地人民の調査ができ
たのでしょう。出来るはずがありません。明らかに根拠のない数値。デタラメです。
次回に、上記の出所について説明します。
>>568 1902年9月28日に渡良瀬川大洪水はなかったなどと大嘘をつき続けるあなたに
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ところで、菅井の文章を捏造したのは何故ですか?
田川が「洪水はなかった」かのようなことを書いた、と嘘をついたのは何故ですか?
由井が、「第二次鉱毒調査会が鉱毒はなくなったと報告した」というようなことを
書いたかのような、大嘘をついたのは何故ですか?
それにしても、野口一人で調べられるわけがない、って、鉱毒事務所が手分けして
調べて野口の名で発表したに決まってるじゃないですか。何書いてるんですか。
出任せもいい加減にしてください。デタラメを言っているのはあなたです。
押出しのときは少なくとも数百人が雲龍寺の鉱毒事務所に集まってるんですよ。
集まった七百人で手分けすれば、10万町歩なんてすぐじゃないですか。
ほかの方からも指摘が出てますが、農民は被害を正確に調査できないんだから
文句を言うな、といっているようにしか見えませんよ。
しかも、それぞれの被害地は基準が全く違う。大蔵省のものは何度も書きますが、
「こんな土地からはとても税金をとれない」というほど荒れ果てた被害地のみです。
実際の被害地は、大蔵省のものよりは相当多いとみるべきでしょう。
それに、用水路とか、村有地みたいな、元々税金がかかってない場所は、最初から
免租になってないんですよ。というか、しようがないんですけど。
大蔵省の値からはその分も足さなきゃなりませんね。
ところで、免租になって不足した税金分は、当然、古河市兵衛が群馬県に払うべき
ですが、いつ頃払ったんですか? 領収書はありますか?
古河が誠実だったなどというのは大嘘です。
さて、ここからはそのほかの方への説明です。
内村鑑三の原文は手に入りませんでしたが、内村自身が被害民の数を「数十万人」
と書いている文は見つかりましたのでご紹介します。
「悲しむ者は一府四縣の民数十萬人なり、喜ぶものは足尾銅山の所有者一人なり、
一人が富まんが為めに萬人泣く、之を是れ仁政と言ふべき乎。」
ただ、同じ本(『よろづ短言』)の別の場所では十数萬人とも書いてますがね。
要するに内村はそのときの気分で値は結構変わっちゃうひとだったようです。
あと、古河がどれくらい植林をしてるかですが、
古河機械金属の「環境・社会報告書」2006年版によると、2005年度、保有する山林は
全国で796ha、自社有地山林維持管理のためのコスト2900万円、というのが出て
ました。
国土交通省の出してる金額とは桁が違いますね。しかも、「全国」の古河所有林の
話で、決して足尾の分ではありません。
私はそれより、毎年1トンものヒ素化合物を埋め立ててる、って書いてるほうが気に
なるんですが。
残念ながら、ヒ素以外の鉱毒物質(銅やその化合物、硫酸、亜硫酸ガス)などに
ついては言及が見当たりませんでした。
一応、いつもの予報もしておきますか。
この方はそのうち、「足尾の山林の荒廃は、古河のせいだとは断言できない」
とか言い出すと思います。もう言ってたかもしれませんが。
570 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/28(木) 19:42:04 ID:LO60x1pf0
キリスト教同志会と農学博士・横井時敬の数字は、田川大吉郎著『鉱毒問題解決論』
(1901年)に出ていたもの。横井博士は正造たちに同情的な学者で、川俣事件の裁
判で現地の被害状況を鑑定しました。
大蔵省のデータは、土地税を免除した被害農地の合計数ですが、被害の程度により、
次のように分類され、1年免租とか2年免租とか免税年数によって区分しました。
これで相当程度の被害農地がカバーされていたことが分かります。
激甚地といっていい「特類地」
作物には適さない「第1類地」
銅分に抵抗力の強い作物のみ出来る「第2類地」
改良すれば栽培可能な「第3類地」
ほぼ同様な「第4類地」
銅分の害はない「第5類地」
鉱毒問題解決調査事務所とは、田中正造の直訴後に結成された民間の学者たちの
団体で、彼らが独自に鉱毒除外工事の効果を調査するなどして、問題解決のために
必要な提言を行いました。
>>570 それで、キリスト教同志会が、全鉱毒被害地にネットワークを持っていた
野口春蔵よりも精密な検地ができたという根拠はどこですか?
野口は鉱毒事務所の主要メンバーです。野口が雲龍寺から全被害地宛に
郵便を出せば、必ず返事が返ってきます。
野口がそういう人物だということをわざわざ隠して、まるで、何もできない能なし
の一村民が一人で歩いて調査をするしかないような書き方をするのは何故ですか?
あなたの書き方は、農民は被害額が算出できないのだから、被害を受けても
文句を言うなという言い方にしかなりませんよ。
そして、あなたの大好きな明治政府は、農民が押出しをするまで、鉱毒調査
委員会すら立ち上げようとしなかったのです。
押出しがあったからこそ、第1次調査委員会は開かれた。
被害額はお上が算出するんだからそれまで何も文句を言わずにだまっていろ
という言い方では誰も納得しませんよ。
古河や明治政府が誠実な対応をとったかのような大嘘をつくのは何故ですか?
古河は、未だに100年前の証文にある植林さえ満足にやっていないし、鉱毒被害
自治体が税収減になっても、それを賠償することすらしませんでした。
明治政府も同様で、税収減を補填することはなく、鉱毒被害自治体を見殺しに
したのです。
「足尾之鉱毒」創刊号は発禁にするわ、、『足尾銅山鉱毒・渡良瀬川沿岸事情』
は発禁にするわ、そんな政府のどこが誠実なんですか。
それと、菅井の文を捏造したのは何故ですか?
大好評絶賛発売中の、『足利市史』別巻史料編鉱毒は、当然もうお持ちか、
既に注文済みですよね。来週はじめまでには妄想の国にも届くと思いますので、
楽しみにしていてください。
さて、ここからはそのほかの方への説明です。
「1902年9月28日に渡良瀬川大洪水はなかった。正造のついた嘘だ」などという大嘘に
うっかりだまされないように、「近代足利市史」をぜひ購入しましょう!
通史編にも鉱毒の話は何度も出てきますが、一番重要なのは「別巻資料編鉱毒」
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1902年9月28日大洪水の話はもちろん、谷中村遊水池化案に対し、足利鉱毒救済会
委員長でもある荻野県議が最後まで反対し続けた話、予防令後も鉱毒のたれ流しが
続いた話など、誰かさんの大嘘を全部粉砕してくれる「正しい真実」がたっぷり含まれ
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572 :
結論:2007/06/28(木) 23:05:48 ID:r2KEaxwB0
1、直訴は必要だった
2、砂川は呆け老人
3、世の中には半可通を許さない真面目な人が居る。
4、糞野郎が真面目な人を怒らせたら勝ち目が無い
573 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/29(金) 20:08:07 ID:ifL/vhwi0
前回紹介した『鉱毒問題解決論』(1901年)に、著者の田川大吉郎は、田中正造や
野口春蔵が被害を極端に大きく言うことに対して、次のような感想を漏らしています。
彼は報知新聞や都新聞の記者だったため、仕事として現地の被害状況を取材できた
わけで、情報の確かさは一般の人よりはるかに上だと思います。文章は現代文に直
してあります。
「田中らは、7万町歩、35万人の住む区域に被害が及んでいると叫んでいる。しかし、
現地視察で人がよく訪れる海老瀬、下羽田などが、本当に穣じょうたる黄茅白葦、他
に一枝の禾穀をも生ぜざるまでに荒れ果てているかどうかを、よく注視してほしい」
「わずかに海老瀬の一地方の状況を見て、その他を類推し30万の民正に死につつあ
りと断定できるのか。海老瀬地方の惨状は確かにひどく、自分も悲憤を感ずるが、その
激甚の区域は70ないし80町歩ぐらいである。これから推察して、7万町歩にわたって
同様の状況だと叫んでいる者たちに、私は承服することなどできない」
田川って砂川ほどじゃないにしろ随分バイアスの掛かった人ですよね?
これまでのやり取りを見てると。
その人の文章を額面通りに受け取れと?
>>573 いかさま野郎の田川の言うことを信じろっていうほうが難しいとかいう突っ込みを
入れたいところですが、それよりも重要なことが見つかりましたので書いておきます。
>>565 >キリスト者の内村鑑三は終始田中正造を支援していた人ですが、正造の数少ない味
>方の彼でさえ、何と次のように発言しているのです。
>
>「鉱毒問題に関しては、多少の政略、術策を用い、事実よりも大きく言う傾向がある。
>あるいは6万町歩30万人、あるいは7万町歩35万人、日によっては40万人と叫ぶこと
>もある。また、被害地は茫々たる荒野となり一茎の草だに生ぜず35万の民は炊ぐに
>物なくして飢えに倒れんとすと言う。しかし、鉱毒地には草も生えているし、餓死した人
>もいないではないか」(『福音新報』明治35年4月9日号)
原文を確認しましたが、これは、内村鑑三が「書いた」文章ではありませんね。
内村は福音新報明治35年4月9日号には寄稿していません。
内村の演説を「聴いた」という匿名の読者の投稿が載ってます。
しかも、文章が全然違います。
まさか、現代文に書き下したとかいうでたらめな言い訳はしませんよね。
というか、するならば提示するときにしなきゃだめですよね。
どっちにしろ、文章の意味が全然違い、現代文への書き下しにすらなってませんしね。
どちらがいかさま野郎なのか、原文の該当部分を提示して、読者の方に判断して
いただこうではありませんか。
一. 斯問題を正しく解決せむには三点の規箴を要す、其一は誠実也、従来鉱毒
問題を議するもの、多少の政略、多少の術策を用ゐ、事実よりも声言を大にしたる
跡あるは争ふべからざるが如し、或は六万町歩三十万人、或は七万町歩三十五万人、
頃日に至りては四十万人と叫ぶもあり、何れが果して真なる乎、はた或は鉱毒被害地は
茫々たる荒野となり一茎の草だに生ぜすといひ、三十五万の民は炊ぐに物なくして
飢に斃れむとすといふ、左れど鉱毒地には草も生ひ居れり、餓死者もある無し、斯の
如きは声余りに大に失せり、勿論余は鉱毒の惨を認むるに於て人後に落ちず、唯だ
これを説き、これを訴ふるには必ず誠実にせむことを望むのみ、若し幾分にても
虚偽の在するあらば正しき解決は望み得べからず、事実有りのまゝに一点の偽るなく、
誠実を主とするは第一の道也。
要するに、古河に対しても誠実に対応せよ、嘘をつくな、という文章なわけで、
別に被害農民がいかさまだという文ではありません。
三.まで続く文なので後半は省略しますが(出せと言われれば出しますが)、
書いてあることの中身は、いかさま野郎の古河の相手をするのに、被害民も
いかさまをやるのではだめだ、という内容です。
あと、後続の文を見る限り、内村は鉱毒被害農民と古河との示談交渉の内容を十分には
把握していないように見えます。
内村の文章の中には、古河市兵衛をほとんど人間扱いしてない文章もずいぶんある
みたいですが、そっちも提示してあげたほうがいいんじゃないですか?
その文章の中には「三十万人」って書いてあるものもあるんですよ。
この文章は、福音新報という信頼できそうな新聞に載ったこと、別に「内村はそんなこと
言う人じゃない」って文句も出てないことから、恐らく、だいたい同じようなことを話したん
だろう、ということに(研究者の間では)なっているようです。
田川大吉郎の大嘘を粉々に打ち砕く、「近代足利市史 別巻史料編鉱毒」は、
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今なら、その田川の嘘を事実であるかのようにわめきちらした誰かさんの妄想も、一緒に
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砂川さんの恣意的な引用(捏造)にはもう飽き飽き。
かなり多数の人にどうしようもない嘘吐きと思われて過ごす晩年、楽しいですか?
豊かな人生ですね。
577 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/30(土) 20:28:02 ID:yMp7r6mx0
田中正造を批判する2冊の本を執筆した田川大吉郎という人は、東京市の助役、東京
商科大学(今の一橋大学)の講師、衆議院議員、明治学院総理などの経歴を持つ人で
すが、彼のほかにもう一人、正造に厳しい批判を浴びせたのが高橋菊太郎です。
どんな人物かはわかりませんが、『鉱毒問題秘聞録』という本を明治30年5月に自費で
出版しており、よほど正義感に駆り立てられたのだと思います。
彼は、「この年の2月までは、田中正造の弁論術が実に痛快で大いに共感し、彼の胸の
うちには赤心以外に何物もないと思っていた。しかし、今は疑問だらけだ」として、正造の
言動がいかにおかしいかを、具体的なデータをあげてわかりやすく説明しています。
次回に、明治30年の春の段階での、正造の言う被害面積と栃木県の調査結果との食い
違いに触れます。
578 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/30(土) 20:29:55 ID:yMp7r6mx0
高橋菊太郎は、前述の本で、
「正造の議会質問を読むと4県2郡の被害反別は3万3000余町歩、鉱毒浸水家屋は
1万6000余戸、被害漁業者7015人としてある。しかし、栃木県の3つの郡の面積に
ついて、正造の挙げる数字と県庁による調査と比較すれば、これだけ違う」
として、次のデータを挙げています。
正造の数字 県庁の数字
足利郡 5100町歩 1798町余
安蘇郡 1272町余 1015町余
下都賀郡 4670町余 686町余
合計 11042町余 3499町余
その上で高橋はさらにこう書いているのです。
「しかるに、なお所轄の税務署で実地に調べた結果は、足利郡において田畑226町歩余
が免租地となったに過ぎない。上の3郡中で全く耕作できなくなったのは、わずか5町歩余
に過ぎない」
>>577 田川がどんなでたらめを書き散らしたのか、その「公害問題解決論」から
引用して説明してさしあげましょう。
のみならず、横井氏の二萬町歩の中には、山林も、原野も、宅地も、皆含まれて居る、
此等を除き去て、實際の耕地反別を見るときは、二萬町歩は更に減じて一萬町歩と
為るかも知れません、一萬町歩は、更に減じて五千町歩と為るかも知れません。
(中略)
此際、被害民、其他、之に同情ある人々は、
田畝 甲 六萬町歩
乙 七万町歩
被害民 甲 三十萬人
乙 三十五萬人
と聲言して居ます、前來の説の、いづれに較べても、甚しき相違であります、紛々たる
此の如し、此問題の決せざるのは、抑も故ありです。
自分では2万町歩を四分の一の5000町歩に値切っておきながら、被害民が
3.5倍の7万町歩だと主張するとでたらめだとわめく。
自分のほうが大量に数字をいじっているのに、そんな言い方をして平気な人なのです。
要するにこの方は、自身にとって都合のよい場合はいくらでも数字をいじってよくて、
都合の悪い方向にいじるのはでたらめだとわめいているだけなのです。
内容からして、田川が鉱毒のことを何も知らずに書いているのが非常によく分かり
ます。たとえば、古河が木を切って山林が荒廃したとか言ってるけど、地元住民も
いっぱい切ったんじゃないの?みたいな、証拠もない決めつけをしています。もちろん
それは嘘です。確かに地元民も木を切りましたが、地元民たちはちゃんと植林しましたので。
私は足尾から少し離れたところにある、かつて、古河に木や炭を売っていた木こり
がいた場所を訪れたことがあります。
うっそうと木が茂っていました。彼らはちゃんと、植林をしたのです。古河と違って。
それにこの本には、存在しない「待矢場両堰普通水利組合との永久示談契約書」
とやらが提示されています。前にも紹介しましたよね。この契約は存在しませんで
した。普通は、田川が古河から借りた資料の中に、準備中の契約書がまぎれていた
んだろうと言われることが多いのですが、古河が、「待矢場ですら永久示談した」と
被害農民に思わせるために、わざと偽情報を田川に渡した、と、うがった見方をする
こともできますし、そう考える人もきっといるでしょう。もっとうがったものの見方をする
人なら、田川は、この契約書とやらが偽物と知っていて、わざと提示したのだろう、と
考える人がいても不思議ではありません。
そんなものが載っている文書を出してくるだけで、「でたらめが書いてある文献に、
こう書いてありました」と言っているのも同然なのに、その、「でたらめが書いてある」
の部分を隠して、何故「鉱毒問題解決論」を出してくるんでしょうね。
さて、田川は何でこの時期に、こんなでたらめな本を書いたのでしょうか。
これは、田川の野望に関係があります。田川は政界入りを企んでいました。
そして、この本が出た明治35年の選挙に出馬するのです。結果は落選でした。
この本は、田川が売名のために、そして、「古河と相性のいい政治家がもう1人くらい
増えてもいいんじゃない?」ってメッセージを出すために出した本です。
>>579 少し解り難いのですが、それは高橋の本の中に引用されてる田川の出している数字の批判なのですか?
それとも
>>579さんが文中を通して田川と高橋を混同して記述されてるのですか?
自身にとって都合のよい場合はいくらでも数字をいじってよくて、都合の悪い方向にいじるのはでたらめだとわめいているだけ
の古河に擦り寄る俗物。何かそういう人をこのスレでよく見掛ける気がしますね。
>>580 すいません。579では、高橋の話はしてません。
出てくる数字(横井2万町歩、田畝、被害民甲乙6万、7万町歩、30万、35万人)
というのは、全部、田川の本、鉱毒問題解決論に出てくる値です。
その著書の中で、田川は横井の2万町歩を四分の一の5000町歩に値切っている
わけです。
ところが、田川は、ほんの数ページ先になると、被害者に同情的な者の中には6万とか
7万町歩と言っている者もいる、と文句を言うわけです。
慌てて書いた本なのでつじつまがあってないのはしょうがないのですが、こんなところ
で田川は馬脚を現していました、という説明でした。
で、そんな数字に関してでたらめなことをやっている人間が言っている数字に、どれ
くらいの信用ができるのか、と聞いているわけです。
高橋の話もしようと思えばできるのですが大混乱しますのであとに回します。
参考のため、田川という人について、
この方は長崎出身で、旧大村藩士の家に生まれ、東京で新聞報知社の記者になり、
その後すぐに都新聞主筆になります。日清戦争にも行きました。
「鉱毒問題解決論」が出た明治35年に地元長崎から選挙に出ますが落選。41年に
当選し、以後、落選をはさんで9回当選します。東京市助役もつとめました。
キリスト教徒で、明治神宮建設の建議に一人で反対したそうです。
明治期に、書いたものが問題になって1回入獄しています。
大正末に明治学院総理になりますが、議員生活で多忙だったのと、財政難から
(財政難になったのは別に田川のせいではないようです)キャンパスを売って郊外
に移転する案を立てますが理事会に反対され、総理をやめます。
翼賛選挙のとき、翼賛会から推薦されなかったのに出馬して目をつけられ、応援
弁士が不敬罪で逮捕されると直後に上海に亡命、終戦後東京に戻り、社会党・
共産党の推薦で最初の都知事選に出ますが落選。昭和22年に没しました。
というのが、遠藤 興一による伝記「福祉に生きる 4」 に出てくるエピソードです。
鉱毒の話もこの伝記にはさらっと出てきますが、田中正造と衝突した、くらいの
書き方でした。田川を語るには避けては通れないけどあまり深くは説明したくない
出来事なのかもしれません。
この遠藤という人は、繰り返し、田川の都市論には貧者が出てこない、と書いて
ます。多分、遠藤の専門がそっち方面なんだろうと思いますが。鉱毒の話を考える
と、何だか意味深な言及です。田川の研究や評価はほとんどありませんが、
明治学院には多少は資料があるようです。
まあ、鉱毒に関して余計なくちばしをはさまなくなってからはちょっとは出世しました
くらいの人ですかね。
若い頃ろくでもない方が晩年、多少はマシになることはよくあることなので、
明治学院総理が若かりし頃、鉱毒に関してとんちんかんなことを書いていても、
私は驚きませんよ。
そういや、遠藤の伝記にはわざわざ、田川はただの古河の犬ではないみたいなこと
が書いてありますが、わざわざ書くってことは、そう言われていることを遠藤は認識
してるのでしょう。
あ、鉱毒問題解決論っていう本は田川の本なんですか。一次資料にも当らない不勉強な人間だという事を露呈してしまい恥ずかしいです。
>>577の人の書き方だと高橋の著書に見えたもので。
>>577はきっと砂川さんじゃないですね。プロの物書きはこんな下手な文章書か無いでしょうから。
>>582 混乱してる人がほかにもいるかもしれないので書いておきますね。
「鉱毒問題解決論」明治35年4月、田川大吉郎
「鉱毒問題秘聞録」明治35年5月、高橋菊太郎
「嗚呼鉱毒論」明治36年8月、田川大吉郎
これらが公刊されて現代まで残っている田中正造への主な批判文書類です。
「鉱毒問題解決論」はさっき書いたとおりあまりにもひどい我田引水な書き方ばかり
している本です。それは数字の扱いで分かると思いますがそれ以外のところもそうです。
「鉱毒問題秘聞録」は、単なる怪文書です。高橋菊太郎という人物は実在しないという
ことが分かってます。内容から、古河の飼い犬と考えられています。正造は選挙に負け
そうになったので慌てて鉱毒を選挙の道具に使った、などと事実無根のことをわめき
ちらしているので、全く信用されていない文書です。(実際には、対立する木村半兵衛と
の票差は大きく開いており、そんな工作は元から必要なかった上に、そんなことをしたと
いう形跡も全然ありません)ただ、この文献は古河の飼い犬が書いただけあって、古河
関係者しか手に入れられない情報が少し入っていて、それは今でも参照されることが
あります。
だいたい、著者の住所が「東京市下谷區車坂町廿番地梅澤フキ方」、印刷者の住所が
「東京市京橋區南鍛冶町五番地寄留」ですよ。
他人方の住所に寄留の住所。要するに、この書き方は、どちらも借り物の番地で、本人は
(実在すればですが)たまにこの番地に立ち寄って郵便や電報を確認するだけですね。
そんなものがろくな文書じゃないのは奥付で分かるのに、さも立派な文献のように提示
している誰かさんは大嘘つきですね。でも、この高橋の著書のネタは莫大にあるので、
今回はこの程度で。
「嗚呼鉱毒論」は、政府の第二次鉱毒調査委員会報告が出てから田川が書き直した
ような本で、前作で出した馬脚を今度は現さないように少しは考えて書いてますが、
前述したとおり、標高15メートル地点の破堤で標高30メートル地点の洪水は防げない、
という、根本的かつ基本的なところに全然気付かずにでたらめを書いて、やっぱり馬脚を
現している本です。ただ、この3冊の中では一番言っていることはまともです。
※地形図を見返したら、旧谷中村の標高は15メートルくらいであることが分かりました。
ので2メートルだけ訂正しますが主張に大きな変更は必要ありません
3冊とも、国会図書館の電子ライブラリーに入ってますから、今すぐにでも、世界中
どこに居ても全文を見ることができます。これらの文献の著者やどっかの誰かさんが
どれくらい誠実なのかは、実物を見て確認してください。
国会図書館近代デジタルライブラリーはこちら。
http://kindai.ndl.go.jp/index.html ここの検索窓に書名を入れるだけで、該当文書全文を見ることができます。
584 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/05(木) 20:33:10 ID:UFikbjRX0
足尾鉱毒事件の関連書からは外されているのですが、高橋菊太郎のこの本は、正造の言
う被害データを決定的に覆す反証を挙げていて、実に説得力があります。
高橋は、
「試みに全国の米作比較表をかかげ、もって昨年(明治29年)の天災は栃木群馬の2県の
人民のみに対して不幸を与えたるものに非ざるを示さん」
と書いて、全県の収穫高と平年との増減値(百分比)一覧をかかげているのです。
増減値のうちの一部を取り出すと次のとおりで、3つの県がずっと高いことがわかります。
群馬 −3.5
栃木 −0.6
茨城 −1.6
埼玉 −1.1
愛知 −5.1
三重 −4.4
滋賀 −3.9
全国 −0.88(平均)
>>584 最初に「鉱毒問題秘聞録」の刊行年ですが、明治30年(1897年)5月の間違い
でした。国会図書館には、五月「二」日、と、「二」のところだけが手書きのものが
蔵書されています。
さて、高橋菊太郎という偽名による文書がどれくらいでたらめなのか、
一応紹介しておきましょう。
>>578にある数値は、578では時代が書いてありませんが、明治30年に刊行されています
ので、その時点での値と思ってよいでしょう。
ところが、この年、明治30年には、「鉱毒免租を行う」というのは決まっていましたが、実際の
免租は次の年にずれこみます。それほど膨大な調査が必要だったわけですが、実際に免租
になった土地は、次のとおりです。
では、みなさん。テキストの用意はよろしいでしょうか。では、お手元の「足利市史別巻史料編
鉱毒」の227ページを開いてください。栃木県による、鉱毒免租地の値が出ています。これは、
栃木県によって最終的に確定した「明治31年」鉱毒免租地の値です。
その量は、「田2157町、畑1311町、宅地193町、山林385町、原野62町、池沼4町、雑種地1町
(1町未満切り捨て)」です。総計すると、4144町強となります。正造の値とされる「5100町強」と
いうのは、全然おおげさな数字ではないではないですか。むしろ、高橋という偽名による1798町と
いうのが偽造された数字でしょう。どんなに好意的に解釈しても、県庁の集計途中に、「まだ郡の
半分も調べきれてないよ」って時点の値を無理矢理郡全体の値として持ち出したとしか考えようが
ありません。それとも、明治30年5月過ぎに巨大洪水が足利郡を襲って、鉱毒汚染地が超拡大
したとでも言い始めますかね? まあ先に書いておくと、年中洪水が起きてる川ですから、流域全体
で一度も洪水が起きなかった、というほうが逆にありえない話ですが、きっとこの方は、今度は小規模
な洪水を超巨大洪水であったかのような言い方をしはじめるでしょう。先に予告しておきます。
あなたはまたしても、「足利市史」ですぐにでたらめだと分かる内容を持ち出してきて、さも、自分が
事実を述べているかのように装ったのです。
偽名の高橋名の文献が全く信用できないというのは十分知っているはずなのに。
そして、その嘘は、「足利市史」を見ればすぐにばれると分かっているのに。
「足利市史」を見ればすぐにばれるような嘘を何度もつき続けるのは何故ですか?
まさかとは思いますが、あなたは、「足利市史」の販売セールスマンか何かですか?
この、高橋という偽名による文書には、こんな文が載ってるのですよ。(※漢字のみ、
現代のものに差し替えました)
第十四駒
人或ハ云ハン吾子ノ言ノ如クンハ田中正造ハ無情の奸物ニシテ第二ノ錦織剛清トモ云フベキ
モノナルカランヤト然レドモ吾儕ハ田中ヲ以テ斯カル人物ナリトハ猶為スヲ屑トセザルノミナラズ
寧ロ彼ハ当世ノ政治家タル一資格ヲ有スルコトヲ信ゼント欲スルモノナリ何トナレバ本件ノ基因ハ
全ク田中正造カ選挙区ノ人望を収攪セントヅルノ一手段タルニ外ナラザレバナリ言ヲ換ヘテ之ヲ
云ヘバ選挙区民ハ勿論天下ノ耳目ハ一田中正造ノ為メニ玩弄セラレンナリ
ひどい中傷文書じゃないですか。これを怪文書と言わずに何というのでしょう。
ところで、どうしてこの古河の飼い犬は、こんな文書をわざわざつくったのでしょうか。
それは、この文献の出る時代に重大な関係があります。この、明治30年5月始めという
のは、政府が古河に大規模な予防令を出す直前なのです。5月中にあの大規模予防令
が出ます。
政府の動きにあせった古河の犬が、慌てて文書をつくったので、こんなでたらめ、かつ、
現代から見てもまさに「怪文書」が出来たのです。
何度でも書きますが、全文は国会図書館サイトで読めます。
http://kindai.ndl.go.jp/index.html このサイトの検索窓に「鉱毒問題秘聞録」と入れて検索ボタンを押してください。
って何だか最近はやりのテレビコマーシャルみたいですね。
砂川さん、ひょっとして自分の使う資料の批判(検証)を一切してないのか?
587 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/06(金) 13:47:02 ID:MPb1LFoS0
>>586 てゆうか、自分に有利(そう)な資料があれば、ダボハゼのごとく飛びつく。
588 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/06(金) 19:29:30 ID:uHC//dRF0
明治30年5月刊の『鉱毒問題秘聞録』に、高橋菊太郎はまたこんなことも書いています。
田中正造は「渡良瀬川沿岸の漁業者は今では一人もいない」と演説している。しかし、これに
異議を唱える人たちは、データをあげて次のように言っているではないか。
「明治18年以来沿岸の漁業者が減ったのは事実だ。しかし、一人もいないとはとんでもない嘘
だ。現に黒保根村だけでも51人もおり、漁獲高に至っては、明治26年以来かえって増えている。
下都賀郡の被害村落の漁獲高は、明治26年が3476円、27年が4615円、28年が6453
円だったのだ」
>>588 だからそんなでたらめな文献を出してきてどうするんですか。こんなものを註釈なしで提示すること自体が、
ただの大嘘つきの仕業ですよ。何で、怪文書だという事実を隠して提示するんですか?
その前にその本がどれくらい信用に値するのかそっちを教えてください。
私は、全然信用できない、ということを、具体的な数値を提示してお教えしました。
あなたは単にわめいているだけです。
それとも、2ちゃんねるでは名前を出していないから、でたらめな文献でも使いほうだいとでも考えているんですかね。
ところで、菅井の文を捏造したのは何故ですか?
大嘘にさらに大嘘を上塗りしていけば、菅井の文を捏造したという事実も覆い隠せるとでもお思いですか?
鉱毒の研究している人は、梅澤フキがどういう人物なのか、南鍛冶町五番地から古河本店までの距離は何メートル
だとか、そういうのを研究してるんですよ。
あなたのような底の浅いでたらめは、すぐにばれますよ。
さて、そのほかの方への忠告です。
高橋菊太郎名義の「鉱毒問題秘聞録」は、単に匿名で田中正造を中傷するための怪文書であることは先に述べました。
従って、まともな鉱毒研究者は、絶対にこの本には触れません。
ただし、この文書がどういう性質のものなのか、を提示して紹介する人はいます。森長英三郎「足尾鉱毒事件」上巻にこうあります。
80ページ
伐採山林面積について古河側の史料は見あたらない。古河側文書といえる前記『鉱毒問題秘聞録』は、田中正造が明治三〇年
二月二六日の質問演説で(後略)
このように、古河側の文書だとして扱われることはあります。
この、森長の文では「前記」と書いてあるのですが、80ページより前にこの文献の名前は見つかりませんでした。たぶん見落としだと思います。
で、以前、古河が農民との示談契約書に書いた植林を全くしなかった話をしましたね。この森長の文は、その話に続きます。やっとどこで見た
のか思い出せました。しかも、原文は「鉱毒問題秘聞録」にあるのです。
せっかくなので、森長の文ではなく、「鉱毒問題秘聞録」にある原文をあたってみましょう。
p.84
第二ノ點に関シテハ田中派ハ之ヲ説明スラク明治二十八年末ニ於ケル銅山附近ノ山林伐採ノ状況ヲ見ルニ官林ノミニ就キテ言フモ既往ノ伐採
反別ハ七千六百三十二町餘ナルニ植附反別ハ五十三町餘即チ僅カニ其百四十分ノ一ニ過ギス且ツ銅山事務員ノ言ニ依シハ是レ實ニ銅山カ
古河ノ手ニ仮シテ以来ノ苗木植付反別ナリトハ山林ノ濫伐モ亦極ラザルヤ」ト是レ田中派ノ議論中最モ價値アルノ議論ナリ然レドモ?ムラクハ
鑛山ノ害トハ別問題ニシテ古河ニ対シ何等ノ痛痒ヲ与フルコト能ハザルモノゝ如シ
二十九年度ハ實ニ洪水ヲ以テ鼻ヲ衝クカト疑ハルヽマデニ洪水ノ流行セシ年ナリ世人皆云フ是レ山林ノ濫伐ニ基因セリト山林ノ濫伐ハ鑛山ノ
有無ニ関スルモノニ非ズ山林當局ノ人ニシテ無頓着ニ拂下ゲヲ許可シタランニハ何レノ山林モ皆濫伐セルルヽニ至ルベシ何ゾ獨リ鑛山地ノミ
ナランヤ
足尾山林ニシテ餘人ノ手ニ拂下ゲラレタンニハ五十三町餘タリトモ苗木ノ植付ハナサヽリシナルベキニ之ヲ古河ノ手ニ拂下ゲタレバコソ幾分ノ
植付ヲ為シタリトセバ沿岸人民ハ寧ロ古河ノ為メニ被害?カリシヲ謝セザルベカラザルノ理ナリ然ルニ山林濫伐ノ罪ヲ古河に?スルガ如キハ
所謂恩ニ報ユルニ讐ヲ以テスルモノニ非ザルナキヲ得ンヤ
読めない字は「?」で代用しました。で、以前、古河が切った林は1万町歩と書きましたが、実際に正造が国会演説で使った値は7000町歩、
高橋名義の文では7632町歩でした。
ただ不思議なことに、実際に伐採許可が出た面積はこれより少し少ないようです。1万町歩というのは、煙害で木が枯れた場所の面積も含む値
でしたので念のために訂正しておきます。
それにしてもこの文章はひどいですね。古河市兵衛だから53町歩とはいえ植林したのだといっているばかりか、被害農民は
植林した古河に感謝しろとかまで書いてますよ。
そんな高橋菊太郎名義の文献がどれくらい信用できないものなのか、どなたにもよく分かるでしょう。
何度も書きますが、この文献はオンラインで誰でも全文を読むことができます。
明治時代の代表的怪文書、高橋菊太郎「鉱毒問題秘聞録」全文をごらんになりたい方はこちらへ。
http://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=40067687&VOL_NUM=00000&KOMA=1&ITYPE=0 今なら、この文献がさも信用できる立派な文献であるかのように偽った誰かさんの
大嘘を粉々に粉砕してくれる便利なオプション付きです。
590 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/09(月) 20:59:42 ID:7oW9A5ns0
事件当時に刊行された田中正造の言動に批判的な資料には、高橋菊太郎と田川大吉郎による
前述の3点のほかに、次のような本もあり、うち4点は『資料足尾鉱毒事件』(亜紀書房、1970年)
に採録されています。
中沢丙一編・発行『足尾銅山鉱毒事件仲裁意見書』(明治29年)
関口範十郎編・発行『足尾銅山鉱業非停止陳情書』(明治30年)
高岩安太郎著・発行『足尾銅山鉱業停止請願に対する告白書』(明治30年)
古河鉱業事務所編・発行『足尾銅山鉱毒予防工事現況一班』(明治35年)
小手川豊次郎他著『足尾鉱毒問題解決処分』(穴山篤太郎発行、明治35年)
蓼沼丈吉著『足尾銅山鉱毒被害救済私見』(山田友次郎発行、明治35年)
栃木県史その他の2次的資料や教科書等にはこの種の1次資料は使われていません。そのため
多くの点で事実が誤って伝えられていますので、これらの資料に当たってみる事をお勧めします。
「こういう資料は信用できない」といった話は信用せずに、自分で是非を判断することが大切です。
それから、どの資料であれ、ミスがゼロというものはありませんから、完全だと思うのも禁物です。
>>590 亜紀書房の本が出た頃には、亜紀書房の本に入っていた史料は皆、存在が知られていました。
けれど、公害列島とか言われて、公害に関する感心が高まると、そういう史料の需要が高まり、現物を見る
ことが難しくなったので、そういう、鉱毒史料集のようなものが何冊も出たのです。
あなたのペンフレンドの布川了氏も、史料集を出してますよ。ご存じでしょう。
そして、栃木県史とかにそれらの史料が採用されなかったのは、単純に、「もう亜紀書房の本に出てるから
わざわざ再録する必要がない」からです。
そんな単純なこともおわかりにならないのですか? だいたい、栃木県史には、足利市史に載ってる分は
省いたみたいなことも書いてあるじゃないですか。ああいう史料集では直前に出た史料をあえて省くのは
常識です。
ところが、『足利市史 別巻史料編 鉱毒』に掲載された史料の大部分は、1976年当時、ほとんどの研究者に
知られていない文書でした。
当時、足利市には、鉱毒を専門にやっている研究者が全然いませんでした。
そして、その中には確実に捏造文書がいくつか含まれると考えられました。
けれど、当時の足利市には、どの文書が捏造なのかを判断できる研究者がいませんでした。
しかし、収録しなければ、これらの史料は闇に埋もれる。そして大部分は、永遠に失われる。
当時の足利市史編纂委員会は、「捏造文書も入っている」と言われる危険性を十分に承知した上で「全部
刷る」ことを決断したのです。
それはずいぶん勇気がいることだったに違いありません。何しろ、当時の「定説」とは全然違う文書がいっぱい
入ってたんですから。
それに、捏造文書がまぎれていたら、当時の長竹市長や、編纂委員に名を連ねるえらい学者の顔に泥を
塗ることになります。
しかしそれでも、足利市は、見つかった鉱毒文書を「全部刷る」ことにしました。
そして、今でも絶賛発売中です。
「足利市史」には、「足利市史」の前には大部数が刷られて配布されたものでないものが多く入っています。
当時の鉱毒委員の日記や、発禁本(とはいっても十数ページの冊子です)の復刻、そして、古河のはんこの
ある契約書の実物。
それが亜紀書房の本と「足利市史」の本の違いです。かたや、「既に知られていた稀覯本の復刻」、かたや、
「全く知られていなかった文書の掘り起こし」。
そういう重要な文献を、菅井も由井も、そして探したら布川了も、「足利市史を読め」みたいなことを書いている
のに、どうしてあなたは未だに、足利市史をごらんになろうとしないのですか?
通販を使ったとしても、妄想の国にももう本は届いているくらいの時間が経ちましたが。
1902年9月28日に渡良瀬川大洪水がなかったというあなたの大嘘を粉々に粉砕してくれる『足利市史 別巻
史料編鉱毒』は、足利市役所で絶賛発売中です。
今なら、田川の嘘や、高橋菊太郎名義の怪文書のでたらめも同時に粉砕してくれる便利なオプション付きです。
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大嘘にだまされて、後世まで大笑いされる前に、足利市史をぜひどうぞ!
大嘘で人をだまそうとして見破られて、後世まで大笑いされる前に、足利市史をぜひどうぞ!
電話 足利0284-20-XXXX 内線1701 足利市役所市民資料室まで!
ああ、あと、菅井の文を捏造したのは何故ですか? 亜紀書房の本を出しても捏造は取り消せませんよ。
592 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/10(火) 20:05:37 ID:+6pRW+KQ0
田中正造の発言の疑問点は、数字的なデータ以前の話や文章の誇大な表現ぶりにも、明確に
見られます。彼の言い方は大袈裟で、極端で、最高、最低の形容詞で虚飾されています。
こんなことはあり得ないと思うことまで、平然と書いたりしゃべったりするので、常識のある普通の
人なら眉に唾をつけて聞くような内容だということもできます。
つまり、彼の話や文章そのものに真実性が欠けており、私のようなものには、はなから信用でき
かねるのです。この判断が果たして正しいかどうかは今から何回か文章の実例を挙げますので、
ご自分でその是非を判定してみてください。
正造の文章の大袈裟さは、明治天皇への直訴状にも極端な形で出てきます。直訴状には、いっ
たいどんな風に書かれていたでしょうか。次回に紹介します。
もう紹介しなくていいよ。
君の連載は打ち切りにさせてもらう。
>>592 ところで、『足利市史』に書いてある、「ちゃんとした」値や「ちゃんとした日付」を無視して、
匿名の怪文書とか、洪水があったか見にもいってない田川とかのでたらめにはたちどころに
飛びつくのは何故ですか?
どう見ても、正造よりも怪文書の数値のほうが「栃木県庁の値」からはるかに乖離しているでは
ないですか。
ずっと前に書きましたよね。あなたは、自身に都合のよい内容なら、どんなでたらめな文章でも
使い、都合の悪い内容なら、自身の著書の中身でさえ、そのあたりの書き方は間違っていたとか
言い出すでたらめを今もやり続けているのです。
どうせ、直訴状の中身はおおげさだ、とか書くと思いますので、最初に書いておきます。
直訴状の中身は、秋水が書いたもので、正造の直筆ではおそらくありません。
秋水は鉱毒地の惨状を正造ほどには詳しくは知りませんでしたので、
中身は結構違ってます。まあそんなやつに直訴状の代筆を頼んだ正造が悪いとか、
代筆してもらった直訴状を、ろくに訂正しないで使ったとかいう主張ならまあまあ
聞くに値するかもしれませんがね。
何故、正造がそれほどまでに急いだのか、何故、修正する時間がなかったのか、当人たちは
みんな死んでしまい、何故そうなったのかはもう分かりません。いろんな研究者が理由付けや
当日や前日の当人たちの動きを追っていますが、未だに全部は解明できていないし、恐らく、
ちゃんとした証拠でそれらが解明されることはないでしょう。
ただきっとこの人は、都合のよい内容だけ持ち出してきて、また「ということが分かっています」とか
言い出すでしょうから先に予告しておきます。
残念ながら、『足利市史』には、直訴の話はほとんど出てこないのです。
>>590 >「こういう資料は信用できない」といった話は信用せずに、自分で是非を判断することが大切です。
ご安心ください。「ちゃんとした」史料を使って、それらの史料が全くのでたらめだということを
「自分で判断」しましたから。私は誰かさんのように「こういう(田中正造の作った)資料は信用できない」
とかいう大嘘には流されません。どうぞ安心してください。
※これは、亜紀書房の史料集が信用できないという意味ではなく、田川大吉郎と高橋名義の合わ
せて3つの文献が信用できないという意味です。あ、あと、運ナントカと直訴ナントカも入るので
ここで挙がった文献で全く信用できないのは5つですね。
それにしても高橋名義を出したのはやぶ蛇でしたね。あなたのおかげで、古河が「まだ」被害農民に
約束した植林をやってないというのがばれてしまったではないですか。
そんな古河のどこが誠実なんですか?
高橋名義が信用できるとかわめきちらしたんだから、当然、その本に書いてある「古河は約束した
植林をまだやっていない」も認めるわけですよね。
古河市兵衛が誠実だったなんて大嘘じゃないですか。しかも、あなたはわざわざご自身でそれを
提示したのですよ。
ところで、1902年9月28日に渡良瀬川大洪水がなかったなどと大嘘をつき続けるのは何故ですか?
私も「ご自身で判断」しますよ。ちゃんと。報道を見なかったからたいした洪水はなかったんだろうとか
いってる田川よりは、私は『足利市史』を信じますよ。それに、この日の渡良瀬川大洪水について書いた
文書は、これ以外にも山のようにあるのです。前に書きましたよね。田川は渡良瀬川大洪水があった
ことを、確実に「知って」いた。その証拠があります。知っていた上で田川はでたらめを書き連ねたの
です。後に田川は少しは名を挙げますが、それは鉱毒や農業や治水とは何の関係もない分野でした。
明治学院で田川が公害論の講義をしたというのは聞きませんね。いやその前に、私がヘボンだったら、
あんなのと一緒に並べられるのは御免ですけどね。
あと、いくら直訴のことを書いても、あなたが菅井の文を捏造したという事実は消えませんよ。
俺に解るのは、「直訴は必要だったか?」とかいう本を書いた人が、
全くのアマチュアだっていう事くらいかな。
この人の書いてる事は別冊歴史読本やムーと同じ様なものなんだろう。
世の中には色んな人が居て良いと思うし、人を楽しませる為だったら嘘も有りだと思う。
嘘だと解るように穴を作ってるのがこの人の良心なんでしょう。
だから誰も相手にしてないし、笑い飛ばしてる。
良い商売じゃないですか。社会的影響力がゼロなんだから誰にも迷惑は掛からない。
596 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/11(水) 14:57:35 ID:FX2laCEOO
597 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/11(水) 20:14:36 ID:96cuRWt30
直訴状の断片を以下に紹介します。たとえばこんな具合でした。
「河身激変して洪水また水量の高まること 数尺。毒流四方に氾濫し、毒さ(鉱毒の沈澱物)の
浸潤するところ茨城栃木群馬埼玉四県およびその下流の地数万町歩に達し、魚族斃死し田園
荒廃し、数十万の人民のうち産を失えるあり、或いは業に離れ飢えて食なく病んで薬なきあり」
「かくのごとくにして二十年前の肥田沃土は今や化して黄茅白葦(黄色いかやと白いあしだけの)
満目 (見渡す限り)惨憺の荒野となれり」
「人民の痛苦その極に達せるを見て憂悶手足を置くに所なし・・・しかも政府の当局は常に言を
左右にしてこれが適当の措置を施すことなし」
「数十万の無告の(苦しみを告げる当てのない)窮民空(むな)しく雨露(大きな恵み)の恩をこいね
がうて干天(ひでり)に号泣するを見る。ああ、これ聖代(陛下の世)の汚点に非ずといわんや。而し
てその責や実に政府当局の怠慢こう職(職務怠慢)・・・」
「聖明(天皇様)矜察を垂れ給わんことを(ご推察ください)。臣(私は)痛絶呼号の至りに耐うるなし
(耐えられません)」
あ〜君
もう帰っていいよ。
直訴全文は2000文字に満たない小文で、ネット上にも公開されている物なのに、
そちらを紹介しないのは何故でしょう?
いつもの手口ですか?
600 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/12(木) 19:20:56 ID:GcavJ+SC0
直訴文を批判してみます。天皇陛下に対してまで、どうしてこんな虚言を吐いたのでしょう。
毒流とか毒さ(鉱毒の沈澱物)とか言いますが、あまりにもオーバーな表現ではありませんか。
銅という金属は毒性をもつ物質ではないのです。
「飢えて食なく病んで薬なき」なども、いかにも文学的な表現で嘘っぽいことがわかります。
政府は4年前に徹底した公害対策を施しています。従って「政府の無策」は完全な嘘。
被害民は、東京まで4回も歩いてデモ行進し、政府に陳情・請願運動をしています。実に戦闘
的でした。ですから「無告の窮民」も農民たちを馬鹿にした話だし、真っ赤な嘘。
「満目惨憺たる荒野」もとんでもない大嘘。直訴直前の新聞はこう報じているのです。
「両毛の米作(桐生・小山間)十二分の作柄にて、平年の収穫より2割内外の増収 あるべし」
「激甚被害地を除いてきわめて豊作にして、1反につき1石6斗ないし2石位の収穫を得ること
難からずという」(朝日新聞・明治34年10月6日)
川俣事件の裁判で被害農地を鑑定した農学博士・横井時敬は、群馬県の多々良村の原武八
の田んぼが1反当り3石余も収穫したと報告しているのです(鉱毒事務所発行『足尾銅山鉱毒
被害地臨検分析鑑定書』、明治34年12月)。
時系列も脈絡も無視してこれだもんな。
見え透いてて開いた口の閉じ方さえ忘れてしまった。
>>600 「激甚被害地を除いてきわめて」
「激甚被害地を除いてきわめて」
「激甚被害地を除いてきわめて」
あなたの捏造にはもううんざりです。
激甚地は豊作にならなかったのだから、あなたの主張は成立しません。
鉱毒のたれ流しと被害はこの後もえんえんと続いたのです。
1年で10万人を殺した殺人犯が、1年で1万人しか殺さなくなった。
だから被害がなくなったのだとわめいているのと同じですよ。
ところで、
>>590 >栃木県史その他の2次的資料や教科書等にはこの種の1次資料は使われていません。そのため
これも大嘘じゃないですか。
『足尾銅山鉱毒事件仲裁意見書』と『足尾銅山鉱業停止請願に対する告白書』の2つは、栃木県史に
載ってましたよ。もっとも、中沢という人物の名は見あたりませんでしたが。
同じ名前の全く違う史料があるのかと思って、亜紀書房の資料集と比べっこまでしちゃいましたよ。
「栃木県史その他の2次的資料や教科書等にはこの種の1次資料は使われていません。」
などと大嘘をついたのは何故ですか? というか、ほんとに栃木県史を見たんですか?
いったい、栃木県史のどこを見たんですか? というか、その栃木県史って私の世界で出版された
「栃木県史」と同じものなんですか? まさか、旧「栃木縣史」じゃないですよね。あの時代には亜紀
書房の資料集なんかないですからね。
一体、資料を全然見てないのか、見る気がないのか、自分に都合のよい場所しか見えないのか、
一体どっちなんですか?
ところで、菅井の文を捏造したのは何故ですか?
>どの資料であれ、ミスがゼロというものはありませんから、完全だと思うのも禁物です。
とかわざわざ書いたのですから、当然、田中正造の資料に多少のミスがあってもかまわないです
よね。何で田中正造の資料に多少のミスがあると嘘だ虚言だとわめきちらし、自身が菅井の文を
捏造したのがばれるとどうして知らない振りをするんですか? そして、高橋名義の怪文書とかを
さも立派な史料であるかのように持ち出すんですか。
ああ、あと、古河が被害農民に約束した植林をやったのはいつですか?
高橋名義の怪文書に、ほとんど植林してないって書いてあるみたいですが。
古河市兵衛が誠実だったというのは大嘘です。
砂川はひとつひとつの疑問点に答えること。
さもないと削除依頼を出してこのスレ消滅させるぞ。
市兵衛の評伝を書く時に入手した古川の為の資料から自分だけの物語を作ってるのかな?
そろそろ板違いだね。
自分だけの架空の歴史は紺碧とかと一緒なんだし、学問じゃなく文学だろ。
605 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/13(金) 20:20:02 ID:Fmh1augE0
前述した『資料足尾鉱毒事件』(亜紀書房、1970年)には、川俣事件の控訴審における鑑定人
調書も採録されていますが、裁判長の質問と、被害農地の作柄を調査した前記の横井時敬
博士の答えが、次のように載っています。
この質疑応答によって、直訴直前の秋における被害地の回復ぶりと、直訴状の嘘偽りぶりが
お分かりになるだろうと思います。
問 「植物を採取した土地はきわめて豊饒であるとの意見だが、なぜそのように認めたのか」
答 「土壌調査の結果です。つまり、土壌の性質と収穫物が良好だったためで、桑のごときは
普通にはない300貫以上の収穫を示したので、きわめて豊饒と認めました」(続く)
>>605 ところで、
>>590 >栃木県史その他の2次的資料や教科書等にはこの種の1次資料は使われていません。そのため
などと大嘘をついたのは何故ですか? それとも、間違えたんですか? それとも、調査不足ですか?
それとも、野口春蔵はろくに調査ができなかったはずだとかわめいている本人の調査能力は、野口以下だということを
わざわざ証明したいだけですか?
それと、横井の鑑定書の文を見ましたが、原の土地が豊作になったのは古河さまのおかげだとか、明治政府の
おかげだとか書いてないじゃないですか。
該当部分を引用しましょう。(漢字のみ、現代のものに改めてあります)
> ●鑑定番号 第廿三号 供試材料 水稲
>一田 群馬県邑楽郡多々良村大字日向小字内谷第五百二十一番 原武八所有
> 坪刈ノ成績改算一反歩当リ収穫米三石〇〇五合
> 泥深キ水田ニシテ排水ヲ為スニ至ラハ土地更ニ良好ヲ加フヘシ此ノキ多量ノ収穫アル所以ハ手入ノ懇到ナルト
>気候ノ良好ナルニ帰因スルモノト認ム土中ニハ銅分ヲ含有スルアルヲ見ス
よく手入れをしたのと、気候がよかったのが豊作の原因だとはっきり書いてありますよ。政府の鉱毒対策の
おかげなんてこれっぽっちも書いてないじゃないですか。
しかも、この数字は、横井がこのとき鑑定した農地のうち一番できがよかったものの値です。全部引用してさしあげましょう。
鑑定番号:1反あたりの収穫(単位 石)。
1:0.8914 2:0.8458 4:1.3273 5:1.4000* 5:0.2380* 7:0.2380 10:0.1772*
11:1.0500 11B:2.1000 13:1.2090 14:0.4320* 17:0.2030* 18:1.2940 19:2.1770
20:1.5900 21:0.4900* 22:1.4890 23:3.0050 24:0.8057* 25:2.1580* 26:1.4780
34:1.6470 35:1.5290* 38:1.4400* 38B:1.7250*
*印は陸穂で、他は水穂です。欠番は桑畑などで、横井は別に集計しています。桑畑の値は省略します。
5番が2つあるのは同じ田んぼの別の場所を別々に測定したためです。
1反あたり0.2石なんていう値がばんばん出てくるのに、さも、23番の原の値が標準的で、しかも、豊作の理由を勝手に
政府の鉱毒対策のおかげにかのようにねじまげるのは何故ですか?
横井は政府の鉱毒対策のおかげなんて書いてませんよ。しかも、原のこの田んぼからは銅が検出されていませんよ。
ということは、そもそも鉱毒被害地だったかどうかも怪しいですよ。被害地だったとしたら、原自身が毒土をよそに捨てた
のでしょう。それは農民の不断の努力によるもので、明治政府のおかげでも古河さまのおかげでもありません。
この「多々良村日向」という場所は、今で言うと東武多々良駅付近になります。そもそも、渡良瀬川に接してすらいないじゃないですか。もちろん、洪水のときは矢場川を鉱毒水が逆流してきますから、多々良村日向に
被害地が全くないとはいえません。しかし、ほかの渡瀬村とか久野村とかで徹底的にひどい値が出ているのに、
そもそも鉱毒汚染土をかぶったかどうかすら怪しい場所の値、それも、全データの平均値ですらない値を出して
くるのは何故ですか? 読者をだます以外の理由があるならお聞きしましょう。4日以内にお答えいただけないのでしたら、
読者をだますために恣意的なデータのみを抽出したのだと判断します。
そもそもこの23番は「鉱毒がなければこんなに収穫があるのだ」というのを推測するためにわざわざ鑑定した場所
なんじゃないですか? 何度も書きますが、この土地からは「銅が検出されていません」よ。
ちなみに横井は、鉱毒がなければ、平均して陸穂で25番くらいの収穫があるはずだと推測しています。
ああ、あと、いくらわめいても、菅井の文を捏造したという事実は消えませんよ。
608 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/16(月) 19:02:49 ID:0sC4o1fi0
川俣事件の控訴審における、裁判長と鑑定人農学博士・横井時敬の一問一答を続けます。
問 「無害の標準地として(比較のために)採取した、No38の陸稲畑の坪刈りの成績は1反歩
につき1石4斗4升で、被害指定地の収穫が1石7斗もしくは2石ですが、このように、被害
地が無害地よりも収穫が多いという理由は?」
答 「鑑定No38の畑地は土質が劣等で、多量の銅分を含んでいたので、No25の畑地を無害
地の標準としました。No25は銅分がゼロなので収穫が2石1斗5升8合でしたから、被害
指定地の標準を2石と見たのです」
裁判所の依頼で鑑定人の横井博士が調べたのは、直訴の2ヶ月前の明治34年10月です。
上の問答から、その時点で被害地の陸稲の収穫が無害地のそれとあまり変わらなかったという
ことがわかります。
この問答から、渡良瀬川沿岸には冠水しなかった無害農地もあって、「満目 (見渡す限り)惨憺
の荒野」 と言う景色はそもそもあり得ないだけでなく、被害農地も無害地に近い回復を見せてお
り、直訴状の文章は現実を無視していることがわかります(続く)。
>>602へ。私は「 栃木県史その他の2次的資料」 と書いたのです。あなたの言うのは「史料編」
で1次資料。2次資料に当たるのは、栃木県史の「通史編」です。
>>608 >上の問答から、その時点で被害地の陸稲の収穫が無害地のそれとあまり変わらなかったという
>ことがわかります。
1石4斗4升と2石1斗5升8合が「あまり変わらなかった」ときたもんですか。
「減収33%」なんですが。
割り算の仕方は分かりますよね。1.440/2.158=0.66728ですよ。
「減収33%」ですよ?
減収33%が「あまり変わらない!」こいつはびっくりですね。
だったら、田中正造の出した値なんか、どれも、実際の値と「たいして変わらない」んじゃないですか。
あなたは田川大吉郎以上のでたらめっぷりですね。
>>608 言い逃れはやめてください。それらの史料が栃木県史に載っているというのは事実です。
あなたは「栃木県史にはこういう資料は一切載っていない」かのような大嘘をついたのです。
それならあなたは、「栃木県史が二次資料である」かのような大嘘をついたことになりますよ。
「「栃木県史に載っていない」という大嘘をついた」ことにするか、「「栃木県史が二次資料である」かの
ような大嘘をついた」か、あなたはどちらかを選べますが、大嘘つきであるという事実は消せません。
まあどうせ、ろくに栃木県史すら読んでいない野口春蔵以下の情報収集能力しかないことはよーく
分かりましたけれどね。
ところで、栃木県史が読めるということは、当然、足利市史もごらんになりましたね。それとも、
あなた程度の情報収集能力では、「足利市史」を探すこともできないのですか? 探し方は教えて
あげましたよ。足利市役所に電話して「市史の鉱毒編を通販してくれ」って言うだけです。
それはそうと、今度は横井の文も捏造してるのは何故ですか?
あなたのは現代文書き下しにすらなっていない恣意的なでたらめな文章なので、
ちゃんと原文を引いてください。
横井の文の一部を原文で見てみましょう。
>元来桑畑ハ特別原因ヲ有ス即チ桑ハ深ク土中ニ植込ムヲ以テ下層良質土ナルニ於テハ其根ハ下層ニ
>至リ発育スルガ故ニ好結果ヲ得新ニ植込ミタルモノハ下部ノ根十分ニ繁生セザルヲ以テ往々枯死スル
>コトアリ鑑定番号第卅一号ノ如キハ其例ニシテ地表面以下八十五仙米ノ処ニ至リ根ノ繁生シ居ルヲ以テ
>実ニ三百六十貫ノ収穫アルニ至リタルノデス
つまり、土壌は豊饒だが、その上に鉱毒汚染土が乗っているので凶作になっているのだ、と横井は言って
いるのです。
ただし、桑畑の場合、鉱毒被害前に植えた分で、根が地下84cmのところまで伸びているような場合、桑の
根は、表層の毒土から水や養分を吸わず、下層の「豊饒」な土地から水や肥料を吸うので、桑畑では例外
的に、土壌から銅分が多量に検出されても豊作になっていることがある、と言っているのです。さらに横井は
いくら桑畑でも、既に鉱毒に犯された土地にあとから桑を植えた場合、桑は「豊饒」な下層部分まで根を伸ば
す前に枯れてしまうこともある、と、「鉱毒地に桑を植えると豊作になる」わけではないと念を入れて述べています。
横井の発言を最も端的に現しているのはこの部分でしょう。
>問 然レバ収穫ノ減少ハ全ク銅ノ毒ナリト断言することを得ルカ
>答 重ニ銅ノ毒ナリト信ジマス
この部分をわざわざ消し去って、まるで横井が鉱毒がなくなったのは政府と古河さまの
おかげと発言したかのような大嘘をつき続けるのは何故ですか?
ああ、あと、何度も書きますが、あなたが菅井の文を捏造したという事実は消えませんよ。
>>609 一応追記しておきましょう。
>>608 の質問では、38番は鉱毒「無害」地の標準であるかのような言及があります。
ところが、横井は、無害地のつもりで鑑定を始めたけれど、あとから確認したら土壌から銅が出たので、
「38番は鉱毒無害地の標準としては使えない、25番を無害地の標準に使おう」ということで、標準地を
取り替えたのです。
つまりこの
>>608 の発言では、38番を無害地であるかのような書き方をしていますがこれは真っ赤な嘘。
38番は土壌から「銅分」が検出されている「被害地」なのです。
だから私の計算では、38番は被害地としての計算です。
被害地ではがんばっても1.44石しか取れないが、無害地では2.158石とれる。
全然、「「あまり変わらなかった」ではないではないですか。
ところで肝心の『足尾銅山鉱毒被害地臨検分析鑑定書』には、肝心の38番の鑑定結果の詳細が出て
いません。
これは国会図書館の人がうっかりコピーを忘れたのか、出版者がページ抜けのまま発行してしまった
のか、どなたか完本をお持ちの方がいたらフォローをお願いします。
国会図書館の電子図書ライブラリーには、鑑定番号38番が載っているはずの「30-31ページ」が
見あたりません。
それとも国会図書館蔵書版が乱丁本で、違うところに30ページがあるのでしょうか。
611 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/17(火) 19:39:23 ID:cFh3xX7l0
被害農地の成績が良すぎるので、裁判長は、鑑定人に次のごとくしつこい質問をしています。
問 「無害標準地のNo29の桑畑は240貫の収穫なのに、各被害指定地のうちに300貫の収穫
を示している所があるのは、前と同じ理由ですか?」
答 「そうです。No31の桑畑は多量の銅分を含んでいますが、下層に固有の良質土があって
発育が十分であるため、300貫以上の収穫を示したのです」
問 「1万分の4強の銅分を含めば、収穫は減少しますか?」
答 「ええ、溶解性銅分が存在すれば、植物はそれを吸収しますから被害があります」
問 「あなたは、No1の指定地は、その害鮮少、No4は軽少だとしているのみならず、銅分は
1万分の2もしくは3を含有し、鑑定番号No22のごときは、銅分1万分の8以上を含有しな
がらその害は軽少だと認めていますが、なぜでしょう」
答 「溶解性銅分が僅少で、栽培の仕方が適切であることによって被害が軽少だと認定したわ
けです」(続く)
先に釘を刺されて、インチキも指摘されて、それでも書くか、知恵遅れ。
>>611 その桑とかの話は私が既にしているではないですか。
それは、鉱毒被害があっても桑の場合は豊作になることがある、というのを、
桑の持つ特性を理由にしているのであって、政府の鉱毒対策のおかげだと
は横井は言ってません。そんなところ今から恣意的に自説に有利な証拠にしよう
としても無駄ですよ。
横井の鑑定の結果、豊作になったのは
(1) 鉱毒無害地だった(土壌から銅が検出されなかった)
(2) 持ち主の手入れがよかった
(3) 元々桑が植えてあって、その根が深くまで伸びていた
のいずれかです。横井がそれ以外の例を挙げているのなら提示してください。して
ませんから。まあ豊作の理由に、天候がよかったのは挙げてますけどね。しかし天候は
被害地も無害地も同じです。横井は、豊作になったのは明治政府と古河さまの鉱毒対策の
おかげなどとは言ってませんし書いてません。
横井はわざと被害地だけでなく、無害地も鑑定したのです。だって、被害地だけの検査だと、
「無害地はこれだけ収穫があるのだから、減収は何割だ」という計算ができなくなります。
だからこそ、わざわざ同じ地方の同じ村の同じ字の無害地を数カ所選んで同じ方法で鑑定
しているのです。ところがどっかの誰かさんは、横井がそうやって比較のために選んだ無害地の
値だけを提示してきて「豊作になったのは鉱毒対策のおかげだ」とか大嘘をついているわけです。
もう一度書きますが、横井は鉱毒対策のおかげで豊作になったなどと言ってないし書いてない
ですよ。そんな大嘘をついたのはどこのえらい博士ですか? 嘘をつけばしょっぴかれるような、
裁判所の中とかでそう言ったえらい博士がどこにいるんですか?
>問 然レバ収穫ノ減少ハ全ク銅ノ毒ナリト断言スルコトヲ得ルカ
>答 重ニ銅ノ毒ナリト信ジマス
横井の発言のこの部分をわざわざ削除して、まるで横井が全く逆のことを言ったかのような
捏造を繰り広げるのは何故ですか?
> 答 「土壌調査の結果です。つまり、土壌の性質と収穫物が良好だったためで、桑のごときは
> 普通にはない300貫以上の収穫を示したので、きわめて豊饒と認めました」(続く)
あなたの恣意的な書き下し文にこうありますが、横井はちゃんと、桑が300貫とれたのは、
>元来桑畑ハ特別原因ヲ有ス即チ桑ハ深ク土中ニ植込ムヲ以テ下層良質土ナルニ於テハ其根ハ下層ニ
>至リ発育スルガ故ニ好結果ヲ得新ニ植込ミタルモノハ下部ノ根十分ニ繁生セザルヲ以テ往々枯死スル
>コトアリ鑑定番号第卅一号ノ如キハ其例ニシテ地表面以下八十五仙米ノ処ニ至リ根ノ繁生シ居ルヲ以テ
>実ニ三百六十貫ノ収穫アルニ至リタルノデス
古河さまのおかげではなく、桑の根が深くまで張っていたからだと言っているではないですか。
恣意的に「被害地で桑300貫」のところだけ抜き出したのは何故ですか?
私にはまるで、豊作になったのが鉱毒対策のおかげであったかのように見せかけるための嘘にしか
見えませんが。
実際にはこの豊作は鉱毒対策のおかげではなく、桑の持つ特性によるのです。少なくとも横井は
そう言っています。
それに、鑑定番号1番とか10番の値はどうするんですか?
1反あたり0.2石以下ですよ。9割の減収じゃないですか。
そういう値を恣意的に無視するのは何故ですか?
ああ、それと、1902年9月28日に渡良瀬川大洪水がなかったなどと大嘘をついたのは何故ですか?
そしていくらわめいても、菅井の文を捏造したという事実は消えませんよ。
614 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
裁判長と農学博士・横井時敬との以下の質疑応答から、被害民への農業学者の同情振りが伝
わってきます。医学者や鉱山学者とは違って、農学者はつねに被害民の味方でした。
問 「指定被害地の田畑は、毒土を除去したり土中深く埋めたため、このような収穫があったの
だとあなたは認定しています。その理由は?」
答 「鑑定番号No15の桑畑のごときは、ほとんど収穫がありません。毒土のあった場所は普通
の草でも生育しません。たまたま生育したところは、毒土を取り除き、または埋め立てた形
跡があります。したがって、このような鑑定をしたわけです」
問 「No11とNo11・Bは、本来の地力が同一と認められますが、なぜ、このように収穫に大きな
差が出るのですか?」
答 「No11は毒性が濃厚で、No11・Bはよく毒土を除去してあるため、毒性が希薄になっている
からです」
問 「毒土を蒙った以上、農業経済上は収支が償わないとあなたは認定しましたが、理由は?」
答 「毒土を除去するには大変な労力と莫大な費用を要し、且つ大量の肥料を施す必要があり、
利益が出ないのは明らかだと算定したのです」
問 「収穫の減少は、全く銅の毒のためだと断言できますか?」
答 「主に銅の毒だと信じます」
学者でありながら「信じます」としか言えないほど、公害の原因は単純でないのです。