☆斎藤一をとことん語ろう!其の四☆

このエントリーをはてなブックマークに追加
188名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/12(火) 16:19:40 ID:nEVRM2z3O
>>118
大石は変装、偽名しててばれたら命乞いが激しかったらしいから
癪に触って殺されたんじゃね?そこそこ名前も売れてたし、性格も悪かったらしいしな
189名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/26(火) 16:44:20 ID:LrZNFrDO0
ジジイになって体力も衰えた頃の斎藤一は
木の枝に缶詰の空き缶吊るして剣術の特訓してる奴から
木刀か竹刀をふんだくって空き缶を突き抜いたらしい。

今のアルミ缶みたいに薄くなくて相当分厚いと思われる
明治の空き缶を一撃で貫くなんてデマにしか聞こえないけども
190名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/15(水) 08:12:24 ID:PDoV/Fjc0
>>189
その話よく聞くけど、ソース何だったっけ?
191名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/09(日) 18:32:55 ID:5PNnXXh60
そういやマンガの「六三四の剣」にも斎藤の空き缶の話ってあったなw
192名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/10(月) 14:10:37 ID:uv4Cz1LfO
明治の空き缶を見たことがあるのか?
193名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/10(月) 19:27:34 ID:Y/2aOp++0
>>192
ttp://www.jca-can.or.jp/handbook/hand01.htm

今のジュース缶みたいのじゃないだろうなってことはわかる
194名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 12:24:45 ID:ZqeKn32f0
>>185
毎週立ち読みするのもタルいから文庫化待ってる
一冊分たまるのっていつ頃なんだろう…
それとも、完結=一冊分なのかな
どっちにしろ早く読みたい
195名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/23(水) 16:59:46 ID:HKTH/Y4m0
斎藤の小説に吉村貫一郎が出てたね
もっと出せよ浅田さん
196名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/26(土) 08:19:31 ID:gPC5Jl/O0
もうすぐ命日age
197hajimechan:2009/10/17(土) 16:30:09 ID:O0SlDXN4O
保守age
198名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/18(日) 09:42:41 ID:jC/d4pflO
維新後、帝都で警視庁巡査として治安維持に当たり
西南戦争では警視庁抜刀隊に参加し、恨み深い薩賊どもを斬って斬って斬りまくった。
「賊軍」にされて、「官軍」の薩長に討たれた、会津藩と会津藩御預新撰組の
恨みを晴らす為に、今度は「官軍」として、「賊軍」の薩摩の賊どもを征伐した。
199名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/18(日) 11:44:14 ID:pwudzPCgO
会津の場合は薩摩より長州が敵ちゃうんかいな?
200名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/18(日) 18:43:47 ID:DdqrMSRXO
>>195 逆じゃねーの?「壬生義士伝」は吉村が主役。
201名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/18(日) 19:08:32 ID:d+kePTsB0
警視庁は薩閥の牙城だという事実。
親玉からして薩摩人だ。薩摩の犬になり下がってまで薩摩に復讐したかったのか?
202名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/19(月) 03:31:15 ID:FAlG1Gbv0
>>200
横レスだけど
今週刊誌で連載中の浅田の小説じゃないの?
自分は単行本になってから読むつもりでまだ読んでないから
吉村が出てくるのか知らないけど
203名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/19(月) 17:06:48 ID:tplsYVLP0
>>198>>201
復讐云々なんて格好いいこと云ってらんないだろ当時。
家族を養う為に警察に入った、そんだけじゃね?
薩摩が親玉だの牙城だの正直関係ないっしょ。

それに警察にはあの会津の鬼カンもいた訳だし、
下っ端の斎藤が所属した所で、本人の気持ち以外は
何の問題もないわな。
204名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/27(火) 02:50:53 ID:JOQ88hAYO
>>201
犬には成り下がっておらず維新後も牙を突き立ててたってるろ剣で描かれてんだろ
アンチ死ねや
205名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/17(火) 22:32:04 ID:qvEM5fMYO
かこいいよな
206名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/03(木) 00:59:40 ID:/nMo4UhB0
月刊和月 って言うるろ剣の
明治剣客浪漫譚 完全版 の、3巻に着いてくる
キャラインタビューっていうので、斎藤がゲストのとき
どういう会話だったのか、知りたいんです!!
探しても2見つかんない、、、号泣
誰か教えてくださいっぃぃぃイイーー!!
207名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/03(木) 02:47:34 ID:GqHnr3OG0
妄想に支配された者の哀れさを感ずる。
肖像画がとてもファンタスティックな印象しかない。
208名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/04(金) 04:51:39 ID:XDtDvW8qO
高校まで会津にいて斎藤の墓のある阿弥陀寺や新撰組の仮屯所があった天寧寺界隈(近く土方が建てたという近藤の墓もある)はしょっちゅう往き来してたのに、結局一度も足を踏み入れる事はなかったです。
ってか、東京に出て来てからそんなものがある事を知りますた…orz
209名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/27(日) 09:11:28 ID:92fSjScM0
毎年、元旦が近づいてくると斎藤スレを思い出しますw

>>208
まあそんなもんだよw
そういう自分も幼児期〜小6まで日野に住んでたけど、
当時は新選組なんて殆ど知らなかったし興味なかった。
高幡不動まで歩いて10分かからない所にいたのになあ。
210名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/27(日) 18:35:43 ID:iSeFqMfIO
斎藤の墓はパチンコ屋の前にある寺?
211名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/27(日) 19:21:23 ID:92fSjScM0
>>210
そういや向かいにあったねパチンコ屋。
212名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/27(日) 19:48:05 ID:iSeFqMfIO
そこだったらパチンコ屋に車止めて墓参りと言うか見に行ったよ。
あと東山温泉に土方が入った温泉がある宿に泊まって、近藤と土方の墓も見てきました。
213名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/01(金) 09:34:52 ID:94tx7NsT0
斎藤、誕生日おめでとう!
ついでに謹賀新年age!
214名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/27(水) 13:32:26 ID:ir5IaeZj0
白虎隊記念館の肖像画ってほんとに斎藤なの?
西南戦争の写真と(年齢違うとはいえ)大分顔違う気がするんだけど…
誰か詳しい人いませんか

215名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/27(水) 14:00:12 ID:LcDL0st00
>>214
かなりお爺さんになった斎藤が親戚の結婚席の記念写真に写ってるやつ
見たけど、少なくとも肖像画を老いさせたような感じじゃなかったよ
歴史読本2004年12月号「新選組をめぐる女たち」に載ってるから古本屋とか図書館(あるかどうかはわからないけど)
とかで確認してみてはいかが?

あと残された息子さん(勉さん、剛さん)の写真の見た感じからお父さん(一)の顔を類推するのもいいんじゃなかろうか?
216名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/27(水) 17:29:23 ID:suy6mXdj0
>>214
あの絵は斎藤の長男(勉氏)をモデルにしたものだとか、親戚や兄が
モデルだとか色々云われてるらしい。
少なくとも本人を見て描いた訳じゃなさそうだね。
尤も完全にかけ離れてるってんでも無い(各パーツだけ取り上げると
似てるとか)とは思うんだけど。
217名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/27(水) 20:07:32 ID:77CJdVBY0
>>215>>216
肖像画ってあまり信じられない方なので気になってたんです。
ご両人情報有難う!
歴史読本さっそく探してみます。
確かに息子さんから推測するのがいいですね。



218名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/16(火) 07:19:47 ID:1Mw/plyY0
しまった、旧暦の元旦(一昨日)に誕生日おめでとうを
書き込むつもりだったのに忘れてた。

遅ればせながら166回目の誕生日おめでとう、斎藤。
219名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/05(金) 20:40:45 ID:1+xCP9t60
166年前ってそんな凄い昔でもないよなあ。
上の方の書き込みでも見たけど、
曾祖父くらいまで遡れば
普通に会ってた可能性あるんだし。
220名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/24(土) 19:55:47 ID:/ljGK7iT0
下がり杉age
221名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/14(土) 16:09:38 ID:GvU1RUau0
牙突
222名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/16(月) 05:17:00 ID:UqpNgD9oO
>>6
腐女子なら女好き萌えじゃなくて男好き萌えだろ
223名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/27(金) 13:36:13 ID:nW+XFxRX0
>>142-147>>199
 薩摩は、幕末の京都で大して痛い目に遭ってない。
 本当は、薩摩は、長州や土佐とつるんでた時期より、幕府と協同歩調を取ってた時期の方が長かった。
 新撰組は、主に長州や土佐の浪人とやり合ってて、薩摩人とは大して摩擦を起こしてなかった。
(要注意人物にされてたのは、田中新兵衛とか一部の浪人だけ)
 禁門の変でも、薩摩は会津と協同して、長州を討った。
 それが、最後に突然、討幕派に寝返った。

 最初から敵だった相手(長州や土佐)より、途中で裏切った相手(薩摩)に対して、より強い憎しみを持つのが、人間心理なのかもしれない。
224名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/27(金) 22:37:43 ID:Or6xUw3C0
まあ幕府側からの視点から見たら裏切りだろうけど、
薩摩にしたら幕府に愛想をつかしたってことだろう。

幕府があんまりにも執拗に長州をいじめたがるんで、(というか滅ぼそうとしていた)
薩摩としてはいい加減にしろよって冷めた気分だったのかもしれない。

幕府も結局は自己は痛まずに諸藩(とくに薩摩)の軍事力が頼みだったわけだしね。
外様の力を頼ってる時点でご都合主義なわけで、裏切られても自業自得って面も大きいよ。
225名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/27(金) 22:55:47 ID:Or6xUw3C0
>>219
大阪市では戸籍上、安政生まれの152歳が生存しているらしいよ
226名無しさん@お腹いっぱい。 :2010/08/27(金) 23:42:19 ID:sYMwyaSg0
>>223
薩摩は公武合体を目指しての幕府との協調路線だよ。
ところが参与会議と四侯会議と2度も協調体制を潰したのが慶喜。
彼の目論む幕府独裁とは当然ソリが合わず
結局西郷達革新派が国許保守派の論調を無視して幕府を潰しにかかるんだけどね。

まぁ幕府視点のドラマだと公儀政体改革に奔走する薩摩藩の姿が殆どスルーされるからな
227名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/28(土) 02:10:02 ID:mg5tmZOp0
>>224
>幕府があんまりにも執拗に長州をいじめたがるんで、(というか滅ぼそうとしていた)

長州征討は、孝明天皇の意思じゃん
228名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/28(土) 02:37:40 ID:oigD/ymx0
>>227
天皇の意思なら何でも素直に従うほど単純な話じゃないだろう
宗教じゃあるまいし、無駄な戦争で犠牲を払う藩はたまったもんじゃない
229名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/29(日) 02:12:09 ID:/PhSXsUL0
>>224

>幕府があんまりにも執拗に長州をいじめたがるんで、(というか滅ぼそうとしていた)
>薩摩としてはいい加減にしろよって冷めた気分だったのかもしれない。

 薩摩を”正義の番長”みたいに持ち上げたがる薩摩信者、乙w
 ”会津が長州を執拗にいじめたがる”という表現に、薩長側信者の悪意と捏造の意志が、表れてるなw
 会津が長州を取締りの対象にしたのは、天皇と幕府の双方から指示を受けてたからだろ


>幕府も結局は自己は痛まずに諸藩(とくに薩摩)の軍事力が頼みだったわけだしね。
>外様の力を頼ってる時点でご都合主義なわけで、裏切られても自業自得って面も大きいよ。

 ”幕府も結局は自己は痛まずに”って、どういう事?
 色々幕府の要人が暗殺されたりしてるし、軍事事件が起きた時には当然幕府の兵を出してるし。
 別に幕府は薩摩の軍事力を当てにしてたわけじゃないだろ。
 それに、武力では徳川幕府は確かに弱体化してたけど、その幕府を倒した薩長土の人間達や彼らに味方した公卿達の中には、国家の政務をまともに行える人材がろくにいなくて、結局旧幕府の人材を登用しないと新政府はまったく成り立たなくなった。
 薩摩は、”幕府に愛想をつかした”とか偉そうに言える立場じゃないだろっつーの。
230名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/29(日) 03:29:11 ID:xNuaB2bN0
>>229
幕府擁護くんか会津信者くんかは知らんけど乙w

>会津が長州を取締りの対象にしたのは、天皇と幕府の双方から指示を受けてたからだろ
当時の朝廷を牛耳っているのは慶喜や会津だろうにw
天皇と幕府に忠義を尽くした会津藩って言いたいのだろうか?

>別に幕府は薩摩の軍事力を当てにしてたわけじゃないだろ。
当てにしてないなら長州征伐で慶喜が薩摩に再三出兵を要請するのはおかしいw
実際の戦闘でも幕府軍の主力は西日本諸藩だろ。
てめえとこの戦力主体で戦えっつーの

>色々幕府の要人が暗殺されたりしてるし、軍事事件が起きた時には当然幕府の兵を出してるし。
数の知れた幕府要人の暗殺って・・・安政の大獄で幕府は諸藩の士をどれだけ処刑したよ?
テロリズムを容認はできないが、それまでの行いに対する当然の報いだろ。
どうも会津や新撰組厨は都合の悪い原因を省いて、起こった事件だけで語るよね。なんで?
知らないわけじゃないよね?

>結局旧幕府の人材を登用しないと新政府はまったく成り立たなくなった。
新政府が国政経験者である旧幕の人材を登用したことは良いことだと思っているし、
幕府にはとても真似のできない人材登用だよなw

>薩摩は、”幕府に愛想をつかした”とか偉そうに言える立場じゃないだろっつーの。
このどこにそんなに噛みつく点があるのかね〜?
現実に幕府を倒しているんだし、偉そうも何もないだろうw
231名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/29(日) 13:12:30 ID:/PhSXsUL0
>>230

>当時の朝廷を牛耳っているのは慶喜や会津だろうにw
>天皇と幕府に忠義を尽くした会津藩って言いたいのだろうか?

 当時の朝廷なんか、牛耳っても何も良い事なんかない。 
 政治の実権は幕府が持ってたんだし、財政面では天皇や公家達は、幕府から支給された金銭で生活していた。
 幕末に孝明天皇が行ってた政治行動は、幕府に攘夷を催促することだけ。
 会津(と慶喜)は、幕府と天皇の意思の仲介役を、勤めてたのだ。 
 

>数の知れた幕府要人の暗殺って・・・安政の大獄で幕府は諸藩の士をどれだけ処刑したよ?
>テロリズムを容認はできないが、それまでの行いに対する当然の報いだろ。

 この安政の大獄で処刑されたのは、倒幕を画策してると考えられた水戸藩の人間達だ。
 まずこの時代の大問題「開国か攘夷か」について、幕府は現実の状況を真剣に検討した結果、「下手に攘夷を決行して相手が反撃してきたら、日本はもたない」と判断し
て、開国に決定した。(そして、この判断は、歴史的にも正しかった)
 それは、幕府がちゃんと国全体を考えた上での結論にも関わらず、その幕府の開国方針にいちいち反対して、攘夷を煽り立ててたのが、水戸藩。
 この水戸藩の行動を、幕府は「尊皇攘夷者たちを使って倒幕を画策する水戸藩の挑発」と、捉えた。
 しかも、水戸藩は、水戸藩主・徳川斉昭の息子・慶喜を将軍候補にして、幕府中央に送り込んできた。
 井伊直弼は、本気で「水戸の尊皇攘夷者は皆、討幕を実行する陰謀に関わってる」と思いこんでたんだし、その敵を全力で叩き潰しにいくのは、当然の反応だろう。
232名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/29(日) 13:30:51 ID:/PhSXsUL0
↑追記

まとめると、
 幕府からしてみれば、「先制攻撃を仕掛けてきたのは、水戸藩および尊王の志士達の方」
               ↓
 「よって、京都でも、尊王の志士たちをバシバシ取り締まるべし」

 これが、幕末の幕府・会津藩の行動原理だったんじゃん。   
233名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/29(日) 19:29:26 ID:xNuaB2bN0
>>231,232
>会津(と慶喜)は、幕府と天皇の意思の仲介役を、勤めてたのだ。
仲介というより、手足の方が適格な表現でしょう。

>この安政の大獄で処刑されたのは、倒幕を画策してると考えられた水戸藩の人間達だ。
水戸藩だけじゃないだろう。橋本佐内、吉田松陰はじめ他藩も大勢いる。
それにこの時点の水戸藩は倒幕を意図していたというより、藩主を貶めた井伊政権を打倒するものだろう。
孝明天皇からも幕府を介さず水戸藩と薩摩藩へ密勅が出ているしね。

>井伊直弼は、本気で「水戸の尊皇攘夷者は皆、討幕を実行する陰謀に関わってる」と思いこんでたんだし、
>その敵を全力で叩き潰しにいくのは、当然の反応だろう。
井伊のような偏屈者が大老になったことが幕末の悲劇の始まりだね。
だいたいこの人って他人の意見を取り入れていく能力って皆無じゃないのか?
国政のトップが思いこみから強権的に動いている時点で、幕末の幕府は異常な政権であったことがわかる。

>これが、幕末の幕府・会津藩の行動原理だったんじゃん。
先制攻撃とかって、いつまでもこだわるところか?
決めつけてかかっているというか、完全に対話を放棄した思考停止じゃん。
その行動原理って、どう見ても最悪なんですけど。
234名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/30(月) 13:15:21 ID:vYXn5O4S0
>>233

>それにこの時点の水戸藩は倒幕を意図していたというより、藩主を貶めた井伊政権を打倒するものだろう。
 違う。
 幕府が徳川斉昭を貶めるような言動をした事なんか、ない。
 反対に、徳川斉昭が、幕府の方針を無視する行動を取り続けてた。
 その結果、「徳川斉昭が倒幕を意図している」と幕府は判断。→ 安政の大獄 だ。

>孝明天皇からも幕府を介さず水戸藩と薩摩藩へ密勅が出ているしね。
 徳川斉昭は、幕府の要職にいる頃から、朝廷とパイプをつないで、幕府の情報を朝廷に流していた。
 そのつながりで、朝廷から水戸藩に密勅が届いた。
 これが、斉昭が討幕の疑いをかけられた原因のひとつ。

>井伊のような偏屈者が大老になったことが幕末の悲劇の始まりだね。
>だいたいこの人って他人の意見を取り入れていく能力って皆無じゃないのか?
 井伊直弼が主張していた開国は、後の歴史を見ても正しかった。
 まず、尊王攘夷のリーダーだった長州が、実際に攘夷を行って、その結果どうなったかを見れば判る。
 1863年、長州は下関で攘夷を実行。5月10日から26日の間に、アメリカ商船、フランス軍艦、オランダ軍艦の順に、次々に砲撃を加えた。
 しかし、翌6月に、アメリカ軍艦とフランス軍艦から報復攻撃を受けて、長州の攘夷軍は、あっという間に惨敗。
 そして、この敗北の後、長州は、藩の方針を、攘夷を捨てて、開国にこっそり変える。
 ハッキリ言って、ちょこざい。
 そして、その後、明治維新が起きた時、幕末で激しく攘夷活動をしていた土佐の攘夷主義者達も、開国に転向。
 結局、維新新政府は、井伊直弼と同じ開国政策をとった。
 (維新後も幕末と変わらず)攘夷を主張し続けた攘夷主義者達を処刑にした所も、井伊と同じ。

>国政のトップが思いこみから強権的に動いている時点で、幕末の幕府は異常な政権であったことがわかる。
 そもそも、この時代の日本の状況が、それまでの日本人が経験したことが無いような異常な状況だったんだから、幕府が一部暴走してしまったのもしょうがない。
 それに、明治新政府も、西南戦争で西郷に本気で反乱を起こす気があったのか疑問だったのに、強権を発動して、西郷軍を壊滅させた。

>先制攻撃とかって、いつまでもこだわるところか?
>決めつけてかかっているというか、完全に対話を放棄した思考停止じゃん。
>その行動原理って、どう見ても最悪なんですけど。
 もともと、そっちが”会津が長州をいじめてたがる”だとか”井伊直弼が、何の前提も無く安政の大獄を始めた”みたいな事を言い始めたからだろ。
 こっちは、実際の歴史の流れを調べて書いてる。
 そっちこそ、薩長側持ち上げの論理でしか書かないくせに、他人に最悪とか言える神経が判らない。
235名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/31(火) 02:25:26 ID:sPZMJ1ll0
>>234
>幕府が徳川斉昭を貶めるような言動をした事なんか、ない。
井伊はやってるよ。いきなり登城を差し止めて政治的に排除しているよね?
そもそも水戸の老公の意見を気にして幕政に参加させたのって、幕府だよな〜
自分に意見する人物を排除していたのは事実では?

>井伊直弼が主張していた開国は、後の歴史を見ても正しかった。
開国を主張し始めたのは井伊が最初ではないけどね。
もともと阿部正弘や島津斉彬らが主導で開国策を提言したのが始まり。
彼らは徳川斉昭のような攘夷派大名も懐柔しつつ現実的な開国策を推進していった。
井伊には、そういった反対意見を持つ有力者を説得する動きが見られない。

>そもそも、この時代の日本の状況が、それまでの日本人が経験したことが無いような異常な状況だったんだから、
>幕府が一部暴走してしまったのもしょうがない。
残念ながら、政府のトップの暴走をしょうがないって言う人は少ないよ。
236名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/02(木) 15:48:46 ID:g/EhQLdC0
>>235

>井伊はやってるよ。いきなり登城を差し止めて政治的に排除しているよね?
>そもそも水戸の老公の意見を気にして幕政に参加させたのって、幕府だよな〜
>自分に意見する人物を排除していたのは事実では?
 幕府は徳川斉昭を幕府の要職に採用する以前、まさか徳川斉昭が、幕府の情報を朝廷に情報を流すとか、尊皇攘夷派を煽ってわざわざ
幕府に対して表立って(幕府の面子を潰す形で)反対行動をとるとか、息子の慶喜を将軍候補に送り込んできて、幕論を自分に都合の
いいように変えようとしたりするなんて、想像もしなかった。
 徳川斉昭の方が、幕府を侮辱してる。
 これだけ幕府を無視して好き放題やられたら、幕府が斉昭の登城を禁止するのは、当然。
 こんな状況になる事が事前に知れてたら、幕府は最初から、徳川斉昭を幕府の要職に採用しようなんて思わなかった。
 
>もともと阿部正弘や島津斉彬らが主導で開国策を提言したのが始まり。
>彼らは徳川斉昭のような攘夷派大名も懐柔しつつ現実的な開国策を推進していった。
>井伊には、そういった反対意見を持つ有力者を説得する動きが見られない。
 もし徳川斉昭が、福山藩や薩摩藩の情報を朝廷あるいは幕府に流したり、福山藩や薩摩藩を開国政策の総責任者とみなして、攘夷主義
者を使って福山藩や薩摩藩の政策を公衆の面前で非難するような行動をしたり、福山藩や薩摩藩の次期藩主候補として斉昭の子を送り込ん
できて、藩論を自分に都合のいいように変えようとしたりしたら、その場合にも阿部正弘や島津斉彬が斉昭に対して寛容な態度をとるなんて、
全然思えない。
 攘夷主義者達の矢面に立ってるのが幕府であって自分の藩じゃないから、寛容でいられるんだ。

 大体、”自分に意見する人物を排除している”のは、お前だろ!
 2chの中に薩長のファンスレがちゃんとあるのに、わざわざ新撰組・会津・幕府ファン側のスレにでしゃばってきて、邪魔ばかりしやがって!
 島津斉彬を寛容な理想的な人物だと思ってるなら、お前も寛容になれ!
 新撰組・会津・幕府側のファンが薩長を批判する書き込みをしてても、笑って「それもそうだね」と受け入れろ!
 「歴史の中で悪者になってる人の事も、ちゃんと考えてあげよう」という思いやりを持て!

>残念ながら、政府のトップの暴走をしょうがないって言う人は少ないよ。
 政府の暴走をとがめるなら、「徳川幕府」も「明治新政府」も「昭和の政府&軍上層部」も「現代の日本政府」も、皆一緒に批判されなければ
いけないのに、今まで明治新政府の暴走・暗部だけが、ほとんどスルーされてきた。
 明治新政府こそ、今まで最も暴走・暗部を”しょうがない”で済まされてきた。
 そして、その明治新政府の暴走・暗部をちゃんと批判したいというのが、今2chで、明治新政府関係者が何かと槍玉にあげられてる理由。
 明治新政府も、徳川幕府・昭和の政府&軍上層部・現代日本政府と同列の立場で批判されようとしてるだけなのに、いちいち過剰反応して、
明治新政府を特別扱いしないと気が済まないあんたは、おかしい。

 それに、気付いたけど、あんたは「世間で持ち上げてる人間の数が多い意見や人物ほど、良い意見」という考え方の人間なんだ。
 でも、2chの世界は、「世間で持ち上げてる人間の数が多い意見や人物ほど非難される場所」なんだよ。
 「多くの人間が正しいと言ってるどこでも聞ける意見」なんか、わざわざ2chで読みたくねーんだよ。
 他のサイトで見ないような色々な意見が聞けるところが、2chの存在価値なんだから。 
 尊王の志士側について、無批判に持ち上げて語りたいなら、個人でやってる志士側のファンサイトの中にある掲示板に、逝け。
237名無しさん@お腹いっぱい。
>>236
う〜ん、何を感情的になっているかさっぱりわからんのだがw

> 大体、”自分に意見する人物を排除している”のは、お前だろ!
> 2chの中に薩長のファンスレがちゃんとあるのに、わざわざ新撰組・会津・幕府ファン側のスレにでしゃばってきて、邪魔ばかりしやがって!
あのさ〜、井伊直弼について言ってるんで、何も見ず知らずの君にして言ってないないだろw
ここは幕府や新撰組ファンにとって不可侵のサンクチュアリなのかね?

>新撰組・会津・幕府側のファンが薩長を批判する書き込みをしてても、笑って「それもそうだね」と受け入れろ!
幕府側への批判に対しては顔を真っ赤にして怒るようだな。

>「歴史の中で悪者になってる人の事も、ちゃんと考えてあげよう」という思いやりを持て!
冷静に検証しようとしているではないか。
何も君のことを批判しているわけではないし、この程度の歴史話で思いやりって何だよw
感傷的になって喚いているほうが気色悪いわ。

>明治新政府も、徳川幕府・昭和の政府&軍上層部・現代日本政府と同列の立場で批判されようとしてるだけなのに、いちいち過剰反応して、
>明治新政府を特別扱いしないと気が済まないあんたは、おかしい。
批判すればいいじゃないか。
明治政府を批判するのも大歓迎なんだよ、俺は。

>それに、気付いたけど、あんたは「世間で持ち上げてる人間の数が多い意見や人物ほど、良い意見」という考え方の人間なんだ。
だから、決めつけんなよw
旗色が悪くなると断定的な人間批判に走るね、君ってw