1 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
維新の三傑で大久保利通のスレが無いようなので
立ててみます。彼は良くも悪くも近代日本の一つの
方向を創った人だと思う。彼がいなければ日本は
どうなっていったか。
その大久保利通にファンもアンチも語り合いましょう。
2 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/18(火) 20:19:18 ID:btOL5ByZO
高校の先生は
「無私の精神で超然と目標に自己を同一化する凄味。権力の権化とは見る者の浅薄。」
なんて言ってたなぁ
3 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/19(水) 01:44:38 ID:C6SU5lR70
太陽系最強の政治家
司馬遼太郎いわく「近代日本の実質的『初代首相』であった人物」
外交で日本の骨格を形成し
内政では士族階級の不満を一身に浴びて孤軍奮闘
死後、借金を抱えていたという話を聞いて大久保信者になりました・・・。
4 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/19(水) 14:02:14 ID:f60kFLEr0
小泉は平成の大久保と言ってもいいと思う。
5 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/20(木) 23:07:12 ID:+pN504ca0
ビスマルク以上の鉄血宰相かもしれない。
小久保
7 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/21(金) 21:48:39 ID:fe7k8gET0
徳川幕府のご意見番ですな
犬久保
9 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/22(土) 08:17:35 ID:CSPfnqh30
清
10 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/22(土) 08:56:59 ID:mlRr1n6f0
日本史上唯一の世界的スケールを持った政治家。良くも悪くも。
>>10 根拠は? 海外に翻訳された伝記でもありますか?
12 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/22(土) 12:42:40 ID:V1b989Vx0
大久保さんも確かに尊敬に値する政治家ですが
海外からの評価は勝でしょう。
英国書記官アーネスト・サトウが書いた「一外交官の見た明治維新」
(岩波文庫・坂田精一訳)
に勝について書いてあります。
その他にも、世界に唯一通用する日本の外交官として文献に登場します。
大久保さんの台湾出兵における清との交渉は凄味があったと思います。
13 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/22(土) 17:14:54 ID:zxmkQ9kMO
「マイカル明石」最寄駅
14 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/22(土) 22:18:03 ID:yvRzGdXU0
苗字だけかよっ!
15 :
1:2006/07/22(土) 23:35:17 ID:Knj+i1w00
>>14 スイマセン、書き込むときに表題間違えました。
本当はフルネーム書くつもりでした。
大久保利通、日本史上の政治家で・・・・
・最も清貧な者の内の一人であり、最も権力に固執した者。
・最高の政治家かつ、最凶の謀殺者。
彼を敬愛する者は、死んだときに借金があるほどに清貧な、最高の政治家と見るが、
彼を軽蔑する者は、権力を掴む為、留まる為なら誰でも殺すし手段を選ばないと見る。
だが、大久保の部下、子分には、貪官汚吏が多数おり、
彼自身が、将来に渡って本当に借金を心配しなければいけない必要など無い。
権力維持の為には手段を選ばないのにも、不安定な新政府の維持という観点もある。
もう好き嫌いは、行動に清々しさや爽快感があるかどうかだな。
俺的には怨念こもってそうだから嫌いな人物だ。
何のかんの言っても、この人がいなかったら明治新政府は10年を
待たずして終わっていたと思う。
19 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/23(日) 07:10:59 ID:Kh77RHAH0
20 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/23(日) 07:53:09 ID:Mur6cuEy0
>スイマセン、書き込むときに表題間違えました。
本当はフルネーム書くつもりでした。
じゃあ大久保彦左衛門について語ってもよいのだな。
21 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/23(日) 13:03:20 ID:RSE/rzFj0
群馬じゃ大久保・連赤が2大事件
22 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/23(日) 13:33:24 ID:vjfeizdxO
大久保大和っていなかったっけ??
23 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/23(日) 13:42:09 ID:wCJ9Xz5U0
24 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/23(日) 13:47:54 ID:vjfeizdxO
なんでそんな名前になっちゃったの??
25 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/23(日) 21:44:22 ID:wCJ9Xz5U0
>>24 身分が若年寄格(旗本)になったから、
それにふさわしい姓を与えられたんじゃなかったか
26 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/24(月) 09:05:16 ID:QYJ6MfTwO
江藤処刑時はしゃぎ過ぎ
これさえなければ最強の政治家だったのに。
27 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/28(金) 02:31:01 ID:sAWg6+CR0
大久保利通にも冷酷なところもあるが
江藤新平も問題が大きいのでは。
28 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/28(金) 15:48:23 ID:mXWyQQme0
大久保は西郷に嫉妬して追い出しただけの政治家
清との問題も西南戦争も大久保がおこしたようなもの
それを自分で解決しただけ
特に業績はないしむしろ江藤のほうが制度面で貢献してる
29 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/30(日) 03:50:48 ID:IVZ3DqqN0
大久保利通がもし殺されていなかっら日本はどうなっただろう。
大して変わってないんじゃないか?
どうせ派閥から軍閥ができる流れだろう。
31 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/31(月) 23:06:24 ID:aq6yKNvW0
大久保が生きてたらもっと悲惨になったな〜
あそこで死んだから評価する奴も居る
32 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/01(火) 17:18:54 ID:YnRPH/iR0
瀬田宗次郎に暗殺されたのが悔やまれる人
33 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/03(木) 02:19:55 ID:6tzD7uUl0
現代の政治家なら誰が近いだろうか?
小沢一郎あたりかな。
案外、小泉純一郎かもしれない。
友達には大久保利通よりは、小泉純一郎の方がイイような希ガス。
このレベルの低さからすると、実はデーブ大久保のスレか?
36 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/05(土) 15:20:09 ID:ceSdz1cs0
重複スレ乙
37 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/11(金) 02:30:51 ID:gaL+Yix00
大久保利通を殺した犯人はその後どうなったんだっけ?
38 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/13(日) 15:24:37 ID:xK+iwtJs0
捕まったよ。
39 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/15(火) 04:37:28 ID:/4skgfrDO
江藤の件さえなければな。
40 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/15(火) 07:59:33 ID:HiWsoITvO
同意。あれのせいで自分の中で大久保の評価がかなり微妙
後世に見られるってわかってるんだから日記に何も書かないとか汁!
41 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/15(火) 10:11:54 ID:2rBNgMmDO
大久保はなぜ暗殺されたのか?
42 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 06:54:31 ID:SbwFyZ3Y0
彼らが掲げた暗殺理由(斬奸状)
「薩長藩閥の専制独裁」「法令の乱用による政府官吏の私利私欲」「国費の乱費と憂国の士の排斥」すなわち、大久保らの専制政治は民権を抑圧して国費を浪費し、さらに外交の失敗により国権の失墜を招いたというものです。
言論の自由がない当時の社会では、自分たちの意見を表現するには暗殺以外にないと考えたのでしょうか。
43 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 16:51:35 ID:SbwFyZ3Y0
■明治11年(1878)5月14日朝、東京の紀尾井坂から赤坂御門に至る北白川宮邸と壬生邸にはさまれた
通行人のない閑静な路上で事件は起きました。
薩摩出身の参議兼内務卿大久保利通は、午前8時10分、二頭立て馬車に乗り護衛もつけず、登庁のため、
裏霞ヶ関の屋敷を出ました。馬車が紀尾井町1番地へとさしかかり、赤坂御門の前を過ぎ、壬生邸の横に至った時
旧加賀藩士の島田一良、長連豪(ちょう・つらひで)ら6名の刺客が襲いかかったのです。
44 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 16:56:34 ID:SbwFyZ3Y0
大久保は彼ら刺客に「待て」と言い、自らドアを開け路上に降りました。
「無礼者」と一喝を残し、前後から刃を受けて倒れ、ついに止めを刺されたのです。
大久保利通、享年49歳でした。
この紀尾井町の、明治新政府の中心人物大久保利通暗殺事件は当時の社会に大きな衝撃を与えたそうです。
特に首謀者の多くが旧加賀藩士だったことから、石川県の近代史に特筆される事件となりました。
この後、政治の主導権は伊藤博文たち長州閥に移ることになり、政府内の権力争いにも影響を与えました。
首謀者6人
島田一良(しまだ・いちろう) 長連豪(ちょう・つらひで) 杉本乙菊
脇田巧一 杉村文一(以上石川県士族)
浅井寿篤(島根県士族)
彼らは「暗殺は卑怯だから」と思い、大久保を襲撃後すぐに凶器を投げ捨て、
まっすぐに宮内省に駆けむかいました。
門前に立ち、大声で自分たちが大久保殺害の下手人であることを名乗ったそうです。
45 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/29(火) 03:12:50 ID:6lrC6Jjx0
>>44 暗殺者にしては男らしい。
でも死刑になったのかな?
46 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/29(火) 14:58:48 ID:g5zGH5sm0
襲撃後、官に名乗り出て死刑になる。
なにかの本で読んだのですが、襲撃時、大久保さんは馬車のなかで
西郷さんからの「手紙」読んでいたとかいないとか・・・・・・。
47 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/15(金) 03:42:52 ID:Vq8woJ3d0
当時としては彼のように力強く改革を進める人が必要だったと思う。
彼が木戸孝允と仲が良ければもっと良かったと惜しまれる。
48 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 05:14:09 ID:Tv5PZYGt0
海外視察で大久保利通は先進国の姿に感動し
日本をそのような国にしたいと思った。
木戸孝允はポーランドのように痛みを抱えた国を観て
戦争反対、平和主義を強めたようです。
49 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/21(木) 20:33:33 ID:BGdVvn730
視察後の大久保は西洋には人一倍関心を持っていたからな。
家もすごく西洋風だし、後何かで見たけど当時はあまり日本人は口にしなかった
コーヒーを好んで飲んだり(反面、日本茶にもかなりの拘りが合ったらしいが)
青い色したガラス製の洗顔・整髪セットを使用して出仕の時にはポマードつけたり
していたらしいね。
50 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/06(金) 03:00:39 ID:qFm63vLd0
木戸孝允は逆に保守的になったようです。
しかし、大久保利通としては木戸はなくてはならない存在だったようです。
悪く言えばうまく利用したいということ、よく言えば違う性質の人と共同
していくことかもしれません。
51 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/20(金) 20:55:08 ID:lGdwhtGe0
大久保ともあろう者が
台湾出兵を進めた理由が分からん
江華島事件もそうだが、
征韓論政変ってのは西郷含め板垣江藤を駆逐するがための策謀だったんじゃないかと
邪推してしまう
52 :
:日本@名無史さん :2006/10/20(金) 21:10:03 ID:V6+kh9X+0
首謀者6人
島田一良(しまだ・いちろう) 長連豪(ちょう・つらひで) 杉本乙菊
脇田巧一 杉村文一(以上石川県士族) 浅井寿篤(島根県士族)
どう考えても長連豪とか脇田巧一とか浅井寿篤とか近江や加賀、能登の戦国
武将の家の出っぽい名前ばかりだな。それだけ戦後に志ある日本の武士は皆
薩長の横暴に反抗したって証拠だな。
53 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/21(土) 23:01:42 ID:mqtkth3Z0
ニューオータニの前の公園に記念碑建ってるね。
台湾出兵は琉球を抱える薩摩藩の大久保でしか考えつかなかった
木戸は最後まで止めたのにねえ。
沖縄の帰属に関しては見事だったが、
それ以外は無駄だったと思う。
傷病者が多すぎたし、金もかかりすぎた。
西郷は誉めてたよ。
臆病者の大久保にしてはよくやったって。
57 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 21:19:58 ID:+pQwwIiD0
鉄血宰相ビスマルクに比べられるが大久保利通が政治家としても
無私の人という点においてもビスマルクより上であろう。
明治維新の革命を恨まれつつもスムーズに進めたのだから。
58 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/26(火) 16:18:45 ID:orxMmf5H0
上の方で部下が汚職してたから返せる当てがあったって書いてる人がいたけど
政権のトップなのに、家屋敷抵当に入れてまで三億も借金つくって
貯金も100万くらいしかないのは、凄いことだよ。
金銭関係はすべて出所が明らかなものだったって本に書いてあった。
庶民が三億借金かかえる程の深刻さはなかったかもしれないけど、
いくらでも私腹を肥やして財を成すことが可能だったのに、
それをしなかったのは偉いよ。
それなのに世間からは私腹を肥やしてると誤解されて、それも暗殺の
理由の一つだったんでしょ。
自分の苦労を一切語らず鉄の意志で改革を断行してたのに、
誤解されて暗殺されたなんて可哀想すぎる。
まあ島田らの斬奸状は早乙女貢レベルの政治認識だからな。
五箇条の御誓文を神聖視してるくせに、それ作った木戸孝允を大久保と並ぶ「二兇」とし
「木戸が死んだのは天誅である」とか書いてあったしな。
60 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/20(土) 17:28:21 ID:bd937tQkO
天誅と言えば大久保利通を殺した人は天誅のつもりでやったのだろうな。
61 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/20(土) 19:03:13 ID:7eMO3TxY0
>>51 それは邪推でもなんでもなくほぼ常識だろ。
征韓論争の本質は、政策論争なんかではなく
岩倉使節団組と留守政府組の権力闘争だよ。
62 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/20(土) 23:35:30 ID:ordvjWIY0
「征韓論」は、板垣の「自由党史」によれば、
朝鮮半島問題が起こった時に、西郷と板垣の二人は
「現在の腐敗堕落(新政府ね)は維新の戦いが中途半端だったからである。
再び、国難を醸成して、国民の気持ちを引き締めよう」と考え、征韓論を
提唱した、とあるね。藩閥政府(薩長)の腐敗ぶりはひどかったからね。
祖国を堕落と凡庸から救うには大事業しかない、と考えたのは西郷ならではだね。
>>57 世界史板に行って同じことを言ってこい
複雑怪奇なヨーロッパ外交を自在にコントロールしてフランスの孤立化に成功した人と、
清一国に翻弄されて、列強の助けを借りてやっとショボい賠償金貰えた人とじゃ格が違うよ
64 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/12(月) 01:15:22 ID:PcqaBLy+0
>>63 当時の日本の状況は貴方が思うほど簡単じゃないよ。
当時のプロイセン〜ドイツの状況は簡単なのかね
66 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/12(月) 04:39:51 ID:y1svTCi/0
どっちも簡単じゃなかった
いやでも実際、台湾出兵はウェードに救われた形で何とか収まっただけであって、
助け舟を出して貰わなかったらどうなってたかは解らないぞ。
あの状態の日本で清国相手に戦える訳がない。
台湾出兵は正直微妙な政策だったと思う。
沖縄の帰属を認めさせるにしても、もうちょっと上手い方法があったはずだからな。
ビスマルクがいなくなって皇帝が舵取りし始めたら、WW1の大敗戦だからな
そもそもビスマルク以上の政治家と断言し得る奴は欧州近代史にはいないでしょ
大久保はビスマルクに匹敵する政治家、という形容なら使ってもいい
69 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/15(木) 13:53:36 ID:Dcv7HhQZO
のちに伊藤博文がビスマルクを気取ったがやっぱり張ったりでビスマルクらしいのは大久保利通だったと言える。
70 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/15(木) 16:37:46 ID:7/aZwyAE0
大久保と伊藤と陸奥を足せば、ビスマルクぐらいか。
71 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/15(木) 17:30:36 ID:mX63sEPoO
大久保利通より有名なのは大久保清
72 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/16(金) 00:03:05 ID:3s6JXfrs0
>>71 それは昭和30年代前後に生まれた極一部の人に強いインパクトを
与えているだけ。利通の方が全体的には圧倒的に有名。
73 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/16(金) 11:23:06 ID:jL6mH8UZO
大久保も決して矮小な政治家ではないんだが、
ビスマルクに比べると小さく見えてしまうな。
まあ政治家としての活動期間が短いせいもあるけどな。
ビスマルクが19C最大の政治家として評価される理由の1つは、
ドイツ統一後は鉄血政策を自己模倣することなく専ら外交手段で事を為したことにある。
まあ、自己模倣するような奴はそもそも外交には向かないとも言える。
74 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/16(金) 17:54:19 ID:pI3PC7goO
明治維新は大久保の陰謀から始まった
大久保が生きてればあんな半端な憲法は作られなかったかもしれない
76 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/24(土) 15:15:49 ID:QU1LqtWFO
大久保ならどんな憲法を創ったというんだ?
77 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/02/24(土) 18:07:44 ID:xfWHBXzz0
内閣総理大臣の権限を強化
具体的には閣僚の任免権
議会の権限は大久保が生きていてもたいして変わらなかったと思うが
最も大久保が生きていれば憲法発布は10年は遅れたかもしれんが
首相の権限は内閣制度が出来た当時にはそれなりに強いものだったんだけどね。所謂大宰相主義。
黒田内閣の崩壊による内閣と各省間の亀裂が酷くなったため、内閣官制が取られた。
79 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/02(金) 09:02:39 ID:hNeztGBbO
首相は大統領じゃないから、
強すぎる権限は不要。
80 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/17(土) 03:09:24 ID:CbLEk0310
大久保利通の評判がイマイチなのは権限が強すぎて
独裁的に見られたからかもしれない。真剣に日本の
ことを考えていたが他者の意見を排除しすぎたかも
しれない。大久保の方法が最善であったとしても。
81 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/21(水) 18:01:08 ID:Ok0cqRzk0
>>80 案外独裁的に思われがちだけど以外に違う側面もあるらしいよ。
例えば、重要なことを大久保に頼みに来た人に対して大久保はよく
「その一件は評議の上決めたいと思うからここで即断はできぬ。」
みたいなことを言っていたらしいし。
を
82 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/21(水) 18:01:57 ID:Ok0cqRzk0
>>80 案外独裁的に思われがちだけど以外に違う側面もあるらしいよ。
例えば、重要なことを大久保に頼みに来た人に対して大久保はよく
「その一件は評議の上決めたいと思うからここで即断はできぬ。」
みたいなことを言っていたらしいし。
83 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/21(水) 22:07:17 ID:Jf11G0DRO
大久保利通が多大の借金を残して死んだのはなぜ?
84 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/29(木) 08:06:48 ID:UpNDLD4AO
江藤殺しの時の日記は最悪だわさ。
これが偉大なる人物か?陰湿で女みたいな性格してる。
駄目だね、この人は暗殺されて当然です。
その他の殺人についても惨すぎる。
未だに地獄にいるんじゃないの。
85 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/03/30(金) 01:02:57 ID:01BdAkD+0
>>81 確かにワンクッション置くような発言してるけど、
それはあくまでも独裁的に見せないためのポーズだと思う
採用、と思ってもその場では「それはご評定になりましょう」と勿体ぶった言い方をしてる
江藤が無知と言うように、大久保独自で政策を打ち出すという部分では凡庸に感じるけど、
他者の政策を取り上げて任せるのはピカイチだよね
後から見ると、これは失敗だろ常識的に考えて・・・と思ってしまう部分もあるけど、
実際大久保自身が「とりあえず実行汁、何、まずけりゃ後の人が修正してくれるさ」と考えてたとこがあるからねえw
86 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/04(金) 02:10:41 ID:7DW8Z0UCO
大久保利通は後世の人々を信じていたということだね。
まあ、大久保自身が江戸時代から明治維新後まで
有為変転、試行錯誤、万物流転の世の中を生きてきたからねぇ。
88 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/06(日) 12:23:06 ID:w9p2zdTaO
大久保利通は、それだけ苦労人ということか。
89 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/24(木) 17:53:25 ID:/BqD9LTQ0
脳がぴくぴくしてたってのは破片じゃなくて本人だよね?
破片てw
怖いこと言うな
91 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/23(土) 05:31:05 ID:U2WsRxvLO
前島密が目撃してたんだったか?
92 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/23(土) 22:35:15 ID:8WCXT8bD0
凶変を聞いて前島が駆けつけると、まだ大久保と脳味噌がぴくぴくしてたという話。
その数日前に前島が大久保から
西郷ともみ合ってるうちに崖から落下して脳味噌撒き散らす夢を見たと聞いていたという話。
保守
94 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/26(水) 23:14:32 ID:dWXGdqRk0
大久保は維新以降、木戸の構想に、意識的無意識的に感化されていくのが良く分かる。
木戸がいなければ、廃藩置県も征韓論つぶしも西南戦争の挑発もしないか遅かったのでは?
大久保と木戸が、ほんともっと仲良ければと思うけど、意外と大久保は思うより
木戸を畏敬してたかも。
だったらいいな。大阪会議の引きとめ工作も尋常じゃない。
95 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/22(金) 23:12:10 ID:G1QSDSIT0
安芸
96 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/27(日) 21:59:06 ID:YZgtbW85O
木戸ねぇ…。
大久保つう苗字は薩摩では普通なの?
それとも三河の大久保一党と関係あり?
98 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/07(日) 17:49:14 ID:HyJatxJe0
廃藩置県は江藤のアイデアじゃないの?
99 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/16(火) 07:19:31 ID:Fh+Gzw42O
半病人の木戸を政府に引き戻さないといけないぐらい、政権の基盤は磐石ではなかたったとみえる。
100 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
>>97 いやマイナー
家紋から宇都宮支族ではと推測される