1 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
ペリーがいなければ太平洋戦争はなかった。
よってペリーはA級戦犯なのです。
2 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/15(木) 00:23:30 ID:e/1k0L7I0
A級戦犯は東京裁判で決められたものです。
その判断が適切かどうか関係なく、追加も削除も出来ませんので
お引き取り下さい。
日本人がいなければ太平洋戦争はなかった。
よって日本人はA級戦犯なのです。
>>1 石原莞爾の「ペリーが悪い」発言に沿ったものだな?
たしかに石原の言う通りなんだが、その後の日本人の主体性を認めないのはどうかと。
5 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/07(金) 18:20:31 ID:a39i+Vyc0
砲艦外交だね。
昨日テレビ見てたら、
「北朝鮮のこういう相手を脅して外交の机に座らせるやり方を砲艦外交という」
って言うコメントをしていた人がいた。誰か忘れたけど。
アメリカに対する皮肉かそれは、って思いました。
6 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/08(土) 10:12:03 ID:IMlJPDm50
>>1はA級戦犯の定義がわかっていないバカ間抜け。
いつまで遡って罪を問われたかくらいは調べろ。
故人も裁けるなら阿南や近衛もA級戦犯になったであろう。
阿南がA級になったかなぁ…
8 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/08(土) 20:36:10 ID:KmQFgdcB0
阿南は最後の最後まで徹底抗戦を主張し続けたから、新たな罪を
作ってでもA級戦犯として処刑されただろう。
いやでござる(1853年来航)ペリーさん、か。
小笠原諸島を口先三寸で盗もうとしたよね。
10 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/09(日) 11:12:36 ID:r20Ux/pk0
結 論
人 間 の 存 在 自 体 が A 級 戦 犯
人間が存在しなければ、このスレで語られている問題のすべてが起こっていないから
11 :
↑:2006/07/09(日) 16:02:45 ID:Su5GW2ne0
お前の結論がそれなら、まずお前が逝け。
13 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/11(火) 22:22:04 ID:08OKdCUE0
歴史は虹のようなものです。
その中にいるときは見えないが、離れて初めて見える。
終戦から60年近く経つのにまだ貴方たちは「虹」を直視できないのですか?
14 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/13(木) 10:40:15 ID:6yLjflaX0
ネタスレとはいえ、変なのが湧いてますなあ。
15 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/13(木) 13:54:07 ID:aPu5bkCu0
ロシア・フランス・イギリス・アメリカも同罪
『週報』第396号(昭一九・五・二四) 「週言」(巻頭言)
嘉永六年、ペルリは黒船を率ゐて浦賀に来り、幕府を威嚇し開港を求めた。
幕府は狼狽して返答ができず、もみにもんだ挙句、結局開港することになつた
が、これはペルリに対するほんとの返答ではなかつた。ペルリに対する真実の
回答は、その時から八十九年後、十二月八日の朝なされたのである。真珠湾の
攻撃こそは浦賀来航に対する断固として明確な回答であつた。
八十九年間に太平洋の距離はせばめられた。しかして八十九年間に我が
国力は増大し、我を蔑すみ、我をなめてゐたアメリカに対し、われわれは一大
痛打を与へたのである。
太平洋をはさんで、日本人とアングロサクソンが対(むか)ひ合つてをり、交通
機関の発達により距離のせばめられた今日、彼が我を滅ぼすか、我が彼を
滅ぼすかいづれかである。アングロサクソンは、日本人を絶滅しない限り枕を
高くして眠れないと言つてゐる。われわれは、アングロサクソンを滅ぼさない限り
祖国の存立を全うし、日本人として生きることは出来ない。われわれはどうしても
太平洋の彼方にある仇敵を滅ぼさねばやまないのである。
私は今ここに、諸君とともに歴史の説くところを断乎として訂正し
たいと念願する一事がある。それはペルリの来航についてである。こ
のペルリは日本侵略のため来航したものであり、日本を脅迫し、和親
条約を強制し、あはよくば日本を覬覦せんとしたものであるにもかか
けらず、このペルリのことを、われわれは少年の頃より開国の恩人な
りとして教はつたのである。アメリカは日本を開国してくれた恩義の
国であり、ペルリはその代表者たる開国の恩人なりと、教科書も雑誌
も新聞も名士の講演も、八十年の永きに渉つて賞めそやして来たので
ある。諸君の中にも、まだ左様な歎かはしい教育を受けた人も相当ゐ
るのであるが、今日限り、この今の瞬間から、ペルリを開国の恩人な
どとは断じて考へてはならぬのである。
明治の聖代は決して敵国アメリカの慈悲や恩恵によつて成し遂げら
れたものではない。ペルリはサンフランシスコから太平洋を航海して
東京湾に来たのではなく、彼は遠くニューヨークを船出して、アフリ
カの南端喜望峰を廻り、シンガポール、香港を経て沖縄に到り、ここ
より小笠原諸島を経て浦賀に来つたのである。アメリカ人のいふごと
く、正に世紀の大遠征であつたのである。この時の大統領はフイルモ
ーアといふ男であつたが、この大統領の訓令と、ペルリが沖縄より本
国に送つた報告書を見れば、この遠征が正しく日本侵略のためであつ
たことは明らかである。私は今から五年前フイルモーア大統領の訓令
の実物をアメリカのボストン博物館において瞥見し、痛憤これを久し
うした時の憤激を今なほ忘れ得ぬのである。
「尊皇攘夷の血戦」 情報局次長 奥村喜和男 1942.11.22放送
18 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/24(日) 20:15:25 ID:KSeE4N+K0
ペリーは江戸時代の日本を尊敬していた。
将来アメリカのライバルとして台頭するだろうと予言したしね。
・・・ただ、日米戦争みたいになるとは思わんかっただろうが。
神武天皇がいなければ皇国史観などなかったのです。