明治維新って薩長のクーデターなんだろ2

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923名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/13(木) 12:57:45 ID:KS6QSG8iO

江戸城は、
既に篤姫と和宮に
乗っ取られていたからね!

924名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/13(木) 13:17:41 ID:uGtx+40k0
大政奉還で公議政体が実現しようとしたのに薩長がそれを武力で阻止して藩閥政府を
打ち建てた。こうして日本は軍国主義とアジア侵略の道に踏み出した。
925名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/13(木) 13:41:44 ID:Sjj6U1L50
>>924
お前のデタラメには呆れた。全く事実と違う。
公議政体など実現しようとはしてない。
有名無実だ。理論だけで実態なし。
その理論もばらばら。
そして薩長は武力で阻止してもいない。
軍国主義もアジア侵略も存在しない。
実態のない観念論に過ぎない。
926名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/13(木) 16:49:04 ID:MRvQc6Hs0
924は戊辰戦争研究会員か、星などの作品を読んで
その気になってる「考える力のない輩」だろう
927福沢諭吉:2008/03/13(木) 21:03:59 ID:pQ7md0rW0
●維新の初に当て其革命を王政復古と称し...
大義名分、普天率土、政祭一途云々等の議論世間に流行して、
啻に政機当局の人のみならず、世の耳目たる可き学者論客に至るまでも、
その流行に流されて嘗て自己の主義を唱える者なく...
民権等の談に至りては挙世一人として之に耳を傾る者あらざりき。

●三藩人の専ら政府に在る者を、世間より見れば、あたかも我家に招待せざる客の観を為す者多し。
即ち世人をして不平を抱かしむるの一大原因にして、近来国会開設を熱望するも由りて来る所は、
この不平の一点にありと言わざるを得ず。

●(薩長藩閥は)同藩同郷の士人互いに相引き互いに相推して、上は貴類の地位から下は末流の小吏に至るまで、
官途に充塞して自ら団結の勢いをなし、あたかも新政府の新官途に旧同藩の旧套を存する者の如し。
928名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/13(木) 22:36:23 ID:5FxXgvJa0
何が開国だ。征夷大将軍ならちゃんと征夷しろや。
できないなら将軍職なんか返上しろ
929名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/14(金) 00:16:46 ID:LhzVWQVzO

大化の改新は、

ひど過ぎる!

930名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/14(金) 01:40:05 ID:wcrPR+N10
>>927は本音を言えば殺された幕臣時代
維新後自由な発言ができるようになると・・・・・
●旧幕府の時代には士民の区別甚しく,士族は妄に権威を振い,百姓町人を取扱うこと目の下の罪人の如くし,
或は切捨御免などの法あり。この法に拠れば,平民の生命は我生命に非ずして借物に異ならず。
百姓町人は由縁もなき士族へ平身低頭し,外に在ては路を避け,内に在て席を譲り,甚しきは自分の家に飼たる馬にも乗られぬ程の不便利を受けたるはけしからぬことならずや。

右は士族と平民と一人ずつ相対したる不公平なれども,政府と人民との間柄に至ては,尚これよりも見苦しきことあり。
幕府は勿論,三百諸侯の領分にも各小政府を立てゝ,百姓町人を勝手次第に取扱い,或は慈悲に似たることあるも,
その実は人に持前の権理通義を許すことなくして,実に見るに忍びざること多し。抑も政府と人民との間柄は,前にも云える如く,
唯強弱の有様を異にするのみにして,権理の異同あるの理なし。

然るに幕府のとき,政府のことを御上様と唱え,御上の御用とあれば,馬鹿に威光を振うのみならず,
道中の旅籠までもたゞ喰い倒し,川場に銭を払わず,人足に賃銭を与えず,甚しきは旦那が人足をゆす
りて酒代を取るに至れり。
沙汰の限りと云うべし。或は殿様のものずきにて普請をするか,又は役人の取計にていらざる事を起し,
無益に金を費して入用不足すれば,色々言葉を飾て年貢を増し,御用金を云付け,
これを御国恩に報ると云う。抑も御国恩とは何事を指すや。百姓町人等が安隠に家業を営み,盗賊,
ひとごろしの心配もなくして渡世するを,政府の御恩と云うことなるべし。
●旧幕府の時代,東海道に御茶壷の通行せしは,皆人の知る所なり。その外御用の鷹は人よりも貴く,
御用の馬には往来の旅人も路を避る等,都て御用の二字を附れば石にても瓦にても恐ろしく貴きものゝように見え,
世の中の人も数千百年の古よりこれを嫌いながら又自然にその仕来に慣れ,上下互に見苦しき風俗を成せしことなれども,
畢竟是等は皆法の貴きにもあらず,品物の貴きにもあらず,
唯徒に政府の威光を張り,人を畏して人の自由を妨げんとする卑怯なる仕方にて,実なき虚威と云うものなり。
今日に至りては,最早全日本国内に斯る浅ましき制度風俗は絶てなき筈なれば,人々安心いたし,
かりそめにも政府に対して不平を抱くことあらば,これを包みかくして暗に上を怨むることなく,
その路を求め,その筋に由り,静にこれを訴て,遠慮なく議論すべし。
931名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/14(金) 01:46:08 ID:wcrPR+N10
>>927は本音を言えば殺された幕臣時代
これは訂正。よく読んでなかった。
しかしそれだけ幕府時代と違って自由な発言ができるようになったってこと。

●当時吾々同友は三五相会すれば則ち相祝し、 新 政 府 の
此 盛 事 を 見 た る 上は 
死 す る も 憾 み な し と 絶 叫 し た る も の な り


新政府さんカッケー!! 福沢諭吉
932名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/14(金) 01:55:17 ID:Hd2r6ZBN0
世界の奇跡だよ
たった50年で近代化し列強入りは
933名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/14(金) 04:59:30 ID:TK3XZ5XN0
明治初期、薩長藩閥を批判することは非常にリスクの高い行為だった。
あからさまに罵倒した文書をかけば、発禁処分となり、社会的地位を追われ、
場合によっては罪に問われ処刑される可能性もあった。
こうした中、可能な限りの政府批判を行った福沢の勇気は評価できる。
ただし、彼の批判は巧妙なイソップの言葉で書かれてる。というか書かざるを得なかった。
倒幕の「偉業」を賛美するほめ殺しによって、暗に権力や利益を独占する門閥を非難する。
こうした形式の表現が多いのはそのため。
934福沢諭吉:2008/03/14(金) 05:03:24 ID:TK3XZ5XN0
●日本を開かんとするに、之を妨げたる者は長州なり、之を妨げたる者は薩州なり、之を妨げたる者は薩長の同類なり。
今薩長の族類を以て外国人の良友と為すべきとは、大いに其の説を変じたる後のことなるべし。
薩州は最初開国を妨げたる説を変じて、近来は頻に外国の貿易を勉め、自国の諸港を尽く開きて貿易を為さんと欲せり。 
斯く開国の説ならば、大阪兵庫の開港を妨げたるは何故なる哉。
是他なし、日本全国の為め筋を思はずして、自己一家の私利を謀て躬から盛大たらんことを欲するのみ。
935名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/14(金) 07:46:23 ID:wcrPR+N10
>>927は本音を言えば殺された幕臣時代 。しかものちには>>931のように撤回し、
幕府についてはこう本音をぶちまけている。
●旧幕府の時代には士民の区別甚しく,士族は妄に権威を振い,百姓町人を取扱うこと目の下の罪人の如くし,
或は切捨御免などの法あり。この法に拠れば,平民の生命は我生命に非ずして借物に異ならず。
百姓町人は由縁もなき士族へ平身低頭し,外に在ては路を避け,内に在て席を譲り,甚しきは自分の家に飼たる馬にも乗られぬ程の不便利を受けたるはけしからぬことならずや。

右は士族と平民と一人ずつ相対したる不公平なれども,政府と人民との間柄に至ては,尚これよりも見苦しきことあり。
幕府は勿論,三百諸侯の領分にも各小政府を立てゝ,百姓町人を勝手次第に取扱い,或は慈悲に似たることあるも,
その実は人に持前の権理通義を許すことなくして,実に見るに忍びざること多し。抑も政府と人民との間柄は,前にも云える如く,
唯強弱の有様を異にするのみにして,権理の異同あるの理なし。

然るに幕府のとき,政府のことを御上様と唱え,御上の御用とあれば,馬鹿に威光を振うのみならず,
道中の旅籠までもたゞ喰い倒し,川場に銭を払わず,人足に賃銭を与えず,甚しきは旦那が人足をゆす
りて酒代を取るに至れり。
沙汰の限りと云うべし。或は殿様のものずきにて普請をするか,又は役人の取計にていらざる事を起し,
無益に金を費して入用不足すれば,色々言葉を飾て年貢を増し,御用金を云付け,
これを御国恩に報ると云う。抑も御国恩とは何事を指すや。百姓町人等が安隠に家業を営み,盗賊,
ひとごろしの心配もなくして渡世するを,政府の御恩と云うことなるべし。
●旧幕府の時代,東海道に御茶壷の通行せしは,皆人の知る所なり。その外御用の鷹は人よりも貴く,
御用の馬には往来の旅人も路を避る等,都て御用の二字を附れば石にても瓦にても恐ろしく貴きものゝように見え,
世の中の人も数千百年の古よりこれを嫌いながら又自然にその仕来に慣れ,上下互に見苦しき風俗を成せしことなれども,
畢竟是等は皆法の貴きにもあらず,品物の貴きにもあらず,
唯徒に政府の威光を張り,人を畏して人の自由を妨げんとする卑怯なる仕方にて,実なき虚威と云うものなり。
今日に至りては,最早全日本国内に斯る浅ましき制度風俗は絶てなき筈なれば,人々安心いたし,
かりそめにも政府に対して不平を抱くことあらば,これを包みかくして暗に上を怨むることなく,
その路を求め,その筋に由り,静にこれを訴て,遠慮なく議論すべし。
936名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/14(金) 07:48:17 ID:wcrPR+N10
アンカー間違った
>>934は本音を言えば殺された幕臣時代 。しかものちには>>931のように撤回し、
幕府についてはこう本音をぶちまけている。
●旧幕府の時代には士民の区別甚しく,士族は妄に権威を振い,百姓町人を取扱うこと目の下の罪人の如くし,
或は切捨御免などの法あり。この法に拠れば,平民の生命は我生命に非ずして借物に異ならず。
百姓町人は由縁もなき士族へ平身低頭し,外に在ては路を避け,内に在て席を譲り,甚しきは自分の家に飼たる馬にも乗られぬ程の不便利を受けたるはけしからぬことならずや。

右は士族と平民と一人ずつ相対したる不公平なれども,政府と人民との間柄に至ては,尚これよりも見苦しきことあり。
幕府は勿論,三百諸侯の領分にも各小政府を立てゝ,百姓町人を勝手次第に取扱い,或は慈悲に似たることあるも,
その実は人に持前の権理通義を許すことなくして,実に見るに忍びざること多し。抑も政府と人民との間柄は,前にも云える如く,
唯強弱の有様を異にするのみにして,権理の異同あるの理なし。

然るに幕府のとき,政府のことを御上様と唱え,御上の御用とあれば,馬鹿に威光を振うのみならず,
道中の旅籠までもたゞ喰い倒し,川場に銭を払わず,人足に賃銭を与えず,甚しきは旦那が人足をゆす
りて酒代を取るに至れり。
沙汰の限りと云うべし。或は殿様のものずきにて普請をするか,又は役人の取計にていらざる事を起し,
無益に金を費して入用不足すれば,色々言葉を飾て年貢を増し,御用金を云付け,
これを御国恩に報ると云う。抑も御国恩とは何事を指すや。百姓町人等が安隠に家業を営み,盗賊,
ひとごろしの心配もなくして渡世するを,政府の御恩と云うことなるべし。
●旧幕府の時代,東海道に御茶壷の通行せしは,皆人の知る所なり。その外御用の鷹は人よりも貴く,
御用の馬には往来の旅人も路を避る等,都て御用の二字を附れば石にても瓦にても恐ろしく貴きものゝように見え,
世の中の人も数千百年の古よりこれを嫌いながら又自然にその仕来に慣れ,上下互に見苦しき風俗を成せしことなれども,
畢竟是等は皆法の貴きにもあらず,品物の貴きにもあらず,
唯徒に政府の威光を張り,人を畏して人の自由を妨げんとする卑怯なる仕方にて,実なき虚威と云うものなり。
今日に至りては,最早全日本国内に斯る浅ましき制度風俗は絶てなき筈なれば,人々安心いたし,
かりそめにも政府に対して不平を抱くことあらば,これを包みかくして暗に上を怨むることなく,
その路を求め,その筋に由り,静にこれを訴て,遠慮なく議論すべし。
937名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/14(金) 14:20:41 ID:bCZ687kS0
薩長に都市計画の考えが無かったか東京はあんなんに、、
938名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/14(金) 15:29:53 ID:I5thZI2F0
>>934
京に近いから恐れてたんだろ。
薩摩は薩英戦争で世界の強さを知ってからは攘夷思想は捨ててます。
しんも元々攘夷思想は朝廷の意思。それに従っただけ。朝廷の意見を完全に無視してたのは幕府。
新政府は日本全国に工場など造ってますが。
>>937
東京大空襲で焼け野原になった東京の再建に携わったものに問題があるのでは?
薩長と関係ないだろ。
939名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/14(金) 15:40:54 ID:2JiDxnnU0
>>937 これでも嫁
『明治の東京計画』藤森照信 岩波書店同時代ライブラリー18
ISBN4-00-260018-1
940名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/14(金) 17:06:02 ID:vdmRZF9J0
>>938
関東大震災も忘れんといてや
941名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/14(金) 18:22:40 ID:BtvU/WED0
幕内での意見不一致や幕藩体制を作った頃からの経済の力バランスが崩れ政情不安になる
アメリカの南北戦争で余った武器の売り先として日本を選択
フランスは幕府を、イギリスは反幕府を顧客として投資と武器を売る
案の定内戦、ただ長引かずにすんなり終戦←ココ重要
942名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/14(金) 20:42:31 ID:tfUazlck0
>>941へ下記を読め。
喜は、外国代表との謁見式開催を宣言し、イギリス、フランス、オランダ、
アメリカの四カ国のうち、大阪城で最初に謁見したのはイギリス公使のパークスだった。
萩原延壽の「遠い崖」に、謁見の模様が詳細に書かれている。パークスとの謁見は
三時間半に及んだ。通訳サトウの抱いた慶喜の印象は、「秀でたひたい、形のよい鼻、
まさに紳士そのもの」だった。パークスは、本国外務次官に、慶喜は「もっともすぐれた
人物」であり、信頼に値すると報告する(遠い崖、四)通説では、フランスが幕府に
近づき、イギリスが幕府を見限って薩長両藩と親しくなったと叙述される。このような
幕末の国際関係の枠組みは、戦前の「維新史」などがつくってきたものだ。フランスの
ロッシュの外交が、慶喜の改革を指導したというような見方に、最近の研究は懐疑的だ。
フランス外務省が、ロッシュを支持していなかったことが明らかになっている。
(高村「維新前後の”外圧”をめぐる一、二の問題」社会科学研究)さらに、萩原氏は
イギリスと薩長が親しくなったという通説にも否定的だ。サトウは間違いなく薩長に
「親密」を持っていたが、公使パークスはサトウとは違っていた。このころのイギリスの
外交の基本は、本国外務省も公使館も徹底的に「ただ貿易の発展」であり、「政治的
影響力の行使」を欲していなかった。日本が条約を厳密に守ることが日本に対する要求で
あった。パークスは日本の政治状況が揺れていることを知っていて政治情報を収集して
本国に報告していた。イギリス外務省は、日本への「いかなる形の内政干渉」も、
くりかえし厳重に禁じていた。パークスも、外務省の方針に依存はなかった。イギリスが
薩長と「親密」などということはなかった。逆に、条約承認や兵庫開港問題について
薩摩藩がくりかえし執拗に妨害するのをイギリス公使館は警戒していた。
943名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/14(金) 21:15:53 ID:KVhYCQWA0
俗説を事実と思い込むのは幕府・会津・新撰組ファン
944名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/15(土) 01:02:00 ID:zu725z8j0
>>942
幕府よりは親密だったのは事実。
パークスって日本にずっといたわけじゃないこと知ってます?
薩英戦争後完全に親密になったことは事実。薩摩にイギリスの技術者移住してますし。

945名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/15(土) 05:43:35 ID:hWxhGDtV0
>>944
>薩英戦争後完全に親密になったことは事実

ならソースくらい出せ。
946名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/15(土) 08:03:27 ID:fC+UzCI00
薩長イギリス説を振りかざす奴のソースは小説。
史料を示す人間は副島隆彦も含めて一人もいない。

薩長イギリス説は、徳川慶喜と日本駐在フランス公使ロッシュが盟友関係であったことの対比上、
俗説として書かれるが、実際はイギリスは鳥羽伏見の戦い終結まで幕府を交渉相手にしていた。
947名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/15(土) 16:40:49 ID:YC+wFWK20
公議政体論者の坂本竜馬を殺したのは薩摩だよね。後に土佐と会津が
自由民権で手を結んだのもわかるね。
948名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/15(土) 16:53:10 ID:fC+UzCI00
中岡慎太郎は当時薩摩にとって最重要な人物であった。
公武合体に流れる土佐藩内において、数少ない討幕派の有力者であったのだから。
中岡が坂本と同時に暗殺されたのが、薩摩にとっては痛恨の出来事となった。

坂本竜馬を襲ったのは、松平容保の命令に基づく見廻組であった。
949名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/15(土) 16:59:39 ID:YC+wFWK20
坂本の居場所を見廻組にチクったのが薩摩なんだよ。武力で藩閥独裁政権を
樹立しようとしていた薩摩にとって坂本の平和革命路線、公議政体論が邪魔だったんだ。
950名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/15(土) 18:19:46 ID:fC+UzCI00
痴呆患者>>949には、坂本竜馬は薩摩にとって無害で、
中岡慎太郎は薩摩にとって最重要人物であった、という事実が見えないらしい。

坂本竜馬を殺したのは会津藩であろう。
951名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/15(土) 18:39:22 ID:jTbGPIdh0
>>949
お前の妄想などどうでもいい
まずはソースを出してみなw
952名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/15(土) 18:39:49 ID:fC+UzCI00
そもそも、>>949のような説を並べていた人間は中村彰彦であったが、
奴は論拠を全く示さず、ただ中傷だけを文藝春秋や歴史街道などに載せていただけだった。
中村彰彦と>>949は恥を知れ、と言いたい。
953名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/15(土) 20:11:53 ID:ilOCb3S00
>>949
坂本がなにいっても、新政府に相手にされるわけないじゃん。
殺す必要性がわからん。
954名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/15(土) 22:57:52 ID:zu725z8j0
>>945
ググレカス。
第二次長州征伐時に騎兵隊が使ったミニュー銃(エンピール銃)は英国が薩摩に売ったものを
海援隊が長州に送ってものだ。
幕府の戦艦はフランス製だよな?


>>946
鳥羽伏見の戦いの時に大阪湾に榎本率いる幕府の戦艦来てたけど山陽道を通った薩長土の
援軍と物資の輸送船を攻撃しなかったのはなぜ?
慶喜と松平容保つれて江戸に帰ったのはなぜ?
イギリスから薩長に攻撃するなと圧力あった以外にどう説明するの?
もしかして旗本は皆弾一発も打てない腰抜けだったって?
955名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/15(土) 23:26:23 ID:fC+UzCI00
>>954
榎本艦隊は腰抜けで、他の艦隊相手にしか行動しなかった。
それは榎本艦隊の欠陥であって、薩長とは全く関係がない。

お前の関係のない出来事を並べれば自説を強化できると考える無能さは、中村彰彦と全く同じで不愉快だ。
956名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/15(土) 23:32:17 ID:fC+UzCI00
>>954
ついでに言う。
お前は、薩摩と長州が連合をしたことがイギリスと薩長が連携している証明だというのか?
薩摩は幕府の承認の元、長崎奉行を経由してイギリスからライフル銃を購入している。
それが幕府が馬鹿で、薩摩から長州に武器が流れた。それだけのことだ。

全く関係のないことを並べれば自説が強化される、というのは、
中村彰彦が良く使った手で、奴の最も恥ずべき話法だ。
957名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/15(土) 23:38:26 ID:C1jucNCP0
「日本において、体制の変化が起きるとすれば、それは日本人だけから
 端を発しているように見えなければならない」

          (1866年4月26日付、ハモンド外務次官よりパークスへ)


この命令は重要である。
すなわち明治維新の工作は、誇り高き日本人に気付かれぬよう、
あくまでも秘密裏に行え、と徹底的に釘を刺しているのだ。

本国からのこの訓令は、以前から在日公館に幾度となく繰り返されている事実がある。
とすると、明治維新の舞台裏で、英国はかなりの工作を行っているということだ。

これから更に英国の動きが「理性的」に「抑制」しながら盛り上がってゆくのだが、
裏から見れば、さながら武士の魂を埋葬し、東洋の島国を転覆させようとする怪物である。


1866年の3月16日、強烈な論文が炸裂した。

「ジャパン・タイムス」 横浜で発行している英字新聞だ。無題である。
後に「イングリッシュ・ポリシー」とか「英国策論」と呼ばれる論文だ。
無題、無記名で書かれたからと言って、この論文をうっかり見過ごしてはならない。
幕末史上、大事件のひとつなのである。

文は、これまでのイギリスと幕府とのやり取りを振り返りながら幕藩体制を批判する
長文だが、内容は強烈だ。「外国を欺き続けてきた将軍は、その座を降りろ」と迫り、
「日本は天皇と大名連合が支配しなければならない」と激しく攻撃を浴びせる。

度肝を抜かれるのは、次の警告だ。すなわち、約束した兵庫開港期日がこじれれば、
「イギリスは強制と流血の手段に訴える」と恫喝している点である。
英国による国家転覆を目指した宣戦布告だ。

しかも開港期日に着目して欲しい。二年後の1868年元旦なのである。
この年に何が起こったのか? そう、武家社会を埋葬した明治維新である。

さらにロンドンでも凄い事が起こった。寺島宗則が直接クラレンド外相に会い、
「英国策論」の説く「大名の合議制」を正面から訴えたのだ。二つは同じ内容である。
即ちイギリスと日本で同時に、『革命』の狼煙を上げたのだ。

これで仕掛け人は誰か分かるだろう。グラバーとサトウの諜報ラインだ。弱冠22歳の
英国諜報部員、アーネスト・メーソン・サトウが、大胆にも「ジャパン・タイムス」
で革命論をぶち上げる。サトウが論文を書いて日本国内を煽り、薩摩の軍事経済
顧問のグラバーが五代友厚、寺島宗則をイギリスに送って、英国政府を動かす。

英国諜報部が覚悟をもって磨き上げたシナリオである。
958アーネスト・サトウ:2008/03/15(土) 23:39:08 ID:C1jucNCP0
大君を本来の地位に引き下げて、これを大領主の一人となし、
ミカドを元首とする諸藩の連合体が、大君に代わって支配勢力となるべき。
これが私の提案である(英国策論)。

イギリスが表立って口を出すとまずいから直接介入は避けるが、
我が下僕たち(薩長)への間接支援は惜しまない。
959名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/15(土) 23:40:54 ID:C1jucNCP0
薩摩は薩英戦争でボロ負けし、英国に土下座して藩論を開国に転換することを誓う。
このとき藩論を英国下僕路線に導いたのが、グラバーの手先の五代。
その後、英国外商から融資を受け、上海との間の大規模な密貿易を開始。
大量の銃器を買い付けイギリス人の指導のもと軍制改革も行い割拠体制を固める。
このような薩摩の動きは、日本全体は念頭においておらず、
あくまでも一藩の利害を絶対視してるところに特徴がある。
長州もまた同じで、四国連合艦隊にボロ負けした後、
上海との密貿易を軸に独自の割拠論が台頭。
下関の貿易利権を幕府から守るためイギリスの庇護のもとに入ろうとする。
両藩ともやってることは国賊そのもの。
960名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/15(土) 23:49:01 ID:fC+UzCI00
佐幕厨房は嘘がばれて、詐話に走りましたか。
出せるなら、どこのどんな史料か言ってごらんなさい。
961名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/15(土) 23:58:26 ID:eP7CxgwZ0
>>956
>お前は、薩摩と長州が連合をしたことがイギリスと薩長が連携している証明だというのか?
イギリス抜きの薩長同盟がありうると信じてるとすればオマエは馬鹿だ。
表面的には下関戦争後の四国共同覚書により長州との密貿易が封じられた。
しかし、グラバーなどは薩摩藩を介在させた対長州密貿易ルートを開拓する。
・薩摩が薩摩藩名義でイギリスから武器を購入
・長州藩は武器代金として米を薩摩に渡す
・薩摩が武器を長州に横流し
この密貿易上の癒着が後の薩長同盟につながる。
962名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/16(日) 00:02:27 ID:2FHrI4+J0
ソースなしの妄想カキコ乙
笑っちゃうよ
963名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/16(日) 00:11:54 ID:2FHrI4+J0
薩摩は幕府の承認の元、諸外国から武器を購入できた。
それだけのことだ。どこにもイギリスが薩長に加担する理由がない。
964名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/16(日) 00:16:11 ID:ldqoRm7t0
>>950
前半はそういう見方ができないこともないと思うけど、最後の一行については一言で結論付けるには突飛過ぎる。
結論までの過程を示してほしい。
965名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/16(日) 00:22:19 ID:2FHrI4+J0
>>957,958,959のソースはまだですか?
嘘つきの佐幕厨房さんは、また逃げたのですか?

結局、坂本竜馬を暗殺したのは会津藩主松平容保の指令であり、
彼の命令で暗殺を実行したのが見廻組であった、ということを認めるのですね。

イギリスは鳥羽伏見の戦い終結以前は、幕府を交渉相手にしていました。
フランスと徳川慶喜の蜜月振りとの対比上、通俗誌では薩長とイギリスの提携話が出されることがありますが、
実際は根も葉もない俗説です。
966名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/16(日) 00:27:19 ID:oXsmubp20
>>942
>イギリス外務省は、日本への「いかなる形の内政干渉」も、 くりかえし厳重に禁じていた。
たしかし幕末期のイギリスは非拡張主義をとってる。
それは偶然この時期に植民地保有よりも自由貿易に重きを置く思想が有力だったため。
しかし、これはあくまでも一時的・表層的な現象にすぎず、「いかなる形の内政干渉」禁止は、
有名無実の建前。その以前のイギリスはインドや中国を武力で手中にしてるし、
それ以後も東南アジアやアフリカで植民地拡張政策を進めてることを忘れてはならない。

事実、オールコックやパークスは、幕府に対し、貿易独占をやめ、
個別大名に自由貿易の権利を与えるよう、しつこく要請しており、
これは事実上の内政干渉にあたる。
さらに薩摩や長州といった不満分子に巨額の融資を行い、
大量の最新兵器を与え、その使用法を教授している。
現地の土人を使って内紛を起こそうとする意図が明白で、
内政干渉どころか植民地侵略一歩手前と言っていいだろう。
967名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/16(日) 00:29:57 ID:2FHrI4+J0
また関係のないことを並べる手法ですか。
中村彰彦の常用したその手法は、会津擁護の使う最も恥ずべき話法ですよ。

ソースはまだですか?
968名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/16(日) 00:31:54 ID:oXsmubp20
>>965
現地政府と協調する一方、背後では反乱派に武器を与え内乱をそそのかす。
この程度のことはイギリスにとっては朝飯前。

いずれにせよ薩長はイギリスの援助なしには倒幕なんて到底不可能だった。
この事実がすべてを物語ってる。
969名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/16(日) 00:35:29 ID:2FHrI4+J0
またソースのない偏見による断定ですか。
嘘もいい加減にしなさい。

ソースはまだですか?
970名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/16(日) 01:01:38 ID:UlOQvx680
>>966
>事実、オールコックやパークスは、幕府に対し、貿易独占をやめ、
>個別大名に自由貿易の権利を与えるよう、しつこく要請しており、
>これは事実上の内政干渉にあたる。

そもそも幕府に貿易独占をそそのかして諸藩の参入を締め出すように進言したのが仏蘭西のロッシュだ。
そしてそのまえに英仏の日本参入を妨害する意図を秘めた通商条約を強要したのがアメリカだ。
英仏蘭米、どこの国も自分の国の国益を最大化にする為に動いている。
だから自国と利害の一致するパートナーを探し、そうした政策に誘導しようと策している。
幕府や薩長もそれぞれの思惑で外国を利用しようと考えた。
内紛とか植民地侵略なんて全然関係ない。そういう野望を持った外国人が一人も居なかったとは証明できないが。
馬鹿正直に本音を赤裸々に綴った外交官の日記が発見されない限りはね。
仏蘭西が幕府にしたことは正に内政干渉といえるだろうね。幕府はラリパッパの馬鹿ばかりだから
仏蘭西にすれば幼稚園児を騙すより簡単だったであろう。でも文句言っても始まらない。
それが当時の日本だったのだから。そして、そういう外国の干渉を日本人に警告したのが、
横井小楠の破約攘夷論なんだよね。ラリパッパ幕府は、破約攘夷論を読まなかったようだが。
971名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/16(日) 02:03:53 ID:1BoQfAjW0
外国が入り込んできたから国が揺らいだのだよ。
幕府や薩長の影に外国がいてもおかしいとは思わないが
会津系作家のように外国と結託して幕府を討ったとかいう
寝言は死んで言ってくれってとこかな?w
972名無しさん@お腹いっぱい。
>>966
>内政干渉どころか植民地侵略一歩手前と言っていいだろう。

幕末にもそうした危機感を持って過激な攘夷に走った勢力がいた。
桜田門外の変で大老井伊直弼を暗殺した水戸浪人がその代表だな。
それは説明責任を果たさなかった幕府にも責任がある。
そして水戸浪人のそうした懸念は全くの杞憂ともいえなかった。
実際、幕府は売国政策に走ったからな。江戸時代の幕政は幕府栄えて諸藩は疲弊するものだった。
それが幕藩体制だ。「一将功成りて万骨枯る」を国に当てはめたのが幕藩体制だ。
そもそも遅れた国が外国の力を借りずに近代化した例など一つも無い。
近代化するなら開国は絶対的な必要条件なのだ。
だから開国そのものは間違いとはいえない。
ただしそれは諸刃の剣であって、開国すれば近代化できるというものではない。
開国は近代化の必要条件であって十分条件ではないということだ。
開国して近代化に失敗した代表例が清朝だ。清朝は半植民地に成り下がってしまった。
日本が清朝の轍を踏まずに近代化できたのは薩長が巧みに外国を利用し、いち早く藩の近代化を果たし、
売国政策のラリパッパ幕府のを打倒したからに他ならない。
幕府の間違いは幕府に能力が無いのに開国したことだ。無能な政権が開国すると売国になってしまう。
それが清朝であった。有能な薩長が無能な幕府を倒したからこそ、日本は近代化できた。
これが明治維新なのだ。