1 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
1945年8月15日
日本は連合国軍に降伏、第二次世界大戦は終結しました。
その日本降伏までにいたる国内外のさまざまな動きと思惑について語ってください。
2 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/09(日) 13:56:57 ID:lT1VkUpJ0
あんたは さだ かい
4 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/09(日) 14:15:24 ID:tEwpeJwE0
米内光政ってそんなに大した人物かな。
三国同盟に反対したりしたから評価が高いみたいだけど
この人の功績は他になにかあるの?
5 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/09(日) 23:01:41 ID:2YeM3JXW0
「日本の一番長い日」というドラマは面白かった。
史実とすれば、軍部の戦争への執着は驚くべきものだ。
勝てない戦争をまだ続けようというのだから。それよりも
天皇の御意志を阻んでまで戦争を続けようと言うのは自ら
天皇の軍隊でないことを明かしたようなもので軍を解散さ
せられるのも無理からぬことだと想った。
6 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/10(月) 09:46:31 ID:B+ABzMdFO
昭和天皇をこき使い利用しまくった軍部。
7 :
ふざけるな小沢一郎!ふざけるな中国!:2006/04/10(月) 17:51:44 ID:eYiQlMwN0
>>5 >天皇の御意志を阻んでまで戦争を続けようと言うのは自ら
>天皇の軍隊でないことを明かしたようなもので軍を解散さ
>せられるのも無理からぬことだと想った。
226事件の直後、戒厳司令官香椎浩平の発言
「皇軍相打つ不祥事だけは避けねばならない。
そんなことしたら皇軍の光輝ある歴史と伝統に
拭うべからざる汚点を残すことになる」
天皇の命令無く勝手に軍隊を動かしている時点でもう汚点だらけなんですが
226以前から「天皇の軍隊」という意識は崩れているんではなかろうか
9 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/16(日) 08:18:15 ID:sJs1MKQG0
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B5%82%E6%88%A6%E8%A8%98%E5%BF%B5%E6%97%A5 >ポツダム宣言の受諾通告と終戦の詔書の公布は8月14日に行われ、
>軍への正式な停戦命令が行われたのは翌8月16日であった。
>また休戦が発効し日本陸海軍が連合国軍に対して正式に降伏を行ったのは
>ポツダム宣言受諾の休戦文書に調印した1945年9月2日であり
>(アメリカではこの日を対日戦勝記念日・VJデーとする。ソ連・中国では翌9月3日)、
>戦争終結は日本国との平和条約(通称:サンフランシスコ講和条約)が発効した(1952年4月28日)をもって
>国際法上の正式の日付とする(ただし、ソビエト連邦のようにこの条約に署名しなかった国については、
>相手国と日本が別途に講和条約またはそれに類する協定を結ぶまで戦争状態が継続したことになる)。
終戦といってもどこで「戦争」が終わったと判断するかによって日付は変わってくるね。
ただ、本土では「もうこれで爆撃されたり銃撃されずにすむ」といった安心感が得られたのは
8月15日からなので国民の感覚としては終戦は15日になるのか。
10 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/17(月) 00:31:20 ID:OUSHxsIC0
うっ
12 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/10(水) 18:06:22 ID:7po7KZuc0
1945年5月8日
ナチス・ドイツは無条件降伏
これ以後8月15日まで
日本は単独で世界を相手にすることとなる
13 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/10(水) 22:32:07 ID:zNVcoT4PO
タイムマシンがあればこの日に行ってみたい
14 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/12(土) 01:42:02 ID:K6iZ4ZiA0
「はだしのゲン」を熟読して、全体を理解しましょう!
概要
1972年に「週刊マガジン」の漫画家自伝企画の第1弾として掲載された、中沢
の自叙伝『おれは見た』を元に、脚色を交えて1973年から「週刊少年ジャン
プ」での連載が始まった。
作品の内容、表現等について様々な論議があるが、作者の実体験に基づく原爆
の惨禍や当時の時代背景・世相風俗を良く表現していながら、教育的ではなく
優れたエンターテイメントとしても見せる名作として国内外での評価は高く、
映画・アニメ・ミュージカル・絵本化もされている。
単行本、文庫本などを含めた累計発行部数は1000万部を超える。
また、独特の描写や広島弁を含むセリフなどから、インターネット上で度々
ネタにされることがある。
15 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/12(土) 06:05:53 ID:5gCFCZTu0
>1945年8月15日
>日本は連合国軍に降伏、第二次世界大戦は終結しました。
WW2の終戦記念日は9月2日
8月15日を特別な日と持ち上げているのは、日本のみ
たぶん日本国民が初めて昭和天皇の声を聴いた、玉音放送記念日という位置づけなんだろ
そうそう同じ日を記念日にしている国が半島にもw
16 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/12(土) 08:54:54 ID:J/Qg6U6aO
終戦の日、玉音放送を聞いた後、特攻隊員だった曾祖父の部隊は、沖縄へ最後の出撃をしたそうです。
DVD出てるね
しかし 黒沢年汚はいい演技してるなあ
近年の近江住宅のCM見るたびに悲しくなるなあ
どうして 終戦記念日 なんでしょうか? 敗戦記念日 にすべきでしょう。
19 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/09(火) 17:19:49 ID:wQCLabnY0
【売国奴 左翼 在日 中韓北チョンの為の政党】
それが民主党
キャツラが政権取れば 外国人参政権を認め 公務員労組の弊害をいよいよ強め
在日の特権を益々強化し 日教組による自虐史観を学生、国民に強制し
ひたすら中韓北チョンの言うがままにありもしない捏造歴史を謝罪し
さらに日本の主権を割譲し 国を愛する国家意識を希薄にさせ
究極は中国に祖国日本を売り渡す・・・・これらは火を見るより明らかな事実です。
20 :
名無しさん@お腹いっぱい:2007/06/19(火) 00:01:19 ID:sYT/29480
>>14
20年前のファミコン世代がいまだにゲームをやっているように、
20年後の今のいわゆるヲタクたちもまた「萌え〜」とか言っていると思うと
めちゃくちゃ怖い。おそらく50年後はじいさんたちがメイド喫茶に集まっているだろう。
21 :
名無しさん@お腹いっぱい:2007/06/19(火) 00:02:14 ID:sYT/29480
>>14
20年前のファミコン世代がいまだにゲームをやっているように、
20年後の今のいわゆるヲタクたちもまた「萌え〜」とか言っていると思うと
めちゃくちゃ怖い。おそらく50年後はじいさんたちがメイド喫茶に集まっているだろう。
これニコニコ動画に上がってるね
23 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/05(木) 15:22:59 ID:SRlceU760
ポツダム宣言は無条件降伏では無いと何かの書物で読んだ
降伏調印式までは戦争状態とも書いてあった
8月15日以降のソ連の侵略に対して自衛戦争の権利もあるとも
当時の指導者が国際法をしらなすぎたようだ
でもね、多くの日本国民にとって20年の8月15日は特別な日だったんだよ
降伏文書に調印したのがいつだったかなんて問題にならないくらい
25 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/16(月) 21:44:21 ID:Nr2aEbid0
そりゃそうだ。
空襲や機銃掃射、艦砲射撃に怯えないで日中外を出歩けるようになったのだから。
>>25 確かにそれもあるが、そんなに簡単な理由だけじゃないよ。
この日を境に今まで築きあげた主義、主張、
ひいては生き方まで全て否定されたんだからな。
27 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/20(月) 22:11:34 ID:hhkUOOHc0
映画「日本の一番長い日」(モノクロ)
若き日の黒沢年男出演
2〜3日前にNHKBSでやってた。
28 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/25(土) 10:26:56 ID:jx9QtP+40
「日本の一番醜い日」という新刊がでた。やっと勇気ある人の真実の公表に「間抜け
日本人」は目覚めてくれるであろうか?あるいは「右翼」もどきの似非愛国者が暴力
テロで真実を封じ込めるか?天皇について
真実は戦争を指導して作戦を立案した。財閥とともに戦争商売をして莫大な資産を稼
ぎだした。敗戦確実になってからは資産を海外へ隠匿工作、戦犯を逃れるために姑息
にも東条などへ責任転嫁。聖断物語を捏造し、玉音クーデターを演出した。
英米は天皇利用のため助命を決めていたが、それを知らぬ天皇はマッカーサーに卑屈
に弁明。当時も今も無知な庶民は騙され続ける。右翼の暴力テロを恐れて庶民は「見
ざる聞かざる言わざる」明治維新で長州が偽者を連れてきて天皇にしたことも今は暴
露された。こんな皇族にカリスマは無く正当性もない。
馬鹿の一つ覚えで左翼だと非難、右翼も左翼もないのです。長州の岸・佐藤・安倍
などは当然知ってる。吉田茂が戦前から米国のスパイだったこと、ゆえに戦後米国
に代理人として使われた。その孫が麻生・・・日本は売国奴と幼稚な国士きどりの
「右翼」?、さらに受験無能官僚によって、奴隷庶民が飼われている。
隣国を批判差別する資格がありますか?可愛そうな日本人・・・・私も・・・
29 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/27(月) 17:04:26 ID:8jpQCP7u0
俺も「日本の一番醜い日」を読んでる途中だ。有名な8・15日、宮城前で
天皇に土下座をして詫びてる国民達の白黒ビデオは、実は8・14日に一般
の国民に土下座を頼んで収録したビデオだった、って話だね。
ようやくこの手の本が世に出回る環境になったのですね。ブラボーな事だ。
30 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/27(月) 18:07:23 ID:XYr3Q2W90
>29
そういえば、星新一の「気まぐれ星のメモ」に、
“玉音放送を聴いてから、すぐ皇居前広場に行ったが、夕方に
なるまで誰もこなかった。あとで報道を見たら大勢の人が
泣き崩れてたが、そんなのはみなかったので不思議でならない”
といったことが書かれており、私も不思議でならなかったが、
さてはそういうことだったのね。
31 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/19(水) 19:15:30 ID:Y6ZQrbdwO
半島人が何か書いてるな
肥溜めに落ちて溺れたところまで読んだw
32 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/19(水) 20:16:11 ID:VQYbGbH60
映画では黒澤年男が演じた畑中中佐、先月TVに写真出てたけど
映画みたいなイイ?男ではなかった
のっぺらぼうな一重瞼、粗野で酷薄そうなご面相、まるで鮮人だな
8月15日に第2次世界大戦が終わったって言ってるのは地球上で日本だけだろw
34 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/19(水) 20:45:24 ID:q8RdH4I20
軍国主義というより職業軍人の生活守るための戦争だった。
>>33 日本の場合は、本当に戦争が終わったのは昭和16年12月8日だから。
36 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/16(土) 02:48:23 ID:FrnNp2Vn0
長谷川毅の「暗闘」ってホント良く調べた良書だな
37 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/17(日) 00:31:19 ID:yG2Rqe/T0
>>8 >>「皇軍相打つ不祥事だけは避けねばならない。
そんなことしたら皇軍の光輝ある歴史と伝統に
拭うべからざる汚点を残すことになる」
そういう考えが軍部専制許したんだが
関東軍のような現場が本国無視して勝手に動いたら
相打ちしてでも鎮圧すべきだった 226も武力鎮圧して
ある程度交戦したほうがよかった 昭和天皇のお望みどおり近衛師団によって
38 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/17(日) 00:52:11 ID:yNJj9xBd0
畑中少佐っていたよね。
そういえば畑中少佐のドキュメント見たけどおもしろかったな
39 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/17(日) 01:29:21 ID:38SbbAtB0
>>8,37
戒厳司令官の香椎は2.26黒幕の一人だったから、
決起将校等がまとめて自決して口封じしないとヤバイのよ
だから8の書いた発言になるわけ
40 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/17(日) 01:35:04 ID:yG2Rqe/T0
>>39 それなら近衛師団出動で全将兵現場殺害でよかったんでない?
41 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/17(日) 02:19:48 ID:38SbbAtB0
そうはならない。
陸軍大臣告示なんかもあって、一度は期待が膨らんだ決起部隊を
形勢逆転による保身のために皇道派上層部が見捨てたという形になるのだ。
口封じのために、自分たちを朝敵として討伐しようとしているとなれば、
裁判時の磯部のような対応を取るものが鎮圧前から出てくる。
そうなったら、内輪を庇う組織内の密室裁判での叫びとはワケが違う、
皇軍相撃以上の陸軍の不始末が露見することになる。
統制派に指導部が全とっかえになった程度では収まらない。陸軍は崩壊する。
だから、事が去った後となっては決起将校を上手いことあやして自決させてしまうのが、
皇道派将軍達にとって最良の選択だったわけだね。
42 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/17(日) 07:27:31 ID:yG2Rqe/T0
昭和天皇のDQNさ(軍法会議の密室化 結果的に軍上層部支援)がなければ
生きたまま捕まえたほうが厄介だったと思うが
43 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/17(日) 12:01:13 ID:2dtmcX56O
もともと捕らえたかったわけではない
将校全員を自決させようとしたが、昭和帝が勅使派遣を許さなかったので失敗したのだ
山下や香椎は薄氷を踏む思いだっただろう
44 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/20(水) 07:01:30 ID:AZSRAusv0
ラッタッター
45 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/21(木) 16:28:03 ID:H/0ZAtRe0
昭和天皇は結局軍首脳の思い通りのことを強権発動してまでやったわけか?
反乱鎮圧後の処刑まで戒厳令持続した やってることはパキスタンやミャンマーの
軍事政権なみのこと(鎮圧後は戒厳令解除 裁判も死刑は必至でも通常の軍法会議
でやるべき状況ー当時の内地はそういった状況
47 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/27(木) 01:18:52 ID:J1qSnx0R0
ホントこれ名作だよ。日本人なら一度は見て欲しい!
ニコニコに上がってるから見てちょ
>>46 それをいったら皇居の前で土下座して奉拝している写真も16日の写真。
>>48 やはり、戦後処理の中で「玉音放送」という大事件を象徴する写真が必要とされたのだと思います。
日本国内では、うなだれ、土下座してラジオを聴く国民の写真が。
それと同じで中国にとっては降伏を表明する昭和天皇の絵が必要なんでしょう。
しかし、歴史的に正しくない写真である以上、中国語のwikiも訂正したいところですが。。。
50 :
追放:2008/08/11(月) 09:08:33 ID:mgf/rhW30
8月15日ってV-JDAYだろアメリカも
9月2日なのか?署名した日の?
52 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/18(木) 17:21:00 ID:221GMTeK0
226事件って、共産革命だったんでしょ。だから天皇も必死で鎮圧したんでしょ。
53 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/09(日) 11:11:39 ID:6Ji0fNU00
久々に映画「日本のいちばん長い日」観た。
これ観ると、自分たちももっと真面目に生きないとまずいなぁと思う。
54 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/09(日) 12:36:47 ID:DFy+sAAJ0
至るまでの過程もそうだけど
この直後の動きにも注視したい
8/17 大本営、米軍に早期朝鮮駐留を要請
8/18 内務省によるGHQ向けの特殊慰安施設協会設置通牒
9/4 GHQによる広島長崎情報封鎖
55 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/10(月) 21:41:05 ID:cgM5nzwkO
>>19 オイ待て。
日本人が選挙権は放棄するわ税金は払わないわ
子供は生まないわ、だからじゃね?
56 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/10(月) 22:41:18 ID:vCiOYd89O
叔父さんが終戦決める御前会議に大臣として出席してた。
戦争の続行、終戦かのどちらかに賛成したのかは、生涯誰にも明かさなかった。ただ国立国会図書館には議事録があるらしい。
毎年、この時期になると身内として事実を知りたいが中々勇気が出ない。
57 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/11(火) 00:06:45 ID:tgii1yEu0
>>56 首相、外相、陸相、海相の4人のうちのどなたですかな?
でも、それなら賛成・反対は……
それに、この4人の甥なら、あなたの年齢はおいくつですか?
58 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/11(火) 00:45:00 ID:2nXJak7q0
>>56>>57 9日深夜のではなくて
14日の閣議を兼ねた御前会議のほうじゃないか?
59 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/11(火) 00:59:57 ID:2nXJak7q0
三種の神器に昭和天皇は固執し続けたけど
神器なしで即位した北朝の後光厳天皇の時に
公家重鎮の二條良基は「宝剣を尊氏に、神璽をこの良基と思えばよい」
と言い切って即位式を行わせたらしい。
それくらいの柔軟性のある重臣はいなかったのかね。
そして陛下御自身も。
12日の皇族会議での天皇と朝香宮とのやり取りで分かるように
国体護持が確保できなければはっきり言ってもっともっと国民が死んでも
戦争続行というのが皇室の主流意見だった。
60 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/11(火) 01:01:43 ID:zwcQnyRV0
61 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/11(火) 08:56:05 ID:+Y52A84KO
>>61です。
叔父は運輸相です。
満鉄総裁から東條、東久爾、鈴木貫太郎内閣で運輸相やりました。
62 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/11(火) 08:59:20 ID:+Y52A84KO
>>59 >>国体護持が確保できなければはっきり言ってもっともっと国民が死んでも
戦争続行というのが皇室の主流意見だった
そりゃ、皇室の価値観では皇室>>>一般国民だったんだからしょうがない
64 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/12(水) 02:07:19 ID:dg4ybnjU0
皇室だけがそういう意見じゃなかったのも事実だしね
65 :
國學院大學卒:2009/08/12(水) 07:30:43 ID:i9mZ181GO
>>59>>63 待てゴルア!。
天皇にとって「国体護持」は自己保身とは違うぞ。
天照大御神はじめ八百万神が
守護し給う日本国であり、
そこには国民も含まれる。
貴様の卑小な汚れた考えと
大御心を同列に語るな!
66 :
國學院大學卒:2009/08/12(水) 08:07:54 ID:i9mZ181GO
昭和天皇の決心は
第一に日本民族、赤子の保護
第二が国体護持で、
ただし、天皇にとっての
国体護持は自身や皇室の
保身や安泰ではない。
これは臣下の国体護持が
天皇や皇室の安泰を
言っているのと明白に異なる。
この点を誤解してはならない。
昭和天皇は「国体護持は
難しい、故にこの際、
私の一身は犠牲にしても
講話をせねばならない」
と語られている。
そうだね
オマエもお国のためにアフガンでも行って復興支援でもやれば?
68 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/12(水) 10:26:11 ID:8VfPix+LO
>>65 > そこには国民も含まれる。
三国宣言受諾に関する申し入れでは天皇大権護持
終戦の詔書では国民を虐殺されたが国体を護持出来たと言ってる
69 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/13(木) 07:36:30 ID:RdgWjD6h0
言うのは自由だ。
70 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/13(木) 20:38:37 ID:nvbrMBm5O
>>68 そんなものはおまえの
勝手な解釈だ。
こういう議論のための議論、
ただ相手を言い負かすためだけの
弁論術が広まると
古代ギリシャのように
デモクラシィは崩壊する。
したがって、こういう輩は
絶滅認めてはならない。
>>70 いやさ、学問板なんだから具体的に
終戦の詔書のこの部分がこうなっており、
故にそれはお前の勝ってない解釈だと指摘出来なきゃ意味がないだろ・・・
んで、確かに終戦の詔書では国民を虐殺されたが国体を護持出来たと言ってる な。
帝國臣民ニシテ戰陣ニ死シ職域ニ殉シ非命ニ斃レタル者其ノ遺族ニ想ヲ致セハ
五内爲ニ裂ク且戰傷ヲ負ヒ災禍ヲ蒙リ家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ朕ノ深ク軫念スル所ナリ(中略)
朕ハ茲ニ國體ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ(後略)
明らかに国体と忠良なる爾臣民は別物ですね。
いやまあ当たり前なんだがw
73 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/14(金) 22:34:37 ID:eQBfkvAj0
海行かば 水漬く屍
山行かば 草生す屍
大君の 辺にこそ死なめ
かへりみはせじ
って歌ってるんだから、当たり前だろね。
74 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/14(金) 22:47:44 ID:V9ZdgXRCO
主義主張に凝り固まった右翼の工作によって日本政府の公式見解である[[無条件降伏]]が記事から葬り去られようとしています。
今こそ心あるコミュニティの力によって信頼される百科事典を汚す偏向編集を阻止しようではありませんか。
現状維持に賛成票をお願いします。
[[ノート:松江騒擾事件#「無条件降伏」表現の改善についての投票節]]
76 :
なんとも:2009/08/24(月) 10:56:26 ID:PLp9rBMA0
結果として悲惨な結果に終わったので、どうでもいいようなことですが、
○巷で「無条件降伏」と言われていますが、ポツダム宣言には「我らの条件は左の如し…」とあり、
武装解除などの諸条件を示していますから、一概には無条件降伏とはいえないのでは。
→戦後の状況を見れば、無条件降伏とも言えるような状況だが…。
○「(負ける)戦争を止める」というのは、公正の後世の我々から見れば当然に思えますが、
その当時の人たちにしてみれば、大変難しいことであったと思う。
人間の社会にはある種の「慣性」があり、いわば「惰性」で物事が進みがちである。
現在の社会を見ても、かつて有効であった政策なりが、時代が変化したにもかかわらず、そのまま
存在し続けている。
戦争終結に努力したとされる、鈴木貫太郎首相、米内海相、阿南陸相ほか、そして昭和天皇の英断は
それなりに評価されて然るべき。
○戦争が悲惨であることは当然である(悲惨でない戦争って…)。
何故戦争となったか、何故あそこまで突き進んでしまったのか、それはただ単に軍部だけの
責任なのか、そもそも「軍部」とは誰なのか。
戦争など賛美する気はないけれど、十分皆で考えないと、また「いつか来た道」に
なるのではないかと危惧している。
>>72 国体護持は国民のためでしょ。
今どきリストラ企業の屁理屈みたいなこと言ってんなよ。
リストラされた社員にとってはデメリットだが
残った社員にとってはメリット。
で会社は残る者を一人でも多くするために決断をする。
全員は助からない。
この世に保身だけを考えて生きてる人間はいないんだが。狂人以外は。
そんなの知らんの? もしかして自分がその狂人とか?
国民のためならば、阿南らの条件のひとつである「本土占領させない」がベスト
だが事実は違う
79 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/09/02(木) 16:31:34 ID:DRKHtn6r0
終戦の真実は、終戦への道程(昭和19年9月下旬〜昭和20年8月上旬)は
長く、終戦の実現(昭和20年8月9日夕方〜15日)は短かった。「日本の
一番長い日」て何のこと、終戦の実現にはわが国権力者は何もしてない。して
いたのは交戦国との外交ルートを外れ中立国スイス・スェーデン両国を蔑ろに
して、準敵国ソ連に終戦の仲介を申し入れそれに望みを掛けひたすら待ち続け
、待ちに待った返事がソ連の満州侵攻・北方領土侵略だった。終戦を遅らせ多
数の非戦闘員犠牲の沖縄戦、ポツダム宣言で無条件降伏を迫られ黙殺で「日本
人蔑視・人種差別」で非人道的大量殺戮の原爆を広島・長崎へ投下(歴史始ま
っての一大汚点で後にいろいろと正当化を唱え始めた)、そして、卑劣なソ連
侵攻・侵略を招いた。終戦はわが国政府が昭和19年9月下旬関係部門の実務
者に密命を伝達し交戦国との外交ルート(スイス・スェーデン両国)を通して
終戦に動き始めた。しかし、わが国権力者は決断せず。商戦のよい機会を逸し
た。その後わが国土は米軍の本土爆撃で破壊されていった。昭和20年7月に
入り軍部は多数の非戦闘員を犠牲の沖縄敗戦で戦争継続を断念したとかんじら
れたころ、わが政府は再び終戦に動いた関係者は7月中ころ終戦を期待した。
しかし、一週間も経たず立ち消えた。それは、わが国権力の進めるソ連による
終戦の仲介を優先させた。8月9日ソ連侵攻・侵略と長崎原爆投下の最悪事態
と3発目の原爆の思惑で、わが政府は「もはやこれまで、これ以上国民の犠牲
は偲びない」と、夕方わが国権力者の決断は待てず急遽ポツダム宣言受諾に踏
み切った。終戦の動き3度目にして終戦は実現された。
「敵が伊勢湾附近に上陸すれば、伊勢熱田両神宮は直ちに敵の制圧下に入り、神器の移動の
余裕はなく、その確保の見込が立たない、これでは国体護持は難しい、故にこの際、私の一身は
犠牲にしても講和せねばならぬと思つた」(『昭和天皇独白録』)
原武史さんは「要するに昭和天皇にとっては、「国民」の生命よりも、神器の確保の方が重要
だったのである」と書いている。 「「国民」の生命よりも」というところは、ちょっと言い過ぎのような気
もするが、ともかく昭和天皇にとって「三種の神器」の確保は、国体(天皇制)護持と等しい、最も
重要なことだったのである。
http://kbaba.asablo.jp/blog/2005/08/29/57113