【永遠の約束】 靖国神社U 【232万4000柱】
848 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/20(木) 18:29:29 ID:shJlrkJf0
>>845 見捨てたというのとはちがうと思うよ。
A級戦犯が祀られたことを知った昭和天皇は、
断腸の思いで参拝をしなくなったのではないかと思う。
公人中の公人としては当然の判断だったろう。
昭和天皇の断片的に伝わってる発言からは
戦前からずっと「自分は立憲君主である」という強烈な自己規定を感じる。
だから、立憲君主の立場で、戦犯が祀られた神社に参拝する意味は
当然深くお考えになったと思うよ。
おれは日本美術史専攻で、ウヨでもサヨでもないただの伝統主義者なので
神道の伝統にまったく合致しない靖国そのものを廃止したほうがいいという考えだけど
まあ昭和天皇のお気持ちは重視されてしかるべきではないか。
つか松平こそクソ馬鹿の不忠者だな。
しかし、天皇の意思だから靖国には参拝するなというのは暴論だな
850 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/20(木) 19:11:07 ID:wueoS5LY0
昭和天皇が自分のことを「私」と呼んでいたのかね?
初耳じゃ!
851 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/20(木) 19:22:01 ID:JzvOOAxz0
>>850 資料によって色々だよ。
本庄日記では「朕」だけど
「僕」と言っていた証言とか
なんと「俺」と書いている史料もあったと思う。
戦後は公の場でも「私」と言っていたし別に不自然ではない。
852 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/20(木) 19:45:09 ID:9YfurAVx0
結論
靖国公式参拝賛成者=天皇陛下の大御心に逆らう、国賊、朝敵、非国民。
「最後に参拝したのは戦犯合祀の3年前じゃん。無関係」などという、
陛下を疑う不敬な反論があるが、それ以前も別に毎年参拝していた訳では
無かったので不自然ではない。
>>844 昭和天皇は東條にはむしろ好意的じゃなかったか?
854 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/20(木) 21:01:32 ID:OxWDOKDA0
いや、独白録(終戦直後)では完全に切り捨ててる。
参拝中止でわざわざA級と呼び捨てにしてるのは確実に東條を指している。
仮にも大元帥閣下だった人、ムダに兵を犠牲にし(しかも権力維持に悪辣だった)た部下=東條を許す事はないだろう。
855 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/20(木) 21:05:50 ID:3mRsB7b50
しかし、松岡は右左関係なく、誰からも嫌われてるな。昭和天皇も嫌ってとはね。
岡崎久彦からは人格否定までされちゃうし。
こいつを擁護してるのはコヴァぐらいだろww
856 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/20(木) 21:24:43 ID:OxWDOKDA0
松岡... 悲しいかな、こいつにしかハルノートの文脈が読めなかったんだよな。
昭和天皇にとっては東條と並んで大日本帝國を破滅に導いた張本人のひとりだったからね。
東條を首相にした近衛(結果的にだが...)は、昭和19年まで東條にやらせて後は逮捕して連合国へ引き渡して戦争を終わらせられると考えていた。
しかし、当の東條が思いのほか権力の濫用に長けていたばっかりに...
大日本帝國にとっての太平洋戦争は、イタリア型の解決でサイパン島玉砕で終わっていた筈だった...
東條は出来る限り天皇陛下の意向に沿える政治をするように心がけていた忠臣。
ただし力量不足で必ずしも天皇陛下の思い通りのことができたわけでない。
松岡は天皇陛下の意向に逆らうことばかりやっていた逆臣だ。
858 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/20(木) 21:35:15 ID:OxWDOKDA0
859 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/20(木) 21:42:53 ID:OxWDOKDA0
東條は、首相になってからはともかく、その前は対米最強硬論者なんだが・・・
総力戦研究の結果なんかも握りつぶしたわけだが・・・
「過失」で済むとは思えんなぁ。
逆に松岡は、性格に難ありで、ドイツマンセーだったが、日本で唯一マトモに軍部を抑えられた人材とも言えるし。
一概には言えんような気はする。
>>848 同感だ。今回のことで一番問題があるのは松平だと思う。
あと天皇が本当に信頼してたのは鈴木とか2・26の被害者組だろ。
その時のことで遠慮しちゃって権力を使うのを控えるようになった
→松岡・東條等が増長した。という流れだと思うが。
862 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/20(木) 22:35:39 ID:JzvOOAxz0
同じA級でも釈放後しばしば拝謁の機会があった木戸とかと
松岡や板垣に対する昭和天皇の心情は全然違うものがあっただろうな。
別スレでも書いんだけど、同じ三国同盟の責任者でも
近衛は出頭当日に自決してその結果「護国の神」にはならなかった。
(近衛は靖国に祀られてないよね?)
でも収監中に病死した松岡は「護国の神」なんだよな。
近衛は自決するより屈辱に耐えて法廷に出るべきだったと思うが
彼なりに責任を取ったのは確かだろう。
それに対して松岡は病死で「護国の神」。
靖国の奉祀基準は余りにも恣意的ではないのか?
863 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/20(木) 22:37:15 ID:LMHOeykW0 BE:103968735-#
松岡洋右国連脱退=北朝鮮国連大使朴
>>862 近衛も靖国に祀られている
確か、戦犯容疑者で拘留中に死んだもの自殺したもの処刑された者 みんな昭和殉難者
865 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/20(木) 23:56:15 ID:JzvOOAxz0
近衛は拘留前、出頭日当日未明に自決したので
対象からは外れてないか?
というか、近衛が合祀対象だったら
「資格が曖昧なのに祀られた人物の筆頭」にされると思うんだが。
866 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/20(木) 23:56:58 ID:MWcimedQ0
A級戦犯は、昭和天皇に代わって敗戦の責任を取ったことにより、
昭和天皇に代わって「神」となった。
昭和天皇は、戦前は現人神だったが、戦後は、ただの人間である。
ただの人間に格下げになった昭和天皇が、神となったかつての側近を、神として、崇め奉るのを見ることができなかったのは残念だ。
867 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/21(金) 00:02:20 ID:4uop9PiE0
何か自信がなくなってきたが
終戦後自決した阿南、杉山、大西とかも合祀対象か?
違うような気がする。
「昭和殉難者」は連合軍によって拘束後刑死、病死した人達のことでは?
868 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/21(金) 00:09:32 ID:MZ/doucH0
>>865 近衛は対象外だったはず
逮捕される前に青酸カリで自決したから
それと昭和天皇は、よくよく三国同盟が嫌だったんだな
松岡と白鳥が神として祭られている、靖国神社には行かない
「それが私の心だ」
この発言は重い、A級戦犯を擁護する連中は
陛下の大御心に沿わない逆賊である!
870 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/21(金) 00:15:08 ID:R9M2c4TW0
昭和天皇、A級戦犯合祀に不快感
・昭和天皇が1988年、靖国神社のA級戦犯合祀(ごうし)に不快感を示す発言をしていたと
する当時の宮内庁長官、富田朝彦氏(故人)が書き残したメモがあることが関係者の話で
20日、分かった。日本経済新聞が同日付朝刊で報じた。昭和天皇は78年にA級戦犯が
合祀されて以降、同神社に参拝していない。メモは、明確になっていないその意図を探る
貴重な資料であるとともに、小泉純一郎首相の靖国参拝にも影響を与えそうだ。
昭和天皇の御遺志に反し、A級戦犯合祀の靖国参拝を強行し、
国家の品位を傷つけたる朝敵・小泉純一郎を直ちに追討すべし。
871 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/21(金) 00:18:34 ID:MZ/doucH0
ネットウヨクは昭和天皇の大御心に沿わない逆賊だ!
まず靖国神社は、松岡と白鳥を分嗣すべきだ!
872 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/21(金) 00:19:51 ID:MZ/doucH0
小泉は逆賊、平成の足利高氏!
873 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/21(金) 00:26:31 ID:PsjsJjpY0
ぶっちゃけ、どうする?>ネットウヨ
話をややこしくしたい気持ちは分かるけどw、それじゃサヨと同じだろ。
話は単純。どっちか。
「昭和天皇、今上天皇、東京裁判、戦後体制、朝日新聞、リベラル」を取るか?
「靖国神社、A級戦犯、東亜自衛、戦前肯定、産経新聞、保守」を取るか?
どっちなんだ?
874 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/21(金) 00:27:38 ID:pN4Lf9Yi0
875 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/21(金) 00:29:15 ID:PsjsJjpY0
おい、世界市民(失笑)。サヨもどうする?
選挙で選ばれた靖国参拝か?
民衆抑圧システムの頂点である君主の靖国拒否?
低脳大衆のミンシュシュギとやらは、天皇以下なんじゃねえの?
>>871 そのネタじゃウヨもくいつかねーぞw
「松岡と白鳥を分嗣?すればいんじゃね」
で終わるwww
877 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/21(金) 00:34:05 ID:+ViOk+I50
>>873 あれが昭和天皇の本当のお気持ちなら、俺は汲み取るよ。
ただあれが本当の陛下の気持ちなのかどうかは疑問。
あんなメモ一つじゃなんの証拠にもならんよ。
我々大和民族の誇りを世界の国々に示そうじゃないか。
東京裁判なんて私刑はすべて認めない。
我々は自存自衛のために矛をとったのだ。
それが我が日本のプライドである。
878 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/21(金) 00:36:35 ID:MZ/doucH0
>>876 分嗣は教義上出来ないと言ってきた靖国の論理が崩れる
最終的にA級戦犯は全員分嗣すれば、今上陛下が
ご参拝可能な条件も整う
879 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/21(金) 00:38:21 ID:MZ/doucH0
>>877 それでは違うという明確な証拠でもあるのかい
自分の脳内妄想で、昭和天皇の大御心を解釈するな!
>>877 >我々は自存自衛のために矛をとったのだ。
東京裁判は私刑と思うが
満州〜停戦後もシナ介入
南部仏印進駐
とか自衛を超え、かえって国を危機に陥らせた
881 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/21(金) 00:40:38 ID:iXDi90970
天皇が何を言おうと
個々人が考えれば良いだけの話
勘違いをしないことだ
882 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/21(金) 00:44:25 ID:MZ/doucH0
2,26の連中と言い、ネットウヨクと言い
自分勝手に昭和天皇の大御心を妄想してる点では同類だな
靖国神社へは行かない「それが、私の心だ!」
883 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/21(金) 00:47:55 ID:MZ/doucH0
>>881 それなら、A級戦犯分嗣論者に対して、非国民とか
売国奴というレッテルは張るなよ
昭和天皇の大御心に沿っているのは、A級戦犯分嗣論者の方
だからな
>>878 靖国は分嗣はできないという
ウヨは松岡や白鳥がどうなろうとしらねという
今までと何もかわらない
885 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/21(金) 00:55:34 ID:+ViOk+I50
>>879 違うという証拠なんてないよ。
だが、あれが本当の陛下の気持ちかどうか証拠としては
弱いということだよ。
ただのメモ一つで陛下の御心を決め付けるほうがとんでもない。
本当の御心はメモ一つではわからないという事だ。
>>880 危機に陥らせたのは確かだ。
だが当時の状況を考えて、シナ介入も南仏進駐も仕方のない
状況だったとおもう。日本の生きるべき道をたどった結果だった。
つまり自衛の範疇だった。
あくまでも日本はその時の世界状況に駆り出された。
もし日本が矛をとらなかったら?
きっとそんな選択肢はあの瞬間にはなかったと思う。
違う選択肢をとる為には日本は1953年まで時を
さかのぼる必要があるだろう。
886 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/21(金) 00:57:26 ID:+ViOk+I50
北部仏印進駐はともかく、南部仏印進駐は、あきらかに「自衛」の範疇を越えると思うが。
最初っから、南部地帯の資源が目的だし。
日本の開国のことを言うなら、アメリカはアメリカで「ヨーロッパの脅威に備えるための自衛手段だった」
と言うと思うぞ。
>きっとそんな選択肢はあの瞬間にはなかったと思う
取ろうとした人たちは沢山いたんだが・・・
日本が矛をとらなくても、今と対して状況が変わったとは思えんな。
WW2での死者は、その後に来るであろう、共産圏との戦いで相殺されそうな気もするし。
中華民国次第だが。
シナ介入も、落としどころ(和平のしどころ)を間違ったとしか思えない。
一撃すればシナは屈服するであろう
という楽観論で、いつの間にか泥沼だし。
宇垣外相が陸軍の横槍をはねつけられていれば歴史は変わったのかも知れないが。(宇垣外相の辞任については、諸説あるけど)
>>887 まあ、俺は自衛戦争説よりかは
イラクがアメリカと中東の覇権を争ったように
太平洋と大陸の覇権を争った戦争だと思うけどね。
今の北よろしく超大国へのアクションはある意味自衛手段とも言えるが、
失敗した場合勝った国の制裁を甘んじて受けねばならない。
でも、中共や半島には負けてないから言われる筋合いは無いねー。
半島なんて同じ戦犯のはずなのにw
889 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/21(金) 01:48:23 ID:+ViOk+I50
>>887 南部地帯の資源が目的は確かにそのとうりだ。
ただそれは英米依存からの脱却のため大東亜共栄圏構想には
必要なことだったと思う。
当時はすでにエネルギー原の有無をアメリカに握られていたし。
日本が独自にエネルギーを確保するための当然の措置だったと思う。
他の選択肢をとろうとした人たちも沢山いたのは確かだ。
日本は最後の最後まで戦争に突入するのを避けようとした。
だいいち、避けるためにはハルノートの内容をすべて受け入れなきゃ
いけない。あれはいただけないだろう。
仮に受け入れてたら完全に日本は亡国と化したと思う。
だいいち満州も朝鮮も共産圏の進出を防ぐためには大切なものだった。
それは朝鮮戦争のときマッカーサーも理解したとこだろ?
確かに日本は戦略としては楽観的な部分は確かにあった
一番重要なシンガポールからのシーレーンの確保。
これは最重要項目だったはずだし。
そういうところでは反省するところは多いにある。
シナ派兵の泥沼化も確かにあった。
しかし私としては、そういう戦略的に落ち度はあったとしても
日本のおかれた立場、共産圏の進出、アメリカの中国市場への進出
の狙いをみても、とてもじゃないがあれを侵略戦争と呼ぶのはむりがある。
アメリカにいいように引きずりこまれたのは確かに考えものだが。
当時の判断をだれも笑う事はできない。
>>888 そうだね「列強国」の一つなんだし。
アメリカもイギリスもドイツもイタリアも日本も「どっちもどっち」としか思えない。
イタリーは戦争(戦闘にあらず)上手いとおもうけどねw
半島は、当時思いっきり日本人じゃんw
ごちゃごちゃ言われる筋合いはこれっぽっちもない。
中共は日本に感謝してもいいんだがなw(事実、毛沢東は日本のおかげで政権が取れたっつっとったな、皮肉もあったのかも知れんが)
>>889 ハルノートが全てのように思われてるが、日米交渉はそれだけじゃないんだよね。
1.ハル四原則
2.日米了解案
3.仏印中立化案
4.ハルノート
揉めたのは中国からの撤兵問題で、せめて北支からの撤退ができていれば、大分状況は変わっていたかもしれない。
それに強硬に反対したのが、当時陸相である東條。
だから、上で宇垣外相の名前を出したんだよ。(詳しくは宇垣工作で調べてくれI)
返す返すも「対手とせず」は痛かったな。
アメリカ側が出した条件も厳しいが、日本側から出した条件もまた、アメリカには受け入れがたいものだった。(だから戦争になったんだけどね)
>>889 立派なお題目の裏にある本音の是非はともかくとして、自己の目的が何で
それを達成する為に何が必要かという視点が全くとして当時の日本は無か
った言えるだろう。
南方資源の入手に関して言えば資源地帯は占領しても資源の日本向けて還
送手段に対しての計画が無かった。
判りやすく言えば強盗が押し入る為の凶器を用意したが、肝心の盗品を運
ぶ為の鞄を忘れていて、その事を押し入った後になって気がついた。
893 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/21(金) 02:15:41 ID:+ViOk+I50
もちろん原則的協定案から他にも松岡3原則など、たくさんの日米交渉を
おこなって来たが、結局それらすべての交渉の結果があのハルノート
だったわけだ。散々やってきたのはなんだったのだ?と日本が思うのは
当然だったと思う。
撤兵問題がもちろんキーだったとは思う。
だが当時アメリカに本当に日本と事態解決のための交渉の考えが
あったのか?甚だ疑問を感じる。明らかにアメリカの行ったことは
、特にハルノートなど日本が受け入れる事はないとわかった上での
モノだったと考え得ざるをえない。
ハル長官自身、あれを渡したとこで自分の仕事は終わったと言っており
アメリカは太平洋を窓口に戦争に参加する気が満々だった。
たしかにお互いの国益の衝突といえばそれまでだが。
894 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/21(金) 02:21:42 ID:+ViOk+I50
>>892 それは大いにいえる。
資源の輸送に対する、敵からの攻撃による輸送船などの損失の
計算がものすごく甘かった。
元にしたデータもよくわからないとこから持ってきたものだし
シーレーンの確保はあの戦争で(もともと石油を止められて
やっていけなくなったことが大きな背景の一つだったにもかかわらず)
最も重要なものだった。
結局計算と大きく狂い、輸送と資源の確保は困難を極め
大きな敗因の一つとなった。
>>894 そこも大問題だが
>>892の論点はそこじゃない、開戦時に民間船舶保有
量600万トンと豪語していたが南方資源の還送に適する船がほとんど
無かった。
なかでも鉱石輸送船、タンカー等の専用船が決定的に不足していた。
数字だけ見て戦争できると錯覚して、その中身はお話にならない実態で
あった。
軍隊を運ぶ客船もこれまた決定的に少なく、貨物船の船倉を無理に居住
スペースに改装したのが殆どで、輸送効率のみを追求した結果、実態は
奴隷船かナチの収容所なみだった。
そんな船が攻撃されたらどうなるかは個々の資料を見れば判るので省く
がようするに、軍以外はとても戦争できる環境に無かった。
仮にこれと同じ事を他の国がやったら、国家元首の首が飛ぶかクーデタ
ーが起きても不思議ではない。
ちなみに、私が靖国神社で哀悼を捧げるのはこういった事を平然とやっ
てのけた連中では決してなく、そんな彼らの犠牲になった戦没者に対し
てのみだ。
>>894 >結局それらすべての交渉の結果があのハルノート
だったわけだ。
原則スキーのアメリカにも問題があるが、よりにもよって、交渉中に軍を進めていけば、流石に警戒される。
ハルノートは「ハル四原則」の強化・発展版であって、それ自体は受け入れられないというよりも「それなら、その前に受け入れている」
という条件に過ぎない。
アメリカは既に暗号解読で甲案・乙案の存在を知っていたし、日本が大艦隊で侵攻準備をしているとの誤報があるなどの不運もかさなった。
>だが当時アメリカに本当に日本と事態解決のための交渉の考えが
あったのか?甚だ疑問を感じる。
アメリカは「仏印進駐を行えば、両国間にとって、重要な問題に発展する」と何度か警告しているよ。
だから、その前に仏印中立化案を出している。
これは確かに時間稼ぎの意味合いもあるが、開戦準備の整っていなかったアメリカにとっても妥協案であった。
これについては、チャーチルを説得しているから、思いつきじゃない。
結局、仏印進駐は、日米両方が戦争を決意した行為であり、これこそが引き返せない段階だったといえる。
ハルもルーズベルトも、これ以降、完全に戦争する気だ。
ハル長官の「これで戦争だ」発言は、この積み重ねの結果と言える。
897 :
896:
>>895にちょっとだけ補足
第二次大戦中にアメリカが建造した商船:5400隻
日本が建造した数:約1200隻
建造数だけみても1:4.5なんだが、トン数ともなれば
アメリカ5185万トンに対して、日本は330万トンほどで、比率は15対1
なるほど、正面戦力だけはなんと戦えたが、補給・兵站を支える体制は比べ物にならないね。