9 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
「……北朝鮮は、ソビエトにとって常に頭痛の種でした。
彼らは主体思想を教え込まれ、目的達成のためならどんな手段を用いてもかまわないと考
えているのです。
自分の国のためなら、何をしても許されるのです。
私は時折思います。
このような人々と、全く関わりを持たないほうがいいと。
不用意に関わると、こちらが病気になり、傷付くことになるのです」
───ソビエト共産党中央委員会(当時) ワジム・トカチェンコ
NHKスペシャルドキュメント北朝鮮(1)個人崇拝への道
10 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/06(木) 15:16:01 ID:wWvWrPvC0
私たちは類例のない悲劇の国に、うかつにも手をつっこんでしまったのである。
朝鮮半島に巣くっていたさまざまな悩み、とぐろを巻く恨み、怒りと絶望。
あえていえば、手を触れないですめばいちばんよかった。へたに手を触れたために、
内部のドロドロとした情念までもが、われわれに火傷になって降りかかってきたのだ。
西尾幹二/著「国民の歴史」
11 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/06(木) 15:16:37 ID:wWvWrPvC0
<三千里> 産経新聞 黒田勝弘 ソウル支局長
それから日本人では須之部量三・元駐韓日本大使も亡くなられた。ぼくはソウル駐在記者
としては一九八〇年九月がスタートだったが、当時の日本大使で教わることが多かった。
そのひとつが「黒田クンねえ、韓国に入れ込むのはいいが二本とも足を突っ込んではダメだよ、
一本はいつも外に出していなさいよ」という話だ。韓国あるいは韓国人の“多情さ”を念頭に
おいた日本、日本人へのアドバイスだったか。
http://www.toyo-keizai.co.jp/cgi-bin/search.cgi
12 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/06(木) 15:20:34 ID:wWvWrPvC0
須之部大使の忠告
須之部量三・元駐韓日本大使が亡くなられた。一九七七年から八一年まで
激動期のソウルに駐在し名大使といわれた。一九七九年十月二十六日の朴正熙
大統領暗殺事件や、その後の政治混乱の中での光州事件や全斗煥政権発足
など、韓国情勢がきわめて難しい時代に的確な情報収集、分析を通じ日韓関係
をうまく維持、発展させた。温厚な人柄に加え、韓国語の勉強など韓国との真摯
な取り組みで韓国側の評価も高かった。
その須之部大使から言われた言葉が今でも記憶に残っていることがある。
ぼくとしては語学研修を終え韓国と本格的に取り組もうとしていたころだったが、
須之部さんは「韓国というところはねえ、足を二本とも突っ込んではいけないよ。
必ず一本は外に出しておきなさい。そうしないとここは抜けなくなるところだから
ねえ」というのだった。
その意味は「日本人にとって韓国は入れ込みすぎると溺れてしまうから、いつ
もどこか冷静なところがないといけない」といった感じだったか。その時、ぼくは
冗談で「でも、男は足が三本あるので二本までは大丈夫じゃないですか」と笑い
ながら言ったことを覚えている。あれから韓国とのつきあいは四半世紀を超え
るが、あの言葉は今でも忘れられない。合掌。 (黒田勝弘)
ソース:産経新聞(東京版)2月25日14版6面(国際面)