日本はアジアの解放のために戦っていました。

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626名無しさん@お腹いっぱい。
1942年3月、オランダが日本に降伏すると、民衆はいたるところで歓呼して日本軍を迎えた。
日本もまたアジアの諸民族を白人の支配から解放するために進撃してきたことを宣伝し、
インドネシア人は兄弟として人と協力すべきだと主張したのである。
 (中略)
しかしやがて日本の軍政は、インドネシア人の民族精神への干渉にまで及んだ。
日本の天皇を最高神として崇めさせ、その居住する東京に向かって頭を下げることを強制した。
 (中略)
3年余にわたる日本の占領は、インドネシア国民の生活のうえに、むしろオランダ時代にもまさる苦悩をもたらした。
-インドネシアにおける地理・歴史教科書の研究−

 日本の指導者が兵士に語ったところによれば、彼らは「東南アジア諸民族を植民地支配から解放するためにきたのである。
静養植民地支配から解放するために来たのである。西洋植民地列強の支配下にある全ての諸国に独立を与えたいのだ」と言った。
彼らの望みはこれらの諸国全てを一つの大きな経済協力ブロックに統合することでもあった。
このブロックのことを彼らは大東亜共栄圏と呼んでいた。
しかし、この計画の背後には、自国産業のために東南アジアの天然資源を押さえておきたいと言う日本の緊急な必要があったのである。
−マレーシア「現代史」中学生用−

 結局のところ、日本占領期は、日本軍の残虐さ、経済的苦痛、そして常食となったタピオカなどの悪夢として
多くの人々に長く記憶されることだろう。
しかし、それと同時に地域住民の中で、英国の威信を低下させることともなった。
また日本は短期間のうちに地域住民、とくにマレー人の政治的自覚を促すことに成功した。これは戦前には全くなかったことである。
−マレーシア「歴史」高校生用−

 ビルマ人はイギリスよりいっそう悪い日本帝国主義の悪鬼の手中に知らずして陥ったのである。 
−ビルマ「ビルマ史」高校生用−

日本占領がもたらした決定的なものは、東南アジア諸国に民族独立の機運を巻き起こしたことである。
 (中略)
民族運動に与えた新鮮な刺激を除けば、日本軍政のもたらしたものは殆ど全てが否定的なものであったことを忘れてはならない。
−シンガポール「東南アジア史」中学高校生用−

Fogive But Not Forget (許そう、しかし忘れまい)
−JEAT(Japan England America andAustralia Thailand Holland)戦争博物館−