1 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :
2006/02/05(日) 15:42:35 ID:8uxVtL7r0 悪者のイメージ強いけど、実際どうなの?
2 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/02/05(日) 16:01:39 ID:BDUHMmO/0
戊辰戦争の強行姿勢、征韓論の時の強引な態度、自由民権運動を使っての復権工作 どれも、良くないイメージが俺もある
4 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/02/05(日) 18:27:34 ID:bg+fY+8uO
色が黒い殿様でしたと
5 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/02/05(日) 19:02:59 ID:3FzEH+Pv0
桂太郎は偉かった
6 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/02/05(日) 19:25:21 ID:Rhm/PBNe0
山県の善の部分 ・閨閥を作らなかったところ
7 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/02/05(日) 19:35:03 ID:heVRNTRh0
宮中某事件。出しゃばりすぎたな。あれだけ権力濫用できたのもライバル伊藤博文いなくなったお陰かな。
8 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/02/05(日) 21:20:09 ID:oEbrGIwG0
軍部大臣現役武官制。 山縣は最悪だな。 こいつの小心で陰険な俗物根性が、 議会製民主主義を破壊し、 日本を破滅に導くことになる。
9 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/02/05(日) 21:49:54 ID:uFwSvrQt0
閨閥を作ろうにも、肝心の跡取りが死んでるし。養子も死んだし。 十全なやつっていないね。なにごとも。
10 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/02/05(日) 22:30:06 ID:bg+fY+8uO
山縣←正しくは
11 :
長州ファンA :2006/02/05(日) 23:22:39 ID:eDrmRfm40
岡義武「山県有朋」って面白いの? 岩波新書かなんかで、最近復活したみたいだけど。
12 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/02/06(月) 00:02:36 ID:JQ2v573SO
山県は閨閥作れなかったが軍閥を作った。長州軍閥が陸軍を駄目にした原因。
13 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/02/06(月) 01:20:52 ID:mtKTqydq0
変態百姓の伊藤といい、 足軽以下の小間使い山縣といい、 素性の卑しい被差別民が成り上がると、 ろくなことをやらない。
14 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/02/06(月) 02:20:00 ID:92pGqMLcO
山縣有友 の現存する写真よろ!
随分賄賂もらいましたね。それにくらべ伊藤博文は女好きの欠点は あったけど金には恬淡としてた。
16 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/02/06(月) 15:27:03 ID:tQMpwrvH0
山県閥、最凶。
参列者の少ない葬式カワイソス。 それはそうと、山県はなんだかんだ言っても軍部のタガを押さえていたような。
18 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/02/06(月) 16:23:39 ID:plN4CStR0
>7 漏れもそう思ってたけど、 最近の皇室の問題みてると思わず口出ししたくなるからな。 山縣の気持ちもわかる希ガス
19 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/02/06(月) 22:52:16 ID:CYdxxxWE0
大隈重信の葬式のほうが参列者が多かった。それだけ山縣は嫌われ者。老害。陸軍・枢密院・貴族院・内務省・司法省とにかく立法行政司法三権に自分の派閥を築いたのはある意味凄い。
20 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/02/06(月) 23:04:01 ID:xHuhxWVa0
しかし、あれだけの大物で、死んでも大して惜しまれないのもまた凄い。
21 :
石橋湛山 :2006/02/06(月) 23:13:30 ID:bzzm1Z4z0
死もまた、社会奉仕
22 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/02/07(火) 01:08:15 ID:njVkxv+fO
>>20 的が多すぎた。
山県の大罪は、参謀本部を陸軍省より独立させてしまい、その後の暴走を招いた。
参謀本部が陸軍省の下部組織なら話は違ったはずたろう。
原敬に刺客を送った
24 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/02/07(火) 12:10:31 ID:BB5IAgnF0
桂太郎に刺客を送った
25 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/02/07(火) 12:33:10 ID:QI5fZXueO
坂本龍馬暗殺の黒幕はコイツらしいな。
26 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/02/07(火) 14:36:37 ID:sUu1Pf240
>>17 「それはそうと、山県はなんだかんだ言っても軍部のタガを押さえていたような。」
その通りです。長派の山縣元帥と薩派の大山元帥が存命の時は対立しつつも勢力の均衡を
保ち日清、日露の両戦争にも勝利しました。薩長両派の軍閥は勅命により元老となった
山縣、大山元帥のほかは、政治に関与しませんでした。大正十四年に山縣元帥が世を
去り陸軍に押さえの利く人物ー元老ーが不在となり、皇道、統制両派がうまれ下克上、政治関与
の悪癖が出来ました。
27 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/02/07(火) 17:05:00 ID:CZiETC0z0
明治の元勲達がいなくなってから日本は堕落したね。甘い汁吸って育った奴らはだめだ。
28 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/02/07(火) 17:10:12 ID:NTUetvVH0
自分たち死んだらすぐ行き詰るようなシステムしか創らなかったという点で、 昭和の指導者と同罪ですよ。
29 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/02/07(火) 21:56:13 ID:dQ6jvrRv0
しかしなぜ同じ日本軍なのに陸軍海軍は仲が悪かったのか。
30 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/02/07(火) 22:04:20 ID:szL8nVA30
どこの国でもだいたい仲悪いですよ。
31 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/02/08(水) 00:52:39 ID:T4ezk01A0
>>29 陸軍・海軍って初期の構成が薩摩派や長州派とか別々に振り分けられて、管轄も異なって作られたって習ったが
で、政治家によって割り振られる資金の多寡がかわるとも聞いたよ。
>>27 元勲の下は利権でのお金儲けに終始してたし、そんなに優秀な人材が入るほど門戸が広くなかったからね
政治家の育成システムも不十分だったし、つか、あの人たちでは作れないよ。
上級政治家のモラルも教養も学ばずになっちゃったんだから
32 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/02/08(水) 01:10:44 ID:SH99V+WS0
>>31 >元勲の下は利権でのお金儲けに終始してたし
ってか、井上・山県なぞ、汚職長州閥の最たるものだろ
清浄化しようとした江藤新平は、伊藤にはめられてしまうし
33 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/02/08(水) 08:05:29 ID:Uc1HLh7l0
>>31 川上操六、桂太郎、児玉源太郎、山本権兵衛、文官では西園寺公望など
第二世代は結構人材がそろってましたが、多くが山縣より早く死んだり、
山本のようにとばっちり(ジーメンス・虎ノ門)食って政治的に死に体に
なったりしてことが惜しかった。
田中義一、加藤友三郎、文官では加藤高明、原敬らの第三世代は、
田中のように当の陸軍に対する影響力を失っているか、早く死んでしまった。
ここで人材の育成にしくじったような気がします。
34 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/02/08(水) 10:13:04 ID:WuyqwZpv0
>>31 「井上・山県なぞ、汚職長州閥の最たるものだろ 」
明治の殖産興業政策は財閥優遇で特にあ井上の三井に対する便宜は当時も悪評だった。
しかし、欧米の大資本に対抗し清やインドの様に植民地化されない為の財閥育成策で
あり、そこで金も動いたのは確かでしょうが、必要不可欠な政策であったと思います。
35 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/02/08(水) 14:21:36 ID:QaBBpK7iO
栃木の那須に山縣記念館があります。 広大な敷地に洋風の別荘。 館内には陰謀で得た勲章、美術品が展示されてます。
36 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/02/08(水) 17:09:37 ID:UbobWaov0
>館内には陰謀で得た勲章、美術品が展示されてます ワロタ
37 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/02/08(水) 17:29:36 ID:qw+upPIs0
はっきりいってやったこととかあんまり、良い評価じゃないと思う。 でも、最近近代史板でも多くなってる「全部悪い」とか「否定する奴はバカ」みたいな評価のは単純すぎ 良い事もやった、悪いこともやった、良い悪いってのを決めるんなら総合的に見なきゃ。 短絡的思考のが増えると話がつまらなくなる。
38 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/02/08(水) 20:59:50 ID:nOvp4ZBb0
ほおかぶりしてる写真見た? あの写真みたとき笑えたよ 山縣元帥けっこうおちゃめさんだよ
39 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/02/08(水) 21:11:13 ID:D7KzeQc60
もし山縣や伊藤ら元老が健在だったらアメリカとは戦争しなかったと思う。公家出身の西園寺爺さん一人じゃあね。
40 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/02/08(水) 21:39:56 ID:6AFSOipj0
山縣…軍を私物化&軍部大臣現役武官制制定 ↓ 寺内…一度廃止された軍部大臣現役武官制を復活させる ↓ 松岡…軍部大臣現役武官制のおかげで外務大臣となり 日本をナチスに売り渡す ↓ アメリカと戦争 ∴山縣のせいで日本はアメリカと戦いボロ負けした
41 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/02/08(水) 22:38:16 ID:D7KzeQc60
山縣はある意味ヒトラー的な独裁者かも。まあヒトラーほど恐怖政治はなかったけど私物政治家と言うべきか。
42 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/02/08(水) 22:58:32 ID:BDZ/NHXE0
>>39 其の通りだとおもいます。
明治憲法は当時の列強の世界秩序に認められる為(治外法権と関税自主権の撤廃)
早急に憲法を設定する必要がありました。
グナイストの助言により旧プロイセン憲法がほとんどそのまま採用される。
山縣元帥存命の時は、天皇陛下と元老の磐石の信頼感系があり速成憲法でよかった。
33のおっしゃる様に第二世代の元老が現れなかったこと。そして、最大の問題は憲法を不磨の大典としたことにある。
43 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/02/09(木) 00:14:25 ID:XzQXGoHoO
山縣はヒトラーよりもビスマルクというイメージだ。
>>42 日本の言霊信仰を甘く見ていたのでしょうか、山縣氏は。
今日の九條真理教と同様の病状が帝国憲法下でも見られたようですが。
45 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/02/09(木) 12:00:40 ID:Siv5Pp4W0
>最大の問題は憲法を不磨の大典としたことにある。 伊東己代治や金子堅太郎が長生きしてたしね 本人たちも「憲法の番人」を自称していたしw 伊東己代治は、シベリア出兵時の策動をみていても、山県といい勝負だね
46 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/02/09(木) 21:26:50 ID:ZgFImEXq0
平沼期一郎も山縣閥ですか?
華族制度廃止の後、広大な土地を利用し、山縣の御子息は林業で成功しました。
48 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/02/10(金) 03:10:23 ID:1CRyLoc+0
>>47 終戦後の事で、御子息ではなく御子孫であります。また、元帥のご功績とは無関係ではありませんか。
49 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/02/10(金) 16:32:26 ID:8iwacZYkO
後の東条がそうであったように、 山県にいかに大きな権力があっても解決できなかったのが、 陸海の統帥の問題だった。
50 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/02/10(金) 19:34:30 ID:gk/YhG/a0
自分がセクト主義(統帥権の独立)の家元だから、海軍に同じことを 言われると、どうしようもなかったのさ。
51 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/02/10(金) 21:04:48 ID:u3nnB2CD0
最初に統帥権干犯問題が起こったのは昭和五年のロンドン条約の際であり 明治の元勲たる元老はご健在ではありませんでした。首相の規定が無く陸海軍は天皇に 直属すると明記の明治憲法で軍が政府(政治)に関与しなかったのは元老が次期内閣の 首班を指名する事となっていたからです。この点と42を読めば御分かり戴けると思います。
52 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/02/10(金) 23:05:19 ID:0rveIlXn0
子孫は慶大ラグビー部員
山縣氏について悪い面が大分出てるけど、良い面だとどんなのがあるの?
54 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/02/11(土) 06:16:19 ID:YIlSvqa+0
若い頃に馬関戦争で死にかけて身をもって列強の恐ろしさを知っていたから、 昭和軍人の夜郎自大根性とは対照的に、安全保障に関しては臆病と言って いいぐらい慎重だった。
55 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/02/11(土) 22:00:01 ID:y57WVdf+0
文官任用令改正 試験に受からないと官僚になれなくなった あるいみ平等
56 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/02/11(土) 22:03:48 ID:2UVA0IAt0
大勲位功一級公爵元帥枢密院議長内閣総理大臣陸軍大将 なっげーーー肩書きやな。
58 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/02/11(土) 23:50:36 ID:FnmMhdPH0
山縣は明治期に政党政治家の歳費を大幅に引き上げた張本人。 政府に干渉する政党を懐柔するための政治工作だったらしい。
59 :
名無し@お腹いっぱい。 :2006/02/12(日) 17:19:10 ID:gjGgofHn0
善か悪か?たぶん馬だと思う。
60 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/02/12(日) 18:11:41 ID:8GAK6EALO
山縣の銅像が馬に乗っているのは、どういう皮肉ですか?
61 :
名無し@お腹いっぱい。 :2006/02/12(日) 18:41:23 ID:gjGgofHn0
馬に馬ずらがのる。
62 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/02/12(日) 20:01:41 ID:wRfLhSab0
もともと陸軍はフランス軍を模範にしたかったけど普仏戦争でフランスが負けて結局ドイツを模範にした。もしフランス軍制を採用してたら時代はかわってただろうに。
63 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/02/15(水) 19:36:22 ID:sXEeGViJO
岡義武って先生は嫌いな政治家をなるべく冷静に擁護してみることで 公平は視点を導き出す人だったんだろうか なんとなくそんな感じがした
64 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/02/16(木) 11:11:26 ID:hWdv0npv0
山縣があと5年生きてたら、5.15も2.26も起こらなかったんじゃないかと思う。
国民皆兵への廃藩置県にも関ってるんじゃないの。 もち一番は、木戸西郷大久保でしょうが
66 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/02/16(木) 22:38:43 ID:rfnXJvMf0
ところで、今子供に 「狂介」 って名前付けたら受理されると思う?
まあある種「純情」な人物ではあったかも知れぬ
68 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/02/20(月) 00:58:31 ID:NVkAO1ESO
米内も大戦中現役復帰して海相に就任する。したがって退役軍人でも合意があれば 大臣就任は可能だった。もちろん政党政治家は現役復帰もなにもないわけ だが、たとえ現役武官制がなかったとしても政治家では軍部が抑えられなかった であろうことを考えると、現役武官制はさほど意味があったとは思えない。 ましてや山縣が元凶とは短絡にすぎる。原敬は山縣が健在であるうちは英米と事を 構えることはないと見ていた。
69 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/02/20(月) 01:01:52 ID:gFnU33460
>>62 フランス軍式って幕府が採用してたよね。
どう変わってたというの?
現役武官制が出来る前でも、現役しか大臣になってないんだったっけ? 山縣が悪かったのは、自分の没後の事を考えてなかった辺りかな。 まあ失意で死んだみたいな感じだし、まだまだ生きてるつもりだったのかも知れないけど。 生きてる間の成果は、言われてる程酷いわけじゃないよ。
71 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/02/21(火) 05:08:28 ID:c7xzrNX20
徳富蘇峰の山縣有朋観って、どんな感じ?
72 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/02/24(金) 01:46:05 ID:pEgHwvfp0
政治に関心を持つ全ての人々が山県有朋とその仕事について詳しく知るべきだと思う。 山県がいなかったら、日本の政治システムは、明治時代の知識人の多くが思い描いていた純然たる立憲君主制に進化できていたことだろう。東大は今のように日本のエリートに正当性を与える役割を担うようになってはいなかっただろう。 山県は政党政治家を忌み嫌い、持てる権力の全てを使って政党政治の発展を阻止しようとした。 実際、官僚が絶大な権力を持ち、政治家にはどうすることもできない日本の統治システムは「山県の遺産」と呼ぶこともできる。
民主化を遅らせた罪は重い
山県、最悪の政治家だな!武士の風上にも置けん
〜が居なかったら、〜だっただろう、ね。 楽な論立てだ。
76 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/02/25(土) 18:42:49 ID:8m49194BO
山縣は良子皇后の結婚に反対するため陰謀を働いた…
77 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/02/25(土) 22:29:16 ID:hdgO+s1s0
>>70 予備役の軍部大臣は事実上、予備役陸軍中将で海軍大臣の西郷従道しかいない。
大山も陸相就任と共に現役復帰、高島鞆之助も陸相就任後2,3ヶ月で現役復帰。
その傍証として
清浦もジーメンス事件後の最初の大命降下の際に、加藤友三郎の入閣拒否によって大命拝辞。
(当時は軍部大臣現役武官制ではなかったが、予備役の海相は考えられなかった)
また、清浦は本当の組閣の際に、陸軍に対して「予備役から陸相を指名するということもある」
とブラフを使っている
78 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/02/26(日) 18:21:40 ID:Mhvn/JGO0
原敬が暗殺されたとき、あれほどの人物をとんでもないと ひどく落胆したらしい、実際原と山縣はけっこう関係が深かった そして山縣もすぐにあとを追う
79 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/02/26(日) 18:32:33 ID:GE+9QYMN0
80 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/02/26(日) 18:52:13 ID:Mhvn/JGO0
西郷にあてた手紙は名文といわれているけれど 個人てきには漫画とかにあるような 稀代の大悪党というよりも朴訥で頑固な人間のようなきがするなあ なにしろ棒切れだから
長岡藩との戦争で山縣の下で戦った時山直八が戦死したことを 後々まで品川弥次郎に「直八は惜しかった。あいつが死んだのはお前のせいじゃ」 と責められて「そうじゃない」とか何とか言って怒る山縣有朋はけっこういい感じだ
82 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/02/26(日) 21:00:11 ID:uQ1D4M0u0
敵守る砦のかがり影ふけて 夏も身にしむ越の山風、だね、 いい感じだね
83 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/02/27(月) 03:48:46 ID:+8GRd7Ke0
司馬遼太郎の脚色じゃないの?
84 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/02/27(月) 20:34:14 ID:xe4c0doE0
>>103 戦前の日本の神秘主義者、例えば大本系とか天行居の友清勧真といった人達は
それ読んで霊的国防ということを意識したわけだけど、はっきり言って情報不足という他ない。古いよ
『シオンの議定書』が当時の帝政ロシアの秘密警察にいたセルゲイ・ニールスの手によるものだった
という事実は誰でも知ってると思うが、『シオンの議定書』が偽書としてもダメなのは
メイスン=ユダヤの組織という物語を語っている点であり、今だにそのエピゴーネンを生み続けている事だ
メイスンはユダヤの組織では無いし、あきらかに事実に反している
例えば戦前のヨーロッパのオカルティズムの文脈では、エジプトの系統を継ぐと自負する
メンフィス・ミスライム系の影響が強かったし、メンフィス系のメイスンだったR・シュタイナーは
アーリア・ゲルマンを至上の民族と考えてたわけで、ユダヤ色なんて全く無いね
また両親共にメイスンの家系に生まれたブラバツキーにしても、ロシア系ユダヤ人を賤民呼ばわりしていたし
ナチスとはある意味、紙一重の反ユダヤの位置にいたわけだ
そもそもキリスト教社会におけるユダヤ差別問題とか、その脅威がもたらす共同幻想は
メイスンとは別問題なんだけど、なぜか悪魔的な存在として一緒にされてる
悪魔というのが、あくまでカトリックから見ての悪魔に過ぎないという点に気が付いてない
110 :名無しさんの主張 :2006/02/27(月) 00:17:31
109は誤爆だ。ここはオカ板じゃねーなw
111 :名無しさんの主張 :2006/02/27(月) 03:36:54
そうだよな、カトリックからの視点で見てる著者達がフリーメイソンは
世界政府を作ろうとしてるんだ、気をつけろ。みたいなこといってるだけなんだね。
日本でいうと、森ビル近くに集会場があるし、おまけにホームページまで公開されてるもんな。
カトリックは信者たちにメイソンに入るなと禁令出してた時期があったのは事実。
だがあくまでカトリック寄りの視点、陰謀論を振り散らかす方々はさ。
85 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/02/28(火) 10:54:16 ID:Kib/iJMC0
最近発売のある漫画で山縣が表紙だが、 あんなにサルのようにかかんでも、高杉挙兵の際の 際は軍事的観点からみるとむちゃだったのだから 慎重になるのはあたりまえだとおもうのだが きのどくな山縣、ふぐ嫌いのことからもたぶん 死ぬのがいやだったんだろうね、威勢はよくないけれど 人間くさくてなんだかなあ、本当に戦争いく人間は漫画みたいには いかないよ
86 :
♪ :2006/03/03(金) 11:53:32 ID:cXvXL3rz0
善悪はともかく,勤勉でマメな奴といふ印象があるな.
結局、何が得意だったんだろう・・? 軍事でないのは分かるけど
88 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/03/04(土) 21:53:48 ID:ujLWSr010
派閥作り せっせと山縣閥をこさえた(笑)
89 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/03/05(日) 03:16:56 ID:HpNDG+F50
やらんでいい日清戦争を推し進め日本の進路を誤らせた大悪漢。 こいつと陸奥宗光が日本近代史最大の汚点。
90 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/03/05(日) 15:31:10 ID:In7d7jTe0
人脈形成だけは格が違うな。
91 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/03/05(日) 16:40:30 ID:3TkV+mn70
日清戦争なんかほんと必要なかったな。 朝鮮半島は清か露西亜に任せとけば良かったんだよ。 一定の近代化を成し遂げた日本に対しては 清も露もそれ以上手を出さなかっただろう。 占領しても資源の大してない列島、無駄な血を流すような事はしない。 日清、日露は日本の過剰防衛戦争。
92 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/03/05(日) 19:00:52 ID:In7d7jTe0
日清日露ともぎりぎり辛勝。
植民地持っても売るものがなかった・・そもそも産業がなかったら、 現地から収奪する手段がないよな。 過剰反応だったと思うよ、結果的にね。
>>87 軍事は別に下手じゃないぞ。
俗論派を駆逐したのは、高杉ではなく、山縣の手腕だし。
戊辰戦争でも、短期間に長岡城を落としたのも山縣の指揮のもと。
その後奪われたのは、沼地からの奇襲と、まもっていた、諸藩の兵がすぐに離散したため。
即座に形成を建て直し、翌日には反撃して、また城を落としているから、
戦術レベルでもその指揮能力には問題はないな。
日清戦争でも、命令違反はしているが、彼の部隊のみ圧勝していたから、
突出しただけで、これは能力の低さにはならない、
そして山縣が呼び戻されるやいなや、その部隊が窮地に陥っているから、
山縣の指揮能力が非凡ではないことを証明している。
>>91 朝鮮戦争がなんでおきたか考えてみろよ。
半島全土が敵の手に落ちると、日本の安全保障上許容できない自体に陥る。
いらないのなら、韓国なんて放置して、日本の防衛を固めているだろ。
島国ってのは島だけじゃだめなんだよ。対岸も必要なの。
なんで強力な海軍をもっていた英国が、大陸の動向、とくに対岸の動向に気をつかったのかわかれ。
ましてや日本にそんな強力な艦隊はない。
日清戦争当時は清以下だし、日露戦争のときも、艦隊が送られてくるまえに、
各個撃破しただけ、当時はロシアの建艦計画が推進していたから、あと五年も放置していたら、
日本じゃ手も足もでないよ。
>>72 政党というものに過剰な期待をしていないか。
少なくとも、内政、外交の手腕と見識は、伊藤をはじめとする元勲はおろか、
山縣の足元にも及ばん。
だから山縣は政党政治家を嫌った。
今でも日本の政治家は国民のうけがよくないのをみればわかるだろう。
当時は今以上だった、選挙に金がかかるのはかわらないから、
財閥や地主とつるんで、その利益の代弁をしていたんだな。
初期は納税の縛りもあり、金持ちだけしか選挙権がなかったのも影響しているがな。
(その後もその後で、過激な世論に押されて、山縣以上のタカ派だったりするし)
そして政党というものを、嫌っているが、見るべき政治家は個人的に評価している。
原なんかその代表だな。嫌っているが、能力を認めてもいるというところか。
いやむしろ山縣の体制がそのまま続けば、政党政治が生まれるよりはよかったかもしれん。
だが、政党の発言力が増し、山縣の作り上げた体制が崩れてきてから、
日本の迷走が始まっているのをみると、どっちが失敗したのか、ということになる。
少なくとも、満州事変のころまで生きて、実権を握っていれば、
暴走した軍を説得するか、鎮圧するかしていたし、
そもそも欧米はもとより、中国とも対立はさけただろう。
彼の方針は、日中提携論なわけだから。
21箇条の要求を突きつけた、政党政治と、
それに反対して日中提携論をぶっちゃけた、軍閥の長山縣。
なかなか皮肉な対比だとはおもわんか?
96 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/03/06(月) 14:05:14 ID:6+N5X+5N0
>山縣の指揮能力が非凡ではないことを証明している。 非凡ではない、なら異論はないよ
軍人としては普通に有能なんじゃないの 一応、幕末、戊辰、西南戦争と指揮官として勝ち抜いたんだし ただまあ、同時代にもっと戦上手な人は大勢いただろうけど
庭造り
>>94 >半島全土が敵の手に落ちると、日本の安全保障上許容できない自体に陥る。
その考えがそもそもの間違い。いずれどこかで国境は接することになるんだから。
どうせ国境を接するなら、海で隔たれた日本列島のみで防衛する方が遥かに楽。
たとえ百万のロシア軍が上陸しても、全軍で迎え撃てば占領はまず無理。
欧米が支持するとも思えんし。逆に日本は支援を受けられたはず。
実際アメリカから戦争資金を集められたお陰で日露戦争も続行できたし。
半島に出れば半島を守る為満州が必要になるし、
満州を得れば満州を守る為中国が必要になるしと歯止めが利かなくなる。
破綻するまで止まらない暴走装置のスイッチが、日清戦争で入っちゃったと見るべき。
事実自衛の名のもと、そうやって日清日露日中の戦争を戦って結局敗北し、
現代に残る禍根を残す事になったわけだから。
日本が悪だったというつもりはない。戦争に善も悪もない。
向こうが仕掛けてくる事だってあるんだから。
だが負ける事は許されない。攻められて負けたらその国は終わりなんだから。
そうして清も帝政ロシアも終わった。大日本帝国も。
どう見ても愚かな選択をしたって事だけは認識する必要があると思う。
命を落とした将兵の名誉と忠義は肯定できるが、山縣の選択はやはり肯定できない。
日本は融通が効かな過ぎた。
やはり国家戦略として、こちらからは絶対に手を出しちゃいけなかった。
軍は報復以外では海外に行かすべきじゃない。
出た後も必ずヒットアンドアウェイで引き上げるのが賢い。領土を得る必要はない。
日本を侵略したら報復として相手国の沿岸を艦隊で焼き払う。それで十分。
航空機時代が到来したら、もっとそれが容易になって国家防衛が楽だったろうに。
>>半島全土が敵の手に落ちると、日本の安全保障上許容できない自体に陥る。 >その考えがそもそもの間違い。 とレスするのは素人>99の浅知恵。 ま、妄想を拡げるのは個人の勝手だが、素人が専門教育を受けた軍人の見解を否定するのは痛杉。 他人に納得してもらいたいのならアナポリスとかを優秀な成績で卒業して実戦で能力を示した後 将軍にでもなってからにしてくれ。 無駄な長文ごくろうさまw
↑敗北宣言キタコレ
そういえば山縣って政治家としては外交よりは内政の人という感じだね 軍人としても軍備を整えるのはそれなりに上手くても国家戦略とか実際の戦争運営にはさほど能はなさそうだ
103 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/03/07(火) 07:39:47 ID:clYBDrcd0
104 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/03/07(火) 08:36:44 ID:VKWhK3Qr0
山縣や黒田が大隈らを信用しなかったのは大隈が 外債への警戒感が薄かったということと 大隈の財政政策が失敗してインフレを生んだから ではないかな、山縣は桂陸相の意向をうけいれて 自由党と提携をしようとしているから けっこう柔軟だったんではないの?
>>100 山縣は軍人の正規教育を受けていない訳だが?
>>100 一方的な勝利宣言ワロス
>>99 だな、清国を温存しながら、賠償金を絞れる程度に叩いて引き揚げる戦争が、一番有益だったと思う。
ただ20年もしないうちに国家総力戦が来ちゃうんだけど。
やっぱ日本の帝国主義は50年くらい遅かったよなぁ・・
>105 ん?漏れが念頭においたのはマッカーサーだが・・・ 脳内幸せ回路が標準装備されている某が北朝鮮によって海に追い落とされそうな時期に 「九州で独立政府をつくるから九州をよこすニダ」ともちかけたら、 マッカーサーから「我我は日本防衛のために戦っているのであって某のためではない」と拒否された逸話ね。 実戦で実績を残した軍人が皆半島は日本の防衛線だと主張しているのだから妄想厨の戯言なんかほっとけw 特に、海軍が金食い虫だという基本的な事実すら知らず、策源地と前線の距離を認識できず、 総合力ではなくカタログスペックで軍事を騙るイタイ香具師が脳内幸せ回路全開でこのスレを楽しんでいる 時期には、少しはスレの正常化のために努力した方がよいのではないだろうか? まぁ>105も妄想厨のレスなのかもしれんが一番マトモなレスだったので、こうしてレスしているわけではあるが スレ汚しスマソ
>>99 山縣は満州全土を防衛する思想などもっていないぞ。
あくまで満州南部の遼東半島くらいのもの。
むしろ満州の属領化を図った、児玉を叱り飛ばしている。
日本の限界はちゃんとわかっている。
その満州にしても、欧米と衝突しない形でだ。
際限なく広がるというのは、山縣の当時の考えをよくわかってないといわざるをえない。
また日本本土を戦場にするつもりなのか?
追い出せたとしても、戦場となった沿岸部の都市は大打撃を被る。
そして海戦でまけてしまえば、その場合、日本は滅ぶぞ。
輸送が途絶してしまうからな。
40万部のベストセラー『嫌韓流』の第2弾 『嫌韓流2』発売中 意外とおもしれーぞ
110 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/03/16(木) 10:43:16 ID:KccYY6ry0
山縣公について書かれた本でなにかおすすめの本は ありますか? いろいろ探してはいるのですが
111 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/03/16(木) 16:45:18 ID:AOoTZig8O
山縣の創立した軍が昭和に入り暴発し滅んだ
112 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/03/16(木) 17:42:33 ID:tK6xVoqQ0
それは滅ぼした東北の人間が悪い。
113 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/03/16(木) 18:33:54 ID:AOoTZig8O
山縣以外の人間が軍を創立したら違ってたかも?
>>108 日本本土を戦場にしない為に海外には出ちゃいけないんだよ。
それがわからないバカが軍の実権にぎってたから国家滅亡の淵まで追い込まれた。
遼東半島を得た時点で戦争が領土獲得目的と取られて警戒されるのは当たり前だろに。
事実結局は太平洋戦争で日本本土は火の海になったじゃねえか。
115 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/03/17(金) 08:37:48 ID:MR33CM8D0
太平洋戦争末期の事を持ち出されてもなあ・・・ 長距離戦略爆撃機の出現を予想しろなんていくらなんでも無理だろ。山縣には。 当時の常識で考えろよ。総力戦ではなくて限定戦争が主流だったこと。 情報伝達技術の水準。どの国も比較的容易に外交問題の解決を戦争に頼っていたこと。
117 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/03/17(金) 13:31:35 ID:PbNdK1lY0
118 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/03/17(金) 23:41:42 ID:2a13lDxxO
山縣は悪 良子皇后の結婚に反対し陰謀を働いた!
マッカーサーも日本を防衛するためには朝鮮で戦わざるを得なかった 日本に心情的、政治的支持基盤の無いマッカーサーも結局満州に侵攻し 中国大陸を封鎖しようとした。
120 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/03/18(土) 15:13:16 ID:Udg+UWrk0
228 名前:天武天皇 投稿日:02/07/27 16:36 半島は千数百年支那の属国でしたがそれで日本の安全が脅かされたことは ありません。兄は「半島に唐の勢力が及ぶと日本の危機だ」と早とちりして 出兵して散々な目にあいましたが、別にその後日本は唐に侵略されません でした。 229 名前:北条時宗 投稿日:02/07/27 16:37 高麗の反モンゴル勢力から援軍を求める手紙が来たことがありましたが わたしは無視しました。 もしあの時に高麗の反元勢力を支援して半島に出兵していたら 「モンゴルを追い払ってくれてありがとう」ではなくて「北条はウリナラ を侵略したニダ。謝罪と賠償を・・・」と言われたことでしょうね。 半島に出兵せずに博多湾に石垣を築いて蒙古を撃退した私の 知恵に皆さんも学んでください。 230 名前:吉田茂 投稿日:02/07/27 16:37 保守反動の権化のわしがなんで護憲派になって再軍備を拒否したか 諸君もようやくわかっただろう。あの反日竹島侵略野郎の李承晩を助け るために日本軍を半島に出兵させられるくらいなら社会党と組んで ダレス君に抵抗した方がましだったからじゃよ。 ダレス君は「このままでは共産軍が南朝鮮を完全制圧する。日本も早く 再軍備しないと大変なことになる。」とか煽っていたが、北朝鮮はもとより 中共にもソ連にもあのとき上陸作戦をやるための海軍力など皆無だった のじゃ。 今は中共も少しは海軍力があるようじゃが日本もわしの頃とは比べもの にならないくらい自衛力が整備されたから条件は同じじゃ。 日本の安全のために朝鮮半島を日本がおさえる必要があるなどという のは愚かな幻想にすぎない。 日本が朝鮮半島にかかわるとろくなことがない。 わしは人を食って頭がクリアだったから2ch諸君よりも50年早く 「例の法則」を発見したんじゃ。わははははは。 だから韓国を見捨ててもかまんぞ。半島は長い東洋の歴史の知恵に 従って支那の属国になればいいのじゃ。それで万事丸く収まる。 日本は日本列島を防衛するだけの自衛力と日米同盟があれば十分じゃ。 韓国は必要ない。
天武天皇
朝鮮半島を統一した新羅と国交を結んで唐とは断絶
北条時宗
博多湾に防塁建設
過労がたたって34歳で病死
元寇の恩賞で御家人の不満増大
鎌倉幕府崩壊の一因に。
吉田茂
米国が韓国を必死に支援(本当は米軍が主力なんだがw)
朝鮮半島がアカに制圧されずに済んだんだが。
ところで韓国が無くなれば、在韓米軍が日本に引っ越してくるぞ
どこが受け入れるんだ?
>>120 の町で喜んで引き受けてくれるよなwww
122 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/03/18(土) 19:42:12 ID:WkQkd3KA0
山県と原の死ぬ順序が違ってたらよかったんだよ。元老西園寺と首相原の コンビで議院内閣制へ進んでほしかった。
123 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/03/18(土) 21:00:28 ID:0w4jKye40
>>118 良子皇后って、
あの美智子様を苛め抜いた?
124 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/03/18(土) 23:46:04 ID:Df3DxGrBO
良子皇后は昭和の皇后 香淳皇后 美智子さまをいじめたと伝えられてます…
125 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/03/19(日) 00:59:24 ID:32e9XzRd0
むしろ西園寺が死んで原と山縣が生き残ったほうが・・・
126 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/03/19(日) 10:22:02 ID:8iCuBRLu0
>>125 山県は寿命的に充分だ。原はもっと生きられた。山県の後の世代のリーダーで
原に勝る者はいなかった。
127 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/03/19(日) 10:42:56 ID:DYkBSNhB0
役に立たない公家の爺さん一人生き残ったのも日本にとって皮肉だ。
128 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/03/19(日) 12:15:32 ID:gVuW5UF70
これ、素朴な疑問で書くだけなんですが 狂介って名前は当時の感覚として普通なの? それともやっぱ変な名前なのかね? 日本史(人物史)とはちとズレルが知ってる人いたら知りたい。
129 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/03/19(日) 13:13:25 ID:Cqbj6hdx0
レス上がったため消えてますが ご親切に山縣の本教えてくださった方 ありがとうございます 読みたかったので参考にしますです
130 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/03/19(日) 14:07:50 ID:kMJAXN0s0
131 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/03/19(日) 14:40:05 ID:N716MXn20
132 :
無色庵 :2006/03/19(日) 19:53:03 ID:nY3SNQ5g0
政治家は善悪両面が必要。山縣は自分では天皇の忠臣と思いこんでいた。 東條英機もそうだったんでしょう、きっと。 なお、軍部大臣現役武官制は、山縣存命中の第一次山本内閣で木越陸相が職を賭して 廃止しております。復活させたのは「落日燃ゆ」の主人公 広田弘毅が寺内寿一陸相 に騙された結果。 山縣は、後継者を作らなかったというか、自分の地位に近づいてくる(自分の考えで 行動するようになる)と政敵と考えるようになったのでは。 直系の桂太郎、寺内正毅とも最後は袂を分かっていたし。ただ面倒見はよかったようで、 寺内が死んだ時、大勲位に叙せられたのも山縣の横車あってのことらしい。 派閥づくりというのも、面倒見が良かったからで、その点は田中角栄と似ている。 (田中角栄は、死後けっこう再評価されている。) 本人のいうとおり「一介の武辺」ではあった。ただの善人では、政権は担当できないけど、 悪いところを巧みにオブラートで包むのが政治家。その部分が少し欠けていたのかな、とは 思います。
133 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/03/19(日) 21:14:55 ID:32e9XzRd0
>>128 詳しくは知らんが江戸時代は奇人変人を珍重する文化みたいなのがあるので、
自分で変な名前を名乗る人がけっこういるというのもあるし、
儒教で「狂」とは純粋、ピュアみたいな意味づけがされているのでそんなに悪い言葉でもない。
>>114 だ・か・ら、それを避けるために、欧米や中国との衝突を極力さけていたのが、
山縣なんだろうが。
海外にでることと、そこで戦争することは全くの別物ということをわかれ。
そして海外の領土があったから、本土決戦をさけられたんだよ。
>>115 せめて最初は岡氏からだろ。
135 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/03/20(月) 01:37:15 ID:oibs43n90
>>132 角栄よりもむしろ竹下にキャラがかぶると思う。
基本的に自分の意見を強引に通す人ではなく、落としどころを見つけて
そっちに誘導する役割だった。
山県は陰険とかネクラというイメージはあっても独裁とか強権という幹事はしない。
136 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/03/20(月) 01:47:13 ID:oibs43n90
だから「山県が昭和初期まで生きていれば軍部の暴走もなかった」という説は 成り立たないんじゃないかと思っている。 アモイ事件のときも満蒙独立工作のときも山県は部下の暴走を大目にみていて 失敗がはっきりしてから「反対だった」という顔をしている。 典型的な日本のリーダーだから、石原莞爾が満州事変を電光石火の早業で成功させて しまったら徳富蘇峰とかに「含雪公も今次事変には大賛成で・・・」とか書かせそうな気がする。
西園寺が出来ないことをなぜ山県ごときに出来る
>>137 公望って陸軍に影響力あったんか?
まぁ、元々昭和初期の参謀本部は新陳代謝も進んで、長閥アレルギーも
あったろうし、部隊レベルでの影響力を山県が持てたかどうかは疑問だな。
下手したら、天誅候補だし。
>>136 そうかあ?
三国干渉の時など、渋る駐留軍に自分自ら説得に言っているし、
児玉が、属領化進めたときも、叱り飛ばしているし、
結構最初から説得に当たっていると思うんだが。
満州事変も勝手に動いた奴らだけは処罰すると思う。
列強の動向には極力注意していたし、対外的にはチキンだったから、
あの状況を容認するとは考えにくい。
俺のイメージとしては、部下の仕事にいちいち口出したり、
部下に仕事を任せず、すべて自分でやりたがる上司かな。
そして最近の若者はなっとらんとぼやくタイプね。
けどこういうタイプはそれはそれで部下を可愛がるから(部下には勘弁してくれと思われるw)
他所から叩かれたら、部下を守ろうとはするかと思われ。
>>138 つーか宮中のときで、すでにブラックリストに入っているんじゃない?
右翼団体からは何度も、脅迫されたらしいし。
140 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/03/22(水) 20:45:37 ID:AK2D3qe60
>>138 山縣が死んで田中が現役を退いたからそうなったんだよ。
伊藤がもうちょっと長生きしてくれてたら良かったのにな。
142 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/03/23(木) 09:17:54 ID:PE8Ooa2i0
山縣と伊藤ってライバルだったんだよね でも肝心なとこでは協力している 腐れ縁なのかな
妥協できる共通の利益があったってことだろ?
松下村塾時代からの腐れ縁w
145 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/03/24(金) 01:37:30 ID:nmY7oPC30
>>143 >妥協できる共通の利益があったってことだろ?
長州閥が結託するのは金がらみ
金に汚い長州閥の一層をはかった江藤新平は、逆に薩長タッグに追い込まれて
殺された
146 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/03/24(金) 08:59:48 ID:BPw9mH8v0
山縣は金に執着する方だったが、 伊藤の方はそれほどではなかったのでは?むしろ無頓着な方だろう 江藤は汚職の追及をしたために追い込まれたというよりも 彼は征韓論派だったために下野させられたというほうが 正しいのではなかろうか、当時の明治政府は財政が極めて苦しく 江藤のような対外事変に目を向けさせるのは危険な選択だった 相馬藩に残されその後明治政府の富国強兵の基本方針となる 興国安民法とは相対していたのでは 薩長は大隈や土佐の者達をとりこもうと妥協もしている もちろん江戸時代とは違う議会のもとで 江藤は武力蜂起という言論での解決をめざす 明治という新時代とは逆行する解決方法を選んでしまった そこに司法卿という立場に登りつめ司法の父となりながらも 自ら作った司法に裁かれることとなった江藤の悲劇がある 長州の井上馨のように財政資金の出入りの明確化と財政均衡の重視 をかかげていた時代ではなかったら 江藤の処遇も変わっていたとおもう
147 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/03/24(金) 10:23:32 ID:nmY7oPC30
>>146 勉強不足の人間が滔々とご高説をたれるのをみるのって、微笑ましいものですな
148 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/03/24(金) 10:52:56 ID:yJHmrNpS0
>>147 まあ、井上は他人の土地に立て札たてたりしちゃってるから 長州が金に汚かったのは事実だし たしかに勉強不足かな 江藤好きなのかなこの人 気を悪くさせたらごめんよ
>>145 伊藤が金に汚かったとは初耳だな。
>>148 そりゃ当時流れていたただの噂。
んで江藤が放逐されたのは、薩長閥を潰そうとしていたことと、
大蔵省が事実上握っていた財源と地方統治機関を、
司法省の管轄に移そうとしていたから、そしてそれを厳しい財政でやろうとしていたから、
さらに問題が大きくなる、当時の財政で地方にまで司法機関を行き届かせようという理念は立派だが、
現実はそんなに甘くない。
150 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/03/27(月) 09:55:32 ID:UtMCY2qB0
150>> 噂だったのか、サンクス 佐賀は鍋島のとこだから佐賀の乱のときはけっこう 官軍の歩兵隊がやられてるね 山縣は日英同盟第一で 日本の孤立を危惧してたけれど 原は楽観的だった 結局英国にはふられたわけだけれど
151 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/03/27(月) 10:49:30 ID:QCgKD6aZ0
真相は藪の中ってことだろ。 当時まだ司法権は確立していなかった。 ただの噂だと決めつけられない。 尾去沢銅山事件でググればでるよ。
152 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/03/27(月) 11:23:50 ID:1S9TcpmP0
元祖汚職の巨魁。椿山荘の元主。 留守政府で江藤が汚職追及したときに西郷がトドメを刺せば良かった。
153 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/03/27(月) 11:46:28 ID:bPGnR+YN0
山城屋事件だの藤田組贋札事件だの、長州は昔から腐ってるな
てか山県が晩年ぶった過剰防衛論(利益線がどうだとか)って我が国近代史に計り知れない悪影響を与えたと思うんだが シーレーン防衛に心血を注げばいいんだよ!!!11!!1
155 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/03/27(月) 12:15:06 ID:bPGnR+YN0
朝鮮は長州の目と鼻の先だしな 視野狭窄に過ぎなかったてことだろ
156 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/03/27(月) 12:29:04 ID:kHjIjfZiO
154=平成の視点で明治を見下す浅薄な馬鹿。
せめて昭和の視点と(ry
航空防衛って概念がないからな。 兵員輸送は、船、鉄道、足。
極端な話、朝鮮からなら一晩で日本に軍隊送れるし、ロシアに渡すわけにはいかんだろ。
>>150 どっちかというと、日英同盟は日本のほうが延長を拒絶したというべき。
これは対米関係を憂慮して、日英同盟を延長をやめたわけね。
(今でいえば、中国に憂慮して日米安保を廃棄したようなもんかな)
英国は極東の権益の保全のためにも、日本を同盟国にしときたかった。
>>151 常識的に考えてさ、わざわざ看板立てるか?
彼がその気になれば、国有地にしてから払い下げして私物化することもできるし、
その程度国費からちょろまかしたり、財閥を優遇して賄賂を得るくらい軽いこと。
はっきりいってこれは、メールを根拠に送金したっていうくらい信憑性がない。
彼ならいくらでも、複雑で表に出ない手段を手に入れたさ。
>>154 シーレーン防衛って大陸に進出しない場合、
日本とどこの間のシーレーンを防衛するのよw
>どっちかというと、日英同盟は日本のほうが延長を拒絶したというべき。 >これは対米関係を憂慮して、日英同盟を延長をやめたわけね。 >(今でいえば、中国に憂慮して日米安保を廃棄したようなもんかな) >英国は極東の権益の保全のためにも、日本を同盟国にしときたかった。 新説?
163 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/03/30(木) 08:29:53 ID:8/mC/xUc0
英国が中国市場での権益を確保しようとしたこと 第一次世界大戦の終結により世界のパワーバランスが変わったこと 米国が自国の権益のために日英同盟に強く反対したこと 原因はこの三つでは? 山縣は日米接近による日本孤立を恐れていた、 山縣の恐れはある意味正しかったのでは?
164 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/03/30(木) 08:34:17 ID:8/mC/xUc0
入力ミス、英米接近による日本孤立を恐れていた、ね 見た人わらってやってください
165 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/03/30(木) 08:52:40 ID:HHjhczN80
ムフフフ。
166 :
無色庵 :2006/03/30(木) 20:52:25 ID:jf1L9jr60
運のいい人ではあったと思います。 高杉病死、大村事実上暗殺、広沢暗殺、西郷戦死。 上位者が次々といなくなりいつの間にかトップになっていた。 荒川静香みたい。
167 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/03/32(土) 10:11:12 ID:th/6uGxN0
国賊第一号
168 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/04/02(日) 04:02:50 ID:1eAXajTcO
日刊現代の三好徹の連載を見れば、井上の汚さがわかる。 維新前の彼は英傑だが、その後は… 木戸の替わりに病死しとけ。
>>168 維新前もそんな傑出したかんじにみえないなぁ。
松下村塾派と藩侯の顔つなぎ役ってイメージしかない。
長州って先頭行く連中がどんどん矢玉浴びて、倒れていって
最終的に中団から後ろの連中が、気付いたら先頭に立っていたってとこじゃない>木戸以外
170 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/04/02(日) 09:13:45 ID:wwrU2Gu40
てかさ 話しによると 山縣は武田信玄の 山縣まさかげの子孫は本当なわけ?
>>161 資源を海外に頼っているのがかわらない以上、
通商破壊されるとアウトなのよ。日露戦争のときでさえ、
少数のウラジオ艦隊に苦しめられたのに、
すぐ近くのプサンから襲われたら、対処できんぞ。
内地からじゃ遼東半島を即座に封鎖することもできんし。
>>162 通説。
とくにアジアやオセアニアの国々が、安全保障のため、日英同盟の延長をのべ、
英国としては、できれば日英同盟は継続したかった。
>>168 彼は伊藤は好きなんだが、井上山縣の二人はとことん嫌いだからなあ。
賄賂なんて江戸時代の慣習がのこっている当時なら、
普遍的なことなのにね。
大久保や伊藤みたいな人が例外だろうに。
>171 >日露戦争のときでさえ、少数のウラジオ艦隊に苦しめられたのに、すぐ近くのプサンから襲われたら、対処できんぞ。 日露の頃と比較するのは如何なものかと・・・ 何のための偵察衛星とエシュロンなのかと小一時間(ry シーレーンとは(日米航路と)中国・東南アジア〜中東間の航路防衛のことね。字義通りに解釈してよいかと。 >とくにアジアやオセアニアの国々が、安全保障のため、日英同盟の延長をのべ、 >英国としては、できれば日英同盟は継続したかった。 英国側の日英同盟継続派は米に切り崩されたのでは? >(今でいえば、中国に憂慮して日米安保を廃棄したようなもんかな) ↑この喩えは、さっぱり分からない。
>>172 >何のための偵察衛星とエシュロンなのかと小一時間(ry
山縣の没年はいつなんだよ。
>シーレーンとは(日米航路と)中国・東南アジア〜中東間の航路防衛のことね。字義通りに解釈してよいかと。
時代によって字義は当然かわるぞ。
>英国側の日英同盟継続派は米に切り崩されたのでは?
崩されていない、崩されたのはむしろ日本。
英連邦の構成国ではアメリカとのつながりが強い、カナダくらいだし、
英本国でも反米親日のオールドトーリーの影響力が強い時代だったしな。
>↑この喩えは、さっぱり分からない。
ひょっとして馬鹿ですか?
173が馬鹿なのは、よくわかった
175 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/04/11(火) 09:33:22 ID:3AtD05wN0
伊藤や井上、桂や大久保の洋行は有名だが なにげに山縣も洋行してる 世界を見たことで彼の考えは何か変わったのだろうか? 彼の慎重な対外的な対応は四国連合艦隊の下関攻撃などの 悪夢があるからではないのだろうか?
善悪はあえて言わないけど 権力亡者であるのは間違いない それにしてもこの人すごい ・統帥権の独立・・・参謀本部設置初代参謀本部長 ・軍部大臣現役武官制 ・軍人訓戒・軍人勅諭 ・教育勅語 ・文官任用令 更にいえば ・東京招魂社(大村益次郎発案)→改名、内務・陸軍・海軍の管理下に 時の参謀本部長 ・内務省神社局設置時の総理大臣 何かその後に影響することばかり
177 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/04/29(土) 15:10:19 ID:6pS3PA6O0
178 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/04/29(土) 16:33:37 ID:VzMmpEM90
>>160 亀レス、スマソ^^ たまにしか覘かない。 ww
読み間違ってないか? オレ は真相はわからないって言ってるんだよ。
で、オマエ の言う真相って、そのソースは何なんだよ。
証拠が存在しないなら、それはシロと判断するのが妥当かと思われ。
180 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/04/30(日) 13:44:39 ID:3nuJfDEh0
181 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/05/05(金) 09:46:59 ID:7TE95SUZ0
西郷と大久保、伊藤と山県、西園寺と桂そして近衛と東条 戦前の政治家たちだがどんどんレベルが落ちていくな
182 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/05/05(金) 12:38:06 ID:iv+hvp7w0
和助ですが、なにからしゃべりましょうか?
例えば明治維新後の西郷と桂太郎を比べてレベルが落ちたといえるのかどうか。
184 :
高杉 :2006/05/05(金) 21:21:53 ID:Dt3rWyXL0
この百姓があああああああああああああ!!!!!!!!!
185 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/05/05(金) 22:05:41 ID:k9x++QcPO
まず資本主義を育てた井上への批判について 後進国では政商を育て財閥をつくる以外に産業は育たない 現に韓国なんかも日本を真似て財閥を作ってる このやり方は非常に有効で三井を育てた井上への批判は 馬鹿とはいわんが 非常に青臭い 西郷さんなんかは 国家像がなかった為 井上を批判している しかし西郷さんより井上の方が近代国家にとって遥かに重要な役割を果たした 革命家と政治家の違いではあるがね
三井って何か産業生んだの? 売るもの無いから戦前の日本は植民地から搾取しようがなかったんじゃないの?
188 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/05/08(月) 08:09:54 ID:X3xGSG060
山縣なんかも戦争はあまり上手ではなさそうだ それについて山縣が馬鹿にされてる物もよく見かけるけれど 実戦と軍政をくらべるのも酷な気がする やっぱ軍人というより政治家だねこの人
189 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/05/08(月) 08:25:16 ID:CXiU5G3/0
汚職するには軍人と政治家とどっちが有利なのだろう?
190 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/05/08(月) 08:42:49 ID:X3xGSG060
どっちも有利 笑 奇兵隊時代もちゃっかり隊士の給料ピンはねしていた 維新志士たちの金使いがルーズだったせいもあるだろうが
191 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/05/08(月) 11:08:05 ID:i792yUpU0
大正天皇に小言ばかり言って嫌われてたね
192 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/05/08(月) 11:25:08 ID:Jr+MD6JK0
山県は由来彼の系統のものが自主的に動くことを嫌うとともに、自力をもって 功績を挙げることをとかく嫉視した。このことは、ひろく知られていた・・・・・・
193 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/05/08(月) 15:16:43 ID:lhnGMPiG0
山県狂助ってセンスのない名前だよなあ。
194 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/05/08(月) 19:21:46 ID:WIPXbFBm0
辰之助 狂介(狂助) 萩原鹿之助 含雪 山縣は助をつけるのが好きだったのだろうか 助がつくとなんか農民っぽいな、伊藤博文もちなみに利助だね
195 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/05/08(月) 21:37:39 ID:PNNzrdqW0
味噌徳利
日本の小スターリンw
197 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/05/13(土) 11:23:52 ID:xdGzp0ZE0
カネに汚くなければ評価するなんだけどな、大久保や西郷を見習え。
198 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/05/15(月) 09:08:28 ID:91evUsq+0
汚職を西郷に不問にしてもらった 面倒見の良すぎる西郷 でも西南戦争では敵同士にそのときの手紙は名文 牛乳大好き大久保死んだあとは実は借金まであった
199 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/05/15(月) 09:45:09 ID:afRxtle60
>>198 汚職しようと思えばいくらでも出来る立場にいた人がねぇ
当時の標準からすれば例外もいいところだろうな
しかし伊藤ってそこまで清廉だったっけ?
もちろん山縣ほど派手にやってるとは思わないけど
200 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/05/15(月) 10:02:03 ID:N0ECk8gM0
伊藤の話なんかしてないけど。
201 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/05/15(月) 12:15:47 ID:VahG/FZF0
汚職のことなら井上先生に適うもんか
202 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/05/18(木) 13:57:47 ID:npxRnhhp0
みんな長州だねw
203 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/05/18(木) 14:30:08 ID:TGstjy4vO
山縣有朋 のご親族直系の方々は 現在 華族制度廃止 後 全ての財産を奪われ貧困に陥りかけたが、広大な 土地と山を生かし高度成長期時に木材の需要が増え、 現在も林業をし莫大な財産を得ている。 山縣のご親族の娘さんが土地を現在も生かし、また金持ちになってます。 番組バリハリバリューにも出ていました。
山縣有朋、死に臨んで 「いろいろお世話になりました」
205 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/05/18(木) 15:03:09 ID:TGstjy4vO
直系の御親族も金持ちで裕福な暮らししています。
206 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/05/19(金) 08:39:35 ID:MZonGDZy0
「一介の武人」と称していたけど、軍人としての功績って何かあるの?
独軍の研究を部下にさせて、軍制改革をさせた軍政家
同時に利権にまみれて私腹を肥やしました。
露戦で見当外れの指揮して呼び戻されたんだっけ
210 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/05/21(日) 09:21:04 ID:GNBWf+9e0
最大いくつの別荘を持っていたの?
211 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/05/21(日) 15:03:09 ID:OLc0WbT10 BE:260969459-
人斬り水呑
212 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/05/21(日) 18:30:42 ID:0YswmDeN0
>>209 日清戦だと思います。日露戦では留守参謀総長でしたから。
だいたい汚職は度をすぎなければ許容されるべき。
日本がアメリカと戦うはめになったのは小村寿太郎の責任のほうが大きいとおもうんだが
215 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/05/22(月) 08:02:20 ID:odqqgtUUO
栃木の那須に別荘だった山縣有朋記念館があります。 洋館の別荘には陰謀で手に入れた勲章等が展示されています。
簡単に善悪決められたら苦労しない。
218 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/05/22(月) 20:10:44 ID:IDgmorLx0
トータルでいうとプラスだとは思うが、幕末以来大正までという時代、活動期間の長さから、 やった仕事が山ほどあるので、当然マイナス面もかなりでかい。 しかし大衆受けを狙うような人気取りをしなかったのはむしろ好感持てる。 ただ、それもまた大正の大衆化社会には適応できなかった、 政治家としての彼の限界かもしれんが。
219 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/05/22(月) 21:33:45 ID:8I9/tY/bO
山県って松陰に評価されてたの?
220 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/05/23(火) 10:42:20 ID:JnqbqqgM0
棒切れということをあちこちに吹聴してるのをみると本人 うれしかったのかも、一応謙遜してるのだろうか? 伊藤をどんくさいと言ったり山縣を棒切れといったり 松陰先生けっこうきついね (笑) 松蔭のあばたずらを平らにしたエピソードなんかからも 松下村塾はわきあいあいとしていた様子がうかがえるね
221 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/05/23(火) 13:19:07 ID:zNcA3dLSO
通説的な東北史観によれば、 警視庁抜刀隊は会津藩士族の薩摩に対する恨みを利用して 山縣が動員したということになっている。 東北人がこのようなデマをでっちあげて 意地でも悪者に追い込もうとしている山縣は、 きっと素晴らしい人物であったに違いない。
自分の懐にばかりやさしく、地元へ利益誘導しなかったから、現在の 萩はあそこまで寂れているのだろう。鳥取よりひどいな。 ある意味清廉潔白、ある意味恩知らず。
224 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/05/23(火) 14:45:12 ID:2bomdH5/0
故郷に錦を飾るより、貧苦の時代の恨みが勝ったんだろう
225 :
貧すれどドンせず :2006/05/23(火) 19:05:41 ID:TSgkRE5D0
>213 おい!こら!こっちは一日500円,600円の小遣いで ひいひい言うとる貧乏人や、おちょくっとんのか?ああああ だから役人はいらんねん!おのれらの大将らが以前のイラク人質問題 のときに自己責任とかなんとかほざいとったやろ?とっくにこっちは 自己責任でおまえらの世話なんかにゃなってへんねん 汚職公務員ちゃんよ
226 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/05/23(火) 22:25:17 ID:klGoNtgJ0
リベートは社会の潤滑油でしょ
227 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/05/23(火) 23:12:16 ID:1q+nPa9N0
山縣は良いことも悪いこともやった。 軍の組織作りの点は、それが後に軍閥に繋がったとしても、 当時はそれが人々の一番納得の行く良策だったに違いない。 軍閥が悪いのは、悪弊が生じた時点での指導者が 改善できなかった無能さにあり、山縣の責任では無い。 悪い点は、金に汚い。陰湿。出生コンプレックスがあるっぽい。 正直なところ、江藤に息の根を止められれば良かったのにと思う。 だが、西郷の、軍政には山縣が必要不可欠という言葉で窮地を救われた。 西郷さん、アンタ維新後に推挙した人材って役立たずの小物ばかりじゃなかったけ? と、言ってやりたいところだが、山縣は役に立ったと思う。
>>230 西郷さんは人にも自分にも甘いから、人物評価は当てにならないな
232 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/05/26(金) 08:34:29 ID:XtcnZ/rj0
山県っていてもいなくてもいいひとだよな 山県がいなくても山県がしたことは他のひとがやってたとおもう
233 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/05/30(火) 00:25:40 ID:Iioz/fQx0
北越戦争のときに岩村高俊が河合継之助の恭順を受け入れず 村娘に給仕させてのうのうと飯を食っていたのを怒ってちゃぶ台蹴り飛ばしたり けっこう若いころはかっこいいよ
234 :
日本列島外@名無史さん :2006/05/30(火) 06:38:31 ID:GyX2LeyU0
235 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/06/03(土) 04:33:55 ID:ahOY0B7C0
現在、東京中心部の道路は狭いといわれているが、明治期の基準ではむしろ異常なほど広い道路だった。将来の発展を考え、周辺の反対を押し切って広い道路を作ったのは山県である 山県凄いじゃん
236 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/06/03(土) 06:40:34 ID:FGY/YFk20
将来の発展を考えて、じゃなくて、陸軍の輜重輸送の都合から
237 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/06/03(土) 13:45:47 ID:py+TxZep0
山縣は兵站の重要性がわかってたってわけか。その後の昭和軍人ときたら・・・
238 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/06/03(土) 19:06:57 ID:I8/Rswu+O
道路の拡張なんて別に山縣だけの着想ではないんだが。
239 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/06/03(土) 22:02:02 ID:zXIOTKBf0
後藤新平の方がスケールがデカいじゃんか。
>>239 大連港を当時としては考えられない広さで造り、
内地では鉄道の広軌化を推進したしな。
震災後の都市計画も画期的だった。これは予算の面で妥協を余儀なくされたが。
>>237 日露戦争でも後方支援を一手に引き受けていたからな。
ああいう人材が後世にいなかったのが悔やまれるところ。
後藤新平も山県系官僚といっていいんじゃね? 都市計画に関しては陸軍の功績は大きいと思う。 民主主義では思い切ったことが出来ないから。 後藤新平の震災復興計画も議会に邪魔されてスケールダウンを余儀なくされたし。
>>242 震災前の計画は伊東巳代治の強硬な反対にあったそうだ。
伊東は銀座(多分)の大地主だった為、土地を
安く買い叩かれると誤解していたらしい。
スレ違いスマソ
244 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/06/04(日) 01:28:59 ID:GHB5QGFI0
奇兵隊のトップをやるって今で言えば暴走族とかそれ以上の恐ろしい奴らの頭をやるから 相当な男じゃない出来ないだろ そのわりに慎重な性格は「あれ?」と思うが 軍政家としてはやはり優れてるのは間違いない
>>240 =243
足掛け2日でも同じIDなんだね。
どうでもいいや。
246 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/06/04(日) 13:04:56 ID:ETnPqNdu0
山県は造園の才能があったようだから、工兵は適職だったのでは
247 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/06/04(日) 14:32:37 ID:Gt7770aTO
山縣本人、色黒で乗馬好き、鑑定団にて、華族制度廃 止後、貧困に悩みましたが 土地を活かし、ご子孫が林業で成功した。 逆転し山縣のご子孫は裕福な家庭です。
248 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/06/05(月) 06:26:27 ID:KSIBSEKK0
まあ山県がいくら優れた都市計画を推し進めていたとしても浄土になっちゃ意味がないな
浄土になったならメデタイな
250 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/06/06(火) 04:23:09 ID:JNSU0IFz0
んじゃ、山県の適職は庭師ってことで
ラストエンペラー溥儀みたいだな
または和歌の宗匠かな
庭師の組合や和歌の団体でも権力握りそうだな
権力というより利権かな。
255 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/06/20(火) 02:37:10 ID:R5hDOUnn0
晒し上げ
たしか大隈が死んだときは国民が葬式場に行列ができたらしいけど山県の場合は式場の近くでお祭りやってたんだって。有名?
>256 軍関係の人しか参列してなかったっていう話なら聞いたことがある。 伊藤の葬儀でも対照的過ぎて山県カワイソス。
258 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/06/20(火) 22:22:23 ID:nI5DrOuxO
山縣 子孫 以前、「〜バリュー」テレビに出てたよ! 個人資産スゲーじゃないか!
子孫ネタを持ち出す阿呆がまたひとり。
天方伯爵
261 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/06/23(金) 21:41:28 ID:raGhYgAY0
絵堂、大田の会戦で結構活躍している
262 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/07/01(土) 07:32:34 ID:A5KezSir0
263 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/07/03(月) 15:53:54 ID:PFy9bAIC0
山県くらいになれば、賄賂取らなくても国から合法的に搾取できんだろうな
愛知のキチガイ脳糞古川は神だと思っている。 半年ほど前の正月休みに両親と愛知のキチガイ脳糞古川の実家(もんじゃ焼き屋)に 食べに行った時の話。 両親と3人で鉄板を囲んで食事をしているといきなり脳糞古川が玄関から入ってきた。 もんじゃ焼き屋に似合わない勝負服ないでたちで。 脳糞古川が「私いつもの〜」と言って二階へ上がろうとすると、 店内にいた高校生集団が「脳糞古川さん!」「脳糞古川さんかわいいー!」などと騒ぎ出し、 脳糞古川が戻ってきてくれて即席サイン会になった。 店内に13、4人ほど居合わせた客全員に店内にあった色紙を使い サインをしてくれた。 高校生達が脳糞古川の母校愛知のキチガイ高校トラウマ部だとわかった脳糞古川は いい笑顔で会話を交わしていた。 そして脳糞古川は「またね〜」と二階に上がっていき、店内は静かになった。 私と両親は脳糞古川の気さくさとかわいさに興奮しつつ食事を終え、会計を済ませようとレジに向かうと、 店員さんが階段の上を指差しながら 「今日のお客さんの分は出してくれましたから。また来てくださいね」と。 あれには本当にびっくりした。
同じ汚職大臣の井上と違って暗い。暗すぎる。 写真を見る限りだと人良さそうな爺さんなのに… ついでに陰険すぎて笑える。
266 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/07/18(火) 22:16:06 ID:KSgkrUl80
265>> 確かに写真だと好々爺ってかんじなのにね 西郷降伏勧告の名文、実は書いたのは福地源一郎 陰険山縣の文にしては名文だと思ったんだけどね残念!
267 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/07/19(水) 01:34:58 ID:C6SU5lR70
>>263 そういうことが出来ないくらい薩摩側が潔癖な人が多かったのでは?
西郷が無視してたら、山県は賄賂の件で長州に引きこもらないといけなくなってたか
見せしめに拷問受けるハメになったかもw
大久保の潔癖さを知って、現在の日本の汚職議員は見習えと!!
268 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/07/19(水) 16:37:26 ID:M4ahuikVO
山縣は史上最悪の悪人
269 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/07/19(水) 17:54:31 ID:1mcjCKTUO
山縣って周りからウザがられてる上に同郷人にも嫌われてないか? ついでに山縣主役の小説は短編以外見た事ない…
270 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/07/19(水) 20:51:49 ID:00EQ+g/eO
嫌われてはいても、当時の環境考えると 山縣がいなけりゃ大変なことになってだろうね
いなきゃいないで、なんとかなってたと思う。
272 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/07/20(木) 01:32:37 ID:jGdNgXv40
山県がいなくなった途端軍部の暴走の兆しが見え始めるんだけど?
誰かがどこかで言ってたけど大村が暗殺されずに山田が干されてなければ… そもそも木戸が病没してなければ…
274 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/07/21(金) 16:36:09 ID:d5j+h2730
大村益次郎は兵法者であって政治家にはなれない希ガス
>274 軍は政治の道具だから、大村が政治を分かる必要はないんじゃね? あれだけの能力で政治力まであったら、海江田に殺されるのを免れても、 大久保に謀殺された可能性が非常に高いが。
276 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/07/23(日) 20:17:38 ID:cY7Y/ZFq0
>>269 松本清張の象徴の設計ってのがある。
パラパラと見ただけだけど。
使われてる長州弁が、結構本格的だった。
277 :
269 :2006/07/23(日) 21:05:10 ID:1VPeM6VW0
>276 thx。今度読んでみる。 伊藤とか井上とか主役の話を書いてる人は割と見るんだけど 山縣が全くないのがちょっと気になってた。 性格が陰性な上に奇兵隊時代から金に汚いせいなのか どう頑張っても準主役な上に敵役です。本当にありがとうございました。
278 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/07/26(水) 03:55:56 ID:TpV9Lg1X0
何で統帥権を独立させたのか それが知りたい
279 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/07/26(水) 15:22:02 ID:g4GBvWpTO
まぁ、あらゆる制度で衆議院の権限を抑えるためだわな。 貴族院・枢密院・内閣&官僚・軍。統帥権の独立もその一貫。 さらに重要なのは、大日本帝国憲法制定当初は、非制度的にシビリアンコントロールを 効かせることができたってこと。元老達の横の繋がりによってね。 例を挙げれば、日清戦争で陸軍を率いた山県有朋は、北京への侵攻が可能であるとして、 これを上奏した。それを、当時の総理大臣伊藤博文が止めさせた。 で、山県はこれを統帥権干犯とは主張せず、従った。 昭和初期以降に軍部がやたらと主張したのとは違って、明白な統帥権干犯だけど、 伊藤と山県の天皇を介さない繋がりが、これを可能にしてるんだよね。 大日本帝国憲法は、元老の存在を前提にしていたことによる弊害が 多いけど、統帥権の独立もその一部
280 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/07/26(水) 17:26:06 ID:148mxCV00
何でこの人は、こんなに縄張り意識が強いんだろうな? 百姓だから?
281 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/07/26(水) 19:02:46 ID:HEGQb3dv0
>>279 まさに同時代に生きた人(名前失念)が,将来的に憲法が一人歩きする危険があるって
指摘してたけど,本当にその通りになっちゃったもんねぇ。元老(むしろ元勲)が次々と死
んでいった結果,憲法が一人歩きしちゃった。
>>280 百姓じゃないでしょ。
なんかナベツネみたいでヤダこの人 今は割と客観的に見れるけど同時代人だったら大嫌いだったと思う。
同時代人じゃなくて良かったじゃないか。
284 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/07/27(木) 17:02:39 ID:B9CsHITr0
長州人が血を流して手に入れた地位と権力だから他藩出身者に譲ってなるものか、 という意識が強すぎたからじゃね?
286 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/08/17(木) 05:38:36 ID:tGeR3B3k0
>>279 明治の政府なんて、そこらの村の寄り合いみたいなもんだったんだろうなぁ。
薩摩村と長州村が合併して、、、、、
287 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/08/17(木) 06:05:32 ID:pFIo8po2O
山縣有朋 家系図発見! 山縣有朋氏 有朋の特徴 よく馬に跨がり 浅黒い肌の殿様であっ たと掲載されている。 御子孫家の娘であらされる女性が 華族制度廃止後・家財を奪われ遺された山だけ残された。 山縣有朋時代からの広大な土地と山を利用し 現在は “林業”を営み大成功したと TBS【バリバリバリュー】と言う番組に子孫の貴方出演していた。 TVO【何でも鑑定団】にも出演していた。
288 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/08/17(木) 06:09:36 ID:pFIo8po2O
>>287 ググレば 山縣有朋殿の 馬に跨がる写真と
現在の御子孫までの家系図が鮮明に残されている。
サイトもありました。
289 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/08/17(木) 07:20:19 ID:mbrgA0jqO
山縣は大正天皇に嫌われてた?
290 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/08/17(木) 17:27:12 ID:Niu2Dlvp0
原敬が大正天皇と近かったから。
291 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/08/17(木) 20:40:34 ID:mbrgA0jqO
栃木の那須に 山縣の別荘がある 今は山縣記念館に 館内は陰謀で手にいれた勲章等の汚物がいっぱい…
292 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/08/17(木) 22:08:58 ID:vXQT3CdW0
その子孫、つまり妾のが いるよ と聞いたが
293 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/10/07(土) 21:47:49 ID:k4Z+F2i10
日本が藩閥政治の時代 日清・日露戦争には勝った。 なぜか、それは戦争をする確固たる目的と理由と政略があったからだ。 藩閥政治が崩れ去ったとき、日本滅亡のカウントダウンが始まった。 政略もなく、戦術レベルで軍が満州事変を起こし、それを政府が追認。 順序がまったく逆になった軍事行動は迷走し続け、ついに太平洋戦争に至る。 藩閥によって2つの戦争に勝ち、藩閥を捨てた瞬間に負けた日本。 山県の功績はとてつもなく大きい。 彼の自派閥を作り、守ろうとする姿勢は真に日本のためになったのである。 山県が死んで日本はおかしくなった。
294 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/10/08(日) 07:06:24 ID:f5PuAuJ40
藩閥だったから戦争に勝ったんじゃねぇよ。 自分で書いてておかしいとか思わないの?w
295 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/10/15(日) 01:40:50 ID:iM+S5cESO
この人めっちゃ顔長いんでしょ?
296 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/10/15(日) 01:45:07 ID:K+ViTxaRO
297 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/10/15(日) 07:25:22 ID:ZqGn3jTEO
>>294 藩閥だから戦争に勝ったっていうより、
民主化したから戦争に負けたってほうが正しいな。
>>297 だな。日本人の民度向上はまだ時間がたりなかった
昭和まで藩閥とか、ある種の専制政治が続いてれば・・・・
299 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/10/15(日) 13:37:57 ID:wZakzIMl0
日清戦争後、山県は文官任用令と官吏分限令を公布して政党に対する官僚の地位を 大いに強化した。これらの勅令の目的は官場の閲歴のない政党員が官吏となること のできぬようにしたものであった。これと同時に山県は、1895年(明治28年)に 陸海軍大臣を現役の将官に限る命令を出し、また1898年軍事参議官会議を設置して 軍の地位を強化した。伊藤はいまや山県一派の勢力増大をおそれ、政府内でかつて 占めていた優越した地位を挽回しようと躍起になった。そのため彼は、山県勢力の 阻止に利用する政党の結成を決心した。だが、伊藤はこれによって官僚であること をやめたのでもなければ、なんらかの根本的改革を企てる意志を見せたのでもない。 その真意はまず何をおいても山県派の進出を封じるためなんらかの行政改革を行う ことにあったようである。伊藤は自分に従う政党を物色し、憲政党に目をつけた。 これは自由党分子と改進党分子との混合体で、大隈は自ら憲政本党を主宰するため すでに同党から分れていた。内部的対立にもかかわらず初期の日本政治における 自由主義の最も大胆な代表者であった自由党、その残党である憲政党を取り巻く 無組織の分子によって政友会が結成された。このことは、旧自由党が、有力官僚を 党首とし初期自由党と正反対の綱領をもつ大地主政党へ最終的に変貌したことを 意味する。このことから、地主と農民という自由党の二面的性格が矛盾を生じ、 その矛盾が前者の完全な勝利に終ったことが明らかである。つぎの約10年間にわた って日本政治を構成したのは、伊藤のあとを受けて政友会総裁になった西園寺を 首領とする比較的穏健な一派と桂の率いる山県派官僚の裏面的策謀との対立である。 ハーバート・ノーマン『日本における近代国家の成立』より
>>296 違うな。あれは馬を労わって背負っている山県将軍の写真だよ。
軍服は馬が寒かろうと将軍が手ずから着せてあげたものだ。
301 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/10/15(日) 17:25:35 ID:kOzxrTYf0
小泉みたいなエロヒヒ犬ポチ軽薄馬鹿売国奴なんかのドラマをやらずに、 山縣有朋を主人公にした陰険人生のドラマを作れれば、日本のテレビ局も 上等なのに。
302 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/10/15(日) 19:07:53 ID:oYK2cQ1k0
>>301 山県の人生はひたすら戦争三昧だからな。
おもしろそう
明治帝ですら逆らえなかった山縣の専横を 余すところなく描ききってくれ
>>303 しかも偉くなってもやたらに前線に出たがる
以外と血の気が多い奴だからなw
306 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/18(土) 01:08:52 ID:YZyDWbS90
司馬遼太郎が山県を悪く書いている、という評判なのでどんなにひどいのかと思ったが、 今読んでる「坂の上の雲」の山県初登場シーンなんかは別に悪くないけどなあ。 秋山好古がフランス留学中に山県がパリに来たというところなんだが、 好古は出迎えに遅刻するわ、山県がフランス高官に持ってきた土産を居眠りで紛失するわなのに、 山県は大して咎めもせず「この男は副官や秘書には向かないなあ」と思うだけだし、 山県の陸軍はドイツ式にするという方針に逆らって、好古が乗馬術だけはフランス式にと申し出ても、 「そのまま研究してくれ」と結果的には任せてしまうみたいだし。 いい上司じゃないか。あるいは、もしかして、この後から嫌な奴になっていくのか。
307 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/18(土) 08:14:46 ID:nOmu1ZGsO
山縣は派閥を作った悪人
308 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/18(土) 23:27:32 ID:CukPK/3G0
この人のおかげで、森鴎外は陸軍医務局長になれた。 そうでなければ左遷(本人がそう思い込んでいただけとも言われているけど)されていた小倉の師団から東京に戻って来られず、 慶応の文学部教授になっていた所だった。同期が局長になってしまったからね。 (軍医は医務局長以上には出世できなかった)
>>278 政府や議会が軍無視して、勝ち目が無い大国と勝手に戦争起こされたら困るからw
>>305 後ろのほうで、開戦を決意し、世界地図片手に机上でアホな作戦練って、
前線にはでてこん、昭和期の軍の幹部に比べればマシでしょ。
最もでてきたら出てきたで、辻ーんみたいなやっかいものになるかもしれんがなw
310 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/19(日) 05:40:51 ID:BImW4G8K0
藩閥や元老が良かったって 金日成はいいけど、金正日はダメとか言ってるのと 同じレベル
311 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/19(日) 10:59:47 ID:1LNFhR2b0
>>310 お前はバカかね?
藩閥や元老制度は封権社会である幕藩体制から議会制近代国家へ移行する為の過渡期的システム。
明治維新直後に議会制なんてやってみろ。
外国の事を何も知らない国民たちはこぞって無謀攘夷を決行し日本を滅ぼすよw。
国民の意思を尊重しているから正しい政治のあり方かもしれないが、国民が滅びる事を望んでいたわけではないだろ。
312 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/19(日) 14:12:36 ID:ijIJE6zpO
栃木の那須の広大な敷地に山縣記念館があります。 館内には陰謀で手に入れた勲章等が展示されています。見学者にはコーヒーがサービスされます。
>>278 議会や政府の党利党略の政争から軍を守るため。
所が統帥権干犯問題で統帥権の独立自体が政争のネタになっちゃったw
>>309 >辻ーんみたいなやっかいものになるかもしれんがなw
だから子分の桂が必死に止めたヤンw
315 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/01/22(月) 20:18:46 ID:+729IMK9O
狂介って、志の大なる人って意味がこめられてる。陸奥も雅号を六石狂夫としたし、明治の人は、良く自らを狂と読んだ。
ヒムロックはどういう意味をこめて狂介と名乗ったんだか
>>309 同じ様な戦下手だからどっちもどっちだ。
劣化ロンメルというか牟田口というか。
連隊長以上やらせるのはキツいタイプ。
確か日清の第1軍は突っ走りすぎて補給が間に合わず、
それでも権勢振りかざして進もうとするから、
伊藤を引っ張り出してようやく止めたんじゃなかったか。
服部之総も岡義武も山縣への評価は厳しいものだったな 山縣を評価している研究者って誰かいるのかな?
明治初頭から収賄に走る卑しい貧乏人を評価するアホはいない。 革命や改革は実は能無しほど生き残るものだ。
>>313 それは間違え。山縣は軍人勅諭にもシビリアンコントロールの条項を
削除した。最初から議会に干渉させる気はなかった。
また政争を仕掛けた本人が議会開催後の薩長官僚。
>>311 一応明治憲法から議会はあるだろ。明治憲法以後も藩閥や元老は
長く存続しているよ。
>>309 日露戦争は十分に勝ち目はなく、また勝ったとも言えない。
日清戦争でも三国干渉で全ての利権はとれず。
戦争は政治の延長なんぞではなく政治そのものだと言う原則がわからなかったのだろうな。
321 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/26(月) 01:05:33 ID:sOESged80
>>320 >>311 には明治維新直後ってある。
さらに言うと明治憲法で議会ができたとしても、それは成立であって確立ではない。
そしてある新しい制度を取り入れた瞬間にガラっと形が変わるもんではない。
藩閥・元老は過渡的システムで問題はない。
それと日露戦争は誰がどう見ても「勝ち」。
日露の懸案は半島問題が中心。
半島は日露戦争以後完全に日本の主導権下におかれているのだから勝ち。
損害が拮抗しているとかは屁理屈。
斜め上から見てるよねぇw
どうしても日本のことを評価したくないのが見え見え。
322 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/26(月) 03:52:15 ID:e/wKkjEJ0
日露戦争って金借りたんでしょ 是清の海外人脈で
323 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/27(火) 00:29:45 ID:DuF5uY490
だから?
>>321 最後の元老西園寺は1930年代まで影響あるよ。
また山縣が元老として生きていた明治末には既に
衆院で普選法案は通過している。
西南戦争から議会開設まで僅か10年ちょいだろ。
歯止めだの過渡期だのなにをもって言っているのか具体的に。
官僚組織で維持してきたんでないかな?
>藩閥・元老は過渡的システムで問題はない。 同意。ただ、一度出来上がったシステムを変えるのは難しいからなぁ... そもそも山縣に過渡的システムって認識があったかどうか...
328 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/28(水) 06:01:26 ID:xODmS0tN0
とりあえず海外留学経験の多い 人材が揃ってる藩が政権とって良かったね 西洋を理解してないような藩が政権なんて とったら・・・・・・・・・・
329 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/28(水) 18:13:24 ID:M8OPpkfJ0
>>327 確かに山縣に認識があったかと言われるときついなw
330 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/28(水) 18:35:13 ID:6hpuopULO
山縣があそこまで粘ったからこそ、民主化による日本の崩壊を 世界に赤化の嵐が吹き荒れる20世紀中盤まで先延ばしに出来、 冷戦構造の棚ボタでアメリカに国民総中流の経済大国にしてもらえた。 帝国主義が遺っている広義の19世紀に欧米の収奪システムに組み込まれていたら、 アジア・アフリカ諸国と仲良くセットで、 人知れずもがき死にゆく貧民で溢れかえる 世界の歴史から忘れ去られた国となっていただろう。
331 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/02/28(水) 22:50:51 ID:7+pJE9aR0
>>320 >日露戦争は十分に勝ち目はなく、また勝ったともいえない。
なんか意味不明なんだけど。朝鮮半島と満州からロシアの影響を排除するといった
当初の目的は達成できたのだから、勝利と言っていいでしょ。それとも何か
賠償金目的の戦争か?
332 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/03/01(木) 00:15:54 ID:lkYP0ds+0
明治政府が気に入らないだけでしょ
333 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/03/10(土) 04:44:42 ID:Icra+81e0
>>330 つうか、日本って民主化すればするほど駄目になってるような…
334 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/03/10(土) 22:58:05 ID:YaXd2hs/0
誰かに似てるなあ〜と思ってたら、 映画「砂の器」の加藤嘉だった。
335 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/03/10(土) 23:34:44 ID:JbahRBq00
>>333 そう思う。
まぁ消化しきってないのにウンコとして出てきてる感じか。
336 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/03/11(日) 00:33:33 ID:nXo11VrJ0
青木幹雄とキャラがかぶるな。
337 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/03/11(日) 19:30:21 ID:fbEgTEKtO
政治家よりも 官僚むきだよね 顔が長いしね
338 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/03/11(日) 23:42:16 ID:DuF5uY490
>>337 ちょwwww
顔長いの関係ないwww
とvipper風にレス
339 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/03/13(火) 09:21:03 ID:0W6DyIoS0
「毘沙門天」は武田家の守護神 、秦氏の守護神 武田信虎 武田勝虎 内藤虎資、馬場虎貞、山県虎清、工藤虎豊ら、重臣の数々を一
340 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/03/13(火) 09:22:39 ID:0W6DyIoS0
信貴山など毘沙門天を本尊ににして祀っているお寺があります。 信貴山では縁起より、虎も信仰の対象にしており、 虎の像も祀られております。 虎の像へも信仰の対象にしていきましょう。
341 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/03/15(木) 15:07:30 ID:HZOymZ6N0
日本人は基本金持ちや地位の高い連中は嫌いなんだよ 山県有朋って異常なまでの勲位を受けてるし 現在の金で月給が500万くらいあったなんて話もある 栃木の別荘は博物館だし、東京の椿荘だっけ?あれも 山県の所有するものだったんだよね。 こういった人物は基本嫌われるし、好かれる要素なんてないんだよ。 長州出身で一番出世して富も権力も持った人だけど 地元の山口でもイマイチ浸透してない人物らしいよ。
342 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/03/15(木) 21:46:11 ID:I7Nq1MSJ0
確かにこういった人物は日本人の観点では好かれないだろうな
343 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/03/15(木) 23:36:02 ID:G5q/iNLWO
ロシア人の感性なら英雄扱いだろうな。
>>341 いや品性の問題だと思うよ。
維新当初から賄賂とっているような人間はどこの
国でも評価されまいな。
出自通り精神まで貧しい人間だったということだろうな。
>344 早乙女貢閣下乙。 時々で良いから上士にも関わらず金銭に汚い井上馨も 忘れないであげてください。 ついでに奇兵隊時代のピンハネモナー。 井上・山県は金に汚いというかダークなイメージ強いけど 優れた政治家だと思うよ。金に汚いイメージが無ければ…orz
346 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/03/16(金) 01:13:23 ID:YkoACNb+0
単に陰気なイメージだから好かれないんじゃないか? あと皇室との関係。
347 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/03/17(土) 02:18:10 ID:QjT/NT2Y0
>>341 山県の別荘と言えば京都に無鄰菴と呼ばれるきれいな日本庭園がある別荘があるよ。
348 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/03/17(土) 23:32:08 ID:IVlvQ9wZ0
>>347 鴨川沿いに、の「がんこ寿司」は第二無鄰庵を流用しているので、
お気軽に山県の工兵の才能に浸りたい方にはお勧め
山県はいやなやつだったという意見は多いが。 ではなぜそんないやなやつが権勢を振るうことができたのか。 その答えが知りたい。 たぶんいやなやつだったが必要なやつだったのだろう。 ではなぜ山県が必要な人物だったのか。 だれか解説していただけないだろうか。
狂介って名前がかっこいいな。 あんな性格だけど、奇兵隊で上士との戦闘を体験したりと、こずるいけど命懸けの人生も歩んでるから憎めなくて好きなんだ。
西郷がカリスマリーダーなら、山県はオーガナイザーといった感じだろうか。 中でも参謀局を作って軍令部門を掌握したのは大きいかな。 佐賀の乱鎮圧において大久保のイニシアチヴに危機感を抱いたのが 設置のきっかけだったとか。
352 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/03/18(日) 14:03:50 ID:nXYgNZnN0
ここまでくれば日本では悪人扱いだよ 足軽以下の中間がここまで大出世するのは アメリカではドリーム扱いだし 若い企業家なんかには憧れるんじゃないかな?
353 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/03/18(日) 16:04:42 ID:PjmP2Mw30
堀江や村上を見る気持ちと一緒だろうな 貧困者の悪事はそこまで叩かれないけど 富や名声を持ってる奴の悪事にはトコトン飛びつく そんな日本人からみれば 山県有朋は悪以外何者でもいない でも立志ある者や、少々の悪事はツキモノとか思ってる連中には いい教科書になるとは思うよ
優れた指導者になる為の○○とかで山県を出して欲しい。 人脈・人材育成・派閥形成に関しては優れた人だと思うんだ…。 古川も微妙な長州人や派手な長州人ばかりいじってないで、 山県とか書けばいいのに。
355 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/03/18(日) 16:28:09 ID:7+DuR2610
山縣にて論及している良書はなんだろうか?
『明治天皇紀』じゃない? 明治天皇をすら恫喝する山縣の専横が余すところなく読めるよ
『歴代総理の通信簿 間違いだらけの首相選び』 割と山縣の評価は高い気がする。
358 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/03/19(月) 18:23:38 ID:36UrBLqs0
基本的に山県は東京辺りの作家が悪として取り上げてるから 良書はまずないと思ったほうがいい。 とかく一坂太郎みたいな東京から萩へ移り住んで学芸員になってるのに 粗探しと揚げ足取りばっかやって、挙句会津人を萩へ呼んで 文句言わせて文面にして出版してるしね。 そればかりか萩に住んでいながら「この地は私にとっても敵」とか言ってる しかも山口の作家も吉田松陰・高杉晋作・桂小五郎は 題材にしても山県は題材にしないんだよね 久坂玄瑞ですらなかなか題材にされない。
明治政変あたりで山県が失脚してたら迷走してると思う。 山田の構想は確かに素晴らしいものだけど、あの時代では 早すぎるんじゃないかな。 大体、山県も井上も汚職さえなければ…。
360 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/03/20(火) 16:56:14 ID:zgKUmK9H0
自分の愚を棚上げにしてる負け組みから見れば悪 成り上がってやろうと思う奴には善というかパイオニア
361 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/03/21(水) 13:25:54 ID:0er+ZVpk0
読んでないけど、松本清張が有朋の小説書いてるね。
362 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/03/21(水) 19:11:36 ID:RT48YuQ10
象徴の設計かな?文庫でてたので買いますた 読みにくいけどおもしろいです、さすが清張
363 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/03/21(水) 19:28:16 ID:Eb4h90jA0
権力者で金持ち、更には幕末きっての出世頭 日々愚痴言ったり弱い者を虐めてる負け組み市民からみりゃ悪だよ 少々悪いことでもやんなきゃならない人は見習えばいい 経営者とか政治家とかね 俺、普段は醜悪なクセに権力者や金持ちの悪事に目くじら立てるカスって大嫌い
>362 俺も今読み途中。ちょっと難しいけど 面白いよね。
365 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/03/22(木) 00:27:42 ID:oCkkteUL0
権力者や金持ちは社会的責任があるから悪事が叩かれるのは当然だろw
366 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/03/22(木) 21:34:26 ID:1/wqI8zC0
勝だったかが「山縣? あれは正直者だよ」の一言で片付けてたな 逆に言えば伊藤のように人を惑わすような政治的な動きをせず堅実だから 信用が置けて部下はついて行きやすかったのだろう
半藤一利もPHPから小説で出しているよ。 功罪半ばの巨人という形で・・・ 同時代人としては、アメリカ南北戦争期の北軍司令官のU・S・グラントが被るのでは。
>>354 サラリーマン向きではあるだろうなw
>>341 いや、生まれや品性が卑しい人間だったから地元でも
嫌われているんだろ。
>>337 維新で生き残った連中は大抵は役人向きの連中。
山縣に限らず劣るとも優らない人間と言われていた。
どこぞの気位だけが高い負け犬集団よりはマシ。 子孫だかなんだか知らん奴らも息をつくように嘘つくし。 あと、三傑は過大評価されすぎる感があるキガス。 山縣の人材育成・派閥形成はもうちょっと高く評価されてもいいと 思う。伊藤の人海戦術・井上の財閥形成も。
斉彬が長生きすべきだったろうな。
山縣って人材育成に優れてたか?
つ平田
政治家を善悪で判断するのか?
374 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/05/15(火) 01:07:25 ID:3lFEvYf+0
>>367 わりと公平な見方してるなって感じで良いよね。
でも山縣嫌い、とはっきり言ってる。
凄い仕事一杯してて偉いけど、大逆事件とか毒殺とか
どうしたって好きにはなれないってのが一般的な評価だろうね。
特に戦後の人間には強い軍部作りあげたのってマイナスイメージじゃない?
でも自分はなんか好きだけど。
>374 山縣好きな人がいて嬉しい。自分も好きだ。 嫌いな人や叩く人の気持ちもわかるけど、山縣の存在は貴重だと 思うんだ。桂との反目とか、後輩達にうざがられっぷりも含めて好きだw
山縣って悪徳政治家の代名詞のように書かれているものが 多いけど自分は硬骨漢で不器用な人間なのではないかと思ってる 柔軟すぎて要領がよく明治天皇に愛されていた伊藤博文とはなんか対照的 で気の毒な気がする
377 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/05/29(火) 22:25:32 ID:PpqVAJvn0
堅物だけど金には汚い。 不器用だから外面をつくろえない。 こんなとこだね。
金に汚くなければもっと評価が高かったはず。
むずかしいところだ。
380 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/05/31(木) 11:30:24 ID:a5sBFezF0
お前等本当クリーンが好きなんだなwww 実際そんな純粋でクリーンな人間じゃねぇーだろ?お前等w クリーンな政治家なんていないし、そんなピッカピカの童貞みたいなのが 政治なんてやって国を動かせるか?小市民な発言して正義ぶるなバカが。 山縣は勝ち組だよ。負け組みが騒いでも山縣には蚊の音程度にしか聞こえない。 負け組みは山縣を嫌う。何故?山縣が勝ち組だからさ。 権力のない人間は、権力者を嫌う。 貧乏人は、金持ちを妬む。 以上
山縣は嫌いじゃないけど、伊藤の方が好き。
382 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/05/31(木) 18:16:05 ID:0jVSivcg0
>>380 偉そうに何を言ってるのかと思えばそんなことか。
383 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/05/31(木) 18:30:27 ID:el6xEcjy0
両名とも、なぜそんなに喧嘩腰なのか?
漏れは負け組で貧乏なんで、勝ち組で金持ちの
>>380 を妬む。
386 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/06/01(金) 20:06:06 ID:vyuPkpIz0
>>384 それはね、簡単な事。
敗残者意識の強い東京や埼玉の会津厨がファビョってるからなんだよ。
387 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/06/02(土) 00:24:02 ID:JNzy4tVB0
しょうもなさすぎるだけなのに勝利宣言かよw
388 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/06/02(土) 16:08:44 ID:0a1D19BA0
勝利宣言?どこ?どこ?どこが?えっ?どこが?ええ?え〜?
389 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/06/03(日) 11:45:39 ID:/xcfWDps0
権力者や金持ちが嫌われるだけ 山縣から見れば、蚊トンボの鳴き声程度しか聞こえないよw
390 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/06/03(日) 13:46:47 ID:zb3NPJeFO
悪でごわす
391 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/06/03(日) 17:59:11 ID:Uj4tdVnQ0
>>390 あ〜あ〜もう見ちゃいらんねぇなぁ
鹿児島って「ごわす」なんて方言はないんだよ
バカ丸出しだよ
>>390 創作漫画と創作小説と創作映像見すぎ
無知さらしちゃってみっともねぇーなぁ
392 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/06/03(日) 18:36:48 ID:LwbbJEDm0
村田蔵六のが、上だっただよな。
393 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/06/03(日) 19:34:58 ID:vp0G/HRGO
おそらく何も考えずに書き捨てたであろう捨てレスひとつに、
ここまで大々的に感情露わに妄想を展開できる
>>391 のセンスに脱帽。
394 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/06/03(日) 22:13:57 ID:TrslYLWH0
まぁ大村が築いたものを山県が引き継いだからね。
>>393 反応してんじゃねー飛蝗野郎
395 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/06/04(月) 18:34:46 ID:0X5/hg3J0
ごわすは言わないな。なんで浸透してるのか不明だ。
396 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/06/04(月) 19:05:12 ID:Wyfn8mF40
不明でごわす
ごわすは「ござる」のように、薩摩武士の丁寧語なんだろう。
398 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/06/04(月) 20:24:02 ID:OSRNIBnG0
広島の「がんす」みたいなもんか
399 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/06/05(火) 11:31:19 ID:KlJe/1Nx0
権力者はいつの時代も嫌われる 山県ほどの権力者になればなおさらだよ でも山県はただの権力者じゃない 中間の生まれだし、自分も兵隊として戦地での 戦闘も経験してる叩き上げなんだよ ボンボン権力者とは訳が違う 山県を僻むのは、自分が負け組みって言ってるようなもの
また変なのが沸いたなw
401 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/06/07(木) 02:49:38 ID:trPXy8Go0
>>392 そりゃ・・山県のやったことは大村益次郎の思想を受け継いだだけだし
そりゃ大村益次郎と比べたらいかんよ・・
あれは日本史上みてもトップクラスの天才戦術家
1000人の兵士で1万をほふった男ですぜ
402 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/06/07(木) 13:30:41 ID:1WxdSnUG0
しかもその兵士は元々は武士ではない人達ですからね。 相手の1万は武士ですよ。 言ってしまえば大村先生も村医者だしね。 山県においては、同郷の大村の後を次いで 巨大すぎる権力を手に入れたので 嫌われる事が多いんじゃない? 好かれないのが権力者だし。
最悪でごわす
杉山の「山縣元帥」が読んでみたいよ。 てか杉山がなんか書いてると胡散臭く感じるんだけど、どうなん?
405 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/07/23(月) 23:04:04 ID:xiPuDvqH0
山県のようなとんでもない爵位持ってるような人間は 一般の民、とくに格差の下にあえいでいるような層には ムカツクんじゃないの?
406 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/07/23(月) 23:19:06 ID:XiaWUAf90
>>405 足軽中間からの成り上がりストーリーだから案外受けるかもしれん。アーユーハッピー?
407 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/07/23(月) 23:25:57 ID:3wANkW8PO
権力は手にしたものの、人心を掴むことはできなかった。 そこに惹かれる、憧れるぅぅぅ!
408 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/07/24(火) 01:37:48 ID:zWBf486I0
下手に媚びないというか、大隈や板垣みたいな中途半端なポピュリストではないところが今の日本にはむしろ必要かもしれん。
409 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/07/25(水) 00:58:50 ID:bsddEG0M0
410 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/07/25(水) 03:31:29 ID:Ye2/Ol/cO
白い巨塔の財前五郎やハゲタカの鷲津政彦みたいな感じで 山縣有朋の成り上がりと失墜の物語を描いて欲しい。
411 :
名無しさん@そうだ選挙に行こう :2007/07/29(日) 02:00:20 ID:9OJcQ6aH0
失墜はしてないよ。
>>410 は恨地の方ですか?
それとも下流層?
宮中某重大事件後の状態は失脚と言って良いだろう。 しかし山縣の人気のなさも異常だと思うが、 それ以上に大隈のポピュリストぶりはもっと異常だと思うけどね。 「中途半端」どころではない。
413 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/07/29(日) 23:16:02 ID:oasGLkKD0
その後に昭和帝から「戻ってきてよ爺や。カムバーック」って請われている。 山縣は戻らなかったが。 終戦直前に昭和帝がポツリと漏らしたという「山縣がいてくれれば…」という一言とあわせると感慨深い。
414 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/07/30(月) 01:55:49 ID:y2ewtYZZ0
文京区の椿荘は山県有朋の家です
415 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/08/01(水) 00:26:46 ID:xUFBd3AE0
徳富蘇峰が「公爵山縣有朋伝」って本だしてるよね?あの分厚いやつ。 誰か読んだ人いないの?
416 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/08/01(水) 01:31:58 ID:2GBUMdHK0
>>415 卒論のテーマが山県だったので読んだが、20年以上前なので忘れた
417 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/08/01(水) 02:14:05 ID:cg+URC2L0
漫才のオチみたいだな
418 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/08/01(水) 02:58:12 ID:8fkUdBSD0
バブルの頃かええのう
419 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/08/01(水) 13:16:20 ID:1u190yjw0
半藤一利も山県の本書いてるよ ただ、悪口を書いてるに過ぎないけどね あと、東京人作家が長州人を題材にする時の決まり文句 「この地は以前は敵だった」というような発言も見られる 本当、東京とか福島の作家って、恨人だなって思う。
420 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/08/01(水) 21:54:27 ID:nkMAQSz70
司馬遼太郎も陸軍へのトラウマで長州が嫌いになったからな。 昭和陸軍は東北が牛耳っていたのは知っていたんだろうか?
421 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/08/01(水) 22:21:09 ID:zqyVuJYD0
>>420 司馬はそれほど徴収嫌いでもなかったんじゃないか?精神主義とか教条主義は蛇蝎のごとく嫌ってそうだったが。
むしろ山田風太郎は警察庁草子だったかラスプーチンが来ただかで、
「とにもかくにも薩長は新しいフォーマットを使いこなし曲りなりにも時代に対応したが、東北人にオーナーが移ると旧弊に執着し滅亡した」
見たいな事を書いていたな。
>414 時々でいいから京都の無燐庵も忘れないであげてください
423 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/08/02(木) 06:56:19 ID:LX3t8qdtO
大勢の人がついていくのだから、山県は魅力があったのでしょう。 天狗になってたり、冷酷だったり権力にふりまわされるような人間だったら 項羽のように段々人から見放されたり、始皇帝のように(再評価する動きもあるが)何度も暗殺されそうになったりしてたでしょう。 いつの時代も権力者は孤独です。チャン・イーモウの作品『HERO』に出て来る「みな余の事を批判し、家臣までもが暴君よばりだ。為政者の心も知らないで…」という秦王のセリフは政治家ならば、その気持ちわかると思われます。
424 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/08/02(木) 08:04:25 ID:LX3t8qdtO
それと、山県は田中角栄とかぶります。2ちゃん的には悪い政治家(中国の犬、真紀子の父という意味で)ですし、マスコミも当時批判してたけど、彼の国民的人気は高かったし、子分が5人も総理(竹下、細川、羽田、橋本、小渕)になっていいます。 山県の子分も桂とか首相になったし、部下を育てたり、心を掴むのがうまかったと思います。そうでなかったら、あれだけの派閥はつくれなかったでしょう。
伊藤と山縣の二択だし、伊藤は政党系で山縣が官僚系なら付いていかざるをえないと思うが
426 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/08/03(金) 01:26:37 ID:+/I0JdXb0
この人南朝マニアだから北朝の天皇には遠慮は無かった。
427 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/08/03(金) 23:07:34 ID:lvaRTitC0
ということは熊沢天皇がいたら平身低頭だな。
いやいや。山縣は南朝とか北朝とか無視で、 血統ではなく正式に即位した人間に正統性があるって言ってるんだよ。 北でも南で勝てば官軍。 やっぱ徳川倒した下級武士上がりの藩閥政治家だからね。 だから天皇に遠慮ないのは性格だよ、きっと。
429 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/08/04(土) 23:06:47 ID:ldWbM5+K0
松本清張の「象徴の設計」のタイトルどおり、 山縣は天皇の存在を西洋の一神教の神に替わる 位置付けとして日本に再配置したのであろう。 (新しい日本国家草創のために) 故に後の乃木や東條のように天皇を絶対神聖視することはあり得なかった。
430 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/08/04(土) 23:42:04 ID:z3iD+4WMO
今じゃ日本人にとって日本人であることは当然の感覚だけど、 日本統一=明治維新の直後にはそんな国民意識は存在しなかった。 生まれ育ちの場所が違えば言葉も通じないし文化も異質。 そんな状況の下では、なぜ税金を日本国に納めなければならないのか、 なぜ日本国の政治的意思決定に従わなければならないのか、 国民の納得を得ることはできない。 それでは、日本国という単位で政策と財政を一本化して スケールメリットで豊かな国を作りあげていくことはできない。 そこで山縣が利用したのが天皇であり、 今でも現行憲法の1条にあるように天皇を国民統合のシンボルとし、 同時に新参者政府の公権力行使に正当性を持たせる契機とした。 山縣は天皇を利用すべき存在としてわきまえていたのに、 藩閥排除後の政権担当者はそんな自覚も無しに 自らと国民が醸成した天皇の権威に逆に振り回されて、 日本国を破滅へと追いやってしまった。 ポピュリストが国と国民を腐敗・衰退・滅亡させる歴史を繰り返している。 言い換えれば、公共の富を個人の富に還元する段階でいつもこの国は失敗する。 要は、黄色人種は民度が低い土人だということである。 というわけで、とっととこの国を支配人種である白人に売り飛ばそう。 そのほうが黄色人種にとっても絶対に幸せだ。
431 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/08/05(日) 12:40:48 ID:mC5A9rG10
>>424 山県の子分で総理になったのは、桂、寺内、清浦の3人か。
田中義一は同郷で陸軍出身だが、ここまで山県の子分に入るのかな?
平沼とかも、山県系になる?
(山県派で)首相候補で終わったという事でしたら 児玉と平田になりますかね。
433 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/08/07(火) 01:25:42 ID:Rd/Wp9+L0
南朝マニアなのは間違いない。 明治の元老の中で交通が不便な明治時代の奥吉野まで行って 後南朝の御遺物を見て感動した唯一の存在。
434 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/08/07(火) 04:14:11 ID:xrwcA8o/O
>>428 性格ではなくて、単に力士隊の頃から大室を知っていたから遠慮しなかったんじゃないか。
435 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/08/08(水) 00:28:15 ID:QvWkBZFr0
大室寅之祐ネタとはまたデンパだな…
436 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/08/09(木) 19:45:01 ID:nGWo5b6q0
山縣に関する本は一通り読んできたつもり。 (巷で手に入る限り) で、分からないのが彼はいつから軍人から 政治家に脱皮したのか?ということ。 山縣は自身で「一介の武弁」と称していたが、 そんなのは謙遜のポーズにしかすぎない。
437 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/08/09(木) 23:37:10 ID:6i8uewbS0
>>436 西南戦争前には陸軍の大物が抜けていたせいで既に軍政の位置にいたような気がするな。
もっとも伊藤博文が暗殺された時には、大隈重信ともども本気で羨ましがったというから案外本人は実際に「一介の武弁」に憧れていたのかもしれん。
やたら前線に行きたがったのもその表れのように感じるな。
ただ、憧れているだけで明らかに性格が向いていなかったし、陸軍のトップにいる人間が「一介の武弁」になられたら陸軍自体が崩壊する。
オーナーというべき人間がみな鬼籍に入っている以上陸軍の総意として、山縣にはトップとして組織全体を指揮してもらわねばならなかった。
長州閥に固執したという面もあるが、山縣はそれなりに人材を発掘し使いこなしていたと思う。
それと「親しきも疎きも云々」という駄歌にも見られるように同世代は全て死んでしまい、目前の人間はみな小粒に見えたろう。
そんな状態で「俺がやらねば日本は」というお決まりの老執に嵌まり込み、陸軍どころか政治そのものに影響を及ぼし始めたのはある意味仕方がないことかも試練。
さらにはみな、原敬ですら臭い所や謗りを受けそうなことには山縣の看板を利用して意を遂げようとしたセコイ政治家ばかりだったし、暴走を止めるものはいなかった。
それは今現在に至ってすら、「山縣が陸軍の暴走の原因を作った。だが陸軍の暴走が始まったのは山縣が死んでから」という勝手な見方が存在することからも思う。
軍部大臣現役武官制で実質、組閣のキャスティングボードを握っていた というのも批判の出所の一つですよね。
439 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/08/11(土) 01:36:23 ID:TAqy+qIA0
上の方で朝鮮必要ないとかいう意見が出てるけど、当時人口に対して圧倒的に米が不足してた事実を知らんのかね。 朝鮮の米持って来ないとやっていけなかったのに。
440 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/08/11(土) 02:22:50 ID:fPsdqNBG0
朝鮮といえば方子の父の梨本宮守正だが その父である佐幕派の久邇宮朝彦は坂本竜馬暗殺の黒幕 山縣は佐幕派の久邇宮一族が明治政府にとっての危険人物であることを悟っていたのだ もし佐幕派の香淳が昭和天皇の皇后にならなければ その後の悲劇は回避できただろう
441 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/08/11(土) 03:26:02 ID:4EvMnHKT0
>>439 朝鮮米は安かったから日本に流入しただけじゃないのか?
米価が大幅に下がって零細農家は大打撃を受けたようだが。
442 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/08/12(日) 00:58:08 ID:7u/em6Bw0
それで鈴木商店が焼き討ちされたしね。
鈴木昇天の焼き討ちは、米相場でのシテや売り惜しみによる米騒動と大阪朝日新聞のトバシ記事のせいだよ。
444 :
歴史の継続性 :2007/08/12(日) 06:20:23 ID:7eW6mvXD0
>>421 昭和の精神論の生みの親は多分攘夷論や明治神道だろ。
鬼畜米英や天皇万歳の起源じゃないかな?
世代的にも明治に教育された連中だろ。
>>444 まあ所詮小説家個人の感覚だからねえ。(風太郎は司馬に比べてさらに剥き出し)
同じ関西人ながら司馬遼太郎は東北人にさほど思い入れがないようだが、山田風太郎は明治物で割合東北人に粘着している。
描かれ方にしても、
長州人が尊大ながらも割合さっぱり型、薩摩人はトボケタ物言いながらも腹の底では何を企んでいるか油断がならないという違いは有るものの両方時代を先取りしているのに対して、
東北・北陸人は真っ直ぐだが昔のことをグジグジ言ってルサンチマンを抱え込んでいる。
(作者個人は意地に徹する生き方の方がいいと言い切っているが)
辻や五十六、南雲、東條英機といった太平洋戦争の顔が東北・北陸だったせいか、日本を敗戦に導いた頭の固さの一因を東北人に求めているような気がする。
(司馬は魔法使いの杖、でバッサリだが)
おそらく欧米のやり方をいち早く取り入れロシアに勝った日本が、元亀天正の装備で太平洋戦争に突入した変化の原因を指導者層の変化に特に求めたんだろう。
>>438 山縣が上原操ってたって話と、陸軍内で揉めてて上原暴走気味に
飛び出しちゃったって話の両方みるんだけど、定説とかあるの?
あと西園寺はもう少し根性出すべきだと思うよ。
なんにしても山権の時には現役制止めたし、その山権を推薦したのは
山縣率いる元老なんだし、そこはそんなに山縣を非難せんでも・・・、と
思うんだけどなぁ。
最近出た本だけど(参考になるかな?)
「日本陸軍とアジア政策 宇都宮太郎日記」
ttp://www.iwanami.co.jp/moreinfo/024245+/top.html >1912年末の陸軍増師問題での上原勇作陸相の単独辞任は有名な事件であるが
>,この時参謀本部第二部長の宇都宮は,上原に暴挙を思い止まるよう忠告している
現役制の廃止で言うと、議会の圧力や世論の趨勢からして不可抗力だったとはいえ
当時陸相の木越安綱が身を挺して頑張ったわけだよね。もうちょい名前が出てもいい人なんだけど。
それと、(話変わって)大正に入って原や星なんかが山県に駆け引きを挑んでるわけだけど
この辺り詳述した本てあまり無いよね。
「首相列伝」を読んだのがそもそものきっかけなんだけど。
448 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/08/23(木) 20:50:52 ID:A+/+2gUy0
山県有朋って善なの?悪なの? ↓ ↓ ↓ 伊勢神宮って善なの?悪なの? こうすべきだな
449 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/08/24(金) 09:43:29 ID:/MVsRVGK0
ああゆうしたから這い上がってきた人ってのはいったん上りつめると 下に落ちるのが怖いんだろうね。しかも山県は神経質な人間だから 自分の足元(長州閥)をがちがちに固めて牙城を築きたかったんだと思う 民権運動を嫌ったのもこれで納得できる ただこの人はものすごく真面目だったらしいね 明治以降は妾は全くいなかったらしい
450 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/08/26(日) 11:35:43 ID:pgm7MwauO
愛知のキチガイ脳糞古川は神だと思っている。 半年ほど前の正月休みに両親と愛知のキチガイ脳糞古川の実家(もんじゃ焼き屋)に 食べに行った時の話。 両親と3人で鉄板を囲んで食事をしているといきなり脳糞古川が玄関から入ってきた。 もんじゃ焼き屋に似合わない勝負服ないでたちで。 脳糞古川が「私いつもの〜」と言って二階へ上がろうとすると、 店内にいた高校生集団が「脳糞古川さん!」「脳糞古川さんかわいいー!」などと騒ぎ出し、 脳糞古川が戻ってきてくれて即席サイン会になった。 店内に13、4人ほど居合わせた客全員に店内にあった色紙を使い サインをしてくれた。 高校生達が脳糞古川の母校愛知のキチガイ高校トラウマ部だとわかった脳糞古川は いい笑顔で会話を交わしていた。 そして脳糞古川は「またね〜」と二階に上がっていき、店内は静かになった。 私と両親は脳糞古川の気さくさとかわいさに興奮しつつ食事を終え、会計を済ませようとレジに向かうと、 店員さんが階段の上を指差しながら 「今日のお客さんの分は出してくれましたから。また来てくださいね」と。 あれには本当にびっくりした
451 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/08/26(日) 13:58:14 ID:KJVr579W0
いいところはやはり、近代日本の基礎を作った功労者であることには変りはない。しかし 誰でもそうなる可能性が高いが、権力をもつと金に汚くなる。それを最初江藤新平につかれ悪者の イメージができたね。
452 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/08/26(日) 18:29:50 ID:RhGgDzyR0
>>451 でも山縣は自分の懐にいれてたわけじゃないんだろう。
山城屋事件にしても、緊縮財政で予算がバッサリ落とされてしまいどうにか組織を作るための金を作ろうとしたんだろうし(大失敗したが)
軍人の留学資金や戦時の工作資金を捻出したりするためには自然に綺麗でない金にも手を突っ込んだりしないといかんだろうな。
453 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/08/26(日) 19:15:40 ID:hUHHKDaU0
山県も井上もそうなんだが、結局彼らの汚職というのは 黎明期にある今にも崩壊しそうな日本の危険性をよく認識してたから 汚職の質が違うんだよね。 井上は世界と戦える財閥を作るために資本を集中させた。 なぜなら、日本のすくない資本をばらばらに運用していては とうてい世界と戦えないから。 だから随分不公平なこともあったと思うが、平等にするよりはるかにマシだ。 山県もやはり自らの派閥を強力にしていくことに血道をあげた。 それは薩長政権を安定させるためだった。あの時、政権がガタガタになっていたら、 もしかしたら国家そのものが潰れるかもしれなかったのだ。 司馬なんてのは、要は社民党みたいなものw
454 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/08/26(日) 21:40:32 ID:KJVr579W0
>>452 彼たちの憂国の志は認める。但し、証拠がない以上懐にもいくらか入れていたというのが
常識的な考え方でしょう。でもそれは自分がその立場でもそうしてると思うし、山縣、井上、伊藤
ら維新の第二世代の人間は本当に近代日本に貢献したと思うよ。
>>447 >当時陸相の木越安綱が身を挺して頑張ったわけだよね。もうちょい名前が出てもいい人なんだけど。
木越安綱は陸相経験者というよりも、日露戦争の「木越支隊長」のイメージが強烈過ぎるのでは
日露戦争での三大支隊長とまでいわれているらしい
>>454 ただ維新第二世代のせいか天皇に対する「所詮御輿や飾り物として利用するだけ」
という意識が強く、そういうところが後々まで軍部に伝わったのは不愉快だな
たぶんほんとはいい人。 病床にあった友人・高杉晋作を最後まで見舞いに来たりしたらしい。 不治の病の結核だったから、うつるかもしれないことを思うと 本当に優しかったんじゃないかと思う。 幼馴染の証言では、「近所の子供たちで石投げ合戦をしたとき、 わしは前線に出て戦ったが、彼は後ろのほうでおり、怪我したものを 手際よく医者のところへ運んだりしていた」こともあったらしい。 たぶん第一線で活躍するのには向いてないほうだったのかもね。
458 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/20(木) 00:04:09 ID:mjutukuN0
今の天皇家を見たら今上を殴っているかもしれないね。 やはり怒る人は必要なのだ。
459 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/20(木) 01:40:44 ID:HTJ28oOb0
>>457 高杉不在中に高杉が創設した奇兵隊を掌握し、
高杉が功山寺で挙兵したのに、動かなかったのが山県なのだが。
激昂する部下達を押さえられなくなり、仕方なく高杉に従った。
高杉は絶頂の時に病に倒れたから、部下の手前、山県は見舞いに行っただろう。
でも高杉が野山獄にいた時は、山県は一度も面会に行かなかった。
若い頃から自分の保身ばかり考える男だ。こういうのは出世するけどね。
461 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/21(金) 00:46:37 ID:qCatoDFe0
高杉を絶賛するのはやめたほうがいい。 太田絵堂の後、萩に行こうと言ったが山県は無視した。
462 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/21(金) 03:26:30 ID:cQXewYBZ0
> 太田絵堂の後、萩に行こうと言ったが山県は無視した。 正確に言うと、山県はこれ以上の進軍を反対したが、高杉は進軍を命じた。 すると山県は「じゃあ俺が先陣を勤める」と死ぬ覚悟を示したので 高杉が折れて「わかった、これ以上の進軍は止めよう」と言った。
463 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/31(月) 02:14:46 ID:bzvxAd7n0
日本のスターリン?
みなさん、今年も一年お疲れ様でした。 スターリンってほど酷いことしてないと思うが・・・。 良くも悪くも政治家だったんだろう。
465 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2007/12/31(月) 09:47:04 ID:AHf752vLO
「玉(ぎょく)には適当に報告しとけばいい。ぼんくらだから」 明治大帝大正帝を玉呼ばわりして やりたい放題。それが山県有朋はじめ維新の元勲たちw
徴兵制はだめ?
468 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/01/04(金) 12:05:41 ID:+rKG5ozv0
有能な実務家として生を終えてれば一定の評価も受けたろうに あいにくと政治権力が大好物w
権力ってそんな悪いもんかね?あの時代では仕方なかろ、と擁護してみる。 自分的に長州三尊スペックは山県>井上>>>伊藤 井上は財閥・派閥の力が凄いが、権力志向がないから× 伊藤は個人の実力・権力志向は強いし柔軟性があるが、 派閥の力が弱いから×だな。伊藤にもう少し人に対する執着心があれば… とつくづく思う。
明治天皇と大正天皇は、山県の事が大嫌いだったが 昭和天皇は山県を評価しているな。 昭和の陸軍は、関東軍参謀とか大尉〜少佐クラスの若い参謀連中が暴走して、 コントロール不能に嵌ってしまう事が多かったからなあ。 山県が生きている時なら、考えられない事だった。 マキャベリストとしての山県はもう少し評価されていいのかもしれない。
471 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/01/04(金) 19:58:04 ID:c4xp2j2Y0
山県って、昭和天皇の婚約問題で失墜したんだろ? 宮中某重大事件。 それでも昭和天皇が評価してるなら面白いな。 自分は結構山県好きだなあ。 時流を動かすのは結局こういう面白みのない実務家だよ。 西郷や原敬への態度見てたら只の腹黒ではないね。 東北人が長州閥駆逐しておかしくなったよね。
472 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/01/05(土) 07:03:13 ID:kanpGbEY0
西南戦争での山縣の活躍について教えてください
>>469 それはスペックというより派閥というか影響力な気がする。
あと伊藤は流石に山縣と同等クラス。
伊藤は基本的に、意見を集約して調整するタイプで、
自分の政策をそこまでごり押ししたいとは思わない。
多数が反対すれば、普通に折れる。
そしてそういう性格だから、意見をごり押しする為に派閥を作ろうという思考がない。
彼にとってはその場その場でのスタッフに過ぎない。
それを自分でも分かっているし。人にも指摘されているが、
それでいいと開き治っている。全て天皇の家臣だからどうとか。
まあだからこそ天皇からの信任も厚かったんだろうが。
>>466 そこもねえ。
的外れな指揮ってのは間違いだろう。
正しくは勝手にどんどん進軍してしまい、そのまま北京まで進軍しようとしたから、
そこで伊藤がふざけんなと切れて、召還したわけ。
指揮自体は上手くて、一人快進撃を続けていた。
山縣から指揮が変わったら、その塗炭その軍は不利になっている。突出しすぎていたのもあるけどね。
政党が嫌いなのも、当時の政党の主張とか調べてたらわかるしなあ。
非常に好戦的で、無鉄砲な対外政策を主張して、新興財閥や地主の代弁者が当時の政党。
474 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/01/05(土) 14:53:10 ID:O4GW3M3w0
面白いな 同時代人は同郷ですらたいてい山県嫌ってたのに 現代の日本でこんなに支持者がw
>472 聞く前に自分で調べようね。 >474 山県は色々言われてるけど、優れた政治家だと思うお。 あのガチガチの派閥とか、今考えるとスゴス。 (子分が力をつけてくると離反するデメリットはあるが) 第二世代は第一世代と比べるとカスとか言われるけど、 そんな事はないと思う。というか周囲が悪く言い過ぎ。
山縣ってのはいわば、自分でなにもかもやりたがる。 頑固親父というイメージ。 そして若者が何かやった場合、そうじゃないと否定して、 もういい、俺がやると口を出すタイプだね。 わかいもんからは嫌われて当然。 だが、おおむねやっていることは正しかったりする。
悪だね。 こいつが軍を私物化したことが後々まで尾を引いた。 軍部大臣現役武官制、 この山縣の意地汚さを具現化したような制度が昭和になって復活し、 日本は、米内内閣倒閣、三国同盟締結、対英米戦と、 破滅への坂道を転がり落ちる。
478 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/01/07(月) 02:58:49 ID:JdaYUyRP0
イエス この馬面おっさんは功よか罪多し 山県いなけりゃ明治日本はもっと輝かしいものになったろうに
復活させたのは山縣じゃねーしw
廣田のアホだよな。 山縣の前例があるにも関わらず、なぜこいつはこんなアホなことをしたのだろうか・・・・。
481 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/01/08(火) 00:28:53 ID:W6/2GZvM0
>>476 >山縣ってのはいわば、自分でなにもかもやりたがる。
>頑固親父というイメージ。
誰の回想か忘れたが
山県公は仕事を部下に任せ、成功すればそれに応じた報酬・地位を与えた。
そのため、公を中心に自然と派閥が形成された
という発言をしていた記憶がある。
482 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/01/08(火) 00:34:13 ID:W6/2GZvM0
>>477 >>480 軍部大臣現役武官制があってもなくても軍部大臣は現役軍人でなければなり行かない
現実があったので、広田による復活の影響度については言われている程大きくはないかもしれない。
ただし、清浦は本当の組閣の時に上原勇作に対して、
「いざとなれば予備・後備から陸相を採る」
とブラフをかけているので、政治的なカードとしてはそれなりに機能したと思われるが
(しかも、清浦は鰻香内閣の時は、現役武官制にかかわらず、
海相予定者の加藤友三郎と八八艦隊予算をめぐる交渉が決裂して組閣を拝辞している)
483 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/01/08(火) 03:21:52 ID:vazcWlstO
軍部と政府と、どちらが過ちを犯すかわかったもんじゃないだろ? 大東亜の件はたまたま軍部だっただけ。 山縣としては、当時の低民度の国民からのコントロール可能性の高い 政府のほうに懐疑があっただけの話。
484 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/01/08(火) 04:55:29 ID:E1jtUXQR0
山縣=戦争に勝った東條英機 蓄財やら汚職を考えると東條の方がまだ精錬潔白(個人限定にしても) なだけマシとすら思える。 戦時指導者として結果を出した事はすべての欠点を埋め合わせるに 値する徳目にしても、山縣の成功は幸運にも時流に上手く乗っただけ というのは言いすぎかな? 個人的には伊藤の外交センス、路線に共感を覚えるのだが。
山縣の外交方針は伊藤とそんなに変わらんよ。
基本的に慎重で、欧米協調路線。
さらにいえば、中国とも協調的。
>>483 必ずしも軍部とは言い切れないんだけどね。
大陸はともかく、その後の南方や対米戦になると。
教育勅語、軍務大臣現役武官制、統帥権 あれァ、ぜんぶ山県がやったことさ
487 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/01/08(火) 15:02:54 ID:tMvm4ZFM0
東京の道路を明治の基準から見て、大幅に拡大したのは山縣有朋。 湯島にある椿荘は山縣が住んでいた。
山縣にしても、隈板内閣ができるまでは、
軍部大臣現役武官制を削除していたんだけどね。
だけど、政党がとことん嫌いだから、
彼らに好き勝手に軍部を弄られたくない、
そして世論に流され、勝手に戦争してもらっても困るってんで、
この条項を盛り込み、ある程度コントロールしようとしたわけ。
ま、山縣死後、軍部がそれを使って、大陸で好き勝手にやっていたのは、
(ま、議会もやれやれいけいけ、もっともっとという論調でしたが)
なんとも歴史の皮肉。
>>486 統帥権干犯問題をおこしたのは政党。
軍部じゃない。
また明治期にんな珍解釈をして、運用していたことはない。
>>485 もともと長州に武器を与え、使用法を教授し、内乱をそそのかしたのはイギリス。
明治政府が卑屈なほど欧米に言いなりなのはそのため。
外交にしてもパックスブリタニカの駒として動かされていただけで、
山県と伊藤の方針に本質的な差は生じようが無い。
日露戦争に辛勝し、大陸に利権を持ち、米英と対立したあたりから日本の迷走が始まる。
その時、ちゃんとした議会政治が定着してれば自律的な軌道修正も可能だったろうけど、
残念ながら日本には山県たちがつくった奇形的な政治体制と幼稚な軍隊しかなかった。
幕府の対仏外交のほうがよっぽど危険だったと思うが
>>489 >もともと長州に武器を与え、使用法を教授し、内乱をそそのかしたのはイギリス。
新説乙
>残念ながら日本には山県たちがつくった奇形的な政治体制と幼稚な軍隊しかなかった。
つまり伊藤山縣と昭和期の指導層との能力の差という奴ですね。
自分達の能力不足をシステムの責任だと責任転換してるだけ。
492 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/01/09(水) 22:11:49 ID:rcymk1Ui0
>>491 >>もともと長州に武器を与え、使用法を教授し、内乱をそそのかしたのはイギリス。
>新説乙
グラバーがいなければ薩長同盟も倒幕もありえないだろ。
伊藤や井上をイギリスに連れて行って植民地奴隷として調教したのもグラバー。
グラバーがいなくても問題なし、 もともと上海で買い付けする予定だった、 だけど、グラバーが容易してくれるというので、 買ってやっただけ。 薩長同盟とも倒幕とも無関係。 長州征伐の勝敗とも無関係です。 ていうか長州藩の主力だったミニエー銃はフランス製なんですけどね。 円フィールド銃はあまり使われなかったし。
>>491 おいおい…
欠陥のある制度こしらえた山県に落ち度がないとでも言いたげだな。
495 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/01/10(木) 05:01:05 ID:jmD1QmT40
>>493 >もともと上海で買い付けする予定だった、
そう。明治維新は上海から始まる。
英米の武器商人は、南北戦争終結で世界的にだぶついた武器を上海に持ち込み、
それを捌くために日本の中の不満分子(長州)を取り込んで内乱・内戦を炊きつけた。
典型的な植民地支配の第一歩だね。
ちなみに南北戦争時のアメリカは大量のミニエー銃を輸入してるから、
武器の生産国は本質的な問題ではない。
グラバーがいなくとも他の英米の武器商人が兵器を売るから困らないだろうけど、
イギリスの関与がなければ薩長同盟も倒幕はありえない。
>>494 運用する側の問題。
制度に問題があるなら、変えればいいだけ。
明治憲法とはそのようになっている。だから条項は簡素にして、
その当時の為政者によって、どのような時代にも対応できるようになってんの。
ていうか、当時は欠陥じゃなくて、長所として扱われたものが、
後の時代で短所となることはよくある話で、
それをもって、長所を否定するのは馬鹿げた話だよ。
>>495 イギリスに頼まれて反乱したなんて新説は初耳だなあ。
ていうか長州の恭順を聞き入れないで、征伐したんじゃなかったっけ?
長州からいきなり、幕府に攻め込んだように聞こえるんだがw
497 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/01/11(金) 07:26:05 ID:01EHMiSJ0
>>496 >制度に問題があるなら、変えればいいだけ。
軍にとって気に食わない体制は勝手に変えられる。
これが姑息で陰険な山県がつくりだした制度。
そして軍はその権利を最大限に行使することになる。
要するに議会を否定した山県の短所が日本を腐らせた。
>長州からいきなり、幕府に攻め込んだように聞こえるんだがw
長州がいきなり京都御所を襲撃し天皇を拉致しようとしたから、
朝敵として討伐されたんだよ。
>軍にとって気に食わない体制は勝手に変えられる。 統帥権干犯問題をおこして、制度を勝手に変えたのは議会ですけどwww それまで軍部が、軍事予算の議決を編成権だといって、反故にしたことはありません。 >長州がいきなり京都御所を襲撃し天皇を拉致しようとしたから、 それは第一次の話ですなあ、そのとき藩主の変わりに重臣が何人も切腹しました。 それで一旦手打ちにして引いたのに、難癖つけて攻め込んで、大敗したのが幕府ww
499 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/01/11(金) 22:17:18 ID:01EHMiSJ0
>>498 >大敗したのが幕府ww
そこでイギリスの関与と庇護がなければ長州は消滅してた。
山県はイギリスの庇護によって生かされたことに感謝の念を抱いていたことだろう。
イギリスはなにも関与してませんよ。 諸外国は全て中立を宣言し、一兵の兵も送ってませんし、 資金も援助してません。
幕府はフランス政府からの援助でシャスポー銃やら大砲やら大量に送ってもらってたり、 フランス軍の現役将校に幕府歩兵の訓練してもらったり、 第二次長州征伐ではロッシュに長州攻略の作戦考えてもらったり、 フランス艦隊借りて萩を攻撃してもらおうとしたりしてるけどな。 長州はイギリスの民間企業から武器買っただけだし、長州軍を訓練するイギリス人なんてのもいなかった。 村医者が翻訳した独学の洋式戦術でフランス仕込みの幕府洋式歩兵を蹴散らした。 よく「薩長にはイギリスがつき、幕府にはフランスがついた」とか単純に言われることがあるけど、 幕府のフランスべったりっぷりは薩長のイギリスに対するそれとはとても同列に語れるものじゃないと思う。
502 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/01/12(土) 04:17:11 ID:lbpZFsj50
>>501 その「村医者」が上海に最新武器の買い付けに行って、
南北戦争で生み出された最先端の散兵戦術を学んできたんだけどな。
グラバーなどの武器商人の背後の動きは謎の部分が多いけど、
武器は売るけどその使用法は教えないなんてことはありえない。
ちなみに初期の幕府洋式歩兵はイギリス人の訓練を受けてた。
慶喜がシャスポー銃で武装した「フランス仕込みの幕府洋式歩兵」を組織するのは、
第二次征長の後のこと。
いずれにせよ幕府は最新兵器を国内戦に投入するという意識が希薄だったのに対し、
長州は「イギリスの民間企業」の指示通りに軍制改革を行い武器の消費に勤めた。
だからいつ指示がでたんだよw それに大村は欧米の書物を読んだだけだぞ。 そもそもグラバーがいつ戦術に詳しくなったんだよ。 それに1000歩譲って、指示があったとしても、 彼らにしてみれば、武器を消費してくれればいいだけであって、 長州が勝とうが、幕府が勝とうがどうでもいい話。 つか大村が上海までいったってのも初耳だなあ。
山県は陸軍軍人としてはそれなりに評価されているイメージがあるが、政治家としては劣っている イメージがある。
505 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/01/12(土) 14:07:56 ID:8sxRS2vkO
御一新によって利益と名誉を一代で得た豊臣秀吉みたいな人物だな。 功利主義の最大級の大物。 会社よりも自分。出世を目指す人物は 彼を研究するといいと思う。 彼は人生はそのエッセンスに満ちている。
506 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/01/12(土) 14:12:30 ID:8sxRS2vkO
失礼した。 彼の人生は。でした。
507 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/01/12(土) 15:01:36 ID:sJndDTtj0
>>503 イギリスが武器密売を禁止したら、長州は幕府に潰され、
武器が売れなくなる。
だからイギリスは長州をバックアップしたんでしょ。
幕末の志士たちの最終勝利者が山縣。 美味しい所だけかっさらっていったという感じだ。
>>507 イギリスが禁輸しても、他国から買うだけだろ。
ミニエー銃なんて、ぶっちゃけフランス製だし、
アメリカでだぶついた武器を日本に流すバイヤーなど、
裏表とわず、ごろごろいる。
それに長州は金を払っただけだが、幕府はフランスから援助を受ける見返りに、
関税やら、生糸の独占やら、国益といってもいいものをどんどん流していたんだがw
というか、山縣死後の政党の滅茶苦茶ぶりを見ると、彼には先見の明があったのかも知れない・・・・。
511 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/01/15(火) 22:19:58 ID:AhZ2nbRd0
高杉晋作、木戸孝允から東郷、乃木、さらに原敬、遂には昭和天皇まで 関わりがあったなんて1人の人生としてはすごいよな。
512 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/01/15(火) 22:26:30 ID:lfrYiOis0
あぁ、平成白虎隊、鉄血勤皇隊。
513 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/01/15(火) 23:09:27 ID:t2eLvAd60
一流:昭和天皇 二流:高杉、原敬 三流:木戸、東郷 無能:乃木 犯罪者:山縣
514 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/01/15(火) 23:17:43 ID:iiBeXCueO
山縣が犯罪者なのは笑えた!そして同感
伊藤は理想主義者であるのに対し、山県は現実主義者だったと いったことが、以前読んだ中公版「日本の歴史」(の対談本)に 書かれていたがこれが案外的を得た見方なのかなと言えなくもない。 現代につながる地方制度や警察制度を作ったのもこの人だったとか・・・。
>>511 そして閥内外問わず関わった殆どの人から
嫌われてるあるいは敬遠されてるコメント寄せられてるのが凄いw
517 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/01/16(水) 07:02:42 ID:4orB+Nt20
>516 且つ、当時の国民にも人気がないwww
518 :
若槻 :2008/01/16(水) 22:47:52 ID:upvOgUD90
山縣有朋は飲み物です
519 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/01/18(金) 00:20:09 ID:fc1g+TtM0
520 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/01/18(金) 00:34:27 ID:jS4mDkWM0
一流:昭和天皇 二流:高杉、原敬 三流:東郷 無能:乃木 ウンコ漏らし:木戸 犯罪者:山縣 変態ロリ:伊藤
あれ(山縣)は足軽の出だから この一言が回りまわって伝わり 山縣は原を暗殺する決意を固めたという
大久保や伊藤の暗殺もあやしい 大久保が健在なら山県のような小物は出番がなかった
523 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/01/18(金) 17:39:08 ID:IPuVILQYO
コンビニにうってた山県有朋(他)の漫画見たけど 良い人そうだったよ(`・ω・´)
524 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/01/19(土) 12:37:48 ID:onkpW8KR0
うちの実家あたりに山県さんが陣取ったんだ。 西南の役にて。
525 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/01/19(土) 13:24:08 ID:f1ehmcGRO
大正天皇は山縣に会うのが嫌でしょうがなかったらしい
昭和天皇は、第2次大戦終戦間際に、 疎開している皇太子(現天皇)に宛てた手紙で 日本の現状を日露戦の時と比較し憂えて 「大山・山県のような人材が(今は)いない」と書いて 山県を高く評価している。 やはり山県のリーダーシップは凄かったからね。 山県は、昭和天皇の結婚問題で悪人ぶりを発揮したが、 昭和天皇は別に恨んでいなかった。 自分の治世に、山県のように指導力のある人材がいない事を嘆いた。
そりゃ軍部を完全に仕切ってて、対外的には政府や政党よりもはるかに穏健派で慎重な男。
528 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/01/23(水) 05:19:55 ID:lA8bYb290
これこれ艱難辛苦をともにした明治天皇には敬遠されてるぞよ 「山県、そちはいつ辞めるのじゃ」 やはりこの人物にはある種の臭気がつきまとってたと言わざるをえない 葬式でも一般の見送り少なかったらしい
529 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/01/23(水) 08:20:19 ID:Tj5tu7Z10
>>526 >山県のリーダーシップ
政敵を陰謀で蹴落としたり暗殺したりして権力を牛耳ったことの結果。
山県は私欲と猜疑心は強かったけど、政治屋としては凡庸で下劣。
結局こいつはまともな後継者すら残せず、後の世代に多大な負の遺産を残した。
後継者がないのは確かに痛いなー。桂は裏切るし。 で、>529。山県のどこら辺が凡庸?山県閥自体は凄いと思うんだがどうよ。
国民軍という概念すらない時代に、たった40年で当時の世界最強陸軍国に勝てる軍隊作った時点で非凡。
権兵衛ちゃんの徹底ぶりには到底およばんがな そういやシーメンス事件て、軍務大臣現役武官の枠を予備役にまで広げた山本首相に対する 山縣の自作自演らしいね えげつなぁ
533 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/01/24(木) 01:59:52 ID:jW7V5Z0kO
第一次世界大戦の時は山県は穏健派だったらしいね 加藤高明が暴走したってことか
534 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/01/24(木) 08:21:19 ID:El6UPXkZ0
山県が「穏健派」に見えるのは、英米のご意向を気にしてたから。 日露戦争も当初は軍の暴走に対し開戦反対の立場だったけど、 英国の許可が下りたので結局追認してる。 山県は国内の政争では卑劣で凶暴だけど対外的には「穏健」。 金正日みたいなタイプだね。
535 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/01/24(木) 21:21:33 ID:OKQNXaVu0
毀誉褒貶ある人物だが、日本有数の歌人だし、作庭にセンスあるし。
> 日本有数の歌人だし、作庭にセンスあるし。 まさに金正日みたいなタイプだねw
政治家としての山県には美点などないから困る。
>>534 穏健というか、徹底した現実主義者だと思うが・・・・。
英国との同盟なくして、日露戦争に勝てたとは思えないしな。
ひさご酒 君がすすめし ありさまは 目にも耳にも なお残りけり 大正時代に晋作の瓢箪を見て詠んだらしいけど、栄達しても生死を共にした同志のことを 忘れてなかったんだなあと思って、この歌を知って山縣がちょっと好きになった
ガイコツみたいな顔が怖い。夜であったら絶対走って逃げる。 本読んでて山県の写真が急に眼に入るとドキッとする。
541 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/02/05(火) 19:49:43 ID:JEIZ2JtS0
朝日山の戦いで、山県がモタモタしてる間に奇兵隊の盟友、時山直八隊長が 雷神隊隊長の立見鑑三郎尚文の策にはまって殺されてしまった。 後に立見は政府軍に入り、日清日露戦争で大活躍し大将にまでなったが 山県は立見を避けていた。実戦の指揮官としては立見の足下にも及ばない 山県は庭いじりと人事に熱中するしかなかった。
>>534 海外の理解も得られれば、勝算もあるんで戦争を決断したのがそんなに悪いことなのか?
543 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/02/05(火) 22:02:40 ID:ZstfiixG0
この人一回も戦争に負けてないじゃん! 天才!!
なぜか上位者がことごとく不運にみまわれ その結果として頂点に立った幸運の持ち主
>>541 そりゃ親友の仇なら、できるだけ避けようとするのは当たり前なんじゃねえ?
むしろそこまで恨みが深いだろう人物を、きっちり大将まで昇進させたことのほうが驚きだわ。
言われてるほど賊軍の差別なんてなかったんだろうな。
てか、wikipediaの記述そのまんまだな。
546 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/02/09(土) 01:35:34 ID:hW3xYA/G0
山縣だね その右が大山で一人おいて乃木、児玉か あとは軍司令官たちかな
548 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/02/10(日) 11:10:18 ID:bJm+1kwVO
>>542 国内政治で陰険だったのを批判してんだよ糞ウヨ
国内の政争で陰険で、なにが政治家として問題なんだろうなあ。 政治家ってのは、国家と民族の為に動くべきであって、 政争でどれだけ相手をこき下ろそうが、国益を害しない限り、 批判の対象にはならんだろ。 北の将軍様みたいに、国民が貧困で餓死しているわけじゃないし。 北の将軍様みたいに、国際的に孤立しているわけじゃない。
つシーメンス事件 自分の権益と国益を履き違えてるような奴は 当然悪認定されていい
532の根拠なしのを信じてるのか。 痛いなあ。。。。
552 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/02/12(火) 17:28:25 ID:sW0Dk0rb0
山県は明治憲法に実質的にどれ程の関わりがあったのか どれ程貢献したのか あまり聞いてはいないがどうか
統帥権ねじ込んで国滅ぼしちゃいました
統帥権は当時としては当たり前なんだけど、 西洋の立憲君主制国家でも、統帥権は全て君主に存在する。
555 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/02/18(月) 21:49:27 ID:rQf5Sy3s0
>>554 そこを、わが国伝統の「押し込め政治」と
融合させた所がミソだな。
556 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/02/19(火) 13:04:24 ID:fIY/BhdI0
負け組から見れば悪 勝ち組から見れば神
確かにw いまの官僚どもから見れば神様みたいなモンだな
>>551 山県のシーメンスにおける山本首相追い落としは
半ば公然の秘密ですがな。
山縣よりも三島通庸
560 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/02/29(金) 21:00:01 ID:/yk6k8Nu0
教科書の登場してもいい様な役回りなのに、あまりというか 出てこられないのは、隠さなければいけない人物だからだろうね。
561 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/02/29(金) 22:35:22 ID:u/+r79ve0
宮中某重大事件を起こした日本史上最悪のサルだから 教科書には載せられないわな
軍人としては優秀だったの?
563 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/03/01(土) 10:20:48 ID:YzK9dqcQ0
負け組は権力が嫌い だから山縣は嫌いだろうなw 野心家や向上心のある人間は こういった人物はサクセスストーリー中の サクセスストーリーだから お手本だよ 善人ぶってる負け組が吠えようが 山縣の耳には絶対入らない 蚊トンボの声じゃなww
山県って↑こういうタイプをうまく使って、要らなくなったらポイ捨てしそう。
そう簡単に見捨てなかったから、あれだけ大きな派閥が作れたんでしょ。 山縣は初めは中々打ち解けず、相手をじっくりと観察するけど、 一度信用したらどんな大きな仕事でもポンと任せる。だから派閥が作れた。
でも自派閥の子飼いからも疎んじられてたのよねこの人
すでに山県の影響力がなくなっていたのだろう。 防務会議も山県死後には消えてしまい、みんな好き勝手にやり始めた。
このスレは会津臭い書き込みが多いでつねw
山口県というのは日本では朝鮮の血液的影響を もっとも多く受けたものの一つですから、 それももう古代じゃなくて、ごく近代にいたるまで 受けつづけてきたところですから。 そういうことがあって、長州的思考法というのは ぼくなんかは朝鮮人的なタイプだと思うんです。 司馬遼太郎
くだらね
571 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/03/03(月) 11:35:41 ID:cFrQtkQd0
であります、て軍部の言葉も山県有朋が採用した
572 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/03/08(土) 23:31:30 ID:23R98J720
相当政治力があったのは確かだな 晩年の伊藤よりはるかに権力はあった
573 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/03/09(日) 00:06:17 ID:fWus0ieN0
伊藤は権力よりも女体盛りの方に執着してたからな。
>>573 漏れも山県よりは伊藤にシンパシーを感じるな。やっぱ権力よりは女体盛りだよ。
575 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/03/10(月) 18:44:08 ID:ZAf8Wf710
伊藤が女体盛してる文献あるの? そしてその文献は信憑性あるのか?
なにをそんないきり立ってるのか 山県の陰性に対し伊藤の陽性という 上の場合、褒めてるニュアンスぽいのに
>>576 そうだよなぁ。たとえばサラリーマンなんかにたとえると
眉根にしわ寄せて陰険な謀略をやり、どこかで誰かに蹴落とされるんじゃないかって毎日ビクビクしながら頂点まで上り詰めて
「わが社の法皇」って呼ばれるよりは、毎日陽気に女体盛りで遊んでる方が楽しいし無駄に敵作らないし同じ現実的じゃな
い話だったらそっちの方がストレスにならなくていいよなって感じ。
漏れは経費の問題さえ考えなければ断然女体盛りを支持。
当然山県よりは伊藤だ。
って言うか、世間知レベルと視野の広さで言ったら伊藤の方が断然上だろ。
陸軍の利益しか考えてないのと、国中がロシアと戦争するっきゃない!っていきり立ってる時に因循姑息呼ばわりされながらも
「まだ戦争しないで交渉で済ますわけにはいかんのか」って冷静でいられる。
もし昭和16年に山県がいてもたいして役に立ちそうもないが、伊藤がいたらもう少しマシだったかもと妄想させられる。
山縣は三国干渉のときに、現地の部隊を必死に説得した人間だよ。 中国からの撤兵だって、体をはって成し遂げるさ。
579 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/03/11(火) 23:16:40 ID:jh2fGCJG0
原敬も 山県が生きていたら日米戦争は決して起こらない と言っていた。確か、日露戦争もどちらかといえば開戦に消極的だったと思う
580 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/03/11(火) 23:51:46 ID:PRdY2Is40
日本は日露まではパックスブリタニカに組み込まれてたから、 英米との戦争なんて絶対ありえない。 日露のときの山縣はもともとは開戦反対派の筆頭だった。 しかしイギリスがゴーサインを出したので、開戦派に鞍替えする。
全く同じレスをあちこちでみるんだが、 スクリプトかなにかなのか?
伊藤が持ち上げられてるが、伊藤は使えないと判断した奴は速攻見捨てるお。 反面、山県は面倒見いいお。粘り強いお でも自分が部下になるなら伊藤の下がいいお
583 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/03/12(水) 11:21:36 ID:U+UZ7E37O
長州に良い長州人なんて居ないの。 長州は皆悪い長州
いい会津人は死んだ会津人だけだ。
はいはい、山県について語ろうね。
いい山県は死んだ山県だけだ。
587 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/03/15(土) 21:38:49 ID:/3vUOge20
善でも悪でもない。 歴史上のひとつの駒、歯車だっただけ。 歴史をハリウッド映画みたいに勧善懲悪の視点で 見るべきじゃないだろうが。
588 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/03/15(土) 22:36:06 ID:eP7CxgwZ0
「死もまた社会奉仕」 山県の死去に際しての石橋湛山の名言。 山県ほどその死が歓迎された政治家は稀だ。
日本じゃ権力者=悪 絶対的な権力者=絶対的な悪になっちゃうからな 個人に権力が集約すれば殺される場合が多い 近代では井伊直弼、大久保利通、原敬、東條英機など 山縣は殺されなかった分、全く人気がないのも仕方ない
590 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/03/17(月) 07:00:17 ID:+NVe8eDQ0
>>354 プレジデントだったかjrの葛西が有朋を絶賛していたが、
なぜか表紙や目次では明治の指導者に学ぶだったな。
ほめてはいけない存在らしい。
その葛西にしても有朋の功績をここの住人と同じで、
あまり知らないような気がした。
功績なんて明治陸軍作ったことくらいじゃないすかね 政治面では自勢力の伸張にやっきになっただけ
592 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/03/18(火) 05:23:58 ID:qS1YZv580
山県(長州)が軍部大臣現役武官制をつくる、政治の私物化が目的 →山本(薩摩)があまりに危険な制度であるとして現役武官制を廃止 →寺内(長州)が現役武官制を復活、政治の私物化が目的 →三国同盟に反対してた米内(岩手)内閣が現役武官制で倒される →近衛(東京)内閣誕生 →松岡(長州)、外相となる →松岡(長州)、外務省大粛清、英米派を追放し軍人などに置き換える →松岡(長州)、三国同盟締結 →松岡(長州)、日米交渉を一貫して妨害 →松岡(長州)、満蒙は日本の生命線として一切の譲歩を拒否 →松岡(長州)、国際連盟を脱退 →松岡(長州)、大東亜共栄圏構想を提唱
593 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/03/18(火) 10:18:08 ID:Vql1wnHt0
大戦前、陸海軍の権力を独占した東北閥 ■陸軍 板垣征四郎(岩手・盛岡藩)陸軍大臣 畑 俊六(福島・会津藩)陸軍大臣 小磯國昭(山形・庄内藩)総理大臣 東條英機(岩手・盛岡藩)総理大臣・陸軍大臣 石原莞爾(山形・庄内藩) 今村 均(宮城・仙台藩) ■海軍 米内光政(岩手・盛岡藩)総理大臣・連合艦隊司令長官・海軍大臣 及川古志郎(岩手・盛岡藩)海軍大臣・軍令部総長 嶋田繁太郎(旧幕府・海軍奉行)海軍大臣・軍令部総長 山本五十六(新潟・長岡藩)連合艦隊司令長官 南雲忠一(山形・米沢藩) 井上成美(宮城・仙台藩) ※児玉誉士夫(福島・二本松藩)
594 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/03/18(火) 13:43:32 ID:hrUByABn0
山縣はラピュタに出てくる軍人さんのイメージが離れない。 ただ軍官僚としては有能だったしあのラピュタの軍人よりは人物が上か。 絶対に上司や友達にはしたくないタイプだけどキャラは好きだな。
595 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/03/18(火) 14:16:44 ID:woStjPit0
>>593 ただ東北出身(親を含む)の軍人名を羅列しただけで何の脈絡もない
閥の意味でも調べてからカキコしてくり、あほん陀羅
596 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/03/18(火) 14:26:31 ID:Vql1wnHt0
「われわれの連隊は、敵が上陸すると同時に南下して敵を水際で撃滅する任務をもっているが、 しかし、敵上陸とともに、東京都の避難民が荷車に家財を積んで北上してくるであろうから、 当然、街道の交通混雑が予想される。こういう場合、わが八十輌の中戦車は、 戦場到着までに立ち往生してしまう。どうすればよいか」 高級な戦術論ではなく、ごく常識的な質問である。だから大本営少佐参謀も、ごくあたりまえな表情で答えた。 「轢き殺してゆく」 (やめた) と思った。そのときは故障さ、と決意し、故障した場所で敵と戦おうと思った。 日本人のために戦っているはずの軍隊が、味方を轢き殺すという論理はどこからうまれるのか。 大正、昭和に軍部の主導権をにぎったひとに、東北人が多い。戊辰戦争で「賊軍」にされた藩から、 多くの軍人が出ている。かれらは西国諸藩出身よりも、より以上に「勤皇屋」になり、 陸軍の「長州的暴走性」のうえに、狂信性を加えた。東条英機の祖父が南部藩士であり、 旧会津藩士の家系からも多い。かれらは、「わが藩は、薩長よりもむしろ尊王の伝統が深かった」 というさまざまの藩伝説を誇大に教えこまれて維新後育った家系の出身である。 一種の史的コンプレックスからぬけるために、非常な精神家になる場合が多かった。 「轢き殺しても進め」 といったひとは、東北人であり、「天皇陛下のためだからやむをえない」とつけくわえた。
597 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/03/18(火) 15:00:08 ID:woStjPit0
司馬史観の押し売りかwww
悪名高かった薩長藩閥政治が終了して、 陰気な東北人が軍の実権握ったら、 それまでなんとか一等国へと駆け上がっていた日本が とたんに侵略戦争に走ってしまって、国が滅んだのは事実だけどな。 そういや、防衛省初代事務次官の守屋のブタも宮城県出身だ。 とにかく東北出身の軍人は、恐ろしいばかりの陰気さが漂っているな。
599 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/03/18(火) 21:05:15 ID:woStjPit0
東北人は陰気というよっか愚鈍(頭ワル、頭ヨイのいても訛きつくて意志を伝える 能力なし)、こんなんが実権握ったなんぞお笑い草。たまたま試験秀才が組織の トップに座ったがあっても飾り物。実際に組織の実権(意志を実行できる)握っていたのは たとえば、昭和15年時点の海軍省部でいえば、高田利種、石川信吾、大野竹次、仲原義正 前田稔、神重徳、山本祐二、柴勝男、小野田捨治郎ら親独派でほとんどが薩摩、長州出身者 陸軍かて佐藤、田中隆一、服部など強硬派、外務省に至っては例の松岡以下大島、白鳥等等 東条は東京生まれなので訛はない、嶋田(東京出身)など弁舌爽やかというよっか巧言令色の類
601 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/03/18(火) 21:38:39 ID:woStjPit0
田中隆一 はないわなw
ところで守屋て事務官(公務員上級合格のキャリア組)でないのけ?
自衛隊員ではあるが自衛官(武官)ではないと思うが
>>598
602 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/03/18(火) 21:41:49 ID:MbMjYwMd0
寺内寿一(山口県) 広田内閣の陸軍大臣として軍部大臣現役武官制を復活させ、軍部の発言権を拡大させる。 太平洋戦争では南方軍総司令官として南方作戦を指揮した。 フィリピン決戦では37万人という大戦中最大の犠牲者を出す。死者のほとんどは餓死によるもの。 なお、このとき寺内はマニラからサイゴン逃亡し、赤坂から芸者を呼び寄せ豪遊していた。 その後、インパール作戦を強行するも、補給を無視した無謀な作戦で約8万人の犠牲者を出し、敗戦の原因をつくる。
603 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/03/18(火) 21:42:45 ID:woStjPit0
>>600 ワシは信者などという愚行はしない。すべて是々非々
己の信条に従って生きている
604 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/03/18(火) 21:53:38 ID:MbMjYwMd0
寺内(山口)、冨永(長崎)、牟田口(佐賀)、杉山(福岡)の4人が昭和の軍人の中では最悪の売国奴。 すべて山県のエピゴーネンだ。
>>593 何かこれ見てると物を知らない人は東條と石原、とか山本・井上と南雲が盟友だったみたいに誤解しちゃうかもな。
それともあれか、あれは演技かそれともツンデレだとでも言うのかしらん?w
606 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/03/18(火) 22:22:11 ID:woStjPit0
小磯国昭にいたっては陸軍部内からまでシカトされ、幕僚から 首相は作戦に余計な口挟むな、とまで言われる始末
守屋のブタが現代の東北人の典型だな。 権力の鬼で、私利私欲の固まり。 東北人が権力握ると最低だ。
>>607 > 東北人が権力握ると最低だ。
なるほど。すると現総理と前総理も前々総理も実は東北人だったということですね?
609 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/03/26(水) 02:13:43 ID:iYQX1Er60
金に汚い長州閥の悪習が まんま陸軍の遺伝体質として残った事をお忘れなく。
>>608 つーか、その理屈で言うと吉田茂以降は東北人しか総理大臣になってないんじゃないのか?w
611 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/03/26(水) 11:06:46 ID:zOmpBkW50
山縣有朋は藩閥陸軍閥の頭目として議会政治政党政治に敵対しました。 近代日本史上の悪の元凶です。
612 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/03/26(水) 18:15:49 ID:j2ufN7bZO
知り合いに山県そっくりの男の子がいるのですが、その人に「山県にそっくりだね」って言ったら人権侵害になりますかね?ww
614 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/03/29(土) 00:41:50 ID:nT91QjuAO
山県は権力欲の塊みたいに言われてるけど閨閥ほとんどつくらなかったんだよな? 珍しいよな
こいつのライバルとか良く死んでる 明治天皇の前の天皇も死んだし、 あれ?・・・・
616 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/04/01(火) 02:42:51 ID:fGnCWaCS0
高杉晋作、大村益次郎、西郷隆盛、大久保利通 確かにことごとく夭折してるな なんという強運の持ち主 上位者連中からすれば凶運の持ち主もいいトコだけど
617 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/04/01(火) 06:21:13 ID:Lrb1J4il0
>>616 高杉以外は天誅が下され処刑されたようなもの。
高杉も長生きしてたら抹殺されてたはず。
山県はどうでもいい雑魚だから権力の座にありつくことができた。
しかしこの手の愚物が成り上がるとたちが悪い。
権力に執着し、国家を私物化、長州閥の利権拡大に奔走する。
日本を腐らせた元凶だね。
618 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/04/01(火) 10:10:06 ID:1hgzxjIeO
山県は雑魚ではないだろ 大久保や西郷や高杉に比べたらそうかもしれないが… 能力は平均以上だろ
619 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/04/01(火) 23:02:47 ID:CB77pMVu0
山県は出自が卑しく、ほとんど百姓同然の身分。 当然、無教養で知能も低い。 雑魚と言って差し支えないだろ。 山県が権力を握ったのは偶然によるところが大きく、 こいつの能力によるものではない。
620 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/04/01(火) 23:22:04 ID:1hgzxjIeO
>>619 村医者といえど身分の卑しい百姓身分の村田蔵六は無教養だったか?
なんで無能やねん 高杉や大村のすぐ下にいるのは実務家としてそれなりに有能だったからでは? だから取って代われた
622 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/04/02(水) 05:14:44 ID:lQDFI9TA0
高杉や大村はイギリスから与えられた武器や思想に突き動かされていたわけで、 英米武器商人の手先として「有能」だったにすぎない。 山県は小心で猜疑心が強く、長州閥の利権拡大という「実務」に関しては、 たしかに「有能」だったけど、上の二人よりもスケールは小さい。 転がり込んできた権力の維持に汲々としていた小役人タイプだね。
623 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/04/04(金) 09:41:08 ID:xMkUl5z90
馬鹿息子寺内寿一
624 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/04/04(金) 21:45:06 ID:srZpqXVP0
井上の鹿鳴館は長州人の暗愚と奴隷根性の象徴。 外国人は卑屈に欧米人の真似をする日本人を軽蔑し冷笑してた。 「日本古来の風俗を守ったほうが似合う」と軽薄な風潮をいさめたのは、 マウントバッテン卿をはじめとする外国人たちだった。
625 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/04/04(金) 23:59:13 ID:qxX7uQljO
日本古来の素晴らしい文化である混浴を否定した毛唐どもが憎い
626 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/04/19(土) 05:04:27 ID:kkPyamgH0
防衛大学校の教授が有朋を全否定しているが笑ってしまった。 自分たちは汚職、ゴルフ、天下りしか出来ないくせに。
山県が無能だとは思わん。 が、スレ主旨に沿うならやはり悪にカテゴライズされるだろうな。 功より害が多かった意味で。
628 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/05/01(木) 06:33:40 ID:+Wxhcdak0
この人が政党の伸張阻害してる間に 軍部が盛り返して帝国そのものが滅びましたとさ
政党政治がなかなか軌道にのらなかったのは、 軍部の横槍より政党間の抗争にあけくれたからだと思うが。 あと、星、原、浜口という大物が仕事をすべきタイミングで暗殺されてしまったのが大きい気がする。 宮中に籠った西園寺、牧野。 火中の栗を拾おうとしなかった天皇側近の罪は大きい。
630 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/05/02(金) 08:38:51 ID:HEbHmz+ZO
山縣の作った軍部が昭和になると暴発し戦争突入??
631 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/05/03(土) 02:11:57 ID:qv9tA1ycO
誰か簡単に功績と悪影響をまとめてよ
632 :
武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/05/03(土) 17:18:49 ID:zCJDR85bO
>>625 混浴なんてなくていいよ。
未だに存在してるのが訝しい。
>>630 そう
山県死亡で抑えが効かなくなったからね
制度上の欠陥を改めることなく
自己の権力の集中に念頭置いた罪はいくらでも責められて然るべきだと思うよ
634 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/05/08(木) 02:08:44 ID:x0qh4b6H0
>>630 山県がつくった軍部大臣現役武官制のせいで陸軍が暴走し戦争に突入した。
軍を私物化しようとした長州人の意地汚さが日本を滅ぼしたとも言える。
635 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/05/08(木) 20:57:43 ID:Q5Wv3fNoO
星野仙一は山縣有朋の劣化版
周りの人間から敬遠されてる辺りが?w
637 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/05/10(土) 22:03:57 ID:JyDjUXlIO
山県の軍部は
638 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/05/10(土) 22:14:22 ID:+BnMX8dr0
足軽以下の最下等な下僕の子として生まれる。 山県の、世をすね猜疑心が強く陰険な性格は、 卑しい生まれに原因があるのだろう。 その後自ら狂介と名乗り、小物であるがゆえに生き残り、 「元勲」として成り上がる。
639 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/05/11(日) 03:38:25 ID:avkInT870
そんな人だがまあ若いときはそれなりに 死線くぐり抜けてきたけどな
640 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/05/11(日) 05:45:51 ID:7iRTYu/y0
自分のような、維新を経験した元勲が死に絶えたあと、軍部大臣現役武官制のせいで、総無責任体制 になることを見抜けなかった、先見性の無さ。伊藤だったら、反対していただろう。
641 :
大正天皇 :2008/05/11(日) 07:15:07 ID:sgSHH6CcO
キリギリスめ!
642 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/05/11(日) 12:03:28 ID:u47gDi0mO
栃木県那須に 山縣記念館があります。 室内には陰謀で手に入れた勲章等が数多く展示されています。
>>640 軍部大臣現役武官制なんてあろうがなかろうが同じだよ。
予備役から軍部大臣になったやつなんていないんだから。
644 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/05/18(日) 15:17:05 ID:9RCpN0EO0
山縣=ナベツネ=老害
645 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/05/18(日) 15:22:32 ID:O01N+ULo0
連日の惨敗で爺さんプッツン、四川を彷徨っている
646 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/05/18(日) 17:06:36 ID:kdj/9jajO
647 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/05/18(日) 23:24:44 ID:bTViSWGIO
明治に善の政治家っているの? 村長さんとか?
自称勤皇家だったらしいよw
649 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/05/20(火) 00:14:02 ID:4HRQKq170
>>643 実は
大山巌、高島鞆之助、米内光政
の3人は予備役から軍部大臣になっている。(大臣任官と同時もしくは程なくして現役復帰)
また、西郷従道は、予備役制度創設とともに予備役陸軍中将(海軍大臣在職のため)
になり、海軍大将任官と同時に現役復帰
というわけで、予備役から軍部大臣というものがいないわけではない。
ただし、在職中も「非現役(予備、後備、退役の総称)」のままではまずかったのだろう。
このあたりの詳しい分析は 永井和著『近代日本の軍部と政治』思文閣出版 参照のこと
650 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/05/21(水) 11:46:22 ID:YyvT5c3n0
たった四人w
651 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/05/21(水) 11:57:15 ID:YyvT5c3n0
大体さ 大山巌 高島鞆之助 西郷従道 これ全部陸軍草創期の話じゃないか。 しかも全員薩摩閥。薩長閥全盛の時代なんだから何でもありだ。 軍部大臣現役武官制で皇道派を締め出した統制派と何も変わらん。
>>632 その代わり外国にあるヌーディストビーチが日本にはない。
653 :
大庭 :2008/05/25(日) 13:48:57 ID:9SGm5Q620
知ってる? 名越麻衣子っていう女性がいていじめばっかりしていたらしいよ。 名越麻衣子には反省してもらわないとね。
654 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/05(木) 16:17:54 ID:0ATo0/yK0
Network Information: [ネットワーク情報] a. [IPネットワークアドレス] 202.254.192.0/21 b. [ネットワーク名] B-COM-NET f. [組織名] 学校法人 浄土宗教育資団 佛教大学 g. [Organization] Bukkyo University m. [管理者連絡窓口] RJ023JP n. [技術連絡担当者] MI6845JP p. [ネームサーバ] ns.bukkyo-u.ac.jp p. [ネームサーバ] ns.nca5.ad.jp [割当年月日] 1994/05/24 [返却年月日] [最終更新] 2005/02/28 22:44:03(JST) 上位情報 ---------- 該当するデータがありません。 下位情報 ---------- 該当するデータがありません。
655 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/05(木) 16:25:14 ID:0ATo0/yK0
[ JPNIC database provides information regarding IP address and ASN. Its use ] [ is restricted to network administration purposes. For further information, ] [ use 'whois -h whois.nic.ad.jp help'. To only display English output, ] [ add '/e' at the end of command, e.g. 'whois -h whois.nic.ad.jp xxx/e'. ] Network Information: [ネットワーク情報] a. [IPネットワークアドレス] 133.25.0.0/16 b. [ネットワーク名] HOSEI-NET f. [組織名] 法政大学 g. [Organization] Hosei University m. [管理者連絡窓口] KY1266JP n. [技術連絡担当者] MI6785JP p. [ネームサーバ] ns0.hosei.ac.jp p. [ネームサーバ] ns1.iij.ad.jp [割当年月日] 1989/09/18 [返却年月日] [最終更新] 2005/08/22 10:58:54(JST) 上位情報 ---------- 該当するデータがありません。 下位情報 ---------- 該当するデータがありません。
656 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/05(木) 16:28:28 ID:0ATo0/yK0
Network Information: [ネットワーク情報] a. [IPネットワークアドレス] 61.44.104.48/28 b. [ネットワーク名] AUIH f. [組織名] 千葉県旭市 g. [Organization] City of Asahi m. [管理者連絡窓口] SI4932JP n. [技術連絡担当者] SI4932JP p. [ネームサーバ] [割当年月日] 2005/03/02 [返却年月日] [最終更新] 2005/03/02 20:20:03(JST) 上位情報 ---------- フリービット株式会社 (FreeBit Co.,Ltd.) [割り振り] 61.44.64.0/18 フリービット株式会社 (FreeBit Co.,Ltd.) SUBA-394-004 [SUBA] 61.44.104.0/24 下位情報 ---------- 該当するデータがありません。
657 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/06/05(木) 16:33:29 ID:0ATo0/yK0
Network Information: [ネットワーク情報] a. [IPネットワークアドレス] 210.132.116.0/24 b. [ネットワーク名] KUMAMOTO-NET f. [組織名] 熊本県 g. [Organization] Kumamoto Prefectural Government m. [管理者連絡窓口] HI6263JP n. [技術連絡担当者] HH5487JP p. [ネームサーバ] aso.pref.kumamoto.jp p. [ネームサーバ] dns3kc1.kumamoto-sgn.jp p. [ネームサーバ] dns3kc2.kumamoto-sgn.jp p. [ネームサーバ] dns2kc1.bears.ed.jp p. [ネームサーバ] dns2kc2.bears.ed.jp p. [ネームサーバ] penguin.kddnet.ad.jp [割当年月日] 2005/09/15 [返却年月日] [最終更新] 2006/01/12 15:53:04(JST) 上位情報 ---------- KDDI株式会社 (KDDI CORPORATION) [割り振り] 210.132.64.0/18 下位情報 ---------- 該当するデータがありません。
658 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/07/11(金) 05:14:37 ID:NPuWKwc80
伊藤博文が大河ドラマ化したら 是非終生の敵役としてご出演願う
659 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/07/11(金) 10:09:48 ID:yAmAMfyCO
山形は悪に決まってると言うか長州に良い長州はいない。 薩摩もしかり
会津人乙
661 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/07/16(水) 21:18:12 ID:NI5r2miq0
山縣…軍を私物化&軍部大臣現役武官制制定 ↓ 寺内…一度廃止された軍部大臣現役武官制を復活させる ↓ 松岡…軍部大臣現役武官制のおかげで外務大臣となり 日本をナチスに売り渡す ↓ アメリカと戦争 ∴山縣のせいで日本はアメリカと戦いボロ負けした
会津人の三段論法はおかしいのが良く分かる。
松岡に関しては本人もよく分からないぐらい錯綜した策謀をし過ぎたな。
萩の吉田松陰の蝋人形館みたいなとこの最後の山県蝋人形、妙に似てね? 後の人、肖像は謎の人ばっかのせいもあるだろうけど。 佐藤さんか岸さんか忘れたけど、それより山県が妙に似てて気味悪かったよ。
665 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/07/17(木) 15:51:59 ID:FtnHsOcM0
大村、大久保、木戸、伊藤… すべて山県に暗殺された犠牲者です。 ちなみに前原と西郷も山県にはめられて謀殺されました。
666 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/07/17(木) 16:51:21 ID:xP90jIw/O
山県優秀すぎw
667 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/07/17(木) 19:14:52 ID:1T9xwVbmO
伊藤=大久保 山県=西郷 前者は人気はないが彼らなしでは近代日本はありえなかった 後者はただ人気があっただけ。陸軍バカ
668 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/07/17(木) 19:42:31 ID:/9gJATDJ0
山県が人気…?
山縣は、他人を権力で縛る技術に長けていたが、蛇蠍の如く嫌われていた。 しかし山縣が生きている頃は、日本は国際社会で孤立することがなかった。 つまり、山縣死後の政権を握った戦前の政治家は、山縣よりも日本を苦しめた無能者なのさ。
原敬とのやり取りなんかから見ると ただの権力の亡者とは思えないけどな。
671 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/07/17(木) 22:01:30 ID:DIvBnh4H0
>>669 >しかし山縣が生きている頃は、日本は国際社会で孤立することがなかった。
単にイギリスの忠実な下僕かつ番犬とした振舞ってただけ。
その後の日本が蛇蝎の如き国となり破滅したのは、
↓のとおりすべて山県が元凶。
>日露戦争に辛勝し、大陸に利権を持ち、米英と対立したあたりから日本の迷走が始まる。
>その時、ちゃんとした議会政治が定着してれば自律的な軌道修正も可能だったろうけど、
>残念ながら日本には山県たちがつくった奇形的な政治体制と幼稚な軍隊しかなかった。
672 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/07/17(木) 22:29:11 ID:HMK1WyKJ0
>>671 独裁だろうがきちんと力関係を正しく見ていれば、孤立はしない。
日本を破壊したのは山縣ではなくその後の東北人たちだ。
満洲の利権を手にしようとしたのは関東軍と新興財閥、右翼、ヤクザ。 あとは人身売買とアヘンを商材にする浮浪の輩ども。
>>671 大陸利権で米英と対立というが、シベリア出兵は元々米英の要請だし、
それで白眼視されたと言っても日本は常任理事国になれる程度には協調していた訳で。
あと統帥権問題に火を付けたのはその議会政治だったんだが。
675 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/07/18(金) 01:15:22 ID:WSkfB0+60
>>673 もっとはっきり言えば、満州利権を牛耳ってたのは長州系の郷党集団。
満鉄総裁の松岡洋右、満州重工トップの鮎川義介、
計画経済を進めた岸信介などがその中心。
当時の満州国はアヘンから国家予算を超える巨額の利益を得ており、
その一部は国家予算に組み込まれ、残りの大部分は満州支配層の懐に入った。
だから松岡たちは、満州利権の保全のため、ナチスと三国同盟を結んで英米と対決し、
国連を脱退して「大東亜共栄圏」を吹聴し、「満蒙は日本の生命線」と国民を煽り、
独裁的な国家総動員体制で国民を統制することになる。
>>675 弐キ参スケの内、東條英機と星野直樹をお忘れのようですが……
明治維新の前後に活躍した人たち(死亡した人含めて生きていれば元老もしくは それに準ずるくらいになった、なったであろうという人)の中でこの人だけ妙に違和感ある 山県さんだけは体制内保守守旧派とでも言えばいいのだろうか 一度得た地位や権力にとことんこだわり絶対離そうとしないタイプ
おしえてください 幕末に生きとし生けるものの すべての生命に限りがあるのならば 山県は死にますか 大隈は死にますか 慶喜はどうですか 渋沢もそうですか おしえてください 私は時折 山県について考えます 誰もが等しく抱いた欲について 身分の苦しみと 学のない悲しみと 好かれない苦しみと 丈夫な悲しみと 昭和の陸軍と 大村は死にますか 木戸は死にますか 西郷は死にますか 大久保も死にますか 品川も死にますか 伊藤も死にますか 陸奥はどうですか 山田もそうですか 山県の大切な山城屋もみんな 寿命ですか 参考文献:慶喜スレ(パクりました)
679 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/07/19(土) 21:31:54 ID:BT+1Yzus0
山県と岩倉は日本史における悪の双璧
680 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/07/20(日) 01:16:19 ID:ilbszGRIO
山形の後釜の寺内も
681 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/07/20(日) 01:37:20 ID:ilbszGRIO
『善』大久保→伊藤→西園寺→犬養→高橋→浜口 『悪』西郷→山県→桂木→寺内(寿)→杉山 『善』坂本 大隈 板垣 後藤 江藤 尾崎 金子 伊東 陸軍=悪 としか思えん
682 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/07/20(日) 01:40:45 ID:CT7ytuCy0
善とか悪とか・・・ 安っぽいっスね
683 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/07/20(日) 02:20:21 ID:ilbszGRIO
『優』大久保→伊藤→西園寺→犬養→高橋→浜口 『良』坂本 大隈 板垣 後藤 江藤 尾崎 金子 伊東 『不可』西郷→山県→桂木→寺内(寿)→杉山
安っぽい上に単純。リアルではいい人なんだろうと思うけど。
685 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/07/20(日) 08:05:42 ID:ilbszGRIO
いい人ではない
ニホンザルに似ていると思うが。
687 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/07/20(日) 11:22:34 ID:iFceehWv0
顔がむかつく
688 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/07/20(日) 14:39:50 ID:ilbszGRIO
俺?
690 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/07/20(日) 22:35:25 ID:NoHlkJwE0
なぜ薩摩や土佐は清貧で志の高い善人ばかりなのに、 長州は意地汚い悪人しかいないの?
691 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/07/21(月) 00:09:57 ID:xmVRiJwBO
だが政治家といえば長州
あの時期の政治権力構造を考えると今の派閥、族議員政治が可愛くみえる。
693 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/07/21(月) 04:29:48 ID:5MCfhYr4O
>>690 判官贔屓。以上。
って、薩摩が清貧ってw
西南の役の当時、士族利権の温存のために戦争を引き起こしたって
一般庶民すらからも白眼視されてただろ。
大久保は薩摩からすれば裏切り者的なポジションだし。
それに、北海道開拓使官有物払下事件っていう
日本史の教科書にすら載るレベルの立派な汚職事件もあるしな。
>>691 奸智権謀に長けてるのが唯一の取り得だからな。
695 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/07/21(月) 08:32:13 ID:xmVRiJwBO
>>693 官有物払い下げは当事者は黒田 計ったのが大隈じゃね?
開拓使のやつじゃない?
696 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/07/21(月) 18:34:38 ID:9/kjJ41H0
こいつは一番最悪だろうな ただ唯一称えるのは徴兵令を積極的にしたこと なんで足軽が公爵までもらえるのかねw 同列の徳川宗家や五摂家は どうおもったんだろう
>>694 それも政治家にとって必要なことだよ。
ま、それ以外にも派閥を作り、纏め上げる指導力、
各勢力の利害を調整する調整力。
新しい制度への対応力と、新規革新ができる開明性。
その全てがそろった政治家ってのは、当時は長州にしかいないんだよな。
>>696 日本への功績を考えれば、徳川なんぞさらし首で、
五摂家は男爵でももったいないよ。
山縣の爵位は妥当。
698 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/07/22(火) 01:32:53 ID:oG8A6oTm0
山県って憲法制定に全然関わってないよね。政党嫌いだったら憲法制定を邪魔 するとか口出しするとかマイナスの意味での関わりがあってもいいのに。一切ないのが不思議。
699 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/07/22(火) 02:07:43 ID:3o69WypP0
善悪なんてよほどの事がない限り その時代の価値観で180度変わってしまうよ。
700 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/07/22(火) 03:53:41 ID:WUXLGQ3a0
山県や金正日のような人物、つまり、 無能だが権力にしがみつく術だけは長けてる人物は決して珍しくは無い。 そして彼らのような俗物が賛美される時代があるとするならば、 その時代は狂ってる。これは時代を超えた真実。
701 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/07/22(火) 13:22:58 ID:PkWlkZ4+0
無能だったら足軽から元老にまでなれないだろ
>>700 民衆には賛美されてないけどね
ほぼ同時期に亡くなった大隈重信に比して
葬列客ガラガラ
703 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/07/22(火) 18:59:53 ID:NG+XOO5vO
大久保 伊藤 大隈 板垣 後藤 等開明派が優勢すぎる
板垣は開明派なのか?w
豚骨ラーメンおいしかですよ。紅ショウガがうまか!! おいは具は焼き豚と海苔とキクラゲが好きよ。 薬味はネギと紅ショウガね。 マジうまかさ。スープのたまらんもん。あんにおいがよかね! ああ〜また食いたくなってきた〜。 明日も食うけん!!
706 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/07/22(火) 21:10:57 ID:1/T4evPr0
板垣退助は開明派ではない。 西郷隆盛は李朝との修好に際し、全権大使としての訪問を主張し、 板垣退助は李朝への軍隊派遣と占領を主張した。 その結果、二人は共に大久保利通に排除された。 その後、板垣は自由民権運動の父ということになり、 朝鮮半島への武力侵入を進言したという行状は、 武力討伐を一言も主張していない西郷の言ったこととされた。
でも一応民主化派の主要人物ではあったから、開明派でもあるんじゃないだろーか退助は。
外征については、有司専制派の黒田も主張してるし、あの頃は区分けが難しい。
しかも征韓論については、山県が反対派。
>>700 本当にただの無能だったら、山城屋事件のときに慰留されてないよ。
708 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/07/22(火) 22:33:22 ID:NG+XOO5vO
明六政変以前と以降で立場が変わるが 後藤象二郎 板垣退助 は間違いなくなく開明派 次に大隈重信 と配下の三田派 尾崎行雄とか 伊藤系は非民主的開明派(山縣系とはまるで違うが)
709 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/07/22(火) 22:51:13 ID:NG+XOO5vO
だから 民主化=開明と考える私としてはこうなる
民主化=開明だと仮定したらどうなるんだろ。 板垣、後藤=民主化国会優先派(イギリス系・慣習法?) 木戸、井上馨、福沢=民主化憲法優先派(基本イギリス系・のち井上はドイツ系に転向・福沢は国会優先?でも上とは違う) 伊藤、井上毅=民主化憲法優先派(ドイツ系・伊藤は基本保守) 大久保、大隈、黒田=有司専制・反民主化派(大隈は有司専制挫折後にイギリス系へ転向) 西郷、軍系薩閥=積極外征・反民主化派(黒田は一時期こっちにも入る・軍系は後に離脱) 山縣=消極外征・反民主化派 こんなもんだろうか?どこにライン引くか悩むな。
山縣は天皇を道具と思ってたやつだろ?
712 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/07/23(水) 08:18:14 ID:ixQV5OmSO
松方正義って何派?
正義派に決まってんだろ。
子作り派
715 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/07/23(水) 21:03:39 ID:kK3Vyp1o0
>>710 そこに並べた連中(福沢を除く)の幕末からの愚劣な迷走ぶりを見ろ。
漠然とした復古攘夷思想をもって保身と日和見に汲々としてただけで、
とても「開明派」とは呼べない。
そのリストの中で唯一の開明派は福沢。
復古一色となった暗黒の維新当初に文明開化の重要性を説き続け、
その後民権論がブームとなると官民調和と富国強兵を説き、
常により高い位置から明治国家を俯瞰し、時代の一歩先を示し続けた。
福沢なんて日本にはなんの影響もない人間だが。
福沢は学者。政治家じゃない。高い位置からものを見られるのは、 ただ言うだけの立場だから。 方向性のグループ分けに入ってるのは全く構わないし、高い識見は認める。 お札になってるくらいの偉人扱いされるべき人物だとは思うが、 国事を扱ってないってことで、福沢は大隈とも全然別。 早稲田と慶応だからって、大隈と並べられるだけでムっとするのに 木戸や大久保と同じ土俵に乗せないでもらいたい。 国の金で自分一人の論を開明するのと、日本一国を動かすのと、 同じ評価をしないでくれ。
政治脳
いつの時代も政治家よりも、評論家が正しく言っているように聞こえるものです。
世論、一般論には反論の余地はないからな。 政治家みたいに「この不況どうしたら良いのか…」「金解禁どうするよ…」と 一つの判断が国民の生活をまるっきり変えてしまうようなプレッシャーないからな。
>>711 山縣がどう考えていたのかはわからんけど、昭和天皇は山縣のことをかなり高く評価しているんだよな
ほんとうにどうしようもないクズは山縣ではなく子分の寺内だろう
722 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/07/24(木) 23:17:17 ID:FD+TDkaI0
福沢は単なる評論家じゃないぞ。 在野にありながら幼稚で未熟な政治家たちに進むべき道を指示している。 例えば明治14年、大隈、伊藤、井上が熱海で国家の将来構想を密談し、 ここから日本の立憲政治が始まるわけだけど、彼らに対し、 国会を開いて国民的基盤を確立することの重要性を教示したのは福沢だ。
>>722 密談の相手にはしたが、
国政の中に参加させようとしなかった。
参加しても責任もってやれるとも思ってもなかったって事はないか?
724 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/07/25(金) 10:32:55 ID:gnajXQhhO
>>714 保身と日和見したいなら、他の多くの藩みたく流されてりゃ良かったじゃん。
井上馨みたく殺されかける必要は無い。
山県は、思う存分自らの手も汚して歴史に名を残した男。 山県もそんなに好きじゃないが、戦場に出たこともなく、 一国の将来に決断を下したこともない福沢より、 自分の手を汚して恥をかいた人たち、 福沢につべこべ言われた人たちのが、自分は好きだね。
山県の非難さるべきは 一身に権力を集中させて 後進を育てようともしなかったこと
山縣は全部自分でやりたがるんだよ。
そんな上司って、会社に結構いるだろ。
んで自分の後を継ぐにたる人物が、山縣より先にみな死ぬか、
山縣から離れて独立してんの。
>>722 それは木戸の方針を再確認しただけ、
政府がたまに招く「有識者」程度の役割しかない。
というか「評論家」が福沢程度の男には丁度よいだろう。
福沢諭吉って明治におけるナべツネみたいなもんだからな
729 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/07/26(土) 15:12:17 ID:hjyUX7+SO
ねーよ
730 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/07/27(日) 02:11:59 ID:xvXFqfJ30
>山縣は全部自分でやりたがるんだよ。 どちらかといえば伊藤の方が当てはまるような気がするが
違う 伊藤はそのつど適材適所してあとはほったらかしw とかく派閥の根を広げたがる山縣とは違って恬淡としてる
>>731 財界人で言えば、起業することが第一の目的で自分が儲けることが第一の目的ではないようなところが渋沢栄一に近いな。
>>731 師匠の木戸もそんな感じだったからな
若い頃は批判していたけど年取ってきて似てきたのかね
734 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/07/27(日) 09:10:29 ID:pikmE6es0
権力に執着し、長州閥の維持がすべての目的の山県。 幼女を抱ければそれで満足だったのが伊藤。 権力と女、両方に執着したのが木戸。 私欲が無く日本の未来のために働いたのが渋沢。
渋沢がどんだけ儲けたか知ってるか?w 私欲がないなんてとんでもない!w
そこに出てこない井上と渋沢はいいコンビだけどな。 結局、私欲がないっていうのは、いいことなの? 私欲って、出世欲のことかね?公金に手を付けるということ? 明治の初めは、侍であれば給料もらえるっていう、それまでの制度自体が 崩れたんだから、多少、「公金」て感覚自体がわかってなくて当然という 気もするんだよな。 私欲だけで国とか、軍隊とか、そんな大きな単位を動かせるかどうか。 できたんだとしたら、それはそれで大したものなんじゃないか? 伊藤が幼女好きだってのは、伊藤のスレでも見たが、どっから来てる説? 伊藤が年とってからのことって良く知らんけど。 で、木戸は権力にも女にも執着してないからね。
伊藤ようじょ説は、伊藤のめかけがいて、 その女が死んだときは、その妹をめかけにして、 彼女も死んだときは、さらにその妹をめかけにしようとして、 これがまだ20いってなかったから、 それと伊藤は各地で招待されて遊女と遊ぶんだが、 生娘や醜女をよく選んだ。 これは美女を選んだ場合、地元の有力者の愛人であることもあるから、 生娘や醜女なら、その心配がないからね。 結果処女好きーようじょスキー説がでてきた。
なるほど。それでイトー・ヨージョスキーなわけか。 そら、あれほどの女好きで有名な偉い人を接待する場合、それくらいのもてなしが ないと、もてなす方も話にならんよな。でも、伊藤なり接待する方なりが、 それだけの金払ってるだろうしなぁ。 玄人さん相手じゃ、単に遊び好きってだけだよな。 めかけは、伊藤の妾ともなれば、実家の経済支えてっかもしんないから、 どっちかっつーと、その妾の実家が妹を差し出してるかも、だしなぁ。 20じゃ当時は、もういき遅れの部類だから駄目だったんだと思う。 ヨージョスキーであれば。 なんか、このはなさくやひめの話みたいだな。。。
>>737 > それと伊藤は各地で招待されて遊女と遊ぶんだが、
> 生娘や醜女をよく選んだ。
> これは美女を選んだ場合、地元の有力者の愛人であることもあるから、
> 生娘や醜女なら、その心配がないからね。
> 結果処女好きーようじょスキー説がでてきた。
これで年増の後家も好きだったら、築山殿で懲りた後の家康みたいだな。
740 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/07/27(日) 22:21:24 ID:xvXFqfJ30
伊藤は、官職と女性双方とも 「初物好き」 だったわけだが
741 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/07/28(月) 02:52:30 ID:ysWNYM1N0
>>737 >その女が死んだときは、その妹をめかけにして、
評判の美人三姉妹だったそうだね。
なぜか都合よく順番に不審死をとげ、伊藤の餌食に…
まぁ今となっては迷宮入りだね。
>生娘や醜女なら、その心配がないからね。
それは後付けの屁理屈。
芸者の水揚げは地元の有力者が行うもので、これは重要な通過儀礼。
伊藤はそれを横取りして処女を食い荒らしたわけで、それなりに軋轢があったはず。
ほんとうに地元有力者に気兼ねしたなら、使い古しの大年増を選ぶべき。
>>738 >そら、あれほどの女好きで有名な偉い人を接待する場合、それくらいのもてなしが
>ないと、もてなす方も話にならんよな
伊藤はようじょスキーに加え女体盛りマニアだった。
血まみれの刺身をむさぼってる光景を想像するとかなりおぞましい。
伊藤のような変態を接待するのはさぞかし大変だったことだろう。
なんか個人的な恨みがあるのか?
芸者の水揚げなんて、そこの男が相手をすることだって珍しくないんだが、
地元の有力者がやるなんて、まずないぞ。
そんな相手に生娘だすなんて失礼なことはまずせん。
>>742 会津人なんだろ。
744 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/07/28(月) 22:52:45 ID:BaKkbrSZ0
>>743 おまえは馬鹿か?
水揚げとは、有力者に初めての相手になってもらい、その後旦那になってもらう慣行のこと。
背後ではそれなりの金も動く。最も価値のある商品だからな。
745 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/07/28(月) 22:56:09 ID:jKxqyscO0
>>744 馬鹿はお前だ。
土地の有力者はそのようなことには原則的には手を出さない。
やったとしたら、極端に下劣な有力者ということになる。
>>744 加藤鷹とかみたいな、プロにやってもらうケースが非常に多いの、
地元の有力者に子供のときから、パトロンがついてるケースなど、
めったにない、よっぽど器量がよかったりしたら別だが、
そういう美人には伊藤は手を出さない。
747 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/07/29(火) 07:19:53 ID:IaHm6qj/0
>水揚げに選ばれる客は、その道に熟達した通人(つうじん)のなかから特に財力のゆたかな者が、抱主の依頼に応じたり、 >その承認のもとに自薦したりしてこの任に当たるのがつねであった。 wiki [水揚げ (花街)] 伊藤は「極端に下劣」な加藤鷹かよw 必死になって伊藤は美人に手を出さないと主張してるバカが痛すぎ
岩倉極子つーか、戸田極子はえらい美人だぜ。 奥さんだってきれいだし。 てか、伊藤の女の話で盛り上がられてる山県の身にもなれ。
>>748 話題に幅がないんだよな。あまりおもしろい逸話も聞かないし。
>>749 だれ?山県って面白い逸話ないんだ?
山県って、長州閥で有名だけど、伊藤とか井上と仲いい?
三浦とか山田とか品川とか、あの辺ともそんな仲よいとも思わないが。
てか、をれも良くしらねぇ。
>>747 誰でも書ける、ウィキがソースになると思ってんのか?
なんなら俺が今から、内容を丸々書き換えることもできるんだぞ。
752 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/07/29(火) 23:53:02 ID:2dzS5UVr0
貞奴の水揚げのときは、福沢桃介と奪い合いとなってるだろ。 権力にものをいわせた伊藤が処女をゲットするんだが、このとき貞奴は15歳そこそこ。 こうしたことを繰り返してた伊藤は水揚げのために巨額の金を費やしてる。
いいじゃん。金持ちなんだから。 明治維新した甲斐あったってもんだ。 伊藤一人だけでも、いい思いしてくれて、嬉しいよ。
まぁ、大奥に比べればかわいいもんだろ
まあその手の女は伊藤がやらなくても結局誰かにやられちゃうんだからしょうがないだろ それより伊藤は人の女房に手を出すのはやめろ、 でもその代わり旦那にいい目見させるからばれても文句言われないんだよなw
山縣も別宅に女囲ってたようだけどね
757 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/07/30(水) 08:43:27 ID:osLwKBFw0
伊藤も山県も、もともとは糞田舎の百姓なんだから、下劣で品が無いのはしょうがない。
女囲ってるからどうだっつーんだ。 市川房枝か、おまいらは!
759 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/07/30(水) 22:07:51 ID:hf/MHfBt0
伊藤の場合は女囲ってるというレベルではないからな... 一種の病気。現代なら立派な性犯罪者。
でも、金にはクリーンなんだよな伊藤…。 女には貪欲だが、政治家としては超一流だろJK。 >758 早乙女貢乙。気位だけが高いどこかの負け犬(おまけに虚言癖あり) よか遙かにマシだろ。
海舟の話で、伊藤が極子さんに言い寄って裸足で逃げ出したとかいうのに 誰かが怒って(黒田?松方?なんかその辺。忘れた)天皇に言うとかっていうんで、 海舟が「伊藤はこれを慎んで、あなたはこれを守りなさい」みたいなことを言って 何かを紙に書いた、って話があるだろ? あれ、なんだろ。タモリの安産お守りかね? そんなこと言われた天皇はどーすんのよ?ってのと、何を書いたのかってのだけ気になって 細かいとこ忘れたけど。
762 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/07/30(水) 23:57:42 ID:dKXJSaVb0
権力に執着し、長州閥の維持がすべての目的の山県。 幼女を抱ければそれで満足だったのが伊藤。 権力と女、両方に執着したのが木戸。 私欲が無く日本の未来のために働いたのが大久保。
何度も言わなくても言いたいことはわかったから、次回書くときは文句を変えれ。 山県まで出して比較しないでも、私利私欲の有無に関係なく、大久保は偉大。 いま、伊藤の女好き流れだからいいけど、山県が憎いだけのわけのわからん奴に そんなとこが大久保の優れた点だと思われたらいい迷惑だ。 若い芸者や女好きなのは伊藤の余興。伊藤の功績に笑いを添えるだけ。 芸者の水揚げと幼女好きは、性的嗜好としては似てるかもしれんが、全然別。 木戸の権力と女に執着してる例も是非知りたいから教えてくれ。
山県の功績なんてあるの?^^
山県は軍人としては優れているのではないだろうか。 でなきゃ、あれほど出世できない。
766 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/07/31(木) 09:07:31 ID:NHrmMkeG0
山県が優れてる? ただの小心な俗物でしょ。 周りの優秀な人物がほとんど死んでしまったので、結果的に成り上がっただけ。
767 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/07/31(木) 12:37:50 ID:DNl+VFNRO
>>766 小心な臆病者(味噌徳利)なのが山県の強みなんだよ。
徹底した西欧への恐怖と、その布陣の為なら天皇すら
道具にする現実思考は日露戦勝利へ直結してるからね。
彼の最大の失敗は後継者を遺さなかった事だ。
臆病者が消え日本は暴走を始める。
768 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/07/31(木) 20:32:19 ID:dd2Wcxhx0
山県が「穏健派」に見えるのは、英米のご意向を気にしてたから。 日露戦争も当初は軍の暴走に対し開戦反対の立場だったけど、 英国の許可が下りたので結局追認してる。 山県は国内の政争では卑劣で凶暴だけど対外的には「穏健」。 金正日みたいなタイプだね。
769 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/07/31(木) 22:02:51 ID:SXWtFGwb0
松陰先生は童貞を大切に守り通したのに、弟子どものエロ狂いはあまりにひどい。
後継者か、目をかけてた連中が山縣よりみんな先に死んじゃったから。
子飼いの連中で最終的に離れていった人多いね 自分の影響下に置いてなきゃ気が済まない性質だったんだろうな
772 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/08/02(土) 19:06:03 ID:y+Mfk4Ce0
松陰の顔ってマジで朝鮮人だよな
それは、なんとかいう弟子の描いた絵だろ?誰か別の人の描いた絵で、 お目めクリクリの相原コージの社長マーンみたいなのもあるよな。 でも、長州の人はなんとなく似た傾向の顔をしてる。松陰、高杉、伊藤、山県は 藩主の息子と同系列の顔だと思う。品川もその流れの顔。 山田顕義とか桂、青木はちょっと違う。 慶喜、容堂、会津の山川、勝、薩摩の黒田は日本人じゃないような顔だと思う。 山県はやっぱりニホンザル似だと思うが。
どちらかというとマントヒヒ似のような…。>山縣 でも、お爺ちゃん時は愛嬌のある可愛い顔してると思う。 憑き物が落ちたようなすっきりした顔というかなんというか、 人がよさそうな顔してるよね。
>>665 すげぇぇ
そこに山田も加えてください。
ついでに児玉も入れようぜ。
吉宗みたいなやっちゃなぁ 上に座す連中が次々転がり落ちていく
778 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/08/08(金) 03:40:34 ID:Hzj5yhKr0
足軽以下の最下等な下僕の子として生まれる。 山県の、世をすね猜疑心が強く陰険な性格は、 卑しい生まれに原因があるのだろう。 その後自ら狂介と名乗り、小物であるがゆえに生き残り、 「元勲」として成り上がる。
つ伊藤は武士ですらない農民の出
伊藤は足軽、山県は中間じゃね?
後年の悪評とか毀誉褒貶はあるが、小物とは思えん。 ただ、気位だけが高い捏造大好きな一部の負け犬より 100万倍ましだとは思う。会津とか会津とか会津とか。
日本の進路を誤らせた権力亡者というのが妥当な位置付けだと思う。 阿部眞之助『近代政治家評伝』(1953)より引用 ------------------------------------------------------------------- 軍閥を政治の外におき、しかも絶えず政治に容喙(ようかい)しつつ、 政治からは一指を染めざらしむることが、彼の八十五年の生涯の目的だつた。 軍閥が政治を指導し、支配するために、天皇を利用した。天皇を神格化し、 絶対化すると共に、天皇をデクノ坊化し、その権益を軍閥の手に収めようとした。 これが彼の寝ても覚めても忘れない宿望だつた。
783 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/08/09(土) 10:01:49 ID:s3316rKr0
山県は足軽以下の中間だね。 要するに武士の下男で、武士ではないから帯刀は許されない。 伊藤は百姓。 どちらかと言えば伊藤の方がマシかな。
784 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/08/10(日) 20:15:00 ID:ovGFeBuG0
山口県というのは日本では朝鮮の血液的影響を もっとも多く受けたものの一つですから、 それももう古代じゃなくて、ごく近代にいたるまで 受けつづけてきたところですから。 そういうことがあって、長州的思考法というのは ぼくなんかは朝鮮人的なタイプだと思うんです。 司馬遼太郎
785 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/08/11(月) 23:11:48 ID:jYFJweTK0
私共日本人は気候風土のためか,「恨」のうらみの事例は比較的少ないようだ。 強いて挙げれば幕末の長州藩の,中,下級武士達の動きであろう。 毛利藩は戦国時代前から豊臣時代迄西国の雄として広島に居城し,山陽,山陰の大部分を領していた。 しかし,関ヶ原の戦いの時,出陣はしたが戦いに参加せず匆々と兵を引き揚げてしまった。(薩摩藩も同じように引き揚げた。) 家康は天下統一の後,この2藩を取り潰そうとしたが,家康側について関ヶ原で武功をたてた毛利の外藩のとりなしで取り潰しは免れたが長州(山口県)一国にとじこめられた。 (一方,薩摩藩は国境に全兵力を配して国を固めると共に,家康と和戦両様の備えをしたうえで藩存続の交渉をした。 家康は薩摩へ兵を出して戦っても,奥州の伊達藩の動きが心配なので得策ではないと判断し,薩摩藩の取り潰しを断念したという。) 毛利藩は山陽,山陰の大部分を領する大藩から,本州の西端一国の小藩になったが,ほとんど全部の家臣が藩主について長州へ移った。 家臣の禄高は数分の一に減らされ,足軽達は農民になって新田の開発へ,中,上級武士も半農生活と妻の内職で細々と生計を支えることになった。 そして,それが徳川300年の間つづいたのである。 親から子,子から孫へと徳川に対する恨みが語りつがれ,今は苦しくても,何時の日か恨みが果せると言い伝えていたという。 (下級武士や足軽達が新田を開くのに既存の農民達も皆で協力し,長州藩の米生産高は2倍以上に増え,また妻子の内職で従来無かった特産品も生まれたと言われている。) 家康に対するこの恨みが幕末に顕在化したとすれば,まさに「恨300年」である。 表題の「恨500年」という言葉は中国に昔からある言葉だと聞いている。まさに気の長い恨みである。
786 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/08/12(火) 14:57:10 ID:E9koOax2O
むちゃ口と被るんだが… 日清の時は精鋭揃いの軍で助かってるがインパールは寄せ集めが多くて瓦解みたいな 状況違うけど補給軽視だよねこの人も
784というのは日本では朝鮮の血液的影響を もっとも多く受けたものの1人ですから、 それももう古代じゃなくて、ごく近代にいたるまで 受けつづけてきた人ですから。 そういうことがあって、784的思考法というのは ぼくなんかは朝鮮人的なタイプだと思うんです。 司馬遼太郎
788 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/08/12(火) 16:20:47 ID:RqqKp17+0
京都を燃やして天皇を拉致する計画を立てる(新撰組が鎮圧) 京都御所を武装襲撃する(禁門の変) 孝明天皇を暗殺する 睦仁親王を暗殺して大(以下略) 摂政宮(昭和天皇)を銃撃する(虎ノ門事件) 昭和天皇の意に反して三国同盟を結び日本を滅ぼす これほど皇室に迷惑かけたファビョーンな長州人が日本人のはずがない。
789 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/08/15(金) 05:00:08 ID:Rr/19Gvf0
山県は生涯をかけて必死に長州閥の利権の保持に努めた人物。 同郷にこだわり、一度握った利権は絶対放さないという態度は、 朝○人やユ○ヤ人など長年抑圧されてきた民族によくある特徴。 山県の悪とされてる部分は、個人的な性格というよりも、 何百年間も僻地に追いやられて差別されてきた長州人の本能なんだろうね。 山県がいなくとも、山県的な第二の人物が出てきたことは間違いないと思う。
790 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/08/18(月) 17:08:25 ID:G+cnsXgc0
とにかく明治政府というものは江戸期を否定し、 そして明治以後の知識人は、軍人を含めて、 江戸的な合理主義を持たなかった。 それはやはり、 何か昭和の大陥没とつながるのではないでしょうか。 司馬遼太郎
791 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/08/19(火) 20:37:35 ID:SSnODiz90
薩長の場合は自分たちに正統性や求心力が全くないから、 天皇の権威を借りて権力を握ることに狂奔した。 その結果、天皇は神がかりに祭り上げられ、 大元帥として戦争の責任まで押し付けられる始末。 皇室にとっては実に不幸な出来事だった。
軍隊の最高責任者というのは、国の長なのが普通だろ。
天皇の権威を高めるしか すがりつく物がなかったんでしょうな その果てが先の大戦という名の破綻
794 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/08/21(木) 06:43:28 ID:Dfl3bahw0
東北出身者の天皇の権威を借りた横暴が先の戦争を生んでしまった、と。
昭和に入ると、東條英機などの若手勢力によって、陸軍薩長閥は倒される。 そこまでは良いのだが、今度は若手による新たな軍閥が陸軍を牛耳るようになる。 その後、日本は…。
796 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/08/21(木) 09:17:35 ID:uw/wD63+0
16 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/22(土) 21:26:52 ID:XK9wcpTc0
>>6 松岡洋右は元満鉄総裁で、岸信介などととも、長州人が握る満州利権を代表する人物。
「大東亜共栄圏」「満蒙は日本の生命線」は、松岡がつくりだしたスローガンだが、
要するにこれは「オレの満州をアメリカから守るため、日本人は命をかけて戦え」と言ってるにすぎない。
主眼はあくまでも満州にあり、日本などどうなってもいいという無責任極まりない主張だ。
>>8 >木戸幸一の動きも考え合わせればこのような新長州閥結成への過程で
>対米開戦となったということができる。
キーマンは木戸幸一だね。
木戸は内大臣として事実上のキングメーカーの役割を果たしており、
近衛内閣も東条内閣も木戸がつくりだした体制だ。
近衛が中国からの撤兵を決意し、陸軍を天皇の御諚によって抑えようとしたとき、
木戸はそれを天皇に奏上せず握りつぶす。
これにより日本は中国撤兵の最後の機会を失うことになる。
閣内不一致で近衛内閣が倒れた後に、木戸の画策で誕生したのが東条内閣。
卑劣で保身に長けた木戸は、開戦責任を近衛に押し付けて死刑を逃れたけど、
本来なら木戸は日本人の手で絞首刑にすべき犯罪者だ。
木戸幸一について勉強したいと思います 信頼できる資料等ありましたらご紹介下さい
ありがとうございます、読んでみます。
>>799 ちなみの本単体はすごく値段が高いから図書館で借りればいいよ。
801 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/08/23(土) 19:53:08 ID:kDXFnhel0
>>797 『近衛文麿「黙」して死す』がおもしろい。
H.ノーマンとの関係など目から鱗。
知れば知るほど気持ち悪い部分が見えてくる、それが木戸幸一。
802 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/08/24(日) 16:30:20 ID:pi3exJNI0
難波大助: 山口県光市出身のテロリスト。 伊藤博文から与えられた銃で裕仁皇太子(後の昭和天皇)を銃撃した。 動機については関東大震災で朝鮮人が「虐殺」されたことの報復であると自供してる。 長州人は禁門の変においても天皇に向けて発砲している。
長州出身は賊軍だな。 自民党にも多くの賊軍子孫が蔓延ってる
804 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/08/24(日) 22:37:07 ID:8pt6hs2o0
近衛公は昭和天皇に累が及ばないように、何も語らず罪を一身にかぶった。 彼は多くの誤りを犯したけど最期は立派だった。 一方の木戸は事実を捻じ曲げ他人に罪をなすりつけ自己弁護に終始した。 卑怯で恥知らずな振る舞いは、さすが逃げの小五郎の血族。
805 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/08/25(月) 18:00:33 ID:kBq3M6/A0
悪に決まってんだろ 山縣が統帥権などと言う 国家の中の国家を制度化したから滅びた
806 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/08/25(月) 22:38:20 ID:d+xjA9XP0
>>805 山形存命中の日清、日露両戦争では統帥権独立は問題となっていない。
807 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/08/25(月) 22:48:21 ID:bB1KAxFs0
山縣の末裔が早稲田政経に在学中。
将来、軍国主義を復活させたりしてな。縁起でもないが。どうせ政治家になるなら真の救国の志士になって欲しい。ところで山縣って実の子いたっけ?養子か親類の子孫ってことかな?
>>808 絶対この国の国民の性質上、軍国主義になるよ。
810 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/08/26(火) 12:43:28 ID:c1sEpk7b0
壺の中にエサを入れてサルに与えると、エサを握った状態で手が抜けなくなる。 山県は壺から手が抜けなくなったサルと同じ。 統帥権問題にしろ軍部大臣現役武官制にしろ、 山県の意地汚さが後の日本を破滅させる原因をつくってる。
たしかにサルに似てる。 このスレタイに「善なの?悪なの?」と聞かれるたびに、 「善でも悪でもない。ニホンザルでしょう」とつぶやいてしまう。 じーさんになってからじゃなく、ちょんまげ結ってる頃の山県は 昔、やたらに反省してた猿ににているんだもの。。。
でもそのニホンザルが権力の頂点で色々やった。 今になって歴史を振り返るから「反動的」「軍国主義の権化」と批判できるが、 自分があの時代あのポジションにいてどんなビジョンをどんな判断基準でどんな方法でなしえたか? それを考えるとやっぱり凄いなあと思う。
>どんなビジョンをどんな判断基準でどんな方法でなしえたか? 山県は独自のビジョンや判断基準なんて持ち合わせていないぞ。 ただイギリスの言いなりに行動してただけだ。 山県がサルならばイギリスは猿回しということになる。 また、国内的には、長州閥を守るため政党政治や民権運動を弾圧し軍を私物化してたけど、 これもビジョンがあっての行動ではなく、山県の臆病さから出た行動。
>>806 自分という重しがなくなった時点で
蠢動はじめるような欠陥軍部作った時点でダメダメ
軍人勅諭で俺達は天皇の軍隊という概念を
エリート達の骨の髄まで染み込ませてった果てがあのざま
あの時代は難しい。政党の言いなりに軍拡やめてれば、日露には勝てなかっただろうし。 議会と内閣と天皇親政と軍事官僚、内政官僚の間のバランス取りはかなり難しかっただろう。 穂積の天皇親政論も内政官僚と桂太郎に見限られて明治末年頃には穂積自身がその事を嘆いているし、 本当に一筋縄ではいかない。
>>806 山形存命中のシベリア出兵時には問題になってたよ。
司馬遼太郎が太平洋戦争を題材にして描いたら 狂うwと言ってたのも当然か
伊藤博文が殺されて、山縣だけが残ってしまったのが悲劇。 軍事バカの山縣には、国際政治のかんどころがわからずに、シベリアに固執した。 結果として日本はソ連の怨みと西欧・米国の不信ばかりを募らせた。 伊藤が生きていれば、統帥権干犯などという馬鹿げた理屈は一蹴してただろう。
819 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/09/06(土) 02:21:37 ID:OC9Gl7Bo0
伊藤博文暗殺の黒幕は山県ですから
死に所を得た伊藤が うらやましいと言ってるんだけどな
まあみなさんの意見を見る限り 結論:山縣は悪
山縣のお墓はすごい立派だけど 参る人もなく荒れてるかんじだったな。
824 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/09/06(土) 18:54:37 ID:HVy46q4b0
映画「猿の惑星」のサルは山県がモデル
>>823 東京・文京区の護国寺。
この墓地には山縣の他に、政治家では大隈重信、三条実美、山田顕義etcの墓がある。
陸軍墓地もあるくらいで、陸軍関係者が多いな。
三条の墓も荒れてたが、山田と大隈の墓はすごくきれいに整備されてる。
山縣の墓の隣には大倉喜八郎の墓で、これもものすごく立派。
ほかにもジョサイア・コンドルとか大山倍達とか、有名な人の墓が多いよ。
>>825 ありがと。 機会があれば行ってみよう。
>>825 三条……苦労の割に報われてねぇなぁ(ノД`)
>>818 そもそも益次郎さえ存命してたら
統帥権とかけったいなもん盛り込む必要なく近代軍隊練り上げたに違いない
統帥権が無けりゃだれが軍を統帥するんだって事になってそれはそれで問題だろw 統帥権の序列に政府、議会の政治家、文官がコミットしてないのが問題なだけで。
830 :
書き直し :2008/09/11(木) 04:18:40 ID:JYvyoQHq0
統帥権が天皇から軍隊に直結で政府、議会の政治家、文官をすっ飛ばしてるのが問題なだけで。 それも憲法解釈の問題で明治大正までは特に問題にならなかった 犬養毅と鳩山一郎が余計な事しなけりゃ問題にならなかったかも知れん。
>825 大山倍達が異色だねw。護国寺は要するに靖国神社の寺版でしょ? 当初はやっぱ、明治の元勲方面の墓地だったんじゃないのかな? 大山倍達の頃になると、もう近所の人なら誰でもOKなんだろうかね。
>護国寺は要するに靖国神社の寺版でしょ? とんでもない誤解。 護国寺は徳川家ゆかりの寺だよ。 そもそも神仏分離令→国家神道という流れがあるのに 国家が寺を経営するわけないだろ。 なんか書き込むなら、本読んでからとはいわんが せめてググるなりしてからにしろよ、恥ずかしい。
護国寺と護国神社をごっちゃにするなんて信じがたい低脳だな。 なんでこの板にいるんだろ? いわゆるネトウヨってやつ?
834 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/09/24(水) 01:18:42 ID:SxW8MItE0
w
あのレスでネトウヨに見えるのか、面白いな。
>>830 すっ飛ばしているのは、他国でも一緒でしょ。
与党の足引っ張る為に、曲解して政争に持ち込んだアホが問題なだけで。
もし昭和10年代の対米開戦前に山県有朋が、 首相をしていれば戦争を防げたととある本に書かれたな。
軍部の独走はさせなかったかもしれんが、 山縣自身が率先して戦争やりたがった気もする。
838 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/09/25(木) 23:54:22 ID:7gRj42Ok0
>>830 確かに日清戦争の大本営には文官である伊藤博文も列席していたが、
山県は反対していない。
>>837 戦争は始めたくないが、始まるとイケイケになるかもしれない
(日清戦争の時のように)
>>830-831 勝ち目のないことはせんよ。
日露戦争でも勝率五割ということで、非常に迷って、最後まで反対していた。
日清戦争なら、ほぼ確実に勝てると確信していただけ。
>>838 それは清軍が弱かったからじゃないか?
日露の時は終始ビビってた。
日本以外の諸外国は清を眠れる獅子と呼んでいて、 日清戦争も諸外国の大多数は清が勝つと思ってたと書いてあったな。
数の上では清の方が圧倒的だからな だが内部では派閥に分かれて抗争してた 日本と戦う李鴻章の派閥が敗れれば自分の派は 有利になる、なんてことばかり考えるウンコ共だった。
山県有朋のやっていることって、 時代の要請がそうさせたものが多いんだよね。。。 現代の理論では評価できんこと多いし、 華々しい逸話がない分、悪役にされやすいわ。 皆は、超然主義=暴走と捉えているのか? むしろ超然主義のままであれば、大東亜戦争は 早期決着ついていたように思えるんだがなァ。 軍部を止める枷がなくなったんだと思うよ。 有朋の死によって。
845 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/11/13(木) 00:40:54 ID:F2s/GDOn0
>>844 山県や伊藤といった当時「元勲」と自称してた成り上がり者は、
基本的に英国の言いなりになってただけだよ。
日露戦争にしても日本が破滅しかねない大博打だったけど、
英国がゴーサインと金を出したので、それに従っただけ。
だいたい、この間まで足軽や百姓だった連中に、
時代を変える知性や指導力などあるはずがないだろ。
日露戦争にまぐれ勝ちし大陸に利権を持ったことから英米との対立が始まるが、
山県たちがつくった愚かで硬直した政治軍事システムは、
そうした変化に対応できなかった。これが大東亜戦争の原因。
846 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/11/13(木) 00:50:54 ID:pTIT+2nq0
また会津か
会津がわくと、途端に低レベルになるなw 会津は日本になんの功績も残してないじゃん。消えろよゴミw
848 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/11/13(木) 09:01:26 ID:EFAI6ez+0
山縣…軍を私物化&軍部大臣現役武官制制定 ↓ 寺内…一度廃止された軍部大臣現役武官制を復活させる ↓ 松岡…軍部大臣現役武官制のおかげで外務大臣となり 日本をナチスに売り渡す ↓ アメリカと戦争 ∴山縣のせいで日本はアメリカと戦いボロ負けし
その程度の歴史認識を語られてもねぇ。
>>844 現役武官制に固執するようになった原因を考えるとな。
原敬がもっと長生きしていたらどうなっただろうか。
850 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/11/14(金) 20:18:21 ID:YoOsQPfy0
「日本の南進の地歩を海南島、仏領インドシナに進め、 南進活動の拠点をつくった後、またその間、十分に国力を充実した後、 好機に乗じて蘭印を占領するのがよいと思う。(中略) これからの国家には石油およびゴミが必需品であることを考え、 我が国は南進の準備に着手しなければならない。」 (木戸幸一 1941年5月18日) 長州人の木戸が南進を煽った結果、 日本はアメリカとの全面戦争となりボロ負けしたんだよ。
851 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/11/15(土) 08:41:53 ID:JW9feVMK0
ああ、やっぱりフィリピンやハワイに手出しする気は毛頭なかったんだなw 対米戦は相当前から覚悟してたんだろうけど
852 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/11/15(土) 09:55:58 ID:EIEjc84Y0
>>850 その方針は木戸が考えたものではない・・・
というか誰でも気が付く当たり前の結論
それよりも太平洋戦争のキッカケになった日中戦争が東北人の暴走によって引き起こされた事の方が重要。
東条英機等東北人の大陸侵略を米国が放っておかなかった結果起きたのが太平洋戦争だからね。
>>850 >>852 そのとおり。 木戸は師の教えを守ろうとしただけ。
原点は吉田松陰。
『幽囚録』 今急武備を修め,艦略具はりホウ略足らば,則ち宜しく蝦夷を開拓して諸侯を封建し,
間に乗じてカムチャッカ・オホーツクを奪ひ,琉球に諭し,朝覲会同すること内諸侯と比しからめ朝鮮を責めて質を納れ貢を奉じ,
古の盛時の如くにし,北は満州の地を割き,南は台湾,ルソン諸島を収め,進取の勢を漸示すべし.
然る後に民を愛し士を養い,慎みて辺圉を守らば,則ち善く国を保つと謂ふべし.
そして、ほとんど塾通いの実績がないのに、松下村塾の塾生だったと振れまわった山縣狂介が、
「師」の教えを奇兵隊、大日本帝国陸軍に刷り込んだ。その結果が、木戸幸一のような輩。
東北地方は戊辰戦争で、薩長に蹂躙された。 近代化のための資本投下も後回しにされた。
その結果、経済基盤が弱く、優秀な人材は帝国大学ではなく、陸軍士官学校や海軍兵学校を目指した。
明治中期にこれらの学校に入った優秀な東北人が、軍内で昇進し、幹部クラスになったときが、
山縣が育てたアジア侵略計画の実行時期と重なった。
軍の中枢には九州人もいた。太平洋戦争開始時の参謀総長は福岡の杉山元。便所の扉。
帝国国策遂行要領決定時に対米戦争の成算を問われた杉山は楽観的な回答をする。
これに対して天皇は「汝は支那事変勃発当時の陸相であるが、あのとき事変は1ヶ月程度で片付くと申したのに
今になっても終わっていないではないか」と問いつめた。答えに窮した杉山が
「支那は奥地が広うございますので」と言い訳すると、天皇は「支那の奥地が広いというなら太平洋はなお広いではないか」
と一喝したと言われている。 wiki
854 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/11/15(土) 10:58:06 ID:EIEjc84Y0
>>853 その山県有朋の長州閥は、東北人東条英樹の仕掛けたバーテンバーテン密約によって解体されている。
以後、陸軍は長州閥の手から東北人の作った昭和軍閥の手に落ちた。
それが君の言う
「東北人が、軍内で昇進し、幹部クラスになったときが、山縣が育てたアジア侵略計画の実行時期と重なった。」
という事だ。そこまで解っていながら、わざと日中戦争を飛ばして太平洋戦争に行くのはなぜだw
東北人たちは自らの貧しさから、大陸の利権に手を出し、ついに日中戦争を引き起こす。
そして東北人たちの軍閥は、会津武士道を取り上げ、日本国国民に国家に殉じる精神を注入する洗脳教育を施した。
薩長の過ち「天皇を神格化し日本をまとめる」という路線を、改めるどころかこれを拡大解釈し、
太平洋戦争時には、会津戦争のように「国民皆兵」「徹底抗戦」「白虎隊を見習って学徒出陣」「会津娘子軍を見習って女学生の兵器生産女工への動員」
「会津藩士の国に殉じる姿勢を見習って神風特攻隊」、ご丁寧に自殺兵器「人間爆弾桜花や人間魚雷回天」まで準備した手の入れよう。
会津藩や賊軍とされた奥羽諸藩の歴史的見直しが行われたのも昭和軍閥全盛期の頃と一致する。
日清日露で勝利を掴んだ薩長閥に比べ、東北人の昭和軍閥が行った日中戦争太平洋戦争はすべて敗北。
山縣有朋ら長州閥陸軍は、日露戦争の時「兵士の飯」にまで気を配り、白米など最優先で補給し続けた。
結果的には、それが悪く栄養の偏りから脚気になる者が多く出たか、脚気の原因がわからない時代だから仕方が無い。
それにくらべ、東北人の軍閥はどうであったか。
食料は現地調達を主とし、補給を徹底的に軽視。東南アジアやガダルカナルでは兵士は戦死より餓死者が大多数だ。
彼らは兵士の命など赤紙一枚でもっとも安いと見た。これが東北人だ。
これもまた会津武士道精神にもとづき、武士=軍閥高官が良ければ、徴兵制の兵隊=農町人などどうでもいいという差別意識によるものである。
長州人って、けっこうリアリスト多いよね。 幕末、極端に理想に走ってたけど、権力を握るとリアリストになる。 官僚機構が長州人が中心になってほんとに良かった。
>>854 政府の意向を無視して軍が勝手に振舞うのは、山縣が後ろで糸を引いたシベリア出兵から。
この戦争を期に日本軍は奇妙な精神主義と権威主義の支配されるようになった。
統帥権干犯、陸軍大臣を内閣に出さないという、「武器」はこのとき山縣がシカケた。
上原はシベリア出兵の責任を問われ、更迭されそうになったとき山縣の力でこれを免れた。
>>856 修正追記
「当時の参謀総長」 + 上「原はシベリア出兵の責任を問われ・・・」
>>855 長州人がリアリストっていうのとはちょっと違うだろうけどな。
維新直後で行政を一回最初から組み立てなおさないといけない。
「どうやって税金集める?」「どうやって外交する?」
といった国家の基本を作らないといけないからな。
最初は突飛な案を出しても「実務として無理!」ってな事は
多くて現実的な方針・施策に研鑽されていったのでは?
麻生のバラマキに所得制限を付けるかどうか?っていうのも
地方自治体が「事務処理上絶対に無理!!!」ってなったから
話が前に進まなくなったわけで。
859 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/11/15(土) 11:51:45 ID:EIEjc84Y0
>>856 だからその山県の長州閥を失脚させて潰したのが東北人の昭和軍閥だと言っているんだがw
>この戦争を期に日本軍は奇妙な精神主義と権威主義の支配されるようになった
いや、違うな。
そうした洗脳教育が行われるのは明治中期以降。
つまり東条ら東北人が軍閥や政治を動かせるようになった時期からだよ。
さっきも言ったが「東北人たちは権力を握った際、こうした薩長閥の悪しき部分を修正しなかった」
それどころか「拡大解釈し、自分たちの権力拡大の為に積極的に活用した。その結果軍閥が政治を動かせる状況」にしてしまっている。
長州閥は、これらをコントロールしながら使い、日本を滅ぼさなかったが、
東北人達の陸軍閥は、コントロールするどころか暴走し、ついに日本を滅ぼしてしまった。
どちらが悪質かは明らかだ。
861 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/11/15(土) 12:13:18 ID:1nL3Y3yr0
675 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/18(金) 01:15:22 ID:WSkfB0+60
>>673 もっとはっきり言えば、満州利権を牛耳ってたのは長州系の郷党集団。
満鉄総裁の松岡洋右、満州重工トップの鮎川義介、
計画経済を進めた岸信介などがその中心。
当時の満州国はアヘンから国家予算を超える巨額の利益を得ており、
その一部は国家予算に組み込まれ、残りの大部分は満州支配層の懐に入った。
だから松岡たちは、満州利権の保全のため、ナチスと三国同盟を結んで英米と対決し、
国連を脱退して「大東亜共栄圏」を吹聴し、「満蒙は日本の生命線」と国民を煽り、
独裁的な国家総動員体制で国民を統制することになる。
862 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/11/15(土) 12:14:28 ID:1nL3Y3yr0
16 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/22(土) 21:26:52 ID:XK9wcpTc0
>>6 松岡洋右は元満鉄総裁で、岸信介などととも、長州人が握る満州利権を代表する人物。
「大東亜共栄圏」「満蒙は日本の生命線」は、松岡がつくりだしたスローガンだが、
要するにこれは「オレの満州をアメリカから守るため、日本人は命をかけて戦え」と言ってるにすぎない。
主眼はあくまでも満州にあり、日本などどうなってもいいという無責任極まりない主張だ。
>>8 >木戸幸一の動きも考え合わせればこのような新長州閥結成への過程で
>対米開戦となったということができる。
キーマンは木戸幸一だね。
木戸は内大臣として事実上のキングメーカーの役割を果たしており、
近衛内閣も東条内閣も木戸がつくりだした体制だ。
近衛が中国からの撤兵を決意し、陸軍を天皇の御諚によって抑えようとしたとき、
木戸はそれを天皇に奏上せず握りつぶす。
これにより日本は中国撤兵の最後の機会を失うことになる。
閣内不一致で近衛内閣が倒れた後に、木戸の画策で誕生したのが東条内閣。
卑劣で保身に長けた木戸は、開戦責任を近衛に押し付けて死刑を逃れたけど、
本来なら木戸は日本人の手で絞首刑にすべき犯罪者だ。
863 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/11/15(土) 12:18:07 ID:EIEjc84Y0
薩長閥は、藩単位でバラバラで愛国心の欠片もない(あったのは藩への忠誠心)日本人に、 天皇を神格化し君主とする事で一つにまとめた。 だから薩長閥本人たちは天皇を神だと少しも信じていなかった。 一方、東北人の作った陸軍閥は、心底天皇は神だと信じ、そのように国家も運営した。 神のいる日本が負けるはずがない!と信じていた。 道を誤ったのが東北人等昭和軍閥だったというのは、当然の帰結といえる。
864 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/11/15(土) 12:20:07 ID:EIEjc84Y0
>>862 論破済みのコピペを蒸し返す・・・かw
つーことは「他のネタは論破された」という事でOKw
865 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/11/15(土) 13:10:46 ID:JW9feVMK0
日本分断工作に余念が無いね、ホロン部の皆さん
866 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/11/15(土) 13:26:47 ID:EK1KKwE80
>>854 >その山県有朋の長州閥は、東北人東条英樹の仕掛けたバーテンバーテン密約によって解体されている。
バーデンバーデンで軍制改革を仕掛けた中心メンバーは次のとおり。
永田鉄山:長野出身、岡村寧次:東京出身、小畑敏四郎:高知出身
後に東条も参加してるけど、彼は永田の後輩で会議を主導する立場にはない。
その後陸軍統制派を率いたのは永田鉄山で東条は彼の死後後釜となっただけ。
また、統制派が台頭できたのは、長州人の寺内寿一が皇道派を粛清したからで、
東条を首相に担ぎ出したのは長州人の木戸幸一。
要するに長州人は軍や政治の中枢で依然として大きな力を振るい続けていた。
>食料は現地調達を主とし、補給を徹底的に軽視。
>東南アジアやガダルカナルでは兵士は戦死より餓死者が大多数だ。
オマエはバカ?
東南アジア方面の南方総軍を率いてたのは長州人の寺内寿一だ。
南方軍は100万人を超える日本軍最大規模の決戦部隊だったが、
寺内は無能無策によってろくに戦いもせず、その約半数を餓死させ、日本の敗北を決定づけた。
867 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/11/15(土) 13:28:12 ID:EK1KKwE80
山縣…軍を私物化&軍部大臣現役武官制制定 ↓ 寺内…一度廃止された軍部大臣現役武官制を復活させる ↓ 松岡…軍部大臣現役武官制のおかげで外務大臣となり 日本をナチスに売り渡す ↓ 木戸…仏領インドシナ占領を手始めとする南進を強硬に主張 非戦派の東久邇宮内閣成立に反対し東条内閣をつくる ↓ アメリカと戦争 ∴山縣のせいで日本はアメリカと戦いボロ負けした
868 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/11/15(土) 13:59:49 ID:EIEjc84Y0
どんなに必死に責任転嫁しても、昭和軍閥をドンが東条で、対米戦を決意した総理大臣も東条だ。
東北人の東条が馬鹿だったから、日本は滅んだのだ。
だいたいそれが嫌なら木戸に東条が「いやだ」と言えば良かったじゃないw
そもそも木戸が東条を持ち出したのは、東条を責任ある地位に置けば、東条も無責任な開戦はすまいと思ったから。
結果はご覧の通り、無謀な戦争の道をひた走る。
これが東北人の馬鹿さ加減なのだ。
東北人たちは「会津戦争は正義の戦争」と戦争を正当化している。
こういう人達が積極的に戦争を行って国を滅ぼしてきたのだ。
>>867 だから東北人が起こしたバーテンバーテン密約で、長州閥なんぞとっくに滅んでいると言っているw。
なんど同じ事をいわせるの。頭悪い人だねぇ。
しかも、その悪しき制度を活用したのが東北人の作った軍閥だったとなんどもなんども言わせるなよ。
東北人は責任転嫁の小知恵ばっかりで大局を見る目がないのか?
つーか、だから戦争やれば負けてばっかりなのかw
869 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/11/16(日) 10:57:34 ID:bQKPecub0
>>868 >そもそも木戸が東条を持ち出したのは、東条を責任ある地位に置けば、東条も無責任な開戦はすまいと思ったから。
主戦論者の軍人を総理にして開戦が防げるわけがないだろ。
本気で木戸がそう考えてたとすると木戸はどうしようもないバカだ。
そもそも軍事は政治の延長。
日本が一か八かの軍事的な賭けに打って出ざるをえなかったのは、
基地外長州人・松岡のせいで政治・外交が完全に行き詰まったことが原因だ。
松岡が功名心にあせって三国同盟を結ばなければ日米全面戦争などという展開はありえなかった。
>長州閥なんぞとっくに滅んでいると言っているw。
永田や岡村が密談した程度で長州閥が消えるわけがないだろ阿呆。
山縣の頃のような露骨な藩閥が消えたのは時代の流れ。
しかし長州人は満州の利権を牛耳り、政治・外交・軍事で暗然たる力を維持していた。
内大臣の木戸が首相選択の最終決定権を事実上握り、松岡が外務省で独裁体制を敷き、
好き放題やったツケで日本は敗戦に至る。
東条はニキサンスケの一人として、満州において長州人グループと癒着した軍人で、
その意味では、彼は東北人というよりも東北の裏切り者だね。
>>853 > その結果、経済基盤が弱く、優秀な人材は帝国大学ではなく、陸軍士官学校や海軍兵学校を目指した。
> 明治中期にこれらの学校に入った優秀な東北人が、軍内で昇進し、幹部クラスになったときが、
嘘をつくな。東北人に優秀な人材はいないし、優秀な人材であれば必ず東北人ではない。
871 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/11/17(月) 17:54:27 ID:6gF3Unyj0
>>871 「勇敢な喇叭手」のエピソードみたいに、誰か他の人の話が東北人の手によって柴五郎の功績にされたんじゃないの?
873 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/11/17(月) 18:34:51 ID:6gF3Unyj0
874 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/11/17(月) 20:07:57 ID:6gF3Unyj0
>>873 ああすまん。 Newyork Timesのアーカイブだ。
875 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/11/17(月) 20:39:45 ID:a4lc861r0
伊丹十三みたいな全然違うタイプの男が演じたのも皮肉だな
>>872 の無理やりっぷりに噴いた
876 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/11/17(月) 21:36:57 ID:6gF3Unyj0
>>875 まあ、この程度のエピソードも知らないで、旧軍について語ろうという
身のほど知らずというか、幼稚さのほうに感心するけどねえ。
877 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/11/17(月) 22:10:09 ID:ufQlxG/r0
無意味な肉弾突撃で数万人の兵士を無駄死にさせた乃木もすごいけど、 日本史上最大規模の部隊を指揮してその半数を餓死させた寺内はもっとすごい。 将兵がバタバタと餓死してる最中に自分だけは安全地帯に逃げて芸者遊びに呆けてたところなんて、 いかにも長州人らしい。
878 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/11/17(月) 22:33:51 ID:6gF3Unyj0
>>877 確かに寺内はひどいが、長州人だからひどいってわけではなかろう。
論理的に考えれば負けが必至の対米戦争に、突入していった軍部そのものが狂っていたし、
その軍を増長させた責任はマスコミや国民にもある。
国家をあげて狂ってしまったのはなぜかを検証することが必要であろうと思うが、
私はやはり大日本帝国の出発点になった攘夷の狂気が再噴出したと考えている。
>>877 >無意味な肉弾突撃で数万人の兵士を無駄死にさせた乃木もすごいけど
やれやれ、また司馬厨かよw
なるれす
881 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/11/18(火) 13:30:44 ID:xoAbg9n10
>>879 やれやれ、また民族厨かよw
・・・「民族派」の特徴は彼らの立場とは異なるものをほとんど読まず、
読んだとしても己の意に沿わないものを「勉強不足」「愛国心の欠如」「自虐史観」と単純に断罪し、
彼らだけの自己陶酔の世界に浸るところにあるように思われます。
元防衛大臣 石破茂衆議院議員
山縣は自分の権力の源泉と言うものをよく知っていた。 それは軍人、軍であると。 だから奇兵隊から絶対に離れなかったし 明治陸軍以降、それは死ぬまで変わらなかった。 長生きのおかげ、かどうかは分からないが、結果として 軍閥等にみられる軍部の強化、軍部の発言権の増大などに努め 昭和軍部の基礎を作ったともいえる。 権力志向は、大久保ほど迫力は無かったが、軍にこだわり軍から 離れることはなかった。権力の本質というものを良く知っていたのかもしれない。
>>869 大正年間には、長州人であるという理由だけで陸大から締め出されるようになってるよ。
長州閥だからって理由で出世できたのは松木直亮ぐらいまで。
だから、それ以降の長州人将校は、多くが居心地の悪い陸軍省部よりも航空畑に転出している。
まぁ皇道派も統制派も、元々反長州閥なんだから当然っちゃ当然だが。
中央に残ったのは寺内寿一ぐらい。佐藤幸徳の人物評で言うところの”貴族”。どっかの派閥に属するような甲斐性もない無能。
当時の将校級で他に知られた長州人なんて、桜井省三や上村幹男ぐらいのもんでしょ?
それはすなわち、少なくとも陸軍部内では力を失ってたってことだよ。
中央に無能寺内以外目ぼしい将校も居ないのに陸軍を牛耳っていたとかお花畑すぎる。
そんな事が可能なら、田中義一も宇垣一成も失脚してないよwww
>>883 だから、帝国陸軍をして大日本帝国が滅亡するように暗躍したのは朝敵なのにお情けで軍人にしてもらったくせに売国した東北出身者。
あんな半日本人に情けをかけた当時の日本人が純情で無知すぎたのが悪いと言えばそれまでだが、実に腹が立つ。
885 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/11/19(水) 21:24:45 ID:/nX3r5pP0
おひおひ100万人の最強部隊を率いてたのは長州人だぞ。 天皇の側近として政界に君臨してたのも長州人。 外務省で敵対派の首を切りまくり日本外交を破綻させたのも長州人だ。 そしてこうした基地外じみた愚行がまかり通ったのは山県に遠因がある。 大東亜戦争の敗北はすべて長州人の責任。
886 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/11/20(木) 01:13:18 ID:FgpRduoRO
>>883 大正年間にはというより、大正に山県が死んでから完全に長州閥が滅んだ
田中義一の失脚は昭和天皇の不興をかった為。宇垣は軍縮が原因。
長州云々は関係ないかと
888 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/11/20(木) 22:08:38 ID:4ePkkBIs0
>>878 >国家をあげて狂ってしまったのはなぜかを検証することが必要であろうと思うが、
>私はやはり大日本帝国の出発点になった攘夷の狂気が再噴出したと考えている。
大日本帝国の出発点で攘夷の狂気を撒き散らしたのは長州人ですから
889 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/11/20(木) 22:38:10 ID:d4Bqa8i90
と、バーテンバーテン密約の事や東北人が作った昭和軍閥の知識が無い東北人が勘違いしているのであったw
>>889 その東北人のせいで滅びかけた日本を救ったのは薩長土肥。
>>886 田中義一が昭和帝の不興を買った原因が、張作霖爆殺事件の早期解明の約を反故にしたこと。
陸軍部内を完全に掌握できていれば、軍からの反発を受けてこの約定を反故にする必要もなく、
すなわち昭和帝の不興を買う事も無かった。
宇垣一成失脚の直截的な原因も、発端は陸軍部内のアレでしょ?
どちらも陸軍部内を掌握出来ていれば防げたこと。
まぁ長州云々については、アンカー先を参照してください。
>>888 初期明治政府の外征派主導者は殆どが薩摩藩なんだけどw
892 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/11/29(土) 03:26:30 ID:0k6qY39k0
山県は生涯をかけて必死に長州閥の利権の保持に努めた人物。 同郷にこだわり、一度握った利権は絶対放さないという態度は、 朝○人やユ○ヤ人など長年抑圧されてきた民族によくある特徴。 山県の悪とされてる部分は、個人的な性格というよりも、 何百年間も僻地に追いやられて差別されてきた長州人の本能なんだろうね。 山県がいなくとも、山県的な第二の人物が出てきたことは間違いないと思う。
893 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/11/29(土) 10:49:10 ID:JVbUHgQj0
高杉は死の直前自分の後継者を大村と山田を指名した。 そもそもリーダーシップがとれる方でもないし政治家に向かないと 批判されていた。 明治の元勲の嫌われ者。 年をとっても後継者を育てないのはどうかと…。 ちなみ晩年の桂太郎は政敵?でもあった 西園寺とも懇意だったらしい。
後継者候補 児玉源太郎→急逝 桂太郎 →山県を見限った内務官僚と結んで離反 寺内正毅 →病死 田中義一……ちょっと違うか。 山県は長く生き過ぎたのか。 しかし原敬と共に生き延びていたら、日本はどう変わっていただろうか。
895 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/11/29(土) 11:55:26 ID:JVbUHgQj0
年をとっても権力欲が強すぎる人は嫌われる。 伊藤、井上、桂らも同じ長州藩だから付き合っただけだろう。 大久保も木戸と山県を嫌っていた。 大隈と桂は大学を創立した教育者でもある。 政治家が大学を創立することを批判したのは山県…。 了見が狭すぎる。
896 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/11/29(土) 15:12:12 ID:YZqdY8ehO
星野1001は山縣そっくり
897 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/11/29(土) 17:31:46 ID:QimVLLoG0
・長州;山縣有朋、土佐;板垣退助、薩摩;伊地知正治の「名誉」を、
遡って全て剥奪し、「人道に対する犯罪者」としてその責を問うこと
(公教育に於いてこのことは徹底されなければならない)
・山口県議会、高知県議会、鹿児島県議会は、会津に於ける
「人道に対する犯罪」を認め、これを「反省」する決議を行うこと
・同時に、福島県に対して「謝罪」決議を行うこと
これが、最低条件である。これが為されない限り、
会津は、長州・土佐・薩摩と和解すべきではない。
http://harada-iory.cocolog-nifty.com/seikoudoku/
898 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/12/13(土) 23:13:55 ID:VS6bJM510
>>893 おいおい高杉は27で死んでるんだぞ。
後継者指名なんて考えてもいないだろうよ。
まだ若い山縣よりも、長州軍を指揮していた壮年の大村に託すのは当たり前だろうが。
899 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/12/13(土) 23:15:38 ID:VS6bJM510
壮年じゃなくて中年か
>大東亜戦争の敗北はすべて長州人の責任。 同意だ。 ほとんどの問題は山県に原因がある。
901 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/12/19(金) 10:58:28 ID:fqgJQney0
同意さざるをえない 政治力に長け謀略好きな 長州閥によろ国家壟断さえなけりゃあるいは
長州閥でなくとも、官民による対立はあっただろう。 ただ、山県ほど政治的に有能でなければ、ああはならなかったかもしれない。 いきなり過激化する可能性もあるが。 つか、大村益次郎がもっと生きていれば……
903 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/12/20(土) 12:34:38 ID:4KWqVzTk0
山口県というのは日本では朝鮮の血液的影響を もっとも多く受けたものの一つですから、 それももう古代じゃなくて、ごく近代にいたるまで 受けつづけてきたところですから。 そういうことがあって、長州的思考法というのは ぼくなんかは朝鮮人的なタイプだと思うんです。 司馬遼太郎
山県が善or悪だっていうなら、現代視点で言うなら、 日本の軍国主義のレールを引いた大悪党って言う奴が多いだろうな。 俺には、そうならざるを得なかった時代だと思える。 あの時代軍国主義に走らないのは馬鹿。売国。
>>903 そういう前半部分だけを抜き出すことはやめれ、
マスゴミと同類。馬鹿野郎が。
司馬も悲しむぞ。
山県は昭和における軍国体制を作った張本人だが、もし昭和に生きていれば 太平洋戦争を始めたかは、疑問だ。 山県に限らず明治の軍人は、彼我の差を認識して意外と謙虚なのだ。 それに較べて、昭和の軍人の認識の不足、どころか皆無に近い事と、 日清日露の勝利、負けを知らない事の思い上がりと傲慢さ。 だから軍部を強大にして、軍国主義の下地を作ったとも言えるが、 日本を破滅に導いたのは、昭和の軍人といえる。
907 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/12/20(土) 20:32:07 ID:25qY1pqM0
山県はイギリスの言いなりに動いてただけだからな。 明治期の日本はパックスブリタニカに組み込まれ、外交に関する悩みは少なかった。 しかし英米のバックアップで日露戦争に辛勝し、 満州に権益をもったあたりから、日本は英米と対立してでも、独自路線を進む必要がでてきた。 昭和期の複雑な情勢には、無知蒙昧な山県では対応できなかっただろうな。
>>906 昭和の軍人とか夜郎自大もいいトコだしな。
あの連中が唱えてたのは軍国主義と呼べるものじゃなく子供じみた覇権主義。
909 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/12/22(月) 04:59:23 ID:S8SEOxHn0
パックスブリタニカの時代だったからこそ 「イギリスに頼っていたらイギリスに飲み込まれてしまうのではないか?」 「イギリスを頼りにしてもほんとうにイギリスは助けてくれるのか?」 という悩みは大きかった。 日清戦争前にはイギリスはロシアの南下を防ぐために日本よりも 清の軍事力に期待していたから、朝鮮半島をめぐって清と対立を深めていく 日本にとってイギリスは仮想敵国の一つだった。 だから山県は第一議会の有名な主権線・利益線演説でも 日本の脅威としてシベリア鉄道建設と並んでカナダの大陸横断鉄道の 建設をも上げてイギリスの脅威に備えるべきことを説いている。 日清戦争で日本が勝利するとイギリスは日本にロシア南下阻止の防壁の役割を 期待するようになるが、しかしイギリスは日本にほんとうに手を貸してくれるかどうかは疑問だった。 三国干渉のときもイギリスは干渉に加わらず日本に好意的だったとはいえ 干渉をはねのけることに協力してはくれなかった。 だから第二次山県内閣のときに義和団事変が起きると 陸軍や外務省はイギリス始め列強に日本の力を見せつけ恩を売るために 出兵を主張したが、山県は「日本が出兵してイギリスを助けてもイギリスはいざという時に 日本を助けてくれるのか?」と最後まで出兵に慎重だった。 その後日英同盟が結ばれたときには山県はそれに積極的に賛成したが 桂や小村と違い日英同盟を結んだから安心だとは決して思わず 最後まで日露妥協による戦争回避を模索していた。
山県が政党政治の発展を阻害してる間に 大概ましな人材が彼方に消えてった 原敬が暗殺された時憔悴してそのまま没したけど 白昼テロの横行、その幕開けに自覚あったものやら
911 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/12/31(水) 11:29:38 ID:J0D/WYmj0
>大正天皇は、山縣が宮中に参内したとの知らせを聞くと、側近達に「何か、山縣にくれてやるものはないか?」と、 >尋ねることがしばしばであったという。何か参内の記念になるものをやって、さっさと帰らせようとしたのである。 [wiki] この逸話も面白い。 バナナを手に嬉々として帰って行く山県が思い浮かぶ。
912 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2008/12/31(水) 12:59:32 ID:jy2LkX7H0
大正天皇は仁慈の人だから、国を保つ為とはいえ 極端な富国強兵政策をとった山県を肯定できなかったんだよ 天皇の心痛も、山県の悲しみも自分には美しく感じる これを悩まなくなったら日本人じゃないよ
>>911 > バナナを手に嬉々として帰って行く山県が思い浮かぶ。
不覚にも噴いた
河上弥市よりはマシやろ
915 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/01/03(土) 10:43:18 ID:hbDSyjei0
いいれす
高杉が作り大村が動かした奇兵隊 大村が骨子を作り山田に託した明治陸軍と徴兵制度 木戸が徹底して拒否した参議を兼ねる陸軍大将 大久保が端緒をつけた内務省 伊藤が奔走した明治憲法と天皇制 ・・・誰かの劣化後継のような状況が多いし山県じゃなければとifを思いたくなる
918 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/01/04(日) 15:27:39 ID:wrsM0fMm0
諸君は歴史を知らないだけ。 奇兵隊は高杉時代は弱かった。 大田絵堂には高杉はいなかった。 少しは考えなさい。
そうだね 軍の育成後継にまで留めてその後政界官界にまで触手を張り巡らさなければ 後世の評価も高かったかもしれないね
920 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/01/05(月) 05:15:42 ID:dz+uzHg90
別に政界官界でもヘマはしていないだろ。 彼の方針も正しい。
まぁ、山県の軍備に無理解で民衆の人気を取る事しか考えてない議会に対する不信も分かるんだが、 ちとやりすぎた感はあるかなぁ。 膨らんだ軍部の権能を上手く縮小できる人材が居なかった。原敬ならあるいは……というのも詮ないことか。
>膨らんだ軍部の権能を上手く縮小できる人材が居なかった。原敬ならあるいは…… 政治家だけの力じゃ難しいと思う。軍部内にも力を持った協力者がいなければ。軍縮の 推進者は陸海軍ともにいたけれど、それらの人々も権能縮小となるとどうだろうかね。
>膨らんだ軍部の権能を上手く縮小できる人材が居なかった。 昭和の軍人が政治好きなのって 間違いなく山縣が敷設したレールに乗っかってだと思う。 木戸孝允よ貴方は正しかった。
先駆者がいれば先例として後のものは動きやすい 軍権を握る立場での政治への容喙なんて山県においては「当然」のこと 山県をみて育ったのが昭和陸軍
925 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/01/06(火) 12:10:38 ID:DrSiLRAb0
誰か教えて欲しいのだが、 大田絵堂の話は何故出鱈目ばかりなのでしょうか? 高杉が指揮をして山縣は何もやっていないという。。。 実際には高杉はいなかった。 戦後、二人が激しく対立し山縣が勝った。
>>925 > 高杉が指揮をして山縣は何もやっていないという。。。
そんなこと書いてる本探すほうが難しいけど?
927 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/01/08(木) 18:46:14 ID:Lhf1YkwG0
向上心のある人にはカリスマ ヘタレで口バッカの奴からしたら悪 権力者のイメージなんてそんなもんだよ
928 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/01/08(木) 19:56:52 ID:QSxBQyui0
権力はトットコハム太郎なんだよ
929 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/01/08(木) 20:01:47 ID:QSxBQyui0
鼻先にぶら下げたにんじんとも言われるし
930 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/01/08(木) 20:09:36 ID:QSxBQyui0
邪な人間は決して触れてはならないもの だね
>>927 そうだね
とかく手下の行動を掣肘したがるから
自負心や行動力を備えた人はけっきょく離れてったね
932 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/01/09(金) 17:01:11 ID:UVnYczqu0
スポーツジムには、「いくら走っても前に進まない機械」が置いてあり 外から見えるようになっている あれは滅茶苦茶な皮肉で、 権力者は品行方正なだけではなく、ブラックな一面もあるのかも知れない。
933 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/01/09(金) 17:09:22 ID:UVnYczqu0
社会や科学技術の発展に「餓鬼」は必要なんだとさ ふん
934 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/01/09(金) 20:49:06 ID:BpH7XIvk0
>>931 自分で全てやらないと気がすまない上司っているよな、
どこの会社にも。
山縣は典型的なそういう上司。
935 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/01/09(金) 21:02:21 ID:UVnYczqu0
2000年頃から社会がおかしくなったがなんでだろう
936 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/01/19(月) 06:33:21 ID:ccmgFtlXO
福島の知人が福島県民は山縣なんてバカは相手にしてないって言ってたけど、どうも嘘くせえ
937 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/01/19(月) 23:43:35 ID:awGaxOKH0
朝日山攻防戦に山県が参戦してたら立見尚文に殺されてただろうに。 惜しいことしたな。
938 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/01/20(火) 02:53:47 ID:E0LyyO6CO
>>935 それはお前は経世会支持の戦後レジームだからです。
939 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/01/20(火) 03:11:05 ID:bfk0XWsQO
いいか悪いかそれだけじゃ甘いや アレやコレやで地球だって回らぁ
940 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/01/20(火) 03:26:14 ID:p6ooqgAj0
滅び去った軍国主義を懐かしがっても仕方ないだろ。 薩長は日本のがんなんだからさ。
むしろあれ以上長生きしたら 軍部と衝突して殺されてるって
942 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/01/20(火) 20:35:37 ID:CXtSllJ+0
日清戦争の時は、北京占領していればよかったのに。 すくなくとも、遼東半島を取れたのは山県の功績。
943 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/01/20(火) 23:01:37 ID:pJ6SlLau0
日清では、出先で勝手なことするから、天皇に報告するのを口実に日本に 呼び戻された山県w やりすぎは列国の干渉を招くから自重しろと主張した山本権兵衛 は視野が広く先見の明があった。
呼び戻したのは伊藤じゃなかったっけか。 北京攻略も止めたのは確か伊藤。
945 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/01/21(水) 00:24:19 ID:/9qd+7kZ0
伊藤が権兵衛の意見を採用した。 後に本当に三国干渉されたとき 「やっぱり山本の言うとおりだった」 となった。
この頃は統帥権干犯なんて屁理屈こねる政治家も軍人もいなかった。
その欠陥をつっついたのは犬養 ほら、ここにこんな抜け道ありますよーと党利党略で 襲撃されたのは因果応報?
948 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/01/24(土) 04:38:45 ID:o99iF2rn0
軍は予め首相暗殺の日時を決めていた。 しかし政変があって、軍の傀儡であった犬養毅が政権についていた。 そのために軍の傀儡であった犬養毅が、軍に暗殺された。 「話せば判る」という言葉は、「俺は軍の味方だ、どうせなら民政党を襲えよ」という意味。
949 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/01/24(土) 04:45:23 ID:ZyxmoWMI0
「話せば判る」は問答無用の言葉が示す通り 詭弁や強弁が嘲弄混じりにまかり通っていた証拠
950 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/01/24(土) 05:02:21 ID:ZyxmoWMI0
犬養毅が本当にそう言ったかはわからないが 社会の腐敗は間違いないな
ふーん なら拳銃突きつけられた時の犬養の毅然とした態度アンタも取れるよね? 胸や頭に数発の弾丸を浴びせた将校たちが立ち去った後 家令に煙草の火を点けさせながら 「いまの若造もういっぺん呼んで来い、話して聞かせてやる…」
952 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/01/24(土) 06:06:42 ID:ZyxmoWMI0
「アンタ」か警察のお世話になったことがあるのかお前は 拳銃なんて庶民を脅かすためのヤクザの小道具でどうと言うことは無いだろう
>>951 統帥権干犯なんて言い出したのが犬養なんだが
撃たれた時の態度がいくら立派でも
そもそもその軍人どもを煽ったのがこいつw
>>953 統帥権の問題で浜口内閣を攻撃したは鳩山一郎だよ。当時の政友会総裁として犬養にも
責任はあるけど、国会で煽ったのは鳩山。
なぜ山形の大河ドラマがないんだ? ぜひやってほしい
>>955 つ宮中某重大事件
それに山縣が主役じゃ・・・いやいや俺は好きだよ、あのつぶらな瞳
でも、世間には伊藤の方がウケがいいんだろうなきっと
伊藤が主役、山縣は敵役でw なにからなにまで対照的な二人 ドラマにするときっと映えると思うよ
第一次大戦の時に陸軍を欧州に派遣させなかったため陸軍の近代化でくなかった事と、こいつが大正天皇を殺したようなもんだから こいつは癌だよな
WWTの技術革新に追いつこうという試みならやってるよ。 大正時代の山梨・宇垣軍縮の名目のひとつはそれだろう。
WWTの技術革新て 要するに消耗戦と機械化 つまりどれだけ金突っ込めるかって話w 日本軍も観戦武官を通じてその事情は知ってた 結論は”あんな戦争やったら日本は破産する” そして現実にそうなったw
961 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/01/29(木) 18:09:03 ID:6my/esBoO
>>957 伊藤との関係は悪そうだけど、西園寺とは対立することもあるけど意外とうまくやってるってイメージがする
そこら辺って実際どんなだったの?
>>960 陸軍は兵器の近代化とかほとんどしてないじゃんw
なにあのヘッポコ戦車('A`)?
観戦武官と少なくとも大隊意規模で部隊派遣とじゃあ天と地の差がありそうだよね
>>962 良く誤解されてるが、チハは登場当初は世界的に見てもそこそこの戦車。
ロシアのBTに大敗したのは、そもそも対戦車戦闘を考えて無かったから。
太平洋戦争であんなことになったのは、上記の理由と、そもそも制式採用が1937年の戦車を使い続けてること自体が間違いだったから。
対戦車戦闘を主目的として開発されたのは四式中戦車だが、試作車完成が1944年\(^O^)/オワタ
まぁ、宇垣一成でググってみれ。
>>962 戦車が登場したのはWWT
あとへっぽこ戦車の理由
1.軍艦や飛行機を優先、戦闘機は一式から五式まで毎年新型を投入してたのに
戦車は終戦まで九七式。
戦闘機の九七式は開戦時には既に訓練や二線級の部隊へ。
2.輸送の問題
戦車は鉄の塊、船や港の輸送設備が対応してないと運べない。
3.中国軍相手にはあれで充分だった
>>963 大隊規模で派遣した所で金が湧いて来る訳でもない。
ちなみに九七式戦車の開発では 性能重視のチハとコスト重視のチニで比較検討してて 日中戦争勃発で予算の制約が無くなって 性能重視のチハの採用が決まったw
>>961 陸軍大臣単独辞任(裏に山県の意向)で二次内閣潰されてからも
折りにつけ山県に組閣懇請されたりしてるが全部固辞
よほど腹に据えかねたと見える
>>967 陸相辞任は山県の意向を量り損ねた上原の勇み足という話も
軍部大臣の現役制廃止の要となった木越安綱はそれにより前途閉ざされ中将どまり 帷幄上奏やらかした上原はその後も順当に上り詰めて元帥に いずれ訪れる破局の萌芽がこんなところにも
970 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/02/08(日) 22:33:17 ID:rRlvAHsv0
上原は山縣のお気に入りであった。 (薩摩出身(正しくは、宮崎県都城出身なので薩摩閥、とする人間がいるが、全くの誤りで、 上原は長州閥の中でも山縣有朋に近い人間であった。)
971 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/02/08(日) 22:36:35 ID:teP5DPB40
中国と戦争するのが主目的なんだから、 重戦車なんていらんよな。
972 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/02/09(月) 16:09:23 ID:bcQt9zIL0
向上心のある人からしたらカリスマ 向上心もなく愚痴ってるだけの奴からしたら悪
973 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/02/09(月) 16:18:51 ID:/ElCofrH0
人に誇る向上心なんて必要ない
974 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/02/09(月) 16:31:41 ID:bcQt9zIL0
それはオマエに誇るものがないだけだろ? そもそも向上心は内に秘めるものだしw オマエが言ってるのは「自慢」だろwww ま、FIGHT!!(^−^)
975 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/02/09(月) 16:56:44 ID:/ElCofrH0
↑お前が出てくると押し問答になるから嫌だ
976 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/02/09(月) 18:30:18 ID:TX4djKlf0
向上心がない人間は終わってる。
977 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/02/09(月) 19:09:01 ID:/ElCofrH0
何を向上するんだ
ageるから変なのにいつまでもつきまとわれんだよ
979 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/02/09(月) 19:20:26 ID:bcchpe5mO
そう。豚骨ラーメンばい!!
980 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/02/09(月) 19:45:56 ID:/ElCofrH0
なんだやっぱりオウム真理教じゃないか
981 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/02/09(月) 21:23:47 ID:NAru/DzY0
伊藤博文vs山縣有朋 の小説を書いている。 大河ドラマに採用されたら、役者はだれがいいかな?
伊藤史郎と山田ひさし
スレ終盤だしそろそろ結論出そうや 統帥権という憲法上の欠陥は元勲たちが健在な間は埋め合わされてた 連中が表舞台から姿を消した後小才子たちが条文をいいように解釈 軍官僚の独立どころか政府の上位に居座り国を滅亡の淵へ追いやった よって山県は意図的ではないにせよ悪
984 :
名無しさん@お腹いっぱい。 :2009/02/10(火) 06:07:20 ID:Pmoayn720
そもそも無理解釈で欠陥にしただけだろ。 つか今の憲法だって、建前上は軍が存在しないことになっているから、 軍の指揮権は下位法の自衛隊法で定められているに過ぎず、 憲法上の欠陥は残っている。せいぜい議員資格がいるだけだ。 それも過半数に過ぎないからな。 時代に柔軟に対処するように、憲法を簡素化しているわけで、 ギチギチに定義することが正解ではない。 つかそれなら、山縣ではなく伊藤が悪になるだろ。
首相を征夷大将軍に任命して軍を配下に置けば統帥権問題は起きなかったw 憲法に無いて言われても征夷大将軍は令外官だから問題無しw