なんで西郷が維新三傑なん?

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1名無しさん@お腹いっぱい。
理解に苦しむ
2名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/11(水) 22:26:13 ID:cKuoL1eb0
一傑と言うべきだね
3名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/12(木) 10:42:43 ID:z/YFUSqZO
西郷はただの倒幕三傑に過ぎない。
国造りの段階では、ただの抵抗勢力。
4名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/14(土) 23:24:19 ID:vG1Jrsfp0
ちなみに維新三傑とは

大久保利通(薩摩)
西郷隆盛(薩摩)
木戸孝允(長州)

の3人です。
5名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/15(日) 00:33:31 ID:/VfFaMNm0
木戸はバランス調整でいれららたきがしてならん・・・
6名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/15(日) 01:15:37 ID:ObRMg0Ye0
え、幕末維新の傑人は、木戸と大久保の二人だよな。
西郷?だれそれ?
あれってただの置物でしょ。
7名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/15(日) 17:48:34 ID:OC12YxfbO
坂本龍馬が生きてれば…
8日本@名無史さん:2006/01/16(月) 07:15:21 ID:+dpYF8dn0
○新説維新八傑

高杉晋作    1839〜1867(28)長州藩 病没
坂本竜馬    1835〜1867(32)土佐藩 暗殺
中岡慎太郎   1838〜1867(29)土佐藩 暗殺
大村益次郎   1824〜1869(45)長州藩 暗殺
江藤新平    1834〜1874(41)肥前藩 処刑
西郷隆盛    1828〜1877(49)薩摩藩 自決
木戸孝允    1833〜1877(45)長州藩 暗殺
大久保利通   1830〜1878(48)薩摩藩 暗殺

───天寿ライン───超えられない壁───

岩倉具視    1825〜1883(58)朝廷 病没
三条実美    1837〜1891(55)朝廷 病没
山田顕義    1844〜1892(49)長州藩 事故死
後藤象二郎   1838〜1897(61)土佐藩 病没
黒田清隆    1840〜1899(59)薩摩藩 病没
伊藤博文    1841〜1909(68)長州藩 暗殺
井上聞多    1836〜1915(79)長州藩 病没
板垣退助    1837〜1919(82)土佐藩 病没
大隈重信    1838〜1921(84)肥前藩 病没
山県有朋    1838〜1922(85)長州藩 病没
田中光顕    1843〜1939(96)土佐藩 病没
9名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/16(月) 17:20:23 ID:CCtupGDD0
明治まで拡大すれば、
大久保利通
伊藤博文
陸奥宗光
東郷平八郎
10名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/16(月) 17:55:28 ID:NrLKVsx70
大久保、西郷、木戸は志士活動歴が生きて明治維新を迎えた
他の志士達よりも古いという事と幕末の藩外交において
各藩の代表的人物であったからだろう。
11名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/16(月) 22:01:29 ID:25HW9TqsO
明治三傑

大久保利通
伊藤博文
山縣有朋
12名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/17(火) 00:50:56 ID:ofnBjey70
広沢も松方も入ってないし、どういう基準で選んでるんだ?
13名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/20(金) 00:23:27 ID:PKn15oIBO
普通に考えて岩倉、大久保、木戸だろ。
次点が伊藤、西郷、坂本
14名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/20(金) 01:44:40 ID:vNL2lmHY0
なぜ坂本がはいる、あいついれるくらいなら、大隈いれてやれよ。
15名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/20(金) 12:20:37 ID:qhPZDd71O
明治天皇に逆らった逆賊西郷がなぜ上野恩賜公園に銅像があるのか…理解できん
16名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/21(土) 22:30:10 ID:E3pY25a40
>>15 人気が有ったから。それに名誉回復って意味もあるし
17名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/21(土) 22:30:58 ID:4LM+a5OG0
18名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/21(土) 23:07:42 ID:IVunG9rZO
>>15
天皇に叛旗を翻したわけじゃないよ、俗に言う「君側の奸」を討つ、ってやつだ。実際明治天皇のお気に入りだったし。
でも確かに政府に逆らった人間を顕彰するってのは珍しいね。それだけ人々に慕われていたって事だし、また日本の寛容の精神の深さを表しているね。
19名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/31(火) 18:01:02 ID:v9oXI9Q20
その前に上野の銅像が軍服で鹿児島の銅像が和装なのは逆だろ?
20名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/05(日) 23:04:35 ID:4EA92kZxO
大久保・久坂・武市

裏(工作)の三傑。
21名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/07(火) 04:22:25 ID:RVCHzgbx0
維新後の重要な時期に大久保と木戸は岩倉と外遊してる。
その間の留守政府に国政を御していた代表者は西郷だから。
22名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/16(木) 15:50:03 ID:KpyMpuHe0
ケツがでかかったのか?  知らなかったよ。

ケツのでかい残り2ケツは、誰なんだよ?
23名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/07(火) 23:47:57 ID:PuEU1Sy6O
40万部のベストセラー『嫌韓流』の第2弾

『嫌韓流2』発売中

意外とおもしれーぞ
24名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/30(木) 12:32:05 ID:4of3kU0r0
勝海舟の本を読んでなんとなくわかったような気がする
25名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/19(水) 23:23:06 ID:0VliK7L20
>>8
木戸の「暗殺」っていうのは俗説でしょ?
26名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/21(金) 00:36:27 ID:TnCpTdC6O
丸腰の、おいを〜
韓都に遣わしてたもんせ…
凄い人だったんだね〜
と感じる、今日この頃 (◎o◎)
27名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/22(土) 04:14:22 ID:QoT0i2AE0
>>8
>高杉晋作    1839〜1867(28)長州藩 病没
>───天寿ライン───超えられない壁───
>伊藤博文    1841〜1909(68)長州藩 暗殺
おかしくね?
28名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/20(土) 22:56:45 ID:jeydU4OUO
西郷ヵ≡
29名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/21(日) 09:46:08 ID:GNBWf+9e0
維新政府の国賊三傑
岩倉具視
山県有朋
井上馨
30名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/21(日) 14:59:45 ID:OLc0WbT10 BE:469743899-
明治維新って薩長のクーデターなんだろ
http://news20.2ch.net/test/read.cgi/news/1148190752/
31名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/27(土) 02:39:44 ID:mbKDYo7a0
廃藩置県は明らかに西郷の指導力のおかげだろ。
32名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/27(土) 10:28:22 ID:eI0s6P9D0
西郷は倒幕までのひとでしょ。
すぐに鹿児島に帰っちゃったし、新政府をどうするかの展望も持ってなかった。
33名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/27(土) 13:06:05 ID:OOwRJK/H0
担がれたらすぐその気になるのが西郷さん。廃藩置県も西南戦争も
本人の脳内では同じようなもの。
34名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/29(月) 19:38:27 ID:XQ+j3uh00
>>31
そもそも西郷がいなければ、スムーズに進んだと思われ。
35名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/29(月) 22:17:34 ID:g/tm1qWi0
>>1
他のニ傑には疑問を持たないのか?
36名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/30(火) 12:02:28 ID:bOFQVsiJ0
>>34
明治維新の最大の問題は維新最大の功労者である武士のほとんどが失業者となったという事だった。
最強の薩摩武士団が薩摩に帰ってからは彼らの不満が暴走しない様に、また自分を担ぎ出そうとする考えを排除させる為、西郷は黙々と畑仕事を続けた。
薩摩武士を抑えられるのは西郷ただ一人しか居なかった。
薩摩武士団が本気で明治政府に反旗を翻せば、日本各地の失業武士団がこれに呼応し、明治政府が潰れる事は明白だった。

しかしいよいよ薩摩武士の不満を抑えきれぬ事態に至り、西郷は自らの命を捨てる覚悟をした。
明治維新の最大の矛盾である失業武士団ともに自分も滅びようと決意した。
彼もまた自分の作り上げた明治政府をやはり愛していたのだ。
これが西南戦争の発端である。

明治維新においてあれほど天才的な策謀をめぐらせた西郷が、西南戦争においては何の策も講じず、
桐野利明の言うままに隣の難攻不落の熊本城攻略に無駄に時間を費やし、
最後は、最初から予測していたように「もうここらでよか」と言い、見事切腹して果てた。

西郷はやはり明治維新最大の功労者であった。
37名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/30(火) 12:18:31 ID:nLZ3mv4Z0
西郷は唯の担がれデブ。ぶひーぶひー言ってるだけ。
勝も「こいつラクショー」って後に述べてる。
38名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/30(火) 20:24:59 ID:390T1IO+O
>>36
倒幕段階に西郷の天才的な策謀なんかあったっけ?
江戸城明け渡しの談判でも、勝に一杯食わされてるしさ。
39名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/30(火) 20:59:07 ID:z4lPc26F0
>>36
そのストーリーは西郷を肯定する立場で西郷の都合の良いように解釈した話だよね。

武士の利益代表者として中央政界に残る選択もあった。
帰薩しなければ反乱軍は蜂起の中核を得られなかった。
現実の西南戦争では諸国武士団は蜂起せず、この点からは明治政府の敗北は明白どころではない。
熊本城の攻略が戦術上愚策であったといのも単なる主観。
すでに回天後の西南戦争のいきさつをもって維新全体の最大の功労者と評すること自体にもムリがあるし。

40名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/01(木) 16:40:23 ID:lkAdC8JM0
西郷は、統幕や維新後に絶対に必要な人物とは言えないが、
西郷内閣とも言える留守政府時代に、近代国家、
法治国家に必要な改革が続々なされていったのは事実。

国民への負担は大きかっただろうが、
幕末以来多発していた農民一揆はいきなり激減(それでも多かったが)し、
士族反乱も無かったのは、西郷の影響力のお陰なのも事実。

西郷が去り、外遊組政府に変わった途端に、
再び農民一揆が増加し、士族反乱が続発したのも事実。

何がどうとは別にしても、やっぱ西郷偉大じゃないの。
派閥で成り上がった木戸、大久保と比べるのは失礼。
41名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/01(木) 18:51:19 ID:1aQTjXj60
>>37
でぶって言うな><
42名無し募集中。。。:2006/06/05(月) 04:01:53 ID:rNRe975oO
西郷南洲遺訓を購入した僕が来ましたよ
天皇の世紀と併読するのが楽しみです
43名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/05(月) 12:17:23 ID:PSh39CDf0
>>39
そんな風が吹いたら桶屋が儲かるみたいな話を言ってはいけない。
西郷が帰薩したのは征韓論が受け入れられなかったからだ。
あのとき征韓論を実行していればその後の歴史もずいぶん違ったものになったろう。
日露戦争も日清戦争も、日本が講和条件の第一に挙げたのは朝鮮半島の支配権、朝鮮半島の独立、であった。
西郷は朝鮮半島が維新を行わなければ日本の安全保障はなしえないことを見通していた。

しかも明治政府(大久保)は西郷の征韓論をあれほどかたくなに否定しながら
西郷下野直後に鬱憤のはけ口として征台を実施している。
それならばなぜ征韓を実施しなかったのか?

風桶の話をさせてもらえるならば
もしも西郷の望む明治政府が完成していたら
日本は今のような不幸な歴史を歩まずに済んだろうと思う。
やはり西郷は維新最大の偉人である。
44名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/05(月) 13:23:53 ID:zQ2lIFxkO
>>43
風桶にしても限度ってもんがあるだろ。


人的資源も天然資源もない当時の日本が
破滅を20世紀中盤まで先延ばしにできただけでも
明治以来の為政者の施策は上出来だと思うが。
45名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/05(月) 19:32:08 ID:U+Y2/UxM0
>>43
風桶の話をしてるのはあなたであり>>36
46名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/08(木) 18:26:34 ID:18CwM9C+0
正直、西郷の征韓論にどれほどのプランがあったのか疑問ですけどねえ。
朝鮮半島の支配を考えていたのは当然として彼の内政、改革論なんて
まるでないじゃん。勢いだけの男。それがデブ西郷。
47名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/10(土) 03:46:46 ID:pgbb0Xmk0
244 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/10(土) 03:38:12 ID:pgbb0Xmk0
★幕臣・小栗上野介(おぐりこうづけのすけ)


彼の先見性は驚くべきもので、
明治新政府の施策の多くは、彼の発案です。
郡県制などが有名です。

また、現在の技術立国日本の礎を築いた人でもあります。
横須賀造船所がそれです。

彼はポーハタン号での訪米の時(咸臨丸が同行)、一本のネジを持ち帰りました。当時日本にもネジはありましたが、一本一本手作りでした。
機械で作られたネジ、それに将来の日本の技術の目指すところを見つけたのでした。
48名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/10(土) 14:38:54 ID:YiwxdF0fO
小松 帯刀
49名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/10(土) 17:17:07 ID:BJOpjkXN0
あの当時の日本の国力で征韓なんて不可能だよ
まさに亡国の道だ
必ず清とロシア、そして当時の列強の干渉を受けて頓挫する
勢いや情念で政治をすると失敗する典型例だよ

やはり西郷には革命家という評価しかない
高杉も天才的な革命家だが、彼が長生きしてたら日本にとって害になっただろう
50名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/10(土) 18:54:58 ID:5rQCLe6U0
西郷の政治力がなければ維新は成立してないよ。
51名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/10(土) 19:40:26 ID:qx2ZWXTw0
西郷は人望の方だろ
政治力なら大久保の方がダントツ上
52名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/10(土) 19:48:12 ID:qyqug2cD0
西郷隆盛は繊細な感受性の持ち主。
53名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/10(土) 23:14:46 ID:MDvszk1K0
大久保は政治力というより謀略・陰謀力。
政治力なら伊藤の方がはるかに上。
54名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/10(土) 23:25:16 ID:uFbGMtrj0
待たれよ!伊藤は交渉力が大久保より上なんだよ
政治力はやっぱ大久保だろ
55名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/11(日) 00:12:33 ID:/0VbfE/30
>54

政治を、権力維持の為の力の行使と捉えるなら、大久保は日本史上最高クラスの能力だ。
が、この場合に必要な能力は、謀略や陰謀の才になる。

また、国家を維持統治する為に様々な利害関係を調整していくことを政治と捉えるなら、
大久保よりは確実に伊藤の方が上だが、どちらにしても西郷の足元にも及ばない。

これらとは別に、政策立案、企画実行の能力が政治だと言うなら、
大久保は江藤新平には遠く及ばない。

やっぱ西郷最高じゃね?
56名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/11(日) 00:40:09 ID:keIQrieL0
いや、まて!
なぜそこで西郷が最高になるw
57名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/11(日) 09:33:55 ID:rrS7zHmJ0
利害調整能力が最高の人が不平士族の叛乱の首魁になって敗れ去るわけか。
58名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/11(日) 17:51:39 ID:hRtWFy220
西郷に才があるかはともかく倒幕で健闘したのは認める。
ただ倒幕活動においても西郷の代わりは別に幾らでも居たと思う。
明治新政府においての西郷の征韓論に至っては何の計画性も無い、
帝国主義に過ぎない。
帝国主義自体は当時の常識だし植民地支配も勿論、慈善事業ではないが
計画性の無い植民地化を提案だけした西郷が新政府内で孤立するのは
当然の事。
59名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/11(日) 22:47:04 ID:w6Onz8AT0
>58

西郷は、板垣への手紙以外で朝鮮征服の事は書きも言いもしてないんだよね。

たぶん彼の中では、崇拝と言えるほどに尊敬していた主君島津斉彬の提唱していた、
日中韓の三国同盟を実現させるために、何が何でも朝鮮と国交を開きたかったんじゃないかな。
朝鮮を植民地化するというのは、西郷の思想からは全く見られない。

それに、西郷が新政府内で孤立化というのもどうかと。。。
明治六年の政変前は西郷派が明らかに多く、むしろ大久保の方が孤立状態に近い。
大久保の味方は、外遊組と一部長州閥くらい。

60名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/03(月) 00:10:33 ID:rgqdJui30
なんでこれが話題にならんのだ

「それは早急に過ぎもす。兵隊などを派遣すれば、
朝鮮は日本が侵略してきたと考え、要らぬ危惧を与える恐れがありもす。
これまでの経緯を考えると、今まで朝鮮と交渉してきたのは
外務省の卑官ばかりでごわした。
そんため、朝鮮側も地方官吏にしか対応させなかったのではごわはんか。
ここは、まず、軍隊を派遣するということは止め、位も高く、
責任ある全権大使を派遣することが、朝鮮問題にとって
一番の良策であると思いもす。」

ttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060628-00000416-yom-soci
ttp://www.page.sannet.ne.jp/ytsubu/syougai11.htm
ttp://pecan.cocolog-nifty.com/fudge/cat4340356/index.html

今までの教科書は完全に歴史の歪曲じゃないか
板垣に対する書簡については意見が分かれるだろうが・・・
扶桑社の教科書はどうなんだろ
61名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/04(火) 16:10:35 ID:7wv21b1p0
大久保利通
政治力 ★★★★★
人望  ★★
彫り  ★★★★★

西郷隆盛
政治力 ★★★
人望  ★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★
睾丸  ★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

木戸孝允
政治力 ★★★
人望  ★
神経質 ★★★★★

あとのひと誰かよろ
62名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/04(火) 17:02:17 ID:UnuVkE6z0
○新説維新八傑

高杉晋作    1839〜1867(28)長州藩 病没
坂本竜馬    1835〜1867(32)土佐藩 暗殺
中岡慎太郎   1838〜1867(29)土佐藩 暗殺
大村益次郎   1824〜1869(45)長州藩 暗殺
江藤新平    1834〜1874(41)肥前藩 処刑
西郷隆盛    1828〜1877(49)薩摩藩 自決
木戸孝允    1833〜1877(45)長州藩 暗殺
大久保利通   1830〜1878(48)薩摩藩 暗殺

───天寿ライン───超えられない壁───

岩倉具視    1825〜1883(58)朝廷 病没
三条実美    1837〜1891(55)朝廷 病没
山田顕義    1844〜1892(49)長州藩 事故死
後藤象二郎   1838〜1897(61)土佐藩 病没
黒田清隆    1840〜1899(59)薩摩藩 病没
伊藤博文    1841〜1909(68)長州藩 暗殺
井上聞多    1836〜1915(79)長州藩 病没
板垣退助    1837〜1919(82)土佐藩 病没
大隈重信    1838〜1921(84)肥前藩 病没
山県有朋    1838〜1922(85)長州藩 病没
田中光顕    1843〜1939(96)土佐藩 病没
63名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/05(水) 00:50:43 ID:HczExOR90
俺的な維新三傑は、坂本、西郷、高杉で、
維新後の明治新政府三傑なら、大村、江藤、副島だと思う。

西郷、高杉は、薩長の軍事・謀略の実質的指導者で、
バラバラ薩長の力を結びつけたのは坂本の尽力。

新政府では、軍事の基礎は大村が組み立て、
内政は江藤、外交は副島がそれぞれ、明治国家の礎を築いている。
新政府下では、この三人と、人望で西郷が衆を抑えていれば良く、
はっきり言って、大久保、木戸はいらね。
二人共すねて引き籠りばかりやってるし。
64名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/05(水) 01:58:49 ID:QnejzFWR0
278 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/28(水) 14:45:01 ID:XCiPmHxN0
うんこ愛好家の方に、たまらない魅力を放ち、
肛門拡張愛好家達を惹きつけてやまない桂小五郎
それなのに信じ難い程の、この無人気ぶり。

ウンチ漏らして敵から逃げのびるだけ。

やはりこの人生、普通の方達には共感し難いものがあるんだろうな。
65名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/05(水) 02:18:38 ID:CCnT/oTsO
>>63 小松帯刀も入るが余りにも無名か?


かなり有名だけど 西郷より低い知名度。


>>63ほか、禿同
66名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/05(水) 02:59:35 ID:9oV2hrMM0
お前らに
これだけは言っておく
大事なのは
今の俺たち日本人に何が出来るかだ
【在日や韓国人の日本強奪計画を阻止せよ!】外国人参政権に反対する主なる理由

以下この法案の主な問題点を挙げます。

・参政権とは国政や地方を問わず「国民固有の権利」であり、この法案は明らかに憲法十五条に違反している。
・日本国民は民主国家日本と運命を共にせざるを得ないが、外国籍の者は日本と運命を共にする義務は無い。彼らが本国に帰る事は自由である。
・参政権は人権問題ではない。外国人は本国の参政権を持っているはず。無いのなら、それは彼らの本国の怠慢でしかない。
・永住外国人とは、特別永住資格を与えられた韓国・朝鮮籍の方々が殆どを占める。彼らが本国からの干渉を全く受けない、とは言えない。これは内政干渉とも考えられる。
・この法案を提出しているのは公明党の議員である。公明党とは、ほぼ創価学会員で構成されており、支持母体は創価学会。公明党がこの法案に熱心なのは、創価学会が韓国での布教を有利にする為であるとも言われている。
 (金大中元韓国大統領と池田大作SGI名誉会長の間の取り決め)
・この法案に賛成してる政党は、票田を獲得する為に「国民固有の権利」を売ろうとしているのは明らか。民主党は韓国民潭との繋がりを強めている。創価学会の信者には在日朝鮮・韓国人も多い。
・この法案に賛成してる議員は、個人的な贖罪意識の為に「国民固有の権利」を売ろうとしているように見える。
・友好を言うのなら、相互主義でなければならない。
・日本は他国とEUのような強力な結び付きのある同盟関係が有るわけではない。外国人の参政権を認めているのは、EUのような一つの国を目指している国々や、経済的繋がりが強力な北米圏のような特殊な国々のみ。
・この法案が成立した場合の将来、永住外国人が人権を盾に、被選挙権と国政参政権を求めた場合はどう対処するのか説明が無い。
67名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/05(水) 03:26:22 ID:9oV2hrMM0
今、日本にいる在日朝鮮人のほとんどは「強制連行」された人やその子孫ではない。
 (在日本大韓民国青年会等の韓国人自身による調査により明らか)
 彼らのほとんどは、経済的理由などにより彼ら自身の意思でやってきた。
 従ってこれを理由に地方参政権ぐらいなら与えてあげてもいいということにはならない。
※ 朝鮮人が言う「強制連行」とは、戦争中に日本本土、台湾、朝鮮半島など、当時の日本国
 全土で実施された「徴兵」「徴用」のこと。
 特に朝鮮人に差別的に行われたわけでもなく、朝鮮人の徴用が行なわれた期間は昭和19年9月から関釜連絡船の閉鎖された昭和20年3月までの6ヶ月間に過ぎない。
 これを「強制連行」と呼ぶのは明らかに不当で歪曲も甚だしい。
 また徴兵・徴用で日本に来た朝鮮人たちには、帰国船が用意され、
 ほとんどが帰国済み。それで帰国しなかった人たちも、戦後60年の間ずっと
 帰国する機会はあったが、自分の意志で居残った。
 それが今の在日朝鮮人だ。
68名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/05(水) 03:42:39 ID:9oV2hrMM0
もちろん外国には認めている国もある。
それらの国は、特定の国に対して相互的に認めている。
また認めている国にも、国家統合を目指しているEU諸国など、それぞれの国内事情
があり、日本と比較することはできない。
なお、日本に対し参政権を求めている在日韓国人の母国である韓国では2005年7月に
在韓永住外国人の地方選挙権が認めらたが、
日本に永住する在日韓国人は50万人以上なのに対し、韓国でその対象に
なる在韓日本人はわずか10数人であり(H16年度)、相互主義が成立する条件にはない。
●韓国の永住資格を持つ在韓日本人は59人(H16年度)だが、その中で実際に
韓国の地方選挙権を付与される人数はさらに少なく、わずか10数人程度。
69名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/05(水) 03:50:26 ID:9oV2hrMM0
国政参政権はともかく、地方参政権だけならいいのでは?
●国防などで大切な役割を占め、時としてその決定を左右する地方選挙権を与えると、
外国人の多い自治体では日本人より外国人を重視する政策を行う首長が誕生する可能性がある。
また教育や福祉、条例制定に関わり、日本人以外に都合のよい自治体となる可能性がある。
さらに、国会議員は選挙時の支援を地方議員に頼る部分が多く、地方議員1人1人
の考えが国会議員の考えや政策にも影響を及ぼすのは明らか。
もし地方議会だけであっても外国人に参政権が付与されてしまうと、地方議員は
外国人の票を気にするようになり、その地方議員の支援を受ける国会議員も、
立場上、外国人に対してはっきりものが言えなくなり国政にまで影響される。
よって『地方参政権だけだったら付与してもいいだろう』とは言えない。
70名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/05(水) 04:00:36 ID:9oV2hrMM0
【韓流捏造ブームの背景にある恐ろしい狙い】
 ・韓国を美化・賛美してノンポリお花畑日本人をまず洗脳
 ・中国の反日(これも問題だが)を大々的に報道して韓国賛美に利用
 ・日韓交流や友好を名目に韓国人観光客ビザ免除の推進
 ・在日参政権付与の推進(もちろん日本人にはひた隠し)

ここで深刻なのは在日参政権です。
 (特に対馬が危ない。人口4千人のこの島は常に韓国に狙われています。もう既に対馬は
 歴史的に韓国領土という捏造論文を発表したり、韓国領をアピールする為に「対馬の日」まで制定しています。
  ●最悪な例 :参政権獲得後→日本各地から在日が対馬に大量移住→媚韓派議員を大量選出
  →議会乗っ取り→対馬独立条例可決→対馬韓国領土化条例可決→日本政府と対立・・・)
要はこれらの下地つくりです。
外国人参政権が認められると、合法的に日本の過疎地域から一地域ごとに乗っ取る事が可能になってしまい、
そう遠くない将来、日本が旧ソ連やユーゴ、レバノンの様な内戦状態に陥る事だってあるかもしれません。
この法案は一度成立してしまったら二度と取り返しがつかなくなる可能性大です。

日本人はこれから、戦わないといけない相手がいっぱい出現して大変な時代になります。
今現在、これらを物凄い勢いで後押ししている日本国内の団体・・・
民潭、総連は言うに及ばず、公明党=創価学会、朝日やTBS・NHKなどの売国大マスコミなどなど・・・
 「推進派は地方参政権だけと主張していますが、日本の歴史で戦国時代に《大阪城の堀を埋めるだけ》という
  徳川方の言葉を信じたばかりに、結局最後に滅んだ豊臣家を忘れてはいけません。歴史の教訓に学べです」

スイスが永世中立国を保つ為に自国民に配布している、国家防衛マニュアルの「民間防衛」には、
『敵の宣伝工作・敵国との情報戦においては、どんな事があっても戦うべし』と説いています。
コピペ、メール、はがき、デモ、なんでもいい、私たちはできる限りのことをしましょう。
↓工作員の書き込み例
  ∧_∧ 
 <=( ´∀`) 自分は嫌韓だけど、在日の地方参政権なら別にOKだな。
 (    )  だって税金払ってるんだし、差別はやばいよ。
 | | |  あと、この話題板違いじゃないか?
 〈_フ__フ
71名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/05(水) 04:09:14 ID:9oV2hrMM0
「外国人参政権に反対する会」
ttp://www.geocities.jp/sanseiken_hantai/
72名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/16(日) 20:57:38 ID:WwicS3T30
「西郷隆盛=征韓論」は古い 鹿児島知事、発行元に要望
ttp://www.sankei.co.jp/news/060716/sha039.htm

西郷どんは征韓論ではありません−。
西郷隆盛が武力で朝鮮に開国を迫る「征韓論」を唱えたとされていることについて、
西郷の故郷・鹿児島県の伊藤祐一郎知事が、平和的解決を目指した「遣韓論」も
記述するよう高校教科書の発行元に要望書を送っていたことが15日分かった。
都道府県知事が教科書記述の変更を求めるのは極めて異例。
伊藤知事は「西郷の本当の姿が伝えられていない」と訴えている。(教科書問題取材班)

<<中略>>

(1)西郷が閣議などで征韓を主張したという史料は見つかっていない
(2)逆に、即時出兵などの強硬論を抑え、非武装の使節として自らを派遣するよう求めている

−などの事実から、征韓論ではなく、平和的・道義的解決を模索した遣韓論だったという説も有力だ。
学界をほぼ二分しており、代表的な歴史事典も両論を併記している。

<<後略>>
73名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/16(日) 21:43:34 ID:8nHG/Bun0
何れにしても西郷に新政府の方針が無かった言い訳にはならないよ。
74名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/16(日) 22:27:59 ID:OSu/rSJS0
>>72
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/15(土) 00:51:01
ああ、やはり毛利説だったか。西郷が板垣を説得するためだけに板垣の心をくすぐる文を書いたと主張していたな、毛利氏は。

ちなみに、西郷が主君の提唱していた三国同盟樹立に熱心だったのは確かだろう。
だが、そのためにはどうやっても軍を伴った征韓論以外に韓国を変える手だてはない、と見て西郷が征韓論にあそこまで固執したというのが正しいと思われる。
なぜなら、西郷が死の決意をかため周囲にそれを漏らしだしたのは、外務卿副島の、「これ以上(朝鮮との)交渉の余地はなく、あとは兵を伴う問罪使を派遣
するのみ。その問罪使には外務卿たる自分がなる」
という報告を聞いてからであると思われる。それ以前は、西郷は本気で平和交渉が成り立つと考えていたようだ。

話は戻って、使節派遣が一度決定してからも、さらに、こんなことを手紙で送ったのも、板垣を喜ばせたいためなのか。
『(韓国で)無茶をするつもりは無いが、もし自分が死んだら、「西郷は自分から殺されにいった。」という論が起こり、
戦争を回避しようとする策をめぐらすことは確実だ。その時は是非とも、自分の死を無駄にしないようお願いします』

また、板垣だけでなく、黒田清隆に対しては、征韓準備のためすみやかに、軍局の論を定めるように運動してほしい、と手紙で頼んでいる。
黒田は反征韓論であるし、後輩だ。
西郷の目的が平和使節派遣であれば、このような運動を促す必要はあっただろうか。

さらに、別府に対しては、「土州人も一人は死んだ方が跡がいい(一人の土佐藩士が同行を願い出ていた)だろうと考えています」
とのどぎつい手紙も送っている。
それ以外にも辞世の句のような詩も作り、多くの知人に自分が言って殺されたら日本は奮い立つ、そのためなら死は恐れない
というようなことを言っているのだ。
>西郷が朝鮮へ行けば殺されるというのもナンセンス。
西郷が殺されるのがナンセンスというならば、その西郷の覚悟すらナンセンスということになるが。
実は全然ナンセンスではない。少なくとも当時の人間にとってはナンセンスではなかった。
まず、当時の朝鮮について、アメリカ公使フレデリックは、国務長官宛に「朝鮮はペリー渡航前の日本よりも
さらに厳しい鎖国状態にある」と送っている。
というのも、大院君支配下の朝鮮は清人の入国さえ禁じ、入国した一般の清人は全員が暗殺されている。
(明治5年に、日本の外務省から派遣された探索員の報告)。
清人に対してすらこの仕打ちである。西郷が無事である保証がどこにあるのか。
さらに、アメリカの艦隊ですら、江華島からの砲撃を受けている。丸腰の鉄鋼船で行ったところでどうやって、
大院君のいる漢城までいくつもりなのか。
もう一切使節は受け取らんといい、実際そのようにしめしている朝鮮の国内を、丸腰で、海岸ぞいにあるわけ
でもない漢城まで行こうというのだから、殺されないと思う方が不自然だ。

自分が、西郷を神聖視(あるいは、あくまでも善い人物であると見がっている)しすぎと思うのは、これだけ(他にも史料がもっとある)本人が、使節派遣の
結果的には軍を派遣することを予期し、それを望んでいたにもかかわらず、Wikiの「征韓論」にすら、西郷の論は、派遣説だった。というような
説明書きをしているからだ。確かに、形だけみれば派遣説だ。だが、その中身をみれば戦争を起こす気満々なのに、遣韓論はありえないだろう。

らしいよ。


75名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/16(日) 23:28:50 ID:WwicS3T30
>>74
勉強になります。thx。最終的な武力行使を見据えていたという事ですね。

>>73
ごめんなさい、反応を見て記事内容の確度がどうか知りたかっただけです。
ざっと検索掛けても西郷スレ二つしかなかったんで・・・過去議論については全く関知しない素人です。
76名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/18(火) 22:19:15 ID:r14gavuO0
どっちも説得力あるなあ・・・
こういうのを学校とかでイデオロギー無しで生徒らに討論させて欲しいもんだ
77名無史さん@お腹いっぱい。:2006/07/22(土) 23:40:25 ID:Dd1H2GFd0
廃藩置県は木戸や岩倉達のいない間に、留守組の西郷らがドーンとやったことだろ。
西郷だからできたと俺も思うが。
78名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/23(日) 00:22:23 ID:+1TScjuH0
よく西郷の留守政府の急激な改革に対して、一揆が頻発していたというのを見かけるが、
一揆自体の発生件数は、留守政府になり西郷が仕切りだした途端に激減している。

元の数が多過ぎた方が問題だと思うが、
外遊組(歴史の勝者側)の方が仕切っていた時代だからか、
あまり問題提起されることが無いのは変だ。
79名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/17(日) 07:18:25 ID:3aijBYY+0
江戸城無血開場とあとはキャラクターだろ
80名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/11(水) 18:37:20 ID:XdFA1caY0
西郷  森
大久保 小泉
木戸  小渕
81名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/11(水) 22:59:48 ID:cm9hP/H80
>>77
廃藩置県は岩倉使節団出発前だ。大久保と岩倉が決めて西郷、木戸を引き込んだ。
82名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/11(水) 23:55:45 ID:qe9wKg8b0
西郷は明治維新の軍事的立役者でもあり維新後も政府の首領として
特に軍事的威圧感を示して廃藩置県等をバックアップしたからやはり三傑の1人にあげられるだろう

大久保は維新前も維新後も政治的指導者として常に薩摩や新政府の中枢にあり3人の中ではもっとも責任感を持って国事に対処していたからやはり三傑
の1人にあげられる。

木戸は長州の代表として薩摩とともに維新を成し遂げ維新後も長州勢力の基盤を確立し明治日本の政治の象徴ともいえる後の伊藤山縣政権の下地を作った
からやはり三傑の1人にあげられる。
83名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/12(木) 00:33:04 ID:9YWsRajj0
>>81
木戸が推進し、大久保と岩倉を巻き込んだというべきだろ。
84名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/12(木) 00:35:21 ID:9YWsRajj0
西郷はただの抵抗勢力だから、この件では考察すべきではないな。
反対していたら、政府から追い出されるか、
山縣あたりに暗殺されていたんじゃね。
85名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/12(木) 02:16:22 ID:P5TFhylrO
薩摩藩賢人


西郷 小松 大久保
86名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/12(木) 08:26:00 ID:93p4MoHY0
西郷は封建反動の首魁。薩摩武士団の野望に殉じたことが、封建制を脱却していない近代日本の
遅れた大衆の人気を得た。
87名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/14(土) 00:09:13 ID:49JDuH8K0
西郷自身は本当に朝鮮を武力をもって開国させるつもりだったのか?
それとも言葉の通り、あくまで平和的に交渉しようと考えていたんだろうか?
西郷ってのは理解に苦しむ
88名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/14(土) 00:09:40 ID:OXkroAiE0
あの偉大な大久保と、西郷や小松の小物を同レベルで語るな。
89名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/14(土) 00:34:23 ID:TT+7t1sjO
>>86に全てが集約されている。
西郷をさん付けで呼んでるような奴らは、
トカゲを葉っぱで蒸し焼きにして食ってる
ジャングルの少数民族をテレビ番組で観て
日本人の忘れてしまったものを持っていると感化される連中と同類。
90名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/28(土) 07:00:55 ID:XZDvd7BX0
なんだかんだいっても西郷の功績は大きい
大久保や木戸の代わりは居ても西郷の代わりは居なかったし
91名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/28(土) 17:03:26 ID:/wTS8FGZO
小松帯刀 は重要人物である。
92名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/29(日) 18:06:12 ID:M98ZJEiZ0
たしかに西郷ように害悪を与える代わりは日本にはいなかったな。
93名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 06:15:35 ID:gAqn3LJo0
維新の勲功として西郷、大久保、木戸が別格なんだから、当たり前だろ。
94名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/11(土) 06:22:02 ID:gAqn3LJo0
>>86
西郷は感情量の大きな人だったから、彼らが不遇になるのを見捨てられなかった。
大久保は国権を拡大し、富国強兵するのを選んだ。

洋行組は廃藩置県の後、洋行した。西郷は廃藩置県の後片付けをした。
彼自身が不平士族に命を預けることによって。
95名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 07:45:32 ID:nl0O87kQO
また司馬厨か
96名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 08:26:44 ID:zCxGp6fg0
西郷=気の優しいデブって構図何とかならんか?
97名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 08:37:19 ID:pMSPbWJUO
小松帯刀
98名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/14(火) 14:37:01 ID:hNnoeARrO
>>95
それ否定したらこのスレは成り立ちませんから。
99名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 20:23:37 ID:6SEGUm+E0
官吏の才しか見えないやつに西郷は理解できん。

制度は人間をある方向に促すということはできるが、
結局運営する人間次第。

今の日本が、江戸や明治の制度より、汚職に対し
強力で法律も精緻を極め、理念も崇高な制度なのに、
不正は一向になくならない。それがわかりにくく
なるようにより、複雑になっていくだけ。

100名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/22(水) 20:24:57 ID:6SEGUm+E0
当時の制度はもっとシンプルだったが、
今より不正が多かったかといえば多分
そう変わらないか、あるいは少なかった
かもしれない。

それに決定的な差は、維新の時のようなことが
今のエリートたちに、もう一度できるかだろうか。

それを憂えたからこそ、私学校なんだよ。
これは公に対する反意語だ。
私学校で何を教えたかというと、私ではなく士族
精神の核にある考えの公を教えた。
まさに、明治の官吏的なものを否定しようと
志したのさ。まぁこの辺が、本質的に革命家なんだが。
101名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/20(日) 12:45:05 ID:U9JhxSwD0
なぜ、西郷が三傑なのか?

京都政局は抑えたものの、公武合体で行き詰ってしまった、
薩摩を、なんやかやのいきさつはあったが、結局倒幕の方向へ
導いたから。

その方針を、現実化し、実行し、裏工作をしたのは大久保なので、
彼も三傑の一人。

木戸は、あの混乱した長州をまとめて、代表となり、薩長同盟を締結。
これが最大の維新の原動力になったから、三傑。

ってとこかな?
102名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/15(金) 20:42:44 ID:IVSjgkjH0
知らなかったけど人力鉄道の歴史サイトがあった。
http://www.kk-net.com/~tabuchi/JINSHA.htm
103名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/13(金) 21:36:50 ID:gC9SqqZA0

林秀彦著「この国の終わり」(成甲書房、百十一〜百十三頁)に、
福沢諭吉の言が引用されてある。

その論旨は、西洋人の言説の本筋は何か?
それは、「商売せよ。しなければ殺す」 と言うことに尽きる、と。

しかしこれは、福沢諭吉が日本人に分るように、最大限にやわらかく表現
したのであって、西洋人の本音は、「ドレイに成れ。さもなくば殺す」であると。

つまり、お前はオレのドレイに成れ。さもなければ、オレはお前を殺す、と。

イルミナティのスローガンは、オベイ、オア ダイ!! Obey, or die!!
言うことを聞け! (言う通りにしろ!!オレさまの命令に服従しろ!!)
さもなければ殺す!!

もっとも、これは、彼等の原理であって、その原理は、当然のことながら
状況によって、変化し、変身し、変容する。

「敵」「相手」が強過ぎる場合、言葉、思想、イデオロギー、宣伝、口先によって、
この原理を実現しようとする。つまり、相手をペテンにかけるわけである。

従って、これは、言葉による、思想による、イデオロギーによる、世界観による、
宗教による、殺し合いである。

西洋は、何よりもまず、こうした言葉、思想、イデオロギーによる戦争で
勝ち抜いて来た最終勝者である。ことを、知らなければならない。

日本人、日本民族は、未だかって、このことを正面から調査研究したことがない。

会沢正志斎の「新論」は、ほんの少々この方向を歩み出している。
しかし、会沢正志斎も晩年、開国已むなし、などと言って、気勢の上がらないこと。

西洋と徹底的に戦えば、どう成るか?

士農工商の身分制度下で、農工商は、おかみについて行くのみ。

武士階級は、どう成ったか?

武士は二つに分裂した。死=全滅を賭して西洋と戦え派と、
殺されるのはイヤだから、西洋のドレイと成って生き延びる派、とに。

前者の代表は西郷南洲であり、後者の代表は、大久保利通と、
長州の木戸、伊藤、山県ら。

西南戦争で、西郷軍が潰滅したあと、日本の国家権力は、後者、
西洋のドレイと成って生き延びる派によって、完全に独占された。

そして今、どうなのか。イルミナティサタニスト世界権力は、日本民族
ひとり残らず皆殺し戦争の総仕上げにとりかかろうとする。

今、イルミナティによって操作=展開されている、北朝鮮共産政権との紛争は、
イルミナティの日本民族皆殺し戦争へ向かっての、着実な一歩であるだろう。

現在の日本の苦境は、明治六年、大久保、木戸、岩倉、三條、伊藤らによる、
西郷隆盛追放の政変に始まっていることを、日本民族有志は知らなければならない。
104名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/18(火) 22:41:31 ID:0rpKWGd30
幕末の三大快男児
高杉
西郷
坂本
105名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/19(水) 00:41:14 ID:aYv2MjeWO
西郷は士族のカリスマとして存在意義があった。
明治藩閥に対する反政府運動に投じる人間は
例に漏れず西郷が精神的支柱であることを表明していたし、
その西郷に投影された武士道精神は、
明治藩閥転覆後権力を掌握した昭和軍閥政権によって
学徒・女学生の動員、神風特攻隊、自決の奨励という形で結実した。
106名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/19(水) 02:07:02 ID:aadwN1LhO
倒幕の最大の功労者が西郷隆盛でしょ。
107名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/19(水) 08:01:20 ID:nAAQeF5M0
1.倒幕事業において多大な功績を収めた
2.新政府に所属し内閣の主要人物としてさまざまな制度を施行した
3.みずから死亡フラグを立てて反乱分子とともに連鎖あぼん

これで維新に貢献するところ余人に及ばずって方が不思議だろ。

あとは薩摩系の偉人(藩閥という見方も出来るが)を口利きした
功績からプラス補正とか。
108名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/21(金) 11:46:10 ID:X40fi77f0
事実上の
初代宰相:木戸孝允→五箇条のご誓文、明治新政府の方針を打ち立てる。
二代目:西郷隆盛→留守政府で、廃藩置県、学制、地租改正、徴兵令と言った改革を断行。
    近代国家としての骨格を作る。
三代目:大久保利通→内務卿として、指導力を発揮、近代国家としての官僚制度を整える。
109名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/24(月) 15:13:08 ID:e7YvTMaF0
>>108
だから廃藩置県は外遊前だろってw

だいたいの流れはあってるが、西郷は留守政府でただ軍部を抑えていただけ。
政治的なことはほとんど江藤ら土肥閥が行っていた。
まあ、江藤らが暴走しないよう綱を握っていたのは確かだが。

6年政変後は誰がなんと言おうと大久保だろうけど、それはあえて木戸が並ぼうとしなかったから。
その辺が木戸の持つバランス感覚なんだろうけど、大久保の能力を認め、薩長閥間のいらぬ衝突をつくらないために
一歩引いていた感があるな。
でも五箇条のご誓文やら、藩籍奉還、地租削減など木戸の功績はわりと多い。
後年問題になった軍部による政治介入を恐れて、山縣が参議になるのを絶対許さなかったこともあるし、
わりと先見の明はあったのかも。
110名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/14(日) 13:30:52 ID:DXNbus+70
>>108
それ、どっかの学者が書いてた本で読んだ
あまりにもこじ付け過ぎて笑ってしまった
111名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/20(土) 05:36:19 ID:PQ44yj+f0
西郷隆盛だから廃藩置県やらなんやらをやれた部分は大きいと思うがな。
あの頃の西郷はスーパースターで、藩主も抑えられなかったし。
まぁ軍部抑えてたというのも大きいが。
普通、自分達が失職する事を断行するなんて、西郷なら大丈夫!という意識が無いと
出来なかったと思う。
一番重要な部分を西郷が抑えてて、責任も(多分)取るつもりで→西南戦争
端々の細かい部分は、それを得意とする人に任せていたんだと思う。
無論、端々=劣る、という訳じゃなく、皆、自分がやれる役割をした結果だと思うよ。
112名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/21(水) 00:42:09 ID:BcQMkZi/0
109と111はまあ納得できるな
政治力(実行力?)では大久保が一番だろうが、
木戸は枠を作り、西郷は人間を動かせるからこそ三傑

倒幕運動じゃ大久保の名はそんなにきかんから
明治六年以後の実績で補正されてちょうどバランスとれる
113チェスト井上 ◆CHEST.kH9s :2007/11/22(木) 09:41:22 ID:3w2s0ufI0
中村半次郎チェスト
114名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/22(木) 09:45:29 ID:Y9yoItLE0
toiuka
西郷があの銅像ではなくて もっと男前の銅像だったら少しは
イメージも変わっただろうな。事実西郷の嫁さんなんかは全然似てない
って銅像みていったらしいし。もっとやせてたのかも
115名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/22(木) 09:47:05 ID:Y9yoItLE0
ってラストサムライのモデルってだれなの?西郷なの?
116名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/22(木) 10:33:35 ID:U6IVEPcj0
倒幕の最大の功労者は長州藩だよ
西郷は、大久保と並んで薩摩の大将だから
長州の桂、薩摩の大久保と並んで三傑なのさ^^
117名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/22(木) 23:49:03 ID:9SrAEp9T0
日本史における名目上は

有栖川宮熾仁
三条実美
岩倉具視

が三傑じゃないの?
118名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/23(金) 20:08:01 ID:mCmmf+B50
長州藩は薩摩藩なしでは、潰れたろう。
119名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/23(金) 20:15:03 ID:12n6THBA0
薩摩藩も長州藩なしには維新達成できなかったと思うよ
お互いに南と西の雄藩だしね。長州藩なんか
15万くらいの譜代に囲まれたのに勝つんだしな。
お互いに利害が一致してるんだよ。薩摩と長州って。
120名無しさん@お腹いっぱい。:2007/11/26(月) 13:41:01 ID:c4CIkh420
長州には緋村抜刀斎と言う伝説の人斬りがいてだな・・・
121名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/13(水) 19:17:30 ID:GZ8nOULd0
真維新三傑
井伊直弼
大村益次郎
小栗忠順
122名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/13(水) 23:33:23 ID:sy2H+L1I0
何をやった云々よりも、薩長中心に考えた場合、
彼らがその藩のリーダー的存在だったからだろ。
123名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/18(金) 10:47:33 ID:MXrWJuyg0
明治維新後パッとしなかった元薩摩藩士
吉井友実
岩下方平
税所篤
桂久武

124名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/18(金) 11:37:31 ID:/65qsRsZ0
小松帯刀が入るべき
そもそもこいつがいなければ 大久保、西郷も表舞台には
出てなかっただろうよ
125名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/16(水) 10:44:39 ID:hsSy0VgRO
大河の影響受けすぎワロタw
小松が本格的に出て来る前から西郷は藩主島津斉彬に重用されて世間に名だたる名士だった。

小松のほうこそ西郷大久保がいなかったらただの有能な家老で人生を終えてただろうね。
126名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/19(水) 23:13:09 ID:1BEdaRxsO
山田顕義は資料みる限り長州一有能だが無名

桂・大村が認めた有能な軍人であり法律の基礎を作ったにも関わらず
全部薩摩に横取りされて同藩の山縣に潰された可哀想な人
127名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/09(月) 15:44:54 ID:A19NMhF00
西郷に比べて大久保・木戸の人気って低いよね
この2人の方が好きな自分は少数派
128名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/09(月) 16:03:08 ID:qdi2ItT10
萩では松陰先生が人気があるからね。木戸は松陰先生の教え子って感じかな
129名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/12(木) 19:25:09 ID:CCN7uEVM0
現代じゃ坂本龍馬と新選組の人気が圧倒的すぎて三傑はどれもぱっとしない
130名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/15(日) 02:41:39 ID:kPN1FVGl0
同感>127

木戸や大久保の魅力はわかる。だから好き。西郷はわからん。だから興味ない。
西郷もわからんとこの時代がわからんだろうと思うから、随分努力してるんだが
わからん。
結局、そういうものさしじゃないんだと思う。西郷好きな人は。
感じるというか。
木戸や大久保は見てわかるけど、西郷はさわってみないとだめ、みたいな。
自分は、じゃ、さわらんでいいな、と思ってしまう
131名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/21(火) 23:29:21 ID:47RUpjUp0
長岡藩の三傑
河井継之助
小林虎三郎
三島億二郎

間違いなく維新の三傑より有能だった。
132名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/22(水) 02:11:00 ID:oU92+ig8O

維新一傑!


133名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/22(水) 09:06:16 ID:T2C8wqkS0
維新三傑は凄いけど
三人の孫はアレだよな・・
134名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/22(水) 21:55:48 ID:gnw4ZiadO
>>131
一番上って、イギリス商人に騙されて粗悪品のガトリング砲を売りつけられて
最新兵器を手に入れたって喜んでた人だろ?
135名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/22(水) 22:00:08 ID:gnw4ZiadO
>>127
大久保・木戸がやったのは創造で、西郷がやったのは破壊だから。
歴史にしても現代政治にしても破壊のほうが分かりやすいし、
浪花節だとか人情論だとかカリスマ性だとかなんかとも結びつき易い。
136名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/22(水) 23:14:12 ID:P5gukXV9O
島津斉彬≧西郷>>>>>>大久保>>>>>>>>>>>>>>>>>>木戸斉彬公なくして維新無し
137名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/24(金) 20:03:42 ID:i4DZ4glB0
>>126
物凄い遅レスで悪いんだけど山田が大村の後継者になれなかったのは何でなの?

色々な本で山田は軍政面で優秀だったみたいな話を見かけるし、
実際長州でもかなりの高官だったんでしょ?
山縣が抜擢されたのは西郷の後押しもあったみたいな話もあるけど、
なぜ西郷が山田ではなくて山縣を選んだかも分からん。
138名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/25(土) 20:11:16 ID:NFdkZOO6O
西郷って人に1回でもあってみたかったな。

西郷に触れた人は誰しも心酔したって言うしね。
139名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/25(土) 20:57:16 ID:RzyKPMppO
熊んごたるお人ぞー。
140名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/02(土) 09:41:02 ID:4l+JT2Vl0
>>137
山縣が奇兵隊を掌握してたから。
141名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/11(月) 03:01:34 ID:Ncrp4c310
山田が外遊してたからだろ、その間に陸軍丸ごと掌握された
戊辰の際の役職なら山田>山県じゃねぇ?
章典は同じく600石
142名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/07(水) 07:54:41 ID:YGQq3Iih0
確かに西郷どんは薩摩や大日本帝国の将来のために
粉骨砕身した偶像であり鑑であるかもしれない。
しかしながら、実は西郷は単に薩摩や士族たちの
象徴であったにすぎないのではないのか。
それどころか、彼はだれよりも奄美と縁が深かったのに、
「敬天愛人」どころか義理も人情もなく奄美を
踏みにじった薩摩士族の大親分としか映ってこないのだ。

西郷はかつて大島・徳之島・沖永良部島に流されたが、
薩摩へあてた手紙では道之島の人々のことを
「毛唐人」「エビス共」「ハブ性の人」などと書き散らしている。
そして島妻アイカナとの間にもうけた菊次郎・菊子を
薩摩で教育する際、奄美出身者ということを他言するなと厳しく禁じた。
島に残された母アイカナは非業の死をとげる。
これは西郷という人間像の一コマではあるが、
実は次に述べる彼の政策論とも表裏一体をなしているとしか思えない。
143名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/07(水) 07:55:31 ID:YGQq3Iih0
旧藩時代、薩摩は植民地奄美の黒糖収奪によって
財政を建て直し明治政権を樹立した。
奄美の黒糖地獄をだれよりも目のあたりにしてきたのが西郷だが、
彼は、禄支給廃止にあった士族の生活権にしか思いはなかったらしく、
桂久武に命じて不法な独占「大島商社」を維新後に設立させたのである。
これによって薩摩は再び収奪をほしいままにすることができ、
奄美は旧藩以上の窮状にあえぐことになった。

そこで明治十年、奄美から「大島商社解散」を要求する
五十五人の嘆願団が上鹿したが、いきなり全員投獄。
老人などを除いた三十五人は田原坂から敗戦中の
西郷軍に強制出陣させられた。
うち戦死した者六人、残りは官軍に投降。
許されて島へ帰還する途中、二人を除いて全員遭難し、
結局生存者はわずかに二十四人であった。
(前田長英著『黒糖騒動記』参照)
144名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/07(水) 10:35:39 ID:BPYIqKTA0
現在の奄美の天候について全く配慮の言及も心配もしないあたり、
会津狂信者による文書引き写しの出鱈目西郷罵倒、という印象。
145名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/07(水) 10:41:31 ID:BPYIqKTA0
会津を信じるものは、血も涙もない。
奄美の悲劇をもち出すが、
奄美が被害にあっても、鹿児島がひどい目にあった、と嘲笑うのだろう。
146名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/07(水) 22:22:47 ID:Sj6n7Sgl0
西郷さんってどんな人だったのかな?作られたイメージとは違うと思うけど。
歴史上の人物で会えるなら、西郷さんは一番会ってみたい人だな。
小沢一郎が西郷を尊敬していて、自分の生き方と重ね合わせているらしいが、肝心の人望がね・・・w
現代の政権交代を明治維新となぞらえる気持ちもわからんではないが、それは気負いだけ。
同じ壊し屋と言っても西郷さんと小沢ではスケールが違い過ぎる。
順序どおりにいくと最後は第2の西南戦争で自滅する事になるが、小沢は果たして西郷さんの生涯をトレース仕切るだろうか?
一緒に死んでくれる人はそう多くないであろう。。乙
147名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/08(木) 00:51:08 ID:X80zb4RK0
西郷が誉められるのは、鹿児島県人の郷土自慢に過ぎない。
つまり、西郷隆盛が偉い⇒西郷と同郷の自分らも偉い

という愚劣な自慢話である。

もし、西郷が真に偉いのなら、
薩長の横暴・専横を明治政府から追放したであろう。
しかし、しなかった。
大量の薩摩人を官職に押し込んだあげく、
征韓論を主張しそれが通らないと、薩摩に隠れただけである。
148名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/08(木) 07:17:04 ID:+dY3qDvqO
それなら、幕臣をどんどん登用させていった木戸や、
伊藤や大隈を重宝していた大久保の方が藩閥にこだわらない偉い人、ということになるな
149名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/08(木) 20:13:52 ID:PbeGjLTe0
西郷も身内だけを登用しているわけじゃないだろ。
「跳ぶが如く」では維新後の西郷は騙されやすいほどに慕ってくる人間に対して、
誰であろうと真摯に耳を傾けたと書かれている。そして見込があると思えばどんどん採用した。
その中には猟官の人間も混ざっていて、あとで西郷が後悔したという話もあるくらいだが。。

まあ薩摩の若い連中にとっては大久保よりも情にあつい西郷のほうに親しんでいたから、
自然、西郷を通して官職についた薩摩人が多かったというべき。
150名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/08(木) 20:44:41 ID:BGf2wnQq0
でも戊辰戦争の最大功労者は西郷だよね。それで十分なんじゃない。

151名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/08(木) 21:26:12 ID:PbeGjLTe0
西郷としては戊辰戦争で自分の役目は終わったと思っていたかもね。
戊辰戦争後、鹿児島に戻ったのも、故郷で余生を送るつもりだったからだろう。
廃藩置県で表舞台に再登場するように、新政府が西郷の引退を許さなかった。
152名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/08(木) 22:11:26 ID:IoFsIOPD0
西郷が戊辰戦争の賞典禄がトップ(大名以外で)なのは分かっているけども
やったことだけ見てると戊辰戦争の最大功労者は大村の方がふさわしいように思える
153名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/08(木) 22:25:52 ID:PbeGjLTe0
戦略家としては大村がプロだろうけど、戦争には政治もあるからね。
江戸城を無血開城させた功績は大きいよ。
154名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/09(金) 00:07:52 ID:Kyln/lAs0
時代の推移とともに文化も人の価値観も変わっていくけど、
それぞれの時代の人たちの感性というものをもうちょっと信用するべきだと思うね。
あの時代の多くの人たちが西郷を大物と認め、慕い従ったという事実。それだけで十分。
155名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/09(金) 00:17:52 ID:wCDgDXSB0
>>153
江戸城無血開城って西郷の功績なのか?
つうか西郷が無血開城させたのか?
史実では西郷はむしろ強硬論派で、
慶喜の助命を許さず総攻撃を主張していたが、
パークスの圧力などでしぶしぶ慶喜助命と攻撃中止を受け入れたのでは?

149,151,153,154は大河ドラマ程度のいい加減な知識で
西郷を持ち上げたいだけの鹿児島人だろう(笑
156名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/09(金) 00:37:16 ID:4vD3CpKw0
>>155
そういうあなたは新潟関係の人?
歴史を作り変えたいと必死になるのは、なぜか、新潟の人に多い。
自称「歴史に詳しい」人w

会津あたりの人は、それとは対照的で、長州などにわだかまりはあっても、
歴史を作り変えようとするような傲慢なまねはしない。
157名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/09(金) 01:14:12 ID:wCDgDXSB0
>>156
意味不明(笑
誰でも知ってる史実だよ。
鹿児島では史実が改変されて、
セゴドンが江戸百万人の生活を救った美談になってるのかな?
恥ずかしいよね、そういうの。
158名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/09(金) 01:52:56 ID:W9TGeLR90
>>157
自称詳しい人間の正体がばれたな。

西南戦争時、東京での西郷の人気はすさまじく
「西郷さんが負けたらどうしよう」という人までいた
という史実すら知らないらしい。
159名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/09(金) 01:58:48 ID:W9TGeLR90
廃藩置県を断行できただけでも西郷、大久保は偉業をなしたと言える。
>>155=>>157の言い草は、ちっちぇ人間の言い掛かりでしょう。
160名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/09(金) 05:37:13 ID:QsvFZNSz0
西南戦争時代は知らないが、西郷さんと山下清の区別が曖昧なのが東京の人だ。
161名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/09(金) 07:16:51 ID:l5IPLGjFO
当時の西郷って士族以外にも元々人気あったの?
新政府に不満を持つ庶民に、敵の敵は味方ということで人気が出ただけだと思ってた
162名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/09(金) 07:42:16 ID:wCDgDXSB0
>>161
鹿児島人が勝手に話しを作ってるだけ(笑
西郷・大久保を否定されると、
ほかに誇れるものが無いから必死なんじゃない?(笑
西郷に関する「ちょっといい話し」はすべて鹿児島人によるウソ話と思っていい。
163名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/09(金) 08:59:41 ID:NP/7K7cu0
無血開城は一般に西郷と勝の両者の功績だよ。
あのな、三田の薩摩屋敷跡とかって
今某メーカ系の企業だとかがガンガン立ち並んで
その中で歴史由緒地として周辺のリーマンに親しまれてるわけよ。

『西郷が負けたらどうしよう』ほどのファンがいたかは知らんけど、
西郷さんが嫌われてるこたねえと思うよ。そもそも奄美の事情なんて誰も知らん。
桂大久保よりは知名度ある。
164名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/09(金) 09:43:29 ID:l3KVnYklO
一般には東京が焼け野原になったら困るイギリスの圧力と
鉄舟の事前交渉じゃないの?
西郷と勝はすでに話がまとまってから
形式的に会談しただけじゃないの?
165名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/09(金) 09:54:55 ID:NP/7K7cu0
そんな詳しいことまで知らんもん。
西郷勝会見の地って石碑があるだけで。江戸開城の碑。
166名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/09(金) 11:29:36 ID:l5IPLGjFO
新政府では木戸と広沢の長州勢が慶喜を助命する意向で、
西郷や大久保の薩摩が慶喜を切腹させると意気込んでいた
西郷ではなく当初の予定通り広沢が行ってたらもっとあっさり無血開城しただろうね
167名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/09(金) 11:41:14 ID:TayCGRbD0
実力を持たない和平派が出て行って和平をまとめても、新政府の合意にはなるまい。
西郷が出て行かずに広沢が無血開城を決めても、広沢が炎上する江戸と共に消えるだけだったかもしれない。
168名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/09(金) 11:50:30 ID:TayCGRbD0
>>161
人気云々ではなく、明治新政府の中心という名望で知られていた。

彼が明治維新を主導し、西南戦争では新政府に敵対して死んだため、
新政府側でも、新政府の理念を象徴する存在となり、
反政府側でも、新政府に対抗する理念の象徴扱いされることになった。
そのために西郷を悪く言う人間が、消えてしまったのさ。

実際の西郷隆盛は、権謀術数能力を持ち、とにかく大人物扱いされるように自らを処した人間だ。
169名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/09(金) 13:26:55 ID:UR9F7dpvO
>>167
そんなの一切根拠の無い空想じゃねえか

江戸が平和理に開城されたのは西郷のおかげじゃありません
おかげどころか、西郷が江戸市中に放火させてた事実を知らないわけじゃないだろうに
西郷が江戸で人気があったという説も根拠が薄そうだな
そう思いたいだけだろ、鹿児島人や出身者が
170名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/09(金) 14:16:21 ID:NP/7K7cu0
なんの煽りか知らねえけど
江戸関東の人間はいくさってのはそうゆうもんだと知ってるから、
悔しくはあっても愚痴々々は言わねえよ。
文句があるならこっちが先にやってりゃいいんだ。

江戸開城 西郷南州 勝海舟 會見之地
西郷吉之助書

慶應四年三月十四日 
此地薩摩邸に於て 西郷 勝両雄會見し江戸城開城の
圓満解決を図り百萬の民を戰火より救ひたるは其の功
誠に大なり 平和を愛する吾町民深く感銘し以て之を奉賛す
  昭和二十九年四月三日
                          本芝町會
171名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/09(金) 14:20:25 ID:Phjd30+i0
昭和二十九年?
172名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/09(金) 14:45:18 ID:NP/7K7cu0
 本芝町會
173名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/09(金) 15:27:14 ID:l3KVnYklO
>>170
幕府から手を出させる為の挑発として
西郷は江戸市中に放火しまくったんだぞ?
開戦前だぞ?
普通なら、ここを戦場にしないでくれって思いそうだがな
江戸関東人ってのは心が広いなぁ
174名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/09(金) 22:30:21 ID:01fkwhmv0
>>173
お前は馬鹿か?江戸を戦場にしなかったのも西郷の決断だろうが。

西郷の評価は複雑であるのはわかるが、
批判を全てひっくるめても、あの時点で無血開城の談判を成立に導いたことは美談にして何の異存があるだろう?
「篤姫」あたりでは、江戸を戦火から守ろうとした勝を中心とした幕府×パークスの意向を西郷に納得させたと描かれているが、
それは幕府側の視点から描いたものであって、いや仮にそうだとしても、それを受け入れ官軍の態度として方針を固めた西郷は
なみなみならぬ影響力を持った人間であったし、他に代わる人間のいなかったと認めても良いだろう。
もし下手打って談判がこじれたら、会津や新潟などとは比較にならない、それこそ収拾のつかない戦災に見舞われていただろう。
175名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/10(土) 00:00:02 ID:k0uTDawUO
>>174
お前のほうこそ鹿児島人の虚栄心みえみえの偏った視点だわなw
江戸が戦火をまのがれたのが誰のおかげかって設問自体意味が無いとは思うが、
もともと完全恭順の意を表している幕府方をなおも総攻撃すると
主張していた西郷のおかげじゃないことは明らかだw

史実を無視して、なんでもかんでも西郷の手柄って、
鹿児島人はあさましすぎるw

おまえが反論するのはかまわないが、
「たられば」の話とか、根拠のない人間性の話とかではなくて、
きちんとしたソースを示してくれ
示せないなら二度と来んな馬鹿児島人
176名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/10(土) 00:00:34 ID:w/uIYyHY0
>>173
あ、それ西郷というより関東志士の相楽総三だろ
彼らは関東志士として、西国志士に遅れを取っていたらから功を焦っていた。
それで関東挙兵に躍起になっていたという話しな。
西郷は「攪乱」は指示しているが、その作戦内容は一切指示していないよ。
赤報記という彼らの記録によれば、関東三箇所で挙兵して江戸城を乗っ取るつもりだったんだとさ。

そうそう。彼らはドロボーはしたけど放火してないからw
江戸城二ノ丸の火事と薩摩藩は全然関係ない
むしろ薩摩藩邸に放火したのは幕府軍w
177名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/10(土) 00:09:23 ID:aV5omg7J0
西郷の功績を認めれば、即「鹿児島人」と決め付けるお馬鹿さんが紛れ込んでるようで。
なんか哀れな人だな。
アンタのうだつが上がらないのを西郷さんのせいにされてもな。
みんなひいてるよ。
178名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/10(土) 00:28:53 ID:xN7GBVmEO
>>174
お前流れ読めない馬鹿か?
179名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/10(土) 00:30:12 ID:k0uTDawUO
>>177
反論するなら、本筋できちんとソースを示してお願いします
陰湿な中傷でしか反撃できないあなたこそ憐れですよ
180名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/10(土) 00:38:30 ID:X44RzUOx0
>もともと完全恭順の意を表している幕府方をなおも総攻撃すると
>主張していた西郷のおかげじゃないことは明らかだw

でも西郷が官軍の代表として幕府代表と話し合い、江戸総攻撃取止めを決めたんだろ?
その史実を無視して西郷のおかげじゃないと言い張るオマエは何なの?
181名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/10(土) 00:41:58 ID:QI6ppB6V0
>>179
> 陰湿な中傷でしか反撃できないあなたこそ憐れですよ

この言葉はそのままお前に当てはまるんじゃねーの?
182名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/10(土) 00:42:21 ID:0ytbDZkl0
>>179
こいつの方が、中傷ばかりでソースを一切出していない。
気色悪い。
183名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/10(土) 00:44:52 ID:X44RzUOx0
>>178
お前こそまったく流れ読めてね〜だろがw
バカと言われてムキになるなよboy。
184名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/10(土) 01:02:38 ID:tOq5US1u0
>>176
定説では西郷の指示で放火・掠奪などしたことになってるよね。
wikipedeiaなど。
あなたが「西郷は撹乱は指示しているが内容は一切指示してない」と
言い切る根拠は?
また、放火してないという根拠は?

難癖つけるつもりじゃないけど、
本当なら画期的な真説だなあと思って。
185名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/10(土) 01:04:00 ID:QI6ppB6V0
維新三傑の中では、西郷、大久保にくらべて、桂小五郎(木戸孝允)は
あまり注目されないのは不思議。良くも悪くもあまり目立たないね。
186名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/10(土) 01:13:04 ID:X44RzUOx0
>>184
いんじゃない?西郷が直接撹乱を指示したかどうかなんて、証拠があるわけじゃないんだから。
しょせんwikiで書いている事だし。
それより無血開城は西郷の功績じゃないと言い張る奴はどこ行ったんだろ?
187名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/10(土) 01:47:23 ID:SNgrdb+K0
>>186
無血開城の経緯についてはいろいろあるけど、新政府側、幕府側の代表として西郷と勝が
会談し、それぞれの側の人たちに根回しをし、実行した。いろんな反対意見を持つ者たちの
暴走を抑えるだけの人望・実力を彼らが備えていた以上、彼らを評価できないのはおかしい。
そういう常識的な想像力を働かせない人には彼らを賞賛できないんだろうね。
188名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/10(土) 02:08:14 ID:X44RzUOx0
>>187
そうだよね。まったく同じ考えだよ。
もちろん西郷と勝の二人だけで成し遂げた事ではないし、両者とも色んな思惑が絡んでいるんだけど、
交渉をまとめて、それを疎漏なく実行に移せたのは、それだけの力や人望が備わっているからできるわけで、
平和的に解決した彼らの功績を評価できないほうが人としておかしいよね。
189名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/10(土) 06:07:10 ID:gh18JNRe0
>>173
江戸関東人は心が広いんだよ
あったりめえだろ。ありがとよ
190名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/10(土) 06:16:41 ID:gh18JNRe0
お前ら手塚治虫の『陽だまりの樹』でも読め。
官軍がどんな謀略やったかは知らんけど
そんなのは佐幕だってやってるだろうし、
そうゆう問題じゃない。
どっちが善悪ではなく、
過渡期の武士の焦燥感がどんなものかが現れている。
最後に多分手塚自身の胸中が西郷に向けて語られる。
191名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/10(土) 09:01:28 ID:tOq5US1u0
>>176
定説では西郷の指示で放火・掠奪などしたことになってるよね。
wikipedeiaなど。
あなたが「西郷は撹乱は指示しているが内容は一切指示してない」と
言い切る根拠は?
また、放火してないという根拠は?

難癖つけるつもりじゃないけど、
本当なら画期的な真説だなあと思って。
192名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/10(土) 13:09:17 ID:nbraE35C0
戊辰戦争期ぐらいまでは西郷はその名声が他の志士と比べて傑出していた感がある。
斉彬の弟子としてその知見、人脈の広さで影響力は薩摩内だけじゃなく他藩や幕府内部にもあったかと。
慶応期には「志士歴」は長く各藩の上層部や藩主も西郷を使者として迎える際には港や城外にまで迎えに出る程。
役職としては西郷より遥かに高い位置にいた小松も使者として西郷と同道する機会が何度かあったが。
それでも迎えた側の記録何かを見ているとほとんど西郷に関する記述。
実質的な薩摩のリーダーが西郷であるという認識を示している。

同士の大久保は登用された時期が遅く、仕事も藩内でししていたからなかなか藩外の人物との交流もなかった。
文久期になってようやく京都という世論形成の中心地に行くが、
まだ名前も知られておらず下級藩士だった大久保は藩外の人との交流は中々できなかった。
その後大久保が京都や大阪など政局の中心に登場するのは慶応期。
この時には西郷の同士で代理人的な存在として幕閣や志士、公家とかなり交流を深めたが、
西郷ほどその名前を知られていなかった模様。


今でも「選挙の顔」というのがあるけど戊辰戦争でも「倒幕の顔」という意味で西郷ほど名前を知られた人はいなかったのでは?
桂は西郷に近いぐらい名前は知られていたかもしれないけど、
出身の長州が孤立しまくっていたので藩外の要人との交流がかなり限られていて「顔」としての役割に限界がありそうだし。
193名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/10(土) 13:54:37 ID:I448Pxj8O
>>191
根拠なんてないでしょ。
西郷を誉めるためなら平気で嘘をつく連中さ。

西郷に不利な書き込みがあるとどこでもすぐに湧いてくる。
194名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/10(土) 13:58:08 ID:X44RzUOx0
今でも「西郷さん」って呼ばれて親しまれているくらいだから、当時の名声は凄かっただろうね。
桂は才子肌のイメージはあるけれど、いつも藩内の過激派にブレーキをかける調整役というか、西郷に比べると地味だよね。
西郷だったら同じこと言っても、鶴の一声で周りは従うんだろうけど。。
195名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/10(土) 14:06:13 ID:CQpI2DuL0
>>191
逆に聞くけどさ、西郷が「いちいち細かい内容を指示している」と言いきる根拠はあるの?
当時の人でさえ、憶測でしかものを言えなかったことを、現代の人が言い切る根拠とは?
まあそれに、はっきりいって、百歩譲ってたとえそうだとしても、それがどうだと言うんだろうかと思うね。
196名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/10(土) 14:13:12 ID:CQpI2DuL0
>>194
最近、政治状況のせいか、幕末に学べみたいな感じで幕末が注目されて、
維新三傑のうち西郷隆盛、大久保利通はよく取り上げられるけど、
桂小五郎は取り上げられることがあまりないね。
197名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/10(土) 14:29:39 ID:g4VLq5IU0
木戸は初代宰相で開明派の巨頭
西郷には及ばないが、それに次ぐ名声はあった
198名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/10(土) 14:29:47 ID:X44RzUOx0
>>196
そうだね。西郷や大久保は実際にトップに立って行動してるから、
リーダーの条件などでよく取り上げられているね。
木戸は理論家というか評論家というか、先頭にたって行動した印象が薄いからかな。。
クリーンなイメージはあるんだけどね。
199名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/10(土) 15:34:50 ID:nbraE35C0
>>197
桂が巨頭となったのは維新後でしょ?
長州征伐絡みでゴチャゴチャになった藩内の収拾がメイン。
他藩との交流では薩土芸との折衝はあったものの坂本・中岡・広沢がその仲介になっていて
桂本人は藩外に積極的に出て折衝する機会は少なかった。
だからこそ薩長同盟を結ぶ際、わざわざ桂本人が出向いたことの意味が大きかった。
「いよいよ、桂が出てくる」と。
西郷・小松が同盟の話を切り出さないことに坂本が業を煮やした理由もそこにある。



実際、同盟後も倒幕のための藩内根回しや軍備も桂が調整しないと奇兵隊系と藩士系の対立が再燃しかねないから
ほとんど藩外に出ることはできなかったから桂本人を知っている人は極少数。
薩土との連絡や会見は伊藤や井上が使者として赴いたり、小松・黒田・坂本らが萩を訪れてる形でおこなっていた。
薩摩には西郷・小松・大久保が交替で藩と大阪・京都に詰めて藩外交もそれぞれが使者として赴いて藩主と接見したり、
藩の要人と打ち合わせをしている。
禁門、長州征伐などを通じて長州の松下村塾系の人材や若手・中堅の実力者が次々亡くなった上藩内での対立は隠然としてあったので、
桂の抱える仕事量と重圧は凄まじかったと思う。
そういった中では藩を離れるのは難しく、藩外交は広沢がおもに担当し使者には伊藤・井上というかなり若い人材を登用せざるを得なくなったという長州の事情があったと思う。
維新後、桂が鬱になったというような話をよく見かけるけどそれは慶応年間に受けていたプレッシャーがいかに大きかったかっていう話なんだと思う。

性格的には気遣いができていい加減な事はしない真面目タイプな感じだから人柄を信用されるけど窮屈に感じる人も多かったのかもしれない。

200名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/10(土) 16:19:35 ID:g4VLq5IU0
長州人が政局の中心だった京に入れなくなった
禁門の変以前は無視なのか?
ずっと長州の外交官的存在だったんだが
201名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/10(土) 17:50:01 ID:2yLTejHQ0
まあ久坂さんのサブでね
202名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/10(土) 18:06:32 ID:Xm0TP1jIO
8.18前の桂は暴走気味の久坂とか酒乱の周布の尻拭いなイメージ、まあ水長同盟とかあるけども。
常にトップのフォロー役であろうとするのにトップがことごとく失脚したり死んだりして、
いつの間にか祭り上げられてるんだな。
その結果、大して派手なこともしてないのに一番のお尋ねものに
203名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/10(土) 22:21:35 ID:SUXB5NTL0
>>184
遲レスすまんね。君が噛み付いた人間と俺は別人なんでw

>定説では西郷の指示で放火・掠奪などしたことになってるよね。
>wikipedeiaなど。
>あなたが「西郷は撹乱は指示しているが内容は一切指示してない」と
>言い切る根拠は?
>また、放火してないという根拠は?

>難癖つけるつもりじゃないけど、
>本当なら画期的な真説だなあと思って。

新説でもなんでもないよw
遙か昔から、江戸城放火は薩邸浪士の仕業じゃないと言われている。
実際、彼らの記録「赤報記」や最近出た「相楽総三史料集」などを見ても、
放火に関する記述はなく、また江戸城出火時は彼らドロボーしてるしw。
商家でドロボーする片手間に、江戸城に潜入して放火するなんてのはちょっと無理w。

>西郷の指示で放火・掠奪などしたことになってるよね

それ、説明省いてるんだよ。大枠で西郷が江戸攪乱を指示したのは間違いないから、
西郷の謀略だった事にして、相楽ら関東志士の説明を省けば「文章を簡略化」できる。
相楽らはいわば小物扱いだから、西郷の指示でという大枠で記述すれば、事件の流れとしておおよそを説明できる。
でも、もっと細かく見ていくとちょっと違うんだよ。
大西郷全集や史談会速記禄の中にある板垣退助の談話などを読めばわかるけど、
西郷や板垣(中岡も同席)は京都と関東での挙兵を考えていた。京都での挙兵は討幕の密勅で、関東での挙兵は関東の志士達を主軸として行おうとしてた。
こうした会談を行ったのが、いわゆる「薩土盟約」という奴で、薩摩と土佐の討幕秘密同盟なのよ。
西郷に命令を受けたのが、薩摩藩士益滿休之助だが、彼は実は江戸詰め薩摩藩士の子で、江戸生まれの江戸育ちで、鹿児島とは縁の遠い薩摩藩士なんだ。
そんな訳で、西郷よりというより、相楽ら関東志士の方に寄っているんだよ。
なによりも、この時期の西郷や大久保は尊王だが開国を否定していない。
対して益滿や相楽らは攘夷論を主張しているからね。
そして、彼らの立てた江戸攪乱作戦は、攪乱ではなく江戸城攻略を目指した挙兵計画だったのがミソだ(赤報記を読んでみてね)。
こうした挙兵計画は、天誅組の挙兵計画に内容が近く、相楽らが計画し失敗した討幕を目指した赤城山挙兵計画の延長だったと見られている。
こうしてみると、西郷は具体的内容を指示していない。内容に関しては、現地にいる関東志士に任せたと考えられている。
西郷から見れば、攪乱だろうが挙兵だろうが、江戸が騒ぎになれば目的達するしね。そういう訳だよ。
204名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/10(土) 23:26:23 ID:SUXB5NTL0
スマソ。史料名間違えてました
>>203の書き込みで「赤報記」とした部分は、全部「薩邸事件略記」に変えて読んでくれ。

薩邸事件略記で、彼ら薩邸浪士の挙兵計画(西郷から見たら江戸攪乱)
十二月一隊ヲ甲州ニ、一隊ヲ野州ニ派遣シ四邊ヲ擾亂セムトス若シ幕府歩兵ヲ派遣スルニ及バヽ其虚ニ乗シ江城ヲ屠ラムトノ畧ナリ

ちなみに放火に関しては
十二月廿六日江城本丸消失ス是レ浪士ノ畧ニ出ツトナシテ上下恐怖ス。
と書かれ、他人事のように記述している。
本人達がやっていたなら、もっと「戦果をアピール」してるはず。
なにしろ討幕挙兵の魁、一番槍になれるんだから。
討幕派で、江戸城を焼き払った功績を自慢していないところを見ると、やはり彼らではなだろうね。
205名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/10(土) 23:58:08 ID:X44RzUOx0
あまり詳しくないので教えてほしいのだが、
そもそも江戸城本丸の火事って出火だったの?放火だったの?
206名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/11(日) 00:39:33 ID:Bhsqror10
>>205
たぶん出火だと思うよ。
いっくらなんでも、浪士や薩摩藩士がのこのこ江戸城の中に入り込めるほど江戸城の警備は甘くない。
まして、薩藩浪士が暴れていたんだから、庄内藩などがかなり神経質に警備していたし。
薩摩藩放火説の出所は、篤姫が薩摩の出だった事に由来していて、
篤姫の女中の中に薩摩藩とつながりのある者がいたのではないかと当時江戸城内で噂された。
その噂が今日まで残って、薩摩放火説になっているんだけど噂は噂でしかないからね。

ちなみに、史料では「本丸が火事」になっているけど、本丸はとっくの昔に火事で焼失w
焼けたのは二ノ丸です。
この頃は火事が多いんだよ。火事と喧嘩は江戸の華って言葉があるぐらいに。
偶然の火事が、時期が時期だけに薩摩藩と結びつけられたんじゃないかなぁ。
207名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/11(日) 00:46:56 ID:Bhsqror10
当の篤姫だけど、彼女はすっかり徳川方の人間になっていますなw
「薩摩藩が徳川を賊軍として討つというなら、構うことはない薩摩などやってしまえ!」
と主戦論をぶちまけた手紙が残っていたはず。
当時の薩摩を仕切っていた島津久光と彼女は、かつて政敵だったしね。
だから、薩摩藩とはずーっと縁切り状態。
そんな訳で、彼女と薩摩藩がつながっていたという目はない。
だから彼女の女中が薩摩藩士を手引きしたとは到底考えられない。
208名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/11(日) 00:51:00 ID:gtffepQp0
天璋院が二の丸に住んでいたから
天璋院を連れ去るための薩摩の陰謀と幕臣は考え
三田の薩摩藩邸襲撃へと繋がった

薩摩の伊牟田尚平が指揮を執ったという証言も出たが
伊牟田が諸々の詰め腹切って真相は闇の中
209名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/11(日) 01:06:49 ID:QwimYliN0
薩摩の挑発に乗るなと上から指示されていたものの、薩摩と一戦交えたいと
思っていた幕府側の人間の一部による放火ってのも考えられないのかな?
210名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/11(日) 01:10:50 ID:LaZy0YCjO
詳しいですね
残念ながら僅か100年前の事実も なかなか明らかになりませんよね 日本は… 戦前の報道規制や文物焼却が原因でしょうね
大河でも直江が美化されたり 義経が美男子化されたり あげくの果てには首相を叩くけど辞めたら同情する
歴史を就学すると虚しくなる事が多いですね
211名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/11(日) 01:21:55 ID:QwimYliN0
>>207
ちょっと、話が滅茶苦茶だな。
篤姫のその手紙は江戸城無血開城の後の話だよ。

上野戦争での新政府軍のふるまいを批判し(なにしろ、寛永寺に大砲を打ち込んだんだからね)、
奥羽越列藩同盟の中心であった仙台藩主の伊達慶邦に
薩摩藩を追討し徳川を再興してほしいと書いている。

まあ、江戸城が薩摩藩関係者の放火っていう線はないけどさ。
あんまりいい加減なことを言わんでほしい。
212名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/11(日) 01:23:35 ID:Rqb1Apw00
>>206,207
回答あざっす。そっか、二の丸かw
たしかに直後に鳥羽伏見戦が起きているだけに放火疑惑が薩摩に向けられるんだろうね。
西南戦争直前に熊本城が火事になったのも、偶然にしては出来過ぎてるけど結局は失火が原因だしね。
213名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/11(日) 01:35:02 ID:Rqb1Apw00
>>209
これもあり得るかもね。
熊本城失火も谷干城が戦術上指示したって説もあるからね。
214名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/11(日) 07:48:27 ID:lLbc15Ka0
偶然というか、お前らノリピーハウスとか林真澄美の家だとか全部燃えてるの知ってるか。
放火魔って時勢に合わせて意味も無く発生するモンだよ。
215名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/11(日) 08:06:22 ID:q9ILv+g20
>>211

>篤姫のその手紙は江戸城無血開城の後の話だよ

そうか、何しろその手紙に関しては俺もうろ覚えだったからな。
教えてくれてサンクスw
216名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/11(日) 10:41:00 ID:tk1c8VUN0

西郷さんが江戸市中放火の黒幕だったという話題が、
いつのまにか江戸城火災の話しにすりかえられていて呆れた。
217名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/11(日) 10:42:25 ID:tk1c8VUN0

西郷さんが江戸市中放火の黒幕だったという話題が、
いつのまにか江戸城火災の話しにすりかえられていて呆れた。
218名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/11(日) 12:21:33 ID:QvoOyCx40
>>210

>戦前の報道規制や文物焼却が原因でしょうね



……オイ
219名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/11(日) 14:09:49 ID:nt5U7vaf0
>>196
明治政府の首班は木戸だったと思うんだが。
木戸が元々首班に座る予定だったが、
木戸が断り、西郷が断り、結局参議制に落ち着いた。
西郷が薩摩にかえるまで、大久保の地位は新政府ではかなり下。

西郷が薩摩に帰ってやっと、大久保の地位が木戸と同格になった。
大久保が事実上の権力者になった後でも、木戸に意向には配慮している。
220名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/11(日) 14:23:51 ID:Rqb1Apw00
>西郷が薩摩にかえるまで、大久保の地位は新政府ではかなり下。

あまり出鱈目を言わない方がいいな。
当時の大蔵卿は今の財務大臣以上の権限を持っているぞ。
221名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/11(日) 14:42:56 ID:nt5U7vaf0
当時の地位は参議>>>>>大臣だよ。
国政の決定権を持っている参議とその政策を実行するだけの大臣とは大きな差がある。
222名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/11(日) 14:45:29 ID:sN38n5pPO
薩摩に帰るまでって、明治2年の戊辰戦争から薩摩に帰るまでって
意味じゃないの
大久保が本格的に実権握ったのは内務卿時代からでそれでも木戸の
意向を気にしてた

木戸はご意見番役だよな
解明だけど、病気だし表に出たがらなかったし隠居したい隠居したい
ばっか言ってたし
223名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/13(火) 23:40:53 ID:kKuO+lB20
鹿児島県が発行している『鹿児島県史西南戦争』第三巻(一九八〇年)のなかに、
広瀬為興稿「明治十年西南ノ戦役土佐挙兵計画」という文書が載っている。
これは高知県出身で板垣退助に近かった林有造の主張を記録したものである。

参議の西郷隆盛、副島種臣、板垣退助に加えて、
左院副議長伊地知正治が謀議に参加した征韓計画の謀議が載っている。


西郷は「先ツ兵ヲ北韓ニ上陸セシメ、平壌ヨリ京城ヲ包撃スルノ謀」を主張し、副島は賛成した。
しかし板垣は「先ツ其君主ヲ檎(とりこ)ニスルヲ主眼トスル」点では賛成しながらも、
北方からの包囲は難事とし、三分の一の兵を釜山に上陸させて、朝鮮軍の迎撃を待ち、
残り三分の二の兵力をもって江華湾方面に送って「突如京城ニ肉薄」し、その間に
釜山の兵力も海路平壌に送って敵の退路を断つという戦略を主張した。
伊地知正治は少し大規模の兵力派遣を主張したという。

西郷は板垣、伊地知を信頼して謀議を行なったようである。
「其進軍ノ戦略ニ就テハ板垣伊地知ノ二氏ニ委スヘシトノ事ニ門下中ノ領袖ニ漏洩シアリト云フ」
と記されていることも興味深い。

また当時司法省出仕だった有馬純雄(藤太)の回想『維新史の片鱗』によると、
有馬は西郷から朝鮮占領後の民政官任命を内示され、
当該地域の地図を探したという挿話を述べている。

西郷が征韓論を唱えた史実は、まったく揺るがないのである。
224名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/14(水) 00:07:30 ID:WnwD1tyz0
西郷が征韓論を唱えたことなんて誰でも知ってると思うんだけど
225名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/14(水) 00:46:11 ID:1qD0p2JX0
また、ソースのない西郷征韓論実在説の刷り込みですか。
>>223の原典には、西郷が征韓論を行ったという記述がないことについて、説明がない不思議よ。
226名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/14(水) 01:40:14 ID:E5pMRr2r0
西郷が対韓国強行論者でなにか不都合はあるのかな。

227名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/14(水) 01:54:23 ID:8Y3dCZlf0
敬天愛人信者には認められんらしい
征韓論とか奄美差別とか
228名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/14(水) 07:48:44 ID:WnwD1tyz0
つうかどうでもいいよ
実際征服したじゃん
229名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/14(水) 12:00:02 ID:iBulAp1FO
嘘を並べて征韓論は不動とは、ここの人間の虚偽は許しがたい。
指摘するまでも無く、西郷が征韓論を言ったという記述は君の文章には全く無い。
230名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/14(水) 16:30:07 ID:WnwD1tyz0
もう何に対してしゃべってんだか全然わからん
231名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/14(水) 19:34:59 ID:8rvamuXd0
そもそも維新三傑って誰が決めたの?
232名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/14(水) 19:49:33 ID:WnwD1tyz0
徳富蘇峰とかゆうやつが『近世日本国民史』という本で明治三傑と書いたのが始まりだそうだ
233名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/14(水) 20:07:15 ID:/GwkqO3r0
初歩的な質問で恐縮だが、当時は国号が朝鮮なのに「征朝論」や「征鮮論」
じゃなくて「征韓論」なの?韓国と名乗るようになったのは日清戦争後なのに。
もしかして征韓論という言葉は後世の呼び名で当時は使われてなかったの?
234名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/14(水) 20:11:37 ID:8rvamuXd0
>>232
ありがとう
235名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/16(金) 06:57:16 ID:6qASywJQ0
>>223が真実とすれば、
遣韓論を唱えている奴らは滑稽きわまりないな。
236名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/16(金) 10:06:51 ID:e6UPMCfM0
>>235
実際の文章を確認した人間が、「>>223の指摘した文章には、
西郷が征韓論を主張したという>>223の主張の根拠が全く記述されていない」と断言しているのに、
何を嘘を撒いて、滑稽な暴論を主張するんだか。
237名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/16(金) 10:41:44 ID:dPPqBO9UO
西郷の真意はどうであれ、周りが征韓論の流れにしてしまったんだから結局は同じ
238名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/16(金) 11:40:13 ID:e6UPMCfM0
論拠にしていたソースを相手が読んでしまい、ソースが実際は存在しないことが暴露されたことに狼狽し、
戦線縮小で中傷自体は継続ですか。
そういう人間を、卑劣漢といいます。
239名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/16(金) 12:00:51 ID:ndT9BZfl0
このスレ難しいね
240名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/16(金) 18:13:23 ID:O8YizGGB0
>>236
もうちょっと詳しく書いてくれないと。
あなたの書き込みこそ
中身の無い滑稽なはぐらかしのように思う。

241名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/17(土) 01:11:19 ID:HDuMPUtX0
つうかスレ違い。
242名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/17(土) 08:22:46 ID:RJmXiyeo0
西郷隆盛 『西郷南洲遺訓』
http://www.nicovideo.jp/watch/sm6932526
http://www.youtube.com/watch?v=1zsHLMx1k0w

 『生命も要らず、名も要らず、官位も金も望まざる者は御し難き者なり。
 然れども此の御し難き人に非ざれば、艱難をともにして国家の大業を計る可からず』
243名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/17(土) 09:31:36 ID:mPopE37lO

西郷隆盛=池田大作
鹿児島人=学会員

こういう構図だと思えば分かり易いね。
244名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/17(土) 22:35:05 ID:ruJAquTM0
1503 名前:蒼き('A`)と白き(・ω・)[sage] 投稿日:2007/11/11(日) 00:52:43
坂本龍馬の「小さく叩けば小さく鳴り、大きく叩けば大きく響く。」と言う人物評が一番的を得ている気がします。
島津斉彬、勝海舟、横井小楠らから受けた影響でその時々の行動をとってると言うか。
基本は近思録の影響で朱子学なんでしょうが言志録を愛読してたりと陽明学にもかなり傾倒してたのではないかと。
思い立ったが吉日、とりあえずやっちまえ、という感じの陽明学は世間を騒がせる国事犯御用達の学問で
西郷が慕った大塩平八郎をはじめ自身の信念に従って事を起こした人は陽明学徒が結構います。
で、西郷は他人の話を聞いてこりゃ良いやと思い目標が出来たらそこへ向かって驀進していく感じ。
要するに西郷という鐘を鳴らす人次第。
ところが維新を成し遂げ目標を達しふと気がつけばいつの間にやら自分がトップにいて鐘を鳴らしてくれる人がいないと言う事に。
ここから西郷の迷走が始まったのではないかと。アクター、あるいはディレクター足り得てもプロデューサー足り得なかったと。

この西郷評が一番しっくり来る
245名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/17(土) 23:13:00 ID:VjteiOKdO
おお、納得
明治以降だと、木戸の廃藩置県、大隈の留守政府の改革、板垣の征韓論、桐野の西南戦争、と見ると
鐘を鳴らす人がどんどん小粒になって西郷を扱えなくて持て余してる感じ
246名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/17(土) 23:45:19 ID:YVw4ugY90
そいつらが小粒なら大粒って誰?
247名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/17(土) 23:47:46 ID:HDuMPUtX0
とすると、西郷の協力を得られた人たちは一から根回しする苦労も大してなく、
いきなり絶大なお墨付きと強大な実行権限を得られるわけだから、かなり得だよな。
逆に西郷の立場で見れば、利用されたあげくに目標が達成されたら用済みにされるわけだから、可哀そうな感じを受ける。
まあ上に立つ人間の宿命と言えばそれまでだが。
248名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/18(日) 01:45:09 ID:0ZRhMAg4O
>>244
一見ごもっともだけど、ボトムアップ組織のトップなんだから意見を汲み上げる事は可能。
御親兵、廃藩置県何かも長州の若手からの意見具申で進めている。

良くも悪くも西郷は「薩摩の西郷」で、封建制度が解体される過程で消える存在だったと思う。

中央政府の軍隊と別に地方に自治体からも半独立の軍隊組織を抱える状況なんてありえない。


辛亥革命期の中国が軍閥と国民党政府の対立で混乱を深め、更に共産党の登場で国内戦争している間に日本に河北を取られたのを見ても…。


役割は時間によって変化する。
幕末の志士、討幕の策士、新政府のリーダーと。
それを受け入れた大久保・木戸は政府に残り、拒否した西郷は軍閥の大将になった。
鐘どうこうは与太話だ。
249名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/18(日) 02:02:17 ID:vw0CbRs20
下からの意見を汲み取って薩摩に引っ込んで戦争起こしてるじゃん
250名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/18(日) 10:29:13 ID:nrsR/IXg0
「小さく叩けば小さく鳴り、大きく叩けば大きく響く。」

ほんと、ものは言いようとはこのことだよなw
この西郷の主体性の無さ、三文ヤクザ的な格好つけに
大久保、木戸などは辟易していたわけだし。
坂本も下手すりゃ皮肉を込めて、そう評したんじゃねえのか。
251名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/18(日) 15:42:14 ID:VjcJ80puO
廃藩置県を最初に一番熱心に提唱したのは木戸だというのは周知でしょう。このスレだとなんで時々西郷の手柄に?
『三百諸候をして〜』という有名なあれを知らないわけでは無いだろうに。
252名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/18(日) 16:17:43 ID:d+kePTsB0
木戸や大久保だけでは実現できなかったからだろう。
提唱者と実施者は異なり、世間の目から見れば当然、実施した人間に評価がいく。
言い方は悪いが、提案するだけなら誰でもできる。

薩長土から徴集した御親兵の武力の背景をもって廃藩置県を断行したわけだから、
その陸軍トップに位置する、当時唯一人の陸軍大将たる西郷隆盛の手柄となるわけだ。
軍閥から言っても薩閥が圧倒的な力を持ち、西郷が鹿児島から軍団を引き連れて東京に戻ったわけだら、
世間は西郷さんの威望によって廃藩置県がされたと思うのだろう。
253名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/18(日) 16:56:56 ID:i2pgtwSH0
木戸や大久保が廃藩置県や五箇条の御誓文やら
明治政府の政策基盤を作り上げてる傍らで
薩摩人の猟官活動やってたのが西郷だろ
時代についていけなかった人
254名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/18(日) 17:17:50 ID:VjcJ80puO
明治っていう時代の枠を作ったのが木戸で、(人民主権っぽい発言多い。死して後に不完全ながら実施が多い)、
大久保はあの当時出来たばかりの『明治政府』を善かれ悪かれ守ったと思う。
西郷は一応、それこそ時代に着いていけなかった人の心を守ったってことになるのかな。
でも周囲に応じて(乗せられて)乱の首謀者になってやるのがそれなら、江藤も前原もだよね。
廃藩置県の『木戸や大久保だけでは無理』は納得だが西郷が入れば出来た、とは思えない。
先見の明、企画力、論理的に諭す能力は木戸。
目的のために策を整える力は大久保。
西郷は人を動かすこと。

なんというか、>252さんは違うけど、『西郷だから出来た』みたいに語るのは違うと、これの前スレからずっと見てて思う。

そうやって考えていくと『西郷が明治にもたらしたもの』(良いもの)が私にはいまいち解らないんですが。倒幕に必要な人だったとは思うけど。
255名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/18(日) 17:18:58 ID:VjcJ80puO
×入れば
○居れば。
256名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/18(日) 17:54:36 ID:t67OvU6Z0
江藤なんかは地方官による行政を強く主張している。
それを全部潰して中央集権化したのが大久保派。
各県では失業者があふれ、重要なポストは全部東京から派遣された。
これが良かったのか悪かったのかはまあどうだろう。
257名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/18(日) 23:24:37 ID:ZgUVe40n0
>>254
結局西郷どんがいなきゃ、なんの改革案も進まない。
薩摩はほとんど独力に近い形で幕府を倒したし、倒した結果士族にとっては自分たちの首を絞める改革が進められた。

世間から生ける英雄・成功せし楠木正成と思われていたのは西郷一人で、木戸はせいぜい長州閥の中でも兄貴分程度の存在だし、大久保は海外留学組み以外の薩摩人から嫌われてたほどだし。
木戸や大久保は士族を抑える力なんてまるでない。

武力的にも当時薩摩軍>新政府軍で、西郷が常に士族(特に薩摩士族)を抑えてこなければ新政府の連中の首なんて胴からすぐに飛んでた。

結局暴発の形で抑えきれず西南戦争になったが、それまでの新政府の改革の第一功は間違いなく西郷。
258名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/18(日) 23:51:24 ID:VjcJ80puO
>>257 それは少し矛盾では?西郷が、明治政府に不満を持つ者から慕われたのは認めるけど、裏を返せば大久保や木戸が改革を進めていた(進めるための準備を整えていた)からこそ不満は募ったわけで。
西郷が居なければ進まないなんて言ってしまうのは間違いでは?
むしろ西郷は新しいことを始めるのに向いてなかったから、西郷1人居ても明治という時代が進んだとは思えない。

あと薩摩での人気が西郷に寄っていて大久保はあまり人望無かったけど木戸はそんなこと無いよ。幕末に藩論が割れてた長州のバランス役でそれなりに上手く上層部とコントロールしてた。
明治6年より後は確かに伊藤らと違うけど、それまでは。
259名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/19(月) 00:09:24 ID:vXiE3OyH0
>>257
その主張は鹿児島私学校の連中が持っていたおごりと同じだなw
そのおごりが的外れだったということは西南戦争で
薩摩軍が自ら証明してしまったではないか。
最強の薩摩軍と生ける英雄西郷が兵を進めれば
他県の士族はもちろん政府軍でさえ薩軍に同調するとおごっていたのが、
現実はどうだった?
同調するどころか、鹿児島士族がさんざん馬鹿にしていた百姓鎮台兵に
追いかけまわされ,泣いて鹿児島に逃げかえる始末。
西郷の威光も何もあったもんじゃなかった。
倒幕だって薩摩軍が強かったというより
幕府軍が弱すぎだったということを百姓軍相手に証明してしまったね。
260名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/19(月) 00:39:16 ID:2CsEw0lE0
おごりは当然あっただろうね。
ただ、兵隊としての質や士気は薩軍のほうが上回っていたようだが、薩軍と政府軍では物量の差がありすぎる。
政府軍と同じだけ十分な量の最新式銃と大砲、弾があればどうなっていたか・・・
261名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/19(月) 01:03:45 ID:vXiE3OyH0
>>260
だからあくまで人的には薩摩が最強なんだと?w
西郷に威光が無かったせいじゃないんだと?w

それは太平洋戦争で日本軍に米軍と同じ物量があったらと
考えるのといっしょでしょ。
日本軍の頭が悪かったせいじゃないと考えるのといっしょでしょ。
262名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/19(月) 01:18:02 ID:2CsEw0lE0
俺は257ではないし、あまり必死になって食ってかかるなよ。
少し落ち着け。
263名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/19(月) 01:18:24 ID:za0Z2DaF0
西南戦争はしょうがないでしょ
負ける為のいくさだ。
あの当時勝利をイメージして参戦してた武士がどれほどいたか。
武士は前のめりに戦いながら死ぬことしか許されないから。
今なら全員鬱病になって自殺してますよ。
264名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/19(月) 03:21:34 ID:OwjEKAdR0
西郷はすごい人だよイギリスとフランスの仲の悪さ利用して日本に
手を出させなくしたりとにかく己と敵を良く知っていた、最期は義に準じたんだな
悔いは無かったさ。
265名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/19(月) 04:15:59 ID:jAM7NKyg0
>>258
士族が不満持ってた徴兵制にしろ、廃藩置県にしろ西郷が承諾したからできた。
大久保や木戸が何か言っても大久保・木戸如きが何をと誰も従わない、大久保や木戸もそれを知ってるから一番つらい役目を西郷に頼んだ。

>>259
西郷自体が暴発した時に「しまった」と言ってる。
西郷が本気で新政府を倒す気だったら、征韓論の際に議論などせず大久保と反征韓論者を排除してれば済んだ話。
少なくともああいう形で新政府と戦う気なんて元々なかった。

要するに西郷が負けてやったんだよ。
266名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/19(月) 07:44:03 ID:za0Z2DaF0
廃藩置県やらなかったら維新じゃねえよ。
ただの戦国戦争のまま。

下級武士のやりたかったことは市民革命であり貴族革命ではない。
一般に士農工商と言われるせいで階層が曖昧になるが、
下級武士は自作農とともに市民層。門閥武士と豪商が搾取階層。
267名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/19(月) 09:38:39 ID:+8Ja3HEq0
廃藩置県はどの藩も借金漬けで行き詰ってたと言うのもあるよね
268名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/19(月) 10:02:18 ID:3T9CWhw60
>>267
黒字なら手放さないだろうし、そういう黒字を確保できる幕藩体制の維持に回って明治維新そのものが成立しないだろうな。
269名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/19(月) 10:53:48 ID:p1ZEO3530
維新の原動力はペリー来航以降の
国家的危機意識だろ
西洋的な市民革命や藩の財政問題は
維新の本質から程遠い
270名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/19(月) 13:23:02 ID:fPmC6BK80
>>265
あほか。
西郷がそれほど凄くて、大久保や木戸が
誰にも相手にされてないなら、
なぜわざわざ負けてやる必要があるんだ?
大義も実力も人気も西郷と薩摩の側にあるなら
堂々と全国の士族を従え政府軍を破ればいい話し。
そもそも武力に訴える必要さえあるまい。
相手にされてなかったのはどっちやら。

現実見ろよ信者クン。
西郷が誰にも相手にされない小者だったとは言わないよ。
私利私欲が無かったのもその通りだろう。
しかし、子飼いの連中を軍の幹部に配し
影響力を手放さなかったのは見苦しかったね。
軍の威を背景に天皇ぶってるちょっと困った人、
それがセゴドンの晩年の姿さ。

271名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/19(月) 13:30:40 ID:za0Z2DaF0
わざとじゃないだろうけど、
勝つイメージを持たずにするイクサもあるんだろ。
各地の負け士族が集まって行った最終戦争だぜ。
鹿児島独立の具体的なビジョンとかってあったの?
とてもそうとは。

戦国時代なら九州独立の征韓論で九州朝鮮連合国とか
勝手な発想出来たけど。
単なる武士廃止戦争だから。
272名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/19(月) 13:57:17 ID:dnN2hxfP0
西郷信者はなにをいっているんだ?
西郷は薩摩閥の長にすぎず、それも晩年は大久保などに抜かれていた。
そして新政府においては、薩摩閥は長州閥に匹敵する強大な派閥ではあるが、
決して独裁的な力などもてるところではない。

西郷が嫌と言っても、西郷を首にして、徴兵制度しくくらい新政府には余裕。
政府は混乱を嫌がったに過ぎない。
そして西南戦争をみても鎮台ひとつ抜けず、敗北しており、西郷ごときがどうしようと、
政府は小揺るぎもしない。
273名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/19(月) 14:00:13 ID:dnN2hxfP0
>>265
徴兵制に反対したら、西郷はその場で処刑されていただろうな。
その程度の人間だよ。政府の要職ではあるが、
木戸大久保という当時の政府の決定権を握っていた人間からすれば、
たいしたものではない。西郷は結局反対できず、ひよって降伏した。
274名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/19(月) 14:27:18 ID:za0Z2DaF0
パッと見た感じどこに西郷信者がいるんだ。
わけわかんねえ。
アタマ大丈夫。誰と戦ってんだこのスレ
275名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/19(月) 15:59:26 ID:L1yTQpiKO
当時、意見が割れるとマズかったのは大久保と木戸であって、西郷の発言力は物事の是非を覆すほどじゃない。
薩摩は政府内では大久保に寄るところが大きいからね。
長州は伊藤を筆頭に後進が力をつけてきたけど。
でもやはり長州の首魁は木戸だったのかな。(精神的な意味で)大久保は西郷は手放したのに木戸には絶対、下野させなかった。
まぁ木戸には実行力無いけど政治見識はあったからね。大久保にとって必要(使える)存在ではあったんだろうね。
276名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/19(月) 16:43:21 ID:2V0Q9w+R0

武士は前のめりに戦いながら死ぬことしか許されない(笑)

勝つイメージをもたずにするイクサ(笑)

市民革命(笑)

最終戦争(笑)

九州朝鮮連合国(笑)


信者、哀れなり
277名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/19(月) 18:03:30 ID:a+5YORSFO
>>275
西郷の発言力は大きいだろ、後ろに薩摩士族が控えてるんだから

大久保が西郷を引きずり出そうとしなかったのは、
下野したままの方が鹿児島を抑えてくれると期待したからでは。
そして、木戸だと山口で反乱分子に担ぎあげられるかもしれないと疑った。
結局は信用してなかった木戸は新政府を裏切ること無く自らの故郷を捨て、
信用していた西郷は新政府に反旗を翻した訳で、大久保の読みも甘かったな。
278名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/19(月) 18:21:10 ID:5WMoojgE0
長州は前原の乱で木戸自身が奇兵隊を叩き潰してる

大久保が木戸を離せなかったのは
薩が大久保派・西郷派で勢力を二分してしまい
新政府で大久保が首班としてやっていくためには
長州の協力が必要不可欠で、長州の総帥は木戸だったから
伊藤なんかは大久保にとって手先程度の存在で
どうしても木戸でなくてはならなかった
279名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/19(月) 19:05:54 ID:L1yTQpiKO
>277 あ、西郷の発言力が小さいという意味ではなく、大久保、木戸が意見を揃えてしまえば西郷であっても是非は変えられないという意。薩摩の精神的な首魁は西郷だったけど、政府での政治的(実務的) 首魁は大久保だったし。
当時意見が割れるとマズかったのは大久保と木戸って言ったのは西郷は精神的なものが大きく、大久保や木戸と互角に政治論を戦わせることは無理だろうから。

大久保と西郷の意見が割れたら木戸がついたほうが採択されるだろうし。

要は結局どういう2対1になるかなんだけど。何人かの方が西郷が居なきゃ何も進まないって書いてたら、
そんなこと無いと言いたかった。
280名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/19(月) 20:05:32 ID:heDn77Tf0
>>276
今日からアンチ西郷殺しになるわ
キメエんだよテメエ。
お前しか書いてないだろ自演キチガイ。
281名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/19(月) 20:10:53 ID:heDn77Tf0
>>272
大久保は維新前は全く影が薄い西郷の越巾着。
大久保と他の志士との接触エピソードなど聞いたこともない。
大久保が一番クダラナイ維新人物。
中国史でいう宦官みたいな存在。
去勢された権力の亡者。
282名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/19(月) 20:15:55 ID:heDn77Tf0
>>275
求心力ゼロのサラリーマンが偽勅権利を手に入れてやりたい邦題だっただけだろ。
往年の藤原氏や平氏みたいなもんだな。
いやどちらかというとラスプーチンみたいな奸臣か。
283名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/19(月) 20:17:31 ID:EJNTHoGr0
正直、維新で大久保ってなにやった人?
284名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/19(月) 20:25:00 ID:d6LI2Qox0
岩倉と朝廷工作してたのがメイン
倒幕の偽勅とか錦旗作成とか

西郷は武官、大久保は文官、木戸も(本質的には)文官
大久保と木戸は政治家として新政府に適応できたけど
西郷は無理だったのはそのあたりにも一因があるのでは
285名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/19(月) 20:31:34 ID:L1yTQpiKO
>>272>>283 大久保は明治6年からの人。(主にはね)

なんというか大久保は明治の人で西郷は幕末の人って感じだ。
木戸はどちらにおいても『絶対的な主役』ではないけど、常に首脳陣に居る器量の人って感じ。

西郷を思うといつも坂本・高杉を連想する。
特に高杉は不思議に人心を集めてしまうところはね。
高杉はいい時に死んだ。やることやって死んだ感じが凄くする。

ちょっと話ズレたけど西郷と大久保はそれぞれ求められてた時代が違うってこと。
286名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/19(月) 20:33:34 ID:heDn77Tf0
>>272
徴兵制なんて大久保不在時の実施じゃねえか
アホなのかコイツ
287名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/19(月) 20:34:09 ID:L1yTQpiKO
ごめん。アンカーミス。272じゃなくて281にと283に向けて書きました
288名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/19(月) 20:41:19 ID:heDn77Tf0
>>285
維新には三つの段階があるとかゆうやつですか。
司馬がよく言ってたね。
289名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/19(月) 20:42:37 ID:heDn77Tf0
西郷の西南戦争は武士の終了を表すんだが、
ここの粘着は一体なにを言ってるんだろうか。
日本の歴史を知らない馬鹿なのか。
気味が悪いよ。アンチ西郷だかなんだか知らねえけど。
キチガイだな。
290名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/19(月) 20:47:15 ID:d6LI2Qox0
高杉は人望なかったよ
性格が驕慢で他人の面倒見も悪い
迷惑かけまくられた藩主父子や木戸から
生涯庇護され続けたという点で何か持ってたかもしれんけど
西郷みたいな求心力は持ってなかった
龍馬に至っては史実における事績ゼロ
某小説人気による過剰評価

高杉も坂本も、西郷とは比肩すべくもない
291名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/19(月) 20:49:02 ID:L1yTQpiKO
>>289 あのね。西南戦争の終わりが武士の終了だからこそ『幕末の人』って書いたんだけど。それくらいわかってほしい。

あと今電車の中だから暇だからここに居るだけで張り付いてないから。
292名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/19(月) 20:51:47 ID:L1yTQpiKO
>>290 ああたしかに差別一色とか強かったとは言いますよね。合うひとには凄く可愛がられるタイプだったのかな。
(それにしてもスレが先頭ページにあるとレス早(笑))
293名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/19(月) 20:53:15 ID:L1yTQpiKO
×差別一色
○差別意識。
294名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/19(月) 20:57:05 ID:heDn77Tf0
>>291-292
お前にしたレスはその前のレス。

自意識過剰なのか被害妄想なのか。
アンカーが付いてないレスまで自分への悪口と捉えて言い返されても困る。

そんな忙しいとこで誤読してまで無理して書かなくてもいい。
電車の他の人に迷惑だろ。めんどくせえな
295名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/19(月) 21:03:52 ID:L1yTQpiKO
>>294さん。それは本当に失礼しました。
私が書いてすぐだったので。申し訳ありませんでした。

電車で〜については、そちらが正論なのは知ってますが回りが皆使ってるので使っちゃってます。正直使ってない人のほうが少ないし。
296名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/19(月) 21:25:35 ID:mE3TiMySO

今日からアンチ西郷殺しになるわ(笑)

大久保が一番クダラナイ維新人物(笑)

ラスプーチン(笑)

司馬がよく言ってたね(笑)

キチガイだな(笑)


・・・哀れすぎる
297名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/19(月) 21:41:32 ID:heDn77Tf0
「西郷が嫌と言っても、西郷を首にして、徴兵制度しくくらい新政府には余裕。」

徴兵令
明治5年11月28日

岩倉使節団
明治4年11月12日-明治6年9月13日

徴兵制の時は西郷しかいねえしw

アンチ西郷バカっぷり(爆
298名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/19(月) 22:23:33 ID:vXiE3OyH0
徴兵令は廃藩置県とセットみたいなもので
使節団が行く前の廃藩置県の時点でスケジュール化されていたこと。
西郷も了承していて、山県が実務を行った。
もともとの発案は大村益次郎でしょ。

西郷閥の桐野あたりは徴兵令に猛反対していたらしいので
これを抑えたであろう西郷の功績も認めるべきだが、
西郷が徴兵令を布いたように言うのはどうかなw
そもそも西郷が桐野なんぞを連れてこなければいいわけで。
299名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/19(月) 23:17:09 ID:dnN2hxfP0
>>297
アフォか?
出発前にもう決定していた事だぞ。
西郷が反対していたら、西郷は山縣に処分されているよ、その程度のコマでしかない。
300名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/19(月) 23:51:07 ID:mE3TiMySO

・・・哀れすぎる
301名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/19(月) 23:53:14 ID:DGVqsMTc0
さすがにその頃の山縣にそこまでの力はないよ
使節団の外遊前に重要なことはみんなが帰って来てからと言う取り決めをしてるし
徴兵令は外遊前から決まってた規定の路線で西郷はそれを実行したわけで
この時点ではまだ西郷大久保は割れてないよ
302名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/19(月) 23:58:47 ID:heDn77Tf0
当り前だろw
事前に話し合いがしてあるのは。
こいつらは予定だけ立ててりゃ実績はいらない馬鹿なのか。

『徴兵制をやろう』←アホでも言える。

ある種一番の能無しだぜ。勝手に決めていなくなるバカって。
こいつ龍馬をパシリとケナしてたパーと思考が一緒だ。

先に口だけ言ったものが一番偉い。
まさにヒキコモリの象徴のようなバカさ加減。
303302:2009/10/19(月) 23:59:35 ID:heDn77Tf0
304名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/20(火) 00:00:07 ID:So3T930c0
なんなんだこのスレ・・・平日なのに急激に書き込み増えてるが。
ざっと見たところ、このスレにアンチ西郷はいなそうだな・・・
西郷批判してる奴も西郷が気になって仕方がないが、妄信は御免だと言いたそう。
305名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/20(火) 00:02:11 ID:Q4gP9DLR0
>>298
西郷の立場の難しさは地方領主群立から中央集権化しなくてはいけない政府に所属してたことだね。
西郷自身は郷党意識が強い上に近衛兵は西郷に師事する薩摩の下級藩士が多かった。
武士としての誇りの強さが倒幕時には有効だったのに、
国民皆兵となるとその誇りが政策の阻害要因になる。

命懸けで戊辰戦争を闘ってその栄誉としての近衛兵という解釈もしていただろうし、
理屈としては国民皆兵や中央集権が必要だと分かっていてもそれを受け入れるのは辛いと思う。

色んな意味で成仏して下さい、ってのが西南戦争だったと思う。
306名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/20(火) 00:04:16 ID:j1qfVhnV0
>ざっと見たところ、このスレにアンチ西郷はいなそうだな・・・

自分でしょ。
307名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/20(火) 00:08:46 ID:hgjmeob70
>>305
西郷信者意味不明。
西郷が郷党意識が強いからってほとんどの薩摩人は大久保に付いてるよばーか。

「命懸けで戊辰戦争を闘って」w
「分かっていてもそれを受け入れるのは辛いと思う」w

信者妄想炸裂wwww
308名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/20(火) 00:10:40 ID:CKepGyzt0
アンチなんかいないでしょ・・・
一部の痛い西郷信者がいるだけだよ。
309名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/20(火) 00:12:57 ID:So3T930c0
>>306
ああ、俺は西郷が嫌いじゃないからな。信者でもないが。
で、お前は一体なんなんよ?腐女子でなければ返答する度胸あるだろ?
310名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/20(火) 00:19:19 ID:Q4gP9DLR0
>>307
千人近い将兵が下野してるからほとんどってことはないと思うんだけど…。
勝手に信者扱いしたり、冷静に事実を上げて話しができない人なのかな?
311名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/20(火) 00:25:11 ID:j1qfVhnV0
>>309
俺は >>259 >>261 >>270 あたりを見て、
西郷否定のあまり幕府軍だろうがなんだろうが全部百姓以下と切り捨ててるのを見て、
いや西南戦争はそんなノリの戦争じゃないんじゃない、くらいを言ってただけの一般人。

故あって信者認定も食らい罵倒を受けたので、
西郷支持に回った者。

ここの信者認定厨は頭おかしい。
312名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/20(火) 00:34:11 ID:So3T930c0
>>311
お前こそ軽率に人をアンチ西郷にするなよ。
お前に罵倒した人間など俺は知らんし、西郷支持に回ったとかも関係ない。
勘違いも甚だしい野郎だ。
313名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/20(火) 00:48:44 ID:3HHd0ihU0
>>311
は?
259などを書いたものですが、西郷否定してるつもりはないよ。
誇大評価してる人に現実見なよと言っただけで。
百姓以下とか意味が分からない。
西南戦争のノリとか。
ひょっとして西郷が、日本の近代化の障害になる武士層を
道連れにするため、負けると分かって挙兵に加わり
死んでくれたと言いたいのかな?

西郷的には「おいが立てば何とかなりもんそ」だったと思うがなあ。
314名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/20(火) 02:54:11 ID:0Q3f1Sao0
、明治4年(1871年)11月の岩倉使節出発から明治6年(1873年)9月の岩倉帰国までの間に西郷主導留守内閣が施行した主な政策は以下の通りである。

府県の統廃合(3府72県)
陸軍省・海軍省の設置
学制の制定
国立銀行条例公布
太陽暦の採用
徴兵令の布告
キリスト教禁制の高札の撤廃
地租改正条例の布告
315名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/20(火) 05:56:04 ID:LE+sIuAT0
>>312-313
西郷否定なんかこっちはどうでもいい
幕府軍は百姓以下とそのレスに書いてあるだろ
西南戦争や一連の士族叛乱は勝利のビジョンがあって行われてるものではない暴発
そんなの当り前
維新は武士自身が自分の特権身分を自分で封じた義心革命
最後は自爆的な暴発だった

お前が認定厨の犯人じゃねえかw
正面切って話した相手に譲歩無しの姿勢なのかよ

認定厨は西郷否定のあまり
その他の日本まで否定してることに気付かない自己満漢
西南戦争は反新政府による旧幕臣の支持も多いんだよ
だから東京で西郷は支持を受けてんだ
316名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/20(火) 06:01:00 ID:LE+sIuAT0
江戸の人間は地元を寝返った薩摩人なんかに興味はねえよ
たとえ東京側だったとしても
317名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/20(火) 07:11:28 ID:LE+sIuAT0
これでも読め
クソども
http://hoihoihoi.iza.ne.jp/blog/entry/1240457/
幕臣が支えた明治政府
318名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/20(火) 07:12:40 ID:dtn2uEnb0
だから、東京の人は西郷さんと山下清と二宮金次郎の区別が曖昧なんだってば
東京の人にわかるのは、デンスケと福助の違い
319名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/20(火) 08:02:34 ID:LNFuXI++0
>>317
クソだなそいつ。
明治維新は薩摩や長州の官僚によって作られたものだ。
幕臣なんてただのイエスマンの下っ端公務員に過ぎない。
彼ら高級官僚が指揮をとって、初めて意味がある。

幕臣など日本を滅ぼす寸前まで追い込んでゴミ屑でしかない。
320名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/20(火) 08:17:05 ID:Wy61wp18O
西郷に並み以上の求心力があったのは認める。
けど、例えばだけど伊藤博文が高杉に従ったのも、むしろ高杉よりも井上が教われたことによる、という見方もあるらしいよ。(伊藤が井上慕っていたのは周知だと思うけど)
もちろん西郷の場合、そんな1人だけの話ではないのだからまた違ってはくるけれど、西郷に従う者の多さ=西郷の求心力、に直結させるのはどうかと。
321名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/20(火) 08:18:05 ID:Wy61wp18O
襲われた、だね。ごめん。
322名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/20(火) 08:21:31 ID:LE+sIuAT0
>>319
現場行政官をコキ下ろすお前はどこの無職なのかな
馬脚だな認定厨
323名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/20(火) 08:30:05 ID:O9N8mGWJ0
西南戦争は、私学校の生徒が勝手に銃弾薬を奪おうとして起こった。
西郷は彼らを見捨てるに忍びえず、「オイの体はおはんらにあげもそ」とあずけただけ。
324名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/20(火) 10:01:43 ID:LNFuXI++0
>>322
工事の現場監督、つまりどかたの親父と、
ビルの設計や内装などを手がけるところ。
どっちが重要かくらい猿でもわかるだろうな。
給料も何倍もあらあな。
325名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/20(火) 10:11:03 ID:LNFuXI++0
明治政府の旧幕臣ってのは、今で言えば地方公務員がいるだろ、
役場でサボっている奴、その程度の人材なんだよ。
だから政府の高官には一部を除きいなかった。
まあ人材なんてものがいれば、倒されたりはしなかったわけだが。

いや現場監督も言葉がもったいないな。穴掘るしか能のない奴等を、
薩長の官僚が使ってやったというのが正しい。
ブログの奴のレベルも低さも酷いしな。
326名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/20(火) 10:13:50 ID:LE+sIuAT0
>>324-325
内装も職人なんだけど。
もの知らねえのがよくわかる。

大体高級官僚てのは設計屋さんよりもずっと管理寄りだよ。
設計屋さんも作業従事者。
バカか。
327名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/20(火) 10:28:12 ID:LNFuXI++0
ビルの内装が職人ね・・・
これだから低能ドカタは。

高級官僚は企画や予算の管理や振り分けをするものなんだよ。
そこらの下っ端公務員と一緒にするなよ。
328名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/20(火) 14:20:45 ID:IYPBC4VU0
いや内装は職人だよ・・・知らないなら素直にいえばいいのに
329名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/20(火) 16:40:43 ID:fbevy6sI0
おまえら今日は学校どうしたの?
インフル休校かい?
330名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/20(火) 16:51:34 ID:KWqHcQ5A0
だから高級官僚は設計なんぞやらねえっつってんじゃねえか。
大丈夫か。
日本語わかんねえくらい知能指数がゼロなのか。

キカクやヨサンのカンリやフリワケ?w
意味わかって言ってんかこいつぁ。
法案や答弁の調査資料を作るんでしょ。
選択すんのは政治家の仕事だよ。

選ぶだけの仕事ってのは一番 バ カ がやるんだよ。

内装が内装職人以外誰がやるってんだ。
なんてアホなんだ。
331名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/20(火) 17:22:02 ID:LNFuXI++0
>>328
内装には、配管や空調などの設備まで含むわけだが。
最後に天上やフローリングにするだけが仕事じゃねーよ。
>>330
日本では政治家が選択などせんぞ。
行政府の人間である官僚が、各省庁ごとにどのような事業をやるのか企画して、
財務省と折衝して予算を取れるかどうか交渉する。
ここでほぼ決まる。
そして最後に与党がそれを持ち帰って、検討するがほぼこの時点では決まっている。
ただ与党は立法府の仕事があるので、なにか一つ事業するにも、
関連法案などを整備しなければならないから(このてのは官僚が立法するが)
与党で法案の是非と討論して、野党にも配慮して。成立するわけだ。
答弁資料なんて、ついでに仕事に過ぎない。省庁の見解や関係資料を発表する為に。
官僚を挟むだけだからな。

あと選ぶ仕事が一番大事なわけだが。
馬鹿じゃねーのかお前。
332名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/20(火) 17:30:18 ID:LNFuXI++0
さらにいうと、新政府に採用されたのは、幕府時代は算盤侍と言われ、幕府からは低く見られ、
儀典などをする上級武士には足蹴にされていた人たちなわけだが。
当然地位も低く、俸給も少なく、家族も満足に養えなかった人たち。
それが新政府になってから、かつての何倍もの俸給で、明治政府に雇われているんだよ。
人材の適材適所がなってないという事だな。

またさらにいうとあくまで算盤侍であり、末端の公務員と同じ仕事だ。
住民台帳と税収を管理したりするのが主な仕事。
後は学制の成立で、教師の数が足りなかったから、そのくらいの仕事だ。
教師と下っ端公務員という、末端の公務員の数が足りなかったら、
そこで採用されただけなんだよな。
明治政府の進路を決めたり、近代化にやくだったとはいいがたい。
333名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/20(火) 18:51:48 ID:xcSU3a7s0
>>323
薩摩の若者たちの暴走に付き合ったのは心情としてわからないでもないけど
西南戦争に借り出された政府側の鎮台兵とかのことはどう思ってたんだろ
なんか自分の威光で戦争せずに東京まで行ける、とか
思ってたらしいという話も聞くが
334名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/20(火) 22:40:19 ID:EQocTI+G0
>>330
配管や空調も職人の仕事じゃねーかよ
なんかもうお前が何言いたいのかさっぱりわかんなくなってきた
335名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/20(火) 22:41:31 ID:EQocTI+G0
安価間違えた
>>330>>331
336名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/21(水) 00:21:46 ID:SC2U8lVf0
>>334
そいつ小学生かあるいは知恵遅れだから多分。
馬鹿は死ななきゃ直らない。
337名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/21(水) 00:26:51 ID:SC2U8lVf0
>>331
配管は配管工がやるんじゃないか。
むしろインテリアの方がデザイン力の発揮されそうなとこだが。

馬鹿のクセに無理して調べて細かくしゃべるな。

設計はデスクワークの実作業で、
職工は現場の実作業なだけでどちらも実務作業者。
設計士はお前みたいに遊んでるわけじゃねえぞ。

>日本では政治家が選択などせんぞ。
じゃあ企業はどこで政治家に口聞きすんだよ。
馬鹿かお前。

お前のそれが俺の言った『法案や答弁の調査』なんだが。
法案作りの為の企画だろ。目的が抜けてどうすんだ馬鹿。

選ぶ仕事はバカ殿の仕事。
幼稚園児のコイツには王様が一番偉く見えるのだろうが、
官僚に聞けば、決定権を持つ政治家の馬鹿さ加減が止まらない。

馬鹿のくせに生意気なんだよお前。
338名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/21(水) 00:28:19 ID:SC2U8lVf0
この馬鹿が薩長擁護で西郷罵倒者。
この調子だと会津叩きもコイツかな。バカは死ね
339名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/21(水) 00:49:11 ID:dkzaGB2Y0
西郷は鹿児島に帰郷した後、鹿児島県を中央政府の統治が及ばない
「西郷王国」状態を作り上げたけど、元藩主の島津家を尊重して
鹿児島県の頂上に据え置かなかったのは何故だろう?
340名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/21(水) 00:56:41 ID:IXExUi/10
西南戦争が暴発で、西郷は付き合わされただけだったとか、
本質を必死にごまかそうとしてるバカがいるね。

万単位の鹿児島兵が整然と出発してるのに、暴発なのか?
暴発は火薬庫襲撃だろ。
その後、桐野らは勝つ気まんまんで兵を集め、
西郷も賛同した。
若者たちを見捨てるに偲びえずとか、西郷がそう言ったのか?
そんな話しはどこにもないぞ。

まあ、それはどうでもいい。
分からないのは、こんな鹿児島士族の独りよがりな反乱を
なぜ美談であるかのように言うのか?
結果的にこれで武士層による抵抗はおさまったが、
なぜそれが西郷の深謀遠慮だったかのように言うのか?
常識的に考えて、西郷軍を討った鎮台兵のおかげだろw

西郷は自決の数日前から桐野と口をきかなくなったらしいな。
お前が絶対勝てるっていうから乗ったのに、なんだよこのザマは。
ってことだろ内心w
341名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/21(水) 01:00:06 ID:KK1PSviU0
>>339
愚問じゃね?
普通に考えて、革命家の本質は門閥を打破する立場だからだろ。
そこは腐っても維新の英雄。
342名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/21(水) 01:25:44 ID:4DRlQqKk0
>>317
そりゃ知ってるが、このスレで言われても「だから?」としか……

有能な幕臣が才覚を振えなかったから負けたんでしょ。
第2次長州征伐なんて、その象徴みたいなもんだ。
343名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/21(水) 01:49:20 ID:rQOZeSCTO
維新三傑ってくくりが曖昧だから違和感あるんだよ西郷。それこそ倒幕三傑なら西郷・高杉(木戸)・(幕臣だけど)勝だと。
倒幕後明治10年頃の政府基盤出来るまでなら、
大久保・木戸・江藤(法律整えたから)かな?

明治の三人目は意見割れるかもね。

木戸は幕末の最後は長州の首相格だったし、そういう意味では入っておかしくないと思って()書き。
明治になってからは五箇条の御誓文、廃藩置県、憲法制定、議会の開催など提唱してるから、実現しなかったものもあるけど入ると思う。後年になって実現するときもやっぱり以前に提唱されたことがあるかどうかで、実現に向けて提唱された時の耳の傾けられ方違うと思うし。
大久保は明治6年からは圧倒的だしこのくくりで三傑に入らないわけないと思うから書かない。木戸は何故か『何もしてない』って思われがちだから書いといた。
『倒す』が目的だった幕末は西郷が必要で、新しいものを作るときにはあまり西郷は・・・ってこと。
344名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/21(水) 02:25:44 ID:IXExUi/10
>>339
西郷王国=私学校=郷中
ソースが司馬であれだが、薩摩藩ってのは意外にも
単純なヒエラルキーにはなっておらず、
下級武士の代表者の郷中頭は下級武士でありながら
家老の家を訪問した際などは礼装で迎えられるほどの格があったらしい。

つまり、労働組合の長とか幹部の扱い。
現代でも大きな組合の長なら、社長だって敬語使って対等のあつかいするだろ。
ストライキや嫌がらせが怖いからね。

西郷はその郷中頭だった。
藩の従業員でありながら、郷中という組合の委員長みたいな存在。
西郷が久光に対してみょうに強気に出ていたのは、
嫌っていたというだけでなく、そんな藩内の力関係もあったんでは?
廃藩置県後は久光らは経営者としての法的な資格を失い、
郷中=私学校という組合の天下になった。
345名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/21(水) 05:25:07 ID:lFhcCtDD0
>>340
>なぜそれが西郷の深謀遠慮だったかのように言うのか?

だから西郷は元からああいう決起をする気はなかったんだが?
政府から去った後は鹿児島でずっと猟をして引っ込んでたし、西郷自体「しまった」と言ってるし、政府側の人間でさえ西郷が暴発に賛同するはずがないと思ってた。

西郷が元々政府を倒す気なら、政府軍を握ってたんだからあんな事しなくてもとっくの昔にクーデターして倒せた。
西南戦争自体に関しても上手く作戦を立てれば十分勝機があった戦いだしね。

>>343
倒幕後明治10年までのは西郷(明治維新らしい事をやった首相)、大久保(西郷以後の政府を作った首相)の二強政治。
346名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/21(水) 05:57:16 ID:I1Pb3LWB0
二強なら初代宰相の木戸と三代目宰相の大久保
明治後の西郷は政治家とはいえない
文民統制下の軍のトップという感じ
347名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/21(水) 06:25:52 ID:lFhcCtDD0
木戸は明治後は、政府を批評批判してただけで政治家としては特に何もしてない。
征韓論でも反対なのに、結局火の粉を浴びる表舞台には出なかったしな。

西郷や大久保こそ政治家として責任を取る仕事をしたわけで。
結局この二人の争いだよ。
348名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/21(水) 06:40:33 ID:PKAp483iO
司馬の弊害がここにも…
洋行前までは大久保の保守派ではなく若手中心の木戸開明派が主流
廃藩置県まで実質は木戸がトップと言っても過言では無い
洋行後は保守的になって馬車事故とか病気とかで引きこもりになったけど
349名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/21(水) 09:07:58 ID:IXExUi/10
>>345
きみはなにを言ってるんだえんえんと。
西郷がもともとあのような形で決起する気が
無かったというのが何だというのかな。
現実は現役陸軍大将として大将の軍服持参で参加してるんだよ。

おれは西郷の責任を問いたいんじゃなくて

否定的な書き込みがあると死に物狂いで
フォローフォローしようとするのは
理解に苦しむねってことだ。
350名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/21(水) 09:23:46 ID:rQOZeSCTO
>>347みたいな人がいるの解ってたからわざわざ>343で木戸のしたこと書いたのに。書いてもこんな人いるのか(苦笑)
議会とかは一応不完全ながら生存中に開催されてると思ったけど。
何もしてないわけないじゃない。
351名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/21(水) 09:51:23 ID:Oaii2/5a0
明治以降功績のある西郷隆盛を
まるで功績が内容に言い張るID:rQOZeSCTOの意図がわからない。

嘘を連ねるのは、そんなに気持ちいいのだろうか?
352名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/21(水) 10:22:16 ID:rQOZeSCTO
>>351 決めつけないでほしいなぁ。しかも嘘って何。
私、西郷の明治以後の功績はひとつもない!なんて断言した覚えないけど。
ただ明治以後なら、上に上げた江藤とかのほうが功績としては大きいと思うというだけ。
けど戊辰に関しての戦功も大村のほうが大きいと思ってはいるから、明治という時代において西郷が『傑人』と言われるほどの働きをしたかというと疑問符がつきませんか?と言いたいだけなんだけど。

木戸は洋行前まではトップだし、前にも書いたように後世に繋がる提言多いから納得。大久保は何度も言うが洋行後は圧倒的だから納得。

西郷は死ぬまで時代が一番必要とした当世随一の英雄だ。みたいな風潮は論外だけど。(貴方がそうだという意味ではなくそういう人も居るって意味ね)

西郷が明治政府に居ることで政府発足当初、薩摩(の不満が爆発するのを)を押さえていたとかは認めてますよ。
でもそれって幕末からの流れがそのまま続いてるんだよね。だから西郷は幕末の傑人なんじゃない?と思っただけですよ。
353名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/21(水) 12:28:39 ID:QR/klDAh0
司馬の小説「飛ぶが如く」を史実だと思い込んでる人がいるな
司馬は主人公ageのためなら平気で史実を捻じ曲げて
あたかも自分の捏造が史実であるかのような書き方するから注意な
354名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/21(水) 13:20:29 ID:CmhXUJs00
明治維新と言える最大の改革といえば廃藩置県だろ。
廃藩置県がなければ新政府なんてのは、収入も兵力もないただの看板に過ぎんよ。

大久保率いた政府軍が強くなったのも、廃藩置県で中央主権の基礎があったからで、大久保は基礎の上に立ってさらに政府を固め強めたに過ぎない(無論それは凄いけど)。

廃藩置県を言論ではなく、薩摩兵を率い先頭に立って従わなければ討つと断固行ったのは西郷。
木戸が色々言ったなんてのは、旧幕臣の俊才だった小栗や勝や福沢諭吉が色々先進的なことを言ったのと同レベル。

結局西郷が政府を去らざる得なくなったのは、廃藩置県の実地者だったから。
武士をまとめ倒幕を成し遂げた西郷が、武士にとどめを刺さざる得なくなったんだからな。

廃藩置県後、大久保や木戸は外遊し国内からとんずらしたし。
355名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/21(水) 13:47:29 ID:QR/klDAh0
廃藩置県の功をたった一人にあえて絞るなら木戸だよ
木戸が推進し、木戸が主導し、木戸が西郷を説得した
西郷も廃藩置県に寄与したのは確かだし認めるが
西郷だけの功では決してないし
西郷だけではあの時期、廃藩置県は起こらなかった

あと外遊の件は大隈(開明派)の外遊を阻止したかった大久保が
開明派の首領の木戸を巻き込んだだけで、西郷のこととは関係ない
356名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/21(水) 14:22:35 ID:jLZn7eGLO
>>347
あの岩倉・大久保コンビが、一度は政権から蹴り出した木戸に大譲歩して
戻って来てもらったのは伊達や酔狂じゃないぞw
これだから明治政府は面白い。

>>346
俺は、文民統制未完成下の軍部の頭領だと思う。
ゆえに実行に当たっての功績は否定できない。
まぁ構想はなかったが。

征韓論華やかなりし頃までの軍部と、
台湾出征・朝鮮開国で一応鎮静化した後の軍部では、
西郷の影響力も違う訳で。
357名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/21(水) 14:32:38 ID:rQOZeSCTO
>>354 そうかな?小栗や勝、福沢が言うのと木戸が言うのは違うと思うよ。影響力がね。
木戸は長州の首魁だから。薩長政府において一方の首魁が開明派であったことに意味がある。
木戸の提言ならばとりあえず1番上まで奏上が潰されることはなかっただろう。

ついでに言うと廃藩置県の一の功労はどう考えても木戸。
提唱・主導者がなければ動き出さない。
しかしやはり大久保の三傑入りには疑問視する人少ないな。それだけ洋行後が凄いってことか。
話題が廃藩置県だから名前出ないのか?
358名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/21(水) 14:43:18 ID:rQOZeSCTO
ただ、これでもし大久保が木戸ほど開明派だったら、政府の足並みが揃ってもっと早く安定するか、
あるいはいきなり大きく躓いて弱体化したかのどっちかだと思うから、大久保は国家主義でよかったのかな。

西郷は軍というモノに限ればずっと活躍出来る人だったと思っている。けれど何人かの人が言ってる通り、政治家向きではない。

それこそずっと西郷が生きて軍に居たら後に陸軍=山縣閥なんてことにはならずに陸軍は薩摩が押さえていられたかも。
359名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/21(水) 14:44:13 ID:HN1/Xu6X0
翔ぶが如くはシバの中でも異質だったよ。
シバ馬鹿の小説は基本的に能天気というかあっさりした
子供向けハッピーエンドみたいな感じなんだけど、
翔ぶは終始ウツウツしてた。
最後も真っ暗な終了。

桂が鬱だ鬱だ、って書いてるお前が鬱なんじゃねえかと思ったくらい。
360名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/21(水) 15:07:16 ID:IXExUi/10
西郷に対して手厳しいこと書いてる奴も
西郷が薩摩の旗頭、まとめ役であり、
新政府の最重要な人物であったことは認めてんだよな。

ただそれ以上でも以下でもなく、最重要な扱いを受けていたのも
西郷個人の能力や見識を買われてのことではなく、
薩摩の軍事権を握っている人物として重要視されていたということ。
これって言うまでもない常識だろ。

西郷の芸風は薩摩人の上には立てても、
出身にとらわれない能力者の上に立てるものではない。
だから個人比較では、大久保木戸江藤など>>>>>>西郷
になるのは仕方ないね。

だからと言って西郷の存在感が小さくなるわけでもなんでもないんだけど、
このスレの鹿児島人と思われる人たちにとっては
自分たちの旗頭=日本の旗頭であるべきと盲信してるようで、
それはちょっと滑稽かなと。

>>359
ああそれはおれも思ったね。
調べれば調べるほど薩摩の郷中=私学校というのが
昭和の軍国主義のはしりだったことが分かってきて
鬱になったんだろうw
前半では西郷も桐野も好人物として描かれているけど
後半では煮え切らない肥満男あつかいw
桐野は完全に愚かな昭和軍人とだぶってた。
361名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/21(水) 15:16:43 ID:HN1/Xu6X0
あの小説、司馬遼太郎の名前が無かったら売れないだろうね
もう一度読む気しない
362名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/21(水) 22:59:18 ID:IXExUi/10
西郷個人に能力や見識が無いと書いたのは言い過ぎた。
幕末の頃の西郷に能力があったのは疑いようが無いし、
新政府で潜在的な政敵ともいえる木戸大久保山県、以前は大村らの
やってることに口を挟まないようにしたのは、
やはりそこらのイノシシ軍人にはないまともな見識があった証拠。
征韓論のころから違ってしまったが・・

西郷は薩人の典型のように思われているが、
実際はこういう人はいない。
ほんとうは能力も見識も無い、西郷のものまねさんは多いけどね。
363名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/21(水) 23:06:43 ID:I/dTyHbxO
士族利権の擁護者である西郷のカリスマって、
士族の温床の戦前のマスコミに持ち上げられて今に至ってるだけだろ?
スケールがでかいだの人格が尊いだの、日本人の遺伝子に染み付いた
特ア的な価値観を絶妙に刺激してさ。
364名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/21(水) 23:21:39 ID:rQOZeSCTO
西郷は他人が出した懸案や提唱を理由無く(例えば長州嫌いという理由で)反対するほど愚かでは無かったと思うけど、どちらにしても西郷って、新しいモノを生み出す、立案する力には欠けていた。
だから西郷が明治に活躍したイメージはあまり無い。薩摩を押さえてたとか以外でね。
木戸の提唱は今からみても、その当時としては極めて開明的。木戸は国の未来を考える人だったんだろうな。
大久保は『現在』を見てる感じがする。要はその時代に1番実現可能そうなことを選んでいった。
だから大久保の権力が絶対になっていったんだろうな。
現在と未来を見る人はそれぞれどちらも必要だとは思うけど、西郷って、旧時代から抜けきれなかった感。
365やくざ やくざさやくざ:2009/10/21(水) 23:35:58 ID:UDxdK/us0
            やくざ
366やくざ やくざさやくざ:2009/10/21(水) 23:37:25 ID:UDxdK/us0
            やくざやくざやくざまくざさくざやくざらくざみくざらくざさくざみくざらくざらくざらくざらくざらくざ
              やくざ
368名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/21(水) 23:52:07 ID:KK1PSviU0
木戸の場合、理想は時代を先取りしていたけど、いかんせん貫禄に欠けるだろ。
『跳ぶが如く』からの引用で申し訳ないが、議会でも大久保が壇上に立つとシンと静まり返るのに、
木戸が話す時は野次や怒号が飛び交って誰も話を聞かなかったとか・・・
369名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/22(木) 00:07:20 ID:Dg2R2zFo0
木戸って未来的なだけに薩摩的なものが大嫌いだから、
維新のなかばから、表に出て薩人たちと一緒にやるのがイヤになったんだろうな。
薩人でありながら薩摩的なものに否定的な大久保は木戸にとって例外で、
仲が良かったわけではなさそうだが、大久保個人の中立性は心底信用して、
自分の分の政務も大久保に信託してた感じか。
薩人との折衝は君にまかせるって。
大久保は何かを決める際いちいち律儀に木戸の了承をとっていたのは、
言質をとっておくという意味もあったろうが、
木戸の信託を失えば政府内での自分の価値も消えかねないと恐れていたんだろう。
木戸にはそういうサバイバルな計算高さが無さそうなんで
一般人からなめられていたのかも知れない。
370名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/22(木) 00:17:51 ID:S0fCC9R6O
司馬の長州嫌いは明らかだから『飛ぶが〜』に書かれたほどそこまで如実な差が実際にあったかは甚だ疑問だけどね。でも威厳で大久保に勝てるとは思わないけど。
木戸は死後、ブロマイドが飛ぶように売れたというし、人気があったのか、それとも大久保・その他政府メンバーより、よく言えば親しみやすく、悪く言えば政治家らしい雰囲気はあまり持たなかったのかも。

にしても、未来的な木戸。現実重視型の大久保、どちらかと言えば旧時代寄りの西郷か。
三傑と呼んだ人はそういうバランスも考えてこの三人を三傑って呼んだのかな。偶然かな?
371名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/22(木) 00:18:36 ID:nzufTfSJ0
>>334
どのように通すかとかの設計をする人間と、現場で組み立てだけする人間は違うぞ。
>>337
低能は黙ってろよ、そのレスで馬鹿がバレバレだぞ。
現場で、説明書どおりに組みたてている奴等と、図案を作っている人は違うんだよ。

>じゃあ企業はどこで政治家に口聞きすんだよ。

復活折衝ってのがある。そこでだな。
だがそこで動かせる予算なんて、ほんと微々たるもので、
全体の予算からすれば、カスみたいなもん。
その程度の事もしらねーのか?

>前のそれが俺の言った『法案や答弁の調査』なんだが。

は?何一点の?企画を成立させる為に、予算を組んで、
それを実行する為に、法案を作るわけだが?順番が逆だよ。
一生懸命調べたんだろうけど、基本的なところでぬけが多すぎる。
馬鹿が無駄なレスをすんなよw

>官僚に聞けば、決定権を持つ政治家の馬鹿さ加減が止まらない。

決定権すらも事実上官僚が握っているんだよ。
そんなことも知らないの?事務次官会議通ったものは、素通りなんだよ。
そして選択する事が、一番大事な仕事。
末端の事務仕事と一緒にしてんじゃねーよ。
372名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/22(木) 00:22:55 ID:0tCeDcEr0
>>368
大坂会議のこと言ってるんだろうけど、あれは民権論争で
土佐の連中(急進派)が、盟友のはずの議長・木戸(穏健派)を裏切って
議会冒頭から言いたい放題のこと言い出したんだよ
大久保は民権論争からは一歩戦を引いた立場だったから
発言してもとくに野次とか飛ばなかった

民権論をテコに政府乗っ取りを目指す板垣をはじめとする民権論派と
民権論に反対の岩倉たち保守派双方から、木戸は総叩きに遭って
木戸が目指した立憲体制は皮肉にもその第一歩たる大阪会議で挫折した
373名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/22(木) 00:28:15 ID:nJi9/fVS0
>>369
木戸は性格的な部分で神経が細いのかもな。打たれ弱いタイプというか。
伊東博文などは維新後、木戸の狭量さやネチネチした陰気さに辟易していたような事を言っている。

>>370
『飛ぶが〜』・・・w

>>371
スレに関係ない口論、いい加減切り上げたらどうだ?
374名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/22(木) 00:33:34 ID:S0fCC9R6O
>>373 言われて気付いた(恥)まぁ跳んでも飛んでも司馬は長州嫌いでしょう。(苦笑)
375名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/22(木) 00:54:54 ID:0Xvp9v1t0
木戸は司馬に嫌われて根暗の鬱人間なイメージが広がったけど
実際は人の面倒を良く見たから明治後の木戸邸は
来客で引きも切らなかったし、文人趣味の仲間と楽しくやってたりする

伊藤は大久保の方が政治家として木戸より上と見たのは確実だろうけど
外遊の時、不平等条約改正のために日本をキリスト教国化し
天皇陛下に率先してキリスト信者になってもらうとか言い出して
木戸の逆鱗に触れたのも事実
伊藤が木戸から離れたのではなく、木戸が伊藤を信用しなくなった
376名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/22(木) 01:26:24 ID:ouGs18r10
しゅんぽはなんかこう粗忽なイメージだよね
377名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/22(木) 01:29:12 ID:SCnOk+jZ0
>>372
その話は多分大阪会議じゃなくて、
大阪会議の結果開催されるようになった「地方官会議」のほうじゃないか?
378名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/22(木) 03:08:38 ID:QJnqm59k0
>>371
お前バカなのもうバレてんだから黙っとけ。
設計も『設計図』というの成果物の組み立て作業だから。
こいつ図面と企画書が同じだと思ってやがる。
決めるだけが仕事の政治家なんて文書は一個も書けませんから。
その辺の中学生よりも劣るだろ多分。まあ小学生のお前には区別付かんだろうが。

全部官僚が政策資料作ってんだよ。
さらに厳密に言えば官僚は立案をするだけで
実際の資料作成はその下請けのシンクタンク。

その立案を政治家が通して、
ゼネコンが具体化する。
そのゼネコンの下請けの下請けくらいが実際の設計会社。

政治家-官僚-シンクタンク      : 政策決定
 |
 `-ゼネコン-一次請け-二次請け : 計画実施
                 ↓
               設計会社
379名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/22(木) 03:28:21 ID:Hxmgz/E+0
西郷を意味もなく貶めることで、何を狙っているのやら。
彼の賛意がなければ新政府は動かなかった。構想を誰が元々持っていた、ということは問題ではあるまい。
380名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/22(木) 03:53:19 ID:QJnqm59k0
翔ぶは新聞連載だったからな。
何度も同じ記述書かなきゃならないから、
書籍化すると何べん桂が鬱呼ばわりされてるか。
おかげで日本中に桂鬱五郎が定着した。
381名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/22(木) 04:05:52 ID:4Z+slwOkO
◇朝鮮人が作った板だな。西郷隆盛の評価下げを狙った板だろ!
征韓論の出発点だからな。
382名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/22(木) 04:51:28 ID:pgXyHcNJ0
征韓論の言いだしっぺは木戸だぞ
しかし後に撤回
半島の法則からも逃げ切った男
383名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/22(木) 04:55:29 ID:4Z+slwOkO
◇象徴的人物としてだよ!おこるな。
384名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/22(木) 06:32:23 ID:HEu8TLZZ0
西郷が過小評価されるのは、戦後の軽薄な人間評価風潮の表れだな。
諸葛孔明が「軍師」などと、将帥より参謀役が過やたら大評価される風潮と一緒。

政治家は立案が主な仕事ではなく、立案されたものを是か非か判断し、現実問題である複雑な利害関係や人間関係を調整し実現するのが政治家の役割。
明治前半期での大改革である明治維新の基盤を作ったのは西郷、基盤を強化して安定させたのは大久保こそが真の政治家。

幕末でも明治でも西郷や大久保より頭のいい奴なんて腐るほどいただろうが所詮は才子に過ぎない。
385名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/22(木) 06:36:47 ID:xRrz82zGO
木戸は竹島にも手を出そうとしていたが、忙しいから後回しにした。見事に回避してるな。
もうちょっと長生きしてたら、関わってしまって法則発動したかもしれないが。
386名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/22(木) 09:53:57 ID:S0fCC9R6O
木戸は確かに征韓論言ってたけど、趣旨変えしてもそんなに政治家としての器量を疑問に思わないのは、自分の目で見て考えを変えているからかな。風潮に流された感はあまり無い。新しいモノを見て考えが変わるのはあることだし。
同じ長州の井上だったかが渡英して間もなくに「攘夷はやめた」と思ったのと同じかな。

考えが変わるというのなら大久保だって木戸と反対に保守派から少し開明よりになっているし。

新しいモノを見て『こちらの方がいいんじゃないか』と受け入れられるのは、木戸と大久保の政治家としての器量が大きい1つの査証だと思う。
ただこれに関しては西郷は行ってないから比べられないけど。
387名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/22(木) 10:18:39 ID:VKGIEGCn0
征韓論は始め使節派遣問題だったのに
佐賀の江藤、副島が即時征韓を言い出して
それに西郷が引きずられた

自由民権運動を政治的道具に使った土佐もだけど
薩長土肥のうち、土肥は三傑の祟り神
維新の功労の多くを占める薩長から主導権を奪いたくて
足引っ張りまくり
388名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/22(木) 10:25:51 ID:S0fCC9R6O
木戸が征韓論を言い出したのに・・・という人はむしろ、征韓は反対したのに間もなく征台は推奨した大久保に疑問持たないのかな?
大久保は西郷下野を引きずっていたとか時々言われてるけど。
木戸は、これに反対して辞職してるし、山縣が参議にってなったときも、身内の長州のことなのに文民統制を曲げずに反対したんだから、意味も無く主張をコロコロ変える感じはしない。

木戸、木戸と言って申し訳ないけれど、木戸は実行力に欠けるからそれだけでは政治家としては不完全だが、描く国家構想やそのために必要な事柄を導き出す力は三人の中では群を抜いていると思っている。
木戸に大久保の実行力、あるいは大久保に木戸のような未来的思想があればと思うが、大久保の実行力は君臨あってこそだから無理か。
389名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/22(木) 10:30:08 ID:VKGIEGCn0
征台後の北京交渉を司馬が全力でマンセーしたから
むしろ大久保の政治力すげー!という評価が多い気がする
390名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/22(木) 10:58:55 ID:SP1sFQAh0
>>388
未来志向って?
大久保は大久保なりに将来に対する考えが明確にあり、無理せず民度を上げて着実にやって行こうとしてた。
大久保は別に議会制や民権に反対してたわけでなく、現実無視の急進論に反対してただけ。

勝海舟も幕末時点から既に米国の政治体制や議会制を理想としてたし、ずっと後年に伊藤博文が議会設置を発表した時でさえ、今の日本には早すぎる調子のんなと激怒してる。
木戸は難しい現実問題には自ら手を出さず理想論を語ってただけ。
391名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/22(木) 11:16:59 ID:QrT8WI710
枦は変装してなかったから本当の力を発揮できなかっただけだよ。
乞食や女装に扮してれば最高のパフォーマンスを発揮できたはず。
392名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/22(木) 11:18:47 ID:S0fCC9R6O
>>390 あの、なんでそこに疑問符?木戸はどう考えても開明的、つまり近代的思想の持ち主でしょう。民権という考え方を持つのが早かった
大久保は現実主義というのは解ってるし、木戸の実行力が欠けるっていうのは私も言ってますよね?
だからはじめから木戸に大久保の実行力、大久保に木戸の近代的思想(少なくとも大久保の思想が木戸に追い付いていたと思えないのは、
木戸は明治の初期から実際に色々と奏上はしている。それこそ時期が早いと棄却されたけど)を持っていたら近代化は少し早かったかなと思っただけです。

別に木戸は完璧!なんて主張してないのになんでそんなに否定的?

あと私は三傑の中ではって言いましたよ。
勝とかは比べてない。木戸に匹敵する思想の持ち主が居なかったとは一言も言ってないですよ。
393名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/22(木) 11:41:17 ID:SP1sFQAh0
>>392
>木戸に大久保の実行力、あるいは大久保に木戸のような未来的思想があればと思うが

木戸が近代的思想的で、大久保が近代的思想ではないとする根拠がわからないんだけど?
大久保は十分近代思想の持ち主だし、木戸よりむしろビジョンと方法が明確にあったから実行力もあったと思うけど?
394名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/22(木) 11:45:31 ID:QrT8WI710
あのヒゲでか?
どう見ても前近代的なヒゲだが
395名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/22(木) 12:29:31 ID:g3PaTD8e0
伊藤、大隈ら当時の消息筋の評価は
政治思想性:木戸>大久保
政策実行性:木戸<大久保
これを明治政府成立から外遊までの木戸の功績を無視した
司馬フィルターを通すと、「木戸は口先ばっか」となる

つか司馬史観しか認めないって人が
定期的に同じ内容のレス繰り返してないか?
話題がループしてるぞ
396名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/22(木) 13:23:04 ID:S0fCC9R6O
>>393 あまり繰り返しても仕方ないしそれこそループしそうだから、これで納得しなかったら貴方と私の感じ方が違うってことで。

思想を木戸>大久保とした理由のうちのいくつかは、

『大久保は別に議会や民権に反対していたわけではない』ということですが、
木戸は実際に立案・企画・奏上し、実際に第一回地方官会議の開催まで持っていってる。(採択されたモノを結局実施しなかったのは内務省の力によるところが大きい)

2 上にもあげたが文民統制。西郷が陸軍の総帥になったと知ったとき猛反対し、上記したように身内の山縣の時にも主張が変わらなかったこと。
軍・政の分離の思想がしっかりできていたってことでしょう?
397名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/22(木) 13:30:15 ID:Lp8Mk2mL0
木戸が実行力無いとか言って、
大久保持ち上げようとしてるのは
どうせ鹿児島人なんだろ。
西郷がお呼びじゃないってことがバレちゃったからな。

鹿児島人が必死に叫ぶ「実行力」て、
根拠やビジョンを自分の言葉で語れない人が
自分の頭の悪さを隠すための都合のいい免罪符になってるだけで、
ほんとに大久保の凄さを分かって言ってるわけじゃないから。

出身者を持ち上げるためなら、
恥ずかしい詭弁を平気で叫ぶのが鹿児島人。
大久保はそういう薩摩人が嫌いで
故郷を見限ったというのに。

398名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/22(木) 14:26:32 ID:1jE7oLkv0
>>395
>伊藤、大隈ら当時の消息筋の評価は
>政治思想性:木戸>大久保
>政策実行性:木戸<大久保

伊藤は後年に、木戸を器量が狭くて仕方ない、だからたいした仕事もできず終わったと言ってる。
それどころか大久保を大絶賛してる。

大隈は木戸を評価したが、遺言などを大久保の子分と化した伊藤ではなく大隈に言ったから。
それでも木戸は大久保の下ではないと言っただけ。

>>396
だから議会なんてまだ早いと大久保は見てた、当時の日本で議会制なんてしたらどうにもならない状態になると見ていた。
結局大久保の読み通り、木戸は推進派の板垣とすら決裂し失敗してる。
それで木戸>大久保なんてありえない、結局木戸は現実問題には対応できない理想主義者だった証拠。

>>397
大久保は西郷より木戸のように女々しい評論家のほうがタイプじゃないと思うけどなw
木戸を持ち上げたのは長州閥を政府にひきつけるためで、実際に大久保は木戸をお飾り程度にしか扱ってない。
399名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/22(木) 15:06:46 ID:EVlPkGUy0
五箇条の御誓文と廃藩置県をやってのけた木戸をもってして
大した仕事も出来ずに終わったと評したのが本当なら
伊藤の理想が高すぎるんだろう
あと木戸に関する評価にばかりケチつけてるけど
大久保に関する評価は何の下心も思惑も絡んでないとでも?

大久保ファンだか薩摩信者だか知らないが
すべてにおいて大久保が木戸より上でないと気がすまない
みたいな傾向が気持ち悪い
木戸を評価してる意見のほとんどが大久保も十分評価してるのに
400名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/22(木) 15:46:05 ID:QrT8WI710
なんか粘着厨の志向が段々見えて来ましたね。
大久保厨なんだ。
それで反西郷反会津。
401名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/22(木) 15:53:41 ID:S0fCC9R6O
>>398 文民統制論を貫いたことは評価されないのですか。
後の陸軍の政治介入力を見ればこの時期すでに予見している木戸の見識は、評価されるべきだと思いましたが。

あと実際に木戸と大久保がどちらが優れていたかはともかく、伊藤が
大久保>木戸で語るのは当然でしょう。
でないと木戸から大久保についた自分の立場が無いじゃないですか。
伊藤が絶対悪く言わなかったのって井上薫くらいでは?
402名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/22(木) 15:55:23 ID:S0fCC9R6O
×井上薫
○井上馨
403名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/22(木) 18:10:07 ID:EIGvjr990
木戸は一種の見識とやらはあってもその見識は個人的な範疇にとどまり
政治家として政府や制度にどのような時期に、どんな形で、どのような手段で
案を実現するかの実行力・覚悟・意気はなかったんだろ

木戸を過小評価する気はないが政治家として何をなしたかの評価は大久保より低くならざる得ない
404名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/22(木) 18:18:47 ID:M0ooAuZU0
木戸は明治初期の基本政策の実施のほとんどに関わってるから
実行力がない、という指摘は当てはまらないと
散々指摘されてんのになんでこうしつこいんだ
405名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/22(木) 18:26:39 ID:O3GXPNH40
しつこいというか、
なりふりかまってない感じ。
なんだろう、この余裕の無さは。
西郷神話が崩壊した今、
鹿児島人にとって大久保が最後の砦なんだろうか?
406名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/22(木) 18:33:33 ID:EIGvjr990
木戸信者のほうがしつこいね、倒幕明治と木戸がいなくても何の影響もないが
西郷、大久保がいなければ果たして維新や明治政府はあったのだろうか
407名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/22(木) 18:39:06 ID:M0ooAuZU0
そこまで薩摩至上主義に凝り固まられると
議論のしようがない
408名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/22(木) 19:12:13 ID:fTLkQcRMO
>>406
お前の意見に従えば、明治2年で新政府崩壊するぞw
ちょっとは司馬以外の本も読め。

まぁ木戸礼賛するつもりもないんで、議論には深入りしないがw
409名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/22(木) 19:17:18 ID:xRrz82zGO
木戸がいなかったら、幕府陸軍奉行・村田蔵六がいるかもしれない
そして上に立つ人材が不足している長州は自滅するのであの時点での倒幕は不可能
410名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/22(木) 19:26:30 ID:EIGvjr990
村田が幕府にいたからといってどって事はないがな
徹底抗戦派で智謀胆力じゃ討幕派に勝るものがいなかった小栗でさえ退けられたんだからな
411名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/22(木) 19:35:13 ID:S0fCC9R6O
やっぱり後々が長州天下だから反感強いのかな。
長州の人材はある意味凄い。というのは総帥だった木戸が居なくなって明確な首魁が居なくても政治は伊藤が陸軍は山縣(後には政治も)頂点に立って、
しかも井上が財政に絶大な影響力誇るからね。よくここまで人材居たよ。

薩摩は大久保亡き後は明らかに押されていたからね
412名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/22(木) 19:45:08 ID:EIGvjr990
つーか伊藤はどっちかっつうと大久保の後継者だし
薩摩に人材がいないとかアホだな

政治では西郷従道
財政では松方正義
軍事では川上操六、山本権兵衛、東郷平八郎など多士多彩やがな
413名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/22(木) 19:46:54 ID:nzufTfSJ0
>>378
馬鹿だな。
資料などを集めるのもみな官僚。
下請けに回す場合は、たいてい官僚の意向にそった調査や結論を出させるところに、
官僚のシナリオどおりにの返答を貰うだけ。
それに資料集めって、企画と資料集めは全く違うぞ。
これだから底辺は困るんだよ。
414名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/22(木) 19:53:40 ID:QrT8WI710
だからシンクタンクだって言ってんだろ。
なんで官僚がネットや図書館やマーケティング調査にまわるんだよ。
企画なんて仕事はその官僚の側の線に入ってないだろ。
なんかイベントでもやると思ってんのか。
変なお祭り官僚だな。
415名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/22(木) 19:54:07 ID:S0fCC9R6O
>>412 長州の天下と言ったのであって木戸の思想の天下とは言ってないですよ。
松方財政とかは知ってますけど明らかに井上の方が影響が大きいから書いたんです。(背景も三井ですしね)

軍に関しては山縣閥と化していくんだからどう考えても長州三尊が揃っている間は長州>薩摩でしょう。
416名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/22(木) 19:56:31 ID:nzufTfSJ0
>>412
西郷弟は山縣の部下。
松方は井上の部下。

影響力が違いすぎる、山縣の軍閥は有名だが。
井上の財界や大蔵省への影響力も非常に大きい。
日露戦争での戦費を獲得する為の。借款をしなければならなかったわけだが、
その許可を得にいった先は、当時の総理でも大蔵大臣でもなく、
井上だった。彼の許可を得ないと、財政は動かなかったからだ。

つか薩閥の長は黒田であって、そいつらは薩閥の幹部に過ぎないぞ。
どっちにしろ、大久保とは能力も影響力も違いすぎる。
417名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/22(木) 19:57:55 ID:QrT8WI710
「配管工は職人じゃない」←お前はこれだけ唱えて黙ってろ
もうスレチだからしゃべんなよ
418名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/22(木) 20:00:20 ID:nzufTfSJ0
>>414
日本にはシンクタンクなんてものはないんだよ、
霞ヶ関がシンクタンクといっていい。
どっかに調査任せる場合は、多くの場合は、天下り官僚受け入れ先に、
仕事を回す意味合いが大きい。

そしてなにかの対策費や、基金を立ち上げるわな。その使途を決めて、
金を割り振りふる、これ全て官僚の仕事だぞ。

まあ中には、天下り受け入れ先の無意味なのも少ないないが。
419名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/22(木) 20:02:01 ID:nzufTfSJ0
>>417
配管工というより、ビル全体の配管の配置をする人間と、
現場で組み立てるだけの人間は違うな。
高級官僚と、末端の公務員の違いだ。
明治政府の頭脳と、旧幕臣くらい違う。
420名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/22(木) 20:10:58 ID:nzufTfSJ0
木戸は自ら企画した廃藩置県というものを、
明治政府を作り上げて、実現させた。
正直これで木戸に実行力がないという人がしれんよ。
初期の政治体制もほぼ木戸、岩倉ラインが作ったものだ。

その後廃藩置県なら、藩と県の境界をどうするのか、行政機構などをどうするのか、
という実務的なことをしたのが大久保だ。
厳密に言えば、その大久保のさらにしただがな。

木戸と大久保は理想と現実で揉めていたわけではなくて、
2人の立ち居地の違いだろう。
421名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/22(木) 20:23:28 ID:nzufTfSJ0
明治六年以降は、社長の大久保と、引退した会長か最高顧問の木戸という関係が適格かな?
伊藤の仕事は、大久保の指示で、木戸の意向を聞いて妥協点を探すというものだ。
大久保は流石に自らの派閥だけでは、独裁は出来ないのはわかっていたから、
木戸をある程度立てることで、発言力を得ていたのだろうな。
六年以後は、土と肥を排除しているから、流石にここで木戸まで無視したら、
新政府がたちゆかん。
422名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/22(木) 20:28:04 ID:nAO5Q4I90
木戸ねぇ
423名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/22(木) 20:43:09 ID:Dg2R2zFo0
山県はなにげに凄いと思う。
平凡な権力者なら軍の薩摩閥に冷や飯食わしてやるところを、
山県クラスの権力亡者になると、冷や飯食わすどころか、
薩摩閥に変わらず敬意を示すことにより
薩摩閥を山県閥に組み込んでしまったわけだからな。

嫌われ者の山県だけど、政治家というか権力家としては
三傑に並ぶ超一流の人物だよ。
424名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/22(木) 20:45:24 ID:EIGvjr990
>>416
部下とかってwwwそれは西郷の性格がそうだからだよ
伊藤ですら西郷にだけは敬意もって接したくらいだし

大体井上、山県なんて汚職政治家の代表は恥ずべき存在だな
黒田は上げていいが色々問題あるからあげなかっただけで
425名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/22(木) 20:53:27 ID:kkXJ4EmC0
汚職で失脚しそうになった山縣を助けたのが
西郷なんだけど。
426名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/22(木) 21:06:27 ID:S0fCC9R6O
久しぶりに名前出てきたね西郷。
それにしてもここはやっぱり薩摩閥スレなのか。

>>424 別に誰も井上、山縣が人格者だとは言ってない。
ただ何か1つの面で他を圧倒する才覚があったんでしょう。
井上は財政(実際長州の資金繰り幕末からしてたしね)
山縣は人脈作りの才覚が。

それにしても井上は幕末期に伊藤を可愛がっておいて良かったよなぁ。伊藤が唯一、損得を抜きで付き合ったというし。
山縣は伊藤を頼らなくていいだけのものを自力で手にいれてしまったね
427名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/22(木) 21:24:18 ID:wjWUK3+50
井上と山県って居たほうがよかったのか
井上は金に汚いし、山県は異常な権力欲と天皇神格化したし
428名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/22(木) 21:38:24 ID:XlHdySB2O
西南戦争直前の鹿児島県では西郷王国状態で中央政府の統治が及ばない独立国みたいな感じだったという。
錦の御旗に弓引いた賊軍の薩賊を、戊辰戦争で賊軍の汚名を着せられた全国諸藩の志士達が官軍となって征伐したのは皮肉だな。
429名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/22(木) 21:49:34 ID:BYTcctsp0
西郷より久光だな、鹿児島が独立国の様相を呈した主犯は
430名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/22(木) 21:50:39 ID:Sf9fjU060
>>427
井上は明治政府の財政基盤作りに必要。
松方・大隈の功績を否定する訳では勿論ないが。
オスマントルコが財政への見識不足で経済滅茶苦茶にされる時代に、
井上・松方・大隈を得る事が出来たのは、日本の幸運だと思う。
山県はぶっちゃけ大村益次郎が長生きしてれば……w

>>425
あの長州閥大冷遇時代に大西郷が敢えて山県庇ったのは、
あいつが居ないと軍部が立ち行かないという理由だったかと。
是非はあれど、軍政家としては超一流。

>>429
確かにそれはあるなw
431名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/22(木) 21:52:05 ID:S0fCC9R6O
>>427 山縣はともかく、そもそも井上居なきゃ長州どうなっていたか。
資金繰りもそうだが何より渡英を言い出したのは井上。
渡英して国力の差を実感した人間が居なかったら和平交渉だってやっぱり全然違うと思うよ(和平交渉を実際にしたのは高杉ってことは解ってますよ)
432名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/22(木) 22:00:24 ID:Sf9fjU060
>>410
それが幕府の宿痾だな。
旗本削減唱えれば旗本に殺される。

>>424
汚職する有能か清廉潔白な無能かという選択は
一つの命題に成り得るなw
433名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/22(木) 22:23:30 ID:nzufTfSJ0
大久保は薩摩を庇いすぎなんだよ。
木戸がさんざん苦情していた。

地租改正でも山口と福島は全国で一番早かったが、鹿児島は一番遅かった。
434名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/22(木) 22:31:27 ID:nJi9/fVS0
庇い過ぎたというか、怖かったんだろ。
435名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/22(木) 22:41:04 ID:BYTcctsp0
まさにアンタッチャブル
436名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/22(木) 22:51:19 ID:nJi9/fVS0
>>435
そうそうwww
薩摩って正体不明というか、おっかなくて口を出せない存在のイメージ。
437名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/22(木) 23:03:40 ID:Dg2R2zFo0
新政府が反薩摩的な方向に行こうとしてるのはバレバレだったしな。
438名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/22(木) 23:34:29 ID:nJi9/fVS0
>>437
そりゃそうだろ。薩摩自体は根っからの反中央なんだから。
新政府が薩摩と同じ方向に行くわけがない。
439名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/22(木) 23:47:58 ID:S0fCC9R6O
少し話が違うけど政府発足当初、木戸が1人参議(当時は参与かな?)にっていうのは意外。薩摩が頂点に立とうとしなかったのが。
西郷は武人、大久保は明確な薩摩のリーダーじゃない→長州の首魁の木戸、ってことなのかな?
結局木戸は断るけど。
440名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/23(金) 00:01:06 ID:sUJaQpVd0
薩摩は日本でないでgowasu
あ、日本語では”ごわす”でごわすか。
江戸と京には薩摩から国司を派遣してたでごわす。
江戸には殿さまも年毎に視察に行ってたでごわす。
150年ほど前、京や江戸で叛乱が起こったでごわす。
じゃっどん薩摩は征東軍を派遣して鎮圧したでごわす。
日本人は薩摩支配に対してたまに反乱を起こすでごわす。
あれは島津朝千年の中で一番大きな日本人叛乱でごわした。
441名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/23(金) 00:09:03 ID:t/Xwj3Aw0
司馬遼太郎が『跳ぶが如く』で薩摩人は自分たちこそ本物の日本人と思っていて、
他の日本人については日本人に似たような者だと秘かに思っていると書いていたが、
あれは何を根拠に書いたんだろう?
442名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/23(金) 00:34:53 ID:aAg+TIFZ0
>>441
今でも鹿児島人はそんな感覚だよ。
だから鹿児島を離れた出身者も出身者同士で結婚することが多い。
もしくは親が鹿児島人の人とかとお見合いで。
朝鮮や在日の人たちと同じ精神構造。
443名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/23(金) 00:39:57 ID:SZa5RHIw0
>>442
ここまでデタラメを言ってると恥さらしw
444名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/23(金) 00:43:21 ID:3vEn4DsR0
2chでせっせとカキコしている現代の小物が、
激動期の時代を大きく動かした大物を評することなんて、どだい無理な話。

結局、器が違うんですよ。
分かるわけがない。
445名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/23(金) 00:47:43 ID:aAg+TIFZ0
>>443
べつにデタラメじゃないだろww

最後の行は同意してもらえないだろうが、
しかしこの行こそが核心を突いてると思うがなw
446名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/23(金) 00:56:23 ID:3vEn4DsR0
>>445
お前は所詮、その程度の偏見の塊の人間だと自分からさらけ出してるようなもんだ。
まさに恥さらし。
447名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/23(金) 01:13:54 ID:aAg+TIFZ0
そんな激高してるところをみると、
やはりこのスレで木戸を叩いたり
西郷ヨイショしてる奴は鹿児島人なわけだwww

ちなみに司馬が書いたことやおれの書き込みも普通に事実です。
つうか、それだけ郷土を誇りにできるってことなんだからべつにいいんじゃない?
いろいろ考えすぎる日本人と違って朝鮮の人たちは
ストレートに国を誇りに思えてうらやましいと思うことがあるもん。
448名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/23(金) 01:51:24 ID:X8Ysd83z0
桜島こそ富士でごわす
449名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/23(金) 12:36:14 ID:igxAvYkw0
>>418-419
まだ言ってんのかお前。日本総研とかNRIとか知らんのか。
だから高級官僚は配管設計なんてやらねえっつってんだろ。
こいつはホワイトカラーとブルーカラーの違いを一生懸命高級官僚のことだと思って説明をしている。
頭ぱっぱらパーではないか。
450449:2009/10/23(金) 12:38:03 ID:igxAvYkw0
>>417←これをもう一度よく読むように。
451名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/23(金) 13:25:41 ID:ENLBr2+n0
331 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2009/10/20(火) 17:22:02 ID:LNFuXI++0
>>328
内装には、配管や空調などの設備まで含むわけだが。
最後に天上やフローリングにするだけが仕事じゃねーよ。

間違えたんなら素直に過ちを認めればいいのにね
言い訳して更にドツボに嵌ってる
452名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/23(金) 13:34:52 ID:Z6sxkt2e0
さすがに大久保や西郷はそこまで思ってなかったろうが、
一般の薩摩人にとって倒幕は征日のつもりで
やっていたということか。

征服者なんだから薩摩人が上に立って当然
と思っていたわけか。

453名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/23(金) 13:44:39 ID:ENLBr2+n0
まー久光がいつになったら俺将軍になれんだよって怒ったぐらいだからね
つか久光が薩摩の一番の癌だな
454名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/23(金) 18:10:23 ID:s8IMuzr30
久光はその手の上昇志向は無さそうだがな。
だいたい藩主ですらないのに。
むしろ西郷のほうが危険な感じ。
全国の武士を抑えるためという名目で、
「みながそこまで推すなら
おいの体はあずけもんそ」などと言いながら
謹んで将軍職を拝命しそうw
455名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/23(金) 19:48:12 ID:1/NRhAkL0
>>449
日本総研は霞ヶ関のシンクタンクではない。
そして高級官僚の仕事は、全体の設計図を作る事。
>>450
否定してみろ低能君。
456名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/23(金) 19:50:45 ID:1/NRhAkL0
>>454
西郷は、政府首班を推薦されたが辞退している。
最も西郷の前に木戸が推薦されていたが、木戸が辞退した後だがな。
なので推されてもそんなことはしないだろう。
457名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/23(金) 19:51:35 ID:1/NRhAkL0
>>451
日本語が読めないならレスしなくていいよ、かえすのも面倒だし。
458名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/23(金) 20:50:23 ID:igxAvYkw0
>>455 例えば
国土交通省の下請けシンクタンク → 三菱総合研究所
http://www.mlit.go.jp/kokudokeikaku/iten/virtual/op_dir/announcement/requirement2.html
「株式会社 三菱総合研究所(国土庁より業務委託を受けて実施)」

http://www.mri.co.jp/SERVICE/thinktank/kokudo/1189096_1460.html
「基盤地図情報などの利活用推進モデル実証調査/お客様:国土交通省
 郊外住宅地の変化に伴う行政コストと居住者負担コストの推計/お客様:国土交通省 ・・・」

『国土交通省 三菱総合研究所』でググればゴロゴロ出て来る。
459458:2009/10/23(金) 20:54:25 ID:igxAvYkw0
日本総研のページだけど
http://www.jri.co.jp/consul/special/0705_shimbo/03-02.html
■これからのシンクタンクの役割
「こうして3者(霞が関、シンクタンク、学界)が切磋琢磨することが、これからの日本には必要なことではないか」

お前シンクタンクを何かのタンクか倉庫だと思ってんじゃねえか?
>>417←あともう一度これをよく読むように。
460名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/23(金) 21:05:08 ID:1/NRhAkL0
>>459
そこで思いっきりそいつが言っているじゃないか。
霞ヶ関が情報を集中している為日本のシンクタンクはだらしない。
仕事クレクレ状態、官僚の仕事のよいしょがおおいと、

だからこの現状を変えたいと、なに墓穴掘っているんだ?
461名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/23(金) 21:08:30 ID:1/NRhAkL0
いまだに大きな課題となっているのは、日本では大半の情報を霞が関の官僚に集中させてしまっていることでしょう。
日本の民間シンクタンクがだらしないからだと思います。
全てではないと思いますが、多くの場面で、シンクタンクの研究員は業者のように見られている、
扱われている面があります。霞が関との仕事で、「お願いですから仕事を下さい」
などと言ったような奴隷根性がシンクタンク側にある限り、現状打開は期待薄ですね(笑)。
あるいは、政府主催の研究会や委員会などで、官僚の筋書き通りのことを
「よいしょ」するような発言や行動しかできないようであれば、霞が関のよき道具に過ぎません

日本語くらいよんでくれよおねがいだから。俺が言っていることとなにが違うんだ?
417も声にだして、自分がどれだけアホか自己確認するように。
462名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/23(金) 22:10:03 ID:igxAvYkw0
なんでもいいからスレチだよお前w
日本のこと考えるより前にスレのこと考えろ
463名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/23(金) 22:41:45 ID:BTaCe6tc0
西郷が日本の代表的な偉人として言われているのは、西郷評価の一考に値する。
最期は賊将でありながら、日本人にここまで慕われている人間はいない。
464名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/23(金) 23:15:12 ID:doXxQOR90
大久保と木戸の業績は認めるが、この二人がいなくても、ほかのだれかが
その役割を果たしていたが、

西郷の代わりは、だれも務められなかっただろう。
465名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/24(土) 00:04:33 ID:BkqSk7+5O
>>364 それは疑問。むしろ人望によるところに大きい西郷の代わりいくらでも居るような。
というのは西郷が居たから西郷に人望があつまったのであって、居なかったら居なかったで、他に人望ある人くらい居るよ。薩摩人が慕う人が代わるだけなんじゃない?
466名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/24(土) 00:27:04 ID:L69ZFhYG0
だな
西郷の人格を神聖視しすぎ
467名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/24(土) 00:28:52 ID:KEOXcOe30
むしろ、
西郷の人格を軽視しすぎ
468名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/24(土) 00:48:43 ID:P90okEay0
>>465
そのとおりだよ。
もっと正確に言えば、西郷がいたから西郷に人望が集まったわけではなくて、
自分に心酔している者だけで薩摩軍閥の要職を固めているわけだから、
人望があるように見えるのはあたりまえ。
「西郷さんの人望買い」と嘲笑されていたw

西郷ってそんなマッチポンプばっかりでしょ。
江戸に火つけさせて相手が怒ったところを、完全武装で叩いたり。
廃藩置県の時も、薩摩士族を調子にのらせてる張本人は西郷なのに、
それを抑えるってw 自分で火をつけて自分でポンプで消すってこのことだよw

ほんとうの意味で人格者だった大村などは西郷を一切信用してなかったのは有名な話。
469名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/24(土) 02:48:38 ID:BkqSk7+5O
>>465です。
>>では466さん。西郷が他の人は持っていないモノを何か持っていましたか?

個人的に三人の中であの時期に1番不可欠だったのは木戸だと思います。
五箇条の五誓文、廃藩置県など。本当に基盤になることは木戸宰相期ですから。木戸が居なければ明治政府は危ういかと。
明治6からが主の大久保は、現在、史実としてあったことを肯定的に捉えなくてもいいのなら不可欠とは言えないかな。他の人が実権を握っていれば明治政府は違うふうに育ったかもしれない。
ただ大久保と同じことを結局やる流れに、もしなるような人がトップに立つのなら、迅速に施行していった大久保でよかったと思う。
470名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/24(土) 03:25:46 ID:juExJot/O
木戸と大久保は政府の方針や政策についてかなりの言葉を残してるから後世の人も何を考えていたかある程度分かる。

でも西郷の言葉は政策そのものじゃなくて、人物についての感想とか他の人が西郷に会った時の印象が多い。
だから後世の人からしたら何を考えていたのかイマイチ分からない。
分からないから、色んな想像をする。
想像の余地が大きいから西郷の人格そのものも何となく大きく感じる。


長州征伐〜江戸開城の頃は準備や外交でかなり細かい部分のつめを西郷自身がしていて、書簡や会った人の日記にも西郷の考えや計画の中身が分かりやすいけど。


司馬が翔ぶが如くの中で討幕前後で西郷の人が大きく変わった、会ってみないと西郷の魅力は分からないかも知れないと書いていたのは上記の理由があったかも。
471名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/24(土) 03:44:32 ID:PIXHbAuK0
ちょっとここのスレ、読んでみたけどさ。
一体何が目的なわけ?

西郷は大したことがないんだから、名誉を傷つけようぜ。
あんあ奴を偉いと思ってる奴を笑おうぜ。ってことなのか?
472名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/24(土) 05:07:56 ID:13NIIl+y0
木戸と大久保のえらさ
 木戸のが天皇の家庭訪問が先だから、木戸のがえらいってば
 年賀の挨拶に来るのも大久保の方だから、木戸のがえらい
薩摩だけで維新は可能か
 薩摩だけで、倒幕は可能。てか、倒幕したのは薩摩だろ
その後は九州独立>本州を攻める、という筋書きだったと思う。それが維新かどうかはわからん
伊藤の木戸評価
 木戸は言ってみれば伊藤の親。悪口は言うだろ。口うるせーじゃん、木戸は。
 社会人になった倅に、部屋の掃除をしろ!とか言ってて、やだった、ってことだろ。
 伊藤が木戸の仕事(廃藩置県でも地方官議会でも)を否定してるかだろ、問題は。
 井上を悪く言わないのは、井上がまだ生きてるからだろーよ。伊藤はそんな失礼な奴でもなかろう。

大久保の真価は、ものごとを考え出すところにはない。
それを見極めて実行するとこが大久保の英雄たる所以。

木戸は大勢の意見から自分の意見と指針を編める人。
意見を聞く対象として、人材発掘の才能があるし、身分の上下を問わないし、
意見を取りまとめる手腕と愛嬌がある。
でも、決定は殿様や三条に委ねる普通の政治家。

大久保はそれがいい、と思ったら、その実行者を抜てきする意味で、人材発掘の才能があるし
出身の如何を問わない。でも、決定を下すのは自分。
断行する人間に思慮深さはいらない。

伊藤は、木戸と大久保のいいとこを踏襲してたんだろう。
だから、木戸と大久保と両方いた方が、伊藤一人よりいいに決まってる。

西郷はわからん。勝がほめまくってることしか知らない。
なんか、木戸や大久保よりすごいプラン持ってたのかも知れないけど、見たことない。
残ってない、ということかもしれない。

幕末の三傑なら、高杉、坂本、西郷
幕末維新の三傑なら、木戸、大久保、勝
維新の三傑は、井上、伊藤、大隈
総合すると、岩倉、久光、春嶽
473名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/24(土) 05:22:19 ID:2AulfO+W0
西郷の代わりなんていない

志士の中でも古参だし殿様の斉彬にわざわざ抜擢されたほど、天下の人心を糾合できる奴が英雄だとすると当時西郷しかいないね
474名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/24(土) 07:04:08 ID:bTgJgOjE0
一般に人望があると言われている人物をこき下ろすことで
少しでも矮小な自分の現実を忘れることが出来るのだろう。きっと。
475名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/24(土) 07:21:21 ID:KN9P85pA0
倒幕三傑、高杉、坂本、西郷
維新三傑、大久保、木戸、岩倉
新政府三傑、大村、江藤、副島
明治三傑、大久保、伊藤、小村
476名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/24(土) 07:27:08 ID:TqQn4dfH0
坂本龍馬が言っている。
「西郷は馬鹿なり。大馬鹿なり。大きく叩けば大きく響き、小さく叩けば
小さく響く。」
西郷は器はあった人だが、中身は空洞だったんだ。だから周囲に有能なブ
レーンがいた幕末期は、政局の中心で活躍できたが、明治になってそうし
たブレーンが新政府の要職について離れていくと、精彩を欠き、最後は政
府から出ざるを得なくなったわけ。
477名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/24(土) 07:35:36 ID:2pz5OiY60
幕府三傑 松平容保、徳川慶喜、小栗忠順
478名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/24(土) 08:52:52 ID:LAA23Uql0
小説の“竜馬”でなく史実の“龍馬”って
西郷のメッセンジャー・ボーイだろ
その程度の人間の言うこと当てになんのか
479名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/24(土) 09:15:43 ID:OLGgbOYP0
それ以前に「「西郷は馬鹿なり。大馬鹿なり。大きく叩けば大きく響き、小さく叩けば
小さく響く。」
と言ったというのが、後世の作り話でそれを信じて「アテにならない」
と力説する>>478の言う「西郷のメッセンジャー・ボーイだろ」そこアテにならないw
480名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/24(土) 09:19:56 ID:BkqSk7+5O
>>473 だからそれは西郷が居たからそう見えるだけで、居なかったら居なかったで他の人が英雄になった可能性をなぜ考えないのですか?
木戸や大久保は、『あの時期』に具体的なことを成したから西郷よりは代わりは居ないと言ったんですよ。
後々になってもいいのならもちろん、同じことを言い出す人(実行する人)は出てきたかもしれませんが。
>>472そうですね。木戸と大久保ならば木戸が上ですね。総裁局顧問専任でしたっけ。(初代宰相)

>>475 ほぼ納得ですが坂本より中岡を。
481名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/24(土) 10:55:26 ID:TqQn4dfH0
龍馬が西郷のメッセンジャーボーイというなら、その一面はあったかもしれないが、
それは龍馬が下関へ行くと言ったから、そのついでに事づけたんですよ。
482名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/24(土) 11:57:31 ID:dIMrBTa40
>居なかったら居なかったで他の人が英雄になった可能性をなぜ考えないのですか?
考える意味がないからに決まってるじゃん。
ゲームの世界なら別だろうけど、歴史は動かんだろ。
483名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/24(土) 13:02:05 ID:P90okEay0
西郷賛美してるやつらって
郷土が生んだ日本史上最大の巨人(と教えられている)の西郷が
小才子(と教えられている)の木戸や
裏切り者(と教えられている)の大久保と
同等以下であるはずがないという一念だけで書いてるから、
内容にまったく根拠が無い、
説得力ゼロ。
人間が大きいだの、後世でも敬慕されてるだの、そんな内容ばっかり。
そういう虚飾を剥いで、
三傑を語りましょ、というのがこのスレじゃないの?
西郷さん賛美したいなら、地元の学校でも就職して、洗脳信者を再生産してろよ。
484名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/24(土) 13:10:05 ID:zgLs1tpqO
>>474
何かっていうとすぐ人望だとか矮小だとかいう単語が口をついて出てきて、
話の内容よりも自分が勝手に判断した人格的優劣の話に反らす儒教的価値観。
典型的な西郷信者だな。
485名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/24(土) 13:29:34 ID:BkqSk7+5O
>>482 あの、ログ読んでますか? >>464が大久保・木戸の代わりは居てもと書いたから>>465とレスしました(私は465です。)
そしたら>>473で西郷の代わりなんか居ないと言われたので>>480とレスしました。
そこに今さら考える意味が無いと言われても。
考える意味が無いなら『大久保・木戸の二人の代わりは居た』みたいに書いた464やその他西郷派の方々に先にどうぞ。
486名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/24(土) 14:47:03 ID:uk9ZNhL20
匿名掲示板でいちいち誰の書き込みかとか順を追ってのやり取りとか期待しても無駄。
それが分からないならバカだ。
487名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/24(土) 15:00:09 ID:BkqSk7+5O
>>486 ああ、まぁそうですね。すみませんでした。
ただこのスレ、『西郷の代わりは居ない』という言葉をよく見かけるのに、西郷に否定的なことを書くと『考えても意味がない』系統のレスが多いので。
488名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/24(土) 15:35:23 ID:GitZeXql0
どうせ配管工バカが自作自演してんだろ
ネチネチと悪口職人
489名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/24(土) 17:13:41 ID:idbud96g0
>>487
このスレに限らず薩摩、鹿児島関連のスレには病的な信者が常駐していて
ちょっとでも鹿児島人の沽券にかかわるカキコがあると、
朝の5時でも必死に反論してくる。
反論というか、ごまかし、そらし、とりつくろいの類だけど。

いくら現状の鹿児島に展望が無いからって
過去にしがみつくのもほどがある。
490名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/24(土) 17:27:00 ID:fazoeJlT0
そんな白々しい自演されても
491名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/24(土) 18:16:46 ID:N0Kd3UIG0
維新三傑に西郷が含まれるか否かが問題で
三傑の中で、もしくは明治維新の功績に関して
誰が一番かを議論するスレじゃないのになぁ

自分はやっぱ西郷も三傑の一人だと思う
木戸や大久保より政治家としては一枚も二枚も下だけど
明治政府の船出に当って軍トップとして果たした役割は大きい
492名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/24(土) 18:21:51 ID:dIMrBTa40
西郷に肯定的なことを言ったら西郷派になるのか…バカすぎるw
493名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/24(土) 18:26:07 ID:2jgaw3wj0
西郷派か、、、 褒め言葉にしか聞こえないけどな
494名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/24(土) 18:36:50 ID:BkqSk7+5O
>>492さん。西郷派という言葉を使ったのが私なのでアンカー付いてないけど一応レスさせて頂きます。
お願いですからちゃんと読んでください。>>480の私の記事は『西郷に肯定的なことを言ったら西郷派』なんて一言も言ってませんよ?

“西郷が居なかったら”を考えても意味がないかのように言うなら、
それは木戸や大久保でも同じこと。
ならば初めから、木戸や大久保に関しても『代わりがいる』みたいに言うのは間違っているというだけのこと。
495名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/24(土) 18:44:57 ID:dIMrBTa40
>>494
悪いがそんなにヒマ人じゃないもんで、前をたどって読む気などないんだw
たまたま目についたのが君の文章だったので、気を悪くしないでね。
ただ、代わりがいるかいないかの議論そのものに対して無意味と言っているわけで、
西郷だからって意味でレスしているわけじゃないよ。
496名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/24(土) 18:47:34 ID:llg2V1qf0
西郷派イコール鹿児島人だろw
西郷は偉いイコール鹿児島人の自分も偉いw

西郷が偉い根拠を示せといっても、
西郷であることが根拠だってよw
あたま悪すぎw
497名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/24(土) 18:59:10 ID:dIMrBTa40
>>496
こういうアホは一番立ち悪いw 本当の鹿児島人には迷惑な奴だな。
ちなみに俺は生まれも育ちも東京だけどな。
498名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/24(土) 19:49:44 ID:P90okEay0
>>495
「そんなにヒマ人じゃない」
「前をたどって読む気などない」
「西郷だからって意味でレスしているわけじゃない」

じゃあなんで煽りにそんなに反応して悔しまぎれなレスしてるのかな?
「議論そのものに対して無意味」と思うならなぜそれこそ無意味なレスを繰り返すの?
逃げるなら逃げる、来るなら来るで意味のあるレスを頼む。
499名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/24(土) 19:49:47 ID:9sYGkToP0
〜県民は〜県民はってのは地理お国板でやれと思うが、
牛もこっち来てんだよなぁw

不毛だ。
500名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/24(土) 21:24:58 ID:xmXT7VlQ0
>>491
俺は大村を入れるべきだと思うなあ。
戊辰戦争でも西郷よりよっぽど約にたったぞ。

西郷は維新後は、抵抗勢力に過ぎないし。
501名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/25(日) 00:36:08 ID:1obMCXtb0
大村じゃ志士歴もないしインパクトが弱い。
502名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/25(日) 01:04:23 ID:nuKMzffV0
西郷は、人に取り入るのが上手い山県は守ったが、
自分に媚びてこない大村のことは守らず、
事実上見殺しにしてしまったね。
西郷が守ってあげれば大村は三傑どころか
今の日本がそうとう違った国になっていた可能性がある
という人だよね。

西郷は非凡な能力のある人を先生と立て、
自分は一歩下がって見守るという、
そんな美点の持ち主として語られるが、
ほんとのところは、非凡な能力があっても
自分に媚びてこない人は西郷のお眼鏡には
かなわなかったようだ。

島津久光、大村、木戸、倒幕後の大久保、川路、大隈、
このへん。
自分の口で悪くは言わなくても、
配下の薩人がボロクソ言って敵対ムードをつくるのを
放置していた図が目に浮かぶ。
503名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/25(日) 01:06:56 ID:YHvt1UNy0
ま、西郷や薩摩は会津をイッペン裏切っているからね。
木戸や大村が西郷を心の奥底では信じていないのは、政治家として当然だね。
504名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/25(日) 01:08:09 ID:6s9H0HNu0
ついにこれをやる時が来たか

S 西郷大久保桂
A 勝 大村 高杉 松蔭 龍馬 久坂
B 小松 中岡 近藤 土方 河井 伊藤
C 武市 福沢 小栗 榎本 山縣 井上 佐久間
E 川路 大隈 桐野
 :
H 清水次郎長 会津小鉄 赤報隊
 :
Z 大楽源太郎 佐々木只三郎 神代直人

さあ火をふけ
505名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/25(日) 02:18:40 ID:oLwfjGM2O
>>504
多分きてない
506名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/25(日) 02:50:45 ID:X2PZ3/ATO
>>504 そもそもこういうのはいつの時点かはっきりさせないと意味ない。後の元老クラスでも名前無い人多いしね。
(伊藤・山縣・井上・大隈 辺りが全然違ってくる。
特に井上なんかは政治力というよりは財政での人だから、総理になってないから大隈より下という単純なものではない。井上は官界に居ないときですら、明治政府に及ぼした影響力なら絶大。(これは本当に例えね。大隈より明らかに井上が上というつもりはない。
総理になった者とならない者で例えたほうが分かりやすいと思っただけで。)
だからやり直してほしいというのではなくあまり意味がないのでは?と思いました。
507名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/25(日) 04:02:42 ID:Xi8CgzPL0
すまん。504の意味がわからん。。。
508名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/25(日) 04:14:53 ID:6s9H0HNu0
そうだな
維新前後の癸丑以来から不平等条約改正までといこうか。
ただし自由民権運動はもう別の運動だ。
それらの時代の功績はあくまで志士かそれに対する佐幕、
または戊辰戦争に関わった者が前提だ。

条約改正といっても最終地点はかなり遠いので、
日清戦争が限界かな。西南戦争までは維新専従率ほぼ百パーだ
509名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/25(日) 04:34:14 ID:vUdmWwK5O
朝鮮征伐を主張したからだろ!
510名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/25(日) 05:11:47 ID:9uZAfzae0
幕末の初期の倒幕運動から〜征韓論で政府を去るまでの大事業は西郷の力によるところが非常に大きい。
第一功はまぎれもなく西郷。


>>491
政治家として一枚も二枚も下なのは明らかに木戸だろ、幕末には西郷に外交で良い様にやられて朝敵にまでされてるw
起死回生の薩長同盟で助けてもらったのも西郷のおかげ。
長州なんて政治力のなさで滅亡寸前状態、木戸が主体的に政局を動かせたことなんてなんにもない。

>>502
大村を過大評価しすぎwww
大体、大村が殺られたのは久光派の海江田や長州人なんかにだろw
そもそも西郷がなんで大村を守らんといけないの?w守るのは木戸の役目だろw

>>508
不平等条約完全撤廃なんて日露戦争終了後、日清戦争の功は主に政治面では伊藤、陸奥、軍事では川上操六の功績。
511名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/25(日) 05:19:02 ID:9uZAfzae0
>>476
>坂本龍馬が言っている。
>「西郷は馬鹿なり。大馬鹿なり。

捏造までして西郷を貶めるあたり、朝鮮人の精神そのものだなw

実際は
「西郷というやつは、わからぬやつでした。釣り鐘に例えると、小さく叩けば小さく響き、大きく叩けば大きく響く。もし、バカなら大きなバカで、利口なら大きな利口だろうと思います。」
512名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/25(日) 08:04:27 ID:X2PZ3/ATO
>>508 ダメだ。元に戻った。
あのね幕末の流れは幕府があからさまに朝廷に圧力かけたことから始まるんだから個人の裁量の範疇を越えるでしょう。
あと明治の基盤作ったのは木戸だって。何回も何回も廃藩置県・五箇条の御誓文って言われているでしょう?
別に西郷好きでも全然構いませんし個人の自由ですが、認めるところは認めましょうよ。
513名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/25(日) 08:10:35 ID:6s9H0HNu0
>>510 >>512
何に反論してるのかわからん。
508は504の対象を説明してるだけなんだが。
どう読んだってわかるだろ。キティなのか。
誰の擁護と誤読して何に反論してるのかもわからない。

異常者ウゼエ
514名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/25(日) 08:19:23 ID:X2PZ3/ATO
ああすみません。アンカーミスだ。
>>510さんに告げたつもりでした。
>>508さんすみませんでした。
515名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/25(日) 08:23:00 ID:6s9H0HNu0
井上と大隈上げた

S 西郷大久保桂
A 勝 大村 高杉 松蔭 龍馬 久坂
B 小松 中岡 近藤 土方 河井 伊藤 井上
C 武市 福沢 小栗 榎本 山縣 佐久間 大隈
E 川路 桐野
 :
H 清水次郎長 会津小鉄 赤報隊
 :
Z 大楽源太郎 佐々木只三郎 神代直人
ZZZ アンチ西郷 西郷信者 その他西郷にこだわるキティ

・維新前後の癸丑以来から不平等条約改正までだが基本は日清戦争まで
・自由民権運動は抜き
・志士か佐幕か戊辰戦争に関わった者

>>514 ラジャー
516名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/25(日) 08:45:36 ID:eYl3fDDv0
>>510
あのー、八月十八日の政変の時は、島流し中ですけど……大西郷。

むしろ第一次長州征伐処分の方が、西郷の政治力が現れてないか。
517名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/25(日) 08:57:54 ID:9uZAfzae0
>>512
>何回も何回も廃藩置県・五箇条の御誓文って言われているでしょう?
言ったからだから何なの?廃藩置県なんて旧幕臣の小栗も「構想」では持ってたよw
それを実行できなかっただけでw
518名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/25(日) 09:04:28 ID:YsSoy1Ql0
実行できたか、できなかったかは大きいと思うが・・・

>>515
ランキングに佐幕派が入ってるのは
逆説的な意味での明治維新への貢献度か?
519名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/25(日) 09:06:59 ID:6s9H0HNu0
もちろん
まさか全てを一方善一方悪と定義するような
南蛮人のようなアホな真似はする由もない
520名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/25(日) 09:08:13 ID:X2PZ3/ATO
>>515 考慮していただきありがとうございます。だいたいこんな感じかな?松蔭は与えた影響を考えるとAAでもいいような。あと中岡と龍馬はどちらの功績と取るかでランク逆転ですかね。
山縣は閥の大きさを考えるなら(日清まで入れるならその頃には)伊藤らと同格?
赤報隊は本来もっと評価されるべきなのにね。

>>517 もういいです。それこそ何回言ってもループなようで。

西郷・高杉・龍馬・あと真田信繁あたりの信者さんと話すときはある程度諦めないとダメですね。
521名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/25(日) 09:16:25 ID:9uZAfzae0
「実行」できた理由=西郷の政治力によるところが大きい
つまるところ西郷が政治における結果責任を一番はたしたということw

政府方針の基本になる船中八策だって、長州の長井が早い時期にほぼ同じ案を出したが朝敵にされてるし
後に大隈重信が我々のやってることは、全部小栗の構想のパクリじゃねーかと言ってるが

長井も小栗も案はあっても「実行」で失敗してるから朝敵扱いになってるんだよw
522名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/25(日) 12:28:12 ID:nuKMzffV0
>>510
>>511
>>517
>>521
おまえはまだ言ってるのか。
おまえは実行力だの政治力だの
何か大事なことを言ってるつもりになってるようだが
その実なにも言ってない、ただのごまかし野郎だってことに気付けよ。

政治力に重きをおくなら、
西郷を上京させ廃藩置県を断行した木戸が上で、西郷はただの大きめの駒にすぎんわな。
大村もそう。
大村を見殺しにしたことを考えると
積極的に大村の幕下に入ったというより
そうせざるをえない政治的な現実があったわけだ。

実行力にしてもおまえの言ってる実行力って
ぼんやりしていて何が言いたいのか分からんわ。
この時期に倒幕維新にかかわった人物で
実行力がともなってなかった奴など
いないと思うぞ。
実現できたかの違いで。
その点、西郷は薩摩という背景があってよかったな。
背景が無ければ相手にされていたかどうか。
523名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/25(日) 13:33:27 ID:1obMCXtb0
大村が見殺しにされた?誰に?
524では改訂:2009/10/25(日) 14:35:24 ID:W0ezaWwC0
特 松蔭 ペリー
S 西郷大久保桂
A 勝 大村 高杉 龍馬 久坂
B 小松 中岡 近藤 土方 河井 伊藤 井上 山縣
C 武市 福沢 小栗 榎本 佐久間 大隈
E 川路 桐野
F 相楽総三 with 赤報隊
 :
H 清水次郎長 会津小鉄
I 黒駒勝蔵
 :
Z 大楽源太郎 佐々木只三郎 神代直人
ZZZ アンチ西郷 西郷信者 その他西郷にこだわるキティ
525名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/25(日) 15:25:37 ID:/UCtkzSK0
松陰の影響力は長州限定だからAでよくね?
高杉、久坂をBに落とせばいい
526名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/25(日) 16:05:23 ID:mJGM2cFJ0
Sは慶喜、西郷だろ、この二人じゃなきゃ明治維新はできなかった

慶喜の場合上手く負け役を務めたために日本版の南北戦争は避けれた
527名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/25(日) 16:30:49 ID:X2PZ3/ATO
>>525ああそうか。後に長州系の天下になるから松蔭めちゃくちゃ凄く思うけど、影響受けた人数的にはそんなに多くないんですよね。
そしたらAでいいかも。
高杉のクーデターがなくちゃ長州は動かないから幕末だけなら高杉>伊藤ら だけど明治に伊藤らが誇った影響力を思えば総合なら確かに高杉と同格でもおかしくないか。
528名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/25(日) 17:36:21 ID:sa9tD9u30
ZZZZZZ ★と戊辰研究会&会津厨&新選組厨
529名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/25(日) 17:52:44 ID:1obMCXtb0
投稿者の色が偏ってきたな、このスレも…
近藤・土方がさりげなくBにランクインって…w 基準がわからん。
530名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/25(日) 19:43:23 ID:Z4oW4LNm0
>>510
薩長同盟などなくても長州は勝っている。
その勝ち馬にのったのが薩摩ということだ。
実際隣国の津和野や芸州藩などは長州と繋がっていた。
薩長同盟マンセーってのは。ただの龍馬の功績を捏造したい司馬信者だな。

つか、もっといえば薩長同盟なら中岡を評価すべきなんだろうが、まあいいや。
531名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/25(日) 19:47:15 ID:Z4oW4LNm0
>>521
小栗の構想と、明治維新は全くの別物。
小栗の構想はどこまでいって、幕府権力の強化に過ぎない。
532名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/25(日) 20:09:52 ID:amLzfBLi0
倒幕三傑、高杉、坂本、西郷
維新三傑、大久保、木戸、岩倉
新政府三傑、西郷、江藤、大久保
明治三傑、大久保、伊藤、勝
533名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/25(日) 20:19:52 ID:1obMCXtb0
>薩長同盟などなくても長州は勝っている。
さすがにここまで来るとね…吹いてしまったw
534名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/25(日) 20:30:06 ID:ISIlq/MtO
桂がどれだけプライドへし折って京都に行ったかww
長州だけでできたらとうにやっとるわ
535名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/25(日) 20:41:34 ID:Z4oW4LNm0
>>533
武器の密輸は、上海ルートで行う予定だった。
実際同盟が出来る前に、大部分の武器は密輸済み。

つまり薩摩がいようといまいと、長州征伐の結果はかわらないよ。
その後の倒幕はスムーズにはいかないだろうがな。

だが滅亡寸前というのはどう考えてもおかしい。
536名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/25(日) 20:46:57 ID:j0DDViOq0
>>532
倒幕三傑:西郷、大村、勝
大村>高杉、坂本は橋渡ししただけ

維新三傑:西郷、木戸、大久保
これは従来言われてる三人でいい

新政府三傑:木戸、大久保、江藤
明治政府の基礎を作ったのならこの三人

明治三傑:伊藤、山縣、井上(←?)
とりあえず勝はない。不平不満タラタラの余生送ってた
537名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/25(日) 20:53:00 ID:1obMCXtb0
名義は薩摩藩で武器を購入したってのが定説だと思っていたが、
当時の長州藩が密輸にしろ直接外国と貿易なんかできたわけ?
538名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/25(日) 20:59:11 ID:E/3w+YRpO
>>535
でも薩摩が萩口での参戦拒否をしなかったらかなり危ないぞ
数万の薩摩と1000の長州じゃ大村をもってしても到底無理

>>537
長州は薩摩より2年ほど早く英国に密留学生を送っているから、
その頃からコネはあったんだろう
539名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/25(日) 21:03:53 ID:1obMCXtb0
たかが留学生にそこまでのコネがあるとは思えんが。後年はともかく。
それとも長州ファイブのコネだけで武器を購入できたっていう証拠でもあるの?
ソースがあれば納得するが。
540名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/25(日) 21:25:30 ID:UOSwSGjZ0
木戸オタの長州信者が同盟なくてもとか吹かしてるけど
同盟ないなら薩摩も敵に回ってフルぼっこにされるだけw
541名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/25(日) 21:29:56 ID:MTYXaIO70
倒幕で
大村>高杉

とか言ってるやつなんなんだ
本当に維新史知ってるの?

高杉ラインの途中に大村が桂にスカウトされただけだよ。
坂本がただの橋渡し役ってんなら
大村はもっとカカシになってしまうが。
542名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/25(日) 21:30:40 ID:X2PZ3/ATO
>>536 納得。明治の井上はが明治の三傑に入るのは影響力というなら全然間違ってない。
総理にはなってないけど、維新後明治という時代中ずっと、総理が誰であれ大蔵相よりも国のお金に影響力誇ったんだから。伊藤よりではあるけど山縣内閣や大隈内閣の時でもそれなりに助けて財界動かしてるし。
ある意味1番安定して影響力を誇ったと言えるかも?
543名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/25(日) 21:33:57 ID:j0DDViOq0
>>541
高杉ラインって何?
長州藩の軍の近代化は村田蔵六に一任されたんだよ
四境戦争でも総司令官は高杉じゃなくて大村だろ
544名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/25(日) 21:36:22 ID:X2PZ3/ATO
>>542 確かに。
>>536さんのに納得と書いたけどそれだけは高杉>大村かな。高杉居なきゃ長州は俗論派政権だったわけで、維新も何もなかった。

でも坂本は小説の影響受けすぎてると思うな。実際の功労は中岡が大きいんじゃないですかね。
545名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/25(日) 21:37:52 ID:MTYXaIO70
薩摩がいなくても長州は勝ててるって・・・
一般には長州は滅亡へ突き進むしか無い状態だったから
薩摩がいなかったら倒幕なんて死んでも出来ないけど。

でもそのレスよく読むと最後は龍馬否定なのか。
俺りゃまたてっきりアンチ薩摩がイカレたのかと思った。

なんかイタい意見に注釈入れてくと
全部同じ嗜好の奴にぶつかるのはなんなんだろ。
546名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/25(日) 21:39:45 ID:X2PZ3/ATO
アンカーミスした。自分のにアンカーしてどうする。542じゃなくて>>541さんへのレスでした
547名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/25(日) 21:39:54 ID:MTYXaIO70
>>53
高杉が始めた長州内戦からそのまま幕長戦争に繋がってるんだよ。

というかふと思ったけど、ここで司馬信者たたき?みたいな執着してる自演の人って、
司馬すら読んでないよな。
知識自体を仕入れてない。
548547:2009/10/25(日) 21:40:38 ID:MTYXaIO70
>>53・・・×
>>543・・・◯
549名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/25(日) 21:45:32 ID:MTYXaIO70
>>544
中岡さんが実際に先に動いてた人ですよね。
龍馬の方が顔があったのかも知れないけど。
550名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/25(日) 21:47:35 ID:Z4oW4LNm0
>>537
もともとは国内では幕府が五月蝿いから、グラバーを通じて上海で購入する予定だった。
ただ薩摩とパイプが出来たので、薩摩名義で購入できるようになった。
それだけの話。金を出したのは長州だから、別に薩摩がいなくても、
全く影響はなかった。
>>539
英国の武器商人は金さえ出せば誰にでも売るよ。
何言っているんだ?
四カ国に砲撃した時でも、英国のアームストロング砲を購入して、
海峡を通過する商船にぶっ放していたんだぞ。
551名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/25(日) 21:50:24 ID:MTYXaIO70
中岡−龍馬みたいな状態って近い感じのは他でもあるよね。
久坂とか小松帯刀とか。
552名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/25(日) 21:51:47 ID:Z4oW4LNm0
>>538
萩口は言っているように、念のために大村が待機していたんだよ。
攻めてこないと分かったから、益田方面に侵攻しただけで、

そして薩摩に数万の兵力はないぞ。戊辰戦争の時に動員した兵力は7000といわれている。
士族全部根こそぎ出兵すれば、西南戦争並みは動員できるだろうが、
藩財政がやばいし、そこまでの義理はないだろ。
553名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/25(日) 21:58:53 ID:1obMCXtb0
>>550
ソースを示してくれんかな?
全くのでたらめを語られても納得できんぞ。
馬関戦争で長州藩がアームストロング砲を使っていたなんて、嘘っぱちもいいとこだろ。
青銅砲しかないから次々と撃破されて散々だったんだよ。
554名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/25(日) 22:01:19 ID:Z4oW4LNm0
>>544
高杉よりは、山縣だろう。高杉についていったのは、奇兵隊の一派だけで、
100人程度、奇兵隊の総督である山縣が動いて、(当時は確か赤根は失脚していたはず)やっと戦えるようになっただけで、
そして実際指揮とっているのは山縣だろうしなあ。
555名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/25(日) 22:06:09 ID:j0DDViOq0
高杉はクーデターとか武功は派手だけど
奇兵隊の軍政面は山縣が握ってたし
過大評価の気がするんだけどな
クーデターの直後に亡命してるし
長州の権力闘争に勝ったのは大きいが
倒幕に直結するほどの功労は大村の方が上じゃないのか
556名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/25(日) 22:09:43 ID:Z4oW4LNm0
>>553
長州が用意していたのは、当時は欧州で普通に使われていた、
要塞砲。外に輸入したアームストロング砲が数門。

さらに次々と撃破されていたは間違いですな。
死傷者は四カ国艦隊の方が多く、また英国の旗艦にも多数命中しており、
艦長以下士官が何人か死傷している。
長州側の砲撃があまりにきついから、上陸して、長州の砲門を無力化させたわけ、
青銅砲ってのは、大砲が足りないからってんで、自前で鋳造したもの。

ソースは田中彰
557名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/25(日) 22:34:58 ID:UOSwSGjZ0
長州がアームストロング砲あるならあんな惨敗せんわな長州信者w
薩摩信者と馬鹿にしてたが長州信者のほうがおかしいなw
558名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/25(日) 22:38:11 ID:1obMCXtb0
>>556
馬関戦争の頃は禁門の変と時期が重なり、主力が京都へ行っているのに、
京で長州勢がアームストロング砲を使ったことを聞かないのは何故?
馬関戦争では大砲の数が足りずに木製の砲をダミーとして作ったのは知ってるw 陸戦でも旧式銃や槍弓矢の守備兵ばかり。
死者数は四国連合艦隊のほうが若干多いが、長州藩の砲台はことごとく破壊されたあげくの完敗だろうが。
559名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/25(日) 22:39:15 ID:MTYXaIO70
いいですかい

 ←・・・・・劣勢(久坂さん自刃・桂乞食コスプレで逃走)

   1864/7      1864/7       1864/7  1864/6  1863/8    
  .−四国連合艦隊←第一次長州征伐←蛤御門←池田屋←七卿落ち
 ↓
1864/11
藩内粛清
 |
 |  1865/1    1865/1        1865/3              1866/6
  `→功山寺挙兵→大田・絵堂の戦い→藩論倒幕転回→(薩長同盟)→第二次幕長戦争→維新へ

 優勢(高杉マジック・火吹きダルマ登場)・・・・・→

まあ高杉マンセーする気は無いがスタートラインを作ったのはこいつ。
長州は終わってたから。そして大村なしでは維新は無理だったのも確か。
560名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/25(日) 22:41:29 ID:MTYXaIO70
高杉挙兵が無かったらそもそも四境戦争そのものが起こらない。
561名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/25(日) 22:43:12 ID:Z4oW4LNm0
惨敗というが、死傷者は四カ国連合の方が多く、
英国は旗艦以下、多くの船が被弾して、士官にも死傷者がでている。

なおこの時の艦隊数17隻、砲門数は諸説あるが、最低の数字でも、
170ほど、陸戦隊が1500人。
これはアヘン戦争の時に匹敵する。
なお薩摩の時は7隻で、陸戦隊は積んでない。

そしてアームストロング砲は破壊力と射程に優れた最新兵器だが、
運用というか整備に難があったからな。
562名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/25(日) 22:43:38 ID:UOSwSGjZ0
長州信者の特徴
木戸、大村をやたら過大評価w
長州は独力でも幕府を倒せたと無敵幻想w
563名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/25(日) 22:50:08 ID:Z4oW4LNm0
>>558
長州が入手したという記録があり、馬関戦争欧米から購入した大砲を、
多数使用していたという記録があるわけだが、
お前は何を言っているんだ?
京の遠征軍が使用していない事と、それを下関で商船にぶっ放していた、
事はなんら矛盾しないというか、むしろ符合するわけだが?
564名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/25(日) 22:53:39 ID:Z4oW4LNm0
>>562
長州征伐に関して言うなら、薩長同盟があろうがなかろうが、
結果は変わらない。
その後の戊辰戦争は無理だろうが。幕府には再征とかする余裕はないから、
その後は、高杉のいう大割拠になるだろうな。
565名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/25(日) 22:55:04 ID:UOSwSGjZ0
>>563
長州がそんな凄い砲を持っていたのになぜ彰義隊討伐に佐賀からアームストロング砲かりてるの?
566名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/25(日) 22:56:35 ID:MTYXaIO70
で薩長同盟の大きいところは実際の戦闘云々よりもその準備。

高杉が藩内戦争に勝利した段階で幕府は次の征伐の準備に入った。
このときに薩摩は征長ではなく援長の行動を開始する。
このとき大村や龍馬やいろんな人達が現われる。第二期登場ラッシュ。
567名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/25(日) 22:59:47 ID:1obMCXtb0
>>563
長州が馬関戦争時にアームストロング砲を購入したというソースが見れんとなw
その記録とやらを知らんもんでな。山口出身の歴史家を出されても一般人にはわからんぜ?
アームストロング砲は上野戦争時に佐賀藩が日本で始めて使ったものではないんかい?
568名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/25(日) 23:00:04 ID:Z4oW4LNm0
>>565
長州の保有していた大砲の多くは、馬関戦争で破壊されたり、
拿捕されているぞ。欧米の美術館とかに展示されていたりする。
569名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/25(日) 23:02:43 ID:1obMCXtb0
これは失礼
×:佐賀藩が日本で始めて使った
○:佐賀藩から借り受けた大村が日本で始めて使った
570名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/25(日) 23:05:16 ID:UOSwSGjZ0
アームストロング砲はそもそも輸出が禁止されていた
それを日本でもっとも先進的な佐賀藩が極秘に生産して国内で使われたわけで
武器でいえば佐賀や薩摩は自藩で製造できるほどの工業力があった
571名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/25(日) 23:08:43 ID:1obMCXtb0
>>570
これは納得。とくに鉄製砲を自前で生産できる技術は佐賀しかなかった。
572名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/25(日) 23:11:34 ID:Z4oW4LNm0
>>570
輸出禁止は嘘だな。ソースは司馬か?
小説家と、歴史研究家、どっちを信じるといわれたら、誰でも小説家は信じないだろう。
573名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/25(日) 23:15:14 ID:BTg1pYFy0
アームストロング砲は1858年に英国で採用、
当初は秘密兵器として輸出が禁止されていたはずだが。
ちなみにろ獲された長州の砲は当時国産の80斤砲。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8B%E9%96%A2%E6%88%A6%E4%BA%89
の有名な写真をみてもアームストロング砲は一門もない。
砲尾が分厚い奴がひとつもないのでわかる。
(もちろん手前にあるはずだという反論はありだがw)
574名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/25(日) 23:19:12 ID:BTg1pYFy0
>>572
いやほんとですけど?
つか常識に類する話。
ブログだけどこれでいいか?
ttp://74.125.153.132/search?q=cache:Zb0WEQLzrjQJ:plaza.rakuten.co.jp/rekishidoukoukai/diary/200701110000/+%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%80%80%E8%BC%B8%E5%87%BA&hl=ja&ie=UTF-8

つか、なにを根拠に嘘だなとかいっているわけ?
575名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/25(日) 23:24:33 ID:Z4oW4LNm0
>>573
前田砲台は、長州側の複数もっていた砲台のうちの一つだが、
なにがいいたいんだお前は?
576名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/25(日) 23:28:19 ID:Z4oW4LNm0
>>574
ネットソースなんかソースにならねえんだよ、誰でもかけるんだから、
文責もないからな、ウィキなんてその最たるものだ。
なんなら俺が今から書き換えておこうか?
その程度のものになんの意味があるんだ?
577名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/25(日) 23:30:35 ID:BTg1pYFy0
>>573
>長州が用意していたのは、当時は欧州で普通に使われていた、
>要塞砲。外に輸入したアームストロング砲が数門。
というので当時の写真を出しただけなんですが?
ごらんのとおり、アームストロングどころか国産砲しかありませんね。
長州藩は当時数少ない洋式砲の国産化に成功した藩ですしね。
なに、君がそうではない他の砲台ではふんだんに使われていたというソースを出せばいいだけの話ですよ。
578名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/25(日) 23:35:29 ID:BTg1pYFy0
>>576
そりゃ単にあんたがアームストロングについて知らないだけでw
どうしてもっていうなら歴史群像のNo.91、08年10月号を参照してくれ。

んで、逆に聞きたいんだがお前が脳内で妄想した
長州のアームストロング砲に何の意味があるんだ?
再度繰り返すがソースを出してくれ。
579名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/25(日) 23:43:56 ID:UOSwSGjZ0
長州はそもそもまともな砲兵がいたのか?
鳥羽伏見の戦いの時にも薩摩のほうを提供され大山厳に砲の扱い方聞いたらしいが
580名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/25(日) 23:50:42 ID:Z4oW4LNm0
>>577
自分のだした写真に写っていないから、存在しないとか言われてもねえ。
ちなみに長州藩が下関のもっていた砲台は、
前田砲台、城山砲台、関見台砲台、茶屋砲台、杉谷砲台、壇ノ浦砲台、八軒屋砲台、
山床砲台、弟子待砲台、亀山砲台、洲岬砲台、駕籠立砲台、御裳川砲台、永福寺砲台、
とやまほどあるわけだがwこれ以外にも陣地が複数、
581名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/25(日) 23:52:08 ID:1obMCXtb0
で、ことごとく破壊されたわけかw
582名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/25(日) 23:55:52 ID:Z4oW4LNm0
>>578
歴史群像の高杉晋作をもっているが、
長州がアームストロング砲をもっていたと書かれているわけだがw
>>579
いたんだが、過激派の志士に、馬関戦争前に暗殺されてしまったという。

そして大砲なんて、型が違えば当然使用方法は異なるから、
聞くのは当たり前だろう。
583名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/26(月) 00:04:51 ID:ZOZzhlHK0
>>582
はあ、とすると長州は
当時イギリスのみに納入していたエルズウィック砲兵会社に交渉して
輸出禁止のアームストロング砲を入手した、と・・・
それともウリッチ王立造兵廠から入手したのかな。
グラバー程度の田舎武器商人には無理な事ですよ、それ。

君のあげた書物のどこにどのように書かれているか教えてくれない?
584名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/26(月) 00:06:26 ID:xppPNTtB0
>いたんだが、過激派の志士に、馬関戦争前に暗殺されてしまったという。
ああ、中島某とかっていう肥前だか九州出身の砲術師な。
長州の攘夷ために雇われていたわけだが、砲台の稚拙さを見て「まるでなっとらん、外国の力をなめるな!」と
初戦で商船相手にいきなり大砲をぶっ放して調子に乗ってる久坂らを諌めたところ、
夜になって過激派のバカ4、5人に滅多斬りにされたらしい。この頃の長州なんてその程度。
585名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/26(月) 00:12:35 ID:WoHMNnaD0
>>583
当時の輸入先がグラバーかどうかはわからんぞ。
というか所有していたとはかかれているが、どっからの流れ者かまでは、
書かれていないからな。

ソースは複数あるが、お前にはこれで十分だろう。
歴史群像シリーズの高杉晋作。外にも長州の砲台や砲門についても書かれている。
お前のソースは歴史群像だったっけ?なら丁度良かろう。
586名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/26(月) 00:15:47 ID:ZOZzhlHK0
あ、ひとつだけ可能性があった。
アームストロング社が製造した大砲は全部アームストロング砲と表記される事があるので、
単なる同社製の砲が輸入されたってことならありうるな。
つか、この時期に輸入大砲って幕府許可とらなくてできるのか?
587名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/26(月) 00:19:12 ID:ZOZzhlHK0
>>585
いやあなたが洋式砲を輸入砲と間違えている可能性が非常にたかいので聞いているんですよ。

>お前のソースは歴史群像だったっけ?なら丁度良かろう。
だから引用するならページ数なり、そこでどう書かれているかを聞きたいんだが・・・
588名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/26(月) 00:23:57 ID:WoHMNnaD0
>>587
いや俺のミスはありえない。書かれているものが間違っているか、
お前が嘘をついているかのどっちか。そして書かれているものが間違っている可能性は低い、
何故なら、他の本でも見かけたからな。

そして歴史群像のなら、書かれている場所は、最初のカラーと写真で書かれているところで、
一番最後のところだな。
589名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/26(月) 00:27:46 ID:WoHMNnaD0
んで、なんで幕府の許可をいちいち取る必要があるのやら、
密輸でも、密航して海外で買い付けなど、いくらでも方法はあるわけだが。
藩ぐるみで実行しているわけだから、抜け道など山ほどある。
そもそも西南雄藩で密輸していないほうが珍しいわ。
590名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/26(月) 00:29:09 ID:+zzjajK00
そろそろ話を元の西郷に戻さないか
それか別のスレ立ててそっちでやるとか
591名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/26(月) 00:31:36 ID:ZOZzhlHK0
>>588
だから具体的にといっているだろうに・・・手元にあるんだろ。
こういうふうに
歴史群像NO91.P157「アームストロング砲」より
「一方で、イギリス政府はアームストロング砲の輸出制限を解除しなかったため、
 軍から返却された在庫の処分についてもひと悶着あったようだ」
これが1864年のこと、この直後に南北戦争で解除された事が書いてある。
592名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/26(月) 00:35:08 ID:ZOZzhlHK0
>>589
>密輸でも、密航して海外で買い付けなど、いくらでも方法はあるわけだが。
>藩ぐるみで実行しているわけだから、抜け道など山ほどある。
あの〜、この当時、長州は西欧との密輸なんかやってないんですけどw
そういう適当な事言うから君の言う事が信用ならんのだがねえ。
593名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/26(月) 00:35:49 ID:xppPNTtB0
>>589
薩摩は幕末、生糸を外国へ売りつけて、その元手で堂々と外国から武器を買っていたが、それでも幕府の許可をとっている。
これそれを購入しますっていう申請書を幕府に送りつけて、幕府は愚かにも許可していたわけだが。
幕府が横浜鎖港を公約する直前の世相を知ったほうが良い。
594名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/26(月) 00:38:08 ID:WoHMNnaD0
だから間違いなくアームストロング砲と書かれている。
アームストロング社製の別の砲とかは掛かれてないね。
また長州の用意していた要塞砲も、当時の最新鋭ではないものの、
欧米の標準装備であり、武装の弱さではなく、運用の問題と書かれているな。
当時の欧米の要塞などの写真とあわせて書かれて比較されている。

疑うなら、図書館でもいって確かめてこいと。
595名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/26(月) 00:43:38 ID:ZOZzhlHK0
>んで、なんで幕府の許可をいちいち取る必要があるのやら、
下関戦争は幕府の攘夷決行命令に従って行われてますがなにか?
賠償金も幕府持ちですぜ。
また、この当時、武家の統領である幕府の許可も得ずに
武器の輸入なんかできるはずもないんですが。
長州藩もそこまで幕府を無視していた時期ではないし、
というか中央政界からはじき出されて無視するようになったのが史実。

というより自分で密輸だの密航だの、
海外貿易が幕府経由でないと何も出来ないのが大前提じゃないか。
しかも最新鋭の機密兵器アームストロング砲を買い付けられるルートがあったとしたら、
それは幕末史上の大発見なのですがw
596名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/26(月) 00:49:25 ID:xppPNTtB0
まして八月政以降、国内で孤立していた長州が幕府に武器購入を届け出るわけもないし、
幕府が許可するわけもないw
597名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/26(月) 01:10:18 ID:WoHMNnaD0
>>592
当時が何時を指すのか知らんが、砲撃前なら普通に行っている。
63年とかでも普通に軍船買ってる。
>>593
軍船を買って、その中に武器を満載とか、海外に密航して、海外で購入とか普通の話だろう。
>>505
長州が朝廷を動かして、打ち払い令を幕府にださせてそれに従った形。
幕府がへタレで、長州のいいなりになって、武器購入許可をだしたのか、
幕府を完全に無視していたのか、どっちかしらんが、
少なくとも、大砲も軍船も関係なく買えていたのが史実。
598名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/26(月) 01:22:53 ID:xppPNTtB0
>軍船を買って、その中に武器を満載とか、海外に密航して、海外で購入とか普通の話だろう。
普通じゃないよ!何を言ってるんだ君はw
599名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/26(月) 02:35:07 ID:fYPPCAxO0
あのー
アームストロング砲は高杉が長崎で衝動買いするくらいミーハー化してたし
佐賀人が国産で作っちまうくらいだから、そんなに購入に敷居は無かったと思うよ。
でも上海で初見の高杉が二年後には馬関でバンバンぶっ放すってのは
どう考えても無理だろう。

それにもしそうだとすると、兵部太夫大村益次郎の功績も半分くらいは消えちまうね。
彼が来て始めて長州の軍政改革が実現した、という功績だから。剛腕砲も彼が話を取り付けた、という話だったし。
600名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/26(月) 06:10:06 ID:s0AKRY6p0
お前ら大西郷は何処行ったw
601じゃとりあえずここまで反映:2009/10/26(月) 10:24:32 ID:fYPPCAxO0
特 ペリー アームストロング砲
S 西郷大久保桂 慶喜
A 勝 大村 高杉 龍馬 久坂 松蔭 中岡 江藤
B 小松 河井 伊藤 井上 山縣
C 武市 福沢 榎本 佐久間 大隈 近藤 土方
E 川路 桐野
F 相楽総三 with 赤報隊 小栗
 :
H 清水次郎長 会津小鉄
I 黒駒勝蔵
 :
Z 大楽源太郎 佐々木只三郎 神代直人
ZZZ アンチ西郷 西郷信者 その他西郷にこだわるキティ ★と戊辰研究会&会津厨&新選組厨
602名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/26(月) 10:34:01 ID:V2WqU9zP0
+評価(倒幕派)と−評価(佐幕派)の人物を
同じランキングの中で議論するのは難しい
倒幕側だけのランキングにすべき
つーか、ランキング自体荒れるからもうやめね?
603名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/26(月) 11:07:57 ID:fYPPCAxO0
このスレ自体が荒れることを目的としたスレだろ
604名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/26(月) 11:12:23 ID:fYPPCAxO0
ちなみに選考基準はこうだ

・維新前後の癸丑以来から不平等条約改正までだが基本は日清戦争まで
・自由民権運動は抜き
・志士か佐幕か戊辰戦争に関わった者
・その他なんかすごいやつら
605名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/26(月) 11:19:22 ID:9GUHcGla0
>>599
>佐賀人が国産で作っちまうくらいだから

それは司馬遼の創作。
佐賀藩が輸入したアームストロング砲は、会津戦争等で活躍したけどね。
606名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/26(月) 12:35:08 ID:4XIarOKs0
もうそっとしとけ
またスレ乗っ取られて罵り合い始められたらたまらん
607名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/26(月) 12:48:24 ID:MWrrCv890
国産出来るほどの技術もなかったしなー
そもそもアームストロング砲もバトルプルーフが
608名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/26(月) 12:53:13 ID:4e66yaUeO
なかなかスレタイに戻らないな
維新三傑は西郷大久保木戸のままで異論はないということか
609名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/26(月) 13:37:21 ID:RqCB6O6+O
難しいよね。
このランキングの基準の範囲内に憲法は制定されているから極論すれば伊藤が1番って言い出す人がいてもおかしくない。
それに井上はその範囲内までには完全に財界の実権確たるものとして握ってたし、政府への影響力は半端じゃない(何をするにもお金はいるからね)
山縣は・・・閥の大きさは絶大だけど山縣個人としてはこんなものなのかな。山縣は個人の能力がよく判らないです。
ピーク時を思えば長州の三尊が江藤に劣るとは思わないけれど、そもそも司法を整えたという意味では江藤だしね。

それで西郷ですけど、西郷を私が三傑と呼ぶのに違和感ある理由は、多分西郷主導で新しい何を(国単位)始めたことがないからだと思う。
西郷が薩摩人に人気があった。薩摩士族の勢力は大きい。
その抑えとしての西郷は必要だったかもしれないけど、それ以外に主導した政策が無いように思う。
人望も薩摩には絶大でも(当たり前だが)国の単位でモノを見るには疑問。
610名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/26(月) 13:40:53 ID:RqCB6O6+O
留守政府の学制とかは江藤らが主導だと考えての意見です。だからこそ土肥の増長を抑えるのに西郷が留守政府に居た意味はあったとは思いますが。
611名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/26(月) 13:54:21 ID:I+Tscea/0
>>605
佐賀藩は作ってるよ、そもそも司馬の間違いはアームストロング砲を神聖化したとこ
実際は四斤山砲のほうが性能よかった

アームストロング砲が輸出禁止だったのはかなり問題あったから
612名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/26(月) 14:00:14 ID:4XIarOKs0
西郷って留守番政府の時、何やってたんだ?
司馬の小説だとダイエットに専念してたって感じなんだが
山縣を庇ってやったくらいか
613名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/26(月) 14:10:17 ID:fYPPCAxO0
だからアームストロングは輸出禁止ではないだろ。
世界中で敵にも味方にも無節操に売り続けてた武器なんだから。

ただ長州で輸入できたかっていうと
軍政改革前は無理なんじゃないかな、というのが一般論。

でこれを実現したのが長州内戦以降では、という話でしょ。

俺はこのアームストロング金剛の議論には別に参加してないから、
どうでもいいっちゃどうでもいいけど
614名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/26(月) 14:15:31 ID:fYPPCAxO0
ただなんでもそうだけど、
何かをちょっと肯定したら「お前は◯◯信者」みたいな信者認定で食ってかかるの
どうにかなんねえかな。

そこまで考えちゃいないよ。
別に人生そのことべったりってわけじゃないんだから。

ただ不快な全否定が入ったら弁護したくなるだけで。
615名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/26(月) 20:05:17 ID:OwHzuSje0
>>613
軍制改革前でも、長州は英国から船買っているから。
金だせば誰にでも売るのが、英国の武器商人。
616名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/26(月) 20:43:44 ID:ZOZzhlHK0
いやその時は幕府の上海使節団の千歳丸に便乗しているから、
誰にでも売るとかいう問題でもなく、
中央政府公認で地方候に販売しただけなんだが。
ちなみにその会社、現在でも国際コングリマリットとして活動中。
617名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/26(月) 21:03:50 ID:ZOZzhlHK0
>>613
時期の問題。輸出禁止が解けたのは南北戦争末期。
それ以降、まさに無節操に売り続けた。
というより、総計300万の兵力が争った大戦争が終結して、
拡大した武器工場維持のためにもしばらくは無節操に売らないといけなかっただけともいえる。
618名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/26(月) 21:37:23 ID:m8KQb6YT0
いい加減にしろ、鬱陶しい
619名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/26(月) 21:38:01 ID:uW89zOTP0
アームストロングスレかここはw
620名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/26(月) 21:42:47 ID:14K+fjHy0
維新三傑は西郷の代わりにアームストロング砲を入れろという主張なんだろ。

俺はガトリング砲も入れて欲しい。
621名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/26(月) 22:02:28 ID:WoHMNnaD0
>>598
密輸としてなら普通の話だが?
>>599
武装の近代化と、軍制改革は全くの別物だが。
兵器だけ近代化しても、戦争は勝てん、幕府軍が雑魚だったのはそのためだ。
>>613
アームストロング砲は、長州征伐の時に、熊本藩が普通に長州に打ちまくっていたしな。
別にマイナーな武器ではない。
なお軍制改革前でも普通に購入は可能だよ。
ただ運用できたかどうかが疑問だが。
622名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/26(月) 23:07:55 ID:xppPNTtB0
>>619
いや、薩長同盟などなくても長州は勝てたというレスから始まり、アームストロング砲に話が及び、
さっき見たらまだ続いていたw
>>621
おまえ、いい加減にしつこいよ。
ソース出せって散々言われてんのにウダウダやってるし。
もう誰も聞いてねーっつーの。
623名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/27(火) 01:23:47 ID:E45mqDgB0
>>612

西郷留守内閣の主な改革。

@警視庁の発端となる東京府邏卒の採用、
A各県に司法省所属の府県裁判所の設置、
B田畑永代売買解禁、
C東京女学校、東京師範学校の設立、
D学制の発布、
E人身売買禁止令の発布、
F散髪廃刀の自由、切り捨て・仇討ちの禁止、
Gキリスト教解禁、
H国立銀行条例の制定、
I太陽暦の採用、
J徴兵令の布告、
K華士族と平民の結婚許可、
L地租改正の布告

当時これがどれだけ画期的だったか、想像できなきゃおかしい。
624名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/27(火) 01:38:18 ID:IzfCfzhD0
>>623
>>612が聞きたいのは、留守聖譜というより実際に西郷どんがやったことだと思われ。
そこに挙がってるの、大体江藤やら山県やらの唾ついてるやん?
違うかな。
625名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/27(火) 01:38:52 ID:UiRq12gP0
>623
やってるのは江藤、井上、大隈あたり?
西郷がやった、とされてるのはどれ?
626名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/27(火) 01:44:32 ID:IzfCfzhD0
まぁ個人的には、参議クラスになると、実地の政務政策より
大局を導いてく方になるんじゃないかなぁとは思うが。
大久保 vs 木戸の大阪会議みたく。

その点、西郷どんは実際どういう日本を目指していたのか分かり難いと思うんで
俺には判断付きかねるんだよなぁ。
大久保や木戸は分かり易いんだが。
627名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/27(火) 04:01:30 ID:u+zTbRXg0
>>622
俺はソースをだしているが?
それを否定する発言は皆無。何言ってんだ?
馬鹿じゃねーの?
628名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/27(火) 04:36:20 ID:u+zTbRXg0
>>623
革新系の官僚の仕事だな。
音頭をとった人間にしても、銀行令は井上、太陽暦は大隈、徴兵制は山縣、
司法庁の設置は江藤(大蔵省の影響力削減が狙いだが)学制は大木
地租改正にしても、西郷は反対派だろう、薩摩だけは地租改正が後回しだったからな。
629他スレからのコピペだが、 ◆zR/LhJxu0Q :2009/10/27(火) 08:06:22 ID:rsrSSg0L0
( <天皇制って生活保護と同じ>  スレより抜粋してコピペ )


214 :あのな、とりあえずな、 ◆zR/LhJxu0Q :2009/10/27(火) 07:39:16 ID:rsrSSg0L0
皇室関連の雑誌を一冊手に取って、 天皇陛下や皇太子殿下の、
一日の公務のご予定をつらつらつらーーーっとめいいっぱい書き記した、表だけでも読んでみろ。

それを読んだだけでも、もうただただ、
皇室の方々がどれほど一生懸命、私たち日本国民のために働いて尽くして下さっているか、
ってのが、涙が出てくるほどわかるから、  いいから一度読んでみろ。
過労死しそうなほどみっちりみっちりご公務をこなされているんだよ。
それは、世界各国のVIPを相手にする、非常に重い責任と重圧がかかる内容ばかりだ。

そして、皇室の方々がなさっていらっしゃるご公務の数々というのが、
特に外交的な意味合いにおいて、日本国と、我々日本国民のために
どれほど絶大に有益をもたらしていることであるか? わかるか? 


このスレ内で誰ぞが、皇室のために180億円も税金から払ってうんぬんとほざいていたが、
180億円の100倍の価値くらいの福徳を皇室の方々は日本にもたらしておられるんだ。

はっきり言って、日本のために役に立ってる度は、並みの総理大臣よりはるかに格上でいらっしゃるわ。

ともかく、同じ日本人なのに天皇制に反対しているやつらと言うのは、
自分たちがどんだけ天皇家のおかげで幸福をもたらしていただいてるのか、
その大きさを知らない奴らばかりなんだろうな。

630↑ごめん。コピペするスレを間違えた。:2009/10/27(火) 08:07:58 ID:rsrSSg0L0
ごめんなさい。 スレを間違えました。
631名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/27(火) 09:16:17 ID:4j3emQlqO
>>628 同意。
>>609の下のほうで西郷が主導した政策を思い付かないと私も書きました。
木戸は提言は多いが〜と、西郷の三傑容認の方は言いますが、反対に西郷は西郷が『発信元』の政策が無いような気が。
632名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/27(火) 16:41:49 ID:6lsT3zFbO
西郷が発信元の政策

・江戸市中で火付け、強盗、陵辱させる→大成功

・鳥羽伏見、偽錦旗で官軍を偽装させる→大成功

・使節団との約定をやぶり、勝手に征韓を推進→大失敗

・西南戦争で陸軍大将の軍服を勝手に着て、正規軍を偽装→大失敗
633名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/27(火) 20:13:41 ID:PdDHy2P20
大西郷は、他に先駆けて郡県制度や徴兵制をした津田出を過大評価したし
事実西郷内閣時に、明治維新らしい改革はほぼ行われている

大久保はその後自らが先頭に立って明治政府を率いたが
木戸は評論家気取りをしてただけ
634名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/27(火) 21:06:02 ID:u+zTbRXg0
木戸こそ郡県制や徴兵制を実行した中心人物であり、
西郷はただの抵抗勢力、いらない人間の最たるものだよ。
635名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/27(火) 22:02:18 ID:KXR8HYoUO
薩摩に引きこもってた時は木戸の開明路線を批判してたけど、
出て来たからには腹くくって廃藩置県の断行を決定付けさせ、
留守政府では嫌いなはずの大隈に一任した。
ここらへん凄いなとは思うが更に西郷が分からなくなる。
西郷本人が全然見えてこない、むしろ隠してたのかもしれないが。

いち早く開明派だった斉彬の信者なのに開明路線を否定してたのも訳分からない。
636名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/27(火) 22:10:30 ID:4j3emQlqO
そうですね。それらの案が出て方針として纏まったのは木戸宰相期。(洋行前)ですよ。実行が留守政府によるものも無いわけではないが、主導はと言われたら木戸でしょう。

西郷は、幕末からの流れで必要な人ではあったかもしれないけど(士族の抑え)新しいものを作る時に中心に立てる人物かと言われるとハッキリ、否だと思います。
士族の抑えも、最後まで抑えにまわって死んでいたら多分、もっと貢献として認められたと思いますが。(たとえ抑えきれなくても。)

西南戦争が西郷の本意ではなかったと言いますが、どんな経緯にしろ、作ることに向いていない、抑えることが仕事だった人が、最後に仕事放棄した感が否めないんですよね
637名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/27(火) 23:00:38 ID:PdDHy2P20
西郷が開明路線を批判したなんてどの事実?
そもそも西郷にしろ大久保にしろ批評を避けるだろ
638名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/27(火) 23:22:40 ID:TiyIM+Bm0
西郷も大久保も主君筋の久光が超保守的だったため
それを尊重せざるを得なかった面はある
639名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/27(火) 23:30:13 ID:IzfCfzhD0
大久保は、岩倉と一緒に明治2年に一度開明派を追い出してっつか木戸失脚させて失敗してる。
洋行して有司専制付きの急進的改革派になったが。

西郷どんは何を目指してたのか、イマイチ分からんのよなぁ。

>>633
ただの評論家気取りの無能なら、佐賀に行く大久保がわざわざ引っ張り出して内務卿まで兼務させる必要はないし、
わざわざ長州に引っ込んだ木戸迎えに行ったり、大阪会議で妥協する必要もない。結局反故にしたとはいえw

最初期ならともかく、西郷も去って威勢並ぶ者なき所までいったあの大久保が。
640名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/28(水) 00:05:41 ID:Er6s/oA10
西南戦争を南北戦争みたいに方角を表してると思ってる奴
違うぞそれは
西南戦争の”西南”は西郷南州の頭文字だ。
つまり西南戦争は西郷隆盛戦争だ。
641名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/28(水) 00:14:26 ID:D1XIhY7M0
長州閥の頭領としての木戸に眼をつけたんだろ?って見方のほうが自然な気がする。
政治勢力として長閥を見方につける必要があるのは、大久保としては当然なことで・・・
単に木戸自身の能力だけを見てお膳立てをするほど単純な政治家ではあるまい。
642名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/28(水) 00:45:23 ID:PtHvVCf+O
このスレ的に蘇峰の国民史維新三傑の内容を
住人がどう評価してるのか聞いてみたい
蘇峰の三傑の性格分類はなかなか良いとこ付いてんじゃないかと思う
643名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/28(水) 01:17:33 ID:UufCxBJw0
>>624, >>625, >>628
「最初に言ったのは僕なんだからね。僕が言いだしっぺだからね」って?
馬鹿だねえ。
実行に移せたのは西郷がいたから。実行できなければ絵に描いた餅。
西郷が中心の政府で実施したのは紛れもない事実。
いい加減、大人になれよ。
644名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/28(水) 01:29:46 ID:bPPfNIEF0
>>641
それは勿論あるが、能が無ければ、三條岩倉除いた公家連中みたく、速攻で実権剥ぎ取られてるよ。
つか、明治2年の政変では、長州閥に限らず開明派全てに木戸落としの影響が波及したから、岩倉・大久保は焦った訳で。
これは西郷どんにも言えるが、単なる無能が閥を形成して生き残れる時代でもないしね。

>>643
それは別に異論ないが、西郷どんが描いてたビジョンってのが今一分からないんだよなぁ。どういう日本にしたかったのか。
大久保・木戸は分かりやすいんだが。
645名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/28(水) 01:39:34 ID:a4kD/mcF0
西郷はむしろノータッチだからこそ
土肥が邪魔されずに
仕事しまくってどんどん実施していった
そういう意味では西郷は役に立ったけど
実行に移したのは西郷じゃない
言いだしっぺが全部自分たちでやった
西郷マンセーのあまり他人の業績まで横取りするのはどうかと
646名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/28(水) 02:13:36 ID:dKlzPCYa0
まったく逆だろ。
西郷さんはそういう「業績を横取り」なんてチンケなことを言わない人だったからこそ、
当時の人たちに愛されてたんだろ。
西郷さんの下だったからこそ実行できた。
647名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/28(水) 07:24:35 ID:6s1e3ob30
>>643
西郷でなくても全く問題なかったから、西郷なんてどうでもいいんだよ。
その下の革新系官僚が大事だっただけ、
そしてそれができたのは廃藩置県という、権限を中央が一手に握る体制をつくりあげたから。
これも西郷の功績ではない。
つまり西郷はいらない。
648名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/28(水) 07:54:15 ID:7fzBWts60
留守政府で、西郷がいたから抑えがきいてた、ってことあるのかね?
みんな突っ走ってるように見えるんだが。西郷いなかったら、もっとすごいことに
なってたってこと?例えば何?軍隊関係は西郷がいた意味あるんだろうけど
大筋として、関係ないんじゃね?大隈とか井上とか、西郷意識してなんかしたり、
やめたりしてないと思うが。江藤も。

久光って保守的といわれるけど、そうなの?
新政府に反感持ってるのは間違いないけど、薩摩の廃仏毀釈って普通じゃない。
殿様の菩提寺も壊したってことは、久光はそれ納得してるわけだろ?
ものすごい開明的つーか進歩的つーか、どっちにしろ保守派じゃないと思うが。
649名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/28(水) 08:14:36 ID:6s1e3ob30
んーとたとえるなら、今のぽっぽ内閣だな、
ぽっぽにはなんの能力もなく、
自分の不祥事で尻に火がついている状態で、さらに小沢の傀儡なので、
影響力皆無だから、閣僚が全部好き勝手やっている。

最も今の閣僚と、明治維新の時の大臣では天地ほどの能力に差があるが。
650名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/28(水) 09:13:19 ID:ZPRe4B+k0
薩摩の反仏は今に始まった話じゃないから。
久光が必ずしも薩摩で全幅の親を受けてるわけでもないのでは。
むしろ内部での反権力闘争が島津の支持するものをぶっ潰しにかかってたのかもしれないし。
ただなんでこれが畿内神徒系の連中や西国西本願寺系と結び付いたのかがよくわからんのだよなあ。
薩摩ってどっちも仲間じゃなさそうだろ。
651名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/28(水) 09:13:36 ID:gU3n1gWWO
西郷がいたからこそ大隈たちが好き勝手やれた。
それを自分らの力だけでやったと過信した江藤が調子に乗って薩長追い落としかかった。
それにより失脚しかかった山県を、能力を重視して助けた西郷。
西郷がいなかったら更にバランス崩してガタガタになってたとも言えるし、
逆に西郷がいなかったら土肥が調子に乗ることも無かったかもな。
652名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/28(水) 09:37:45 ID:s04EY7EfO
実行っていうけど、そもそもの立案が出来ないなら頂点に立てる器では無いよね。方針をしっかりした論で語れなければ上に立てないよ。
なんか木戸擁護みたいになるけど、そう考えると木戸と西郷って対照的。
西郷って上が決めてくれたことについて、『○○したいからこれだけ人を動かして欲しい』と言われたら、軍関係はそれができたんだろうとは思うけど
それ以外の政治面では人を動かすというのもそこまで圧倒的な力は無かったと思うし。
木戸は自分独りで何かをやる人じゃない。(出来ないってのもあるだろうけど元々共和制、合議制主義だからそもそもそんなことする気も無さそう。)
その分、論を立てるのは上手かったんだろうな。
木戸って何かひとつに特別長けたスペシャリストじゃなくて、色んな意見を聞いて自分の中で熟考して自分の考えまで昇華できるんだと思う。付け焼き刃な意味ではなくてね。
だから木戸って本当に宰相向きっていうか、国の方向性を決める人としてはいいと思う(個人の性質もだが合議制推奨であることを含めて)
上に立って方向性を決めて、あとはその方面に長けた人に託すってタイプ。だから個人の功績にはなりにくい。(大久保はこの点、人に託すってあんまりせずに自分でガンガン進んだね)
西郷は上手く使ってくれる人の下につけば最大の(最強の)駒にはなれるかもしれないけど、1番上には向いてない。

その代わり木戸は絶対、英雄にはなれないだろうし最強の駒だと言われることもほとんど無いだろうけれど。

ただ今から新しいことを始めよう、となったら西郷だけ居ても進まない。
まずは基本的な図面書いてくれる人がいないとね。
(あんまり大久保の話にならないのは大久保は西郷が去ってからの人なので大久保の業績はあまり西郷を評価するのに邪魔にならないからです。要は木戸宰相期の様々を木戸の功績とするか西郷の功績と考えるかが大きいと思ったから。)
653名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/28(水) 09:41:57 ID:ZPRe4B+k0
いや明治の大切な時期にみんなしてヨーロッパに遊びに行っちゃったからだろ。
何しに行ったの。
自分を中心人物だと自認してる人間がそんなアホ行動起こすなんて。
なにかが取り憑きでもしたんじゃないの。
654名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/28(水) 09:45:16 ID:K/KfjDbA0
木戸はトップダウンで西郷はボトムアップだったってだけの話なのに
なんでそこまで激しく優劣競ってんの?
655名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/28(水) 09:51:28 ID:s04EY7EfO
>>654 別に競わせたつもりは無いですが。性質の差を述べただけで。
1番上が向いてる人と人に使われてこそ能力を発揮する人だと思ったから語っただけです
656名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/28(水) 09:56:00 ID:ZPRe4B+k0
東京来てたった2年で海外行っちまって
自国の地元の情勢もわかってねえの。
彼らは東京で何度も迷子になったらしいぞ。
そのとき首都に攻め込むやつがいたら2秒でアウトだったな。幕臣呼ぶか。
657名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/28(水) 10:00:36 ID:s04EY7EfO
迷子癖って木戸と江藤の専売特許じゃなかったのか(笑)
658名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/28(水) 10:39:31 ID:6s1e3ob30
ボトムアップじゃなくて、なにもしていないだけだろ。
なにもすんなと言われてて、大臣の暴走を止められなかったんだから、
指導力も危ういね。
659名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/28(水) 10:48:20 ID:2VQ5OslK0
>>653
岩倉使節団は本来、大隈使節団にになるはずだったが
大隈を国際世界の舞台に立たせたくない大久保と、
当時大蔵卿だった大久保を国内から追い出したかった
井上・渋澤の利害関係が一致して岩倉使節団になった
結果として、使節団は条約改正に関しては成果を上げられず
国内は土肥政権が誕生していて、踏んだり蹴ったり
大久保も大失敗だったと認めてる

司馬の小説だと大久保は大隈を信頼して留守政府を任せたと
なってるけど、あれ捏造にも程があるだろ
660名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/28(水) 13:54:59 ID:NX88PaNHO
岩倉使節団の目的は元々海外視察と条約改正の下調べなんだよね。
初っ端の米で森有礼と伊藤が踊って使節団も
なぜかその気になっちゃって変な話になった訳で。
まぁその時点で約束された失敗だったなw

>>653
あれで大久保が洋務化に目覚め、木戸は前々から言ってた
憲政民権論に一応の筋道つけてきたから
全くの無駄という訳ではなかったと思うが。
661名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/28(水) 13:56:55 ID:7eywciSS0
>>659
うーん、当時、大久保・木戸・大隈の権力争いは、もう露骨だったからな。

明治2-3年、大隈が大蔵卿だった頃に民部省(後の内務省・鉄道省・逓信省・商工省)を吸収し
権限を集中させ、伊藤博文・井上馨・渋沢栄一・杉浦譲・赤松則良・前島密などの若き俊英を集めて、
鉄道・郵便・通信の開設、殖産興業、通貨制度の確立、度量衡の統一、地租改正などに辣腕を振るい、
“築地梁山泊”と言われる大派閥を作って、大隈は木戸のバックもあり「改革のリーダー」として
絶大な貢献をした。
しかし大久保は「大蔵省に権限が集中しすぎている」として、大蔵省から民部省を切り離す。
だが明治4年に大久保が大蔵卿になると、民部省を大蔵省に再合併させ、改革派を左遷させるなど
後戻りした専横が目立って、優秀な若手官僚達から「大久保さんは改革の邪魔だ」と言われるぐらいに
評判がガタ落ちになったからなあ。渋沢のような海外経験が長い若き俊英達から見れば
「大久保の頭は大した事ない」と思われているのは、大久保自身が百も承知だったろうし、
海外で勉強しなければどうにもならない事は、大久保自身よく分かってたと思うよ。
若手官僚と大久保の意思が一つになって「岩倉使節団」になったのであって
まさか留守中に征韓論が巻き起こるとは、誰も想像もしてなかっただろうな。
662名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/28(水) 14:16:37 ID:6s1e3ob30
大久保木戸大隈の権力争いってのがちょっとな。
大隈は一応佐賀だが、実質木戸の派閥の人間で、
木戸と大隈は争ってないよな。
そして木戸と大久保にしても、当時は貫目が違ったから、争うような立場じゃないし。

当時の大久保は西郷を棟梁とした、薩閥の大幹部で、
大隈は外様だが、木戸閥の大幹部みたいな立場だろうから。

その後西郷が帰ってから、薩閥の当主になったのが大久保。
引き続き長州閥のボスをやっていたが、引退しつつあったのが木戸だ。
663名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/28(水) 14:29:17 ID:7eywciSS0
>>662
だから“大隈は木戸のバックもあり、「改革のリーダー」として”って
書いてるだろ。

幕末の志士歴がほとんどない大隈を、明治政府の最高幹部に引き上げたのは木戸。
明治政府は、明治6年の政変まで薩摩>長州だったから、薩摩派の牽制のために、
木戸は優種な人間を抜擢して、なんとか薩摩に対抗している。
木戸と大久保は仲悪かった。木戸は氏ぬまで薩摩が嫌いだった。
664名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/28(水) 15:26:40 ID:ZPRe4B+k0
> 岩倉使節団
しかしだけどね
連中はまだ日本各国バラバラだった頃の各地の人間で
江戸自体が外国みたいなモンじゃないか。
生き急ぎの人生なのはわかるが日本のことを知るより先に
西洋を知りに行ってどうする。そりゃ揉めるだろ。

なんか出発点から仮住まい的な発想だよな。
だからいまだに東京は外国みたいなところなんだな。
665名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/28(水) 16:24:37 ID:6s1e3ob30
>>663
初期の明治政府を見る限り、薩摩>長州なんて図式はないが。
幹部の面子を見る限り、長州>薩摩はほぼ不動。

ただ木戸が長州閥のボスではあったが、
まあ長州らしいというか、非木戸派がけっこういたからじゃね?
前原とか広沢とか、長州閥の大幹部である彼らが、そもそも対立していたからな。

だから西郷派>>木戸派という図式なら正しいだろうな。
ほぼ薩派を束ねていた西郷と、長州閥を束ねていない木戸なら、
派閥に大きな力の差はあった。
666名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/28(水) 16:37:53 ID:PtHvVCf+O
西郷派って薩摩閥じゃないでしょ何をいってるの

長州は上下支配もなく自由で個人主義だけど何か起きたらとりあえず協力
してるイマゲ
そもそも長州閥っていろんな派閥のトップが長州出身なだけであってその
下に付いてる人間は長州出身じゃないよな山県閥も長州人少ないし
だいたい薩長閥ていうくくりじたい自由民権が言いだしただけで、実際新政府
には名前でのくくりなかったんじゃなかったか
667名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/28(水) 16:50:59 ID:QD2TwtPD0
山縣 陸軍、のち内務省も
伊藤 大久保グループ所属で工部省
井上 大蔵省、実業界

木戸は無任所のご意見番って感じだね。
井上は大久保が死ぬまで立場微妙だ。
668名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/28(水) 17:07:09 ID:PpealnN30
西郷翁は征韓論で破れ去ったが、その後すぐ政府によって征台論が進められたし。
征韓の変って結局なんだったんだか。

事実か知らんが、岩倉はずっと後年に西郷さんをあの時送っとけばよかったと洩らしたらしい。
669名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/28(水) 23:14:41 ID:s04EY7EfO
>>668 征韓・征台については大久保が完全に矛盾。
征韓は元々木戸が主張してたけど、そこから反対に変わったことはまだ納得できる。洋行で今までと違うものを見て考えが変わったんだろうなって。変わっても可笑しくないだけの刺激も時間もある。
実際木戸は征台反対で辞職している。

大久保はここばかりは完全な矛盾。
帰ってきた段階で征韓賛成してて征韓棄却されたから征台は強引にってほうがまだ納得できる。
そんなんだから江藤らを追い落とす策略とか言われるんだろうな、征韓論。
670名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/28(水) 23:23:42 ID:D1XIhY7M0
西郷さんをあの時送っていれば、って思っていたのは岩倉に限らないらしい。
日露戦争前後もずいぶんと世間で言われていたようだ。
実績からして敵側と上手く話をつけるのが西郷さんの特技だと思うので、その理屈もわからんでもない。
大久保らも西郷を下野に追い込んで、さぞ心苦しかったのではなかろうか?
671名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/28(水) 23:57:38 ID:JlLvtJwj0
>>670
なるほどね。
あまり詳しくないけど、戦にしても、出鼻だけガツンと叩いて相手が
おろおろしているところで示談に持ち込むのが得意だったみたいだね。
672名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/29(木) 00:01:49 ID:bPPfNIEF0
>>668
政治的な征韓論派を切り離した上で、征台、朝鮮開国で軍部の征韓論派を鎮静化させたという意味は有る。
結果的にいえば、西郷どんと軍部中枢の切り離し。

大久保も、征台については積極的賛成って訳じゃなかったんでは。
確か、財政圧迫されるって愚痴りまくってた記憶が。
それに前々から思ってたが、ホルモサ一件はアレ絶対皮肉っつか嫌がらせだろ大久保www

>>666
政治方面は兎も角、軍部では山縣居る内は長州出身者が出世しやすいというのはあったと思うぜ。
大正に入ると足元から崩壊するが。
田中義一の頃になると、ん?長州出身者どこだよ状態。宇垣に至っては……
673名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/29(木) 00:28:31 ID:b3HmXlDm0
大久保は勝手に出兵した小西郷との密約説があるほどだし
政府内の反対を押し切ってかなりイケイケな感じがするけどな

財政面から反対したのは木戸だよ
予算内の戦費で足りなかったら腹を切って責任取る、
つった小西郷の言葉に
そーゆー問題じゃねーよボケ、と呆れ果てて怒った
674名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/29(木) 05:42:22 ID:wY3H+O6y0
ウケるよね、そのつっこみ。お前の命なんかいらんわ!というの>小西郷
木戸のつっこみつながりでw、黒田ってどーなの?薩摩的には?
薩摩の人で、大久保除いて(小松は死ぬのが早い)、明治初期の功績がわかるのって
黒田と五代(大山未帰国時期)なんだけど。

でも、>>670>>671は納得した。
示談交渉能力っていうのは、そうかもしれない。そこかね?西郷の真価は?

じゃ、なんで一人で韓国談判に行かなかったんだろうか。
子分から離れるのは大して大変だったようには思えないんだが。
江藤が来たとき、山とか行って行方不明になってなかった?それは小説のみの話?
675名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/29(木) 14:51:20 ID:+B5ul+9lO
>>667
>井上は大久保が死ぬまで・・・

微妙かな?政界だけで見れば微妙か。
財界には厳然たる力をすでに持ち始めていたけどね。
というか井上も評価割れる人だよね。政界での地位だけなら元老中唯一、総理になってないけど、このスレでも何度か言われているように政府に及ぼす影響力なら、時の大蔵が誰であれ、実際の日本の金庫だもんな明治中は。
財政家としては松方、大隈より上だろうし・・・。

>>674 黒田は首相任期が伊藤の後って言うのがタイミング悪くて影薄いかも。
憲法も黒田内閣だったのに伊藤に注目いったからね(実際作ったのも伊藤だから仕方ないけど。)

676名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/30(金) 06:58:25 ID:seSq4D2mO
そういえば、伊藤や山縣は明治になったからこそ栄典を遂げた代表だけど(井上だけは藩主にめちゃくちゃ愛されて革命なんかなくても出世街道まっしぐらだったけど。)
大久保や西郷って大政奉還の時の役職名って何?木戸が政務座だったのは知っているけど。
大久保や西郷は厳然たるトップではなかったよね?
大政奉還のころにはトップになってたっけ?
677名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/30(金) 08:46:33 ID:wpnpEkTP0
ヤセ近習とデブ蔵人
678名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/31(土) 01:17:01 ID:5ve1RIAfO
いきなりぷっつり話題止まってるね。

>>676 明治政府は発足時の役職はともかく血筋はあんまり良くない(名門じゃない)人多いよ。
貴方も言ってる井上なんかは血筋しっかりしてるけどね(本姓源氏だし)
木戸は実家の和田家って身分は藩医だけど遡ると毛利の支流だから血筋としては いい。だから認められやすかったんじゃないでしょうか?

西郷や大久保は、生まれは確か下士ですよ。
一応士族であった大久保や西郷のほうが木戸より生まれはいいことになるのか、血筋的には三傑では木戸が上ですし微妙ですかね。
明治中期以降まで生き残ったので血筋がいいのは井上と桂太郎でしょうか。
薩摩では維新当初血筋がいいと言えたのは筆頭は小松でしょうね。
679名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/31(土) 01:28:07 ID:w3UWOurM0
確かに西郷どんは薩摩や大日本帝国の将来のために
粉骨砕身した偶像であり鑑であるかもしれない。
しかしながら、実は西郷は単に薩摩や士族たちの
象徴であったにすぎないのではないのか。
それどころか、彼はだれよりも奄美と縁が深かったのに、
「敬天愛人」どころか義理も人情もなく奄美を
踏みにじった薩摩士族の大親分としか映ってこないのだ。

西郷はかつて大島・徳之島・沖永良部島に流されたが、
薩摩へあてた手紙では道之島の人々のことを
「毛唐人」「エビス共」「ハブ性の人」などと書き散らしている。
そして島妻アイカナとの間にもうけた菊次郎・菊子を
薩摩で教育する際、奄美出身者ということを他言するなと厳しく禁じた。
島に残された母アイカナは非業の死をとげる。
これは西郷という人間像の一コマではあるが、
実は次に述べる彼の政策論とも表裏一体をなしているとしか思えない。
680名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/31(土) 01:29:05 ID:w3UWOurM0
旧藩時代、薩摩は植民地奄美の黒糖収奪によって
財政を建て直し明治政権を樹立した。
奄美の黒糖地獄をだれよりも目のあたりにしてきたのが西郷だが、
彼は、禄支給廃止にあった士族の生活権にしか思いはなかったらしく、
桂久武に命じて不法な独占「大島商社」を維新後に設立させたのである。
これによって薩摩は再び収奪をほしいままにすることができ、
奄美は旧藩以上の窮状にあえぐことになった。

そこで明治十年、奄美から「大島商社解散」を要求する
五十五人の嘆願団が上鹿したが、いきなり全員投獄。
老人などを除いた三十五人は田原坂から敗戦中の
西郷軍に強制出陣させられた。
うち戦死した者六人、残りは官軍に投降。
許されて島へ帰還する途中、二人を除いて全員遭難し、
結局生存者はわずかに二十四人であった。
(前田長英著『黒糖騒動記』参照)
681名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/31(土) 05:22:17 ID:paoDPbqq0
奄美のこと、よくこの板の西郷関連スレに書かれているけど、全く知らないので
教えてほし。

>桂久武に命じて不法な独占「大島商社」を維新後に設立させたのである。

どのような「不法」で、誰が何を「独占」するのでしょうか?「維新後」は明治何年でしょう?
奄美と薩摩の関係も是非おしえてほす。

ただ、
>三十五人強制出陣 戦死者六人、残りは官軍に投降
帰還途中、二人を除いて全員遭難
結局生存者は二十四人

35人中24人帰ったということ?35-6-2=27で、遭難して亡くなったのは3人?
55人から35人戦争に行って、2人だけ帰ってきたのであれば、22人だと思うんだが。
戦争から帰ったのと、投獄された人のうちの生存者合計が24人?
要するに、24/55ってこと?算数得意な人、計算してくれ。。。
で、いつの時点の「生存者」なんだろうか?

死者数が過半数以下だからいいとは言わないが、
言い方が大げさなのに曖昧で、無闇に信じたくない気持ちにさせるが。。。
682名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/01(日) 11:59:09 ID:HTLWz1Fu0
西郷の遺訓とかも怪しいもんだよな。
西郷はそんなの語り残すキャラじゃないでしょ。
ほんとに西郷の口から出たもんだとしたら、
言ってることとやってることがぜんぜん違うということになるし。
信者もそんなの信じて哀れなもんだ。
明らかにおかしいということを自分の頭で突き詰めることができないから、
信者なんだろうけどな。

ほんと上野から銅像外して欲しい。
信者のいうように西郷が敬天愛人な人なら
上野から奄美に銅像移すべき。
683名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/01(日) 12:14:03 ID:zVdP1z/CO
上野にいてもいいが、もっとまともな格好にしてほしい、軍服で威厳のある感じで。
あれじゃあ庶民的で気は優しくて力持ち、みたいなイメージになってしまう。
奥さんだってこんな人じゃないと否定してるのに
684名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/01(日) 16:11:28 ID:53YBxxIdO
木戸日記と世外井上伝と大久保の、ちゃんとした日記ではないのかな?だけど多分自分で書いた冊子を見たことはあるんだが(木戸のは本当に日常まで書かれてて日記って感じで印象残ってるけど
大久保のは書き留めるべきことを書き留めたって感じだったような。だから木戸のより薄かった。
タイトル忘れたけど)
西郷のって見たこと無い。見たことある人って居ます?
685名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/01(日) 16:12:59 ID:3iYHALMy0
西郷隆盛 『西郷南洲遺訓』
http://www.nicovideo.jp/watch/sm6932526
http://www.youtube.com/watch?v=1zsHLMx1k0w

 『生命も要らず、名も要らず、官位も金も望まざる者は御し難き者なり。
 然れども此の御し難き人に非ざれば、艱難をともにして国家の大業を計る可からず』
686名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/01(日) 16:41:51 ID:HTLWz1Fu0

こういうものがほんとに西郷の口から出たものか
非常に怪しいと言ってるんだけど。

ちょっと脱線するけどこういう教訓みたいなものって
具体的な内容ぜんぜん無いじゃない。
普段から行いを良くしてれば難題にあたっても
困らないみたいなこと言いたいのかな?
なんか中身の無い人、志はあっても能力がまったく無い人が、
無価値な自分の存在を認めたくないがために盲信してる宗教みたいなもんでしょ?
やたらと礼儀や挨拶とかにこどわる元公務員の老人みたいなさ。
木戸や大久保と違い、能力が売りでない西郷は、
そういう人たちの琴線に触れるんだろうな。
能力の有無はその人の価値の有無とは関係ない(と思いたい)ということか。

西郷本人は能力のある人が大好きで、
鹿児島から無能な同郷者が縁故を頼って来ても
相手にしなかったらしいがなw
687名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/01(日) 17:22:27 ID:53YBxxIdO
>>685 リンクありがとうございます!

>>686 西郷って、山縣庇って井上庇ってないですよね。
(別に井上の話をしたい訳ではないですが)
汚職って言うなら2人共だし、能力というのなら井上だって一流。
要は軍人が好きだったってことなのかな。
何が言いたいかというと、山縣を庇ってやった→西郷は器が大きい、には疑問。
好きな人を庇うというなら後年、伊藤が井上を擁護したのと似たようなものでしょう。
同郷だから伊藤は器が大きいとは言われなくて薩摩が長州を庇ってやったことが器が大きいってこと?
藩を越えてが器が大きいってことならそれこそ木戸が1番ではないかと。

なんか長州を擁護する見たいになってしまったけど本当にそう思う
好きな人を庇うなら、そんなの誰でもすることですよね
688名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/01(日) 18:41:14 ID:53YBxxIdO
あ、すみません。687です。今来て自分のレス見てちょっと不適切だったなと思いました。
>>686さんが、西郷が山縣を庇ったことに器が大きいと言ってないのはわかっています。
むしろ西郷は同じ薩摩でも無能には〜という686さんに同調の意味で、結局は個人の好みによるもので西郷の器の大きさを特に示すとは言えないのではないかとの意味です
689名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/01(日) 20:58:48 ID:zVdP1z/CO
西郷がトップの兵部省の中核だし、山縣いなきゃ徴兵令が進まないんだから庇いもするだろう、
逆に西郷から見たら政府に害しか与えないような三井の番頭さんを庇う義理も無い

てか西郷こそ同郷贔屓の人事ばっかりやってるイメージだったんだが違うのか
木戸は薩長に傾かないよう極力バランスに気をつけていて、
大久保は洋行後は使えるものは何でも使う感じだよな
690名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/01(日) 22:41:10 ID:HTLWz1Fu0
>>689
西郷の同郷びいきはそうだと思うが、
同郷でかつそれなりの才能ある人ということでしょう。
桐野みたいな人でも侍大将的な才能あったでしょうし。
691名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/02(月) 00:36:56 ID:M39luN29O
ID変わりましたけど、687です。

>>689そうか結局、参議になっている時でも西郷って意識が軍人ってことなんですかね。行政よりは軍部に思考の比重が行ったのかな。

井上って、そうか西郷から見たら百害あって一利無し?
明治初期の財政には間違いなく不可欠な人材なんだけどね。
いかに財政面能力があっても汚職を庇おうとは西郷は思えなかったのかな。

何となくですが納得いきました。ありがとうございました
692名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/02(月) 01:20:02 ID:VKzR81tO0
日本人の根底のお金の事を語るのは卑しいという思想が流れているのか
大蔵大臣で金融施策等で成果を上げた人達の評価が不当に低い気がする。

もっと井上は評価されても良いと思う。

西郷は財政に関しては暗愚、木戸や大久保のほうがまだ考えていた。
日本人は前者のほうを好むね。

IFではないけど山縣が失脚していたら、陸軍の性格も変わっていたのか
想像したくもなる。




693名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/02(月) 07:32:48 ID:M39luN29O
ですね。明治は、善かれ悪かれ元老である井上が三井の番頭さんだったからお金を上手く回せた事実は正直否めないはずなんですが。
伊藤が『金に綺麗』で居られたのもおそらく井上が居たからだろうとはよく言われる話。
井上って『使う』と『貯める』の感覚が鋭かったらしい。(渋沢栄一談。(というか渋沢も評価低いですよね。政府で成したことについては。))
松方も評価低いですね。第一次内閣に、大干渉とかしちゃってるから評価低いのかな。

山縣が失脚して山田が軍を握っていたら、近代化がもう少し早かったような気がする。
少なくとも山田は巨大閥をつくるような性格ではないし、そしたら伊藤がもう少し手腕振るえたから。(もう少しどころではないか?)
伊藤→西園寺→原までの流れがスムーズだったかな。

西郷って多分、国単位でモノを見るのに向いてなかったんでしょうね。明るい分野には目がいくけど暗いとこは暗いまま?
694名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/02(月) 18:48:31 ID:rzBnFj3Z0
>>693
>明るい分野には目がいくけど暗いとこは暗いまま?
それ普通。。
695名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/02(月) 19:42:22 ID:rzBnFj3Z0
お前ら、まず薩摩という国を勉強しろ。

***********************

薩摩という国を、しっかりと見つめることなくして、この国の歴史は語れないのではないか、と思う。
薩摩というのは、日本国内でもある種、得意な場所であったといってよい。古代には隼人の国と呼ばれ、
大和朝廷に物産を献じてくる明らかな異国であった。そこは大和のような、米作の社会ではなかった。
桜島の火山灰が米作をこばんでいた。薩摩は、ひとことでいえば武人の国であり、狩猟や交易で暮らす、おそろしく精悍な人々の住むところであった。
朝廷はこの地を治めるのに、わざわざ隼人司(はやとのつかさ)という専用の役所を設けていたほどである。
つまり薩摩は、ひとつの異郷をなしていた。
ゆえに、薩摩には、日本史教科書の常識が通用しない。薩摩の歴史を教えるなら、薩摩専用の歴史教科書がもう一冊必要だと思えるくらいである。
事実、この地方では、平安時代まで、口分田を農民にくばる班田収授の法もおこなわれなかった。
日本中が兵農分離の社会となった江戸時代になっても、唯一、薩摩だけは戦国時代さながらの土地であり、
全土に外城とよばれる砦が維持され、農村には地侍(郷士)があふれ、勇ましく示現流の剣をふるっていた。
そのうえ、薩摩には鎖国もなかった。琉球を通じて世界に窓をあけ、密貿易をおこなっていた。
のちには、その治外法権性を生かして、藩営の贋金作りまではじめるのである。要するに、薩摩は、日本史上の特区のようなものであった。

徳川家康も、この薩摩という例外を黙認せざるをえず、それが二百七十年たって、彼の幕府にとどめをさす形になった。
周知のように、薩摩藩・島津家は関ヶ原で家康に敵対した。御家を取り潰されても仕方がなかったが、家康にはそれができなかった。
薩摩は武人の国であり、島津には十万人の郷士がいた。ろくに俸禄のない農漁村に暮らす武士であったが、彼は勇ましく、
侵略されれば、郷土防衛のため、ハリネズミのようになって抵抗するかまえをみせた。
当時はまだ、大阪城に豊臣秀頼がおり、家康にしてみれば、この仮想敵を放置したまま、薩摩まで、長い補給線をひっぱって、島津討伐をおこなうのは、
危険が大きすぎた。薩摩は遠い。ひとつの例外として、捨て置けばよい。たいした害にはなるまい。
家康の頭脳はその明敏さでもって、そう判断し、結果として、薩摩の島津は残った。

そして、幕末である。薩摩は地理的にってヨーロッパに一番近い日本であった。
そのうえ、もともと日本史の例外である薩摩には鎖国がない。薩摩は琉球を通じて世界につながっていた。
貿易の利を知り尽くしており、西洋列強のなんたるかを、どの藩よりも先に理解し、最新の兵器を手に入れて、幕府に対抗しようとした。

そもそも徳川社会は「領地の米生産=石高=軍役高=軍事的強弱」という等式を前提に成り立っていた。
将軍や大名の軍事的強弱は領地の米生産で決まるとされた。ところが、この徳川社会の約束事に反して、薩摩は米生産以外の財布をもっていた。
密貿易をやって藩財政を潤し、それで兵器を買って富強になるという特異な道をたどり、ばむ松には、徳川幕府を脅かす怪物に成長した。

***********************
696名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/02(月) 19:45:20 ID:rzBnFj3Z0
おっと最終行・・・ばむ松→幕末
697名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/02(月) 19:50:19 ID:M39luN29O
>>694
693です。ごめんなさい言い方下手だったかな。苦手(とか嫌)って思ったことには特に強く拒絶感出ちゃう人で、解ろうと思わないタイプだったのかなってことです。
上にあげた山縣井上だと、
『三井の番頭さん』という皮肉から考えても井上に関しては先に拒絶感が立ったのかと思って。

同じ嫌いでも理由があって嫌いってタイプでも明確な理由があって嫌いって人もいるけど。(大久保が江藤を、はこのタイプだと思う。三権分立なんかされたら政治的(大久保的に)に困るっていうね)

西郷の井上嫌いって井上の能力見ていなくて、生理的に?嫌いだったっぽいなってこと。

だから同じような汚職をしている山縣は許容出来た(何故かは知らないが山縣には嫌悪しなかった?)

感情が先に立つ人で、嫌いだと思ったら冷静に能力見れないのかなと。(暗い部分は暗いままって言うのはそういう意味)
698名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/02(月) 21:17:44 ID:pplN8eJ80
>>695
昔は百姓いなかったんだ。
戦士みたいな狩人の国か。
しかし少なくとも鎌倉時代から農奴みたいな
搾取されてる百姓が大勢いたはずだけど、
彼らはどこから現れたの?

また、奄美の収奪にはまったく触れてないけど、
なんで??
699名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/02(月) 22:14:42 ID:cDGmaXVl0
>>697
山城屋事件が起きた時、山縣は陸軍省の実務家として必要不可欠な存在だった
陸軍大将(まだその地位じゃなかったかも)の西郷としては庇う他なかった
その点、井上は西郷とは畑違いだし、西郷が庇う理由はない
井上山縣を庇った庇わなかったは、個人的な好悪とは全く関係ないと思う
700名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/03(火) 06:43:50 ID:NOaiOLBAO
>>695
まさに「戦闘国家」だな。
戦う事しか能がないと言う感じで…
だから鹿児島では、」スポーツや武道ができる男」が他の都府県より異常に尊ばれるのかwww
701名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/03(火) 14:37:12 ID:KK7govRW0
松前藩とか
そんな例外はいくらでもあるよ。日本史など鵜呑みにする方がバカだ
702名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/03(火) 14:43:01 ID:hETzFTgN0
>>698
百姓がいないなど一言も書いていない。薩摩にも当然ながら百姓は大勢いるだろう。
ただ、主体が百姓ではなく侍だという特徴が、他藩と比較して際立っているのが薩摩。
力のある農民や商人がどうあがいても、侍階級に太刀打ちなどできなかった。それだけ厳しい。
奄美の民が薩摩の侍から厳しく搾取されてきた歴史は有名だが、話がややこしくなるので、ここでは触れていない。


>>700
まあ、いざという時に役割を果たせない、腑抜け侍を大勢抱えた他藩よりはマシだろう。
703名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/03(火) 14:56:31 ID:KK7govRW0
いや武士比率がハンパじゃなかったんでしょ。
三分の一くらいが武士。
意味がわからん。
704名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/03(火) 15:10:18 ID:hETzFTgN0
武士比率を維持するためにも農民への搾取を厳しくするしかなかった。
島津が戦国時代が終わっても、それだけの数の侍を維持してきた意図はよくわからんが、やはり幕府への対抗心だろうな。
まあ、薩摩の実力がなければ明治維新はあり得んのだし、討幕への原動力という点で、島津の政策が時空を超えて役立ったと言えるだろう。
705名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/03(火) 15:10:26 ID:ebjhUUv90
つか薩摩が特殊だとして
それがどう西郷の評価と結びつくのかまで
述べてくれないと
706名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/03(火) 15:16:26 ID:hETzFTgN0
西郷の評価としては、やはり薩摩の力を討幕へと注力させた、維新のリーダーとしての器量だろうな。
ひところの薩摩は、会津とくっ付いたりして、人気も落ち目の時期があったが、
西郷が呼び戻されて以降は、再び勢いを盛り返して、維新を成功させている。
707名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/03(火) 15:29:54 ID:KK7govRW0
農本国家じゃなかったのだろ。
沖縄の人って米全然食わんの知ってるか。
海でテキトーに取って家畜をチョロっと飼ってれば
米なんて食わんそうだ。

こっち来て『やっぱ朝食は米派だよね〜』なんてのを聞くと
パンとかハンバーグとかがいいよ、とか思うんだそうだ。子供かよw
まあそれはいいとして、南の方行くとそんな感じらしいぞ。
食い物にはあまり困らんらしい。
708名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/03(火) 15:38:49 ID:hETzFTgN0
>>707
南をよく知らん人は、南の方は食いもんに困らんとか思うみたいだな。
沖縄はよく知らんが、米を全然食わないってのは嘘だろう。
温暖で普段は住みやすいのは確かだが、台風もあるし、自然は過酷だと思うがな。
709名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/03(火) 15:41:52 ID:KK7govRW0
さあ知らんね。
俺は沖縄の奴が言ってたのをそのまま受け売りしてるだけだから。
文句があるならそいつに言えよ♪
710名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/03(火) 15:44:58 ID:hETzFTgN0
>>709
ああ、適当なこと言ってるな〜とは思ってたよw
711名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/03(火) 15:59:04 ID:KK7govRW0
お前は単に煽りたいだけだろw
米が保存食であることを考えれば
生命活動の止むことの無い地域では必須でないことくらいわかるだろ。

また北と南では収穫量も圧倒的に違う。
台風で苛酷とかその方がアホっぽいぞ。

単に百姓がイジメられてただけ、じゃ論理性がない
712名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/03(火) 15:59:11 ID:kK12sHqW0
>>695
うなずける部分もあるが、良く書きすぎじゃねえか?
どんな理想郷だよって感じ。
隼人の時代から戦最強で、オープンに国を開き、
先進的な考え方で財政や軍備を充実させていたってか。

そんなに凄ければ秀吉に降伏する必要なかったんじゃないか?
家康に土下座する必要も無かったんじゃないか?
奄美や本土の農奴から想像絶する収奪する必要無かったんじゃないか?
バカにしていた長州と組む必要なかったんじゃないか?
偽物の錦旗も使う必要無かったんじゃないか?
西南で最強先端武士軍団の薩摩士族が、平民百姓糞鎮台軍に負けるっておかしくないか?
713名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/03(火) 16:03:23 ID:KK7govRW0
この人口比率は尋常じゃない。

藩人口896,817
士族244,700/卒族95,569

例えば
金沢藩102万石: 藩人口1,086,164 士族28,683/卒族27,038
岡山藩31万石: 藩人口350,909 士族9,738/卒族6,470

士卒合わせても数パーセントがせいぜいだが、
薩摩は実に36%。米が中心でない以外には考えられない。

上述にあるように食糧は随時獲得の採集民でないと辻褄が合わない。
714名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/03(火) 16:11:57 ID:hETzFTgN0
>>711
いや、おまえは707で沖縄の人間は米など全く食わんって書いてるよな?
それに対して正論を述べたら煽りになるのかよ・・・
自分の非常識な発言は「人の言ったことだから知らん」と棚に上げて、保存食だなんだと、論理性も屁ったくれもないなw

>>712
少し落ち着けよw
どんなに薩摩が武の国で、兵士が勇敢だとしても、全国を敵に回して勝てるわけがないだろう。
715名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/03(火) 16:32:56 ID:KK7govRW0
>>714
沖縄の奴が言ってたんだぞ?
それ以上俺に何が出来る。
それを否定したいお前はまず沖縄の米消費状況を調べてだな。

まあとにかく日本の標準状態とは違う薩摩の生産状況を知るのが先だ。
四公六民をどう変えたところで
他藩の十倍比率の武士人口は養えん。
716名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/03(火) 17:12:58 ID:iEa6WOxzO
結局、専業の百姓が少ない→元々食料は他藩に頼りがち→飢饉や戦乱→他藩が薩摩に回してくれる米が無くなった→不本意ながら薩長同盟って流れですよね
717名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/03(火) 17:24:33 ID:ebjhUUv90
米問題は二次的なもので
結局、薩摩一藩で倒幕を目指すより
長州と手を組む安全策取ったってだけじゃないのか
百姓が少ないとか過酷な搾取されてたとか
そんなの江戸期を通じてずっとそうじゃん
718名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/03(火) 17:28:02 ID:KK7govRW0
まあ薩長同盟は米問題んしてはあまりにも一時的なもの過ぎるしな
しかし一体なんの財政で食ってたんだ。
武士と言っても江戸時代だから戦うのが仕事じゃない。
やはり漁師あたりが武士を兼ねていたのか。

ちなみに米消費指数で最も少ないのは
東京都で92.奈良県は93、沖縄県が94
だそうだ。
東京の方が全然米食わんぢゃないか。騙しやがったな、沖縄人め。
719名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/03(火) 18:29:40 ID:hETzFTgN0
騙しやがったな〜というか、冗談を真に受けてるお前がアホ。
720名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/03(火) 19:07:48 ID:KK7govRW0
しかし論理性の無いお前よりはマシだ。
農民から十倍の年貢を搾取出来ることの方が遥かに真に受け難い。
721名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/03(火) 19:13:37 ID:hETzFTgN0
悔し紛れが痛々しいな。
農民から十倍の年貢を搾取しているなんて、俺がいつ言ったんだ?
普通に考えて、薩摩の郷士は半農半武だろ。それでも足りんから搾取していたんだろうが。
頭平気か?
722名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/03(火) 19:22:13 ID:vqC8z3oy0
>>693
山縣が火力重視で近代化志向なんだが。
723名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/03(火) 21:44:08 ID:iEa6WOxzO
(693じゃないけど)
この場合の近代化思考って、軍が政の下につくって意味なのでは?軍部におもいっきり権力持たせる結果になりましたから山縣閥。
724名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/03(火) 22:11:40 ID:qb+okcDWO
山縣自身は文民統制を守ってた、というか政治優先にしてたのにな
上手く後継者作りが出来なかったのが山縣最大の罪
725名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/03(火) 22:23:35 ID:0ycw1zlp0
山縣って軍属でありながら参議になりたがってなかったっけ?
726名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/03(火) 22:34:50 ID:iEa6WOxzO
>>725 そうですね。そして大久保をはじめほぼ全員賛成したなか、身内の木戸に猛反発を受けました。
文民統制ということをあの当時しっかり考えていた筆頭は木戸ということになるのかと思います。
727名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/03(火) 23:32:48 ID:rDIc11Ij0
薩摩の郷士っつったってなあ
薩摩なんて全部郷士みたいなもんじゃんかよな。
島津べったりなのに。
変な武士。
728名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/03(火) 23:43:04 ID:rDIc11Ij0
しかも卒もいっぱいいるのに
そのうえ郷士
で極めつけは僧侶がゼロ
もうもはや全く理解出来ない国家体制だ

しかも分かったぞ
薩摩の主食はサツマイモだった。それが関係してるようだ
729名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/04(水) 00:40:49 ID:ddIu3Lwf0
この手のスレは定期的に薩摩持ち上げ厨が湧いてきますねw

鹿児島人の信者フィルター通して薩摩を見ると
695みたいな姿の国になるんだろうなw

はっきり言うと、鹿児島人みずからの薩摩解釈、薩摩論というのは、
学会みたいな全国区の世界ではまったく相手にされていない
というのが実情です。

鹿児島人にとって不都合な史実は平気で無視するし(奄美の収奪など)、
「遣韓論」のような捏造レベルの曲解が多すぎます。
鹿児島の郷土史家なんて妄想性人格障害レベルの人しか知りませんw
695さんもそんな一人なのでしょう。

彼らにとっては地元の研究会で好評ならば
それが「史実」なんでしょうけどねw
730名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/04(水) 00:58:27 ID:AuTXwopG0
なんで?
695なんて全然持ち上げてないじゃん
俺も薩摩は特殊だと思うけど。
サツマイモ栽培は生活パターンが日本となにか違うんだろ。
だからサツマイモ武士という特殊ジャンルが多分生まれたんだ。
これがなんらかの理由で兵農分離不可能だったのだ。
サツマイモ掘りは刀を使ってたとかそんなのだろう。
連中はサツマイモの根っ子と戦う もののふ だったわけだ
731名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/04(水) 01:07:46 ID:M19K6tKrO
頭の中が戦国時代で止まってる薩摩が倒幕の役目を終えるや否や早々に駆逐されて
天職である軍と警察に押し込められたのは、歴史の必然であると同時に
日本にとっても鹿児島人にとっても幸せなことだったんだね。
732名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/04(水) 22:49:07 ID:cmR1gTDq0
というか、西郷が敗れて、侍の時代が終わったと云う方が適格。
軍と警察は侍崩れにぴったりだろう。
733名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/05(木) 04:45:48 ID:GOZhuC0kO
>>732
なるほど!だからか…
警察や自衛隊、海上保安庁に鹿児島人がウヨウヨしてるのは…
734名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/05(木) 21:16:56 ID:BfFs1NDi0
だから警察官の隠語「マッポ」は薩摩っぽから来たと言っとるだろうが。
735名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/06(金) 00:54:47 ID:Hf7oA5NZ0
因みに、英語で
   醤油のことを "soy sauce"、
   大豆のことを "soy beans"
と言うのは、薩摩弁で醤油のことを「そい」と言うところからきている。

これ、豆知識な
736名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/06(金) 01:04:29 ID:CniSJaNt0
>>735
ほ〜、それは知らなかった。
国内では「おい、コラ」が薩摩弁で最も有名だろうな。
月並みだったか・・・
737名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/06(金) 01:18:12 ID:q2Pr9hIW0
>>735
それはたまたま似ていたのを面白がって生まれた説です。
鹿児島弁から生まれたのではなく、江戸時代にオランダから来たドイツ人医師ケンペルが
大豆をヨーロッパに紹介する時に日本語の「醤油」から「醤油の原料の豆」という意味で
英語で言う「soy-bean」と名づけたのが由来です。
醤油より先に大豆が紹介されたのです。
なお、ケンペルはオランダ語で「soyu」と書いています。
これが英語になる時に「soy」と変化したわけです。
鹿児島弁と似てしまったのは偶然です。

鹿児島の人はなんでも薩摩起源にしたがりますね。
イギリスのボーイスカウト制度は薩摩の郷中制度を真似してはじまったとか。

なんかもうあの国を思い出さずにはいられません。
738名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/06(金) 08:46:43 ID:HP7VSdkv0
明治維新の主役はやはり西郷と大久保に尽きるね
739名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/06(金) 14:58:02 ID:zpxUmVv4O
逆賊西郷とその一味による国家に対する大規模武力蜂起をねじ伏せた功労者
川路利良大警視をお忘れなく!
740名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/06(金) 15:48:25 ID:+XedXTAU0
川路は扇動で西南戦争を起こした功績のが大きいと思う
741名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/06(金) 16:55:22 ID:J4UbfU3wO
>>738 別に木戸を必要以上に上げるつもりはないけど、維新の最大の象徴は廃藩置県だっていうのはわりとこのスレでも異論出なかったことですよ。
これを言い出すとまたスレの最初に戻る気はするけど、廃藩置県での、一の功はと言えば木戸ですって。
大久保と西郷さえ居れば、みたいな論じかたはやめません?
742名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/06(金) 18:23:04 ID:uUh/xHoC0
>>735
>>737
うわw これは恥ずかしいw
鹿児島人の歴史知識ってどれもこんな感じで、
真実を探究するのではなく、
御国自慢の材料になりそうなものを
必死に探して、無ければでっちあげる、
そんなのばっかりじゃん。

隼人でも優等民族でも何でもいいすから、
日本人とは別のものとして存在して欲しいよ。
ただそれを願うのみ。
743名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/06(金) 21:09:06 ID:NbAuhWSp0
川路利良は地方分権派の江藤を退けて
中央派遣の監察行政官を導入した。
これが現地行政官であった長吏の職を奪い、
士族同様路頭に迷う。補助金の出なかった彼らが
その後どのような経緯を辿ったのかは言うまでもない。

ちなみに川路が得意とした捜査方法は
乱破を使ったものだと言われている。
ということはこの時代に乱破がいた。
744名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/06(金) 22:39:39 ID:q2Pr9hIW0
幕末の薩摩藩が凄かったのは、
たんに実戦的な大兵力も持っていただけではなく、
情報戦に敏感で、連絡船として蒸気船を京〜薩摩間に何隻も回遊させ、
京〜薩摩間が3日だったか?で人と情報を運べるようにしていたということですよね。

蒸気船とこの使い方がなければ、薩摩はどんなに兵力と資金があっても
逼迫した情勢では辺境ゆえ後手々々になり、幕末の主役にはなれなかったんじゃないでしょうか。

川路も異常に情報にこだわっていたようですが、
ある種の薩摩人は中央と辺境の差を埋めるために、正確に情報を得て、迅速に伝えるということに
異常な執着を持っていたのかも知れませんね。

今の鹿児島の人を見ると、文化的にはたしかに薩摩的以外の何ものでもないようですが、
文明的にはまったく別人種の感があると思うのは私だけでしょうか?
745名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/07(土) 01:50:03 ID:HqcPX6y00
川路は大久保の犬だろ。
746名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/07(土) 02:22:10 ID:bjkfiypG0
川路の憧れの人はフーシェだからな
尊敬する人間に倣って西郷から大久保に乗り換えたってだけですよ
747名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/07(土) 18:08:11 ID:nwMMA/lbO
情報戦で思い出したが以前原口先生が情報網の構築には調所が富山の薬売りに
薩摩越中組というのを作って商売のついでに諸国の情報収集やらせてたことが
大きいそうだ。
748名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/07(土) 20:12:42 ID:1WXwemFmO
幕末のサツマは、情報戦に長けていた。
がしかし…今の鹿児島は

「情報鎖国」
「ブロードバンド普及率最下位」。

♪なんでだろぉ〜


つ【ひんと:議を言うな】
749名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/08(日) 01:41:42 ID:m+D9nYyu0
「ぎをゆな」の一言がどれだけ若者の創造力、変革への情熱を
潰してきたことか。

「ぎをゆな」的精神が昭和軍閥戦争をまねき、
この国に取り返しのつかない負の遺産を残した。

いい加減気付けよ、かごんまの老人ども。
750名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/08(日) 02:17:06 ID:pDftiN0u0
議は情報を潰すだろ。
2chなんていい例。
デマの温床。
751名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/08(日) 05:07:44 ID:i4D+zTPAO
>>750
典型的「かごんまの老人」乙

だったら、2ちゃんにカキコまなきゃいいじゃんw
752名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/08(日) 17:17:22 ID:pDftiN0u0
>>751
別に俺情報大事にしてねえし。
どうでもいいよ。だから議をゆう。
でも俺以外は結構邪魔くさいので大体黙れ。
753名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/10(火) 10:16:14 ID:agSxHGiOO
西郷どころか三傑の話でもなくなってますね。
話を戻しませんか。
西郷って、少なくとも今現在の日本に至るまでの流れを肯定的に考えた場合、幕末には必要でも明治(大政奉還後)にはあまり必要だったとは私は思えないんですが。

明治6年の政変がなく西郷が政府に居たらを考えてみるのはありだと思いますが。
754名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/10(火) 10:48:21 ID:Kd8EsJGP0
なぜ?
755名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/10(火) 10:52:28 ID:cQ/posAw0
廃藩置県も留守政府の各種改革も、西郷隆盛が積極的に進めたから実現したもの。
幕末だけの人間という評価は、世間知らずの会津擁護だけのもの。
756名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/10(火) 11:22:18 ID:WPquHaInO
仮に西郷が何の展望も持ってないでくのぼうだったとしても、
西郷が居たおかげで木戸や大久保や大隈が各種改革を進められたのは事実。
もちろん、関係なく進められたり、かえって西郷が邪魔だったりする事も多くあるけれど。

>>753が、現在に至る流れの中で廃藩置県や留守政府の改革が重要でない、と思ってるなら必要ない人物かもね。
757名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/10(火) 11:29:58 ID:agSxHGiOO
>>755 廃藩置県を積極的に進めたのは木戸です。事実、薩摩が1番制度の実際的な普及は遅かったはず(1番でなくとも遅い方だったのは確実)
また留守政府で、西郷がしていたことは土肥に必要以上に力を持たせない見張り役と、軍部のほうであって実際に政策を打ち出したのは江藤、大木らです。

西郷の功がまるでないとは言いませんが、結果的に反乱因子となってしまったことと、功との差し引き(この場合大政奉還後の功ですよ)で、
プラスになるとは思わないからです。

会津のことなどまるで関係ありませんよ。
758名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/10(火) 12:03:59 ID:cQ/posAw0
>>757
廃藩置県を積極的に進めたのは木戸ですが、
彼は決定権がなく、西郷が積極的に同意することで初めて廃藩置県は実現しました。
君は歴史を知らない人と思われます。。
759名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/10(火) 12:13:53 ID:agSxHGiOO
>>758あの、木戸は唯一の総裁局顧問専任です。全てにおける最終決定責任者ですけど?
参義にと言われたのも木戸であって、木戸の意向で西郷が参義になりました。
むしろ洋航前までは明らかに木戸が政府のトップですよ?
薩摩の協力は確かに必要だったから西郷を説き伏せたのは事実ですが、決定権が無かったなんてよく言えますね。
人に失礼なことを言う前にご自分が勉強してください
760名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/10(火) 15:44:58 ID:zCfsiOXl0
どうしても西郷ヨイショしたい奴がまた出てきたね。

ここ数日カキコミが無かったのに、
西郷をちょっと否定的に論じるカキコミがあったと思ったら
わずか30分後に反論レスw
平日昼間なのにw

正直怖いです。
761名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/10(火) 15:46:06 ID:zCfsiOXl0
つうかすでに結論出てんじゃん。
薩長史観で見れば、薩摩を倒幕へと誘導したことは西郷の功績であった。
しかし、維新以降はただの老害。
薩長史観で見ても老害。薩摩(大久保系)史観で見ても老害。
西郷に搾取されていた薩摩の民から見ても老害。

唯一、鹿児島原理士族からのみ見て英雄。
英雄つうか西郷さんを否定されることは、
それを推し立ててきた自分らの否定につながるから
意地でも否定は認められないというロジック。

んで、その原理士族が明治以降も鹿児島の県政、教育を握っていたから
なんの関係も無かった旧土民まで洗脳して西郷信者に。

結果、2ちゃんに常駐し平日昼間30分後に涙目レスするような
狂信的鹿児島人が出現しているということでしょうな。
762名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/10(火) 16:06:24 ID:bQOnx8Kl0
>>761が全てだな。
完全同意。
763名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/10(火) 16:21:30 ID:O1wvpsG60
>>761=762
764名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/10(火) 18:07:24 ID:bQOnx8Kl0
>>763
自演に決めたがる西郷厨w
765名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/10(火) 18:28:57 ID:zCfsiOXl0
長文ゆえ分割しただけですよw
766名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/10(火) 19:42:44 ID:agSxHGiOO
今日最初に書き込みした>>753は私です。
幕末に西郷が活躍したのは事実ですが、普通に考えて反乱因子となってしまった時点で『三傑』と言うのはおかしいと思ったので書いたのですが。
それに例えば、同じ反乱因子となってしまった者の中なら江藤の方が明治の(大政奉還後)の功績は大きいと思うのですけど。新典(新法)を整えましたから。
767名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/10(火) 19:54:31 ID:FMQ5pNNR0
維新三傑の解釈の仕方次第だけど
普通、維新三傑と言えば「倒幕・維新に最も尽力した三人」であって
「維新後新政府にあって最も尽力した三人ではないから」
西郷で妥当だと思う。江藤は倒幕の功は一つもないし
768名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/10(火) 20:26:34 ID:6rKTFFDMO
西郷を酸欠として語ることに異論のある奴はこのスレにいないと思う。

ただなにがなんでも西郷(あるいは薩摩出身者)を木戸や大村などの上に置きたい恥知らずがいるだけで。
769名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/10(火) 20:33:07 ID:agSxHGiOO
>>767-768 なるほど。そうですね。そう冷静に返されると納得できます
770名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/10(火) 22:42:05 ID:4Sx6RP9B0
大久保を外せばいいじゃない
771名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/11(水) 05:23:42 ID:3lXazZY80
西郷の明治維新まで:長州の取り扱い、尊攘/割拠/公武合体のまとめ、江戸城開城
大久保の岩倉使節帰国以降:江藤と不平士族始末、殖産興業、政府組織の改編

確かに偉いと思う。大久保と西郷が維新前後の合わせ技で三傑でも構わんが、
木戸は坂下門くらいから第一線だろ
なのに、廃藩置県や五箇条のご誓文でさえ
木戸の功績と一般には伝わっていないのが非常にむかつくわけだ

また、木戸は、自分で忘れるようなマヌケだしなw

で、鹿児島原理士族って桐野、篠原方面の人のこと?>761
彼らが明治以降(つまり大正、昭和?)鹿児島の県政、教育を担ってたの?
元の門閥はどうなったの?そこに入ってないが知りたい
(別に鹿児島の人ではないのかな?)
772名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/11(水) 07:53:13 ID:OEw08DTzO
確かに木戸の実績の知られてなさはおかしすぎる。
明治以降何もやっていないかのような記述の歴史小説が多すぎるせいかもしれない。
下手したら歴史自体を取り扱うような本ですらそういうイメージの影響を受けている。
ちょっと勉強すればわかりそうなことなのに。

木戸の凄みは今の人間こそ理解できるはずなんだが
入門レベルのところであまりにも違うイメージを植え付けられるんだよな。
773名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/11(水) 09:37:21 ID:G50vUMBRO
やっぱり司馬ですかね。木戸(長州)過小評価の一番手。
木戸は現代人が当たり前だと思っていることを、当たり前じゃない時代に提唱している。
憲法制定せよとの意見書もだし、地方議会は実現まで行った。文民統制論を崩さず、教育の充実を推進。

すごいなぁと素直に思う。あとこの人の凄いところは、国が財政難に陥った時に岩倉だか三条だかに、
「七、六等官などの給料安いものの給料減らしてどうする?上から減らしていけ」と給料半分(半分じゃなかったかも?)にしろと意見してるところだ。
足元しっかり見えてるなって感じがする
774名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/11(水) 12:57:59 ID:4ZrAZizq0
跳ぶがごとくや花神での木戸の描かれ方はけっこういいとは
思うのだが、それでもキャラクター的に暗いイメージか。
司馬の影響は絶大だとは思うが、史実をきちんと調べるべきところが
安易に司馬イメージを借りてきて劣化版で語っているのが問題だと思う。


そして日記で自分のことを赤裸々に語るから神格化や英雄化は無理っぽい。
あの地位にいるなら後世に読まれることを考慮しそうなもんだが
その点は無頓着な感じ。
不満や愚痴が多いという話をよく聞くが、現代にも通じる感覚で物を見ることが
できる人間にとっては言いたいことは多かったろうし、その考えは理解され辛いだろう。それゆえに口やかましい人間だ、と断定する人もいただろうとも思う。
775名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/12(木) 01:06:22 ID:Jh3qUaJa0
何が凄いなぁだよw逃げの小五郎厨はw
木戸より先覚的な意見なんてのは当時腐るほどあるよ、木戸は評論家のように外から評論し逃げ回ってただけ。
原則論を唱えるなんて、万年野党の日本共産党でもできる話だっつうの。

憲法制定、地方議会、文民統制論、教育の充実なんて、別に木戸が発案したわけでもなんでもないし、逆に原則的に反対してた奴って誰だって話?w

そもそも木戸の意見なんて長州閥に入れ知恵してた福沢だの渋沢だのらの意見だしw
776名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/12(木) 01:23:16 ID:C3XkECCbO
K塾の風潮では木戸の凄さを語る人間は いないよ 卑怯でも下の人間が輝けば良し 一族が輝けば良し 木戸が今日に存在していればテリー伊藤タイプだね
777名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/12(木) 01:34:16 ID:3TAU63Ys0
木戸=意見だけの評論家じみた政治家
司馬小説の影響力はホント凄まじいな〜
778名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/12(木) 02:06:33 ID:BPVR+tt7O
木戸は確かに留学生の意見なんかもよく聞く。
そこは落とすところではなく、むしろ長所だろう。
別に木戸が完璧とも誰よりも優れていると言う気はない。
だが、いくらなんでも逃げ回ってばかり評論だけというのは不当な評価だ。
779名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/12(木) 02:24:40 ID:5/gapf6T0
司馬史観すげぇな・・・
780名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/12(木) 03:22:47 ID:uuty6YcE0
司馬以外も明治以降になると同一人物かと思えないほど精彩に欠けるとか言われてなかったっけ?
木戸に好意的な人でも。
そもそも言うだけ思うだけなら誰でもできる。
もしその理念を元に学校でも作ってたなら福沢みたいに評価されたんじゃねーの
例え評論家じみてるって前提があった上でも
781名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/12(木) 03:59:45 ID:j0UIO2F30
木戸が精彩を欠くのは欧米視察後、馬車の事故に遭ってからだよ
その時の外傷性脳溢血で、木戸の政治生命は半分くらい絶たれんじゃないかな

言うだけなら誰でもできるってのはその通り
だから口先だけでなく、理念を政策化し実施した木戸は評価されてしかるべき
木戸を評論家と思って人は、このスレの上の方から読み返してほしい
結構、明治後の木戸についても語られてるから
782名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/12(木) 05:13:26 ID:+2aqbAXqO
>>775 普通に木戸でしょう。鳥羽伏見の戦いからまもなくの頃に憲法訂正に関する意見書提出してるんだし。議会についても頃合い見計らって自分が議長として立って実現したんだけど?
文民統制論を木戸は初めから明確に唱えていたけど?誰が反対してたって?
参議の西郷が陸軍の元帥にされた時に反対したことや、これだけなら薩に力を持たせたくなかったというかもしれないけど、
山縣の時もしっかり反対してるじゃない。
なんでもかんでも無理やり落としこむのやめてほしい。
783名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/12(木) 07:59:27 ID:6BT3Gt+10
木戸は社会主義的、大久保は資本主義的ってことはないかな?
伊藤が大久保につくのはそれだと思うんだよね。殖産興業。究極的には井上、渋沢
あたりが日本を引っ張ればいい、みたいな方向性。
木戸は、教育とか、その殖産興業で得たものをいかに分配、活用するか、という
方向性のように思う。その時代としては、大久保の方が必要だったと思うけど。
でも、木戸ファンが感じる木戸の普遍性は、要するに「政府は国民へのbenefitを
提供する」って姿勢にあるんじゃないかね。

木戸のファンにとって、木戸が「新しいことを思いついたから偉い」って観点はないな。
論でしかないものを木戸は実行できたとこが凄いんだよ。
その根回し力を含めて、木戸は超一流の政治家。

福沢は、たしかに偉いんだけど、自分は、政府に関わらなかった、っていう点で評価
してない。そこが評価されるのはわかるけど、自分は木戸ファンだからw
784名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/12(木) 09:11:22 ID:wi51FMcg0
大久保と井上、渋沢は大久保が暗殺されるまで対立関係にあったんじゃ?
渋沢は大蔵官僚時代、大久保に意見して不興を買って遠ざけられたはず
785名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/12(木) 10:06:09 ID:Hp7ljC/q0
当時の士族の世論見ればわかる話さ
士族が政府代表として悪の権化と憎んだのは大久保だし、逆に政府を倒す世直しとして期待したのは西郷

木戸は小物の前原に敵視されたくらいで、要するに士族には敵として恐れられても味方として期待されてもない
中途半端な存在力=影響力=政治力としか見られてなかった証拠
786名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/12(木) 10:23:25 ID:bM6Iryx10
民権派からの視線がさりげなく省かれてて泣いたw
787名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/12(木) 10:58:00 ID:+OREu6sh0
木戸pgr→木戸擁護→木戸pgr→…の繰り返しだな
なんで一部の西郷信者だか薩摩信者はやたらと木戸を叩くんだ?
木戸は三傑の一人なのは異議ないだろうに
788名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/12(木) 11:09:49 ID:+2aqbAXqO
>>785 なにそれ。士族から認められることが意義なの?違うでしょう。というか主あなたの言う士族って薩摩なんだから(だけじゃないのは認めるが)長州の木戸への支持が西郷より劣るのは当然でしょう。
明治って新しい世の中を作ることなんだから、士族の反応がが指標だと思ってることがそもそもの間違いですよ。

>>878それは思う。
木戸養護の人って、これは木戸の功績だと主張する書き込みの方が多いけど、
西郷養護派って何はともあれ木戸を下げる。
西郷派でも構わないけど他人を下げないと意見を主張できないのはどうかと。
789名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/12(木) 13:49:14 ID:pAo8X5Lv0
鹿児島人が必死すぎだよなあ。

鹿児島の人は郷土や昔の出身者を激しく誇るけど
逆に言えばそれ以外なんにも無い人たち。
全体主義的な教育を通ってきてるんで
自分というものもない。

比喩でもなんでもなくて原理主義者が多いから、
はなから、西郷は一番でなくてはならない。
長州人が活躍できたのも薩摩のおかげでなくてはならない。

すべての発想がそんな調子。
790名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/12(木) 14:28:23 ID:+2aqbAXqO
あ、今来て気づいた。788の私の記事アンカーおかしいや。878じゃなくて>>787だね
791名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/12(木) 18:56:17 ID:1j+38IMqO
西郷どんってのは戦国武将人気と同じで、スケールがでかいとか人格が尊いとか
そういうアジア的儒教的なモノサシだけで評価できる単純さが人気の秘訣だと思う。
大久保ならまだカリスマ云々でなんとか処理できるかもしれないけど、
木戸や維新の第二世代のように実際に政策に手をつけたような人らではそうはいかない。
792名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/12(木) 19:41:36 ID:qc32uTjJO
あれなんだよ、ニワカとか歴史専門でない人とかが物語とかから入ると、
単純故に人気でんだよ西郷しかり坂本しかり高杉しかり。
新撰組など話にならん。
この人たちって本来の魅力が信者によって歪められた気がするよ、とくに新撰組。

木戸とか明治近代組はさ、幕末をいろんな方面から見れて考察して、
本来のあの時代をわかりかけた奴らがたどりつける人物なんだとおも。
793名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/12(木) 20:06:19 ID:oYBOlVNQ0
仮に木戸が大久保と同じ能力と性格、もしくは西郷と
同じ能力と性格でもだめだったろう。
西郷、木戸、大久保は絶妙な配分だったと思う。
あとこの三人は政治に関しては私心がない感じでそれも
幸運なことだったのではないか。
西郷は西南戦争が死に時で役割を全うしたと思うが、
木戸と大久保に関しては健康な状態であと10年は
政治の世界にいてほしかった気がする。
794名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/12(木) 20:29:06 ID:+2aqbAXqO
>>792 まあ高杉は実際クーデターを成功させて長州の流れを変えたのは事実だし、『高杉が居なければ』って言う人の気持ちも解らないではない。ただ英雄化され過ぎな感は否めない。
坂本は論外。何あれ。坂本の功が無いとは言わないが普通に評価すれば中岡が功が大きいのに。
西郷は士族の英雄的要素は確かにあったのかもしれないが、それがなぜか、明治維新最大の英雄(坂本と並んでか)と主張する人多すぎて萎える。
こういう書き方をするとま長州贔屓とか言われるかな。

>>793 私利私欲には走らなかったね。ただ江藤への暗黒裁判はある意味大久保の私情ですよね。自分とそりが合わないから実質上の抹殺。
795名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/12(木) 22:54:11 ID:HTOx3fLy0
高杉は英雄だよ。
三田尻挙兵から太田絵堂の戦い
これが現代日本を開始したんだ。
http://www.urban.ne.jp/home/kenf/senjyo/oodaedou.htm

大田・絵堂戦役 戦死者・焼失家屋
        正義派 俗論党
1/7   絵堂  3  5  1
1/10  長登  1  1  5
       川上  8  5  7
       大木津 2  1
1/14  呑水  1  8
1/16  赤村  2  2
  合計      17  22 13

この数字を見ろ。ショボい戦闘ということなかれ
これが本当の静から動への転回点だろう。
驚くほどリアルだよ。
まさに革命の私心が公に転じる瞬間の戦闘だ。
ここから規模を順に膨らましながら戊辰戦争、引いては日清日露、
太平洋戦まで繋がって行く。
796名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/12(木) 23:15:14 ID:8Hr/1y3O0
高杉は長州藩内の権力闘争で勝っただけなせいか
ローカルな英雄臭さが抜けない
それから全てが始まった、みたいなのは過大評価だろう
797名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/12(木) 23:24:42 ID:BPVR+tt7O
大久保は今では妥当な評価なのかね?
798名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/12(木) 23:26:56 ID:HTOx3fLy0
一から起こすことに意味があるんだ。
最初は小規模。
0から100は百万から一千万より
遥かに難しい。
創業者ってのは偉いだろ、それと同じだよ。
799名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/12(木) 23:38:40 ID:HTOx3fLy0
動けば雷電の如く 発すれば風雨の如し。 衆目駭然、敢て正視する者なし
800名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/13(金) 00:21:53 ID:80AeKciB0
高杉が英雄だろうが何だろうが、このスレ的にはどーでもいい

>>797
元々低すぎた評価が
司馬が持ち上げてトントン
もしくは少し過大評価気味ってとこかね
801名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/13(金) 01:14:48 ID:TqxM3g+90
西郷、大久保が身長180ぐらい。
木戸が174でイケメン。

当時の平均身長が155(笑)だったそうで、
現代の平均身長が170としてそれぞれ+15センチすると、
現代の感覚では、
西郷、大久保が195。
木戸が189。
802名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/13(金) 01:27:22 ID:/J+VPjgS0
まぁ木戸はそこそこ凄かったけのは確か、だが木戸亡き後伊藤でも代わりが務まったほど
西郷、大久保は当時の世界でも、歴史を見渡してもこんな奴はもう居らんと言うほどの偉人
803名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/13(金) 01:55:44 ID:3fYX2qLH0
さすがに伊藤に木戸の替わりは無理
木戸や大久保という人間の後だから伊藤は務まった
ゼロから立ち上げた明治政府の首班をいきなり勤められるほどの経験は当時の伊藤にはないでしょ
804名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/13(金) 09:23:16 ID:1SllB3HDO
>>802 そんなに薩摩上げしたいですか?
西郷に関しては、もうこんな人居ないも何もあの時代でなければ役に立ってないし(これは高杉も)
士族率が薩摩が異常に多かったから薩摩の英雄=士族の英雄にたまたま繋がっただけでしょう。薩摩に士族が多いのは藩主の意向なんだから、本当にたまたまでしょう。
大久保の、やると決めたことを是が非でもやり遂げてしまうようなところはまさにビスマルクというか、良かれ悪かれ確かに今の政治形態ではこういう人は出ないだろうと思うが。
多分木戸は元々合議制主義というか、現代的だから少なくとも三人の中では1番今の世界に居ても通用すると思う。(さほど違和感無く溶け込めるという意味ね)

はっきり言って伊藤に木戸の代わりなんて勤まってないよ。実際大久保、長州の象徴として木戸を離さなかったじゃない。
伊藤は木戸も大久保も居なくなってからだから長州の一、ひいては日本のトップになり得たんだよ。
805名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/13(金) 09:28:41 ID:LeEVI1t8O
まあ伊藤が、木戸のかわりが実務的な意味でつとまったとして、
あの大久保と木戸のあとを引き継げるということは、
伊藤も凄い人材だったんだなとは思う

806名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/13(金) 09:30:33 ID:LeEVI1t8O
あ、書き忘れた
岩倉はどうなの、西郷より岩倉が三傑だっておかしくないだろう
大久保の相談相手だし
807名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/13(金) 10:53:53 ID:Kc84+bzy0
西郷の維新三傑に疑問が出るのは素行の悪さが原因だと思う
黒糖武力収奪や奄美や久光騙して兵奪ったり、江戸で惨酷な撹乱作業したり
小御所会議で相手を殺そうとして止められるとか。

そして岩倉はなおのこと素行が悪い
錦の御旗の偽造、あとそれの裏付けにもなる倒幕の密勅の偽造
密勅の方は天皇の署名が無いなど不審な点が後世で暴かれた
また「幼沖の天子」発言も岩倉の偽造だし
それに京都での殺人・略奪・レイプなどの撹乱作業

まあ二人とも「天皇殺し」を暴露してたら維新四傑になったかもしれないね
倫理的には問題があるだろうけど
808名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/13(金) 12:16:11 ID:bWmEA4WW0
仮に毒殺説が本当だとして
岩倉が英雄扱いされるわけないだろ
809名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/13(金) 16:41:52 ID:xfDxdGVt0
伊藤なんて岩倉の娘レイプしたとか言われるくらいのエロ親爺だぜ!
810名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/13(金) 18:11:59 ID:Kc84+bzy0
>>808
そうだよ。岩倉の素行の悪さはどんな功績をもっても贖えないし
見返してみれば西郷ほどの功績もない。
だから西郷を入れて都合よく維新達成後の薩長の巨頭を三人並べてまとめた。

>>809
伊藤は隠すのがうまいのと、あと岩倉の悪行に比べたら一人二人のレイプぐらい
問題にならないというか、自然に打ち消えてしまうから恐ろしい。
811名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/13(金) 18:55:16 ID:1SllB3HDO
ていうか伊藤は功績があまりにも大きいからすでにそういう問題じゃない。初代総理に初代枢密院議長。半端じゃないよ。憲法作ったのも伊藤と藤門四天王なんだから。
維新とかくくらなかったら明らかに、キングオブ・明治でしょ。
812名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/13(金) 23:46:46 ID:xfDxdGVt0
いや維新から離れるなよ取り敢えず
括らなかったらとか明らかにスレチ
813名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/14(土) 00:06:26 ID:tgwQlLIVO
>>811伊藤の話を続けようとした訳じゃなさそうだしスレチではあるけどこの程度なら全然ありでは?岩倉、伊藤と名前は出てきてた訳で。話の流れからは逸脱してないし。このままズルズル続けると問題ですけど。
明治の話ですらないレスがずっとつづいたことあったんですから。
814名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/14(土) 00:13:10 ID:tgwQlLIVO
あ、間違えた。812さんにアンカーつけなくちゃいけないのに811につけてしまいました。

それはともかく岩倉が素行の悪さっていうのは納得。
というより孝明天皇暗殺の黒幕説の有力候補とまことしやかに言われる時点で、よっぽどの功績無い限り傑人には選べないんじゃないですか。(冗談抜きでそれこそ明治中期からの伊藤ほどの功績があれば選ばざるを得ないかもですが)
815名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/14(土) 00:44:41 ID:bjADAvF90
伊東が維新の巨頭?無理無理。
816名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/14(土) 01:14:22 ID:uQPmh2tSO
そりゃ巳代治は無理だわ
817名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/14(土) 08:06:07 ID:kpaqp4Iq0
伊東なら四朗だろw幕府を一気にひっくり返す裏ワザ

自分は伊藤は買うけどな。
木戸と大久保にみっちりくっついてて、彼らのやろうとしてたことを継いだと思うよ、伊藤は。
憲法でも、国会でも。
で、また、出自が低いから、と身分の高い人には大目に見てもらい、身分の低い人にとっては
所謂その後の時代に流行る「立身出世」の旗頭になり得たんじゃないかね?

伊藤だって、下野してた方が全然儲かるしラクだったと思う。大久保死んだとこで、伊藤が一番先が
見えてたわけだから。
それでも政府に残ったのは、やっぱり志士なんだろうと思うんだよ。

自分は井上のが好きだけど。
818名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/14(土) 08:36:42 ID:tgwQlLIVO
>>817わかります。
伊藤は一度も投げ出そうとはしなかったしね。
井上はもっと評価されてもいい。明治初期、財政のやりくりしたし、『三井の番頭さん』とか揶揄もあるけど実際、早々に財界と繋がっていてくれたおかげで明治10年代から明治中ずっと、それなりに国庫が破綻せずにこれたと思う。
日露でしたっけ?賠償の関係で真っ先に相談する先が総理でも大蔵でもなく井上だったって。

三傑はまぁそれぞれ功績らしいものはあるけど、山縣は井上と違って何をしたのかよく解らない。
汚職を考慮しても評価されるべきだという功績が見当たらないような。1番の過大評価は山縣??
819名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/14(土) 10:01:12 ID:Lf3cLVPN0
山縣はむしろ過小評価だろ
軍国化の基礎を作った元凶の如く叩かれ、嫌われまくってるが
実務能力は突出していた

山縣が西郷好きだったってのは、単なるポーズか、
それとも本当に西郷の人格に傾倒してたんだろうか
長州人って木戸を筆頭に西郷嫌いなのに山縣はなんか異色だ
820名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/14(土) 11:21:38 ID:tgwQlLIVO
>>819 山縣が突出してたのは組織力(派閥作り)であって個人の実務能力ではないのでは?
実務ならやっぱり伊藤が上だと思うけど。
軍国化の元凶は事実でしょう。実際、陸軍が山縣閥化したと同時に陸軍が政治に影響力持ちすぎた。長生きしたために大正までずっと権力を誇ったからね。

こうなると木戸が山縣が西郷が参議でありながら陸軍の元帥になることや山縣が陸軍に属したまま参議になることを反対した意味がよく解る
821名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/14(土) 11:26:51 ID:IFMdeiZiO
山縣は何年か前、子孫で味の素の役員かなんかがセクハラだかなんかで事件
おこして新聞出てたな。
822名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/14(土) 11:38:16 ID:5rBBvBBH0
特徴ある長文レスしてる人は主観的すぎる気がする
個人的な好き嫌いが露骨に能力判定に響いている感じ
823名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/14(土) 13:14:14 ID:bjADAvF90
確かにここんとこ、主観が強いレスが多いよな。
本人はカモフラージュしているつもりだろうが、好悪がにじみ出ている。
というか、そろそろ話を西郷に戻さないか。
824名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/14(土) 13:45:43 ID:SKnzBM7RO
西郷についていい資料あったら教えてほしい。
偏りがなく小説や英雄的イメージの影響があまり感じられないので。
825名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/14(土) 14:47:41 ID:tgwQlLIVO
主観は強いが意味もなく貶める感じではないことと考えの理由を書いてる分まだいい。

思ったんですが薩摩の2人って幕末、明治にそれぞれ全く功績がない訳ではないけどやはり西郷は幕末、大久保は明治に比重が傾きますよね。けれど大久保の三傑に異論をあまり耳にしないのは維新=明治初期のイメージが強いから?
826名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/14(土) 14:55:42 ID:tgwQlLIVO
ごめんなさい。文脈確認忘れたら自分用語みたいになっちゃった。じゃなくて、確かに自分で読み返しても書き方下手で主観性は強いかなと思うけど、理由を書いている分、まだ、言いたいことは伝わっていると思いたいですと言いたかったのです。
とまあこれは何を言っても言い訳と取る方が居るのは仕方ないですが、下部の疑問には答えてくださると嬉しいです
827名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/14(土) 15:17:28 ID:W6t3NsBnO
大久保は朝廷工作やらで幕末も活躍したイメージ大きいけどな
828名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/14(土) 15:51:29 ID:/clVB1JBO
>>825
君の言動を見る限り、
征韓論について最初から出兵発言を重ねる木戸を持ち上げて、
外交官派遣に止めた西郷隆盛を罵倒するきみの行為は
不公正なものだ。
829名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/14(土) 16:40:19 ID:tgwQlLIVO
>>828 は?あの誰かと勘違いしてません?わたし確かに、木戸が征韓論を唱えていたのも方向転換したのも認めた上で、
木戸が征韓論反対に転じるまでには一年以上、しかも外国で色々なモノを見てきたのだから、
変わるキッカケには充分で、征台に反対して辞職してるんだから筋は通っていて政治家としての矛盾にはならないんでは?と書いたことはありますが、
西郷について征韓論云々言ったことなんかありませんけど?
私が言ったのは、
木戸が征韓論を唱えていたくせに西郷を追い落として・・・と言っている方々はむしろ、
征韓に反対した癖に征台は推奨した大久保について疑問を感じないならおかしいと言いましたけど。
830名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/14(土) 17:15:20 ID:/clVB1JBO
西郷隆盛について反論できずに
大久保に議論をすげ替え

これを卑怯と言う
831名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/14(土) 17:49:00 ID:2rt6RJxm0
>>828
鹿児島県が発行している『鹿児島県史西南戦争』第三巻(一九八〇年)のなかに、
広瀬為興稿「明治十年西南ノ戦役土佐挙兵計画」という文書が載っている。
これは高知県出身で板垣退助に近かった林有造の主張を記録したものである。

参議の西郷隆盛、副島種臣、板垣退助に加えて、
左院副議長伊地知正治が謀議に参加した征韓計画の謀議が載っている。

西郷は「先ツ兵ヲ北韓ニ上陸セシメ、平壌ヨリ京城ヲ包撃スルノ謀」を主張し、副島は賛成した。
しかし板垣は「先ツ其君主ヲ檎(とりこ)ニスルヲ主眼トスル」点では賛成しながらも、
北方からの包囲は難事とし、三分の一の兵を釜山に上陸させて、朝鮮軍の迎撃を待ち、
残り三分の二の兵力をもって江華湾方面に送って「突如京城ニ肉薄」し、その間に
釜山の兵力も海路平壌に送って敵の退路を断つという戦略を主張した。
伊地知正治は少し大規模の兵力派遣を主張したという。

西郷は板垣、伊地知を信頼して謀議を行なったようである。
「其進軍ノ戦略ニ就テハ板垣伊地知ノ二氏ニ委スヘシトノ事ニ門下中ノ領袖ニ漏洩シアリト云フ」
と記されていることも興味深い。

また当時司法省出仕だった有馬純雄(藤太)の回想『維新史の片鱗』によると、
有馬は西郷から朝鮮占領後の民政官任命を内示され、
当該地域の地図を探したという挿話を述べている。

西郷が征韓論を唱えた史実は、まったく揺るがないのである。

まずは洗脳解いて、勉強しなおそうね信者くん。
832名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/14(土) 19:48:21 ID:bjADAvF90
>>831
ふ〜ん、だから?って感じなのだが。征韓論って非難されることかね?
朝鮮側の態度に非があると思うのは、日本人として道理だろう。
征韓を実行した場合に恐いのは、列強の干渉であったわけで、西郷も外国を見ていれば良かったと、非常に思う。
833名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/14(土) 21:14:41 ID:uQPmh2tSO
>>825=>>826
自爆?
834名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/14(土) 21:49:57 ID:tgwQlLIVO
>>833 携帯から打っていたのでいつもと勝手が違って、
『指摘されて読み返すと自分でも主観性が強いのは認めますが、理由を述べている分、ただ悪意から述べているのではなく、一応言いたいことがあるのだとは伝わっていると思いたいです』と書きたかった。

下部の大久保と西郷についての質問を打ち込んだあとに言葉を弄ったら、実際に書き込みをしたら変だったから826でもう1回書きました。
自分擁護っぽく見えちゃうのは826にも書いてますが承知です。でもただ理由もなく『西郷なんて馬鹿』とか『木戸なんて役にたってない』とか言う人と一緒にされたくはなかったので。
835名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/14(土) 21:59:49 ID:tgwQlLIVO
>>830 意味不明なこと言わないでください。
大久保が征韓から征台でころりと趣旨がえしたのは事実なんですから。ただ、木戸が趣旨かえしたことに文句をつけるなら、大久保の趣旨かえに目をつぶるのはどう考えてもおかしいでしょう?
まだ木戸も大久保も両方責めるなら解りますが、木戸が趣旨がえしたことについて色々言ってる人があるのに大久保についてだけ言及しないのはどう考えてもおかしいじゃない。
836名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/14(土) 23:21:13 ID:/clVB1JBO
>>831
板垣退助は、後藤象二郎とともに征韓論を主張し、
その後も西郷隆盛の遺志が自らの意志であり西郷隆盛も賛同した自らの意見は神聖だと一方的に主張した。
征韓論は板垣退助らの持論であり、西郷隆盛に反対意見があったと彼らが言うわけがない。
君の意見はおかしい。
>>835
西郷隆盛についての君の意見はおかしい。
誤魔化すために大久保を持ち出す姿勢は君の不公正さを示している。
837名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/15(日) 00:27:32 ID:9zzmPysA0
>>836
まずは、板垣がうそを言ってるという資料的な根拠なりソースなりを出せ。
有馬の回想はどうなんだ? これもうそか?
おまえの書いていることはおまえの「願望」だ。
ていうかおまえが来ると話しがループするだけだから来なくていいよ。

おまえが正しくて、このスレが間違ってる。
木戸ごときはセゴドンの提灯持ちさ。

これでいいかい?
満足したら消えてくれ。
838名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/15(日) 02:46:05 ID:I9/lbYWI0
三傑なんて言わず、一傑だったら、間違いなく西郷を俺は選ぶけどな。
指導者と事務方は違うのよ。
事務方なんて代わりはいくらでもいる。
839名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/15(日) 02:53:49 ID:dZkIBS3L0
三傑はみんな時代の指導者だろ
その上で事務もこなせたのが木戸と大久保

そして指導者でさえ代わりはいくらでもいる
西郷が死んでも明治は続いた
840名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/15(日) 03:40:34 ID:9g91eBnk0
優秀な指導者はそうはいない。(なりたがる人が多いけど)

西郷を評価できない人は、想像力の欠如のせい。
武士の時代、侍の時代だったのよ。
しかも幕末。
あれほど混乱した時代に、なぜ彼にあれほどまでの求心力があったのか、
日本のどの時代を見ても、かなり特異な存在だと思う。

それに、「現代にも通用する」とかなんとか、やたら価値観を持ち出す人が多いけど、
価値観なんて時代とともに変化するもの。「現代の感覚」なんて、いつ古臭くなるかも
分からないし、人間が時代を離れて存在するなんてあり得ない。
私は、現代の人間の屁理屈よりも、あの時代を生きた人の判断を信じるよ。
あの時代に、西郷隆盛という人物は確かに必要だったし、多くの人がついていったし、
明治維新と言うもっとも重要な役割を果たした。

今まで光のあたって来なかった人の功績を見直すというのは重要だと思う。
だが、逆に、当時の人たちが当時の人たちの感覚で大きな功績があると認めた人を、
あの時代を直接知ることができない今の時代の勝手な価値判断で、
その名誉を汚そうとする人たちの人格を、正直疑うわ。
841名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/15(日) 04:34:31 ID:9zzmPysA0
>>840
「西郷を評価できない人は、想像力の欠如のせい」
逆にあなたの場合は想像(願望)だけで評価してんじゃないの?
自演か?
西郷は薩摩士族のあいだではあなたの非論理的な文のごとく
理屈抜きの天皇みたいなもんだったろうとは思うがな。

頼むから鹿児島の郷土スレでも行ってくれ。
842名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/15(日) 04:58:44 ID:jlORncYq0
>>841
俺には、西郷隆盛を評価できない人には、
時代に対する想像力が欠如しているのは確かだと思うがな。

まあ、品性の欠片もない煽るだけの言葉を並べる奴には(ry
843名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/15(日) 05:03:21 ID:jlORncYq0
>>840
> 私は、現代の人間の屁理屈よりも、あの時代を生きた人の判断を信じるよ。

これは確かにそう思う。
844名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/15(日) 05:57:15 ID:4aRwrbLZO
>>840

現代の感覚なんてモノは〜
その通り。だからこそそれなりに政治家の面を持っていた木戸・大久保は時代に応じてそれなりに適合できる可能性が高いということじゃ?
精神的な部分と、士族要素が強すぎる西郷よりは。
これもまた事実だとは思うよ。






>現代人の勝手な屁理屈よりも〜、想像力足りない

そんなこと言ってたら歴史学ぶ意味ないんだけど。
歴史は下手な想像で語るべからずだよ。
もちろん真実が現代人に確実に解るわけではないからせめて6〜8割ほどは裏付けあるところから残りの可能性を想像するんだろう
これは別に西郷に限ったことではないが。
845名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/15(日) 07:52:04 ID:2VGG6qfD0
当時の士族の世論見ればわかる話さ
士族が政府代表として悪の権化と憎んだのは大久保だし、逆に政府を倒す世直しとして期待したのは西郷

木戸は小物の前原に敵視されたくらいで、要するに士族には敵として恐れられても味方として期待されてもない
中途半端な存在力=影響力=政治力としか見られてなかった証拠

846名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/15(日) 08:12:22 ID:2VGG6qfD0
西郷はまさに偉大な大政治家であり大略家であり哲人なのである

>>839
大久保も木戸も実務家じゃないよw
847名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/15(日) 09:06:00 ID:1XsLbkFM0
>>785=>>845
盲目的西郷信者って自分のレス以外読まないのか?
848名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/15(日) 09:09:57 ID:BJ03QYAnO
当時の不平士族っていらない子でしかないイメージなんだが、
それらに支持されてても何がすごいのか、現代人の感覚ではよく分からん。
反逆したのに早々に許されて銅像立ってるのはすごいと思う。

ちなみに木戸も不平士族からは嫌われてた、
大久保暗殺の斬奸状では大久保よりも先に名前が挙がってたし。
西郷側からだと盟友の大久保が木戸ら長州閥のせいで敵になってしまったように見えるんじゃないかな
849名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/15(日) 09:57:34 ID:2VGG6qfD0
不平士族が要らない子?それこそ非現代的だろw
健全な野党がいらないと言うようなもの
850名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/15(日) 10:19:01 ID:4aRwrbLZO
>>847 ナイス。同じようなの前にも見たと思ったが本当に一言一句同じ。あきれるわ。
851名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/15(日) 10:20:48 ID:2VGG6qfD0
要するに正論過ぎて反論できないんだろ?w

当時の士族の世論見ればわかる話さ
士族が政府代表として悪の権化と憎んだのは大久保だし、逆に政府を倒す世直しとして期待したのは西郷

木戸は小物の前原に敵視されたくらいで、要するに士族には敵として恐れられても味方として期待されてもない
中途半端な存在力=影響力=政治力としか見られてなかった証拠
852名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/15(日) 10:39:59 ID:CT7yLQvOO
>>846とかコピペの>>851は釣りなんだろうが、
ネウヨの教祖三島由紀夫とかの影響でマジでこんな感じの信者がいるのも事実。
853名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/15(日) 11:27:45 ID:2VGG6qfD0
わかったから反論しろよチョン
854名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/15(日) 16:34:40 ID:YNoWGEqK0
>>844
> そんなこと言ってたら歴史学ぶ意味ないんだけど。

逆だろ。
当時の人が何故あれほどまでに西郷を評価したのかを論じることはあっても、
「オレ、西郷が気に食わないから、維新三傑から降ろそうぜ」なんていう態度は
歴史を学ぶ者の基本的な態度ではない。
855名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/15(日) 16:50:46 ID:/+ylqpr30
スレ住人の態度とか人格とかオーバーなんだよ
856名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/15(日) 17:21:41 ID:4aRwrbLZO
>>854
>オレ気にくわないから・・・
そんなことは解ってる。ではなくて、ある程度事実に基づいて『西郷より三傑に相応しいものがいるのでは』と論じる誰かが居たときに、
「それは現代人の感覚で、当時の人があれだけ西郷を慕ったんだから西郷が三傑」
と初めから否定してしまうのならば学ぶ意味がない。論じる意味なんかないということ。
857名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/15(日) 17:38:15 ID:y9hp2Tmv0
>>856
いや、ぜんぜん分かってないんじゃないの?あんたw

当時の時代の価値観の中で生きた当時の多くの人達が、なぜ西郷を評価したのか?
を検証することは意味があると思う。
だが、現代の価値観しか知らない我々が「あいつが本当に三傑にふさわしいか?」なんて、
まさに論じるに値しないと思うよ。それこそ、歴史に対する冒涜でしかない。
というか、そういう人は歴史を語る資格さえない、と思うね。
858名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/15(日) 17:50:41 ID:4aRwrbLZO
>>857 前半はわかるよ。
だが、あなたの言い方だと、別に西郷の功績を否定する意味ではなくて他の人の実績を見直して、西郷よりも上回ると思った時に、あえて『三傑』と人数に拘るならよりこちらを 入れた方がいいほど提言してみることにさえ意味がないってことだよ。
最初に総称で呼ばれた人間以外は認めない前提でいくなら意味なんかない。もうひとつ言うと『三傑』と読んだのは所謂現代人。
859名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/15(日) 17:57:54 ID:y9hp2Tmv0
>>858
> だが、あなたの言い方だと、別に西郷の功績を否定する意味ではなくて
> 他の人の実績を見直して、西郷よりも上回ると思った時に、あえて『三傑』と
> 人数に拘るならよりこちらを 入れた方がいいほど提言してみることにさえ
> 意味がないってことだよ。

これ↑ 全く意味がないね。きっぱり
860名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/15(日) 18:14:10 ID:4aRwrbLZO
>>859 ああそれが意味ないって前提なのか。なら貴方の言いたいことには納得だがならばまさにこのスレの否定。何故此処に居るんですか。

あと別に西郷関連でなくとも、むしろ人の心情なんてものは確かに時代背景によるから、『なぜ慕われたのか』を論じても難しいと思う。
それよりは、政治的功績を論じる方がまだ現代人でも正確に掴めると思うのだが。
861名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/15(日) 18:21:30 ID:BJ03QYAnO
三傑と呼んだのは当時の人じゃないのか?
徳富蘇峰の明治三傑が初めてなら戦後あたりか
862名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/15(日) 18:22:16 ID:y9hp2Tmv0
>>860
あんたの場合、論じるってレベルじゃないだろ
863名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/15(日) 18:24:40 ID:y9hp2Tmv0
>>861
徳富蘇峰が自著で書いているものの、正確には誰が言いはじめたかはわかってない。
明治当時からそういう呼び方があったようだが。
864名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/15(日) 18:31:26 ID:77sCCbrCO
当時の人々の心を掴んだのは何故かって視点もよいと思う。
それには当時の時代背景というのもよく知る必要があるわけで、
大変だけどそこは歴史を勉強する醍醐味だと思うんだが。

そして現代人はその後の歴史も知っているわけで、その視点から見ての評価もよいと思う。
明治維新ってたかだか141年前の出来事なんだよな。
それこそ戦国時代なんかに比べると制度とか考え方とか現代に繋がっている時代だ。
そういう意味で現代人の視点からの評価が必要な時代でもある。

多角的に見たほうがおもしろい。
865名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/15(日) 18:34:34 ID:4aRwrbLZO
>>862 なぜそこで個人のことになる。あんたの場合も何も個人的な論力の話をしたつもりはないが。

>>861 少なくとも誰もが知るほど普及したきっかけは徳富だろうから現代人と書いた。ああでも戦後だとまだ現代人とは考え方に相違があるな。
866名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/15(日) 18:41:34 ID:4aRwrbLZO
>>864 別に心情を論じることが意味がないとは言わないよもちろん。
ただ政治的な背景と合わせて語ってほしいとは思う。
867名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/15(日) 18:42:53 ID:NqhgjjLl0
>>864, >>865
現代人ってそんなに偉いのか?w
868名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/15(日) 18:46:15 ID:77sCCbrCO
手元に蘇峰の近世日本国民氏明治三傑があるんで確認してみた。

第六章の最初に

維新の三傑といえば、誰しも西郷・木戸・大久保を推すが常識である。

とかいてある。
蘇峰が最初ではないっぽいね。


>>867
おいおい…>>864の発言でそんなことを言われるとは思わなかったぞ。
869名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/15(日) 18:52:25 ID:KFlCtGTO0
何故、西郷があれだけ同時代に慕われたか?
確かにこの事を模索するほうが、このスレの主題として、ふさわしい気がするな。
西郷を貶める意図のスレだとしたら、場違いな意見だろうが・・・
謎の多い人物だからこそ、正体に迫る議論があっても良い。
どうも西郷に肯定的な推測をすると、すぐに鹿児島人の自慢と断定する輩もいて、戸惑うばかりだ。
まあ、ネタと言えばそれまでだが、もうちょっとねw
870名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/15(日) 18:53:43 ID:4aRwrbLZO
>>867
偉いとか誰が言った?
ただ過去を見直すときに心情的な面だけでなく実際の当時の政治と合わせて語って欲しいだけ。


>>868 やはり当時から呼び名はあったのか。まあ山形なんか昭和天皇の后の選定きっかけに失脚しているんだから本当に近代だな明治。
871名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/15(日) 18:58:31 ID:NqhgjjLl0
>>869
全く同意だなw
872名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/15(日) 19:01:09 ID:NqhgjjLl0
>>870
お前が言った。
お前の過去の発言を一通り読んだが、現代人の思い上がりを感じるよw

> 当時の政治と合わせて語って欲しいだけ

↑今頃、こんなことを言っても無駄だよw
873名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/15(日) 19:08:58 ID:4aRwrbLZO
>>872 言ってないが。
初めから当時のと合わせて考えろと言っている。

どこをどう読めば現代人は偉いなんて意見だと読めるんだ?
実績面で西郷を上回る者が居るだろって話が出たときに『それは現代人の感覚』と初めから否定するなら意味がないとは言ったが。
何故これが現代人が偉いになるのか・・・。読解力をつけましょう。
874名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/15(日) 19:17:00 ID:NqhgjjLl0
>>873
>>840さんの意見に対するお前の反応の仕方あたりから見て明らかなんだが。
お前の過去レスからは、まさに>>869さんの言う「西郷を貶める意図」がミエミエなのに
本人だけが気がつかないw
875名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/15(日) 19:33:12 ID:4aRwrbLZO
何故?大久保・木戸が西郷より政治家的な面を持っていたのは事実だろう。
西郷に軍人としての側面が強いのも。
だから少なくとも現代に西郷は適合出来ないだろうとは言ったがそれは貶めじゃない。





感覚的なことについては現代人の感覚で語ることに意味がないとしてしまえば、現代人の我々が歴史を語れなくなるんだから意味ないってことなんだが。
876名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/15(日) 20:33:24 ID:cWkAsN8Y0
もう何言い争ってるんだかよくわからんが
>西郷を評価できないのは想像力の欠如のせい
これはどうかと
想像力なんて個人の主観が左右するもんだろ?
それをここで個々にバラバラな想像力持ち出して
西郷を自己流に評価したってどうにもならんのじゃないの
877名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/15(日) 21:55:42 ID:Vcr7Jx2Y0
>>875
あほか。時代を抜きにして人物を語れるかよ。
それに、軍人としての側面が強かったが、それをもって西郷の評価が下がるわけじゃない。
明治っていうことで勘違いをしている人も多いけど、侍の時代だよ。
西郷はあの時代にもっとも必要な人物だったと思うがな。
878名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/15(日) 22:03:02 ID:KFlCtGTO0
また話がループしてるな・・・
879名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/15(日) 22:09:18 ID:yvbCCvos0
西郷を維新三傑と呼んだのは現代人、なんて言うような無知な奴が
よくもまあ偉そうなことを言えるもんだな。
880名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/15(日) 22:28:28 ID:9zzmPysA0
信者はなんか勘違いしてねえか?

西郷を時代を抜きにして語れるか、という感覚自体が
現代の信者感覚から出ているものであるという矛盾に気付いてないw

だいいち西郷を貶める書き込みなんてほとんど無いんだが。
信者を憐れむ書き込みはあってもw
881名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/15(日) 22:30:23 ID:yvbCCvos0
私は、歴史に埋もれた人物を再評価しようとは思うけど、>>ID:4aRwrbLZOみたいに、
当時から「維新三傑」と評価された人物を、現代人が再評価して、その位置から引き摺り下ろそう
とする心的態度は、到底理解できないなあ(笑
882名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/15(日) 22:37:16 ID:yvbCCvos0
>>880
「信者」って発言が、発想の貧困さを表してるよ

西郷には、時々、強烈な信者がいるけど、
このスレを見る限りそういう信者は多くなさそうだ
883名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/15(日) 22:51:25 ID:KFlCtGTO0
むしろ「信者」とか言ってる人間に憐みを感じるw
884名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/15(日) 22:54:16 ID:yvbCCvos0
>>883
まったく同意見です。
885名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/15(日) 22:56:12 ID:9zzmPysA0
べつに西郷を批判してるわけじゃなくて
信者を批判してるんだから、
信者じゃないというおまえら的にもOKだろ?
なぜいちいち顔真っ赤にしながら出てくる?w
なぜいちいち「信者」という言葉に反応する?w
886名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/15(日) 22:58:18 ID:cWkAsN8Y0
このスレのほとんどの人間が西郷が三傑なのに異存はないように見えるが
最近はスレタイから話が逸れていって、もっぱら
西郷マンセーと西郷叩き、木戸マンセーと木戸叩きの繰り返しだろ
887名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/15(日) 22:59:27 ID:KFlCtGTO0
↑ものの憐れとは、こういう事を言うのだろうか・・・
まずは、口のきき方から直した方が良さそうだな。
888887:2009/11/15(日) 23:01:37 ID:KFlCtGTO0
アンカーつけてなかった。885へです。
889名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/15(日) 23:02:46 ID:yvbCCvos0
西郷叩きと、それを諌めている人しか見たことない。
西郷叩きが必死すぎると思う(笑
890名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/15(日) 23:11:02 ID:yvbCCvos0
>>887
>>885みたいな人が幕末に産まれていたらいつまで生き残れるか?を想像してしまうね(笑
891名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/15(日) 23:21:05 ID:KFlCtGTO0
>>890
残念だよねw
892名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/15(日) 23:21:43 ID:lg9XMGckO
世の中には宗教というものがあってね…
まあ西郷教というかね…
宗教戦争がなかっただけ日本はマシだよね…
893名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/15(日) 23:23:30 ID:9zzmPysA0
おまえら書き込み連投しなきゃ気が済まないほど
悔しかったのかい?w
ここまでしつこいと信者というより狂信者だなw
おっと、信者じゃないというならスルーしてくれるよな?
894名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/15(日) 23:33:41 ID:yvbCCvos0
日本にも宗教戦争は沢山あるけどね。
895名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/15(日) 23:36:46 ID:KFlCtGTO0
ぷっw
896名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/15(日) 23:40:14 ID:cWkAsN8Y0
何か変な流れだな、今日は
生存当時評価されていた人物を
後世の人が批判するのは僭越なのか?
よく「歴史の判断は後世に委ねるしかない」とか言うじゃん
897名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/15(日) 23:49:05 ID:CnnYgHNr0
>>886
> このスレのほとんどの人間が西郷が三傑なのに異存はないように見えるが

このスレ読んでる?(笑
昨日今日と、どうしても西郷を三傑から引き摺り下ろそうとする人と、
それに教育的指導をしている人のレスだけだよ。
898名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/15(日) 23:54:33 ID:CnnYgHNr0
>>896
レス読んでる?w
899名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/16(月) 00:17:01 ID:7/dN4ycmO
かまってちゃんは誰と戦ってんの?
900名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/16(月) 00:22:01 ID:pPAUdBfP0
愚かな信者を罵倒するレスはあっても
西郷をひきずりおろすレスなんてないけどなw
西郷擁護は方便で、ようは自分ら信者の愚かさを
突かれるのが我慢ならないようだw
901名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/16(月) 00:28:39 ID:szUqGzCH0
>>900
かまってちゃんは誰と戦ってんの?
902名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/16(月) 00:32:56 ID:pPAUdBfP0
>>901
かまってくれる信者さんがいるからw
903名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/16(月) 00:34:02 ID:szUqGzCH0
>>902
かまってちゃんは誰と戦ってんの?
904名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/16(月) 00:39:45 ID:UUBrtgok0
君はかまうちゃん?
905名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/16(月) 02:36:18 ID:Vabw9OK/0
西郷の功績見ると諸藩連合、薩長同盟、薩土盟約、王政復古、江戸城無血開場、廃藩置県、徴兵制と近代化に置いてもっとも大きな問題を処理したと言う感じ
日々の政治的処理はともかく、単純に政治家としての能力は大久保を凌ぐし、木戸なんて小物は相手にもならない
906名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/16(月) 07:53:53 ID:pPAUdBfP0
>>905
> 大きな問題を処理したと言う感じ

ずいぶんおおざっぱな西郷評ですねw
すごいよ、その時代を見とおす信者さんの想像力ってw
907名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/16(月) 08:30:32 ID:/w05rpOL0
>日々の政治的処理はともかく、単純に政治家としての能力

ナニコレ?
単純な政治家といての能力って何
政治的処理をするのが政治家の仕事だろ
908名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/16(月) 09:12:55 ID:QAu9GMzz0
決意の西郷、実行の大久保、評論の木戸。
909名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/16(月) 11:14:55 ID:uQx4DzVD0
信者イコール鹿児島人。

こいつら西郷の業績なんて実はどうでもいいの。
たんに出身者をまんせーしたいだけ。
だから具体的な歴史観もなければ、
表現としてあきらかに滑稽なこと書いてくる。

結果、こいつら自身が西郷をおとしめてることが分かってない。

ほんとうにあわれ。
910名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/17(火) 02:18:33 ID:dDRMyf1p0
君の出身地、会津若松が泣いているよ。
911名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/17(火) 08:12:25 ID:pmydg89R0
おれは会津人でもなんでもないけど、
こいつら鹿児島人であることを否定しないところを見ると
やはり鹿児島人であったか(苦笑)
912名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/17(火) 11:56:53 ID:xzUIBuJjO
奄美でも西郷と一緒にいた重野安繹(しげのやすつぐ)は薩摩出身の実証主義歴史学を確立
した人だが西郷を一見、器が大きく見えるが、その実人の好き嫌いが激しく嫌いな者には疑い深く
たいしたやつでないと書いてる。
913名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/18(水) 01:06:08 ID:D32xeo1Z0
>>912
その話しは初めて聞きました。
重野安繹という人は公正さという点で誰よりも信用に値する人物のようですし、
なぜその話しを知らなかったのか不思議です。
情報統制でもされてるんだろうか?
914名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/18(水) 01:09:23 ID:Zk+Jk4ER0
まったく笑えるよw
915名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/18(水) 01:31:46 ID:D14e6ZPM0
>>911
会津人が長州人を恨むのはよくわかるが、
薩摩人を恨むのはよく分からないな。
916名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/18(水) 01:37:50 ID:D14e6ZPM0
会津観光史学的な見解は、歴史を愚弄するものであり、
会津戦争などで不幸にしてなくなった人たちの死を無駄にするものである。
917名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/18(水) 01:45:45 ID:D32xeo1Z0
??
どうして会津の話しが出てくるの?
どうも決定的な西郷評が出て来ちゃったものだから
ごまかしにかかってるんだろうか?
918名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/18(水) 01:50:02 ID:D14e6ZPM0
馬鹿馬鹿しい、その反対の言説が腐るほどあるというのに
919名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/18(水) 01:52:05 ID:Zk+Jk4ER0
どこが決定的なんだかw
鹿児島人断定厨が入ってきたあたりから、議論になってないだろw
920名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/18(水) 04:50:28 ID:/+wzBSOC0
>>912
久光の子分なw
921名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/18(水) 05:53:46 ID:cHLqB4cmO
重野安鐸って西郷の伝記を書いてくれ、と大久保が頼んだ人だよな
大久保暗殺時に懐にあった西郷からの手紙は、その伝記の資料の為に持っていたものだとかなんとか
922名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/18(水) 20:24:49 ID:IoYVuvcs0
鹿児島人信者が対応に追われているようだな。

現代のわれわれの視点で西郷を論じても意味がない、
同じ時代に生きた人の証言こそ信じるべき。

という信者の歴史認識にぴったりの資料が
出てきちゃったもんなw

重野安鐸、同時代人で同じ薩摩人。
久光の子分と書いてる人がいるけど、
そんな小さい人物ではなかったようだぞ。
薩摩人には珍しく、誰の子分でもない、
非派閥的な学究人であり同時に
人の罪を被って島流しされた剛毅な人。
そういう人物の証言だけにこれは疑いようがない。
923名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/18(水) 20:28:28 ID:XlgD98TA0
そもそも西郷は鬼畜ってだけで大した能力もってなかったよ
西南戦争で本気で明治維新を再現して勝てると思ってたくらいだし、
木戸孝允が死に際に「西郷いいかげんにせんか!」と唸ったのは有名。
924名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/18(水) 20:29:42 ID:DoCtKWwk0
自分は会津が薩摩を憎むのはわかるが、長州はわからんな
最初から敵対してたやん
925名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/18(水) 20:47:05 ID:vICADcsX0
だよな
会津攻めだって薩摩と土佐が担当したんだし

木戸が最後まで容保の死刑を主張したことくらいか?
でも長州が幕末の京で会津に散々に痛めつけられた遺恨を思えば
わからんでもない
926名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/18(水) 21:01:50 ID:eSx7WbbE0
>>923
その大した事がない西郷に長州は良い様に手駒にされたんだが?
都落ちさせられ、朝敵にされ、滅亡寸前に追い詰められた所を今度は頭をなでられ同盟を結ばせてもらい
弟分として薩摩に従属させられ明治維新

明治でも最後まで西郷や大久保に主導権を握られ、内では子分の伊藤まで大久保に取られ
「西郷いいかげんにせんか!」と死ぬ間際まで良いようにされた
927名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/18(水) 21:08:54 ID:vICADcsX0
最終的には長州の方が薩摩より上手じゃねーの
大久保以降の薩摩ってショボくね?
928名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/18(水) 21:26:42 ID:cHLqB4cmO
大久保が異端過ぎただけで薩摩人自体が政治家に向いてないのかもしれない
長州なんて維新であれだけ死にながら人材が尽きていない
議論好きで軽くて八方美人の方が世渡りが上手くいくんだろうな
929名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/18(水) 21:35:03 ID:eSx7WbbE0
黒田も色々個人的な問題はあるけど政治家としては相当優秀だよ
西郷弟も政治家としては相当優秀の部類、伊藤のように自ら策を持って動くタイプじゃなく山県のように権力欲主義じゃないから目立たないだけで
930名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/18(水) 23:25:52 ID:PvIFWTQb0
山本権兵衛涙目
931名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/18(水) 23:53:31 ID:Zk+Jk4ER0
薩閥と長閥は、国政も軍事も譲り合っているイメージ。
薩長同盟が明治後半まで生きていたんだな。
932名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/19(木) 00:06:45 ID:estkortn0
西郷株が暴落したんで
鹿児島信者の拠りどころが西郷以外の出身者にシフトしてて笑えるw

しかも薩長同盟とかもちだして、長州にすり寄ってるしw

なんか可哀そうになってきたw
933名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/19(木) 00:10:27 ID:Osumrg5M0
>>932
うざ杉
934名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/19(木) 00:19:11 ID:hCd2OLhG0
薩長同盟の話が出てきたついでに言うと、
幕末の人物でもっとも過大評価されているのは坂本龍馬だと思うね。

薩摩は第二次長州征伐に参加せよとの幕府の命令に対して、
いろいろ理由をつけて拒んでいるが、あの頃から、薩摩は長州と組むことを模索していた。
薩摩、長州のどちらにも属さない誰かを仲立ちに入ってもらおうとし、
その「使いっぱしり」が坂本龍馬だったに過ぎない。
坂本龍馬は亀山社中の件で薩摩に恩義があったからね。
別に坂本龍馬がいなくても、薩摩は他の人物を使って長州と組んだだろう。
935名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/19(木) 00:27:31 ID:hCd2OLhG0
西郷、大久保、木戸が維新三傑と言われるのは妥当も何も、
これが当時からの評価だ。

個人的には、勝海舟とかも入れたいんだけどね。
旧幕府側の人間だから入れにくかったのはあるんだろうな。 
幕末から明治維新へと比較的スムーズに移行できたのは、
勝がいなければありえなかったと思う。

一人を選ぶとしたら、西郷。
二人を選ぶとしたら、西郷と勝かな。
三人を選ぶとしたら、しょうがない、西郷と大久保と木戸かな、、となる。
936名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/19(木) 00:37:21 ID:XqSgOsaw0
薩長同盟については龍馬云々より中岡が不当に評価されてないよね
937名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/19(木) 00:42:37 ID:dc66V4gR0
>>935
維新三傑は倒幕と維新の両面で活躍した人物という定義だろ
維新後はグチグチ言ってたただけの勝はアウト
938名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/19(木) 11:45:27 ID:zRLGoGO7O
126:名無しさん@十周年[]
2009/11/19(木) 09:47:53 ID:A5PrSoUm0
>>8
鹿児島の害は現在進行形のものだから。
特に被害が大きかった奄美が怒るのも当然。

奄美は記録・旧記類を没収されて薩摩統治時代より
以前の歴史を奪われ、黒糖専売制の下で過重な貢納ノルマを
課されて人口の数割が債務奴隷になり、モノカルチャー化し、
余剰分の黒糖も薩摩藩がお安く独占買い上げ。それだけでは
飽き足らず、日用品も薩摩藩がボッタクリ価格で独占販売。
蘭領東インドの強制栽培制度でもここまではやってない。
しかも、それで飢饉が起こっても薩摩は録に支援せず。
既に奄美の統治者でなかった琉球が支援する始末。
西郷隆盛とかも奄美人にはただの鬼畜外道。敬天愛人とか大嘘。
939名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/19(木) 16:34:40 ID:v62U/EYVO

ぎをゆな ぶったくっど
940名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/19(木) 16:49:41 ID:zRLGoGO7O
>>939
視野狭窄的郷土偏愛主義者乙www
941名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/19(木) 16:53:50 ID:iubK7S+tO
>>935 しょうがないっていうより維新三傑は幕末+(今三傑とされている三人が生きていた)明治10年までと考えるなら木戸は間違いなく入る。
薩摩は西郷と大久保が二人で支えていたけど長州は間違いなく幕末からずっと、木戸が棟梁だった。
942名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/19(木) 18:13:25 ID:Tjc5K47a0
因みに薩摩藩は”ハチ公”よりも”八公二民”で有名だけどね。
これはかなり重い年貢だね。
943名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/19(木) 19:28:41 ID:ntk4pllh0
西郷は豪傑肌に見えて、じつは器量が小さかった
というのは事実のようだな。

奄美では、現地の人をハブ呼ばわりしていたようだし。
944名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/19(木) 20:57:44 ID:8fEoK0bG0
大きくうてば大きく響き、小さくうてば小さく響く
というだけのことだろ
945名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/20(金) 10:10:58 ID:tOlyobcoO
>>943 それそれ、重野安繹がマジ書き残してる。
946名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/20(金) 19:01:13 ID:VVSa2yYp0
にもかかわらず、
鹿児島本土につたわる伝承では
西郷が島民とともに蜂起し、
藩役人に拷問を受けていた島民を解放させた
なんていう美談にすり替わってるんだよ。

西郷は島民を土人あつかいし、
明治の廃藩置県後も収奪の手をゆるめる
ことがなかったのに。
実際は、西郷が死んで
はじめて島民が人間としてあつかわれるようになったというのに。
947名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/20(金) 20:20:51 ID:tOlyobcoO
西郷ってけっこう気分屋だったという伝承もあるから、ひどいことも、まどもなことも、
そんときの気分でしてたんでねの?
948名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/20(金) 20:36:48 ID:0KuNblP+O
翔ぶが如く
世にすむ日々
歳月
竜馬がゆく

その他短編集
司馬の幕末愛は異常だな…
ひとつわかんないのは
西郷が陸軍大将っても軍事知識も運用の実務も何も知らない素人なんでしょ?
949名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/20(金) 21:40:33 ID:2NzDJ1gs0

非難されるべきは上のような愚行があったことを
肯定も否定もせず、ただただ無視することで、
あたかも何も無かったかのように
振る舞いつづける鹿児島信者の厚顔卑劣ぶりだろうな。

ただただ、西郷がいちばん偉い、一傑なら西郷
お経のようにそればかり。
950名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/21(土) 03:09:38 ID:EUY4CPYC0
はぁ?んなもん西郷がやったわけじゃねーだろw
新政府の給料なんて一般人の何十倍だよ、木戸を筆頭に贅沢三昧しといて民権面w
士農工商全てから恨まれてる分際でwww
951名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/21(土) 08:04:57 ID:SPRbjhOnO
>>950
とりあえずお前が読んだ資料や本を教えてもらおうか
952名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/21(土) 12:14:39 ID:qlJiLkPV0
西郷さんは偉いな〜w
953名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/21(土) 15:00:58 ID:ITQV3zCVO
>>950 前に誰かも書いてたけど木戸って財政難の時、政府の要人から順に給料下げろと三条・岩倉に進言してるけど?根拠なく無意味に徴収落とし薩摩上げやめなさいね。
大久保の借金に関しては素直にすごいと思うけど。
954名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/21(土) 15:24:51 ID:AMxpUiyGO
全部から絞り取ろうとする新政府と、
地元の士族だけ贔屓する西郷及び薩摩ならまだ新政府の方が納得いくな
955名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/21(土) 15:53:00 ID:qlJiLkPV0
廃藩置県をまっさきに実施したのはどこだっけ?
956名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/21(土) 18:19:10 ID:UHCXZ1Wg0
>>953
お金お金って、アンタの評価基準は、単にお金かい?
「清貧」とは聞こえがいいけど、アンタの場合、
単に「自分が貧乏だから許せない」っていう嫉妬だろう。
957名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/21(土) 18:20:28 ID:UHCXZ1Wg0
>>954
ここに来て発言するのなら、必要最小限の歴史を知ってからにしろよ。
笑われるだけだ。
958名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/21(土) 22:58:00 ID:ITQV3zCVO
>>956 何いってる?給料の話した>>950へのレスなんだから禄の話をして当然。突っかかる相手間違ってるよ
959名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/21(土) 23:32:45 ID:GPHizKycO
西郷は
近代軍隊に全くついていけてない
桐野以下も同様

公私の区別ができてない
ゆえに器がでかいという人もいるが
若いものを全く意味のない内乱で死なすとは
言語道断だろう

鹿児島ではそんなこというとめっちゃ怒られるらしい。
960名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/21(土) 23:35:46 ID:a9JGOJwd0
西Go!
961名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/21(土) 23:59:09 ID:OCPODY4x0
親友の大久保、実弟の従道、いとこの大山、郷士から抜擢してやった川路、
こういう人ですらみんな西郷から離れていったことを思えば
西郷がどういう人間だったか分かろうというものだろう。

西郷を嫌ったのは長州人の木戸や大村だけではないのだよ。

西郷に好意的だったのは桐野や村田といった信者たちと
名誉欲の強かった勝ぐらいか。

それ以外の人はみんな「西郷さんの人望買い」などと言って
西郷の器量が存外小さいことは知れていた。

それが当時の現実。
962名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/22(日) 00:17:56 ID:c0XiTff70
>>959
> 若いものを全く意味のない内乱で死なすとは言語道断だろう

↑馬鹿じゃん、コイツw
ここまで真反対のことを堂々と言うとはw
別に幕末に興味のない人でも知ってる常識的な歴史を御存知ないらしい。

さらしage
963名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/22(日) 00:33:07 ID:Nmyw/mKpO
いや、西南戦争は鹿児島の古い文化遺産も破壊されたしいいことなかった。
私学校に入らない一般薩摩人やその親までリンチで殺したり。
このこと20年くらい前に南日本新聞で特集したが、西郷ドンの悪口書くな!と読者から圧力かかった。
964名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/22(日) 00:35:56 ID:IzocxnrCO
西南戦争で
多くの若者の生命と
国費を費やさせたのは
道理に適ってるのかい?
清貧な人柄は素晴らしいが近代国家のありかたについては
勉強した気配もない
参議として国政の指導者としてはどうなんだろうか?
倒幕までの推進力になったのは間違いない。
ただし
大参謀とはいえ
戦略は大村が立案してる。
965名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/22(日) 01:09:54 ID:k9zAsea10
私学校の生徒が起こした暴動=西南戦争
ってことも知らないのか、知らばっくれてるのか。
966名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/22(日) 01:23:01 ID:QUbuyhAD0
神輿に乗った時点で西郷にも戦争責任はあるだろう
村田の案だっけ?
西郷一人で東京に出向けば済む話と言ったのは
967名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/22(日) 01:45:45 ID:zqZ1/hft0
>>965
西郷は名前を貸しただけだから、
西郷を責めても仕方がないと?

でも西郷って一貫してそんな調子でしょ?
倒幕期の薩摩の戦略や外交だって
西郷自身が立案して実行していたかは
そうとう怪しいと見ているんだが。
この時期から西郷は名前貸しの御輿だったと思う。

信者の理屈で言えば、
御輿の西郷に西南戦争の責めが無いとすれば、
維新三傑としての資格も無いということになるな。
三条実美と同次元の人ということになるよ。
968名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/22(日) 01:52:57 ID:vD/tUdLK0
昭和天皇に第2次世界大戦の責があるのと同様に西郷どんにも西南戦争の責があるよね
969名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/22(日) 02:06:24 ID:gNTiSdC50
>>967
どんな政治家にもブレーンはたくさんいるだろうw
名前貸しの神輿っていうのは、大名ならわかるが・・・
西南戦争の責任が西郷にないって事はないな。
970名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/22(日) 02:50:27 ID:O931Cin00
西郷は、暴走した生徒たちのせいにして見殺しにすることができなかった。
彼はまさに「最後の侍」だったと言えるだろうな。
義に生き、義に死んだ人だよ。
ま、2chをやってるような輩には分かるはずもないだろうが。
971名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/22(日) 02:52:46 ID:O931Cin00
ぬれぎぬを 干そうともせず 子供らが
      なすがまにまに 果てし君かな

勝 海舟
972名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/22(日) 07:19:54 ID:W4y+oghZO
西南戦争が西郷のせいでないのなら、
廃藩置県も西郷の功績ではないね、大久保と木戸、実行を迫った長州の下っ端のおかげだね
973名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/22(日) 10:56:41 ID:5q3BpcHa0
大坂城作ったのは大工さん
















































みたいなもんか
974名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/22(日) 11:01:16 ID:zqZ1/hft0
西郷が神輿としてではなく
自分の意志で実行しようとしたのは、
戦略的にも戦術的にも必要ない江戸城総攻撃と
国力的に無理な征韓論ぐらいか。
それを考えれば大義も勝算も無い西南戦争は
きわめて西郷的な発想にも思えるよ。

975名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/22(日) 11:27:41 ID:5q3BpcHa0
975
976名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/22(日) 13:25:09 ID:gNTiSdC50
江戸城総攻撃が戦略的に必要なかった?
それは珍説。
977名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/22(日) 13:53:35 ID:zqZ1/hft0
江戸城を焼いて、
おそらく江戸市中すべて焼けてしまうことが
戦略的に必要か?
西郷はポーズとしてではなく、
それを強行しようとしたんだぞ。
薩長内部にも反対意見が強くあったにもかかわらず。

江戸を焼いて戦略的に得られるものがあるなら、
それは何か聞いてみたいもんだ。
978名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/22(日) 14:15:32 ID:IzocxnrCO
多分
西郷の大芝居だろうな

勝との対面も
芝居がかってる
おたがいをよりでかく見せるためなプロレスに見えなくもない
979名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/22(日) 18:00:52 ID:gNTiSdC50
というか、江戸城に立て籠もって抵抗した場合には攻めるだろ?
っていう、当り前のことを言っているんだが・・・
980名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/22(日) 18:11:38 ID:h52SVgMU0
980
981名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/22(日) 18:21:20 ID:h52SVgMU0
981
982名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/22(日) 18:22:02 ID:h52SVgMU0
(´∀`)西郷隆盛だ〜いきらい♪♪
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history2/1135066550/
983名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/22(日) 19:16:25 ID:/dtnSNFgO
三文芝居のマッチポンプで自分を大きく魅せ人に恩を売る西郷どんの技術は、
現在の政治家にも受け継がれているな。

国民が元々企業からの給与という形で受けとっていた金銭を、
企業を潰し民主党政権からの給付金(子ども手当とか)にすげ替えることができれば、
国民を従順な民主党信者小沢信者に仕立てあげることができる。
984名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/22(日) 20:33:03 ID:2wavb6oQ0
>>979
幕府ははなから恭順の姿勢をとっていた。
西郷の要求は慶喜の首。
これは幕府の抗戦派にとって絶対受け入れられない要求。
無理難題を突き付け、総攻撃を強行しようとしたんだよ。
985名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/22(日) 20:37:36 ID:whRxAxf30
在日が執拗に西郷さんを叩いてるらしいが身の程知ってほしいわ
986名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/22(日) 20:41:18 ID:IzocxnrCO
強行がすでに演技

とりたて屋が最初から下出にでないだろ?
おなじ手口だよ
987名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/22(日) 20:54:21 ID:gNTiSdC50
>>984
釣りか?
官軍にしてみれば、ほんの数ヶ月前に鳥羽伏見で激戦をした相手に対して、
「恭順しました。もう勘弁してください」など言われても、簡単には信じられんだろ?
少し想像力があれば、わかりそうな事だよw
988名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/22(日) 21:30:04 ID:IzocxnrCO
強行姿勢を示して
最大の譲歩を引き出すのは交渉のパターン

最後は勝とあうんの呼吸で見え据えた芝居で
たがいをより大物に見せようとする魂胆丸見え

上野山の掃討にも手間かかったんだ
間違って江戸にこもられたらややこしい。

勝は利敵通敵行為をしたといわれても仕方ないだろう。
西郷は
近代国家や近代軍隊に対してまったく理解できてない。
大村に相手にされなかったのもうなずける
989名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/22(日) 21:30:56 ID:zqZ1/hft0
>>987
信者というのは本当に哀れなんだなw
自分で「江戸城に立て籠もって抵抗した場合には攻める」と言ってるのに、
それに対する「恭順」という回答が信じられないと言うんじゃ、要求にも交渉にもならないだろうw
そんな矛盾したレスしてるから信者と言われバカにされるんだよ。
西郷と勝がなんでわざわざ会談してるんですか?
990名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/22(日) 21:38:51 ID:h52SVgMU0
990
991名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/22(日) 21:39:39 ID:h52SVgMU0
次スレ

(´∀`)西郷隆盛だ〜いきらい♪♪
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history2/1135066550/

 
992名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/22(日) 21:40:47 ID:h52SVgMU0
992
993名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/22(日) 21:59:13 ID:IzocxnrCO
あまつさえ
気に入らないから鹿児島かえって
ついてきた桐野みたいな連中が若者を扇動して
暴発するのをみすみす見逃して
まったく意味のない戦争で若者を死なせたんだ。
しかもそこには何の先進性のみじんも感じられない。
維新三傑には
大村入れたほうが相応しい。
994名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/22(日) 22:23:37 ID:gNTiSdC50
>>989
どこが矛盾してんだ、マヌケ。
将軍が恭順を表明していても、無血開城まで幕軍は武装解除していない以上、
恭順が反故にされる可能性だってあるだろうが。
995名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/22(日) 22:37:08 ID:zqZ1/hft0
>>994
チンピラ同士が戦争してるわけじゃないんだからさw

おまえは自分のミスを認めたくなくて苦しい言い訳してるだけw
996名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/22(日) 22:43:52 ID:gNTiSdC50
>>995
アホか。慶喜はじめ幕府はそんなに信用できる連中じゃないだろw
それなら鳥羽伏見の戦いも起こってないわw
下が暴発したり、一方的に条約を破ったりして戦争になった例など、歴史にいくらでもあるだろう?
997名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/22(日) 22:49:43 ID:zqZ1/hft0
はいはいw 信者信者w
998名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/22(日) 22:51:47 ID:gNTiSdC50
いいから反論しろよ。
正論言われて黙っちゃったの?
999名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/22(日) 22:55:23 ID:zqZ1/hft0
正論wとやらを次スレで詳しく聞かせてくださいな
1000名無しさん@お腹いっぱい。:2009/11/22(日) 22:56:14 ID:gNTiSdC50
やっぱ反論できないんだw
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