1 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
しかもなぜかそのことが「素晴らしい判断」であったかのようにされてるのがムカつくんですけど
薩長から見れば面倒くさくなくて結構だろうが、幕府側から見りゃただのヘタレの裏切り者だよ
戦って死ねよサムライなら!なんでこんなやつが持ち上げられてるんだワケワカラン
なにが内乱を回避しただ、結果論だろそりゃ。実際骨のあるやつはその後も抵抗し続けたんだからな
のうのうと生き続けて偉そうにしやがって、世間の評価をひっくり返したいナンバー1だぜコイツわ
2 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/07(土) 13:49:16 ID:WgntqqAJ0
------------------終了-------------------------
3 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/07(土) 22:51:33 ID:7/oRxCdHO
政治的決着を図るという発想も能力もなく、
戦って死ぬことそれ自体を目的として
勝てるかもしれないじゃなくて全く勝ち目のない闘いに
集団催眠で周りを巻き込んで突っ込んでいくという
カルトな武士道が昭和初期に蔓延した結果が、
学徒動員や神風特効隊、一億玉砕なんだが。
4 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/08(日) 00:18:51 ID:bYl231r00
>3
その武士道が衰退した結果が、
今 なのだが。
5 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/08(日) 00:24:02 ID:I4gHgCcN0
今に不満か?
大東亜戦争の時代と比べれば今のほうが断然豊かなだろ。
6 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/08(日) 01:55:01 ID:UN/C7F2d0
>>1は無知すぎ。
西軍は徳川家を滅ぼそうとしてるから、勝には抗戦案もあった。
しかし慶喜の主命で、抗戦はしない、且つ徳川家は存続させる
という線で交渉を任され、それを実現させたんだから、徳川方にとって
第一の功労者だろ誰がどう見ても。
ヘタレなら、周囲に同調して抗戦叫んでたろ。
命を狙われてまで損な役割してないだろうし。
7 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/08(日) 02:47:57 ID:q/5coz2E0
>>1 話はわかった
日本人なら、今すぐ、単身で竹島に(ry
敵と戦わず自ら国家の大権を放り出しひたすら命乞いをしたこと。
…端的に言ってしまえば勝の「功績」とはこれにつきる。
戦うべきでない理由として勝が説いた主張の要旨は以下のとおりで、
すべて屁理屈にすぎない。
1.社会の安寧は害すべきではない
…そもそも社会を混乱におとしいれ戦端を開いたのは薩長。
その敵が攻めてきているときに社会の平穏のために戦うなというのはナンセンス。
2.戦ったら慶喜の身の上が危ない
…将軍はいざというときは先頭に立って戦うのが職務。
将軍の保身のために幕府を解体せよなどという主張は本末転倒。
3.仲間同士で戦うのは外交上の不利益だ
…実際には外国干渉の動きはなかった。むしろ、少数の藩が
英国の援助のもと中央政府に反乱を起こすという事態そのものが、
一種の外交上の危機なのであり、これに対する正しい態度は、
中央政府として断固たる態度を示し、反乱派を殲滅すること。
福沢が言うとおり、勝が行ったことは、武士道の放棄であり古今の珍事。
さらに維新後の勝は、すぐさま切腹でもすべきなのに、
幕府を売った持参金で爵位を得、維新功臣と称して傲然としていた。
要するに勝は武士の風上にもおけない恥知らずな謀臣。
9 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/08(日) 06:40:04 ID:K/qRK+8RO
10 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/08(日) 06:53:11 ID:q/5coz2E0
1はきっと自分自身が今週中にでも、単身で自分自身が日本男児らしい
姿を、竹島で見せてくれるのだろう。
11 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/08(日) 08:22:17 ID:bn9bzgWD0
>>8 >その敵が攻めてきているときに社会の平穏のために戦うなというのはナンセンス。
戦って勝てる見込みがあればまだしも、戦い江戸で買った所で京都は敵に押さえられたまま。
朝敵の立場が変わらない限り、いつかじり貧となって負けるのは必定。
負けが確実な戦いを起こせば江戸庶民を巻き込み、無用な流血が出るだけ。
勝や慶喜の判断は正しい。
>将軍の保身のために幕府を解体せよなどという主張は本末転倒。
武士道をなんら理解していない意見。武士の忠誠心は主君と家名に向くのであって、大政奉還してすでに幕府はない。
徳川家臣の最高目的は、「徳川家の家名存続と主君慶喜の命を守る」事であり、勝はこの責務を全うした。
>実際には外国干渉の動きはなかった。
君は無知杉。外国干渉の動きはあった。イギリスやフランスは兵を横浜に配備し、いつでも介入できる準備を整えいている。
明治政府や勝双方とも諸外国の手を借りる事を拒み、局外中立させる事で干渉を防いだ。
12 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/08(日) 08:37:34 ID:q/5coz2E0
>>1 先ず隗より始めよという言葉があるよな
今週中の竹島での行動は、まず北朝鮮が崩壊→次に竹島問題
解決というのが望ましいので、まだ時期尚早だ、竹島解決は。
しかし、竹島は日本人の死、拘束という人柱がなければ、
事態は進展しないだろう。以前に人柱となりそこねた人もいるが。
ぜひ、日本男児らしい男気を
おまえ自身が北朝鮮崩壊後に竹島で見せてくれよ。
13 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/08(日) 09:10:11 ID:9ML8HBQQ0
しかし、
徹底抗戦していたらどうなっていたんだ?
14 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/08(日) 09:29:31 ID:KcXaHdiK0
江戸で戦って負けた場合は、江戸は焼け野原。徳川家の家名断絶。慶喜は切腹。
さらにあの時徳川家を動かしていた勝や大久保らも切腹。
江戸で徹底抗戦していると思われる会津藩主松平容保や庄内藩が、徳川宗家を見捨てて会津に逃げるとは思えないので、彼らも江戸で捕縛断罪される。
江戸は焼け野原になるが、会津戦争や東北戦争は救われる。また、長岡藩も越後戦争を戦う意味がないので戦争は行わない。
江戸で勝ってしまった場合、京都を奪回できない徳川・会津・庄内・長岡など親徳川派と薩長を中心とする朝廷側諸藩との間で戦闘が長期化。
損得勘定で敵味方を嗅ぎ分ける藩が続出し、戦国時代か南北朝争乱の様相となる。
局外中立をしていた英国やフランスが、これまた「争乱を納め、早く貿易再開したい」という名目の元、朝廷側と幕府側に分かれて軍事介入。
外国兵に勝てない日本の諸藩は、領地割譲や鉄道利権を外国に渡すなどして諸外国取り込みに奔走する。
朝廷側、旧幕側どちらが勝っても、おいしいところは全部諸外国が奪われた形となり、中国と同じように植民地化への道を歩む事になる。
15 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/08(日) 10:53:21 ID:9ML8HBQQ0
徳川の側の勝算ってあったのか?
16 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/08(日) 11:36:02 ID:W1RZ5zQ80
鳥羽伏見の戦いには勝算があった。
それ以後の戦いは、局地的かつ一時的な勝算(小栗や榎本が唱えた作戦)はあったが、
戊辰戦争で勝つ方法戦略は無かった。
17 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/08(日) 16:47:25 ID:x97jrFcpO
慶喜・勝と薩長は、どちらが主導権を握るかという点での立場こそ違えど、
これからの国のあり方を見据えその手段として政争や戦闘を相交えた。
これに引き替え、会津藩を筆頭に幕府にへばりついて
そのオコボレで悠々自適な生活を送っていた勢力は、
薩長にヒモり先を解体されることだけを恐れていた。
考えていたことの次元が違うわけだよ。
会津藩が京都守護職になるとき、カタモリがかなり固辞してたのを引っ張り出したヤツが幕府だか貴族だかに居たはずだが。
みんな嫌がってた京都守護職をカタモリに押しつけたんじゃなかったかな。
会津はよく戦ったよ。
19 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/08(日) 17:56:02 ID:JrgTi7XG0
んな事はない。
会津藩を引っぱり出したのは福井藩主松平春嶽。会津藩が京都守護職になった時、福井藩は将軍後見職だか大老だかになっていて江戸でがんばっている。
会津藩が守護職を一時辞めた時、会津藩の後を継いで守護職になったのも福井藩。
しかし、孝明天皇が是非とも会津藩を京都に置きたいという事で、あっというまに解任され、
会津藩が引き続き守護職となった。
勝は時代遅れの蘭語を少々囓っただけの男。
英語はからきし。世界に対する知見は皆無。
自信満々で艦長となった咸臨丸では船室にひきこもり無能っぷりをさらけ出す。
日本人に戦艦を建造することは500年かかっても無理と主張し横須賀造船所建設を妨害。
幕府と倒幕派の間を二重スパイとして渡り歩いて形勢を観望。
江戸開城は自分の出世のために幕府を売っただけ。
維新後は明治政府に冷遇され、不満たらたらの余生を送る。
21 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/08(日) 19:10:34 ID:m7MIohA20
>>20 >勝は時代遅れの蘭語を少々囓っただけの男。
当時の最先端技術は蘭学によって普及した。勝は蘭学者として認められ幕府内部で海軍奉行などを歴任。
>英語はからきし。世界に対する知見は皆無。
勝の世界観は当を得たものだった。英語は話せないが、当時英学をやった者は福沢諭吉ぐらいしかいない。
>日本人に戦艦を建造することは500年かかっても無理と主張し横須賀造船所建設を妨害。
当時の幕府体制では無理という事。明治政府によって幕府体制が倒れ、先進知識導入を国策としたため可能となる。
また横須賀造船所建設を妨害した事はない。
>幕府と倒幕派の間を二重スパイとして渡り歩いて形勢を観望。
意味がわからない。長崎海軍伝習所では幕臣だけでなく薩摩や佐賀の人と共に海軍知識を拾得。
神戸海軍操練所時代にも佐賀、薩摩の学生に教習し、勝の人望が薩摩に及んでいただけの事。
>江戸開城は自分の出世のために幕府を売っただけ
勝てぬ戦いをして主家を滅亡させるより、家名存続・主君慶喜の命を守ろうとしただけ。
これらは勝によって達成されている。新政府に拒否された場合を想定し、江戸を焼き払う等の徹底抗戦策も持っていた。
>維新後は明治政府に冷遇され、不満たらたらの余生を送る。
勝は海軍大臣も務め冷遇されていない。不満たらたらなのは江戸っ子特有の性質で、幕府内で出世する以前からそうだった。
22 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/08(日) 23:25:42 ID:Ldrgir740
負けると分かっていても漢には戦わなければならないときがある。それをわかっているのがサムライではないのかね?土方しかり西郷しかり。
命より名を惜しめ。武士道とは死ぬことと見つけたり、ってとこだな
内乱にならないように大政奉還したはずなのに、それを一方的に薩長が侵略してきたんだろが。
それに対して白旗あげるなんてのは、サムライ以前に普通の人間の感覚としておかしいに決まってる。
勝を擁護する連中の思考形式はサヨっぽい。無防備都市とか異常なこと言ってる連中に近いな
23 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/09(月) 00:01:34 ID:5KXVDMn8O
>>22 負ける側が決着の付け方を一方的に決める権限を有しており
勝つ側はそれを受け入れなければならないという
前提に立たないと、成り立ちえない論理だな。
無防備都市宣言の電波サヨを超える非現実的な
脳内お花畑を展開しているようだが。
この件に関しては小栗が正しい。
最強の幕府艦隊を二つに分け、駿河湾から東海道の薩長勢を叩くとともに、
別働隊が江戸湾に入って艦砲射撃を浴びせる。
後に大村も小栗の主張が通っていたら我々の首は無かったと述懐してる。
勝は敵のスパイとして振る舞い勝機を潰したわけで、要するに売国奴だね。
25 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/09(月) 13:15:03 ID:RWHPrKU50
勝は幕臣である前に、日本人だったんだろ。
>最強の幕府艦隊を二つに分け、駿河湾から東海道の薩長勢を叩くとともに、
>別働隊が江戸湾に入って艦砲射撃を浴びせる。
それ射程範囲外に逸れたらどうするつもりだったんだろうな?
大村の述懐も余興程度で言われたもんじゃないか?
27 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/09(月) 20:43:40 ID:Ra62a/rV0
勝は幕臣である前に徳川家の臣だったのでは
勝=徳川家の臣という見方で彼の行動をみると、
彼の行動は納得がいく。
事実大政奉還で幕府は消滅していたのだし、逆に徳川家は現在まで存続しているし、
仮に江戸城を引き渡さないとして戦闘になった場合、
幕府側は勝たなくとも、薩長連合に負けることは無かったと思われる。
徳川幕府の250年に渡る政権に終止符を打って、徳川家を存続させた手腕は大したもの。
彼の罪は政権を引き渡した相手が、目先のことしか考えない薩長のDQNたちだったことか。
28 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/09(月) 23:16:23 ID:H0sHYHRy0
さも小栗の作戦が実行されたら勝てたみたいな事を言っているようだが。
前にも書いた通り「局地的かつ一時的な勝利」でしかない。
京都を奪回し、天皇を手中に収める為の戦略が無ければ、いかに優れた戦術があろうと負ける。
幕府艦隊は最強だったかもしれない。しかし京都に海はない。
また、小栗案が実行に移されれば、小栗の要請に従いフランス兵が参戦する。
フランスを押さえ込む事を目的に局外中立をしていたイギリスも中立する意味を無くすので朝廷側に参戦する。
世界最強の海軍国イギリスが参戦となれば、幕府艦隊何するものぞとなる。
むろん。フランスもイギリスもただで戦う訳ではなく、小栗はフランスに蝦夷地割譲を約束していたし、
イギリスもそれ相応の代価を朝廷に要求するだろう。
どちらが買っても美味しい所は諸外国が全部奪っていく。
そうなるまいと戦いを避けた勝と慶喜はまさに正しい判断をしたのであり、
負けはしたが、誇るべき負け方をしたと言える。
29 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/09(月) 23:38:08 ID:5QWMzqqO0
>>24 ついでだから教えてあげよう。
東海道に幕府艦隊が出動する事は新政府軍も予想済み。
東海道はメインルートとして西郷や大総督府が進んだが、部隊の中身を見ると薩摩長州とも精強部隊はいない。
実は、幕府艦隊を警戒し薩摩や土佐の主力は東山道軍として東海道を避けており、奇兵隊など長州主力も日本海側から越後を通り江戸に向かっている。
江戸があっさり落ちた為、越後軍はまっすぐ東北へと向かった。
30 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/10(火) 00:04:24 ID:dMyk3xng0
>内乱にならないように大政奉還したはずなのに、それを一方的に薩長が侵略してきたんだろが。
あ!!一番大事な視点を忘れてた・・・
31 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/10(火) 00:24:47 ID:pTUSx0cC0
>大政奉還
政権を朝廷に返した。
ここまでは確かに正しい判断であった。
しかし、返したのは政権だけであり、政権を維持する為の財政は徳川が握ったままだった。
明治政府は、徳川に政府を運営する為の財政分の領地返上を要求する。
この要求は土佐藩山内容堂と福井藩松平春嶽の尽力で「政府財政は、各藩が石高に応じて出す」「徳川は領地の一部を朝廷に返上し、官位剥奪はするが”元将軍”と名乗る事を許し名誉を奪わない」
などが決定し、徳川への辞官納地は骨抜きとなる。さらに岩倉具視は「慶喜が平和的に出頭するのであれば、徳川の新政府議会参加を認める」などの言質まで出てた。
これらの事を土佐・福井から聞いた慶喜は、主戦派であった会津・桑名と共に大阪に下っている。
ところが、これらの事情を把握していない江戸の幕府閣僚と庄内藩は薩摩藩を焼き討ち。
さらに江戸にあった主戦派が大阪に来るに及び会津桑名に飛び火し、慶喜の意志を無視して京都へ進軍してしまう。
平和的解決が彼らの軽率な行動で不可能となり、朝廷は徳川を朝敵とした。
幕府軍にとって勝機のあったはずの鳥羽伏見の戦いでは、幕府指揮官達は「大兵力で進軍すれば薩長が恐れ戦争にはなるまい」と考えており、
戦いが起こる直前まで行軍隊形のままであった。この甘い見通しは失敗し、行軍隊形のまま開戦した幕府軍は雪崩をうって敗北した。
32 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/10(火) 03:55:24 ID:010sOH2R0
>>28 >また、小栗案が実行に移されれば、小栗の要請に従いフランス兵が参戦する。
>フランスを押さえ込む事を目的に局外中立をしていたイギリスも中立する意味を無くすので朝廷側に参戦する。
>世界最強の海軍国イギリスが参戦となれば、幕府艦隊何するものぞとなる。
当時、横須賀沖には強力なフランス艦隊が停泊、
一方、イギリス艦隊は遠く大西洋上にあった。
お前の妄想どおり、幕府艦隊にフランス艦隊が加勢したとするならば、
倒幕軍に勝ち目はないだろうね。
制海権を完全に封じられ補給を断たれた倒幕軍は、
延びた戦線を分断され、数に勝る幕府軍に包囲殲滅されただろう。
フランスが介入すれば幕府艦隊VS英国艦隊となるという妄想に関しては、
ばかばかしいのでノーコメント。
>小栗はフランスに蝦夷地割譲を約束していたし、
これは勝が撒いたデマね。
事実だと言うなら、蝦夷地割譲を約束した担保条項等を提示してごらん。
>>32 >幕府艦隊にフランス艦隊が加勢したとするならば、
それが戦果以外でどういう結果をもたらすのか想像してみれ。
>これは勝が撒いたデマね。
デマとはいうが、小栗は莫大な改革資金をどこから捻出するつもりだったんだろうな?
蝦夷を担保にしなくとも、だ
小栗は案は優れているが自ら陣頭指揮に立つとか行動力においては
大村に大きく劣っている。
長州を討伐すると言ってボコボコに返り討ちにされたように、
小栗の案も絵に書いた餅のようなもので実際幕府が実行できたかどうかは怪しい。
勇ましく出陣した小笠原が小倉から身一つで脱走してきたように。
35 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/10(火) 13:42:44 ID:GY4XlZHoO
鳥羽伏見の前に河井案を採用すれば、薩長に勝っていた。
城の中で紙に書かれた名案を採用しても大村のように自ら前線で陣頭指揮に立って
敵を破らなければどのような名案でも絵に描いた餅。
37 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/10(火) 15:47:34 ID:aS6KTVCs0
武士じゃないと言うのはある意味で当たってるな。
所詮高利貸しの孫だし。
38 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/11(水) 00:41:05 ID:AG3OHI6y0
>>32 漏れの一番言いたい事が伝わっていないようだね。
幕府が勝とうが薩長が勝とうがどっちころんでも諸外国に領土やら利権やらを奪われていくと言っている。
君は江戸での勝敗にこだわって勝ったの負けないだの言っているが、そんなものは極端な話しどうでもよい。
くどいようだが、一時的な勝利に何の意味もない。必要なのは戦争に勝つための戦略。
徳川に戦略が無く、あったのは攻め寄せる薩長をどう撃退するかという作戦だけだった。
そして、まかり間違って江戸で徳川が勝ち戦いが長期化すれば諸外国の思うつぼになる。
君のように目先の勝ち負けにこだわっている内は、戊辰戦争の全体とそれを取り巻く情勢は把握できないだろう。
>>38は何か勘違いしてますね。内乱にして諸外国に付け入る隙を与えない、そのための大政奉還だったわけだが。
物事の前後関係ちゃんと把握してる???
諸外国の思う壺にならない最良の手段は、大政奉還で手打ちにして、薩長が江戸なんかに攻め上がらないことですよ?
それを「やったもん勝ち」みたいなことしてくる卑怯な相手に、勝がさっさと降伏したから偉い、ってヘンな理屈を振り回すというのは
頭のネジが何本か抜けてるとしか思えませんね
結局大政奉還は内乱を防げなかったのだね。
>>38 >勝ったの負けないだの言っているが、そんなものは極端な話しどうでもよい。
「勝ったの負けないだの」の妄想を言い出した
>>28に文句を言えば?
>徳川に戦略が無く、あったのは攻め寄せる薩長をどう撃退するかという作戦だけだった。
長期的な戦略も展望も持っていないのは倒幕派も同じ。
むしろ来るべき近代日本のプランを持ってた徳川幕府のほうがまだマシ。
>そして、まかり間違って江戸で徳川が勝ち戦いが長期化すれば諸外国の思うつぼになる。
江戸で徳川が勝てばそれは薩長の敗北を意味する。
日和見諸藩も諸外国も薩長を見捨てるから長期戦にはならないだろ。
英仏は基本的に局外中立の立場をとり、日本の内乱に介入するそぶりは見せていない。
諸外国の介入があるとすれば、外国人の居留民や資産に被害が及んだ場合だ。
その意味で、
>>39の言うとおり、倒幕派の武力クーデタは、とても危険な火遊びだった。
倒幕派が江戸攻撃を強行した場合、それは欧米外商に巨大な損失を与え、
倒幕派は外国の支持を失い国際犯罪者として扱われることになる。
幕府が事態を早期に収拾できればいいけど、
勝によって江戸は火の海にされてるから、幕府の信用も失墜する。
こうなったらまさに「諸外国の思うつぼ」。
やはり倒幕派を箱根で殲滅するという小栗の戦略こそが正しいね。
ちなみに倒幕軍は江戸攻撃を強行する姿勢だったけど、
直前にその報告を受けたパークスが激怒して反対したため思いとどまった。
勝と西郷の会談で江戸攻撃が中止されたいうのは作り話。
勝と西郷という二大馬鹿はパークスの英知に救われたんだよ。
>>33 お前の私見はどうでもいいから、
「小栗はフランスに蝦夷地割譲を約束していた」のソースをよろしく。
>>42 お前読解力無いのか。もう一度よく読んでみれ
44 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/11(水) 23:48:35 ID:NkzJapY/0
>>41 むふ。何やら漏れを必死に論破しようとしている様だが無駄な努力だな。
>来るべき近代日本のプランを持ってた徳川幕府のほうがまだマシ
マシかどうかはやってみなければわかるまい?。やってもいないプランの評価など誰藻にできない。なにしろ結果がないのだから。
>江戸で徳川が勝てばそれは薩長の敗北を意味する。
>日和見諸藩も諸外国も薩長を見捨てるから長期戦にはならないだろ。
江戸で徳川が勝っても薩長の敗北を意味しない。京都と天皇を握っている限り官軍であり、徳川は勝った所で賊軍。
賊軍の汚名が有る限り、日和見藩は徳川に味方する事を躊躇する。譜代藩は徳川方につくかもしれんが不確定要素が多すぎる。
>英仏は基本的に局外中立の立場をとり、日本の内乱に介入するそぶりは見せていない。
前のレスを呼んでから語ってくれ。すでに言った通りだ。英仏共に兵を横浜に配備済み。戦争を睨んで平時の居留地警備よりも多い兵力だよ。
>倒幕派が江戸攻撃を強行した場合、それは欧米外商に巨大な損失を与え、
>倒幕派は外国の支持を失い国際犯罪者として扱われることになる。
苦笑するしかない。そもそも意味がわからない。江戸攻撃するとなんで欧米外商に巨大な損失が与えられるのか?。
また徳川を完全に葬る事ができれば、それすなわち朝廷政府の成立になる。欧米が欲していたのは、
日本を統治する政権であり、徳川か朝廷か天秤に掛けている。だから徳川が倒れれば朝廷政権を諸外国は認知する。
>やはり倒幕派を箱根で殲滅するという小栗の戦略こそが正しいね。
それは作戦であり戦術レベルのものだ。戦略と戦術の区別がつかないのだろうか?。
>勝と西郷会談とパークス
誰もそんな事を聞いていないのだが?。
自分の知識をひけらかしてびっくりさせようとでも?
徳川家は家来を解雇出来ただろうか
秩録処分というのかな、あれこそ版籍奉還と並んで封建的身分制を終焉させ、
財政的にも人材の活性化面でも近代化の推進力になったと思う
町人に馬鹿にされる穀潰しの旗本御家人、これを処分して家禄の負担を
解消できなきゃ社会的無駄が多すぎ近代化どころじゃないと思うんだが、
どうも無理っぽい
46 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/12(木) 00:35:46 ID:Y+su14CJ0
徳川に徳川家臣の解雇は少人数なら出来ると思われる。
大量解雇はさすがに無理だろう。解雇できなかった分は、禄米を減らすなどして減給する。
それでも秩禄処分ほどの効果はあがらないと思われる。
実際にこれらは行われており、徳川家臣の無役ご家人のじり貧ぶりは若い頃の勝を見ればわかるし、
これらと同じ事は他藩でも実行されている。すでに武士を養うだけの経済的余裕が当時の日本に無かったと思うが。
47 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/12(木) 00:36:27 ID:v8Kj8UE50
敵と戦わず自ら国家の大権を放り出しひたすら命乞いをしたこと。
…端的に言ってしまえば勝の「功績」とはこれにつきる。
戦うべきでない理由として勝が説いた主張の要旨は以下のとおりで、
すべて屁理屈にすぎない。
1.社会の安寧は害すべきではない
…そもそも社会を混乱におとしいれ戦端を開いたのは薩長。
その敵が攻めてきているときに社会の平穏のために戦うなというのはナンセンス。
2.戦ったら慶喜の身の上が危ない
…将軍はいざというときは先頭に立って戦うのが職務。
将軍の保身のために幕府を解体せよなどという主張は本末転倒。
3.仲間同士で戦うのは外交上の不利益だ
…実際には外国干渉の動きはなかった。むしろ、少数の藩が
英国の援助のもと中央政府に反乱を起こすという事態そのものが、
一種の外交上の危機なのであり、これに対する正しい態度は、
中央政府として断固たる態度を示し、反乱派を殲滅すること。
福沢が言うとおり、勝が行ったことは、武士道の放棄であり古今の珍事。
さらに維新後の勝は、すぐさま切腹でもすべきなのに、
幕府を売った持参金で爵位を得、維新功臣と称して傲然としていた。
要するに勝は武士の風上にもおけない恥知らずな謀臣。
↑痩せ我慢の説だね。
勝ヲタは福沢をちゃんと読んで目を覚ましたほうが(・∀・)イイ!!
小栗マンセーゆえに勝を嫌った福沢の言説を鵜呑みにするのってどうよ。
「社稷を重しとなし、君を軽しとす」
ぶっちゃけ主君より民の安寧が大事よ
50 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/12(木) 15:01:40 ID:NXv2QQOR0
「西郷先生、この度の朝敵征伐は是非も論ぜず進撃されるのですか?
先生は戦いをどこまでも望まれ、人を殺すことを専一となさって
おられるのか?」
江戸の地図に目を落としていた西郷は、ゆっくりと顔を上げた。
どうやってこの宿舎に入り込んだのか、見たこともない若造が
ものすごい形相で自分を見据えている。
男は幕臣・山岡鉄太郎と名乗り、西郷の返答を求めた。
<おいが人殺しを専一にするかとは妙なことを。
そげん一言を言うために、こん男は、命を捨ててここまで
来やったとか?>
心の中でつぶやきながら西郷は相手を無言で見つめた。
若者も目を逸らさなかった。
若者の目は鋭く光り、漆黒の瞳はどこまでも澄んでいる。
<江戸にもまだ、このような武士が残っていたか…>
江戸を火の海に変える覚悟はしていたが、
こんな真っ直ぐな目をした若者が幕臣の中にもいるのなら、
おのずと他の道も開けてくるかも知れない。
そんなことを考えながら西郷は首を横に振った。
「ただ進撃を好むのではごわはん。恭順の実効さえ立てば、寛典の
御処置がありもんそ」
「か、かたじけない!」
山岡は感極まって叫ぶなり深々と頭を下げた。
広い肩が震えている。
大粒の涙が足元の土を濡らしていく様を、
無言で見つめる西郷の口元にかすかな微笑が刻まれた。
江戸城無血開城へ向って時代が動き始めた瞬間だった。
参考「山岡鉄舟」(小島英熙)
51 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/13(金) 02:44:17 ID:/rCambNO0
>>1 >世間の評価をひっくり返したいナンバー1だぜコイツわ
禿同。間違った世間の評価の最たるものは咸臨丸の一件。
俗説では、勝が咸臨丸プロジェクトを立ち上げ、
艦長として日本人のみでの太平洋横断をなしとげ、
アメリカ大統領に謁見したことになってる。
なぜこんな事実無根のデタラが広まったのか不思議だ。
実際は、咸臨丸プロジェクトの契機をつくったのは岩瀬忠震。
許可を下したのは井伊直弼、まとめ上げたのは木村喜穀。
勝は木村に取り入って艦長に任命されただけ。
さらに勝は日本人のみでの航海を強行に主張したが、
長崎伝習所取締役として勝の操船技量を熟知してる木村は、
勝の妄言を却下し、サポート役としてアメリカ軍人を乗船させる。
そして、木村が危惧したとおり、勝は艦長としての役目を何ら果たせず、
航海中ずっと船室に引きこもってしまう。
勝の代わりに咸臨丸を指揮し、無事アメリカまで送り届けたのは、
アメリカ人のブルック大尉であり、彼の部下の水兵達であった。
ちなみに、太平洋の真中で「俺は一人で日本に帰るからボートを下ろせ」
と駄々をこね、木村やブルック大尉を困らせるなど、
勝こそが咸臨丸プロジェクトの最大のお荷物であり邪魔者だった。
また、アメリカ大統領に謁見して見事な外交交渉を行ったのは、
ポータハン号でアメリカへ渡った小栗上野介たち正使一行。
咸臨丸はその護衛役にすぎず、サンフランシスコ湾に短期停泊した後日本に引き返した。
…ところが上記の逸話について勝は後にこのように語ってる。
「外国人の手はすこしも借らないでアメリカへ行った」(氷川清話)
>>32 横レスだが。
>事実だと言うなら、蝦夷地割譲を約束した担保条項等を提示してごらん。
途中で幕府が潰れたから、締結はされてないから、
そんなものを提示するのは無理じゃないかな。
ただ、そのラインで交渉していたのは事実。
正しくは蝦夷地の開発権だがね。
>むしろ来るべき近代日本のプランを持ってた徳川幕府のほうがまだマシ。
幕府にはそんなもんないよ、
あったのは新政府側、新政府側、正しくは木戸には倒幕前から、
廃藩置県の構想があり、強固な中央集権国家を目的としていた。
幕府にはそういう具体的な思想はなにもない。
小栗の郡県制など非常に眉唾なものだし、
そもそも小栗の妄想と、幕府の政策には関連性などない。
>日和見諸藩も諸外国も薩長を見捨てるから長期戦にはならないだろ。
ありえない。負けても箱根より西を占めていることは変わりなく、
徳川家が独立できるだけ。
また日和見の諸藩がどっちにつこうと、新政府側にとっては問題にならない。
徳川が勝つためには、再び西に攻めあがり、畿内を落さなければならない。
そしておそらく公卿と天皇、皇族は山口か薩摩にまで逃亡しているだろうから、
三度目の長州征伐を敢行する必要がある。
だが幕府にはそんな財産も財源もない。新政府が江戸を接取したとき、
江戸城に残っていた財産は、15万両程度。
そして商人からの550万両の借金と、外国からの数百万ドルの借款。
兵を動かすのはただではない、よって幕府、徳川家はどう足掻いても潰れるしかない。
53 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/14(土) 14:57:13 ID:QvMlYMEJ0
勝ヲタのホラがどんどんトーンダウンしている件
>>28 >小栗はフランスに蝦夷地割譲を約束していたし
>>33 >デマとはいうが、小栗は莫大な改革資金をどこから捻出するつもりだったんだろうな?
>蝦夷を担保にしなくとも、だ
>>38 >漏れの一番言いたい事が伝わっていないようだね。
>幕府が勝とうが薩長が勝とうがどっちころんでも諸外国に領土やら利権やらを奪われていく
>>52 >途中で幕府が潰れたから、締結はされてないから、
>そんなものを提示するのは無理じゃないかな。
>ただ、そのラインで交渉していたのは事実。
>正しくは蝦夷地の開発権だがね。
「蝦夷地の開発権」の「ライン」じゃなんのことか全くわからない。
具体的に交渉の経緯・当事者・日時・目的となる権利の内容等について説明しろ。
それから今時「漏れ」はないぞ。白痴に見えるからやめたほうがいい。
>>53 お前の理屈なんかどうでもいいから
蝦夷を担保にする以外で、
小栗は莫大な改革資金をどこから捻出するつもりだったのか?
これに答えろ
薩長って政権取ってから、幕府の過去の借金とかもぜんぶ引き継いだんじゃないの?それでも結果的にどうにかなったんだから、
そのまま幕府が続いたところでどうにかして乗り切ったと思いますよ。勝が降伏なんぞしてすべてパーになったけど
56 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/14(土) 19:39:34 ID:0IPeWwQW0
鉄道敷設権という手もある。
57 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/14(土) 21:46:55 ID:+5+eLMiYO
58 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/14(土) 22:42:37 ID:1yxpJFmY0
★勝海舟悪行記
@咸臨丸で乱暴三昧
・自分の家の旗を船旗として掲げようとする
・海が荒れると船室に引きこもり
・太平洋の真ん中で「俺は日本に帰る!」とごねだす
・海が穏やかになると、途端に勇ましくなり、身勝手三昧
A「興亜論」の提唱者である
・大東亜共栄圏や現在の東アジア共同体の根源思想
・日韓併合も韓国の興亜論者であった李容九の計画が変質した事
B家族から徹底的に嫌われる
・妻の遺言は「絶対に海舟と同じ墓に入れないで!」という言葉だった
こうした勝とは徹底的に対照的なのが福沢諭吉。
「興亜論」という空想論に対し、「お前はシナ人や朝鮮人が分かってない!」と意義を唱えたのも諭吉。
家族を徹底的に愛し、家族にも愛されたのも諭吉。
皮肉屋の勝に対し、生涯エネルギッシュだったのも諭吉。
冷静に考えれば、勝は「歴史のキーマン」であっても、「才能あふれる人」ではなかった。
行蔵は我に存す。毀誉は他人の主張、我に与からず我に関せずと存候。
60 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/14(土) 23:56:37 ID:kJRnwePLO
>>58 勝の妻が同じ墓に入りたくないってのを詳しく
今氷川清話を読んでるんだが
>>53 >「蝦夷地の開発権」の「ライン」じゃなんのことか全くわからない。
俺は勝ヲタでもなんでもないし、52以外は俺じゃないが、
フランスと交渉しており、
蝦夷地の鉱山などの担保にするから、500万ドル借りようとしていたわけ。
交渉相手は、ロッシュ。
>>55 それは、無能な小栗がしようとした、借款の成立が難航して、
その間に幕府が潰れて、幕府の借款が、英国からの賠償金300万ドルと、
(これは開港すれば、本来払う必要などなかったのに、貿易利権の独占の為呑んだ、ほんと馬鹿)
フランスからの100万ドルで済んだから。
この上、500万ドルの追加借款なんてして、さらにそれを無駄遣いなんてされたら、
払えるわけがないから、北海道を始めとする日本の領土は奪われていただろうね、
そして幕府には、借金の返済など無理。
返済出来るのなら、英国からの賠償金300万ドルを無事払っており
関税率の引き下げられることはないし、
フランスからの借款を呑む変わりに、生糸の優先的な輸出などを、約束されることはない、
幕府と小栗を始めとする幕閣が無能だから、返すあてもない借金を雪達磨式に増やそうとしていただけ、
そして膨大な旗本の給料と、大奥の無駄な出費と、今の借金返済にまわされ、他の事業には殆どまわらなかったのをみても、
幕府には統治能力はない。
つか今の借金が返せないからって、新たにさらに不利な条件で、借金を申し込むなんて、
システム金融に引っ掛かった馬鹿となにが違うんだか。
62 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/15(日) 01:53:36 ID:ObRMg0Ye0
>>56 つーか、それも幕府はすでに手をつけていた。
明治政府がそういう計画を全て白紙に戻し、自主開発して
鉄道の敷設権、維持の為の軍の駐留権などを、与えないようにしたわけ。
ほんと幕府がとっとと潰れてよかったよ。
鉄道の敷設は史実より早く進み、全国に広がっただろうが、
日本全土が殖民地化されるところだった。
小栗の功績は横浜造船所の件と、不公正なレートを米国に乗り込んで是正させたことぐらい?
64 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/15(日) 03:24:15 ID:CJjgzkL50
小栗は日本ではじめてコンペニーを設立した人物。
コンペニーとは簡単に言えば事業を興し出資額に応じて利益を配分するスキームのことで、
資金調達の形態としては一種のプロジェクトファイナンス。
当時の日本は資本力のない日本商人が外国商人に従属し、
貿易利潤が外国に流出していた。
小栗は、このような実態を打破するため、
対外貿易を統括し日本商人に資金供与や与信を行うコンペニーの設立を急ぎ、
日本国内においては兵庫商社として実現する。
兵庫商社は、大阪の有力商人を出資者とし、
まず100万両の準備正貨を発行させ、
その融通を受けた幕府が兵庫開港の資金にあてる。
3年後には関税収入100万両を準備正貨と引き換え、
幕府発行紙幣100万両と切り替える。
結局、幕府は大阪商人の信用力を利用して、
100万両の資金を得ることになる。
さらに小栗はこれを国際的に展開しようとした。
>>61のいう「フランスと交渉」がこれで、
日仏貿易を統括する商社を相互に設立することが協議された。
実際に交渉を行ったのはクーレーで、
600万ドルをイギリスのオリエンタルバンクと、
フランスのソシエテ・ジェネラルが共同出資する契約がまとまる。
しかしこれに「蝦夷地の鉱山などの担保にする」という条項はつけられていない。
上で何度も出てるけど、
もし蝦夷地の鉱山などを担保にしたと言い張るなら、
その根拠条文を出してみろ。
65 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/15(日) 03:31:47 ID:CJjgzkL50
>>61 >英国からの賠償金300万ドル
そもそもは攘夷に狂った薩長の責任だろ。
それで幕府を非難するのは筋違い。
>フランスからの借款を呑む変わりに、生糸の優先的な輸出などを、約束されることはない
生糸の優先交渉権程度で横須賀造船所を建設し、巨大商社を設立できるんだから、
まったく無問題。
もっともフランスに出し抜かれたイギリスにとっては承知しがたいことだろうけどね。
明治政府の開化政策はほとんど小栗構想の二番煎じだし、
基本的に薩長政府できることは幕府にもできる。
勝の法螺話を信じ込んでる馬鹿はなぜこんな簡単な理屈がわからないんだ?
>>64 小栗ヲタは坂本ヲタと一緒だな、
実は、これこそ最初の株式会社とかうそぶく。
>結局、幕府は大阪商人の信用力を利用して、
違う違う、関税収入を担保に金を商人から借りただけ。
>もし蝦夷地の鉱山などを担保にしたと言い張るなら、
ttp://www1.odn.ne.jp/~notohatakeyama/retuden/oguri_tadamasa.html >そもそもは攘夷に狂った薩長の責任だろ。
はい、また間違い、
この賠償金は、開港すれば払わなくてもよかったものです。
イギリスは、開港するか、賠償金を払え、と要求したわけです。
ですが、貿易利権の独占を図り、大坂の商人や諸藩には儲けさせたくなかった、
幕府はこれを拒絶して、賠償金を払うことを選びます、
で、余談だが、この賠償金の支払いが滞り、結局開港することになり、
さらに関税まで引き下げられましたとさ。
馬鹿です、本当の馬鹿です、小栗や勝以下の幕府の重臣は。
>生糸の優先交渉権程度で横須賀造船所を建設し、巨大商社を設立できるんだから、
生糸の輸出は、240万ドルの方だから、横須賀だな、ついでに巨大商社で金なんか借りてません。
んな事で、国土を売り払おうとしたなら、ホント国賊だ。
んで、借金の支払いとは別個だと分かっている?
金を貸して、当然高率の利子を払い、その上で、生糸を独占的に買い上げられることになったわけ、
結果、江戸の物価は高騰して、庶民は苦しむことになったとさ。
>明治政府の開化政策はほとんど小栗構想の二番煎じだし、
明治政府の改革は、薩長の藩政を全国規模でやっただけで、
小栗とは無関係、そもそも一致している点が少ない。当然幕府には絶対できません。
>>26 遅レスだが、薩睡峠を通過するためには、艦砲の射程内を通過するしかない。
幕府艦隊といっても、戦闘艦はほんの数隻でしょ
身軽な囮部隊でも出して無駄弾打たせりゃおしまい
交替しながら東海道を封鎖するような芸当は出来ないよ
海上が荒れたら砲撃どころじゃないし
真面目に受け取るような話じゃない
IFだけど旧幕府主導による大政奉還以後の近代化のプラス面としては、列侯会議の開催により、
議会の発足へとつなげられる可能性がある。また幕府がフランスと友好関係を
結んでいたため、共和主義的憲法が採択されるかもしれない。近代化に関しても、
明治政府が旧幕府官吏を大量に雇っており、近代化のプロセスに遅れは出ないと思われる。
反対に、マイナス面としては旗本、奉行といった旧勢力が依然として力を持ってしまうこと。
また憲法・政体に関しても、当初は薩長明治政府も英仏のそれを参考にしており、
必ずしも民主主義にすんなり移行できるか分からない。さらに今でこそ中央集権は
時代遅れとされるが、近代化には必須項目。藩の力の強い幕府体制でどこまでできるか…
近代化の主役を旧幕府が握ろうか薩長が握ろうが双方にプラスマイナス両面あり。
70 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/15(日) 12:26:06 ID:3LCnZ1Up0
とりあえず藩を潰して武士を失業させないことには中央集権はできないのだから、
徳川幕府ではどうしても限界があるね。譜代の連中を切れんだろうから。
それにあの時期には、どのみち民主主義はまだ無理だよ。
フランス革命だって押さえつけられた平民層が、主に経済力をつけることで発言権を増し、既得権もつ貴族や僧と対決していった結果だからな
思想的発展と実力。この二つがないと民主主義の自然発生は無理じゃね
72 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/15(日) 13:15:18 ID:1TcbHXaq0
ふむ…久しぶりに見にきたのだが…
小栗ヲタはまだ必死に論破しようとしていたのか…
すでに漏れの言いたい事は出尽くした。
君の質問に答えた所で、君は屁理屈をごねるだけだろう。
漏れは水掛け論をだらだらと続ける気はない。
あとは、ここを見た人がどちらを信じるかだが、
それはその人が自らの力で調べ真実を見極める他ない。
小栗は構想力豊かで見識も高かく、幕府軍の勝利を江戸嬢内で力強く力説したが
一日で彰義隊を潰滅させた大村のように実際に砲弾の飛び交う戦場で陣頭指揮を執ることは無かった。
74 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/16(月) 09:51:21 ID:JwOQcI7m0
75 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/16(月) 10:06:09 ID:JwOQcI7m0
>>70 その徳川幕府の限界を最も正確に理解してたのが徳川幕府。
幕末期にはすでに幕藩体制は財政的に維持不可能になってた。
幕藩体制→中央集権国家という流れは時代の必然。
だからこ横須賀造船所があり王政復古があった。
薩長にしても、維新当初は馬鹿げた復古思想に染まり、
近代国家の青写真を持ち合わせていなかった。
皇族・家族・士族といった特権階級をつくり、国家予算の多くをその家禄に当て、
旧来の既得権を最大限維持しようと努めてる。
しかし当然経済的に行き詰まり、泣く泣く士族を切り捨ててる。
日本の近代化は上からの近代化で、
旧幕府官吏がそっくりそのまま新国家に移行するわけだから、
幕府だろうと薩長だろうと近代化プロセスの大枠に大きな差は無いだろう。
実際には幕府軍が長州藩討伐でボコボコに返り討ちにされているように
中央集権どころか一藩相手にどうにもならないのガ幕府の実情だった。
陣頭指揮に立ったことのある慶喜から見れば実戦経験の無い小栗が
江戸城内で「必ず勝つ名案がある」と力説しても説得力が無かった。
もしも、高杉晋作・坂本竜馬・中岡慎太郎らが存命して下層からの革命を
実行しうる奇兵隊や陸援隊などが大久保一党に対し、先手をうって彼らを
排除していたらどうなっていただろう?うまく後藤象二郎が立ち回れば混乱を収められ、
貴族・皇族・士族といった特権者を打ち倒し、平民政府を実現できてたかもしれないね。
とはいえ、フランス革命でもロシア革命でも事態を収拾できるインテリ層が動くまでは
カオス状態となるのは避けられないんだけどな。
>>74 >お前のアタマでは"金融=悪"なんだな。
つまり、信用で貸したというのは嘘ということでいいね。
>ちなみに明治政府もイギリスオリエンタルバンクから借金をしてる。
借りた金額はたったの50万ドル。小栗のパーがした巨額の借款とは比べものにならん
ついでに、この借金は前倒しで返している。
なお小栗のパーはフランス政府から借りており、焦付いた場合、フランス政府は直接回収する、
もしくはそれを理由に、色々ごり押ししてくるから、わざわざ高率なのは覚悟して、
民間の銀行から借りたわけ、それがわかってないとは素人だねえ。
>「蝦夷地の鉱山などを担保にした」という説は勝の流言を一因とするデマ。
そのサイトはある筋では有名なので知っている。
そしてそのサイトこそ、管理人の妄想と、古文を曲解しているだけだぞw
ついでに俺の引いてきたところは、参考にしたものも書かれているのだが、みてないのか?
>何度も出てるけど、もし蝦夷地の鉱山などを担保にしたと言い張るなら、
だから言っているだろ、担保にしようとしていたが、色々あって時間がかかり、
金が振りこまれる前に、幕府は潰れて、契約は成立しなかったと、
だから契約書などあるわけがないと、だから関係者の言葉と、フランスや幕府の提案から、
どのような交渉が進められていたか、推測しているわけ。
>その債務を拒絶もせず丸ごと引き受け、まともな減免交渉もできず
払う必要もなく、イギリスとしても元々貰うつもりなかった、賠償金を払うことを決めた馬鹿はよくて、
その馬鹿が契約した賠償金を払いつづけた新政府に問題があると?
つか、政権を継承した政府が、国内外の債権と責務を引き継ぐのは当たり前だが?
払わない国は、国際社会から無視されることになるし、債権国と戦争になるかもしれん。
中国みたいに、袁世凱がした借款を踏み倒して、日本との戦争の火種をつくったようなことをしろと?
実際にフランスは、幕府が潰れたときに、借款の回収をしようと軍を動かしていたのにさ。
>>75 >幕末期にはすでに幕藩体制は財政的に維持不可能になってた。
だが、それがわからず、あくまで幕藩体制の維持にこだわり、国を潰そうとしたのが幕府。
幕府は現状を全く認識できていなかった。
貿易の独占の継続はもちろん、参勤交代の復活とか計画していたしな、
>幕府が残した製糸産業や横須賀製鉄所などの産業基盤がなければ、
明治政府がした政策の何十分の一だろうかね。
そして明治政府は国外から借金などせずに、官僚機構の効率化、既得権益層の排除で予算を捻出して、
産業の育成を図ったの比べれば、天と地の差がある。
返すあてもない借款をして、担保として国土や貴重な鉱山(鉱山の権益を守る駐留軍を要求される)
まで差し出してするとは、売国奴といっても過言じゃなかろう。
>近代国家の青写真を持ち合わせていなかった。
幕府と違って、新政府の指導層には、最初から青写真があったのが正しい史実。
例えば木戸などは、倒幕前から、廃藩置県を行い、強力な中央集権国家の構築も模索していた。
>皇族・家族・士族といった特権階級をつくり、国家予算の多くをその家禄に当て、
はい?江戸時代は全てそいつらの俸禄に消えていたんですけど、なにか?
そして一時金をだした、俸禄を次々に止め、
だが穏便にすませたから、大きな反乱もおこらず、歳出を削減できたんですけど。
大奥の改革すらできない幕府になにが出来るかってんだ。
>旧幕府官吏がそっくりそのまま新国家に移行するわけだから、
トップに雲泥の差があるので、方向は全く逆になる。
小栗も勝も、他の幕閣もみなパーなので、亡国以外選択肢はないよ。
>>78 それらはみな、(奇兵隊、陸援隊含む)既得権益を大久保に奪われる立場だ。
下層でもなんでもない。
なんでそいつらが立ちあがって、平民政府が出来るのか理解に苦しむ。
82 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/17(火) 03:32:37 ID:N6oOgYoQ0
とりあえず低脳の
>>28を晒し上げ。
>小栗はフランスに蝦夷地割譲を約束していた
>>28の↑の主張は
>>28=80によって自己否定されました。
>>79-81 なぜそんなに必死なの?言ってる事が支離滅裂だよ。
>借りた金額はたったの50万ドル
借りたというより借り替えね。
ソシエテジェネラルに対する旧幕府債務が維新後デフォルトしかけたので、
明治政府はご主人様であるイギリス・パークスに泣きついて、
オリエンタルバンクへ借り換えさせてもらった。
つまりこれが「小栗のパーがした巨額の借款」なんだよ。
その際、明治政府は高利を吹っかけられ、
必要も無いのに横浜の関税権を担保にとられてしまった。
馬鹿じゃん。
>そのサイトはある筋では有名なので知っている。
>そしてそのサイトこそ、管理人の妄想と、古文を曲解しているだけだぞw
ttp://tozenzi.cside.com/oguri/column/sikoku-tanpo.htm ttp://tozenzi.cside.com/oguri/yokosuka/syakkan.html お前がいってるのは↑のサイト?
内容は「小栗が蝦夷等を担保にした」問題に関する、
肯定説および否定説の列挙が主。
「管理人の妄想と、古文を曲解」があると言うのなら、
具体的にどの部分なのかご指摘よろ。
また、もしも大塚・坂本・石井などの否定説を「妄想」と言ってるのなら、
具体的な反証をよろしく。
>ついでに俺の引いてきたところは、参考にしたものも書かれているのだが、みてないのか?
みてない。「参考にしたもの」の内容を説明してよ。
>だから言っているだろ、担保にしようとしていたが、色々あって時間がかかり、
>金が振りこまれる前に、幕府は潰れて、契約は成立しなかったと、
>だから契約書などあるわけがないと、だから関係者の言葉と、フランスや幕府の提案から、
>どのような交渉が進められていたか、推測しているわけ。
「契約は成立しなかった」のなら金が振り込まれないのは当たり前。
しかし「金が振り込まれる」状況にあったのなら契約が成立していなければおかしい。
どっち?
また、お前の「推測」の前提となる「関係者の言葉と、フランスや幕府の提案」とは何?
83 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/17(火) 03:38:37 ID:N6oOgYoQ0
>>80 >そして明治政府は国外から借金などせずに
明治政府は外国からの借金で日露戦争を戦ってる。
万が一負けてたら日本はロシア・イギリスの植民地になってた。
しすて日露戦争は日本が負ける可能性が大きかった…
>幕府と違って、新政府の指導層には、最初から青写真があったのが正しい史実。
>例えば木戸などは、倒幕前から、廃藩置県を行い、強力な中央集権国家の構築も模索していた。
木戸の廃藩置県は「諸事神武創業ノ始ニ原キ」と表裏一体。
結果的に「中央集権」ではあるけれど非合理的で蒙昧なアナクロ復古思想だ。
近代合理主義の立場から改革を指揮した小栗とは雲泥の差がある。
…と頭ごなしに否定しては元も子もないね。
近代国家の「青写真」や「中央集権国家の構築」構想が最初からあったと言うなら、
どのようなプロセスで経済を変革して行くつもりだったのか?
その具体的な内容をよろしく。
>大奥の改革すらできない幕府になにが出来るかってんだ。
これで十分な気がするぜ。
小栗自身、自分の群馬の領地を返上するなんて想定外だったんじゃないの。
小栗が郡県制の構想を持っていたとは言っても実際の幕府は
征長で長州一藩相手にボコボコに返り討ちを食らっていた。
小栗が指揮したら、うんぬんより、
内戦やってる場合じゃない、という勝の判断のほうが正しかったんだろ。
小栗は自分自身が陣頭指揮に立つという覚悟があったのだろうか。
江戸城内では勇ましかったようだが。
88 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/17(火) 12:54:31 ID:7pXO5p8T0
>>81 竜馬は平民政府を作りたい腹だったよ。
もし、彼の交渉力が『竜馬がゆく』で褒め称えられているほどのものならば、
岩倉や大久保すらも「人民主権で行こう」と説得できちゃうかもしれないw
老中・長岡藩主・牧野忠恭らが参勤後退復活や衣服の旧制の目論んだが
諸藩が反発して挫折した。
91 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/18(水) 08:35:26 ID:K5s2TYeW0
日露戦争はパックスブリタニカに組み込まれた日本が、
イギリスに代わって対ロシア戦のリスクを負わされたもの。
イギリスは日本の関税収入等を押えてたから、
日本が勝っても負けても損をしない
しかし日本は小栗の横須賀造船所がなければ日露戦争に負けてた。
勝が主張したように軍艦を外国から買いつづけていたら、
日本は間違いなく植民地になってた。
>>89 当時の無知蒙昧な庶民の平民政治なんぞ所詮は幻想じゃないか?
あの当時の教養の低い庶民の意に委ねたって、大衆迎合を経て行き着く先は衆愚政治にしかならないと思うんだがな。
昨日はサーバーが途中で落ちたみたいだな、投稿に失敗して書き直しになってしもうた。。。
俺の時間を返せ。
>>82 ・・・どーも俺が28になっているな。
自分にレスする人間を同一人物だとする妄想にかかっていると思われる、
病院にいくとよかろう、精神病も治療すれば治るものだよ、きにしなさんな。
>借りたというより借り替えね。
その借金は鉄道敷設に、多くがまわされているんだがなあ。
どっちにしろ、前倒しで返済しているし。幕府のパーがした巨額の借款とは違う、
現実を見据えた適正な借金。それも政府が動かないように、警戒して利率の高いのを我慢して銀行にしている。
つかこれって幕府の尻拭いなんだけど、これでもって勝ち誇るおまいさんの思考形態が謎だ。
あと関税権じゃなくて、関税収入。金が払えなかったら、関税収入から貰うってこと。
>お前がいってるのは↑のサイト?
その管理人の個人的な解釈が開陳されているんだが、これは妄想というんじゃないのか?
また高村氏も問題がある。そのサイトにものっているが、↓
>芝原氏は傍線部分を<(フランス政府が)六十万ドルラルを納める>と読んだわけであるが、
どこにそんなことが書かれているのか教えて欲しいね。
芝原氏は、建設は四年、費用総計240万ドルかかり、、毎年60万ドルずつ借りて支払うと言っているだけ。つかここで幕府がしたのは四年のローン契約なのにね。
・・・というか幕府やお武家様は、金を借りても、文書としては、直接的な表現はさけるわけだし、
表現も極力やわらかくする。そういう見栄がわかってないんじゃないのか、この管理人は。
そして清算のところも、高村氏はおかしいな。賠償金とは別で、55万ドルとしているが、
明治政府が継承した対外債務は600万ドル(たしか日本円で280万円)にも達する。
(勿論幕府が借金した相手はフランスだけではない)
当然これには廃藩置県後清算した、諸藩が独自に結んだ借款とは別である。
このうち150万ドルは賠償金だが、残りの450万ドルの大半は幕府が作った借金。
なお新政府側の諸般、とくに主軸たる薩長土肥は殆ど外国から借りていない。なかで薩摩が少々借りていただけ。
高村氏は、フランスからは借りてないが、ほかの欧米からは巨額の借款をしていた、と言いたいのだろうか?
そして担保のところは、管理人の無知の為せるわざか、悪質な歪曲
何故なら担保が問題となったのは、600万ドルの追加借款であって、最初した240万ドルではない。
240万ドル貸した時の条件生糸の独占を、追加借款のときのようにあえて示している、
管理人が二つの借款の条件の違いを知らないで混同しているのか、、知っててあえて歪曲しているかはわからんがな。
続き
>みてない。「参考にしたもの」の内容を説明してよ。
著名まで示されているんだから、読めよ・・・
>どっち?
最初52で言ったように、途中で幕府が潰れて、契約はご破算になり、
結局成立しなかったと言っているんだが、読めないのか?
そしてロッシュの提案や、勝を始めとする幕府閣僚の言葉から、交渉の経緯が伺える。
>>83 木戸は領地を全て、建前上朝廷に返し、藩を全て潰すつもりだった。いわば廃藩置県。
実際長州征伐で獲得した領土は、みな朝廷に返す旨を献言している。
また身分に捕われない器用なども、計画していたな。
大久保にもどうようの廃藩置県の構想が幕末にはすでに存在したことが手紙などからも明らかになっている。
んではてさて、小栗君は自分の領地くらいは、返上したのですかねえ。
全く構想も実行力もなかったですし、小栗の郡県制なんてそれこそ古代中国の制度だし、古すぎる。
なお明治政府の郡県制は、江戸時代の長州での宰判から派生したものであって、
小栗とは無関係です。
そうそう>非合理的で蒙昧なアナクロ復古思想だ。
というくらいだから、小栗が妄想していた幕権の強化との違いを説明してくれんかね。
小栗マンセー本は、小栗にもあった、いや小栗にこそあったとかいいつつ、その内実を明かさないのでわからんのだよ。
史学者の大半には、そもそも小栗は相手にされてないから、
廃藩置県の研究した本には、名前さえ出てこないし。
>日露戦争は日本が負ける可能性が大きかった…
それは違う。必勝とはいかないまでも、ほぼ勝てると確信していた、
だからこそ戦争を決断した。
シベ鉄の輸送力を甘く見ていたり、旅順の予想以上の要塞化で、
思惑と結構違っただけ。
勝厨房がファビョりまくりw
>最初52で言ったように、途中で幕府が潰れて、契約はご破算になり、
>結局成立しなかったと言っているんだが、読めないのか?
読めないだろ。
>>82が指摘してるように、勝厨の文章は、
契約はまとまったが履行されなかったと読める。
交渉がどの段階まで煮詰まってたかをちゃんと説明できない勝厨が悪い。
>そしてロッシュの提案や、勝を始めとする幕府閣僚の言葉から、交渉の経緯が伺える。
存在しない契約をネタに小栗を中傷し、これだけ大騒ぎをして、
結局、"勝の言葉"がソースかよ。
馬鹿っぷり全開だな。まぁ、せいぜい頑張れ。
96 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/20(金) 10:54:26 ID:eX5y6rFq0
勝は時代遅れの蘭語を少々囓っただけの男。
英語はからきし。世界に対する知見は皆無。
自信満々で艦長となった咸臨丸では船室にひきこもり無能っぷりをさらけ出す。
日本人に戦艦を建造することは500年かかっても無理と主張し横須賀造船所建設を妨害。
幕府と倒幕派の間を二重スパイとして渡り歩いて形勢を観望。
江戸開城は自分の出世のために幕府を売っただけ。
維新後は明治政府に冷遇され、不満たらたらの余生を送る。
97 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/20(金) 23:21:28 ID:DdMXmWdT0
勝は、西南戦争のとき、
どうせ西郷が勝利するから、大久保は辞職しろと、
陰口をたたき裏工作をしてた。
冷徹で勝などに目もくれない大久保よりも、
引き立ててくれる(可能性のある)西郷について行こうとしたんだね。
勝はコバンザメとしての嗅覚はあるけど、単独で何かできる器ではない。
本質は時代を読めないバカ。
98 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/21(土) 00:01:00 ID:LgWCfqKn0
幕府対薩長は
仏対英の戦争になりかねなかった。
つまり朝鮮戦争やベトナム戦争のように
それを阻止して、日本の間接的植民地化を防ぐために、
総力戦を行わず江戸城を明け渡しのが勝海舟である。
薩長は愚かにもそのことに全く気づいていなかった。
99 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/21(土) 07:24:29 ID:o6x3arKG0
ほほう〜。久しぶりにきてみれば、小栗ヲタが必死に反論をし続けていたのか。
でもソースを示しているあたり多少はまともに議論する気になってたらしい。
文体は相変わらず根性が曲がっているようだがw。
しかしあれだな。都合の良い事実だけを示し(ソースも示し)、
都合の悪い事実はあえて書かないあたり「この場で論破できれば真実などどうでもよい」という態度が伺える。
結局の所、それでは「水掛け論」にしかならんなw。
ま、それでたのしむ場らしいからがんばってくれ。
100 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/21(土) 23:18:05 ID:BV8bU1S30
>>94 >そしてロッシュの提案や、勝を始めとする幕府閣僚の言葉から、交渉の経緯が伺える。
「勝を始めとする幕府閣僚の言葉」とは?
勝のホラは有名だけど、勝以外の幕閣の言葉とやらが何なのか、ちゃんと説明しなきゃ。
そしてもちろん「交渉の経緯」の具体的内容についてもね。
>>99 まさに法螺吹き勝のエピゴーネンらしい文章だ。
「真実などどうでもよい」という態度こそ勝海舟の本質。
そして「都合の悪い事実はあえて書かない」(書けない)のが勝ヲタの特徴。
だから勝ヲタはこの手の議論では必ず負ける。
咸臨丸プロジェクトを立ち上げ提督に任を果たしたのは木村摂津守喜毅。
勝は木村摂津守に泣きついて艦長の座にありついたのはいいけど、
航海中は船室に閉じこもって何もしなかった(できなかった)。
勝を信用してなかった木村摂津守がアメリカ人水兵を乗船させてたおかげで、
咸臨丸はかろうじて太平洋横断に成功する。
勝に全てを任せていたら咸臨丸は間違いなく海の藻屑になってた。
無能で無責任な勝の正体を間近で観察してたのが福沢諭吉。
彼がその後勝をどのように評価したかはご存知のとおり。
102 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/22(日) 09:18:19 ID:JlpzWFV30
>>100-101 議論?議論をしているつもりなのか?
ならば最初からお前は論点がズレているだろう。
最初の論点「江戸で新政府軍を破っても徳川は勝つことができない」に話しを戻せば、
小栗作戦が実施されても徳川単独では勝つ事ができず、諸外国に利権を渡す形でしか勝利する方法がない。
そして、その結果として徳川幕府は維持されるものの中国や他のアジア諸国同様に諸外国の傀儡政権もしくは
植民地の道を歩む。したがって勝の戦争回避は正しい判断という結論に対し、
お前は「小栗作戦で勝てた」としか主張できず結論が崩れていない。
苦しくなって論点をずらしておいて「議論に買った負けた」とはイタイな。
徳川に勝利への戦略は無く、あったのは小栗の江戸防衛策のみ。戦略無き戦争は勝てない。
鳥羽伏見の段階でしか勝利は望めない。勝の江戸城無血開城は「負けてしまった後の戦後処理」に過ぎない。
事実としては小栗は卓上で作戦は立てたようだが戦場で陣頭には立たなかった。
臆病で卑怯だからというわけではないだろうが。
104 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/22(日) 10:40:24 ID:gUsriThD0
小栗は長く江戸に居続けている。すべてを江戸で判断していた。
その点徳川慶喜は長く京都に居続けて政治戦略の最前線に立ち続けている。
江戸にいる小栗の作戦や考えは、政局が京都で動いていた事を考えれば現実乖離を起こしていたという事だろう。
薩摩藩邸焼き討ちに続き、江戸から幕兵を大阪に送りなし崩し的に鳥羽伏見の戦いを起こした幕府側。
この時、小栗は江戸で要職にあった。結果として慶喜が土佐や福井と組んで仕組んでいた策にトドメを刺し、
徳川は朝敵となる。江戸に帰った慶喜は小栗を解任し勝を起用している。勝は政治派閥で考えた場合、
福井藩主松平春嶽系になるから、慶喜はあくまでも現実認識が甘い江戸派を排除し、徳川宗家の温存を京都政局に詳しい
土佐・福井の派閥に任せたという事だろう。
105 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/22(日) 10:50:10 ID:gUsriThD0
でもあれだなw。
小栗ヲタというか勝批判をしている奴は「煽り」を必ず行う
根性曲がった陰湿な性格だという事だけは良くわかったw。
106 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/22(日) 23:09:08 ID:jyLUFE+i0
そうすっと本土決戦回避した本土人はチンカスで
真の日本人は沖縄とサイパンと硫黄島にしかおらんな
107 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/22(日) 23:39:36 ID:4CMkdzLn0
>>105 氷川清話を信じ込んでる勝ヲタを釣るための釣堀で「煽り」に釣られるお前が馬鹿。
>>102 自分の妄想が破綻したからといってそんなにファビョるな。
そもそも「君は江戸での勝敗にこだわって勝ったの負けないだの言っているが、
そんなものは極端な話しどうでもよい。」と言ったのはお前だろボケ。
>(勝の戦争回避がなければ)中国や他のアジア諸国同様に
>諸外国の傀儡政権もしくは植民地の道を歩む。
当時、アヘン戦争により上海を押えたイギリスは、上海を中心に商圏の拡大を図った。
そして南北戦争終結により世界的に余剰となった兵器が上海に持ち込まれ、
グラバーなどの死の商人を介して大量の最新兵器が長州や薩摩に密輸された。
さらにオールコックは反幕意識の強い薩長などに、
「幕府による貿易独占」に反対し割拠するように刷り込んでる。
つまり倒幕派は物理的にも思想的にもイギリスの介入のもとに形成されたと言える。
倒幕派は外国の支持を得ることを最大の自己目的として行動しており、
その正体は「諸外国の傀儡政権」となんら変わりはない。
勝は日本の政権中枢を預かる立場にありながら、
このような得体の知れない傀儡に政権を投げ出したわけで、
その無責任な行為は非難されて当然だろう。
そしてもしも欧米が本気で日本を植民地化しようとしていたのなら、
戊辰戦争や西南戦争の過程ですかさず干渉の動きがあったはず。
パークスは江戸攻撃を命じ、卑屈な対応に終始する勝のせいで江戸は大混乱となり、
中枢を失った日本は欧米の植民地になっていたことだろう。
しかしそうはならなかった。当時の列強の関心はあくまでも中国に向いていて、
日本は、高いコストを払ってまで植民地化する対象とは見られていなかった。
戊辰戦争当時の英仏は、厳正中立・絶対不干渉の立場をとっており、
薩長に近づきクーデタの遠因をつくったイギリスでさえ、
本国の訓令があるため内戦への干渉はできなかった。
むしろ列強が心配したのは内戦の拡大により養蚕業が壊滅し、
絹貿易に支障が出ることで、それゆえパークスは倒幕派の江戸攻撃を中止させた。
また、パークスは薩長に接近する一方幕府に対する融和政策も捨ててはおらず、
幕府が勝とうが倒幕派が勝とうがどっちでもいい両面作戦。
結局、勝が自己正当化のためにでっちあげた「外国の干渉」というネタは事実無根だね。
>徳川に勝利への戦略は無く
意味不明。
そもそも徳川幕府は事実上の中央政府として認められてるんだから、
クーデタをおこした奸賊を叩き潰し幼帝を救い出せばいいだけ。
むしろまともな展望ももたずに暴発したのは倒幕派の側で、
西郷などは幼帝を拉致して広島で自決する計画だった。
108 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/22(日) 23:53:25 ID:z5XXLK/D0
現代日本でたとえれば勝海舟は北朝鮮の工作員のようなもの。
北朝鮮が日本を侵略するような局面で、
戦争反対と隣国との融和を説き、
自衛隊の解体を工作した売国奴が勝。
陣頭指揮に立った事も無く戦場での実戦経験の無い小栗が
江戸城中でどれだけ「必ず勝つ」と力説しても実感は無かったのだろう。
110 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/23(月) 14:24:51 ID:cLnovMDW0
小栗はただの官僚で軍略家ではないから。
>そもそも徳川幕府は事実上の中央政府として認められてるんだから、
クーデタをおこした奸賊を叩き潰し幼帝を救い出せばいいだけ。
それが出来なかったから幕府は滅んだんであってな。
鳥羽伏見も初日で数も兵器も勝る幕府軍が小勢の薩長を蹴散らしとけば、幼帝は救えたんだよ。
当初宮中は「ここは幕府と薩長の私闘ということにしておこう」ということで朝廷の保全を図ろうとしていた。
でも初日の薩長軍圧倒的優勢の報を聞くなり宮中は薩長を官軍と認定。錦旗掲揚の認可が賜る。
それから幕府は形勢を覆せることもなく・・・。
112 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/23(月) 22:27:01 ID:xhPTDEix0
早い段階でおかしな公家を皆殺しにしとかなかったのが敗因。
公家なんざ腰抜けぞろいだから、生首目の前にぶら下げてやれば、すぐに靡くよ。
>>111 鳥羽伏見は緒戦にすぎず、幕府は巨大な軍事力を温存してた。
小栗の主張のように本気で反撃してたら薩長に勝ち目はなかっただろう。
裏切り者の勝が幕府を滅ぼしたんだよ。
>>112 慶喜が京都を薩長の軍隊に明渡したため、
腰抜けぞろいの公家は薩長の言いなりになってた。
公家の責任よりも、京都を明渡した幕府のミスのほうが大きい。
長州一藩相手に圧倒的優位を誇りながら凹られる幕軍の現状からして
陣頭指揮に立った事も無く実戦経験の無い小栗の江戸城内の主張に現実性は無かった。
>>113 軍事力の出し惜しみの結果、緒戦に敗れて大局を見誤るようでは滅んで当然だな。
だから征長ひとつも儘ならないんだよ。
しかし反撃出来るだけの余力があるなら小栗も功山寺決起の高杉晋作みたいに、違命覚悟に玉砕覚悟で自ら徴募兵だけでも率いて、
薩長軍に戦いを挑もうとはしなかったのかな?座してもどうせ負けるのだからさ。
116 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/23(月) 23:25:55 ID:xhPTDEix0
そこが官僚の悲しさ、そこまではできまい。
小栗が君命を重んじ自重したのか己が戦場に立つのが恐ろしかったのかは定かではない。
ガトリング家老のこともあるので意外と小栗にも軍才はあったかも・・・
川路聖謨は江戸開城の翌日に自決してる。
日本にとってかけがえの無い人材を失い、
勝のようなゴミがのさばったのが明治維新。
小栗は能吏ではあるがそれ故か陣頭にたって戦の指揮を執るような胆力には欠いていたようにも見える。
121 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/26(木) 04:15:54 ID:0GYWkPzn0
>グラバー商会は、資金の大部分をオランダ貿易会社とジャーディン・マセソン商会に依存していたが、
>薩摩留学生の学資もジャーディン・マセソン商会(香港)の信用状にもとづいて、
>マセソン商会(ロンドン)が薩摩藩の手形を割り引く形で前貸ししていた。
>従って、実質的な薩摩留学生の支援者はジャーディン・マセソン・グループであった。
> この(5人の)長州留学生はジャーディン・マセソン商会(横浜、英一番館)の
>ウィリアム・ケズウィックや>英国領事ジェイムス・ガワーの協力を得て、
>ジャーディン商会所有のチェルスウィック号で上海に渡り、
>ロンドン行きの貨物船ペガサス号とホワイト・アッダー号に分乗しながらロンドンに到着している。
薩長とジャーディン・マセソン商会のダークな癒着…
ちなみにジャーディン・マセソン商会は世界最大のアヘン商人。
アヘン戦争を引き起こし、中国から香港を奪ったことで有名。
ttp://www.yorozubp.com/0411/041117.htm
中国は奪われたと思ってねェじゃん。
99年間統治させたんだよ
123 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/26(木) 19:17:46 ID:VVZ0yS5T0 BE:69312825-
>>111 おいおいw 薩長のほうが少なくとも陸軍力は上だったろ。
近代兵器装備してさ。アームストロング砲とか、ムニエール銃とかさ。
>>123 幕府軍の半数近くを占める幕府歩兵隊は薩長連合軍と同等のミニェー銃を装備、
更に、その一段上のシャスポー銃を装備していた歩兵伝習隊が存在(両軍中でも最新鋭の装備力を誇る)。
銃数の点でも幕府軍が薩長軍を圧倒的に凌駕していた。
125 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/27(金) 23:56:33 ID:8Oe2yJi30
福沢諭吉は高額紙幣の顔。
日本を代表する知識人として尊敬されてる。
しかし勝がお札の顔になることはありえないな。
今後も卑怯者&ホラ吹きとして罵倒され続けるだろう。
126 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/28(土) 06:01:31 ID:Z2fOWFRq0
>>125 ふ〜ん。福沢って幕臣で禄ももらっていながら戊辰戦争の時に何もせず、
しらんぷりして徳川が滅ぶのを傍観してた奴だろ。
すべてが終わって安全になった頃に勝への愚痴をはじめたんだっけ?。
なんで江戸開城の時に福沢は勝に文句言わなかったのかなw。
127 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/28(土) 06:10:06 ID:1ar23hol0
福沢は禄の支給を事実上拒否していたから幕府への恩義なんてこれぽっちもないw
ってか、あんなに貧乏な幼少時代には幕府も藩もたいして禄をくれなかったけど
蘭学やら英学を学んで重宝されるようになると幕府も中津藩も途端に福沢囲いに奔走するから
そりゃあ福沢も気分が悪かろうよwww
128 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/28(土) 08:24:33 ID:P23EmMxL0
>>127 >貧乏な幼少時代には幕府も藩もたいして禄をくれなかったけど
貰ってんじゃん禄www
>福沢囲いに奔走するからそりゃあ福沢も気分が悪かろうよ
恩義無いなら幕臣などにならなければ良かったじゃんw
結局身分が欲しかったんだろ。それも徳川の恩義ってやつだよね。
徳川を利用するだけ利用し、利用価値が無くなると捨てる福沢。
その福沢の言葉と最後まで徳川を立て直そうとした小栗。
行動のまったく違う者たちの言葉で勝批判できそうな部分だけ
抽出して利用するバカの行動には理解できない部分が多いよねw。
>>95ー100
フランスからは、貸して欲しければ蝦夷地の開発権を担保に差し出せと要求している、
そして幕府がそれを拒絶したものは残っていない。
そして幕閣にも、どうようの発言が残っている。
そして小栗ヲタが言うのとは違い、勝が嘘をついたなんて証拠もない。
そして小栗は、あくまで金を借りようとしていた。
でないと、貧乏な幕府は徹底抗戦などできないからな。
さてこれから導き出せる結論はなんだ?
蝦夷地の開発権を担保に金を借りようとしていた以外に、回答はない。
フランスが担保なしで貸してくれる、という結論に行きつくのかい君は?
>>96 横須賀は幕府になんら寄与していない。
金を食っただけで、これを他に回していれば幕府は滅びていなかったかもしれん。
日露戦争の主力艦隊は全て英国の戦艦で、
第2次大戦で活躍した金剛なども、英国で建造されたものだったりする。
>>97 勝は馬鹿だから、西郷みたいなクズを応援していたしな。
日本史上最高クラスの政治家である、大久保と木戸を理解していなかった。
>>98 列強は全て、中立を宣言している。これは長州征伐の時から。
長州が英国に、内戦に関与するなと、注文をつけて、
英国が諸外国にも働きかけたから。だから代理戦争にはなりえない。
そして江戸が戦場になるのは、新政府側そして列強も嫌っていた。
幕府が信性のアホでない限り、江戸は無血開城する予定。
>>107 順番が逆。
薩長が幕府を潰す為に、英国を利用したに過ぎない。
そして幕府こそ、日本を売り飛ばそうとしていた国賊。
フランスは、英国が事実上貿易の独占(75%)しているのが気にいらなかったので、
なんとか、対日貿易を独占したかった。(フランスは当時10%程度)
だから、幕府をそそのかして、なんだかんだいって設備をつくらせ、
そして諸藩を討伐させることで、金を浪費させ、
そのかわりに恩を売り、シェアを増やし、日本の金や権益を少しづつ奪っていったわけ。
幕府が倒れた時には、借款の強制回収にも踏みこもうとしていた。
そのフランスの思惑にまんまと載せられた、馬鹿こそ小栗。
だが薩長土肥を始めとする新政府の中核の諸藩は、欧米からは殆ど金を借りず、
時前の財布で、軍備を調え、欧米から干渉される隙をつくらかなったのと対照的。
>>124 大きな間違い。
幕府歩兵はそんなに多くない、せいぜい数千から万弱。
伝習隊になると,2000程度、おおくて3000あるかないか。
それも伝習隊は、町のヤクザなどを雇って即席でつくりあげたため、
忠誠なんてものはないし、規律も低い、連度も低く。
装備も十分揃ってなかった。そしてなによりサッパリ活躍していない。
伝習隊が強ければ、鳥羽から、奥羽まで何度も何度も負けてないよ。
で、片や長州だけで、ミニエー銃(16000)とその他のゲーベル銃などの洋式銃(4000)
を買いつけており(なお銃は隊士が、藩の援助を得て自費で購入)
その諸隊の数は200、その総数は諸説あるものの、最終的には二万にも及ぶといわれている。
薩摩は、戊辰戦争に参加しただけで、7000は越える。
それも大半がミニエー銃で、なかには、幕府のジャスポー銃を上回る、
南北戦争で使われた、連発式のスナイドル銃を数百はもっていた。
肥前になると、このスナイドル銃を数千丁は用意していたと言われている。
当然の事ながら、幕府ごときが、どうあがこうと、新政府軍には勝ち目はない。
133 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/28(土) 12:23:11 ID:0etdPj1u0
結論
勝の行った江戸開城は正しい判断であった。
小栗ヲタは妄想しかできない無知識くんだった。
小栗は幕府を勝利させる為の計画とか思案には熱心だったが
実際に自らが戦場で汗や血を流すようなことはしたくなかったのかもしれない。
135 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/28(土) 23:55:45 ID:jPLo7gGd0
>>129 勝の妄想をオウムのようにくり返してる信者はカルトじみてる。
小栗とクーレーとの600万ドル借款契約は成立している。
そしてその契約に「蝦夷地の開発権を担保」とするような条項は含まれていない。
この辺は
>>82のサイトで名前が出てる坂本藤良などが明らかにしてる。
この借款は「フランス」とではなく英仏の銀行との間の契約で、
殖産興業によって産み出される将来のキャッシュフローを担保とする、
一種のプロジェクトファイナンス。
そもそもフランスにとっては日本との貿易によって得られる利潤が最も重要なのであって、
日本の土地を占有するなどという面倒なことにはほとんど興味を示していない。
ただしイギリス商人は日本の鉱山開発に熱心で、
グラバーは佐賀藩の高島炭鉱の経営権を獲得してる。
もちろんグラバーの最終的な狙いは日本を中国のような植民地にすること。
そしてグラバーから武器を与えられた薩長が内戦を起こし、
勝はなんら抵抗もせず権力を明渡した。
君は、勝とは一体何者なのかということを、きちんと吟味したほうがいい。
>>132 基本的に幕府は海軍を最優先に整備し、陸軍は後回しだった。
しかし長州征伐失敗後に軍制改革を行い陸軍力を強化。
歩兵・砲兵・騎兵あわせて1万数千人の近代的陸軍を擁してた。
また、いかに強力な銃を持ってても、補給がなければただの棒。
アメリカ南北戦争での南軍の敗北は、
制海権を奪われ補給に支障をきたしたことが大きな要因。
もしも幕府が陸海軍を総動員して組織的に薩長討伐を行ったら、
間違いなく薩長に勝ち目はなかっただろう。
しかし実際には幕府中枢が勝に乗っ取られたことにより、
幕府陸海軍は大混乱をきたし組織的な反撃がほとんどできなかった。
つまり勝の裏切りが薩長を破滅から救ったんだよ。
136 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/29(日) 00:09:57 ID:4bAcb5rTO
とある新聞連載 知識欲【アペタイトの男】小説家・山崎光夫
面白いよ!
珍しい佐賀藩の事柄
一度探して読んでくれ!
連載面白いけど内容は書けましぇん
137 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/29(日) 00:20:31 ID:4bAcb5rTO
今みたら、小説・大隅 重信 【山崎 光夫】
>>135 >この辺は
>>82のサイトで名前が出てる坂本藤良などが明らかにしてる。
小説家の創作を事実だと勘違いしている痛い奴だな。
小栗ヲタってのはやはりこの程度か。
借款が成立し、金が日本に渡ったというのなら、
史料を示して欲しいね。成立したのなら、あるだろ?
>殖産興業によって産み出される将来のキャッシュフローを担保とする、
それは支払い方法だ、担保はそれが失敗した場合、返済が滞った場合、変わりに支払うものだ。
貴方が企業したとしよう、銀行に担保は?と聞かれて、
将来の収入です、と答えて借りられると思っているのか?
>また、いかに強力な銃を持ってても、補給がなければただの棒。
幕府の海軍とは、大島に上陸したが、高杉の夜襲にやられ逃げ出し、
上陸した5000あまりの兵は、たったの1000たらずの第二奇兵隊に、大敗を喫した例があるが、
これをまたしろと?
そもそも幕府には、そんな大軍を動かす金はない。江戸開城したときの空っぽの金子でなにをするんだよ?
(これが借款が失敗した証拠でもあるんだが)それとも隠し財宝でもあったのかw
大坂や江戸の商人からもすでに莫大な金を借りており、その返済だって、焦付いていた。
つか練度もさっぱりの幕府海兵に、どうやってそれだけの艦隊を動かせるつもりなんだか、
沿海の測量もまだ不充分なんだぞ、全て座礁するのが目に見えている。
そしてアームストロング砲を含む新政府側の大砲とどう遣り合うつもりだ?
なお馬関戦争の時は、長州だけで(アームストロング砲や当時としては西洋でも平均レベル砲だった)100門もの大砲があった。
これで英国の艦隊は、旗艦以下数隻が損傷しているし、
薩摩も薩英戦争では同様の損害をあたえることに成功している。
それより劣る幕府の艦隊で、どうやって有効な打撃をあたえるのだ?
>もしも幕府が陸海軍を総動員して組織的に薩長討伐を行ったら、
幕府が動員した兵力は12万。これがたったの4千程度に大敗して、逆撃を被り、
北九州と益田あたりまで、占領されている。これでどうやったら、
そんな夢みたいな話を信じられるんだ?
139 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/29(日) 01:46:06 ID:xT1a/3QC0
どうやら小栗ヲタは完全に論破されたみたいだね。
反応がない所をみると逃げ出したようだw。
140 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/29(日) 02:53:52 ID:0y54YIDA0
>>138 坂本は小栗ヲタの経済学者、小説家ではない。
借款が成立した史料としてはロッシュの本国宛の報告書を参照のこと。
契約内容についてはソシエテ・ジェネラル及びオリエンタルバンクに照会すればいい。
なお、坂本や石井などの小栗擁護派のみならず、
「担保」の件で幕府を叩いてる芝原も借款契約は成立したとする意見だ。
もちろん契約は成立したけど履行前に日本で内戦が勃発したため、
融資は実行されなかった。
契約は存在しないが幕府は樺太を担保にしたはずだと妄想してるバカは、
「借款交渉がどの段階まで進んでいたか?」という事実関係を踏まえたうえで、
ソースを出して「樺太担保」の必然性を説明してみろ。
>貴方が企業したとしよう、
人は起業することはできるが法人になることはできない。
>銀行に担保は?と聞かれて、
>将来の収入です、と答えて借りられると思っているのか?
将来の収入を見込んで担保価値以上の融資を行うことは珍しくない。
そもそも途上国融資というものは本来そういうものだ。
逆に「蝦夷地(正確には樺太)の開発権」とやらに600万ドル以上の価値があると思う?
もしあるとするならば、樺太をロシアに盗られた明治政府は、
日本の富をロシアに売った売国奴だということになるぞ。
>幕府が動員した兵力は12万。これがたったの4千程度に大敗して、逆撃を被り、
長州征伐時の幕府とその後フランス型近代陸軍を整備した幕府とを混同してる。
長州がたったの4千程度で勝てたのはグラバーが与えた武器の優位のおかげ。
相手が同等の武装をすればその優位は消える。
さらに攻守が逆転し倒幕派の兵站は延びきっており、
資金も底をつきかけ何度も大阪商人をユスリるため往復する始末。
長期戦になって兵站を寸断されたら各個撃破されるのがオチ。
やはり倒幕派が勝てたのは勝のおかげとしか言いようがない。
小栗は今までの幕府軍とは違うと必勝を力説したが、実際の戦闘経験の無い小栗が江戸城中いくらそういっても説得力は無かった。
口で言うより小栗自らが陣頭指揮に立って新政府軍を一回ぐらい撃破していれば少しは説得力があっただろう。
小栗は戦場の経験が無い為に幕兵の装備を整えさえすれば即実戦でも戦えると錯覚していたように見える。
143 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/29(日) 08:09:10 ID:gLWa1nhE0
勘定奉行小栗豊後守より、一ツ建言書を出せり。右は天下一般に金銀の不足を名とし、
紙幣発行あらば、大に公儀の利益にも相成べくとの趣意也。余の考ふる所は、
我越前国の紙幣増加よりして、現金銀の準備なき所より、大に紙幣の価下落し、
金壱円は紙幣四百文迄にいたれり。況や現今天下有志沸騰。
徳川家傾覆の境界に至るの時節に、紙幣流通は無覚束、
又民衆も信用せざるは論をまたざる所なり。当時会計上、
大に不足を生ずる時なれば、決て春嶽政事総裁職中、
此挙行ふ事難出来と拒絶せり。(逸事史補・松平慶永著)
所詮小栗の経済感覚はこの程度。小栗の評価が過大評価なんだよ。
肝心な時に金がなく、幕府が滅びたのは小栗の責任だな。
144 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/29(日) 08:22:41 ID:5CNP4Nen0
>>140 >資金も底をつきかけ何度も大阪商人をユスリるため往復する
それで戦争を継続する事が事実できた。金が無く長州征伐で軍を出せなかった徳川家よりマシ。
それに諸外国に金借りて、後日諸外国に利権を奪われるより良い。
危険性については金が返せなかった時、商人が泣き寝入りで済む。
諸外国が相手なら戦争を仕掛けられて金を分捕られるか植民地になる。
>長期戦になって兵站を寸断されたら各個撃破されるのがオチ
各個撃破されようとも官軍は官軍。賊軍の徳川と違い、諸藩に命令を出せば戦力の建て直しは利く。
賊軍の幕府は一度二度は勝てても、兵力を磨り減らしていずれは滅ぶだろう。
自信をもって勝てると断言するお前の頭は腐っているとしか思えないなw。
145 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/29(日) 11:47:28 ID:Jr0NnY3Q0
ユスリる?
なるほどユスリるのかw。
ユスリるユスリるww
旗本がグダグダで、芋に負けた。
小栗は強大なはずの幕府軍が長州一藩相手に敗走した現実を理解できなかった。
実戦経験が無い為に将棋の駒と実際の兵の区別がつきにくかったのかもしれない。
148 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/29(日) 22:32:32 ID:WBsDC2wk0
小栗は官僚だよ。所詮コ役人。
軍を指揮した事ないし、彼が考えた作戦も実行された事もない。
よくいるだろ。ド素人のくせに戦争の作戦や組織改革に首を突っ込みたがる奴。
あれだよあれw。
小栗は強硬論を唱えながら自らは陣頭には立たなかった。
発言は強気だが行動は臆病な勝以上の法螺吹きではないのか。
150 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/29(日) 23:12:38 ID:uui4jq2r0
「我々が勝つことができたのは、小栗上野介のおかげだった」東郷平八郎
勝の謀略で横須賀造船所が潰されてたら、
日本はロシアの植民地になるところだった。
151 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/29(日) 23:38:17 ID:aufR0d3g0
>>150 東郷の勘違いだってw。もう論破されまくりで必死になっちゃってwww
役にたったのは船を造る為の造船所じゃなくて修理用のドック。ドックなんて横須賀以外にもいっぱいあるから。
152 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/29(日) 23:55:32 ID:uy4/pV2N0
>>151 >ドックなんて横須賀以外にもいっぱいあるから。
たとえばどこ?
日露戦争で横須賀造船所に代わるドックがどこにある?
>もう論破されまくりで必死になっちゃってwww
過去レスを見るとことごとく論破されてるのは勝オタだよ?
とりあえず
>>151が必死なのはわかった。
>>140 いや、彼は本業は小説家だぞ。
あれを経済学者とするなら、渡部昇一も経済学者になってしまうがな。
つか経済学者でもいいけど、なんで経済学者のいうことを史学板で信じなければならんのだ。
そして締結されたとするなら、文書しめしてもらおうか。
>将来の収入を見込んで担保価値以上の融資を行うことは珍しくない。
いや非常に珍しい、つかそれは担保じゃなくて、返済計画なんだが、
担保ってのは現在存在するものでなければならないからな。
将来の税収そのものを担保にしたというのなら、わからなくもないが、
そこまでやったら、もう国賊だぞ。
そして鉱山や森林の伐採権などの利権を確保、そしてその為に守備兵を駐留させる。
そうやって半殖民地化していくのが、列強の常套手段なんだが。
>長州征伐時の幕府とその後フランス型近代陸軍を整備した幕府とを混同してる。
いや、長州征伐のときにもいたんだけど。広島方面にな。
そしてその後も伝習隊や幕府歩兵隊は奥羽に転戦して、見事に大敗を繰り返している。
新政府軍で、奥羽で苦戦したのは、薩長土肥以外の諸藩、とくに小藩に限られている。
西南雄藩の諸隊は殆ど負けてない。
そして長州と肥前は、藩を潰した時でも、それぞれ100万両の貯金が残っていた。
少々負けても、戦争は継続できる。
そして軍備を増強していたのは、幕府だけじゃない。
修理用ドッグを建てたことと、小栗が指揮を執ってロシア艦隊を撃破できたかどうかは別問題。
勝利を指揮した薩摩の東郷が旧幕臣との遺恨を解かそうと勝利の功を小栗のおかげだとすることで
挙国一致の人心収攬の一面もzる。
小栗がドッグを立ててなければロシアの植民地になっていたという仮定法は
小栗が指揮を執る幕府海軍が日本海海戦を戦っていたのならバルチック艦隊に
凹凹にされて全滅していたかもしれないというほど現実味が無い。
つか、ドッグは犬。
156 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/30(月) 23:13:00 ID:HQILjkBO0
>>153 坂本は経営学・経営史が専門。
そして幕末・明治の近代化プロセスの理解には経済学者の視点が不可欠。
それが分からないバカは氷川清話の虚偽を見抜くことすらできないだろう。
ともあれ坂本の属性はどうでもいい、
重要なのはオマエが
>>140の以下の問いにどう答えるかだ。
>契約は存在しないが幕府は樺太を担保にしたはずだと妄想してるバカは、
>「借款交渉がどの段階まで進んでいたか?」という事実関係を踏まえたうえで、
>ソースを出して「樺太担保」の必然性を説明してみろ。
>担保ってのは現在存在するものでなければならないからな。
では、英仏のバンクが厳格な土地担保主義をとっていたと仮定しよう。
そうすると600万$を貸出す前に担保価値及び回収リスクの査定が必要となる。
掛目60%とすると確実に回収可能な1000万$相当の担保を押えなければならない。
>>129によれば、「フランスからは、貸して欲しければ蝦夷地の開発権を
担保に差し出せと要求している」そうだから、「フランス」は「蝦夷地の開発権」に
1000万$相当の担保価値があると査定したことになる。
では、「蝦夷地の開発権」とはいったい何か?
フランスは何時どのようにして日本の国土の担保価値を査定したのだろうか?
樺太開発の経済価値がどのように見積もられていたかを具体的に説明してくれ。
>将来の税収そのものを担保にしたというのなら、わからなくもないが、
>そこまでやったら、もう国賊だぞ。
それをやったのが明治政府だ。
税収を担保にイギリスから金を借り代理戦争を戦った。国賊だね。
>そして鉱山や森林の伐採権などの利権を確保、そしてその為に守備兵を駐留させる。
すでに指摘されてるように実際に鉱山の利権をゲットしたのはグラバー。
佐賀藩はグラバーに鉱山を与えて武器を購入した。
薩長にとってはグラバーが命綱なんだから戦争が長期化してたら、
下関や鹿児島が英国の植民地になってた。
>そうやって半殖民地化していくのが、列強の常套手段なんだが。
原住民のなかに傀儡をつくり、原住民どうしを戦わせるのも列強の常套手段。
そして薩長はイギリスの傀儡となり日本を半植民地化するために盲動を繰り返した。
維新後、鹿鳴館で列強に拝跪してた井上は卑屈な植民地奴隷そのもの。
157 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/31(火) 00:16:35 ID:4fEByPMt0
>>156 必死なのはわかるが、お前論点ずらすなよw。
「江戸で幕府軍が勝っても戊辰戦争全体では最終的に徳川が負ける」
「最終的に負けてしまうのが確実なので、勝の江戸開城は正しい判断だった」
小栗がどーのこーのと小栗ヲタの妄想爆発させているが、まだこの結論破れてないぞw。
勝が卑怯だと言っても、小栗はそれ以上に自らの身を戦場に置くようなことはせず、
危険に晒すようなことは極力避けていたのガ事実。
159 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/31(火) 21:58:36 ID:fLIE9xZO0
>>157 見苦しい結果論乙
>>158 当時の江戸は、強盗・放火・殺人をくり返す益満一味によって治安が乱されていた。
中国人犯罪集団の凶悪事件が横行する現代とちょっと似てるね。
小栗はこの凶悪犯罪集団を断固として取り締まり、
影で糸を引いてた薩摩藩邸を焼き払った。当然の措置だ。
ところが勝は、江戸の庶民を無差別に殺戮した益満を自宅に匿い、
薩摩に送り届けてしまう。勝は卑怯な売国奴だ。
160 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/31(火) 23:55:08 ID:hDMRihkI0
>>159 知識のない人だねw。ってか電波だねぇ。
中国人がどうのとか売国奴とかバカの一つ覚えのように繰り返してるし。
薩摩の江戸攪乱工作は、長州藩の桂小五郎
(徳川と真っ向勝負したら勝てないといった大村益二郎)と
平和的に政権委譲できるならそれで良いとした岩倉具視
(土佐藩と越前が岩倉を説得した)の要望で急遽中止。
益満らは当初攪乱工作を進めていたが、西郷の命令で
逆に便乗犯の盗賊団を取り締まる側にまわってしまっていた。
161 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/01(水) 02:31:58 ID:zHD5iase0
>>157 >「最終的に(幕府が)負けてしまうのが確実なので、勝の江戸開城は正しい判断だった」
>>160 >徳川と真っ向勝負したら勝てないといった大村益二郎
勝ヲタ矛盾しまくり。
海軍奉行のくせに船酔いして
坂本一派のテロリストを養成して
江戸を守らず
国賊とはこいつのためにあるような言葉だ
真っ向勝負できるような幕府であれば征長の段階で難なく勝利していたし、
大村が「小栗の作戦が行われていれば我々に勝ち目は無かった」
というのも「小栗の計画など幕府の現実からすれば絵に描いた餅だ」
という皮肉にも聞こえる。
幕府兵は強いというなら小栗は自身が征長で歩兵の陣頭指揮ぐらい執って
幕府軍の健在ぶりを江戸城内で口先で言うのではなく戦場で行動で示すべきだった。
164 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/03(金) 12:47:07 ID:KAWrUVxL0
桂・勝・竜馬・・
この辺だな。お前らの嫉妬の対象なのはw
正直、勝にも小栗にも、どちらにも肩入れ出来ないな。
むしろ、勝や小栗に何故そんなに熱くなれるのか不思議だ。
166 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/03(金) 22:10:03 ID:LLs4SLli0
まぁ、予想通りの展開で勝オタの玉砕だね
いまだに勝の法螺話を真に受けてるアホが存在することが不思議だ
167 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/03(金) 22:55:15 ID:7StA+vUi0
まあしかし長州征討軍と戊辰戦争での幕府軍は
攻める側と攻められる側で、長州征伐のときは幕府はまだ余裕があったわけで、
戊辰戦争は幕府が長州征討の長州側のように絶望的な状況だった。
窮鼠猫をかむ、というから必死に戦うだろうから戊辰戦争ではうまくはいかないと
薩長側は判断したんだろう。
だからって薩摩は江戸を放火強盗させるなんて卑怯にもほどがあるw
おおよそ武士とは言えない、下劣な集団よ。
168 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/04(土) 18:53:32 ID:hC3lOGoj0
勝は時代遅れの蘭語を少々囓っただけの男。
英語はからきし。世界に対する知見は皆無。
自信満々で艦長となった咸臨丸では船室にひきこもり無能っぷりをさらけ出す。
日本人に戦艦を建造することは500年かかっても無理と主張し横須賀造船所建設を妨害。
幕府と倒幕派の間を二重スパイとして渡り歩いて形勢を観望。
江戸開城は自分の出世のために幕府を売っただけ。
維新後は明治政府に冷遇され、不満たらたらの余生を送る。
169 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/04(土) 18:54:37 ID:AOszsIMz0
武士ではなくて農民達ですが。なにか?
170 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/04(土) 19:11:40 ID:+7WNJSE+0
小栗の遺族もさすがに本気で日本海海戦の勝利の功は
東郷の軍才でもなく、海軍将兵の奮闘でもなく、只唯一の小栗の横須賀ドック建設であるなどとは真に受けなかっただろう。
171 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/04(土) 20:39:50 ID:5/CTx2TV0
↑うわーバカもここまで来れば立派だな
172 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/08(水) 20:15:22 ID:6AFSOipj0
「薩長同盟、大政奉還、あれはみんな竜馬がやったことだよ。」
勝海舟がこのようなことを言ったのは、
別に竜馬を評価してるわけじゃなくて、
竜馬の飼主である自分をほめたたえよという意味。
勝は、維新の最大の貢献者である自分が無視され、
西郷や木戸などの端役が持ち上げられてる現状に我慢ならなかった。
なお、勝の著作を一覧するとわかるが、勝にとって坂本は、
どうでもいいパシリであり、それ以上でも以下でもない。
173 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/10(金) 22:08:15 ID:YYAgcVJ80
勝海舟=小早川秀秋
裏切者は結局どちらの陣営からも軽蔑される
174 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/10(金) 23:28:06 ID:wWGGaO560
実戦経験なしで北越戦争に挑んだ河井って最強?
175 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/11(土) 10:42:01 ID:v8KhkVIz0
負けてるじゃん長岡藩
戦死してるじゃん河井
176 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/11(土) 10:52:42 ID:2Y/tSjTR0
そういえば、河井について、
町を戦火にさらしたとして地元では批判的な声も少なくない、
ってどこかで読んだことがある。
177 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/11(土) 11:22:33 ID:njhPUfn90
小栗よりは陣頭に自ら立ったという意味では武士としては上だろう。
178 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/12(日) 11:10:58 ID:7sw7OQb60
なぜ、この手の話題は人格攻撃や罵倒をともなうのだろう。
実生活に何の関係もないお遊びなんだから、もっと気楽にやれや。
179 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/12(日) 11:49:30 ID:eIzpNCff0
結論
勝の行った江戸開城は正しい判断であった。
小栗ヲタは妄想しかできない無知識くんだった。
180 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/12(日) 12:05:56 ID:8GAK6EALO
日本を潰して徳川をとるか、徳川を潰して日本をとるかの
板挟みとなった勝の葛藤が理解できないガキどもばかりだな。
181 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/12(日) 12:21:17 ID:mzsaPi2E0
オメーさん、勝に言わせりゃ
行蔵は我に存す、毀誉は他人の主張さ。
182 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/12(日) 14:06:16 ID:3rSUyVGR0
なるほど!つまり小栗マンセーバカのような奴は相手にしないという事だね
183 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/12(日) 22:51:48 ID:96kXiQyu0
>>180 勝は徳川家を守るために日本を潰したんだよ。
184 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/12(日) 23:42:11 ID:V5OI+QLYO
勝海舟って神戦組を山梨にとこに飛ばした人ですか?
ゆるせませ!
185 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/13(月) 00:44:02 ID:LMspwTWj0
それ、勝じゃなくて大久保一翁の方だよ
186 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/13(月) 00:50:04 ID:LMspwTWj0
>>183 日本という国は今も存在しており潰れてませんが。なにか?
187 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/13(月) 01:39:42 ID:DitIvukR0
勝海舟はただのほら吹きだから、実際すごくないよ
188 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/13(月) 13:37:22 ID:h9HgGoMN0
確かにすごくないな。小心者で無能な小栗よりマシというレベルか
189 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/13(月) 23:50:10 ID:t7HS6THa0
小栗も勝も無能なはずがなかろうが!!!
190 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/14(火) 00:08:03 ID:hWtqQRvV0
小栗も勝も凄いよ。
沈没する船で最後まで懸命な努力をした。
191 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/14(火) 03:11:41 ID:oir0EOJ+0
小栗上野介:
名門旗本の血筋。
育ちがいいため人柄は無私で高潔。
頭脳明晰で幕末期最高の知性のひとり。
志の実現のためなら軋轢を恐れない。
明治政府の開化政策のほとんどは小栗構想の二番煎じ。
勝海舟:
高利貸しの祖父が御家人株を買って武士となった家系、
武士とは言っても最下級の身分。
卑しい出自のため強烈な成り上がり願望をもつ。
知能は低いが持ち前の図々しさで詭弁を弄することが得意。
幕府を売って新政府高官の地位をゲットしようと試みるが、
恩を売った薩長に足蹴にされ、愚痴と法螺で余生を費やす。
192 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/14(火) 22:27:07 ID:TPikFpVoO
勝は偉い人と話すときに自分の玉をニギニギしてたって聞いたんだが本当?
193 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/14(火) 22:30:36 ID:rvgJ/1jx0
>>192 人という字を書いて飲み込むのと一緒
落ち着くんだって
194 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/16(木) 15:57:40 ID:KpyMpuHe0
彰義隊
伊庭八郎
195 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/16(木) 17:13:10 ID:vhrbqERC0
伊庭八郎って彰義隊?
196 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/16(木) 18:28:28 ID:2tPEAzIa0
勝の日記には「龍氏、来る。」の文字しかなく、竜馬が勝を斬りに来た
とゆうのはホラ話らしい。
197 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/17(金) 00:18:33 ID:xdREAhfv0
竜馬が来たという部分は法螺じゃないな
198 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/17(金) 09:51:24 ID:PvKa4rkU0
案外、ずっと前から文通でもしてたりして。
199 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/18(土) 04:01:29 ID:EKEFQSoI0
竜馬が来た=会った=歴史を動くかしぃ〜の
200 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/21(火) 13:32:57 ID:w85wb4fy0
結論
タイムマシーン作れ
話はそれからだ
201 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/01(水) 11:13:25 ID:ZR0rfOtf0
なんにしろ勝海舟には最後まで胡散臭さがぬぐえない
江戸城無血開城の真実をちゃんと理解しよう
203 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/06(月) 12:10:38 ID:jf6WOatx0
この前カンボジアに行ってきたのよ。(旧仏植民地)
もし徳川慶喜が小栗案を採用して戦争したら、結果はどうなったかわからんが、
日本中にいくつかの軍閥が割拠して確実に何十年間は内戦だろ。
その結果産業の発展は大きく遅れて、国中に地雷はばら撒かれ、
まあ悲惨だろうな。カンボジアみたいにさ。
アンコールワットの上でそう思ったよ。
会津長岡には悪いけど、徳川慶喜は立派だったと思う。
40万部のベストセラー『嫌韓流』の第2弾
『嫌韓流2』発売中
意外とおもしれーぞ
>>203 それはないよ。当時の列強にはそこまで干渉する余力はない。
206 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/15(水) 08:48:11 ID:r8hZ1MUu0
龍馬が勝じゃなく小栗の弟子入りしてれば
そして小栗の右腕になっていたら凄かっただろうな
あと、三ツ矢サイダーが飲めるのは河井継之助様のおかげです。
>>206 小栗だと勝より遥かに人脈の幅が小さいから、行動範囲も大分狭まるんじゃないかな。
むしろ活躍すら出来ないとも思える。
208 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/15(水) 21:50:32 ID:r8hZ1MUu0
小栗の人脈は意外と広いぞ!!
天下の三井がバックにいることを忘れるな!!
209 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/15(水) 22:21:42 ID:Lzh1Cpg00
やっぱ小栗案採用してもだめだろ。
多分結果は同じだよ。
幕長戦争であれだけの大差でも一方的にやられて。
鳥羽伏見でも緒戦で絶対的有利に攻めていける状態でぼろ負け。
井伊、藤堂、稲葉に裏切られて。
徳川慶喜もだめだこりゃって思ったんじゃないの?
実際何万人っている幕臣の仲で彰義隊に参加したのはたったの2、3
千人程度だろ。
結局つぶれるしてつぶれたんだよ。
鳥羽伏見の前に河井案を採用してればどうよ?
維新直後のほうが面白い
212 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/02(日) 03:05:02 ID:EqxCdOHJ0
慶喜が14代就任の頃に将軍になってりゃまだしもって感じだが
慶喜自身のモチベーションがその頃じゃどうだったかってのがある。
213 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/02(日) 20:54:29 ID:z3G4TdU90
モチベーションが高くとも将軍の命令を行政化実行する幕府閣僚が駄目駄目だからさ。
214 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/13(木) 22:51:30 ID:12zoCrP20
age
昔、サイレントメビウスってアニメの幕末編に勝さんが起用されてたけど、
やっぱ小説で絡ませるのは勝とか竜馬がやりやすいんだよな。
福沢じゃどうも戦闘力の数値が低そうだし。組織運営できなさそうだし。
学者系の男の萌えキャラとかになっちゃうかな、ぎりぎり。
216 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/20(木) 02:31:06 ID:+TKK8dpe0
>>1 現代人だからこそ言える台詞だな( ´ー`)
命がけで生きてきた人間に今更文句垂らすなよ。
もっとデカイ人間になろうぜ。漏れもな。
217 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/20(木) 04:24:33 ID:6twjVlhO0
強く同意
218 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/29(土) 23:57:06 ID:0eTzJV530
>>1 聞いたかみんなw
何を言ってんだか、そう思わねぇ?
219 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/30(日) 04:09:16 ID:W2A0gaIjO
220 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/30(日) 07:16:22 ID:mqb9uloA0
会津藩は無謀な会津戦争を起こして負けた愚か者だろ?
1 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 2006/01/07(土) 13:43:03 ID:/+QUa7G00
しかもなぜかそのことが「素晴らしい判断」であったかのようにされてるのがムカつくんですけど
薩長から見れば面倒くさくて面倒だろうが、無血開城した幕府側から見りゃただのヘタレの愚か者だよ
戦って負けるなら最初からするな!なんでこんなやつが持ち上げられてるんだワケワカラン
なにが幕府の為に戦って滅びただ、結果論だろそりゃ。実際知恵のあるやつはその後の明治時代でも活躍し続けたんだからな。
榎本とか大鳥とか。負けたくせに、斗南藩としてのうのうと生き続けて偉そうにしやがって
221 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/30(日) 10:19:57 ID:fhe9N6K90
>>220 聞いたかみんなw
何を言ってんだか、そう思わねぇ?
222 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/30(日) 10:42:25 ID:K0BqceUO0
勝は薩摩が無血開城承知しなかったら、やる気だったしょ?その為に
江戸市民の千葉までの脱出海上輸送船や航路の手配、そして博徒の
新門等に江戸放火、市民誘導とか・・用意万端だった。
223 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/30(日) 10:47:41 ID:K0BqceUO0
続き・・情けないと言うなら、慶喜公じゃねぇ?
224 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/30(日) 11:06:07 ID:4TgKmuCj0
勝てると意気込んで始めた鳥羽伏見で負けた会津が悪いのさ。
勝っていたら慶喜も逃げ出さなかったろw。
225 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/30(日) 12:19:56 ID:/Uf4KPnQ0
>>224 聞いたかみんなw
何を言ってんだか、そう思わねぇ?
だから副関白に慶喜を就かせればよかったんだよ。
坂本&中岡様の有難い案を蹴りやがって。
227 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/10(水) 01:27:22 ID:wkBhJEKx0
勝は幕府を売った張本人じゃ。空になった城内の徳川の財産は勝が持ち出して
しまったし。晩年勝が慶喜公に何度か謁見しようとしたが慶喜公は勝を嫌って
会おうとしなかったのは有名な話じゃよ。
228 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/10(水) 01:30:22 ID:wkBhJEKx0
229 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/10(水) 09:04:33 ID:lf0bRm6L0
230 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/10(水) 10:36:56 ID:w52EfxQz0
そもそも「勝」一族は正当な武士じゃないわけで・・・・・・・・
有能な商人出身なわけで・・・・・・・・・・・・・
231 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/10(水) 13:32:58 ID:0JvV3NLr0
2chネラってのはホントに面白いなw
勝よりも小栗ってw
反抗期の中学生みたいだな
良い大人が捻くれた意見言って悦に入ってんだもんな
坂本竜馬も嫌いなら長州藩も嫌い
そして新撰組も嫌いなんだろうな
お前らモテねーわw
232 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/10(水) 13:37:33 ID:AN+oaQzbO
233 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/10(水) 16:18:49 ID:TeAG2HYLO
会津・新撰組オタクにとって、
幕末の人物たちは単なる
脳内チャンバラ武士道ごっこの登場人物に過ぎないから、
>>1のような発想が出てくる。
戦は目的ではなく手段に過ぎないから、
当然それを回避するという選択肢もあるわけだが、
>>1のような会津・新撰組オタクにとっては
戦そのものが目的であって、
その先に何かビジョンがあるわけではない。
>>1のような奴が国の舵とりの主導権を握ったのが
大正デモクラシー後の日本であり、
そのために日本は暴走・崩壊の道を辿ることになる。
234 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/10(水) 18:16:54 ID:egEVsTcX0
>>227 どっからそんな話出て来るわけ??有名?アホか〜?
235 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/15(月) 12:39:14 ID:2rwexD3uO
>227機雷なら養子あげない罠
多分、アンチ勝の正体はアンチの筆頭福沢諭吉の系列でしょう。
つまり、慶應関係者じゃまいか。
所詮私学のくせになww
日本じゃ東大・京大・東工大・一橋以外は、大学という名の保育所に過ぎませんよww
>世間の評価をひっくり返したいナンバー1だぜコイツわ
福沢諭吉のことか?
ま、でも、勝海舟が複雑な人間だったことは確かだよな。
「世界的視野をもった助言者」「歴史の曲がり角に必ず影を落とす妖精的存在」
「鵺か蝙蝠のような卑怯者」「ただのハッタリ野郎」
さて、はたしてどれが本当なのか。どれも本当なのか。
しかし勝海舟が何者であったにせよ、江戸無血開城については絶賛せざるをえないよ。
あそこで江戸が戦場になっていたら、明治の日本経済ははるかに立ち後れていたはずだし
明治政府の急速な立ち上げもユメに終わっていただろう。
内戦を回避したことで、悪いことなんてひとつもない。つまらん武士の意地をのぞいては。
239 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/05(月) 15:45:20 ID:TfBfhrq10
勝海舟は、幕末以来、明治の「日清戦争」にいたるまで、一貫して日本・朝鮮・支那の三国同盟論を主張していた。東アジア3国の同盟により、欧米による侵略から守ろう、という立場を維持し続けたのだ。
日清戦争には「直接の開戦理由が、朝鮮の内政改革というきわめて説得力のうすいもの」であったため、勝海舟は大義名分がまったくないと反対した。
帝国主義にそそのかされて、アジアの兄弟である清国に勝ったとしても、イギリスやロシアに利用されるだけだと事前に忠告し、日清戦争が終わった後に、「それみろ、俺の言うとおりではないか」と繰り返し主張した。
まさに時代を先取りした発想に驚かせられる。
勝海舟は、もっと評価されて良い男ぞなもし。
反米嫌日戦線「狼」(美ハ乱調ニ在リ) 朝鮮は日本のお師匠様
http://anarchist.seesaa.net/article/14666063.html
240 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/05(月) 21:10:53 ID:zQ2lIFxkO
>>236 違います。
司馬遼太郎や武士道の本を自己啓発的に読み込んだ、
生まれがもう少し遅かったとしたら
細木和子にハマっていたであろう、そんなイタい方々です。
241 :
無血開城:2006/06/07(水) 11:10:25 ID:OSOfyfEG0
>>238さんに同意。
当時は内戦中です。血走った連中・命知らず輩を議論で納得させたのです。
命懸けの仕事です。今の政治家にこれだけの仕事ができる人は
居ません。
頭脳だけではなく行動力と説得力がある、歴史上の逸材です。
242 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/08(木) 17:57:09 ID:/m/4p8tX0
歴史上非常にマイナーな小栗オタのプロファイリングしてくれ。
ちなみに自分は東海地方の維新とは縁もゆかりもない百姓の子孫の開業医だ。
243 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/08(木) 18:42:12 ID:t4Z7VoYq0
おこないは自分のもの、批評は他人のもの。
気にすることはない
244 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/10(土) 03:38:12 ID:pgbb0Xmk0
★幕臣・小栗上野介(おぐりこうづけのすけ)
彼の先見性は驚くべきもので、
明治新政府の施策の多くは、彼の発案です。
郡県制などが有名です。
また、現在の技術立国日本の礎を築いた人でもあります。
横須賀造船所がそれです。
彼はポーハタン号での訪米の時(咸臨丸が同行)、一本のネジを持ち帰りました。当時日本にもネジはありましたが、一本一本手作りでした。
機械で作られたネジ、それに将来の日本の技術の目指すところを見つけたのでした。
245 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/10(土) 03:39:40 ID:pgbb0Xmk0
858 :日本@名無史さん :2006/06/09(金) 23:01:36
明治維新で、東軍=徳川軍は、徳川慶喜公が江戸に引き返した後は、
内戦が万一、長引くと、欧米の介入を招き、日本は欧米の植民地になるという理由で、戦わずに明治新政府に恭順したが、
小栗上野介をはじめとする主戦派は、
幕府陸軍が静岡付近で敵を迎え撃ち、
フランス東洋艦隊に匹敵する戦力の、幕府海軍に背後をつかせ、
さらに、艦隊を二分し、一艦隊を大阪・京都に向かわせ、薩長軍の補給路を遮断する作戦を、徳川慶喜公に提案して却下されている。
西軍の参謀・大村益次郎は、「この作戦が実行されていたら、我々は負けていただろう」と後に語った。
西軍=薩長=薩摩藩77万石+長州藩36万石
対
徳川幕府800万石
だから当然だな。
よく、旧式装備の幕府軍が敗れたと語られるが、あれは薩長が後に流したウソで、
実際は、幕府側のほうが最新の装備を整えていた。
800万石の幕府が、薩長より装備が劣るなんて事はありえない。
246 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/10(土) 03:41:07 ID:pgbb0Xmk0
1868年正月 小栗作戦が実行された場合の近代日本史。
1858 井伊直弼が日本を開国。日本の近代化が始まる。
近代化に反対する鎖国主義勢力を処罰する。
1860 新見使節団が米国を視察する。
桜田テロ事件。反近代派のテロ。井伊氏が犠牲に。
1861 軍制改革が始まる。福沢諭吉ら知識人が活躍し文明開化が始まる。
1862 竹内使節団が欧米を視察する。留学生を送る。
薩長の乱がおこる。(〜1868) 鎖国回帰を主張する
復古勢力の反乱。一時京都を焼く。
1863 池田使節団が欧州を視察。
1864 反乱による政情不安続くも、小栗忠順らが政府の
建て直しに活躍する。
1865 横須賀製鉄所をつくる。日本の工業化が始まる。
1866 薩摩藩・長州藩の起こした薩英戦争・馬関戦争により、関税率が下がる。
1867 兵庫商社をつくる。株式会社のはじめ。
軍制改革がすすむ。
1868 徳川慶喜氏が大君(=大棟梁=大統領)に就任する。小栗らと連携し
反乱鎮圧と近代化に尽力。
政府が最終的に反乱を鎮圧し、首謀者および
政府側内通者を斬首。6年にわたる政情不安が
解消される。
廃藩置県が実施される。
1869 鉄道が開通する。
1870 憲法が発布され、議会が開設される。
1871 日清 日朝間に平和友好条約が結ばれる。
1872 小栗らの主導により、富国強兵政策がすすむ。
1873 産業革命がすすむ。
1907 小栗氏が死去。日本近代化を指導した巨人。
1913 徳川慶喜前大統領が死去。
1945 すでに日本は世界屈指の平和国家・民主主義国家・経済大国に。
========
247 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/10(土) 03:41:45 ID:pgbb0Xmk0
明治維新はテロ・暗殺・クーデターで成り立った。
薩長中心の明治新政府は、さまざまな醜い部分や真実を歴史から消し去り、謀略によって、おのれを正当化したのである。
その後、明治新政府は、冨国強兵という政策により軍国主義の道を歩み始めた。
こうして、明治維新後、百年間で幾多の戦争を引き起こし、多くの犠牲者を出し、
北方領土を全て、ロシアに、
一部の領土・大半の領空を在日アメリカ軍に、
むしり取られた。
日本の悲劇は、薩長を中心とする人らによって政府が作られた時からすでに始まったと言ってよい。
248 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/10(土) 06:04:13 ID:/S9S6Vvd0
>>245 無理だっちゅーにw
小栗案が採用された所で、官軍が江戸を攻略できないだけ。
南北朝争乱のように京都と江戸で長期戦になって、諸外国が各派を支援。
どっちが勝っても諸外国の傀儡政権ができるだけ。
武器に関してだが、薩長の捏造ではないよw。
幕臣が書いた記録「幕末小史(ソースね)」に書いてある事。
それを検証もせずに使っているのは会津や新撰組の研究家たち。
ちなみに、800万石と言われているが、実際にはそれほどない。
石高ではなく、貯金がどの程度あったかの方が問題。
薩長は貯金をしていたが、幕府は勘定奉行の小栗がいろんなものを
買ったり作ったりして借金だらけ。長州征伐の時には金が無く、
幕府歩兵を派遣できずに負けた。
この事も幕臣の残した記録にありますなw。
249 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/10(土) 06:36:01 ID:/S9S6Vvd0
よく考えたら、小栗案でも勝てないわw
>幕府陸軍が静岡付近で敵を迎え撃ち
違う。小栗案は箱根の天嶮で迎え撃つんだよ。
新政府東海道軍が箱根を越えられないだけ。
>一艦隊を大阪・京都に向かわせ、薩長軍の補給路を遮断する作戦
で、大阪京都を占領した幕府軍はどこから補給受けるのw
大阪京都で孤立するだけじゃんw。天皇は当然薩長が連れて逃げるよ。
やっぱ小栗案は欠点だらけだ。使わなかった慶喜は偉いよ。
250 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/10(土) 07:27:57 ID:pgbb0Xmk0
>で、大阪京都を占領した幕府軍はどこから補給受けるのw
>大阪京都で孤立するだけじゃんw。天皇は当然薩長が連れて逃げるよ。
現地調達か、軍艦に護衛させて輸送船で運ぶ。
薩摩・長州以外は、ほぼ全て日和見の大名だよ、
戦局が苦しくなれば、関が原の戦いのように西軍側は、裏切る大名が続出しただろう。
なにせ西国大名は、ヘタレばかりだからな。W
あと、天皇は、孝明天皇の弟で、上野寛永寺にいる、輪王寺宮を新しい天皇にすればいい。
新・南北朝時代だね。
>やっぱ小栗案は欠点だらけだ。使わなかった慶喜は偉いよ。
徳川家康の「関が原作戦」だって欠点は、あるだろ。
関が原の戦いで負けていたら、徳川家は滅亡していた。
251 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/10(土) 07:29:15 ID:pgbb0Xmk0
252 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/10(土) 07:29:54 ID:pgbb0Xmk0
小栗忠順
優秀な官僚で、不可能とすることがなかったといわれる。
当時日本に滞在して接したアメリカ人のほとんどが、「この時期に彼のような人材がこの国にいることが幸運であり奇跡」と評される程だった。
将軍徳川慶喜大政奉還後も徹底抗戦を主張し、戦略としては敵軍を小田原を通過させ箱根の山を越えさせたところで前方と後方の軍により挟撃。
また当時最強といわれた榎本武揚率いる海軍に艦砲射撃させるといったもの。しかし慶喜は、これ以上の戦の拡大をとめるために中止させた。
この策を聞いた大村益次郎が「その策が実行されていたら今頃我々の首はなかったであろう」と畏れるほど鬼策だった。
横須賀造船所の建設で相当な費用を幕府に負担させたという説もあるが、
後年日露戦争の英雄東郷平八郎は、「日本海海戦に勝利できたのは製鉄所、造船所を建設した小栗氏のお陰であることが大きい」とし、
地方の山村に隠棲していた遺族を捜し出し礼を述べた。その後、孫は内務省に勤務することにもなった。
1867年株式会社兵庫商社の設立案を提出。大阪の有力商人から100万両という資金出資をうけ設立したが倒幕につれ商社も解散。
しかし資金100万両というのは当時の設立していた株式会社の中でも、大きく抜き出ている巨大企業である。
253 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/10(土) 07:33:59 ID:mBxOSmQi0
>>250 >現地調達か、軍艦に護衛させて輸送船で運ぶ。
だったら薩長だって同じ事をするだろw
>薩摩・長州以外は、ほぼ全て日和見の大名だよ、
>戦局が苦しくなれば、関が原の戦いのように西軍側は、
>裏切る大名が続出しただろう。
それも薩長を不利にする事にはならないよ。
東北は江戸に近いから幕府方だろうけど、西国諸藩は天皇を連れている薩長側につくだけ。
>新・南北朝時代だね。
だから、南北朝状態になったら。諸外国が幕府や薩長を軍事支援を条件に近づき、
その見返りとして、勝ったら領地割譲や利権譲渡を要求するだろ。それじゃダメじゃん。
そうならないよう、上手く負けて見せた慶喜は偉いね。徹底抗戦の会津や小栗は馬鹿って事じゃんw。
254 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/10(土) 07:35:51 ID:mBxOSmQi0
>>252 んな事やってるから、幕府存亡の時に金がなくなるんだよ。
勘定奉行小栗が幕府を滅ぼした元凶
255 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/10(土) 07:41:03 ID:mBxOSmQi0
>>251 幕府歩兵の内容は、薩長に引けを取らない内容なのは知っている。
大鳥の伝習歩兵の活躍を見ればわかることだが、問題は指揮系統だよ。
大鳥は身分が悪いので前線指揮官にしかならない。戊辰での活躍は、
彼が総司令官になったから出来た芸当。
長州征伐の時、幕府老中が指揮をとったがダメダメだった。
鳥羽伏見の時にも旗本が指揮をとったがダメダメだった。
優秀な人材に指揮をさせる事ができないんだよ幕府はね。
256 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/10(土) 10:00:37 ID:rx5OFpZw0
>>255 ほぼ同意
特に慶喜恭順後の幕府各隊はバラバラに動いて確固撃破されていったな
彰義隊なんて良い例だ。
勝も一時的に総裁職になり、軍事・政治の最高職に任命されたが
影響力の強い筈の海軍の釜次郎達の暴走をとめることもできなかった。
言うことを聞かない百万の軍勢を与えられても戦にはかてねぇってことだ。
小栗案程度のことは幕府の人間ならだいたいが考えたこと、
別にたいした策ではなかったよ、どっかで下々の幕臣の日記をみたが
同じようなこと考えてる。
257 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/10(土) 11:16:22 ID:wMA9Owv40
っていうか、そもそも幕府創設以来、
江戸を守る防御壁として箱根(駿河)と甲州(甲府)は想定済み。
だからこの二国は天領なの。別に小栗でなくても徳川家臣ならみんな知っているよ。
問題なのは、この二国がなんの抵抗もせずに恭順しちゃった事だよ。
甲府城なんて空き家でしたよw。この事からも小栗作戦は机上の空論だよ。
実行した所で無理無理。
258 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/10(土) 11:38:29 ID:aiUBOiPy0
朝日新聞は日本で最もまともな新聞であるということは
日本人ならほぼ誰も否定しないだろう。ごく一部の人間
は半ば狂信的に朝日新聞の評判を落とそうとしてるが、
自身の評判を落としているに過ぎないという事を、どうも
分かってないようだ。己の力もわきまえず、朝日に喧嘩
を売るなんてバカな事をしない様に、朝日を読んでその
正しさを確認しておこう。朝日新聞の記事の文章には正
義を実現しようとする情熱が溢れている。まさにマスコミ
の鑑である。朝刊の1面をかざるコラム天声人語も人情
味溢れる文体でみごとに社会の悪を斬っていく。社説の
方も明快な文章で政治などに潜む問題を暴き出す。か
といって堅苦しいだけでない。ユーモアを織り交ぜ肩の
力を適当に抜いてくれたりもする。さすが朝日新聞のイ
ンテリジェンスの集大成。朝日が最良の新聞なのは間
違いないことだ。少数の否定派が朝日新聞をどれぐら
い読んでいるのかは知らないが、彼らの文章にはけっ
して朝日新聞のような知性が感じられない。彼らは、え
てして貧弱な罵倒語しか使わず、建設的な批判をしな
い。それは彼らが朝日新聞のような正義の心を理解す
る事が出来るほどの知性を持っていないのが原因だ。
痛々しくおもうと同時に、なぜか哀れみの感情を彼らに
いだいてしまう。幼少から朝日新聞を読んでたら、朝日
新聞の高尚な文章に触れていたら、朝日新聞をまるで
聞くに耐えない悪口雑言で中傷したりしなかったろうに。
259 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/10(土) 13:58:05 ID:qx2ZWXTw0
会津人と朝日新聞をかけてみたのか?
朝日=右翼
会津=右翼
これでいいでつか?
260 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/10(土) 17:37:55 ID:T6X30KGHO
腹黒スレか
261 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/10(土) 22:33:04 ID:jbfXwk+q0
小栗の構想は現実に長州一藩相手に返り討ちにされた幕府軍の実情から浮いた空想に過ぎない。
楯読み
263 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/11(日) 03:33:08 ID:gSMdSPyj0
>>253 薩長海軍のショボイ船じゃ、ほぼ100%に近い確率で制海権を取れないよ。
幕府が軍艦に投じた金は、333万ドル以上だよ。
幕府艦隊の戦力は、フランス東洋艦隊に匹敵する。
薩長は、幕府から没収艦は得られないし、
アメリカは、国際法により、内戦時の中立を守っていたから、甲鉄艦も得られない。
鳥羽伏見の戦いの時の阿波沖海戦でも、
薩摩海軍は、幕府海軍から逃げる事しかできず、
輸送船を1隻失って、逃亡し、
関西周辺の制海権は、幕府海軍が掌握している。
相手が逃げれば良いが相手が逃げずに戦いを挑んできた
征長では圧倒的に有利なはずなのに幕府海軍は座礁事故などを引き起こして
艦船を失い敗退という現実。
征長以来負けっぱなしの幕府軍の現実の前には
小栗が江戸城中で兵や船の数が圧倒的に幕府が多いのだから勝つという
主張には説得力が無かった。
>>263 幕府海軍かあ
確か幕長戦の偉大な活躍はすばらしいな、
大島では、長州の海軍に夜襲され、大被害をうけて、撤退して制海権を失い。
小倉では、長州海軍や陸軍の射程範囲に入らないように逃げまくり、
たまに近づいても、長州が砲撃してきたら、逃げ出していた(どうも射程が短かったようだ)
結果、制海権を長州に握られ、渡海してくる長州を防げなかった。
この無敵の幕府海軍には、誰も勝てまいw
266 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/11(日) 13:58:58 ID:oo5QG9aN0
おーい!大切な事を忘れているぞ。
当時最強の海軍を持っていたのはイギリス。
薩長はそのイギリスに協力を頼める立場にある。
幕府海軍が日本の中では強いかもしれないが、イギリス海軍相手には勝てまい。
むろん、イギリスもただでは協力しない。薩長に相応の利権譲渡を要求する。
幕府もイギリス相手となれば、フランスを頼みにするほかなくなる。
フランスもまた横浜に軍事介入する為の兵力を上陸させ待機状態にあった。
コレが何を意味するかわかるかい。
もう一度同じ事を書いておこうか?
>新・南北朝時代だね。
だから、南北朝状態になったら。諸外国が幕府や薩長を軍事支援を条件に近づき、
その見返りとして、勝ったら領地割譲や利権譲渡を要求するだろ。それじゃダメじゃん。
そうならないよう、上手く負けて見せた慶喜は偉いね。徹底抗戦の会津や小栗は馬鹿って事じゃんw。
267 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/11(日) 14:48:22 ID:oYuVzZcy0
成算がないのはわかっていたが、戦う事自体に意味を見出していた可能性は?
武士の意地とかいう精神論を本気で叩き込まれてた時代でしょ
268 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/11(日) 15:03:48 ID:oo5QG9aN0
武士の意地を貫き通すのはかまわないよ。
でもさ、その結果日本が植民地になっちゃー意味ねーだろ
武士の意地を見せる気概が小栗にあったなら小栗自身が陣頭指揮を執ったはず。
270 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/11(日) 15:44:58 ID:aHNp6xhWO
小松帯刀 もわすれるな!
戦うとした目的はなんだったの?
戦争する以上は当然外交で得られるものより良い成果を狙わないと意味無いでしょ
単に戦う、だけならそれこそ主体的に戦争を終わらせる手段をもてないから、ズルズルいって日本植民地かとことんまで敗北するかしかない
272 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/11(日) 18:32:33 ID:9gRwCXiM0
>戦う事自体に意味を見出していた可能性は?
そういう輩が一番やっかいだったと思うね、慶喜さんにしても勝さんにしても。
主君の意向に従えない家臣は切腹という道で訴えればいいのにね。
>>267 >成算がないのはわかっていたが、戦う事自体に意味を見出していた可能性は?
その考え方は二次大戦後、出てきたもんじゃねーの?
戊辰戦争時は、旧幕側も何だか意味不明な動きをしている小隊とかあるけど、
それなりにゲリラ戦法的なものを狙って動いていたフシがある。
ただし、大局的見地から計算して隊を動かしているわけではないので、
>>256が書いたような結果になった。
つまり、旧幕側は統制が取れていなかったということ。ただそれだけ。
274 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/26(月) 15:06:46 ID:4kjHAeoP0
新潟港に来なかった幕府艦隊の謎
奥羽越列藩同盟の成立した慶応4年(1868)5月、新潟港は米沢、仙台、会津、庄内の4藩の協同管理下にあった。
無政府状態で開港を迎えた新潟で、各国は列藩同盟に大量の武器を引き渡し、蚕種を持ち帰った。江戸城無血開城が4月11日だから、
この時点で幕府艦隊は無傷のまま江戸湾に浮かんでいたことになる。
同盟軍は当時無敵の幕府艦隊に期待し、新潟港管理の中心だった米沢藩は榎本武揚に応援を要請し、
榎本も米沢藩の使者に「艦隊は佐渡に割拠し、越後の海路を遮り、越の応援を致し候」と答えた。
しかし、幕府艦隊は江戸湾から動かなかった。
米沢、会津の精鋭部隊が新潟港を死守したが、やがて新政府軍の握るところとなり、同盟軍の補給路は絶たれた。
タラレバであるが、幕府艦隊が新潟に来て制海権を確保するか、
あるいは艦隊が敵の薩摩、長州に向ったとしたら、ここでも別の維新が見られたかも知れない。
歴史の真実は、前将軍徳川慶喜が水戸から駿府に移り、
会津の劣勢がはっきりし、列藩同盟が崩壊するのを待つかのように、幕府艦隊は北に向うことになるのである。
http://www7a.biglobe.ne.jp/~jigenji/kaigun.htm
百万の人間を戦いに巻き込んで、それに加えて首都機能麻痺なんてしたら
それこそ日本はもう駄目になってただろう。
それを意識した上でも、勝自身は会談で官軍側が少しでもひねくれたこと言ってきたら抗戦するつもりだったらしいが
まぁ相手は勝自身が一番評価する西郷隆盛というのもあって、全然不満はなかったみたいね。
西郷も後は勝にまかせるって感じで江戸ほっぽって行っちゃうしで
まぁ
>>1よ、武士なら戦えとは言うが
切り捨て御免なんていうのは実際言葉だけで、人を斬ればそれなりの罰を与えられるから
武家でも自分が刀を抜くときは自分が死ぬときだと思えみたいに教育されてるし
当時の剣客にしたって「雨でもないのに雨具を着て歩くのはおかしいことだ」なんて言うように
やたら争いを好むような姿勢は批判してたりするのさ。
まぁ人を斬って世の中かき乱して威張ってるようなのは当時からろくなのはいないってことさ
276 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/05(水) 22:43:59 ID:zu2eVpBQ0
今日の日本が在るのは勝さんの功績である。
277 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/08(土) 15:14:50 ID:NyEQ7e2l0
>>274 榎本艦隊が新潟港に行ったら、同じ時期に行われた徳川処分はもっと苛烈なものになっただろう。
徳川処分が、駿河70万石でお家存続が認められ、将軍慶喜以下徳川家の人間が死罪にならなかったのは、榎本艦隊の無言の威圧あったればこそだ。
徳川家家臣である榎本は、主君を守る為、最善を尽くしたといえる。
ちなみに、榎本は新潟港へ軍艦順動丸をちゃんと派遣していますが。なにか?
>まぁ人を斬って世の中かき乱して威張ってるようなのは当時からろくなのはいないってことさ
幕府兵は禄に戦えもせず、数数の戦いで不様に負けて逃げ続け、とうとう幕府が倒壊してしまったというのが歴史の現実なわけだが。
確かに人を斬って威張っているのも禄でも無いが、それにも増して臆病な腰抜けの癖に幕府の権威は一丁前に振りかざしていた当時の幕府兵達も禄でもなかった。
279 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/09(日) 15:07:57 ID:G/vHMKQ50
榎本の事は正直詳しくないのですが、慶喜の命あるいは江戸の街が無事であったのは
勝安房守が山岡鉄太郎と益満休之助に西郷への手紙ォ託し{この益満が効いている}
また英国公使パークスと談判し協力ォ得ている。尚、フランス公使ロセスとも談判しているが
フランス側は交戦ォ主張しかし幕府の方針は恭順に決まる旨ォ伝えフランス軍との雇いォ解約
したいと申し入れた。後にフランス軍は榎本武揚らの脱走兵について東北・函館に転戦している。
まだまだ勝の業績はあるのですが・・・
私は本当の功績は維新後にあると思うのです。
>>278 それが普通じゃない?
どこの兵隊だって不利なら逃げたがるやつはいるだろ
逆に伊庭みたいに遊撃隊で最後まで盾になって戦うような猛者達もいるし
むしろそれは幕府側の指揮系統がしっかりしてなかったという問題だろ
勝も氷川清話で、もうどうしようもないから俺の論説がわからん奴は勝手に逃げろ!って言って
脱走する奴らと、脱走兵を撃とうとする側に挟まれて死にかけたとか言ってるし
すべての幕府兵が腰抜けってわけじゃなかろうよ
282 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/19(水) 19:26:44 ID:H2/U5dzg0
勝が住んでいた場所は、現在赤坂小学校
氷川清話は全てを鵜呑みにしては駄〜目〜
284 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/19(水) 22:41:37 ID:ypBKLYJU0
幕府兵は勇敢だよ。身分の低い幕府歩兵とか大鳥に率いられて最後まで戦ったもの。
で、直臣の旗本はどこへ逃げ散ったw
285 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/19(水) 23:04:14 ID:jQKNW0TW0
実際に戦っていれば、ジリ貧は薩摩と長州のほうだった。
幕府軍は東北・越後など京都以東の直轄地や藩から兵糧は湯水のように沸いて出る
海軍を使ってまず土佐 次に長州も数日で落とせる
その後、足場を固めて肥後を攻めても数10日で落とせるし
ま、薩摩はおそらく難攻不落だったろうけど
薩長土肥連合が攻めてきたとき、上野介の案通り駿河で潰せていたのも戦略上明白となっている
ところが、薩長土肥を結びつけた男坂本竜馬、その師である勝は全く防戦も張らず
江戸を無条件降伏させてしまう
後世から見れば戦禍を防いだ、といえるだろうが
実際の戦力比較をしてみれば、旗本と軍艦を使えば薩長軍を一気に押し返すことは可能だった
獅子身中の虫が勝 上野介を追い落として船酔いにも耐えられないくせに海軍学校を開き
坂本一派の脱藩犯罪人をかくまい、テロリストを養成し続けた!
しかも、幕府の公金を使って!
明らかに勝のスタンスは卑劣としかいいようがない。
286 :
285:2006/07/19(水) 23:05:18 ID:jQKNW0TW0
>>113 はげどう!
勝はテロリストとしかいいようがない!
あいつのやったことはクソ以下!
戦力が上回っていても士気が落ちた上に統制が取れてない軍隊なんてまさに烏合の衆だろ
江戸まで進軍された時点で、相手の士気とこちら側の士気を考えれば勝の決断は当然だろ
例え押し返したとしても一番の拠点の江戸がめちゃくちゃになった後で、どうやってその後進軍するの?
ついでに言えばそこで外国に介入されたらもう日本も何もないだろうよ
288 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/20(木) 01:42:15 ID:ZAzNpFa40
勝てなきゃおかしい長州征伐負け、やはり絶対勝てるはずの鳥羽伏見でも負け。
どうしようもないだろw。幕府は一度も勝っていないんだから。
>>285 長州征伐では30倍の兵力をもってしても負け、鳥羽伏見では3倍の兵力をもってしても負け、
戊辰戦争でも幕府軍は東北で補給できずに苦労しまくり、結局北海道まで追い詰められたという歴史的事実があるのだが。
数字上で兵力が新政府側を大きく上回っているというだけで実戦経験の無い小栗は幕府が有利だと錯覚していた。
現実に小栗が征長で幕府軍の陣頭指揮を執れば幕府軍がもはや駄目だと理解できたかもしれない。
291 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/20(木) 22:41:42 ID:HzVPbzNY0
いや、そもそも幕府歩兵隊が長州征伐に全力出撃できなかったのは徳川家の軍資金不足だったからだが、
これを勘定奉行の小栗が知らぬはずはない。つか、いろんな面で幕府ダメダメじゃん。
>>291 たぶん小栗は資金不足は知ってただろうけど
長州までは自力で制圧出来ると思ってたんじゃないかな?
だからその後にフランスから金と軍艦借りて進軍しようとしてたみたいだし。
だからよくあるような現実を甘く見過ぎたんだろうね小栗
いくら頭がキレるとか言われても代々世襲の幕臣らしい
293 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/21(金) 08:41:56 ID:UvDDUYvD0
>>286 勝はテロリストとしかいいようがない!
あいつのやったことはクソ以下!
その根拠、教えて下さい。
幕末の薩摩藩はテロ藩だと思いますが・・
>>293 テロとはマイナスにも思えんがな。一種の攻撃手段だろ?
昔を見たら、ワシントンも大英帝国にとってはテロリストさ。
フランスのド・ゴール将軍もナチスにとっては(間接的)テロリストだよ。
何よりも先に安政の大獄がテロル
296 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/21(金) 19:03:28 ID:yQrs4BZAO
テロという単語でレッテル貼りして思考停止すんのはやめろ。
北朝鮮が日本人を拉致する行為はさすがにテロとは言わんだろと発言した政治家を
「テロとはそもそも恐れさすという意味であり…」と
屁理屈をこねてしたり顔でバッシングしていたマスコミと同じ不気味さを感じる。
新撰組は幕府側のテロ集団
298 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/21(金) 20:56:58 ID:zqcIvquxO
幕府にも見離された集団が
新撰組 (暴走族)
299 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/21(金) 21:19:29 ID:qixu7ACk0
倒幕派のテロは悪行ねぇ。なるほどw
だが江戸幕府は260年の長きにわたり罪なきキリスト教信者を迫害弾圧し、
海外の良き知識を導入せんとした蘭学者を虐殺し続けた。
そして、幕末の頃に幕府の悪政を正さんとした人々を会津や新撰組を使って弾圧していた。
そもそも、徳川幕府は太閤豊臣政権から権力を力で簒奪した大義なき政権。倒されて当然。
なぁんて言ってみるw
300 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/22(土) 01:29:36 ID:V1b989Vx0
勝てば官軍!世の常である。
301 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/22(土) 07:17:38 ID:HQIqO7es0
その言葉自体が負け犬の遠吠えだったりするw
302 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/22(土) 12:17:38 ID:V1b989Vx0
薩摩&長州側からの言葉ですが・・
303 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/22(土) 12:34:34 ID:HQIqO7es0
そもそも西南戦争や士族反乱の時に使われた言葉だな
会津戦争とは無関係
304 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/22(土) 17:13:14 ID:V1b989Vx0
局地戦について言ってるのではないのです。
戦とは、そういうものだと・・・
薩長土肥が維新後要職に就いた事実。
まぁどうでもいいこなんだけどね。
それより、勝さんの功績があまりにも評価が低いので残念です。
今は教科書にも載ってないとか?
明治以降、勝さん&山岡さんがどれだけ旧幕臣の世話したのか
その活動が明治政府に如何に貢献したのかもっと知る必要が在ると思う。
305 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/22(土) 17:34:38 ID:Jq2l7YOOO
白州次郎 vs 勝 海舟
306 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/22(土) 18:53:09 ID:IKYrQhMG0
勝の評価低いか?
これで良いと思うが
坂本龍馬よりは評価高くて良いと思うけどな
薩長同盟でも、勝と西郷の親密さがあったのが前提だろうし
大政奉還についても坂本龍馬はあくまで勝の思想を継いだだけだろうし
坂本龍馬の行動力は評価出来るかもしれんが
昨今のドラマで思想を過大に評価して、ひどいのになるとアメリカに行ったことのある勝に向かって
「先生、これからは世界じゃー!」
とか言ってるのもあるくらいだからねw
実際は勝の方が見識は広いし、少なくとも龍馬よりは世界を見てる
歴オタは知ってても、一般人は坂本龍馬に比べると
勝海舟は名前は知ってても、何をしたか知らない人がほとんどだよ
山岡鉄舟になるともはや名前すら知らないんじゃないか?
勝はもともと西郷らとつながりがあっただろ。
有力諸藩で幕府に対抗しようという考えは明かしている。
薩長同盟も無血開城も頭にはあっただろ。
状況を見て判断したわけじゃなく、そういう状況に仕向けたと言った方が。
311 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/23(日) 18:53:02 ID:Kh77RHAH0
官軍はあくまで戦おうとしていた。
西郷さんもである。
312 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/23(日) 19:31:11 ID:eWxMYeYh0
>>310 それこそ勝の能力を高くし過ぎ。
勝は慶応元年の長州征伐の頃に、大名議会制を言い出しているが、
勝が考えた事ではなくて福井藩主松平春嶽が幕府内部で言っていた事。
勝と春嶽の仲の良さはご存じの通り。だから春嶽も勝も幕政の中心から外されてた。
その後、西郷と初対面し愚痴を西郷に言っているが、その愚痴の中に前述の構想が語られただけ。
薩長同盟や江戸城無血開城が長州征伐の頃にすでに勝の構想にあり、勝の思い通りに明治維新が行われた
というのは考えすぎ。
313 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/23(日) 19:33:26 ID:MI4CBxsdO
>>314 歴オタの話が一般で通じると混同するほど常識がない奴が集う板でもないだろうよ
それに歴オタでも戦国が得意な奴もいれば幕末が得意な奴もいるし
みんなが知ってるとは限らない
というかだから
>>1みたいな奴がいてこんなスレがあんだろ
よく勝の対抗馬に小栗が出されるけど、実際はそんな仲悪くはなかったんだよね。
同じ直心影流門下だし
317 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/06(日) 04:58:15 ID:y9IYncKc0
>>297-299 どう時代が揺れ動こうと、
我々の正義は、何一つ変わる事はない。
悪は即ちに斬つ、
すなわち、
「悪・即・斬」、
それが俺たち新選組だ。
〜勝てば官軍
〜負ければ賊軍
クーデターの掟〜
簡単に言えない事だけど
319 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/06(日) 12:57:37 ID:lAxCi6Eb0
>>318 負け犬の遠吠え定番セリフでもあるよねw
山岡鉄舟のスレがないんでここで聞くけど
山岡は元は清河の思想に共感する尊皇攘夷派だったのに
無血開城のときには慶喜家臣とか叫んで西郷のとこに乗り込んでたりしてるが
途中、どういう考えの変わる経緯があったのか誰か教えて
321 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/11(金) 00:07:33 ID:7y2g+s0m0
>>320 別に心境の変化があった訳じゃないよ
尊皇攘夷思想を持ちつつも山岡は幕臣だから主君も大事。
それが忠義ってぇもんだ。
>>321 そうなのかサンクス
いろいろ複雑な人なんだね。
無血開城のときには「朝敵、徳川慶喜家臣」とか叫んで乗り込んで
慶喜の身柄を確保して、明治になってからは天皇の側近したり
323 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/11(金) 04:05:28 ID:6LhUP/+4O
勝 海舟 龍馬手なずけた賢人
324 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/11(金) 04:08:53 ID:6LhUP/+4O
325 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/11(金) 05:29:05 ID:AuIdXgwO0
>>322 勝も似たようなところがあるね
明治政府に出仕しても主君慶喜の事を忘れず
ちゃんと徳川慶喜と明治天皇の会見を実現させて
朝敵の汚名を返上しているし
326 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/11(金) 18:29:48 ID:E9iQxbG6O
>>318 近世以前に庶民がそんなことほざいてたらぶっ殺されてた。
明治には既に明治政府や長州を非難する劇作が堂々と上演されてたし、
つくづくいい時代になったものだよ。
>>318 クーデターの何が悪いのでしょうか?
大化の改新や平家打倒や鎌倉幕府打倒にしろクーデターで成っているのですが?
>>327 別に
>>318は「クーデターが悪い」とは言ってないのでは?
単にクーデターが起こったことによって状況が一変するのを
おちゃらけて表現してるだけだろ。
よく考えたら山岡は清河といっしょに横浜外国人居留地を焼き討ちして
結構過激な尊皇攘夷活動してたみたいだし倒幕の意志固めたりしてるんじゃ・・・?
やはり無血開城までには何らかの心変わりがあったと見ていいと思う
勝も山岡は元は俺を刺そうとしてたとか言ってるから(これは坂本龍馬と同じでジョークかもしれないけど)
元は強い尊皇攘夷思想で勝とは相容れない存在だったと思う
330 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/13(日) 15:21:45 ID:xK+iwtJs0
龍馬も山岡さんもジョークではなかった筈です。
331 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/13(日) 17:53:53 ID:DsB1HGc70
>>329 心変わりなんてしてないってば
尊皇だから倒幕派って考え方が短絡思考なの
当時の常識として、頂点に天皇が存在し、
その第一の部下として徳川将軍家があり、
諸藩を統括しているでしょ
だから、幕臣は将軍家の為に働く事が、ひいては天皇の為になるので立派に尊皇なの。
ただ幕末は天皇の攘夷命令に対し、幕府が攘夷不可能な事から混乱しているだけ
最初の頃の攘夷派とよばれる人々は、この状況を打開しようと幕府に攘夷を働きかける人で倒幕派じゃない
山岡の場合、尊皇思想だが倒幕思想は持たなかった人
勝も同じ。ただし松平春嶽同様議会制への移行を考えていた人。
井伊直弼だって尊皇攘夷派だったし、15代将軍徳川慶喜だって尊皇思想の人だよ。
一番気掛かりなのが、山岡は過激な倒幕思想を掲げた清河八郎の同志だということ
清河の計画は当然知ってただろうし、浪士組で一緒に上洛してたりするあたりがわからない。
333 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/14(月) 06:42:19 ID:O1gQqzhC0
>>332 清河は倒幕思想を持ってないよw
尊皇攘夷思想家で、攘夷を行わない幕府に苛立ち、
自分たちが先に攘夷をやって戦争を引き起こせば幕府も立ち上がらざるを得ないだろうと思ってたけど。
それに浪士隊と共に上洛し、程なく幕府が横浜で攘夷やるから江戸に帰ってこいと言ったら
浪士隊と共に江戸に帰った。全部幕府からの指示。
清河は幕府に従っていたりする。
どっちかというと浪士隊から分離して京都守護職配下に鞍替えした近藤勇の方が…w
>>333 いやそれはさすがにちょっとどうかと
正確には倒幕ではないにしても、薩摩と通じて幕府をどうこうしようと計画しようとした時点で
これは幕府への反逆にはなる。
あと幕府が江戸に呼び戻したのは、まさに清河らを殺すための嘘でしょ
事実、石坂周造(山岡に大借金させた奴)も談話で暗殺されたときのことを話しているが
向こう(佐々木只三郎達)が親しい感じで挨拶をしてきて返そうとしたら斬りつけてきたとか言っている事から考えても
少なくとも清河は幕府に従っていた人間ではない。
335 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/14(月) 13:33:41 ID:quHgergQ0
>>334 そうか?薩摩だって公武合体派で倒幕派じゃなかったじゃん。
会津と組んで8.18政変起こし尊攘過激派の長州を京都から追い払っているし。
文久八年の段階では佐幕じゃないけど倒幕派じゃなかったよ。最終的に倒幕派になったけど。
>幕府への反逆
幕府の方針「開国」に同意しなかった者がすべて幕府への反逆になるというのは変だよ。
それじゃ会津藩だって幕府に反逆した藩になる。会津も孝明天皇の意志を幕府に知らせ、
攘夷実行を幕府に進めてたんだよ。おかげで会津は江戸の幕閣から嫌われて守護職への手当停止までされている。
>幕府が江戸に呼び戻したのは、まさに清河らを殺すための嘘でしょ
嘘だったにしても清河が幕府の命令に従って江戸に帰ったのはホントでしょ
あの時点で反幕思想の倒幕派なら幕府の命令を無視していると思うけど?。
>清河は幕府に従っていた人間ではない。
幕府に従ってはいないよ。
幕府の開国方針をなんとか攘夷に向かわせようとしてたんだから。
従ってたら攘夷できないもん。でも倒幕派でもないよ。
同じ時期に決起した天誅組のように公然と幕府に反旗を翻したわけじゃないし。
336 :
335:2006/08/14(月) 13:36:15 ID:quHgergQ0
失礼間違えた
文久八年→×
文久三年→○
>>335 > 幕府の方針「開国」に同意しなかった者がすべて幕府への反逆になるというのは変だよ。
直訴でなく、薩摩から勅命をとりつけて挙兵まであげて「実力行使」のような方法をとろうとしたこと
これはさすがに意見に同意しなかったとかいうレベルではない、明かな反逆
>嘘だったにしても清河が幕府の命令に従って江戸に帰ったのはホントでしょ
>あの時点で反幕思想の倒幕派なら幕府の命令を無視していると思うけど?。
元は井伊直弼の桜田門外の変に影響を受けていて
攘夷のために幕府の転覆を狙ってたわけで、攘夷という自分の意見が一部受け入れられたんだからそら喜んで帰るでしょ。
>従ってたら攘夷できないもん。でも倒幕派でもないよ。
>同じ時期に決起した天誅組のように公然と幕府に反旗を翻したわけじゃないし。
これは一部同意はするけど
横浜焼き討ちしようとか完全にテロ行為だし
確かに明確に反旗を翻したわけではないかもしれないが
無断でテロ行為をやる人間は明かな反逆の徒
338 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/14(月) 15:41:17 ID:O+CmFDR40
>>337 あのなぁw
>薩摩から勅命をとりつけて挙兵まであげて「実力行使」のような方法をとろうとしたこと
薩摩の率兵上京のことを言っているのだと思うけど、あれが倒幕運動だと断言しているならオカド違い
倒幕思想をもう一度勉強しなおしたほうがいいね。
倒幕運動とは「幕府を倒そうとする思想」であって、幕政に介入することは幕政改革思想の範疇。
あの程度が反逆なら会津藩も反逆者ですが、その件に言及しないところを見ると、君は電波なのかなw
>攘夷のために幕府の転覆を狙ってたわけで、
幕府転覆だってw。清河は幕府転覆なんて考えてませんが、そのソースはどこから出てきたのかな?w
まず、根拠になる史料を出してみなw
>横浜焼き討ちしようとか完全にテロ行為だし
>無断でテロ行為をやる人間は明かな反逆の徒
だめだこりゃw。こいつ何にも解ってないw。
じゃあいいやw。お前は清河は文久三年の時点で倒幕を目論んだ反逆者だと思っててくれw。
別に誰も困んないし。馬鹿には何を言っても無駄だろうしな。
339 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/14(月) 15:43:33 ID:O+CmFDR40
まぁ、あれだ清河のことを理解できずテロリスト呼ばわりしているうちは、
山岡のことなど理解できないよ。永遠にねw。
確かにNRwU6dzl0のような
「幕府に異論を持つ奴は皆倒幕を目論む謀反人だ」という認識を井伊直弼も持っていたし、
そういった認識が無分別な安政の大獄を引き起こし自らの墓穴を掘った。
341 :
承狂:2006/08/23(水) 10:44:19 ID:jyKGXW+aO
マァ、アレだ。
兎も角、子母澤寛『勝海舟』と『逃げ水』を読め。
話はそれからにしろ。
342 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/23(水) 19:01:30 ID:i54UVNZK0
343 :
名無し名人:2006/08/23(水) 22:40:31 ID:tlXkRDjj0
>>341 「勝海舟」はおやじさんのことが多く書かれてて
あたし的には途中で飽きて面白くなかった
344 :
承狂:2006/08/24(木) 10:41:08 ID:C1ksWXN1O
著者の子母澤氏の祖父は御家人で彰義隊に加わった人らしい。
勝氏がアノ小説の通りだとは誰も思わないだろうが、当時の人の考え方の一端だとは言えると思う。
社会がパラダイムシフトする時、一分を通そうとした方々の生き様が僕は好きだな。
親父さんの話とかも。
海舟語録には、小栗達がフランスから金を借りられなかった話とか、『国は、人が取るモノではない。内から潰して、西洋人にやるのだ。』ナンテ話があるよ。
南州と小楠と海舟が、当時の日本が植民地化されるのを防いだと、思う。
>>343 勝の親父本人が書いた自伝は面白いよ。
子母澤の小説がいかに美化されているか判るぞ。
346 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/26(土) 02:04:19 ID:CmVhNCXJ0
勝海舟がホントのところ、どれだけ仕事したか知らないけど、
こないだの戦争の時に、日本が負けないように立ち回って
くれる人がいたらどれだけかよかったろうに。
負けないってのは、結果としてってことね
いいからお前しね!!!!
ふぁびょびょびょびょ〜〜〜〜〜ん!!!びょっびょっんびょっんんびょびょっきもけうまきにのもうむふろ
氷川清話ちょっと見たけど勝海舟ってどんな偉い人の事も自分の同輩や後輩の事のように話すね
物怖じしないというか
勝海舟は福沢諭吉にけなされても、鼻で笑った人だからな
実際、後世に
>>1みたいな発言をする奴が出てくるであろうことも
予想はしていたんじゃねえの?
それでも敢行したわけだから、俺は凄いと思うぞ
352 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/02(木) 01:17:01 ID:mA/hnIvc0
ひょうひょうしたイメージ。本当の意味での賢さを持っている点から
勝海舟は、中日の落合監督とイメージが被る。
俺の中では生まれ変わり確定なんだが、どう思うよ?
353 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/03(金) 13:14:06 ID:F4KmkraX0
レベルが違う。
問題外!
シナ人を支配下におったって、どうせ奴らは面の皮が厚いから
支配させておいて後でたんまり賠償金を要求してくるから日清戦争なんて無駄
なんて言ってたりして見事にそこは的中してるんだよな
正直その先見性は当時の人間にはわからないだろうな
ほら吹きなんて言われてるのも福沢諭吉みたいなアホとかそこらへんの影響だろうか
こないだ人気のない電車で隣に座ったおしゃれっぽい女子高生が
鞄からおもむろにスゲー古いカバーもしてない小説を取り出して読み始めた
何読んでんのかと思ってチラ見したら『氷川清話』だった
ちょっと萌えた
356 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/21(木) 17:21:37 ID:pj4qyJwWO
勝ってよく暗殺されなかったよね。
幕末にしろ維新後は特に一番に暗殺されてもおかしくないのに。
暗殺は何回もあっただろ。
江戸=東京は基本的に治安が保たれていて、要人暗殺は例外的ケース。
京は危険だけど、勝クラスの高級幕臣なら見廻組・新撰組が命がけで守ったろうし、
岡田以蔵まで付いていたのでは手のくだしようがない。
359 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/23(土) 08:35:03 ID:AJiSLC3s0
360 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/23(土) 09:22:13 ID:q1nNx5500
>>358 そうか?勝の弟子であった望月を池田屋で殺した新撰組を勝がアテにするとも思えんが?
361 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/23(土) 18:11:15 ID:/EkxluRi0
見廻組も新撰組も浪人や郷士には容赦なかったから仕方がない。
今の会社でいうと、警備員のおっちゃんが正社員には何もいえない分
期間工や派遣労働者に威張り散らすのと一緒。
>>360 新選組が攘夷浪士を叩き切る時に
勝の弟子かどうか確かめる余裕があるわけないだろwww
勝の弟子なんて山ほどいる訳だし。
まあ、勝は慶喜に嫌われて冷や飯を食っていたが、
敗戦処理を慶喜から無理矢理に任され、そつなくこなして
江戸を焼かなかったから、よくやったんじゃないか。
80年後の日本には勝のように肝の座った男は居なくて
日本中が丸焼けになって原爆まで落とされてしまったよ
>>363 リットン調査団報告書なんて、今にして思えば大政奉還策ぐらいのアマアマな内容だもんなあ。
何であれを落としどころにできなかったのか・・・
生きて居るのは面倒臭いって言うのがいいよな
>>352 落合は粋じゃないなあ・・・嫁とか息子とか。
でもまあ、自分に絶対の自信があるから、
名誉や欲にとらわれない、ブレ無い判断ができるってのは、
共通かもしれないね。
367 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/26(火) 21:46:38 ID:ZFBBeW4D0
俺は勝海舟は好きとういうか心の支えの言葉を残してくれた人だ。
人に色々言われてその重圧に耐えられなくて本当に壊れそうなとき
自分が間違ったことをしたかどうか考えてみて、
間違ったことしてなきゃ
勝の「行蔵は我に存す・・・」という言葉を思い出す。
自分が間違っていれば反省しろ。自分が間違ってなければ
堂々としていればいい。
勝海舟の話しほど明確で面白いものはないな
やはり実から出た論だからだろうね
会ってみたかった
369 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/17(水) 13:44:57 ID:+joNnxDL0
>173
戦国のひよこと幕末の漢を同じにするのがそもそも間違い。
何百年も昔の人に誉めるのは結構。だがこいつはおかしいだの間違ってるだのと評価する人の人格がおかしい。
まずお前が歴史を動かしてから物申せ。
370 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/17(水) 13:48:21 ID:+joNnxDL0
>173および批判めいた断言口調の輩
戦国のひよこと幕末の漢を同じにするのがそもそも間違い。
何百年も昔の人に誉めるのは結構。だがこいつはおかしいだの間違ってるだのと評価する人の人格がおかしい。
まずお前が歴史を動かしてから物申せ。
371 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/18(木) 15:10:40 ID:po2brs0YO
まぁ何はともあれケイキが大坂城に家臣置き去りで逃げたのがいかんだろう!!
ヴァカトノだよマジで
戦国時代に同じ事した殿様いるの?多くの家臣を城に残して夜逃げって!頑張っていれば紀州や関東から増援きただろうに
373 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/18(木) 17:09:19 ID:po2brs0YO
慶喜(よしのぶ)
母は有栖川宮 半分公家の血が入ってる!戦国時代何もできなかった貴族の血が
374 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/18(木) 17:23:03 ID:po2brs0YO
勝のスレッドだったねm(_ _)mごめん
勝は目立ち過ぎだとは思う!江戸城無血開城は慶喜が戦う気なかったからだろ
勝は後年言い訳言い過ぎ! 何も語らなければいいんだよ!!静岡移住組はベラベラ話して無いじゃん
内心みんな悔しいと思うよ まぁ朝敵がケイキで良かったよ!家茂だったら俺歴史ならう時悲しいもん
>>374 喋られなかったら喋らなかったで、色々と憶測と妄想が立ち、余計混乱していたかもしれないしなー。
チョン=マゲはほりのぶゆきを時代劇的に
理解する髪型である
ゝ,
(゚д゚ ム
(| y |)
この髪型を極めることにより…
,メ
マ ゚д゚) ヨヨヨイヨヨヨイ
(\/\/ヨヨヨイヨイ
娯楽効果は120%上昇
,メ
マ ゚д゚)
(\/\オトコノイカーリカ
\オトコノイカーリカ
ネタ理解面では63%上昇
ー=y;―
ゝ,|
(゚д゚ ム ヘイハチホウ ハッシャ!
ー=y;_/| y |
チョン=マゲを結ったものは殿様と呼ばれる!
,メ
ヒカエオロウ マ ゚д゚) コノモンドコロガ
\/| y |\/固
小栗のドラマじゃ勝が悪役なのが悲しい
本当はそんな仲悪くなかったのにな
中島三郎助とはめちゃくちゃ仲悪かったらしいけど
清河八郎は半分テロリストみたいなもんだと思うな
少なくとも虎尾の回のメンバーが過激な活動して
外人殺したりしてるのを見るとかなりヤバイ
そのせいで清河もお尋ね者になってるんだし
山岡鉄舟がなんで清河八郎と関わってかは
山岡鉄舟の研究会とかでも難しい問題みたいだね
結論としては山岡鉄舟は馬鹿みたいにでかい人間で
泥棒や盗賊とかまで友達に居て、差別せず人と付き合う人間だったからみたいだけど
正直現代の考え方じゃ理解できない人だよね
381 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/07(土) 22:58:48 ID:yRuyNr+0O
382 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/15(日) 02:25:33 ID:wmBwHSjo0
勝恵子って勝海舟の子孫らしいね
>>379 お前の疑問について簡単に説明してやろうか?
「お前が単に勉強不足なだけ」
清河と山岡の関係は「攘夷運動」というキーワードで簡単に解けるw
あとは自分で勉強することだw
>>350,
>>367 漏れも麟太郎萌え。
北方謙三風に言えば
「叩かれても斬られても痛みを感じない、そういうものを持っている」漢。
ってとこだな。んで、形式的には無礼者だが腹の底ですごく義のある人物だよな。
385 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/27(日) 15:07:07 ID:Ur7Q6aAl0
来年の勝海舟の不倫相手は?
やっぱあおいでしょ
姫様そんなところで自害あそばされますと、私も切腹することになりますから
後で心中とかなんとかいわれますぞ。
私はかまいませんが・・・・。
386 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/23(土) 19:46:26 ID:03+IIkRp0
勝は幕臣として、後の功績に残る仕事を幕末にやったのではないか?
このスレの>1は明らかに歴史を知らぬ無知な人だね。
>>386 幕末のころの勝はいなきゃ日本のためにならない!!
って働きをしてる
幕府側からみたらほとんどスパイなんだがw
しかし明治以後はほとんど老害
388 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/24(日) 01:13:35 ID:ndsKGtSr0
維新後、徳川慶喜と明治天皇の会談を実現させ徳川家と天皇家の関係を修復した。
徳川家家臣としてこれ以上の功績はない。小栗?会津藩?ペッ!
389 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/16(月) 01:32:39 ID:4qC22EJx0
何このめっちゃタメになるスレw
390 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/19(木) 19:46:34 ID:l5b7u/IU0
勝は、妾が多かったようだ。いいなぁー
391 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/22(日) 21:14:37 ID:0PBMlNl10
咸臨丸の件ですが、出港前に勝が水垢離をしていたという話が浦賀に伝わっています。(真冬です)
体調を崩していたというのは本当かと。
また、確かに海軍軍人としては資質がなかったようですが、往路で役に立った日本人は中浜万次郎くらいです。
福沢は自伝や、痩我慢の説で勝を攻撃していますが、悪意を持って誇張した部分があるように思います。
小野使節団の通訳として渡米した福沢は、兵器購入費用を洋書の購入に流用したため、帰国後、謹慎処分を受けています。
ところが、中島三郎助の尽力で、すぐ処分が解かれています。
恩人である中島を冷遇した勝と、見殺しにした榎本に含みがあったのではないでしょうか。
>388
口が悪いので、周囲から相当嫌われていた勝ですが、明治以降、あちこちの商人から金を借りて、旧幕臣の入植事業を援助してます。
また、徳川宗家の存続、越前家の陞爵、徳川慶喜の名誉回復のため、政府に何度も陳情しています。
老害どころか、旧幕勢力の巨魁であり、藩閥勢力にとって不気味な存在だったようです。
>388
金の流出を食い止めたこと、横須賀造船所の建設。小栗の功績がその後の日本を守りました。
392 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/22(日) 22:12:46 ID:E5c2KPAS0
>小栗の功績がその後の日本を守りました。
小栗がまもっていたのは徳川幕府で日本じゃありませんよw。
日本を守っていたなら、蝦夷地を担保にフランスの援助支援交渉などしないw。
393 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/22(日) 23:13:30 ID:105PxSkbO
江戸無血開城は徳川慶喜の命令だよね。
山岡鉄舟を根回しに派遣、その後、勝が全権代表として派遣された。
>>1は歴史をなにも勉強してないのだろう。
勝はその後、榎本の幕府艦隊は江戸湾、旗本は郊外、幕府歩兵は江戸の市外にと、徳川家に責任が及ばないように命令ではなく勝の腹芸で散らして、旧幕府軍が江戸城=総督府を包囲する態勢を作り上げる。
まさに[空城の計]ですね。
西郷の総督府は手も足もでず。
結果的にこの戦略は大村に敗られるのだが、江戸市民を守り徳川家を最大限守るという離れ業は達成した。
この時代、慶喜は首切られてもおかしくなかった、そういう時代だったということを認識すべきだな。
394 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/23(月) 00:18:43 ID:vik2kOO60
日本を守るというのは筆が滑りました。
そのような認識が当時の幕臣にあったかどうかは怪しいものですね。
中島のようにあくまで主家報恩という意識だったのでしょう。
>蝦夷地を担保にフランスの援助支援交渉
私の知る限り、疑わしい話のようですが。
当時の蝦夷地が第二帝政下のフランスにとって、担保としてそれほど魅力的でしょうか。
極東の未開の島のために露あるいは英を刺激するようなことをロッシュができたとは思えないのですが。
文献がおありでしたらご教授ください。
395 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/24(火) 05:02:19 ID:e9wH+j1X0
あんたらすごいよ。
ほんと勉強になる。
最近幕末三舟伝読んだばかりだからこのスレすげー楽しい。
鉄舟カッコヨスギ。
396 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/25(水) 00:33:36 ID:AidLB74F0
勝を卑怯者というなら、中島三郎助は吉田松陰・宮部鼎蔵にアメリカとの交渉内容を漏洩し、
木戸孝允・来原良蔵に造船学や西洋軍学など軍事機密を漏洩した獅子身中の虫ということになる。
397 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/26(木) 21:14:46 ID:BJ1QNkeH0
「大久保利通伝」上巻582ページに、西郷が海舟に
初めて会った、元治元年(1864)九月についてこう記している、
勝氏へ初めて面会つかまつり候ところ、実に驚き入り候人物にて、
最初は打ち叩くつもりにて差し越しところ、とんと頭を下げ申し候。
どれだけか知略のあるやら知れぬ塩梅に見受け申し候。〈中略)
現時に臨み候てはこの勝先生と、ひどくほれ申し候。
三年半後の両者間の江戸城無血開城をめぐる交渉は、西郷の中で完全に
繋がっていた。
398 :
名無しさん@お腹いっぱい:2007/07/26(木) 23:49:17 ID:wR70Y3vU0
そもそも幕府をむちゃくちゃにしたのは安藤、水野、板倉といったアホ老中どもで、
こいつらの不始末を小栗や勝が尻拭いしていたわけです。
事が済むとすぐ罷免させられるんで、二人とも幕府内でたいした権力は無かったんですよ。
稲葉正邦が後ろ盾だったくらいで。
慶喜にしても、大奥や旗本から警戒され、足を引っ張られるんで、やる気が失せてしまう。
小栗も仕舞にはうんざりして領地に引っ込んでしまう。
最後、勝が上手に幕引きしたってところでしょう。
官僚としては小栗にはかなわないし、
海軍軍人としても榎本武揚や中島三郎助には及ばないんでしょうが、
戦略家としてこれほどの結果を出した人はいないでしょう。
399 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/27(金) 20:08:07 ID:LGZ2en710
>>398 >そもそも幕府をむちゃくちゃにしたのは安藤、水野、板倉といったアホ老中どもで
こんなことを書いている、オマエがアホだな。少なくとも、阿部正弘は開国へ導き
品川台場を造り軍艦の注文をして、長崎海軍伝習所・講武所・蕃書調所を設立し
新政策を実現した。さらに、岩瀬忠震・大久保忠寛・永井尚志ら優秀な人材を
登用してるぞ。(水野・板倉に関してはどうあほだったのか史料に基づいて
書いてください、阿部はオマエが書いてるようなアホじゃないことを知っていたから)
400 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/27(金) 21:41:33 ID:cPnSBSEb0
>>394 >フランスにとって、担保としてそれほど魅力的でしょうか
極東アジアの主導権を握っていたのは英国。
ほとんどの港を押さえており、フランスが利権を求めて極東へ進出しても、
つねにイギリスに見張られて、イギリスを出し抜く事ができない。
フランスは昔から海峡を挟んだ隣国イギリスとは仲が悪く、戦争を繰り返した歴史を持つ。
イギリスの尻を舐め続けるしかない極東アジアで、フランスがイギリスの影響力を排除した形の拠点が欲しかった。
それゆえに、ロッシュは幕府を支援し続けている。租借地として極東に自国の土地を得る事はフランスにとってとても美味しい話しなのだよw。
>極東の未開の島のために露あるいは英を刺激するようなことをロッシュができたとは思えないのですが。
おいおい・・・ちゃんと歴史を知っているのか?
英国のパークスと仏国のロッシュがどれだけ対立し、激しく外交戦を繰り広げたのか知らないのか?。
単に英と仏が戦争にならなかっただけの話しだぞ。慶喜の回顧談を読んでみろ。戊辰戦争前夜、ロッシュとパークスは慶喜の目の前で大喧嘩している。
英国外交官の一人は、ロッシュの外交を見て「我が英国に一歩引かないロッシュの外交には、尊敬の念すら持った」と記録に残すぐらいだ。
401 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/27(金) 22:06:01 ID:mjP8RnbO0
そもそも慶喜さんと有栖川宮大総督は従兄弟同士。
水戸烈公の息子だし、大総督の奥さんはお姉さんじゃなかった?
西郷と水戸との関係上でも死罪の可能性は全くないだろう。
烈公の教育を受けているから朝敵の汚名は避けたいし、
謹慎反省もしていたので誰が行っても長州征伐のような玉虫色の決着じゃないの?
402 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/27(金) 22:11:53 ID:uAbk9BUS0
うんうん、でもさ、オレは勝が幕府にそれほどの思い入れというか、忠誠心が有ったとは
思わないんだよね、そもそも累代の幕臣じゃないし。
どちらかと言えば、あの時代は佐幕・倒幕を問わず、全国的な社会変動や階級変動を
背景に、草莽的な身分横断勢力がいっせいに
跋扈し始めるという時代状況があって、幕臣の勝もまた、そういう状況のなかで、旧体制の
崩壊によって初めて時代の閉塞状況の
打破がなされること、そしてそれが開港以来のプチ・グローバル化のなかで、
もはや逃れようのない国家の「既定路線」で
あることを皮膚感覚で理解していたのではなかろか。
言いすぎかもしれないけれど、幕藩体制(という言葉は当時ないけど)は壊れる、
それはもう留めようがない。自分にとっても、
それは長い目で見れば望むべき状況だ。こう見定めていたのが、勝であるように思う。
しかし、そういう勝でも、やはり武士としての、
あるいは幕臣としてのモラルや矜持から全く自由でありえたわけはない。
旧体制の崩壊というなだれ現象の只中で、彼が自分のなすべき使命として
意識せざるを得なかったのは、一度は主と呼んだ
徳川家(とくせんけ)をほろぼさない。絶対王政ではないから、
一族を根絶やしにされることはないだろうが、徳川家の血脈と名誉を、
細々ながらでもいいから存続させ、もし適うのであれば、「ついで」に
最期の当主であった慶喜も殺さないで欲しい。
それが、勝の真率なる真情ではなかったろうか。
たしかに一生懸命やっているようには見えるけど、
旧幕臣や大久保大和、大鳥、榎本らに対する、あまりに醒めた態度を見ると、
徳川幕府というシステムには愛想をつかしていたとしか思えないんだよね。
403 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/27(金) 22:27:33 ID:mjP8RnbO0
そりゃあ目蔵高利貸しのお孫さんだからな。流れを読むのはお得意だろう。
武士としてのモラルなんかあったの?高利貸しの倅が?
ただ徳川幕府というシステムがなければ彼は出世できなかった。
検校制度のおかげ(金を出せばある程度地位が買える)
明治維新というのは、クーデターなんだよ、外国発の。
たいていの国々の「革命」と同じようなものだな。
内部に何らかの不和を抱えていない国は存在しない。
だからいわゆる不満分子を利用するんだ。カネの力でそいつ等を動かす。
てこの原理と言ってもいいかな。ともかく大軍を使った征服戦争よりもはるかに安上がりだ。
目的は、相手の国を自分の商売に都合が良いように作り替えること。
旧支配者には過酷な運命が待っている。本来は。
旧体制の頂点にいる人間を処刑することは、変革のために大きな心理的効果がある。
慶喜はそのことが解っていたから、すべてを投げ出すしかなかった。
草履のように徳川幕府を脱ぎ捨てた。
これなら劣らない心理的効果もあったから許してもらえた、ということだ。
小栗らにどんなに泣き疲れてもうなづくわけにはいかなかった。
405 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/27(金) 22:38:05 ID:mjP8RnbO0
「革命」とは命が移る事だから全く違う。
慶喜さんは水戸出身だから大政奉還して主君(天皇家)に
お返ししただけ。
泣き疲れ → 泣き付かれ
だな。失礼した。
西郷と勝が対面しての腹芸なんてもちろん嘘。
すでにできあがっていたシナリオの中での演技、という意味での「芸」ではあるが。
407 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/28(土) 02:31:47 ID:l/t41pLW0
勝海舟と榎本武揚はすごく出世したのに、
中島三郎助が出世しなかったのはなぜですか。
勝が虐めたんですか?
408 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/28(土) 08:23:28 ID:+Fwr+xxN0
>>406 勝と西郷の対面シーンだけを論じるとそういう馬鹿の理屈になるなw
この二人の凄いところは、勝は主戦派の幕臣たちを西郷は主戦派の尊王派を説得し、戦いを阻止した事だよ。
409 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/28(土) 08:57:57 ID:ELHK+8sd0
江戸の平和のために尽力をつくした二人を恩知らずの馬鹿がけなしているだけの事だろう。
410 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/28(土) 17:49:34 ID:VqfM9COg0
>>407 逆。勝が上司になると、辞めたり、隠居したり。
それでも両番上席だから立派なもんだよ。
>>400 小栗が蝦夷地割譲しようとした資料ってないんだよね。
フランスとしてはイギリスを出し抜いて生糸交易が独占できれば良かったんじゃないの。
それに小栗にそんな権限あるの?
411 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/28(土) 20:33:05 ID:Z9IxiUjn0
>>410 >小栗が蝦夷地割譲しようとした資料ってないんだよね
ありますよwお前が知らないだけでしょw
教えろというなら、まず人に頼む態度を取ってからだな
頭を下げて頼んでもらいたいもんだw
頭を下げるのが嫌なら自分で探せ
412 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/28(土) 20:47:09 ID:WHdAVfoX0
>>411 アンタもどうか?と思うくらいひどい一文だよ。
そんなに踏ん反りかえっていう史料でもあるまいに…。
勝先生は、そういうケツの穴の小さい奴が嫌いだったようだが…
413 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/07/28(土) 22:25:54 ID:OojMwgoJ0
>>411 北海道なんて今でもお荷物だろ。フランス何すんの?
当時の幕府の財政からは到底改革資金なんぞあるわけも無く
即席で大金を用意するとなれば蝦夷を担保にして資金を得た方が手っ取り早い・・・ってな感じで
派生した程度のものなんじゃないかな?小栗の蝦夷割譲案は。
415 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/01(水) 08:54:36 ID:lRam/IAY0
銅だろ
416 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/01(水) 08:57:01 ID:bXheRxsT0
>>1 ってゆーか江戸引渡しは西郷・勝じゃなくてその前に駿府で会談した山岡・西郷談が
事実上の江戸明け渡しってなんかの本に書いてあった。
417 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/03(金) 01:31:40 ID:+/I0JdXb0
慶喜さんと有栖川宮大総督は従兄弟同士
殺し合いをするか?
418 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/04(土) 20:00:08 ID:F189oRbW0
どうして海舟が、幕臣として立場と新国家建設のプランナーとして
引き裂かれるようなプレッシャーの中で行動したことをそれがどういうことだったか?
を解釈した書き込みが無いんだろう…?海舟のことを語るには、まず上記のポイントを
どう見るかが必要だと思うのだが…
419 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/05(日) 00:46:38 ID:OWupfzI80
>>418 だって、会津ヲタや新撰組ヲタ、小栗厨や佐幕厨は「江戸城で徹底抗戦しなかった勝海舟が嫌い」というだけのネタしか注目してないからw
420 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/05(日) 01:10:46 ID:NJT0TUBg0
輸出インフレのときに、内戦が起こり、
物流が滞っていて、蔵米の支給もできない中で
徹底抗戦したら結果は見えてる。
421 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/05(日) 01:57:00 ID:8GKzSUhl0
水戸烈公の息子が何で徹底抗戦するの?
理由が無いだろう。
422 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/05(日) 08:18:31 ID:E7ntUZaB0
>>420-421 いや、そういう意味じゃない
会津ヲタの言い分は、明治維新は薩長が幕府から権力を奪いたかっただけで必要なし。
徳川慶喜と勝海舟は戦わずして降伏した弱虫最低の武士
しかし彼らの本心は「江戸で徹底抗戦すれば負けなかった=会津戦争も無く会津は酷い目にあわなかった」だ。
会津だけしか目に入っていないので、慶喜が水戸の出だとか幕末の経済状況とかはまったく知らないし注目もしていないw。
423 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/05(日) 19:39:34 ID:KLErpkih0
>>422 つまり、会津ヲタは何も考えてないということか。
小栗厨がフランス本国は幕府切る気でいたのに、
ロッシュが金貸してくれれば勝てたというのより、
はるかに頭悪いね。
>>411 通りすがりだが、ここまで恥ずかしい負け惜しみはあまり見たことないなw
あるんならとっとと出せばいいのに。それで終わる話なのに。
425 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/07(火) 15:14:18 ID:4Vw8FZgH0
江戸開城の時に囚人を全員釈放したってのはどうなの?
薩長に任せると全員虐殺されるから、助けてやったってことなの?
426 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/07(火) 21:34:11 ID:8d0ha7US0
その辺りのことは、田中彰の「明治維新の敗者と勝者」(NHKブックス)
第四章、4勝海舟(PP204〜212)を参照のこと。コンパクトにまとめてあるよ。
最近のものでは、坂野潤治「未完の明治維新」(筑摩新書)
第一章、1勝海舟と西郷隆盛の会談、も面白い。
427 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/08(水) 00:01:38 ID:tiuQPgOL0
>>424 礼儀作法を知らぬ馬鹿に見せる史料などないなw
知りたければ図書館にでも行って自分で探し出せ
428 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/08(水) 01:35:04 ID:GpLkDWoVO
>>425 徳川時代の政治犯が新政府の手に渡ると、
徳川の悪行を新政府に暴露されてしまうから。
だ〜からぁ、勝が幕臣であるということの意味を、もう少し精緻に考え直さなきゃ。奴さんは累代の旗本でも
何でもない。つまり徳川(とくせん)家には武士として、家臣として恩義がある。それは自分が
武士である限り否定はできない。しかし、累代の家臣ではないから、システムとしての幕府には
なーんも義理がないということだよ。
えーと、会津なんかどうでもいいよ。あえて言うが、関係ない! だあってろ!
430 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/08(水) 07:28:55 ID:ttxCtXzW0
431 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/08(水) 14:47:38 ID:jI6s7OPd0
432 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/08(水) 19:30:38 ID:PJ0WkrW50
>>425 それから、松浦玲の「勝海舟」(中公新書)、石井孝の「勝海舟」(吉川弘文館)は
必読です。書き忘れたので
433 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/10(金) 09:13:44 ID:8A+08Sgf0
全然関係ない話だが、昔の活動家(変な言い方かもしれん)や文学者は、
今で言う芸能人みたいな位置づけでしょ。そりゃ欲深い女にはモテモテでだったでしょう。
434 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/10(金) 16:13:48 ID:q0YOe42j0
>>430 御家人ね。しかもお祖父さんの代くらいで株を買ってなっている。出自不明。
435 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/10(金) 19:04:51 ID:+5bMqTKS0
>>434 勝家は、海舟が生まれた当時はすでに御家人ではない。出自不明でもない。
勝の母、お信は勝甚三郎元良の一人娘。
勝家は幕初からの御家人(天正3年、勝市郎左衛門時直が長篠の合戦に従軍)
であるが、勝市郎右衛門命雅が宝暦2年(1752年)に、旗本に昇進、
材木石奉行になった家(寛政譜)
父・勝小吉の実家、男谷家は米山検校の子、男谷平蔵が
安永五年(1776年)西丸持筒与力明跡に新規採用され、
天明6年(1786年)勘定に昇進して、旗本になった家。
>>434 本郷さん。河岸を変えて荒らしですか?w
437 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/12(日) 10:23:01 ID:Gg9kSkfH0
勝はヘタレ、
焦土作戦を展開して薩長の補給を断てばよかったのに。
薩長側に難民に混ぜて幕軍を送りゲリラ戦を繰り広げれば、地の利のある幕軍が圧勝していた。
些細な被害を恐れて西郷に犬のようにひれ伏して許しをこうた勝はなんで幕臣に殺されなかったんだ?
438 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/12(日) 10:55:20 ID:TWXE1dpE0
>>437 オマエが、自民党の安倍が北朝鮮の基地外と喧嘩して
家や街が焼かれてみれば、海舟のやったことの価値がわかるよ。
大バカ野郎
>>438 は北朝鮮が攻めてきても降伏しろって言ってるのか?
情けないやつが増えたもんだ。
440 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/12(日) 12:55:59 ID:HJe9MfpL0
>>439 なら、まずアンタが戦いな。
その時に逃げんなよ!
441 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/12(日) 13:01:41 ID:XWPwNu4t0
>>437 >些細な被害を恐れて西郷に犬のようにひれ伏して許しをこうた勝はなんで幕臣に殺されなかったんだ?
歴史を知らないとこういうことを書くのかと、感心した。
無知は妄想を書いても平気なんだなぁwww
442 :
日本@名無史さん:2007/08/12(日) 13:40:34 ID:dqhsgHLD0
>>437 第二次長州征伐でも鳥羽・伏見の合戦で、何倍もの幕府軍が大敗している。
しかも錦旗で裏切り続出。もう葵の紋所では、全国の大名達はひれ伏さなくなった。
幕府軍が山口や鹿児島へ進軍して日本再統一なんて、無理だろう。
短期決戦は無理。長期戦になれば外国の干渉を受けると考えれば、無血開城は正しい。
443 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/12(日) 15:16:42 ID:+mOdDXTO0
>>442 戊辰戦争で東北雄藩は個別撃破された。
幕府が東北諸藩を束ねていけば、フランスと手を組めば
東日本の地域だけは支配できたと思えるが。
戦後の台湾のように。
444 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/12(日) 16:17:43 ID:7u/em6Bw0
>>443 盟主は誰だよ。
幕府がやらないと言ってるだろ。
445 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/12(日) 16:20:12 ID:q9nu2/Mc0
>>443 日本を分割したらいいなんて売国奴かよおまえw
国力半分で近代化時代に入ったら列強のいい餌食だろwww
446 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/12(日) 16:32:36 ID:aV+9lSO/0
>>437 ゆとりってやつかな…。
>薩長の補給を断てばよかった
補給を立たれているのは幕軍。瀬戸内、大坂を押さえられていて、
西国の物資は江戸に届かない。
それに幕府艦隊の水夫は瀬戸内の漁師だから浮き足立っている。
大体、恭順蟄居した前将軍から敗戦処理を一任された勝が、
抗戦するはずもない。
>>443 それすら無理。フランスの支援はない。
親幕だったロッシュ公使が更迭されている。
フランス本国はイギリスと歩調をあわせて、
不干渉を決めた。
447 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/12(日) 16:36:00 ID:+mOdDXTO0
>>444 慶喜。彼はそれをしなかったのが大罪。
当時は戦車も飛行機もない時代。箱根以東あるいは
日光以北なら十分維持できたろう。
>>445 かつてのドイツや朝鮮半島のような分断は困るが
スペインとポルトガル、ドイツとオーストリアのように
その規模でほとんど同じ民族で別の国というのは珍しくない。
むしろ近い民族でベネルクスや北欧のように2つか3つの国
があったほうがよかったと思うが。
448 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/12(日) 16:38:07 ID:+mOdDXTO0
フランスの助けなくても幕府+東北連合なら維持できたろう。当時
は東北の下級武士や庶民には天皇などなんとも思ってないだろうから。
449 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/12(日) 16:53:11 ID:aV+9lSO/0
450 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/12(日) 16:59:04 ID:+mOdDXTO0
>>449
台湾状態ということ?
函館の反乱軍と違って相当広い地域を実効支配できると思うが。
少なくとも機関銃や戦車が開発されるまでは。
451 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/12(日) 17:23:38 ID:aV+9lSO/0
>>450 叛乱軍だから本国の不干渉政策に関係なく、
公使の判断で、横浜での生糸貿易に支障が出た時点で、
英仏による攻撃が始まるだろう。
452 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/12(日) 19:18:57 ID:axAfIWFf0
皆さんの史料に基づかない書き込みに、乙。
もう少し、文献を読み書いてください。
あまりに、粗末な内容に、乙。
453 :
日本@名無史さん:2007/08/12(日) 19:48:31 ID:dqhsgHLD0
論点
日本は分裂・膠着していいから、底力を使って徹底的に薩長と戦うべき
vs
徳川家に日本全体を治める力はない。日本の近代化は、徳川の力では進まない。
徳川家存続などを条件に降参して、新しい日本を薩長に創ってもらおう。
454 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/12(日) 21:00:48 ID:+mOdDXTO0
分断=悪ってまるで中国共産党、国民党みたいだな。
欧州nおように19世紀後半の段階で同じ(近い)民族で
複数の国になってたほうが有利(国連の議席も複数
経済的にも別の国、通貨の方が格差かかえて無理に一つの国になるより
お互いに有利)
455 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/12(日) 21:21:13 ID:2VjOOang0
当時イタリアが統一し、ドイツも統一過程にある。
未回収のイタリア、大ドイツ主義と小ドイツ主義の対立もご存じないのかな?
456 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/12(日) 21:28:22 ID:+mOdDXTO0
>>455 オーストリアは独立維持でそれを統一したのはナチスだが。
スペイン、ポルトガル
ベネルクス3国。
それならチベットの中国併合も支持し東チモールの独立は不当
というんですね、455さんは。
オーストラリアとニュージーランドも合併すべき、と。
457 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/12(日) 22:03:28 ID:+mOdDXTO0
19世紀なら複数の国になっても第二次大戦後の分断国家のような悲惨なことにはならず
普通の隣国(国境紛争や短期間の戦争はあったかもしれないが)になってたと
思うが。
458 :
日本@名無史さん:2007/08/12(日) 22:32:39 ID:dqhsgHLD0
>>457 太平天国の乱と南北戦争はどう?
ムガル帝国も分裂状態だったぞ。
459 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/12(日) 22:36:15 ID:I2ihMcyO0
世界史なんてどうでもいいよ。
勝海舟の話しろよ。
練習航海の時はなんとも無かったのに、
なんで太平洋横断のときだけ醜態をさらしてたの?
460 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/12(日) 23:51:00 ID:JhGL7aUa0
本人談だと出発時に熱病で具合悪かったとあるけど、その影響かな?
461 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/13(月) 01:00:27 ID:VWkZbbCK0
>>447 慶喜さんか。水戸の人が何で反天皇になるのかな?
少しは勉強しょうよ。
462 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/15(水) 14:41:43 ID:Dc9ULmMq0
反天皇といえば、当時は反天皇というのは水戸出身であろうとなかろうと、存在
しないな。ケーキは薩摩を手玉にとろうと小細工をして、逆に薩摩にはめられた
だけだろ。徳川家と薩摩の結びつきは、他家とは比べようもないほど密であったことを
想起せよ。
戦わない方が良い場合もあるに決まってるだろ
464 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/19(日) 17:31:25 ID:6jYMy4Nz0
練習航海は穏やかな日本近海だけだったからな、太平洋横断の訓練にはならない。
いまでも航海士の練習生などが初めて外洋にでるとほとんどが船酔いで1週間ぐらい苦しむらしい。
咸臨丸も航海当初、日本人のほとんどは船酔いで役立たずだったのさ。
勝海舟がいなければ存在しなかった奴は多い。
そんな勝を馬鹿にする恩知らずの馬鹿は死んだほうがいいんじゃないのか?
466 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/19(日) 19:07:24 ID:dwHUpf8i0
勝海舟は何とか慶喜を官軍から守るために徹底抗戦を主張する
連中を江戸から退けたのは見事。
勝は船酔いばかりでなく、
何か不服なことがあったので船室に閉じこもってたような?
不満もあったし、体調も悪かった、そして元来の船酔い体質。
このへんの複合的な要因で勝さんはキレて船室に閉じこもったとみているが。
不満は主に人事に関することだろうな。
469 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/19(日) 20:15:27 ID:JKuHBBGF0
お前等、海舟の史伝を読め。
全部確定したことばかり。
470 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/20(月) 00:26:45 ID:nMoDPpWK0
勝なんてどうでもいいから明治政府には小栗を有効に使ってほしかった。
慶喜は切腹してその代わり幕臣を頼む、みたいな遺言していれば漢だったのに
自分が政府で高官に就きたいために何にもしないで多くの部下を見殺しにした糞。
こんな奴のために働いた勝も糞。明治政府には見透かされて慶喜も勝も
不満たらたらの余生を過ごしたみたいだが。
471 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/20(月) 20:18:29 ID:0hp4IErI0
海舟の史伝とか氷川清話とかをちゃ〜んと読むとね、要するに歴史は(前近代の話ね)、
生き残った者勝ちで、おまけにそいつに歴史を書く才覚があれば、もうなんでも
自分に都合よくかけるということがよく分かる。江戸を救ったのは、そして徳川家を救った
のはオイラだぜ! っていうのが、海舟の主張ジャンか。真に受けちゃいかんと思うよ。
福沢の批判は、今からみると言いがかりにしか聞こえないけど、同時代に身をおいてみるとどうだろう?
やはり、海舟が何でもかんでも自分の手柄のように言い募り、そのくせ自分は政府高官の職に
ありつくという行為は、とくに武士階級の目からみれば「破廉恥」に見えたんじゃないかな?
これはオレの推測だけど。
472 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/21(火) 01:27:29 ID:RARQy8ij0
分け前を喰い終わっって旧体制に殉じるほどの年齢でもなかったし、
子供の先頭に立って馬鹿やって踊るほど若くも無かった隙間の世代、
と誰か書いてたな・・・
同じ世代といえば、大村益次郎あたりかな。
473 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/21(火) 02:54:51 ID:Het32bGb0
まあ、旧幕臣の押さえ役という具合の存在で参議・伯爵。
海軍関係の人脈もあったし。
ところで海舟の史伝って何? 全集のこと?
475 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/21(火) 13:38:13 ID:h/s56RyX0
>>1 残念な意見です。
幕府は江戸の市民を巻き込んで戦争をすれば良かったのですか?
むしろ、オープンシティという思想を、
この時代の人が持っていたことの方が、よほど誇れることです。
俺は勝が卑怯者だったかどうかはどうでも良いんだが、
江戸市民の安全への配慮が仮にあったとしても
江戸城明け渡しの判断とは何の関係もない。
幕府の行く末と江戸市民の命を秤にかけるなんて少しも思ってないよ。
だいたい、慶喜がやる気ゼロなのに下のもんが頑張ったってどうしようもない。
つうか、降伏するように言い渡されてたんだろ、勝は。
477 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/21(火) 16:36:00 ID:BO/87k/i0
>>467 木村芥舟が、人事の問題でふてくされて引きこもってたと勝の死後言ってます。
木村が300石から2000石で、自分が小十人から両番上席なのが不満だったとか。
>>472 同世代で踊っちゃったのが中島さん。
478 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/21(火) 18:20:39 ID:2hPx/kxG0
>>471 >やはり、海舟が何でもかんでも自分の手柄のように言い募り、そのくせ自分は政府高官の職に
ありつくという行為は、とくに武士階級の目からみれば「破廉恥」に見えたんじゃないかな?
これはオレの推測だけど。
そうだねぇー全くの推測と無知から出てくる戯言だねぇー。
>>474 >ところで海舟の史伝って何? 全集のこと?
史伝とは、ここでは〈勝海舟について書かれた)歴史研究書、伝記のことだよ。
だから、全集も含まれる。(全集を読むなら、講談社版がお奨め)
>>476 >江戸城明け渡しの判断とは何の関係もない。
幕府の行く末と江戸市民の命を秤にかけるなんて少しも思ってないよ。
これだけ無知だと、アサヒ芸能が>476には最適。
まともな幕末・維新の歴史書を読んで下さい。
これだけ幼稚だと、NHK大河ドラマあたりが>478には最適。
時代物を楽しむのも良いけど、少しは自分の頭で考えて下さい。
480 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/21(火) 19:28:25 ID:RiKqcba30
>>479 >少しは自分の頭で考えて下さい。
お前の脳内変換の寝言、分かった。
それが自分の頭で考えることだね。
481 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/21(火) 19:31:44 ID:RiKqcba30
お、書き忘れた。
>>479 >これだけ幼稚だと
幼稚じゃない、高尚なお前の頭で考えたことを
書いてみろよ。(この手の煽りは、脳味噌がすでにスカスカだからな…)
482 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/21(火) 19:36:43 ID:mzcq/PQz0
483 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/23(木) 02:58:43 ID:hyFGiow50
誰か言っていたけど、フランスが北海道を狙う理由は
多分、対ロシア政策だと思う。
その時歴史が動いたの漫画版の陸奥宗光の話でイギリスがそんな事してたし。
484 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/23(木) 15:58:02 ID:ZE3gDGKk0
北海道というか日本に手を出す余裕がどこの国にあったのかな?
フランス
メキシコ出兵失敗・ベトナムで手一杯。
ロシア
ナロードニキ・ポーランドの反乱
イギリス
クリミア戦争による財政悪化・インド大反乱
>>484 それ故に、
つ〔日本人同士にやらせる代理戦争〕
という仮説も成り立たないこともない。
>>485 そういう寝ぼけたような陰謀史観は、中卒の専売特許だな。
>484を受けて、世界史の視野でレスしろ。アホ野郎
487 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/24(金) 00:18:33 ID:4AIUCdvW0
勝海舟は、墓の近くに胸像があるだけで、確か銅像がなかったよね。確かに食い詰めた旧幕臣
に金を出したりしてはいるけど、基本的には嫌われてたんじゃないの?
勝のおかげで日本はエゲレスやフランスの植民地にならずにすんだっちゅうデマを
まだ信じる人がいるんだね。驚いたよ。
実際にロシアは清国からアムール川北岸と沿海州を奪っているし、
西欧やロシアが混乱しているからと侮ってふんぞり返っていると
清国のようにボコボコにされてしまう危険もあった。
>>486 忙しくて面倒だから、現地の土人同士で争わせておくかってことだろ。インド辺りでイギリスがやってそうなことじゃん。
490 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/24(金) 23:44:16 ID:9WLfToco0
列強の関心は清の植民地化。
幸いなことに、日本はろくな産品のない
どうでもいい島だと思われていた。
まあ、中古武器の市場として公使連中の
いい小遣い稼ぎではあったけど。
ならなんでイギリスは日本に来たのさ?
清国の植民地化なら日本は関係なしじゃんw
鎖国続けられたジャン
と、無知な馬鹿に質問してみるwww
別に英国だけじゃないだろ、仏、露、米ができれば極東日本に補給基地がほしかった。
植民地化できれば尚良い、そうでなくとも内戦で武器が売れれば美味しい。
鎖国という概念も幕末に作られたもの、徳川幕府は蘭国、清国と交易してたしな、
鎖国=悪という概念は後の薩長が作り上げたもんだ。
は?
鎖国=悪という概念は薩長が作ったって?
いつどこで誰が作ったのw。
薩長の誰も鎖国が悪だなんて言ってませんよw。
逆に攘夷を唱えてたんだから。もっとも明治政府になって国際社会という世界で生き残る為に攘夷を捨てただけだし。
悪とまではいわないが、ある世代の人たちは鎖国が日本を情報後進国したと習ったんだよ、
実際、幕府はかなり海外の情報を集めてたんだけどね。
海外と自由貿易したい商人達の代弁者として鎖国を否定するのに都合が良かっただろな。
攘夷は倒幕の方便でしかないよ、薩摩は明治じゃなく薩英戦争で悟ったし、
長州は四国艦隊で攘夷の不可を悟ったはずだ。
>>494 >ある世代の人たちは鎖国が日本を情報後進国したと習ったんだよ、
海外と自由貿易したい商人達の代弁者として鎖国を否定するのに都合が良かっただろな。
違う。いくらなんでもオランダから詳細な情報を得ていたし、清の状況を
把握して大変な危機感のもと開国した。
>攘夷は倒幕の方便でしかないよ、薩摩は明治じゃなく薩英戦争で悟ったし、
長州は四国艦隊で攘夷の不可を悟ったはずだ。
それも違う。途中までは本気で攘夷をやろうとしていたが、薩英戦争はもとより
長州もボコボコにされ変えた。
>>494 >攘夷は倒幕の方便でしかないよ
馬鹿ですか君は?
尊王攘夷思想を生んだ水戸徳川家は倒幕派ですかwww
水戸学は尊王思想の元となった国学だけど、基本的には身分制と武家政権(徳川幕府)を肯定しており、
水戸学の考え方では「倒幕思想」は生まれない
497 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/26(日) 00:33:33 ID:vmkWR4Ct0
水戸藩の水戸学では、ID:5+do1/RW0には信じられないかもしれないが、
倒幕を肯定する意見も成立し得た。
要するに天皇絶対主義で、天皇から権力を奪った幕府は覇者に過ぎず、悪の典型である、というものだったのだから。
水戸藩からも天狗党の一部に田中など倒幕派がいるにはいたが、
力は弱く水戸の尊攘派の主導権はとれなかったが。
水戸学が倒幕思想を誘引させたとは言えても、
水戸学が直接倒幕思想であるとは言い難い。
499 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/27(月) 01:48:36 ID:bW2lZKAD0
しかし陛下を討つなんていっていないだろ。
将軍家も討つなんて言ってない。
その辺は水戸は完全中立。
500 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/27(月) 02:34:46 ID:r78uOugk0
>>491 イギリスと条約を結んだ経緯を知らないみたいだね。
501 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/27(月) 20:56:49 ID:N6nrh8kb0
>>1 そんなに江戸でドンパチやりたいなら
ここでほざいてるんじゃなくて
自分でしてこいよ
502 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/02(日) 16:51:10 ID:q24jMczn0
江藤の「海舟余波」読んだことある人いる?
友達に読んでみろっていわれたが…
海舟は、幕臣として幕府のどうにもならないことを見限り、慶喜に何度も
騙されたが江戸城総攻撃を、彼の思想から全力で阻止する仕事をした。
この矛盾する行為を実行することは、幕臣から命を狙われ新政府には
命をかけて交渉の場に臨むことで達成した。
なのに、
>>1 >薩長から見れば面倒くさくなくて結構だろうが、幕府側から見りゃただのヘタレの裏切り者だよ
戦って死ねよサムライなら!なんでこんなやつが持ち上げられてるんだワケワカラン
のような、無学なものがいることが情けない。
504 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/26(水) 00:23:39 ID:VNmXMwpD0
勝みたいなヤツがちゃんと歴史的に評価されてることが俺はウレシイよ
日本の歴史はほんと奥が深い
>>1みたいな馬鹿は戦国武将だけマンセーしとけw
505 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/26(水) 10:09:07 ID:lxjCzF3a0
勝がいたからこそ江戸の力を温存できて、しかも日清日露戦争に勝利できた。
もし勝がいなければ、現在の東京の半分の人間は生存しない事になる。
勝否定は東京否定になる。
勝を否定する奴は東京に住む資格なし。
さっさと土地と建物を返還しろ。
>>383 他人をなんでも勉強不足扱いするな
自分が勉強してないだけなのに
山岡自信はたしかに人殺しをしなかったが
清川や虎尾の会は人殺ししているし
ヒュースケン殺人にまで関わってる事実があるだろ
虎尾の会に同席した山岡の弟子の松岡(弟子ではないとの説もあるが、山岡の娘によると弟子と名乗っていた)
が辻切りしてたのを山岡が止めた話なんかもあるように
かなり血生臭い集団だったのは事実だよ
思想以前にそんな中に人殺しを嫌う山岡がいたのは研究家の間でも結構議論されてる
単純に清川が山岡と正反対の要領の良いタイプだったから惹かれていたというのが多く言われている説
そうじゃなきゃ勝も山岡と会う前に大久保忠寛に注意するように言われないだろ
なんか最近、勝手に解釈して勉強不足とか煽る馬鹿がいて困る
住み込みだった小倉鉄樹の証言も合わせて
山岡の武士道論は捏造って研究もされてるし
実際、山岡は勝と同じでそんな立場に捕らわれた人では無かった模様
だから明治政府に入った勝と同じで
さんざ批判があった中、明治天皇に仕えたりしない罠
義兄の高橋泥舟は慶喜や家茂に気に入られたこともあって
最後まで明治政府に入らなかったし
あと幕臣という立場もあって捕縛されにくかったのも清河と行動してた理由
それでも清河死亡後はかなり厳しい謹慎を食らってる
高橋泥舟に至っては清河に関わってたことでせっかく出世したのにかなり格下げされてるし
後年の石坂周造も浪士組に関わってたことを伏せたことから
どう考えても清河八郎は歴史的に見て「きっかけを作った重要人物」ではあるけど
美化されるべき人物ではないのが総論だね
当時だってテロ行為や殺しは悪行だし
山岡鉄舟が人殺しはイクナイと言ってるなら、なおさら美化されるべきではない罠
清河を美化してる奴はなんかの小説の読み過ぎ
509 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/10/04(木) 10:19:22 ID:jMJtQrn7O
イラク戦争みたいに
テロ行為を口実に国に介入するのはざらだっただろうな
勝がなぜ穏便に開国を進めて国際化しようとしたのかもすぐわかる
近代日本に於ける唯一の政治家だよな。
インテリジェンスと肚を併せ持つ人ってのはもう出ないかも知らんね。
511 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/01(土) 19:08:46 ID:xO+cuDnR0
あんた西郷側には、フランスやイギリスが付いていたんだよ。
日本が植民地になっていたかも知れない危機を、勝海舟の英断で乗り切れたんだよ。
513 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/01(土) 21:31:06 ID:vPTFGkCpO
幕府付きとは?
514 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/03(月) 00:54:38 ID:F9IY4xPW0
慶喜公のおかげだよ。
水戸家のおかげって言ってもいいが。
515 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/07(金) 13:15:47 ID:kED996Xm0
海舟がいなかったら、東京はなかったな。
それだけは確実。
「負けを選んで国を救った」
516 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/09(日) 00:44:04 ID:7NVQF8fo0
勝は慶喜の尻拭いをやった。
そして慶喜の名誉を回復した。しっかり見張ってはいたけれどもね。
だから慶喜には眼の上のたんこぶだったんだよ、明治時代には。
勝を批判するのは幕臣でも家柄のよい奴が多いよね。
これは嫉妬がかなり入っていると思うよ。まあ、海舟先生自身、人当たりが
いいとはいえなかったからね。
517 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/09(日) 04:01:19 ID:OkaSHG6E0
勝海舟は報復人事をする陰険なところがあるからなあ。
海軍から中島三郎助を追い出したり、
鳥羽伏見の戦いの責任を小野友五郎に擦り付けたり。
小栗が殺されたのにもかんでるんじゃないの。
518 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/09(日) 16:01:31 ID:hIGzpnHrO
>>515 確かに東京は無かったかもしれない。
焼け野原になろうと江戸としては残ったろうけど。
519 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/09(日) 23:26:17 ID:M5rE7iKY0
水戸史学にかぶれた慶喜の意向を汲んで降伏しただけ。
勝海舟は狡猾だが、徳川家を残しただけでも功績がある。
520 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/12(水) 14:42:50 ID:d4ClVPIo0
水戸史学にかぶれた慶喜
じゃ無いだろ。
本家本元だろ。
521 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/13(木) 15:14:11 ID:z7sLzzIr0
TBSはこうして在日朝鮮人に乗っ取られた。 窓際社員の独り言です。
(1)1960年代
テレビ放送が始まってまもなくの頃、放送中のちょっとした言葉づかいの問題(例えば「朝鮮民主主義人民共和国」を"北朝鮮"と呼んでしまった、など)に対して、
朝鮮総連から会社及び経営幹部の自宅に対して脅迫に近い抗議行動が繰り返される。抗議行動に対する「手打ち」として、採用枠に"在日枠"が密かに設けられる。
総連幹部の子弟を中心に入社試験無し(カタチだけの面接)での採用が毎年続く。
在日枠の密約を所轄官庁に対して内密にしてもらうよう局側から総連に「お願い」をしてさらに弱みを握られ身動きがとれなくなっていく。
(2)1970年代
政府を叩きさえすれば世論が喝采する狂った時代。
在日社員の「反日番組」を「権力に対するペンの戦い」「調査報道」と勘違いした経営幹部が社内で在日を積極登用。
「日本人社員と在日社員に昇進の差別があってはならない」などと理想論を述べたのは良かったが、
しかし昇進差別をしなかったのは甘い日本人幹部だけで、課長、部長と昇進した在日社員は、帰化した在日二世を理不尽なまでに優遇する逆差別人事を徹底。
異を唱えた日本人社員は徹底的にマークされ、営業や総務など番組制作の第一線から退けられる。
(3)1980年代---90年代
昇進した在日社員が主要な報道番組のプロデューサーや報道局長など、決定的なポストを占める。
某サヨク週刊誌の在日編集長をキャスターに迎えたニュース番組が、
学生時代に学生運動に没頭した団塊の世代の視聴者の支持により高い視聴率を得る。
1989年の参議院議員選挙では「土井社会党」「マドンナブーム」を援護。あからさまな社会党支持。
(4)1990年代---2000年代
偏向報道、捏造報道、取材情報を特定の勢力に提供するなど、報道機関として存在を否定されかねない不祥事が続発。
朝日新聞、系列のテレビ朝日が、どちらかといえば「北京の意」を汲んだ報道が多い。
バブル崩壊以降の景気低迷でただでさえ厳しい広告収入が、「サラ金」と「パチンコ」に大きく依存。まさに、在日朝鮮人の資金で在日朝鮮人が運営しているのがウチの放送局。
在日の局長が在日のスターを「作り上げる」ような番組制作が為され、その証拠に「筑紫哲也の番組名」が未だに存在する。
>>505 お前勝先生馬鹿にしてんの?
先生は日清戦争には最後まで反対だったんだぜ
勝の研究史がしっかり載ってる本ってある?
で、明治以後の勝について書かれてる本ってあるか?
524 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/16(日) 20:37:26 ID:lrF6y+yR0
とりあえず、
勝部真長「勝海舟」上・下巻PHP研究所。
を読んでみてはどうか
525 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/27(木) 21:36:32 ID:3NlFMYcPO
村上元三の「勝海舟」もいいぞ
526 :
Y.I:2008/01/03(木) 00:17:05 ID:/NL+TGt80
勝海舟についての評価
海舟について学術的に研究をしている者です。
西郷隆盛とともに大変興味のある人物なので、新書、古書
合わせて70冊あまりを研究しましたが、海舟は相当に
奥の深い人物のようです。感情的もしく歴史の表面だけを見ては
海舟と言う人物は到底理解できないでしょう。
海舟については幕末から現代まで様々な評価があります。
反海舟派は、端的に言えば「武士らしく潔よくない」、
「狡猾である」など意見が多いようです。ただ、この人物に関する限り
相当注意してみる必要があります。海舟は常に「現実」もしくは
「実相」を見ています。観念や一時の感情(情ではありません)や言葉に
振り回される人物ではありません。
例えば、江戸幕府瓦解後、武士道に関して、こんな言葉を残しています。
武士道を復活しようと思えば、経済的支援をすればよい。余裕ができれば
武士道は復活する、云々。武士道を純粋な側面からのみ見る方がはこの
海舟の言葉を聴くと、まず頭にくるでしょう。ところが人間、飯が食えなく
なると(しかも武士階級という所属団体がないと)そう高潔なことばかり
は言ってはいられない。そういう実相的なところをいつも見ているわけです。
(いちど、とことん貧乏を体験した人ならばこの辺の所はピンと来るでしょう。
つまり観念論ではないのです)。
海舟は果たして狡猾なのでしょうか。深く研究してきると分かることですが、
世間の標準から極めてかけ離れた発想を持っているがためにそのように
見えるようです。いわば、見えすぎている―狡猾よりは炯眼というのが
適切でしょう。ある程度の狡猾さは当然あったでしょう。さもなければ
青のような大仕事は到底できなかったでしょう。
海舟の人物についてはご存知の通り、西郷、竜馬などが極めて高く評価
していますが、ここにおもしろい話があります。
大政奉還の後、海舟は静岡に移住しましたが、そこでエドワード・クラーク
という宣教師の仕事の斡旋をしています。このクラークは後年、「勝海舟」
という本を出版し、その中で「海舟は私が会った人物の中でナザレのイエス
にもっとも近い人物である」と述べています。誠実な宣教師が語った言葉
ですから、恐らく人物眼は間違いないでしょう。
海舟は「ニセモノ」を極めて嫌った人物でした。徹底しています。
こんな逸話があります。ある時、あるキリスト教徒が「自分はキリストを
信じているので死ぬ事は怖くない。ぜひともキリスト教を明治政府の
宗教政策に取り入れてくれ」と海舟に頼んだそうです。すると勝は急
に奥座敷に姿を消し、次に現れたときには刀を差し、元の部屋に戻り、
刀をそのキリスト教徒に突きつけたそうです。そのキリスト教徒は慌てて
逃げ出したそうです。「命が惜しくない」と言っている人物が、いざ
となると真っ青になるわけです。海舟は体験によって、そういう「人間の
実相を十分に知っていたわけです。
他にも様々な話があります。海舟は次のような言葉を残しています。
常人ではこのような言葉は決して言えるものではありません。
「身を置く所、公私の別なく、丹心、日を貫け」
(公私の別なく、自分が置かれている状況で、目覚めてから、夜、目を
閉じるその時まで、日々赤誠を貫きなさい)
長くなりましたが、海舟に関する真実を書いたつもりです。
欲知らないゆえの批判、感情ゆえの批判というものもあります。
もし海舟がどうして気に食わないという方がおられれば、一度、
虚心坦懐に海舟を読まれることをお勧めします。おそらく、
大きな発見があると思います。特に、現代に失われたものが
彼の言葉の一言一句に表れているような氣がします。
長くなり申し訳ありません。この辺で終わりとします。
527 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/03(木) 06:01:30 ID:+RDp+P9H0
>>526 読書感想文読みました。
正直、もう少しどこかの本に書いてあることのまとめではなく、
あなたの新たな研究成果としての海舟像を、たとえ史料の読解に
飛躍があってもいいので提示して欲しかったです。
(海舟についての資料を読んでいる者からすると書かれていたこと、
別段何のことはないことばかりだったので…。)
と知ったかぶりの厨房w
コイツの事だから私的見解を述べたら「お前の妄想なんて聞きたくない」と吠えるだけw
529 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/05(土) 12:00:31 ID:wcamWBDQ0
>>528 今年はこういう輩が来ないようになってくれれば、と思う。
まず、お前が「海舟についての私的見解」を
書いてみたらどうだ?何一つ書けないだろうがねwwww
530 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/05(土) 21:39:45 ID:z1B8IRaY0
勝は時代遅れの蘭語を少々囓っただけの男。
英語はからきし。世界に対する知見は皆無。
自信満々で艦長となった咸臨丸では船室にひきこもり無能っぷりをさらけ出す。
日本人に戦艦を建造することは500年かかっても無理と主張し横須賀造船所建設を妨害。
幕府と倒幕派の間を二重スパイとして渡り歩いて形勢を観望。
江戸開城は自分の出世のために幕府を売っただけ。
維新後は明治政府に冷遇され、不満たらたらの余生を送る。
531 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/05(土) 23:13:52 ID:CHvVwlzV0
>>530 >勝は時代遅れの蘭語を少々囓っただけの男。
>英語はからきし。
なるほど。英語が出来ないと世界に関する知見が皆無になるのかw
それじゃ逆に聞きたいが、幕末当時英語ができて世界に関する知見のある奴って誰と誰よ?
俺は福沢諭吉ぐらいしか思いつかないが、お前の言い分だと英語こそ外国通と言っているわけだからごろごろいたんだろ。
最低五人ぐらいさらりと名をあげられるはず。さぁ教えてくれよw。
532 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/06(日) 21:54:49 ID:1BPCvkeZ0
>>531 相変わらず勝ヲタは読解力が欠如したバカだね。
>>530はあくまでも事実の列挙。
>英語が出来ないと世界に関する知見が皆無になるのかw
このバカげた意見はオマエの妄想。
勝ですらもう少しマトモな詭弁を弄しててたぞ。
533 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/06(日) 22:22:30 ID:NrOn6yXO0
>>530 >勝は時代遅れの蘭語を少々囓っただけの男。
幕末、オランダ語が時代遅れになった根拠は?
>英語はからきし。世界に対する知見は皆無。
この一文の具体的な事例を紹介してくれ。
上記の二点の根拠があるレスが出来なければ、君が事実誤認をしている。
少なくとも、私が史実として読んだ内容とは相当隔たりがある。
534 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/07(月) 00:51:36 ID:3Rk2qHzd0
ちんぽかじり犬
535 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/07(月) 02:30:31 ID:GJhlyWF30
>>530 時代遅れの蘭語ができたから、長崎の海軍伝習も上手く行った訳で。
>>531 福澤先生は英語通訳として全く役立たずで、謹慎処分食らってるんだが。
536 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/07(月) 08:06:31 ID:WyI9E/4K0
>>532 >英語はからきし
と書いたのは
>>530だよw
わざわざ書いて非難したということは「英語がからっきしでは駄目だ」と言いたいんだろ
>このバカげた意見はオマエの妄想
と反論されるとは片腹痛いなw
じゃあ質問を変えようか?
お前は何故「英語はからきし」と書いたんだい?
その真意を説明してみなw
537 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/07(月) 21:10:10 ID:dRWOt+uF0
咸臨丸プロジェクトを立ち上げ提督に任を果たしたのは木村摂津守喜毅。
勝は木村摂津守に泣きついて艦長の座にありついたのはいいけど、
航海中は船室に閉じこもって何もしなかった(できなかった)。
勝を信用してなかった木村摂津守がアメリカ人水兵を乗船させてたおかげで、
咸臨丸はかろうじて太平洋横断に成功する。
勝に全てを任せていたら咸臨丸は間違いなく海の藻屑になってた。
無能で無責任な勝の正体を間近で観察してたのが福沢諭吉。
彼がその後勝をどのように評価したかはご存知のとおり。
538 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/10(木) 23:33:52 ID:jmD1QmT40
そもそも勝はなにしにアメリカまで行ったの?
539 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/12(土) 03:15:40 ID:9SWwAz1a0
勝って明治以後はまるで精彩ふるわなかったね。
顕官ついて日本の近代化になにか貢献した?
540 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/12(土) 06:42:30 ID:hpp/tJcD0
>>537 福沢は慶応義塾の資金を勝から借りようとするが、勝海舟はこれを蹴っとばす。
それ以後、福沢は事あるごとに勝の悪口を言うようになった訳だが、
その福沢の言い分をまともに信じている君はイタイw
541 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/12(土) 10:17:58 ID:Yl8TiFrb0
惜しむらくは多弁
このスレには攘夷論者ばっかみたいですね
543 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/12(土) 14:42:16 ID:e9zMLnN/0
>>542 攘夷論って単純に括れないだろう。
時代の流れ方が異様に早かった幕末、単純攘夷論でいた志士はいないだろう?
544 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/12(土) 22:12:52 ID:MIqxE8+Q0
勝海舟=小早川秀秋
裏切者は結局どちらの陣営からも軽蔑される
545 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/12(土) 22:17:21 ID:kM7BXIdF0
>>544 勝に遺恨をもっているのは会津ヲタだけっしょw
一言で言うと、頭がキレすぎて一言多いタイプだよなこの人
頭がキレすぎ
一言多いタイプ
二言じゃん
548 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/13(水) 02:57:39 ID:RtIEhKRR0
>>537 日本側の士官だった佐々倉桐太郎(後の兵学権頭)が飲料水を勝手に使った
アメリカ人水兵を斬ろうとして、日米衝突が起こりかけたのを収拾したのが勝。
軍人としてはどうしようもないが、交渉人としては一流。
福沢は世話になった、木村摂津守や中島三郎助が勝とギクシャクしてたから見方が辛い。
>>539 旧幕勢力を背景に暗躍。
伊藤博文にいろいろねじ込んで、徳川慶喜の復権や徳川一門の陞爵、
旧幕臣による開拓事業への融資を実現。
549 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/16(土) 10:56:55 ID:owDBZqQC0
江戸時代名産品の無かった静岡県
その静岡にお茶という名産を作る為に貢献したのが勝
550 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/16(土) 11:45:08 ID:c/rkQc0zO
勝ってパンツ履かない方がいいかな、って言った人?
551 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/16(土) 15:09:10 ID:owDBZqQC0
当時はほとんどの人がフンドシ派w
552 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/17(日) 21:00:12 ID:zsbgDZ5Q0
まあ、いろいろ賛否両論はあれども、ここで意見している誰よりも何事かできる人物だったのは確かだろう。
この中に歴史に名を刻める輩なんておらんだろうからねー。
553 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/17(日) 21:42:34 ID:87bsUBz60
薩長に一泡吹かせようと立ち上がった彰義隊が、寛永寺に立籠ったばっかりに、堂塔伽藍みんな焼けたわな。
555 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/18(月) 00:15:54 ID:OH5Sfnu0O
ららら
556 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/19(火) 22:36:03 ID:uEDycEpe0
咸臨丸で一番頼りになった日本人は ジョン万次郎こと中濱万次郎。
ブルック大尉より年上で船上での経験が豊富(元一等航海士)で
ブルック大尉は 万次郎を非常に信頼して頼っていたようです。
大尉は今まで出会った中で万次郎ほどりっぱな人(アメリカ人も含めて)は見たこと無いと書き残してます。
なぜ 万次郎という名前が一度も出てこないのか不思議w
おそらく 帰りの航海も平穏ではあったけれども万次郎がいたから無事に帰国できたんでしょう。
>548
飲料水の件で日米衝突が起こりかけたのを収拾したのは勝海舟ではなく ブルック大尉。
ブルック大尉がが 佐々倉桐太郎に 「みんなで決めたことを破ったのだから飲料水を使用した
アメリカ人水平を殺しなさい」と言う一言で
それまでアメリカ水平にたまっていた日本人のうっぷん・苛立ちがおさまったのです。
557 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/19(火) 23:07:01 ID:R0LSh7FB0
勝は時代遅れの蘭語を少々囓っただけの男。
英語はからきし。世界に対する知見は皆無。
自信満々で艦長となった咸臨丸では船室にひきこもり無能っぷりをさらけ出す。
日本人に戦艦を建造することは500年かかっても無理と主張し横須賀造船所建設を妨害。
幕府と倒幕派の間を二重スパイとして渡り歩いて形勢を観望。
江戸開城は自分の出世のために幕府を売っただけ。
維新後は明治政府に冷遇され、不満たらたらの余生を送る。
558 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/21(木) 01:10:37 ID:j/454Ch/0
>>556 それで本当に斬ろうとした佐々倉を勝がとめたんじゃなかったっけ?
559 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/21(木) 03:57:41 ID:i+mmq2Dx0
560 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/21(木) 03:59:52 ID:i+mmq2Dx0
561 :
会津厨房:2008/02/21(木) 06:19:52 ID:4DILICRDO
別に会津オタだからって勝を嫌ったりはないよ。あの時江戸を戦火に晒さずにする方法はあれ以外は… あくまでも大衆の命を救ったの事実だし。
562 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/21(木) 08:33:25 ID:B0mZMEpm0
この件に関しては小栗が正しい。
最強の幕府艦隊を二つに分け、駿河湾から東海道の薩長勢を叩くとともに、
別働隊が江戸湾に入って艦砲射撃を浴びせる。
後に大村も小栗の主張が通っていたら我々の首は無かったと述懐してる。
勝は敵のスパイとして振る舞い勝機を潰したわけで、要するに売国奴だね。
563 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/21(木) 08:54:28 ID:B0mZMEpm0
>徳川に戦略が無く、あったのは攻め寄せる薩長をどう撃退するかという作戦だけだった。
長期的な戦略も展望も持っていないのは倒幕派も同じ。
むしろ来るべき近代日本のプランを持ってた徳川幕府のほうがまだマシ。
>そして、まかり間違って江戸で徳川が勝ち戦いが長期化すれば諸外国の思うつぼになる。
江戸で徳川が勝てばそれは薩長の敗北を意味する。
日和見諸藩も諸外国も薩長を見捨てるから長期戦にはならないだろ。
英仏は基本的に局外中立の立場をとり、日本の内乱に介入するそぶりは見せていない。
諸外国の介入があるとすれば、外国人の居留民や資産に被害が及んだ場合だ。
その意味で、
>>39の言うとおり、倒幕派の武力クーデタは、とても危険な火遊びだった。
倒幕派が江戸攻撃を強行した場合、それは欧米外商に巨大な損失を与え、
倒幕派は外国の支持を失い国際犯罪者として扱われることになる。
幕府が事態を早期に収拾できればいいけど、
勝によって江戸は火の海にされてるから、幕府の信用も失墜する。
こうなったらまさに「諸外国の思うつぼ」。
やはり倒幕派を箱根で殲滅するという小栗の戦略こそが正しいね。
ちなみに倒幕軍は江戸攻撃を強行する姿勢だったけど、
直前にその報告を受けたパークスが激怒して反対したため思いとどまった。
勝と西郷の会談で江戸攻撃が中止されたいうのは作り話。
勝と西郷という二大馬鹿はパークスの英知に救われたんだよ。
564 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/21(木) 19:12:20 ID:GQ6h4eZ80
>>562>>563 何得意になって妄想を書いてんだ?
根拠を出してみろ、妄想評論家のものか小説を出すのがオチwwww
565 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/21(木) 20:34:35 ID:Of1HuKSu0
>>564 いやいや、
>>562>>563の言う事にも一理ある
旧幕軍は絶対に負けなかった。
だが、絶対に勝つ事もなかった。
薩長が天皇を連れて長州や薩摩に逃げるからね。
旧幕軍はどんなに勝っても賊軍のレッテル貼りっぱなし。
薩長にはイギリスが加担し、イギリス艦隊が下関海峡を封鎖したりする。
すると幕府はフランスに援軍を頼むしかない。
イギリスもフランスもただでは協力しない。利権や土地など次々に日本から奪い取り、
最後に勝利するのは薩長でも幕府でもない。外国が勝者となる。
>>562>>563は、薩長にさえ負けなければ植民地になっても良いという人の主張w
566 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/21(木) 20:46:40 ID:drKWG0v60
>>565 ねぇ、それはどういう根拠で書いてんの?
あなたの勝手な憶測でしょう?
根拠を出して下さい。近代の日本語、英語、フランス語なんの史料でもいいですよ。
お知らせ下さった史料を国会図書館へ行きあたりますから
567 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/21(木) 21:10:18 ID:eD6LgwZh0
敵と戦わず自ら国家の大権を放り出しひたすら命乞いをしたこと。
…端的に言ってしまえば勝の「功績」とはこれにつきる。
戦うべきでない理由として勝が説いた主張の要旨は以下のとおりで、
すべて屁理屈にすぎない。
1.社会の安寧は害すべきではない
…そもそも社会を混乱におとしいれ戦端を開いたのは薩長。
その敵が攻めてきているときに社会の平穏のために戦うなというのはナンセンス。
2.戦ったら慶喜の身の上が危ない
…将軍はいざというときは先頭に立って戦うのが職務。
将軍の保身のために幕府を解体せよなどという主張は本末転倒。
3.仲間同士で戦うのは外交上の不利益だ
…実際には外国干渉の動きはなかった。むしろ、少数の藩が
英国の援助のもと中央政府に反乱を起こすという事態そのものが、
一種の外交上の危機なのであり、これに対する正しい態度は、
中央政府として断固たる態度を示し、反乱派を殲滅すること。
福沢が言うとおり、勝が行ったことは、武士道の放棄であり古今の珍事。
さらに維新後の勝は、すぐさま切腹でもすべきなのに、
幕府を売った持参金で爵位を得、維新功臣と称して傲然としていた。
要するに勝は武士の風上にもおけない恥知らずな謀臣。
568 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/21(木) 21:15:47 ID:eD6LgwZh0
>>132 基本的に幕府は海軍を最優先に整備し、陸軍は後回しだった。
しかし長州征伐失敗後に軍制改革を行い陸軍力を強化。
歩兵・砲兵・騎兵あわせて1万数千人の近代的陸軍を擁してた。
また、いかに強力な銃を持ってても、補給がなければただの棒。
アメリカ南北戦争での南軍の敗北は、
制海権を奪われ補給に支障をきたしたことが大きな要因。
もしも幕府が陸海軍を総動員して組織的に薩長討伐を行ったら、
間違いなく薩長に勝ち目はなかっただろう。
しかし実際には幕府中枢が勝に乗っ取られたことにより、
幕府陸海軍は大混乱をきたし組織的な反撃がほとんどできなかった。
つまり勝の裏切りが薩長を破滅から救ったんだよ。
569 :
会津厨房:2008/02/21(木) 21:22:44 ID:4DILICRDO
賢いですね〜 自分もパークスかなんか忘れてましたが西郷は最初に外国人に恭順の相手方を武力討伐は国際法がなんとやらで西郷はすでに江戸攻めをやめた…と
570 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/21(木) 21:58:08 ID:Of1HuKSu0
571 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/21(木) 22:16:18 ID:Of1HuKSu0
>>567-568 ねぇ、それはどういう根拠で書いてんの?
あなたの勝手な憶測でしょう?
根拠を出して下さい。近代の日本語、英語、フランス語なんの史料でもいいですよ。
お知らせ下さった史料を国会図書館へ行きあたりますから
572 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/21(木) 22:37:18 ID:B0mZMEpm0
>(勝の戦争回避がなければ)中国や他のアジア諸国同様に
>諸外国の傀儡政権もしくは植民地の道を歩む。
当時、アヘン戦争により上海を押えたイギリスは、上海を中心に商圏の拡大を図った。
そして南北戦争終結により世界的に余剰となった兵器が上海に持ち込まれ、
グラバーなどの死の商人を介して大量の最新兵器が長州や薩摩に密輸された。
さらにオールコックは反幕意識の強い薩長などに、
「幕府による貿易独占」に反対し割拠するように刷り込んでる。
つまり倒幕派は物理的にも思想的にもイギリスの介入のもとに形成されたと言える。
倒幕派は外国の支持を得ることを最大の自己目的として行動しており、
その正体は「諸外国の傀儡政権」となんら変わりはない。
勝は日本の政権中枢を預かる立場にありながら、
このような得体の知れない傀儡に政権を投げ出したわけで、
その無責任な行為は非難されて当然だろう。
そしてもしも欧米が本気で日本を植民地化しようとしていたのなら、
戊辰戦争や西南戦争の過程ですかさず干渉の動きがあったはず。
パークスは江戸攻撃を命じ、卑屈な対応に終始する勝のせいで江戸は大混乱となり、
中枢を失った日本は欧米の植民地になっていたことだろう。
しかしそうはならなかった。当時の列強の関心はあくまでも中国に向いていて、
日本は、高いコストを払ってまで植民地化する対象とは見られていなかった。
戊辰戦争当時の英仏は、厳正中立・絶対不干渉の立場をとっており、
薩長に近づきクーデタの遠因をつくったイギリスでさえ、
本国の訓令があるため内戦への干渉はできなかった。
むしろ列強が心配したのは内戦の拡大により養蚕業が壊滅し、
絹貿易に支障が出ることで、それゆえパークスは倒幕派の江戸攻撃を中止させた。
また、パークスは薩長に接近する一方幕府に対する融和政策も捨ててはおらず、
幕府が勝とうが倒幕派が勝とうがどっちでもいい両面作戦。
結局、勝が自己正当化のためにでっちあげた「外国の干渉」というネタは事実無根だね。
>徳川に勝利への戦略は無く
意味不明。
そもそも徳川幕府は事実上の中央政府として認められてるんだから、
クーデタをおこした奸賊を叩き潰し幼帝を救い出せばいいだけ。
むしろまともな展望ももたずに暴発したのは倒幕派の側で、
西郷などは幼帝を拉致して広島で自決する計画だった。
薩長方の英国艦隊は日本におらず
幕府方のフランス艦隊は横浜にいた
もともと薩長は江戸を力攻めにしようも出来ない状況
そこへ渡りに船の交渉を持ちかけてきたのが勝
574 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/21(木) 23:32:03 ID:Of1HuKSu0
↑薩長の主力部隊は東山道なんだけどw
575 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/22(金) 03:28:32 ID:8xyTe/lLO
勝負は時の運、逃げるが勝ちの時だってある。
もし、勝海舟が無血開城をせず新政府軍とやり合っていたら江戸市民に犠牲がでていたのは明白、即ち勝海舟のとった行動は誤りではなかったと思う。
まぁ鳥羽伏見で勝海舟は見切りをつけていたのだろうが。
576 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/22(金) 13:09:06 ID:RpOXDnOJ0
例えば中国・北朝鮮連合軍が突然侵略して来たとき、
中国・北朝鮮と個人的に太いパイプを持つ政府高官が、
「日本国民に犠牲を出さないために、
日本は武装解除して国を明け渡すべきだ」と主張。
実際に政府内の徹底抗戦派を粛清し、日本を滅ぼしてしまう。
…勝が行ったことは、これと同じことでしょ。
577 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/22(金) 13:48:11 ID:lDJMp2Qu0
ちがう
日本滅んでないし
>>575 慶喜が大坂を放棄した時点で決着は付いていたな。
>>576 一連の内戦は、基本的に薩長を中心とする官軍と旧幕府側との戦争。
それぞれのバックにいた英仏は既出通り、支援に留まって、表立って
は行動しなかった。
580 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/22(金) 19:42:27 ID:G3K+Pts+0
鳥羽伏見の戦い以前の欧米諸国の日本への姿勢は、
フランスが一方的に徳川慶喜に肩入れしていただけで、
他の国家はイギリスも含めて、特に肩入れしていた対象は無かったように思う。
徳川慶喜がフランスだったので、お話を作るために薩長とイギリスとをセットで語っているだけで、
実際はイギリスは、当時日本政府と見なされていた幕府と中心に交渉を行っている。
581 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/22(金) 20:18:08 ID:vMo39IF00
>>580 幕府が大政奉還した段階で、少なくともイギリスは幕府を公式な日本政府とはみなさず、
朝廷政府と大君政府の内戦に入ったと見なしている。
だから「条約履行など誰と話せば良いか」という質問を旧幕府にぶつけ、
旧幕府は「朝廷政府に諸外国の外交交渉部門がまだないから、引き続き徳川家が交渉窓口となる」と返答した。
これを「実際はイギリスは、当時日本政府と見なされていた幕府と中心に交渉を行っている。」と言うのは変。
実際、この交渉の後にイギリス主導で「局外中立宣言」がなされた。
>>573 ぶっちゃけ当時の欧米の艦隊で、日本をどうこうするのは不可能、
馬関戦争ですら、17隻というアヘン戦争と同規模の艦隊で攻めてきたのに、
徴集軍に大損害を受けている。
実際死傷者は連合軍のほうがうえ、
英国の旗艦にも何発も命中し、艦長以下士官が数人死傷している。
ましてやフランス艦隊ごときに、官軍をどうこうすることは不可能。
583 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/22(金) 21:59:30 ID:G3K+Pts+0
>>581 それはフランスを除く欧米諸国も同じ。
徳川慶喜に接近しすぎていたフランスを除けば、
欧米諸国の対応は一線を越えていない。
フランスに直結していた徳川慶喜との対比上、
お話の上だけで語られている「イギリス薩長説」は、歴史上は実在しない。
584 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/22(金) 22:29:47 ID:d/7A4c3q0
>>574 制海権を幕府に奪われた状態で内陸部に戦線を延ばすのはかなり危険。
先手を打った緒戦はいいものの、もし幕府が総反撃に打って出たら、
補給が断たれたなか、数で勝る幕軍に包囲殲滅されるのがオチ。
かといって海沿いに進めば幕府艦隊の格好の標的となる。
つまり幕府が本気で反撃し、戦闘が長期化するような展開は、討幕派にとっては死のシナリオ。
錦旗を捏造しての一か八かの大博打が成功するには、勝のような裏切者の存在が不可欠だった。
585 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/22(金) 22:31:44 ID:d/7A4c3q0
ちなみに慶喜を恭順になびかせたのは泥舟。
彼らはあくまでも自慰的な尊王思想に純粋にこだわっていた。
一方の勝と小栗は尊王思想とは一線を画している。
小栗は近代的な合理主義の立場から、大局的な情勢を把握し、
軍事的セオリーどおりに敵を討つべきと主張。
勝は、私的功名心から、薩長と内通していた立場を悪用し、敗北路線を主張。
そして慶喜のカルトなこだわりと勝の卑劣がたまたま同調する結果となった。
勝は口先では慶喜の安全や徳川の存続のため恭順したなどと言ってるけど、
実際は慶喜を邪魔者扱いし、イギリスへの追放を画策したりしている。
586 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/22(金) 22:34:56 ID:G3K+Pts+0
>>584 錦旗は正規に朝廷から薩長軍に下賜されている。
捏造と主張している人間は、星亮一などの無責任な小説家だけだ。
587 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/22(金) 22:49:08 ID:RpOXDnOJ0
>>586 錦旗は岩倉が西陣にでっち上げさせた代物。
そもそもは捏造だろ。
バカな慶喜がその前にひれ伏した時、はじめて「本物」となった。
仮に慶喜が軍事力で倒幕派をねじ伏せていたら「捏造」で終わってた。
588 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/22(金) 23:02:17 ID:G3K+Pts+0
君には理解が必要です。
1.誰が作ろうとも、朝廷が自らの意思で下賜すれば、その錦旗は正当なもの
2.徳川慶喜は、旧幕府軍が撤退してきた後で大阪から逃亡したのであって、
錦旗は徳川慶喜逃亡の前から、正当なものとして朝廷が薩長軍に下賜していた
589 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/22(金) 23:12:19 ID:G3K+Pts+0
徳川慶喜が逃亡する前に、
旧幕府軍は鳥羽伏見でも、淀でも、山崎でも敗北を重ねていました。
時を同じくして勅使が周辺諸藩に遣わされ、賊軍と化した旧幕府軍の討伐と、
薩長を中心とした官軍への参加を命令していました。
これに応じたのが尾張・越前・彦根等の諸藩でした。
徳川慶喜が逃亡する前に、旧幕府軍は鳥羽伏見での敗北によって、
薩長との連携を深める朝廷と、完全に敵対してしまっていました。
590 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/22(金) 23:17:20 ID:RpOXDnOJ0
>>588 「君側の奸の恫喝の下でなされた下賜は無効」
慶喜は薩長軍を討伐した後にこう宣言すればいいだけ。
そのとき朝廷は当然慶喜を支持する。
要は「正当」云々は結果論にすぎない。
しかし慶喜は戦いを放棄し捏造された錦旗の前に屈した。
本末転倒もいいとこ。
神君家康公が見ていたら激怒したことだろう。
591 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/22(金) 23:30:10 ID:d/7A4c3q0
慶喜の間違いは京都を明け渡したこと。
そんなに朝廷が大事なら江戸から大軍を入洛させ京都を固めておくべきだった。
さらに言えば孝明天皇をみすみす毒殺させたことも慶喜の手抜かり。
なぜ彦根動座を速やかに行わなかったのか?
慶喜の優柔不断で受動的な性格が災いしてるね。
592 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/22(金) 23:38:02 ID:G3K+Pts+0
>>590 >しかし慶喜は戦いを放棄し捏造された錦旗の前に屈した。
捏造ではありません。嘘をついても自説の補強にはなりませんよ。
>>584 いや、長州軍4000に、12万の大軍で襲い掛かって大敗した幕府が、
数の力で勝てるといわれましても。
また戦闘か長期化した場合、幕府は確実にアウトです。
江戸という都市は自給できません。
上方からの膨大な物資の輸送があって初めて成り立つ大都市なのです。
江戸の物価は数倍にも跳ね上がり、さらに投機や買占めまでおこって、
またさらにその何倍にもなるでしょう。
そして打ちこわしと餓死者が累々という死の都になります。
官軍としては確かに江戸がそうなるのは困りますから、
さっさと落としたいわけですが、
幕府の場合は、それ以上に困ります。
はっきり言って、あそこまでいったら、誰がどんな決断をしようが勝敗は覆りません。
594 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/23(土) 00:08:24 ID:k1CeGJXG0
慶喜の行為は水戸の御老公が見ていたら歓喜したことだろう。
595 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/23(土) 09:23:41 ID:opvDLXrN0
勝がどうのこうのいう前に
慶喜さんが「足利尊氏にだけはなりたくない」って凹んでたんだから
どうしようもないだろう
596 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/23(土) 09:53:41 ID:qN5DM7Np0
水戸から将軍を出したのが間違いだったのさ
597 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/23(土) 11:57:51 ID:vZXDA8jy0
ってか、慶喜が大阪に下がったのは何故か?その時に慶喜と相談し、幕府を庇って朝廷工作を行った福井土佐尾張で、情勢がどうなってたか知ってる?
旧幕府軍は戦う必要なんて無いんだよ。ただ大阪で傍観しているだけで、慶喜は明治政府で議長、徳川の領地も保全されてたんだから。
そこまで薩長を追いつめたのは慶喜の策があってこそだった。
その策を潰したのは、会津と桑名と江戸の小栗ら主戦派w
598 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/24(日) 02:57:54 ID:7jJbNlP+0
てか そもそも勝は 徳川家にずーと忠誠を持っていたんだろうかね?
疑問だな。はなっから潰れてもいいと思ってたとおもうけど。
599 :
亡国:2008/02/24(日) 04:01:27 ID:ntNxFCeG0
マルハン王国の闇
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/game/1733/1086581896/3-8 韓会長は月に一度は韓国へ里帰りしていた。 しかし理由はそれだけではなかった。
伊藤忠商事本社イケダ部長と駐韓ソウル支店長と共に 新韓銀行本店、新韓生命保険本社へ通った。 なぜ韓国マネーとつながりがあるか?
多店舗で展開する場合は方法に問題がある。 各店舗ごとに用意すればいいかもしれないが、それだけ 秘密の漏洩になる。
そこで考え出されたのは、ネットワークによる集中管理である。ネットワークであればその制御装置本体の
設置場所をホール内である必要もなくなる。
「マルハンの店頭公開利益を見込み、第三国経由で 資金調達をする。」 その役目を買って出たのが先のメンバーである。
新韓銀行と新韓生命保険が伊藤忠との三角取引で マルハンへ迂回するというもの。中国も関わっているらしいが
詳細は不明なままである。 金額は具体的に知らされていた。1回目が800億円、 2回目が5〜600億円というものであった。
◎ハンの今後の目標は売り上げ5兆円、500店舗、上場すること。
新スレ→○○○マルハンパチンコタワー渋谷パート10○○○
★★★★★このスレの解説★★★★★を読んでみるとよく判る。
http://money6.2ch.net/test/read.cgi/pachij/120←くっけて→1304777/559
600 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/24(日) 08:13:37 ID:iT6+LT1c0
>>598 廃藩置県が行われ、藩が消滅し、武士という階級が無くなって数十年後、
徳川家と幕臣の関係はもはや主君と家臣ではなくなっていた。
だが勝海舟だけは徳川家を忘れはしなかった。
勝は、有栖川宮などを説得し、かつて朝敵とされた徳川慶喜の明治天皇謁見を実現したのだ。
これにより、徳川家は朝敵ではないと証明したのである。
慶喜は勝に感謝し、自らの息子を勝家の養子にして家を継がせたという。
禄も貰っていないのに徳川の為に働く。これが真の忠義でしょ。
勝はアメリカにも行ってるし、こんな国内で争ってても意味ねえよ。
って広い見識を持ってたんだろ。
602 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/24(日) 16:42:16 ID:RGTKC9Jl0
勝さんの一番の仕事ってなんだったのかな。
アメリカでアイスクリーム食った事じゃねえか。
604 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/24(日) 19:48:54 ID:Tyf3MS+p0
>>601 アメリカといっても、勝はサンフランシスコに一時待機した後、その後すぐ日本に帰航してる。
「広い見識」を得る機会はほとんどなかったはず。
航海中はずっと船室に引きこもってた能無しであることはよく知られてるとおり。
首都ワシントンやフィラデルフィアに渡り、大統領と謁見し、経済交渉を行ったのは、
小栗を中心とするポータハン号の一行。
彼らは、その知性、礼節、外交能力の高さで、アメリカのマスコミに絶賛されている。
605 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/24(日) 22:15:46 ID:yyX4pEFi0
>>604 勝は蘭学者で、もともと外国に対する予備知識を持っていた。
アメリカの地を踏み、話しを聞くだけで理解できる。
ちなみに見識を広げるのに、船の中の話しはまったく無関係w。
小栗は単なる官僚。官僚としてにわか仕込みで知識を詰め込み、官僚として交渉しただけ。
たまたま、それが中国人よりマシな事を言っていたので有色人種の東洋人にしては珍しいとマスコミが取り上げただけで、
根底には「東洋の野蛮人が小利口な事をしている」ぐらいの嘲りが入っている。
606 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/24(日) 22:19:55 ID:yyX4pEFi0
小栗に関しては、松平春嶽がその著書「逸事史補」の中で、
幕府に金がないので、貨幣をいっぱい造ろうと勘定奉行の小栗が言ってきたので、
金が無いのに貨幣を増産したら、貨幣の信用度が無く経済混乱起こすだけだと蹴っ飛ばし、
所詮小栗といってもこの程度と馬鹿にしているw。
>>603 船室でゲロするのが最も重要な仕事だったそうだ。
608 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/27(水) 16:18:13 ID:xH78uXtu0
勝は何歳まで生きたの?
609 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/27(水) 19:28:31 ID:UKawdlH80
610 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/20(木) 03:25:08 ID:u9FQGVL50
勝ってもしかして
自己保身が堪能なだけなんじゃ、という気がしてきた
611 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/20(木) 18:16:22 ID:jQTrB1pHO
誰が書いた本がおもしろいですか?
612 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/20(木) 19:05:33 ID:hPNpQ/e90
敵と戦わず自ら国家の大権を放り出しひたすら命乞いをしたこと。
…端的に言ってしまえば勝の「功績」とはこれにつきる。
戦うべきでない理由として勝が説いた主張の要旨は以下のとおりで、
すべて屁理屈にすぎない。
1.社会の安寧は害すべきではない
…そもそも社会を混乱におとしいれ戦端を開いたのは薩長。
その敵が攻めてきているときに社会の平穏のために戦うなというのはナンセンス。
2.戦ったら慶喜の身の上が危ない
…将軍はいざというときは先頭に立って戦うのが職務。
将軍の保身のために幕府を解体せよなどという主張は本末転倒。
3.仲間同士で戦うのは外交上の不利益だ
…実際には外国干渉の動きはなかった。むしろ、少数の藩が
英国の援助のもと中央政府に反乱を起こすという事態そのものが、
一種の外交上の危機なのであり、これに対する正しい態度は、
中央政府として断固たる態度を示し、反乱派を殲滅すること。
福沢が言うとおり、勝が行ったことは、武士道の放棄であり古今の珍事。
さらに維新後の勝は、すぐさま切腹でもすべきなのに、
幕府を売った持参金で爵位を得、維新功臣と称して傲然としていた。
要するに勝は武士の風上にもおけない恥知らずな謀臣。
613 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/23(日) 03:14:05 ID:hxjP9doY0
>>612 旗本の殿様たち引き連れて、千代田のお城を枕に討ち死にしてりゃあ良かったのかい?
笑わせんじゃねえよ。奴さんたち役にたちゃあしねえどころか、足手まといもいいところだぜ。
威勢のいいこと言って函館くんだり出張った連中も、こっそり江戸に逃げ帰って来るわ、
脱走軍から更に脱走するわ、だらしねえことといったら目も当てられねえ。
仕舞いにや、端っから覚悟決めてた中島さんと手下の老人子供を残して、陣屋から
姿くらませやがる。残された中島さんは哀れ、親子三人西軍にそっ首討ち取られちまった。
御家人上がりのお人に比べて、天下のお旗本のだらしのねえことといったねえな。
要はとっくに幕府の命運尽き果てて、後はどうつぶすかって話だったんだろうよ。
幕府つぶして、徳川家を残した勝さんはたいした忠臣だと思うがねえ。
614 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/23(日) 09:56:50 ID:oPdfqomP0
この件に関しては小栗が正しい。
最強の幕府艦隊を二つに分け、駿河湾から東海道の薩長勢を叩くとともに、
別働隊が江戸湾に入って艦砲射撃を浴びせる。
後に大村も小栗の主張が通っていたら我々の首は無かったと述懐してる。
勝は敵のスパイとして振る舞い勝機を潰したわけで、要するに売国奴だね。
615 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/23(日) 11:55:08 ID:agwxLLmg0
>>612の言っている事の方が屁理屈だw
>…そもそも社会を混乱におとしいれ戦端を開いたのは薩長
そもそも第一、第二次と長州征伐という戦争をやったのは幕府。
第二次など諸藩は大義名分もないと非難がごうごうw。
勝はこの時から一貫して戦争回避運動をしている。
>…将軍はいざというときは先頭に立って戦うのが職務
将軍は天皇の先兵として戦う義務がある。
征夷大将軍という役は、天皇が徳川家に下した役職であり、
将軍は戦闘に立って戦う義務があるというが、それはあくまでも天皇の敵に対してのみの事。
天皇に逆らうは逆賊裏切りであり、勝の非戦論は正当である。
そもそも、孝明天皇が攘夷をやれと命令し、それを了承した幕府はまったく攘夷を行わなかった。
これは天皇に対する背信行為で、将軍の地位を剥奪されても文句は言えない。
>…実際には外国干渉の動きはなかった。
フランスは兵を貸すと小栗に囁いている。
これを干渉の動きと呼ばずになんという?w。
仏国軍英国軍共に横浜の駐留軍を増強し、上海から緊急派兵も可能である。
史実上介入が無かったから、大丈夫だったというのはバカバカしい結果論に過ぎない。
道を誤っていたら、外国は介入干渉を開始しただろう。
616 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/23(日) 11:59:15 ID:agwxLLmg0
>>614 その小栗作戦は実行しても意味がない。
なぜなら薩長の主力は中山道。東海道に主力はいない。
617 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/23(日) 15:53:49 ID:EePM9M3I0
>>615 >そもそも第一、第二次と長州征伐という戦争をやったのは幕府。
第一次長州征伐は、長州が御所を武装襲撃し天皇に発砲したことが原因で、
責任はすべて朝敵の長州にあります。
第二次長州征伐は、長州がこりずに武器を密輸し再武装していることが発覚したことが原因で、
責任は長州の売国行為にあります。
>将軍は戦闘に立って戦う義務があるというが、それはあくまでも天皇の敵に対してのみの事。
孝明天皇を毒殺し、幼帝を握って私利私欲のために内乱を起こした薩長こそが「天皇の敵」では?
君側の奸を征伐するために戦うことは将軍の義務です。
>フランスは兵を貸すと小栗に囁いている。
征長の際には、フランスの軍事力で長州を一気に叩き潰すプランもありましたが、小栗は同意しておらず、
幕府も拒否してます。基本的に幕府は近代兵器による内戦のエスカレートを望んでいませんでした。
事後的に見れば、英米の手先と化し近代兵器で武装した相手に対し、生ぬるい判断であったと言えるでしょう。
>道を誤っていたら、外国は介入干渉を開始しただろう。
背後で色々と動いていたものの、列強の基本的態度は中立です。
江戸総攻撃を行い、戦渦がフランスの人や財産に及んだ場合は、その限りではありませんが、
すでに薩長は列強からの承認を得るため下僕同然の服従を誓約しており、
フランスに危害を加えるような選択肢をとることは不可能で、現実に江戸攻撃は回避されました。
ただし、一般論として、薩長の暴発が外国の介入を招きかねない危険な火遊びであったことは事実です。
618 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/23(日) 15:55:05 ID:EePM9M3I0
>>616 仮に艦砲射撃の射程外にいたとしても、制海権を幕府に奪われた状態で長期戦に突入すれば、
薩長の敗北は目に見えています。
幕府が保有する軍事力を普通に行使すれば、討幕派に勝ち目はなかったでしょう。
長州征伐において、幕府海軍がいかに戦ったか、
それを知っていれば、幕府海軍などマンセーできんだろ。
つか一時はともかく、二次はどうみても言いがかりだろ。
長州征伐が行われるかもってんで、軍備を増強していたわけで、順番が逆だ。
そして内乱を起こして日本を弱体化させるよう、
フランスにそそのかされて、そのままやっちゃったのが幕府なわけで。
あと機内を押さえられている状況で、
幕府に長期戦は無理です。
江戸という大消費地をもっており、
それは流通の中心であった大阪からの、
移出によってまかなっております。
>>614 >この件に関しては小栗が正しい。
最強の幕府艦隊を二つに分け、駿河湾から東海道の薩長勢を叩くとともに、
別働隊が江戸湾に入って艦砲射撃を浴びせる。
少しも正しくないだろう?この作戦についてバカの何とかで
よく書く奴がいるが、当時の通信技術をアンタどれくらいのもの
だったか、ご存じか?どうやって陸にいて新政府軍と戦う者が
海上にある戦艦まで、艦砲射撃をする相手の情報を伝えるんだ?
無線もない時代の話だよ、それを、どうやってやるの?
戦闘員・非戦闘員問わず、ところ構わず艦砲射撃で打ち、皆殺しにするとでもいうの?
そんなことやったらどういうことになるかは、アホでもわかるだろう?
結論をいえば、これは机上の何の現実性もないヨタ話なのだよ。
提案した小栗の頭のレベルがわかる妄想作戦なんだよな。
622 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/23(日) 18:03:01 ID:Dof/9sDm0
>>619 幕府海軍は軍隊じゃなくて造船技術者集団だったからなあ。
623 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/23(日) 18:26:14 ID:agwxLLmg0
>>617 この大馬鹿者w
俺が言っているのは、勝の非戦論の是非の事だよ。
>>612の
>…そもそも社会を混乱におとしいれ戦端を開いたのは薩長。
>その敵が攻めてきているときに社会の平穏のために戦うなというのはナンセンス
という勝の非戦論を非とする書き込みに対して
「先に戦争し掛けたのは幕府だろ。勝はこの頃からずっと非戦論だった」と言っているの。
ぜんっぜん争点が違うからw
ちなみに君の意見である
>長州は朝敵だから攻めても良い
というなら鳥羽伏見の戦いで、武力をちらつかせて朝廷を恫喝し、
朝敵になった幕府もまた攻められて当然だという話しになるだけだw。
>孝明天皇を毒殺し、幼帝を握って私利私欲のために内乱を起こした薩長
またその話しか?wほんっとに馬鹿の一つ覚えみたいに同じネタを何時までも・・・・
月並みだが、マンネリな反論を書くぞw
薩長が孝明帝を殺したという明確なソースを出せw根拠を示せw。
アーネスト・サトウが噂で聞いただけの事を書いた記録とか、
宮廷の女官のうわさ話なんぞ聞きたくないぞ。
噂は所詮根拠のない噂だw。
世が乱れた頃に天皇が死ぬと、必ず毒殺の噂が流れる。鎌倉時代の昔から必ずだw。
そんな噂一々とりあってられないからなw。
>列強の基本的態度は中立
基本的になw公式ではなw
じゃあ、非公式な場では?www
馬鹿かお前はw。
>一般論として、薩長の暴発が外国の介入を招きかねない危険な火遊びであったことは事実
は?一般論?お前一人の妄想だろw
一般的には、大阪の旧幕府軍が暴発し、軍を京都へ差し向け、明治政府がこれを迎え撃って破ったんだよw。
危険な火遊びをしたのは、むしろ旧幕徳川家の方だろw。
624 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/23(日) 19:28:58 ID:MBaAsqU70
>>1 江戸無血開城がなかったら今頃日本は
アフリカか中央アジアの国みたいになってたかもな。
>>623 >大阪の旧幕府軍が暴発し、軍を京都へ差し向け、明治政府がこれを迎え撃って破ったんだよw。
上記は、もう少し正確に書かないとな。
明治政府がこれを迎え撃って、は違う。この時点(鳥羽伏見の戦)で、その気になっていたのは
事実上、薩長二藩だけだった。決して、明治政府(軍)が迎え撃ったのではない。
それから、旧幕軍の言い分は、慶喜が新政府の議定に登用されるのは間違いなかった
ことから、慶喜が上京を命じられる予定だから、その先駆けを勤めるということだった。
もちろん、薩長の守備兵が承諾するわけがなく、最前線では戦が始まったのが史実だ。
626 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/23(日) 19:39:46 ID:Ob1Op0Oa0
>>625 補足書き込みスマソ。
メンドクサイので省いていたよw。
旧幕軍出兵の大義名分は
>>625が正です。
627 :
625:2008/03/23(日) 19:49:30 ID:raA3fQyY0
>>626 >>623の書き込みについては同意することを、付け加えておく。
それと、孝明天皇の暗殺説は幕末史の研究者のあいだでは、病死でほぼ見解が
統一されつつあることを付記する。だいたい当時の医学レベルで、天然痘を暗殺で
使うことは無理だったことは間違いない。
628 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/23(日) 22:27:02 ID:xDUUj11t0
>>627 孝明天皇の死因については、研究者のあいだでも決着はついていない。
もともとタブーとされていた問題で、天然痘による「病死」とされていたが、
病死である証拠はなにもない。
ちなみに毒殺説については、孝明天皇の主治医の「天脈拝診日記」が子孫の伊良子氏によって公表されており、
医師でもある伊良子氏は、日記の分析により砒素系毒物による急性中毒症状であると診断している。
また、アーネスト・サトウは、「一外交官の見た明治維新」で次のように書いている。
「幾年か後に、私は裏面の消息に精通する日本人から、帝はたしかに毒殺されたのだと教えられた(中略)。
やがて幕府が没落すれば、やむなく朝廷が西洋諸国と直接に関係交渉しなければならなくなると予見した人々の手にかかった。」
物理的な調査ができない以上、永遠の謎だね。
ただし状況証拠からすると限りなくクロに近いから、討幕派による毒殺として扱うべきでしょ。
毒殺がもし本当だったとしても、暗殺する理由は幕府のほうが大きいけどね、
攘夷派で幕府の外交政策に終始批判的な天皇。
その扱いに困っていたのが幕府。外国と天皇との板ばさみ。
彼の攘夷思想に賛同、もしくは利用して、諸藩の反幕府派や攘夷派が動いている。
幼帝なら御しやすいと重い、暗殺してしまったとしても不思議ではない。
また、当時京都を制していたのは幕府で、
業況証拠というなら、幕府のほうが確実にクロ。
>>628 アーネスト・サトウのは間を(中略)しちゃダメでしょ。
実際は根も葉もない噂をサトウが聞いたってだけなんだから。
恣意的な史料の引用に見えて仕方が無いんだけど。
>>628 >病死である証拠はなにもない
なら、以下の文も
>ちなみに毒殺説については、孝明天皇の主治医の「天脈拝診日記」が子孫の伊良子氏によって公表されており、
医師でもある伊良子氏は、日記の分析により砒素系毒物による急性中毒症状であると診断している。
日記の分析だけで、医師が診断できるわけがないことは
了解した上での、ネタ話ということだよな?
その上で、
>ただし状況証拠からすると限りなくクロに近いから、討幕派による毒殺として扱うべきでしょ。
↑
なんだこの論理の飛躍は?オマエは、
>病死である証拠はなにもない
と書いてんだから、全て妄想を書いてるだけなんだよな?
違うか?
632 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/27(木) 21:00:21 ID:tOV39vXN0
歴史は、起こったかもしれないが結局は起こらなかったことを
無視する傾向がある。物事の結果は、他者の意思決定や行動に
リアルタイムに反応している個々人間の相互作用という点からしか
正しく理解できないという見方と、通常の因果関係からの見方と
どちらが捉え方が有益なのだろう?間違いないことは、成功とは
事後にのみ語られるものだというこだけで、それは、われわれが
一般に持っている結果主義の世界観は、成功をそれがたまたま備えていた
資質に帰そうとするもであるが、それが特別な資質だと事前に認識されて
いたわけではない。
633 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/27(木) 23:31:25 ID:cnJ610I/0
幕府を売った
これだけは厳然たる事実
634 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/28(金) 19:07:28 ID:+sO5E7080
>>633 >幕府を売った
これだけは厳然たる事実
そういう自分の思い込みは、もう止めようよ。
だって、「幕府を売った」、ということの何の史実も出さずに
書いてその後の、「これだけは厳然たる事実」、などという
一文に何の意味もないことは、書いたご当人が一番わかってるでしょう?
私には、幕府を売るなどという荒唐無稽な言説はどういう史実と思考回路から
出てくるのか全く分からない。繰り返しお尋ねしますが、幕府とは「売る」という
ことを表現できるような存在だったんですか?そもそも誰に売ったというんですか?
売った以上、買った側がいるんですよね?それから、売るとは幕府の何をですか?
私は、それはあり得ないと思います。ご不満なら、しっかりとした論点を持った
レスをして下さい。
635 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/28(金) 19:48:19 ID:BfAaTUS8O
幕府に一番酷い事したのは勝ではなく藤堂
636 :
愛子様の弟:2008/03/28(金) 20:21:34 ID:vIfDYROQ0
なんじゃいこの駄スレは。
江戸みたいな人口密集地で戦争なんぞしたら、いわゆる「南京」以上に悲惨な事になるのは見え見えなんだから、
回避を一番に考えてもらわなきゃいけないのは当然だろ。
これは例の「無防備都市宣言」そのもので、それが一番適切に行使された事例だよ。
>>1みたいな事言うのは家紋が葵でホントに殿様みたいな生活がしたかった奴ぐらいだよ。
その点勝海舟はひい爺さんの代に金上侍になった家系で、自分の身分への執着があまり強くなかったろう。
それに欧米列強の植民地獲得パターンというは、外国の内戦の一勢力に加担し、それが勝利し終わった後、
その勢力もろとも併呑というのが良くあるものだったのだから、
列強の支援を出来るだけ頼らず、内戦も最小限に抑えるのが後世の我々にとって最善のは明らか。
637 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/28(金) 20:55:20 ID:joo0nPdy0
会津の恨族を一匹残らずダルマにして日光街道に並べろw
638 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/28(金) 22:41:01 ID:BfAaTUS8O
勝は西郷と江戸城で雄比べをして敗北したんだよ
西郷が雄の艶と粋で勝を圧倒した
さすが西郷、あのイケメン雄野郎の桐野が心身ともに身をまかせた事だけはある。
まあ、クールで粋なナイスガイ小栗ならいい勝負だったかもしれないが、小栗の雄野郎っぷりを恐れた官軍が早々と処刑した。
そしてまた日本から一匹の雄野郎が消えた。
639 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/29(土) 13:40:44 ID:1O95oG1b0
でも、西郷は勝に萌え萌えしていたぞ
西郷が初めて勝と出会った時に一目惚れしたらしく、大久保に送った手紙に
「ひどく惚れ申し候」と書いて、大久保の目が点になったという・・・
640 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/30(日) 20:20:14 ID:kG3zUUSu0
「孝明天皇紀」「中山忠能日記」に見る孝明天皇の臨床経過
12月12日 高熱を発し、苦痛を訴える。(前駆期)
12月15日 手に一対の吹き出物が出来る。(発疹期−紅斑)
12月16日 吹き出物が顔にも出来る。
12月17日 典医十五名は正式に疱瘡と発表。
12月18日 吹き出物が変色して落ち着く。
12月20日 食欲、便通も順調、吹き出物の経過も良好。(発疹期−膿疱)
12月21日 吹き出物から膿が吹き出し始めてさらに楽になる。
12月23日 食欲ますます進み、吹き出物の膿も出てしまい乾燥しはじめた。(発疹期−結痂)
12月24日 この日も葛湯、お粥、ほしいいをとり、便通もあり、天皇の機嫌はますます良好。
12月25日 天皇の様態は前夜から急変、激しい嘔吐と下痢におそわれ、顔には紫の斑点が現れた。
さらには「御九穴より御脱血」、七転八倒の苦しみのうちにその夜遅く亡くなった。
641 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/30(日) 20:23:25 ID:kG3zUUSu0
天然痘は数日間の前駆期を経て発疹期にはいり2〜3週間で完治する。
発疹期は「紅斑→丘疹→膿疱→結痂→落屑」と移行。
なお「死亡する場合1週目後半〜2週目」とは6日目から11日目前後の化膿期のこと。
孝明天皇は、12月12日前後に発症(15日は公式発表日)、
その後の経過は極めて良好で、発症から10日目頃には、
「全て御順道との儀承り、恐悦に存じ上げ候」と記録されてる。
「吹き出物の膿も出てしまい乾燥しはじめた」状態から、
亡くなる前日には天然痘が完治寸前の状態だった。
また、気管支肺炎などの吐血を伴う合併症の兆候も全く見られない。
やはり最後の日に突然激烈な発作を起こしたことは不可解としか言いようがない。
642 :
福沢諭吉:2008/04/01(火) 22:52:07 ID:Lrb1J4il0
榎本武揚なる人あり…
飽くまでも徳川の政府を維持せんとして力を尽し、政府の軍艦数艘を率いて函館に脱走し、
西軍に抗して奮戦したれども、遂に窮して降参したる者なり…
武士道の為に敢て一戦を試みたることなれば、幕臣又諸藩士中の佐幕党は氏を総督として之に追従し、
すべてその命令に従て進退を共にし、北海の戦、函館の篭城、その決死苦戦の忠勇は天晴の振舞。
しかし、幕末〜明治は優秀な人間多すぎだろ。
調べれば調べるほど人材が出てくるってどう言う事だよ。
平成の時代なんて、幾ら調べても人材なんてほとんどいないよ。
645 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/03(木) 20:14:13 ID:9RFdFVr10
>しかし、幕末〜明治は優秀な人間多すぎだろ。
小栗上野介、川路聖謨、岩瀬忠震、水野忠徳、栗本鋤雲、大久保一翁、永井尚志、福沢諭吉…
優秀な人材はすべて幕府が創った。
同時期の薩長や下級公家が無能なバカだらけなのとは対照的だ。
>>643 だよなあ、新政府側は言うに及ばず、
幕府側にも(幕府が滅んでから目を出した人も多いが)
そこそこの奴が結構いるし。
647 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/03(木) 21:30:57 ID:P1jYm0Ed0
>>646 >だよなあ、新政府側は言うに及ばず、
その表現では、まるで討幕派側に人材がいたかのような誤解を与える。
訂正したまえ。
>>645 >優秀な人材はすべて幕府が創った。
へぇーそれがどうした?
川路聖謨は、逸物だったことは認めざるを得ないが…
>>643 >平成の時代なんて、幾ら調べても人材なんてほとんどいないよ
平成の何を調べたのかな?と思うが、幕末は250年から続いてきた
身分制度という社会秩序が壊れるなか、世に出ることがない
人物が歴史の表舞台に出たわけだ。
>>648 どっちかというほ、
幕府が作ったというより、ぽっと出や、
諸藩で育った人間が、江戸に出てきただけの例が多いけどな、
新政府側みたいに、人材を育て、生み出していたわけではない、
651 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/04(金) 00:13:13 ID:srZpqXVP0
>>650 日本語でおk
お前のような朝臭人に日本の人材について語る資格はない
幕府をはじめ、東北諸藩の要職には優秀な人物なぞいない。
薩長土肥だったら、足軽よりも学がない連中ばかり。滅びるべくして滅んだと言うより他にない。
653 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/05(土) 09:56:59 ID:MX7eoGnZ0
>>652 >>645があげた小栗や川路などに匹敵する人材が薩長にいるか?
妄想もいいかげんにしろ。
654 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/05(土) 10:50:40 ID:p0EtamEz0
いる。
佐幕派は中村彰彦あたりの妄想に惑わされて、
明治以降の日本を朝鮮半島の両班のように敵視しているだけだ。
655 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/05(土) 11:52:41 ID:/2nIScdBO
656 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/05(土) 14:54:30 ID:JjY61NRz0
>>655 すべて無教養なバカ。
近代日本の将来を展望していた人物ではない。
657 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/05(土) 15:07:30 ID:AFV17i+v0
林先生、大田黒、加屋、横井、河上
>>657 >近代日本の将来を展望していた人物ではない。
え?小栗や川路などが、近代日本の将来を展望していたんですか?
そんなことまで展望していた奴なんて、旧幕府側にも新政府側にも
いなかったでしょう?どう国家を建設し発展させるかは、手探りの中
新政府が遂行していったのが、実際のところじゃないのか?
それとも、新政府が採用した展望とやらが旧幕府側にあったのか?
あったならどのようなものだ?そんなものはないからレス出来ないだろうが
その展望が書かれている史料を明示して見ろ。
>>653 その程度の者でよければまともな武士じゃなくて中間クラスでも掃いて捨てるほどいる。
薩長の中間・若党>>幕府で優秀な人材、だ。
小栗とかって、幕府の存続の為に、フランスに返せる当てもない借金して、
薩長とか反抗的な外様を潰して権威を高めようとしていた奴で、
幕府の展望はあっても、日本の展望などないだろう。
>>653 木戸、大久保、大村、山田、井上、山縣、伊藤、松方、江藤、板垣、大隈
みな幕臣の10倍の才は持つ。
661 :
658:2008/04/05(土) 19:22:53 ID:45Ru7tk80
>>659 >薩長の中間・若党>>幕府で優秀な人材、だ
だんなこりゃあ?詳しく説明を希望する
662 :
658:2008/04/05(土) 19:25:29 ID:45Ru7tk80
>>660 >木戸、大久保、大村、山田、井上、山縣、伊藤、松方、江藤、板垣、大隈
みな幕臣の10倍の才は持つ。
10倍とは何をもってその才をカウントした?
>>662 彼らの発言、つまり展望と、残した結果。
幕府にはなんもなかったが、新政府側のはみな優れていた。
幕臣は、もう倒れ掛かった幕府を支えることすら出来なかった。
そして軍閥の集合政権に過ぎない幕府を倒して、
強力な中央集権国家を作り上げることが新政府の目的だよ。
武士などの無用の人間をきり、
国民全てで国を支える国家を作り上げる。
つまり国民国家の創出。
664 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/05(土) 19:39:25 ID:4w3Y1TnR0
「小栗上野介は謀殺される運命にあった。なぜなら明治政府の近代化政策は、
そっくり小栗のそれを模倣したものだから。」大隈重信
665 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/05(土) 19:48:59 ID:4w3Y1TnR0
>>660 日本を開国に導き、近代化や殖産興業に着手した幕臣の功績は大きい。
一方の薩長は藩の枠にとらわれ攘夷に狂っい愚行を繰り返してた。
木戸、大久保等々は単に幕府の近代化事業を乗っ取ったテロリストにすぎない。
>小栗とかって、幕府の存続の為に、フランスに返せる当てもない借金して、
小栗が行ったのは横須賀製鉄所の将来の収益を担保とするプロジェクトファイナンス。
これは幕府の存続のためではなく、来るべき中央主権国家の基礎と築くためのもの。
借金を引き継いだ明治政府が返済できたのも、幕府が高度な生産基盤を残したからに他ならない。
>日本を開国に導き、近代化や殖産興業に着手した幕臣の功績は大きい。
そんな事実はありません、歴史を作らないでください。
幕府は貿易の利権を独占して、
無駄で、仕事をしない武士の給料や大奥の経費を払っていただけです。
>木戸、大久保等々は単に幕府の近代化事業を乗っ取ったテロリストにすぎない。
すでに幕府がやっていたことなど、西南雄藩が通過したあとです。
>これは幕府の存続のためではなく、来るべき中央主権国家の基礎と築くためのもの。
幕府の存続のためだけです、そもそも中央集権国家のなんたるかも小栗にはわかってません。
そんな史料もありませんし。
>借金を引き継いだ明治政府が返済できたのも、幕府が高度な生産基盤を残したからに他ならない。
そりゃ追加借款を阻止したからです。
さらに生産基盤など残してません、だって、幕府のときにはまだ完成してませんからw
そして借金を返せたのは、文字通り美術品からなにから、
全て売ったからですよ。城を潰して、その木材まで売っている。
幕府にそこまで出来ましたかね?
幕府の残した莫大な借金のせいで、貴重な美術品まで流出してしまったし。
667 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/05(土) 19:59:36 ID:4w3Y1TnR0
>>663 >強力な中央集権国家を作り上げることが新政府の目的だよ。
>武士などの無用の人間をきり、
>国民全てで国を支える国家を作り上げる。
というよりも単に天皇の権威を借りて権力を握ることのみが目的だよ。
王政復古を大義名分に律令時代に逆戻りしようとしただけで、
天皇にすべての権力を集中させたから、結果的に「中央集権」になっただけ。
また、薩長は当初は武士の廃止なんて毛頭考えておらず、
皇族・華族・士族という特権階級をつくり、封建的な既得権を温存しようとしてる。
結果的に士族を切らざるを得なかったのは財政が破綻したため。
薩長の行動はすべて行き当たりばったりで目的意識性がない。
バカだらけの新政府に目的意識を与えたのは幕臣たちだ。
668 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/05(土) 20:16:09 ID:4w3Y1TnR0
>>666 >そんな事実はありません、歴史を作らないでください。
日本を開国させ近代化事業に着手したのは幕府。
それに反対してたのが薩長。これは明白な事実だよ。
>幕府は貿易の利権を独占して、
「幕府による貿易独占反対」という考えは、イギリスが薩長に吹き込んだ考え。
事実上の中央政府である幕府が全国の貿易を統制するのは当たり前。
薩長などの密貿易を取り締まったこと自体に誤りはない。
問題は取り締まりが手ぬるかったことだけだ。
>すでに幕府がやっていたことなど、西南雄藩が通過したあとです。
愚かな攘夷戦争にボロ負けして、イギリスの下僕と化した。
これが薩長が通過した軌跡。
常に日本全体の将来を見据えて行動してた幕府の理性的な対応と好対照だね。
>さらに生産基盤など残してません
薩長とイギリスは幕府による横須賀造船所建設に大反対していた。
日本人に軍艦が造れるわけがない、
軍艦が欲しければイギリスから買えばいい。これが薩長の発想だった。
しかし、結果的には幕府は横須賀造船所を残し、
これによって日露戦争の辛勝がもたらされる。
日本人なら幕府の先見の明に感謝すべき。
>そして借金を返せたのは、文字通り美術品からなにから、
>全て売ったからですよ。城を潰して、その木材まで売っている。
端的に言えば薩長に金融リテラシーがないからだ。
イギリスに泣きついて借金の付け替えをしたはいいけど、
法外な金利を吹っかけられ返済に苦しんだ。
ちなみに城を壊したのは廃仏毀釈の延長。
何百年も抑圧されてきた薩長の下級武士や百姓の怨念の発散のためだ。
>というよりも単に天皇の権威を借りて権力を握ることのみが目的だよ。
違う中央集権国家、廃藩置県が最初から目的。
そのために幕府を潰し、朝廷を利用したわけ、
幕府はただの障害。
>また、薩長は当初は武士の廃止なんて毛頭考えておらず、
国防の為に武士が役に立たないことを悟ったから、
庶民からの奇兵隊、のちに徴兵制へとつながるわけです。
士族の処分は最初から規定路線。
士族という言葉に騙されたアホが大量にしただけ。
華族にしても、明治の中ごろにはほとんど没落しており、
相続税を払えずに、資産があっという間になくなってしまいました。
特権階級といわれるのは、皇族だけですね。
だから目的の為に、着実に進んでいたわけです。
そしてもし行き当たりばったりで目的がなかったとしたら、
当時の状況に即して、素早い判断で状況を処理したということです。
優れた統治能力といわざるをえません、やはり幕府の愚物どもとは天地も違う。
670 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/05(土) 20:22:15 ID:4w3Y1TnR0
>>669 >幕府はただの障害。
幕藩体制の維持が不可能であることを理解してたのは幕府の知識人。
それゆえ郡県制や大統領制などの新国家構想が練られていた。
近代化の障害は薩長などの尊攘派。
>庶民からの奇兵隊、のちに徴兵制へとつながるわけです。
その奇兵隊は無用になると長州の士族によって抹殺されてる。
明治維新はあくまでも武士階級内での権力闘争にすぎない。
>日本を開国させ近代化事業に着手したのは幕府。それに反対してたのが薩長。これは明白な事実だよ。
だからそんな事実はありませんってば、
開国っていっても、諸藩はさせずに、近代化もさせなかった。
さらに幕府は組織は一切近代化されておらず、武器も貧弱、何一つ近代化できていない。
>事実上の中央政府である幕府が全国の貿易を統制するのは当たり前。
なぜ?全ての諸藩が海外と貿易したほうが、開国も近代化も進むというものです。
>愚かな攘夷戦争にボロ負けして、イギリスの下僕と化した。
下僕になっていたのは幕府でしょう?
薩長は全く妥協しなかったのだから、折れたのは幕府。
>薩長とイギリスは幕府による横須賀造船所建設に大反対していた。
それは勝の発言だっと思いますが、
そしてあの造船所ではろくに作られてませんよ。
日本が自前で戦艦作れるようになったのは、第一次大戦以後の話、
何度も何度も施設を作り変えて、やっとできるようになったのです。
つまり当時の横須賀造船所では、欧米と戦える船は作れませんでした。
実際第二次大戦で活躍した艦は、イギリスから買った金剛とかですし。
大和は呉、武蔵は長崎、信濃は横須賀ですけど、
これのために、ドックの大幅な改装してます。
というか、当時のドックなどほとんど使われてませんよ、
造船能力もそのままではありませんし、金の無駄使いというのも、
あながち間違いじゃない。
>端的に言えば薩長に金融リテラシーがないからだ。
返せる当てもない、追加借款をしようとしたのは幕府なんですがね。
この付け替えも、幕府が作った借金の返済のためですし、
幕府の借款も、返せないから、また借りようとしただけ。
それももっと大規模に、システム金融に嵌ってますよ、。
新政府のつめの垢でもせんじてほしいものです。
金利もまずまずですし、前倒しで返却しております。
>ちなみに城を壊したのは廃仏毀釈の延長。
はあ?
>幕藩体制の維持が不可能であることを理解してたのは幕府の知識人。
維持が不可能なのに、無理やり維持しようと、借金増やしていたのが幕府の自称知識人。
郡県制なども、郡県制でわかるように、古代中国の言葉そのままです。
フルすぎますな、
>その奇兵隊は無用になると長州の士族によって抹殺されてる。
いつ抹殺されたんでしょ。
前原の乱だったら、血気したのは士族ですが、
山縣にしても、徴兵した兵士で、士族の部隊を撃破することが目的と、
士族の反乱をそう達観してましたし、目線がもう違うんですね。
>>669 最初から中央集権国家・廃藩置県を目的としていたというのは、何の史料に載っているんだい?
武士が役に立たないと言うが、倒幕の中心勢力は下級士族だろう。
新政府の目的は、武士だけが戦争を担うのではなく、国民皆兵で兵力を補って欧米列強と張り合う事だ。
だから身分を撤廃したわけだな。
奇兵隊などは戦争で活躍したという華々しい面ばかりが取り上げられるが、その後粛清されているだろう。
>最初から中央集権国家・廃藩置県を目的としていたというのは、何の史料に載っているんだい?
「廃藩置県の研究」
>奇兵隊などは戦争で活躍したという華々しい面ばかりが取り上げられるが、その後粛清されているだろう。
抹殺とか粛清とかわけわからんことを、
ひょっとして、大楽以下の脱走兵のことか?
んなの奇兵隊の一部にすぎんぞ。そして大楽は士族だ。
奇兵隊ってのは、士族も農民もいる。
そして西南戦争では徴兵された農民が、士族の軍を撃破し、
士族など無意味であることを証明したってことだよ。
675 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/05(土) 20:57:14 ID:hld8ahTY0
>>665 >小栗が行ったのは横須賀製鉄所の将来の収益を担保とするプロジェクトファイナンス。
これは幕府の存続のためではなく、来るべき中央主権国家の基礎と築くためのもの。
小栗が、複式簿記の知識はおろか将来の収益を担保とするプロジェクトファイナンスとやらを
どこでどう考えたか、そのことを証明する史料名を出せ。そして、幕臣である彼が幕府の
存続でないことを認めることはあり得ないが、来るべき中央主権国家の基礎、とやらを
どうして築くことをやろうとしたかの理由を述べよ。小説に書いてありましたなんて、
フィクションを真に受けたなんていう池沼ならレスはいらない。
>借金を引き継いだ明治政府が返済できたのも、幕府が高度な生産基盤を残したからに
他ならない
上記の文意は、偉大な徳川幕府の遺産があったから次の時代の発展の基盤を
提供できた、とかの事なのか?残念なことなのは、徳川幕府はそんな風に
偉かったかもしれないが、その政治体制は倒された。倒された以上その後
政権をとった明治政府が残されたものを使うのは、当然のこと。
>>674 その「廃藩置県の研究」は史料か?
著者が廃藩置県について考察したという書物だろうに。
大体、著者の松尾正人氏自身が、廃藩置県の構想は実行される直前までは無かったと言っているぞ?
論拠となる本の著者自身が、君の論を否定している。
士族が無意味?士族の薩軍抜刀隊に鎮台兵が震え上がったから、官軍も士族の警視抜刀隊を組織したんだろ。
新政府の士族は国民皆兵を達成するために身分を撤廃しただけだ。
鎮台兵を率いた将軍のほとんどが士族の人間だしな。
>大体、著者の松尾正人氏自身が、廃藩置県の構想は実行される直前までは無かったと言っているぞ?
どこでそんなこと言ってんだ?
本には維新前から、木戸、大久保が廃藩置県の構想があったことが述べられているし、
初年度から、伊藤が廃藩置県を建白したことが記されている。
>士族が無意味?士族の薩軍抜刀隊に鎮台兵が震え上がったから、官軍も士族の警視抜刀隊を組織したんだろ。
山縣は徴兵で勝てるといい、実際徴兵された兵士が駆逐した、
抜刀隊などさして意味あるものでもなかった。
圧倒的火力の前には無意味だよ、。
史料うんぬんがみたいなら、その本に書いてあったkらみればいいだろってこと、
木戸や大久保、伊藤の残した史料が示唆されているよ。
つか松尾氏がんなこというわけねーとおもっていたら、
徳川マンセーの犬HKの番組じゃねーか。
そりゃおかしな編集されたんだろ。
それもよくみたら、やりたいけど、藩主が反対しているから、難しいって内容だし。
勝海舟の見識や物事の見方はどうやって養われたんだろうか。
>>679 突然変異。なぜなら、一般的な幕臣の教養・思想レベルは薩長の中間風情にも劣るから。
681 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/07(月) 21:49:06 ID:Sdfstix40
小栗上野介:
名門旗本の血筋。
育ちがいいため人柄は無私で高潔。
頭脳明晰で幕末期最高の知性のひとり。
志の実現のためなら軋轢を恐れない。
明治政府の開化政策のほとんどは小栗構想の二番煎じ。
勝海舟:
高利貸しの祖父が御家人株を買って武士となった家系、
武士とは言っても最下級の身分。
卑しい出自のため強烈な成り上がり願望をもつ。
知能は低いが持ち前の図々しさで詭弁を弄することが得意。
幕府を売って新政府高官の地位をゲットしようと試みるが、
恩を売った薩長に足蹴にされ、愚痴と法螺で余生を費やす。
682 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/07(月) 23:48:45 ID:wqFhFiVpO
小栗は同時代人で最高の秀才だなあ。殺されたのは惜しい才能だった。
しかし、新政府としては小栗が怖かったんだろう。
後から歴史を眺めたら好きなことが言える。明治維新だって当然成立たかのように思ってしまう。
だが真実は新政府は綱渡りを渡る際どさで成立したと思う。
新政府としては心底小栗が怖かったんだろう。
683 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/08(火) 00:17:52 ID:hvNoE+2rO
勝は幕府を早くから見限っている。明らかに新政体を期待している。が、徳川家は守ろうと必死だ。
江戸城開城は兵力で劣るであろう新政府を江戸で人質にとる戦略だ。西郷なんか勝に良いようにやられてる。小栗の限界が幕府なのに対して勝は新政体の中で徳川の地位を守ろうとしている。
しかし勝のある種の高度な政治戦略も、大村がぶち壊してしまう。大村は明らかに旧体制を破壊しようとしていて、そのためのここが急所だということを見抜いている感じだ。
時代というべきなのか小栗も勝も結局徳川家の枠からは、はみ出せない。
684 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/08(火) 05:00:45 ID:VzbbYGDy0
>>683 >明らかに新政体を期待している。
勝は新政体構想を全く理解してない。
幕藩体制を廃止させようとしてたのは小栗たち改革派で、
勝はそれを薩摩に告げ口し危機感を煽った。
>勝は新政体の中で徳川の地位を守ろうとしている
自分が成り上がることが目的で、本音では慶喜を邪魔者扱いしてた。
>勝のある種の高度な政治戦略
勝は薩長と内通することにより幕府内での立場を維持してた。
その薩長が幕軍に殲滅されたら勝の立場もなくなる。
それゆえ勝は無抵抗で江戸を明け渡すことを主張した。
これは勝の私的な保身に端を発する行動であり、
別に「高度な政治戦略」があったわけではない。
>>682 当時小栗を恐れていた薩長の人間がいたのか?
あんな小物に?
686 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/08(火) 08:39:37 ID:YhZFLz7t0
慶喜は小栗構想をもとに怒涛の幕政改革を進めた。
これを見た桂小五郎は、
「一橋慶喜の胆略はあなどれない。家康の再来をみるようだ」と、
恐怖心を吐露してる。
家康もみたことないのになw
688 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/08(火) 13:28:29 ID:hvNoE+2rO
無血開城をしたのは慶喜で勝ではない。正使として交渉にあたったのも慶喜の命令。慶喜は勝に先んじて山岡鉄舟を派遣しそこで基本的合意がなされている。勝ではない。
勝は西郷から旗本や御家人の管理と江戸市中の治安を任されるなど徳川に有利な条件をさらに引きだしている。
大村はそれを取り上げ勝の自宅の捜索をさせるなど、新政府は勝を敵視している。
689 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/08(火) 19:50:30 ID:AJgNkNu40
オレが知ってる小栗は、京都の情勢がよく分からず抗戦論を代表した存在だ。
歩兵頭大鳥圭介らとともに強硬な抗戦論を唱えていた。明治元年2月22日
慶喜が江戸城を出て、寛永寺で謹慎生活に入ったのをみて、小栗もこれをみて抗戦を
完全にあきらめ、28日江戸をたち自分の領地上州の群馬郡権田村に引きこもった。
総督府は、高崎・安中・吉井の三藩に小栗を捕らえるように命じ、閏4月5日強引に
逮捕。翌6日、権田村を流れる烏川のほとりで斬首された。長州征伐の急先鋒だったのが
このような結果になったのだろう。負ければこういうことになるのだとしか感想はない。
>>689 ただ、小栗が抗戦を諦めず、榎本や大鳥らと行動を共にしていたら、
と、どうしても想像してしまう‥
691 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/08(火) 21:28:11 ID:oLrHJpYv0
>>690 洋式陸軍や徴兵制の基礎をつくったのは小栗なんだけど、
国内の内戦に近代兵器を投入することには消極的だった。
貪欲で死に物狂いの薩長に対し、あまりに紳士的すぎる。
権力に対する欲の無さが小栗の欠点だね。
692 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/08(火) 21:36:22 ID:CnHtO5Vh0
>>691 命懸けのことをやってるのに、紳士的だぁ権力欲がないなんて
論外だろう?間抜けでしかない。
おいおい、薩長討伐に一番のりきだったのはフランスの狗の小栗だろ。
徴兵制の基礎って、江戸のごろつき集めた伝習隊のことか?
武士は足軽がつかう銃なんて、かっこ悪くて使わないから、
ごろつきが命令されて銃を撃つというのを徴兵制?
694 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/08(火) 23:26:08 ID:hvNoE+2rO
明治政府の徴兵制は武士階級の廃止とセットだが、小栗のは戦力を向上させるための農兵論であって、武士階級の廃止などは現在知られている資料を見る限り全くない。同じことは高杉晋作の奇兵隊にも言える。
695 :
愛子様の弟:2008/04/08(火) 23:55:26 ID:7cuyuKFP0
なんだよコリャますます糞スレになってるな。
明治時代の政策は驚天動地の大改革ばっかりで、
その結果も封建国家からあっというまに、
欧米列強と正面から戦えるレベルになって大成功だったんだから、
明治政府のVIPを評価しない方が無理がある。
大久保も西郷も非業の死を遂げたように命がけの改革だったのに何を言ってる。
ただ幕府側も徹底抗戦などせずに日本の為になった事は評価できる。
日本の生き残りの為に近代化が必要だと知っている人材が少なくなかったのだろう。
696 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/09(水) 00:49:35 ID:fDIZslz2O
小栗の廃藩論の要旨は、幕府を日本国政府とし、各藩をその下の地方行政府として、中央集権の新しい日本国家を誕生させようとするものだ。
幕府→日本国政府の元で議会を開き、各地方行政府は大名かその名代が議員として出府する。徳川慶喜は大統領。
あくまで徳川家が日本国の主という体制。
697 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/09(水) 06:25:36 ID:wno2A+uu0
>>695 もともと命がけで日本を近代化させようとしてたのは小栗をはじめとする幕臣たち。
薩長はそれによって一藩の利益が脅かされるのに危機感をもち、倒幕に走った。
薩長や下級公家たちは、王政復古というコンセプトしかもっておらず、
維新直後の薩長は神道国教化や廃仏毀釈など驚天動地のバカ政策をくりかえし、
日本を大混乱に陥れてる。
そこで破綻寸前の日本を救い、近代化に向けた道筋を示したのは、旧幕臣たちだった。
698 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/09(水) 18:17:55 ID:yOnUZQKG0
>>696 >あくまで徳川家が日本国の主という体制。
それじゃあ何にも変わらないだろう?
アホだなぁー
>>697 >日本を近代化させようとしてたのは幕臣たち。
近代化させようとしたのではなく、開国をしないと自らが征服されるのを
知っていただけで、その先の近代国家などアイデアを考えていたかもしれないが
それは自らのよって立つ基盤を否定することになるので、やる気などあるわけがなかった。
だから、倒幕された。それだけのことだよ。妄想を書くなよ、なお二人の無知な人よ
>>694 奇兵隊においては、藩士だろうと、農民だろうと、
同じ兵器をもって、同じように戦うという状況があり、
その結果同じ成果しか残せないから、武士不要論につながり、
山縣は徴兵制を施工し、武士階層を解体した。
幕府の場合は、そもそも武士が銃もって寝撃ちするなんてことはありえなかった。
制度的にも、旧来のまま。
>>697 幕府はそもそも近代化なんてしてない。
700 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/09(水) 21:13:40 ID:fDIZslz2O
>>697最初に具体的な近代化構想を打ち出したのは老中阿部正弘と外様島津斉彬のコンビで、それに老中堀田正睦、親藩松平春獄、御三家徳川慶勝などが加わって改革を推進する勢力を形成していく。
日本を近代化しようという改革派には最初から幕府高官も外様も親藩も御三家もいる。
そしてまた、反対派も同じこと。
明治維新に至る幕末の政争は、幕府vs薩長などというものではない。そういう括り方はおかしい。
701 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/09(水) 21:21:58 ID:fDIZslz2O
>>698 私は
>>696で、明治政府の政策が小栗の近代化構想のパクりだと勘違いしてる人に対して、小栗のはこのように明治政府のと違いますよという事を書いた。
なぜ私がアホなのか全く分からない。
702 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/09(水) 21:33:14 ID:fDIZslz2O
>>694で私が言ってるのは高杉の思想であって奇兵隊そのものではない。
それから、徴兵制、鎮台は大村益次郎の構想を具現化したのであって、考えたのは山縣ではない。
武士階級の解体は大久保、木戸、その他の当日の政府の指導者によるもの。江藤新平がいち早く言っているし。山縣ではない。
703 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/09(水) 21:44:27 ID:fDIZslz2O
>>698 小栗がテクノクラートとして類い稀に優れていたことは幕末史に詳しい者なら常識だが、過大評価する向きもある。
私の
>>696を読めば、小栗の限界がわかると思う。
なぜ私がアホなのか説明していただきたい。
704 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/09(水) 21:51:12 ID:lrpswKQI0
俺さ 鹿児島の人間なんだけど
郷土の歴史研究家が江戸無血開城が実現したのは
実はイギリスからの「これ以上は攻めるな」と圧力が
薩摩にあったって言ってたぜ?
だから西郷も江戸城攻めをあきらめたって聞いたけど
違うの?
>>702 高杉そのものが、差別主義者であったことは否定しない。
そして徴兵制が奇兵隊からきているわけで、
山縣に全く構想していなかったというのは無理がある。
岡氏など考えていたとする向きもある。
武士階級にしても同じく。
山縣にはなんの思想もないというのは、司馬などの悪しき戯言だよ。
>>704 今から自分が占領し、統治するところを灰にしても、
新政府にはなんのメリットもない。
降伏してくれば、無理に責めることもあるまい。
707 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/10(木) 15:53:16 ID:vFOsAGe4O
>>705 山縣が全く考えていなかったなどと言っていない。それにそんなことを言ったら山縣が考えていたという証拠もない。
具体的構想を出したのは大村であり、大村亡き後に軍事官僚として山縣が実現したというのは確認されている史実だ。
それに山縣一人で実現したわけでもない。江藤、木戸、大久保らは早くから賛成しているし、その他山縣より上位の新政府高官の方針の元で行われたことだ。
後に明治政界で法王のような存在になる山縣だが、この時点ではそれほどの地位でも権力者でもない。
708 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/10(木) 21:35:50 ID:vFOsAGe4O
>>706そのとうり。
ただ西郷は慶喜の無条件降伏を認めず、戦争して慶喜の首をとるということにこだわっていた。
山岡に説得されて慶喜の降伏は受け入れたが、それでも征討軍として江戸総攻撃がしたかった。
このときの新政府軍というのは、反対を押し切って進発した西郷指揮下の薩摩軍がほとんど。長州はじめ他藩は突出する西郷と薩摩に不信感と危惧を持っていた。
さて、ここで僕はこのスレッドに物申したい。繰り返しになるが、旧幕府側に戦闘停止を命じたのは慶喜で勝ではない。無血開城をしたのは勝ではないのだ。
勝が江戸を救ったというのは西郷を説得して戦争を止めさせた事にある。勝が戦争を止めさせたのは旧幕府側ではなく西郷と新政府軍なのだ。
だから、そもそもこのスレというのは間違った事実認識に元づいた間違った論といえる。
709 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/10(木) 22:08:10 ID:iM8lh0sq0
>>704 西郷たちは江戸を火の海にするつもりだった。
しかし、それをイギリス公使パークスに報告し許可を得ようとしたところ、
パークスが激怒して猛反対したため、江戸攻撃をあきらめた。
薩摩はイギリスの下僕だから、パークスの命令は絶対。
710 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/10(木) 22:18:26 ID:IFbgdhJN0
>>701 >なぜ私がアホなのか全く分からない。
ならば、分かるまでじっくりと考えてみよう!
711 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/10(木) 23:01:54 ID:x6mCjN8r0
カツとエノモトは、切腹すべきだったよ
勝の長崎官僚時代はまともだったし、バカではないな
反門閥の意識と自己過信が強すぎて、幕府のエリート官僚との
協同作戦ができなかったのが惜しい
確かに旗本は世襲だから、勉強不要でバカが多いし、この世襲制度がある限り幕府の存続は無理と考えたけど、
この世襲制度が徳川体制の根本だから
徳川体制では新日本をつくれないと
考えたのも早かったんだろうな
明治後に出た旧幕臣て
何代もの幕府の幕臣て
少ないでしょう?
勝も親くらいからだし、福澤、渋沢はそこ代だし
714 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/11(金) 22:14:56 ID:4ZsL8ts0O
715 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/12(土) 09:27:35 ID:IKc2/7rK0
>>714 アホ・バカの特徴、「素直」でない。
だから自分のアホさ加減がいつまで経っても分からない。
永遠のアホ>714は、◯カは死ななきゃ直らないの典型的な見本。
716 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/12(土) 09:28:44 ID:IKc2/7rK0
書き忘れ、
勝は
>>714のようなアホが大嫌いだろうなぁー
717 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/12(土) 09:56:15 ID:JH/wJsRN0
勝は2ちゃんみたいな「批評だけ」の所自体嫌いだろうw
>>704 畿内にいた大久保一蔵は江戸の統帥都市としての利用性を温存しておきたかったから
西郷には急遽江戸中止の報告を下している。
西郷自身はエゴを通したがる性格でも無いからな。
徹底抗戦を望む武闘派の部下や連合諸藩を抑えこむためにも大久保やパークスの意見は心強い支えとなったろう。
719 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/12(土) 20:18:18 ID:tJNnbf+N0
720 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/12(土) 20:33:46 ID:Yx3Sz5Qk0
咸臨丸プロジェクトを立ち上げ提督に任を果たしたのは木村摂津守喜毅。
勝は木村摂津守に泣きついて艦長の座にありついたのはいいけど、
航海中は船室に閉じこもって何もしなかった(できなかった)。
勝を信用してなかった木村摂津守がアメリカ人水兵を乗船させてたおかげで、
咸臨丸はかろうじて太平洋横断に成功する。
勝に全てを任せていたら咸臨丸は間違いなく海の藻屑になってた。
無能で無責任な勝の正体を間近で観察してたのが福沢諭吉。
彼がその後勝をどのように評価したかはご存知のとおり。
721 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/12(土) 21:42:26 ID:fOLfWpfb0
>>720 では聞くが、福沢は幕末維新でどのような業績がある?
勝は歴史を作ることをやっているが…。
722 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/13(日) 00:17:36 ID:zfwuFYuaO
>>715>>2719 なるほど、オレが書いた文章の内容に一つも反論できないわけだ。当たり前だな。お前と違ってきちんと史実を書いているからな。
で、2chの特徴のレッテル貼り、決めつけをはじめたか。自分が情けなくならない?
まあ、もーいーよ。これ以上はオマエが可哀相だ。
723 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/13(日) 00:25:06 ID:zfwuFYuaO
>>715>>716>>719 で、オレの書いてる内容に反論は?
できないわけね。
君にできるのは人の話しの改変、レッテル貼り、決めつけ。2chの特徴だな。
まあもういーよ。これ以上は君が可哀相だし、君みたいな頭の悪い人を相手にするのは時間の無駄だからね。
724 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/13(日) 00:26:22 ID:ojp46d+/0
>>721 勝は咸臨丸でゲロを吐き幕府を売っただけ。
福沢は復古バカだらけの明治政府に開明思想を注入し、
日本の近代化をリードした。
比較にならない。
725 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/13(日) 07:20:31 ID:AnfrNQV20
>>722-723 >で、オレの書いてる内容に反論は?
やっぱりアホだなぁー。最初からオマエの書いていることに
云々してるんじゃない。得意になって書いているそのことが
アホだといってんだよ。小栗がどうしたこうしたなんてどうでもいいのさ。
>>703 >小栗がテクノクラートとして類い稀に優れていたことは幕末史に詳しい者なら常識だが、過大評価する向きもある。
私の
>>696を読めば、小栗の限界がわかると思う。
ここは勝についてのスレであり、オマエが偉そうにきちんと幕末史の史実が
どうたらなんてうざいだけなの。小栗のスレへ逝け。
どこがアホだとしっこく聞いてくるから救いようがない
アホだと書いただけだよ。オマエ黙ってromしてろ、アホww〜w
726 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/13(日) 17:07:27 ID:swo3DuSa0
>>722 >なるほど、オレが書いた文章の内容に一つも反論できないわけだ。当たり前だな。お前と違ってきちんと史実を書いているからな。
そこまでいうなら、聞くよ。
↓
>>696 >小栗の廃藩論の要旨は、幕府を日本国政府とし、各藩をその下の地方行政府として、中央集権の新しい日本国家を誕生させようとするものだ。
幕府→日本国政府の元で議会を開き、各地方行政府は大名かその名代が議員として出府する。徳川慶喜は大統領。
あくまで徳川家が日本国の主という体制。
小栗が上記の「廃藩論」とやらをどの文書で残している?史料名を書け。
(「小栗日記」 群馬県史料集第七巻 群馬県文化事業振興会 1972は未読なので
群馬の友人に送ってもらうことにした。もしそれにあるならページを明示してくれ。)
それから、小栗と勝は万延二年二月のロシア軍艦が対馬に不法上陸した事件から
対立が起こったのだが、その事を書くなら、喜んできちんと史実をベースに
書いた上でのアンタの書き込みは読んでみたいが、偉そうに小栗のことなんか
どうでもいいんだよな。
727 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/14(月) 02:29:59 ID:beBLD120O
>>726 小栗は自伝の一つも書いてない。いまある小栗伝の書籍は残されたものから拾っていってんだ。そんなことは知ってるくせになぜそんな嫌がらせをするのだ?
「偉そうに小栗のこてなんかどうでもいいんだよな
」
どうでも良くはないと思うが、オレは小栗が過大に評価されている点を、その残された小栗伝からその評価は過大にすぎると書いた。内容のどこがおかしいのだ。おかしい点を指摘したらどうだ。
それじゃ、あんたが今まで具体的な話し書いたのはどれだね?教えてくれよ。
人の話しにケチつけ、レッテル貼りし、歪曲して決めつけるより、ちゃんと自分の論を発表したらどうかね。する能力があるならだがね。
728 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/14(月) 19:49:09 ID:9nFU0vMf0
>>727 >残された小栗伝からその評価は過大にすぎると書いた。内容のどこがおかしいのだ。
おかしい点を指摘したらどうだ。
あのな、オマエの小栗の評価が過大にすぎるという根拠としてる
小栗伝なる史料は何だ?そしてその史料をオマエはどう「論」とやらにした?
>ちゃんと自分の論を発表したらどうかね。する能力があるならだがね。
それを書かずに↑のようなことを書くオマエが
>人の話しにケチつけ、レッテル貼りし、歪曲して決めつけ
してんじゃねぇの?え?違うか。
オマエが、
>>696で書いた
>小栗の廃藩論の要旨は、幕府を日本国政府とし、各藩をその下の地方行政府として、中央集権の新しい日本国家を誕生させようとするものだ。
幕府→日本国政府の元で議会を開き、各地方行政府は大名かその名代が議員として出府する。徳川慶喜は大統領。
あくまで徳川家が日本国の主という体制。
は、どこがオマエの「論」とやらだ?誰かの書いたものをそのまま孫引きしてるだけじゃね?
粗末な知識で書けば、慶喜は明治維新後、自分が土佐藩建白案に乗った思惑を、
「容堂の建白出るに及び、そのうちに上院・下院の制を設くべしとあるを見て、これは
いかにも良き考えなり、上院に公卿・諸大名、下院に諸藩志を選補して、公論によりて
事を行わば、王政復古の実を挙ぐるを得べしと思い、これに勇気と自信を得て、遂に
これを断行するに至りたり」「昔夢会筆記」第十四 東洋文庫 平凡社1966
とあり、これが小栗が考えた廃藩論というの?慶喜が考えてたことでしょう?
729 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/14(月) 20:35:27 ID:beBLD120O
>>728僕の論なんかないよ。孫引きだよ。幕末の本をいろいろ読んでそれを書いてる。なにが悪いのです?みんなそうじゃないの。
で、内容のどこがアホなの?人の書いたことをアホと言うなら内容のどこがおかしいのか言うべきだ。
730 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/14(月) 20:39:33 ID:beBLD120O
>>728それ、文章を読むかぎり考えたのは慶喜じゃなくて容堂だわさ。
731 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/14(月) 21:26:15 ID:beBLD120O
>>728ちなみに一番早く幕府を変革し、譜代外様の別なく賢侯を登用し幕府を日本国政府に変革することを主張したのは島津斉彬だと思う。老中阿部正弘は賛成しその実現のために尽力する。
その後松平春獄が橋本左内の建策で小栗のにはるか先んじてほぼ同じことを幕府に提言し、諸大名にも伝えている。
小栗のは、優秀なテクノクラートらしくそれらをより具体的にしていったものだろうと思う。
構想の具体性では同時代で優れたものかもしれないが、箕作元甫が幕府は解体→実務者を出仕して新政府をつくる、慶喜が初代大統領だがその後は公論でなどの建策をしたのはさらに新しいかもしれない。これは慶喜の支持を得ている。というか慶喜が立案させたものだとも。
だけど阮甫の案だと、「天皇には山城国を差し上げる」となっているんだよね。
結局大名が体制であるのだからなんとも・・・
732 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/14(月) 22:06:47 ID:O1BJ3aQ70
>>729 >僕の論なんかないよ
なら、↓こんな事書くな。
>>727 >ちゃんと自分の論を発表したらどうかね
しっこいから書くが、
>>729 >で、内容のどこがアホなの?
それはね、
>>701 >明治政府の政策が小栗の近代化構想のパクりだと勘違いしてる人に対して、
小栗のはこのように明治政府のと違いますよという事を書いた。
オマエにそんなこといわれなくても、余程のバカじゃなきゃあ
誰でも知ってるから、それを得意になって書いてるオマエは
アホだと書いたんだよ。案の定、自分の「論」はないだの
幕末の本?とかを読んで書いているなんていいだす間抜けぶり。
小栗の文献は、
「海軍の先駆者 小栗上野介正伝」阿部道山 海軍有終会1941
「開国の先駆者 小栗上野介」蜷川新 千代田書院1953
「小栗上野介」大坪指方・穂積驚 小栗上野介を偲ぶ会1975
があるが、それらを読んで小栗の評価をしてるのか?
>>730 無知だなぁ。大政奉還案の建白をしたのは容堂だぞ。
そしてこの策のもとは坂本龍馬の船中八策だよ。
それを後藤象二郎が成案化して山内容堂へ取り次ぎ、
容堂が受け入れた。
しかし、
>>728でこれを出したのは、あくまでもオマエが
小栗の廃藩論としてあげているものは、慶喜の残っている
史料にあるこの発言の焼き直しではないの?
という問いと、慶喜は大政奉還をしたがそれは政治的な屈服ではなく、
政権の一時的委譲をした上で、もう一度政権再委任をする考えで
やったことを書いた。容堂が考えたかどうかなんかじゃなく
王政復古で、まだ慶喜は負けたとはひとつも考えていなかった。
そのことをついでで書いたんだよ。
733 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/14(月) 22:52:08 ID:beBLD120O
>>732なぜ?そしたら誰も何にも書けないよ。みんな本で読んだことを受け売りで書いてるんじゃないのかさ。
そんな自分のオリジナルの論なんかあったらとっくに学者になってるっての。それか作家とかさ。
受け売りだから2chに書いてるわけじゃんか。
734 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/15(火) 18:57:06 ID:I2VtQKLs0
>>733 1.自分が書けない「論」を他人に要求するな
2.受け売りでも構わないが、聞かれた自分の書いた史実についての
根拠は示せ。
3.やっぱり思った通りオマエはアホだった。
以上!
735 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/15(火) 22:51:29 ID:D95fXgqUO
>>734 全部おまえに当てはまるのが笑えるなw。
内容に関してまともな反論するならまた相手をしてあげるよ。
受け売りなのは君も僕も一緒だが、君は読書が足りない。もっと本を読んでごらん。
それから君は文章がイマイチだな。ま、その辺はセンスだからしょうがないか。
736 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/15(火) 23:22:59 ID:qkaM/Q3c0
>>735 >内容に関してまともな反論するならまた相手をしてあげるよ。
だからオマエが、
>>696で書いた
>小栗の廃藩論の要旨は、幕府を日本国政府とし、各藩をその下の地方行政府として、中央集権の新しい日本国家を誕生させようとするものだ。
幕府→日本国政府の元で議会を開き、各地方行政府は大名かその名代が議員として出府する。徳川慶喜は大統領。
あくまで徳川家が日本国の主という体制。
の、ソースを出せ。それと、
>受け売りなのは君も僕も一緒だが、君は読書が足りない。もっと本を読んでごらん。
上記の根拠は何だ?レスは出来ないだろうから先に書く、
オマエは、アホ。根拠なきことを平気でいう妄想野郎。
737 :
赤木リツコ:2008/04/19(土) 01:26:56 ID:p/VBu5TC0
自分を自慢し褒めてもらいたがってる。たいした男じゃないわ。
738 :
碇ゲンドウ:2008/04/19(土) 08:30:03 ID:vr8asPfP0
739 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/19(土) 11:12:01 ID:V6F63twY0
ちなみに、中村彰彦の小説はソースにはならない。
彼の文章は、新撰組を描いた初期の文章には論拠があったが、
会津を描いたものには、全くといっていいほど事実隠蔽・史料隠し・偏見断定が行われている。
740 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/20(日) 01:59:07 ID:N0pC5qRg0
>>659 ほう、中島三郎助が薩長の卒以下だというのか。
貴様は横須賀市民を敵に回した。
>>740 横須賀市民は小泉純一郎に投票してる時点で日本の方々から敵視されてるので無問題。
742 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/21(月) 01:01:41 ID:jA7x/3B2O
743 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/21(月) 02:36:08 ID:LQ0pvcnf0
741は中島三郎助が何をした人か知らなそうだな…。
744 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/22(火) 14:02:21 ID:InABBwYq0
勝が東京を救った
746 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/22(火) 20:51:17 ID:XuOr7yy6O
江戸を守ったんだから。
文句なら慶喜に言ってくれってとこだな。
首繋いでやったんだし。
小栗厨は逃げたのか?
>>680 突然変異っつーより
幕臣の下っ端で貧乏でなんもすることないから蘭学学んで一発逆転しようとしたんだよ
幕臣は金持ちだから遊び歩いてる奴が多いから無能ってイメージがあるだけで
畑耕すしかできんかった田舎の芋侍も実質は同じようなもんだよ
戦争においては反骨精神と野良仕事の力で強かったってだけで
勉強や教養なんかは裕福で都会な幕臣の方が出来た
思想レベルったって幕府は最初から外国に勝てないから開国論だったのに
薩長は攘夷論掲げて
外国に勝てないことがわかったとたんに攘夷論取り下げて
ただの反幕思想になっただけじゃないかよ
749 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 01:12:21 ID:vg4jGfH40
最初から諦めて何もせず、言いなりになった幕府
攘夷を叫んで有言実行、薩英戦争と馬関戦争で我彼の力の差を実地で知り考えを改めた薩長
人として成長したのは薩長だと思うw
750 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/27(日) 00:50:06 ID:24l5CVc70
>>749 >最初から諦めて何もせず、言いなりになった幕府
学が無い人だね。
751 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/27(日) 12:45:11 ID:KdSSbPYk0
>>750 学が無い人に学が無いと言われてもねぇwww
752 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/27(日) 12:58:28 ID:LV76JS7N0
753 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/27(日) 14:20:17 ID:KdSSbPYk0
2ちゃんだからw
>>749 やる前から勝てないと判断し、近代化政策を推し進めた島津斉彬公への誹謗だね。
755 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/28(月) 17:31:43 ID:F9h0/Fq0O
当時の有識者はみんな外国の技術を見てたから
勝てない事を理解してたからね
斉彬はそこらへんわかってた側
久光は阿保の子
756 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/29(火) 12:28:20 ID:gRlh//hM0
>>754 島津斉彬は外圧を跳ね返す為に近代化を進めた人。
あるいみで攘夷派。
幕府は事なかれ主義で外国の言いなりとなって開国しただけ。
757 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/29(火) 12:58:14 ID:FJGJEwq9O
桜田門外で殺された井伊ですら
開国による富国強兵を考えていたといわれるし
水戸の烈公様でも、外国に乗り込んで貿易して
金ためて戦争をするなんて考えくらい持ってた
というか斉彬みたいな外様で幕府に発言力ある人間がそれくらいのビジョンを持ってたんだから
当然、幕府の重臣もそれくらいのビジョンは持ってたのは常識やがな
攘夷なんて国外事情にうとい公家連中や
薩摩の芋侍は親の心子知らずで攘夷と馬鹿を言い
ヒュースケン殺したり、薩英戦争したりした
ペリーが浦賀に来て、19世紀前半以来西欧で進展する
資本主義化の波が、アジアの辺境にあった日本にも及んだ。
それは、世界の全ての地域は、製品の販売市場として、または
原料の供給市場として、何らかの形で資本主義的な世界市場の
網の目の中に組み込まれざるをえなくなった。
その中、当時の日本のような後進国は、そのような通商関係を
結ぶことが、「平和的に行われる」とは限らなかった。おとなしく
通商条約を結べばよし、いやといえば力ずくで結ばせるという
「砲艦外交」で迫ってきた。その文脈でみれば幕府の行った政策は
間違えていなかった。後付で振り返ってもあれ以上のことは
やれなかったと思う。そのくらい、国力(産業)・軍事力は
圧倒的な差があった。なので、
>>749 >最初から諦めて何もせず、言いなりになった幕府
というのは、あまりにも無知です。
759 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/30(水) 07:24:14 ID:c6fP22Md0
>>758 だから?長文を必死に書いてみても
結局諦めて無抵抗に良いなりにとなった事に違いはないw
>>756 >幕府は事なかれ主義で外国の言いなりとなって
もしそうなら、小笠原も北方4島も樺太もみんな取られてたよ。
これらが日本領である事を認めさせたのは、幕府の交渉の結果だ。
761 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/30(水) 09:36:34 ID:c6fP22Md0
北方4島は違うでしょw
幕府の力じゃなくて、明治期の条約のはずですがw
762 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/30(水) 11:19:44 ID:0wWoNJ/t0
幕府が結んだ条約は中国の南京条約などと比べるとはるかに日本に有利な内容だった。
特に、外国人外商を居留地に押し込め国内産業を保護したことの意味は大きい。
日本の産業や金融資本が欧米に蚕食されなかったのは幕府のおかげと言ってもいい。
こうした幕府の国益擁護の姿勢と対立したのがイギリス。
それゆえ、薩英戦争などで薩長を叩き潰し下僕化した後、
イギリスは密貿易などで薩長に軍事援助を行い、
反政府勢力として育て上げ、内乱を煽った。
幕府による貿易独占を打破し、藩単位で割拠せよとする思想も、
もともとはイギリスが薩長に吹き込んだもので、
その先には列強が日本を分割支配するシナリオが待っていた。
また、薩長は倒幕の過程において、英米に卑屈に屈従し旧条約の遵守を誓い、
幕府が結んだ条約を破棄・改定しようとはしなかった。
明治以降は、幕府以上に劣悪な条件の不平等条約を新たに結んだり、
樺太をロシアに譲り渡したりと、売国三昧だった。
>>759 >結局諦めて無抵抗に良いなりにとなった事に違いはないw
日本史の幕末維新期の通史を読んだことがないでしょう?ね。
これだけバカだと何を書いても無駄の見本だな。それから、
必死で書いてないよ。幕末史の常識を大雑把にまとめただけ。
それを
>だから?長文を必死に書いてみても
なんて書くバカにこそ返したいな、だから?自分が無知だと
知ったからってケチつけるなよ。ってな、人生の落伍者様www
764 :
愛子様の弟:2008/05/01(木) 01:56:36 ID:lyU59KWX0
>>762 イギリスのシナリオ自体はそれまで良くあるパターンで奇異ではないが、
その後の日本は分割支配されて不平等条約もそのままだったのか?違うだろ。
簡単に突っ込みいれられるような事書くな。
765 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/01(木) 07:32:23 ID:lcG66Nyc0
>>759 >結局諦めて無抵抗に良いなりにとなった事に違いはないw
幕末の外交について論ずる位だから、合原左衛門尉がどう無抵抗だったか論じてもらおうか。
>>762 英夷が何考えてるかは幕府、薩長とも知ってたでしょ。
オランダ人も警告してたし。
>>761 いいえ、幕府です。
択捉までを日本領、樺太を混在地として、日露和親条約が結ばれました。
1855年2月7日に締結されたので、現在2月7日が北方領土の日となっています。
明治維新より13年も前ですよ。
これのおかげで北方4島を日本の固有領と主張し、返還を要求できているのです。
よく言われる関税自主権にしたところで、確かに日本側が一方的に決められないが、
相手国と交渉して決めると言うもので、外国が勝手に決められるものでもなかった。
そして、通商条約締結時には、国内産業を守るに十分な関税率だったのに、
攘夷派が兵庫開港を遅らせたり、下関戦争や薩英戦争を起こしたりするものだから、
列強の引き下げ要求に応じざるを得なくなってしまった。
孝明天皇なんざ、単なる外国人嫌いから京に近い兵庫の開港を嫌がって、関税率
引き下げに応じろなんて大ボケをかましてくれた。
>>766 というか、それって択捉以降の放棄と、
樺太も事実上の放棄になっているんだけど。
>>768 ロシアは北方4島を含む全千島列島と樺太の領有権を主張していたんだ。
それに抗って、北方4島と樺太における日本の権利を残した。
>それって択捉以降の放棄と、
ウルップ以北の領有権を主張できる材料が弱すぎた。実際、択捉より北に行った
日本人は最上徳内、間宮林蔵など数えるほどしかいなかった。択捉に領有宣言
と見なせる碑文を幕府役人(近藤重蔵)が立ててから、択捉までは領有を主張できた。
>樺太も事実上の放棄になっているんだけど。
権利が残っていたから、後に千島樺太交換条約が結べたのだが。
770 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/07(水) 03:02:57 ID:XR3jUUlg0
で、結局小栗はフランスに国を売ろうとしたんだよね?
771 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/08(木) 02:02:55 ID:x0qh4b6H0
>>770 それは勝が触れ回ったデマ。
勝はイギリスが糸を引く薩長に国を売ったけどね。
うん、返せる当てもない借金して、
関税やら、資源の優先売買やら、
貴重な国益をふらんすに売り渡していたよ。
773 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/08(木) 06:43:35 ID:h3FTm2Wh0
赤城山埋蔵金伝説は金のあるように見せかけた小栗のペテン
774 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/11(日) 16:18:16 ID:7s5X3/9Z0
勝が氷川清話であげている、「恐ろしい人物」ふたり、西郷と横井小楠。
人間力と知恵の働きという観点から言ってるんだろうが、
西郷はまあわかるとしても、なんで小楠?
あれだけ修羅場をくぐって多数の偉人傑物と応接した海舟が、挙げるに足る人物とは思えない。
頭脳の働きという点で、本当に海舟が「コイツやべえ。こええ」と思ってたのは
「徳川慶喜」もしくは「大村益次郎」じゃないの?
あと海舟は象山のことをほら吹き呼ばわりしてたけど、自分も似たようなもんだろう。
同じくほら吹きのケがある(しかも江戸っ子)永倉新八とあってたらどういう会話をしたか、
興味深い…
775 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/11(日) 20:58:22 ID:s0A3YGTtO
小栗上野介 VS 小松帯刀 内部工作
776 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/11(日) 21:03:37 ID:s0A3YGTtO
総裁 有栖川宮を東征大総督
参謀 正親町公薫 と誰?
上野戦争以降は実質大村益次郎じゃない?
大鳥の幕府歩兵隊と榎本の艦隊、それに上野の彰義隊を武器に新政府内での慶喜の復権を画策した勝海舟と、
それに乗せられてた西郷らから指揮権を奪い、彰義隊の暴発を期に勝の策動を叩き潰した大村益次郎の攻防という
読み物は中々面白かったw
778 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/20(火) 00:39:38 ID:o8cuogZ/O
誰か勝小吉の逸話を教えて下さい。ファンなんです。
象さんと勝が同じホラ吹きっぽく見えるのはだいたいわかるが
実像をみると、ゾウさんは自分を飾るためにホラ吹いてるような人物だし
まぁ着物なんかも派手だったというからな
勝の場合はホラというより
聞いた側の人間がホラ吹きだと判断したという感じがする
実際中国が一大生産国になるなんて
日清戦争に勝った当時の人間が聞いても
阿保の戯言みたいにしか聞こえないだろうし
まぁもちろん本当のホラもあったろうけど
氷川清話なんか読むと対談者に対するユーモアに聞こえる
勝が横井小楠なんかを評価してるのは
横井小楠の人物が自分と同じようなタイプだったからだろうと予想してみる
781 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/21(水) 18:47:01 ID:2oUl06ZZ0
横井小楠は学者で思想家。
勝海舟は政治家で戦略家で合理主義の現実主義者で、
慶喜や大村益次郎はその意味で勝と同系統なんだと思う。
それにしても、海舟の高橋泥舟評ってすばらしいよね。
中国が超大国になるって見抜いてたのかな
100年後にいるつもりで先をみてたのか
783 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/21(水) 21:30:55 ID:TqJVSVI90
勝は時代遅れの蘭語を少々囓っただけの男。
英語はからきし。世界に対する知見は皆無。
自信満々で艦長となった咸臨丸では船室にひきこもり無能っぷりをさらけ出す。
日本人に戦艦を建造することは500年かかっても無理と主張し横須賀造船所建設を妨害。
幕府と倒幕派の間を二重スパイとして渡り歩いて形勢を観望。
江戸開城は自分の出世のために幕府を売っただけ。
維新後は明治政府に冷遇され、不満たらたらの余生を送る。
もし幕末に勝なかりせば維新の歴史はどうなっていたことか
>>784 全く無意味。どうなったなど妄想しか書けない。
歴史は、自然科学ー物理学などーのように追試は出来ない、一回限りのもの。
よって
>もし幕末に勝なかりせば維新の歴史はどうなっていたことか
など時間潰しにもならない。
勝海舟が日本海兵隊を作る仮想戦記があったな。
787 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/26(月) 22:47:55 ID:YoiRvmEs0
木村に泣きついて艦長にしてもらったの? ぷ。
で、航海中はあのていたらく?艦長殿が。
おまけに帰国後はおおぼらふきまくって。
そんな男が、江戸無血開城は俺と西郷さんだよって。
ぷ。
個人が勝ち目の無い戦いを挑むのは勝手だが、命令拒否できない連中や民衆巻き込むのはただの愚行
英断です、普通に
んな事言うなら将軍の方がもっと悪い。
自分が半皇族だから戦争から逃げる逃げる
790 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/28(水) 21:30:23 ID:eGw8rOqwO
まぁ勝は降伏を主張してたとはいえ
抗戦するか降伏するかの判断を下したのは慶喜だからな
793 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/01(日) 18:56:02 ID:/4Ra9c0CO
その時歴史が動いたで
篤姫の手紙で無血開場したとかNHKが捏造してたのはいかがなものかと思った
勝や大久保が内部で必死に計画を画策して、山岡が手紙を命がけで届けて無血開場までこぎつけて
篤姫の手紙はその後に出されたもので
中身は私情たらたらのどうしようもない手紙だったのに…
勝がどんだけほら吹き・海音痴でも、江戸城あけわたしのネゴシエーターとしての功績は否定できない
さすが2ちゃんというような駄論でしたね
勝海舟全集って講談社と勁草書房の二通りでてるんだけど、
やっぱ講談社のほうがいいのかな?
796 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/05(木) 19:39:12 ID:+d7f/l920
>>795 勁草書房版は、原文の読み下し他解釈も疑問が多い。
だから最初に読むなら、講談社版からがいい。
でも両版を読むことは必須だよ
日記と書簡が使いたいんだけど、両方とも大まかな
内容は同じなの?
当方は勁草書房版しか見たことがないんだが
講談社版は編集のなんとかいう人が、作者がいかに曲げて書いたか、つーか、
恐らく伊藤に検閲されてるみたいな部分を元通りに戻した
ということに労力を費やしていると、じーさんの思い出話のどれかに書いてなかったか?
それで結構辟易した(元はこうだったのをこう直したというのがしつこい)から
全集読む人はたまらんだろうな、と思ったが。
負けるであろう戦争をいつまでも続けるのが卑怯でない、という見方ができる
日本人というのは、ある意味、ありがたいことではないのか。
海舟がえらいのは、長生きしたことだな。全体像をまとめて考えて、それを言える時間が
あったことが、海舟の評価を上げてるとは思う。
799 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/07(土) 08:04:05 ID:+GCvQM9A0
>>798 >負けるであろう戦争をいつまでも続けるのが卑怯でない、という見方ができる
日本人というのは、ある意味、ありがたいことではないのか。
何をいいたいのですか?
800 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/07(土) 10:03:31 ID:x1wh6G6w0
負けが決定した戦争をいつまでも引きずって、会津正義だの徳川恩顧だの言っていたら
東條英機や松平容保のように国を滅ぼすよ、って意味でしょう。
まして現実的な対応をした人々を中村彰彦のように卑怯卑怯と罵っていれば、誰も生きては行けません。
会津は美しい、会津に従わない奴は卑怯だ、って言っている輩は阿呆だと思います。
801 :
798:2008/06/07(土) 10:18:08 ID:br01ntMk0
勝たないであろうという判断を下して、それに従って戦争をやめるのは卑怯ではない。
そういう判断を下さずに、勝たないであろう戦争をやめないことが「卑怯ではない態度だ」
という考え、即ち「やめなければえらい」というような考え方をするのは、
戦争が60年もない国ならではだ、日本は平和だな、と思ったわけだ。
卑怯の反意語が思いつかねぇんだ、ごめんな。
802 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/07(土) 19:41:06 ID:YF/znqV50
>>801 違いますよ。あなたの書いてることはね、
>>798 >負けるであろう戦争をいつまでも続けるのが卑怯でない、という見方ができる
と書きそして、
>>801 >勝たないであろうという判断を下して、それに従って戦争をやめるのは卑怯ではない。
そういう判断を下さずに、勝たないであろう戦争をやめないことが「卑怯ではない態度だ」
という考え、即ち「やめなければえらい」というような考え方をするのは、
と説明した。しかし、いずれも主語がなく、「勝てないから戦争をやめるのを卑怯でない」
という主語が誰なのか分からない。そして続く、
「そういう判断を下さず勝てない戦争をやめないことが卑怯ではないという考え(以下略)」
が誰がそんなことを考えているのか、さらに分からない。最後の
>戦争が60年もない国ならではだ、日本は平和だな、と思ったわけだ。
と、多分あなた(話者)が主語になって現れる。これ文章として体をなしてませんよ。
あなたのアタマに浮かんだことを書いてるだけなので、言葉を覚えたての子供のようです。
誰が、どうして、どう思ったのかで書いて下さい。何言いたいのか私にはいまだ分かりません。
おいおい匿名掲示板でがんばんなよ
まず負けて良かったって言ってるけど、勝つ負けたの問題じゃないだろ
日本の内乱なわけだし、どっちが勝とうが負けようが日本が打撃を受ける
この場合の勝の判断は負けを選んだことでなく
長期的な視野で混乱を最小限に納めたことが評価されてるわけで
勝った負けたの問題じゃないんだよ
>>802 なんでそんな苛ついているの?確かに801の文章は解りにくいけど。
「思った」という主観で語っているのに、いきなり「違う」とかダメ出しされてもなぁ。
806 :
801:2008/06/11(水) 11:39:56 ID:58QOQFTE0
ごめんな。日本語おかしくて。いま、苛立ってる人こわいから謝る。
海舟とか慶喜を攻撃している幕臣派(東軍派か?)と思われる意見を見ると、
慶喜や海舟が戦争をしようとしなかったってことが、裏切り行為みたいに言われてるから
それは違うだろ、ってことなんだよ。
裏切りじゃなくて、正しい判断だったとも思うし、
裏切ったのはそこじゃないとも思うし。
で、戦争を避けるという判断を卑怯だと言ってるのであれば、
そういう考え方が出来るのは、戦争に行く人がいない国の人の考え方だなと。
アメリカに住んでっから、それはありがたいことだと思ったわけだよ。
海舟や大久保(幕府の)は、自分の立場とか地位の保持よりも
日本ていう国を考えたってとこが偉いんだよ。
国内で戦争なんかしてる場合じゃねぇんだ、あの時期は。
しなきゃならない、って判断も間違ってはいないけどな。
そういう込み入った時期だから面白いんだよ、幕末は。
807 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/11(水) 20:25:46 ID:1t2k1N5u0
>>806 ひとつ聞く。
>戦争を避けるという判断を卑怯だと言ってるのであれば、
そういう考え方が出来るのは、戦争に行く人がいない国の人の考え方だなと。
アメリカに住んでっから、それはありがたいことだと思ったわけだよ。
どうして、戦争を避ける判断を卑怯だと言ってること(人は)ーその考え方自体が出来ることーが
戦争に行く人がいない国の人の考え方だと、アメリカに住んでから思うようになったのか
そしてそれがありがたいことだと思うようになったか、もう少し聞きたい。あなたが
日本人であるなら、アメリカに行く前と行った後で戦争に対しての見方が変わったという
ことなのか?
808 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/11(水) 22:03:30 ID:w4lHHtZf0
っていうか、どこそこが悪いだの良いだの言ったって意味ないよw
歴史は積みかさなって現代の今がある。
俺は太平洋戦争で負けて良かったと思っているよ。
その結果の憲法九条平和国家の日本でしょ。
戦争を放棄したから、経済発展に専念して高度経済成長もあったわけでしょ。
何かを否定したって歴史は変わらないっしょ。
809 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/11(水) 23:54:48 ID:p4AYTRtV0
敵と戦わず自ら国家の大権を放り出しひたすら命乞いをしたこと。
…端的に言ってしまえば勝の「功績」とはこれにつきる。
戦うべきでない理由として勝が説いた主張の要旨は以下のとおりで、
すべて屁理屈にすぎない。
1.社会の安寧は害すべきではない
…そもそも社会を混乱におとしいれ戦端を開いたのは薩長。
その敵が攻めてきているときに社会の平穏のために戦うなというのはナンセンス。
2.戦ったら慶喜の身の上が危ない
…将軍はいざというときは先頭に立って戦うのが職務。
将軍の保身のために幕府を解体せよなどという主張は本末転倒。
3.仲間同士で戦うのは外交上の不利益だ
…実際には外国干渉の動きはなかった。むしろ、少数の藩が
英国の援助のもと中央政府に反乱を起こすという事態そのものが、
一種の外交上の危機なのであり、これに対する正しい態度は、
中央政府として断固たる態度を示し、反乱派を殲滅すること。
福沢が言うとおり、勝が行ったことは、武士道の放棄であり古今の珍事。
さらに維新後の勝は、すぐさま切腹でもすべきなのに、
幕府を売った持参金で爵位を得、維新功臣と称して傲然としていた。
要するに勝は武士の風上にもおけない恥知らずな謀臣。
810 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/12(木) 07:48:40 ID:2nWuxJav0
>>809 >1.敵が攻めてきているときに社会の平穏のために戦うなというのはナンセンス。
ならば君はどこかの国が攻めてきたら、いの一番に戦ってくれ。
江戸の町が戦闘状態になった時の町民が被る被害を考量に入れれば
アンタの方がナンセンス(古い言葉言葉だねぇー歳いくつ?)
>3.実際には外国干渉の動きはなかった
当時の旧幕府および新政府はそのことを知り得ただろうか?
後世のものしか分からない視点からの評価は、意味はない。
アンタは、自分の判断した事柄を全て「その時」も「その後」も
誤りなく出来たといえるのか?そんな人間は現実には一人もいない。
>幕府を売った
誰にどのような商品にして売ったんだ?そして誰がどのように値段をつけいくらで
買った?根拠を出せ。
811 :
806:2008/06/12(木) 12:38:22 ID:n0DdwXej0
>>807 どうして、と言われてもわからんが、アメリカには「逃げるのは卑怯」という考え方はな
い。勝たないであろうという判断を下したときに、司令官が隊を引くのを卑怯と考える人
は滅多にいない。だから、率直に、「逃げたから卑怯」という論理が、長いこと戦争に行
ってない国民の感覚だと思ったわけだ。戦争がないというのは、ありがたいことだ。
もっとも、だから、勝たないであろう戦争の最後で特攻隊を出すような日本は、アメリカ
にとって最高にコワいということはある。
>あなたが日本人であるなら、アメリカに行く前と行った後で戦争に対しての見方が変わ
ったということなのか?
その通り。それと、日本にいたのは随分若い頃のことなので、そんなことを考えたこと
はなかった。
だから、いま、日本人が戦争に対してどう思っているかは知らないが、アメリカ
だと、肉親が戦争に行かなければならない状況になり得る。
残された肉親は、誰でも、卑怯でも裏切り者でも、なんでもいいから無事に戻っ
てほしいと思うものだよ。
だから、年をとったことも見方の違いに影響はしてるな。
それが恥である、という帝国日本軍の考え方は、その時代背景から考えればわかるが、
自分は、国家が人民を駆り立てて、人の命をそのようにやりとりすることを正しいと
は思わない。
海舟があそこで江戸城を引き渡さずに、新政府軍と戦った場合、戦争には勝ったかもし
れないが、戦争というのはとんでもなく金がかかる。どっちが勝っても同じ。
焼けた家や設備を回復するのに、どうする?列強が売りに来るだろう。
アメリカは南北戦争が終わったばっかりで、武器余ってんだから、売りたくて仕方ない
んだから、売るだろう。イギリスでもロシアでも、金をいくらでも貸すだろう。
どうやって払う?ただでくれやしないだろ。金山でも生糸でも、列強が権利を無条件に
持って行くだろうし、領地だって取って行くだろう。そうなったら、物価なんか、どんな
ことになるかわかったもんじゃない。戦乱が置いて行く混乱と荒廃というのは、大きい。
慶喜や海舟は、少なくともそこまでは見えてた。
だから、海舟の腹芸一つで被害を最小限に押さえられたのであれば、それは卑怯じゃない。
戦術だし、英断だろう。
むしろ、慶喜や海舟が裏切り者だという根拠は何だ?
海舟や慶喜が、幕府軍の指揮を放棄したのは確かにそのことだけを取るのであれば
裏切り者と言えるだろうが。彼等は軍の指揮官だけが仕事ではない。
聖徳太子の息子の山背大兄は、蘇我軍に囲まれて、出陣せよといわれたときに
自分が出て行けば、或いはこの戦には勝つだろうが、孫子の代まで、自分は祖先を殺した
と言われる。自分の命ひとつがほしいのなら、入鹿、おまえにくれてやろう、と言って
一家で自害してしまうが、自分が死んでことが治まるのであれば、慶喜でも海舟でも、
迷わず死んだと思うぜ。
死んでもことは変わらないから、生きて治めたと思うけどな、自分は。
それが恥と言われることがわかっていても。
恐らく、海舟や慶喜支持者が彼等を指示するのはそこだと思うが。
長文ごめそ
812 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/12(木) 16:54:07 ID:fDEyX/dZO
今の天皇がガキのときに
学校の先生が特攻作戦で戦局を打開すると熱弁していたら
「それでは人的戦力を消耗するだけではないか?」
と冷静に突っ込んだんだとかなんとか
国を守るのは大事だが
勝がよく言うようにそれ以前の問題で国民無しでは国は成り立たない
今勝の判断をどうの言ってるのは
国民無視して馬鹿政策やってる抵脳政治家と同レベルのカスだろ
>中央政府として断固たる態度を示し、反乱派を殲滅すること。
現実に幕府は長州の恭順を認めずに討伐しようと悪戯に戦端を開き
更にボコボコに返り討ちにされて敗退という醜態をさらしているのだが。
814 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/15(日) 08:13:10 ID:8HtT+a920
いまだにスレのタイトルや809さんのような考えの方がいるのに新鮮な驚きを
感じますよ
まあナンセンスと言う言葉は僕も使うし、歳のとっている、とっていないは
問題でなないでしょうけれど
明治国家が奇跡と呼べる近代化を実現したのは、版籍奉還や廃藩置県もその
要因の一つで、
版籍奉還ができたのは、なにより最大の領主である徳川家自ら倒れ、自ら削
った、そういう意識が勝や大久保をはじめとるす旧幕臣や春嶽や慶勝にあっ
たからこそ
今の政府こそ勝の主張した「公」と「私」を考え直して欲しいですよね
815 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/15(日) 10:52:05 ID:E1BMo0gG0
いつも思うことなんだが幕府擁護で勝や慶喜を批判している連中は
単純に薩長に負けたことが悔しいだけの負け惜しみなんだよな。
そんな低レベルな発想で勝を批判しては国家の将来を見ていた勝に失礼だろ。
単なる自己都合なんだから。薩長に負けて悔しいというね。
第二次長州征伐で長州にぼこぼこにやられた時点で幕府に日本を統治する
実力がないことは明白になった。国内の一藩を押さえられないようなリーダーに
だれが付いて行くだろうか?
勝はそんなふがいない幕府だからこそ日本のためには幕を下ろすしかないと
冷静に考えることができたんだよ。頭良いからね。
どうせ幕をおろすべきものなら他人を巻き込まなかっただけ本当に立派だ。
>>815 俺は別に幕府を擁護するつもりもないし、勝や慶喜を批判するつもりもないんだが、
> 国家の将来を見ていた勝に失礼だろ。
> 勝はそんなふがいない幕府だからこそ日本のためには幕を下ろすしかないと
> 冷静に考えることができたんだよ。頭良いからね。
こういうストレートな賞賛を見ると、何かね、
コイズミをマンセーする庶民たちに重ね合わせてしまうんだが。
817 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/15(日) 11:48:02 ID:E1BMo0gG0
>>816 そうかね。どこがコイズミマンセーとかぶるのか理解できんが。
知識のある賢い人間から見れば勝の判断は極めて聡明であろう。
それが違うというのであれば「なぜ違うのか」説明してくれ。
少なくとも俺は以下のように考えている。
・幕府の体制がもはや次の時代に適合できないことは明白であり
いずれ体制が変化するのであるなら、迅速かつ被害は最小限にして
目的を達成できる手法が優れている。故に勝の選択は当時の実情を踏まえた上で
優れた選択であると見なすことができる。
当時考えられるよりよい答えがあるのなら教えてくれ。
何より幕府のトップである慶喜が全面恭順の態度を明らかにしているし、
勝に全権を任して引っ込んじゃってるからねぇ…
819 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/15(日) 13:30:24 ID:8HtT+a920
明治初期に士族の叛乱相次ぐ中で、最大「野党」である旧幕臣は一度も立ちま
せんでした
これも勝の功績といっていいでしょう
それがための伯爵様ですからノー
最大「野党」もなにも、
明治初期の士族の叛乱はむしろ「与党」のほうだろうが。
821 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/15(日) 14:37:27 ID:8HtT+a920
レスする前によく読んで下さいな
倒幕側だった士族たちの叛乱相次ぐ中、旧幕臣たちがそれに与すことなく身を
慎んだ陰に海舟の努力もあった
普通なら最大「野党」である彼らの中に同調するものがいてもおかしくないで
しょう?
そこを指摘してるんですけどね
まあ、これを言ったのは綱淵さんや松浦さん、勝部さんなんですけどね
勝は士族反乱の時も東京の町にお金を使うことで現状に不満を持って反乱に走る人物が
でてくる事を抑制したんだよね。
823 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/15(日) 16:30:34 ID:WHvKh8y/O
勝が嫌われた(今も嫌われている)理由の一つに
幕末維新の頃のおのが活躍を喋りまくっている
というのがあるでしょうね
それこそリップサービスでホラをまじえて面白おかしく言うものだから一般受けして、福地や福沢なんかが眉をひそめるんですけど
一方でこうした維新後に陰で苦労してることは話さない
だから
「勝の仕事は江戸開城まで」
なんて人が出て来る
824 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/15(日) 16:40:39 ID:WHvKh8y/O
だけど勝の真骨頂は、こうしたコツコツしたところにある
維新後野に下らず、しまいには伯爵様になったことが、これまた批判されるんだけれども
こうした事まで視野に入れないとわからないですね
勝の真の活躍は維新後だろ?
826 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/16(月) 00:03:45 ID:8HtT+a920
わしもそう思う
827 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/16(月) 01:34:58 ID:pglrMkAj0
そうそう
だから、大河ドラマで「その後の幕末三舟」をやってほしいわけよ……
今さら龍馬でもあるめえが。
ファーストシーンは鳥羽伏見から海路戻ってきた慶喜一行が品川で勝海舟に
迎えられる場面。
その後、駿府への山岡派遣、西郷・勝会談などをはさみ上野戦争終結までを
長尺をとって書く。
そして慶喜と旧幕臣の静岡移転、鉄舟の新政府出仕、泥舟の隠遁、海舟の旧幕臣の扶助などを
書きながら文明開化や士族反乱の鎮圧、鉄舟は剣の妙諦を会得し
海舟は日清戦争を批判し、そして鉄と海の二舟が死去した後、
慶喜が公爵位を授与されて泥舟と懇談し、翌年泥舟死去で、完。
言ってみれば旧幕臣版「翔ぶが如く」ですわな。
828 :
あげ:2008/06/16(月) 01:44:45 ID:c8jWzlxC0
そのドラマ賛成!
クララのことが知りたいので。
山岡の息子も。
題は「這うが如く」
830 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/16(月) 12:03:05 ID:ONhYpaprO
明治の勝といえば、その昔NHKで『安吾捕物帖』をドラマ化したなあ
勝は前座だったけど
明治の三舟はいいすね
杉なんかも加えると、日清の話も膨らむかも
831 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/16(月) 17:38:44 ID:Z0cbFZRXO
山岡の息子は詐欺やって爵位取り上げられた人だぞ…
>>808 >戦争を放棄したから、経済発展に専念して高度経済成長もあったわけでしょ。
韓国・台湾・中国等は戦争放棄せず経済発展してるが。
833 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/16(月) 21:23:10 ID:Z0cbFZRXO
何も知らないんだな
アローやアヘンで食い物にされて
ロシアにも土地取られて散々だったろ
834 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/16(月) 22:19:24 ID:9LLKzzc60
現代中国の貧富の格差、貧者切り捨てての経済発展
「中国は日本のお師匠様だ」
と言った海舟翁が知ったら嘆くことでしょうなあ
835 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/16(月) 22:53:46 ID:Z0cbFZRXO
文化の根源としては評価してても
シナは国じゃなくてただの人の集まりとか
中国人のがめつさとかしつこさを評価してるだけで
勝は国としてはまともに評価はしてないような気がするが
836 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/16(月) 22:55:07 ID:q8Y09tnF0
勝が言った中国って社会主義国じゃないしw
837 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/17(火) 10:45:49 ID:5c0NOY+/O
>>836 あのさ、あんたに指摘されるまでもなく、皆わかってますけど?
834はシナを高く評価していた勝が現状をみたら嘆くだろう、835はそれを受けて、勝の評価していたのは文明発祥地のシナであり、またシナ人のしたたかさ(勝も日本人ばなれしたしたたかさがあった)
であって、現状を見てもさほど驚きはしないだろう、と言っている
誰が読んでもわかるよ、あんた以外はね
あんたにアドバイス
人を馬鹿にする奴に限って底が浅いんだな
だから書き方は注意したがいい
838 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/17(火) 20:20:31 ID:XXAYOqut0
>>837 おいおいw
俺は「勝が言った中国って社会主義国じゃないしw」って一言しか書いてないぞw
誰と勘違いしたのか知らないが、いきなり噛みつくなw
この程度の煽りに脊髄反射とは・・・・狂犬病かお前はw
839 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/17(火) 20:41:40 ID:MwTydzGJO
正直……どっちもどっちです…
840 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/17(火) 20:54:44 ID:XXAYOqut0
釣りだよw釣りw
841 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/17(火) 20:58:09 ID:7CYhPz670
842 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/17(火) 21:28:52 ID:pjcecK2q0
アラシに構うのもアラシですぞ
明治の勝で問題なのは、征韓論またその当時の西郷への対応ですよね
現在どのようなことがわかっているんでしょうか
自分が読んだものでは、後日にフォローをしてはいるが、リアルタイムでは
言及を避けていた、
勝にもどう対処してよいかわからなかった
とありました
旧幕臣はどう見ていたのかも気になりますね
843 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/18(水) 00:04:13 ID:tQC8h8Pb0
>>842 西郷、大久保、木戸が生きていた限り、勝は頭を低くして風をやり過ごしていた。
明治期の勝の活躍(?)は、誰も居なくなった後のこと。
844 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/18(水) 00:54:06 ID:KADclKfX0
明治期の勝の活躍とは、前スレにもあるように、慶喜や旧幕臣たちの管理のこと
で、静岡にいる頃から、すなわち幕末からずっと手がけていることです
ちなみに勝が明治政府に参加していた時期は、ちょうど西郷が主導していた時期
でもあります
西郷が下野した後も、しばらくはとどまっていました
この点からも
「西郷、大久保、木戸が生きていた限り、勝は頭を低くして風をやり過ごしていた」
というのはおかしいですね
勝は請われて新政府入りしたのに大久保とか川路に睨まれてかなり息苦しい思いを
してたらしいな。
そもそも勝の明治以後の活躍は政府と関係ないところにあったから
>>843は的外れだな。
846 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/19(木) 01:39:41 ID:dGboEyO50
>>831 それを言ったら勝の養嗣子、精(くわし)も、「失楽園」男
福澤の息子といい、偉人の跡継ぎは大変だわな
まあ、ドラマ化されれば彼らはスルーということで
848 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/21(土) 01:39:02 ID:Rf6Ar6SD0
明治の勝を描くなら、福翁もはずせませんね
もちろん桜痴、芥舟も
彼ら旧幕臣から見た明治というものを、本当にドラマで見てみたいです
849 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/21(土) 04:21:49 ID:lX68jmKE0
徳川慶喜は頭が良いがどうも勇気が無いというか
闘争心が無いというか
そういった感じを受ける
850 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/21(土) 08:42:40 ID:q0mbOK6Q0
会津からみたら「慶喜が失敗した」だから「会津の失敗ではない」の方が都合がいいからね。
会津みたいに無駄な意地で戰うのではなく、潔く自ら身を退く事で戦争を回避した慶喜は、一般的に高評価だよ。敵であった薩長からも。
慶喜の評価が低い→会津や佐幕贔屓
慶喜の評価が高い→中立かつ客観的に歴史を見ている人
851 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/21(土) 09:37:46 ID:/I7oLdaa0
自分が恥をかくことも腰抜け変節漢のそしりを受けることも知りながら
長州大討ち込みをやめ、恭順した慶喜は本当に勇気がある。
松平容保のような人間こそ、本当の臆病者。
現実から目をそむけ、領民にとっては何の価値もない意地張りをして会津の国土を荒らし、
藩士4500人を戦死させ、斗南に逃げなきゃならないほどの大借金をこさえた。
しかし明治の三舟+旧幕臣は見たいな。
登場人物の平均年齢高いし題材としては渋すぎるし、昨今の大河じゃ無理かー?
852 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/21(土) 10:53:24 ID:q0mbOK6Q0
徳川は別としても、賊軍と言われた藩の刑罰を見ると会津を抜けば領地半減ぐらいで済んでいる。
会津と同等の恨みがあった桑名が領地半減だった。
会津も最初に降伏していれば領地半分14万石で済んだはず。
斗南三万石は自業自得でしょ
853 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/21(土) 10:56:34 ID:q0mbOK6Q0
実際、切腹しろと命じるかもしれない敵に戦わずに降伏する決断と
ムカ付く敵と最後まで戦い抜こうと決断するの二つの決断のうち、
どっちがより勇気を必要とする決断かは解るよねw。
854 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/21(土) 11:38:07 ID:Rf6Ar6SD0
慶喜は歴代将軍の中で毀誉褒貶が激しいです
(その評価は勝とあい通じるところがあります)
一概に850さんのような傾向があるとはいえません
例えば勝自身も慶喜にはかなり辛い評価を下しています
慶喜を批判する層は広範囲にわたります
慶喜の偉いところは、明治以降隠忍自重して、それらの評価を甘んじて受けた
ところにありますね。
慶喜公伝などで多少の自己弁護はしているものの、彼自身彼の失敗を認めてい
るからこその後半生でしょう。
幕末から明治の彼の姿勢が幕府を救い、日本を救った
それを評価したからこそ、明治政府は後に公爵をさずけました
会津に厳しい人は、それをなぜ慶喜にも当てはめないのでしょう?
慶喜個人の思惑を超えて、徹底抗戦派が慶喜を引きずりまわそうとした
(それで大坂城を退出せざるを得なくなった)
と同じく容保にも選択はありませんでした。
容保の真面目さを孝明天皇は高く評価していました。
慶喜を持ち上げるために会津を貶めることはやめましょうよ
そんなことをしなければ慶喜をきちんと評価できないのですか?
855 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/21(土) 11:46:22 ID:Rf6Ar6SD0
まあココは勝について語るスレですから、自分でもなんですけど、
会津のことはやめましょう
新撰組に関しては三浦啓之助で
ドラマでは
藤沢志摩守もぜひ取り上げて欲しいです
856 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/21(土) 12:37:19 ID:q0mbOK6Q0
>>854 逆だろw
会津を持ち上げる為に慶喜の辱める事をやってるのが会津だろうに
会津が慶喜を脅迫し、鳥羽伏見に出兵し、負けて徳川家に朝敵の汚名を着せた。
それで会津は悪くない、慶喜一人が悪いとは良く言ったものだ。
たいした忠義心だよ会津はw。
>>855 まぁ確かに勝とは関係ないが、一部で相通じる所がある。
勝は慶喜の意志で江戸総攻撃を回避したが、
会津は、徳川家の決定を不満として江戸での徹底抗戦を叫んだ。
結局勝は会津に江戸追放を言い渡して追い出すんだが、
会津は未だにこれを根に持ち、勝を売国奴だの無能だのと色々な本に書いている。
薩長と戦いたければ自分の領地でやれ。それが勝と慶喜の本心だろ。
徳川家に逆らい続けた会津は自業自得だと思うね。
857 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/21(土) 13:02:21 ID:L/k5oDzIO
だから会津云々はスレチだっての
858 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/21(土) 13:48:52 ID:q0mbOK6Q0
だから勝の話しもしていますが。なにか?
859 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/21(土) 14:40:35 ID:L/k5oDzIO
なんにでも反応するなよ
850から856のように明らかに勝をほったらかしで会津云々する輩がいるだろ
別に勝と慶喜、会津について語ることに難癖つけてる訳ではない
……ここまでして書かないとわからないとは悲しくなる
だいたい、wなんて使う挑発に反応するから流れが止まってるじゃないか
気をとりなおして
勝とジョン万、藤沢のように、もっと脚光を浴びてもいい交流があると思う
860 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/21(土) 15:05:54 ID:q0mbOK6Q0
↑話しをそらそうと必死の会津ヲタw
861 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/21(土) 15:59:45 ID:Dhce/1Wm0
会津人は自らをよく言うために他者を証拠もなしに貶めるから嫌いだ。
証拠もないことを、これが史実だ本当だ、といいつのり、
挙句の果てに悲しくなるだの日本人はこんなことをしないだの、会津人達が第一に恥じるべきだとは思わないの?
862 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/21(土) 16:16:07 ID:/I7oLdaa0
大河ドラマ「這うが如く」
第1回 将軍の帰還
第2回 寛永寺へ
第3回 朝敵の家来
第4回 武士の本懐
第5回 将軍江戸を去る
第6回 彰義隊、壊滅
第7回 ふたたびの駿府
第8回 パリからの帰還
第9回 戊辰転々
第10回 五稜郭、陥落
第11回 泥の舟
第12回 明治大帝
第13回 武士の農業
第14回 栄一の辞表
第15回 東奔西走、勝海舟
第16回 西南戦争
第17回 紀尾井坂
(略)
第48回 天皇と将軍
第49回 コレデオシマイ
最終回 公爵徳川慶喜
あとはお好きに埋めてください。
863 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/21(土) 16:39:30 ID:L/k5oDzIO
いやあ、すばらしい
最終回にコレデオシマイをもって来なかったところに
センスを感じます
明六社(または「杉のそれから」)
と
痩我慢の説(または「行蔵ハ我ニ存ス」)
も入れて下さい
864 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/21(土) 17:53:49 ID:L/k5oDzIO
コレデオシマイ
勝の最後の言葉
傑作
まことにその通り>最期のことば
林家三平の「こんばんは、加山雄三です」に並ぶ辞世の名言だな。
>>843 福沢はいいだろ。出さんで。
最終回はくわしの婿入りじゃないか?黄門さまが出てきて、一件落着。
上の方で、万次郎が出ておったが、万次郎と海舟は交流あり?
一緒にアメリカ行ってるし、万次郎は川路んちにいる
(海舟と勝はそんなに仲良くないみたいだけど、本所だし)
交流あるはずだと思うのだが、知らない。
海舟座談だと思うのだが、税所とか、松方とかが出てくる話で、
女買って古堂が云々つーの、なんじゃこの話は....なんだが。
866 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/22(日) 01:22:57 ID:kNC3atNj0
ジョン万と勝は終生親交を結んだそうで、彼ら行きつけの鰻屋があったとか
今も続いている、という話をどこかで読んだ記憶があります
『ジョン万次郎の一生』だったかな、勝部さんの『勝海舟』だったかな
どちらも手元にないのでわかりませんスミマセン
福翁はいらないですか? 僕もあまり好きじゃあないですけどね
勝部さんの『知られざる海舟』中の「海舟と福澤諭吉―明治十年前後」というの
がなかなかの傑作で、西南戦争、西郷、アーネスト・サトウ、そして福澤が出て
きて、かなり面白いので、つい入れたくなりました
そこには勝の西南戦争時の生の声が記載されていて、なかなかに面白いのですが
その後半で、
西南戦争によるインフレで慶応義塾の熟成が激減し、旧幕臣の一端である福澤
が勝に援助を頼んだがすげなくされた(熟成の寄付でなんとか持ちこたえたが)
とか
「福澤も裸になって頑張らなきゃあだめだ」みたいなことを後日勝が他人に言った
のも耳に入ったらしいとか
『明治十年丁丑公論』の緒言で、西郷には一面識は無いものの、とことわりつつ
「西郷氏の挙兵は日本国民抵抗の精神を保存して」云々と
後の『痩我慢の説』に通ずることを述べて絶賛した
などとあります
思えば咸臨で生死をともにした勝とジョン万、福翁なのに、あくの強い勝と福翁
はそりが合わず(その原因が勝の木村芥舟に対する仕打ちだったとしても)
芥舟が勝とも福翁とも親交を結んでいたというのも、それぞれの気質や生まれ
育ちを表していて面白いですね
867 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/22(日) 02:15:19 ID:erhTGtVQ0
敵と戦わず自ら国家の大権を放り出しひたすら命乞いをしたこと。
…端的に言ってしまえば勝の「功績」とはこれにつきる。
戦うべきでない理由として勝が説いた主張の要旨は以下のとおりで、
すべて屁理屈にすぎない。
1.社会の安寧は害すべきではない
…そもそも社会を混乱におとしいれ戦端を開いたのは薩長。
その敵が攻めてきているときに社会の平穏のために戦うなというのはナンセンス。
2.戦ったら慶喜の身の上が危ない
…将軍はいざというときは先頭に立って戦うのが職務。
将軍の保身のために幕府を解体せよなどという主張は本末転倒。
3.仲間同士で戦うのは外交上の不利益だ
…実際には外国干渉の動きはなかった。むしろ、少数の藩が
英国の援助のもと中央政府に反乱を起こすという事態そのものが、
一種の外交上の危機なのであり、これに対する正しい態度は、
中央政府として断固たる態度を示し、反乱派を殲滅すること。
福沢が言うとおり、勝が行ったことは、武士道の放棄であり古今の珍事。
さらに維新後の勝は、すぐさま切腹でもすべきなのに、
幕府を売った持参金で爵位を得、維新功臣と称して傲然としていた。
要するに勝は武士の風上にもおけない恥知らずな謀臣。
そーゆー福沢は、維新の戦争で何をしたのか。
その意見がどうこういう以前に、
おまいには言われたくない、というのが海舟の主旨だと思うが。
その鰻屋は「やっこ」といって、今も健在。浅草の国際通りと雷門の通りの
角付近。そこからずっと雷門を通り越して、うんこビールが細川、その左が
慶喜の実家の下屋敷で、その奥が海舟(の親)とか川路のいた本所だ。
向島とか本所とか、その辺の人に聞けば区別がわかる。地図じゃわからん。
万次郎は、やっこに行くと、帰りに鰻の残りを乞食にあげたという話がある。
その心は、運命に対する畏敬の念だ。
1.戦わなかったから、江戸は小規模な衝突だけで燃えずにすんだ。戦争は人が
死ぬだけではない。内乱が長引いた国がどうなったか、見てみろ。
2.慶喜一人の命ですむなら、そんなものはくれてやったろう。家老とか殿様
っつーのは、責任を取って話が収まる時には死ぬためにそういう地位にあるもんだ。
3.日本が内乱状態のところに、外国が介入すると、それは国際法に反する。
外交上の問題と外国が干渉するのはかなり違う。戦争で疲弊してから、外国
というのは権利獲得に乗り出すもんだ。国力のない国に外交なんてものは不可能。
これは当時の列強の常識。
恥知らずなのが勝の偉いところ。
恥などは勝ひとりの感情。
そんなものを知って、死ぬことで責任放棄する方が、個人の選択としては
ずっと楽だと思うが。
では、勝と慶喜があそこで兵を率いて戦争にくり出したとする。
どのあたりで戦争が終結したと思うのか。
それで勝ったとする。
その後に出来る政府は、どのようなものであれば、あの後の日本を継続していけたのか。
恥を知るものは武士道を貫いて、みんな死ぬんだろうから、日本は学者と
農工商だけになるということだな?
それはそれで興味深いな。意外にいい国になったかもな。
そうなると、多分、今の日本の国旗は菱形か?
870 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/22(日) 09:47:57 ID:hL2ePLr50
>>854 >慶喜を批判する層は広範囲にわたります
ああ、佐々木克教授とか?
慶喜を二枚舌とか批判してるけど、死に体の幕府をほとんど一人で支えようとしたら
言論テクを弄するくらい構わないじゃんねえ。
その反面、大久保や岩倉には気持ち悪いくらい甘くて、1万円以上するガチガチの専門書の中で
「倒幕の密勅」を意味不明な理屈で擁護して不問に処している。
玉松操?誰ソレー?!状態。
勝海舟についてどう言ってるかは知らないけど。
>>867 たしかに軍勝五分をもって上となさなければならないのに
完勝させてしまって妙な万能感で侵略戦争に進ませたことを考えれば
さっさと慶喜を切って徹底抗戦しなければならなかったね
872 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/22(日) 17:09:57 ID:cOXTDMep0
と、昭和軍部のほとんどが東北人で占められ、長州閥を排除した東条英機主導で侵略戦争した事実を棚に上げ、
全部薩長が悪いと主張したい東北人の発言でした。
873 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/22(日) 18:45:44 ID:xHSl2pqu0
確かに、昭和初期の侵略戦争を行ったのは、会津を始めとした東北人たちだ。
中村彰彦が「薩長薩長!昭和期には影も形もないけど薩長の責任!
軍部は東北人ばっかりだったけど、それは武士道!!
薩長薩長!薩長の側だけに責任をとらせるのが正義!」
等と主張しているが、まるで根拠がない。
874 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/22(日) 22:04:53 ID:kNC3atNj0
>>868 情報ありがとうございます
「運命に対する畏敬の念」
初めて知りました。いい言葉ですね
時代と自然に翻弄されながらも克服した万次郎だけに深みがあります
乞食といえば勝の「お師匠様」喜仙院を連想します
性格には乞食ではないですけどね
ところで小鹿が瓦解の時にアナポリスから帰朝して、親父どのにこっぴどく
叱られた、という話を聞いたことがありますが、本当でしょうか?
昔日テレのドラマでもそんなシーンがあり、創作だと思った(なにせそのドラマ
はコミカルなもので、人物や日時の取り違えもたくさんありましたから)の
ですが、最近他の書籍(署名は忘れました)でも何回か見かけたので、気になります
瓦解というのは、戊辰戦争の頃と考えて良いのだろうか?
小鹿に限らず、アナポリスに日本人が留学するのは、岩倉使節団より後だと思うんだが。
留学より前にアメリカに行っているという意味だろうか?
慶喜の弟の昭武がフランスに留学していて、幕府瓦解で帰ってくるが。
小鹿が留学の前にアメリカに行ってるのは知らないなぁ...。
876 :
874:2008/06/22(日) 23:36:07 ID:kNC3atNj0
慶応2年に幕府より官費留学生として、オランダへ派遣する13名ほどの枠に
希望していたのですが、
勝は嫌われ者ですから、候補にも挙がらなかったんですね
でたいそう憤慨して、なんとか金を工面して、翌年自費でアメリカへ送り出し
たんです
その時一緒だったのが仙台藩家老の子で、勝の弟子でもあった富田鉄之助
小鹿はその後10年アナポリスで学んで帰ってきた
とここまではわかっているんです
その後小鹿は体調不良により、海軍予備役にまわされ、明治25年に40歳で
親父殿より先に死んでしまった
残っている写真を見ても、勝よりはお民さんに似て(といっても、お民さんの
写真はお婆さんになってからのですが)、柔和な笑みをたたえ、おとなしい感じ
がします
そんな彼が瓦解の時に無断で戻ってきて親父に叱られた、というのであれば
彼にもまた熱く燃えるものがあったんだなあと思うのですが。。。l
877 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/23(月) 00:17:35 ID:ToKkBT7Y0
明治政府が維新の功労者に勲章を授与しようとして、自らの功績を書いて提出するように
という達しが三舟にも来た。
海舟は功績を事細かに書いて提出した。
鉄舟は白紙で提出した。
泥舟は達しを黙殺し、提出も出頭もしなかった。
……このエピソードって有名?
878 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/23(月) 00:54:38 ID:LB33K83n0
>>876 そのエピソードは小鹿ではなく、富田鉄之助のものだ
(財)七十七ビジネス振興財団のサイトに紹介されている
ttp://www.77bsf.or.jp/index.htm 富田鐵之助は仙台藩士富田実保の四男として1835年(天保6)に仙台で生れた。
富田家は重臣の末席に当たる「着座」の家柄で、
(中略)
藩の命によって再度江戸に上り、蒸気機関および海軍術を学び、次いで勝海舟
の氷解塾に入った。ここで勝の知遇を得て、その子息小鹿が米国に留学する際
同じく塾生であった庄内藩士の高木三郎とともに随行を命じられた。これは徳
川幕府が許可した初めての海外留学で、富田は33歳、1年間千両に上る学費は
仙台藩が支給した。
(中略)
富田一行はボストンで学ぶこと一年、日本では戊辰戦争が始まり、仙台藩が
苦境に立たされていることを知り、富田は勝小鹿の世話を他人に頼んで、自ら
は高木とともに日本に帰国した。そして勝海舟に面会して帰国の理由を話すと
勝は憤然としてその不心得を諭し、
「幕府や諸藩の存続はさしたることでない。大事なことは日本の興廃である。
君達を留学させたのは東北の人材不足を補うためである。」
として、米国に戻るよう説諭し、それに必要な旅費を支給してやった。
こうして富田は米国に戻り、再び勉学についた。しかし、日本では明治新政
府が樹立し、幕府からの留学生は身分が危うくなったが、明治政府は有為な人
材を登用しようと富田など幕府からの留学生も政府からの留学生に切り替え、
学費を支給することにした。
日テレはこれを踏まえて、弟子より息子にした方がどらまっちっくになるからと
脚色したのだろう
件の本は、そこを確かめもせずに鵜呑みにしたんだろうな。教養書ではたまに
あることだ
879 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/23(月) 01:03:29 ID:LB33K83n0
>>877 寡聞にして知らない
けれど勝麟らしいと思う。
彼は合理主義だからね。
だからカッテンディーケやパークス、ホイットニーといった西洋人には理解者
が多かった。
自己の功績をきちんと報告すること、きちんと評価してもらうことは、現代ビジ
ネスの場においても、基本的なことだ。
山岡も高橋も、らしいと思う。
事実かどうかはわからないが、三人の人柄がよくわかる
それをどうとるかは人それぞれだが、
謙虚とか傲慢とか、そういう問題ではないと思う。
すくなくとも俺は、三人とも好きだな。
皆勝麟みたいだら、山岡みたいだったら、高橋みたいだったら、社会はなりたた
ないか、つまらないものになるだろうね
勝麟がなぜ明治政府で高い地位を得るようにしたか
子爵の内示があったのを伯爵にしてもらったのはなぜか
そこをきちんと理解しないと、彼の本当の苦労はわからないと思う。
880 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/23(月) 01:07:29 ID:LB33K83n0
しかし
幕府や諸藩の存続はさしたることでない。大事なことは日本の興廃である
とは彼の見識の高さを示しているよね
幕府を売ったとか、薩長の犬なんて
小さい小さい
少なくとも幕末の福澤もまた、同じような気概を持っていたんだけどね
上野戦争の時の塾生に語った言葉なんかそうだよね
それがなんでまた、「やせ我慢」なんて偏屈を言うようになったんだか
やはり海舟が嫌いだったんだろうね
881 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/23(月) 01:26:04 ID:WNGPzyWW0
>>880 なんでそうなる?
>幕府や諸藩の存続はさしたることでない。大事なことは日本の興廃である
これこそ当時の幕府の立場だろ。
そして薩長は自藩のために外国と組んで内乱を起こしたテロリストにすぎない。
当時の状況で、薩長に権力を投げ渡して、日本の近代化が上手くいく保証はどこにもなかった。
結果論で勝の卑怯な振る舞いを正当化するのは誤りだ。
勝は知識と才能が乏しく、まともな見識は持ち合わせておらず、幕臣時代から、
きわどい政治的パフォーマンスが身上だった。
勝の幕府内の地位は、薩長とのパイプがあるから保たれてるようなもので、
幕府が薩長を滅ぼすことは、勝の足元が崩れることを意味する。
勝が幕府を売ったのは、あくまでも私的な成り上がり願望のためだ。
「今までは 人並の身と 思いしが 五尺に足らぬ四尺なりとは」
この下品な歌が勝の正体を端的に現してる。
882 :
874:2008/06/23(月) 02:46:11 ID:aeDc7JgF0
>>876 慶応2年の留学生というと、榎本のときですね?
自分の調べでは、アナポリスをはじめに卒業したのは薩摩の松村淳蔵で、
1869年入学、73年だかに卒業です。小鹿は71年入学77年卒業のようなので、
岩倉以降というのは誤りでした。
岩倉一行が来る頃に、日本人がアナポリスに入学することが問題になって
議会で云々されたという新聞記事を見たことがあったのですが、みつかりませんでした。
失礼。
883 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/23(月) 03:27:53 ID:uVF6059YO
>>878 有難うございます! すっきりしました
>>882 かなりお詳しいですね
やはりこのスレに書き込んでよかった。勉強になります。
僕は薩のことは無知なもので、松村淳蔵も知りません。お恥ずかしい
人に聞くばかりでなく、自分でも調べてみます。
それにしても勝の人脈は広範囲に及んでいますね
薩摩とはもちろん、坂本がいた土佐、砲台を築いた紀州、そして佐藤与之助の庄内、富田の仙台、、、
一部で言われるように薩長に受けがよかっただけではないことがわかります
むしろ薩も長も勝を煙たがっていましたし、日本人よりは西洋人、シナ人からの評価が高い
もちろん武士階級ばかりでなく、市井の人たちとも広く交わっていた
知れば知るほど興味がわきます
884 :
882:2008/06/23(月) 05:53:55 ID:BqIRaXqw0
小鹿ちゃん(ころくでなく、どうしても「こじか」と読んでしまう)の留学、
ちょっと調べました。
富田と小鹿が一緒だったかどうかわからないのですが、富田のときは、高橋是清
が一緒のようです。是清は船とかで下働きするから乗せてくれ、というような扱いで、
中国人移民と一緒に渡ったと自伝に書いてあるそう。藩や国の留学生ではないようです。
是清のことは226しか知りません。
で、アメリカには1867年の8月(西暦)に渡ったようです。1868年7月のNYタイムスに
「ぬがまうら・いせ」という人が、グラマースクールに行っている、去年の8月
に来たと言っています。随行者2名とのこと。
日本の使節で来た勝の息子、15歳くらい、と言っているので、これは小鹿でしょう。
ぬがまうらは、誰でしょう。中村がなまってる?ちなみに一橋は、すとつばし(水戸なまりか?)。
ヘボン式普及前なので、この時代の日本人の英語表記はメチャメチャです。
67年だと慶応3年なので、榎本と一緒ではないですね。
榎本とオランダに行った人たち、その前後にイギリスに行った人たち(薩摩が多い。
他に、新島とか西周とか)の中にもアメリカに渡ってくる人がいます。
日本に戻ってからのことは、クララ(海舟が長崎で作った子の奥さん。名字ド忘れ)
の日記にも何度か出てきます。目賀田っつーのは誰でしたかね?娘の旦那?
その人も留学してると思います。
海舟はパークスとも懇意ですが、ブルックス(サンフランシスコの日本領事)とも
仲が良かったと思います。
小鹿のアナポリスは知ってましたが、グラマースクールからアメリカなのは
知りませんでした。おかげで知ることができました。ありがとう。
885 :
878:2008/06/23(月) 07:33:26 ID:LB33K83n0
>>884 いやあ、スバラシイ
感謝感謝
小鹿のグラマースクールは自分も知らなかった
是清も一緒だったとは
目賀田種太郎男爵は三女逸子の旦那さんで、専修大学創立者、大蔵官僚(ここ
らへんで是清とかかわりがあるかも)
息子の「バロン・メガタ」こと綱美(つなよし)さんはパリじこみの「目賀田
ダンス」の創始者(?)
クララはホイットニー牧師の娘さん
「勝海舟の嫁」と『クララの明治日記』のキャッチにあったことから、ごく一
部だけど
「海舟は外人と結婚したのか!」
なんて誤解されちゃった。「〜の嫁」と言えばその人の息子の妻なんだけどねえ
>>881 ふむふむ、なるほど大儀のない相手に大儀のない降服をして
その結果自国の防衛という小意のために朝鮮や台湾を侵略して
ヨーロッパ人と同じように行動して大儀を捨ててしまったために今の日本になってしまったのか
俺は100万の人命を救ったなんていってるけど
勝の大儀のない行動のせいで一千万の命と世界中から賊軍の汚名をきせられたのか。。。。
目の前に小銭のために大金を失うの典型だな
887 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/23(月) 20:59:32 ID:uVF6059YO
勝は幕末からずっと、日清朝の三国が連合して、欧米列強に対抗する旨主張していた
日清戦争にも反対し、勝ち戦で終わっても、シナを侮るな、疎かにするなと言っている
888 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/23(月) 21:10:38 ID:Ee+hpVCV0
勝の望みどおり、明治政府は朝鮮人や中国人に日本国籍を与え、
そして、いまの日本の惨状があるわけだ…
清や朝鮮が隣国に存在することは「我日本国の一大不幸」であり、
「悪友を親しむ者は共に悪名を免かる可らず」とし、
「亜細亜東方の悪友を謝絶するものなり」と説いた福沢。
愚かな勝の思いつきは、今となっては笑止な戯言でしかないけど、
福沢の正しさは歴史的に実証され、今なお大きな意味をもってる。
889 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/23(月) 21:53:54 ID:LB33K83n0
明治の勝を巡る人物像は、旧幕時代のそれと遜色ないですな
目賀田さんを調べたんだけど、彼は自分の功績によって受爵をしたんだね
今は「目賀田ダンス」について調べてます
890 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/24(火) 14:27:12 ID:vqq/LjYa0
>>884 是清が藩のお金で留学できなかったのは、自身の素行にも問題があったようです
まあ、若さゆえのことでしょうけれど
そしてやはり小鹿と一緒の船に乗っていました
以下は同じく(財)七十七ビジネス振興財団のサイト
ttp://www.77bsf.or.jp/index.htm からの抜粋です
当時高橋は12歳で、横浜では、ドクトル・ヘボンの夫人について英語を学び
ヘボン夫妻が帰国した後は、その紹介でバラーという宣教師の夫人の下で勉強
した。その後、横浜在住の英系銀行の支配人の下にボーイとして住み込んだが
ここで酒を覚え、その上悪さなどをしたことから、仙台藩が海外留学の人選を
する際、鈴木のみを選んで高橋を外してしまった。それを聞いた高橋は何とか
海外に行きたいとして、イギリスの捕鯨船のボーイとして海外に行くことを決
意したが、たまたま横浜に来ていた仙台藩士の星恂太郎がこのことを聞いて、
大童との間をとりなし、勝小鹿が富田鉄之助らとともに米国留学に行く際、同
じ船の3等船客として鈴木とともに行くことを認めてくれた。
その後も、下宿先の主人に騙されて奴隷として売られそうになるなど、苦労を
重ねています
若いときから波乱万丈の人です
891 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/24(火) 20:23:03 ID:u0mQx3o30
>>889 勝の言う通りにアジア連合体を作ろうとしたのが東北人の東条や越後長岡出身の海軍のドン山本。
彼らは大東亜共栄圏という勝よりもとんでもない事を考えた。
そして戦争をやって負けて日本を滅ぼしてしまったのだ。
俺も君と同じく、愚かな東北人の思いつきは、今となっては笑止な戯言でしかないと思うよ。
892 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/24(火) 21:25:45 ID:vqq/LjYa0
從古當路者、古今一世之人物にあらざれば、衆賢之批評に當る者あらず。不計
も拙老先年之行爲に於て、御議論數百言御指摘、實に慙愧に不堪ず、御深志忝
存候。行藏は我に存す、毀譽は他人の主張、我に與からず我に關せずと存候
893 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/24(火) 22:34:09 ID:8RM0vUXM0
勝は時代遅れの蘭語を少々囓っただけの男。
英語はからきし。世界に対する知見は皆無。
自信満々で艦長となった咸臨丸では船室にひきこもり無能っぷりをさらけ出す。
日本人に戦艦を建造することは500年かかっても無理と主張し横須賀造船所建設を妨害。
幕府と倒幕派の間を二重スパイとして渡り歩いて形勢を観望。
江戸開城は自分の出世のために幕府を売っただけ。
維新後は明治政府に冷遇され、不満たらたらの余生を送る。
894 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/24(火) 22:50:52 ID:u0mQx3o30
と、鳥羽伏見に負け将軍家に朝敵の汚名を着せ、勝からも見捨てられた会津藩が好きな馬鹿が叫んでいます。
895 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/24(火) 23:01:09 ID:u0mQx3o30
それはともかく、会津ってな都合の良い言い訳をたくさん作ったと思うw
鳥羽伏見に負けた原因は徳川慶喜が逃げ腰だったから→実際は、刀槍しかない癖に絶対勝てるといった会津藩が一番最初に逃げ出した事が敗因。
勝海舟は幕府を売った薩長のスパイ→実際は、将軍家が恭順すると言っているのに江戸で決戦を叫び、勝つから江戸を追放した逆恨み。
会津は薩長に無理矢理戦争を仕掛けられた→恭順すると言っておきながら、北関東で徳川脱走軍を協力支援。恭順の姿勢まるでなし。
斗南に流罪にされた→実際は、斗南と猪苗代の二カ所で、会津が自ら斗南を選択。
薩長は会津人を不当に扱った→会津藩士の有能な者は政府が積極的にスカウトして新政府の要職を歴任(山川大蔵や山本覚馬など)
などなど
ありとあらゆる事柄すべてに言い訳が作られている会津史って凄いと思ったw。
896 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/24(火) 23:07:58 ID:OaSeAlWh0
現代日本でたとえれば勝海舟は北朝鮮の工作員のようなもの。
北朝鮮が日本を侵略するような局面で、
戦争反対と隣国との融和を説き、
自衛隊の解体を工作した売国奴が勝。
897 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/24(火) 23:34:14 ID:FbY+LmH+O
じゃ、勝が幕府側を売らなかったとして、どういうのが良かったのか?
負けた側の誰がどういう政策を取るのが希望なんだい?
その後の日本には反論があるのだと思うが、鹿鳴館が恥ずかしいとか、
そういう次元じゃない話で。是非聞かせてくれ。
899 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/24(火) 23:52:16 ID:u0mQx3o30
どーせ会津の逆恨みでしょw
単に勝や慶喜の悪口を広める事で、会津が正しく勝や慶喜が馬鹿だっただけという下らない主張さ
例えるなら
「ぼくはリアル世界でもネット世界でも孤独だった。悪いのは社会だ。だから人を転します」と言っている奴と大差ない
900 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/25(水) 00:23:56 ID:BOIiRlB10
凡例
「900ゲッチュウ!した俺は、俺なりに満足した」
901 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/25(水) 00:53:11 ID:tQEOGLyc0
会津の逆恨みとか、江戸開城から70年以上後、勝が死んでからでも数十年後
の大東亜戦争まで持ち出さないで、きちんとした史料に基づいて、きちんと
語りましょうよ。
893さんあたりのが、勝に対する批判の定番なんだけれど、
まず勝が修行した時代には英学なんて陰も形もなく、蘭学しかなかった。しか
もその蘭学を学ぶことは危険視されていた。彼自身禁足を食らっています。
そして彼は医学でなく、兵学を学んだ、これが特色
剣術の師の島田見山が勧めたというが、見山の時代に対する危機感、見識も見
事なものでしょう。ちなみに島田は中津藩出身です。
確かに勝の蘭語は、例えば翻訳を学資の糧としていた杉純道から見ればグラマ
チカなど物足りないところがあったかもしれないが、彼は言語学者ではなく、
蘭語も兵学を学ぶための道具です。
次に咸臨丸での勝の態度ですが、福澤の自伝では、彼の主人である木村芥舟に
対する勝の態度にかなり怒っていて、勝のことも悪く書いている点に注意。
福翁自伝の勝の描写は差し引いて読まなければなりません。
日本人は初めての体験で皆船酔いがひどく、勝ばかりがだらしないのではあり
ません。福澤は体質で船酔いに強かっただけ。
咸臨を実際に指揮したブルックの日記には、船酔いが治った後の勝の俊敏な動
きを捉えています。しかも
「彼は不機嫌になるということはなかった」
という一文には注目すべきでしょう。幕府内の身分がそのまま船内に持ち込ま
れ、艦の運営がうまくいかずいらだっていたのは勝もブルックも同じ
そのプロの海軍軍人の目から見た文と、多分に私情を交えた福澤の文、どちら
が真実を伝えているかは、自ずと明らかですね
さて、勝を褒めてばかりは片手落ちですので、彼の失態も述べましょう。
咸臨でのかれのミスは、乗船前から体調不良で、自分では「コレラかもしれな
い」と判断したのに、あえて乗船したこと
(ゆえに館長室に引きこもったのですが)
ちなみにブルックは
「館長は下痢」
と記しています。
館長として、そのような体調であれば医師の診断を受け、場合によっては潔く
乗船をあきらめるべきでした。
902 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/25(水) 01:03:45 ID:tQEOGLyc0
それから勝は明治政府から冷遇されていません。
むしろ静岡藩(徳川宗家)から冷遇されていました。江戸開城時には陸軍総裁、
そして軍事総裁として、終戦処理内閣のトップに立っていたにもかかわらず、
静岡藩では家老、中老の下の、幹事(ちなみに山岡鉄舟も幹事)。
しかし明治政府は静岡の代表者を勝とみなし、たびたび上京させています。
そして三条、岩倉、大久保らは勝に外務大丞をさせようとあの手この手で説得
します。
この時期勝が明治政府に出仕しなかったのは、正直それどころではないから。
旧幕臣の世話もしなければいけないし、何より旧主人慶喜が朝敵のままであ
ることに憤りを感じていたからです。
その後も明治政府は勝を海軍大輔にしたり、元老院にしたりと、彼を厚遇して
います。
903 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/25(水) 02:22:29 ID:DcjeCHC6O
小栗上野助 生きてたなら、造船技術もとか
904 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/25(水) 08:52:41 ID:88AXEjAc0
「我々が勝つことができたのは、小栗上野介のおかげだった」東郷平八郎
勝の謀略で横須賀造船所が潰されてたら、
日本はロシアの植民地になるところだった。
てか幕府なんか大政奉還以降に存在しません
んで武家にとって御家断絶を避けるのは当然
あれは東郷の馬鹿が無知なだけ。
小栗が作った造船所など、小さく、そして時代遅れで、
造船などできません、造船や補修をしたのは、後に明治政府が拡大したから。
そして日露の勝因は、イギリスから船買いまくったから。
907 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/25(水) 12:06:09 ID:ZYAxA7AgO
横須賀造船所が勝の謀略で潰れたって、ホント??
当時の勝にそれほど権限があったとは知らなかった
つーか、いろいろ忙しいんで、保留ってことじゃないのか?>造船所
明治になってから、天皇が行くじゃん。あれは製鉄所だけなん?
別に、幕府が作った施設だから新政府が使わないってことでもないし、
小栗は小栗で、ちょっと時流に乗れなかったけど、馬鹿とも思わんが。
描いていた図が違うということだろ。
てか、小栗ファンは埋蔵金の場所おしえれ。
909 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/25(水) 19:34:26 ID:ZYAxA7AgO
>>908 レスさんくす
謀略て、やはり根拠の無いワルクチだったんだね
910 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/25(水) 20:29:55 ID:xoabwT6B0
数学家としての頭脳と卓抜した技術力、事務処理能力によって
陪臣から幕臣に取り立てられ、勘定奉行という官僚としての
最高位に抜擢された幕末最高のテクノクラート(技術官僚)。
咸臨丸の航海、木村摂津守との海軍増強計画など日本海軍揺籃期
の真の立役者の一人。勝海舟が一方的にライバルと思い込んでる為、
技術官僚としては無能でも時勢が混乱し「混乱の調停者」としては
日ノ本に替わりになる者の無い勝が表に出てくると、常に勝の嫌が
らせにあうことになる、不運な人物。
最終的には、勝が鳥羽伏見戦後の幕府指導者になった事により、
鳥羽伏見戦のA級戦犯として(現地に居なかったにも関わらず)
投獄されてしまう。下獄後、当時の技術力の必要な最重要課題
である“鉄道敷設の調査員”として、現在の東海道線、東北本線
敷設進言に大きな役割を果たした。晩年は製塩事業に注力したが
経済的には不遇であったという。勝は自らを海軍の創始者であり
技術官僚であったと喧伝しているが、実際は数学が出来ず、同僚
への嫉妬心が強いため組織の中間管理職としては全く無能で平時
には役に立たない人物だが、当然本人はそれを認めたがらず、
自分を追い越し常に「本来自分が居るべき場所」に座っている
友五郎に激しい敵意を抱いていたようだ。
911 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/25(水) 20:32:41 ID:xoabwT6B0
↑小野友五郎のことね。
咸臨丸は小野のおかげで太平洋横断に成功した。
912 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/26(木) 00:21:28 ID:i1srMnMa0
川路聖謨は江戸開城の翌日に自決してる。
日本にとってかけがえの無い人材を失い、
勝のようなゴミがのさばったのが明治維新。
913 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/26(木) 00:34:00 ID:2IHRKQMf0
↑彼がどんなに勝の罵詈雑言を捲し立ててみても、
歴史は変わらず、勝の評価も変わらない。
唯一変わるものがあるとすれば、
>>912の基地外ぶりだけだろうw
914 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/26(木) 06:49:05 ID:x8Nlw2Cc0
友五郎の話は、藤井哲博『咸臨丸航海長小野友五郎の生涯 幕末明治のテクノ
クラート』(中公新書)によったものでしょうね
良書ではありますが、友五郎に肩入れするあまり、感情的になっています
歴史的な事実があったことを証明ができますが、当事者がどんな思いでそれを
なしたかを証明するには、当時者のその時の書簡や日記によるしかありません
海軍伝習所自体の勝の友人宛の書簡には、確かに理数系の学科についてゆけず
ものすごいプレッシャーを感じていることが書いてあります。しかしそこに
友五郎の名前は出てきません。
勝と友五郎をクローズアップすると、対立があったかと勘違いしますが、勝に限らず
友五郎以外の殆どが数学に四苦八苦しているのです。当然です。今まで訓練を受けて
いないのですから。しかも年齢が高い。
友五郎は天才なのです。
咸臨での友五郎の働きは、すごいものだとは認めますが、彼のおかげで成功した
というのは、短絡的でしょう。ブルックたちアメリカ人、や日本の他の士官たち
の働きを無視してはいけません。
戦犯に指定されたのは友五郎には気の毒としか言いようがありませんが、しかし
そこに私怨が入っていたかどうかを証明する手立ては何もありませんよね?
だからいかようにもいえるわけです。
勝はやりたくない仕事だったろう、とも、断腸の思いであったろう、とも、ね
友五郎は木下大内記たちの与党でありましたから、そのとばっちりを食った
というのが実情に近い。
他にどのような人がリストに挙がっていましたか?
そこらへんまで広げて、調べなければ駄目です
912さんは単に勝が嫌いなだけでしょう。
川路も、勝も、己の信ずるところに従い、行動をしたまで
また勝独りではなく、山岡や大久保も、己の信念に従っていました
それを一方を良しとし、他方をゴミとはよく言えたものです。
これは平和で情報にあふれる現代の僕らにはまねができませんね
915 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/26(木) 07:43:03 ID:v4XcWg1r0
活の行動で気に入らない点があるとすれば、1864年の時点で
「幕府はもうダメ」「大政奉還すべき」
との認識に達しながら、長州戦争の講和で慶喜に約束を反故にされると
さっさとあきらめてひきこもってしまったこと。
ダメだと思ってる幕府の禄を食むのは欺瞞じゃないのか。
幕府の存続が日本の為にならないと本気で思うのなら、脱藩(公儀直参の場合何と言うのかしらんが)
でもなんでもして、討幕運動に身を投じるべきじゃないのか。
できないよな。
良くも悪くも江戸の旗本だもん。
松浦玲「勝海舟」で、鳥羽伏見後のことを
「慶喜は既に諦めてしまっている。勝は諦めるわけにはいかない」
というようなことを書いているが、これはひどいのではないだろうか。
たとえ勝の眼からみれば頑迷な抵抗勢力だろうが、慶喜は幕府のために必死で頑張ってきた。
勝や春嶽のように、うまくいかなかったらさっさと投げ出すと言うことをしなかった。
勝や春嶽は江戸っ子・江戸生まれだから、諦めも早いんだな。
916 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/26(木) 07:50:09 ID:x8Nlw2Cc0
それはポジションの違いで、
慶喜もうまくいかないからさっさと投げ出したことは何度かあったよ
鳥羽伏見後は勝も投げ出すことが許されないポジションになっただけ
ところで慶喜も江戸生まれではないのかい?
917 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/26(木) 07:55:56 ID:8TIMPRI8O
江戸生まれだけど、水戸育ち
烈公の教育方針による
918 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/26(木) 08:44:48 ID:v4XcWg1r0
何度かあった?
面目丸つぶれになることを知りながら長州大討ち込みをやめたのは、
勇気ある賢明な判断というべき。
919 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/26(木) 09:07:37 ID:8TIMPRI8O
何度もあったよ
宗家家督継承以前にね
咸臨丸は肥田も活躍してるから、入れてやってくれ。
肥田は、その、勝が潰したとかいう造船所関係、その後やっとるだろ?
岩倉使節のときも、その係だし。
ブルックスの感想としては、
木村、勝は頭がいい
小野と肥田が使える
一番役に立ったのは万次郎
万次郎は捕鯨船の上官だから当然といえば当然だが、ほかの乗組員にいぢめられて
いたようだ。それで、アメリカ人乗組員と歌を唄ったりしていたのだ。
ブルックスは、オランダの航海術つーのがいかん、と言ってるが。
小栗だ!勝だ!って馬鹿みたいな議論だなw
慶喜に戦意が無い以上、どんなに素晴らしい策を考えても絵に書いた餅
勝にも小栗にも、戦意はないんじゃね?
923 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/26(木) 13:16:17 ID:8TIMPRI8O
ブルックの記録で気になるのは
「(勝は)歯を閉じたまま話す」
反っ歯を気にしてたんだろか。それとも、もともと?
924 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/26(木) 13:27:55 ID:tbRlkxPhO
ブルックには、そうみえたのだろう。
925 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/26(木) 17:46:49 ID:AHlAtifv0
>>1戦争で解決してた時代に話し合いで事無きを得たのは凄い事だよ。
それに「抵抗する=骨のある奴」とは言えないよ。会津みたいな例もあるんだし。
926 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/26(木) 21:35:07 ID:k5i0PNyN0
咸臨丸プロジェクトの計画立案者は木村喜毅、永井尚志、岩瀬忠震。
咸臨丸司令官は木村喜毅。
咸臨丸の事実上の艦長はアメリカ人のブルック大尉。
太平洋上で11名のアメリカ将兵とともに働いた日本人は
ジョン万次郎、小野友五郎、浜口与右衛門だけ。
木村に泣きついて「艦長」の座に着いた勝は、
海上ではほとんど船室に引きこもったきり。
突然ぶちきれては「一人で日本に帰る」と言いだし周囲を困らせた・・・
もう苦笑するしかありません。
木村摂津守の「奉使米利堅紀行」を読みませう。
927 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/26(木) 22:04:22 ID:gi5mrb6a0
928 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/27(金) 10:58:22 ID:Z5vXo5WrO
>>926 その芥舟も艦で何の役にも立ってない上に、福澤という、これまた冷やかしの員外を乗せ、貴重な人員枠を潰しているのだが
聞きかじりの知識で自説に都合のいい部分のみつぎはぎするのはやめて、他の声にも耳を傾けなけれあ、駄目だ
カンリンで活躍したのが肥田と小野、万次郎だけだって? 笑止
前レスで名前の出てきた奴だけしか挙げれないとは
それからプロジェクトの立案者は安政の大獄で左遷され、実務は勝がやったのをご存知ないの?
929 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/27(金) 11:30:07 ID:EO5IXm170
まあ木村は行政官であって、技術官僚ではないから、プロジェクトの実務(木村
はプロジェクトのリーダーを引き継いだのであって、発案者ではない)は勝に
任せるしかなかったと言うのが実情でしょう
もちろん木村も何もしていなかったわけではありませんが
例の「アメリカ人の手は借らないで」日本人だけで操縦(?)して行ったという
海舟も福沢も言ってる言い回しは
1890年代の日本の国家主義みたいなものが絡まっているらしい。
実際は石炭足らなくて、途中から帆船航海とか。
咸臨丸で、万次郎、小野、肥田、浜口以外に船上で活躍してるのって誰です?
自分が見てるブルックス関係の資料では、それ以外の人に気付いてないので
見逃してると思う。これは恐らく行きだけの話だと思うので、帰りはわからんけど。
あと、水夫とかもわからんけど。
このときだっけ?福沢が使い込んで辞書とか買ってくるのって?
空海みたいだな、と思った記憶がある。
931 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/27(金) 12:33:16 ID:EO5IXm170
>実際は石炭足らなくて、途中から帆船航海とか
これは当時の蒸気船は皆採っていた方法です。全部賄えるほどの量は積めません
からね
咸臨丸で「活躍」したのが例の三人だけ、というのは、中立視点でのブルック
の記録から、確かなことでしょう
928は「ともに働いたのが」彼ら三人だけ、という書き方に意義を唱えたのだと
思います。確かに「活躍」こそしなかったものの、皆それなりに働いています
からね。全く役に立たなかったこともありますが、ずっと寝込んでいたわけで
はありませんから
小なりとはいえ軍艦を、十数人で動かせるわけはありませんものね
辞書の話は私はわかりません
ウェブスターをはじめて日本に持ち帰ったという話だったと記憶していますが、
それが新品か中古か
当時の福澤の経済状態や当時の出版状況からすればそうだったのでしょうね
932 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/27(金) 20:52:30 ID:14i/80/r0
>>931 >皆それなりに働いています
しかし、勝だけはなにもせず、文句だけは人一倍。
勝のような玉なし野郎は、太平洋に突き落とすべきだった。
933 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/27(金) 21:03:17 ID:08k6YGqT0
↑なんか前々から必死に勝に噛みついているんだが・・・
個人的に恨みでもあるのか?
どうせ書くなら、書く意味のあるレス付けろ。
罵詈雑言書いて自己満足してりゃ、世話ねーぞw
934 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/27(金) 22:26:13 ID:EO5IXm170
まあ昔から海舟嫌いはいますからね
そして判を押したように
咸臨ではだらしなく寝込み、起きだしたらヒステリーを起こした
幕府を売った
伯爵になって悠々と暮らした
なんていってます。加えて最近は
海軍伝習所で劣等生だった
これは藤井哲博『咸臨丸航海長小野友五郎の生涯 幕末明治のテクノクラート』
(中公新書)が出てきてからですけどね
咸臨丸での勝の行動を非難する人は大体福澤か木村のものしか読んでいない
まず福澤は勝に私怨がありました
塾が立ち行かなくなった時に勝を通して徳川家に資金援助を頼んだけれど、
断られたこと、これが大きい。それ以後福地などと組んで、勝批判をする
木村は勝の上司で、おおらかな人物だったけれど
「あれは船酔いではない、不貞寝」
という観点で見ています。有能な部下のジレンマを知りつつ、もてあましぎみ
だったのでしょう
当然二人とも咸臨の中では「お客さん」でした
木村を「司令官」という人はいるが、それは違います。彼は遣米使節のリザー
ブであって、「司令官」を拝命してません。彼をアドミラル、勝をキャプテン
と呼んだのは米国で、そう解釈しないと、二人の上下関係が把握できなかった
からです
(福澤はそれすら捻じ曲げて、自伝中で「艦長は時の軍艦奉行木村摂津守、こ
れに随従する指揮官は勝麟太郎」と一段落としている)
ブルックは、日本の士官のだらしなさに憤慨しつつも、日本海軍ができたばかり
であることを考えればしかたがないかも、としてます
もし勝が本当に艦内でもてあましものだったら、ブルックの記録に当然出てくる
はず
しかし彼の描写する勝は、上で何人かが書いている通り
まあ勝が寝込んだのは、乗船前から病気であり、それを伝染病だと自己解釈した
からで、そう思っていたのなら、乗船をやめるべきだったのですがね
咸臨丸渡米というプロジェクトで、艦の選択から人員のリストアップなど、(
決定権はなかったが)実務をやってきたゆえに、人には譲れなかったのでしょう
935 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/27(金) 22:34:22 ID:EO5IXm170
勝のことをふぬけだとか、武士の風上にも置けぬとかする輩もいますが、
後世の僕らがぐちゃぐちゃいうより、
当時「もののふ居士」というあだ名が在り、「もののふとは」が口癖で、政敵
すら認めざるを得ない潔白さと頑固さをもった大久保が、勝を見出し、上司と
して、後には同僚として支えたことを見れば、充分でしょう
936 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/27(金) 22:49:51 ID:2nwW5d/d0
小栗上野介:
名門旗本の血筋。
育ちがいいため人柄は無私で高潔。
頭脳明晰で幕末期最高の知性のひとり。
志の実現のためなら軋轢を恐れない。
明治政府の開化政策のほとんどは小栗構想の二番煎じ。
勝海舟:
高利貸しの祖父が御家人株を買って武士となった家系、
武士とは言っても最下級の身分。
卑しい出自のため強烈な成り上がり願望をもつ。
知能は低いが持ち前の図々しさで詭弁を弄することが得意。
幕府を売って新政府高官の地位をゲットしようと試みるが、
恩を売った薩長に足蹴にされ、愚痴と法螺で余生を費やす。
937 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/27(金) 23:33:35 ID:EO5IXm170
本当に罵詈雑言で自己満足の、意味のないレスですねえ
歴史を語ることと、妄想や僻みを語ることを一緒くたにしないで欲しいですね
あなたの勝批判は、旧幕臣のそれと同じです
平成の世に出自身分を持ち出すなんて、滑稽ですねえ
まして根拠のない中傷はやめましょう
「知能が低い」の根拠は?
上にも書いてありますが、勝は明治政府から冷遇されていません
>新政府高官の地位をゲットしようと試みるが
あきれて物が言えませんね。江戸開城直後から、高位高官を提示されているの
ですが、すべて断っているんです。こんな基本的な知識も無しで、歴史を語ら
ないでください。少なくとも自分が言及する人物と時代については調べてくだ
さい
勝、大久保が明治で何をやったかを少しも知らないのですね
こんな人たちのためにも、『這うが如く』がドラマになるといいですねえ
薩長にも足蹴にはされていない。薩摩にはむしろ、かなり懇意だろ。
小栗は小栗でえらいと思うが、幕府の末期には、裏目に出る政策を
取ってしまっている。
勝の方が時代を感じる素質を持ってたってことだろう。
てか、勝と小栗を比べるのが、なぜ?!って感じだが。
939 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/28(土) 00:32:18 ID:oBZF/p+A0
教養書の類で勝と小栗をライバル、としているものがいくつかあるからでしょ
うねえ
しかし、本当に勝批判の論調は明治期のそれと殆ど変わっていないから、あき
れます
オカルトなどのトンでもが、何十年経とうがその論調をちっとも変えないのと
同じですね
940 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/28(土) 02:37:45 ID:GVfJ+OAk0
チキンだよな
英雄視うぜ
941 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/28(土) 02:44:11 ID:tRuhraB5O
英雄視?
事実を述べているだけだし
勝の短所も弁えているが
例えば934の最後とか
間違っても936の「知能は低い」みたいな根拠のないことは書いてないぞ
942 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/28(土) 05:50:58 ID:tuSYCePf0
>>934 そもそも木村喜毅は軍艦奉行であり、勝よりも身分が高い。
そして遣米使節団の乗るポータハン号の護衛を命じられたのが木村。
木村は司令官として咸臨丸プロジェクトを統括し、乗員の人選を一任されていたわけで、
勝を木村より格落ちと見なした福沢は正しい。肩書きをどう表現するかは副次的な問題だ。
勝は渡航前から、日本人のみの航海を強硬に主張し、外国人の乗船に反対していた。
しかし勝を信用していなかった木村は、座礁した遭難者をアメリカに帰還させるという名目で、
アメリカ人水兵たちを乗船させている。
つまり「お客さん」はアメリカ人達であり、本来なら勝が操船を行う義務があった。
勝はその任務を放棄し、終始船室に引きこもっていたわけだから、腑抜けと批判されてもしかたがないだろ。
まあ、仮に勝の言い分どおりアメリカ人を乗せなかったら、咸臨丸は荒天の太平洋に沈んでいたわけだから、
職務放棄以前に、自分の無知無能を棚に上げて遠洋航海の技能のある外国人の排除を主張した時点で、
勝は危険で無責任な詐欺師であったことになる。
ましてや「乗船前から病気であり、それを伝染病だと自己解釈した」ならば、絶対に乗船すべきではない。
君は、伝染病を咸臨丸に持ち込んだことをもって、勝のヘタレを擁護しようとしてるけど、
本末転倒な評価としか言いようが無い。
いずれにせよ、咸臨丸の成功は、勝の無能さを織り込んだうえで諸事を取りまとめた木村提督の英知、
及び、ブルック大尉以下十数名のアメリカ人水兵の高度な技量によるもの。
943 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/28(土) 06:46:34 ID:kS85AKcE0
ま、勝の罵詈雑言書く奴なんて大概会津ファンだしな。
どうせ会津藩を江戸から追い出した事を逆恨みしているだけだろw
木村?木村が幕末史の歴史を変えたか?w
勝は幕末史に欠くことができない存在だが、木村はいなくても問題ない。
教科書に載せるべき人物か否かでその価値は歴然だろ。
944 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/28(土) 07:51:39 ID:oBZF/p+A0
別に擁護なんかしてませんよ
「乗船をとりやめるべきであった」と書いているでしょ
盲目に英雄視せずに、欠点は欠点と認識しているんです
人のレスはちゃんと読んで下さいよ
>肩書きをどう表現するかは副次的な問題だ
私はね、福澤の悪意を言ってるんです。彼は勝に含むところ大で、肩書き一つ
見ても、意地悪く書いてある。そんな彼の証言を真に受けて勝を批判したらい
かんという意味です。
>しかし勝を信用していなかった木村は、座礁した遭難者をアメリカに帰還させるという名目で、
アメリカ人水兵たちを乗船させている
これまた勉強不足ですね。まず「勝を信用していない」というのは、どこにも
書いてありません。「勝たちを」とするのが正しい
次にブルックを乗せるように命じたのは幕府であって、木村ではありません
木村は従ったまでです。確かに木村も彼らがいたほうが心強く、結果、彼らの
おかげで無事渡米できたのですからね。これは木村の功績に数えてよいでしょう
私はね、あなたたちのように、是を誉めそやすために、彼を貶めるなんてしま
せん。
>腑抜けと批判されてもしかたがないだろ
だから判断は人それぞれですが、現場にいたブルックがそう判断していないんです
なぜならできたばかりの日本海軍に、そこまで求めるのは酷だから
当時の北太平洋は、まれに見る悪天候で、最悪の状況に出会っちゃったわけ
それに勝ばかりを腑抜けとするのも正しくないですね
後世の僕ら(何もせずに太平楽をきめこんだ福澤も含む)がごちゃごちゃ言うより
ブルックが特に非難していない、これで充分です。
そして悪天候は最高の教師でして、帰路は本当に日本人だけで船を動かしたのです
船の選択、人員のリストアップ、必要な物資の調達を主に行ったのは勝である
ことをお忘れなく
(ブルックの乗船を反対したのは事実)
945 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/28(土) 07:55:27 ID:oBZF/p+A0
念のため。わたしは別に福澤を貶めるつもりはありません
彼もまた偉大な人物だと思ってます
福翁自伝も非常に面白く、彼のその見識には尊敬しますけれど、
勝の描写だけはいただけない。いくら立派な人の書いた文章であれ、私情から
事実を捻じ曲げたらあかん、といっているんです
どんな人にも欠点はあるんです
946 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/28(土) 07:57:29 ID:kS85AKcE0
で?満足したか?
満足したさっさと会津スレに帰ってくれ
お前がどんな罵詈雑言を書こうと、勝が歴史に残した偉業の数々は消える事はない
西郷とか勝のことを内心バカにしてたと思うよ
「漢(おとこ)には負けると分かっていても戦わなきゃならない時がある」byハーロック
勝は漢ではなくサムライでもなかった
サムライとは命より大事な守るべき価値を持つ者のことだから
「武士道とは死ぬ事と見つけたり」by新渡戸
948 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/28(土) 10:00:28 ID:kS85AKcE0
漢?サムライ?馬鹿かw
武士の意地とヤラで百姓町人を戦争に巻き込んで被害をまき散らした会津の論理だ。
政治家のすべき事ではない。
当時必要とされた人材は、漢でもサムライでもない政治家だ。
949 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/28(土) 12:05:37 ID:R5pkZvL10
>>944 >私はね、福澤の悪意を言ってるんです。
アメリカ水兵がいなかったら、勝の伝染病が本物だったら…福沢は死んでた。
勝のせいで死に掛けた福沢が、勝を良く言わないのはあたりまえだろ。
悪意でもなんでもない。
身近で勝の自己中な横暴を観察してた福沢の意見がすべてだ。
>ブルックがそう判断していないんです
ブルックが、日本人一般と勝を明確に区別していなかっただけ。
ホラ話を信じ込み勝を英雄視してる奴には認めがたいんだろうけど、
勝は、まともな操船技術もないくせに艦長として自分を売り込み、
アメリカ水兵の乗船を拒み、そして、船内でずっとゲロを吐いてた。
そのフヌケぶりはちゃんと直視しなければいけない。
950 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/28(土) 12:08:10 ID:kS85AKcE0
↑なんか前々から必死に勝に噛みついているんだが・・・
個人的に恨みでもあるのか?
どうせ書くなら、書く意味のあるレス付けろ。
罵詈雑言書いて自己満足してりゃ、世話ねーぞw
951 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/28(土) 12:13:14 ID:R5pkZvL10
>>948 馬鹿はオマエだ。
薩摩は益満率いるテロリスト集団を送り込み、
江戸内外において無差別殺人、強盗、略奪、放火を繰り返してる。
百姓町人を戦争に巻き込んで被害をまき散らしたのは薩摩だ。
そのテロリストと内通し、益満や薩摩をかばい、幕府を敵に売り渡したのが勝。
勝の卑怯な裏切りを正当化するのはテロリストの論理だ。
「武士道とは死ぬ事と見つけたり」>葉隠だろうが
953 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/28(土) 12:22:02 ID:kS85AKcE0
>>951 アホらしw
だからな。
そういった薩摩の徴発にも乗らず、怒りに耐えて江戸を戦火から救った勝が凄いと言っているんだが?w。
言っておくが、勝は益満らを交渉のカードに使っているんだよ。
政治家だろ。小栗はどうさ?
怒り、怒りにまかせ薩摩藩邸を焼き討ちし、ついには大阪の旧幕軍の出兵に発展させた。
その結果はどうさ?鳥羽伏見の負け戦と朝敵のレッテルだろw。
どちらが政治家として優れていたかは、結果を見れば明らかだ。
いい加減逆恨みするの止めたら?会津ファンのアナタ。
954 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/28(土) 12:26:18 ID:kS85AKcE0
ま、官僚として小栗が優れ勝が劣っているという意見には賛同するけどなw
955 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/28(土) 19:35:19 ID:Ngwz0QOS0
この件に関しては小栗が正しい。
最強の幕府艦隊を二つに分け、駿河湾から東海道の薩長勢を叩くとともに、
別働隊が江戸湾に入って艦砲射撃を浴びせる。
後に大村も小栗の主張が通っていたら我々の首は無かったと述懐してる。
勝は敵のスパイとして振る舞い勝機を潰したわけで、要するに売国奴だね。
旬な話題だな
勝の功績
大日本帝国1889年〜1947年(享年58歳)に政権移譲して
たくさんの日本人を殺しました
すばらしい人物です100年先をみこしてますね
自分でいう通り
958 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/28(土) 20:40:17 ID:o5igjEfQ0
>>955 大村は鳥羽伏見の戦いに薩長は負けると予測したが、実際には勝っている。
大村の言う事が必ずしも正しいとは限らない。
ついでに言えば、小栗の作戦は誰でも予想できる作戦であって、故に新政府軍の主力は海の無い東山道を進んでいる。
東海道軍は総司令部ではあるが、囮の役だ。
小栗案が採用となっていたところで、江戸総攻撃して終わりだw。
959 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/28(土) 20:44:47 ID:o5igjEfQ0
>>957 またそのネタかよw
大日本帝国自体は議会制。この議会制を無視する軍部を蔓延らせたのが東北人だよ。
彼らは薩長閥打倒を掲げ、軍閥の力で倒した。
軍部で政府議会を牛耳ったかれらが日中戦争や太平洋戦争で敗北しただけだろw。
ものの見事に「ごかましとやまかし」の論理だ。
960 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/28(土) 20:57:49 ID:cjSLDnOw0
戦わずして人民を救うか、無駄に戦って人民を巻き込んだ挙句に恨族と化すか?
さぁ、キミたちはどっちだ?w
961 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/28(土) 23:33:41 ID:vfnaAjPM0
>>958 >大村は鳥羽伏見の戦いに薩長は負けると予測したが、実際には勝っている。
慶喜が徹底抗戦する前提で予測してるからね。
そして仮に慶喜が大阪城に陣取って徹底抗戦してれば、大村の言うとおり薩長に勝ち目はなかった。
逆に言えば、将軍の夜逃げという例外的な要因に救われたということ。
>故に新政府軍の主力は海の無い東山道を進んでいる。
その状態で幕府が総反撃に出たら、討幕軍の主力は補給を受けられず、
ジリ貧となり包囲殲滅されてた。
制海権をどちらが握るかが戦況を左右するんだよ。
962 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/29(日) 00:03:51 ID:Pw6pZx300
>その状態で幕府が総反撃に出たら、討幕軍の主力は補給を受けられず、
>ジリ貧となり包囲殲滅されてた。
大丈夫だ。江戸までは行ける。江戸まで行ってしまえば江戸城を落として幕府軍は補給不足になるだけだw。
>制海権をどちらが握るかが戦況を左右するんだよ
都市の占領支配は陸兵である歩兵にしかできないことだよ。
制海権など対した問題ではない。しかも最大の消費地江戸へ米を輸送する為に陸路の方が開発されている。
江戸占領した後に横浜のドックを抑えてしまえば、このドックでしか修理ができない海軍なんぞ自滅するだけだ。
どうでもいいが、お前は長州の大村信者なのか幕府の小栗信者なのかどっちだw
小栗と大村の言い分をご都合主義で使いまくるねw。
>>961 >制海権をどちらが握るかが戦況を左右するんだよ。
そこまでの影響はない。
補給戦を読めば分かるが、ナポレオン戦争の頃は弾薬の補給を全く必要としていない。
普墺・普仏戦争の頃に至っても、馬車による微細な補給と現地調達で事足りた。
大鳥が宇都宮で落胆したのは、持ち出しが少なかったのとあそこを策源地として持久するつもりだったからだろう。
食糧も含めた自給なんて思いもよらない時代だよ。
海軍を用いるなら後背地、特に大坂上陸という手が一番有効だと思われるが、
輸送に使える船腹とそれだけの賭けを断行する意思があったか無知ゆえに分からんので何とも言えん。
あと大村が本当にそんな事を言ったのかも俺は知らん。
965 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/29(日) 02:36:43 ID:e9uW8RUQ0
>>962 >米を輸送する為に陸路の方が開発されている。
幕府が薩長討伐の方針で総反撃に打って出たという前提なら、
周囲敵だらけの関八州の陸路は薩長にとって危険極まりないルートになってる。
>江戸占領した後に横浜のドックを抑えてしまえば、
横浜を戦火に晒したら、外国人居留地にも影響が及び、討幕派は英仏を敵に回すことになる。
さらに横須賀ドックを勝手に押さえたら、横須賀に停泊してるフランス艦隊は、
賊徒殲滅のために軍事行動を開始することになるだろう。
なんとか承認を得ようとイギリスに卑屈に屈従してた薩長が、横浜に手を出せるわけがない。
>>964 アメリカ南北戦争での南軍の敗北は、
制海権を奪われ補給に支障をきたしたことが大きな要因。
そして薩長は南北戦争終結で余った最新兵器を英米から与えられ緒戦の勝利を得た。
制海権を失い補給を得られなかったら、当然、南軍の二の舞になる。
966 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/29(日) 03:11:36 ID:42FBdJws0
勝は使者だっただけで(ry
967 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/29(日) 08:44:53 ID:V1DLHSxu0
>周囲敵だらけの関八州の陸路は薩長にとって危険極まりないルートになってる
それも大丈夫だな。薩長は官軍だよw。関八州は敵が多いが、薩長の相手ができるだけの石高をもった大名は皆無。
金が無い小藩ばかりだから、薩長の近代化された軍隊だけで撃破できるし、彼らは単独でも戦いは挑まず全員江戸城での籠城を選択するだろうからね。
>横浜を戦火に晒したら、外国人居留地にも影響が及び、討幕派は英仏を敵に回すことになる
>制海権を失い補給を得られなかったら
横浜を戦火にさらさねばいいだけの事。それに海軍国家イギリスは薩長側なのだから幕府の制海権だって怪しいものだw。
補給線は陸路で通るし、輸送船にイギリス商人の商船をチャーターすれば幕府は手出しできないよw
どうするどうする?w
どうもしないw
969 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/29(日) 09:45:10 ID:EIDIhf7+O
もはや勝海舟スレではないな
975 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/29(日) 12:35:33 ID:1pysyrbN0
戊辰戦争の些末なことなど、どうでもいいよ。下らないから
976 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/29(日) 13:36:46 ID:EiFtRs4O0
>>967 >金が無い小藩ばかりだから、薩長の近代化された軍隊だけで撃破できるし、
その「金が無い小藩」を次々と取り込むことができたから「官軍」の勢いが維持できた。
「金が無い小藩」が次々と向かってきたら、補給がつきて、英米から与えられた近代兵器も意味が無くなる。
いずれにせよ、勝が幕府を売ったことによって、薩長は救われたんだよ。
勝に対しては最大限に感謝しなければならない。
>それに海軍国家イギリスは薩長側なのだから幕府の制海権だって怪しいものだw。
すげー妄想。
イギリスは中国で手一杯。
本国政府が日本の内戦への干渉を許可するわけがない。
一方のフランスはやるき満々。
また、当時、フランスは横須賀沖に艦隊を集積させてたのに対し、
イギリス艦隊は遠く大西洋上にあった。
幕府+フランスの制海権が脅かされる展開はありえない。
977 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/29(日) 16:34:15 ID:pvkenFUj0
>976
>「金が無い小藩」が次々と向かってきたら、補給がつきて、英米から与えられた近代兵器も意味が無くなる
小藩総てが金を抱えて江戸城に逃げ込めるはずもない。
城を捨てていくだろうから、その城の物品を分捕ればいいだけのことだ。
補給は尽きないねぇw
>イギリスは中国で手一杯。
>一方のフランスはやるき満々
中国で手一杯?馬鹿言うなw
片手で中国、片手で日本ぐらいの事は平気でられる国だよ大英帝国はw。
>幕府+フランスの制海権が脅かされる展開はありえない
フランスはイギリスに逆らえない。なぜならばフランスの軍艦を修理すべき極東の軍港はすべてイギリスの支配下にある。
だからフランスはイギリスに支配されていない日本に肩入れてるんだよ?。
フランス陸軍が騒ぐぐらいで、フランス本国が英国と本気で事を構えることはありえないよw。
もし仮に、そうなったとしても今度はフランス本国と極東フランス艦隊の連絡補給船を断ち切られて終わりw。
>すげー妄想。
はぁwwww
お前がそれを言うのかwwwwこりゃ笑えるわwwww
もともと、「小栗の作戦案で勝てるという妄想」を言い始めたのはお前だろw
こっちはくだらねぇ妄想につき合ってやってるだけだよw
で、どうするどうするw
全然小栗案で勝てそうもないけどwww
>>965 南北戦争で制海権が重要だったのは、南部連合の綿花輸出を海上封鎖で妨害されたからだよ。補給は大して重要じゃない。
普仏戦争でさえ、兵士1人当たりの弾薬消費量は5か月合わせて平均56発で、部隊付補給隊の備蓄すら殆ど消費せず
弾薬の補給不足を訴えた部隊は全く無かった。
当時の戦争は弾薬の補給なんてそんなに考える必要はない。せいぜい馬車ののんびりした行程で十分だった。
食糧の調達も一か所に大軍が長期滞在する場合、焦土作戦が行われた場合以外は気にする必要はない。
現地調達で十分だから。
せいぜい数千人規模の軍隊が箱根で足止めされても、すぐ後背に東海道が広がってるからそれほど困るとは思えない。
あと外国船舶に手を出すって、折角中立宣言した諸国に介入の口実を与える気か。
外国商人からの補給を断ちたかったら、新政府軍が新潟でやったように港自体を押えるしかないよ。
>>967 >横浜を戦火にさらさねばいいだけの事。それに海軍国家イギリスは薩長側なのだから幕府の制海権だって怪しいものだw。
補給線は陸路で通るし、輸送船にイギリス商人の商船をチャーターすれば幕府は手出しできないよw
あまりに史実に無知なので書かせてもらう。時間軸に沿って書けば、
1868年正月22日駐日公使パークスは本国宛報告の中で、ミカドと大君の
間におきた内戦への英国臣民の厳格なる中立(strict neutrality)が
要請され、パークスとしても外国人が中立を保持するよう各国に検討を
求めるとした。(英国外務省史料)
「なぜなら、もし交戦者のどちらの軍隊であれ、外国船によって輸送するやいなや、
開港地の外国人慰留地に混乱がはじまり、巻き込まれ、これを防衛することは難しいでしょうから。
…有名な鉄製衛角艦ストーンウォール・ジャクソンが最近大君士官によって合衆国で
購入され、現在こちらに向かっています。この艦の引き渡しをめぐっては複雑な問題が
起こりえます。そしてまた、いま江戸にいる英仏の海陸軍教師の雇用についても同様です」
交戦するどちらに与しても、そちらの側にある慰留地を十分に防衛する力が不足だと
いうのが最大の理由というわけだ。いずれにしても、一方の側を支持するば他方から
襲撃される危険があった。そして、新政府が兵庫・大阪・古くからの開港地長崎の
実質支配を実現している以上、条約諸国が局外中立を宣言したのは、国際法的には
日本は内戦状態と認定されたということだ。(旧幕府と新政府は交戦団体として位置づけられた)
そして、正月25日諸外国の局外中立がそれぞれ布告された。
2月5日布告は旧幕の外国奉行江連から神奈川奉行へ回覧された。
布告内容は、1軍艦、兵糧輸送船の売却・賃貸、2武器弾薬の販売、
3兵士・軍事郵便の輸送など戦争にかかわる全ての事柄が一般に中立を
破るものとして禁止されていると理解されていた。だから、
>輸送船にイギリス商人の商船をチャーターすれば幕府は手出しできないよw
など出来るわけがなく、君の無知そのもののなんですよ。
>>977 >フランスはイギリスに逆らえない
そうか?フランス公使ロッシュは、正月15日東久世総督との会見後、オイエ総督の艦で
江戸へ向かった。このとき覚書きにして同僚へ手交した。
「大君の意図は従前のままと少しも変化し居ざるなり、即ち彼は京都の出発以来行われた
所は尽く非合法的なるものと思考し、彼は彼が再び戦勝を確信して攻勢に出でらる日まで、
又あらゆる場合に於いて彼が諸外国と締結せし諸条約を忠実に確保し得られる日まで、
関東の大君領に於いてその努力を防護せんと決心したるものと決心したるものの如し」
(仏国外務省史料)
とし、慶喜が関東で再起をはかることを予想した。さらに、このままでは「一大内乱」に
なるので、これを避けるべく、オイエ提督の全艦隊とともに大阪へ戻り、
「我が通商関係の大打撃となるべき内乱を避くべき見地」
(op.cit.)
に同僚諸氏を立たせようとする心づもりだと説明している。一大内乱になる前に列強の介入に
よって、反乱者を一掃し、平穏を取り戻そうという主張をしてる。
これでも逆らえない?史実を知らなさすぎるねぇ。
982 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/29(日) 20:04:21 ID:29kdq7ds0
>>978 オマエがどう言おうと、近代戦は補給で勝敗が決まるんだよ。
西南戦争も、当初はそれなりの近代装備を有する薩軍が優勢だったが、
結局、制海権を握る政府軍の物量の前に惨めに壊滅してる。
>外国商人からの補給を断ちたかったら、新政府軍が新潟でやったように港自体を押えるしかないよ。
オマエは制海権の意味を知らないのか?
港は幕府に押さえられる。
そして、内陸山間部の狭絽に戦線を延ばした薩長軍は、弾薬が尽き、分断され各個撃破される。
補給を求めて港に出れば幕府艦隊の艦砲射撃が待ってる。
これが幕府との総力戦となった場合のシナリオだ。
勝が勝機を潰したという非難があるけど、まったくその通りだね。
983 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/29(日) 20:15:11 ID:qr5tzp6O0
いつから戊辰戦争のスレになったんだ
984 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/29(日) 21:19:28 ID:vk6vlvpY0
近代戦に限らず、古代より大兵を動かす時は補給が大切ですな
ただ幕府海軍国内最強とはいえ、皆が言っているような作戦行動がとれるほど
熟練はしていなかった
榎本艦隊を見ればわかるでしょ
そうだな。すまん。これで終わる。
>>982 クレフェルトの補給戦でも読んでくれ。
986 :
福沢諭吉:2008/06/29(日) 22:22:42 ID:77JO5tXN0
そもそも維新の事は、その実は二、三の強藩が徳川に敵したる者より外ならず。
(勝海舟が)敵に向て曾て抵抗を試みず、ひたすら和を講じて自ら家を解きたるは、
日本の経済に於て一時の利益を成したりと日本の經濟に於て一時の利益を成したりと雖も、
数百千年養ひ得たる我日本武士の気風を傷ふたるの不利は、決して少々ならず。
987 :
福沢諭吉:2008/06/29(日) 22:30:29 ID:77JO5tXN0
殺人散財は一時の禍にして、士風の維持は万世の要なり。
国家存亡の危急に迫りて勝算の有無は言うべき限りに非ず。
況や必勝を算して敗し、必敗を期して勝つの事例も少なからざるに於いてをや。
然るを勝氏はあらかじめ必敗を期し、その未だ実際に敗れざるに先んじて
自ら自家の大権を投棄し、ひたすら平和を買わんとて勉めたる者なれば、
立国の要素たる痩我慢の士風を傷うたるの責は免るべからず。
988 :
福沢諭吉:2008/06/29(日) 22:32:10 ID:77JO5tXN0
勝氏は当時外国干渉即ち国家の危機に際して対世界の見地より経綸を定めたりなど云々するも、
果して当人の心事を穿ち得たるや否や。
若しも勝氏が当時に於て真実外国干渉の患あるを恐れて斯る処置に及びたりとすれば、
独り自ら架空の想像を逞うして、之が為めに無益の挙動を演じたるものと云うの外なけれども、
勝氏は決して斯る迂闊の人物に非ず。
※福沢は、勝が外国の干渉が無いことを知りながら、外国の危機を絶叫して人心を惑わし、
幕府を敵に売ったと、ほぼ断定している。
989 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/29(日) 22:35:15 ID:vk6vlvpY0
だから勝批判に福澤を持ってきても説得力ないって
福澤は明治10年に塾資金を借りに勝に頭を下げたのだけれど、それをことわら
れた。彼が「痩我慢」を言い出すのは、この時から
『明治十年丁丑公論』緒言
近来日本の景況を察するに、文明の虚説に欺かれて抵抗の精神は次第に衰頽
(すいたい)するが如し。
明治十年以降の福澤は士族意識に凝り固まって、往年の自由闊達な精神を喪
失している。簡単に言えば、頭が古いってこと
詳しくは勝部真長さんの著作を読め
990 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/29(日) 22:37:30 ID:vk6vlvpY0
第一、福澤は幕末時に何をしていた?
上野戦争が始まった時に塾生になんと言った?
(俺はこの頃の福澤の精神は好きだ)
もしそれを知らないで単に勝批判を盲目に引用しているなら、残念だな
991 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/29(日) 22:40:21 ID:vk6vlvpY0
ともかく封建制度は親の仇といい、上士下士の差別に強い憤りを感じていた
癖に、士族意識が高く、出入りの職人に羽織の紐を与えて殿様気分だったり
不審者を抜き身の刀を持って追いかけたりと、勝批判をしている福澤は、
もはや昔の福澤ではない
反面、武士、町人にこだわらず、江戸の町を救った勝の方がなんぼか近代的
だな
992 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/29(日) 22:41:51 ID:vk6vlvpY0
武士武士言う奴に限って、にわか武士なんだよね
993 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/29(日) 22:47:57 ID:vk6vlvpY0
西南戦争によるインフレ経済は慶應義塾の学生を激減させた。三百余名の学生
のうち、薩摩出身の四十名がいっぺんに退学したりした。学生はほとんど士族
の子弟であったから、金録公債の値下がりは彼らの学費の出所をなくし、塾の
月謝収入は減る一方であった。
そこで福澤は氷川の勝邸を訪問して、資金の融通を申し入れた。金額はおそら
く二十五万か二十万、十年間無利子で、これを担保に国債を買い、七分の利と
して年一万四千円以上の利回りとなれば、これで塾財政は楽にいけるという計
画であったといわれる。
994 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/29(日) 22:53:08 ID:vk6vlvpY0
当時徳川家は一種の銀行のようなことをして人に金を貸していた。
旧幕臣援助が目的。福澤もかつては幕臣として翻訳方に勤務していたことが
あるから、徳川家の金を当てにしたのであろう。しかしこの金談は不調に終
わった。そこで明治十一年政府の援助を求めたが、これもうまくいかない。
あせった福澤は政府大官の間を歴訪し、あるいは手紙を送って百方手を尽くし
たが、これも不調におわり、ついに廃校を決意し、塾生幹部にその旨告げたと
ころ、門下生は奮起し、それぞれに資金を持ち寄って、何とか切り抜けた
独立の精神とか痩我慢とか言っている人の実態はこんなもんですよ
995 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/29(日) 22:54:20 ID:77JO5tXN0
>>989 >福澤は明治10年に塾資金を借りに勝に頭を下げたのだけれど、それをことわら
>れた。彼が「痩我慢」を言い出すのは、この時から
それは勝オタのゲスな勘ぐりというものだ。
長州再征伐に関する建白書で、長州を武力で叩き潰すことを通して、
大君のモナルキ(幕府主導)による近代国家構想を打ち立てた福沢は、
幕臣の中でも、特に過激な佐幕派であった。
明治の一時期の穏健な外貌は、保身のための手段にすぎない。
勝批判こそ本音なんだよ。
とはいえ、かなり押さえた筆致で書かれてるけどね。
996 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/29(日) 23:00:53 ID:HYq3/V4u0
★勝海舟悪行記
@咸臨丸で乱暴三昧
・自分の家の旗を船旗として掲げようとする
・海が荒れると船室に引きこもり
・太平洋の真ん中で「俺は日本に帰る!」とごねだす
・海が穏やかになると、途端に勇ましくなり、身勝手三昧
A「興亜論」の提唱者である
・大東亜共栄圏や現在の東アジア共同体の根源思想
・日韓併合も韓国の興亜論者であった李容九の計画が変質した事
B家族から徹底的に嫌われる
・妻の遺言は「絶対に海舟と同じ墓に入れないで!」という言葉だった
こうした勝とは徹底的に対照的なのが福沢諭吉。
「興亜論」という空想論に対し、「お前はシナ人や朝鮮人が分かってない!」と意義を唱えたのも諭吉。
家族を徹底的に愛し、家族にも愛されたのも諭吉。
皮肉屋の勝に対し、生涯エネルギッシュだったのも諭吉。
997 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/29(日) 23:02:07 ID:vk6vlvpY0
>それは勝オタのゲスな勘ぐりというものだ
ええと、確かにそれ以前から福澤は勝を好ましく思ってなかったでしょうね
だけど勘ぐりというなら、
・勝に借財を断られたと言う事実は無い
・それ以前にも勝批判を公言していた
ということを証明してくださいな
ところであなたは福澤の言うことを本気で信じているの?
彼は時と状況によって自分の主義主張を変える変節漢ですよ
998 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/29(日) 23:03:44 ID:HYq3/V4u0
勝は時代遅れの蘭語を少々囓っただけの男。
英語はからきし。世界に対する知見は皆無。
自信満々で艦長となった咸臨丸では船室にひきこもり無能っぷりをさらけ出す。
日本人に戦艦を建造することは500年かかっても無理と主張し横須賀造船所建設を妨害。
幕府と倒幕派の間を二重スパイとして渡り歩いて形勢を観望。
江戸開城は自分の出世のために幕府を売っただけ。
維新後は明治政府に冷遇され、不満たらたらの余生を送る。
999 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/29(日) 23:06:27 ID:vk6vlvpY0
>家族を徹底的に愛し、家族にも愛されたのも諭吉
その諭吉の息子さんが、こんなことを書いているんですけどねえ
父は家庭でも相当横暴であったようである。中村その他の姉がみな、「父は
女の権利がどうのこのといっているけれども、家では常に遠慮なく平気で自
分の思うままのことをしていた」という意味のことを言っていた
(福澤大四郎『父・福澤諭吉』)
思い込みでいい加減なことを書かん方がええですよ
1000 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/29(日) 23:06:52 ID:HYq3/V4u0
>>997 949 :名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/28(土) 12:05:37 ID:R5pkZvL10
>>944 >私はね、福澤の悪意を言ってるんです。
アメリカ水兵がいなかったら、勝の伝染病が本物だったら…福沢は死んでた。
勝のせいで死に掛けた福沢が、勝を良く言わないのはあたりまえだろ。
悪意でもなんでもない。
身近で勝の自己中な横暴を観察してた福沢の意見がすべてだ。
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。