1 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
戦前の日本に言論の自由があったのは、満州事変当時の報道を見ればあきらか。
関東軍の自作自演を見抜いた若槻内閣は速やかに不拡大方針を打ち出したが、
マスコミはこぞって 「暴戻シナ許すまじ」 と煽り立てた。
2 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/03(火) 23:05:57 ID:jjCoU+ru0
田原総一郎責任編集 朝まで生テレビ収録本
「日本はなぜ負ける戦争をしたのか」 (株)アスキー発行
小池百合子 「さっきからの議論で抜け落ちてることは、世論をアジテートして
軍部をイケイケドンドンにしたマスコミだと思うんです」
田原 「マスコミがどうして戦争賛成になったかをいうと、具体的には日露戦争から
始まるんです。つまりね、反戦をやってると売れないんですよ。
みんな戦争反対ってやってると、売れなくなっちゃって部数が落ちて、
それで戦争賛成になっちゃうんですよね。
太平洋戦争が始まる前も実はね、マスコミは弾圧が有って戦争反対
と言えなかったというけど、嘘ですよ。むしろ煽ったんですよ、マスコミは。
これは今も昔も同じ。今もマスコミは煽ってんだ、やっぱり。」
「大正から昭和の初期は天皇批判ダメ、共産党ダメですよ。
しかしそれ以外の言論はいえたんです」
猪瀬直樹 「メディアの問題で、言論の自由が無かったからと信じられてるけど、
言論の自由はかなりの部分まで認められてたんですよ。
例えば発禁になるでしょ。すると、「発禁の書」 って広告出して
また売るんですよ。そうするとかえって売れた。
だって要するに伏字を増やせばいいわけだから。
いろんな表現の仕方があったし、情報的にかなりきちっとした見通しを
書いた本もいっぱい出てます。
当時、日本とアメリカが戦争したらどうなるかと、そういうことを全部
シミュレーションした小説がいっぱい出てますよ。かなり正確に書いてます」
3 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/03(火) 23:06:33 ID:jjCoU+ru0
第十一章 侵略戦争へと軍部を挑発した新聞の責任
好戦的な戦争報道は、最も積極的に奨励された。「売れる」からである。
読売は、満州事変がはじまると、それまでは控えていた夕刊の発行に踏み切った。
拡大された紙面は、当然、「満蒙の権益を守れ」という好戦的な怒号で埋めつくされるようになった。
もちろんそのころには、戦争協力報道は読売だけのことではなくなっていた。
社説の題は、まるで官報そのまま、「強く正しく国策を遂行せよ」であった。
満州事変以後の日本を非難する国際世論への猛反撃である。
「日本の権益は武力によってでも確保しなければならない」とし、
「国際連盟の問題についても、日本の主張が通らなければ脱退もやむを得ない」
という趣旨の主張であった。
ttp://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-11-1.html
4 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/03(火) 23:09:32 ID:jjCoU+ru0
「満州国の独立」を支持する日本全国一三二社の「共同宣言」
満州の政治的安定は、極東の平和を維持する絶対の条件である。
しかして満州国の独立とその健全なる発達とは、同地域を安定せしむる唯一最善の途である。
東洋平和の保全を自己の崇高なる使命と信じ、かつそこに最大の利害を有する日本が、
国民を挙げて満州国を支援するの決意をなしたことは、まことに理の当然といはねばならない。
いな、ひとり日本のみならず、真に世界の平和を希求する文明諸国は、ひとしく満州国を承認し、
かつその成長に協力する義務ありといふも過言ではないのである。
しかるに国際連盟の諸国中には、今なほ満州の現実に関する研究を欠き、
従って東洋平和の随一の方途を認識しないものがある。われ等は、かかる国々の理解を全からしめんことを、
わが当局者に要望すると共に、いやしくも満州国の厳然たる存立を危うするが如き解決策は、
たとひいかなる背景において提起さるるを問わず、断じて受諾すべきものに非ざることを
日本言論機関の名においてここに明確に声明するものである。
昭和七年十二月十九日
日本電報通信社 報知新聞社 東京日日新聞社
東京朝日新聞社 中外商業新聞社 大阪毎日新聞社
大阪朝日新聞社 読売新聞社 国民新聞社
都新聞社 時事新報社 新聞連合社
外百廿社(イロハ順)」
ttp://www.jca.apc.org/~altmedka/yom-11-1.html
5 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/03(火) 23:10:26 ID:jjCoU+ru0
稲垣武 『朝日新聞血風録』 (文春文庫、1996年)
◇第三部 塗りつぶされた「戦争協力研究」
調査研究室に異動した稲垣武は、新聞の戦争協力の病理を解明する研究をまとめた。
研究の要旨は以下のようなものだった。
朝日新聞をはじめ各紙は満州事変を境に好戦的となってくる。これは、内務省警保局
の検閲が強かったからというよりも、在郷軍人会を中心に展開された不買運動によっ
たという。つまり、マスコミの世論への迎合と、部数拡大競争、企業としての自己保
存本能が原因だったということだ。
さらに、当時急伸した新メディアであるラジオに対抗するため、
大衆感情に迎合する紙面作りになったことも、このことに追い討ちをかけた。
自らが煽った大衆によってさらに迎合的になっていき、マスコミは自縄自縛になった。
したがって、満州事変以後でもマスコミが一致して議会政治を擁護し、
世論をその方向に導いていたならば、軍部の専横を抑制できたと結論づける。
しかし、この研究は朝日内で大幅な修正を迫られた。主な訂正点は、マスコミが自縄
自縛的に大衆を煽ったという箇所だったという。朝日新聞は新聞社史で、マスコミは
軍部の被害者であったという趣旨で当時を総括しており、これに添うように直されたらしい。
ttp://www6.plala.or.jp/Djehuti/2001822.htm
6 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/03(火) 23:11:12 ID:jjCoU+ru0
▼戦争を煽ったマスコミ
読書録117(稲垣武『朝日新聞血風録』)でも読書録147(田原総一郎『日本の戦
争』)でも触れたが、マスコミは戦争を煽ってきた。そのことが本書でも強調されて
いる。例えば、満州事変の頃の『朝日新聞』。事変勃発当時は事変反対の主張だっ
たのが、関西で朝日新聞不買運動が起こると急に戦争支持の論調に変わった(40
頁)。眉間を射抜かれた兵隊がまた歩き出す記事まで書いたというから呆れる。大衆
に迎合して戦争を煽ったと言われても仕方あるまい。
国際連盟脱退の際にも、新聞12社は「横並びで、国際連盟は日本の東洋平和の意図を
わかっていない、報告書は断じて受諾すべきでないと松岡を励ます宣言をだし」(保
坂発言、56頁)たという。さらにひどいことに、「政府も軍部もまだ本気で脱退を考
えていないとき、新聞が率先して脱退せよと政府の尻を叩いた」(半藤発言、59頁)
そうだ。
戦争の責任を考える際にあまり触れられないが、マスコミにも国を誤らせた大きな責
任があるのだ。
ttp://www6.plala.or.jp/Djehuti/2001822.htm
7 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/03(火) 23:13:44 ID:jjCoU+ru0
自由主義の立場から帝国主義に反対し続けた石橋湛山の新聞批判
「国民に対して政党政治を嘲笑することを教えたのは誰でもない。新聞自身だ。夕刊
の三行評論と称するものは、自己に見識も、政策もなくして、ただ野卑なる罵声を浴
びせる習癖を養うにすぎない。彼等は唯だ低級なる読者の歓心を買ふために、不知不
識議会を排撃し、言論の自由を自ら失うことに努力してゐるだけである」。
「(言論機関は)「何等かことが起こると、必ず痛烈に要路のものを攻撃し、嘲笑
し、罵倒する。しかし彼等自身が如何なる具体的建設案を提示したことがあるであろ
うか」。
ttp://www6.plala.or.jp/Djehuti/2001822.htm
8 :
1:2006/01/03(火) 23:14:33 ID:jjCoU+ru0
えー、途中でエンターを押してしまったため、中途半端なスレタイですみません。
中途半端なスレタイですみません。ただしくは
「戦前の日本に言論の自由はなかったのか?」
です
併し乍ら、不偏不党の中立的新聞の発達に依つて比較的正確な報道と
比較的公平な評論とに接するは、孰れかといへば内政の方面であつて、
事一度渉外の問題になると必しもさうとは云へぬ。何故に然るかといへば、
惟ふに是れ我が国民未だ全く鎖国時代の陋習より脱し切らず真の
国際協働的精神に徹底し居らざるが為めであるまいか。内政問題に就ては
既に政党者流の我田引水の僻説に超然たり得るに至つた国民も、
国際問題になると彼我の立場を超越して姑く事物当然の理の何処に在るやを
冷静に正視するの雅量を失はんとする。即ち我執の偏見に囚へられ
自家の利害を以て直に事理の正否を分つの標準と為さんとするのである。
斯くして我国の諸新聞は、少くとも国際問題については、今なほ一党一派の
機関新聞と殆んど択む所なきの陋態を示すのは、新聞のために惜み又
社会の為に甚だ之を惜まざるを得ないのである。
「国際協働的精神に徹せざる我操觚界」 吉野作造 『中央公論』 大正10年11月
言論の自由が封殺されたのは近衛の新体制運動以降でしょ。
近衛や松岡や岸などが、ナチスやソ連共産党を理想とし、
全体主義を日本に移植した。
11 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/13(金) 20:51:55 ID:dgKuhdF/0
別に言論弾圧せずとも、マスコミは好戦世論を勝手に煽り、
国民はそういう記事を争って読みたがった
(共産思想、反天皇思想は別)
悪名高い大本営発表にしたって、自国の戦況の悪さを
国民に知らせないというのはベトナム戦争までは
普通のことだった
12 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/13(金) 22:54:19 ID:LhbUcjYEO
そういえば、終戦の頃の新聞を見ると、平気で敵性(米英)用語が使われているんだよね。実際には、規制はそれほど厳しくなかったかもね。
14 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/14(土) 00:13:11 ID:aeZCVxMq0
アメリカも、風船爆弾のこと国民に隠してた
15 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/14(土) 06:03:46 ID:+5+eLMiYO
共産主義やファシズムに対する対立軸として、
アメリカがそのアイデンティティに
確立したのが民主主義であったばかりに、
アメリカに打ち滅ぼされた国は、
「民主主義が十分でなかったから」
というわけのわからない理由で、
アメリカにたてついたことになってしまう。
しかし、昭和に入ってから日本が歩んだ道は、民意に沿ったものだ。
ドイツもしかり。
言論弾圧なんて、ちょっとやればみんな自主規制するようになるもんだ。
自分にとってどうでもいいことの自由なんて、なくたって誰も気にしない。
>>1 政党内閣が自分の政策に反する主張を弾圧するなんて、できないさ、そりゃ。
政府殊に××××××今なほ頻りに自衛権を以て一切の行動を
説明せんとして居る。去年の暮南陸軍大臣は錦州政府の関外に
存立する間は邦人の生命財産は安全なるを得ぬ、張学良の勢力を
満洲から完全に駆逐し去るまでは軍事行動をやめないと宣言した。
北に於ては馬占山を、南に在ては張学良を、即ち日本に好意を
有たざる諸勢力を一掃し、×××プロ・ジャパニーズの
×××××××××までを自衛権××の発動と見得るや否やは
問題であらう。
こゝまで行くと実は××××になるのだ。政府並に軍部の人達は
既に一旦自衛権の発動に過ぎずと云ひ毫も侵略的意図なしと
声明した手前、今更自家の行動を××××に相違なしとも
云ひ兼ね依然自衛権の文字に拘泥して×××説明を続けて居る。
吉野作造「民族と階級と戦争」『中央公論』一九三二年一月
19 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/26(日) 21:54:39 ID:iHirgsfV0
ロンドン条約調印時に海軍少佐だった石丸藤太は海軍の軍事参議院の条約反対
の上奏文を「三百代言」と非難したり、軍内部でも大っぴらに軍上層部を批判
する行為が行われてる。
20 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/27(月) 01:18:32 ID:QoxYrKis0
>>1 ああそうだよ。一部の馬鹿(当時の軍部など)
にとって都合のいいことは全部受け入れられたよ。
21 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/27(月) 01:20:18 ID:QoxYrKis0
当時日本は外国真似て憲法作ったみたいだが
所詮馬鹿は馬鹿。一応まともに執行されても迷惑なだけ。
満州事変は軍上層部にも寝耳に水の事態だったので軍内部の意思統一
も出来ずに右往左往してたんだが?
23 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/27(月) 07:49:06 ID:dVN3+wc40
当時のマスコミはみんな今の産経みたいだった
憲法を作らないと法治国家や政党政治ができないじゃん。
薩長藩閥政治の延長だよ
40万部のベストセラー『嫌韓流』の第2弾
『嫌韓流2』発売中
意外とおもしれーぞ
26 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/27(土) 11:49:46 ID:QuoEdCIS0
しょうもねえWinny情報流出事件で
一番青くなっているのは
腐敗政府の組織だろう?
Winny流出で悪態がばれるからな。
馬鹿の評論家やマスゴミつかって
必死こいて情報統制や言論の自由を奪おうとしているな。
日本国民はこんなやつら
みんなでぶっ潰しましょう
27 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/27(土) 22:54:45 ID:1C6fqOLn0
「(1933)三月二十九日 水 晴
・・・・・
御召に依り拝謁せしに、世論と云ふも現今の如く軍人が個人の意見を圧迫するが如きことありては
真の世論は分らずとの仰せあり、・・・・」
(奈良武次『侍従武官長奈良武次日記・回顧録』(柏書房 1980))
28 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/29(月) 22:06:31 ID:S645Q2CX0
菊地寛 「話の屑籠」 『文芸春秋』昭和20年10月
「敗因がいろいろ言われているが、最大の敗因は戦争をしたことだと思う。開戦当時の飛行機の
月産額を知って、茫然とならなかった国民は少ないだろう。軍の指導者たちは、天魔に憑かれて
いたのだろう。しかし、強いて敗因を探れば、間接の原因は、満州国の建設と軍部および右傾団体の
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
輿論の圧迫であり、直接の原因はドイツの勝利を信じたことと米国の国力の誤算であると思う。
〜〜〜〜〜〜〜〜
国民はよく戦ったと思う。多少の不心得者があったとしても、多くの国民はよく戦ったと思う。負けた後で、
責任を国民にも転嫁しようなどとは、無理を通り越して非道である。ただ、軍部の専横を防止すベき位置に
あった議会とか言論機関とかの責任も軽いとはいえない。しかし、過去十数年にわたって、テロと弾庄とで、
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
徐々に言論の力を奪われたのでは、一歩一歩無力になるほかはなかったのである。僕のような人間さえ、
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
暗殺の目標にされて、私邸を十数人の警官によって護衛されたことがある。しかも、こんな時に暗殺された
方が非国民のような感じになり、相手が憂国の志士になるのである。実際、彼らの公判の結果を見ると、
多くは執行猶予であり、半年か一年後には、そのために右翼勢力として、天下に闊歩しているのである。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
戦争中は、佐官級の軍人や、虎の威を借る小役人連中が、雑誌や文壇に容啄して、作家に対して生殺
与奪の権を振っていた。本当は、彼らがわれわれの方面に口出しをする余裕などはなかったので、逆に
われわれ文化人の豊富な常識や創意を政治や軍事に採択すべきであった。それなら、少しでも手際のいい
結末になったかも知れないのだ。
「中央公論」や「改造」を廃刊し、「文藝春秋」を総合雑誌から退けたなど、文化行政中の最大悪政だった。
また、出版書店の整理なども、およそヨタを極めていた。早く出版を思い切った連中が不当に利得し、あくまで
頑張ろうという連中が無用な負担を強いられたのである。こうした悪政に対する責任も、糺すべきだと思う」
29 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/29(月) 22:17:14 ID:S645Q2CX0
菊地寛「話の屑籠」 『文芸春秋』昭和21年1月
「おそらく、東西の歴史を探しても、こんな無謀な、準備のない、しなくってもいい戦争を始め、
しかもこんな惨敗(ざんぱい)を喫した国家はないだろう。
しかも、過去十数年にわたって、軍部に対する国民の批判や発言を徹底的に弾圧しておいてから、
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
戦争を始めるのだから、国民としては手の出しようも口の出しようもないのである。しかも、一旦大詔が
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
渙発(かんぱつ)されれば、国民としては、極力命令を奉じて、亡国の戦いのためその最愛の子弟を殺し、
塗炭の苦しみを誉めるほかはなかったのである。そして国民は、目かくしをされたまま、三十八ヵ月間
「勝つぞ勝つぞ」のかけ声だけで、苦難の道を引きずり回され、目かくしがはずされた途端、連合軍の
進駐を歓迎しなければならなかったのである」
検閲のことがこの頃また喧しく云はれてゐる。映画に、出版に、ラヂオに、レコードに、絵画に、
その他各種の興行物に、言ひ換へると文化のあらゆる方面に亙つて検閲が強化され、
論議を生じてゐる。これは主として現代物に関することであるが、古典に就いても同様、
種々問題があるのである。
日蓮聖人の遣文には、今日の國體観念及び社会情勢から見て不穏当な点が尠くないといふので、
先にもその遺文集が数個所に亙つて削除を命ぜられたことがあつたが、最近またまた、
聖人の書を自叙伝風に編述した一書が検閲にひつかかり、問題を惹起してゐる。
(「古典と検閲問題」三木清 昭11.10.27讀賣)
日本ラジオは、あれでも兎に角ラジオというジャーナリズム機関である以上、どんなに
超政治的な限定を強制されても何とか政治放送の類をやって見たいのは自然である。
そこで一九三五年の総選挙に際して、AKは国民の政治的認識を高めるためと称して
各政党の選挙放送を企てた。之は内務省の諒解を得たに拘らず、直接の監督官庁である
逓信省の許可を得ることが出来ないので、お流れになったのだったそうだ。で今度は
一歩を譲って、各政党の代表達をして、「伸び行く日本」という題で思い思いに話しをさせる
ということを試みた(一九三六年七月三十一日「政治家の夕」)。之は、日本ラジオとしては
確かに括目に値いする現象と云わねばならぬ。民政党の山道襄一、政友会の安藤正純、
昭和会の内田信也、国同の清瀬一郎、社大党の安部磯雄、の諸氏が政治を語ることになった。
この政治家という種類の人間が、銘々一体どういう話しを喋ったか、私は不幸にして
聴かなかったから判らない。中野重治氏によると(『都新聞』)その内には俗論聞くに耐えぬ
ものがあったそうだが、私は別に驚かない。だがやや驚くべきことは、一等興味を有たれていた
社大党の安部磯雄氏の講演がやらない内から中止になったということである。都下の各新聞が
伝える処によると、放送開始一時間半前になってから、急に安部氏に草案の改訂を要求したとも
云うし、又他の放送を要求したとも云うのである。色々注文をつけて書き直させた上で草案を
受理しておきながら、間際になって急に改訂してくれと云って来たので、安部氏は党議にかける
余裕もなし、書き直す時間もないので、断然断わったが、夫が正にAKの思う壺だったのだろう
という観測だ。社大党が憤慨して逓信省と放送局とに釈明を求めたことは、人の知る通りである。
(「日本のラジオ」戸坂潤1936)
32 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/09(金) 14:34:18 ID:fgL1Ax1F0
http://www.kunaicho.go.jp/kisyakaiken/kisyakaiken-h18singapore-01.html 天皇陛下 教育基本法の改正は,現在国会で論議されている問題ですので,
憲法上の私の立場からは,その内容について述べることは控えたいと思いま
す。
(略)
なお,戦前のような状況になるのではないかということですが,戦前と今日
の状況では大きく異なっている面があります。その原因については歴史家に
ゆだねられるべきことで,私が言うことは控えますが,事実としては,昭和
5年から11年,1930年から36年の6年間に,要人に対する襲撃が相
次ぎ,そのために内閣総理大臣あるいはその経験者4人が亡くなり,さらに
内閣総理大臣1人がかろうじて襲撃から助かるという異常な事態が起こりま
した。帝国議会はその後も続きましたが,政党内閣はこの時期に終わりを告
げました。そのような状況下では,議員や国民が自由に発言することは非常
に難しかったと思います。
先の大戦に先立ち,このような時代のあったことを多くの日本人が心にと
どめ,そのようなことが二度と起こらないよう日本の今後の道を進めていく
ことを信じています。
33 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/22(火) 22:01:54 ID:Eb5fUCTg0
菊池寛の話はあてにならないな
戦後マスコミは保身に走って
言論統制されてたからなどと
自ら好戦世論を煽った事実を隠蔽したからね
34 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/22(火) 22:14:50 ID:vEf9v0UJO
戦前のメディアは徹頭徹尾戦争を煽る提灯記事を書いてたわけじゃない。
明治藩閥時代は何がなんでも政府のやることに難クセをつけていた。
その態度が180度変わったのは、大正デモクラシーがきっかけだね。
メディアと政府を牛耳るのが共に同じ資本家になったわけだから。
35 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/25(金) 21:05:01 ID:0SrVFYMy0
「二十世紀 日本の戦争」 文春新書
なぜ言論は機能しなかったのか (P92〜)
阿川弘之 「五・一五事件がおきた昭和七年に、『文藝春秋』 が世界の戦局を
めぐる大座談会をやっている。 (中略)
不思議なことに、出席者のうち、未来戦争の予測に対して
一番冷静なのは現役陸海軍軍人なんです。
いちばんカッとしてるのが三上於菟吉という僕みたいな文士なんだ (笑)
感情でものを言っている。
何故向こうが攻めてくる前にこっちから先にやらないのか、
われわれ税金納めてるじゃないか、と (笑)
文筆家のそういう責任というのは、新聞記者も含めて、大きいと思いますよ。
責任というより、つまり無責任ですがね。」
猪瀬直樹 「(略) 三上が 『もう少し立てば米国が戦争を仕掛けてくるというのでしょうが、
なぜザックバランにやらんのです』 と景気がよいので、
司会役の菊池寛もたまりかねて 『米国と戦争しても米国を征服することは
できやしないでしょう』 とたしなめています。」
阿川 「この座談会をどれだけの人が読んでどれだけの影響を受けたかはわかりませんが、
三上於菟吉って今は忘れられているかもしれないけど、
当時は大変な人気作家ですからね」
福田和也 「シナ事変の推進力のひとつは新聞ですね。文学者も林芙美子、
南京に一番乗りとかやっている。菊池寛も漢口作戦に出張っていたり。
文学者は敏感だから、世間の空気がすでに戦争に向かっていることを
いち早く吸い上げるんでしょうね」
秦郁彦 「学者もひどいもんですよ (笑)。学徒出陣の際、
名のある学者が、『中央公論』 のような雑誌で
『喜んで死んでこいと私は言いたい』 なんてことを堂々と書いている」
36 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/25(金) 21:13:51 ID:ylOT3/Km0
電車やらバスのなかでの世間話にまで取締りの網を広げて
言いたい事を言えなくなったのは東條が首相になってからだよ。
それまでは割合と自由に物が言えていた。
37 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 16:55:32 ID:rpLBzjFC0
曲がりなりにも自由にものが言えるようになったのは講和・独立後だろう。
戦前は明治・大正・昭和と一貫して国体(天皇制)や天皇や皇族の批判・悪口
は不敬罪に問われ言えなかった。又、政府が新聞やラジオに発表を伏せさせたり
内相の命令で発禁処分などの措置をとることもできた。
戦時中は言うに及ばず戦争批判厳禁・政府や軍部・国策批判厳禁。
もし言おうものなら憲兵などに捕らえられたりした。
厳しく取り締まられ言論・思想の自由など全くなかった。
戦後も政府や天皇の批判はできるようになったがGHQやマッカーサー、占領軍や
占領軍の政策に対しての批判は許されなかった。更に朝鮮戦争開戦前後は一層厳しくなり
レッドパージによる共産主義者の検挙、朝鮮戦争反戦・反米的言論者も検挙されたりもした。
つまり、明治〜昭和27年ごろまでの日本は今日の感覚で言う言論・思想の自由はなかった。
38 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 19:53:58 ID:PsWvtufBO
あったに決まってんだろ。
治安維持法・共産主義禁止
∴その他の言論自由
まぁ、限られた時期ではあるが
39 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/25(土) 20:54:41 ID:gvc4QWuO0
天皇機関説事件って言論弾圧じゃないの?
40 :
戦前はこの程度の発言でもタイ〜ホだもんな:2006/11/27(月) 03:36:19 ID:MqbcRWOA0
「日本の皇族方は一人も働かず、みんな遊んでばかりいるからいかん。
この国家の非常時に遊んでいる皇族方は捕鯨船の船長にでもして働かせねばいかん。
支那事変のために日本の国民は塗炭の苦しみをしているが、こんな苦しみはだれがさせたか。
天皇陛下と国民とどちらが偉いか」
(昭和14年・愛知県時計修繕業(34)・料理店で食事中発言・検事局送致)
「朝香が来たか。何日泊まったか。朝香はゴルフが好きだからなあ。朝香も田舎に来ると几帳面だね。
東京辺りでは芸者も買えば何でもするよ。陛下は別だが殿下なんてそう厳格に在るのもどうかと思う。
殿下なんて仕事の出来るものはないよ」
(昭和15年2月・東洋経済新報九州支局長(45)・旅館で発言・懲役1年執行猶予3年)
「天照大神なんか俺には少しも有難くない。天照大神は大嫌いだ。むしろ天理教のほうがましだ。
今の陛下は馬鹿野郎じゃないか、陛下の祖先は馬賊じゃないか」
(昭和15年11月・茨城県米雑穀商(49)・飲食店で発言・刑務所に収容)
「天皇陛下は二千六百年記念で御祝かも知れないが、吾々は今日の様に厳しい経済統制を受け営業は上
ったりだ。祝賀処ではない。そんな御祝気分にはなれぬ。天皇陛下は二千六百年続いたかも知れぬが、
俺の方は三千年位続いているかもしれぬ。又俺の方が祝をして貰わねばならぬ」
(昭和15年11月・大分県住民(52)・区長宅の奉祝行事打合会席上で発言・検事局送致)
「天皇陛下も人間なら吾々も人間だ、天皇陛下が米を食べられるのに吾々国民が米を食べられない筈は
ない。天皇陛下が米を食べられないのなら自分も食わずに辛抱する。
吾々は銃後の産業戦士だ、斯の様な事で銃後の治安もくそもあるか」
(昭和16年2月・大阪府住民(51)・米穀共同販売所で発言・検事局送致)
「徳川家康は天皇陛下より戦争がうまいから偉いのだ」
(昭和16年6月・山梨県住民(64)・酒販売店で発言・厳重戒飭)
「(駄菓子屋のラジオで靖国神社臨時大祭御親拝の実況を聞きながら)
御召し車で行くとは勿体ない。天皇陛下も足があるのだから歩けばよい」
(昭和16年4月・和歌山県住民(19)・検事局送致)
41 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/27(月) 10:36:45 ID:y92yAG1u0
>>40 全部、戦時体制にはいってからの事例ばかりですな。
42 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/27(月) 10:55:41 ID:4SaOGzOn0
社会主義政権下では必ず言論の自由はなくなる。
中国は経済だけ資本主義を取り入れたが言論の自由はない。
ロシアは社会主義は捨てたように見えたがプーチンが徐々に復活させ、
過去15年で246人のジャーナリストが殺害されている。
最近では反プーチンの本を書いたアンナ・ポリトコフスカヤが殺されてニュースになった。
一方戦前の治安維持法は共産主義者によって天下の悪法として喧伝されてきたが
実はこの法律単独で死刑になった人はいない。ただし獄中や取調中に亡くなった人はいる。
多くの共産主義者たちは兵隊に行くこともなく戦後無事釈放されましたha
>>41じゃないけど、戦時体制は日支紛争開始後〜からジョジョに…では。
天皇機関説事件は戦時じゃないよな
>>45 そのへんは日帝ファシズム(戦時体制)への走りかな〜。
国を統制する動き(広義国防国家論)は満州事変後ぐらいからあったらしい。
が、2.26事件の後ですら、けっこうキツい事が言えたらしいから、本格的に統制がきたのは支那事変はじまってから。
近衛の新体制運動はもっと後だけど、ちょっと遅すぎと思う。
近衛以前にもっと改革しとけよと。痛みの先送りか。
ドイツは未だにナチスを擁護して投獄になります
>>42 転向すれば許してもらえるし、日本ってヌルいよね。
ナチもソ連も、証拠不十分の政治犯をサクサク処刑していて、
清々しいというか、やっぱついていけんわちゅうか。
49 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/04/10(火) 01:13:06 ID:7oxVOZjb0
五年ほど前に 老人介護施設でボランティアをした事があった。
その頃 北朝鮮だったか うろ覚えで悪いが 外国で政府を批判した人間が殺されるという報道がTVを賑わわせていた。
俺は とある爺さんの話し相手になっていたのだが その爺さんがその件に触れて話していた事が印象に残っている。
爺さん曰く
「俺らも戦争中は 戦争反対って旗つくって随分街中で抗議したけどなぁ。 憲兵が来て説教されたけど そんだけだったなぁ。
殺されたり 殴られたりはしなかったけどなぁ・・・。」
と 呟いていた。
あ、そうなんだ って意外に思って聞いてた。
憲兵っつーと どうしても はだしのゲン の怖いイメージがあったから。
中には怖い人もいたんだろうけど。
ちなみに大阪での話でした。
エログロナンセンスに限っては言論の自由が認められてました w
昔はアカ対策がしっかりしてたのは事実・・・
▼米国FBIの言論弾圧を弾劾せよ!
米国民主主義に対して第二次世界大戦の戦後審判とはまったく関係なく、新たな主張を行うことにより危険思想保持者と見なし、記事の削除とアクセス禁止による明らかな言論弾圧を行っている。
FBIは、沖縄米軍基地における軍事的弊害説、9.11フリーメイソン陰謀説に対する言論弾圧が認められた。
▽民主主義の国民が防衛理念を含む専門知識に基づいて投票することは有り得ない。
したがって軍事兵器の使用は極めて不明瞭な理由により過ちを繰り返しやすく、軍事的弊害を含んでいると言える。
イラクの軍事支配という中東の混乱により米軍の軍需産業は事実上沖縄にまでこの軍事的弊害を生じさせたのである。
一方、1996年8月28日、最高裁は米軍用地の強制使用手続きをめぐる代理署名訴訟で、米軍基地への土地提供を定めた米軍用地特別措置法は憲法に違反しないという判決を下した。
この米軍用地特別措置法は同盟上の米軍の軍需産業を容認するものであるが、前述した沖縄の軍事的弊害とは、似て異なるものであり、両者を民主主義において憲法上合法とすることは不当な判決であると言わざるを得ない。
▽米国同時多発テロ9.11は、事実上米軍のイラクでの軍事活動を正当化せしめたのであり、数十万の身体障害者を含む戦争犠牲者を齎した。
そして、ブッシュ政権はイラクの民主化に必要な要件を満たしていないばかりか、フリーメイソンの教義に含まれる虐殺思想の終端と軍事経済破綻を防ぐべく水面下での隠蔽工作をしたかの如き示唆を繰り返しているのである。
なぜならば、米国の権威は少数民族を虐殺したことにより維持されてきたからであり、この戦争利権を維持するために大規模なテロ事件を通じて米国民を洗脳する必要があったと言えるからである。
つまり、戦争の可否は国民洗脳により誘導された似非民主主義的な判断に基づくものである。
戦保守
良いスレ
57 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/25(火) 13:20:22 ID:cz8KTnw/0
日中戦争勃発が一つの境目だったという意見(坂野潤治)も有るね
言論統制は1970年代に入る頃まで世界で普通にあったし。
アメリカなんて戦後、1960年代まで結構激しい赤狩りをしていて
赤に関する言論統制は激しかったし。
国民もまた、赤に対する言論統制を受け付けていて赤批判を繰り返したいた。
赤発言・赤容認した国民は職を失い、周りの住民から追放されて自殺したり、
地位の高い者は出国したら再入国禁止されたりもした。
>>23 戦前は今の産経以上のことをした朝日・毎日だよw
59 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/26(水) 11:12:08 ID:AbP9PrjL0
戦前の報道について批判されるにしろ
縮刷版出している点は立派だろう朝日も毎日も
戦後の分すら縮刷版出さない産経は何なんだか
(朝日の縮刷版を基に戦後史を書いてくれと言っているような物だろう)
60 :
名無しさん@お腹いっぱい:2008/08/24(日) 14:41:22 ID:mudZhPdo0
戦前の言論統制なんて、危ないのは皇室と共産党だけだしな。