なるほどです。新留守居という出自が仮に正しければ上士、
もしくは上士格だけど、切腹時の話からすると下士のようですね。
ありがとうございました。
202 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/05(土) 12:10:29 ID:qQ3B9QCp0
実に実に実に実に言語道断っ・・・・・・!
切腹直前の志半ばで斃れる無念さが痛いほど解る書状の一部分。
203 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/08(火) 15:34:10 ID:T1Rli9HG0
マヌケ象二郎とバカ殿容堂、総理大臣になる予定であった瑞山先生を切腹させた
貴様らの罪は誠に大きいぜよ!!
武市さんと竜馬の関係ってどないな感じ?
205 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/08(火) 19:16:48 ID:0reaYLB00
坂本は唯一武市先生を堂々とアギと呼んでた間柄
他は先生つけたらしいけど
漫画みたいに対立はしてないんね?
207 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/09(水) 03:57:05 ID:B+ffg61d0
>>203 「お〜い竜馬!」「土佐維新勤王史」信者かww?
山内容堂公のどこがバカ殿なんだよ。後藤と引き合いに出す自体おかしい。
容堂公は我慢したほう、それはお前が島津久光や歴史を学べば自ずとわかる
信者でも武市が死んだのは自明の理なのは認めとけ
208 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/09(水) 13:53:48 ID:Na8uKR0F0
>>208 明治に入り容堂殿は武市を殺したことを大変後悔していたらしいよ?
209 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/09(水) 15:30:50 ID:je1JVjlB0
>>206 龍馬の妻となるお龍の回顧によると
武市は京から土佐に帰る際に、龍馬のところに来て
「一緒に帰らぬか」と誘いに来たのを
龍馬は武市の帰国を思い留まらせようとしたという話がある
(実話かどうかは判らんが)
これが本当の話なら、龍馬脱藩後もそれなりに友好的な関係は続いていたと思われる
結局武市は土佐に帰り、最後は切腹して果てたが、
武市切腹の報を聞いた龍馬は
「武市は正直すぎるからやられた。惜しい事をした」と嘆いたとか
武市は久坂玄瑞からの「長州に逃げて来い」という誘いも断ったんだよな・・・
本当に惜しいことをしたもんだ
210 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/09(水) 16:20:32 ID:Na8uKR0F0
三文字の切腹、まさにサムライだね。
211 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/09(水) 18:57:41 ID:B+ffg61d0
>>208 出展は?
木戸孝允に聞かれて「藩令に従ったまで」と答えたという風説もあるよね
そもそも武市は豊範擁立の謀反の前科と、青蓮宮の件が成功してたら
容堂の命が危なかったし、武市は岡田差別したり性格からいって
生きてても百害あって一利なしだよ。吉田松陰が生きてたなら評価できるけど。
土佐の大老を暗殺したんだから死罪はしょうがないんでない
武市の性格からして百害あって一利なしって、武市評ひとつでも読んだことあるのか?w
青蓮宮令旨だって、張本人の間崎や平井も容堂を退けようなんて、そんな大それたこと
画策してなかったよ
214 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/09(水) 20:50:20 ID:B+ffg61d0
>>213 だから武市絶賛の嘘っぱち評価のこといってんだろ?
出展は「土佐維新勤王史」だよな。
これの作者ググッテみろよ?
それと青蓮宮令旨事件は容堂じゃなくて隠居後の豊資を動かそうという意図だぞ
つまりは豊範擁立して実権奪い取ることの再来以外に何もないわけだが
215 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/10(木) 01:25:09 ID:ODhwEsZY0
「武市半平太は真に国士の風あり、当世第一の人物、西郷吉之助の上にあり、その熱誠、西郷の上にあり」by久坂玄瑞
「瑞山先生も殺したのは誠にあやまりであった」by後藤・乾退助
「薩摩藩この如き人物なし。ただ共に比すべきものは大島の流人、西郷隆盛のみ」by田中新兵衛
まぁ、才能豊かな人物であったことは確かだな。
217 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/10(木) 23:35:30 ID:+r3Aci+z0
中岡慎太郎は、田野学館に剣術指導にやってきた武市半平太に傾倒して
武市が高知に帰るのを追いかけて、武市の道場の門弟になったりしてるし
それだけの魅力のある人物だったんでしょ。
中岡は西郷を評した時、武市を引き合いに出して
「その誠実は武市に似る」とか言ったりもしてたな。
218 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/11(金) 01:16:56 ID:/FBPIq3B0
てか「土佐維新勤王史」ではなく、「維新土佐勤王史」だったような
一応訂正させてもらう
219 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/11(金) 23:06:50 ID:12kh6kpi0
田中新兵衛は土佐藩の人殺し仲間。
後藤と板垣はやもいうけど実際に武市が生きてたらヌッ殺されてる気が。
220 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/12(土) 01:29:20 ID:Ov0jZ++q0
田中新兵衛は薩摩じゃなかったか?
221 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/12(土) 02:07:44 ID:J4oIBUy/0
田中は薩摩の下級武士で武市と義兄弟の契りを結んでいる
同じ下級の岡田も剣術修行などなんだかんだで武市に可愛がられてる、最終的に武市や土佐仲間からも疎んぜられたのはやはり岡田に原因があるのだろう
222 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/12(土) 23:25:37 ID:rayZbb//0
岡田以蔵は、尊皇攘夷を掲げる武市半平太の土佐勤王党に属していながら
彼らの敵である勝海舟やジョン万次郎の護衛をやってたりしてたが
武市はそういう確固とした主義主張の無いように見える人間を一番嫌いそうに思える
武市が岡田を煙たがるようになったのは、やはりこの辺りからではないか?
あと、後の土佐勤王党弾圧において岡田が拷問に屈して自白したことで新たに数人の同志が捕縛される事態になったというのに
岡田が牢役人に対して「武市先生によろしゅう言っといて下さい」などと伝言を頼んでいたことを伝え聞いた武市が
「まっこと面の皮の厚い男じゃ」と露骨に不快感を示したという話もあるな。
223 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/06(水) 14:08:06 ID:mY7GUN1Z0
一番身分が低かった以蔵の拷問は熾烈を極めたはずで、自白も無理ないというか。
一方、武市は拷問受けてないからなあ。
しかしなぜそれほどまでに以蔵を嫌うかね。
十代の頃から目をかけてやった相手なんだから、精神的には武市が育てたようなものなのに。
224 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/06(水) 16:36:54 ID:wGfCW1zb0
武市は差別主義者だからな
こんな身分の低い奴と上士格の自分は同格じゃないと思ってた節がある。
んで実際やりあうのは容堂や東洋みたいな上士の中でも偉いさんばっか。
確実にキャリア官僚の考え方だろ。
225 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/08(金) 01:45:33 ID:c4bPGWDx0
>>223 以蔵以外も過酷な拷問受けてるが口割ったのは以蔵だけ
以蔵は末期には土佐勤皇党の同士全体からも疎まれていたようだ
226 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/08(金) 01:52:30 ID:wq8JhOmq0
>>225 >以蔵以外も過酷な拷問受けてるが口割ったのは以蔵だけ
う〜ん、でもこの件に関しては、実際に見た人がいるわけじゃないから疑いが残るんだよね。
疎まれていたから、そういう筋書きにされた(=生け贄にされた)という可能性を疑ってしまう。
土佐の上士と、生き残った土佐勤皇党の人たちが歴史を書いたのだから。
身分が低い相手だから、どうにでもできるような気が。
でももし本当に同等の拷問を受けて口を割ったのが以蔵だけだったなら、
・以蔵は我慢強くないので、拷問に負けた
・武市を憎んでいたので、あえて自白した
の、どっちかな。
>>205 あのさ・・・このスレは歴史を追及するスレだから
会えて聞くが
あいつのどこを見てそんな考えに行き着いたの?
230 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/10(日) 13:17:35 ID:h1oLMZNH0
武市先生は神だね、人望、統率力、誠実、胆力、気力、教養、剣など
幕末の革命運動化で言ったら、西郷、大久保、久坂、高杉、木戸らより一番総合力的に高いんじゃないかな
幕末にあそこまで藩内で勢力もったのは武市以外居ない
231 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/10(日) 13:36:14 ID:o66PNlnq0
きました武市信者
232 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/10(日) 13:51:59 ID:bpUHaN2U0
>>230の考えにまで至る過程に興味ある
何がきっかけで信者になったのかな
武市が超絶かっこよく書かれてる小説か何かがあるのかな?
>>230 あいつは思想は攘夷一辺倒
邪魔者は殺してしまえ というやつだよ?
生きていたら明治の重鎮になっていたろう吉田東洋を暗殺したり
恐らく武市が生きていたとしても
武士の制度を壊す政府に反感をもって反乱起こしてたぞ?絶対に
>>227 以蔵は自白を後悔して、
後には自白内容についても「又聞きで、直接承知した話では無い」などとボカしたりしてたみたいなので
二つ目は無いだろう。
てか、何か急に武市嫌いがよく現れるようになったな。
>>234 「後に」って、以蔵は自白してすぐ斬首になったんじゃないの?
その記述はどこにあったのかな。
>>234 嫌いっていうか
このスレは武市や土佐勤皇について話をするスレでしょ?
何をどうしてそこまで(
>>230)評価してるのか聞いてみたい
理由を教えてくれないか
調べれば調べるほど俺には評価できそうなところが見当たらない
237 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/11(月) 02:42:00 ID:aF/IP1no0
勤皇派を纏め上げ土佐藩を動かしたその政治力、三文字切腹で見せ付けた恐るべき胆力
暗殺云々なんて言っても、暗殺団持ってたのも武市くらいだな
西郷は維新から天下の英雄扱いなったが、幕末時点では人気はあっても武市ほどではないね
武市ほどの勢力や組織を築き上げたのは一人も居ないね
長州の久坂や高杉なんかはもろ書生で、藩に甘えながら運動やってた徒に過ぎんし
木戸はその流れ的に首相のような地位に就いただけ
238 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/11(月) 03:59:06 ID:8B3cT4H00
>>225 「以蔵だけ白状した」ってのは司馬さん以降の創作でよくある話なんじゃないの?
幕末暗殺史って本に、
「久松喜代馬、岡本二郎らも、」白状したって書いてあった。
「〜ら」ってことは、まだ他にもいそう。
239 :
???:2010/01/12(火) 08:09:58 ID:0meSb2dyO
武市と久坂って人物的にはどちらが上?
240 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/12(火) 08:25:26 ID:JMNpJE8q0
>>235 イメージ的にはそうかもしれんが、
岡田以蔵の自白がもとで元治元年のうちに、新たに四人の勤王党員が捕縛されたりしてる。
あと、以蔵の「又聞きで、直接承知した話ではない」との供述に関しては、
確か、武市半平太や土佐勤王党研究を長年行ってきた横田達雄氏の
「武市瑞山獄中書簡」中の注釈にそのような記述があったように思う。
>>236 俺は230ではないが、個人的に武市半平太から魅力を感じることがあるとすれば、
土佐では白札郷士に過ぎなかった男が吉田東洋暗殺を機に(これについては賛否両論あるかもしれんが)土佐一藩の実権を掌握し、
土佐藩主上洛を実現させたり、一時は朝廷にまで影響力を持つまでに至った政治力。
それから、土佐勤王党を結成し、後に明治維新に大きく貢献をすることとなる土佐の多くの有志を覚醒させ、
政治運動に身を投じるきっかけを作ったのも、武市の功績かと。
武市の存在抜きにして坂本龍馬や中岡慎太郎の活躍は無かっただろうし、土佐が「薩長土肥」の一角を占めることは無かったと思う。
人間的には、三文字切腹を成し遂げた並々ならぬ精神力や
結婚以来、死ぬまで妻の富一人を愛しぬいた愛妻家な所等等・・・。
勤王党の吉村虎太郎が武市家に子ができないことを憂いて富を説得して里帰りさせ、武市のもとに女を次々と送り込んだが
武市はどの女にも一切手をつけず、最後は吉村に「子が無いのは天命である。二度とこのようなことはするな」と叱りつけた逸話は
武市の死後、富が思い出話としてよく語っていたものらしい。
武市にも欠点は色々あっただろうが、人間的に何も見るべきところのない男が200名の集団のトップに担がれ、
血気盛んな勤王志士達を統率することなんかできんだろ。
長文で申し訳ない。
241 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/12(火) 17:50:24 ID:Fgwr1Rq50
>>240 >横田達雄氏の「武市瑞山獄中書簡」
ぐぐったら、私家版で1000部しか出てないね
どこに行ったら読めるんだろう
242 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/12(火) 19:06:51 ID:JMNpJE8q0
>>241 高知県高知市の高知市民図書館か高知県立図書館(いずれも高知城周辺)に行けば
確実に置いてあるかと。
あと、それほど売れてる本でも無いだろうから、
その気になれば、今でもお取り寄せで購入もできるかも。
>>242 ありがとう。でも東京なんだ・・・
近くの図書館調べたんだけど残念ながら置いてなかった。
高知の図書館って色々置いてあっていいな。
以蔵関係の資料が読みたいので、一度行ってみようかな。
244 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/12(火) 19:19:13 ID:JMNpJE8q0
>>243 東京なら、永田町の国会図書館にもあると思います。
>>244 調べたらありました。
ただ国会図書館は館外貸し出ししていないのが残念なところなんだよね・・・
大河板からきた
一緒にみてた家人が唯一反応したのが、「半平太」
自分は初めて名をきいたが、
>>240みるに随分立派な人物だったんだな
欠点がないことが欠点のようじゃないか
247 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/14(木) 19:57:43 ID:eH7dhNV00
瑞山先生は武士道の典型のような男!武士道を全て兼ね備えてたため死んだ
その義の面が勤皇攘夷に走らせ、仁の面で多くの人間を惹きつけ、武の面が暗殺と云う手段に走らせ、忠の面が最後まで土佐藩に留まらせた
他の同士と違い脱藩する気も無く、誰もなしえなかった三文字切腹で死ぬ事になった
248 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/19(火) 17:37:11 ID:tMcN2NJH0
「此内より久坂より、武市の事象及び候ところ、初めて面会、健なる人物と相見え、武術師範の由」樺山三円
「至誠忠純、洛西にその比を求むるならば、わが大島三右衛門(西郷隆盛)か」田中新兵衛
249 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/19(火) 21:16:37 ID:L/qZAbgg0
>>240 吉田東洋暗殺については非難一辺倒だよ。
罪のない藩政改革に熱心な重臣を不意打ちでぶち殺したわけだから。
土佐で首相になれるのは吉田か武市しかいなかっただろうし、
これで人材不足に陥ったのはいうまでもない。
それに自分が裁判で成敗されることになってまさに自業自得。
集団で取り囲んで酒を飲ませて絞殺するのは卑怯人そのもの。
豊範が藩主に就けたのも安政の大獄の棚ぼたでこいつの業績ではない。
吉田東洋がかわいそすぎる。
250 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/20(水) 01:05:33 ID:bDFld/CO0
武市の欠点は多々ある。
最大の欠点はやはりこれ↓
・先見の明がない
いや、攘夷を撒き散らした連中が徳川の世を終わらせたのだから、
その先頭に立った武市は、先見の明はあった。
問題は、だれかれ構わず斬ったため、本人も斬られたということ。
いや、もし武市に先見の明があれば、土佐に帰って死んだりしないよ。
それに獄中書簡でも主張していたのは、
「天皇→将軍→各藩→(ry」という従来のシステムの維持だから
そもそも武市は倒幕する気まではなかった。
253 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/20(水) 04:22:00 ID:jxQcm4Ot0
時代が変われば主張する内容が変わるのは、よくあること。
時代を創る集団を率いていたか、
その意味では、暗殺集団という形で武市は時代の先端にいた。
先見の明は、あった。
254 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/20(水) 04:24:25 ID:bDFld/CO0
時代が変われば?って意味が解らんが、
武市は最初から最後まで倒幕する気はなかったよ。
よって先見の明は、ない。
255 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/20(水) 04:36:49 ID:jxQcm4Ot0
時代が変われば、主張する内容も変わるもの。
武市は時代に則し、主張する内容を変えたかもしれない。。
よって先見の明は、あった。
256 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/20(水) 04:40:03 ID:bDFld/CO0
>>255 いや、一行目の意味は解るけどw
この場合は、そういうケースではないってことだよ。
別に武市は捕縛されたから考えを変えて倒幕する気を失ったわけではない。
武市にとっての義は藩に尽くすことだったのだから、そもそも
最初から倒幕する気などありませんでした。
257 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/20(水) 04:49:36 ID:kV7cgn/v0
結局のところ、武市は小さい人間だったんだよね。
視野が狭い。
さほど大きな人間ではなかった、と書いた方が良いかな。
それなりに力はあったから名を残したけれど
先見の明がなかったから、最期は切腹で終わってしまった。
生まれた場所が土佐だったという点は武市にとって不幸ではあったけれど。
土佐勤王党員の不幸は、トップがさほど大きな人間ではなかったということ。
258 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/20(水) 04:59:16 ID:jxQcm4Ot0
>>256 それも違う。
時代が変われば、主張する内容にも変化があるもの。
攘夷集団を率いていた武市は時代の先端にあり、
その意味で、先見の明はあった。
>>258 「先見の明」を短い期間限定で使いすぎ。
260 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/20(水) 23:18:06 ID:jxQcm4Ot0
結局、先見の明なしと言いたいだけで、中身なしの罵倒厨房か。
時期が変われば、主張する内容が変わることは、よくあること。
ゆえに、過去の時代遅れな発言をもって、これは彼の生涯の限界であったと主張するのはおかしい。
武市は攘夷を暗殺行為によって世間に撒き散らした。
その意味で彼は時代の先端にいた。後の明治維新への契機を作った人間と言えよう。
261 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/21(木) 00:01:58 ID:qciZ6z9c0
暗殺された吉田東洋は先見の明が無かったから暗殺されたというものか
262 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/21(木) 00:19:47 ID:IIEPNULX0
>>260自身が理解力がなく
その上文章力もないのに他人を罵倒厨房するのはどうかと。
つまりID:jxQcm4Ot0は、
「もし」時代が変わっても武市が生きていたとしたらその時は考えを変えたことだろう、ってことが言いたいのか?
そんな「if」で語ってどうすんだよw
そしてそんな「if」を前提に武市が先見の明があったと言われても説得力なし。
妄想でなく事実だけで語れ。
264 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/21(木) 00:30:44 ID:AjHu96ki0
>>260 >時期が変われば、主張する内容が変わることは、よくあること。
↑
無意味に4回もくり返してご苦労なことだが、そんなことは当然だ。
しかし、↓と全く繋がっていない。
>ゆえに、過去の時代遅れな発言をもって、これは彼の生涯の限界であったと主張するのはおかしい。
何を言ってるんだお前はw
武市が死の寸前まで変えなかった発言なのだから、それが彼の生涯の限界だったことは火を見るよりも明らか。
お前はこの一文をもって武知自身を否定してることになるぞ。
もし武市が切腹せずに生きていたら、そりゃ後には考えを変えたかも知れないが、
そんなの誰だって同じだろうが。
265 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/21(木) 01:02:46 ID:USVK0nf20
相変わらず、論理の飛躍を重ねた上に、それに気付かず
相手が悪いと考えるとは、全く許しがたい阿呆だな、限界厨房は。
時期が変われば、主張する内容も変わることはよくある。
ゆえに、武市の死の時点での主張が、彼の生涯変わらない主張と断言することは誤りである。
限界厨房は、武市の将来を否定し、彼を矮小化することに懸命だ。
266 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/21(木) 01:14:17 ID:AjHu96ki0
>>265 本当に、
>>263-264を読んでも意味が理解できないのか?
できれば何度も読んで欲しいものだが・・・
理解できないならもう何も言うまい。
妙な人の相手をしてしまったようだな。残念だよ。
267 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/21(木) 01:29:04 ID:USVK0nf20
死の場での彼の意見が、彼の生きた場合の生涯の意見であったと断言することが誤っているのだよ。
妙な人は君さ。
268 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/21(木) 01:41:16 ID:SsIfWNZ20
>>252 「天皇→将軍→各藩→(ry」←これ従来システムじゃねぇんだが?
天皇の方が将軍より上と云うのは勤皇攘夷の革命思想
269 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/21(木) 02:05:30 ID:SsIfWNZ20
幕末は尊皇攘夷と勤皇攘夷の対立
対外論の攘夷は佐幕も倒幕も同じだが、尊皇か勤皇かで大きな違いがでる
佐幕派は尊皇攘夷で、天皇を尊び幕府と仲良く手を携え攘夷しましょうという公武合体主義
勤皇攘夷となると、天皇こそが主であり幕府はその家来に過ぎない、公武合体なんてのは天皇と将軍が同格でありえないと云う革命思想
ID:USVK0nf20は良く嫁よ
「彼の生きた場合」っていうその前提が変だって言われてるのに分からんのかね
271 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/21(木) 03:32:25 ID:USVK0nf20
相変わらず、限界厨房は読解力が無く、
併せて、他人が変だと指摘ししている部分をまるで無視しているようだ。
まだ分からないのだろうか。
272 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/21(木) 03:37:10 ID:USVK0nf20
そもそも、死の時点で語った内容が、処刑後の社会情勢に関わらず
そのまま硬直して存在したに違いない、と語った上で「これが武市の限界だ」
と断定すること自体、彼への冒涜だろう。
..........確かに見えない敵と戦ってるキモい奴だった........
でも自分は暇なので相手する
ID:USVK0nf20が武市をやたら高評価したい奴なんだってことはわかるけど
喧嘩腰で他人に押しつけようとしたって無理なんじゃね?
なんなのその罵倒厨房とか限界厨房とかいう厨房臭い単語w
275 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/23(土) 08:01:23 ID:CgpZtO8B0
それなりの覚悟はあったと思うよ
276 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/23(土) 14:10:14 ID:5/GOOSOJ0
風土自体が関ヶ原以降よりの種族抗争
が激しい特殊な歴史があるから
「いつか徳川つぶす」みたいなテロ気概は
ずっとあったと思う
総理になれる資質はあったのに・・・勿体ない。
厨房に変な修飾語つけられたの初めて見た
279 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/28(木) 07:48:42 ID:r+2ENWQy0
真面目一途な人柄だったと思うよ
>>277,279
同感です。
瑞山を失った土佐は痛かったですね。
281 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/30(土) 10:34:47 ID:X2LsZI/C0
テロの親玉ってのは理知的なもんだよ
でも原動力が100%怒り・恨みの類だから
総理なんて考えない人だったと思う
土佐だって瑞山いなくても別に変わらなかったよね・・
共食いが良くなかったんじゃない?
282 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/30(土) 12:53:03 ID:ATlyUovb0
吉田東洋さえ生き残ればよかった
283 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/30(土) 13:33:19 ID:OupBOmfH0
>>282 そういう説も実は成り立つんだよね
竜馬や瑞山好きだからアレだけど
封建的な土佐藩は吉田の爺が後見人みたいな感じで
歴史の動きを見ていた方が良かったのかも
284 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/30(土) 21:33:50 ID:V609Qx390
>>281 武市が生きてれば薩長土で並んだ可能性強いけどね
もともと南学、天保庄屋同盟、身分差別の厳しさなどによって尊皇の土壌は十分にあった。
けれども瑞山がいなかったら、あれほど多くの志士を輩出する藩にはなってなかっただろう
維新で薩摩は西郷、大久保、長州は木戸が生き残ってるのに対して土佐の代表は後藤に板垣…
小物とは言わんが、中岡や武市に比べたらだいぶ格が落ちる印象だな
286 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/31(日) 11:21:12 ID:A5jSYmJq0
武市が生きていれば維新の三傑は薩摩の西郷、長州の木戸、土佐の武市
になっていたであろう。
287 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/31(日) 11:24:25 ID:A5jSYmJq0
薩摩は大久保だったかも。そしてそれぞれそれ以上の人気者として
西郷、高杉、坂本という感じになっていたかな。
武市と中岡の損失が痛すぎたな。
いつものことだが日本史版じゃ坂本は笑えるほど評価が低いなw
まあ気持ちは分からんでもないが
どちらかというと、西郷隆盛の養成した工作員の域を出なかった人ですから。
武市が生きていれば、って途中退場した人のことそんな仮定で話しても無意味なのに
そういう夢みがちなことを考えてしまうしまうくらい武市が好きなんだろうね
何がきっかけでそこまで
子孫とかの人ならわかるけど
292 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/01(月) 17:51:02 ID:bPk39DLk0
武市はこの頃の史実に色々な形で出てくるのは事実
おそらく勤皇派の土佐の顔、まとめ役と認知されていたと思う
>>289-290 2chのやりすぎ。
桐野作人とか、中村武生などの研究者のブログ読んだほうが良いかも。
と言いつつ、私は、龍馬より中岡や武市の方が好きだけど…
294 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/01(月) 21:09:14 ID:S0SCws5t0
>>293 竜馬の業績云々については、調べれば調べるほど胡散臭い。
薩長叩きの道具として、別人の業績を着せる形で虚像だけが膨らんだ感じ。
295 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/01(月) 22:12:17 ID:xg0tXWdq0
桐野作人が研究者wwww
おいおいこれだから竜馬ヲタは。
>>294 どういう風なところが胡散臭いの?
詳しく列挙してみて。
>>295 桐野氏は「作家」だったな。
でも、「龍馬ヲタ」とか書くのは、低能丸出しだからやめろ。
ちょっと龍馬を擁護(?)するような事を書いた途端、狂信的アンチの反応がすげぇな。
まぁ、私も数年前まで叩いてたから、気持ちは分かるけどね…
297 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/02(火) 18:45:45 ID:WUOwvp3+0
まぁ語るに値する人物だと思うが・・
298 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/02(火) 20:37:46 ID:nYX1Po840
>>296 「桐野を研究家」といい「ブログ」を読めといいはる人間には、
竜馬ヲタがふさわしいよw
お前自分のレスを客観的に見てみろ、恥かしく無いのか?
299 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/03(水) 18:30:36 ID:3sKlMcix0
>>298 横レス悪いけど、お前は性格の悪さが滲み出てるなwww
会社でも学校でも家庭でも煙たがられてそうwww
300 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/03(水) 18:34:58 ID:3sKlMcix0
Wikiより
桐野 作人(きりのさくじん,1954年 - )は、歴史小説・時代小説(架空戦記を含む)の作家、歴史研究家。鹿児島県出水市出身。
研究家と書いてるぞ。
>>298 桐野を研究家にしたくないなら、Wiki編集してこいww