1 :
日本@名無史さん:
大いに語りあおうぜよ!!!
2 :
日本@名無史さん:2005/12/07(水) 23:29:01
げにまっこと弐番ぜよ
吉田元吉殺しは許せん! 大老公ら門閥保守派も一枚噛んでるらしい。
4 :
日本@名無史さん:2005/12/07(水) 23:49:49
じゃが吉田東洋暗殺がなけらにゃあそこまで土佐勤皇党が発言権を藩内でもてんかったきに!
ある意味すごい事じゃちおもうんじゃけどにゃあ
5 :
日本@名無史さん:2005/12/07(水) 23:59:01
東洋という男は頭が良すぎたからな、日本の将来を見すえていた思想に、
武市あたりでは理解の外であったろうな。
6 :
日本@名無史さん:2005/12/08(木) 18:05:30
武市半平太?はぁ?
用なしです。
7 :
日本@名無史さん:2005/12/08(木) 18:26:52
しかし、この名簿の中に『武市半平太』という名前は入れたかったな〜
8 :
日本@名無史さん:2005/12/08(木) 18:29:55
近代史板に立てるスレだろ!
ざけんな!
9 :
日本@名無史さん:2005/12/21(水) 22:22:44
単なるテロリスト集団が武田鉄也
並みの大阿呆共に持て囃されているだけ。
武市瑞山は旧慣郷士→郷士御用人→白札の家系。
さらに山内容堂によって上士最下位の留守居組になった。
理想をいえば、彼は留守居組の嫡男として生まれ、
さらに吉田東洋の少林塾に学んでいれば良かったな。
吉田東洋の少林塾は門下生の身分を問わない所だったし、
門下生でも乾退助(板垣)や間崎哲馬は勤皇過激派になったが。
土佐勤皇党=被差別B
土佐人どもは、長宗我部残党や土着の土人を鎮圧し、
土佐に秩序と文化をもたらした山内公を褒め称えよ!
武市はなんで評価されてるのかわからん
今でいえば地方チーマーのヘッドレベルのつまんないヤツでしょ
山口六平太に名前が似てるからだよ>13
15 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/22(日) 11:48:21 ID:xMEgESi0O
三文字の切腹
静岡人「あなたの先祖もきっと私の先祖の家来だったでしょうね。」
高知人「そーでごぜーますだ。ご主人様。」
17 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/19(日) 01:57:52 ID:dwSsNbliO
あ
19 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/27(月) 16:19:01 ID:Cwg3y0JX0
謹直で愛妻家で大好き。
竜馬が活躍できたのもこの人のおかげ。
20 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/27(月) 16:37:03 ID:+Mccudju0
10年くらい前半平太の屋敷に行ってみた。
ここで妻の富と暮らしていたんだなあと思った。
荒れ果てていた。
誰も管理していないんだろうな。
21 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/27(月) 20:35:40 ID:xe4c0doE0
>>103 戦前の日本の神秘主義者、例えば大本系とか天行居の友清勧真といった人達は
それ読んで霊的国防ということを意識したわけだけど、はっきり言って情報不足という他ない。古いよ
『シオンの議定書』が当時の帝政ロシアの秘密警察にいたセルゲイ・ニールスの手によるものだった
という事実は誰でも知ってると思うが、『シオンの議定書』が偽書としてもダメなのは
メイスン=ユダヤの組織という物語を語っている点であり、今だにそのエピゴーネンを生み続けている事だ
メイスンはユダヤの組織では無いし、あきらかに事実に反している
例えば戦前のヨーロッパのオカルティズムの文脈では、エジプトの系統を継ぐと自負する
メンフィス・ミスライム系の影響が強かったし、メンフィス系のメイスンだったR・シュタイナーは
アーリア・ゲルマンを至上の民族と考えてたわけで、ユダヤ色なんて全く無いね
また両親共にメイスンの家系に生まれたブラバツキーにしても、ロシア系ユダヤ人を賤民呼ばわりしていたし
ナチスとはある意味、紙一重の反ユダヤの位置にいたわけだ
そもそもキリスト教社会におけるユダヤ差別問題とか、その脅威がもたらす共同幻想は
メイスンとは別問題なんだけど、なぜか悪魔的な存在として一緒にされてる
悪魔というのが、あくまでカトリックから見ての悪魔に過ぎないという点に気が付いてない
110 :名無しさんの主張 :2006/02/27(月) 00:17:31
109は誤爆だ。ここはオカ板じゃねーなw
111 :名無しさんの主張 :2006/02/27(月) 03:36:54
そうだよな、カトリックからの視点で見てる著者達がフリーメイソンは
世界政府を作ろうとしてるんだ、気をつけろ。みたいなこといってるだけなんだね。
日本でいうと、森ビル近くに集会場があるし、おまけにホームページまで公開されてるもんな。
カトリックは信者たちにメイソンに入るなと禁令出してた時期があったのは事実。
だがあくまでカトリック寄りの視点、陰謀論を振り散らかす方々はさ。
40万部のベストセラー『嫌韓流』の第2弾
『嫌韓流2』発売中
意外とおもしれーぞ
24 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/32(土) 08:26:33 ID:/e8sK9otO
子孫が実家にいるだろ
25 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/32(土) 18:46:46 ID:9W/Fsvra0
吹井の所ね、半平太の家。どういうわけだか子孫の武市楯夫さん
埼玉の人だったけど。この間武市楯夫さんの亡くなった知らせ聞いた。
26 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/03/32(土) 18:48:05 ID:9W/Fsvra0
>高知市吹井(仁井田)地区。
27 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/05(水) 13:30:23 ID:4ZzkYOEKO
吹井に武市さんの実家があって、何年か前に訪れたら子孫らしき人がいたけど、お亡くなりになったんですか?今はあの家には誰もいないんですか?
28 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/10(月) 13:29:54 ID:7KCGDvGYO
武市サンあげ
29 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/16(日) 02:15:38 ID:awMV1oP1O
あげちはんぺいた
30 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/03(水) 08:53:41 ID:e5+VBdzfO
ウホッ!!
ほす
32 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/05/15(月) 03:23:01 ID:8NDTET0aO
あげ
33 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/14(水) 17:10:34 ID:pEjp0ihK0
>>12 何言ってんの?もともと土佐は長曽我部が治めていたのに、徳川から命令された
山内一豊が土佐を乗っ取ったんじゃん。その後上士、郷士と差別して郷士を虫けら
扱いしただけでなく平気で虐げたり殺したりしたクズどもをどう称えろと?
34 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/06/14(水) 18:48:56 ID:swZslDAAO
武市 好きではない!
衣蔵を 毒殺しようとした張本人!
土佐独特の身分制度、郷士の身分。
早死にして当然の報いだ!
35 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/17(月) 15:43:06 ID:hoRWWLMN0
まぁそういうなって
36 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/07/28(金) 14:57:40 ID:mXWyQQme0
武市先生は幕末最高の人材
人望は西郷
政治は大久保
37 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/17(木) 23:27:44 ID:lIosXxk/0
この人って早漏だったの?
土佐っぽは、みな早漏です。
39 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/09/29(金) 22:09:03 ID:1mXZS57Y0
おまいら「お〜い竜馬」読み杉w
・・・まあありそうな話だが
しかし竜馬・以蔵・半平太が幼馴染って設定は無理ぽw
ぶいち はんぺいた
でOK?
41 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/03(火) 10:38:31 ID:yf/eA/1T0
武市先生が好かれずらいところは、やたら完璧な人物だった所だな〜
誠実で頭が良くて教養もあり腕もたって人望もある、そのせいで少し落ち度がると目に付く
暗殺なんて高杉や久坂らもやったし、陰謀なんかも西郷や大久保がやってるし
42 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/04(水) 15:40:54 ID:xMvB9V3V0
中岡>>>>>武市>>>>>>>>>>>>>>>>>>坂本
土佐勤皇党メンバーで明治の元勲とか偉くなった人っている?
田中光顕は昭和まで生きた稀有な人だけど、この人以外で。
郷士は気の毒だ。
44 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/05(木) 14:44:15 ID:x9/e0S930
そもそも明治まで生き残った奴の中で偉い奴なんていない
>>43 勤王党初期のメンバーの中での生き残りでは田中一人だと思う
土佐郷士出身まで範囲を広げると、
衆議院議長、副総理になった中島作太郎や、
三条の懐刀になった土方久元みたいなのがいる。
武市半平太の姉、奈美について教えて下さい。
47 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/11(月) 23:06:44 ID:o7rUc7rY0
>>33 同感。少なくとも山内容堂を讃える事は出来ん!
いくら身分差別が当たり前の時代でも、土佐ほど醜い差別は無かった。
まあ・・・だからこそ脱藩浪士達の活躍があったんだろうけど・・・。
>>34 武市はいわゆる「郷士」ではありません(扱いは似た様なモンだったけど)
上士の下、郷士の上の「白札」という身分でした。
この「白札」という階級は土佐独自のものです。
「お〜い!竜馬」の容堂は無茶苦茶すぎてかえってかっこいい。
小山先生の似顔絵もすばらしい。
49 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/12(火) 03:49:57 ID:ytgntw37O
以蔵〈〈〈〈〈龍馬〈〈〈〈〈〈〈〈半兵太
50 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/07(日) 15:47:42 ID:VBzLf9/s0
武市半平太の先祖、治部佐康範の親、及び先祖を教えてください。
以蔵age
>>43 河野敏鎌というのもいて、随分出世が早かった。
53 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/02(土) 23:32:06 ID:JJVGY5P50
おらの半平太のイメージは「お〜い竜馬」だな
54 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/05(火) 11:38:08 ID:KlJe/1Nx0
お〜い竜馬での幼年期の武市が笑える
55 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/18(月) 01:50:56 ID:6cYrBvCnO
あげ
ていうかなんでこいつがある程度名前残ってるのか不思議
恥ずべきことだと思うが土佐の人どう思ってるの?
超先見のあった吉田東洋暗殺してるんだよ?
吉田東洋がいきてたらきっと明治の高官になってたぞ
悲劇的で面白いよな、こいつら
ドラマみたいなんだもん
そんな理由でこんな奴が土佐の代表として残るとは・・・
目先しか見てないし日本にとっては有害な存在だろうこいつ
59 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/06/27(水) 00:13:42 ID:HZSkh+EN0
初体験で自分のふんどしで擦れて暴発するあたり親近感がもてる?
えっ??史実じゃない??
60 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/08/03(金) 19:05:03 ID:DJykbZcF0
>>56 土佐一の人望と政治の才があったから。
東洋を評価するしないは、明治維新なんてせずに幕府のままでもその後の日本はうまく行ったのにと言う意見と同じ。
たけちはんぺいた?たけちはんへいた?
結局、以蔵と武市はなんなんだ?
武市にとって以蔵は本当にただの人斬りマシーンなのか?
まあ後半は完全にお互い嫌いだったんだろうが、なんだかんだで牢屋まで一緒だったんだよな
ある意味これも運命ってやつか
吉田東洋暗殺をギリギリまで押さえてたのが武市だろ?
でそれ以上待つと他藩から遅れをとるから暗殺。
武士が不覚を取ったことから吉田家はお家断絶になったんだよね
age
過疎ってるなw
>>62 武市は道場始めた時に、以蔵の我流の剣の腕を見込んで門人にスカウトしてるから
最初は道場の看板剣士(←言葉がうまく思いつかん)にするつもりだったんじゃないか?
はじめのうちは他の門人と同じように情があったと思う。
西国行きあたりから雲行きあやしく見えるが。
武市先生に敬礼!
67 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/07(金) 14:12:39 ID:/wc08GH40
敬礼age!
68 :
長州ファンA:2007/12/29(土) 21:40:09 ID:67Ap59hY0
69 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/18(金) 17:11:16 ID:5SsnZ0kc0
↑見てきた。
一月に入っても余裕でチケットとれたから期待しないで行ったんだが…
不覚にも泣いた。
当時の武士たちの生き様が硬派に描かれていてびっくりしたよ。
おまけ程度だけど、以蔵や那須信吾が出てたよ。
武市先生が弾圧されず維新後も生きていたらどんな役職についていたのだろう
考えてみたが全く想像がつかんな。
潔癖症な気がするから中央政府には長く居れなかったんじゃないだろうか?
で、土佐に帰って若者教育にはげむとか。
創作部分だろうけど飛ぶが如しの小説に
木戸孝允が維新後の土佐人は皆陽気な薩摩人と行動を共にするのが好きだ、武市半平太が生きていたら長州のいい相談相手になってくれたのになぜ切腹させたんですか?と容堂に愚痴ってるシーンがある
73 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/07(木) 02:46:16 ID:apSkAOVy0
武市くんはインテリじゃき、長州とは良い関係になったろうに・・・
74 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/13(水) 18:47:59 ID:l3TFhaJb0
久坂はけっこう武市よりの意見だった
75 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/17(日) 02:56:42 ID:TnAxtbds0
久坂は武市にほれ込んでたからな
同じ勤皇派でも、バルタン星人とは激しく対立したらしいな。
バルタン星人て誰?
78 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/23(土) 12:52:58 ID:l16UyOiv0
武市ってお役柄上他藩の人との交流多かったと思うけど、他藩では特に誰と仲がよかったの?
自分の浅い知識では田中新兵衛と久坂くらいしか思いつかん。
79 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/23(土) 14:03:44 ID:0kQkIPIo0
土佐人どもは、長宗我部残党や土着の土人を鎮圧し、
土佐に秩序と文化をもたらした山内公を褒め称えよ!
81 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/02(日) 23:25:28 ID:sW5kyI170
土佐の郷士は下駄を履くことも許されず、
上士と出会ったら雨の日でも道ばたに土下座しなければならなかった。
土佐勤王党はただのテロ集団だけど、
彼らの身の上を考えると同情の余地はある。
特に土佐は上士と郷士以下に隔たりが大きかったからね。
考えなしの暗殺は共感できないけど
徳川以降の政治体制を変えてやるという気持ちは分かる。
そういうとこがすきだ<土佐勤皇党
83 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/09(日) 22:50:01 ID:UY+47TMO0
殿様…山内容堂
上士…山内侍…板垣退助
白札…奴隷…武市半平太
庄屋…町人…中岡慎太郎
郷士…虫ケラ…坂本龍馬
84 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/13(木) 21:58:34 ID:pQ7md0rW0
真に由緒正しい土佐人といえるのは遠江掛川以来の山内系だけ
85 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/10(木) 00:46:28 ID:ZQCeLGGm0
山内系ってそもそも土佐人じゃねーだろ
>>43 勤皇党の主要メンバーは皆、志半ばに斃れてほとんど残っていないでしょ。
まあ、もともと土佐は権威を嫌う気風があり、反骨(偏屈)の自由人が多い土地だからねぇ。。。
87 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/12(土) 20:37:26 ID:Yx3Sz5Qk0
京都でムダに長い長刀をぶら下げて、
善良な市民を無差別殺戮してたのが土佐勤皇党の連中。
新撰組に狙われ斬り殺されたの土佐人が多かった。
>新撰組に狙われ斬り殺されたの土佐人が多かった。
山内が勤皇党弾圧して帰るとこなかったからじゃないか?
武市頼りに脱藩し、かくまってくれそうな他藩との
コネ無い奴らは京都に残るしかない。
89 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/11(日) 23:23:40 ID:qsZNlCZBO
武市命日age
本当は閏月だけど
三文字切腹って本当にできるもんなのかね
なんという胆力…
水戸藩もそうだけど、土佐藩も勤王vs佐幕の血で血を洗う争いが激しくて、
肝心な時に藩としては全く機能しなくて、時流に乗遅れてしまった。
脱藩した坂本や中岡が個人的に活躍したが、
藩の庇護がないから暗殺されてしまった。
板垣も個人的な指揮能力で東山道野戦軍司令官までのし上ったが
母体の土佐藩の力が弱くて、明治後は野に下るしかなかった。
吉田東洋を暗殺したり、武市が藩政を牛耳ったり
勤王党は余りにもやり過ぎた。容堂をナメ過ぎたんだろうな。
お家騒動まで逝ったら、藩は衰退するしかない。
91 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/06(金) 01:53:09 ID:PeRlV3AJ0
酔う堂個人が定見ない凡君ならもっとすらすら言っただろうね。
土佐の場合階級闘争があるから難しかった。
92 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/06(金) 14:04:09 ID:bCfWfhiX0
容堂は他人の女に手を出そうとするのをたしなめられた際、
「洗えば良し」などと言い放つような下種。
終生、妻だけを大切にしていた武市とは、あまりにも人間的に差がある。
自分より能力的にも人間的にも大きく劣る容堂を敬愛して止まなかった事が
武市の悲劇。
再来年の大河では東洋暗殺についてもそこそこやってくれるんじゃないかなと期待
>>92 まあ殿様だからねえ・・・。
しょうがないっちゃしょうがないよw
てか武市半平太はもし死ななくても、前原一誠みたいなことになっちゃう気がするなあ。
前原と似てるとこがある気がする。
人物としては武市の方が、前原より一枚も二枚も上だろうけど。
武市の愛妻家エピソード聞くと微笑ましくなる
武市に子がないことを心配した吉村虎太郎が下女送ったけど、武市は一切
手をつけなかったって話とか。
他の志士は京で女遊びしまくっていたというのに…
武市は自分に厳しいが、他人にも厳しいタイプだな。
そういう人は今もいるけど、リーマン社会じゃまず出世しないし、
経営者にさせても会社を潰しちゃうよなあ。
男は清濁併せ飲むみたいな器量が必要。
武市みたいな人は、俺は個人的には好きだけどね。
97 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/11(水) 22:51:52 ID:U8TCgZl30
「土佐勤王党始末」の著者を、俺は本当に許せない。
読んだことがある人は分かるはず。
読んだ事ないけど具体的にどういうこと??
武市が悪者にでもなってる?
99 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/12(木) 21:59:22 ID:mhP81NlC0
もし貴方が高知県在住の方だったら
高知市民図書館や高知県立図書館に行けば読めると思う。
その本に対して腹が立つ点をあげるとキリが無いけど
例えば、「武市が桃井道場で修業していた頃、
道場主に対して門下生達の風紀の乱れを訴えたのは
門下生達が、あまり馬鹿な事をしていると、
同じ桃井の門下である自分の評判にも悪影響があるとも思った。」
「武市が勤王党の首領になったのは、
他の同志に比べて身分が高かったから←(トップになれたのは、武市の個人的資質によるものではない
と、さも言いたげな感じ。)」
「青蓮院宮の令旨事件に際して、後にこの件で切腹させられる平井、間崎、広瀬に
脱藩せず、自首するように勧めたのは、武市の出世主義的エゴイズムが
穏健手段を採らせた。」
「武市が脱藩しなかった事に関しては、忠誠の臣との評も出るかもしれないが、
所詮は臆病な保身の徒だったんじゃね?」
「妻に対して、自分が死んだ時に葬儀を神式にするように頼んだのは、死への恐怖感から、死んだ後に
死者は神になると思い込もうとしたからで、その思い込みに縋り付きたかった、
さっぱり男らしく死を受け入れる事が出来ない男だった。所詮、自分に対する慰めだ。」
「衰弱しきった武市に三文字の切腹が出来たかどうかは疑わしい。
自殺者が、ためらい傷をつけるように、三箇所、見苦しくあちこちに短刀を突き刺した。
だからこそ、介錯人は六回も切腹人に刀を突き刺さねばならなかったのではないか」等々・・・。
一番腹がたったのは、武市が獄中にいる時に妻との面会を拒んでいたのは
「妻に会った途端、取り乱し、世間が評価する武市半平太でなくなるのを恐れたのではないか。
現に囚われの身になっている事こそ恥の最たる物なのに、その矛盾には目を瞑り、この期に及んで未だに見栄ばかり気にしている。観客のいないガランとした舞台で、役者が大見得を切っているようなものだ。
久しく抱いていない妻の裸体を思い浮かべる夜もあったろうに・・・。」といったような事を書いていた文章。
著者は、武市の獄中書簡を読んで、武市に対するイメージが変わり、
それを本にしたくなったなどと言っているが、
個人的には、殆どの部分において、著者の勝手な妄想ばかりが先行していて、
武市の様々な行動に、著者が獄中書簡によって個人的に抱いたイメージを無理矢理
重ね合わせようとしているように見えた。
全体的には、武市は女々しい男で、かなりのナルシスト、出世の亡者であり
冷酷なテロの親玉といった事が言いたいらしい。
あとがきで、「誉めそやす事ばかりが愛ではない。時には意地の悪い視点から
対象を見据えないと、人物の実像は見えてこない。」なんて書いているが、
全体を読んだ個人的な感想としては、筆者の勝手な妄想ばかりが終始、先行していて
却って実像が歪められているように感じたし、かなり見苦しかった。
先に挙げたあとがきも、公平を装って少しでも自分に対する風当たりを弱める為の
言い訳にしか見えなかった。
100 :
99:2008/06/12(木) 22:00:35 ID:mhP81NlC0
あ、長文をお許しください。
これは酷いwww
悪意しか見えないよwwwww
高知じゃないから実際に読めないのが残念・・・
102 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/14(土) 16:14:01 ID:If5mONE10
その本の著者が、武市に対してそういうイメージを抱いたと言うより、
その著者自身の品性が下劣だから、そういう、ひねくれた見方ばかりするんだろう。
そんな人間が武市ほどの男を扱き下ろす資格など無い。
武市みたいな男は毀誉褒貶が激しいのが当たり前で、否定的な意見もあるさ。
勤王党と容堂の争いが余りにも激しかったので、
結局土佐藩は薩長に遅れをとってしまったしね。
勤王党出身者で、明治新政府で順調に上り詰めたのは田中光顕ぐらいか。
でも革命家集団ってのはそんなもんだろ。元々官吏には向かない。
非業の死を遂げて、後世に名を残す方が適ってる。
光顕も色々問題のあった人物だけど、97まで生きるってのはすごいねえ・・
今80歳オーバーの人ならフツーに光顕と会話した人もいるだろうね。
いや話す機会はそうそうないだろ
まあ確かにそれもそうか。伯爵だもんな。
でも数人はいるんじゃない?てかいて欲しい。
歴史のロマン的に考えて・・・
107 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/23(月) 19:35:05 ID:MCxI3YFC0
俺、高知出身なんだけど
今は東京在住。
昔、武市の生家に行ってみた事があるけど
そこで生活している人がいるから
中には入れなかった・・・。
おーい龍馬はかなりデタラメだそうだな
109 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/27(金) 01:08:53 ID:NQBANAko0
>>94 前原はアホだから武市と全然違うよ
前原が功臣になったのは松陰門下だったからだけ
110 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/27(金) 22:29:54 ID:08k6YGqT0
>>108 司馬遼太郎の小説『龍馬がゆく』をベースに漫画にしたら・・・・
という話しでしかないけどね。
>>109 一応戊辰戦争で功績を挙げていたと思うが……
しかし挙兵の際の挙動が間抜けすぎるw
江藤新平の死を嘆いた木戸孝允でさえ、前原の死には憐笑程度の扱い。
112 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/07(月) 16:23:52 ID:P1+Ts8gY0
木戸が容堂に対して
容堂が武市を切腹させたことを責めたというのは実話?
113 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/07(月) 18:18:06 ID:44AJTNeH0
日本史少し勉強すれば、武田鉄也の山内公批判は反吐が出るなー。
福岡出自の彼が、坂本に固執しすぎだし土佐人でもなんでもないのに。
114 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/07(月) 18:33:56 ID:44AJTNeH0
武市は身分がそこそこだったから、上士に意見言えたんじゃない。
京都に於ける過激行動も、久坂の影響だったからじゃないのか?
那須や吉村寅らが天誅組の乱起すのも武市の影響なんだろうね
吉野山風に乱るるもみじ葉は、我が振る太刀の血煙と見よ
吉村の辞世
115 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/08(火) 13:04:21 ID:c/0GPWYH0
武田鉄也は小山ゆうとの対談(「お〜い!竜馬関連」)で
武市は嫌な奴だの、とんでもない悪い奴だの
武市を散々扱き下ろしていたが、
何で武市が武田ごときにそこまで言われなきゃならんの?
あと、対談の中で武市は竜馬も殺そうとしたなんて言ってるけど
そんな話は聞いたことが無い。
俺が知らないだけなのか、それとも、あの漫画の中での話なのか?
マンガなんだから面白けりゃいいんだよ。
ほっとけ。
武田さん巡回乙であります
118 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/08(火) 18:45:20 ID:KWVGiGfs0
武市に限らず、武田は中岡慎太郎についても
中岡ファンなんて、そんなにいねえだろ みたいな事を言ってたり
龍馬に対する思い入れが強すぎて
他の人物を低く評価する傾向があるな。
中岡は龍馬以上に評価されてもおかしくないと思うんだが。
武田はあんだけ山内ボロクソ書いておいて功名が辻にでてたのに吹いた
中岡は歴史ファンの中では高評価されても一般的には龍馬と一緒に殺された
奴ってイメージしかつかないよな
霊山行ったとき中岡の墓みて誰この人?って言ってる観光客がたくさん
いてなんとなく悲しかった
120 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/20(日) 17:06:12 ID:p7d8E7qn0
>>114 武市は土佐系の勤皇派を握ってたから影響力があった
今で言えば最大野党の党首みたいなもの
121 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/20(日) 22:52:20 ID:NZBXLoRMO
武田鉄矢さんに京都見廻組の役をやっていただきたい
122 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/22(火) 02:30:36 ID:ZuWIef9L0
君が為尽くす心は水の泡消えにし後は澄み渡る空
結局、土佐は武田鉄矢が重要な役割を果たしているわけだなwww
武市の自画像って、いいよね。例の、獄中で描いたというやつ。
そこにいたるいきさつを知らないんだけど、田中光顕が作ったという、大洗にある
幕末明治のなんとかいうような、元の名前は常陽記念館とかいうような名のとこで
見たと思う。
なんで水戸文化圏に田中よ?と思ったけど、霊山よりいいものあると思うんだが。
関東圏のファンは夏休みに絶対行くべし。
125 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/08(金) 21:28:15 ID:PwVaCTuf0
ある本で武市半平太の墓は
高知市仁井田と京都市の霊山と書いてあった。
分骨でもしてんのかな。
126 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/09(土) 02:16:01 ID:sQaZ5gMbO
え?とんこつ?
>>125 霊山は勤皇の志士を祀るところだから遺骨無しの場合も多いし、そこに分骨してあるとは限らないよ。
128 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/16(火) 18:45:50 ID:eAr18a9A0
となると、霊山に武市の遺骨は無さそうだな・・・。
サンクス。
129 :
のうたりん:2008/09/17(水) 06:38:44 ID:HY46cDOo0
中岡は薩長同盟に関しても竜馬と同程度の役割を果たした。ちがいは「竜馬がいく」
はあるが「慎太郎がいく」はないということ。堂々たる神州・・・・今の日本を
瑞山先生に見せてあげたいね
130 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/08(水) 02:10:06 ID:+n2/zX2OO
今の日本を見て武市先生は満足するかな…?
131 :
のうたりん:2008/10/09(木) 05:17:55 ID:djkQe5Hu0
瑞山先生、卒倒しちゃうかも?あの時代ですら、夷荻の辱めを受け古より伝わる
大和魂はすでに絶えなんと・・・って言ってるくらいだからね。
132 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/10(金) 12:57:11 ID:SxsxaRQl0
瑞山先生の魂魄は
日本の心ある有志の体に乗り移り、
今も日本の為に戦っているに違いない。
133 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/27(月) 13:11:57 ID:/O1c43mI0
今でこそ土佐と言えば龍馬が第一者扱いだが、幕末・明治の土佐系志士にとっては武市こそが第一の盟主的存在だからな
134 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/27(月) 19:11:37 ID:P1JSQ1/E0
水戸人のテロは、厳重に守られた権力者に生還を期さない特攻をかけることからくる悲壮美があるが、
長州や土佐のテロは、確実に勝てる相手だけを狙い、こっそり闇討ちして隠れる陰湿さがある。
ハンペータを無実の罪で処刑された悲劇の英雄というわけには、やはりいかないね。
135 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/27(月) 22:43:50 ID:QrHZDeLl0 BE:109336032-2BP(171)
>>92 山内豊信は明らかに名君だよ。
徳川方に一切の御恩なく、土佐勤皇党もいなければ、
二倍三倍もの領土差がある長州藩と薩摩藩と互角に渡り合えていた器量はある。
それに山内忠義の上郷士階級差別さえなければ尚のことよし。
その上、大名は子孫を残すのも仕事のようなものなんだから、
近世的な一夫一婦制の価値観で人の女に手をだすのを下種と決め付けるのはどうかと思う。
むしろ「洗えば良し」との切り返しは秀逸したものさえ感じさせる。
それよりも男色・修験道に溺れたか否かは不確かだが、
子孫を残そうとせず家中を混乱に貶めた細川政元や上杉謙信こそ
自分の成すべきことを果たさなかった下種であると、当時の一夫多妻制の価値観では言わざるを得まい。
136 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/10/28(火) 09:33:14 ID:Z/5bEZCRO
はんぺいた
親は何考えてこんな名を・・・
>>136 ひらがなで書くと気が抜けるなw
さ来年の大河「竜馬伝」、武市は誰がやるんだろう?
演技力のないイケメンにはやって欲しくないなぁ…。
138 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/01(土) 07:40:05 ID:tgMgXl/B0
武市って実際は人格的に相当優れてたから慕われたんだが、暗殺暗殺とイメージ操作が酷い
同じ暗殺でも高杉とかはあんまいわれない
139 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/02(日) 21:30:29 ID:mzNzsgZ30
龍馬を引き立たせるために
武市は冷酷な人間として扱われるのかな。
「竜馬がゆく」が引き金になったんじゃないだろうか。
ただ、司馬遼太郎は武市を非常に高く評価している。
恐らく「竜馬がゆく」が出て以後の歴史家や作家達のイメージ操作も
武市のイメージに暗い影を落としてるのかのう。
幕末の京都で権勢をふるっていた頃から死ぬまでにかけての
岡田以蔵との関係も悪く取られがち。
以蔵を毒殺しようとした顛末に関して、よく分からないのは
武市からすれば
以蔵は、まだ自白してないが、いずれ自白するであろう思ったのか
以蔵が当初から拷問に屈して自白を重ねた結果、
獄外同志や、その他協力者に弾圧の累が及ぶことを恐れたのか。
俺は後者だと思うんだが・・・。
140 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/03(月) 10:38:14 ID:JPQvcvms0
一水社から
幕末最強の男を決める本が出てるが
幕末の主要人物を
知力、魅力、剣力、大志、(あと一つ何かあったが忘れた)の五項目を
五段階評価し、それらを五角形で表していたが
五角形の面積だけで言えば、
幕末最強の男は武市半平太だった。
剣力(4・5)以外の四項目が全て評価5という、
恐るべき結果だった。
141 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/03(月) 21:55:23 ID:l87ipObYO
三大道場の塾頭してたから剣はかなりなものだっただろな。
142 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/04(火) 01:41:47 ID:H5kE6Jgb0
吉田東洋もかなりの剣豪だよ。天誅組三人に囲まれてしばし粘った。
文武両道の吉田か武市さえ生きてれば総理大臣輩出出来たのにな。
土佐勤皇党の粛清でもかなりの人材を捕縛し処断してしまった経緯があるし。
不運の一言。
143 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/04(火) 06:22:35 ID:nRlwridSO
武市よ郷士のくせに生意気だ!
144 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/05(水) 21:02:46 ID:jBj2bW8F0
145 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/05(水) 21:06:26 ID:Zo3XZ+ZL0
土佐人どもは、長宗我部残党や土着の土人を鎮圧し、
土佐に秩序と文化をもたらした山内公を褒め称えよ!
146 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/11/20(木) 19:53:42 ID:j5GC6ofV0
再来年の大河ドラマの武市は誰がやるんだろうか。
どうか、不細工な大根は持ってこないでくれ。
主人公が福山ってのも違和感がありまくりだが。
何故か武市をよく見せる作品では差別主義者の悪党に書かれる
吉田東洋カワイソス。
そんな人が漁師を士分に取り立てた上に
上士下士問わずの塾を任せる訳ないだろと思うのだが。
吉田東洋スレが落ちたね
149 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/12(金) 12:47:25 ID:5m+ZZwnS0
ほんと幕末の土佐は坂本竜馬だけだな。
坂本竜馬があまりにも偉大だから
土佐は偉人の宝庫みたいに勘違いしてる人が多いが
150 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/13(土) 00:09:59 ID:Zy+5esmn0
武市、中岡、後藤、板垣も居ますよ
佐々木高行だろ。土佐の偉人っていったらw
坂本、武市、中岡と後藤、板垣の間に埋もれてしまったように見えるが
明治始まった頃の土佐の先頭は佐々木だと思うんだが。
土佐で一番興味あるけどな。佐々木が。
あと、個人的には、万次郎を忘れてほしくないが、土佐出身なだけで、
土佐にいなかったから駄目?
あの頃の日本には万次郎並の国際人は二人とおらん。
153 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/19(金) 01:18:07 ID:ITZSGT6j0
岩崎弥太郎もいるなそういや
勝が土佐で評価してたのは竜馬と弥太郎
154 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/12/19(金) 20:30:07 ID:XA4LA1x40
土佐勤王党弾圧が開始された時、武市が長州の久坂玄瑞の勧めに応じて
長州に逃げてたら、どうなってたのかな・・・。
最後まで武市に脱藩を許さなかった、彼自身の主君に対する並々ならぬ忠誠心は、
あの時代においても、まさしく武士の鑑であっただろうけど、
そういう所が逆に彼を切腹に追いやってしまうとは・・・・
しかも切腹の理由が「主君に対する不敬」
悲しいね・・・。
三文字切腹は創作だと思ってたら史実でびっくりしたぜよ
吉川弘文館の幕末維新人物シリーズ、「坂本龍馬と土佐の群像」なんで出なかったんやorz
157 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/06(火) 21:34:06 ID:Zrpb6tuN0
俺は高知出身だし、武市半平太の名前も早くから知ってたけど、
全国的に見て、武市の知名度や評価ってどのくらいなんだろ。
俺は武市のことを、吉田松陰と同じくらいに評価しても良い人物だと思ってるんだけどな・・・。
土佐の多くの志士達を覚醒させ、土佐が明治維新に大きな貢献をするキッカケにもなった人物だし。
武市の存在無くして、坂本龍馬や中岡慎太郎らの活躍はありえなかった。
暗殺を多くやったことが暗いイメージに繋がってるかもしれんが・・・。
吉田松陰、久坂玄瑞、高杉晋作、武市半平太は日本史の神だわ
159 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/07(水) 19:43:23 ID:yBLSaUNH0
今の日本には武市先生が必要じゃのう
この人の妻あての手紙、なんだか読んでるこっちが照れてくるな w
読んでイメージ変わったわ
161 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/08(木) 03:09:56 ID:xwBAsXpA0
箕浦猪之吉が生きてたら、明治の高官になってたかな。
橋詰愛平は?
163 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/10(土) 15:31:26 ID:RAsXeGvM0
イケメンで剣が強く、教養もあり、
人格も非常に優れていて、土佐勤王派の人々は勿論のこと、
久坂を始め、他藩の人々からも慕われ、リーダーに押された男。
それでいて浮気一つせず、妻一人を愛する・・・
全く非の打ち所の無い理想的過ぎる人間だなw
ただし、相当な音痴ではあったようだが。
164 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/16(金) 21:17:32 ID:083Xrk0l0
武市瑞山、板垣退助、谷干城、福岡孝悌、後藤象二郎、片岡健吉、林有造…
貴方は誰に憧れますか?
間崎哲馬
なんかウケるなこの人
166 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/19(月) 15:48:05 ID:3LB3uOAZ0
昔竜馬がゆくで半平太役の椎名桔平は良かったなあ。
竜馬伝もそれでいいよ。
167 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/19(月) 15:50:29 ID:3LB3uOAZ0
昔竜馬がゆくで半平太役の椎名桔平は良かったなあ。
竜馬伝もそれでいいよ。
168 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/19(月) 15:53:03 ID:cJCPW1Vl0
竜馬のお世辞にいい気分になる山内容堂はすばらしい名君と言える
女の佞言に酔いしれて国を滅ぼした殿様は多い
169 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/19(月) 15:55:17 ID:cJCPW1Vl0
マインドコントロールの正体は情けないお世辞だったりする。
拒むことが出来ず股を広げるのもオトコとオンナ。。
古沢滋ワロス
171 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/23(金) 22:12:46 ID:2tDHfiUJO
>>147 良かったよな
あのドラマは面白かったしキャストも良かったし、龍馬だけじゃなく他の人物も良い描き方だった
172 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/23(金) 22:17:28 ID:qU34sP3E0
2ちゃんねるの「よかった」はもういいよ
バカのよかったは、まずいことをしても「よかった」だからな
173 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/23(金) 22:21:54 ID:giv2SO8j0
ID:qU34sP3E0
近代史板荒らしまわってんじゃねーよカス
174 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/23(金) 22:29:59 ID:qU34sP3E0
お世辞や佞言を拒めない人間は、自然に股を開くパンスケと同じ
175 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/24(土) 02:28:10 ID:VCokdpKJ0
176 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/24(土) 04:17:44 ID:ZyxmoWMI0
ごく当たり前のことを言っているのにそれを否定する人間のほうがおかしい
177 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/16(月) 17:26:54 ID:mpyuxRxL0
178 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/24(火) 19:51:45 ID:cSVXA06R0
他の武市ファンは別に何とも思ってないことなんだろうけど、
武市の写真を掲載する際に、ちゃんとした写実的な武市の画像を載せずに
獄中自画像だけが掲載されてる本は何か嫌だわ。
武市が髭ボウボウの汚いオッサンみたいなイメージになりそう。
179 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/24(火) 20:22:25 ID:sKXOxIGf0
豊かな食生活を送る現代人のほうが体臭はきつそうだぞ
脇の下と口。
特に口は「糖度60%」って感じで気持ち悪くなる
そうかなぁ。特に武市のファンというわけじゃないが、あの自画像はかっこいいよ。
あれで、汚いおっさんと思うようなのは、その時代そのものに興味のない人でしょ。
そういう人がどう思ってもあんまし関係ないような気がするが。
ヤマザキ、バカ殿盛親と姦物久武を撃て!
武市>中岡>>>>>>>>>>>龍馬
というのは冗談だけど、一部の龍馬ファンが武市や中岡をないがしろに
するのが気に入らない。
もっと悪いのは「お〜い龍馬」w
勤皇党の獄の前に中岡と盟友になり武市とも和解していた板垣まで
後藤のダチだからって勤皇党弾圧で「活躍」しているお話しに
なってるし、いくら漫画とはいえありゃひでぇやなぁ。
184 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/03/28(土) 11:52:28 ID:X7BSlT2R0
乾退助(板垣退助)は、けっこう武市寄りだったんだよな
185 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/16(木) 22:39:53 ID:kapwZU1f0
フンドシでこすれて果ててしまったがじゃ〜
186 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/04/17(金) 04:09:15 ID:pyHHxzOtO
見事だったぞー!!
鰹のタタキ!!
187 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/11(月) 15:12:09 ID:M0yz6OWrO
>>39 超亀だが武市と竜馬に関しては従兄弟なんだし幼なじみだろう
イゾウは最低でも16くらいの年からは親交ある感じかな?武市のお供だし
188 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/24(日) 22:23:21 ID:LOeE6aLi0
てすとだ
かきこめる
189 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/27(水) 17:49:15 ID:qCENoEGP0
わしゃ武市先生の為なら死ねる
190 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/05/28(木) 14:19:32 ID:UK7KWSFxO
あのハンペン野郎が!とか悪口言われたんだろうな
そりゃないぜよwwwwwwwwwwwwwww
192 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/04(火) 17:17:03 ID:fSjNUYXD0
大河ドラマでは悪い奴みたいな感じで描かれちゃうのかなあ
場合によっては大河ドラマを境にイメージがますます暗くなりそう・・・
193 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/08/10(月) 23:39:23 ID:rrHaA2BJO
つか大森南朋とか意外過ぎてびびったw
大河、武市は龍馬、弥太郎の次に出番多い?
愛妻家エピソードが見れるといいなー
195 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/01(木) 11:31:53 ID:1gs1auaw0
大河での武市半平太先生のスポットの当てられ方によっては、
武市先生の人気急上昇もあるぜよ!
196 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/04(日) 00:04:37 ID:53fGhdOkO
うおー南朋さん好きだから嬉しいわwただ端正な顔ではない気が…
次の大河では平井収二郎も主要人物かな。
NHKの相関図を見ると、彼は郷士という扱いのようですが、
ぐぐると新留守居とか出自が出ます。(件数少ないので合ってるかわかりません)
これって上士?もしくは郷士の一番上かな。
今の日本の政治家を見たら武市は夷に魂もってかれたと切れまくるな
新留守居は白札の上。上士。
岩崎弥太郎が慶応三年に新留守居になって「上士格」だから確かだろう
武市や久坂はチョット過小評価されてきた気味があるから
平井収二郎って令旨事件で腹切らされた人か。
平井は本来なら切腹が許されない身分なのに、切腹で死ねると喜んだという話があるから、下士のはず…
大河に島村衛吉も出るなら拷問シーンもアリかな。
なるほどです。新留守居という出自が仮に正しければ上士、
もしくは上士格だけど、切腹時の話からすると下士のようですね。
ありがとうございました。
202 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/05(土) 12:10:29 ID:qQ3B9QCp0
実に実に実に実に言語道断っ・・・・・・!
切腹直前の志半ばで斃れる無念さが痛いほど解る書状の一部分。
203 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/08(火) 15:34:10 ID:T1Rli9HG0
マヌケ象二郎とバカ殿容堂、総理大臣になる予定であった瑞山先生を切腹させた
貴様らの罪は誠に大きいぜよ!!
武市さんと竜馬の関係ってどないな感じ?
205 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/08(火) 19:16:48 ID:0reaYLB00
坂本は唯一武市先生を堂々とアギと呼んでた間柄
他は先生つけたらしいけど
漫画みたいに対立はしてないんね?
207 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/09(水) 03:57:05 ID:B+ffg61d0
>>203 「お〜い竜馬!」「土佐維新勤王史」信者かww?
山内容堂公のどこがバカ殿なんだよ。後藤と引き合いに出す自体おかしい。
容堂公は我慢したほう、それはお前が島津久光や歴史を学べば自ずとわかる
信者でも武市が死んだのは自明の理なのは認めとけ
208 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/09(水) 13:53:48 ID:Na8uKR0F0
>>208 明治に入り容堂殿は武市を殺したことを大変後悔していたらしいよ?
209 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/09(水) 15:30:50 ID:je1JVjlB0
>>206 龍馬の妻となるお龍の回顧によると
武市は京から土佐に帰る際に、龍馬のところに来て
「一緒に帰らぬか」と誘いに来たのを
龍馬は武市の帰国を思い留まらせようとしたという話がある
(実話かどうかは判らんが)
これが本当の話なら、龍馬脱藩後もそれなりに友好的な関係は続いていたと思われる
結局武市は土佐に帰り、最後は切腹して果てたが、
武市切腹の報を聞いた龍馬は
「武市は正直すぎるからやられた。惜しい事をした」と嘆いたとか
武市は久坂玄瑞からの「長州に逃げて来い」という誘いも断ったんだよな・・・
本当に惜しいことをしたもんだ
210 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/09(水) 16:20:32 ID:Na8uKR0F0
三文字の切腹、まさにサムライだね。
211 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/09(水) 18:57:41 ID:B+ffg61d0
>>208 出展は?
木戸孝允に聞かれて「藩令に従ったまで」と答えたという風説もあるよね
そもそも武市は豊範擁立の謀反の前科と、青蓮宮の件が成功してたら
容堂の命が危なかったし、武市は岡田差別したり性格からいって
生きてても百害あって一利なしだよ。吉田松陰が生きてたなら評価できるけど。
土佐の大老を暗殺したんだから死罪はしょうがないんでない
武市の性格からして百害あって一利なしって、武市評ひとつでも読んだことあるのか?w
青蓮宮令旨だって、張本人の間崎や平井も容堂を退けようなんて、そんな大それたこと
画策してなかったよ
214 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/09(水) 20:50:20 ID:B+ffg61d0
>>213 だから武市絶賛の嘘っぱち評価のこといってんだろ?
出展は「土佐維新勤王史」だよな。
これの作者ググッテみろよ?
それと青蓮宮令旨事件は容堂じゃなくて隠居後の豊資を動かそうという意図だぞ
つまりは豊範擁立して実権奪い取ることの再来以外に何もないわけだが
215 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/10(木) 01:25:09 ID:ODhwEsZY0
「武市半平太は真に国士の風あり、当世第一の人物、西郷吉之助の上にあり、その熱誠、西郷の上にあり」by久坂玄瑞
「瑞山先生も殺したのは誠にあやまりであった」by後藤・乾退助
「薩摩藩この如き人物なし。ただ共に比すべきものは大島の流人、西郷隆盛のみ」by田中新兵衛
まぁ、才能豊かな人物であったことは確かだな。
217 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/10(木) 23:35:30 ID:+r3Aci+z0
中岡慎太郎は、田野学館に剣術指導にやってきた武市半平太に傾倒して
武市が高知に帰るのを追いかけて、武市の道場の門弟になったりしてるし
それだけの魅力のある人物だったんでしょ。
中岡は西郷を評した時、武市を引き合いに出して
「その誠実は武市に似る」とか言ったりもしてたな。
218 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/11(金) 01:16:56 ID:/FBPIq3B0
てか「土佐維新勤王史」ではなく、「維新土佐勤王史」だったような
一応訂正させてもらう
219 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/11(金) 23:06:50 ID:12kh6kpi0
田中新兵衛は土佐藩の人殺し仲間。
後藤と板垣はやもいうけど実際に武市が生きてたらヌッ殺されてる気が。
220 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/12(土) 01:29:20 ID:Ov0jZ++q0
田中新兵衛は薩摩じゃなかったか?
221 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/12(土) 02:07:44 ID:J4oIBUy/0
田中は薩摩の下級武士で武市と義兄弟の契りを結んでいる
同じ下級の岡田も剣術修行などなんだかんだで武市に可愛がられてる、最終的に武市や土佐仲間からも疎んぜられたのはやはり岡田に原因があるのだろう
222 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/12/12(土) 23:25:37 ID:rayZbb//0
岡田以蔵は、尊皇攘夷を掲げる武市半平太の土佐勤王党に属していながら
彼らの敵である勝海舟やジョン万次郎の護衛をやってたりしてたが
武市はそういう確固とした主義主張の無いように見える人間を一番嫌いそうに思える
武市が岡田を煙たがるようになったのは、やはりこの辺りからではないか?
あと、後の土佐勤王党弾圧において岡田が拷問に屈して自白したことで新たに数人の同志が捕縛される事態になったというのに
岡田が牢役人に対して「武市先生によろしゅう言っといて下さい」などと伝言を頼んでいたことを伝え聞いた武市が
「まっこと面の皮の厚い男じゃ」と露骨に不快感を示したという話もあるな。
223 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/06(水) 14:08:06 ID:mY7GUN1Z0
一番身分が低かった以蔵の拷問は熾烈を極めたはずで、自白も無理ないというか。
一方、武市は拷問受けてないからなあ。
しかしなぜそれほどまでに以蔵を嫌うかね。
十代の頃から目をかけてやった相手なんだから、精神的には武市が育てたようなものなのに。
224 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/06(水) 16:36:54 ID:wGfCW1zb0
武市は差別主義者だからな
こんな身分の低い奴と上士格の自分は同格じゃないと思ってた節がある。
んで実際やりあうのは容堂や東洋みたいな上士の中でも偉いさんばっか。
確実にキャリア官僚の考え方だろ。
225 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/08(金) 01:45:33 ID:c4bPGWDx0
>>223 以蔵以外も過酷な拷問受けてるが口割ったのは以蔵だけ
以蔵は末期には土佐勤皇党の同士全体からも疎まれていたようだ
226 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/08(金) 01:52:30 ID:wq8JhOmq0
>>225 >以蔵以外も過酷な拷問受けてるが口割ったのは以蔵だけ
う〜ん、でもこの件に関しては、実際に見た人がいるわけじゃないから疑いが残るんだよね。
疎まれていたから、そういう筋書きにされた(=生け贄にされた)という可能性を疑ってしまう。
土佐の上士と、生き残った土佐勤皇党の人たちが歴史を書いたのだから。
身分が低い相手だから、どうにでもできるような気が。
でももし本当に同等の拷問を受けて口を割ったのが以蔵だけだったなら、
・以蔵は我慢強くないので、拷問に負けた
・武市を憎んでいたので、あえて自白した
の、どっちかな。
>>205 あのさ・・・このスレは歴史を追及するスレだから
会えて聞くが
あいつのどこを見てそんな考えに行き着いたの?
230 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/10(日) 13:17:35 ID:h1oLMZNH0
武市先生は神だね、人望、統率力、誠実、胆力、気力、教養、剣など
幕末の革命運動化で言ったら、西郷、大久保、久坂、高杉、木戸らより一番総合力的に高いんじゃないかな
幕末にあそこまで藩内で勢力もったのは武市以外居ない
231 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/10(日) 13:36:14 ID:o66PNlnq0
きました武市信者
232 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/10(日) 13:51:59 ID:bpUHaN2U0
>>230の考えにまで至る過程に興味ある
何がきっかけで信者になったのかな
武市が超絶かっこよく書かれてる小説か何かがあるのかな?
>>230 あいつは思想は攘夷一辺倒
邪魔者は殺してしまえ というやつだよ?
生きていたら明治の重鎮になっていたろう吉田東洋を暗殺したり
恐らく武市が生きていたとしても
武士の制度を壊す政府に反感をもって反乱起こしてたぞ?絶対に
>>227 以蔵は自白を後悔して、
後には自白内容についても「又聞きで、直接承知した話では無い」などとボカしたりしてたみたいなので
二つ目は無いだろう。
てか、何か急に武市嫌いがよく現れるようになったな。
>>234 「後に」って、以蔵は自白してすぐ斬首になったんじゃないの?
その記述はどこにあったのかな。
>>234 嫌いっていうか
このスレは武市や土佐勤皇について話をするスレでしょ?
何をどうしてそこまで(
>>230)評価してるのか聞いてみたい
理由を教えてくれないか
調べれば調べるほど俺には評価できそうなところが見当たらない
237 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/11(月) 02:42:00 ID:aF/IP1no0
勤皇派を纏め上げ土佐藩を動かしたその政治力、三文字切腹で見せ付けた恐るべき胆力
暗殺云々なんて言っても、暗殺団持ってたのも武市くらいだな
西郷は維新から天下の英雄扱いなったが、幕末時点では人気はあっても武市ほどではないね
武市ほどの勢力や組織を築き上げたのは一人も居ないね
長州の久坂や高杉なんかはもろ書生で、藩に甘えながら運動やってた徒に過ぎんし
木戸はその流れ的に首相のような地位に就いただけ
238 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/11(月) 03:59:06 ID:8B3cT4H00
>>225 「以蔵だけ白状した」ってのは司馬さん以降の創作でよくある話なんじゃないの?
幕末暗殺史って本に、
「久松喜代馬、岡本二郎らも、」白状したって書いてあった。
「〜ら」ってことは、まだ他にもいそう。
239 :
???:2010/01/12(火) 08:09:58 ID:0meSb2dyO
武市と久坂って人物的にはどちらが上?
240 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/12(火) 08:25:26 ID:JMNpJE8q0
>>235 イメージ的にはそうかもしれんが、
岡田以蔵の自白がもとで元治元年のうちに、新たに四人の勤王党員が捕縛されたりしてる。
あと、以蔵の「又聞きで、直接承知した話ではない」との供述に関しては、
確か、武市半平太や土佐勤王党研究を長年行ってきた横田達雄氏の
「武市瑞山獄中書簡」中の注釈にそのような記述があったように思う。
>>236 俺は230ではないが、個人的に武市半平太から魅力を感じることがあるとすれば、
土佐では白札郷士に過ぎなかった男が吉田東洋暗殺を機に(これについては賛否両論あるかもしれんが)土佐一藩の実権を掌握し、
土佐藩主上洛を実現させたり、一時は朝廷にまで影響力を持つまでに至った政治力。
それから、土佐勤王党を結成し、後に明治維新に大きく貢献をすることとなる土佐の多くの有志を覚醒させ、
政治運動に身を投じるきっかけを作ったのも、武市の功績かと。
武市の存在抜きにして坂本龍馬や中岡慎太郎の活躍は無かっただろうし、土佐が「薩長土肥」の一角を占めることは無かったと思う。
人間的には、三文字切腹を成し遂げた並々ならぬ精神力や
結婚以来、死ぬまで妻の富一人を愛しぬいた愛妻家な所等等・・・。
勤王党の吉村虎太郎が武市家に子ができないことを憂いて富を説得して里帰りさせ、武市のもとに女を次々と送り込んだが
武市はどの女にも一切手をつけず、最後は吉村に「子が無いのは天命である。二度とこのようなことはするな」と叱りつけた逸話は
武市の死後、富が思い出話としてよく語っていたものらしい。
武市にも欠点は色々あっただろうが、人間的に何も見るべきところのない男が200名の集団のトップに担がれ、
血気盛んな勤王志士達を統率することなんかできんだろ。
長文で申し訳ない。
241 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/12(火) 17:50:24 ID:Fgwr1Rq50
>>240 >横田達雄氏の「武市瑞山獄中書簡」
ぐぐったら、私家版で1000部しか出てないね
どこに行ったら読めるんだろう
242 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/12(火) 19:06:51 ID:JMNpJE8q0
>>241 高知県高知市の高知市民図書館か高知県立図書館(いずれも高知城周辺)に行けば
確実に置いてあるかと。
あと、それほど売れてる本でも無いだろうから、
その気になれば、今でもお取り寄せで購入もできるかも。
>>242 ありがとう。でも東京なんだ・・・
近くの図書館調べたんだけど残念ながら置いてなかった。
高知の図書館って色々置いてあっていいな。
以蔵関係の資料が読みたいので、一度行ってみようかな。
244 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/12(火) 19:19:13 ID:JMNpJE8q0
>>243 東京なら、永田町の国会図書館にもあると思います。
>>244 調べたらありました。
ただ国会図書館は館外貸し出ししていないのが残念なところなんだよね・・・
大河板からきた
一緒にみてた家人が唯一反応したのが、「半平太」
自分は初めて名をきいたが、
>>240みるに随分立派な人物だったんだな
欠点がないことが欠点のようじゃないか
247 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/14(木) 19:57:43 ID:eH7dhNV00
瑞山先生は武士道の典型のような男!武士道を全て兼ね備えてたため死んだ
その義の面が勤皇攘夷に走らせ、仁の面で多くの人間を惹きつけ、武の面が暗殺と云う手段に走らせ、忠の面が最後まで土佐藩に留まらせた
他の同士と違い脱藩する気も無く、誰もなしえなかった三文字切腹で死ぬ事になった
248 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/19(火) 17:37:11 ID:tMcN2NJH0
「此内より久坂より、武市の事象及び候ところ、初めて面会、健なる人物と相見え、武術師範の由」樺山三円
「至誠忠純、洛西にその比を求むるならば、わが大島三右衛門(西郷隆盛)か」田中新兵衛
249 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/19(火) 21:16:37 ID:L/qZAbgg0
>>240 吉田東洋暗殺については非難一辺倒だよ。
罪のない藩政改革に熱心な重臣を不意打ちでぶち殺したわけだから。
土佐で首相になれるのは吉田か武市しかいなかっただろうし、
これで人材不足に陥ったのはいうまでもない。
それに自分が裁判で成敗されることになってまさに自業自得。
集団で取り囲んで酒を飲ませて絞殺するのは卑怯人そのもの。
豊範が藩主に就けたのも安政の大獄の棚ぼたでこいつの業績ではない。
吉田東洋がかわいそすぎる。
250 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/20(水) 01:05:33 ID:bDFld/CO0
武市の欠点は多々ある。
最大の欠点はやはりこれ↓
・先見の明がない
いや、攘夷を撒き散らした連中が徳川の世を終わらせたのだから、
その先頭に立った武市は、先見の明はあった。
問題は、だれかれ構わず斬ったため、本人も斬られたということ。
いや、もし武市に先見の明があれば、土佐に帰って死んだりしないよ。
それに獄中書簡でも主張していたのは、
「天皇→将軍→各藩→(ry」という従来のシステムの維持だから
そもそも武市は倒幕する気まではなかった。
253 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/20(水) 04:22:00 ID:jxQcm4Ot0
時代が変われば主張する内容が変わるのは、よくあること。
時代を創る集団を率いていたか、
その意味では、暗殺集団という形で武市は時代の先端にいた。
先見の明は、あった。
254 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/20(水) 04:24:25 ID:bDFld/CO0
時代が変われば?って意味が解らんが、
武市は最初から最後まで倒幕する気はなかったよ。
よって先見の明は、ない。
255 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/20(水) 04:36:49 ID:jxQcm4Ot0
時代が変われば、主張する内容も変わるもの。
武市は時代に則し、主張する内容を変えたかもしれない。。
よって先見の明は、あった。
256 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/20(水) 04:40:03 ID:bDFld/CO0
>>255 いや、一行目の意味は解るけどw
この場合は、そういうケースではないってことだよ。
別に武市は捕縛されたから考えを変えて倒幕する気を失ったわけではない。
武市にとっての義は藩に尽くすことだったのだから、そもそも
最初から倒幕する気などありませんでした。
257 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/20(水) 04:49:36 ID:kV7cgn/v0
結局のところ、武市は小さい人間だったんだよね。
視野が狭い。
さほど大きな人間ではなかった、と書いた方が良いかな。
それなりに力はあったから名を残したけれど
先見の明がなかったから、最期は切腹で終わってしまった。
生まれた場所が土佐だったという点は武市にとって不幸ではあったけれど。
土佐勤王党員の不幸は、トップがさほど大きな人間ではなかったということ。
258 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/20(水) 04:59:16 ID:jxQcm4Ot0
>>256 それも違う。
時代が変われば、主張する内容にも変化があるもの。
攘夷集団を率いていた武市は時代の先端にあり、
その意味で、先見の明はあった。
>>258 「先見の明」を短い期間限定で使いすぎ。
260 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/20(水) 23:18:06 ID:jxQcm4Ot0
結局、先見の明なしと言いたいだけで、中身なしの罵倒厨房か。
時期が変われば、主張する内容が変わることは、よくあること。
ゆえに、過去の時代遅れな発言をもって、これは彼の生涯の限界であったと主張するのはおかしい。
武市は攘夷を暗殺行為によって世間に撒き散らした。
その意味で彼は時代の先端にいた。後の明治維新への契機を作った人間と言えよう。
261 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/21(木) 00:01:58 ID:qciZ6z9c0
暗殺された吉田東洋は先見の明が無かったから暗殺されたというものか
262 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/21(木) 00:19:47 ID:IIEPNULX0
>>260自身が理解力がなく
その上文章力もないのに他人を罵倒厨房するのはどうかと。
つまりID:jxQcm4Ot0は、
「もし」時代が変わっても武市が生きていたとしたらその時は考えを変えたことだろう、ってことが言いたいのか?
そんな「if」で語ってどうすんだよw
そしてそんな「if」を前提に武市が先見の明があったと言われても説得力なし。
妄想でなく事実だけで語れ。
264 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/21(木) 00:30:44 ID:AjHu96ki0
>>260 >時期が変われば、主張する内容が変わることは、よくあること。
↑
無意味に4回もくり返してご苦労なことだが、そんなことは当然だ。
しかし、↓と全く繋がっていない。
>ゆえに、過去の時代遅れな発言をもって、これは彼の生涯の限界であったと主張するのはおかしい。
何を言ってるんだお前はw
武市が死の寸前まで変えなかった発言なのだから、それが彼の生涯の限界だったことは火を見るよりも明らか。
お前はこの一文をもって武知自身を否定してることになるぞ。
もし武市が切腹せずに生きていたら、そりゃ後には考えを変えたかも知れないが、
そんなの誰だって同じだろうが。
265 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/21(木) 01:02:46 ID:USVK0nf20
相変わらず、論理の飛躍を重ねた上に、それに気付かず
相手が悪いと考えるとは、全く許しがたい阿呆だな、限界厨房は。
時期が変われば、主張する内容も変わることはよくある。
ゆえに、武市の死の時点での主張が、彼の生涯変わらない主張と断言することは誤りである。
限界厨房は、武市の将来を否定し、彼を矮小化することに懸命だ。
266 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/21(木) 01:14:17 ID:AjHu96ki0
>>265 本当に、
>>263-264を読んでも意味が理解できないのか?
できれば何度も読んで欲しいものだが・・・
理解できないならもう何も言うまい。
妙な人の相手をしてしまったようだな。残念だよ。
267 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/21(木) 01:29:04 ID:USVK0nf20
死の場での彼の意見が、彼の生きた場合の生涯の意見であったと断言することが誤っているのだよ。
妙な人は君さ。
268 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/21(木) 01:41:16 ID:SsIfWNZ20
>>252 「天皇→将軍→各藩→(ry」←これ従来システムじゃねぇんだが?
天皇の方が将軍より上と云うのは勤皇攘夷の革命思想
269 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/21(木) 02:05:30 ID:SsIfWNZ20
幕末は尊皇攘夷と勤皇攘夷の対立
対外論の攘夷は佐幕も倒幕も同じだが、尊皇か勤皇かで大きな違いがでる
佐幕派は尊皇攘夷で、天皇を尊び幕府と仲良く手を携え攘夷しましょうという公武合体主義
勤皇攘夷となると、天皇こそが主であり幕府はその家来に過ぎない、公武合体なんてのは天皇と将軍が同格でありえないと云う革命思想
ID:USVK0nf20は良く嫁よ
「彼の生きた場合」っていうその前提が変だって言われてるのに分からんのかね
271 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/21(木) 03:32:25 ID:USVK0nf20
相変わらず、限界厨房は読解力が無く、
併せて、他人が変だと指摘ししている部分をまるで無視しているようだ。
まだ分からないのだろうか。
272 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/21(木) 03:37:10 ID:USVK0nf20
そもそも、死の時点で語った内容が、処刑後の社会情勢に関わらず
そのまま硬直して存在したに違いない、と語った上で「これが武市の限界だ」
と断定すること自体、彼への冒涜だろう。
..........確かに見えない敵と戦ってるキモい奴だった........
でも自分は暇なので相手する
ID:USVK0nf20が武市をやたら高評価したい奴なんだってことはわかるけど
喧嘩腰で他人に押しつけようとしたって無理なんじゃね?
なんなのその罵倒厨房とか限界厨房とかいう厨房臭い単語w
275 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/23(土) 08:01:23 ID:CgpZtO8B0
それなりの覚悟はあったと思うよ
276 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/23(土) 14:10:14 ID:5/GOOSOJ0
風土自体が関ヶ原以降よりの種族抗争
が激しい特殊な歴史があるから
「いつか徳川つぶす」みたいなテロ気概は
ずっとあったと思う
総理になれる資質はあったのに・・・勿体ない。
厨房に変な修飾語つけられたの初めて見た
279 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/28(木) 07:48:42 ID:r+2ENWQy0
真面目一途な人柄だったと思うよ
>>277,279
同感です。
瑞山を失った土佐は痛かったですね。
281 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/30(土) 10:34:47 ID:X2LsZI/C0
テロの親玉ってのは理知的なもんだよ
でも原動力が100%怒り・恨みの類だから
総理なんて考えない人だったと思う
土佐だって瑞山いなくても別に変わらなかったよね・・
共食いが良くなかったんじゃない?
282 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/30(土) 12:53:03 ID:ATlyUovb0
吉田東洋さえ生き残ればよかった
283 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/30(土) 13:33:19 ID:OupBOmfH0
>>282 そういう説も実は成り立つんだよね
竜馬や瑞山好きだからアレだけど
封建的な土佐藩は吉田の爺が後見人みたいな感じで
歴史の動きを見ていた方が良かったのかも
284 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/30(土) 21:33:50 ID:V609Qx390
>>281 武市が生きてれば薩長土で並んだ可能性強いけどね
もともと南学、天保庄屋同盟、身分差別の厳しさなどによって尊皇の土壌は十分にあった。
けれども瑞山がいなかったら、あれほど多くの志士を輩出する藩にはなってなかっただろう
維新で薩摩は西郷、大久保、長州は木戸が生き残ってるのに対して土佐の代表は後藤に板垣…
小物とは言わんが、中岡や武市に比べたらだいぶ格が落ちる印象だな
286 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/31(日) 11:21:12 ID:A5jSYmJq0
武市が生きていれば維新の三傑は薩摩の西郷、長州の木戸、土佐の武市
になっていたであろう。
287 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/31(日) 11:24:25 ID:A5jSYmJq0
薩摩は大久保だったかも。そしてそれぞれそれ以上の人気者として
西郷、高杉、坂本という感じになっていたかな。
武市と中岡の損失が痛すぎたな。
いつものことだが日本史版じゃ坂本は笑えるほど評価が低いなw
まあ気持ちは分からんでもないが
どちらかというと、西郷隆盛の養成した工作員の域を出なかった人ですから。
武市が生きていれば、って途中退場した人のことそんな仮定で話しても無意味なのに
そういう夢みがちなことを考えてしまうしまうくらい武市が好きなんだろうね
何がきっかけでそこまで
子孫とかの人ならわかるけど
292 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/01(月) 17:51:02 ID:bPk39DLk0
武市はこの頃の史実に色々な形で出てくるのは事実
おそらく勤皇派の土佐の顔、まとめ役と認知されていたと思う
>>289-290 2chのやりすぎ。
桐野作人とか、中村武生などの研究者のブログ読んだほうが良いかも。
と言いつつ、私は、龍馬より中岡や武市の方が好きだけど…
294 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/01(月) 21:09:14 ID:S0SCws5t0
>>293 竜馬の業績云々については、調べれば調べるほど胡散臭い。
薩長叩きの道具として、別人の業績を着せる形で虚像だけが膨らんだ感じ。
295 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/01(月) 22:12:17 ID:xg0tXWdq0
桐野作人が研究者wwww
おいおいこれだから竜馬ヲタは。
>>294 どういう風なところが胡散臭いの?
詳しく列挙してみて。
>>295 桐野氏は「作家」だったな。
でも、「龍馬ヲタ」とか書くのは、低能丸出しだからやめろ。
ちょっと龍馬を擁護(?)するような事を書いた途端、狂信的アンチの反応がすげぇな。
まぁ、私も数年前まで叩いてたから、気持ちは分かるけどね…
297 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/02(火) 18:45:45 ID:WUOwvp3+0
まぁ語るに値する人物だと思うが・・
298 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/02(火) 20:37:46 ID:nYX1Po840
>>296 「桐野を研究家」といい「ブログ」を読めといいはる人間には、
竜馬ヲタがふさわしいよw
お前自分のレスを客観的に見てみろ、恥かしく無いのか?
299 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/03(水) 18:30:36 ID:3sKlMcix0
>>298 横レス悪いけど、お前は性格の悪さが滲み出てるなwww
会社でも学校でも家庭でも煙たがられてそうwww
300 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/03(水) 18:34:58 ID:3sKlMcix0
Wikiより
桐野 作人(きりのさくじん,1954年 - )は、歴史小説・時代小説(架空戦記を含む)の作家、歴史研究家。鹿児島県出水市出身。
研究家と書いてるぞ。
>>298 桐野を研究家にしたくないなら、Wiki編集してこいww
301 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/03(水) 18:43:29 ID:K3aj5u0h0
性格は悪いが、頭はお前ほど悪くないからなw
で誰でも編集可能で、アホが粘着してリバートしまくるウィキをに書かれているからとかw
こいつの著書みてから物言えよw
302 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/03(水) 20:56:43 ID:loGnrDmJ0
いい加減スレチは止めろ。
見苦しい。
「このうちより武市氏のこと承りおよび候ところ、はじめて面会。健なる人物と相見え、武術師範のよし」
「よく西郷吉之助に似たり。真に君子なり」
半平太の書画を評し
「これ武市半平太の揮毫に係るもの。前日、長藩の時山直八を訪う、席上武市梅花を描く、僕一見嗟賞措かず、懇請して此の二書幅の贈を得たり、其の書清高、其の人の如し」
樺山三円
「土佐の武市半平太は真に国士の風あり」
「当世第一の人物、西郷吉之助の上にあり」
「その熱誠、西郷の上にあり」
久坂玄瑞
305 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/04(木) 04:16:22 ID:7CGAPhlX0
大河ドラマ効果か、スレが以前に比べて格段に速く伸びてるな。
評価が色々と分かれてるが、武市半平太は自身の行動により土佐に勤王運動の嵐を巻き起こし
後の坂本龍馬や中岡慎太郎ら多くの土佐系志士が明治維新に多大な貢献をするきっかけを作った人物。
今回の大河ドラマ効果で、武市の果たした役割が今までよりも脚光を浴びることになれば・・・
と少し期待している。
もともと「竜馬がゆく」によって坂本龍馬が人気になるまでは
土佐出身の幕末の志士で一番メジャーな存在は武市だったみたいだし。
このスレに集う猛者たちに聞きたいんだが、土佐藩で有能な人物といったら誰だろう。
薩摩・長州・肥前に比べたら、やっぱり見劣りするか…。
板垣の評価はイマイチ(?)だし、後藤象二郎、佐々木高行、田中光顕、土方久元、吉村虎太郎、谷干城、中江兆民・・・
中岡、武市、坂本あたりに比べたら、インパクト薄かな。
私は中岡、武市、後藤が好きなんだけど。
薩長同盟の「真の功労者」みたいな言い方もされたりしてる中岡とか何となく有能なイメージ。
てか、武市半平太と並べて、後藤象二郎を好きな人物として名をあげる人もいるんだな。
後藤に関しては、明治に入って借金取りがしつこく自宅に押しかけて騒いでも
家の中で平然と寝ていたみたいなエピソードとかが個人的には面白いし、
中岡による「所で西郷は一日に15里歩くと言ったら必ず15里歩く。後藤は20里歩くと言うが実際に歩くのはは16里で誇張が多い。
だが結果的に後藤の方が西郷より1里多いのだ」みたいな感じの後藤評からも、後藤はかなりの人物だったと思われるけど、
後藤は、武市を断罪して切腹を申し渡した人物でもあるということで
その辺は何か複雑ではある・・・w
後藤も嫌いではないが。
>>307 中岡の言葉、うまいな。
中岡が若い頃(他家で働いていた頃)親友にあてた手紙も名文だった。
聡明さがよくあらわれていて感動した。
310 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/04(木) 12:03:48 ID:DOEgDCG30
>>306 板垣は軍人としては超優秀だよ、板垣が会津攻めの功績で軍に入ってこられたら困るから薩長がうまく参議という政治職に押しやった
西南戦争の際も薩摩の熊本城包囲を聞いて、西郷兵を知らずと薩摩側の敗北を早々と予見した
谷干城なんかも薩長政府の主流じゃなかったけど、熊本篭城での防衛や不平等条約改正での指摘、日露戦争での大局眼など、国家の要所で相当的を得た鋭い見識を提言したりしてる
>>310 悲しいかな、板垣は自由民権運動、谷は龍馬暗殺犯は新撰組だと信じこんで
近藤勇処刑した人というイメージしかもたれていないのが現状
>>306 そこ以外で好きな土佐人だったら吉田東洋、清岡道之助、間崎滄浪かな。
間崎はややマイナーだが中岡吉村ほか北添、沢村の師匠。
清河八郎の親友で、東洋門下のくせに土佐勤王党幹部wと人脈広い。
312 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/04(木) 21:49:17 ID:rKlpONOm0
中岡は実力者だったのは言うまでもない
武市も同じく顔がきいたのは史実
竜馬は死後、再評価された・・
ここ、良スレじゃね?
皆の書き込み読んでたら、中岡と武市が好きになってきたw
314 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/05(金) 09:51:31 ID:2XUxzAkA0
慎太郎の書蹟について東宮御所御進講の桑原翠邦先生は
「中岡慎太郎の筆蹟、詩稿はもとよりであるが、
その書翰の気魄と骨力とには圧倒されて息も止まる思いである。
その風貌を併わせ見る時、真に英傑の士と呼ぶべき人であることが知られる」と云い(昭和六十一年十二月)、
日展審査員の伊東参州先生は「その書妙に一驚いたしました。
傑出した人間性がこの書簡からも窺えます。まさに書は人なりですね」といい、
さらには日展審査員の杉岡華邨先生は「うまい、実にうまい。
この人はよく勉強している。書家でない人の書にこのように立派な書の書ける人がいる。
書を書くのは書家だけではない。こんな立派な書を集めて展覧がしてみたい」といっておられる。
315 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/17(水) 23:10:06 ID:ADqT/4cQ0
武市先生に敬礼!
316 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/22(月) 01:40:09 ID:RoiuhXku0
いろんな人の書いたものを読んだけど、
どうも武市半平太は好きになれない。
高い評価している人多いみたいだけど、俺には
単に時代の流れを読み誤ったお山の大将、井の中の蛙にしか思えん…
317 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/22(月) 09:39:23 ID:NsIycVWt0
人のどういう面に対して魅力を感じるかは人それぞれだから、
それはそれで別に良いんじゃね
318 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/22(月) 12:29:17 ID:hfT9JeIB0
龍馬伝にはそんな感じで武市を描いているね
良くも悪くも優等生だったと思う
319 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/23(火) 00:57:36 ID:mR2oLAJ40
武市は維新の先覚者だったと言う感じかな
あの当事勤皇倒幕なんて考えてたのは全日本で1%も居なかったのでは
西郷は斉彬の存在もあったが、よく生き延びたという感じ
320 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/23(火) 05:02:23 ID:BZcv8W0f0
竜馬伝の武市じゃ失礼すぎる。あれじゃただ頭に血が上った馬鹿みたい。少なくとも
土佐勤皇党を束ねた盟主の姿はあれじゃなかったろう。
>>320 同感。
どうせ、「血塗れた暗殺者たちの首領」という感じで描くんだろうな・・・残念。
322 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/27(土) 22:51:52 ID:bi+KUXiV0
岡田以蔵毒殺計画がどのように描かれるかに注目する。
獄外同志や他の協力者への連累を食い止めるために武市らが壮絶な獄中闘争を展開していた中で
拷問に屈した岡田の自白がもとで新たな逮捕者を出す事態にまでなったがために
これ以上、同志に累が及ぶのを避けるために毒殺計画が持ち上がったはずなのに、
「以蔵は尊敬する師匠の武市のために必死で拷問に耐えて口を割らなかったのに、
武市はそんな以蔵を自分の保身のためにあっさりと捨てた。師の裏切りを知った以蔵は絶望して全てを告白。かわいそうな以蔵・・・・」
みたいな展開にはならんでほしいね。
あと、武市の三文字切腹の最期はきっちりやってもらわんと。
これは「武市が終生女遊びをせず、妻一筋だったのは、初体験での早漏のトラウマのせいだ」
などと武市を下劣なやり口で貶めた武田鉄矢ですら超えなかった領域。
良スレ
324 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/28(日) 14:04:13 ID:toRzMfIK0
>>322 以蔵役が、佐藤健というスイーツ向けのアイドル俳優だから、悪いほうの予想が当たりそう・・・
大森南朋は良い役者だが、全く武市という感じじゃないな。
大森南朋、好きなんだけど、もっと影のある感じの役が良かったなぁ。
あと10歳若かったら、以蔵役にピッタリだったのに。
326 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/04(木) 00:45:29 ID:CtRrQomF0
つーか、キャステイングが年寄りすぎだろ。吉田東洋も山内の殿様も四十代だったんだから。
327 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/15(月) 18:37:43 ID:iK8c4m590
「瑞山先生には、必ず先生をつけて呼んで、呼び切りにしたり、オンシ、オラで話すものは
一人もいなかった。…さすがに勤皇党の首領だけあって、皆が畏怖尊敬していたよ。」
「一枝の寒梅が春に先駆けて咲き香る趣があった」
「当世第一の人物、西郷吉之助の上にあり」
と言われた武市半平太瑞山先生も
「英邁闊達、戦国策士の風あり」
「京師は隈山の一人舞台」「勤王党一の敏腕家」
と言われ随一の政治手腕で瑞山の片腕を務め、勤王党最初の犠牲となった平井収二郎隈山先生も
この脚本にかかればちょちょいのちょいって感じですね。
328 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/16(火) 22:12:22 ID:XM5K8lj60
大阪から須崎鍋焼きラーメンを食べに行った帰りに武市半平太先生像を拝見しに行ってきました。
半平太先生像の回りは草ぼうぼうでした。
お前のちんこの周りとどっちがぼうぼう?
>>326 黒船が来たときは、山内容堂が26才、吉田東洋が37才。
吉田東洋はどうせすぐ殺されるから、まあ年寄りでもいいけど
山内容堂は幕末の賢公の中で最も若く、エネルギッシュなイメージだから
老人はないよなあ。
福山、香川、大森らが40がらみのおっさんだから
バランスとったんだろう
せめて、容堂の役は大森南朋が良かった。
後藤象二郎やってる青木崇高に龍馬を演らせ、
勤皇党連中は、若手俳優(無名だが意気の高い)を使えば・・・
って、無理かw
333 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/18(木) 03:57:57 ID:9OdSqoQS0
幕末の人物は、写真が現存して顔が分かってるだけにキャスティング色々不満あるね
武市と龍馬じゃ業績が天地ほど違う
だからこそ武市の人物を貶す構造にしないと龍馬が主人公でなくなっちゃう
ただ虚像をつくったところで批判としての反動は必ずくるからね
335 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/20(土) 05:29:48 ID:0W9TSKVN0
日本人は流されやすい人間が多いから、
大河ドラマを観て、武市をドラマ通りの小物として認識し
そのまま武市の一般的なイメージが世間に定着してしまうんだろうな。
歴史上の実在した人物への敬意もろくに持ち合わせていない脚本家のオナニーによって、
それを鵜呑みにした現代人からも小物として認識されてしまうであろう武市があまりにも不憫。
>>335 大河ドラマまで全然知らない人だったけど、ドラマで興味もって
いろいろ調べ、いまではドラマ・史実両方の武市先生のファンとなりました。
こんな人が本当に生きていた時代があったのか…
脚本はクズだが、ドラマで知名度上がれば、
自分で調べようとする人間も出てくる…はず…
337 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/20(土) 15:03:23 ID:kmSGbctt0
大河ドラマ観たけど、武市の描かれ方は相当酷いなぁ・・・
あくまでも「ドラマ」だから、脚色は当然の事なんだけど、
あれだったら、史実に沿って描いたほうが100倍マシ。
中岡の描かれ方も、「坂本の添え物」的扱いになる予感・・・
338 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/20(土) 15:13:00 ID:nrUj+TEl0
ただドラマの武市は
「いい人なんだけど優等生ゆえの弱さ」を抱えた人
と認識している
現代の日本でもこういうタイプの人いるよ
>>337 完全に坂本の引き立て役になってるからな
まあ、俺は武市はあまり好きじゃないからその辺はどうでもいいけど
好きに人にはタマらんだろう
340 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/21(日) 17:14:17 ID:amWYKuUb0
意外と(?)武市は人気無いみたいだな。
俺は龍馬より評価してるが…
龍馬も好きだけどさ、土佐勤王党と武市半平太はもっと好きだし尊敬してるよ。
だからネットでテロリスト集団だの言われると悲しいな…
(そういわれるのもしょうがない面もあるかもしれんが)
ドラマの武市はある意味で人気になってると思うw
完全に当時の最新の過激な思想にかぶれて、地元で組織を立ち上げたヤツって扱いだな。
その情熱が明治維新に繋がったのは間違いないけど…。
343 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/21(日) 20:21:55 ID:pXRgJeCn0
ちなみに龍馬伝は映画アマデウスをヒントにして作っているそうだ
つまりサリエリから見たモーツァルトのように
岩崎弥太郎からみた龍馬という形だ
あのアマデウスの登場人物の性格も史実とは違う
だから武市もあんなんでいいんじゃないかな
今日の大河、大森南朋の力演に感動した。
ま、所詮はドラマだから、ツッコミ入れすぎてもダメだよな。
なんかもう大河の描写については諦めつつ見守る雰囲気になってるなwww
346 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/22(月) 12:37:30 ID:DvNVhXoA0
ドラマみていたら武市が可哀そうになってくる
実際のところ、大河ドラマとは違い、
武市は坂本なんて歯牙にもかけないだろう。
武市の頭には 天皇中心の日本再生 という目標があり、
そのために攘夷を掲げ、配下の者を遣って、反対する要人を斬って回った。
それまでの書物の上での概念的な天皇中心主義を脱し、
開国後の社会不安を背景にした、明治維新へ直接結びついた、
武闘派の尊王攘夷運動を広めた立役者が、武市その人であった。
もっとも、あまりにも過激で、彼は土佐藩上層部から粛清されたのだが。
あまりにも血なまぐさい、しかし彼がいなければ
戦争によって政権が変わる、明治維新という政変は起こりえなかった。
348 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/22(月) 20:01:35 ID:SFVGSDAc0
龍馬伝の武市先生を「暗殺者たちの親分」という感じで描きたいのかなぁ。
大森南朋が熱演でカバーしてくれてるが、脚本そのものはイマイチすぎる。
歴史詳しくない人は誤解しないでほしい…
>>348 あれは確実に誤解される描き方でしょうw orz
とりあえず三文字割腹で瑞山先生のすごさだけでも伝えてくれれば…
東洋の言うことは全くの正論、武市は蹴られてざまあみろって感想見つけて鬱orz
普通の視聴者ってその程度の感想しか持たないんだろうな…
主人公ageのためにだけに、その他の歴史上の人物を貶めて小物扱いって
もうこの脚本驚きの薄さだよ。
以蔵絡みでスイーツ視聴者からさらに誤解されるんだろうと思うと、もはやなんとも…
351 :
ジョン半平太:2010/03/22(月) 20:49:07 ID:AXTQg6rJO
>>306 一介の極貧な漁民から米国へ漂流の果てに、英語力で開国に貢献したジョン万次郎も忘れないでもらいたい。
万次郎は武市や龍馬、後藤や弥太郎にすら歯牙にも引っ掛けられない身分だったが、
ハワイへ漂着の後に、サンフランシスコで英語教育を身に付け、国禁の罪に問われるのを覚悟して帰朝したが、
逆に開国に不可欠な人物であるから、旗本待遇に抜擢された訳だ。
つまり一介の漁師が、普通なら土佐の下士すら為し得ない、武市・龍馬・後藤・弥太郎・板垣に匹敵する存在になったんだからな。
352 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/23(火) 11:48:38 ID:Kk00Gciv0
武市役の奴サマーズの三村に似てるw
353 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/23(火) 18:59:02 ID:DE1hPp0s0
見識でも人間の器量でも東洋に梯子をかけてもかなわないし、いったん得た人望を失いたくもないしで
追いつねられて「アイツ殺っちゃえばいいんじゃん」みたいな…
354 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/24(水) 02:17:14 ID:bDoGvu4r0
東洋(笑)
俗物佐幕で惰弱な開国論者w
東洋って武市みたいに人望あったの?
355 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/24(水) 17:06:14 ID:d3v5kj/10
でもドラマでは
文武両道で品行方正、奥さんも大事にするという
ある意味文句なしの人間ということははずしていないという
ことは立派だ
このドラマでいいたいことは尊王がダメということではなく
超優等生の弱さというものを描きたかったのだと思う
356 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/24(水) 18:14:41 ID:9o9zxswM0
武市さんは基本的には悪い人ではない!!
まじめすぎるんだ!
357 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/24(水) 20:15:39 ID:d3v5kj/10
武市と坂本の対比は
武市は悪い人ではなくまじめで立派だけど
その時代の枠組みでしか考えることができなかったけど
坂本は違う角度で世の中を見ることができた、
ということを、つまり世の中で大事なのは
違う視点で物事をみることだというのが
このドラマの肝なのかもしれない
大河ドラマも民放の軽薄な脚本家とイケメン大根を連れてきて
高視聴率を狙うなんていう、業界の姑息な常套手段にとらわれた
番組作りはやめた方がいいな
359 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/24(水) 23:57:37 ID:klaSvC0J0
つーか幕末に関する知識もろくに無く、思い入れも無く、その時代の人々に敬意も持ち合わせていない人間に
幕末の群像劇の脚本なんか書かせるなよな・・・
龍馬伝ネタバレスレッドが武市絡みの問題でちょっとしたカオス。
俺もこの問題に関しては納得できん。
360 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/25(木) 00:49:26 ID:u47zInlr0
しかし、幕末の群像劇は
今まで手あかがつくぐらい放送されてきているし
やはりそれなりの新しいものを出すには
あれくらいのものが必要なのでは?
あれ、新しいかね?
よそで散々使い古されてるドラマのクリシエ的演出を無理矢理つっこんでるだけに思える
極論すれば、違う時代の作り手がきちんと自分なりの考えを持って作ったら、
完全に史実に沿っても自ずと別の味わいをもつ作品ができると思うよ
今回の大河の作り手は自分たちのやってることに自信が無いから
今までと違うってことをやたら口にするんだと思う
362 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/27(土) 10:06:19 ID:nU8RTRND0
武市先生すきじゃー
363 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/27(土) 17:03:22 ID:7ZuPDdMH0
364 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/28(日) 14:41:49 ID:y1TLOVyk0
>>357 その路線で制作してるんでろうね。
あまりにも分かりやすい(歪んだ)描き方だけど、スイーツと子供が多いから仕方ないか…
武市と後藤は酷い扱いだな
366 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/29(月) 01:22:25 ID:G7vLCSI40
>>347 よくわかんないな。
単に攘夷というなら、水戸が先鞭。あとにもそれこそいくらでもいた。
そこからさらに飛躍し、開国倒幕をするということまで武市は至ったのか?
が重要だと思う。
368 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/31(水) 05:39:31 ID:DGlhPH0B0
ようは結局身を捨てる奴がいくら居たかどうかだよ
西郷にしろ、武市にしろ、龍馬にしろ命知らずの連中の上に立ってそれを背景に世を動かした連中だし
単なる知識人や開明派なんてのは、辺境地の薩摩、長州、土佐より幕府の方が多く居たし
トルコやインドや清にも開明派は多く居たけど惰弱化して列強の植民地にされたし
薩摩、長州、土佐には覚悟のある奴らが多く居たけど、幕府側は太平で幕府を守るための兵である旗本が惰弱化し
新たに幕府を守るために、新撰組だの傭兵団を作らなきゃならないまでに落ちぶれた
結局、思考の柔軟さが時代を作れる資質なんだよな。
武市らの攘夷が歴史を揺り動かしたのは事実だけど、
時代を作るのは柔軟性をもった人間なんだよ。
もし武市が粛清されなければ、それこそ土佐の人材を根こそぎ殺し尽くす、水戸と同じ運命になってたかもしれんし。
370 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/31(水) 16:20:02 ID:UYPmn0F30
単に思考の柔軟さなんてのはクソの役にも立たんだろw
思ったり考えたりなんて人間なら誰でも出来るw
現在でも日本が危ない危ないと評論する奴はいても、危機意識もって身を捨てて行動する奴はほとんど居ないと同じw
大体武市らが静粛されたおかげで、土佐の人材が根こそぎ居なくなったの間違いだろw
武市、吉村、中岡、龍馬と全員死亡
371 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/31(水) 16:36:07 ID:56Ff4Vqq0
>>367 いくらなんでも薩英戦争や下関戦争の後もジョーィジョーィと泣き喚くアホでもないだろう。
長州の過激派たちですら、
あの敗北でテロリストから現実路線の政治活動家に転換できたんだからさ。
学識も高く評価されてたくらいだから、
戦力差という現実を知れば無味乾燥な観念論から脱却するぐらいの器量はあったと思いたいな。
372 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/31(水) 16:45:32 ID:UYPmn0F30
攘夷というのは日本を植民地の脅威から守れという考えで極めて正しい考えでしかない
それに薩英戦争なんかで外国側も大打撃を受け、日本侮りがたしと感じさせた
それに武市はテロリストじゃない、テロリストは革命の失敗側のみで成功したらテロではない
明治政府も武市ら勤王党を高く評価してる
373 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/31(水) 16:52:16 ID:56Ff4Vqq0
>>372 「どうやって?」の部分が抜けてる場合、攘夷はただの空論に過ぎんよ。
吉田松陰なり佐久間象山なりにはその辺の中身もある攘夷論だったが、この人の場合は…。
それに政権が転覆しようがしまいがテロはテロ、
それがフランス革命だろうが明治維新だろうがね。
なんか会社で同僚の後ろ通ったら、ウィキペディアの武市瑞山を見てるとこだった。
あの字の配置と自画像は間違いない。
思わずそっとかけより手を握って「ありがとう!」と言いたくなった。
脚本にはもはやなにも期待できないが、
なんだかんだいってドラマがきっかけで興味を持つ人も
それなりにいるんじゃないかと期待。
375 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/31(水) 20:50:39 ID:lPvvqT8b0
維新後、木戸孝允が山内容堂公に「何故、武市を殺したのか」と言ったり、
容堂公が武市を粛清したのを後悔していたというのは創作だろうか?
376 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/01(木) 04:41:36 ID:CPCbkYql0
>>373 「どうやって?」ってってwだから勤王じゃねーか(笑)
天皇を中心にした新しい枠組みの政権を創り日本をひとつにまとめる
377 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/01(木) 13:38:50 ID:Heh8rjxp0
>>376 だから、それじゃあ単なる観念論だって…。
問題は「尊王」じゃなくて「尊王攘夷」の方法論なのよ。
佐久間象山は開国してヨーロッパから技術移転・軍備強化した上での攘夷。
松蔭は極東アジア侵略による国力強化で、
並行してヨーロッパからの技術移転と情勢把握を目論み密航までしようとした。
こいつらは「尊皇攘夷」から一歩進んで、
「どうやったら日本の戦力・国力で攘夷ができるようになるか」まで考え、
「現状では無理」と判断して国力強化のための具体的方策を示している。
武市の「尊王攘夷」は、そのへんがもっさりしとる。
378 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/01(木) 16:05:15 ID:nhWfJTW20
勤王は観念論じゃないから、尊王は観念論だけどw
勤王は天皇を頂点にした明確な一元化の国内体制
開国してヨーロッパから技術移転・軍備強化なんてのこそつまらぬ観念論w
二元体制で封建体制の幕藩体制じゃ富国強兵は無理だし、阿片戦争で敗れた清国の二の舞ですから(笑)
清国も貿易で阿片売りつけられ戦争しかけられ植民地にされたんだしw
開国派や洋式派なんてのは、植民地化された国のどこにでも居た話
武市だって西洋砲術習ってるし、土佐勤王党結成も江戸の勝海舟の下で洋式砲術学んだ大石弥太郎に進められ江戸で結成したんだからw
379 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/01(木) 16:18:36 ID:Heh8rjxp0
>>378 勤皇と尊王はほぼ同じ意味だし、勤皇すれば国力が上昇するわけではもちろんない。
明治以降の躍進は諸外国からの技術移転による富国強兵・殖産興業策の成功のおかげであって、
あくまで尊王・勤皇は政権奪取のための名目として必要だったものであり、それで国が強くなるって性質のものではないからね。
あと「武市が砲術習ってる」といっても、武市の実情はこんなもんだからなあ…。
http://www.city.sukumo.kochi.jp/sbc/history/sisi/048601.html 29日高知について先ず奉行職深尾鼎を訪うた。深尾は攘夷討幕はいかないというが、その理由は実に平凡で取り上げる程のものではなかった。
次で目付役後藤象二郎を訪うた。後藤は堂々と論じた。
その要旨は、
「第1に朝廷と幕府を調和し、公議輿論を以て政権を統一する。
第2に国内の物産工業を開発して外国との貿易を盛んにする。
第3に南洋の未開地に国内に余る人民を移住させ開拓させて国勢を発展させる。
以上のためには、勤王を唱え、攘夷討幕を主張するが如きは、国家の発達を妨害するものである。」というのであった。
竹内綱はその論の雄大なのに感服して、「南洋の未開地とはどこか」と聞くと、
「南北ボルネオ、スマトラ、セレベス」と答え、更にその面積、土質、物産、土民の状況を説明し、この地方に殖民するため目下調査中である」との事であった。
綱はこれを聞いて心がおどり、是非ともその殖民事業に従事したいと願い出る程であった。
次で武市半平太を訪うた。
武市は勤王党の首領で、久坂玄瑞、三条実美などと攘夷討幕の計画をなし、高知に帰って容堂公に建議をした当時のことであるので、其の勢は極めて盛んであった時である。
武市の論は、「外夷は東洋を侵略するものであるから、すべて追い払わなければならない。」というのであった。
綱は「従来貿易を許していたオランダをも迫い払うのか。」と聞くと、
「無論なり。」との事、綱は更に「そうすると、我が国に産しない薬品、染料、毛皮、洋式銃砲等はどのようにして輸入するか。」と聞くと、
武市は答に困ってすこぶる要領を得ない答となってしまった。
>>374 武市の良さを語ってやれw描かれ方はどうあれ、こんなにいい機会もうないだろうし、
実際の武市のことも知ってほしいな。ファンからすると。
吉田東洋なんて大河のおかげですっかり有名になっちまったなw
>>378 大石弥太郎って勤王党盟約文の起草者だよな
自分はかなり気になる人物だけど、どうも知名度が微妙…もっと知られてもいい気がする
武市を土佐勤王党の結成や、政治の世界に導いたのは、大石の影響が多大にあると思う
381 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/02(金) 08:45:52 ID:xPt+dJY90
土佐勤王党の血判書ってのを本で見たけど
載ってない人間も多いな
途中で削除されたのかね?(安岡、那須、大石)
あと望月亀弥太とか
382 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/02(金) 09:36:18 ID:KUYjuLwQ0
>>379 明治維新の成功は、天皇を中心にした一君万民の中央集権体制確立が成功したからだから
尊王攘夷なんてのは幕府や佐幕派の公武合体派でさえ尊皇攘夷だし
383 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/02(金) 13:47:47 ID:tKEVCPUL0
>>382 中央集権制が肝というなら、
日本よりも清朝や李氏朝鮮の方が環境的に恵まれていたが、
洋務運動が中途半端に終わり改革には失敗した。
むしろ日本は東アジアの冊封体制から距離を置いていて、
極東の他の国と比べると西欧の文物を受け入れやすい環境だったことの方が大きいのだろう。
幕末期のそれなりの見識がある層は、
「まずは諸外国から技術・物品を集め、国力・軍事力を高めた後に攘夷を」という大攘夷に流れてたわけだが、
結局武市の思想は死の一年前の段階でもまだ
>>379程度の「プリミティブな攘夷論」で止まっていた。
384 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/08(木) 06:01:59 ID:w5VGAoNC0
武市は以蔵との関係で必要以上に悪く言われることがあるな。
「武市は以蔵を殺人の道具として散々利用し、最後は捨てた」とか言われるけど
以蔵は(本人の気持ちはどうであれ)勝海舟の護衛に付いちゃったりして
結果として自分で武市から離れていってしまってるし・・・。
武市が書簡で以蔵を罵ってることも、個人的にはそんなに悪いことと思わない。
「酒色を好み、性格は粗暴」という以蔵への人物評もあったり、
尊皇攘夷を唱える土佐勤王党でありながら勤王の志など無く、
勤王派にとっては政敵である勝の護衛につき、勤王派の刺客を斬り殺す。
土佐勤王党弾圧においては、他の勤王党員が結束して激しい拷問にも耐え、口を割らずにいたのに
以蔵は拷問に負けて自白。
その自らの自白で新たな逮捕者を出す事態まで招いておきながら
獄吏に対して「武市先生によろしゅう言っておいて下さい」などと言伝を頼む厚顔無恥。
こんなの、武市じゃなくても良い感情を持てんわ。
以蔵みたいなある種の異常者って、組織として使えないんだよな。
ある一瞬、役に立ったと思っても、必ずそれ以上のリスクをはらんでる。
使うとすれば、傭兵みたいな感じだな。
組織の中に入れちゃうと、最終的に粛清するしかなくなる。
岡田ってどんな顔してたんだろうな?
387 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/10(土) 13:41:07 ID:sRr35flOO
もしも武市が蘭学の志を抱いたなら…と考えた事がある。
大阪・適塾の緒方洪庵の門弟となって、その英才ぶりを思う存分発揮し、大村益次郎・橋本左内・福澤諭吉・大鳥圭介に比肩する塾頭に必ずなっていたろう。
思想的には橋本左内と同じだったから、洪庵先生は左内の死を大いに嘆き悲しんだ事もあり、愛弟子武市の行く末を心配していたのかも…
388 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/10(土) 13:58:27 ID:sRr35flOO
続ける。武市が洪庵先生と出会っていれば、その清廉潔白な純粋さに加えてもっと視野の広い、開明的な人物になっていた筈。
今夜の「大仏開眼」での吉備真備に匹敵する程の武市半平太になり、暗殺せずとも吉田東洋(藤原仲麻呂)に圧勝して、維新を迎えていたと思うと、不憫でならないね…
>>383 結局プリミティブな攘夷論ばかりに囚われたのが武市の命取りになった訳で、これでは後藤象二郎に負ける筈。
後藤の方が藤原仲麻呂みたいな感じだな。
人物としての格で、武市が後藤に劣るとも思えんけど・・
自分は高知出身だが、地元でも武市の方がはるかに尊敬されていたような。
武市は人間的魅力でなら、今夜の「大仏開眼」での吉備真備とも言える。
だが佐久間象山や吉田松陰みたいな海外に視野を向けた富国強兵による最終的攘夷の立場に脱却出来なかったのが残念で、洪庵先生の弟子だったら…と思う訳だよ。
392 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/12(月) 18:39:05 ID:hQsGnUd30
393 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/12(月) 19:17:10 ID:RgwebbOj0
輝け甲子園の星(2010早春号)より
選抜高校野球選手権大会出場選手「好きなタレント」アンケート
1位 北川景子 49票
2位 上戸 彩 24票
3位 香里奈 23票
4位 佐々木希 22票
5位 松本人志 18票
6位 新垣結衣 17票
7位 南 明奈 黒木メイサ 15票
9位 木下優樹奈 12票
10位 市川由衣 11票
11位 EXILE 10票
12位 ダウンタウン 相武紗季 9票
14位 宮崎あおい 8票
15位 柴咲コウ 戸田恵梨香 井上真央 コトリッチ 7票
タイミングよすぎるな
「失敬ながら尊藩も弊藩も滅亡しても大義なれば苦しからず」
で有名な手紙だよね
それと松岡司の武市半平太伝が新装版復刻で買いやすくなった
聖徳太子没後で例えるならば、
武市半平太=山背大兄王
後藤象二郎=蘇我入鹿
維新まで生きていたら、大久保を間違いなく超えていた!
>>396 同感!その為には宿敵後藤をどの様に打倒するかだな。
398 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/13(火) 00:19:09 ID:bPAWz/uJ0
暗殺という簡単な方法があるけど
後藤を殺したところで、後藤に変わる上士が武市を弾圧した立場になったろうし
あんまり関係無いかもね
板垣退助は鳥羽伏見の頃は、容堂無視して行動したぐらいの徹底的な倒幕思想だったけど
勤王党設立から弾圧までの板垣の立場はどうだったんですかね?
後藤と同じように反勤王党みたいな描かれ方してたり
最初から武市とは意見を共鳴し、上士でありながらも勤王党寄りの描かれ方してたり
坂本龍馬と親戚のような事を目にした事あるのだけど
実際どうだったんでしょ?
乾退助の討幕派への転換点は、薩土盟約あたりの時期だと思う。
それは、中岡・坂本ら元土佐勤皇党を、土佐藩上士が急に抱え込んだ時期。
このときに、彼らに思想的に感化されちゃったんだと思う。
両名が暗殺されると、土佐藩上層部には戻らず、
土佐勤皇党系及び薩摩と提携して鳥羽伏見の戦いに至る。
その時期までは、弾圧側。
本人的にはカルビーに就職したかったらしいwwwwwwwwwwwwwww
401 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/14(水) 06:09:46 ID:WlKqSB/u0
>>389 武市がプリミティブな攘夷論者というのは間違い
武市にしろ久坂にしろ高杉にしろ中岡にしろ西郷にしろ、西洋事情を知識としてよく知ってる
政論として、そうならざるえないだけの話
朝廷も公式に開国路線に転じるのは、王政復古の後の話でそれまでは即攘夷結構が大義名分
一時期天下の脚光を浴びた長井雅楽も佐幕開国の為に、久坂らに弾劾され切腹に追い込まれてる
神戸海軍塾にも土佐勤王党が藩を動かし積極的に藩士を送り込んでるし、土佐藩が兵の洋式化を急速にするのも勤王党生き残りの中岡の影響によるもの
402 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/14(水) 06:34:52 ID:WlKqSB/u0
>>398 後藤云々というより、当時の情勢や容堂自身の政論の影響
長州が薩摩と会津の同盟で都落ちし、その後の禁門の変の敗北で公式に朝敵
京もほとんど私政権の勢いあった倒幕勤王攘夷派一色から、一気に佐幕派の公武合体一色に変わる
この政変で武市や土佐勤王党も、諸般の先覚的勤王倒幕派もほとんど弾圧され粛清される
長州でも佐幕派が一時政権をとるが、高杉のクーデターで再び勤王倒幕の攘夷派が政権を握る
さらに四境戦争で長州が幕府に勝利したため、幕府の権威は完全に失墜し諸藩でも弾圧をあわててやめ勤王派がふたたび息を吹き返す
土佐藩もさすがにもう幕府はやばいと、弾圧してしまった勤王派の生き残りである龍馬や中岡に接触してくる
403 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/18(日) 21:00:40 ID:/WKUJPDh0
「饅頭屋の分際で・・・・」
404 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/19(月) 01:10:42 ID:pnUcAZUr0
フラグ立ったなw
405 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/19(月) 01:58:03 ID:bvx6ufHT0
大河ドラマでの扱いが酷すぎる。
高知の人や子孫は怒らないのかな?
ドラマの武市は小物扱いで
俳優も不細工だな
蝋が溶けたような顔してるし
407 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/19(月) 09:55:16 ID:tYW6bSfvO
まあでも、大河を見て「武市先生かっけえ!」と、初めて近代史板に
足を延ばした自分のような人間も、結構いるのではないかと
4年前から常駐しちょる者もおりますき
門弟達が陰ではアギ先生って呼んでたっつうエピソードが好き
陰口でも先生を付けることは忘れないというw
アギってどんな意味なの?
410 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/19(月) 14:13:26 ID:bvx6ufHT0
しゃくれ先生ってことか
サンクス
アギとか窮屈とか黒龍とか色んなあだ名があったらしい
413 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/19(月) 21:27:06 ID:Zc3aWaem0
武市さんは土佐のロベスピエールや。
414 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/19(月) 21:33:05 ID:Zc3aWaem0
>>388 俺はその意見に大反対だな。
武市さんが洪庵なんかの弟子になって福澤諭吉みたいな卑怯な人間にはなって欲しくない。
>>414 福沢先生の脱亜論はまさに正解だったが
日本の不幸は、チョンとチャンコロが近くにいる事
416 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/20(火) 00:54:11 ID:+gEGcnKG0
瑞山先生カッコいいな。
大河ドラマの瑞山はカッコ悪いが…
武市瑞山先生
知れば知るほど
かっこいい男
大河ドラマ瑞山伝希望
勤王党員乙ww
維新土佐勤王史買ってみた。目次を見るだけで楽しい本だ
高いだろ
俺は図書館で眺めるので精一杯だわ
>>420 2万5千か
もう少し安くならないかな
武市半平太伝もだいぶ安くなったね
饅頭屋の分際で!!
423 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/25(日) 05:42:20 ID:Y1bpltc50
勤皇党粛清は避けられなかったのだろうか?
軽格が調子乗っちゃ駄目なのかもしれんね
>>423 政変なければそのまま土佐藩牛耳り続けて土佐中心の政権出来てたかも
長州征伐と下関戦争の代わりに、土佐征伐と黒船の高知市攻撃があっただろうね。
>>414 同じく洪庵の弟子だった大村益次郎も、
上野寛永寺での対彰義隊との戦闘では、
薩摩兵に犠牲者を出させてでも勝利する戦術を執り、西郷さんや海江田信義から非難されたからな。
428 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/25(日) 23:54:22 ID:JdxGh8Y50
人物としては好きな方ではあるけれど 大事をなす器ではありませんね
結局最終的には煙たがられる人格ではあると思います
429 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/26(月) 00:53:47 ID:0G4A6q5G0
え〜っ
何かショックだな
攘夷一辺倒ではいずれ破綻するしかないしな
431 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/04/26(月) 08:44:00 ID:SGBrBBX00
この人が維新まで生き残ってたら、新政府はどんなんなってた?
初代内閣総理大臣武市半平太
>>428 ドラマで偏って演出されていますが、歴史的には相当な器だったらしい。
土佐藩を勤王にしただけでなく、朝廷を動かし幕府も動かした。武市がいなかったら長州や薩摩の動き、攘夷と開国と勤王の矛盾が激化しなかったと思われる!
>>432 可能性は大きい!
何せ、「春雨じゃ濡れて行こう」だからな。
坂本より武市だろ
桜田門外の変の後、そのまま幕府が倒れれば
維新の三傑とは、武市半平太・桂小五郎・西郷吉之助のことになっていたのさ。
実際は、その後会津や桑名がやってきて新撰組などを動かし弾圧をやらかし、
武市は死に、水戸も消えた。
長州の兄貴分周布さん・・・
桜田門の後に幕府が倒れるのは現実的じゃないなぁ
武市が死んで、中岡が死んで、土佐の志士勢力は骨格を失って、最終的に薩長とは溝を開けられてしまったな
どっちかが生きていたら食い込めたんだろうけど
中岡ってかなり優秀だったっぽいな
大河では勤王党2トップは武市、平井になってるが
大石と間崎は出てこないな
中岡は純粋に維新への功績自体では龍馬より上だろう
文久から尊皇攘夷派として、攘夷派が苦境の時も長州とともにずっと戦い続け
その後も薩長同盟、薩土盟約、王政復古とあらゆる貢献
土佐藩が維新の勝利側に入れたのも中岡のおかげ
明治でも龍馬じゃ土佐派を率いるのは無理っぽいが、中岡なら土佐派を率いて確実で精密な仕事をしただろう
武市と中岡が生きてたら維新後の土佐出身者はウハウハだったな
薩長より内部の団結強いし
どっちか生き残っていただけでも違っただろうな
土佐勤王党殉難者名簿みたら、中岡は後ろから3、4番目だった。(戊辰戦争は入ってないらしい)
あと少しのところで、龍馬のとばっちりで死んだのはもったいなさすぎる。
>>439 大石弥太郎は下の名前が岩崎と被るしな。岩崎よりよっぽど武市や龍馬と仲いいはずだが。
間崎は、役割ごと平井に完全吸収されてスルーらしい
個人的に平井と間崎はセット扱いというか、2人合わせて武市の両腕なイメージだから違和感あるw
幹部といえば参謀的な位置にいた島村寿之助もいないな
土佐の先駆け、武市に続き2番目に血判、龍馬よりとっくの昔に勝海舟の弟子
勤王党の名文を起草した大石は龍馬のどの作品でも大抵スルー扱い
ヒーロー龍馬を目立たせる為には初めて土佐人で龍馬が勝の弟子にならないといけないし
龍馬とかかわると武市も、大石も、間崎もひどい目にあう
武市は龍馬との対比を強調させるために、矮小化されるのがなあ…
下士200人を束ねる首領が卑小なわけないだろうに。
一応、間崎は見識高い人物描かれることが多いような気がする。
まあ大抵は令旨事件で切腹するときくらいしか名前出ないんだよな。
大石が注目されないのは出世もせず長生きするからか?
安岡章太郎の「流離譚」の大石円の考察は面白かったな。
おーい龍馬以下の大河ドラマだから仕方が無い
>>399 乾の転換点はもうちょっと前
勤王党の弾圧中にすでについていけなくなってて
数ヶ月で自分から左遷を願い出て勤王党を取り締まる役目を解任され
江戸に行ってる
447 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/01(土) 11:12:58 ID:JFD7SDBL0
薩長同盟における功労を評した大村益次郎の言葉(中岡へ宛てたもの)
「今回の御尽力、唯々弊藩の幸なるのみか是の一事にて天下後来の風潮相定り候儀に付実は天下の幸福と可申、
貴兄方の御功蹟顕著として宇宙に輝き候儀、誰かは感激いたさざらん」
448 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/01(土) 13:50:22 ID:CfmGqfy20
武市半平太ほどの真の右翼って他にいる??
中岡も真の右翼です
ブサヨって幕末という時代自体嫌いなんだろうか
452 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/02(日) 21:42:44 ID:17dzpmcB0
龍馬伝でのとんでもない馬鹿っぷり待遇にワロタ
453 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/02(日) 22:00:47 ID:KTcmNZg90
武市さんて東洋暗殺については証拠不十分で不起訴なうえ
明治に名誉回復までされてるのに、
何で東洋暗殺の首謀者であるのに疑いがないような扱いなの?
武市が東洋暗殺したのは事実だろ?立件できずに適当な罪でっちあげて腹切らされたけど。
一応なんとか穏便に東洋をやめさせようと頑張ってたようだが、どだい無理な話
山内大学や民部などの藩上層部からも勤王党の下っ端からも急かされて、暗殺に踏み切らざるを
えなくなってしまったのでしょう
レスありがとう。
罪状確定できる証言とか証拠が取れたという話を聞いたことがないから
切腹時点では証拠不十分なのに何で今は確定扱い?と思ったんだ。
>>447 評した大村の言葉がいちいちカッコいいな。
もちろん、評された中岡もカッコいいけど。
2人とも長生きしてほしかった…
大河まじつまんねー
無理して見るなよw
>>432 うわ〜、日清戦争する前に大規模戦争しそうでヤダな。
そんで資材(物資)と金がきれて戦う前に敗戦。そんなオチ。
>>454 長州の久坂、薩摩の樺山と武市がそれぞれが藩を勤王政権にして
三藩が藩兵を率い京に上洛するという密約があった
龍馬が長州に行き久坂に会ったのもその話の為
当時土佐は東洋が政権を持ち、長州も長井が政権を担当して三藩勤王なんて到底無理な状態だった
久坂が武市に手紙で藩も諸侯も公卿も頼みにならない、もう草莽で立ち上がるべきと説いたのがその時
ところが薩摩は倒幕攘夷の為上洛するとなった(実際薩摩の久光は公武合体で、挙兵なんて微塵も無くただの風聞)
その久光上洛を西国諸藩を周り誇大に伝え、煽ったのが清川八郎とかの策士
これにつられて多くの勤王の志ある人間が脱藩し、土佐も吉村や沢村とか龍馬とか脱藩浪人が出た
武市があせったのは三藩上洛の約束が東洋の為潰えかけたからだね
武市や勤皇党の連中が大室寅之助に摩り替えられたこととか知ったらどう行動していたかな?
すり替えw
今更龍馬伝なんてやらずに瑞山伝やれよ
瑞山先生役に合いそうな俳優って誰だろうね?
>>459 突然フィリピンに攻め込んでスペインと戦争とかな・・・・
武市がやっと大きく取り上げられたと思えばこのザマとは
466 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/10(月) 16:56:31 ID:JbBWXHG40
けんど
鳩山よりは有能ですき
わしに任せてくれますやろか?
「龍馬伝」というけど、龍馬の「りょ」の字も描けてないクソドラマだな。
龍馬より武市や中岡の方が何倍も好きだけど、龍馬伝の龍馬が不憫になるくらいなにも描けてない。
しかも、武市をメチャクチャに描いて・・・脚本家は、死ぬほど頭悪いなぁ。
468 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/16(日) 21:17:47 ID:iWMm8iu20
でもいいんじゃない?
誰も龍馬や武市に直接会った人っていないんだし
そんなこといっていたら
シェイクスピアの歴史劇だって非難されても仕方ないということになる
ここのヲタに言ってはならんことを言ってしまいましたね・・・
間崎、弘瀬出てきませんでしたね
>>470 ドラマのあの流れじゃ2人が省略されたのはしょうがないな。
平井収二郎は知名度あがったね。元々マイナーだったのに
中岡慎太郎館行ったらすごい人だった。大河効果で。
間崎哲馬の切腹したときの袴が珍しかった
野根山二十三士殉節とか出てくるかね?
残念ながら天誅組も二十三士もでないようです
せっかく土佐メインの大河ドラマなんだから見たかった
475 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/19(水) 23:39:24 ID:hAlPTPkt0
天誅組は無いだろうね
吉村寅太郎も名前だけしか出てないもんね
「薩長土三藩の中にても天帝には、土州を一番の御見込みにて御依頼遊ばされ候事、有志一同感涙にむせび、なおさら決心憤発、墨龍[半平太]などは三藩第一の謀主と相成り、天下に名をとどろかし申し候」
千屋菊次郎
「朝廷、かつて攘夷の詔を下す。中しこうして三藩縦横周旋、しかして後ようやく定むるを得る。吹山[半平太]尤も力あり」
平井収二郎
大河で半平太を初めて知った奴は絶対にドラマのイメージを思い浮かべることになるだろうね。
ものすごく小物に見えてしまう・・・・
479 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/23(日) 20:44:47 ID:WmgBqzYm0
とはいえ、今回の武市さんはよかったよ
480 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/23(日) 21:03:23 ID:Byy1tBnQ0
wikiで容堂が、殺した事を悔いていたとあるけど、
人材としては、明治維新後でも活躍できる人物だったんですかねぇ
小物のまま忘れ去られるのも可哀想だから
「こころざし半ばで」って言葉を「こころざし半平太で」って言うようにしようぜ
武市さんはいつも俺たちのこころの中にいる
>>478 憐憫の対象にはなるかもね
敬慕はありえないw
歴史の敗者の扱いはそんなもの
じゃー誰が勝ったって言うんだ?
時勢の見極めを誤ったとか言う以前に容堂に疎まれていた時点で駄目だろ
>>480 WIKIってか武市半平太伝に書いてある話だな
能力にすると
武市 龍馬 中岡 木戸 西郷 大久保
政治 A A A A A A
人望 A B C C A C
武勇 A B B A C C
度胸 A A A C A A
内政、交渉、組織構成力を一緒くたに「政治」にまとめられると困るな
少なくともその連中なら内政に関しては木戸と大久保がブッ千切ってる筈だし
瑞山先生は時運がCかDだな
中岡はスマイルがSだな
大河ドラマでは「一藩勤王」という言葉が最後まで出てこなかったな。
大河ドラマの武市って顔の弛みまくったただのおっさんじゃん
武市って色白のいい男だったんだろ
492 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/25(火) 22:27:10 ID:ky9f5mUx0
市川染五郎が竜馬役の時の沢村一樹の武市が男前だったな。
大河で武市役の俳優って有名なの?
まじ武市のイメージダウンじゃん
イケメンじゃないただのおっさんだけど強烈なヲタがいるんだよな
大河板とか見ると無理やりな擁護がすごい
どこが「ただのおっさん」なんだよw
しかし、大河の武市を見てると、まともな奴なら擁護したくなるぞw
きもいおっさんが瑞山先生役って
まじイメージダウンだよ
能力にすると
武市 龍馬 中岡 木戸 西郷 大久保
政治 B B B A A S
人望 S B B B S B
武勇 A B B A C C
謀略 A B B B A A
能力にすると
武市 龍馬 中岡 木戸 西郷 大久保
政治 A A A A A S
人望 S A B B S C
武勇 A B B A C C
謀略 A B A B A S
武市過大評価すぎ
その6人の中じゃ一番しょぼいのにw
一番すごいの間違いだろw
武市の三藩入京、土佐勤王党、土佐藩政の奪取、朝廷工作と対幕府工作、薩長同盟の先駆け、三文時切腹に比べるとw
木戸は長州で生き残って代表についただけに過ぎんし
武市の子分である中岡よりも個人の能力識見人物じゃ下だろう
西郷や大久保は武市一人の人望面と政治面の能力を二人でこなしただけだし
武市はさらにこの二人より武と教養を兼ね備え影響力もある
一番すごいかどうかは知らないが一番人気ないな
一番すごいのは武市でも龍馬でもなく
中岡だがな
木戸を生き残って代表についただけという人は司馬史観である
先見の明と折衝能力、国家形成への理論は随一
中岡は行動力が群を抜いている
木戸より武市が上だな
>>500 武市は悪いイメージが染み付いてるので可哀相だな。
もう少し柔軟性があれば、維新屈指の実力者になってたと思うが、
あまり褒めると叩かれるのでやめとくw
仮に生き延びたとして、攘夷主義者から転向できたのかねえ
507 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/05/30(日) 00:12:11 ID:K7p4sq/j0
バカな近藤勇だって土方と袂を別ったくらいだしw
時勢が迫ってくれば、武市も方向転換出来たと思う。
司馬が竜馬がゆく書くまでは知名度は武市>龍馬じゃないか
そしてお〜い竜馬で秀才止まり、早漏、器量が狭いみたいになってたけど
>>506 攘夷主義って?w当時全員攘夷主義だよw方法論で違うけどw
武市にしろ久坂にしろ高杉にしろ中岡にしろ攘夷論者だが鎖国論者ではないし。
現に長州と薩摩は攘夷戦をやって、中岡はそれで他日外国の侮りを防ぐのは薩長であると攘夷戦を評価してる。
長州の長井が航海遠略策で公武合体を先決として、幕府が調印を了した通商条約を認め、挙国一致のカをもって外交問題に対処すべしとしたのに対し、
久坂は解腕痴言で幕府の専断を許さず、通商条約はこれを破棄し、安政元年の和親条約の線に引き戻すべしと主張し藩論を尊攘にした。
「英仏の力をほしいままにして皇国(日本)に向かい、干戈(かんか、武力)を用いざるは、清国の長髪賊の勢威はなはださかん(太平天国の乱)なるゆえなるべし。
万に一も長髪賊、英仏に屈せば英仏の我(日本)に寇すること必然ならむ。
幕吏(幕府の役人)の穢(きたな)き心もちたる奴らは戦いをおそれ和を唱えて、まず武備を整えてのち攘(はら)えしと・・・・
されど、癸丑(きちゅう=1853年)の頃よりすでに十年の久しきを経ぬるに、器械何ほど(どれほど)整いたるか。士気何ほど奮いたるか。」
(イギリス・フランスが日本に攻めてこないのは、いま、中国で「太平天国の乱」がおきているからだ。これがおさまれば、必ず彼らは日本に攻めてくる。
なのに幕府は、戦争をおそれて、ペリーが来てから10年がたとうとしているのに、いまだ十分な軍事力を整えていない。これでは士気が奮い立たないではないか。)
その談判に成功し、わが国威が立った暁においては、「朝鮮・満州・広東・呂宋・爪哇・印度より初め、亜米利加・欧羅巴迄も自由に往来し、処々に館第を建て、将士を置き、
宇内の形勢を脾睨し、万国の情態を洞観して我が海軍を練し、我が士気を張り候えば、皇威恢復何の難きかあらむ。
然りと雖も金川(神奈川)調印を破棄し、三港に引戻し候こと夷人万々承引仕るまじきに付き、撻伐膺懲の勇決猛断ならでは迚も相叶はず候」
久坂の論を見れば幕府が結んだ条約は認められない、攘夷で日本国の人心と国威を立て、天皇中心の国体を立て、その後に開国するという戦略である。
久坂は禁門の変で死ぬが、久坂の論通りに展開する。
>>508 土佐一国論は龍馬のほうが後からおっつく位だしな
武市瑞山先生は素晴らしいお方ですよ
以蔵の岡田家の子孫は今も刃物を持った仕事をしている。これ豆知識な。
IZOの田辺誠一の武市はかっこよかったな
大河のはなかったことにして欲しい
今更だが
勤皇党員や郷士達は天狗党のように、明治維新後上士連中に報復すべきだったのでは無かろうか。
250年も虫ケラの如く扱われ、国の危機と立ち上がれば拷問と言う名の私刑で殺された挙句
築き上げてきた手柄を上士に横取りされた上に、捨てられるように贈られた武市達の官位は虫ケラの如く踏みにじった後藤達より下。
そして踏みにじられた悔しさや恨みも晴らせぬままに上士達の横暴の件はうやむやにされ、忘れさせられている……
上士の子孫も踏みにじった歴史を気にもとめず、昔のことは忘れは仲良くしていこうなんて調子の良いことを言って過去の非道をなかったことにしようとしてるみたいだし…
せめて郷士の子孫達は踏みにじられた歴史を決して忘れず、党員達が後藤風情なんかより立派に働いた証の官位を党員達に贈れるよう努めるべきではないか
そして上士の子孫全員に、郷士の墓の前で過去の屈辱を頭を下げて詫びさせればいい
仲良しこよしは、互いに同じだけの屈辱を受けて対等になることで初めて成り立つのだから
感情のままの長文失礼する
今横田達雄の「武市瑞山獄中書簡」読んでるけどすごくいい本だね
瑞山関係文書は挫折したけどこっちは注釈ていねいですらすら読める
復刻してくれないかな
>>514 後藤風情とはなんだ
勤皇党員なんかよりよっぽど働いてるぞ
517 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/13(日) 21:53:54 ID:6UE6qFIB0
今回の武市さんはすごくよかった
というか武市さんとお富さんのエピソードが
いい夫婦だ
武市半平太の手紙展、遠いし、別に本物見る必要もないやと思って諦めてたんだけど、
龍馬伝展行ったら本物の史料ってやっぱすごいよくて、思い切って今週末に行くことにした。
したら、親にすごい怒られた。
高知みたいな田舎がどのくらい危険かしらんのかとか(すげー失礼)、
海岸線は拉致される恐れがあるとか(なんだそりゃ)
ドラマの影響で高知くんだりまで一人で飛行機乗って旅行なんて
バカの所業としか思えない、戻ってくるなとまで…
自分は歴史に興味持っただけなんだけどなあ。
ヌルい実家暮らしとはいえ、こちとらもう20代後半の社会人だというのに。
(もちろん旅費は自分で出すし、家にも毎月金入れてる家事も手伝ってる)
まあ、行くけど……手紙展なんて、次いつあるかわかんないんだし。
……武市先生、助けて下さいorz
519 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/13(日) 22:33:35 ID:IjeMbh/J0
結局、慶応元年(1865年)閏5月11日、
具体的な罪状は立証されないまま一方的な「御見つけ」の方式により「君主に対する不敬行為」という罪目で武市は切腹を命ぜられ、
同日南会所大広庭にて切腹。以蔵ら自白組四名は獄内での斬首となった。
この武市他主要メンバーの死により、土佐勤王党はその指導者の大半を失い、事実上壊滅することとなった。
なお余談ではあるが、この弾圧により尊王攘夷派の大半を失った土佐藩は、
この後京都においてふたたび尊王攘夷派が勢力を盛り返し、
これら尊王攘夷派の力によって維新がなった後の新政府内で、
自身の立場に大変苦労することとなった(彼らは一様に武市ら土佐勤王党を弾圧したことを後悔したという)。
520 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/13(日) 23:29:06 ID:Cq3EJyJR0
>>518 いい年してマジで痛いよYOU
桂浜で拉致られてもよし、龍馬の銅像前でカマ掘られてもよし
生きていれば、当時の尊皇攘夷派の群像の中で西郷隆盛よりも上なんですよ。
彼と土佐勤皇党が、会津が出てくるまで尊王攘夷運動の先頭を走っていたのですから。
しかし、大河は勤皇党をしっかり描いて欲しかったね
必須の武市夫婦愛はちゃんと描かれて嬉しいけど。
>>518 いい年して何を言ってるんだ。さっさと行ってこりゃいいのに
高知すごくよかったよ。あの龍馬一色ぷりには若干ひいたがw
どこもかしこも龍馬龍馬龍馬…
524 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/16(水) 13:59:55 ID:ztItpJH80
秋に高知行く予定で今からめっちゃ楽しみです。
武市先生関連の外せないスポットありましたら教えてください。
お墓にはお参りに行きます。
525 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/18(金) 01:09:02 ID:gXJn+4qE0
【武市厨対処用テンプレ】書きました。
Q容堂公や吉田東洋や後藤象二郎は悪い
Aそんなことはありません。司馬遼太郎も飛ぶが如くで勤王党弾圧について「法治国家を目指す者なら当然の
こと」としていますが、勤王党が当時の法律に反して、藩政トップの吉田東洋を殺害したのは前代未聞です。
幕府大老を暗殺した「桜田門外の変」の下手人も全員死亡しています。武市は上士扱いで別格の牢屋を用意さ
れ、切腹も許されています。適正な処罰でした。また、史実では吉田東洋が武市を足蹴にしたことなどなく、
逆に藩政改革や身分制度改革の第一人者でした漁師のジョン万次郎、地下浪人の岩崎弥太郎も無償で私塾で勉
強を受け、上士にまでとりたてられます。またこの暗殺を正当化する「維新土佐勤王史」は武市の手下の「
瑞山会」の発行で信用なりません。強いていえば、後藤象二郎は叔父である吉田東洋を殺されて血気盛んに
なっていたかもしれません。
Q他の君主に仕えていれば武市さんも・・・・
A他の君主に仕えていればもっと悲惨な可能性もあります。過激な島津久光さんは、西郷が浪士と行動を共に
しただけで遠島にし、京都で志士を斬り殺そうとした人物です、藩政格を殺そうものなら「切腹」ではなく
「市中引き回しの上打ち首獄門」にされます。毛利元徳に仕えていたならば、佐幕派もやりたい放題なので殺人
を辞さない武市は真っ先に暗殺されます。現に正義派頭領の周布政之助が自刃、天誅組主将・中山忠光が暗殺、
井上馨が瀕死の重症、高杉晋作が身の危険を感じ、博多に逃亡してます。このような状況で長州に残るとすれば
暗殺に失敗しても惨殺されるでしょう。かろうじて生きても、過激な尊皇攘夷活動で幕府の討伐を受け、
切腹というのがオチでしょう。
Q武市は岡田以蔵にも優しかったの?
Aいいえ、部落民として差別をしていました。田内恵吉(武市の実弟)などの書簡から、以蔵が七軒町とい
部落出身だったことから「七以」と読んでいたことがわかっています。また実家への手紙で、「あのような安方
(あほう)は早々と死んでくれれば良いのに、おめおめと国許へ戻って来て、親がさぞかし嘆くであろう」と
以蔵のことを綴っています。また、岡田以蔵が投獄された際、毒殺しようと試みています。一応、「瑞山会
(武市の手下)」が書いた「維新土佐勤王史」では同士を守る為と弁護されています。
Q武市が本気を出せば土佐藩の体制さえ覆せた
Aそれはできません、上士側の戦力は、胡蝶隊、前衛隊、後衛隊、中衛隊、鋭衝隊、陸援隊、機勢隊、新おこぜ
組、留守居兵 総勢2500名以上。郷士側は刺衝隊と迅衝隊ですが、迅衝隊は大藩が軽格で上士も混ざっています
し、大将の板垣も上士側で総勢300前後。また、山内家は天守を持つ高知城と莫大な藩金があるので足軽の徴兵
もできます。やくざが反乱起こして警察相手に善戦しても自衛隊に一蹴されるのと同じです。
また、土佐藩は強い藩で阿部と薩摩藩が土佐の御家断絶騒動をもみ消したぐらいで、取り潰しはありえません。
容堂は徳川慶喜の重要なブレーンであり、わざわざ慶喜が味方を潰すようなまねもしません。
また武市が蜂起すると天狗党と同じ尊皇攘夷派の反乱なので、幕府自ら天狗党のときのような大軍での征討も
ありえます。朝廷も青蓮宮が平井の発言を容堂に密告したり、三条実美は容堂と密接な親族であり、孝明天皇も
容堂は忠臣だと発言されていますので、まず動くことはないでしょう。
526 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/18(金) 01:10:25 ID:gXJn+4qE0
Q武市さんが明治維新まで生きていれば土佐閥が天下を取っていた
Aそれはありえません。板垣が天職の軍人となり、自由民権運動の火は弱まりますが、武市の良くいえば信念を
貫く性質、悪くいえば柔軟さに欠く性格的に征韓論支持の姿勢を崩さないはずなので、結果的に西郷隆盛、前原
一誠、江藤新平らと同じ運命をたどります。正史よりは躍進するでしょうが最終的に長州が勝ちます。
Q武市さんは本当に男前だったんですか?
Aいいえそんなことはありません。お得意の「瑞山会(武市の手下)」発行の「土佐維新勤王史」には、背が高く
て、色が白くて男前でと書かれています。でも実際は、坂本龍馬に「顎(アギ)」と呼ばれているくらいです。
酒は飲みませんが、煙草は吸います。どうもありがとうございました。
Q容堂公が許せ半平太といって泣いていたと聞いたが本当?
Aうーん、ソースは 松岡司『武市半平太伝』p359ですが二次資料ですよね。嘘かもしれません。
それに後藤象二郎と板垣退助が武市半平太死後位階追贈の祝いでお富を訪ね、その時に「武市半平太を殺したの
は誤りだった」といったとありますが、普通、自由民権と藩閥関係で下士と上士が力を合わせる状況になって、「あ
あ、あれはあいつが悪かったから自業自得で刑死した」とはいえませんよね。そんなこといったらバツが悪いし、
死者を責めない日本人らしくないし、下士らとの関係も決裂します。リップサービスですね。
527 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/18(金) 01:11:41 ID:gXJn+4qE0
Q維新後、尊皇派天国になった状況で武市らを処罰した事を非難されたのですか?
Aそのようなことはありませんし、事例も言説としても残っていません。
木戸孝允が容堂に「なぜ半平太を殺したのですか?」と聞いたとありますが、これはおそらく創作です。
木戸と容堂の遊郭での逸話に詳しい史書「木戸孝允日記」「木戸松菊公逸事」にもこの話はありません。
また、お富の家での謝罪はあくまでも死者に対する礼儀であり、後藤・板垣の自発的な行動に基づきます。
長州閥が強固ゆえに土佐上士と勤王党員が一致団結していくためにもしっかりと態度で示さなければ
いけませんでした。
Q天狗党虐殺の水戸藩は敗者ゆえにスルーされたの?
A全く違います。水戸藩の天狗党虐殺は壮烈を極め、武田耕雲斎の妻が夫の
生首をもたされながら尋問され打ち首にされたのを筆頭に、600人前後の
志士や家族が皆殺しにあいました。これは土佐勤王党への処罰とは部類が違うもので、
犠牲者の数も勤王党弾圧とは大幅に違います。これで敗者としてではなく、水戸藩は官軍総督府に派遣する兵力を
失うとともに、維新で活躍をする人材を失いました。それなので出世できなかったのです。
また、土佐上士は敗者として扱われていません。山内容堂は政治中枢に残り、
龍馬が顕現した
Q土佐藩は敗者で弾圧されるべきだった
A武市厨のヒガミです、我慢してあげてください(ペコリ)
土佐藩上士には吉田東洋が殺害されて以後、佐幕派は失脚し、
板垣退助らの尊皇攘夷派と山内容堂らの公議政体派が天皇陛下のための国を作る為に
尽力しました。板垣退助は衆議院を創設し、明治天皇より大命降下を受け、内務大臣に。
国会議事堂中央広間に伊藤博文、大隈重信と並んで三銅像になっています。
山内容堂公は、その当時の大名では最高位の「正二位」に叙され、大臣と同等の内国事務総裁や
制度寮総裁を歴任し、坂本龍馬が「船中八策」で献言した集議院の集議員上局議長を務めています。
また、明治帝が最後を看取るほどお気に入りだった木戸孝允の書画の師匠で親友でもあり、思想が極めて
近かったので明治帝のお気に入りでもありました。
528 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/18(金) 01:12:32 ID:gXJn+4qE0
【前レスの訂正】
Q維新後、尊皇派天国になった状況で武市らを処罰した事を非難されたのですか?
Aそのようなことはありませんし、事例も言説としても残っていません。
木戸孝允が容堂に「なぜ半平太を殺したのですか?」と聞いたとありますが、これはおそらく創作です。
木戸と容堂の遊郭での逸話に詳しい史書「木戸孝允日記」「木戸松菊公逸事」にもこの話はありません。
また、お富の家での謝罪はあくまでも死者に対する礼儀であり、後藤・板垣の自発的な行動に基づきます。
長州閥が強固ゆえに土佐上士と勤王党員が一致団結していくためにもしっかりと態度で示さなければ
いけませんでした。
Q天狗党虐殺の水戸藩は敗者ゆえにスルーされたの?
A全く違います。水戸藩の天狗党虐殺は壮烈を極め、武田耕雲斎の妻が夫の
生首をもたされながら尋問され打ち首にされたのを筆頭に、600人前後の
志士や家族が皆殺しにあいました。これは土佐勤王党への処罰とは部類が違うもので、
犠牲者の数も勤王党弾圧とは大幅に違います。これで敗者としてではなく、水戸藩は官軍総督府に派遣する兵力を
失うとともに、維新で活躍をする人材を失いました。それなので出世できなかったのです。
Q土佐藩は敗者で弾圧されるべきだった
A武市厨のヒガミです、我慢してあげてください(ペコリ)
土佐藩上士には吉田東洋が殺害されて以後、佐幕派は失脚し、
板垣退助らの尊皇攘夷派と山内容堂らの公議政体派が天皇陛下のための国を作る為に
尽力しました。板垣退助は衆議院を創設し、明治天皇より大命降下を受け、内務大臣に。
国会議事堂中央広間に伊藤博文、大隈重信と並んで三銅像になっています。
山内容堂公は、その当時の大名では最高位の「正二位」に叙され、大臣と同等の内国事務総裁や
制度寮総裁を歴任し、坂本龍馬が「船中八策」で献言した集議院の集議員上局議長を務めています。
また、明治帝が最後を看取るほどお気に入りだった木戸孝允の書画の師匠で親友でもあり、思想が極めて
近かったので明治帝のお気に入りでもありました。
529 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/18(金) 02:43:55 ID:Y3OV14Aq0
妄想厨房出現ですか。
尊王攘夷運動の先頭を走っていた人間が、
「これで終わりですしーこれ以上生きていても何もできなかったでしょうー」
で済まされて良いとも思えない。
武市謀殺は土佐藩にとって大きな損失であった。
530 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/18(金) 04:55:52 ID:gXJn+4qE0
>>529 武市謀殺とか言ってる時点でお前武市厨確定だろ。
>尊王攘夷運動の先頭を走っていた人間が、
>「これで終わりですしーこれ以上生きていても何もできなかったでしょうー」
>で済まされて良いとも思えない。
感情論?
531 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/18(金) 08:08:01 ID:gXJn+4qE0
時の藩政ぶち殺して藩の力を弱めるような奴の、どこに先見の明がついてるか教えてもらいたいもんじゃ。
長州でも刃で向かってこんかった藩政級の人物は殺したことないぜよ。善人を殺すは武士の恥じゃ
吉田東洋、中岡慎太郎は惜しいが武市が惜しいとは感じんのう。
武市が惜しいといったのは勤王党の生き残りぐらいじゃし、それもそうやろうけどの。
高評価をするのも本当のことをいうと、本間精一郎みたいになるのを恐れた志士の褒めちぎりと、
土佐藩の数百を超える勤王党の志士を敵に回したくなかったからじゃきの。
ID:gXJn+4qE0をNGっと
どっかの広島牛みたいな喋り方をするな
>>531は
東洋や岡田関連はまあいいとして
長州関連はファクターかかりすぎだ
武市が長州生まれならもっとラクだろう
トップの周布は理解があるし、上と下の間にもまた桂が存在しているからな
佐幕派が盛り返した一時期以外は伸び伸びやれたろうさ
ただ途中で久坂と一緒に死にそうではあるが
征韓論支持とかもう完全に妄想で笑えるw
534 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/18(金) 19:52:17 ID:gXJn+4qE0
Q他の君主に仕えていれば武市さんも・・・・
A他の君主に仕えていればもっと悲惨な可能性もあります。過激な島津久光さんは、西郷が浪士と行動を共に
しただけで遠島にし、京都で志士を斬り殺そうとした人物です、藩政格を殺そうものなら「切腹」ではなく
「市中引き回しの上打ち首獄門」にされます。毛利元徳に仕えていたならば、佐幕派もやりたい放題なので殺人
を辞さない武市は真っ先に暗殺されます。現に正義派頭領の周布政之助が自刃、天誅組主将・中山忠光が暗殺、
井上馨が瀕死の重症、高杉晋作が身の危険を感じ、博多に逃亡してます。このような状況で長州に残るとすれば
暗殺に失敗しても惨殺されるでしょう。かろうじて生きても、過激な尊皇攘夷活動で幕府の討伐を受け、
切腹というのがオチでしょう。
535 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/19(土) 13:29:59 ID:efoiaxIj0
テロリスト、テロ集団
gXJn+4qE0の言ってることも一理あるじゃん
武市馬鹿すぎ
537 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/19(土) 17:44:40 ID:JrL9SdkA0
たしかに吉田東洋や中岡慎太郎に比べるといらん人材だわな
538 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/19(土) 18:37:08 ID:JrL9SdkA0
武市は一藩勤王を唱えたと誇らしげにいうが長州薩摩にあれだけ賢才がおって、
だ〜れもこんなアホなことを言い出す奴はおらんかった
そもそも本当に賢い奴は一藩勤王みたいな幼稚な思想は論じなかった
必ず賛成派もおれば反対派もおる、現に四賢侯も薩長土肥も上士・藩主は全て佐幕派で
維新を迎える。そんな中で佐幕派のボスをぶち殺したら上士に恨まれて壊滅させられるのは
賢才はわかっとった。だから長州や薩摩では佐幕派のボスは殺さんかった
俗論派のボスの椋梨でさえ自分から切腹を申し出たから長州の志士が処刑したというのに
そもそも薩長と土佐の藩事情を一緒にすんなよw
龍馬も「私一人にて500人700人を率いるよりも24万石を率いて天下国家の為を致した方が
甚だよろしい」と言ってるだろ。
龍馬も脱藩した一人だが、結局は後藤と土佐藩と結んだからこそ大政奉還の周旋が出来た。
草莽だけでやっても天誅組の吉村虎太郎になるのがオチじゃないか
540 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/19(土) 21:19:56 ID:JrL9SdkA0
>>539 薩長だけじゃなくて土佐も一緒だから。自分の口で龍馬もそんなアホなことは言わなかったってことをいってんじゃん。
そんな幼稚なこと考えてたのは薩長土肥合わせて武市だけ、賢才ならそんなこと考える前に自分の愚かさに気づく。
>>523 ちゃんと行ってきたましたよ!
手紙だけかと思ってたら、切腹のときに使用した刀とか富さんの押絵やらもあって、
思い切って行ってよかった。本物の史料はやっぱり感動する。
教養人らしいところや、精力的な政治活動の様子も伺えて満足。さぞオーラある人だったろうな。
しかし、実弟に服毒自殺進めたのは知っていたが、以蔵の自白が原因だったとは泣けてくる。
そして以蔵が出っ歯だったとはwww
あと武市さん牢屋でもまだ義太夫練習してたんかww牢役テラ迷惑www
>>524 お墓、旧宅、ズイザン神社、銅像…他何かあったっけ。
武市瑞山殉節碑と道場跡は高知駅からも近くて、高知城みたあと歩いて回れる範囲だった。
みやげ物屋は3/4が龍馬に支配されてた。高知全体で龍馬を働かせすぎ。
中岡と弥太郎はなんとかあったが、武市グッズは本当になかった…
ストラップとかあったら絶対買ったんだがな。
仕方がないのでカツオ人間買って、これを武市さんだと思うことにした。
542 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/19(土) 23:36:20 ID:JrL9SdkA0
地元の人気では坂本龍馬>>>(圧倒的人気)>>>中岡慎太郎>山内容堂>千代>山内一豊>板垣退助
>岩崎弥太郎>>>後藤象二郎>長宗我部元親>武市半平太>>>岡田
ID:JrL9SdkA0きんもー
ここでは正論放つやつがきもい扱いされるのか
さすがは低脳キチガイテロリストのスレ
基地外のニワカはスルーで
546 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/20(日) 21:58:48 ID:r50dGEjQ0
>>歴史知らんカスはくるな、ゴミ
547 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/21(月) 00:06:54 ID:W3MspDl70
NHKも必死に武市の悪行をもみ消そうとしてるけどできてないな
岡田以蔵を毒殺しようとしたのも「可哀想だから殺してやってくれッて」言い訳にもなんない捏造じゃんwww
いろんなところで龍馬の捏造・虚像っぷりをさんざん指摘されてキレちゃったんですね
分かりますw
毎日きもいのが張り付いてるな
武市は、好き嫌いがはっきりされてるようで。
で、中岡は武市とどういう関係だったのか
詳しい人教えてください。
551 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/22(火) 15:24:08 ID:uziuwrXM0
>>541 おかえりー!
そっか、じゃあお墓お参りした後レンタサイクルででも回ろうかな。
土佐藩に剣術の腕と指導力を高く評価された武市半平太は、藩からも剣術指導の出張をたびたび命じられ、
中岡慎太郎が剣術を学んでいた田野学館にも足を運んでいた。
そこで武市と初めて交流を持った若き日の中岡は、武市という人物に傾倒し、
武市が高知に帰るとその後を追いかけて高知の武市道場に入門。
後に西郷隆盛と会った際、西郷の人物を評して
「その誠実は武市に似る」と、師の武市を引き合いに出したりもしている。
個人的に知ってるのはこのくらい。
中岡が武市の正、坂本が武市の奇を継いだと言われてる
おみやげ屋の龍馬率は本当異常だった。
安芸市入った途端弥太郎まみれ、北川村入った途端中岡先生万歳なのは笑ったが。
それから土佐であい博、ジョン万とおりょういるくせに武市のマスコットはいないのな…
中岡も坂本も優秀で有ったが
武市先生と比べると求心力や統率力の点でやや遜色あるかな
武市厨って盲目だね
つか武市と中岡じゃ資質も求められるもんも違うだろ
比べてどうするんだか
武市のできることは中岡にはできないかも知れないが
中岡ができることは武市にできるとは限らないだから
大将としてやはり武市がもっとも優れてただろう
同格意識、一党意識が強い土佐人をまとめれたのは武市ぐらい
武市の死後土佐に留まった派、長州に落ち延びた派、龍馬についてった派と分裂する
西南戦争の際に土佐も立ちあがるのではないかと危惧されたが
薩摩なら西郷の一声で薩人は立ち上がるだろうが、土佐人は一人説得するのに半日かかるから駄目だろうと言われたらしい
そういう風土で唯一先生と認められ頭領になったわけだから、よほどの人格、風格、重厚、影響力や統率力が秀でてないと
土佐人を纏められていたら死んでないわけで……
郷士だけで纏まるってんならまだしも
勤王派と保守派をまとめて土佐の政権取ったわけだし
ほとんどの上士は廃藩置県で煙のように政治力消えたけど、土着の郷士は結束力強くて高い影響力持ってたからね
長州も薩摩も内部は勤王派だけじゃないし、主導権とったのが勤王派であっただけで
武市はカリスマ性と随一の統率力を持つ思想家、啓蒙家
中岡は着実な理論とずば抜けた行動力を持つ政治家、周旋家
武市は教育者タイプで中岡は着実に実行するタイプ。それぞれの役割ってもんだろう
当時の土佐志士にお前たちのリーダーは誰だと聞いたら十人が十人武市瑞山先生だって答えるだろうね
今じゃ龍馬が土佐代表みたいなもんだが
>>559 >ほとんどの上士は廃藩置県で煙のように政治力消えたけど、土着の郷士は結束力強くて高い影響力持ってたからね
後藤象二郎「え……?」
板垣退助「ん?」
つーか薩摩や土佐は小松や周布みたいなトップからして
志士達の協力者になってる訳で、その点で二藩とは差が出たよ
明治維新までの激動の数年間の間、
土佐藩からは最も多くの勤王の志士が輩出され、命を投げ打って戦った。
彼らの働きもあり土佐は薩長土肥の一角を占め、最終的には倒幕に貢献した。
そんな彼らの先頭に立ち、彼らを政治的に目覚めさせ、
政治活動に身を投じるキッカケを作る役割を果たした武市は
それだけでも、それなりの歴史的役割を果たしていると思う。
土佐における維新の父であり、土佐の吉田松陰的存在。
その評価は間違ってないが
最も多くの〜の下りはいらん敵を作りそうでならないw
>>561 後藤は幕末は土佐藩を背景に発言力持ったが、明治後は土佐藩もなくなり土佐人に対しても影響力なく政治基盤が弱いためかるんじられた
板垣は明治後土佐人らに担がれて自由民権の総裁になったが最後は捨てられた
565 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/25(金) 21:20:34 ID:T2f34Vrx0
小林よしりんが今の自称馬鹿保守と龍馬伝の土佐勤皇党が物凄く酷似していると
ゴー宣で言っていたね。
566 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/06/25(金) 22:48:26 ID:KE+qXBAk0
それでは、現在の東亜+板常駐の馬鹿どもが日本の未来を開くみたいではないか。
そんなことはありえない。小林は彼らを過信している。
土佐勤皇党を含む幕末の尊皇攘夷派は
・尊皇攘夷を国民合意に据えることに成功
・幕府を倒されるべき旧弊と国民に認識させることに成功
・朝廷を自らの思想で動かすことに成功
・朝廷の権威と諸藩の軍事力を用い、幕府を崩壊させることに成功
・新政府で主要な立場を占め、日本の欧州型中央集権化と殖産興業に着手
それに引き換え東亜+のウヨは
・反中反米自主軍事強化を主張→ 従米下の親中路線を国民は支持
・民主党を敵視し自民党右派連合を模索→ 民主党中心の政権が支持を集める
・天皇護持と皇太子・皇太子妃排斥→ 天皇家は日々民主政治日本の象徴として活動
・(天皇家は東亜+のウヨの言うことなど聞かない)
・一人、自民党候補者として馬鹿をさらした程度
自力にこの程度の差がある。
土佐勤皇党は独善であったかもしれないが、日本を結果的に動かしたが、
2ちゃんウヨはその力を持たないし、迷妄としか思えない行動ゆえに自力をためる気配もない。
むしろ小林の方がドラマ勤王党と似てる
小林の議論はイデオロギーだから自分と違う保守は認められない
保守なら俺の考えるような結論であるべきで、自分のイデオロギー通りじゃないと保守じゃないとなり認められない
実際の土佐勤皇党は動機としてはイデオロギーがあったが、もっと政治的な思惑を持った存在だし
ネトウヨも政治的な存在だし
産経に載ってた東大教授の武市論でも思ったけど、
ファンからすれば当時の志士たちと現代の政治家を無理矢理こじつけてる奴ほど腹のたつことはないな
今の政治家や思想家と
昔の志士ではわけが違う
武市が薩摩に生まれていたら、西郷は出る幕無く、武市の門下に入ってたろうね。
当時の志士は命がけだからな
武市は政治家向いてないよ
教師が天職だな
あそこで古い価値観と一緒に散るのが美しくてよかったとも思う
574 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/03(土) 14:23:33 ID:6j9JUUzU0
武市は性格悪そう
性格が悪い…と言うか裏表が激しそう
手紙とかみてみるとクソ真面目で熱い性格なのが分る
人柄は立派だが今の基準でいうと四角四面過ぎて冷たく見えるかもな
冷たいというより息苦しいじゃね、一緒にいると
578 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/06(火) 21:32:39 ID:dsteKgBK0
世間での武市の嫌われっぷりにワロタw
武市半平太に関しては、息苦しい、というよりは暑苦しいような気がする。
松岡修三が剣豪で、攘夷のためなら暗殺も政府転覆もあり、と考えて徒党を組んでいたような感じ。
何かとてつもない熱気が迫ってくる。逆らわない方がよい感じがする。
一方、吉田松陰に関しては、一直線のキレた意志を感じる。
これも怖い。とても逆らわない方がよい感じがする。
西郷隆盛は分からない。何を考えているのか分からない。
なのに薩摩藩士は神のように西郷を拝み、彼の意思なら何だってする。
怖い。得体の知れない怖さがある。
580 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/08(木) 23:54:53 ID:dm/aVWxp0
このスレ的には「維新土佐勤王史」はどうよ?
YAHOO知恵袋にこれの信奉者がいてうざいんだけどw
ちなみに「hagetokeyaさん」とかいう奴な。
日付の違いや創作があって信頼できるか微妙と言われてる
でも、瑞山会が数十年かけた勤王党の一級資料なことには違いないんじゃないか
龍馬や中岡の本でも参考にされてるし、武市だったら維新土佐〜なしでは伝記書けない。
土佐四天王なら個人伝記あるからいいけど、マイナー人物だとこの本くらいしか載ってないこと多いから貴重だと思う。
正史なら平尾氏の「武市瑞山と土佐勤王党」横田氏の「維新土佐勤王史のウソマコト」かな
でも「維新土佐勤王史」は田中光顕ら瑞山会の編纂とはいえ、実際の主筆は例の坂崎だろ?
「汗血千里駒」のアノ人では何だかな〜・・・って気もするのは俺だけか?
「『武市半平太―ある草莽の実像』批判」は
「維新土佐勤王史」はじめ通説の誇張・創作・誤りに突っ込んでて面白かった
やや筆者のテンションが高くてウルサイ本なんだがw、
研究者が史料を丁寧にあたって歴史の実像に迫る重要性を熱く説いてたな
通説の否定といえば
些細なことだが以蔵が結局毒を呑まなかったことを証明でき、
小冊子で研究者仲間に発表したとあった
確かに歴史的な重要度は低いイベントだが、そっちの話も詳しく聞いてみたいぞ
以蔵への毒盛計画を以蔵の家族が了承しなかった事で結局中止になったって元ネタはどれだっけ?
585 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/12(月) 01:15:07 ID:vKMI3w7X0
>>579 武市の印象が正反対だ
もっと落ち着いた冷静なタイプで、内に闘志を秘めるタイプの印象がある
>>584 ヤホーの知恵袋かなんかでその話をやたらと否定している馬鹿がいたが、
そいつがソースだと言い切っていたのが例の「維新〜」だったな。
えらく噛み付いていたが、あれに被れている奴は結構いるもんだな(笑
>>584 『武市瑞山関係文書』1巻の島村寿太郎宛、半平太書翰
あと土佐史談でググると割とマジメに調べてる人のブログが色々出てくる
『「維新土佐勤王史」のウソ・マコト』にもなんか書いてあるようだ
読んだ人いる?
俺の武市のイメージは正しい事大好き人間って感じだな
攘夷にしても天誅にしても忠義にしても
>>587 さんくす!勉強になるよ。
横田氏の「維新〜ウソ・マコト」は近日入手予定。
また報告するよ。
>>580=
>>586のことか?
「維新土佐勤王史」の該当部分は
「況や岡田以蔵をや、即ち其の口を緘ぜんとて、『或いは』差し入れの食物に丸薬を混入し、
本人に知らせず之を食せしめたるも、以蔵は平然として更に其の毒に感ぜざりしと『云ふ』」
と坂崎が憶測の意見を述べてるに過ぎない。
ちなみに書簡での毒殺計画の話題に関しては
以蔵の父親を説得云々以降音沙汰がない。
590 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/13(火) 23:06:35 ID:Sa2fkWH/0
武市みたいな卑怯者は大嫌い
>>589 ですよね。
主筆の坂崎が色々と推測憶測で書いている部分も多いので今一つ信憑性に欠ける書にしていますよね。。
件のYAHOO IDの人物、hagetokeyaさんの知恵袋でのご回答、やっと見つけましたよ。
土佐勤王党関連の質問への回答で出没してらっしゃいます。
見事に「維新・・・・」を鵜呑みにされておられるみたいです、はぁ・・・・・。
592 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/14(水) 23:34:54 ID:JcSyfRxr0
テロリスト集団
武市半平太切腹楽しみ
>>591 誰か突っ込んであげたほうがいいんじゃないかw
一冊の本を読んだぐらいで
自分は他人より物を知っているとか歴史を理解したつもりになったらいかんということだな
しかし革命に成功した側のテロリストがいかん理由って何かね?
どうせ答えられないんだろうが
595 :
591:2010/07/16(金) 01:54:29 ID:dvxsBcjM0
>>594 確かにそうですよね。
一方の側からの主張だけを信じるだけで理解できたと勘違いしているようですし・・・。
のみならず、その方は「維新・・・・」の内容と少しでも違う回答があると噛み付いていましたよ。
「あなたが土佐勤王史を読んでいないですね」と読んでなければ幕末を語る資格無しというような口調でしてね
二言目には「土佐勤王党の生き残りが編纂した第一級史料」と賛辞していますよ。
だいたいが瑞山会なぞは「ほらふき光顕」が主宰した集まりですし、その時点で内容的にも信憑性が・・・。
しかも彼らから聞き取って執筆したのは坂崎とくれば、もう眉唾なお話もあるわけですしね(笑)
そのような書のみを盾に論陣を張ろうなどという考え自体が既に可笑しいですよね。
まさに信奉者としか言いようがありません、はぁ・・・・。
横田達雄氏の「武市半平太と土佐勤王党」は、
やや読みづらい文体だが、読んでみる価値はあるだろう。
597 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/17(土) 14:46:33 ID:WGGCTI9G0
>>583 今読んでるけど、こんな入交氏の人格まで否定するようなこと書いて大丈夫なのかあの本
勤王党の正史を知る勉強にはなるんだがもうちょっと落ち着いた方が読者はひかないと思うぞw
入交半平太本もいい本だし
武市瑞山獄中書簡持ってる人はどういう経路で入手したんだ?こないだ古書サイトに8千円で売ってるの
見たけど
高知屈指の財閥・入交グループを本気で怒らさんほうがいい・・・・・。
600 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/19(月) 00:56:17 ID:EwqWYntG0
>>597 その本の筆者は「武市瑞山獄中書簡」の編註者でもある人だろ?
筆者の横田氏が、「土佐勤王党始末」を書いた嶋岡何がしに対して
嶋岡の悪意に満ちた偏見、妄想、狡猾さを厳しく批判する文章を読んだことがあるが、
読んでて溜飲が下がった記憶がある。
>>597 土佐史談会の会員の伝手で入手したという人をどっかのブログでみた>獄中書簡
自分は図書館で借りて読んだが、読み物としてもとても面白い本だった
武市の志や人柄が伝わるし、獄中生活の詳細な記録も興味深い
ただ編者の横田氏が故人だから再販は難しいだろうな
いつ頃亡くなったんだろう
横田氏、亡くなってたのか・・・
何度かお会いしたことがあるが、今はどうされているのだろうかと
このレスを見ながら、たまに思い出してた。
そうか、亡くなってたか・・・・・
603 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/23(金) 01:15:51 ID:5uxowoz40
武市(笑)
坂本龍馬を持ち上げるために犠牲にされることが多いのが、武市と中岡だな。
605 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/07/29(木) 14:19:15 ID:wh5bnYvs0
武市が嫌われてる理由は岡田以蔵関連だろ
はいはい全部印象
七以が差別的な呼び方と言われてるけど差別的てあるという出典て何?
検索かけても「七以という軽蔑的な呼び方をしていた」と断定するだけで
差別的であることを説明するための出典が何も明記されてないんだけど
土佐・江ノ口村の七軒町の出自だからだよ。
足軽身分が多く住む町で部落者だったという説も。
田内恵吉らの手紙に書いてあったというよね。
七軒町がそういう町だったという具体的な出典って確かに書いてないよね。
まあ土佐の中では常識的な事なんだけどさ。
勤王党の手紙だと住んでる場所で呼ぶとかよくあるよ
江ノ口村だと上士も住んでるし、地図で岡田家調べてた人も部落だとかは言ってなかった
610 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/21(土) 21:41:47 ID:f+nA4ehpO
被差別部落とか特殊部落とか部落と正しい日本語を書けよ
611 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/08/21(土) 21:43:13 ID:f+nA4ehpO
↑部落は間違いw
消し忘れたw
江ノ口村が問題なんじゃなくて、その中の七軒町が問題なんだよ。
武市って、獄中からの秘密文書は
万一これが目付方に露見してしまった場合に備えてか、
文書の中に登場する人物名は、よく実名を文字ったり、
その人物が生まれ育った土地の名前を用いて記号化したりしてて、
これは別に以蔵に限った話では無かったと思うんだがね。
武市が以蔵の教養の無さ、志の無さ、性格の粗暴さから
彼を軽蔑するような発言をしていたという記録は度々見聞きした事はあるが、
以蔵が足軽身分である事(以蔵の実家は郷士身分だが)を理由に
以蔵を軽蔑していたなんて事を直接裏付ける記録は見た事無いな。
大体、武市が身分を理由に以蔵を見下していたんなら、
その身分ゆえに18になるまでどこの剣術道場にも入れなかった以蔵を
自らの剣術道場に迎え入れたり、
江戸修行や西国遊歴にも御供として同行させて、腕を磨かせたりなんてするもんかね?
「武市は身分の低い以蔵を云々」と言うのは、以蔵の哀れな末路を一層際立たせるための
小説家や捏造も厭わない3流学者の偏見のように思える。
西国と江戸修業両方連れてってもらっているのは以蔵だけだよね
そもそも身分ごった煮の土佐勤王党の首領やってる武市が身分差別するものかね?
武市に命令されて人斬りさせられたといっても、実際殆ど集団で殺ってるし
武市の指令だと確定してるわけでもなし
最近以蔵の史実本が出たそうだし読んでみるのもいいかもな