561 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
>> 548
「0447時に赤城が発した電文は、該当時刻にハワイの戦闘情報班で受信された
記録が残っていることが判明している」(P133)
この資料を明示して欲しい。
南雲司令部は「平文」で利根4号機に「敵との接触を保て」と打電して
いるそうだ。
昨年暮れに出版された洋書が翻訳されたらわかるよ。
>>561 書名教えてくれたらAmazonでもJBOOKでも買えるやん。
教えて。
564 :
548:2006/08/11(金) 10:07:26 ID:G2HtSJXR0
>>561,
>>563 Shattered Sword: The Untold Story of the Battle of Midway
のことですかな?
Shattered Sword、 粉砕された刀 という意味か?
565 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/11(金) 13:25:54 ID:hkTww3HB0
>>562-564 Shattered Sword で正解です。
本文のなかに「剣、砕けたり」という日本語がイラスト形式で
刷られているから、これを英訳したもの。
誰が書いたか、言ったかは不明。
566 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/12(土) 23:05:51 ID:fwOvrCPH0
Shattered Sword
The Untold Story of the Battle of Midway
by Jonathan Parshall & Anthony Tully
(ジョナサン・パーシャルとアンソニー・タリー)
It also corrects the many errors of Mitsuo Fuchida’s Midway:
それはまた、淵田美津雄の「ミッドウェー」の多くの間違いを訂正する 。
誰かAmazonで購入して、翻訳してください! 早く翻訳本が出ないか。
567 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/13(日) 00:44:33 ID:1kFRWpE50
注意しておくけど、この「Shattered Sword 」はアメリカ(および英語圏の諸国)の
読者を対象に書かれた「語られざるミッドウェー海戦の物語」であって、日本の読
者を特に意識したものではない。
これらの諸国の研究者を含めた読者たちが、この海戦に関して入手できた主な
情報源はモリソン、ロード、プランゲといったものが中心で、日本側の文献はほと
んどなかった。戦争直後に米戦略爆撃調査団が収集して翻訳した文献や日本側
関係者の証言などを除けば、淵田美津夫・奥宮正武共著の「ミッドウェー」の英訳
本くらいしかなかった。約半世紀のちに戦史叢書の「ミッドウェー海戦」が英訳され
たが、一部の研究者以外の注目を集めなかった。
したがって、淵田以降の日本側の研究は欧米諸国ではほとんど知られていな
かった。今回、二人の著者は広く日本側の書籍・史料をあたり、また研究者たち
と連絡を密にとって、2000年ころまでの研究を英語圏に紹介したものだ。
だから日本側の研究に詳しい人たちにとって、新味のある記述は少ない。また
米側の作戦行動などについては、別の研究者のそれが十分に解明しており、自
分たちが新たに付け加えるものはなかったので、最小限の記述にとどめたともあ
る。ということで、日本側でわざわざ「翻訳」する声が大きくなるとも思えない。
568 :
562:2006/08/14(月) 00:30:34 ID:g0WTeOxb0
>>567 了解。まあそりゃそうだ。
情報ありがとう>ALL
結局、急降下爆撃喰らったとき「赤城」はこれから攻撃部隊を甲板に上げようってトコだったんでしょ?
それが何で甲板上でエンジンの音轟々と〜みたいに語られて来たのかね?
生き残った人だって結構いたと思うんだけど。
570 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/14(月) 10:24:42 ID:+vk7/5cz0
>>567 もう原書を読まれたのですか?
過度の期待をするなということですな。
私としては、
「0447時に赤城が発した電文は、該当時刻にハワイの戦闘情報班で受信された
記録が残っていることが判明している」(P133)
という記述の証拠資料を知りたいだけです。
>>569 当事者で「運命の五分間」を書いているのは、淵田美津雄(ミッドウェー 昭和26年)と
草鹿龍之介(聯合艦隊 昭和27年)だけだと思います。当時は表立って否定できる
雰囲気ではなかったのでしょうか? 後に、「赤城」艦攻分隊士であった後藤仁一氏
(当時大尉)は「あゝ軍艦旗」(亀井 宏 昭和49年 文庫版「ミッドウェー戦記」)
中の手紙文で、「運命の五分間」を明確に否定しています。
ついでに「聯合艦隊」から、その部分を抜粋しておきます。
「赤城」では「発艦始め」と同時に戦闘機の第一機が飛びあがった。あと五分すれば
全機発艦する。
そのときであった。断雲の隙き間から敵急降下爆撃機が一機、二機、三機と、まっしぐらに
突っこんできた。この五分間の遅速がついに機動部隊の運命を決したのである。
>「赤城」では「発艦始め」と同時に戦闘機の第一機が飛びあがった。あと五分すれば
全機発艦する。
その第一機目が実はただの上空直掩機であることは
>>120で書かれているね。
ところでミッドウェー島って、作戦がウマウマ成功したらその後どうするつもりだったの?
ずっと占領したまま?それとも撤退?
573 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/08/14(月) 21:10:49 ID:FgrOtK0U0
>>570 少し長くなるけれど、本書を紹介する書評や案内にこうある。
>多くの大戦闘にはそれぞれにまつわる伝説が語られる。そして戦闘を語る
「神話」の数々は、「後知恵」による解釈も加わって、さらなる伝承を重ね
てゆく。そして、それらがより劇的なものであればあるほど、より多くの人々
の心に残り、さらなる純化を遂げてゆくものである。ミッドウェー島を巡る
戦いもそうした例外ではない。
物語のクライマックスである1942年6月4日(現地時間)午前10時20
分ごろから約10分足らずの時間に、雲間からしのびより、駆け下りた米急
降下爆撃隊が、発信寸前の攻撃部隊で甲板上を埋め尽くした4隻の日本空母
に対して試みて、かつ成し遂げた「瞬時の大逆転劇」という業績は米国戦史
上に輝ける1ページとして永遠に刻み込まれた。
しかし、「事実」は異なる。10時20分に米攻撃隊が目指して駆け下っ
た先の日本空母の甲板上には発信寸前の攻撃隊はおらず、僅かな数の航空機
がいただけであった。
そのほか、
● 米軍は圧倒的不利な状態から優勢な日本艦隊を撃滅した。
● アリューシャン作戦は真珠湾から米空母をつり出すための「おとり作戦」
だった。
● ミッドウェーに向かって進撃中の山本連合艦隊司令長官は、攻略部隊の
南雲長官に重要な情報を伝えなかったために、作戦上重大な支障をきた
した。
● もし、日本側が史実の「1段索敵」でなく、「2段索敵」をおこなって
おれば余裕を持って米機動部隊を発見できたはずである。
● 「利根4号機」の発進の遅れは、南雲部隊にとって「致命的なもの」となった。
● もし南雲長官が「兵装転換」を命じていなければ、「米艦隊発見」を受けた
時にすみやかに対応できたはずである。
● 「ホーネット」の第8雷撃隊の「犠牲的攻撃」によって、日本側の上空警
戒機たちは海面ぎりぎりに降下しており、10時20分の急降下爆撃隊の
「奇襲」を可能にした。
● この海戦の結果、日本側の艦上機のエリート搭乗員たちは「一掃」されて
しまった。
こうした米国(および英語圏諸国)でひろく信じられている「神話」の
ほとんどは誤りか、誤解の産物である。
戦後、日本側の史料や研究は言語上の問題もあり、諸外国においては「フチダ」
以外はほとんど知られていなかった。このたび、二人の著者はこれまで日本以外
では知られていなかった膨大な史料や研究書を渉猟して、まったく「新しい海戦
の実像」を描き出した。