937 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/10(日) 18:45:44 ID:3gt3r0u40
木戸孝允は、幕末期でも長州の重要な人物ではあったが、政局の中心に位置するようになっ
たのは意外と遅く、慶応2年夏、坂本龍馬が薩摩から木戸を名指して下関に乗り込んできた
時からだと言っても過言ではない。
以後、木戸は薩長連合の表舞台で活躍し、薩摩から「長州の代表政治家」という目で見られる
ようになり、何となく維新の三傑ということになったのではないかと思う。
木戸が坂本に強い友情というか、同志としての絆を感じていたことは確かだが、それは木戸が
坂本に恩義の様なものを感じていたこともあるからではないか。
の縁によると言っても
938 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/10(日) 18:48:19 ID:3gt3r0u40
937です。
最後の1行は消し忘れです。失礼しました。
939 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/10(日) 18:52:45 ID:JPEwlAnvO
板垣は?
940 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/10(日) 19:53:03 ID:0a2ggu4z0
高杉や久坂が死んで、押し出される形で長州を一人で切り盛りしたし
五箇条の御誓文、版籍奉還、廃藩置県といった、明治政府の設計図を描いて、
事実上の初代宰相としての働きをしたから、三傑の一人になったんだろう。
というか西郷こそ過大だよな。
大久保と木戸だけでいい、
三人目は岩倉でも大村でも好きにいれたらよし。
942 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/10(日) 20:48:38 ID:lGr+Frf20
日本人って三大なんてらが好きだな。
だけど、維新酸欠なんていつの時代に、誰がつくったんだろうw
943 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/10(日) 21:01:50 ID:DgZ+53aY0
岩倉公、グラバー、パークス。
これがほんとの維新の三傑だよ。
ほかはどうでもいいクズだらけ。
944 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/10(日) 21:04:15 ID:0a2ggu4z0
倒幕三傑 西郷、高杉、龍馬
新政府三傑 大村、江藤、副島
倒幕三傑 西郷、高杉、龍馬
新政府三傑 大久保、江藤、大村
946 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/11(月) 01:25:41 ID:ByEXcigC0
長州藩でも家老の次くらいのポジションなのに現場にいるよね、桂って。
高杉、大村、久坂もそうだけど、リーダーなのに現場にいるタイプが多い。
長州における政治とは書生の暴走、って司馬が言ってたけど
まさにって感じがするなw
やんちゃしてなんぼみたいなとこがあるから、
キャリア官僚みたいなタイプじゃ下の者がついて行かないんじゃないかと。
一昨日、
明治六年の政変と西郷隆盛をテーマにしたドラマみたいなのテレビでやってたから見てたんだけど、
結構ひどい描かれかたしてたな。
949 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/12(火) 15:49:27 ID:Vpd+1Lca0
司馬さんって小説家でしかも主観でしか物事書かない人じゃないか^^;
長州にだって書生ばっかじゃないよ。公武合体派の人達だっていたんだから。
そういう事言うから小説しか読んでないって言われんじゃないの?
なぜ
>>949tが「書生」の対義語を公武合体派だと思っているのかがわからない。
木戸が好きだと言うと、趣味が変わっている扱いされていたので
このスレ発見して嬉しいです
司馬作品中心に歴史小説は読み漁ったけれど、どれも陰気人間に描かれていて悔しかった
「三千世界〜」の都々逸も木戸作の可能性濃いとのことで感激。この唄は素敵だもの
木戸は都々逸はそこそこ上手いよね。
和歌や漢詩はいまいちだがw
だがそこがいい。頭でっかちじゃなくて。
絵の下手っぷりも愛嬌さw
時々でいいので、語学もだめだめなところも忘れないであげてください。
特殊な人種(三浦や青木や福地その他諸々)にも慕われ易いことも…。
松陰先生や晋作さんと一緒にサラ金業者に商標登録されたようで…
マジで腹が立つわ、くそ役人ども
童貞と放火魔と脱糞男。
商標登録する価値があるのだろうか?
木戸=桂って知らなかったゆとりです!こんにちは。
昔クイズ番組か何かで、橋本前高知県知事もそれ知らなくて驚いた
中学の頃、試験の解答では木戸でも桂でも構いませんよーなんて言われたものだが
高齢の人だとかえって講談とかの美剣士イメージ強すぎて明治の政治家と繋がらないのかな
956の童貞がどこから来たのか激しく気になるんだが
つかなんでこのスレこんなに続いてんの?
伊藤と大隈が木戸から去って大久保についたのは
よく木戸の性格や器が問題にされてるんだが
資料を読み漁ると両方とも木戸から攻撃したように思えるな
伊藤はキリスト国教化の件と浪費とかで、大隈は留守政府と台湾出兵の件で
他の参議と連名辞職までして大隈を弾劾した大久保が大隈を受け入れたのに比べると
渡欧以後の木戸はあまりにも政治工作を怠ってるようにしか見えない
連名辞職の件で広沢まで敵に回ったから、彼が暗殺されると疑惑かけられるし
哀れとしか言いようがないw
961 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/08(土) 23:15:42 ID:eoymvvz10
木戸は他人の悪口を鬱々と日記に記録するのが唯一の趣味だった。
妻や同僚から捨てられたのもさもありなん。
962 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/09(日) 01:26:30 ID:j61pMI5xO
この人は会津だっけ?
>961
貴方木戸の日記を読んだ事があるのですか?
木戸の日記にも書簡にも、他人の悪口なんて
ほとんど出てこないよ。
アメリカで条約改正交渉が失敗した時は、森
有礼の事をボロクソに書いてたけど。
森無礼ですがなにか?
965 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/09(日) 14:37:42 ID:C3NP1VDO0
木戸日記は、痔の経過観察とか脳病ネタとかくだらないことしか書いてないよな。
966 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/09(日) 19:04:10 ID:PlWXFpV40
>森有礼の事をボロクソに書いてたけど。
>森有礼の事をボロクソに書いてたけど。
>森有礼の事をボロクソに書いてたけど。
最近またおかしなのが沸いてきたみたいだね
鬱陶しい
968 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/11(火) 20:26:51 ID:PRdY2Is40
桂小五郎
天保4年(1833)長州(山口県)で生まれる。
池田屋事件、蛤御門の変の時、うまく逃げて逃走生活にはいる。
このことから「逃げの小五郎」と呼ばれる。
一説には小五郎が新撰組に囲まれたとき、
とっさに「うんち」をして相手をおどろかせ、その隙に逃げたという。
まさに逃げの達人である。
慶応2年(1866)薩長同盟成立の際、長州の代表に選ばれる。
明治維新に貢献して「維新の三傑」の一人に選ばれる。
明治4年(1871)海外を視察して日本の近代化に貢献。
明治10年(1877)没。享年45歳。
(;´∀`)・・・うわぁ・・・逃げの達人て・・・・
969 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/11(火) 21:18:13 ID:6Hbi89nG0
三十六計逃げるに如かず。
無用な戦いは避けるのは智慧だよ。
森は叩かれてもしかたなかろ。考え方が所々新し過ぎるし。
というか、森や築地梁山泊の面子は急進的すぎる面があるから…。
971 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/11(火) 23:44:05 ID:PRdY2Is40
不平等条約は改正すべきではないと主張し、
森を逆恨みした木戸の方が狂ってる。
木戸は「改正すべきではない」なんて言ってないんだが。
973 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/13(木) 00:29:09 ID:GvxmaY9m0
なんか、大久保って徐々に木戸に影響されていく様に見えて面白い。
最初はカケラもない薩長閥以外の人材の登用や、景観や文化財保護の意識や、
人民主義や(もともと藩=公意識はあったろうが)、革命精神洋化政策、などなど。
個人的には自藩の殿様との関係や、志士活動歴、もって生まれた詩才なども含め
憧れ・羨望の面が。
明治維新直前まで薩摩内等権力闘争がメインだった彼には、木戸は
まぶしく見えるところが絶対あったと思う。
974 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/13(木) 00:30:18 ID:GvxmaY9m0
色々あるけど、木戸のような人が評価される日本であってほしい。
伊藤、大隈、板垣、江藤、陸奥もか
後年名が大きく売れた人間はなにげに初期木戸が推薦しまくった人間ばっかだな
あとで仲悪くなっても
ますじもうそうだが、人を見る目は凄まじい
976 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/13(木) 02:34:03 ID:pQ7md0rW0
>>972 >>975 木戸はアメリカで日本代表として条約改正交渉を行う。
しかし無知無学な木戸では到底無理な役回りだった。
10回程度会談を行って全くなにも得るものもなく、
幼稚な子供として軽くあしらわれた。
交渉の困難さを思い知った木戸は、自分の無能を恥じるのではなく、
改正交渉を進めた森や伊藤を逆恨みし、ネチネチと罵倒をはじめる。
伊藤に対しても「軽薄で大臣の器ではない」と批判。
その後、視野が狭く愚かな木戸の方が、
伊藤や大久保などから捨てられることになる。
977 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/13(木) 22:36:05 ID:8d4rmbzG0
ワロタ
大久保は木戸を捨ててなどいない。むしろ、大久保から
(政府から)逃げようとする木戸をなんとしてでも自分
の側に置こうと躍起になっていたはず。
笑えるスレだな、1からあるんだろうか
誰か過去スレどっかにアップしてくれ、と他人本願
981 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/14(金) 21:31:16 ID:QBS5vH5+0
>>978 というか晩年の大久保は木戸ごときを相手にしてる暇はなかった。
木戸は「芋を一除せん」とか言って必死に政府の足を引っ張ってたけどね。
>>979 過去スレは必見。
脱糞ネタ満載なのにクソスレにならないのは木戸の人徳だろう。
982 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/15(土) 17:23:48 ID:bgNeuG3f0
(978じゃないけど)
木戸も大久保も、現代からでは想像難しい状況の中
明治政府・明治維新を守るため必死な訳で、何をするにせよ
足を引っ張るとかの次元ではないと思われ。
また後世から見ると木戸・大久保は互いに必要だったと思う。
どんなに立派な人物だろうと、批判されない権力はたちまちに腐敗する訳で。
晩年も、あのあり得ない台湾出兵反対や軍人の参与拒否(文民統制)、江藤らへの裁判
批判、はては薩摩問題まで批判したその文言に、自分は心を打たれたし、
台湾や薩摩については大久保も思うところがあったのでは。
木戸はそれこそ廃藩置県の頃から、周囲(薩摩のみならず)に
容易に賛成・理解されない主張するのは慣れているだろうが、
シンドイことに変わりはない。
駄目なところもあるのだろうが、(本当に)多くの同志の犠牲の上にできたにもかかわらず、
理想とかけ離れてしまった政府を前に、苦悩しつつも最善の策と主張をしつづけた
彼が好きだし自然尊敬する。
983 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/15(土) 20:18:58 ID:ZHbsO9hJ0
>>982 後世から見ると、木戸はいらない子。
大久保がいなかったら明治政府は途中で瓦解してただろうけど、
木戸はいてもいなくとも影響なし。
984 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/15(土) 20:31:52 ID:gxwLFyfAO
逃げの小五郎
985 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/15(土) 21:13:38 ID:bgNeuG3f0
986 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
>>983 あ、明治新政府にはいらないってことか?