【立憲と国体】明治憲法【天皇と議会】

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21名無しさん@お腹いっぱい。
 戦前の日本国は、立憲主義にもとづく政治体制ではない。
究極的な主権がだれにあるかと言えば、天皇と言うしかないからだ。
憲法は天皇の統治権を全体的にしばるものではなく、天皇の一方的
温情的政治宣言にすぎない。

 戦前の日本は、憲法の及ぶ内地と憲法の及ばない外地によって
成り立っていた。内地は例外的な制限はあれ立憲君主国に近い政治体制の国と
言えないことはないが、外地はあきらかに憲法秩序外の領域。
外地の設定や統治全般は、立憲的な憲法体制によらずに天皇の統治権によって
直接所管されていたと考えるしかない。
 もし戦前の政治体制が立憲主義にもとづく体制であるとするなら、憲法適用
除外された外地や植民地人としての二級市民を設定しえないことになる。
政治のあり方をきめるのが憲法であるとすれば、憲法から派生する権限なしに
憲法除外された国民・地域、政治領域を設定しえないからである。
日本国民でありながら憲法適用を広範に制限できる二級市民としての
台湾・朝鮮人が存在しえたのは、憲法に上位する統治権が旧日本国に存在し
えたからである。そしてその存在こそが、憲法に上位する天皇主権から
直接派生する統治権である。

 戦前の日本国は憲法の上に絶対的な天皇の統治権があり、一部の地域
(内地)、内地の部分的な領域だけ、天皇が統治権を恩恵的に謙抑することを
憲法を通して宣言した政治体制にすぎない。