1 :
名無しさん@お腹いっぱい。:
どうぞ
2 :
河井継之助:2005/11/20(日) 15:57:58 ID:Qfce1G6N0 BE:202716454-
このわしが2じゃ
3 :
三島億二郎:2005/11/20(日) 23:00:23 ID:UF63ToQ30
大和田爆笑
5 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/25(金) 19:55:29 ID:LHWDxX0gO
元祖北朝鮮→飢えに苦しむ民の米を自分自身のために金に変えて使ってしまった。将来のため?餓死した人間に将来などない!
6 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/29(火) 22:18:52 ID:jIzWpOlu0
河合って誰?
7 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/11/30(水) 01:17:07 ID:jNUxUZVR0
しるかぼけ
ガトリング家老にテラワロス
9 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/03(土) 21:53:25 ID:wQdYIqQF0
長岡ってどこ?
10 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/04(日) 12:15:40 ID:65UsRHnc0
新潟
7万石ごときで普段見たこともないスイス人気取ってんじゃねーよボケが。
よーしパパ会津と話つけちゃうぞーとか言ってんの。もう聞いてらんない。
おまえらな、北越焦土にしてやるからその城あけろと。
12 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/06(火) 10:42:32 ID:bVfbMtq70
age
13 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/11(日) 17:07:24 ID:I/JV/NUT0
下亜
14 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/11(日) 21:23:00 ID:KhudyxrS0
拗ねる兄弟兄って、金策に戻った日本で秘密裏に殺されたってあるけど、
根拠は?
祝!ドラマ化!
北国の坂本龍馬はないだろ…
17 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/25(日) 21:44:14 ID:dinya+tgO
河井継之介 スネル兄弟 アームストロング砲
18 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/26(月) 00:44:22 ID:ZObk31WjO
何でまた河井の話に坂本が絡むんだか。幕末なら何でも坂本絡みって指向がいい加減きもい。
19 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/26(月) 03:12:49 ID:qHTX56nj0
予告みたー
ガトリング撃ってたねー
20 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/26(月) 10:59:02 ID:mf47G0qn0
そうだよ
竜馬は武田鉄矢にやらせろよ
21 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/26(月) 13:45:03 ID:/CCoAwcY0
>>18 坂本竜馬は、司馬小説のせいであまりに持ち上げられすぎだわな。
史実では、薩長同盟は彼一人の功績では全然なく、仮に生きてても
明治政府の中枢にいれたかどうかも分からない程度の存在感と
影響力だったのだが。
22 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/26(月) 13:52:59 ID:/CCoAwcY0
「最新兵器で武装したのは長岡藩の平和を守る為」とのたまったが、
中村獅童に「そこまで武装するのは、戦争の思惑があるからだろう」
と突っ込まれて必死にすがるも空しく、返って長岡藩は侵攻の対象となり
戦争に巻き込まれた。
改憲主義者達へのメッセージも含まれてるなw
23 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/26(月) 15:51:19 ID:7SVGL22c0
物理学者「長岡半太郎」について語るのは、このスレですか?
ガトリング家老とピストル大名 爆裂!炎の長岡藩
25 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/26(月) 22:43:31 ID:mf47G0qn0
あーむすとろんぐさん
26 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/26(月) 22:50:56 ID:gvRTD23lO
日テレオレは見るけどね、むしろ録るよw
>>22 つーか、河井は最初に幕府に薩長討伐を具申しているしなー。
幕府がへタレたら、自分は平和主義者です、だから和平を要求するってのが、
虫のいいはなし、それも新政府とは袂をわかつ、中立だし。
新政府側としたら、そんなの信じられるわけねーよな。
薩賊、多年譎詐万端、上は天幕を暴蔑し、下は列侯を欺罔し、
内は百姓の怨嗟を致し、外は万国に笑侮をとる。
その罪、なんぞ問わざるを得んや。
29 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/27(火) 17:38:59 ID:EezKyV020
河井をドラマ化するのは良いのだが、もう一人の坂本竜馬というタイトルは
いただけんよな。自分の子供に竜馬という名前を付ける親の様にアホっぽい。
どうせ時代考証を無視して竜馬が絡んでくるんだろうが、ガトリングな河井を
描いたドラマでは無いであろう事は、このタイトルで容易に想像が付く。
平和主義者としての河井と竜馬。
小林虎三郎が出るなら何の問題もない>ドラマ
31 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/27(火) 22:22:18 ID:0vLnEsGP0
こりゃしょぼしょぼな津具の助だな
32 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/27(火) 23:04:29 ID:ZmAXJAka0
タイトルを「ガトリング侍」とかにして欲しかった。
33 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/27(火) 23:26:12 ID:VF+PHTRwO
誰でも「○○の坂本龍馬」にできそうだな。
34 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/27(火) 23:40:43 ID:PlG3fV+90
河井継之助はアイヌ民族の英雄です。
勝手に日本人にしないで下さい。
それにしても、さすがは明治政府軍‥‥罪も無い一般民衆に砲弾を
浴びせるとは‥‥
糞ドラマだった。
河井と司馬遼太郎があの世で泣くよ
36 :
伊丹幸夫:2005/12/27(火) 23:59:48 ID:iZHWT1F40
印象に残った場面は法螺貝を吹くところだけだった
武士らしい熱い人だったんですね。
にしても松代藩はあっさり官軍に恭順したんですね。長野らしいw
長野も戦ってほしかった。
『つぐのすけ』なのか『つぎのすけ』なのか。
確か司馬では『つぐのすけ』だったはずなんだが。
39 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/28(水) 00:30:15 ID:dC99Jc+lO
『いくさは、絶対しちゃならんのやで…』って。なんでこんな陳腐なセリフを!河井はそんな事言うわけね〜じゃん!
40 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/28(水) 00:44:33 ID:K9co5iV80
長岡の民が継之助の墓を打ち壊すシーンは無かったな。
43 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/28(水) 01:24:41 ID:fqR6VmFZ0
今までの経緯上、薩長側に恭順してもロクな目に合わないのは確かだが、
100%敗北する戦争をしたら、それ以上にロクな目に合わないのに
長岡藩を戦場にしたのだから全く理解できんわ。
継之助→五十六は関係あり?
途中で寝てしまったお
今おっきしたとこだお
46 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/28(水) 13:19:55 ID:tkhd0Dx70
幕末期の長岡藩は財政面もそれほど窮乏しているわけではなかったから、現状維持を貫きたかったんだろうな。
河合継之助の言う富国強兵とはあくまでも長岡藩のためであり日本国という意識はなかったと思う。
悪い言い方をすれば自らの保身のために長岡を戦場に巻き込んだんじゃないの?
昨日のドラマのチープさには笑わせてもらったが。
47 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/28(水) 14:46:39 ID:H1SeoQ220
長岡藩(河合)の凄かった部分や面白い部分をもっと描いて欲しかったな。
東山の金さんばりの潜入捜査とか、
岩村の膳を蹴飛ばす山形に会談の相手が山形か黒田だったら
この後の悲惨な戦いは起こらなかったみたいなナレーションとか、
優れた装備で大健闘して山縣逃走とか、あそこらへん。
48 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/28(水) 16:13:09 ID:YJEoUdcO0
河井=近衛・東条
いろいろ死んだみたいだけど
最後は戦ったからかっこよかった
武士はこうでなくちゃ
50 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/28(水) 21:13:55 ID:dC99Jc+lO
>>47端からはじまで全く同感(^^)時間が足りないよね?三時間二日連続とかで放送して欲しかった。
51 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/28(水) 23:01:24 ID:FFyeGKT60
会津に住む太郎さん(仮名)65歳の証言
:「大和の連中は、戊辰のドサクサに紛れて、アイヌ部落を皆殺しにしてまわった。
奴らは、女子供も関係なく、人狩りを行い、殺しては、焼いて、骨を潰して、荷台一杯
になると山に捨て去る。会津以外にも東北全土でやったんじゃ。なぜかというと
、薩長の偽幕府の命令だったからじゃ。わしも仕方なくやったんじゃ。そうしなければ、
わしも殺されとった。わしは初め拒んどったが、そういうと、薩長の兵卒から足を銃剣
の柄で潰され、ほんとに殺されるんじゃなかろうかと思った。しかし、
わしの痛みよりも、アイヌの人々の痛みを考えると、わしは殺されても
拒むべきじゃった。」
52 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2005/12/29(木) 20:06:59 ID:tLdu/9550
高野五十六
ドラマではもっと「武士の時代は終わった、これからは商人の時代が来る」
ということを強調して欲しかった。
現に彼の学僕である外山寅太はそういう道を歩んで成功したのだから。
54 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/28(土) 04:32:17 ID:2ZARaZ2l0
「負けると分かってても、戦わねばならんのだ!!」
一矢報いたものの、長岡は薩長に蹂躙された。
このコメ100俵で、学校作ろうよ。
合理的判断ができずに開戦して、
負けて、
みんなを困窮に突き落とすよーな、
DQN指導者(かわいつぐのすけ)を二度と生まないためにも!!
その学校の卒業生であった山本五十六は、
「半年や1年は暴れるが、あとはシラネ」
その言ゆえに対米開戦に至った。
コメ100俵は、歴史の皮肉。
55 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/01/30(月) 20:08:40 ID:P+9yfldr0
花神総集編のビデオ見たら河井と北越戦争ずいぶん出てくるね
本編は燃えちゃって残ってないとは惜しい
あれだったら5回位は北越戦争だろうな
只、継之助を高橋英樹とはずいぶん奢ったけど
ちょっとイメージ違うな、30年前だから若すぎるし
時山のマツケンと山県の西田敏行はよかった
西田山県が逃げる所も動きがいい
56 :
名無しさん@長岡:2006/01/30(月) 21:00:35 ID:wKmZ5AgL0
長岡の(----)河井継之助と山本五十六
(----)の中の文字は?
(----)英雄
(----)アホ
(----)馬鹿
(----)---
どれかなー
第二次世界大戦を明治維新に例えると
太平洋戦争=北越戦争
連合軍(米・英)=西軍(薩・長)
日本=長岡藩
山本五十六=河井継之助
58 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/02/27(月) 15:58:35 ID:G8/OXZvH0
ガトリング砲=ゼロ戦
287 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/02/06(月) 23:18:31 ID:J3taJydT0
12 名前:日本@名無史さん 投稿日:2006/01/01(日) 00:50:23
会津藩兵の肝喰いは有名。北越戦争での会津藩兵の越後での略奪
暴行放火は凄まじく、経済的に困窮した農民で、土地を手放す者
が多かった。恐らく、肝喰いは薩摩辺りが元祖だろうけど。
会津藩兵は越後で略奪暴行放火をしたと言うのは本当?
288 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/02/11(土) 06:23:57 ID:VSmCPQsk0
本当です
長岡が会津に味方する前は、嫌がらせの為に行い、
越後で負けて撤退する時にも行っています。
外国人医師が実際に見て、記録を残しています。
289 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/02/11(土) 06:44:06 ID:I/hdSq8HO
>>288 そういや小千谷談判の前日に
長岡領内で新政府に対する威嚇行為を行なって
交渉の余地を完全に奪い去ったのも会津だったな。
290 名前:名無しさん@お腹いっぱい。 投稿日:2006/02/11(土) 09:49:15 ID:7yn4QK310
新政府は会津藩が長岡領内で動いている事で、
長岡と会津が組んだと完全に疑い、河井の交渉は門前払いに終わりました。
そして会津藩の望み通り長岡は奥羽同盟に参加。その結果は散々なものになりました。
40万部のベストセラー『嫌韓流』の第2弾
『嫌韓流2』発売中
意外とおもしれーぞ
61 :
ほだれ様:2006/03/13(月) 19:04:39 ID:gdF4xeNi0
昨日栃尾のちんぽ祭りに行ったら市長の森さん来てた。
うれしそうに神輿担いでた。
栃尾は司馬の小説どうり盆地の要害だったよ。
帰りに長岡駅前の本屋を通りがかったら、今泉鐸次郎著河井継之助伝が
一万二千円で売ってたよ。
62 :
m9('v`)ノ<あなたは愛国者ですか? ◆6AkAkDHteU :2006/03/14(火) 20:11:15 ID:Y8khkkHi0
ガトリング家老ってのにしびれたw
司馬遼太郎の峠はおもしろかったよ
63 :
奈々氏:2006/03/14(火) 21:28:13 ID:IO+pC4RB0
長岡藩の家訓ともいえる「常在戦場」は、長岡藩独自の言葉ではなく
あの上杉謙信が部下に与えた言葉です。
やはり彼は天才ですね。
ちなみに、この常在戦場を社訓としている会社があります。
64 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/04/15(土) 01:36:26 ID:ExPqgnV40
中村勘三郎のおかげで河井の人気が凋落してしまった。
>>64 落ちるほどの人気があるとも思えんがな。
一部に熱狂的なマニアがいるくらいで。
66 :
名無しさん@お腹いっぱい:2006/06/07(水) 10:16:56 ID:Ic7JHpux0
>>63 上杉謙信の常在戦場の心得(運は天にあり、鎧は胸にあり・・・)には「常在戦場」という文字はない。
長岡藩牧野家に戦国以来伝わる参州牛久保の壁書の中に「常在戦場」の文字があり、これが長岡藩士の精神的バックボーンになった。
(長岡藩士はもともと三河武士でありそれを誇りにしていた)。
両者は全くの別物。
67 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/14(土) 03:41:56 ID:Vu3bdNeB0
age
68 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/10/14(土) 11:47:27 ID:KZmnE9ro0
>>63 >常在戦場を社訓としている会社
社員としちゃたまったものじゃなかったよ
社内で笑顔をしてはいけない(赤字だから)とか目標達成できないと罵詈雑言。
上司の命令は絶対で反論は許されず、会社に対する無条件の忠誠を求められる。
何人の社員が辞めた事か。
社員は給料貰うために働いているのであって、社長の家臣じゃねえ。
社長が退陣して、今はこんなことは無いけどな。
地震があった時神奈川から炊き出し支援で悠久山公園というところに2週間ぐらい寝泊りした。
野球場の壁がヒビが入っていてひどかった。
毎晩余震で震度4とかあって結構怖かったけどあのあたりが長岡城跡だったのかな?
近くに博物館があったけど災害派遣できていたので見ることができなかたのは残念だったな。
71 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 22:15:21 ID:Y18oj4oO0
>>68 うちの会社はいまだに常在戦場・・・
しかしその戦場で社長は寝首かかれる覚悟しているのだろうか
72 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 22:59:05 ID:mlVdM6Or0
長岡で山県有朋が死んでたら・・・
73 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/29(水) 23:22:53 ID:v+6+tZZo0
狂介時代の山県はかっこええなあ。
軍人は戦場で死ぬべきだな
新潟出身の俺にとっては謙信と継之助はやっぱヒーロー。
同時代の一般大衆はたまらんかったろうけど。
76 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2006/12/01(金) 23:22:15 ID:rkWQCl6y0
継之助に近代要塞の構築法を教えてやる奴がいれば・・・
明治維新が1年くらい遅れたかもね
長岡は譜代だから仕方ないよ。
79 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/11(木) 11:23:14 ID:M2PZS+wd0
そうか
>75
地元は河井より吉良の方が人気あると聞いた事があるけど違うの?
個人的に河井より藩ぐるみで巻き込んだ会津が微妙…
81 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/12(金) 05:14:32 ID:vj61T5WQ0
あれは小説の脚色。
新潟県でも魚沼の方は江戸時代は会津領だったんだよ。
当然小千谷は会津領。
自分の領土が奪われたら取り返しに来るのは当たり前。
82 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/01/12(金) 17:51:13 ID:ITld+s5HO
継之助最高
ガトリング砲撃ちまくれ!
幕末の人物中でも一番だと思います。
83 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2007/05/05(土) 21:37:09 ID:1+p5Q4eg0
あれは日本の妄想。
新潟県でも下越の方は江戸時代は李朝領だったんだよ。
当然佐渡は韓国領。
自分の領土が奪われたら取り返しに来るのは当たり前。
84 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/11(金) 23:47:33 ID:vySG2gT50
保守
85 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/31(木) 00:57:23 ID:vd8tRAJ70
継之助に共鳴 記念館大入り
2008年01月12日
ビジュアルな展示スペース=長岡市の河井継之助記念館で
幕末の長岡藩で軍事総督を務めた河井継之助の生涯をたどる「河井継之助記念館」(長岡市長町1丁目)の入館者数が好調だ。約1年前のオープン以来、約2万人が来館し、市の予想を上回った。
小説「峠」で継之助を描いた司馬遼太郎のファンが半数を占める一方、激動の時代にあって、自らの信念を貫き通した継之助の精神性に共鳴するサラリーマンや若者も少なくないという。
記念館がオープンしたのは06年12月27日。継之助の生家跡にあった民家を市が購入し、国の街なみ環境整備事業を活用して完成させた。
継之助の雅号「蒼龍窟(そうりゅうくつ)」にちなみ、青を基調にした館内には、継之助が西国歴遊の際に記した日記「塵壷(ちりつぼ)」の原本や、九州で購入した蓑(みの)、司馬さんの「峠」の自筆原稿の一部など32点が展示されている。
入り口には、戊辰戦争の際に長岡藩が使用したとされる手動機関銃「ガトリング砲」の原寸大模型もある。
記念館によると、有料入館者総数は10日現在、1万5862人。オープン初日から5日間の無料開放期間に来館した人なども含めると1万9616人にのぼる。
市観光課は同館の入館者数を、市内にある同規模施設の山本五十六記念館や市郷土史料館などを参考に1日当たり45人とはじいていた。
「実際にはそれ以上の人が訪れており、予想以上の人気」と、同課主任の平井秀行さんは言う。
好調を支えているのが司馬ファンの存在だ。
記念館によると、入館者の半数は県外からの人たちで、そのほとんどは司馬ファンや「峠」の読者という。
「峠を読んで、継之助に引きつけられた人たちが、小説以外の人物像を求めて来館するケースが多い」と、館長の稲川明雄さん。
小説と史実の違いを「発見」する楽しみも、司馬ファンにはあるようだ。
継之助の生き方に共鳴する若者やサラリーマンも少なくない。
「たとえ最悪の結果が待ち受けていようとも、己の信念を曲げず、権力者に『ノー』と言った継之助は、会社組織に縛られている人たちに魅力的に映るのかも知れません」と稲川さん。
記念館が生家跡に建てられたと知った来館者の中には、「ここに継之助が住んでいたんですね」と感激し、空気を吸って帰っていく人もいるという。
ただ、市内からの来館は全体の約2割にとどまっており、市民に親しまれる記念館づくりが今後の課題だ。
昨春スタートした「塵壷」の読書会などに加え、今年は講座の開設なども検討中。集会機能も備えた記念館の特色を生かす考えだ。
開館は午前10時〜午後5時。入館料は大人200円、大学生・高校生、障害者・介助者は150円、小中学生は100円。
問い合わせは記念館(0258・30・1525)へ。
ttp://mytown.asahi.com/niigata/news.php?k_id=16000000801120005
86 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/31(木) 15:21:50 ID:qu7X9jQKO
長生橋
87 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/10(日) 09:21:59 ID:8s5CMWDuO
墓参りにでもいってこよ
88 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/10(日) 12:32:48 ID:JPEwlAnvO
関原小学校はまだ木造かい?
89 :
売国マルハン:2008/02/10(日) 14:19:17 ID:TF0TcbML0
90 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/17(日) 03:41:42 ID:9/X1Xh6HO
sage
91 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/17(日) 07:35:14 ID:yG2Rqe/T0
米百俵=開発独裁
日本が嫌われる最大の理由はそれなんだが
戦後の賠償を「戦争犠牲者の救済なんかに使うより開発や経済発展の為に使え」
ということをアジアの国に勧めた
ソ連は革命を輸出
日本は開発独裁思想を輸出
92 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/17(日) 08:39:14 ID:3bv81f2p0
>戦後の賠償を「戦争犠牲者の救済なんかに使うより開発や経済発展の為に使え」
>ということをアジアの国に勧めた
犠牲者への個別救済を主張する日本側に対し、韓国は自国主導で救済するとしてまとめて
賠償金を受け取り、経済発展の資金源とした。その歴史を捻じ曲げようとする馬鹿がいるな。
93 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/17(日) 09:18:49 ID:yG2Rqe/T0
もっと昔の話
インドネシアとかフィリピンのこと
94 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/21(木) 16:41:54 ID:H/0ZAtRe0
戦後の米国からの援助でも日本はそのような使い方をした
食料などの現物以外は 復興(それも生活関連より石炭や鉄鋼電力といった
産業基盤に)回した
95 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/05(水) 12:06:05 ID:2n1vQst10
96 :
河井継之助:2008/03/05(水) 20:48:08 ID:D4txFQJM0
薩長の姦賊、暴威を逞うし、幼沖の天子を欺奉り、
私意を縦にし、不正の乱を起し、万民を塗炭に苦しめ…
今に於て決せずんば国内の形勢、困難に至るべし。
不倶戴天の難敵眼前に至り、直ちに賊軍を追討し、
御城下を回復し、両者を奉迎し、万民の塗炭を救うの外、
吾輩今日の勤め他事これなく候。
97 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/05(水) 23:06:08 ID:5wZze1ubO
日越
99 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/08(土) 17:21:42 ID:E6Dy/9ErO
小説は面白かったが中立なんて嘘でしょ?
一藩を担う政治家として失格。
その時歴史が動いたの感想
【長岡人は最低】
最後のシーンでガトリング家老とか土佐藩のバカなんてどうでもよくなった。
>>101 長岡人が河合の墓を何度も壊してきた。
まさに土人。
103 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/28(金) 22:24:37 ID:BfAaTUS8O
河井は家老職には不適任どころか、やってはいけない人間
司馬の評価はおかしい。
河井は天才みたいな事書いてあったが、天才は河井でなく立見
104 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/29(土) 20:30:38 ID:hPLU9Pdi0
河井さんのお墓を見てきた。
やっぱり刀傷のようなものがあった。
家族が戦死した者や、とばっちりを受けた町民や農民からは
やはり恨まれたんだろうと思う。
105 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/29(土) 20:48:09 ID:nT91QjuAO
農民や町人が恨むのは当然だろW
もし一人の政治家が勝手にアメリカに喧嘩売って戦争になって家族が死んだらどうする?
106 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/29(土) 23:39:18 ID:hPLU9Pdi0
恨むなら、町を破壊し、農民を徴発して犠牲者を出した侵略軍の薩長を恨むと思うのだが、
身内の河井さんの墓を執拗に壊すという長岡人は。
それだけ当時の人たちの傷が深かったのだろうけど。
長岡空襲でも、山本五十六の出身地だからアメリカに目をつけられたとか言う年寄りがまだいるし。
でも、今もって加害者のアメリカが憎いなどとは言わないね。
107 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/30(日) 01:10:19 ID:ZVQ+n16DO
長岡の町人や農民を不幸にしたのは
1河井
2河井殺さなかった藩士
3河井登用した藩主
4官軍
の順だろ
108 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/03/30(日) 16:08:49 ID:HMfZpwz60
>>106 実際の所、
>町を破壊し、農民を徴発して犠牲者を出した
のは、最終的に市街地の9割以上を焼き払って撤退した、河井継之助ら長岡藩士と会津藩士なのですよ。
だから旧長岡藩士は、戊辰戦争後も長らく町人に対して肩身が狭かったそうです。
河井がダメだとか言っている奴に言いたい。河井を暗殺するだけの根性があった人間がいたか?
>>107 官軍が1番だろ
だいたい私怨で会津攻めるのに協力を強要するなんて道理が通らん
111 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/10(木) 09:33:19 ID:3jHslojCO
>>91 なにが問題なんだろう、
自称被害者に金を配っても、
何千人かの、数ヶ月の食べ物になるだけで、なんの意味もない。
その金を子供の教育などに使えばいいが、それもないだろう。
だが、国家がそれを有効に使えば、国家全体が発展する。
一部の人間に金を使うより、はるかに多くの人間を豊かにできる。
実際開発独裁をした国家は、みな発展をしている。
>>110 官軍は焦土作戦もしてないし、略奪もやってないんだよな(一部の兵士は除くが)
だけど、援軍できた会津とかは、長岡藩領で略奪暴行と好き勝手やっていたそうな。
河井も勝つことしか考えておらず、町を焼き払って、
官軍になにも与えないようにして撤退。
怨まれるのは仕方ないと思う。
つーか、領内で戦争すんなよ。勝とうが負けようが、
たとえ焼いて撤退せずとも、両軍が戦争すれば大変なことになるのはわかっているはず。
素直に官軍について、官軍とともに会津に攻め込んどけば、
焦土になるのは会津だけですんだ、実際会津は街道沿いを焼き払っていたんだから、
同じこと。
113 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/11(金) 20:37:35 ID:gHWpQGKDO
>>112 長岡領内に陣地を築くなどの会津桑名の軍事行動を排除せずに許したまま、官軍に中立だ調停だ藩論統一の時間をくれだの要求しても説得力なし。
だいたい選択肢として妥当であり多数派である長岡藩恭順派を弾圧して官軍に現状維持の時間稼ぎを要求する河井って敵にも味方にも大迷惑だろ?
114 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/12(土) 20:22:37 ID:q6O06+4bO
>>105 その人物が長岡出身だったりする
その人物のおかげでもう一度長岡が廃墟になった
115 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/12(土) 20:41:57 ID:ACt06Eo2O
>>114 イソロクは戦争反対だったろ
そういえばイソロクは河井と一緒に戦った山本帯刀の山本家の養子だったよな
116 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/14(月) 22:14:58 ID:CzzPK1GVO
>>115 だったら、河井も武装中立を主張していた
交渉の相手がDQNの岩村じゃなければそれなりの成果はあったはずだ
>>115 山本帯刀と五十六は山本勘介の子孫ですってさ
河井が生きていたら調子にのっている女子アナに何て言うだろうか?
119 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/17(木) 09:27:26 ID:hTW8iJA2O
>>116 口だけ有言不実行の嘘吐き家老。
武装中立なら先に会桑軍を排除してみせろ。
岩村の判断は極めて妥当。
>>119 > 岩村の判断は極めて妥当。
岩村の判断は極めて生ぬるい。錦旗を掲げた王師の赴くところ、それを阻む者の存在を許してはならない。
参謀たる者、旧弊な馬鹿家老の寝言を聞く機会なぞ作らずに一思いに長岡藩を踏み潰して転戦して行くべきであった。
121 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/17(木) 14:05:36 ID:hTW8iJA2O
>>120 大総督府にそんな方針ないから。
長岡は河井の指導のもとに恭順しないから討伐しただけ。
122 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/17(木) 14:09:33 ID:hTW8iJA2O
>>120 本当に恭順や中立したいなら態度で示さにゃあな?
尾張藩の仲介も踏み躙り、藩内の恭順多数派を少数強権で押さえ込んで長岡を戦争に駆り立てたのが河井。
>>122 もう馬鹿家老から「申し上げたき儀が・・」と書状が届いた瞬間、断固討伐を決定しなければいかん。
王師に対しては、恭順してその身を全うするか瓦礫の中に滅亡するかの選択肢しか存在しない。中立などという選択肢は
あってはならない。
馬鹿家老とは思わんけど、
京都の公家あたりから
三条や岩倉とかに根回ししとかなあかんよ
あと越前公とかな
現場でいきなり交渉しようとしたのは田舎者と
言わざるおえん
>>124 そういう才覚があれば、最初から恭順してるだろ。武装中立とか基地外みたいなことを考えたりしない。
むしろ進んで会津仙台米沢を一手に討伐して見せるべきだった。
河井に正義があったんだからしょうがないだろう・・
官軍は歴史認識で無法者の集団であったと結論がでてるじゃないか
128 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/21(月) 21:35:04 ID:93szC7ih0
129 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/21(月) 22:32:55 ID:Jin6LAcoO
雲出
130 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/24(木) 22:18:21 ID:V/+rItDsO
バズーカ
>>124 尾張藩の斡旋を蹴飛ばして戦争に突き進むことを選んだのが河井。
132 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/26(土) 12:42:05 ID:H33BqiRwO
>>131 駄目な奴だな。
恭順派が大勢だったのに。
133 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/28(月) 01:06:43 ID:LdzuW6B5O
>>131 恭順しても会津攻めの先鋒にさせられるだけ
長岡藩のメンツを考えると中立が妥当だと思うのだが
残念ながら河井の意図を理解できる人物が薩長にいなかっただけだ
134 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/28(月) 01:08:37 ID:aaRDEu8CO
関原
135 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/28(月) 01:15:38 ID:LdzuW6B5O
越後交通がナローゲージじゃなかったら生き残れたのだが
136 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/28(月) 01:25:44 ID:aaRDEu8CO
真紀子さんのせいかな?
>>133 中立なら、長岡領内の奥羽列藩同盟側も追い出さないとw
>>133 本来なら山県の考え通り、河井を会談決裂直後に拘束しておくべきだったな。
それを岩村の阿呆はむざむざ彼を帰してしまったが為に薩長軍は無駄な被害を出す羽目になる
139 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/30(水) 11:11:50 ID:ORJ03WS6O
140 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/30(水) 11:56:34 ID:PFdrSrSNO
河井が捕まったなら三尺玉
141 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/30(水) 12:12:49 ID:XinqP5Lq0
河井は一藩の利害を超えて日本全体の国益を考えてた。
ほとんどの藩が保身に走り日和見に汲々としてたのとは対照的だ。
薩長の姦賊、暴威を逞うし、幼沖の天子を欺奉り、
私意を縦にし、不正の乱を起し、万民を塗炭に苦しめ…
今に於て決せずんば国内の形勢、困難に至るべし。
不倶戴天の難敵眼前に至り、直ちに賊軍を追討し、
御城下を回復し、両者を奉迎し、万民の塗炭を救うの外、
吾輩今日の勤め他事これなく候。
142 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/30(水) 14:08:50 ID:ABZ5/JIiO
>>133 たとえ会津攻めの先鋒だとして何が問題なわけ?
みんなハッピーじゃん。
>>139 強硬派の首魁が河井だから、
河井がいなくなれば、戦争はおそらく起きない。
>>141 それもろ会津じゃん。
144 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/04/30(水) 19:15:33 ID:mvWOwcC3O
たしかにすばらしい人物だが結果的に家どころか一藩をめちゃくちゃにしてしまった。
こういう能力も自信もある強情な人物が強権を握るとどうなるかという見本。
結果として小林虎三郎の言う通りになった。何がしたかったのだろうな。結局は個人的に薩長の連中を内心片腹痛くく思って憤慨しただけなのかも知れないな。
河合さんは家老になんかしてはいけなかった。彼自身もかわいそう。
145 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/01(木) 13:40:15 ID:3WXq/NExO
河井と米百俵や億千マンといった有能な人物がいるのに長岡藩は評価かされないのは謎だ
146 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/02(金) 05:30:28 ID:QR9ZHmG10
億千マンってなに?
147 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/02(金) 11:23:42 ID:AxmRQs8X0
>>142 仮に資本主義を守るために朝鮮半島で自衛隊が最前線で戦ってくれ、
戦費がかかるから3000億だせって命令されたら大問題だろ。
150 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/03(土) 05:52:39 ID:y0VbKWx40
極端なたとえ話を突然始める知的障害者発見。
先鋒は他藩にも命じられているのに。
151 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/05(月) 00:37:14 ID:ayzgsy0Y0
幕末マイナー人物
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1047302970/451 山本帯刀・・・・1844〜1868
代々家老職を継ぐ門閥であったが、聡明にして果敢という評
価がされている人物で、河井継之助の人物、思想を理解していたとされ
藩政改革での藩士の俸禄改正では三分の一減俸を積極的に受け入れ、
藩士の範を示した。
長岡で戦端が開かれるや若き指揮者として重きをなし、大隊を率いる将として奮戦
長岡陥落により八十里峠附近で残存の長岡兵を指揮し西軍進入を8月末まで阻止。
その後会津若松へ転戦、会津戦争を配下の長岡兵と共に戦うも明治元年9月8日、
会津の飯寺村において集結の西軍攻撃を濃霧の中行うも長岡兵は敵味方を誤認し
配下の43人と共に捕らわれた。
西軍の将はその人物を惜しみ降伏を勧めたが降伏を拒み、
山本含み43名は翌9日斬首された。享年24歳
山本帯刀亡き後の山本家はその後、養子となった山本五十六が継いだ。
152 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/05(月) 00:37:52 ID:ayzgsy0Y0
幕末マイナー人物
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1047302970/452 三島億二郎(1825〜92)
文政8年(1825)長岡藩士伊丹市左衛門の二男として生まれる。 継之助より2歳年上である。
20歳でわずか37石の川島家の養子となる。佐久間象山に学び、吉田松陰とも交流があり、
黒船の来航では調査を命ぜられている。蘭学に秀でており藩校宗徳館の三進といわれた秀才の花輪馨之進、
三間市之進、渡辺進は川島塾の門下生である。また継之助とも親しく、若いころ奥州各地を遊歴している。
継之助と違って性格は温厚かつ沈着であり、華々しく表面にはでることはなかった。
それゆえに継之助に信頼される。 慈眼寺の会談が決裂の後、継之助は億二郎に真っ先に開戦の止むなきを伝えた。
継之助は自らの首と3万両で戦いを避けようとしたが、非戦派だった億二郎が生死を共にすることを誓い、
長く苦しい戦いに突入する。
億二郎が力を発揮したのは、戊辰戦争後の長岡の復興である。下級藩士の出でありながら、
藩主や藩士から人望が高く大参事に抜擢された。そして壊滅的な打撃をこうむった藩士や領民のための産業振興、
教育環境の整備、病院や銀行の設立さらには北海道の開拓と移民など、億二郎の果たした業績は数え切れない。
米百俵で学校が設立されたというが、百俵の代金では学校は建てらず、本や教材費でほとんどなくなる。
億二郎は苦しい財政の中から、三千両の大金を学校建設資金として最優先に割り当てた。
明治25年(1892)68歳の人生を閉じるが、後半生は長岡の基礎造りのために、懸命に捧げた人生である。
継之助や小林虎三郎を凌ぐ逸材であり、長岡藩士で唯一の銅像が、信濃川のほとりで今も長岡を見続けている。
>>148 馬鹿はお前。多数意見の恭順否定は長岡が朝鮮に転落したようなもの。
会津の先鋒やっていた方がマシ。てか、普通の判断が出来る藩はやっていたわけだしなー。
>>149 その結果連合軍に攻め込まれ、
国土が灰になったら、その為政者は当然責められるとおもうが。
155 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/07(水) 21:48:37 ID:1BsegrRhO
156 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/08(木) 00:56:06 ID:C1rHyxHX0
>>141 >河井は一藩の利害を超えて日本全体の国益を考えてた。
内戦の長期化こそ日本の国益を損なう。
紀州や尾張が、新政府側に成り、慶喜さえ恭順蟄居してしまた時点で
反薩長で戦う旗頭が、無くなってしまってる。流れは、定まっている。
奥羽列藩連合や旧幕府陸海軍は、頭不在の烏合の衆。
烏合の衆と一緒に戦う事事態情報分析能力の欠如。
>>153-154 もう少し歴史を勉強した方がいい
現在の価値観で過去の価値観を否定することはできない
多くの藩の家老は家格だけの馬鹿家老だったのだよ
徳川から毛利や島津に将軍家が変わるとか思ってたのよ
158 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/09(金) 19:30:50 ID:iUfFqeeH0
>>157 お家と領地の安堵が当時の至上の価値観ですが、なにか?
159 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/09(金) 23:43:03 ID:PhKqYvYC0
>>156 >内戦の長期化こそ日本の国益を損なう。
私利私欲のために無責任に攘夷を煽り内戦を起こしたのは薩長。
その薩長に権力を明け渡さなければ国益が損なわれるとする主張は、
盗人猛々しい屁理屈にすぎない。
>流れは、定まっている。
結果論にすぎない。たしかに討幕派は緒戦において予想外の勝利を収めたが、
それが永続するか否かは不確定だった。
必勝を算して敗し、必敗を期して勝つの事例は数え切れない。
>奥羽列藩連合や旧幕府陸海軍は、頭不在の烏合の衆。
であるならば討幕派も烏合の衆にすぎない。
「頭」は戦闘のなかで新たに創造されるもの。
>>157 薩長もまた藩のために幕府を乗っ取ることが目的だった。
日本全体の変革を見据えていたのは、
河井や小栗のような一部の知識人だけ。
河井にも小栗にもそんな知性はないよ。
あったのは、幕府の維持、復活だけ。
そうすれば自分達の地位も安泰だからね。
161 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/11(日) 22:28:04 ID:AMRE8qnc0
>私利私欲のために無責任に攘夷を煽り内戦を起こしたのは薩長。
それは幕府のこと、反抗的な諸藩を討伐するってことで、
内乱を起こしたからね。
>必勝を算して敗し、必敗を期して勝つの事例は数え切れない。
末期の日本陸軍みたいな発想だな、
そういや当時の陸軍上層部は・・・
>であるならば討幕派も烏合の衆にすぎない。
統一した指揮系統で動いている新政府軍と、旧幕府を一緒にすんなよ。
>薩長もまた藩のために幕府を乗っ取ることが目的だった。
日本の為に動いたわけであって、藩のことなど考えてないよ。
>>159 奥羽列藩同盟の、財源もなく軍制改革もなく兵器すら慌てて輸入する有様を考えれば
本当に必勝を算していたのかさえ疑問。
長岡が崩壊した後に勝ち戦ってあったっけ?
頭は創造されるって、当時の佐幕派に大村益次郎と比肩できる知能がいたか?
それが全軍の音頭を取れる立場にあったか?
>>157 河井が家老になったのは大抜擢だな、家格からはありえない。
>>161 イギリスの商人に借金したからだろw
>>162 北越戦争の段まできたら勝ち目はないだろうな。
まあ、河井は武装中立を成功させて戦わず済ませたかった、
新しく藩丁をつくる構想も同時に進めてるからね。
イギリスから借金していたのはまさに幕府だろう。
その借金が返せずに、関税を引き下げられたり、開港を迫られたりしていた。
少なくとも長州がイギリスから借金してたって話は聞いたことがないが。
廃藩置県の折にも撫育方には百万両ぐらい残ってて、そっから毛利家として七十万両明治政府に寄進した記録もあるし。
167 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/05/15(木) 05:25:24 ID:SV8GNkpY0
>>124 中立を主張するのなら、最初から朝廷の上層部(岩倉とか、木戸、西郷)
とかに、絶対根回ししていたはずなのに。
していなかったってことは最初から決戦するつもりだったのではないの?
岩村との会見は茶番というか、開戦の大義名分だけでは?
山縣や黒田が出てきても結果は同じだったのでは?
責任を岩村に擦り付けただけで。
江戸城の無血開城ももっと上で話が付いてたって言うし。
168 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/17(火) 21:35:35 ID:jJiLncp7O
あげ
169 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/17(火) 22:44:49 ID:XRbtGrOZO
関原
170 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/18(水) 23:42:22 ID:duBKxWrKO
日越
171 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/20(金) 21:07:09 ID:XTOx7M5nO
宮本
172 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/22(日) 13:57:52 ID:9uQKIPwvO
雲出
173 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/30(月) 23:24:06 ID:FvMf7UF1O
大島
174 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/03(木) 11:56:21 ID:SvZ3XmZ60
なんにせよ会津より好感が持てるのは確かだよ。
175 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/03(木) 22:59:28 ID:qqYCjoL0O
悠久山
176 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/12(土) 21:49:28 ID:d14i84MlO
鳥越
177 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/13(日) 09:21:23 ID:Oi37/mjmO
NHKの番組見て歴史が動いた?見て感動したよ…
178 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/02(土) 23:27:49 ID:V7k6bDOS0
正直、維新に河井がいなかったとしたら
ものすごく退屈であったろう
179 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/12(火) 21:11:32 ID:4Th08DXuO
大手大橋
180 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/17(日) 03:21:45 ID:PwJnPvHWO
八方台
181 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/25(月) 20:16:54 ID:65X/tveS0
ぶっちゃけ、俺の出身地の藩が、戊辰戦争で何やってたのか全く知らん。
西日本だから多分官軍方だったんだろ、程度。戊辰戦争の資料を見ても、
藩の全く名前が出てこない。4万石の藩だったんだが。。。
河合がいなかったら、長岡もきっとそんな感じだったと思うよ。
今日に至るまで話題を提供してくれて「武士の意地」というテーマを
与えてくれるんだから、有り難い話じゃねーか
182 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/26(火) 03:07:22 ID:Lk8iD7t/O
いまの長岡の人って継之助のことどう思ってるの?嫌いなの?
>>182 良く思っている人は少ない。たいてい河井が嫌いな人は小林虎三郎がいいっていう人が多い。俺は逆だけどね。
会津だと河井の評価は高いんじゃないかな?
長岡藩士の子孫だが、西軍とアメリカに家を焼かれた。
185 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/29(金) 20:26:18 ID:SnD22Snr0
ちなみに、長岡市内全域に放火して、市街地の95%以上を焼き払ったのは、
薩長ではなく、長岡藩士と会津藩士です。
篭城する方が、敵(包囲側)の拠点にならないように
城下町を焼き払うのは当たり前の話で、仕方ないんじゃないか。
西南戦争の熊本城攻防戦でも、篭城した官軍は、まず熊本の街を焼き払って
西郷軍の拠点にならないようにした。
187 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2008/09/01(月) 16:19:33 ID:QdTE1nwdO
長岡住みだが河井は俺の英雄
関東管領上杉の家臣だったはずなのに、気が付いたら徳川の藩屏として戦っていた、不条理
征夷大将軍で源氏の棟梁なんだから、一応の筋は通るけど
なんだかなあ、という気分は否めない。
牧野は、徳川家康配下の武将の一人であったが、イマイチぱっとしなかった。
牧野家と言えば、徳川配下の武将と言うより、鎌倉時代より続く東三河の豪族。
遊行僧が由来の徳川家なんかより、はるかに名門。
だから成上がりの徳川家なんかより、名門の今川家との方がウマが合って、
酒井・本多・石川・井伊・大久保といった、安祥以来の旗本衆よりは
徳川家への帰属が遅く、桶狭間以後。
しかし、名門だけに何かと優遇されて、結局5つも大名家が誕生した。
信州の名門で譜代大名になった小笠原家に、4つも大名家が誕生した事に似ている。
牧野家の当主は皆「忠」の字が使われているが、そのうちつける名前がなくなるんじゃないか。
三島億次郎は他藩でいうと誰に近いタイプ?
194 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/23(金) 06:26:41 ID:k2j4oMpL0
河合の侍従の槍持ち?の子孫の家が近くにあってガキの頃槍見せてもらってたな。
玄関にドーンとあったけど今は博物館か蔵だったかな?
長岡は畑耕すとたくさん弾が出てくるよw
195 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/23(金) 10:00:45 ID:Zd16f8790
>長岡は畑耕すとたくさん弾が出てくるよw
数十個ほど集めてヤフオクに出せば、たぶん買い手がつくぞ。
196 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/01/23(金) 18:31:14 ID:k2j4oMpL0
売れるかな?
今でも弾出てくるか実家に聞いてみるか。
長岡は結構周りに蔵持ってる人いて上杉謙信の書状、内容は兵を集めろ的なもの、
とかあったな。
あと時代背景的に意味分からないが十二単みたいなものも見せてもらったことがある。
「ガトリング砲打ち方!」
「あははははははははははははは!」
(しゅかかかかかかかかかかかかかか)
「弾が無くなっちゃったよう。」
R乙
199 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/06/11(木) 22:41:22 ID:JfUExjEY0
>>197 閉門までまだだいぶ時間が(ry
久しぶりに「峠」を読んでいるんだが、司馬遼の考え方はやっぱり強引すぎるな。
小説としては面白いけども。
どうして最後の最後に暴走してしまったんだろう?
やっぱり
>>144にあるようなことなんだろうか?
結局、乱世に呑みこまれたんだな。
執政として牧野忠恭の意向を無視できなかった面も大きいと思う。
あと、会津藩兵が越後領の飛び地に入り込んできていたから、
態度を明確にしたら官軍より前に会津藩に襲撃される危険性がある。
外交面以前に内政面で、中立を掲げて内紛を回避するのが最優先課題じゃなかったかと。
あとは官軍本隊の接近を待って直接懐に飛び込むしかなかったんじゃないかな。
佐々木克以来、計画的な偽装中立説が評価を得てるけど、
自分は心情的には佐幕的でも、政策としてそこまで徹底してたか疑問に思う。
201 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/07/23(木) 12:56:18 ID:F8v8gGm2O
伊豆長岡
数年前にガトリング砲 見つかったね
三体の内の1つ
今は「河合継之助記念館」に展示してあるのかな?
203 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/04(金) 14:49:13 ID:odgsURtPO
204 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/14(月) 17:31:34 ID:455o8Mo70
>>22 真逆だな。
戦争の思惑がなければ護憲は出来ない。
考えてもみろ。
丸腰野ざらしで暮らす奴と完全警備で暮らす奴と
どっちの方が気合いが必要だと思う?
一戦交える腹があるのは当然のことで
小林虎八郎だって『常在戦場』を支持している。
非戦を目指すなら、常にどんな戦争にも参加することを
シミュレートしておくくらいの気合いが必要だ。
実際参加するならそんな作業は当然不要さ。
205 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/14(月) 22:44:39 ID:tQTMy8tQO
そのとおり
戦争という事態は常に想定されてなきゃならない。
有事ってやつ。
峠読んで見たけど
司馬さんの思いが濃厚に詰まってるね。
ただ長崎まで旅行して
幕府の滅亡を予見したような人が
武装中立なんてしようとするかな
高い思想と広い視野をもつ河井さんがバランス感覚を失ったのはなぜだろうな?
最期は郷土愛と薩摩長州に痛い思いさせてやろうと
いう彼個人の憤りが
戦争に駆り立てたのかな?
話かわるけど
山本長官は河井さんをすごく尊敬してた
避戦を主張しつつも一方では徹底的に戦う信念をもってた。
これも似たような心境だったのかな
206 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/14(月) 23:49:56 ID:455o8Mo70
武装中立は藩維持の策じゃないだろうか。
主家つまり家族と藩民を守る為。
自身の思想だけなら武装とか非武装は関係のないことで
どこかの戦火にその時手持ちの材料で飛び込めばよい。
当時最強の兵器が二つ購入できたのは結果論だと思う。
今のように選択肢があらかじめあって、
思想ありきの物品購入というわけではないから。
最上の仕事をしていただけに過ぎず、
実務能力が高かっただけだと思う。
バランスは失ってるのかな。
薩長に恭順する意志を明確にすればよかったかもしれないが、
そしたら近隣の会津や米沢と殺し合いの最前線だぜ?
末代までの遺恨を残してもおかしくないような。
長岡栃尾は謙信ゆかりの地だし親戚筋の会津。
でも河井って地元じゃあんま人気ないのなorz
207 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/28(月) 08:13:29 ID:V7IIcMe+0
武装中立ってのは嘘ですよ。
中立と歌いながら、会津などの諸藩の兵を受け入れていますから。
中立とは、何処国の影響も排除するという最も苛烈なる思想。
スイスはどことも同盟を結ばず、領土を侵犯すればどの国とも戦うという行動をしていたが。
長岡は新政府には中立といいながら、列藩同盟の軍の駐留を認めていた。
つまり中立といって時間稼ぎをしていただけなのが現実。
郷土人気ないのは、郷土を灰にしたからでしょ。
城下町を焼き払って、郷土を戦場にしたんだから当然の帰結。
まあそうだけど
その状況で会津藩兵を撃てば自動的に官軍化するだけだし。
209 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/28(月) 09:06:28 ID:V7IIcMe+0
それでいいんじゃねーの?
正直列藩同盟に勝ち目はないぞ。
加わっていれば、会津や庄内あたりが戦場になっていたから、
長岡は救われた。
ならないでしょ・・・
それにもし官軍が進軍方向変えたらどうすんの
梯子外されて会津からは裏切りの血祭りに上げられる
211 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/28(月) 10:00:13 ID:V7IIcMe+0
そんな余裕列藩同盟にあるわけないじゃん。
会津には少なくとも、土佐や薩摩を主力とした大軍がおくられているわけだし。
長岡が戦場にならなければ、そのまま北上して、庄内あたりが戦場になる。
進路変更もクソもないよ。だって敵が限られているからね。
本土の防衛もせずに、長岡に軍を送る意味はないよ。
212 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/28(月) 10:23:47 ID:dxgFaVqn0
じゃあ会津がこっちに来るんじゃねえの?
新潟には寛永寺の残党がゴロゴロ入って来てるし
いっせいにテロ活動を始めるでしょ。
官軍方向転換の話なら北陸進軍やめて全部宇都宮に回るかも知れない。
そしたら長岡はひとり黙々と藩内テロと戦い続ける疑心暗鬼の毎日。
しかも万一会津が生き残ってしまったら、
永久にコウモリ野郎の汚名を着せられ
領民はイジメられ藩士は腰抜けどころか屁垂れと揶揄され
長岡から来た業者とは誰も取り引きしてくれない生活。
そんな風になっちゃうぞ。
213 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/28(月) 10:35:43 ID:V7IIcMe+0
いやだから会津には白河口から大軍がきているし、
北陸陸軍はそのまま北上するでしょ。l
それ以外どこに軍を向けろというのか。
それに列藩同盟なんて途中から裏切りがでて、簡単に崩壊したじゃないか。
欧州でも、佐竹みたいに、最初から新政府についたのもいるし。
214 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/28(月) 11:49:50 ID:dxgFaVqn0
同盟が崩壊したのは幕臣軍と上手く合流できなかったせいで、
北越戦争のときはまだ彰義隊の戦争中。
ここが手こずれば北陸官軍は太平洋に向かってただろ。
そしたら丸裸の長岡は会津にイジメられることに。
幕府艦隊は全て抑えてあったのだから、
内陸の会津ではなく最初から仙台集結を目指していれば、
総力戦になったかもしれない。
継之助がもう少し早く同盟入りしてれば可能だったな。
そしたら日本国は薩長土肥ではなく会仙長米になってたのに。もったいない。
215 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/28(月) 14:57:45 ID:V7IIcMe+0
彰義隊なんてあっという間に壊滅したじゃないか、どうやっててこずれと。
たかだか数千の彰義隊じゃ、どんなに善戦しても、新政府軍には勝てないって。
216 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/28(月) 18:42:24 ID:mVCjBIaY0
いや薩長だって元は数千人の軍。
上野籠城戦での早期決着は、個人的資質の高い大村益次郎という偶然の存在による。
江戸では薩摩御用盗が各所で放火強盗するゲリラ破壊を行っており、
この濡れ絹が彰義隊に着せられるという不運があった。
ちなみにこの謀略は大陸で特務機関が全く同じ行為をしていて日本軍の悪しき伝統となる。
旧幕府軍装備を大鳥榎本が全て確保していたので
本来、組織さえ作れれば迎撃の機会は十分あったのだ。
217 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/28(月) 22:13:35 ID:bzubEUsT0
>>216 >江戸では薩摩御用盗が各所で放火強盗するゲリラ破壊を行っており、
>この濡れ絹が彰義隊に着せられるという不運があった。
時期が異なる。薩摩御用盗は鳥羽伏見の戦いまでのことであり、
それ以降は全く存在しない。この次期以降の犯行は、彰義隊によるもの。
嘘を書くのが幕府厨房。
218 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/29(火) 11:13:39 ID:c/K9Ih6V0
>>217 司馬遼太郎にでも言え
気持ち悪りいなあ維新厨は
んなことまで知らねえよ
オタクなんじゃないの?
じい様のじい様が上野で乱暴を行ってすいませんm(__)m
220 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/30(水) 03:56:33 ID:SDwahflx0
>>219 旗本が上野で犯した罪は、後に明治政府が慈悲に基づき赦免を行っている。
>>218 嘘がばれると逆切れするのは、会津びいきの悪い癖です。
大体、司馬遼太郎はそのようなことは言っていません。
言っているのは捏造家の中村彰彦と星亮一です。
>>220 知らない。そこまで詳しくない。
逆切れではなく最初から、維新の話をすると『キミは官軍派?佐幕派?』とか聞いて来るようなオタが嫌い。
どこの日本にそんな風習があるんだよ。このキモオタ。
長岡藩の話以外はスレ違い。
粘着すんな。
222 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/30(水) 11:58:58 ID:SDwahflx0
嘘を唱え、指摘されると相手を排斥して喜ぶ。
これが一般的な会津びいきの精神なのだろう。
長岡市内でも一般的でない河井擁護論を、東国人の一般論として謳っているのも不思議だ。
嘘を唱える人間は有害だ。
223 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/30(水) 12:04:26 ID:SDwahflx0
嘘をついておいて謝らないのが、会津びいきの特徴だ。
星亮一も中村彰彦も、著書の内容は嘘まみれだが、
これが真実だと言い張り、各所に迷惑をかけている。
嘘を並べ謝罪しない癖が彼らの害悪の一つなのであり、
それに染まっている時点で君も同罪だろう。
うるさい頭おかしいのか
幕末人物の誰の支持者だろうが人の勝手だろ
薩摩は江戸で放火強盗やってたんだろ?
お前が言ったんだが。
俺が言ったのとどこが違うんだよ。
鳥羽伏見以前だろうがなんだろうが、こっちは日にちの話なんかしてねえ。
勝手に人を嘘つき呼ばわりすんな。キチガイ
225 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/09/30(水) 14:05:10 ID:SDwahflx0
彰義隊の市民への犯行は犯行ではなく、実は薩長の犯行だ、とお前は宣言した。
それはお前の妄想に基づく嘘であった。
嘘をつき、嘘をついた自分を反省することもなく、嘘をついたことを否定した。
お前よりひどい嘘吐きは、中村彰彦や星亮一しかいないだろう。
>>224 相手は明らかにアンチ会津廚。構えば構うほど荒らされるだけだ。触るな、キケン!!
227 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/01(木) 01:25:30 ID:CHUzwVsV0
>>226 嘘をついた会津側の人々が、全く反省もせず、自己正当化を行っているだけです。
危険なのは会津を信じることでしょう。
嘘をつく会津、人を嘘で貶める会津、他人のものを嘘をついて奪う会津、
会津の文物は彼の言動と同じく、嘘を並べることによって作られてきました。
↑会津スレじゃありませんから。いい加減スレ違い
229 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/01(木) 10:32:58 ID:CHUzwVsV0
嘘をついたことを誤魔化すとは、会津好きの人々は不正の固まりだね。
だから長岡だっつうの
231 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/01(木) 11:52:45 ID:CHUzwVsV0
嘘を言い繕おうとする会津好きには、長岡住民も閉口でしょう。
そもそも、地元では全く人気のない河井擁護論を、東国人の一般論として謳っているのも不思議なことで。
嘘を唱える人間はどこまでも嘘を唱えるのでしょう、このスレの会津好きのように。
薩摩の西郷さんの銅像ってのは上野にあって、
上野戦争で薩摩にやられたことを恨んでる奴はいないわけ。
でも彰義隊は幕臣隊で新選組も多摩郷士で、
薩長と敵対してたのは会津ではなく江戸関東。
幕府に付いた河井や会津を嫌がる者がいるわけはなく、
ここで無理押しばかりしている自称薩長の方がよほどウサンくさいんだよ。
お前一体どこの人間?
233 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/01(木) 23:57:59 ID:CHUzwVsV0
身内の捏造や嘘を、身内だから煽り放置しろと?
それでは一般的な会津人の行動と、何ら変わらないではないか。
>232
長岡藩と会津藩て徳川幕府側だから、反官軍のナカ〜マだよね
上杉謙信→河合継之助
→小林虎三郎→山本五十六
→現在
という風に続いているんだよ
謙信公が横専しようとしたよこしまな大名から越後を守ってくれて、現在の越後があるんだよ。
本当に感謝しなくてはいけない。
236 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/11(日) 21:07:17 ID:ed3hvsuX0
>>188 本末転倒だよ
知らないかもしれないけど、
上杉家は吉良義央の子を養子にしてるから源氏嫡流
徳川は吉良から系図を買った偽源氏
この因果はなんだろうね
237 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2009/10/12(月) 09:27:06 ID:jlJQZ2lu0
長尾氏も鎌倉以来の相模武士だね。
関東管領は将軍とは一線を画してた勢力だから正確には
征東(夷)将軍 →朝廷官吏
執権・関東管領→関東在野勢力
だね。
家康は在野に下った朝廷官吏といったところ。
足利も鎌倉将軍(源氏三代除く)も成していなかったやり方。
関東管領は謙信のまま止まっているということは、
羽州米沢が現在の関東の中心か!
おぉ!
239 :
ガトリング家老:2010/01/22(金) 02:37:22 ID:Wh1Yc5Y90
で、映画化はいつだって?
240 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/01/22(金) 14:13:03 ID:ej+nd5Po0
三国同盟の時代に、長岡記念館が版権を同盟国のイタリアに売って
戦後、セルジオ・レオーネが舞台をメキシコに翻案して
家老を無宿渡世人に翻案して
越後戦争を19世紀のメキシコ革命時代に翻案して
クリント・イーストウッド主演で映画化したような気がする
241 :
じつわ:2010/01/24(日) 11:57:31 ID:ejynbZSi0
洋服の青山(広島本社)
今から数年前に古正寺の洋服の青山(長岡西店)は、小千谷出身のベテラン社員を関東の開店4店舗もやらせてこき使い、あげくのはて、その長岡西店で因縁と脅迫して1日前に辞めさせた。
中でも、長岡西店開店時のの店長のバツ1の笹○店長である。この人物は、自分より知識ある社員にいいがかりつけ、自分だけ出世している。
長岡藩の敵である山陰の企業は、でていけ!みんなで不買運動しよう!
まるで名古屋出身の雇われ藩主が、地元出身の一門家老を左遷して
地元に戦乱を呼び込み居直ったかのような出来事ですね。
まったく、松平容保は最低な人間でした。
しかしそれは名古屋の責任ではありませんよ。
感情だけで動いたら身を滅ぼすっていい見本
こいつのせいで戦災にあった長岡の人には同情します
佐竹みたいに最初から官軍と言うけど、最初は同盟に入ってるよ。
あれは仙台藩の使者を大山格之助が殺害したから
離脱せざるを得なくなった流れもあるでしょ。
と言うより、奥羽は同盟結成まではみんな官軍だから。
出兵した天童藩は吉田大八が処刑されて、最後は同盟側として処罰対象でしょ
河井個人の思想以前に、藩主の意向、長岡藩の立場を考えたら、
藩内でクーデタでも起きない限り官軍に参加することは考えにくいわ。
245 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/01(月) 21:14:03 ID:S0SCws5t0
>>244 >あれは仙台藩の使者を大山格之助が殺害したから
>離脱せざるを得なくなった流れもあるでしょ。
官軍を仙台藩が謀殺した話なら聞いたことがあります。
それさえなければ、他の奥羽諸藩は官軍に留まったと思いますよ。
246 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/01(月) 21:16:09 ID:S0SCws5t0
というより、奥羽は仙台藩による謀殺事件まではみんな官軍だから。
>>245 世良殺害じゃないよ。仙台藩使節殺害事件って知らない?
当事者の意識では「官軍」だからね。
下参謀が「奥羽皆敵」なんてとんでもないこと書いたのが発覚したら、
総督の意思を待たず、私意を差し挟んでの誣告と取られても仕方ないので。
新政府内部にも慎重派と積極派が混在していたのは事実。
白石盟約の時点で奥羽諸藩が希望的観測を持ったとしても無理はないよ。
秋田でもあの通りなんだから、長岡が官軍(西軍)に円滑に挙藩加担する流れは考えにくい。
どちらに付くにせよ、まず挙藩体制の維持が第一義だっただろう。
249 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/03(水) 05:30:54 ID:JkG2BYAM0
結局、仙台藩の暗殺は正義で、秋田藩の暗殺は正義でない、と
公正でもないことを主張するわけですね。
仙台の人は公正ではない。これでは信じてもらえないのも無理はないでしょう。
いや私は東京人ですからw
そんな話は措いておいて、
新政府軍に最初から抵抗する意図なら、朝日山や榎峠の占拠まで見逃さないし、
執政自身が談判に赴くなんて危険を冒す必然性は皆無じゃない?
鳥羽伏見以降、会津や旧幕府に親近的だったのは確かだけれども、会津と長岡近いし。
東国にはその時点での佐幕藩なんて大勢あるもの。藩公の意向や、藩論を少し軽視してないかなと。
251 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/02/03(水) 18:52:59 ID:JkG2BYAM0
なんだか……都合の良い嘘を並べれば済むという人でしたか。
反論出来ずに、根拠のない持論をばら撒くだけですし。
存在自体残念ですね。
252 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/03(水) 00:56:22 ID:ALS7YOW10
峠をドラマ化して!
>>251 この世の中、そんな人が殆どですけどね・・・
254 :
名無しさん@お腹いっぱい。:2010/03/05(金) 21:24:26 ID:BWnH3qhU0
まったく2ちゃんねらってのは素っ町人ばかりだな
町人の理屈で大義や政治を語っても仕方あんめえ
司馬もよく調べてるけど元々商人気質だから武士はわからん
峠読んだくらいの知識で河井はわからんよ。
うちの爺さんがこの家老に憧れて、
模型屋でガトリンクのエアガンないか?って店員にききまくってた。
んで、休みの日は公園で「吉之助〜!!」
って叫びながらエアガン撃って、警察に連れていかれた事もあったww
迎えに行った家族にした言い訳が
「先祖の無念を思うとつい…。」
ってあんた佐賀出身だろwwwwwwwwwwwwwww
>255
本物のガトリング砲が見つかって展示してあるそうなので、ぜひ長岡の河合継之助博物館においで下さい。
新潟港が列藩同盟側の武器輸入拠点になってる以上
そこを押さえることを邪魔したら攻められて当然
河井は恭順派の意見を全く聞こうとせず、会津の某養子藩主と似た節がある
確か師の山田方谷にも他人の話に耳を傾けず、我を通そうとすると指摘されてたらしいね
いや、継之助は武装中立派を目指して官軍と談判したはず。
それを若い無礼な官軍の若侍が一蹴してやむなく奥羽列藩同盟に入り、奥羽越列藩同盟になったんだ。
武装中立宣言した時にほんとに列藩同盟側に利することしてなかったと思ってるの?
同盟側の軍備が整うまでの時間稼ぎ。誰が新政府の代表で行こうが一蹴されるよ
しかも長岡藩内にいた会津兵が攻撃しかけてきてるしな。まあこれは長岡を完全に引き入れるための会津の工作だが
同盟側の締め出しが出来て無い武装中立なんて・・・
とにかく継之助は戦は望んでなかったと聞いているよ。
会津藩だって最初から戦ありきではないだろうし。
ドラマの影響なのか官軍側の使者が無礼過ぎる印象がある。
>>256 爺さん悶絶ものだなwwwwwwwwwwwwwww