関ヶ原で西軍が勝利した場合

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497茶々丸
関白太政大臣・・・小早川改め豊臣秀秋。一応、豊臣一族だし、戦前は三成との密約があった。あくまで秀頼が成人するまでのつなぎ。
右大臣・・・豊臣秀頼。まだ幼少ゆえに、関白まではこの席にいる。
左大臣・・・織田秀信。元々は豊臣家の主家。岐阜城では西軍としてよく戦った。
以下の大大名が政治の実権を握る。特に五大老は大阪周辺が領土で豊臣家を守護する。
五大老・・・石田三成。首謀者として当然の戦功。個人的に日本では数少ない忠義の臣だと思う。
五大老・・・宇喜多秀家。同上。
五大老・・・小西行長。同上。
五大老・・・大谷吉継。同上。
五大老・・・安国寺恵頚。同上。
鎮西将軍・・・立花宗茂。元寇襲来の地博多を根拠に外国に備える。
関東管領・・・上杉景勝。徳川家から没収した関八州を治める。
征夷大将軍・・・佐竹義宣。秋田を根拠に奥羽の発展に尽くす。
なお、徳川、伊達、藤堂、細川、両加藤、福島、黒田、京極、池田、浅野、蜂須賀、などは斬首または蝦夷地へ改易。
島津、長宗我部、真田、木下、増田、長束、前田は本領安堵。七本槍の生き残りの脇坂、片桐、平野、糠屋は大阪城にて秀頼補佐。