継体天皇って先代達と血つながってんの?

このエントリーをはてなブックマークに追加
513324
>>387
さて、ここで継体からすこし離れて、欽明について考えて見たいと思います。
確かに欽明即位年・治世年について、史料間に異同があるのは事実です。
ここから安閑・宣化と欽明の継承抗争(両統並立)の疑問が出ているわけですネ。

ところでこの問題を考えるに当って、継体についても話題になった大王(以下天皇)
宝算問題があるようです。記紀においては東洋史書には珍しく天皇の宝算を記述し
ている例が多いのですが、欽明以降は原則としてこの記述がなくなります。
(例外として推古・天智に関して推定可能記述がある)
因みに記紀における天皇宝算は、概ね次のとおりです。
(前が書紀、後が古事記。XXは不記載。間違いがあればご指摘下さい)
神武 127・137、 綏靖 84・45、 安寧 57・49、懿徳 78・45、
孝昭 114・93、 孝安 138・123、孝霊 129・106、孝元 117.57
開化 112・63、崇神 120・168、垂仁 140・153、景行 107・137
仲哀 53・52、応神 110・130、仁徳 XXX・83、履中 70・64
反正 XX・60、允恭 XX・78、安康 XX・56、雄略 XX、124
清寧 XX・XX、顕宗 XX・38、仁賢 XX・XX、武烈 XX・XX
継体 82・43、安閑 70・XX、宣化 73・XX (以下記述なし)

つまり書紀は原則的には仁徳以降の記述がなく、古事記も清寧以降記述がありません。
にもかかわらず書紀が継体・安閑・宣化を古事記が継体を記述しているのが、例外と
なっています。僕は記紀がこういった天皇宝算をわざわざ記述しているのは、讖緯説
によって神武即位をB.C.660年としたため、その辻褄合わせのために捏造したものだ
と思いますが、そういった中で書紀が継体・安閑・宣化について記述しているところ
に、ある種の作為を感じておられるのでしょうか?