皇国史観で東日本人を侮辱するな その9

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134馬鹿豚
この「皇国史観」とは日本人の在り方の根幹を問い直すキーワードの一つでしょう。限りなく痛ましい言葉でもある。ここでは断定的な言い方はしません。しませんが大切なのは固定概念・決めつけや偏見を越えて本当はどういう事なんだろう?。と何処までも観ることでしょうね。この言葉は特に慎重にならないとね。中々一からものを見るというのは難しいのですよ。憲法・天皇・国家神道(しんとう)・靖国神社も教科書も歴史の問題もこの言葉を捉え間違うと当然の事ながら全部違ってしまいますからね。それぐらい重要な言葉なのに是を知らなくても別段生きるのに支障がない。というのが今の日本のマカ不思議な処でもあります。先入観を離れるには。まず・・・・

●その言葉が生まれた根本までさかのぼって観る。
●辞書や事典になんと書いてあろうと鵜呑みにしない。

ということでしょう。そして・・・・

●憲法に「象徴天皇」とされている国家体制が君主制なのか?。共和制なのか?
●天皇。内閣総理大臣。内閣。いづれが「国家元首」なのか?

これらが憲法に明記されていない為に延々と議論されている事を背景に。

●「国家神道」=絶対的天皇の権威が強調されたのは「古代と明治の一時期」の例外的なものである。
●GHQによって国家神道制が廃止されても「神道」自体は一般生活に再定着した。
●靖国神社は元々は国立ではない。招魂社として幕末・明治維新時に亡くなった人々の慰霊祭から神社に発達した。戦前の国家神道の時代には国立の神社になった。が現在は国家神道とは関係ない。あくまで国の為に亡くなった人々の為の招魂社である。
135馬鹿豚:2001/07/12(木) 02:56

●天皇神性と統治の正当性・永続性を主張。
●大東亜共栄圏建設の名の下に国民を大規模な侵略戦争に駆り立てる役割を果たした。
●国粋主義・統制支配・海外侵略を肯定する歴史観。

以上の様に戦後には、「皇国史観」=戦争イデオロギー=悪。とされているわけです。
それは確かに事実なのですが。そしてだから天皇も皇国史観も諸悪の根源であるという主張が存在するわけなんですが。でもですよ?。「皇国史観」が戦争イデオロギーだというのならば「民主主義」もまた同じくなのですよ。歴史に於いては。つまり民主主義が戦争のスローガンだった事の方が多い。皇国史観が結果的に侵略戦争のスローガンにされたのは事実なのですが。でも「元々の皇国史観の概念」がどういうものだったかをさらに遡ってみると別の見方が出てきます。辞書・事典の編者の見方とはまた違った概念が表れてくるわけです。言葉自体は江戸時代から使われていたようですが・・・・
136馬鹿豚:2001/07/12(木) 02:57

●皇国史観は、福祉と平和のイデオロギーである。

いう全く正反対の概念が出てくるのですよ。政治イデオロギーとして見るならば。天皇に愛民・尊民の思想がまずある。その恩に報いるかたちで忠君愛国という相互の関係が成立する。だから日本国内のその様な政治基本を周辺民族の間にも広めようという国際政治思想だった。全世界が一つの家族としてむつみ合うようにしようというスローガンだった。つまり天皇は現人神だから崇拝し何が何でも天皇陛下の為に命を捧げればいい。というものでは本来はなかった。天皇支配正当化の侵略イデオロギーではなかった。という見方があるのですね。

大東亜戦争における日本の基本的理念。それは平和な国際社会を築こう。西洋諸国による力のぶつかり合いを基本原理とする野蛮な世界に挑戦し新しい世界秩序をうちたてよう。というものだった。侵略戦争とはまったく正反対の理念だった。けれど平和を求める為に戦わざる得なくなった。さらに集団のエゴが爆発して本来の意味とは正反対のものになってしまった。という処が皇国史観の痛ましさですよ。思想・理念は諸刃の剣です。どんな思想・理念であろうと戦争を正当化することはできない。愛なき思想は自他共に滅ぼす剣ですよ。だからこそ目的が平和ならば手段も平和というのが絶対原則です。剣を向けるべきものは心の中にあると思うわけです。


追記:ここに書いたこと以外の色々な見方があります。私自身は天皇崇拝者でもなければ国粋主義者でもないですよ。いい戦争もわるい戦争もない。全ては殺し合いにすぎないですよ。殺し合いはごめんです。ぜひ自分で調べて自分の目と心で判断して下さいね。よくもわるくも象徴天皇制の国に生きているのですからね☆。
137馬鹿豚:2001/07/12(木) 02:58

【八百万の神=自然を愛でる心】

本来・皇国史観とは皇(すめらぎ)と民との「良き関係」を表すものだった。けれど明治から終戦までの間に天皇は現人神(あらひとがみ)・至上神という位置付けをされてしまった。皇国史観も故意に曲解され多くの命が誤った観念の下に散ってしまった。これは二度と起こしてはならないことです。転石さんの言うように理に叶わないものは淘汰されていく合理性は必要でしょう。必要だけれどもまず天皇とはどういうものかをよく知っておく必要がありますよね。

>「天皇は何故偉いの?」と子どもに聞かれたとします。みなさんどう答えます。

うん。天皇は別に偉いわけではないよ。ただ日本人の心が「何を大切にしてきたか」を時代時代で体現・象徴するものとして在り続けてきた。よくもわるくも日本人の精神的拠り所となってきたんだよ。と答えます。

天皇を知るためには日本に於ける「神」とは何を意味するものか。を知ることが重要になってきます。というのも天皇は、神と人間との中継ぎ(スメラミコトモチ)・神官の役目を古来より担ってきたからなのですが。

明治期の国家神道とは別に古来の土俗神道に於いては。山や川や花の自然の姿。台所や厠に至るまで全てに神々は宿っているという「八百万の神々」という伝統がある。云ってみれば『独立戦争』2番の歌詞にある様な世界観ですね。つまり日本人の自然観に於いてはこの世に存在する一切のものは「神(神々)」ということになっています。人智を越えた大いなるものに包まれて生かされているという遥かな眺めなのです。いや自分自身がその一部だという認識なのです。
138馬鹿豚:2001/07/12(木) 02:59
しかし西欧の「神」は違うと言われています。キリスト教伝来より「ゴット」と同義の「デウス」は「天主」と訳されてきました。それはキリスト教に於いて「神」は「全知全能の唯一絶対なる創造主」であり日本語の「神(神々)」とは異なる観念であるとされていたからなのです。処が明治以降に聖書を和訳する際に「ゴット」を「神」と訳してしまった。故に神道の神観念との混同混乱が延々と続いてしまっているというのが実情なのです。●つまり天皇は古来より統一神ではない。日本人の自然観・神々との中継ぎの役割として機能することで日本人の精神的支柱となってきたわけです。

そして政治的にはどうだったかと云うと。
幕末の黒船来訪以降。天皇を中心とする議会制民主主義が芽生えます。「公論に従って政治を行う」という天皇自身の宣言があったのです。と同時に天皇の権威が必要とされました。なぜかというと。公論と一口に言ってもどういうものが「人民の意思」であるのかを巡っての内乱が起っていたからです。幕府・薩摩・長州の権力争いを終わらせる為に天皇の権威が機能していた。ということです。これが明治以降の一時的状況の中で「天皇の御心ただちに国家の方針」ということになってしまいました。けれど当時軍国主義を必要としたのは天皇個人の意志ではなかったでしょう。内外の国家的危機に対して軍官庁が突出してしまったという背景があったのですから。

つまり天皇の位置付けに関する混乱曲折はあった。けれど古来より天皇は日本人の美意識の象徴。国民感情を結集させる対象であり続けた。よくもわるくも精神的な拠り所となってきた。さらに国家および国民の永続性を象徴するものとしての在り方を期待されている。ということもできるかもしれませんね。そういう伝統・背景を破棄しても天皇の存在を認めない。という考え方があってもそれはそれで自由だとは思いますけれどもね。
139馬鹿豚:2001/07/12(木) 02:59
それぞれの国には当然なことながら、伝統や文化歴史的な背景があります。日本人として育んできた自然観・アイデンティティを放棄して一から新しい国づくりを始めるというのは無理な様な気がします。というか戦後それに近い選択に傾いてしまった結果に現れてきた様々な「精神的荒廃」という感じがしますねぇ。特に若い世代が民族的な拠り所(いい意味の愛国心)を失ってしまった。合理科学的な物質至上主義や金銭の奴隷と成り下がる。物の豊かさを優先させる為に精神的なモラルはどんどん失われる。無軌道な欲望や衝動に振り回され自己中心的な観念ばかりが肥大してしまう。という事かもしれません。同時にGHQが戦後に放った3つのS。「Sports」「Screen」「Sex」により日本人の精神を堕落させようとした作戦が功を奏しているのかもしれない。
少なくとも自国の伝統。文化。歴史。についての再認識は重要なことだと思っています。それは日本人としての自分自身の存在証明に関する問題だと思うからなのですが☆。

蛇足:ちなみに。自由「Free」の語源の「Pree(Prii)」とは。部族や家族など自分の周りにいる人々との“良き関係”を表す言葉だそうですよ☆★ (^-^)。。
140馬鹿豚:2001/07/12(木) 03:00
【聖と俗と境界線】

もし。皇室が危険で不必要なものならば。伝統があろうとなかろうと直ちに廃止するべきです。当然です。戦後GHQ主導の元に天皇主権から国民主権の新憲法が作られました。現在では議会で法律が通ると最後は天皇が署名して公布する。そして初めて法律になるようになっています。GHQは国家神道は廃止しました。けれど天皇制までは廃止しなかった。そして新憲法で天皇は「象徴」であると明記されます。しかしその「象徴」の意味する処は曖昧であり議論の余地を残しています。現行憲法記章に関わったネルソン氏とプール氏によると「象徴」という語は「英国憲法」の「女王の持つ尊厳性の効用を国民統合の象徴とする」という部分にヒントを得たということです。「統治権の総覧という権能は与えるべきではない。しかし天皇に意義ある役割を期待した」というのが「象徴」という語の記章時の考え方だったらしい。

天皇が国家元首であるかどうか。国内では議論が分かれています。憲法に明記されていないからなのですが。しかし外国から大使が着任するとその国の元首から信任状が天皇に宛てられるのが通例だそうです。つまり諸外国では天皇が実質上、国家元首と見なされているという事実があるのです。憲法ではその権能を天皇にのみ与えています(第七条第九項)。ただそれは大日本帝国憲法下に於いての国家元首とは根本的に違います。あくまで国家国民の統合を体現する存在としてでしょう。苦い時代を経て現代的な解釈に基づいた国家元首としての役割を「政治から離れた立場」で天皇が果たしている。という事でしょう。
141馬鹿豚:2001/07/12(木) 03:00
そして。天皇は日本人の自然観を象徴・体現する存在にもなっています。
人間が日常的な抑圧や葛藤・苦悩・不安との平衡を取ろうとする行為。自分自身の証明や精神的な拠り所。それを人智を超越した次元に求めよう。それがそれぞれの国の自然観・宗教観ですが。日本人の精神の根底には「神道」があります。それはもう意識していなくても生活習慣やものの見方の中に染み込んでいます。命の次元に於いて「自然界の一切のものは等しくかけがえがない」というのが神道に於ける「神観念」でしょう。故に神は常に複数形であり。同時に人間自身も神の一部。だから神道に於ける「神」とは自然界を支えている大いなる存在に畏敬を感じる「こころ」だと云えます。そしてそんな「聖なる次元」と日常的な「俗なる次元」の境界に位置して橋渡しをする「司祭の長」が天皇だったわけです。天皇は聖なる次元から君臨する唯一神になろうとするものではない。「現人神」と持ち上げられた時代は長い歴史から見れば例外的な事なのです。あの時は国全体が間違っていた。軍部による誘導があったけれども結局は国民の総意だった。あれを体験しなければ日本は次のステージに行けなかった。ということだと思いますよ。日本人は時にとんでもないものを大切にしてそれを天皇に託してきた。過ぎてみればそれがいかに愚かな事だったかが解る。けれどその渦中にそれを見抜ける人間は少数だったという事です。天皇が国民を騙していたというのとは少し違うと思います。大きな視野から観るなら日本人が超えるべきハードルだった。痛ましい時代も平和な時代にも皇と民は一つで在り続けた。そして現在も皇と民のより良き関係を模索している。今後の皇室の在り方にもいろいろと変化があるかもしれません。そして皇室は政治と直接に関わった時期が短い。というのが諸外国の王制との違いです。それは希有なことなのです。新憲法で「象徴」と明記される遥か以前から「国民統合の象徴」として国民の苦しみに心を寄せていた。という見解があります。天皇が政治から離れた立場で国民と共にある。というのが日本という国の歴史であり、現状なのです。今後の皇室の存続についての個人的見解は様々あっていいとは思いますが。
142馬鹿豚:2001/07/12(木) 03:02
【独立戦争の自然観】

もし「皇国史観」というものを例えてみるとこうなるでしょう。
Aという歌い手がいるとする。Aはファンのことを何よりも大切に思っている。歌うことの目的をファンの人たちの幸せに置いているとする。そしてそういう歌い手の心に応えようとファンが一丸となって応援しまくる。歌うことと応援することが一つになっている。その中に双方の生きがいや幸せがある。とするのが「皇国史観」の根底にある「蒼生安寧」という考え方です。そしてそういう歌い手とファンとの「良き関係」を他の歌い手とファンの間にも広めて音楽業界全体を仲むつましいものにしていこう。というのが「皇国史観」の元々の考え方なのです。

戦争イデオロギーとしての「皇国史観」はこうですね。Aのファンの中の親衛隊の様な一部の人たちが過激な発想を持つ。AのHPが安定しもっと発展するにはどうしたらいいのか。そしてAを全ての歌い手の頂点に置いて一番偉いということに奉る。そしてそれを周りのHPに押し付けようとする。が当然、納得されない。そこで無理矢理に他のHPに乗り込んでいく。例えば扉ページを書き替えてしまう。「侵略」「植民地」などと称してHPの運営を妨害する。Aもそれに逆らうと身の危険を感じる異様な状況。そんな中でAもファンも熱に浮かされた様に邁進してしまう。その勢いはもっとスキルのある相手に叩かれるまで止まらない。さて果たして戦争責任はどこにあったのだろうか?。単純に○○が悪いとは云えない様に思う。戦争中は「蒼生安寧」も「皇国史観」も誤用され悪用されてきた。血に汚れ、汚名に塗れたこれらの言葉が復活することはないかもしれない。けれど元々それらは自然界の「共生」や「絆」を基とする神道的な発想であったということ。その再確認が大切だと思います。それが日本人の精神の根底にあるものだから。そしてそれらが身勝手な人間の解釈で故意に歪められたということ。
143馬鹿豚:2001/07/12(木) 03:03

で私は天皇制の絶対存続の立場を取るわけではありません。ただこれから日本人が「人権」や「自由」をどう捉え。どう未来を創っていくのかの鍵。道標になるのが過去の歴史の「光と闇」の中にあると思っているわけです。むしろ二度と思い出したくない苦い過去の中に「大切なもの」が光を当てられるのを待っている。そんな気がします。それは個人の人生でも、一国の歴史でも変わらないでしょう。「自分自身の証明」というのはそういう「道」の中にあるのだろうと思います。