★◆孝明天皇と明治天皇の写真◆★

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330日本@名無史さん
>>323
ほらよっ
君の重層性とやらを説明シタマエ
即位前(睦仁親王時代) 即位後(明治天皇時代)
睦仁親王は疱瘡(天然痘)をわずらった。疱瘡の後遺症として、顔面に「あばた」が残った。 明治天皇の「御真影」(これは「写真」ではなく、キヨソーネが描いた「肖像画」)に描かれた顔に「あばた」は無い。又、実際の顔にも「あばた」は無かった。
元治元年(1864)年7月の「禁門の変」の際、砲声と女官達の悲鳴に驚いた睦仁親王(当時13才)は、「失神」した。 明治天皇は威風堂々、馬上から近衛兵を閲兵し、自ら大声で号令した。
睦仁親王は幼少より「虚弱体質」で、毎年風邪をこじらせていた。又、16才になっても、宮中で女官と一緒に「遊戯」にいそしんでいた。 体重24貫(約90Kg)の巨漢で、側近の者と相撲をし、相手を投げ飛ばしたと言う。
睦仁親王は16才になっても、書は「金釘流」、つまりは「下手」であった。又、政務にも無関心であった。 明治天皇は、書が「達筆」であった。又、学問にも熱心であり、教養豊かであった。
即位前の睦仁親王に、「乗馬」の記録は残っていない。つまり、馬には乗れなかった。 明治天皇は、鳥羽伏見の戦の際、馬上豊かに閲兵した。