作蔵の息子大室寅之祐が明治天皇になったと言える3

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739日本@名無史さん
実は貸間さん
GKという苗字は、石川県の羽咋と山口県の田布施町しかないんだけど(それ以外は
引越しによるもの)。以前父が、出張で石川に行ったとき、羽咋にGKという苗字が
あり気になってました。しかし山口県と石川県は離れすぎてるので偶然の一致と思って
いました。たまたま竹内文書と大室姫の話が羽咋の隣町から話題になってることを知り
(来年の大河ドラマの舞台)驚きです。関連あるのでしょうか?貸間さん調べてみてください。

以下コビベです。
<宝達山>
1)元火山&放送アンテナが建つ山としての宝達山
 宝達山は、宝達駅などから東側の山をみるとすぐわかります。なぜならNHKなどのアンテナなどがいっぱい建っているからです。位置は押水町になります。約3000万年前に噴火した火山の外輪山の1つが宝達山(標高637m)となったものである。今でも、北麓、志雄町にある新宮温泉など、周囲には温泉が湧き出し火山の名残を留めている。新宮温泉は国民宿舎新宮荘と新宮温泉湯元の2軒ある。ここからは、宝達山へのドライブウェイが通じていて、周辺を観光する基地として利用でき便利である。
2)鉱山としての宝達山(名前の由来)
 ここの山の名称の由来だが、天正4年(1576・安土城ができた年)から元和4年(1617)まで、つまり戦国のまっさかりの時期から、江戸時代初期までの約40年間、大量に金銀が採掘されたことがわかっています。ピークは慶長年間の20年だったようですが、その頃、以上の理由から宝達山と名がついたようです。今でも歩いていると蛍石、オパール、瑪瑙、水晶などが見つかることがあると言います。また川へ行き砂利をすくと多少ながら砂金などとれるようです。金鉱山で働いていたもの達は、江戸時代黒鍬者と呼ばれていましたが、その後金沢の辰巳用水や、高松町の長柄用水、兼六園の日本武尊の石垣・・・・などなど色々な加賀藩の土木事業に活躍したようです。
3)モーゼの伝説を持つ山としての宝達山
古文書竹内文書なる書物によると、モーゼはシナイ山に登った後、天浮船(飛行船のようなもの?)に乗ってこの地にまで来て、「十戒」の教えを聞きに来たという。そしてこの地の大室姫と結婚した。シナイへは何度か帰ったが、この地に戻って、大室姫と生涯を過ごしたということだ。ハハハハ。
 モーゼは日本で古代叡智を学、その記念に十戒を刻んだ石を皇祖皇太神宮へ奉納し、583年にこの地で亡くなり、宝達山山頂の3つの子塚に葬られたといいます。3つの子塚は高さ10mほどの山の古墳でそれが3つ並んでいます。本当かどうか知りませんが、終戦直後(1945)アメリカのGHQ直属の部隊がその山中に入り、3つの子塚を調査した。
大室姫はその後500歳まで生きた。!!