作蔵の息子大室寅之祐が明治天皇になったと言える3

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365日本@名無史さん
「歴史のごまかしと差別する心--大室天皇家を見張っていた柳生忍者」 上林巌 より抜粋転載

 やがて防長の守護大名は大内氏から毛利氏に変り、大室家の保護と監視のために大野毛利藩が置
かれ、その下役として倉橋地区に柳生忍者の陣屋が構えられた。
 この陣屋の番役人が御幣のついた六尺棒を十文字に構えると、日本国中の大名は直ちに止まらな
ければならなかった。
むかし麻郷村を通行する耶りの大名行列は、田布施川の関戸橋と八海橋から麻郷領内に入ると、
麻里符、別府も通り過ぎるまでは「下に−下に−」のかけ声を出して通行することは禁じられてい
た。また室積方面からの上りの大名行列は、麻郷領内を経て八海橋と関戸橋を通過するまでは「下
に−下に−」のかけ声はかけることはできなかったという。 むかし麻郷村にある部落はみな中
近郷の何々村(何々部落)と呼ばれていて、中近郷とは天皇の古里という意味であるが、それを証
明するものが麻郷に残っている。