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日本@名無史さん:
明治天皇の摩り替えがあったのか判らないけど、不思議なのが、静岡・浜名湖の近くにある
旧官弊中社「井伊谷宮」。
三浦芳聖と田中光顕との対話にも出てきた、後醍醐天皇の皇子征東将軍宗良親王を祀る神社
でありますが、この間機会あり逝ってきました。
田中光顕談によると明治帝の命によって造られた神社らしいが、神社の資料館に井伊谷宮の
建立の勅旨?(本物)があった。黄色の和紙に書かれた格式を感じる立派な勅旨でありました。
またついでながら、三浦本や野史にて南朝系の系図をおおざっぱにまとめると、
┌義良親王(後村上天皇)┬後亀山天皇─良泰親王─小倉宮┬・・・熊沢天皇
│ └長慶 └・・・自天王
│
(96)後醍醐天皇┼尊良親王─守永───小室門院
│ ┠─正良(松良天皇)──┬美良・・・三浦天皇
┠宗良親王─興良─────興良 └光良・・・大室天皇
┠護良親王─陸良
┠恒良親王
┠成良親王
┠世良親王
┠懐良親王
┠満良親王
となりますが、尊良親王、恒良親王(金崎宮)護良親王(鎌倉宮)、懐良親王(八代宮)も
明治期に官弊中社として祀られてます。
そこでクエスチョンですが、北朝系孝明天皇の御子であるとすると、何故に維新早々南朝系皇子
を祀る神社造営が必要だったんでしょうか?
ご存知の方、理解できる様、誰か判りやすく教えてください。
尚、井伊谷宮は老朽化激しく建替えの為の浄財を集めている様です。偉大なる明治帝をこよ
なく崇敬する方々は先帝の御心を察し、進んで寄進を致しましょう。