大室寅之祐が明治天皇になったと言える勇気を持とう

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46解決黒頭巾
「孝明天皇暗殺の真犯人が、初代総理大臣になった伊藤博文であったのは真実である。
そして、この暗殺は南朝革命のために睦仁親王暗殺、将軍家茂暗殺とリンクしていた。

彼が、人斬り名人と認められたのは17才頃であるが、大物を斬殺する度に名前を変え、幼名は利助であったが、利介、利輔、俊輔などと名前を変えてきている。

大室寅之祐(明治天皇)は、長州奇兵隊の伊藤博文の力士隊の隊士であったから、伊藤の子分同様であった。

大室寅之祐と、殺害された睦仁親王(孝明天皇の実子)は性格も能力も全く異なり、東京遷都のとき京都で仕えていた女官を全員解雇したのも、口封じの意味があったのだろう。

大室寅之祐(明治天皇)と睦仁親王は正反対の性格と体格で誰でも一目でその違いがわかった。
寅之祐は勇壮で体が大きく、乗馬、相撲が得意だった(もと、力士隊にいたから当然か)。
睦仁親王は女のように華奢で病気がちで、乗馬ができなかった。
寅之祐は達筆だったが、睦仁親王は字が下手だった。
睦仁親王は幼時、種痘をしたはずなのに、寅之祐の口の周りには5,6個の痘痕があった。

これほど著しい違いがあったにもかかわらず、その正体がばれなかったのは、この時代天皇と接触するものはごく少数の側近だけだから、側近の口さえ封じれば誤魔化せたのである。側近も、優遇されれば生命の危険を冒してまで国民に真実を明かす必要はなかった。生活第一だから。

「忠節なる臣民」とか「赤子」とかおだてられながら牛や豚のように酷使され、鉄砲玉となって戦争の犠牲になった人々は、国家のために死んだのではなく、天皇暗殺という”大逆罪”を犯した伊藤博文の隠蔽工作の犠牲者なのである。」