大室寅之祐が明治天皇になったと言える勇気を持とう

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111解決黒頭巾
1866年7月将軍家茂を毒殺した岩倉具視、伊藤博文(薩長連合)らは、同年12月忍者を使って孝明天皇を忍者刀で刺殺した。ここに北朝の終焉が成立したのであるが、さらに翌年7月またもや忍者を使い、宮中に猿を放ち、猿に負傷させた少年明治天皇(睦仁親王)を待ち受けていた御殿医が、毒を仕込んだ膏薬を張り殺害した。この御殿医は将軍家茂も殺害している。
遺体は母方の中山家に運び出して秘かに葬ったという。

大室寅之祐は、このときから明治天皇にすり替わり、ここに南朝天皇が復活したわけである。

 明治天皇の写真は残されておらず、肖像画を写したものが残っているだけである


伊藤博文たちは二人の天皇と一人の将軍を暗殺したわけだが、後に検察の追求を受けないように、欽定明治憲法に”天皇は神聖にして不可侵であり、万世一系である”と文言を入れ、自分たちの犯した殺人犯罪を封印した。鹿島f は『裏切られた三人の天皇』のなかで次のように述べている。

「日本国の歴史では天皇殺しは大事件である。歴史上天皇を殺した者がないわけではないが、すべて非業の死をとげ史家の筆誅を受けている。

しかしこの犯人たち(伊藤、岩倉、木戸、西郷、大久保、etc.)だけは例外で、
明治天皇に優遇され、死に至るまでぬくぬくと美酒を飲み美女を抱いて栄華の身を誇った。

私たちは、天皇を殺しても自分たちの目的を達成する、という悪逆非道の犯人たちをどう考えれば良いのだろうか。このような大逆を可能ならしめた幕末という動乱の時代をどう考えるべきか。

そして(もし、実の子ならば)父の暗殺を承認して、その暗殺者たちに国政を任せた明治天皇をどのように評価すべきか。

明治を聖代であったとする人は多いが、それは権力に欺かれて、歴史を解せざる者の言である。」