滅亡・改易大名家のその後

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339日本@名無史さん
越前松平家の子孫は、現在千代田区二番町にてビル経営。

足守木下家(豊臣秀吉の正室ねねの兄家定の次男・利房が初代)の子孫、
木下利玄は明治時代活躍した白樺派の歌人。
昭和49年にその子・利福が死去し後嗣なし。
日出木下家(家定三男・延俊が初代)については既出。

片桐且元の子孫は、五代目でお家断絶(無嗣に付き改易・収公)
且元に弟・貞隆の子孫は現在も健在。

脇阪安治の子孫は、江戸時代に老中も輩出した家柄に。
現当主は西宮市でビルメンテナンスの会社を経営。
100社以上のビルの清掃・警備をおこなう。
現当主の研之氏は、明治大学在学中学徒動員のため、岡山の陸軍部隊に
召集、二等兵となる。在勤中20歳になった氏に「子爵家相続につき従五位」
を叙爵するとの伝達が宮内省からあったという逸話がある。
なお、当時部隊長(大佐)でも正六位だったため、注目を浴びた。