滅亡・改易大名家のその後

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336日本@名無史さん
北条家の家臣大道寺繁の子孫は、末子が津軽藩の家老職として奉職。
以後維新まで続く。

鍋島家の子孫は、現在有田焼を一手に扱う商社の社長。

伊予大洲の加藤家も、蜂須賀家と同じ最後の当主が女性で嗣子無し。
現在東京赤坂在住。

筑後久留米の有馬家の子孫有馬頼寧(よりやす)は、戦後JRAの理事長となり、
「中山でもダービーを!」と中山グランプリなるレースを創設。
昭和32年に急逝後、同レースを「有馬記念」と改名した。
その子、頼義(よりちか)は、昭和29年「終身未決囚」で直木賞を受賞。
以後、松本清張とならぶ社会派推理小説の第一人者として活躍。昭和55年没。