滅亡・改易大名家のその後

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135ちびた
喜連川家(旧古河公方足利家)は高家ではなく(性格的には極めて近いが、高家は旗本同様知行権は有していても領主権を有していない)10万石格の大名扱いだった(実際は5千石)ため子爵になれた。実際、弾左衛門支配領域(幕末には八州廻りの取り締まり領域でも)日光神領、喜連川領、そして三家水戸領は入っていない。ただ、本来は高家と明治以後の立藩に至らなかった交代寄合にも(その他石清水等なぜか受爵に漏れた家も)男爵を授けてしかるべきだったと思う。日清戦争期だと少将ぐらいで華族になれていることとのバランスから。