>>492 の検証作業。
「南京事件の日々」=ミニーボートリンの日記
1999/11/19初版 大月書店 2400円(笠原十九司 発掘)
これは当時の南京にいたアメリカ人
「金陵女子大学の実質責任者」であった「ミニー女史」
の日記である。この日記はわりと新しいので「まだ検証」は
されていないが「非常に参考になる」(w
@「ミニーの日記」によると1938/1/29 紅卍字会、会長と直接
話した情報として「同会は2000体を埋葬した」としている。
ところが2/2の日記では本部で聞いた話として
「南京占領以来、紅卍字会は1000を超える死体を棺に納めた」
と「数が減少した」報告を記載している(笑)
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悩んだ結果「1/29までに2000体を適当に埋葬」
それ以降「棺に入れて埋葬したのが1000体」
2/2までの合計で「約3000体」と解釈した(笑)
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ところが「東京裁判」に提出された「紅卍字会」の明細
によると2/2までに「8818体」埋葬したことになってる。
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「約9000体」か。嘘くせえ(笑)
ミニーの日記では「卍の会長」と直接話したことになってる。
つまり「1000〜3000埋葬」ってのも信憑性がある。
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ここで「紅卍字の記録は捏造」としてもいいが
好意的に解釈すると以下のようになる。
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「紅卍字会」本部単独の埋葬は2/2までに「約3000体」
「紅十字会南京分会」その他「慈善団体」(崇善堂?)
などが共同で「6000体」を2/2まで埋葬したと解釈。
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「証言、南京大虐殺」(虐殺派 洞富雄 著P166)
虐殺派が崇善堂11万埋葬の証拠として引用した証言。要約。
「埋葬は主として当時の慈善機関の「崇善堂」と「紅卍字会」
などによって行われた〜略〜
最初は死体を池や塹壕に埋めたり押し込んだりするだけ
だったが、1938年、よそから遺体収容、埋葬の要員を雇って
くるようになってから、ちゃんとした収容、埋葬ができる
ようになった〜略〜収容された死体は15万5千〜略」
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「最初は適当に埋葬」あとから「棺に入れて埋葬」
という部分は「ミニーの日記」と符号する(笑)
あと「4月の大量埋葬」も「棺に納めて」とされている
ことを忘れないように。
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@中国政府としては「崇善堂」の埋葬数で「11万」ほど
でっちあげたので「紅卍字会」については「捏造の必要」
なしと判断したとものと推測する。
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また「紅卍字会」単独では「4万3千」埋葬は不可能だった
ことから、埋葬には「複数の団体」が「紅卍字会」の名称で
参加した。当然、最終的な埋葬数は「紅卍字会」の名称で報告
されたと考えるのが自然である。
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以上の検証により
「紅卍字会の埋葬記録4万3千はおおむね正しい」
また、当時の記録との矛盾は全く無い。
結論 「南京での死体埋葬は 約4万3千である」