九州戦国史について語ろう

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81日本@名無史さん
立花宗茂は実父が高橋紹運、養父が立花道雪
子供のころに統虎と名乗っていた宗茂に道雪が惚れこんで
養子にしたそうな
紹運は宗茂と分かれる時に、もし敵味方に分かれたらこの剣で
私を討てといって太刀を渡したらしい

道雪の死後、宝満山城に紹運、立花山城に宗茂が居城を構えていた時に
島津軍の北上が始まる
大友宗麟はこの時独力では島津に対抗できないと考えて
太閤秀吉に援軍を要請している
ここだけを見ると、島津・大友両軍とも時間との戦いになるわけね
援軍が来る前に筑前・豊後あたりを抑えれば島津の勝ち
援軍が来るまで持たせれば大友の勝ち、ってね
最終的な勝敗はまた違うだろうけど
有名な岩屋城はもともと宝満山城の支城の一つだったんだけど
タイミングの悪い事に紹運の出陣時に近くの筑紫氏に奪われてしまい、
岩屋城で島津軍で迎え撃たざるをえなかった
もっとも、これは紹運の願う所だったんだろうけどね
山深い宝満山城に立てこもってしまったら、島津軍は宝満山城を無視して
実の息子の立てこもる立花山城に直行してしまうから
実際、宗茂も紹運にいっしょに立花山城に立てこもろうと、書状を
送っているんだけど、理由をつけて断ってる
紹運が宗茂に送った書状の最後には
「実に再会を期せず候」
って書いてるから、実の息子のために討ち死にするつもりだったんだろう
時間稼ぎの為にね