九州戦国史について語ろう

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255日本@名無史さん
天正七年(1579)、大友方となった千手氏は、毛利秋月と通じた高橋鑑種
により攻められ鬼ケ城(田川郡香春岳)で自害したという。
千手氏は秋月種実の古処山帰還の際、大いに種実を助けたと伝える割に高鍋で
あまり厚遇されていないのは、ひょっとするとそのせいかも。

仏像は筑前ではないみたいです。その仏像は戦で落ち延びるとき、子女の背に背負われて
難を逃れたという話があるそうです。

本来、戦国は千手氏のように南北朝の歴史を背負って始まるわけで、とくに九州は南朝の
拠点だったり、尊氏が多々良で反攻する拠点となったりで、その歴史を濃く残して戦国へ
入るのだが、立花、高橋、島津、鍋島以外のほとんどが江戸期没落した中、そうした記録
が各地の家でお蔵入りしているとことかが、やはり九州戦国の魅力の一つと思ふ。