歴史教科書から「従軍慰安婦」削除について

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79一応コピペ
辺見庸『もの食う人びと』(角川文庫)p328〜

>金さんが敬虔(けいけん)なクリスチャンであることを知ったのは一月三十日、彼女がメソ
>ジスト教会にお祈りに行くと言ったからだ。日本大使館前の行動が本気だったかどうか
>の疑いはその時点で吹き飛んだ。
>私はもともと、私と大方の人びとの、この種の疑念の持ち方に、ある薄汚いものを感じて
>はいた。彼女は教義に反し、天国行きの保証を自ら危うくしたのだ。いや、方々一、狂言
>だったとしてなに悪かろう。私にとがめる筋合いはない。
>教会帰りの彼女はピビムバプ、私はネンミョン(冷麺)を食べながら話した。昼食向きの
>話題ではなかったかもしれない。
>「はじめてされた時、一週間出血して寝こんだよ。赤チンもらったよ」
>全羅南道康津郡に生まれた金さんは一九四四年九月ごろ、ちょうど私がこの世に生を受
>けたころ、軍服を着た日本人らに連行された。「日本で働いて金を儲(もう)けないか」とい
>う誘いを断ったが聞いてもらえなかった。十八歳だったという。
>光州−仁川−釜山−大阪−サイゴンと旅し、ラングーン(現ヤンゴン)到着。
>そこの郊外の赤土に、平屋のバラックがあった。「ラングーン軍人慰安所」の看板。廊
>下の両側に十ずつ、計二十部屋があり、彼女は「三号室」に入れられ「光子(みつこ)」と
>呼ばれる。