◆◆◆山縣有朋◆◆◆

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1元奇兵隊
ってどうよ
2日本@名無史さん:01/09/02 08:24 ID:A0YhHvws
国賊
3日本@名無史さん:01/09/02 08:29 ID:Fb.Tf1DQ
こうよ
4日本@名無史さん:01/09/02 08:30 ID:1mvHADXs
そうよ
5日本@名無史さん:01/09/02 09:55 ID:TiCMy/T2
誰?その人?
6日本@名無史さん:01/09/02 10:04 ID:SlA2m8yE
乃木には乃木でなければならぬ役がある
ナガシマさんを大将にするナベツネ氏よりマシか
7ななしっこ:01/09/02 11:51 ID:Ulg/JfLg
誰? 山県昌景なら知ってるけど、関係有るの?
8日本@名無史さん:01/09/02 12:43 ID:c6Ibmh5s
>>7
長州出身で明治・大正に
軍部・政界に君臨した大実力者
でもあまり山縣有朋好き、って言う人見ないねえ。人気無いね。
9日本@名無史さん:01/09/02 13:43 ID:XeKOFORo
大山巌の方が好き。
10日本@名無史さん:01/09/02 13:47 ID:bYm6FwX2
国賊。
日本を破滅(敗戦)に導いた源流。
11日本@名無史さん:01/09/02 13:59 ID:H7pWwP.I
曾孫とおぼしき山縣有徳って人が
この前サハリン沖で飛行機不時着して
救助されてたな。
12日本@名無史さん:01/09/02 14:35 ID:.LUovpCE
>>7
武田の山県昌景とは、関係無いのでは?
土佐の板垣退助は、同じ武田の部将だった板垣信方を
祖先に持つ、ていうのは聞いたことが有るが・・・
13日本@名無史さん:01/09/02 14:36 ID:.LUovpCE
この人、人気ないね・・・
14日本@名無史さん:01/09/02 15:23 ID:MM403vd6
宝蔵院流の槍の使い手
15日本@名無史さん:01/09/02 15:59 ID:DtRPp5iU
椿山荘
16日本@名無史さん:01/09/02 16:10 ID:mieU1vUE
立見尚文には終生頭が上がらなかったらしいですね
17日本@名無史さん:01/09/02 20:02 ID:5IdkmuyE
西郷隆盛・大村益次郎・前原一誠・桐野利秋らが生きていたら
軍の中では、下っ端でしょう。
18日本@名無史さん:01/09/02 20:14 ID:dUCFaUbU
こいつが死んでから、変な方向に流れたんだから、
別にこいつの所為じゃないのにね。
何でこれだけ嫌われるんだが。
19日本@名無史さん:01/09/02 20:30 ID:mFgdoSAc
>>18
坂の上の雲の影響じゃないの?
20日本@名無史さん:01/09/02 20:41 ID:dUCFaUbU
>>19
司馬恐るべしって事か。
21日本@名無史さん:01/09/02 21:21 ID:QKgbcpGs
そこまで罵倒してたっけ>司馬氏
個人的には官僚主義を採用した人間として評価してるけど
結果として官僚至上主義に陥ったのは後世の連中にも責任が
あると思われ
22日本@名無史さん:01/09/02 21:21 ID:tul6jfEg
俺は好きだな山縣有朋。
23日本@名無史さん:01/09/02 21:23 ID:UJ2rsxYU
>>8
同時期に死んだ大隈重信の葬儀は人があふれ返ったのに、
山県は国葬だったにも関わらず、人出が無くて寂しいものだったそうですね。

しかし、どっかの本にこういうことを書いてた。
「確かに大隈の方が人気があって、山県は嫌われていたが、
 どっちが偉大か、と聞かれたら皆、山県と答えるであろう」という風に。

山県については、岩波新書の岡義武「山県有朋」が面白い伝記です。
これを読めば、山県が結構好きになるかも。
24日本@名無史さん :01/09/02 21:31 ID:b1eP84l6
>>19>>20
司馬の、翔ぶが如くでの評価は、かなり悪い。
25日本@名無史さん:01/09/02 21:36 ID:fm.YYekk
>>17
西郷・大村>山縣>前原>桐野
違う?
山縣は下っ端ではないよ。
26日本@名無史さん:01/09/02 21:38 ID:tul6jfEg
>>24
翔ぶが如くは見てないなぁ・・ 今度読んでみよっと。

坂の上の雲では、寺内正毅と共に批難されてたような気がする・・・
27日本@名無史さん:01/09/02 21:45 ID:dUCFaUbU
>>24
司馬は嫌いに成るとトコトンだからな〜
28日本@名無史さん:01/09/02 21:48 ID:hMZkI2R2
坂の上の雲読んでないけど嫌い
29日本@名無史さん:01/09/02 21:55 ID:kYl.4//E
明治45年7月15日、天皇は枢密院の会議に
出席した。このとき天皇は、それまで一度もなかったことだが
もう堪えきれぬほど弱っていたのであろうか、うとうと
と仮睡した。山縣は、議長席にあってめざとくそれを見つけると
軍刀の先で床を強く何度も叩いた。そのきびしい音によって、
天皇を目覚めさせ姿勢を正させたのである。
30日本@名無史さん:01/09/02 21:57 ID:kYl.4//E
「山縣の独舞台となりて後、一己の欲望を逞うする外、毫も皇室国家
の為に計りたる事跡なし」
「今日に始まりたる事に非ざれども山縣の胸中には皇室もなく国家もなし」
31日本@名無史さん:01/09/02 22:01 ID:KB7qrI6g
明治帝が満州軍司令官に大山巌を選んだ理由が
「山縣かお前(大山)かと言われたが、山縣はセコセコしていかん」
とかだっけ。

いわゆるガミガミ親父タイプなんだろうな。個人的には大した人間だと思う。
32日本@名無史さん :01/09/02 22:05 ID:oOWfOO3I
山県って、軍部の独裁化させた張本人でしたよね?言論統制させる法律も作らせた…
 政府と対立したら、「俺はおりる!」とか無理難題をつきつけて、ますます軍部を増長させたんですよね
 そう言う話を聞くと大嫌いですな…
33日本@名無史さん:01/09/02 22:08 ID:fm.YYekk
統率力と共に人間的魅力も有ったのかも?
高杉が作った騎兵隊も山縣なしには動かなくなって、
高杉も苦労したみたいだし。
34日本@名無史さん:01/09/02 22:12 ID:kYl.4//E
>>33
粋なこの世に生まれたからには
意気な人だといはせたい

この都々逸は個人的に好きだねえ。
35日本@名無史さん:01/09/03 01:01 ID:7oarw01k
人気ないねー山縣。
36日本@名無史さん:01/09/03 01:47 ID:uNqJBvFY
まぁ伊藤の方は、立憲政友会の初代総裁になった事からも分かるよう
に、政党政治の方にも目を向ける部分があったのに、山県は、陸軍と
内務省(警察)を権力の基盤としたガチガチの官僚主義者だからね。
今のように官僚に対する批判が高まっている時代に、山県の人気がな
いのは、むしろ当然の事でしょう。
37日本@名無史さん:01/09/03 03:23 ID:XGHOD6bQ
なんつーか奇兵隊軍監時代の山県には、それなりの面白さを
感じるけど、維新後はろくでもない印象があるね。
せいぜい妻を大切にしていたところくらいか、
好感が持てるのは。
38日本@名無史さん:01/09/03 03:27 ID:i.HEaD/M
>11

その息子とおぼしき人が
慶応高校でラグビーやってるね。
かなりの、うまいとか、、、、。
39日本@名無史さん:01/09/03 04:12 ID:XGHOD6bQ
明治陸軍のドン・山県卿も、先輩志士である一平民・白井小介
にだけは頭があがらなかったそうだな。
40日本@名無史さん:01/09/03 06:17 ID:hAXolPAQ
>>17
その代わり、維新前の世代がいつまでもがんばってたら日本の近代化は
遅れたと思う。
西郷や大村が、日清日露戦争に対応できたとは思えん。
41日本@名無史さん:01/09/03 06:31 ID:7oarw01k
>>40
いやいや、西郷はともかく、大村益次郎先生は対応出来ていたでしょう。
その後の帝国陸軍も違ったものに、なっていたと思う。
42意外!?:01/09/03 09:22 ID:7oarw01k
■■■■■■ 一応中間集計 ■■■■■■

  ※山縣有朋について    >>1- >>41

批判的・・・・・・・・・5
     好き・・・・・・・・・・1
     ある程度理解できる・・・6     
  
ハッキリ好きという人は少ないが、ある程度理解できるという意見が結構多いね。
また嫌いという人は徹底的に嫌ってるみたいだね・・・  
43ペプシさん:01/09/03 10:18 ID:Br/3IidI
44日本@名無史さん:01/09/03 11:33 ID:2qIWE4SI
山縣 有朋 1838-1922

枢密院議長・元帥陸軍大将・従一位大勲位功一級公爵
45日本@名無史さん:01/09/03 11:44 ID:2qIWE4SI
宮中某重大事件
46:01/09/03 12:33 ID:vt9PQz1M
大正天皇は山縣を毛嫌いしてました。
大正天皇のことをとやかくいう人がいますが、
この一点でもって大正天皇はわりとまともな人だったのだと思う、
47日本@名無史さん:01/09/03 14:16 ID:aSCAToAc
社会主義が嫌いで社会主義者達の取り締まりが
比較的甘かった西園寺内閣を潰し、その代わりに
お気に入りの桂太郎を再び首相にした。
そして「大逆事件」が起こったんだったと思う。

これぐらいしか知らね。
48右京:01/09/03 14:25 ID:spcc/pEM
うまく名門・山縣家にもぐりこんだ粕!
長州出身というだけで上に登りつめた人物、姦賊!
長州で偉いのは幕末にがんばり死んでいった人たちだけ(大村益次郎、高杉晋作
など)明治維新後の長州出身者は粕だらけ!
と今は亡き江藤新平公がいっておられます。
49もも:01/09/03 16:33 ID:E0WQ2Wlw
山県は、皆が思ってるより立派な人物です.
50日本@名無史さん:01/09/03 18:24 ID:cRJnIRco
>>48
江藤自身がカスだからなあ…
51日本@名無史さん:01/09/03 18:37 ID:S1y46QPw
山縣有朋は、皇太子時代の昭和天皇と、薩摩派の影響下にあった久邇宮
良子(おととし?に逝去した皇太后)との結婚に反対してたっていうけ
ど、それが成功していれば美智子さん(現皇后)がイジメられることも
無かっただろうに。
52左京:01/09/03 20:31 ID:7oarw01k
誰がどう考えても国賊でしょう。

>>51
ワロタ
53日本@名無史さん:01/09/03 20:59 ID:Cg0c545s
>>50
本心?<江藤はカス
大分偏狭な所有ったようだが、
立派な人だったと思うぞ!
54左京:01/09/03 21:21 ID:7oarw01k
江藤ねぇ・・  評価分かれる人だね、この人も・・・
55日本@名無史さん:01/09/03 21:35 ID:O0p1SxM.
山縣家って名門なの? >48
56日本@名無史さん:01/09/03 21:34 ID:3AmOqPN.
かなり前にテレビ東京で子孫の人が出てきてたねぇ。
57日本@名無史さん:01/09/03 23:13 ID:4rPOc45w
│長岡藩ガトリング砲の威力うけてみよ!
 \__ ____________/
      ∨  山縣有朋史ね
   Λ_Λ ドルルルルルルルルル!!!!!            ∧_∧∩
   ( `∀´)___。  \从/      _ _  _  ⊂(゚д゚*) |     _
  ミ(  つ【〔ロ=:(∈(二(@ > ‐― ‐  ― _ - ̄ )_ ̄/ ‐―
   人 ヽノ B ̄゛  /W'ヽ        ̄       /  /     ̄
  (__(__) B   、、、  ,,,
58日本@名無史さん:01/09/03 23:15 ID:4rPOc45w
│長岡藩ガトリング砲の威力うけてみよ!
 \__ ____________/     あ
      ∨ 西園寺公望史ね
   Λ_Λ ドルルルルルルルルル!!!!!            ∧_∧∩
   ( `∀´)___。  \从/      _ _  _  ⊂(゚д゚*) |     _
  ミ(  つ【〔ロ=:(∈(二(@ > ‐― ‐  ― _ - ̄ )_ ̄/ ‐―
   人 ヽノ B ̄゛  /W'ヽ        ̄       /  /     ̄
  (__(__) B   、、、  ,,,
59日本@名無史さん:01/09/03 23:46 ID:3Gqcy/gE
60日本@名無史さん:01/09/03 23:49 ID:Cg0c545s
│官軍のアームストロング砲の威力うけてみよ!
 \__ ____________/           あ
      ∨ カワイツグノスケ史ね
    Λ_Λ ドルルルルルルルルル!!!!!               ∧_∧∩
   ( `∀´)___。  \从/      _ _  _  ⊂(゚д゚*) |     _
  ミ(  つ【〔ロ=:(∈(二(@ > ‐― ‐  ― _ - ̄ )_ ̄/ ‐―
   人 ヽノ B ̄゛  /W'ヽ        ̄       /  /     ̄
  (__(__) B   、、、  ,,,
61日本@名無史さん:01/09/04 00:41 ID:6KfCo6s6
│長岡藩ガトリング砲の威力うけてみよ!
 \__ ____________/         うぎゃっやー
      ∨  山縣有朋史ね
   Λ_Λ ドルルルルルルルルル!!!!!            ∧_∧∩
   ( `∀´)___。  \从/      _ _  _  ⊂(゚д゚*) |     _
  ミ(  つ【〔ロ=:(∈(二(@ > ‐― ‐  ― _ - ̄ )_ ̄/ ‐―
   人 ヽノ B ̄゛  /W'ヽ        ̄       /  /     ̄
  (__(__) B   、、、  ,,,
62日本@名無史さん:01/09/04 01:16 ID:lu61XGB6
>>39
白井小介って聞いたことがあるね。
山県はどうしてこの男にだけは頭が上がらなかったの?
63日本@名無史さん:01/09/04 01:42 ID:r0Y.3jhA
そういえば軍への政治的影響を恐れて「軍人直喩」を
採用したのも山縣だった。

うーむ、嫌いじゃないが後々の人間が解釈に困るものばかり残すな。
64日本@名無史さん:01/09/04 08:41 ID:5oPt8wBM
山縣有朋・・・・     何故か興味をそそられる人物・・
65日本@名無史さん:01/09/04 09:56 ID:dm7hF8e6
奇兵隊時代の山縣ならまあまあ好き。
 
・・・でも高杉晋作、大正ぐらいまで生きてたら
帝国陸軍どうなってたのかなあ?
大村益次郎とかも生きていて欲しかったなぁ・・
66日本@名無史さん:01/09/04 12:16 ID:2.d8J1dc
山縣は北越戦争で死ぬべきだった。
67日本@名無史さん:01/09/04 12:53 ID:khw5MjVU
確かに大村益次郎が生きていれば
山縣はその上には行けなかっただろうね。
大村の構想には外征って観念なかったようだし、
大村の暗殺によって歴史の流れが大きく変わったんだろうな。
6850:01/09/04 12:57 ID:SrwPs27Q
>>53
江藤は反薩長のためなら何でもやった男だからなあ。
司法卿の分限を超えた暴走もあるし。
まあ山城屋事件を待つまでもなく、江藤と山縣は仲悪かったし、
大久保が必死に江藤封じをしようとしてたのも、あながち薩摩閥保護の
側面ばかりでもない。結局民選議員派とも袂を分かつわけだし、
肥前の中でも孤立してる。人間的にはかなり問題のある人物だったと思うなあ
仕事はできたけどね
69日本@名無史さん:01/09/04 13:06 ID:khw5MjVU
江藤には自由民権運動で活躍して欲しかったな。
70ななし:01/09/04 14:21 ID:118Ihowc
2
71日本@名無史さん:01/09/04 17:35 ID:SbufWAVM
>>67
>確かに大村益次郎が生きていれば
>山縣はその上には行けなかっただろうね。

そういえば大村益次郎の後継者として、「小ナポレオン」の異名をとった
山田顕義が目されていたのに(高杉晋作の遺言)、山田は軍人を辞めて
司法畑に行っちゃったからなあ。
72児玉源太:01/09/04 17:43 ID:mGMeHtXc
絶大な権力だったんだろうな・・・・山縣の絶頂期って・・
最後は失意のうちに亡くなっちゃったけど・・・
73日本@名無史さん:01/09/04 18:05 ID:SrwPs27Q
>>71
山田は、山縣の向こうを張るには、ちょっと若すぎたね。維新時でまだ25だし…
軍事的才能はあったと思うけどね
74日本@名無史さん:01/09/04 19:30 ID:DudHGte6
山縣狂介・・・・・・なんちゅう名前や。
75日本@名無史さん:01/09/04 19:38 ID:cm3.3Y1w
原を暗殺したのってやっぱり山県なの?
76ズク出せ:01/09/04 19:49 ID:fP.pY8iY
日露戦争開戦前・・・
山縣「ボクが陸軍の大将になりたーーーい」
児玉「ボクは参謀だけど、大将はガマ坊じゃなくちゃイヤー。」
77日本@名無史さん:01/09/04 23:32 ID:PaodxqBc
>>71
まあ、山田が陸軍を辞めたから今日、日大と国学院があるわけで……
78日本@名無史さん:01/09/05 00:52 ID:xpWzhkRE
白井小介を山県邸に派遣するのが一番の得策。
79日本@名無史さん:01/09/05 00:59 ID:AcX//GnA
山縣ってアシガールの出身だろ
80ハルノミヤヨシヒトデンパ:01/09/05 01:22 ID:Kyk4wORE
(詔書を丸めてのぞきつつ)
科学によると、山縣には間違い多しと、珍には見えておる。
81秋みのる:01/09/05 01:25 ID:iSnNBKxk
>79そうなのよ、何故農民に毛が生えた様な足軽の彼が名門の山縣家に入れたか
謎??
ほんと、今の世もそうだけど高杉や大村などのいい人は早く死んでしまいますね。
結局人のことより自分のことしか考えない奴ばかり、生き残る。
山縣はその典型的な人物。
82日本@名無史さん:01/09/05 01:28 ID:Iz6m6Abg
足軽から内閣総理大臣に……
考えてみれば秀吉なみの麒麟児だな。
83日本@名無史さん:01/09/05 01:33 ID:Iz6m6Abg
>>81
大村益次郎はともかく、上士階級の高杉はカナーリエリート
意識濃厚だったのが実際のとこなので(戦後は奇兵隊も縮小
しようと考えていた)、維新前に逝ってくれてよかった面も
ある。

だからといって山県を評価しているわけではないが。
84日本@名無史さん:01/09/05 01:42 ID:MOo2AstA
>>75
晩年の山県はむしろ原と協調、というか原に依存してました。
原暗殺の報を聞いた山県は、「原まで殺されてはかなわんな」と絶句したそうです。
85日本@名無史さん:01/09/05 03:54 ID:o4F3k3pM
歴史素人です。
山城屋事件で金に超汚いことがわかり、
宮中某重大事件で皇室をないがしろにした似非尊王というのがまるわかり、
そんでもって官位だけは超一流、
一般人から好感をもたれる要素なし。
そうそう軍閥の中心人物でもあった。
そんな輩=国賊に決定!!
86日本@名無史さん:01/09/05 05:28 ID:RYTjCsBo
薩摩人と比較してどうも長州人は人徳に欠ける人が多いな。うん
87日本@名無史さん:01/09/05 05:58 ID:RX.vDBhc
俺は官軍
88日本@名無史さん:01/09/05 06:12 ID:28s9ShZ6
sage
89日本@名無史さん:01/09/05 08:07 ID:hU2bY0lY
山縣が満州軍総司令官に、ならずにホント良かった。・・・しみじみ
90日本@名無史さん:01/09/05 08:42 ID:Vl17JQ0Y
まあ、長州人は海を見れば向こうは中国・朝鮮だからな。
薩摩人は海だらけだからな。大陸的な分、薩摩の人間は
おおらかな分、人徳があるように見えるかも。
91厨房と呼ばないで:01/09/05 10:43 ID:3I0gpjPw
ところで山縣なの?山県なの?どっち?  誰かオセーテ! 
92日本@名無史さん:01/09/05 11:13 ID:2nLaouos
>>91
どっちでもエーんでないの?
93日本@名無史さん:01/09/05 13:02 ID:jZc2ac36
今の政治家に比べ、息子を自分の地位に就かせなかった明治の元勲は、偉いと思うのれす。
94日本@名無史さん:01/09/05 18:27 ID:4HnhV3D6
>>82
伊藤は「今太閤」と呼ばれたらしいが、山縣は呼ばれなかったのだろうか?
95日本@名無史さん:01/09/05 19:42 ID:HpSK0EG.
>>85
ネタだとは思うが一言だけ。
山県は確かに軍の巨頭だったが、満州事変以後のような軍部のような
無謀な対外侵略は絶対しなかった。国際関係に極力配慮してたんだよ。
96日本@名無史さん:01/09/05 20:37 ID:4uy8qaiE
山縣と昭和の軍部の思考形態は一緒。
ただ能力と、国際感覚は天と地ほどの差が有る。
97日本@名無史さん:01/09/05 21:50 ID:QLCvRs5c
>>83
教えてクンでスマソが
高杉晋作の末裔って明治時代に
なってから爵位貰ってるのかなあ・・・
98日本@名無史さん:01/09/06 01:37 ID:WmbwtEx2
私は山縣卿を尊敬します。
99日本@名無史さん:01/09/06 01:53 ID:8p4V90KI
>>98
べつに尊敬はしてないが(w、でも奇兵隊軍監時代の
山県には、そこそこ見るべきところがあったかな、
という気はする。慶応以降は高杉以上に奇兵隊士からの
人望があったのも確かだしな。
100nanasi:01/09/06 11:11 ID:1q8QGFrw
陸軍にも、西郷従道のような人物が欲しかった・・
101日本@名無史さん:01/09/06 13:00 ID:M55PjPuk
ちなみに明治十二年、いち早く政府内で国会開設の建白をしたのは山縣だった
102日本@名無史さん:01/09/06 13:47 ID:EYEWlW.A
松下村塾に在籍してたのは僅か半年って話だが、
それで人脈を作れたのなら「明治のラッキーボーイ」といえる。
個人的には伊藤博文の方が好き。
103風間映司:01/09/06 15:55 ID:T9pgyh0k
この前の事故で出てた人は子孫
104日本@名無史さん:01/09/06 16:29 ID:lsrAaVs6
大逆事件で幸徳一味を死刑においこんだのは山縣だといわれるが
事の真偽はいかなるものか
105一武人:01/09/06 17:00 ID:IB5xcX8E
http://www.kantei.go.jp/jp/rekidai/souri/3.html

山県有朋・・・・結構長生きされたんだね・・・
106日本@名無史さん:01/09/06 18:12 ID:M55PjPuk
>>102
松陰門下では下っ端のほうだろうね。松門四天王や桂・佐世・松島あたりと較べると…
四天王筆頭の吉田榮太郎が「鼻輪のついてない牛」「坊主頭の侍」「木刀」「棒きれ」
の絵を描いたエピソードは有名。暴れ牛=高杉晋作、坊主頭=久坂玄瑞(元医者なので)
木刀=入江九一。「なるほど。で、棒きれは誰じゃ」と山縣がたずねると、榮太郎が
「お前じゃ」と言ったので真っ赤になって怒ったとか。
ちなみに伊藤は、松陰から「周旋家」と呼ばれてた(褒め言葉ではない)のでどっこいどっこい
107日本@名無史さん:01/09/06 19:22 ID:OYIpnr0c
>>106
吉田稔麿(栄太郎)を「松門四天王の筆頭」としている文献はなかったと思うけど…
「双璧」は高杉・久坂で、「三秀」に稔麿が入っているのを見ると、
No.3というところじゃないか?
で、入江がNo.4と(w

でも同門の品川彌二郎は、

「維新前に死亡した同志の中で総理大臣になったと思われる人物は?」

という問いに対し、「吉田稔麿だ」と即答したそうだね。
やはり優れた人物であったに違いないね。
108ppp:01/09/06 19:53 ID:LmTxL.6o
うーーーん
吉田稔麿と武市瑞山(半平太)は、生きていて欲しかったな・・
109日本@名無史さん:01/09/06 20:03 ID:Q6lBSofU
>>108
あと、肥後の宮部鼎蔵もな。
110日本@名無史さん:01/09/06 20:14 ID:pTP1Wbvw
>>107
オレも四天王の序列は

No.1 高杉晋作
No.2 久坂玄瑞
No.3 吉田稔麿
No.4 入江九一

だと思ってた〜。
でも考えてみれば双璧(高杉・久坂)内の二人の序列は、根拠が無いね(w
高杉が一位なのは、まあなんとなく・・
111ppp:01/09/06 20:21
>>109
おおぉ、肥後の宮部鼎蔵・・・・   惜しい人を亡くした。
112日本@名無史さん:01/09/06 23:21
>>111
宮部鼎蔵も生きていたら総理大臣になっていた人物といわれているよね。
やっぱり池田屋事件の損害は大きかったのかな。
113日本@名無史さん:01/09/07 00:09
寺嶋忠三郎の序列は何番目ですか?
114日本@名無史さん:01/09/07 00:30
内閣総理大臣・宮部鼎蔵か。
115日本@名無史さん:01/09/07 00:54
>>104
「天地を覆さんとはかる人
世にいづるまで我ながらえぬ」
116日本@名無史さん:01/09/07 00:55
>>113
寺嶋は、やっぱり入江の次くらいかなあ……
117日本@名無史さん:01/09/07 02:07
>今の政治家に比べ、息子を自分の地位に就かせなかった明治の元勲は、偉いと思うのれす。
それならソ連の政治家の多くも息子を政治家にしようとしなかった。
別に彼らが偉いって意味じゃないよ。
彼らは政治家がいかに危険な商売か理解してたんだな。
だから息子達はもっと安全に旨い汁を吸える地位を見付けてやった。
明治の政治家も同じだろ。
尊皇の志士の内、何人が生き残って甘い汁を吸える地位に付けた?
連中は政治家=命の危険と考えてたんだよ。
今の政治家は汚職がバレて刑務所へ行くことはあっても命までは取られないと思ってんだろ。
118日本@名無史さん:01/09/07 02:48
>>117
なるほどな。そういう見方もあるかもな。
119厨房:01/09/07 09:25
だーれ?山県有朋って?
120通りすがり:01/09/07 10:20
>>119
俺もしらね。明治の人みたいだね。
121日本@名無史さん:01/09/07 12:49
>>117
もっと甘い汁の吸える地位って、具体的に何よ?
122日本@名無史さん:01/09/08 14:49
>>106
わしが読んだ本では松陰門下筆頭は吉田榮太郎と書いてあったんじゃが…
少なくとも高杉ではないと思う…弟子入りの時期も遅いし、どっちかというと異端
だし…松陰が一番愛していたという点では、妹婿でもある久坂ではなかろうか

まあ、後世の俺たちが勝手に「筆頭」とか言ってもしょうがないけどね
123日本@名無史さん:01/09/08 15:39
伊藤博文 > 山県有朋
124日本@名無史さん:01/09/08 16:16
>>123
たしか、伊藤博文というのは、すげ〜エロい政治家だったんだな。性的に
山県より偉いとかのはなし?
125日本@名無史さん:01/09/08 16:32
一般の人って、伊藤博文は知ってるけど山県有朋なんて
知らないんじゃないかナァ。
126日本@名無史さん:01/09/08 17:23
>>125
単なる陸軍の大ボスでなく総理大臣にまでなった人物だし
高校で日本史習った程度なら知っているだろう。
つーか、この板にくるくらいのやつなら大抵知っていると
思われ
127日本@名無史さん:01/09/09 03:06
>>126
世間一般のオバサン達は、知らないと思われ・・・・
ていうか、随分前だけど女子アナが、山県有朋のこと、やまけんありとも
て言ってた。 ワロタヨ
128日本@名無史さん:01/09/09 09:20
>>127
どこの局?
129日本@名無史さん:01/09/10 19:35
西園寺って山縣にさんざいぢめられたのにいつ頃和解したですか?
それとも反薩摩で利害が一致しただけ?
130日本@名無史さん:01/09/10 19:54
>>129
利害関係が一致した大正政変前後じゃない。
131日本@名無史さん:01/09/10 21:04
>>125
『るろ剣』には出てきたな>山県有朋
考えてみればマニアックな話だ。少年誌なのに。
132日本@名無史さん:01/09/10 22:20
>>129
一致した利害関係って何?
133Bishop:01/09/10 22:39
山県は内務大臣時代が有名では?モッセなどの助言から地方行政の
確立を図りましたね。
134日本@名無史さん:01/09/11 12:27
山縣が一番有名なのは元老時代だと思われ
135日本@名無史さん:01/09/11 17:07
>>132
桂と仲間割れした。
136日本@名無史さん:01/09/11 17:58
>>132
桂太郎が、山県系官僚や政党人を巻き込んで政党を結成しようとした事が、
政党嫌いの山県の怒りに触れて二人は仲違いしたのです。
桂にしてみれば、山県の政党嫌いの古臭さに、いい加減愛想を尽かしたんだ
ろうね。
それに桂新党には、加藤、後藤(後に脱落)、大浦、若槻、江木、浜口なん
て言う有能な連中が参加したからね。
137日本@名無史さん:01/09/11 18:13
俺は山縣より桂の方がよっぽど嫌いだが、当時は「ニコポン宰相」として人気が
あったのかな
138日本@名無史さん:01/09/11 18:34
>>136
桂と山県の微妙な対立は、桂園時代前半からあったと思いますが。
立憲同志会の結成で山県と桂が仲違いしたというのは初耳です。
どのみち、桂はすぐに死んでしまうので、あんまし意味はないような・・・
139日本@名無史さん:01/09/12 11:55
>>138
でも、桂が政党を結成すると言う事は、彼の政治路線が、藩閥・官僚内閣制か
ら政党内閣制に移行する事になる訳だから、政党内閣制に嫌悪感を抱いていた
山県の政治路線とは、完全に決別したと言う事になるのでは?
140日本@名無史さん:01/09/12 14:06
オマエら山口県人?
141138:01/09/12 15:09
>>139
山県と桂の対立は、むしろ単に山県閥の中で桂が台頭して
独自の勢力を持ったことに対する山県の嫉妬が最大の原因のような気がします。
もっとも、立憲同志会結成に対する山県の反応はよく知りません。
調べてみますね。
142日本@名無史さん:01/09/12 15:51
護憲運動で桂太郎が総辞職したときに、
「雪隠で首をくくるようのものだ」
と山県有朋が冷笑したという話は本当でしょうか
親分子分の関係ではなかったのですか
143日本@名無史さん:01/09/12 18:05
親分・子分の関係だって裏切りもあればだましあいもあるよ
佐藤栄作を裏切った田中角栄。
角栄を裏切った竹下登。
竹下を裏切った小沢一郎。
小沢を裏切った野田毅。
#しかもこの4パターンは、裏切った方に分があったりする
144138:01/09/12 21:31
>>139
伝記とか概説書を見た限りにおいては、
桂の政党結成に際し、山県は賛意を表したり不満を表明したり、
桂に対する悪口を言ったりするなど、相当対応にぶれがあります。
かなり動揺したんでしょう。結局、不満はあっても仕方がないと
諦めていたということかも。

>>142
桂は確かに山県の子分ですけど、首相として日露戦争を指導したりする中で
明治天皇の信頼も得て(山県は天皇に好かれてなかった)、
山県閥とはいえ、結構山県から自立してたんです。
山県といえど、やっぱり歳をとればいつまでも政治全般を思うがままに操るわけにもいきませんし。
145日本@名無史さん:01/09/12 21:44
枢密院議長従一位大勲位功一級公爵元帥陸軍大将
146日本@名無史さん:01/09/13 21:08
山縣閥で心の底から山縣に信奉してた人なんていたの?(藁
147日本@名無史さん:01/09/14 01:40
>>146
性格は陰険とはいえ、面倒見はすごく良かったから、忠誠誓う人は結構多かったんじゃないの?
もちろん「心の底から信奉」という言葉の定義にもよるけど。
148日本@名無史さん:01/09/14 01:46
>>147
どうなんだろうねえ。少なくとも奇兵隊軍監時代には
兵士達の人望を集めていたようだけどね。高杉以上に。

維新後、山県の子分って誰がいたんだろうね。
149日本@名無史さん:01/09/14 01:59
伊藤博文と桂太郎の2大政党制が実現していたら
今頃もっと議院内閣制が成熟していたかもと思うと
残念だねえ。
150日本@名無史さん:01/09/14 18:47
つーか国民党→憲政会の流れは桂の遺志をくんだもんじゃないの?
大正時代は少なくとも二大政党制だけど、国民は支持しなかった。
今でも、何が何でも二大政党制にしたがるおばかちゃんが多いけど、
英米はいざ知らず、日本では根付かんだろ。55年体制に戻るべきだな
151日本@名無史さん:01/09/14 18:58
>55年体制に戻るべきだな
国対役者の三文芝居付きの大政翼賛体制か?
ハッキリ言って御免被る。
152日本@名無史さん:01/09/15 00:10
>>149
もっと早期に二大政党制・議会政党制が定着してたら、ということじゃないの?
まあ二大政党制というのも過度に礼賛すべきではないが、政友会vs山県閥よりは
ずっと期待が持てたと思う。
153日本@名無史さん:01/09/15 08:40
これでうまい棒でも買いなさい( ´∀`)ノI
154日本@名無史さん:01/09/15 08:45
アリガトー
155日本@名無史さん:01/09/15 15:52
伊藤が暗殺されず桂がもっと早く山縣に愛想尽かしてたらってとこか。
ところで伊藤が在日出身って本当?だったら快挙じゃん。
156日本@名無史さん:01/09/15 16:00
>>155
何処から電波を受信されましたか?
157日本@名無史さん:01/09/15 16:13
>156
伊藤スレ
158日本@名無史さん:01/09/15 16:26
>>156
伊藤博文の伝記などを読まれたらどうですか?
159日本@名無史さん:01/09/15 17:06
>>151
>国対役者の三文芝居付きの大政翼賛体制か?

こういうマスコミの垂れ流しイメージを受け売りにする奴がいるから
二大政党制は困る。日本でやってはいけない
160日本@名無史さん:01/09/15 17:12
社会党が一体何をやったんだ
161日本@名無史さん:01/09/16 01:06
小ぴぺだが

山県有朋

・・・・・「天皇の官僚」の権力が、選挙で選ばれた国民の代表によってけっして制限されない仕組みを築き上げた。
この仕組みの効力は今なお生きており、日本の政治家が実質的な権力をもつのを阻んでいる。
アカウンタビリティーのない日本の権力構造を維持していく力になっている。

それゆえに山県は、二〇世紀の世界において最大の影響をおよぼした人物の一人とみなされるべきなのだ。

K.G.V.ウォルフレン
162日本@名無史さん:01/09/16 19:15
選挙する国民の民度が明治期よりもむしろ落ちている現在
貴族院は復活すべきだと思う
163日本@名無史さん:01/09/16 20:04
>>163
頭悪すぎ。こういう知ったかぶりの意見を得意げに言う奴がいるってのは
確かに民度が落ちてる証拠かもしれん(藁)
164日本@名無史さん:01/09/16 20:39
>163
随分と自虐的ですね。
165163:01/09/16 20:48
>>164
確かに。俺自身が民度の低さを示してるような・・・ 鬱〜
166日本@名無史さん:01/09/17 01:12
>>165
おもしろい。
167日本@名無史さん:01/09/17 01:40
>>165
間抜けさと誤りを率直に認める潔さが気に入った(w
168 :01/09/17 18:32
貴族院はずいぶん誤解されているが、はっきりいって今の参議院より100倍
役に立っていた。
アホに政治はできません。「良識の府」の名が泣いています
169日本@名無史さん:01/09/17 18:38
貴院はともかく枢密院が癌。
170日本@名無史さん:01/09/18 20:11
元老が癌。特に西園寺
171日本@名無史さん:01/09/19 01:32
 
172日本@名無史さん :01/09/19 21:58
>>131
大警視川路利良モナー
それにしても明治11年であれとは山縣老けすぎ・・・
173日本@名無史さん:01/09/19 22:47
>>23
>山県については、岩波新書の岡義武「山県有朋」が面白い伝記です。
>これを読めば、山県が結構好きになるかも。

読みました。ほんとに面白かった。特に最後の葬式の描写に感動。
今まで山県好きじゃなかったけど、これ読んでイメージ変わった。
他のみなさんにもお勧めします。
174日本@名無史さん:01/09/21 18:11
>>168
貴族院って何したの?
四次伊藤内閣倒閣の時動いたくらいしか思い浮かばないが
175日本@名無史さん:01/09/22 03:41
 
176日本@名無史さん:01/09/22 16:43
>>174
予算編成と法案審議。衆院と対等。政局と政治は、また別。
177日本@名無史さん:01/09/22 19:02
元帥陸軍大将従一位大勲位功一級
山縣狂介有朋
178日本@名無史さん:01/09/23 10:02
179日本@名無史さん:01/09/25 00:31
あげ
180日本@名無史さん:01/09/25 00:47
sage
181理性的批判者:01/09/25 01:21
>>177
公爵が抜けてるよーん
182日本@名無史さん:01/09/26 00:30
山県公爵は大正天皇に嫌われ
本人も承知しながら天皇に対し横柄な態度を取ったそうです。
これは不敬罪にあたるのではないかと思われます。
183日本@名無史さん:01/09/26 00:36
>>182
だからこのスレでは国賊っていわれてるでしょ。
184日本@名無史さん:01/10/01 17:57
>>182
会議の席上で明治天皇が居眠りしていたのを見た山県は、
軍刀を床にドンと叩きつけて天皇の目を覚まさせたという。

麗しい君臣関係だね(w
185日本@名無史さん:01/10/07 00:01
個人的には、宴会の席でみんながフグをつついてるのに、
山県1人だけ別の鍋でタイか何かを煮て食べてた、というエピソードが好き。
186名無しさん:01/10/08 20:04
あげ
187日本@名無史さん:01/10/09 07:05
俺が思うに、山県って結構親分肌のとこがあったんではないかと思う。
彼は確かに権力亡者であるが、あれだけの派閥を作るのはただもんでは無い。
昭和の田中角栄以上じゃないか?
しかも、伊藤、山田、松方、大山というライバルがたくさんいたんだからね。
伊藤なんて子分は井上、金子くらいじゃないの。

彼が金と権力をもっていたのは事実だが、それだけですべての人間はついてこないし、大派閥は作れないよ。
188日本@名無史さん:01/10/09 07:12
コッポラの映画ゴッドファーザーでの
マイケル・コルレオーネを思い浮かべて
しまうのですが。
185のエピソードなんか特に。
189日本@名無史さん:01/10/20 15:36
あげ
190日本@名無史さん:01/10/20 15:43
陸海の藩閥対立を作り出した張本人!!!
191日本@名無史さん:01/10/20 20:29
顔の長さでは、明治政界随一だな
192日本@名無史さん:01/10/21 01:12
高杉もな
193日本@名無史さん:01/10/22 21:53
age
194教えて厨房:01/10/22 22:22
史上最悪の宰相。原敬や田中角栄がカワイク見える(w
195【^▽^】足軽浪士ジョーカー@長屋:01/10/22 22:37
>187
あなた、明治と戦後の背景・条件の違いを認識した
うえで言っているの?
196日本@名無史さん:01/10/23 01:35
山県は天皇が政治に利用されるたり
軍人が政治に介入する状況をかなりおそれていたな
197日本@名無史さん:01/10/23 01:49
同じ長州人ですが、恥ずかしいやら権力亡者の一典型が分かって勉強になるやら、
なかなか冷静に向き合えません。
『原敬日記』を読んでいると、いかに山県の陰謀が凄まじかったかがよく分かり
ます。
「俺たちが苦心して創り上げた近代国家を、もう壊そうとしている奴(原敬)が
現れたか。お手並み拝見だな」
198日本@名無史さん:01/10/23 01:53
原敬の子孫が「笑っていいとも」に出てた
199日本@名無史さん:01/10/23 01:57
>>168
 元老は民主主義の観点から見ると「辛い採点」になってしまいますが、
ともかく西洋列強の力を決して甘くはみませんでしたからね。大日本帝国
が官僚主義的になっていくのが、実は元老が死んでいく時代からはじまる
ことを考えれば、「よくやっていた」と評価してもよいと思います。日露
戦争も、なんとか引き分け(というか負け)なんだけども“勝ち”にしま
したからね。
 あの後、日本中を挙げて西洋列強に対してタカをくくってしまったのは
なんとも悔しい気持ちになります。といって、僕があの時代生きていたって
どうにもならなかったでしょうが。
 日中戦争も、開戦まであのナチスドイツが間にわって入って日本の軍部を
思いとどまらせようとしたという話は、ナチス以下の現時認識力だったとい
うことに思いがやられて忘れられない話です。
200日本@名無史さん:01/10/23 02:01
>>199
>西洋列強の力を決して甘くはみませんでしたからね。
確かに。維新後すぐの新政府は外交オンチだったけど
徐々に世界情勢を把握し的確な外交ができてたと思う。

日露戦争以後、政治家の質が明らかに落ちそれをなんとか
元老が支えていたという印象ある。
201日本@名無史さん:01/10/23 06:37
あげ
202日本@名無史さん:01/10/23 08:05
>>197
権力亡者なところが、山県ファンにとっては魅力なわけで・・・
203日本@名無史さん:01/10/23 16:08
>>196
そもそも山県は、元帥になった訳だから、生涯現役の軍人って事だよね。
その山県が、軍人の政治介入を恐れていたなんて、論理矛盾の極みだよ。
204日本@名無史さん:01/11/11 23:07
age
205日本@名無史さん:01/11/11 23:11
>203
それに山県らは天皇利用の張本
206日本@名無史さん:01/11/11 23:21
山縣は軍人勅諭にも、軍人が政治に介入する事を諌めていた。
選挙権も無いくらい徹底していたが。
彼自身はどうも特別らしい(藁

半分は自己保身(自己派閥)、
もう半分は軍人が政治介入しても碌な事にならんと踏んでたんだろう。
昭和期の暴走を考えると、あながち間違ってないのが痛いな。
腐っても鯛ってことか。
207日本@名無史さん:01/11/11 23:29
赤根武人を思うと好きになれません。<奇兵隊時代、元老含

最初の奥さんだって強姦して手に入れたとか。

功績は認めるけど、好き嫌いは別だ
208日本@名無史さん:01/11/13 02:57
今日のNHKで山縣有朋の子孫(直系)のかたの、ことをやるらしいぞ。
シベリア付近に漂着した、事件のことだけどな(w
209日本@名無史さん:01/11/13 17:16
>>187
伊藤にとって井上は子分ではないし(寧ろ親友だ)
部下を言うなら藤門四天王(伊藤博文四天王)だって居るんだからそれくらい挙げないと

井上毅、金子堅太郎、伊東巳代治、末松謙澄
せめてこのくらいはさ
これだけで凄いメンバーじゃないか?
210日本@名無史さん:01/11/16 02:12
ageage
211日本@名無史さん:01/11/16 19:02
age
212日本@名無史さん:01/11/16 22:02
既出かも知れんけど彼は大変内気な人物だったそうですよ。
213日本@名無史さん:01/11/17 01:03
もっと語られてもいい人物だと思うけど
214>ながこ:01/11/17 02:08
宮中某重大事件のみじめな敗北
215日本@名無史さん:01/11/17 02:16
>213
十分語られてるじゃん。
216日本@名無史さん:01/11/17 04:54
>>215
そうか?
217日本@名無史さん:01/11/17 08:24
>>208
山縣有徳さんだっけ、有朋には似ていなかったね。
四角ばった顔立ちで、がっちりした感じの人だった。
218日本@名無史さん:01/11/17 10:54
1945年に日本が滅んだのは
1922年に死んだ山縣のせいだ、という輩が多くて
困っちょります。
219日本@名無史さん:01/11/17 13:14
>>218
逆だろうね
山県と原敬という強力なリーダー・シップが
なくなり陸軍が政治勢力として台頭
国際関係を悪化させ勝てもしない
戦争を起こしやっぱり負けた
220日本@名無史さん:01/11/17 13:47
>>218
むしろ長く生きすぎたような気がする。
伊藤を朝鮮に追いやってからの山県ってほとんど惰性で生きてる。
1910年くらいで隠居するのがベストでしょう。
桂や寺内が早死にしたのも無駄に長生きさせた要因のひとつかな。
まぁ後継候補が田中と清浦じゃ仕方ないけど。
221日本@名無史さん:01/11/17 13:51
伊藤博文が殺されたとき、「羨ましい」って言ったんだって
維新三傑のように劇的に死にたかったんだろうねぇ
「長州の三尊」としては(山縣、伊藤、井上のコト)
(木戸も西南戦争中に死んでるから)

ハラケーって関係あるんだ・・・
桂もロクでもないと思うけどな
222沢山:01/11/17 14:34
雑誌『世界』に松尾尊~京大名誉教授と三谷太一郎東大名誉教授の対談が掲載されていた。
このなかで特徴的であったのは、三谷が抑制的であったのにかかわらず、松尾が貧しい
経験をひけらかして、歴史を語る姿であった。松尾は大正デモクラシー研究の第一人者
などとされているが、彼の山県理解なぞ、貧しい思想により断罪され、ここのスレにも
あるようなイメージをつけるものであった。多分、松尾は、山県を戦後の岸信介とダブらせて
イメージしたのであろう。しかし、岸も政治家として有能であったが、山県は、自らの
死を迎えるにあたり、葬儀の参列者がすくないことをも予想していた。時代の流れを
知らなかったのではなく、自らに殉じたのである。浮ついた歴史観は、一面的な、そして
自らの能力の鏡でしかない。松尾は山県が単に嫌いなのだ。歴史を研究するならば、政治を
知り、山県をすきなって貰いたいものだ。松尾真に意ってし。
223名無しさん:01/11/17 15:21
明治5年に山城屋が自殺した時
自分も割腹していれば英雄。
224日本@名無史さん:01/11/17 16:24
思えば、大日本帝国の転落が始まったのは
1923年の関東大震災辺りではないか・・・

震災手形の発行→金融恐慌→世界恐慌→満州事変→日中戦争→
日本の孤立→太平洋戦争→敗戦

山縣が1922年に死んだことを考えると
大日本帝国の転落は、山縣の呪いじゃなかったのか・・・?
オカルト史観だけど(w
225日本@名無史さん:01/11/17 17:39
元老って色々いたけど
大正以後まともなのは
山県だけ

松方・西園寺は状況に流されっぱなしで
問題が起きた時何も役に立たない

山県が死んで政党政治が腐敗していくのは
歴史の皮肉だ
226日本@名無史さん:01/11/17 19:35
人徳0だが、有能な人物って事かな。
良くも悪くも山縣が国を引っ張ってきたの事実。
実際彼の存命中は、大きな失策もないし、及第点はあげても良いと思う。

民主主義の最大の敵が死に、民主主義がドンドン廃れていったのは、
なかなか面白い事だな。
227日本@名無史さん:01/11/18 02:08
山県の残念なところは後継者がいなかった事
彼の死がそのまま国家の衰亡になってしまった
228日本@名無史さん:01/11/18 04:27
age
2294456454564:01/11/18 22:15
山県の国葬に際して記者時代の石橋湛山が「死もまた社会奉仕」と吐き捨てたのは有名
230西国のアズマ帰依者:01/11/18 22:36
おいおい、松尾嫌いか?お前>222
松尾の研究を大正デモクラシー研究と矮小しとるが、
やつは明治期の普選運動から延々と研究してる学者だろ?
やつの研究を貶せんからって、やつの山県理解にかこつけて批判するなよな〜。
明治期から研究してる松尾に山県を貶す資格は、やつの研究
成果の偉大さから考えて十分資格がある。

それより本質的な問題があるだろ。
(大正デモクラシーが第二次護憲運動あたりで終わってるとか)
他人への尊敬を忘れた人間の発言は醜いぞ
231日本@名無史さん:01/11/29 02:15
松尾先生は偉大な方です。呼び捨てにするとは許せません。
232山県有朋:01/11/29 21:37
一介の武弁です
233日本@名無不史さん:01/12/01 20:02
兵頭二十八マニアなんですが(もっとも 2ch軍事板etc.の御蔭《?》で最近はそれでも客観的に
読めるようになっては来た)、軍学者先生が故・宗像和広との共著 『陸軍機械化兵器』(H7/6/15
銀河出版刊) に一章(『暴力と知力 - 日本人と機械化戦争』)を割いて展開しておられる、

 「明治政府 = 『山縣幕藩体制』説」

を皆さんどう思われますか?

全文引用する訳にも行かないので章立て

A.『天才を生めない官僚管理国家』 B.『兵器開発を遅らせた参謀たち』 C.『見栄えとジェラシー』
D.『「国を亡ぼす自由」もあった!』 E.『学歴がすべて=官僚の世界』 F.『軍人の能力を図演で測る』
G.『不勉強すぎた政党政治家』 H.『部下のテロを恐れた唯一の軍隊』 I.『山口県のために世界と戦争を』
J.『「できないこと」を忘れさせよ』 K.『「無知の帝国」病は治ったか?』

や,

※(前略)「このように、初めから基盤の弱い、新参の近代国家・日本としては、国民ひとりひとりの秘めている
 “知力”をどこまで開発し、役立てられるかが自存自衛の鍵であったろう。 戦前の日本は、それに全く
  失敗した」(序章)

※(前略)「しかし、日本人の優等生は、ゼネラリストの教養が薄いためか、『科学的な丼勘定』 が苦手だった。
  (中略)  が、機械はそういう無理をきいてくれない。 つまり参謀の無能がテキメンに表出するのが
  非徒歩部隊の運用なのであり、自然、無能な参謀ほど重い兵器に悪感情を抱くようになった」(B)

※「最新軍備を充実させず、勝手に軍隊を動かした上で大失敗し、国家を破滅の淵に追い込んだとしても国の
  法律では一切罰せられない… この現人神にも並ぶべき特権の源は、明治の法制にあった。  (中略)
  参謀たちは軍隊を動かして三種の神器を奪い、天皇を島流しにして、気心の知れた参謀総長を即位させた
  としても、それは合法となる可能性すらあった。  なにしろ彼らは後から勝手に法律をつくることもできた
  のである。  二・二六事件がそのような展開にならなかったのは僥倖であった」(D)
続く。
234日本@名無不史さん:01/12/01 20:20
ageて続き。

※「ここで一つ、万古不易の法則を確認したい。 それは、『軍人の有能無能は、実戦の緒戦を経た後でないと
  分らない』 ということである。  (中略)  それは国民の知的水準とはあまり関係なく、ようするに近代
国家として幾度となく苦杯を嘗め地獄を見てきた、忘れ難い経験に比例したものであった。  近代陸軍を
創ってわずか五十年しか経たず、西欧軍隊とはたった一度、本格的に戦ったことがあるだけという日本は、
国民の近代戦経験が稀少すぎた」(F)

※「明治憲法の下でも、シビリアンコントロールを構築することは可能だった。  (中略)  武力は、それ自体が
  政治的な影響力に転化される。  (中略)  国体が国内武力の分散を図らず、国の武官にのみ力の集中を
  許せば、軍部が暴走するのはあたりまえであった。  この子供でも分りそうなあたりまえのことが、
  日本人にだけは分りにくいようだ」(G)

※「戦前、幕僚の法規違反やテロの黒幕が追及されないという現実は、参謀だけでなく下級将校からも
  『結果に対する恐怖』 を除去した。  (中略)  この気風が参謀たちにも波及したとき、『山県国体』 の
自爆装置にスイッチが入った。  すべては日本の政党人が不勉強すぎて、ソ連を手本に首相直轄の “憲兵隊”
をつくりあげられなかったことが招いたコースである」(H)

※(前略)「仮に朝鮮半島南端まで清国領あるいはロシア領となったところで、間に海が横たわっている以上、
  関東を中心とする日本全体の安全が従来より悪化するとは思われなかった。 しかし、これを長州藩(山口県)
  から見れば話は全然別となる。 いくら対馬海峡で対日侵攻を阻止できるといっても、その前面に九州や
  中国地方だけが立たねばならないならば、まるで鎌倉時代の元寇と同じであり、甚だ面白くなかった。
  結局、『山県国体』 は、山口県のために日本の全武力を動員することに成功し、清国に続き、ロシアも撃攘
  できた」(I)

※(前略)「つまり国家にとって国防の事業とは、一回勝てば済む通過儀式ではなく、球団が存在する限り続く
  プロ野球のようなものである。 当然、勝つときもあれば負けるときもある。 十万の犠牲を出した戦場を
  斉々と後にしなければならない場合もある。  (中略)  この国民不信と裏腹の愚民政策により、大正〜昭和の
  日本人からは、『自分達には何ができないのか』 を見つめようとする心掛けが失われていく。  (中略)

  愚民政策は、為政者をも愚にする。  これは江戸幕府の貴重な体験だったが、既に愚であるゆえに、
  その経験をいかすことができず、『山県国体』 は幕府よりもなおひどい終わりかたをせねばならなかった」  


といった兵頭節から内容を推し量って頂くしかないのが歯痒い限り。  でもこのスレッドで論議されている問題と
通底するファクターが多々あると思うのですが如何でしょう?

…ホントの事言うとこのテーマでスレッドを立てようと目論んでいたのが、ココがあることを知って計画変更、かくも
長文のレスと相成った次第。  請う御寛恕。


それにしても 「山縣幕府」 ってのは大変な慧眼だと思います。
235日本@名無史さん:01/12/04 12:31
>>234
>「仮に朝鮮半島南端まで清国領あるいはロシア領となったところで、間に海が横たわっている以上、
  関東を中心とする日本全体の安全が従来より悪化するとは思われなかった。

おまえ、あほじゃろう?
この論理からすると、山口や九州は日本の本質的部分じゃないってことになるぞ。
236日本@名無史さん:01/12/11 08:14
↑「あほじゃろう?」に笑ったよ
関東のみを守っても仕方ないからね
237日本@名無史さん:01/12/11 10:11
>A.『天才を生めない官僚管理国家』

身分や生まれによって出世が左右されていた時代の人が、
それを取っ払っただけでも十分価値があると思うけどな。
生まれや身分ではなく、学歴に変えただけでも十分評価できると思う。
238日本@名無史さん:01/12/14 00:23
山県有徳が山県有朋に似てないのは、有朋の姉の系統で家てきにみたら直系でも、遺伝子的に見たら傍系なので、仕方ない事だと思う。
239【^▽^】ジョーカー信徒:01/12/14 01:28
>>23
>>同時期に死んだ大隈重信の葬儀は人があふれ返ったのに、
>>山県は国葬だったにも関わらず、人出が無くて寂しいものだった

俺はあなたのような低見識の愚物を軽蔑します
たとえば、現在の日本人がどのような人間を愛好するかを
考えてみていただきたい

それは、『田中真紀子』ですよ
役立たずのリアクション世間師・田中真紀子ですよ

日本人は"主権者"などと自称しながら、
その実、まったく政治家に対する評価基準がくだらない
バカを好いて、賢人を退けてしまう
きっと明治日本人も同じで、くだらぬ理由から大隈を好み、
山県を嫌っただけに過ぎないですよ
ただ、好悪だけの、テンションだけの基準ですよ
すなわち、あなたですよ

国防義務も放棄してただ物事を要求するだけなら、もはや主権者などと呼べぬ
それはもはや、ただの"要求者"と呼ばれるべきだ
あんたらは全員、納税義務しか負わない"要求者"だ
"半国民"だ。それを忘れるな。汚らしい汚物どもが…
240【^▽^】ジョーカー信徒:01/12/14 01:32
田中真紀子を愛するバカ国民が
同じように大隈を愛し、山県を嫌ったに過ぎぬ

日本人に嫌われたからといって、
それが即、無能へと繋がるわけではない
むしろ、この国では逆である

この国ではバカほど好かれ、有能は嫌われる
つまり、山県は有能だから嫌われたに過ぎぬ
日本人から嫌われたことは、むしろ山県の誇りだよ

おまえらは、葬儀の参列者の数で政治家の功績を計っておれば良い
そうやって低見識をさらに磨いておればよい
田中真紀子を支持してワイドショーに電話してれば良い
241日本@名無史さん:01/12/14 20:58
>>240
「国民から支持される=有能」ではないという点は、
山縣好きとして同意だが、その理屈でいくと
支持率一ケタ代を弾き出した森 前首相はどうなる?
242日本@名無史さん:01/12/18 21:29
2431:01/12/30 13:48
u
244日本@名無史さん:01/12/30 14:16
>>235
>おまえ、あほじゃろう?
>この論理からすると、山口や九州は日本の本質的部分じゃないってことになるぞ。
断言しましょう、山口や九州は日本の本質的部分ではありません。
245 :01/12/30 15:27
槍術はかなり使えたそうで、権力体質といい体育会系の会社役員ってとこかな。
オーナー一族の権威をバックに社内をまとめ、手堅くシェアを拡大。
反対派と労組は叩き、新入社員の高学歴エリート中心に業界屈指の大企業を築く。
だが彼の引退後社は景気後退と無理な業務拡大が祟って火の車。
246日本@名無史さん:01/12/30 20:25
>>244
近畿だけだよね。
後は、大和の植民地だよね。
247日本@名無史さん:01/12/30 20:46
>239
23を責めるのは見当違いだと思いますよ。彼は山県について、具体的に批評してないし、
>>同時期に死んだ大隈重信の葬儀は人があふれ返ったのに、
>>山県は国葬だったにも関わらず、人出が無くて寂しいものだった
もたぶん、岡義武さんの引用ですよ。
私も読みましたが、山県の印象が変わりましたよ。結論的には良いところも悪いところも有った、
ってとこですかねえ。
248長州人:01/12/31 06:23
岡義武は批判的に書いてるのに、本読んで評価する人が多いとは、草葉の陰で苦笑しているかもね。
249石橋湛山:01/12/31 08:48
死もまた社会奉仕。
250軍令憲兵:02/01/03 04:27
子孫は一企業経営者。去年夏、オホーツクの上空で遭難しながら助かったので有名になった。
251長州人:02/01/04 02:21
有朋は体育会系ではないと思う。むしろ理論派だろう。実際に桁外れの勉強家だった。
体育会系や、感情派では、改革も強い組織も作ることは出来ない。
理論家だからこそ嫌われたのだ。反山県派こそ体育会系。
たとえば徴兵令を反対して、どうやって強い陸軍を作るのか発言が全く無い。
252長州人:02/01/04 03:19
追加。現代でも有朋を批判する人は感情的でしょう。戦下手なんて平気で言う。しかし、有朋は、戦争に一度も負けたことが無いのだ。
253日本@名無史さん:02/01/04 03:26
>>250
その子孫の息子、有孝君は今年慶応高校ラグビー
の選手として花園に出場した。高校日本代表候補
選手です。幼稚舎からの生粋の慶応ボーイです。
有朋から数えて5代目の玄孫だそうです。高3
なので今春慶応大学に進学予定です。これから
何かとスポーツ界で話題を振りまくでしょう。
254日本@名無史さん:02/01/04 03:27
>>251
『山県伝』に、槍の使い手で、毎日馬を責めて鍛錬している云々と、自慢げに書いてあるのはご愛嬌?
255軍令憲兵:02/01/04 05:00
>>252
日清戦争当時の第一軍司令官としては、指揮が良かったとは言えない。
だが、日露戦争前後は、参謀総長として大元帥陛下を補佐し、国家戦略を立案、コントロールする立場としては満点。
戦術家ではなかったが、戦略家ではあったというべきか。
256日本@名無史さん:02/01/04 05:26
>>251
しかし山縣文書を見ていくと、部下(山縣派)との交流にむっちゃくちゃ励んでいたのがわかる。
だからこそ山縣閥というものを築き得たのだろうが、やはり「親分」ではあったわけで、
その意味では体育会系(この意味もなんだかとりにくいが)の側面を切り捨てるのは違和感がある。
257嗚呼:02/01/04 07:27
山県というと
権謀術数の策士、といった感があるが
彼のもうひとつの側面に
国粋的愛国者の一面を見落としてはなるまい

(余談だが)この前、靖国神社に逝ってきた
大鳥居をくぐるとすぐに安置してある大村益次郎の銅像や
日露戦争や日清戦争の戦勝モニュメントには、正直、戦慄した

靖国の向かいにある九段開館などもそうだが
あの時代につくられた建造物は
明治/昭和日本の怨念というか、植民地支配、
列強参列への妄執というか、とにかく
現在の平成日本とはまったく別種の覇気というか、
なんというか、とにかくおどろおどろしいものを感じる
あの当時の日本がどのような国家だったのか、
それは建築物を見ればわかるな…

数年前にベストセラーとなった『超勉強法』という本の中でも
その筆者が江田島の海軍兵学校の校舎(現海上自衛隊仕官学校)について
『このような建物を作り得た組織は
 尋常なものではなかったという感想を持つ』と述べている

おまえたちのような祖国蔑視者はほんとうに情けなくなる
戦前の朝鮮人以下のクズだ
258会津人:02/01/04 07:50
山県家の家訓は今でも「天皇と国家に忠」
259日本@名無史さん:02/01/04 07:51
>>257
mata hennano kityatta yo
260日本@名無史さん:02/01/04 07:54
明治天皇に嫌われていたような人が、真に天皇に忠だったなんて思えないね。
261日本@名無史さん:02/01/04 09:06
彼が先鞭をつけた官僚の中立化は現在ひきつがれているがいい面も
あったと思うが今はかえって悪い部分がいたるところで露呈しているね。
262日本@名無史さん:02/01/04 16:46
部下のつもりだった桂太郎に見放されて、桂は桂で政党をつくってしまったのが笑える。
263日本@名無史さん:02/01/04 16:54
>>261
官僚の中立化の先鞭って。。
初耳だが。
264日本@名無史さん:02/01/04 21:43
1900年当時、福建省を獲得すべくアモイへの派兵を提案。
そんなアホなことをしたら国際的に孤立すると批判され、渋々撤回。
265嗚呼:02/01/07 06:35
本日の朝日新聞朝刊に掲載されているAERAの広告

『山縣有朋の「直観」に学べ
 〜戦前に強権外交を批判した精神
  崩壊直前の平成日本を救う道〜』
266日本@名無史さん:02/01/07 06:51
なんであそこまで長州閥にこだわったのかね。
普通に考えて、より広い間口から人材を登用した方が、
優れた人間が出て来やすいことになるが。
267日本@名無史さん:02/01/07 07:00
>266
長州外から人材を求めたら、
自ら拠ってたっている基盤を破壊するようなものだよ。
それでも、かなりの長州外の人が出世しているけどね。
268日本@名無史さん:02/01/07 07:39
長州にこだわったのは、山県ではなく寺内正毅だろう。
山県は長州以外からも山県閥にかなり人材を登用しているし、
陸軍薩摩閥の巨頭、大山巌らとも悪くない。
陸軍上層部の長州化を推し進めたのは、寺内陸相だよ。
そして山県は寺内を、桂や児玉ほど高く買っていない。
269日本@名無史さん:02/01/07 07:52
山県が「最後の切り札」の寺内をかっていなかったとは初耳だな。
270日本@名無史さん:02/01/07 07:59
それから、大山は意外に政党政治に理解があったようで、
別に親山県じゃあないよ。
山本、松方らとの対立を考慮しても、薩閥と悪くないとは言えない。
271日本@名無史さん:02/01/07 08:03
>269
比較の問題だがね。
寺内より先に桂、児玉が死んだのは、山県にとって誤算だったろう。
寺内が陸軍を託せる器とは見ていないよ。
272日本@名無史さん:02/01/07 08:27
山県が寺内より原敬を高く評価していたのは確実だよ。
273日本@名無史さん:02/01/07 18:06
>>265
立ち読みしてきたが、朝日が忌み嫌う伊藤隆や防衛大教授を使って山県を持ち上げ、
加藤高明、大隈重信を批判する「非朝日的」な記事だった。
そもそも名字の表記も「山県」ではなく「山縣」だし。
「ウチにはこういう記者もいますよ」という朝日的狡猾さか。
もっとも電車の中吊り広告には載せていないから、
朝日として積極的にPRしたい記事ではないようだが。
274嗚呼:02/01/08 18:49
>>273

補足記事どうもm(_ _)m
275...:02/01/09 08:09
どうして山縣の人徳がゼロなの?
部下からは慕われてたでしょうに...
276日本@名無史さん:02/01/09 08:42
露骨な派閥人事をして、その仲間に慕われるというのが、人徳が高いという話になるわけなかろ。
277日本@名無史さん:02/01/09 08:46
>>272
時期によって異なる。
最後の最後でそうなったというだけのこと。
278日本@名無史さん:02/01/09 09:23
子分だと思っていた桂、寺内にそっぽを向かれ、
政敵の政友会と妥協した山県は哀れなり。
279日本@名無史さん:02/01/09 17:58
>>273
読みが甘いな。
伊藤の名も出しているのは、該当部の史料を昔伊藤が翻刻したからだろ。
それから防衛大の田中宏巳の名も出しているが、
おれが知っている限り田中は地道な史料調査をしている人。
防大教授でも河野仁と同じように、十分好意的に評価されている。
それから、ちゃんと三宅正樹の研究だって出しているだろ。
280沖田∽:02/01/09 18:02
慶應高校ラグビー部に山縣有○って人が
いるんだけど子孫か?
281日本@名無史さん:02/01/09 20:49
>>279
三宅正樹は反大塚史学・反代々木の実証主義者で、
西川正雄、山口定といった近代ドイツ史=ナチス研究本流の代々木の連中から
毛嫌いされているのではなかった?
282【^▽^】ジョーカー:02/01/09 21:04
>280
慶応高校というと日吉の?
283日本@名無史さん:02/01/10 00:36
>>282
もうみんな知ってる。新聞にも子孫の子と出てる。
別に隠すことじゃない。だって代表候補だもん。
284日本@名無史さん:02/01/11 13:39
椿山荘は、山縣有朋の邸宅でした。

http://gnavi.joy.ne.jp/gn/option/g062900/
285日本@名無史さん:02/01/12 22:19
日露戦争から、たった40年であそこまで日本陸軍をだめにしたのは
やっぱり山県-寺内じゃないの。
286sage:02/01/12 22:39
いいかげんにコイツの名前はsageろよ!!!
287日本@名無史さん:02/01/15 08:54
>>286
ageてやる〜!
キャハハハハハ・・・
288日本@名無史さん:02/01/24 22:17
あげ
289日本@名無史さん:02/01/24 23:05
子孫をまた発見!
http://www.net-quest.jp/lesson_sci.htm
290日本@名無史さん:02/01/24 23:06
291【^▽^】尾張武士ジョーカー:02/01/24 23:10
山縣有朋のご子孫(の慶応ボーイ)ってどんな顔?
292日本@名無史さん:02/01/24 23:16
一番左
http://www.sanspo.com/rugby/news/n0110/image/01103101miyazaki_b.jpg

ちなみに真ん中は相撲の佐賀の花(誰?)の子孫だと
http://www.sanspo.com/rugby/news/n0110/rg_top2001103101.html
293日本@名無史さん:02/01/24 23:21
やぱ、早稲田は宿敵か
294【^▽^】尾張武士ジョーカー:02/01/24 23:26
>292
こっちから見て左?
295日本@名無史さん:02/01/24 23:28
>294
想像してごらん
296【^▽^】尾張武士ジョーカー:02/01/24 23:30
こっちから見て右側だな。
どことなく有朋に似てるし、ぼっちゃん風だ。
297日本@名無史さん:02/01/24 23:32
>296
アフォ
人は外見によらず
298【^▽^】尾張武士ジョーカー:02/01/24 23:34
>297
え〜、逆なのか!
右側の方が自身有り気な感じだったしさ・・・
299日本@名無史さん:02/01/26 01:13
伊藤>西園寺>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>山縣

だな。
政党内閣マンセー
300日本@名無史さん:02/01/29 22:11
山縣の晩年は可哀想だねえ。
301日本@名無史さん:02/01/31 21:14
あだ護る
砦のかがり影更けて
夏も身にしむ
越の山風

インテリ元勲マンセー
302日本@名無史さん:02/02/06 20:35
303日本@名無史さん:02/02/06 20:57
でも、こいつ(山縣有朋)がロシアのツアーリズムを真似して
日本の皇室をあんな陳腐なもんにしちまったんでしょう?
権威だけを真似たってしょうがないのに・・・

国賊だな。
304日本@名無史さん:02/02/07 01:58
>>303
それって司馬遼太郎が同じような事書いてたな。
たしか、大久保が天皇の権威を作り出して、
山県がそれを装飾化したとかなんとか。
305日本@名無史さん:02/02/12 00:18
>>303
皇室の制度設計だったら伊藤博文の方がよっぽど影響大きいと思うが。
306日本@名無史さん:02/02/12 03:58
なんでヤマガタってさー貶せるけど誉めれないんだろー
ヤマガタっていうと悪って感じがするなー
赤禰とかが主人公の小説だと大魔王だよ、奴は
307日本@名無史さん:02/02/17 08:57
大正天皇「いったい、いつになったら辞表をだすんだい?」
やまがた「…」
308>:02/02/18 20:55
宮中某重大事件の敗北が
晩年を惨めなものにしてしまいました。

徳富蘆花による伝記では、
この事件にほとんど触れていない
309日本@名無史さん:02/02/18 21:01
宮中某重大事件ってなんですか?よければご教示願いたい、まじで
310日本@名無史さん:02/02/18 21:09
>>308
あれって、原なども山縣と同意見だったのに、
叩かれたのは彼だけ、いいだしっぺとはいえ、悲惨な人だよ。
>>309
検索すれば、色々出てくるよ。
311日本@名無史さん:02/02/18 23:09
>308
蘆花と山縣って何か結びつかん。 
蘇峰じゃないんですか
312:02/02/18 23:24
>311
その通りでした。スマソ
313日本@名無史さん:02/03/05 21:39
age
314日本@名無史さん:02/03/14 16:01
狂介って名前カコイイ
315日本@名無史さん:02/03/14 18:40
司馬が鹿鳴館の仮装舞踏会に、雑兵のコスプレで参加したとか書いていた。少し好感持った。
316日本@名無史さん:02/03/14 21:53
彼が生きていれば、太平洋戦争は無かった。
317日本@名無史さん:02/03/14 21:55
そ、それは年齢的に無理なような
318日本@名無史さん:02/03/27 22:32
age
319日本@名無史さん:02/03/27 22:59
>>317
西園寺より少し多めに生きればよし。
最低でも満州事変まで生きていてくれたらなあ。
絶対関東軍の暴走を止めていただろうにね。
320日本@名無史さん:02/03/28 00:01
岡義武の『山県有朋』を古本屋で見つけて読んでみた。
しかしあの権力フェティシズムは山県特有のものなのだろうか?
それとも政治家として一般的なものなのだろうか?
後者だとしたら、今一番近い政治家は誰?
321世界@名無史さん:02/03/28 00:47
>320
某大勲位?終身比例一位の。
322日本@名無史さん:02/03/28 03:56
枢密院議長 元帥 陸軍大将 従一位 大勲位 功一級 公爵
国賊 山縣 有朋 1838-1922
323日本@名無史さん:02/03/28 05:45
最後の国賊って(笑
324名無的発言者:02/03/28 06:37
山縣有朋が構想する通りに事が運べば、つまり当初から徹底的な議会軽視、
官僚主導で推し進めれば、太平洋戦争へ続く筋道も変わっていたのかもしれない。
例えば、第二次大戦中、中立を守ったイノニュ大統領のトルコのように。
しかし現実には、その後継者、田中義一が陸軍を把握しきれず、収集がつかなくなっている。
結局、日本には常時、あれほどの陸軍を維持する必要があったのだろうか。
朝鮮半島や大陸についてまでも、責任を持つべきではなかったのではないか。
その点、山縣有朋が陸軍ではなく、海軍を受け持っていた方が良かったのかもしれない。
問題は非合法なものを含めた具体的な武力が権力を裏付けする唯一のものであると、
彼が信じていたことであり、派閥以上のシステムを作り得なかった事である。
伊藤博文死後にも、西園寺、伊東、後藤、伊沢など、その系譜は続いていくが、
山縣亡き後、その強力な派閥組織は各所でコントロールを失い、独走していく。
325日本@名無史さん:02/03/28 07:22
最後の国賊はヒロヒトだろ
326ああ:02/04/28 23:24
あああああ
327長州人:02/04/30 05:57
廃藩置県の事がまったく出てこないね。
もしかして知らない?
328日本@名無史さん:02/04/30 06:02
山県有朋(やまがたUFO) 空飛ぶ円盤研究家
329めっさ:02/05/01 05:18
>>328
よっしゃよっしゃ、その調子で次もがんばれ!
330日本@名無史さん:02/05/04 12:23
age
331日本@名無史さん:02/05/04 12:25
大正期の山縣有朋直系は田中義一陸軍大将。
ちなみに、言われるところの、
「まともな歴史談義」が出来る板を幾つか紹介していただけませんか?
332日本@名無史さん:02/05/04 12:27
田中義一の後継的な存在は?
333日本@名無史さん:02/05/04 12:30
宇垣一成陸軍大将。
334日本@名無史さん:02/05/04 12:34
よくテレビに(特に米テロ事件直後)出てきた宇垣大成氏って子孫とか
なんでしょうか?
335日本@名無史さん:02/05/04 12:37
ガタガタ有朋
336日本@名無史さん:02/05/04 12:41
>>334
そこまでは知らないけれど、宇垣一成は戦後、
参議院議員として活躍している。
日本が破綻に至ったのは、山縣閥のせいと言うより、
それを気に食わなかった反主流派が造反したことにより、
陸軍を始めとして収集がつかなくなったため。
337日本@名無史さん:02/05/04 12:42
桂太郎、田中義一、宇垣一成など、個々人では優秀な人が多かった。
338日本@名無史さん:02/05/04 12:45
議会政治の導入>金と利権の政治>各派閥が入り乱れての議会、軍、財界の派閥闘争
>議会の失政、衆愚政治、国民の議会離れ>戦争になし崩し的に突入
こういう面もあったと思う。
339日本@名無史さん:02/05/04 12:45
反主流派って?(ゴメン質問ばかりで)
340日本@名無史さん:02/05/04 12:51
当時、山縣閥の系統は長州閥と認識されていた。
(後期になれば必ずしも長州出身者=山縣閥ではない。
宇垣は岡山出身。)
其れに対し、薩摩閥と言われる上原勇作大将が引き継いだ派閥があり、
(ちなみに、上原も薩摩出身者ではない。)
大正時代、元老が少なくなり、経済的外交的な大変換期に、
陸軍内に派閥争いがあったとされている。
341日本@名無史さん:02/05/04 12:51
>340
上原閥が皇道派になるんでしょ?
342日本@名無史さん:02/05/04 12:56
陸軍部内の人事争いにより、関東軍や朝鮮軍に対する統制が、
行き届かなくなった。
もともと、関東軍の権限を限定していれば問題は無かったのに、
さらに議会の混乱が、この状態に拍車をかけた。
長州閥、薩摩閥の争いは、延いては皇道派の伸張を許し、
226事件へとつながっていく。
343日本@名無史さん:02/05/04 12:59
必ずしも上原閥=皇道派ではない。
実際、上原閥の系統に属する永田鉄山軍務局長は統制派と目され、
狂信的な将校に斬殺されている。
要は、陸軍部内の混乱が、統制を弛め、日本暴走の一因となった、
と言われている。
344日本@名無史さん:02/05/04 13:03
以上、不正確な知ったかぶり情報、間違ってたら失礼。
345日本@名無史さん:02/05/09 09:12
>>344
大体あってる
346日本@名無史さん:02/05/09 19:45
軍人としては三流だったらしいね。
347日本@名無史さん:02/05/09 19:59
日清戦争時、第一軍司令官として出陣したものの、指揮ぶりを危惧されて
呼び戻された。
348日本@名無史さん:02/05/09 21:34
>>347
>指揮ぶりを危惧されて
もちろんそれも呼び戻された原因の一つだが、
もっと大きな原因は大本営から指示を無視した作戦行動をとったのが
一番の原因。
349  :02/05/10 23:54
AGE
350名無し一兵卒:02/05/12 13:09
そんなことより345よ、ちょっと聞いて下さいよ。
昨日、一夕会行ってきたんですよ。一夕会、そしたら御忍びで某元帥まで来ちゃって、昨今の日本の有り様は・・・なんて、やってるの。
若い将校なんて、口角泡を飛ばして、万難を排して維新実現だ、なんて吼えまくって、もう見てらんない。
まあ、旭日大綬章やるから、その口をつぐめと、いったい公務員としての分を弁えているのかと、本当に国の事を考えているのかと、問い詰めたい。政治屋が金に興味を示さなくなる其の日まで問い詰めたい。
ただ自己満足したいだけなんちゃうんかと。
軍隊というものは、もっと殺伐として然るべきなんだよ。
政府主導の軍縮条約に反対したら、国会に呼び出されて徹底討論。
現地の軍人が暴走すれば、元帥から現地司令官に至るまで証人喚問されて議会で吊し上げを食らい、真実を隠蔽すれば全省遍く減俸の嵐が吹き荒れる。
その代わり、国民の信頼は高め、これ。
ただ、議会がマトモでなければ、意味を成さない諸刃の剣、素人には御勧め出来ない。
まあ、教育者でありながら、生徒を派閥の手駒に使った、荒木、真崎は予備役にでも逝ってなさいってこった。
351日本@名無史さん
>350
今時吉牛ねたか(w