土方歳三の墓はどこ?

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1日本@名無史さん
燃えよ剣を読むと函館市内の納涼寺に墓があることになっているが、
この夏、はるばる函館まで行ったところそんな寺自体存在しない
ようだった。どしたの?
2日本@名無史さん:2001/08/22(水) 19:25
確か墓の場所はまだ発見されてないんじゃなかったけ?
3函館:2001/08/22(水) 19:25
墓はないのだ。
かわりといっちゃなんですが
碧血碑というのがあります。
だいたい死んだ所ははっきりとわかってはいません。
誤差3キロはあるでしょう。
土方歳三最期の地碑というのが若松町(函館駅の近く)にあります。
4日本@名無史さん:2001/08/22(水) 19:53
>納涼寺

称名寺でしょ。
高幡不動の過去帖に歳三が称名寺に埋葬されたとある。
その為称名寺は供養碑を建立した。
5日本@名無史さん:2001/08/22(水) 20:36
ちなみに高幡不動尊には土方さんのお位牌があるよ。
それから同じ日野市内の石田寺(いしだでら)には
土方さんのお墓の一つがある。
勿論遺骨なんかが入ってる訳じゃないけど
結構お参りにきてる人が多いよ。

遺体が埋められたのは五稜郭の一角の、盛り土の一つだって
言われてるけど、信憑性は如何ほどなのかなあ。
6日本@名無史さん:2001/08/22(水) 21:35
私も函館旅行をするために色々調べたのですが‥‥
遺体埋葬地は確定されていないハズ‥。
候補地が3つ4つくらいあって;;;私が知ってるのは、
五稜郭公園の兵糧庫の裏の松の木の下(かなり盛り上がってるみたい)
と碧血碑?と‥もう一つは大円寺というお寺の無縁塚(これは結構新しい説かな;
函館の郷土史っぽい本に書いてありました。)だけど‥
ほんとは一体どこに眠ってるんでしょうネ(^^;;わかりませんです。
に‥という
71:2001/08/22(水) 21:37
それが燃えよ剣によると

埋葬場所
--->函館市内の納涼寺
それとは別の追悼碑
--->函館市内の称名寺

となってます。称名寺と土方歳三最期の地には行ってきました。
燃えよ剣によれば碑に彫られた俗名は

納涼寺--->土方歳三義直
称名寺--->土方歳三義豊

となっていて後者が正しく前者は間違いとされていた。
しかし実際の称名寺の碑をみると俗名は単に「土方歳三」
だけで「義豊」なんて彫ってなかった。へんなの。

函館駅前の観光案内所のおねえさんは
「お墓は・・・ないんですよ」だって!
8日本@名無史さん:2001/08/22(水) 23:44
埋葬されているところから確認されているよ。>>>>>>>>>五稜郭内。
9日本@名無史さん:2001/08/23(木) 00:07
諸説紛々しているのは死亡地や埋葬場所であって
墓はちゃんと存在するよ。
人名事典で確かめてみれ。
10日本@名無史さん:2001/08/23(木) 00:51
函館では結構偉い人として扱われてるね。
俺もテレカ買ったよ。
そういえば土方家には行った?>1
11日本@名無史さん:2001/08/23(木) 00:59
埋葬地についてなんだけど、五稜郭内の盛り土は見てきたよ。
ほんと盛りあがって、その上に松の木が生えていた。
でもすごく汚い場所にあったよ。なんか資材置き場みたい。

五稜郭内にもそこ以外にもスポットがあるという話もあるので、
ほんとどこに埋葬されていたものやら・・・

あとは6さんの言ってるとおり、無縁塚にある可能性も・・・
碧血碑にもお骨があると言われております。真偽は定かでは
ないですが。
121:2001/08/23(木) 05:54
皆さん、どうもです。
五稜郭には行ったんですが、盛り土埋葬説は知らなかった!
また、いつに日にか見に行きます。
>>5,>>9
オンラインの人名辞典では、墓は東京都日野市石田の石田寺
とでましたね。一応、これが一番正当な(?)お墓なのかな。
>>10
土方家って、日野市の生家跡地の資料館ですね。行ったことないんですが、
埼玉在住なのでそのうち行ってみます。
>>11
碧血碑埋葬説もあったのか!いや現地で碧血碑の存在は知ったのですが、
雨がパラつく中でのバイクツーリングだったので疲れて行くの止めたのです。
埋葬説を知ってたら行ってたのに。
しかし、司馬遼太郎はいったい何見て燃えよ剣を書いたのやら。
13日本@名無史さん:2001/08/23(木) 23:28
1さん

私が聞いた話では盛り土を明治に一度掘り返して、そこから出た骨を
高い方へ移したという話がありました。
函館山を指していると思います。
そうすると碧血碑の可能性があるのではないでしょうか。

大正にその盛り土を掘り返したらもう何も出てこなかった
と言う話も聞いたのですが、それも人から聞いた話なので
定かではないです。

でもそれが確かなら盛り土にはもう入ってないことになりますね。

でも未だ盛り土にも入っているという説が流れているので
何を信じていいのやら・・・とという感じです。
14日本@名無史さん:2001/08/23(木) 23:47
おっ、1はまじめにレスしているな。
近頃殊勝な1だ。
自分でもよく調べているようだし、感心々々。
15日本@名無史さん:2001/08/24(金) 02:13
墓地にはあまりファンノートのようなものは置いてほしくないね。
少なくともあんな箱いっぱいにある状態ではなく数冊にまとめてほしい。
でも土方の墓のノートは子孫の意向で廃止になったそうだね。
16日本@名無史さん:2001/08/24(金) 02:20
同人女みたいなのが来るようになったからでしょうか?
17日本@名無史さん:2001/08/24(金) 02:58
たぶん参拝よりもノートを読み書きするのが目的になったような面があるからじゃないか。
ノートを利用する人のすべてがそうではないと思うが。
18函館人:2001/08/24(金) 17:09

碧血碑(妙心寺内 函館山のふもとにあります)

明治8年、箱館戦争戦死者の七回忌に榎本武揚・大鳥圭介らが建てました。
土方歳三をはじめ、旧幕府脱走軍の戦死者約800人の霊が祭られています。
碧血とは「義に殉じた武人の血は三年たつと碧色になる」の中国の言によっ
たものです。

五稜郭公園の中にある博物館に昔土方歳三の血染めの羽織りってのが
あります。(うそっぽいけど)

地元でもけっこう研究している人がいますが、ひとつの見解として
政府にとっては反逆者なので、墓はつくるこたぁない。
(実際函館市ではおおっぴらに土方は誉めない。前に土方の銅像を作ろうと
いう案があったが、反逆者なもんでだめが出た。
行政はいつもくだらん)

もひとつ
戦いに生き甲斐を見い出した土方なら、墓などは望まんかったのではないか?
負けて死ねば土に還るのが、土方の美学だったのでは……と思う。

見てきてほしい所があったら、見てくるよ〜 では。
19函館人:2001/08/24(金) 17:16
羽織りは昔あったのは覚えているけど
今でもあるかはわからない。久しぶりに行ってみようかな。
入館料50円(確か)は安いでしょ。
それと、箱舘奉行所を復元する計画もあるよ。
20日本@名無史さん:2001/08/25(土) 03:56
函館人さん、
五稜郭内の兵糧庫が新しくなるというのは
本当でしょうか?
21日本@名無史さん:2001/08/25(土) 05:50
どうせなら、二股口にもいってみれば?土方の部隊が築いたと思われる石垣が
少し残っていたりしていて、何よりその一帯が乙部方面からの隘路にな
っていてその石垣(陣地?)のあたりに登ると ”俺でも1週間ぐらい阻止
できるかも!?!”などと思わせてくれる地形がGOODよ。
22日本@名無史さん:2001/08/25(土) 07:58
>しかし、司馬遼太郎はいったい何見て燃えよ剣を書いたのやら。

何年か前の「歴史読本」に載ってたと思うんだけど、
「燃えよ剣」はディティールが細かすぎて、何かネタ本があるはずだ、と探した人がいて、
土方家に行っても何も無い。もう一つの実家ともいうべき佐藤家に訊いたら、
最初は隠してたけれどシツコク食い下がると「実は・・・」と秘伝の書を出してくれた。
それを司馬さんに見せたことが判った、って書いてあった。
今手元に無いんで、正確じゃなくて申し訳無い。
23函館人:2001/08/25(土) 11:41
>20
模型の写真を見たけど、けっこうおおがかりなもんだった。
でも兵糧庫がどれかはわかんなかった。
こんど市役所にでも聞いてみます。
すまん。
24日本@名無史さん:2001/08/25(土) 11:48
墓はあるけど、遺体はみつからなかったんだろ
25日本@名無史さん:2001/08/25(土) 12:24
尻の穴。
26日本@名無史さん:2001/08/25(土) 13:00
そういや司馬遼太郎が日野に取材に来た時、
「土方さん宅はどちらでしょう」って人に聞いたら
「どこの土方さんですか」って言われたって(笑)。
確かにあのへん(土方家生家付近)土方姓ばっかだからな〜。
んで「新選組副長の土方歳三さんです」って言ったら
「ああ歳さんちね」って言われて、何か今普通に暮らしてる
人の所に訪問に来たような感じがしたんだそうな。
まあ「燃えよ剣」が書かれる前の話だから相当昔だけどさ。
でもそんな故郷だからこそ、遺骨こそ埋まって無くても
日野の石田寺はやっぱり土方さんの第一のお墓と言っても
過言ではないんじゃないかなあ。
27日本@名無史さん:2001/08/26(日) 02:18
>>26
>「ああ歳さんちね」って言われて、

違う。「歳さんち」などとは言われていない。
「ああ、お大尽の家ですか」と言われたのが本当。
『子母澤寛全集』第一巻(「新選組始末記」)の月報を参照のこと。
28日本@名無史さん:2001/08/26 07:01
>今手元に無いんで、正確じゃなくて申し訳無い。

新人物往来社の「聞きがき新選組」に載ってるね。
29日本@名無史さん:01/08/28 03:34 ID:/YK8h7jo
>>27
ハァ?子母澤寛じゃなくて司馬遼太郎の話だろ?
大丈夫か?
30 x:01/08/28 09:36 ID:XGw6Oh9I
hahahahah
31 x:01/08/28 09:36 ID:XGw6Oh9I
ihoih
32日本@名無史さん:01/08/28 16:07 ID:cwkK9DF2
>>29
月報ってあるだろ
33日本@名無史さん:01/08/28 17:22 ID:JLNH/GD.
板橋の駅前にあるのってなんだたっけ・・?
土方歳三と関係あったような・・・。
34日本@名無史さん:01/08/28 17:42 ID:ShpZxwjQ
永倉の立てた近藤の碑
35日本@名無史さん:01/08/28 17:49 ID:JLNH/GD.
>>34
レスありがとうございます、関係なかったですね・・、記憶違いでした^^;
36日本@名無史さん:01/08/29 06:44 ID:BU/u9gt6
板橋にあるのって新撰組隊士の墓じゃなかったっけ?
正面が近藤と土方で側面に隊士の名前がずら〜っと。

岡崎の法蔵寺はどうですか?
昭和34年(だっけ?)の伊勢湾台風で、土方以下数名の名前が刻まれた台石が発見され、
近藤の首塚ということになっているが、その中に伝習隊士の名があることが判明。
実際は戊辰戦争で死んだ土方や伝習隊他の供養塔ではないかと言われている。
ただ「慶応三年辰年」と不可解な刻銘が(辰年は慶応四年、しかもまだ死んでないし)
有ったり謎が多い。
37日本@名無史さん:01/08/30 23:52 ID:AgcmiSiU
>>27
けっきょく、実際はどうなんですか?
やっぱり「歳さんち」が正しいんですか?
38日本@名無史さん:01/09/01 23:34 ID:yAIhcEOA
>>37
だから『子母澤寛全集』を確かめろってば。
そのくらいはして欲しい。
39日本@名無史さん:01/09/04 00:23 ID:FNZ3fDZg
再現日本史の幕末維新10に、五稜郭の埋葬地と思われる写真が載ってるよ。
古い写真だけど、明治か大正のものかな?アレは。
40日本@名無史さん:01/09/04 01:31 ID:OnVw9pIQ
>>37
司馬遼太郎著「手掘り日本史」には「ああ、お大尽の・・・」と
書かれているぞ。
41おしえてrannkinngu:01/09/04 03:12 ID:DUe0mFOY
42日本@名無史さん:01/09/04 16:09 ID:jSpg2KHI
釣洋一『新選組再掘記』の「新選組隊士録・土方歳三」を
読んでみるといいと思います。
もう古書店でもあまり出ていないので
国立国会図書館へ行くか、お近くの公共図書館を通して
取り寄せてみてはいかがでしょう。
43日本@名無史さん:01/09/08 01:38
>>42
その本は、同氏の『新選組再掘記』と合本・加筆のうえ
『新選組誠史』として現在も刊行されているよ。
44日本@名無史さん
伊庭八郎関係の資料で読んだと思ったんだけど、
伊庭の亡骸は五稜郭内の南西隅に埋葬と伝わってると書いてあったんだけど、
そうかんがえると土方もそうなのかな?と…南西隅というと、やはりあの盛り土かな。